ここは八雲家。
極めてのんびりとした、古き屋敷のゆかしき風景を残す場所。そもそも幻想郷自体がそうなのだが、ここは特に雰囲気が古い。
尚、棲んでいるものも古いと言うと、どこからともなく叩かれること請け合い。
日の昇り、明るくなった屋敷の中で、九尾の狐が眠る妖怪を起こそうとする。
「紫様。朝食の用意ができましたよ。起きてください」
ここはポピュラーに、ゆすりゆすらと揺すり起こす。
「んん、あと五年」
ポピュラーなわがままに比べると、スケールが実に約十万と五千倍の寝言が産まれた。
「紫様の場合本気で寝そうだから二度寝禁止!」
「ああん、ケチねぇ」
やはりか、という思いが九尾の狐、藍の頭を過ぎる。なんとなくではあったが、この寝坊助な自分の主が、珍しくもう目覚めている気がしていた。
「おはよう、藍」
「おはようございます」
三つ指をついて恭しく頭を下げる紫。ちょっとあんたなんでそんな恰好をするのさという動揺を内心で呑み干して平然とした顔のままの藍。
「紫様、もう朝ご飯が、できていますよ。早く着替えてくだ、だだ……さい」
呑み込んだ動揺がちょっとリバース。
そんな藍を見て、おかしそうに紫は笑った。
紫はひとしきり笑うと、藍の手伝いを受け、寝間着から着替える。
「寝間着って、眠る為の服なんですよ」
「あら、当然なことを言うわね」
おかしなことをいう藍ね、という顔で答える。だが、それを本当に判っているのかと言う点において、どちらかと言えば藍は異議を申し立てたい。
……寝間着が巫女服ってどうよ。
そんなツッコミもまた呑み干す。瀟洒な従者は幻想郷に二人いた。
さて、普段着をしっかりと身に纏った紫は、足取りも軽く居間へと向かう。長い睡眠にはカロリーを消費するらしく、単純に空腹なのだ。餓えているのだ。食に渇しているのだ。寝てただけなのに。
そう思うと、我が主の事とはいえど、情けない気持ちに顔を覆いたくなる藍である。
けれど、主はそんな式神の苦悩を知らずか、あるいは知った上で無視をしているのか、大袈裟な欠伸を一つ。
「はぁーっ……」
「せめて手で口を覆ってください」
幼いその仕草に、つい母性が先行してしまう先天性保護者。対するは、後天性幼児性を開花させつつある大妖怪。この大妖怪と呼ばれる彼女は、周囲の母性と父性と中性的な優しさによって今を生きている。身体の何割かは優しさなのだ。あとは悪戯心とか食欲とか睡眠欲とかその辺。
「それで、今日の朝ご飯は何?」
くるりという効果音に星の一つ(☆←これ)でも添えてしまいそうな動作を見せる紫。そんな無邪気な存在に、自分は何ができるのかと真剣に考えてしまう藍。
「今日はゆかりご飯です」
そう答えると。紫はぴたりと立ち止まり、自分を指差そうとする。
「違います」
「早いわね」
何を言うかすぐに理解して即時ネタを潰す。藍はボケ殺しであった。
「でも、ゆかりご飯って、私が作ったご飯か私専用のご飯みたいね」
「作っていただけると私と橙が感涙しますよ」
「あら嬉しい」
その科白が真顔だったので、きゃっきゃと紫は嬉しそうに笑う。
藍にしてみれば、いったいどれほど振りになるのだろう。紫にご飯を用意された記憶は、それこそ霞の向こうのように遠い。思い返してみれば、藍が料理をするようになってからは、恐らく一回たりと作っていない。
はぁ、と藍が溜め息を吐く。その頃には、既に二人は居間に辿り着き、用意された料理を視野に収めていた。
「さて……質素ね」
「育ち盛りがいませんから」
本日、橙は朝からお出かけであった。
「私、私」
「……育ち盛りは過ぎててください。面倒見切れません」
「酷いわぁ」
言葉とは違い、おかしそうにくすくすと紫は微笑む。楽しそうに生きているなぁと、そんな笑顔を見る度に思ってしまう。
だが、そんな思考に浸っても胃袋にはそれを消化して栄養にする力がないので、二人は揃って座ると箸を持って手を合わせる。
「「いただきます」」
二人が同時に口にする。すると、どこからともなく小さな声が藍の耳に届いてきた。
『いただかれちゃうみたいよ』
『いただかれちゃうのね』
『美味しく食べてね』
『私から食べて~』
そんな、やや姦しい声。どこからするのかと声のする方を見れば、それは茶碗の上。小さな小さな、紫いっぱい。
「うわぁぁぁぁ!?」
危うく卓袱台返しを決めかけた藍は、どうにか卓袱台から足を引き抜いて茶碗から距離を取った。
「どうしたの、藍」
不思議そうな、けれどどこか悪戯な表情。だが、あまりに洪大な驚きの衝撃に、藍はその表情に気付くことができなかった。
「な、なっ!」
動揺で頭がぐらりぐらりと地震を起こす。震度は未知。橙を起こそうとして寝返りを打った際に頸椎に踵の回し蹴りを喰らった時以上の衝撃だった。あれは痛かった。橙の蹴り。
そんな仰天の波濤に意識を持っていかれかけた藍は、どうにか思い出にしがみつくことでその荒波を乗り越え、理性を取り戻すやこの異常事態の犯人に向かい怒鳴る。
「ゆ、紫様!」
「なにかしらぁ?」
犯人は容疑を否認。
けれど、弾劾は続く。
「なんですかこれ! 私のご飯のゆかりが紫様になってるんですけど!」
文字にしないと判らないことを言う。いっそ赤紫蘇と呼べば良いものを。
「気のせいじゃないかしら」
「気のせいでたまりますか!」
紫が気のせいという、そのご飯に立つ、小指よりも小さなリトル紫の群れ。群生している。
『食べてくれないのかしら』
『優しさかしら』
『むしろ食べられたい』
『きゃっ』
掌大紫が、茶碗の縁から身を乗り出して藍を眺める。総勢六人。に見えたがひょっこり現れ総勢七人。
小さくて幼く見えるというのに、相変わらずどこか妖艶な雰囲気を孕んでいたりして、酷くちぐはぐな印象を与えまくる小人たちである。
なお、この件に関し、容疑者からの言葉は一言。
「大丈夫よ、ただの幻覚だから」
「食べづらいことこの上ないんですけど!」
「味は普通のゆかりよ」
どうやらこの小振りな紫は、ゆかりを化けさせたものであったようだ。
とりあえず藍は席に戻り、眼前に広がるスモールワールドを見下ろしてみる。
『普通のゆかり、普通のゆかり』
『実はちょっと美味しいかも』
『意外といけるかも』
『普通じゃないゆかりなのかも』
この幻覚、本物に比べると若干思考回路は残念なことになっているご様子である。
この小人たちは、自分をただのゆかり、音を分けるなら赤紫蘇であると言っている。だが、幻覚に赤紫蘇だから食べて問題はないと言われたところで、見た目的には紫の躍り食いであることに相違なく、そんなことを躊躇いなく主の幻覚をむしゃむしゃと咀嚼できるほど、自分は図太い神経をしていないと藍は自負していた。
「……食べられません!」
「大丈夫だって言ってるじゃない。心配性ね」
「そういう問題ではなくてですね!」
「いいから、ほら食べるわよ」
とはいえ、命令されるとどうしようもない式神の悲しさでもある。
「う、うぅ」
泣く泣く箸を伸ばし、ついつい紫を掴んでしまう。
『きゃ、食べられちゃう』
『さようなら、紫』
『私たちも後から行くわ』
ドラマが生まれた。
「一々会話しない!」
覇気のないボケ殺し。
箸に摘まれ、ぱたぱたと手足を動かす紫。ひらひら揺れる服が、なにかやたらと可愛らしかった。
そのかわいらしさもあって、食べることは決して楽なことではなかった。だが、紫の命令でもあり、拒絶は不可能。やがて意を決し、九尾の狐はミニチュア大妖怪をキッと睨む。
「ままよ!」
パクッ
『たーべーらーれーたー』
口の中から紫の声が響く。食感と味は……紛うことなくゆかり。
とりあえず、口の中に肉の味が広がったり歯に肉の独特な抵抗感があったり断末魔が響いたりしなくて本当に良かった。本当に良かった!
緊張で流した冷や汗が伝ったものを背中に感じながら、藍は真剣に、紫の悪戯が度を超してなくて良かったと安堵をしていた。もしも行き過ぎていたら、自分は主に一体何日間説教をしなければならないのだろうと、やや気の遠くなることも考慮してもいた。その為、この安堵感といったらなかった。
「美味しい?」
「……味わう余裕があるとお思いで?」
「安心した?」
「意地が悪いにも程があります」
ホッとすると腹も減る。そういうわけで、今度はご飯を箸で摘む。
すると、箸で持ち上げたご飯に腰を下ろしている紫の幻。
『次は私ね、藍』
『あーん。私じゃないのぉ?』
『ずるいわ、酷いわ、差別だわ』
頭痛がする。だが、これもあと六つだけの辛抱。
そう思って、数えてみると……
……八人いた。
ちょっと目眩がした。
『ゆかりがある限り、私たちはいくらでも増えるわよ』
『さ、掻っ込んでしまうが良いわ』
『でも一人ずつ愛でて欲しい』
「えぇい、食べ物が喋らない!」
半ば自棄になってミニ紫に怒鳴る。だが、叫んだところできゃっきゃとはしゃぐだけであり、何の効果もない。
そのまま数人の紫を食べたのだが、食べて減るわけでもない雨後の筍以上の成長力を誇る紫の軍勢に、いい加減藍は堪えられなくなった。
ここで藍、えいやとばかりに茶碗を手に持ち、実に男らしく飯を掻っ込む。男らしいと本当に口にするとその九本の尻尾でぺしぺしされそうではあるが、腋を開き肘を張って飯を掻っ込む姿は、まるで茶漬けのCMの様に絵になっていた。
『わー、藍の口の中って綺麗ねぇ』
「んぐっ!」
口の中から聞こえてくる声。まだ噛んでいなかったゆかりが、ゆかりに戻らず口の中ではしゃいでいた。
口の中で何言ってるんですか! というか、早く消えてください!
そう念じながら咀嚼するが、上手く噛めないらしく、なかなか声が消えない。
『あはははは、舌がくすぐったい。空気振動がうるさい』
んがー!
一匹の狐が、心の内にて獅子にも似た咆哮をしたとかしなかったとか。
まぁ、そんなこんながありまして、穏やかな朝食は終わるのでした。
疲労困憊の藍は、食器を片付ける力もないようで、だらーっと床に寝そべっている。精神的な疲労が強いようである。
本当は、もっと紫に文句を言いたい。だが、心の奥底に、自分を食べてと懇願するリトル紫たちに対して優越感やらなんやらそういった感情が後半ちょっと抱いたという自覚があったので、文句が口から先には出てこなかったのだ。そして、その理解と同時に湧き起こる自己嫌悪に、藍はしばらく頭を痛めることとなる。
とはいえ、自分で思うより、いくらか神経が図太かったようだ。
「私は美味しかったかしら、藍」
「あ、あのですねぇ!」
抗議をしようと思うが、目の前でにこにこと微笑む紫を見ると、どうしても言葉が続かなくなってしまう。
そして結局、式神としての正しい立場に甘んじることになる。
「……大変美味しゅうございました」
「それは何より」
くすりくすりと笑うものだから、むずむずと藍はくすぐったいものを感じた。してやられた感が否めない。
そんなむず痒さを感じてもぞもぞとしていると、紫静かに席を立ち、ごちそうさまという言葉を残して、サラリと風に乗ってどこかへ行ってしまった。
「まったく……悪気があるのに害意がないのが、厄介過ぎるんですよ」
本人がいなくなった途端に愚痴がこぼれ落ちる。
「でも……」
ふと浮かぶ無邪気な笑顔を見てしまうと、どんな悪戯でも許してしまいたくなる。それは従者としての気持ちなのか、保護者としての気持ちなのか。
「はぁ、どうかしてるよ、私は」
まったく、主を甘やかしてしまうなんて困ったものだ。そう思うが、そう思うこと自体をそんなに悪い事とも思えず、藍はそんな自分の気持ちにくすりと笑ってしまう。
「ふふふ……だが、そんな阿呆も悪くはないから、本当に厄介だ」
くすりくすりと、小さな花の咲くように笑みを溢していく。ひとしきり笑ってから、藍は小さな深呼吸をした。
「さて、と。まずは洗濯と掃除かな」
こうして今日も、藍は自分の日課へと移っていくのであった。
…むしろ紫様にたべられ(隙間)
でも、うん、僕もゆかりご飯が食べたくなりました。
主に紫的な意味で。
感想で草生やしたくなったのは初めてですよ。
よい八雲家でした。ごちそうさま。
むしろ、お願だからして下さい
ちょっと・・・いや、かなり可愛かったです。
一人ぐらいお持ち帰りしても気づかr(スキマ
ニヤニヤしながら読ませていただきました。
ごほん。
大変にかわいらしい紫様でした。私も食べてみたいです。
少女臭ご飯ですね
>身体の何割かは優しさなのだ
でもバ○ァリンと違って頭痛を増やすだけの効果しかないのでは…
-20点は、三○食品のあれに慣れ親しんでるために箸でゆかりだけつかめる状況がわからない為(ぉぃ
……この紫ってひょっとして某ラノベの妖精さんたちじゃあ……
ゆかりが食べたくなってしょうがなくなったじゃないか
でも、目の前にしたら…悶えそうだ
た、堪らん
てか、食べにくいよ、かんべんして下さい紫さんwww