AM2:00
Prologue
逢魔が時、騒がしい妖怪達も近づかないその場所に私は隙間を開き腰掛けた。このところ冬の到来を感じさせる日が続いていたが、今夜は温い風が吹く。時折、雲の切れ間からさす月のかすかな光が、目の前の光景を伝えてくれている。それはとても足を地面につける気にはなれない光景だった。影の中に浮かぶ大きな社の裏に小さなほこらがある。その前に、大きさも種族も問わず、この山の一つの縮図が折り重なるように倒れていた。かろうじて見えるそのほこらの前には、何かが供えられている。空気に混じる異臭に思わず顔をしかめる。ひどく懐かしく、しかし私にとって嫌悪以外の感情を呼び覚まさない匂い。明るくなれば、天狗どもが騒ぎだすだろう。そして、その中心、夜目の利く彼女でも見通す事のできないほど濃い闇の中に、彼女はいた。
「八雲紫……ね?」
影が歌うように私の名を呼ぶ。その声音はひどく無邪気で、いたずらを見つけて舌を出す子供のようだった。私は質問には答えずに、彼女に問いかける。
「自分が何をしているのかはわかっているのね?」
「止めるというならこの楽園を呪うだけ」
彼女は軽やかにくるりと回って言う。笑えもしない芝居がかった仕草が、妙にこの場には合っている気がした。
「そう、残念だわ。とても、残念」
そう呟いて、私は彼女に背を向けた。隙間を操り、自分の部屋への道を開く。私の行動が意外だったのか、彼女はしばらくこちらを見つめていたが、私が本当に帰ろうとしている事を見てとるとその口を開いた。
「わたしは間違ってないわ」
「……………」
「…………」
「……そうかもしれないわね」
振りかえらずにそう言って隙間を閉じた。もう一度開くとそこには式の九尾が頭を下げている。
「お帰りなさいませ、紫様」
「もうこんな時間よ、藍。気づかれたくない外出なんだから迎えなくていいわ」
「申し訳ございません。しかし、」
きっと突然行方がわからなくなった主を心配していたのだろうが、今はその気遣いも欲しいと思わなかった。
「はいはい、次はあなたに気づかれないように抜けるわよ」
「紫様……」
瞳の中にだけ戸惑いを見せる彼女に下がれと命じて一人で鏡台の前に座った。かんざしを外し温かな灯りの中で服の汚れを確認しているとき、ふと頭の中のピースがはまる。あぁそうだ。うずたかく、積まれるように供えられていたのは真っ黒な桟俵に包まれた、流し雛だった。
AM10:00
「ごめんなさいでした!!」
まだ日の昇りきらない博麗神社の一室で、お茶をすする私、博麗霊夢の前には、膝をついて頭を下げる背の低い少女の姿があった。金色の頭の上に紅葉の髪飾りが揺れている。
「いや、いいんだけどね?掃除してくれたし、結局私は得したようなもんだからさ」
今朝霊夢が起きて、深酒したせいでがんがんする頭を抑えながら表に出たところ、
「せめて私の手で逝くのです!」
そこにいたのはわけのわからないことを叫びながら、境内の木々を揺さぶっている彼女、秋静葉であった。とりあえず、霊夢は考えるのをやめた。彼女を針串刺しの刑に処し、境内の掃除を言いつけて、ついでに洗濯と皿洗いも押し付けて、自分は優雅に朝のティータイムとしゃれ込む。蕎麦茶だけど。朝ごはん?何それおいしいの?
そんな慌しい出来事があったあと、ふすまを開けて部屋に入ってきた彼女の最初の一言がこれだ。礼儀よく膝を合わせている姿は正直別人かと思った。彼女には妹がいたはずだ。もしかして霊夢の知らぬ間にすり替わっているのではないか、などということが頭に浮かんだが、妹のほうとは、ついこの間里の収穫祭で顔を合わせたばかりである。双子というわけでもないので、顔を見ればわかるはずだ。
「えっと、……顔を上げてもらえる?神様が巫女に頭下げてちゃ変だわ」
特にそんなこと意識したこともないが、状況もわからないままに頭を下げられるのは気分が悪い。
「はい……」
座布団を放ってやるとそう言って素直にひざを崩した。すると、どうしたのか顔をしかめる。
「いたっ」
シンプルだがよく彼女を象徴している彼女の朱色のドレスチックなスカートによく見れば、まだ何本か針が刺さったままになっている。合点がいった霊夢はちょっとやりすぎたかな、と思い手を伸ばしそれを抜いてやった。
「あ、すいません。」
謝る彼女の顔には、どう見ても神様の風格はない。それどころか、しおらしく見上げてくる童顔は可愛らしく、男でなくとも庇護欲を掻き立てられるだろう。まったく、面倒がまいこんだわね、と思い霊夢はひとつため息をついた。
「それで?何であんなことしてたの?」
「うぅ。散り行くあの子達を見てたらなんだか悲しくなってきちゃったんです」
「あぁ。あなた紅葉の神様だったわね。確かにさびしくはあるけど散り行く姿もきれいなのよ」
「はい。確かにそうなんですけど。……えっ?今なんていいました?紅葉がきれいって言いました?言いましたよね!うふふ、またここに私の信者が一人。あぁ穣子。たとえ秋が終わろうと私の力は人々の心に残るのです!ビバ秋!ビッグ秋!へぶっ」
むかついたので座布団を思い切り引っこ抜いてやった。見事に半回転した静葉は畳とキスしている。
「うぅ。…………あの、霊夢さん?」
「何よ」
「もう怒ってませんか?」
「怒ってないわよ」
「ほんとですか?」
「ほんとよ」
「ほんとにほんとですか?」
「…………」
大体この少女はいくつなのだ。仮にも神のくせに紅葉が色づくたびに、妹と一緒に山中飛び回っては、きゃはきゃは転げまわっているところしか見たことがない。昨日のような、神社でやる宴会にはこないが、山で開かれる宴会に行ってみれば大量の食料調達係として現れては、ひとしきり姉妹喧嘩をしたあとにすぐに仲良く眠ってしまっていた。妹のほうは里の祭りのときは少しは豊穣の神らしく振舞っていたが、この姉はどうなのだろう。
「本当よ。それにしても、なんで朝からこんなとこに来てたのよ?山から出てくるなんて珍しいじゃない」
「あ、いや、えっと、その…………」
今度は下を向いて黙ってしまう。なんなのだろう。霊夢はまどろっこしいことは嫌いだ。あとは聞き分けのない子供も嫌いである。あとは、保護者面してくるお節介な大妖怪たちも嫌いだ。最後のはどうでもいいが。
「何かあるなら言って。なんでもないなら、お茶くらい入れてあげるから、それ飲んだら帰りなさい」
「はいっ。あの……ごめんなさいです」
それでも秋の神は煮えきらない。どうやら様子を見るに何かあって神社に来ていたらしい。しかし、考えてみたら彼女が巫女に用事があるとしたら霊夢に頼るよりもっと近くに早苗がいるはずだ。霊夢の里での仕事にすらいちいち顔を突っ込んでくるあの信仰娘が彼女に手を貸さなかったとも思えなかった。
「あのっ」
意を決したのか、霊夢がいらいらしている様子が伝わったのか彼女がついに声を上げる。
「どうしたの?」
「あの、実はお願いがあるんです」
「はいはい。聞いてあげるから」
「えっ。わかってたんですか?」
話が進まない。霊夢は知らぬ間に湯のみを握る手に少し力が入っているのに気づく。やれやれ。霊夢は眉間を指で押した。
「巫女の勘ってやつよ。で、何?」
「あ、そうです。それなんですけど、一緒に……一緒に冬と戦ってくれませんか?」
「うん?」
消えゆく神と散りゆく彼女
うーん。ある意味予想通りというかなんと言うか。霊夢はこのよくわからない問いを頭の中で反芻する。これが新手のプロポーズという可能性は捨ててもいいだろう。第一冬だけの関係なんてずっと布団の中にいそうで嫌だ。次に、これが誰かしらを意味をする言葉なのかと考える。幻想郷の冬は特にここ数年厳しくて、里では毎年乗り越えられない赤ん坊が出る。そんな寒さの中では、妖怪たちもおとなしくなって、元気なのはチルノ達氷精や、レティなどの一部の妖怪のような、冬の寒さに力をもらう奴らぐらいである。もっとも神社に来るような大妖怪達や、幼馴染の魔法使いなどは逆に霊夢がずっと神社にいるからか何かと理由をつけてやってきて酒盛りするのは別だ。あいつらは年中元気すぎる。少し言い方が妙だが、これなら筋は通る。
「それは、レティを倒そうってこと?」
うん。きっとこれだ。だとしたら、そこまで難しい仕事ではない。吹雪を起こしたり、気温を下げたりする彼女と、真冬にやりあうのはごめんだが、今はまだ秋の終わり、冬の入り口である。たいしたお願いでもないな、と内心霊夢は安堵する。
「えっと、そうじゃなくて。あっ、でもきっと途中で彼女とも戦うんですけど。」
しかし、しどろもどろに手をあわあわさせて静葉はその言葉を否定した。霊夢はもう朝一番に見た彼女の表情が頭の中でぼんやりとしか思い出せなくなっていた。このままでは要領を得るまでに、何時間もかかりそうである。霊夢は一旦立ち上がり、彼女の分の湯のみを持ってくることにした。
「んーよくわからないわ。あなたのお茶持ってくるから、帰ってきたら最初から聞かせてくれる?蕎麦茶でいいわよね?」
「は、はい。大丈夫です。わかりました」
素直にそう言ってこちらを見上げる姿に背を向けて、ふすまを閉めてからもう一度ため息をついた。
台所は、霊夢が期待していたよりもずっと綺麗に片付けられていた。食器を片付ける最中これはどこにしまうのですか?といちいち聞きに来るのを適当にあしらったから、わからないものはそのまま伏せてあるのだろうと思っていたが、彼女なりに考えたのだろう。大抵のものが、いつもの場所に収納されているのを確認し、驚いた。流しの上の棚には手が届かなかったのだろう。踏み台替わりに使ったであろう椅子がそのまま置いてあった。ここまで片付けておいて椅子はそのまま忘れていくというのも、なんだか計算されたようで憎い。
そういえば彼女は普段妹との二人暮らしだ。豊穣の神が家にいるんだからそれなりの暮らしをしているのだろうけど、家事などは姉である彼女がやっているのかもしれないな、などと考えながら霊夢は客人用の湯のみを探す。この博麗神社に来客は多いのだが、座って茶を飲むような客は案外少ないのだ。紫はいつの間にか手の中に茶が入った湯のみが握っているし、魔理沙は勝手に湯飲みに大きく自分の名前を書いてこれは私専用な、などと勝手にいって勝手に使っている。来客用は花の大妖怪、幽香が珍しく日本茶が飲みたい、といったときに使った以来どこかにやったものか覚えていない。しばらくして、伏せてあった萃香の杯の下から目的のものを見つけたころには、霊夢はおもしろそうだったら手伝ってあげよう、という気になっていた。
少し冷めてしまった蕎麦茶を二人でしばらくすすった後、静葉は自分から口を開いた。
「しばらく前から妹の体の様子がおかしいんです。それで、原因を調べてみたら、ここ数年の冬の厳しさが、彼女の信仰に影響を与えているんじゃないかと思うようになったんです。」
「どういうこと?」
「えっと、人間の霊夢さんにはわかりにくいかもしれないんですけど、私たち神ってとっても不安定な存在なんです。だから守矢の二方のような本来力のある神様でも幻想郷に来なければいけなくなったりするんですけど、あの二人が来てから山もいろいろ変わって……。ごめんなさい、話が逸れました。霊夢さん妹が何を司っているか知っていますか?」
「えっと、豊穣の神なんだから作物を育てる能力、とかじゃなかったっけ?」
「それは私たちの本質の一部に過ぎないんです。私たちは二人で秋、という一つの季節を司る神です。妹は秋の実りに感謝する心によって、私は色づく木々を愛しむ人々の心によってこの体を与えられ、その信仰に答えるために存在しています。」
「はぁ」
「知っていますか?秋というのは、どこにでもある季節というわけではありません。夏や、冬のように気温が顕著になるわけでもなく、あいまいな季節といっていいでしょう。だからこそ私たちのような神がしっかりと存在できていなければ、秋がなくなるなんていうことすらありえるのです。」
つらつらと自分達の事を語る秋の神は先ほどよりずっと大人びて見える事に気づき、目の前にいるのが自分とは違う存在だという意識を霊夢は彼女に対して初めて感じた。
「あんたたちがいなくなったら秋がなくなるってわけ?大層な話ね。秋がなくなるとどうなるのかいまいち想像がつかないけど。」
「うぅ、それは説明しにくいです。ただ、私たちが象徴するように秋というのは生命が最後の力を出し切る季節です。次に迎える冬は死と静寂の季節ですから。」
「うん。まぁいいわ。それで?」
「最近の冬はずっと厳しく長くて、そうでなくともしばらく前には春が来ないなんて異変もありました。冬は必ずしも秋の実りにとって悪いものじゃないんですけど……。ここ数年の不作は秋が冬に勝てないからだなんていう噂が里で出てるらしくて」
確かにあの春雪異変のあと、無事に桜は咲いたが、農作物などへの影響が少なくなかったと慧音がいっていた記憶がある。
「なるほど。信心が離れてるってわけね。祭りのときは何の問題もなさそうだったけど。それで?あなたはどうしたいの?」
「本来なら冬の神と話し合うのが筋なのですが、私は彼女がどこに住んでいるのか知りません。だから、冬の妖怪のところに行ったんですが、私の力では居場所すら聞きだせなくて」
「ふぅ。それでここに来たってわけね。でも私は冬の神になんてあったことないわ。どんな奴なの?」
「えっと、私たちも長い間会ってないからよく顔は覚えてないんですけど、とにかく強くて冷たくて嫌な女なんですよ!」
「うーん、よくわかんないけどいいでしょ。手伝ってあげるわ。」
「ほんと!?」
「秋の実りが減るのは私にとっても死活問題だもの。……でももうひとつ聞かせて?」
霊夢の問いに、静葉がかぶせるように言う。
「なぜ山の巫女に頼まないか、でしょ?だって霊夢さんだったら自分の食べ物のために協力してくれると思って」
ベシッ。
「邪気がないのがむかつくわ」
にこにこと笑う静葉の額を指ではじく。うぅ、と痛がるそぶりを見せつつも静葉は笑っている。よほど安心したのだろう。見ているこっちまで笑ってしまうような明るい顔だ。
「じゃあ善は急げよ、穣子は放っておいていいの?」
「大丈夫。今日は雛が来てくれますから」
霊夢は飲み終わった湯飲みを持って立ち上がった。陽はまだまだ高い。レティのいる森までそこまで遠いわけではないから気は楽だった。少し伸びをしてふと思いつく。
「それにしても、穣子がそんな風になるならこの神社は神様なんか住めたもんじゃないわよね、誰も賽銭入れていかないもの」
「そうですね、こんな風じゃ悪霊が取り付くのが精一杯だと思いますよ、って駄目です!霊夢さんが思ってる以上にそのデコピン痛いんですよ!」
「素直すぎるのが悪い」
ベシッ
うん、いい音。そう思って見上げた空は馬鹿にされているみたいに青かった。
AM10:30
布団の中で穣子はぼうっとした意識が浮き上がってくるのを感じた。周りに誰かいるみたいだ。
「にとり、だめだってば、そんなの入らないわ」
聞き覚えのある声。えっと、誰だったっけ。
「大丈夫。痛くないよ、それに雛だってほんとは気になってるんでしょ?」
こっちはわかる。近所に住んでる河童だ。どんなにおいしいお芋さんをあげてもキュウリさんの方がおいしいとか言う味覚のおかしいヤツ。
「うぅ……そりゃちょっとは興味あるし。でも駄目!もし途中で穣子がおきちゃったらどうするのよ」
そうだ雛だ。近くに住んでるとっても綺麗な厄神様で近くにいちゃ駄目なんて聞いてたけど、とっても優しいことを最近知った。なんで二人はうちにいるんだろう。何をしゃべっているのかしら。
「大丈夫。こんなにぐっすり眠ってるんだからさ、ちょっとぐらい激しくしたって気づかないよ」
あれ。もしかしてこの会話って聞いちゃ駄目なのかしら。大人の会話ってやつ?なんだか顔が熱くなってきた気がする。どうしよう、起きてること気づかれないかしら。とっさに穣子は枕に顔を押し付ける。
「それじゃ、雛はこれで手縛って。穣子がもし途中で起きても暴れないようにね。間違えると大変なことになるから」
にとりなんて私と大して体型も変わらないのに最近の河童は進んでるのかしら。いいなぁ、私も雛みたいな恋人がいたら……。豊穣の神なんていっても一緒にいるのはお姉ちゃんだけだし。いや、これは別にお姉ちゃんが嫌いってわけじゃなくてむしろお姉ちゃんなら……とか思ったりするけど……ん?
「うぅ、穣子ごめんなさい」
んん?なんだか変だ。穣子はそう思って薄く眼を開けてみる。するとロープを持って穣子の手をとろうとしている厄神と眼が合う。想像以上に楽しそうな顔をしていた。意識が覚醒した。
「な、なにしてんのよぉぉぉぉ!」
穣子が叫ぶと、後ろであれ?起きちゃったの?と河童が、いや、河童と思われるやつが振り返る。その手にはゴム手袋がはめられ、顔には彼女がよく工房でつけている火花とか防ぐ鉄のマスクみたいなのを装着している。
「あれれ、残念。でもいいや。穣子、今から尻こ玉見るけどいい?」
にとりはそういって手になにやらロボットアームのようなものを手に取る。
「し、尻こ玉?何する気?」
「いや、これをこうしてこうするんだけど。一瞬だと思うよ?」
その動きだけで彼女のやろうとしていることがわかってしまった。
「何考えてんだこの変態!」
穣子はそう叫んで飛び起きる。布団の上に乗っていた雛を突き飛ばす格好になってしまうが今は気にしない。
「あれをああしてこうだなんてそんなマニアックな……じゃなくて。正気じゃないわ!何考えてんのよ!!」
「で、でもね穣子。にとりだって悪気があったわけじゃないのよ?河童の世界じゃそれが当たり前なんだって」
「そうだよ。尻こ玉みれば体調が悪い原因もスリーサイズも性癖もなんだってお見通しなんだから」
「なにその意図しない個人情報流出。だめ、そんなことのために大切なものを失いたくないわ」
そうだ。昨日の夜お姉ちゃんが明日も出かけるから看病してくれる人を呼ぶって言ってたっけ。何でこんなの連れてきたんだろ。
「んーでもなんだか穣子元気になったね。よかったよかった」
「よくない!」
叫んだら頭が痛くなってきた。この馬鹿河童め、と内心毒づくけどそれは言葉にはしなかった。
「二人ともいつからいたの?」
広げていたいろんな器具を鞄にしまっていくにとりを見ながら、ふと聞いてみる。
「えっと、昨日の夕方よ。静葉さんがうちに頼みに来て。私が来たころにはもう穣子は寝てたけど」
雛が指を頬にあてて首を傾げて言った。頭の上のリボンがふわふわと揺れている。可愛い。なんで雛ってこんなに落ち着いてて綺麗なんだろう。さっき眼が合ったときの表情はちょっと引いたけど。それとなんで私は呼び捨てでお姉ちゃんはさん付けなのかな。
「私はさっき来たとこだよー。雛が、穣子がうなされてるから何とかしたいーって言うからそれなら、尻こ玉見れば早いと思って」
鞄を閉めてしばらくマスクをがちゃがちゃやった後見せたにとりの表情は言葉とは裏腹に心配そうだった。
「大丈夫。なんだか体が重いだけだから。熱があるわけでも咳が出るわけでもないからね」
きっと厄神の雛は私が今どんな状態かわかっているのだろうけど、何も言わないでくれた。でも、こっちを見る悲しげな眼が苦しいからやめてほしい。
「そっかー。じゃあ尻こ玉みてもしょうがないかもね。やっぱりきゅうりが足りないんだよきっと」
にとりは顔を明るくしてくれた。うん、これでいいんだと思う。尻こ玉見られなくてよかったな。
「穣子、なんか食べられそう?にとりがでっかい鮎捕って来てくれたのよ?」
雛の料理はおいしい。私よりよっぽど秋の食材の調理も上手くて、嫉妬しちゃう。まぁお姉ちゃんほどじゃないけどね。
「うん、ちょっとなら食べられると思う。ごめん、ありがと。にとり、そこにある着替えとってくれる?」
「起きて大丈夫なの?」
「うん。今日は調子よさそうだから」
体を起こして脇に置いてあったぶどうの髪飾りを帽子に留める。まだ秋は終わっていない。動けるうちに、やっておかなければいけないことが山ほどあるのだ。寝ていても良くなるわけではないのだから動かなきゃ、そう思ってにとりが渡してくれたいつものワンピースに袖を通した。
「はい、さつまいもがちょっと溶けちゃったかもしれないけど」
五分ほどして台所から現れた雛の手の盆の上には私の分だけではなく三人分の朝食がのせられていた。三匹の鮎と、ご飯、それにさつまいものお味噌汁を並べたらいつもは二人分のちゃぶ台はだいぶ窮屈になった。
「にとりはきゅうり食べてるならいらないわねー」
「わーだめだめ。私も食べる!雛の手料理―!」
いつのまにかきゅうりを齧っていたにとりが慌ててちゃぶ台の前に腰を下ろす。
「ん、おいしい。やっぱり雛は料理が上手ね」
まだ熱い鮎は箸を通すと簡単に身がほぐれた。口に入れると香草のいい香りと鮎の香りが混じり合い広がる。あぁなんていう至福。
「あれ、これむかご?こんな時期にまだ取れたの?」
にとりの声に気づけば、確かに控えめに盛られた茶碗飯の中にはちらほらと、決して多くはないが緑の粒が紛れていた。それを見た穣子は胸が熱くなるのを感じた。
「そうね。静葉さんが昨日採ってきたみたいだけど確かにこんな時期じゃ珍しいわね」
お姉ちゃんはこれだけの量のむかごをとるのに何時間かかったのだろう。豊穣をつかさどる穣子ならどこに実りがあるかなんてことは簡単にわかるのだが、この秋の暮れにお姉ちゃん一人で森を探しても簡単に見つかるとは思えなかった。本当にお姉ちゃんには迷惑をかけてばっかりだ。そう思っても、好物のむかごご飯はあんまりのどを通らなかった。
「「ごちそうさま」」
穣子が残した分をにとりが食べ終わるのを待って三人で声を合わせた。にとりの皿には小骨ひとつ残っていない。尻尾をつかんで頭から鮎をばりばりと齧る様子は見ているこっちが幸せになるくらい嬉しそうだった。
「うーお腹いっぱいだー。ちょっと寝っころがしてー」
「うー私もー。ごろごろー」
にとりと二人で布団の上を転がる。窓から布団に日の光が差し込んで気持ちがいい。
「まったくはしたないわよ、二人とも」
雛が食器を重ねながら言う。そういう雛だって子供っぽいところはあってうちに泊まったときなんて、寝てる間に回転するもんだから朝起きたら三人分の布団にぐるぐる巻きになって動けなくなったりするのだ。
「洗い物はいいよ。私がやっとくからー」
そう言って布団から転がり出る。病は気から、だ。がんばれ私。
「そう?じゃあお願い、私はお布団干しちゃうから」
そう言って雛はまだ布団の上にいたにとりを布団から追い出した。確かに汗かいてたからありがたいけど、やっぱり申し訳ないな。
「悪魔め、このかわいそうな河童からこれ以上生きる場所を奪おうってのかい?あ、ちょっと待って、うわっ。ちょっとは聞けよー」
抵抗むなしく布団から吐き出されたにとりがぶつぶつ言う。雛が外に通じる扉を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
「寒いよひなー」
「こごえちゃうよひなー」
にとりと体を寄せ合って雛に文句を言う。にとりは冗談だろうけど私には結構本気で堪えてたりするのだ。寒い。
「はいはい。風を通さないと厄もたまっちゃうのよ、ちょっと待ってて、と」
そう言って、雛は扉を閉じる。部屋の中の気温は一気に冷たくなったが、風がなければずっとましだ。それよりも、実はくっついてくるにとりが冷たい方が問題だ。
「にとりーあんたどうしてこんなに体温低いのよー」
「だって私は河童だもん。そりゃ体温は低いのさー。あっ穣子ごめん!寒かった?」
そういって慌ててにとりが離れる。
「大丈夫だよぅ。確かに今みたいに抱きつかれると寒いけど。ヒンヤリして気持ちいいよ?」
「えへへ。そう?じゃあこうしててあげるー」
にとりはそう言って私の額に手を当てる。風邪引いてる訳じゃないんだけどその手は言った通りヒンヤリして心地よかった。目の前でころころ表情を変えるにとりがまぶしい。しばらくそうしていたけれど、このままではいつまでたっても洗い物が始まらない。
「にとり。洗い物するよ!」
しかし、にとりは渋い顔をする。
「えーもうちょっとこうしてようよー」
「駄目、そしたら雛がまたやるって言い出すから!
「うー」
頑張って立ち上がり台所に向かう。気がつけば、部屋は陽光に暖められてまた暖かくなっていた。
AM11:00
紅魔館の前の湖で巨大な雪だるまを作っているレティとチルノを見つけたのは博麗神社を出てすぐのことだった。空からそこだけ雪が降っていたのを見れば、見つけるのは簡単だ。レティは霊夢を見て一瞬驚いた顔をしたが、後ろについてきた秋の神を見るともっと不思議そうな顔をした。
「異変って程今年の冬はおかしくないわよ?博麗の巫女が口を出す問題じゃないんじゃない?」
「いや、こんな時期にここだけ雪が降ってるのは十分異変だけどね。妖怪って恐ろしいわ。さむっ。」
「まぁそれは置いといてもいいじゃない。ここには私たち以外今誰もいないんだしね」
ここの妖精がみんな氷精なわけない、と思ったが、霊夢より前に静葉が口を開いた。
「確かにそれはわかってます。でもレティさん、どうか私の話を聞いてください」
「うーんでも、今この子と遊んでるしねぇ」
「そーだぞ、れいむ!しょーぶするか?あたいのあたらしいアイシクルフォールと!」
「いや、それ持ち上がんないでしょ」
チルノの指差した先には霊夢の背丈ほどある雪玉があった。
「んー!んー!レティたすけて!」
予想通り、最初どうにか雪玉を浮かせようとしたチルノは最終的に手で持ち上げようとすることになり、そして雪玉につぶされることになった。
「はいはい」
そう言ってレティが手をかざすと巨大な雪玉がすっと宙に浮かぶ。いや、そんな簡単なら手伝ってやれよ、と思ったが霊夢だったが、潰れたチルノを見たレティのとっても楽しそうな笑みを見た後だったのでなんともいえなかった。きっとあのどこかの花妖怪と気が合う事だろう。
その後結局弾幕勝負に勝ったら話を聞いてあげるわ、といういつもの展開になり、霊夢は寒さに震えながらもレティを下し、静葉もチルノを落とすことに成功して今に至るのだった。まだ秋の終わりだっていうのに、真冬にいる錯覚を起こさせる二人も怖かったが、霊夢は静葉が自分と戦った時とは段違いの動きを見せた事に驚いた。もしかして、寂しさの象徴たる静葉にとっては今がベストコンディションなのだろうか、そんな霊夢の考えをチルノのわめき声が中断する。
「あきのばかぁぁぁ。なによぉもうあきなんかおわったのよー」
「まだ終わってないの!まだ秋なの!」
しかし、なきじゃくるチルノに向きになっている静葉はどう見ても子供だった。弾幕に負けても涼しげな顔で札をはがしている目の前の冬妖怪がよっぽど大人に見えた。
「それで?あなたがこの子の味方をしてるわけを聞かせてくれる?」
レティの声は冷たくて独特のテンポがあり聞いていて気持ちがいいな、と霊夢は思った。
「なんだかこの子の妹の調子が悪いらしくてね。冬が厳しくて信仰に影響があるのかもって言うから冬の神に話だけでも聞こうと思ってね。あなた冬の神がどこにいるのか知らない?」
「信仰ねぇ。なんだか腑に落ちないけど。そんなこともあるのかしら」
首をひねるだけでレティは答えをくれなかった。
「冬の神なんか知らないよぉだ!」
隣でチルノがわめいている。静葉の困った顔からして頼みの綱はレティだけなのだろう。
「冬の神、知らないの?」
もう一度、少し語気を強めて聞く。凄んだところでレティに通じるとも思えないけど。
「冬の神はいないわ、いても会えない」
レティは山の方を向いて何事でもないようにそう言った。
「「え!?」」
静葉と声が重なった。横を見ればチルノですら意外そうな眼をしている。
「いないってそんなはずないじゃない!現に毎年幻想郷に冬は来ているんだし!」
「そうです、それに私は何度も彼女にあったことがありますよ!しょっちゅう冬になる度に私たちをあざ笑いにきて……うぅ思い出したら悲しくなってきたです」
そう言って遠い目をする静葉。霊夢は冬の神も秋姉妹と同じ様なものだと思っていたがどうもそうではないらしい。
「思い出してみなさい。それ、ずいぶん前の話でしょ?」
レティが静葉の注意を戻して言う。
「うーん、確かにずいぶん長いことあってない気はするけど……あれ?もしかしてそういうこと?」
「そう、あなたがいつここからここにいるのかは知らないけど、冬の神はまだ幻想入りしていないわ。それでも幻想郷には冬がある。私にはそれで十分なの。大方あの隙間妖怪か誰かがなんかしているんじゃないかしら。私は知らないけど」
レティはそう言ってくるりと背を向ける。彼女の予想外の発言に霊夢は戸惑っていた。冷静に考えて紫が秋と冬の境界を操っているとは考えにくい。この時期の紫はもう目が半分しか開いていないし、第一彼女は自分が愛する幻想郷を見守る立場なのだ。冬をわざわざ厳しくするとは思えない。そうすると、結局冬を管理しているのは誰なのか。考えても結論は出そうになかった。
「どうする?静葉ちゃん」
そう言ってから自分が彼女を名前で呼んだのは初めてかな、ということに気づいた。しかし、静葉は霊夢に答えを返さない。小さな声で悲嘆にくれる呟きが聞こえた。冬の神がいないという事は予想外だったのだろう。思った以上にショックを受けているようだった。それなら、止まっているのが一番悪いだろう。霊夢はそう判断する。
「それじゃ、とりあえず行ってみましょう。乗り掛かった船だし最後まで付き合ってあげるわ。ちょうどお腹も減ってきたし、藍になんか作ってもらいましょ」
「あ……ありがとうございます。八雲紫様……ですか」
すると、横にいたチルノが反応する。
「ちぇんのとこに行くのか!?あたいもちぇんのとこでいっしょにたべるやくそくしてるんだぞ!」
ふんぞり返っている。なんでこいつはこんなに元気なんだ。
「なら、三人で行っておいでなさい。チルノ、私はしばらくここにいるから遊びの続きするんなら戻ってきなさいよ。霊夢、顔に出てるわよ。少しの間この子達をお願いね」
「うん?まぁ大丈夫よ」
「うん!レティはいかないのかー。わかった!じゃあ二人ともあたいについてきなさい!」
そう言ってチルノは飛んでいく。
「はいはい、静葉ちゃん一応レティにお礼言っときなさい」
「あ、そうでした。レティさん!ありがとうございました!」
そういって静葉はペコリと頭を下げる。その素直さに霊夢とレティは顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
「ふふ、私はなんにもしてないわよ。妹、よくなるといいわね」
「はい!じゃあ失礼します!」
「今度は二人でいらっしゃい。冬にも冬の実りがあるのを教えてあげるわ」
「ありがとうございます!」
「あれ、私は呼んでくれないの?」
「あんたはそれが仕事でしょ、霊夢」
「うわー、そういうこと言うし」
「冗談よ。ほら、そろそろチルノを追いかけないと。あの子迷うわよ」
「はいはい、じゃあまたね」
紫の家はここから遠くない、気がつけばいつ音がなってもおかしくないほど減っているお腹をなだめながら静葉と出発する。ふと遠ざかるレティが後ろで何か言ったように感じ、振り返ると彼女は困ったように笑い、なんでもない、というように手を振った。
AM11: 30
「そういえば、雛おそくない?」
洗い終わった最後の食器を拭きながらにとりがそう言う。そう言えばそうである。布団を干した時、雛は最近手付かずで荒れ放題になっている庭に目を留めたらしく、落ち葉だけでもあつめておくわ、と外に行ったきりであった。しかし、それからもうしばらく経つ。先ほどから少し風が吹くから時間がかかっているのだろうか。
「手伝いに行く?」
「私やっとくから、にとりちょっと見てきてよ」
「はーい」
にとりが、そう言って扉の方に近づいていくと、その前方から雛が飛び込むように入ってきて、にとりと鉢合わせする格好になった。
「うわわ、危ないよ!」
「ごめんなさい、にとり。大丈夫?」
雛はずいぶんと慌てている。
「雛なにかあったの?」
「うん、穣子もちょっとこっちに来てくれる?」
言われて流していた水道を切って雛の元に行く。雛はさっきまでとうってかわって真面目な顔をしていた。
「穣子、悪いけど私用事ができちゃったから一旦家に帰るわね」
「うん、それはいいけど。……なんかあったの?」
「ううん……なんでもないと思うんだけど、ちょっと気になった事があって」
「お仕事?じゃあ仕方ないね。大丈夫だよ雛、穣子はちゃんと私が看病しとくから!」
「ありがとう、にとり。じゃあ私は行くけど、二人とも一応用心しておいて。にとりはちゃんと家に帰ったらしっかりお清めしてね?」
「はいはい。心配しなくても大丈夫だよ!じゃあ雛、いってらっしゃい!」
そう言ってにとりが手を振る。私もありがとね、と言うと雛はこちらこそありがと、と言って飛び立っていった。しばらく雛の後ろ姿を眺めた後わざと明るい声を出す。
「よし、私たちもじゃあ畑の見回りでもいくか!」
「えー。体調悪いのになにいってんのさー。穣子は今日は寝とかなきゃ駄目だよー」
「だーめ!これは私のやらなきゃいけない仕事なの。さぼってたら失業しちゃうわ!」
「神様って大変だねー。川に流されてるだけの方が楽でいいわー」
にとりはそう言って笑ったが、私が本気で出かける準備を始めようとするとあわてて止めた。
「ちょ、駄目だって穣子!仕事が大切なのはわかるけど今はじっとしてなきゃ。それにせっかく頼まれたのに穣子を働かせてたら雛に怒られちゃうよ!」
「うー……。そこで雛を出すのは卑怯だよー」
「卑怯でも何でも!家でできる事だったら手伝ってあげるから」
確かににとりに迷惑をかけるのは嫌だったので、二人で家の前の私たち姉妹の小さなほこらを掃除する事にした。しかし、穣子より先に玄関をでたにとりがすぐに引き返して玄関を閉める。普段はかけない鍵までかけているにとりに何事か問おうとした時、玄関の外に何かの気配がした。
「すいませーん」
これは誰の声だろう。そう思った数秒後、玄関の鈴が鳴った。
「すいませーん。いませんかー」
聞き覚えのない声に首をかしげると隣でにとりが硬い声を発した。
「天狗だよ」
にとりの硬い表情の訳が一瞬にして理解される。それの意味することはにとりが思っている事よりきっと重い。今の私を取材されたりしたらただでさえ減っている信仰がなくなりかねない。頭の中で警報が鳴り始めていた。
「どうしよう」
雛の言っていた嫌な予感というものが頭によぎる。
「清く正しい射命丸ですよー、と。いないのかな?」
目だけでにとりと会話し、外に気づかれないよう居間に戻る。
「射命丸ですよー」
こんな時に全く働かない私の頭を恨んだ。お姉ちゃん、どうしよう。
そう思った時、眼の端で鞄に手をやるにとりの姿が見えた。
PM1:00
「げふぅ」
「チルノちゃんそーゆーのはしたないっていうんだよ!」
「うるさい!ちぇんだってさっきいっぱいこぼしてたのしってるんだからねあたい!」
「チルノちゃんのほうがはしたないもんね。ゆかりさまいがいがたべたあとにすぐねるとウシになっちゃうんだよ!」
「ゆかりよりあたいのほうがさいきょーなの!」
「なにをー」
縁側で取っ組みあいを始める橙とチルノ。それを霊夢と静葉は床の間から見つめていた。
「元気ねぇ」
「ふふっ。そうですね」
「あんただっていつも妹と同じような事してるじゃない」
「それはそれ、ですよ」
そう言って静葉はにこっと笑う。確かに今隣に座っている静葉に幼さは感じられなかった。本当に変な子、と霊夢は思って茶をすする。するとそこに丼を一つもった愛らしい九つのしっぽを持つ狐、八雲藍が現れた。
「これで最後だぞ、霊夢」
「はーい」
そう言いながら霊夢の前に丼をおく。その中にはうどんが入っていた。うどんだけ、何も具がない。それを見た霊夢は当然文句を言う。
「なんで具がないのよ」
「あのなぁ霊夢、お前何杯目だと思ってる」
「知らない」
「6杯目だ、まったく信じられないな。いい年の少女が、きつねうどんを5杯も平らげるなんて考えられん。きつねうどんを、だ」
「うるさいわね、冬前なんだからたくさん食べとかないと後がつらいのよ」
「お前は熊か」
そうはいっても先ほどまでのうどんもネギの入っていないきつねうどん、つまり具は油揚げだけだったのだが、あるのとないのでは大違いだ。
「どうせあんたの事だから、これ以上油揚げを食われたら困ると思っただけなんでしょ。卵でもなんでもいいから持ってきなさいよ」
「ふむ、わかった。卵ぐらいだったら構わん」
台所に向かう藍の尻尾はぴょこぴょこと揺れている。わかりやすい奴め、と霊夢は思った。
鰹と昆布の豊かな香りが霊夢を幸せに浸らせる。具など飾りなのです、金持ちにはそれがわからんのですよ。うん。味醂が目立つ事もないしあっさりでとってもおいしい。シンプルだからこそ藍のきつねうどんにかける情熱が伝わってくる。あ、具はあればあるだけいいけどね。卵を飲み込みながら霊夢はそう思う。
押し掛けてきた霊夢達に藍は嫌な顔一つせずお昼をご馳走してくれた。いや、その時点では六杯も霊夢が食べるとは思っていなかったのだろうけど。彼女が言うには紫は彼女が来るほんの少し前に食べ終わってお昼寝タイムに入ってしまったのだと言った。途中で起こすと恐ろしいと藍が言うので霊夢達は困っていた。
「ごちそうさまですね!霊夢さん!」
いきなり子供モードで静葉が抱きついてくる勢いで声をかけてくる。いや、やっぱりこいつわざと使いわけてると思う。
「はいはい、ご馳走さま」
「じゃあ、紫様を起こしにいきましょうか!」
「!!!」
どうしてそうなる。悩んでいるのは私だけだったのか。霊夢は思わず頭を抱えた。ほら、横で藍が止まってるじゃない。きっとこいつは何が起きるのかわかっていないから無邪気に頼めば通ると思っているのだ。
「霊夢?」
ギギギ、と音を立てて首をこちらに向け、藍が聞く。その眼は、虚ろだった。
「落ち着いて藍、大丈夫だから。静葉、それは禁句よ」
「え?どうしてですか?」
その人形みたいな演技をやめい、霊夢はそう思ったがやっぱり首を傾げる姿は可愛らしい。
「いや、どうしてってあれよ、死ぬわよ?」
無理矢理起こした時の紫は本当に恐ろしい。どれくらい恐ろしいかって言うと酒が切れた萃香や、お昼ご飯食べ損ねた幽々子と同じくらいと言えばわかるだろうか。幼い頃の霊夢のトラウマであり、八雲家のタブーである事は間違いない。
「でも、穣子はこの時にも刻一刻と弱っているのです。いつ起きるかわからない人を待っていられないですよ!」
「それもわかるけど、ね?もうちょっと待ってみましょ。藍?昨日紫は何時に起きたの?」
「名誉のため昨日紫様は夕飯を召し上がっていない、としか言えない」
「はぁ」
ため息をつくしかない。あの馬鹿、終いにはほんとに惚けるわよ。
「それでも……それなら私が起こします」
そう言って席を立つ静葉。さっき藍に聞いたから部屋はわかっているのだろう。霊夢は止めるつもりもなかったが、その前に藍が立ちはだかる。
「昼寝といえど『邪魔するな』、とは主人の命令だからね。ごめんよ」
気の毒そうな顔はしつつもしっかりとした言葉で藍は入室を禁じた。
「ええいそれなら!」
何をするつもりだろうか、静葉が眼をつぶると一陣の風が庭に吹いてくる。
「木枯らしよ」
そう言うと大量の落ち葉が庭に吹き荒れた。霊夢はそれが庭にいる一人を狙ったものだと気づく。
「くらえちぇん!あたいのあたらしいアイシクルフォールを!」
そういって目の前に先ほどの雪玉より少しだけ小さな氷塊を両手で頭の上に抱えるチルノ。その顔に落ち葉がまとわりついた。
「なにこれ、みえないじゃない!まっくら!」
チルノは顔の落ち葉を振り払おうとするが、両手が塞がっているのでうまくいかない。
「ふん、いいもん!あたいにはこんなのきかないんだから!」
そういってチルノは氷塊を振りかぶる。
「まさか!」
その先にあるのは紫が寝ていると思われる部屋。霊夢と同時にそれに気がついた藍が叫ぶ。
「橙!」
「わかりました藍しゃま!」
氷塊が放たれる。そこにいる全員にその光景はスローモーションに映ったに違いない。理想的な放物線を描いて飛んでいく氷塊。その放物線が頂点に達した時橙がアクロバティックに宙返りしつつそこに飛び込む。氷塊を体で受けた橙はしかし、自分が飛び込んだ勢いを殺せずに受け身もとれないまま地面に転がる。その横にぽとりと氷塊が落ちた。
「うぅ……チルノちゃん、痛いよこれ」
お腹を押さえ、痛そうにうめく橙。内蔵に何かあるほどではないだろうけど、ボディーブローを食らったようなものだろう。痛そうだな、と霊夢は横を見ると静葉が慌てている。
「あわわわ、あんなスピードで投げると思わなかったです。どうしよう」
「ちぇん、だいじぃーぶか?」
投げた本人のチルノも心配そうにしている。これは、まずいわね。そう思った瞬間霊夢の横を一陣の風が走り抜けていた。
「橙、大丈夫ですか?けがは?ほらまくってみせてご覧なさい。あぁ痕は残らないようですね。よかった。一瞬の判断でしたが、あなたはよく私の思いを察して行動してくれました。さすが私の式です。けれど橙本当にごめんなさい、これがもっと大きな怪我だったと思うと私はどうしたらいいか」
霊夢が瞬き一つする間に藍は橙の横にいた。まくしたてながら心配する藍に橙は胸を張って満面の笑顔でこう答える。
「だいじょうぶですよ藍しゃま!橙は藍しゃまの式なのですから!」
「ちぇ、ちぇえええええええええええええええええええええええええええん!!!あっ」
ヒュウウウウ、今度は天然の木枯らしが庭に吹いた。
はぁ、やれやれだわ。おびえた顔で静葉がこっちを見てくる。いや、お前は紫を起こそうとしてたのにその引きつった顔はどうなんだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
そんな音が聞こえる錯覚を起こすような長い長い沈黙の後、地獄の門は開かれた。
「ガタッ」
開いたふすまの向こうは真っ暗で何も見えない。だが、そこに彼女がいるのは容易に想像できた。そして、
「藍」
地獄の底からその声は聞こえてくる。
「はい!!」
藍がさっき橙の許へ行った時よりも速くふすまの前に戻る。
「誰?」
彼女の言葉は短い。それが逆に怖かった。
「申し訳ありません紫様。私の声が原因かと。今はお客様がおりますので、どうか控えてくださいませ。藍があとでどんなおしおきで」ヒュッ
藍が消えた。大方隙間に放り込まれたのだろう。さようなら藍、きつねうどんの味は忘れないわ、そう霊夢は心の中で呟いた。
「客?誰よ」
そう聞こえた後、彼女、八雲紫は姿を見せた。足取りは重く見るからにだるそうな顔をしたその姿は半死人のようだ。美しいブロンドの髪にも乱れが見え、服はいつもの衣装ではなく葡萄色の浴衣である。霊夢達は一言も発せず一歩も動けなかった。何も知らないチルノでさえも。しかし、紫は怖いほど穏やかな笑顔でこちらを見た。
「あら霊夢。珍しいわねあなたからここに来るなんて。それと、あらチルノちゃん。いらっしゃい。なんにも壊しちゃ駄目よ?橙、少し外で一緒に遊んできたら?」
「は、はい、紫さま!チルノ!リグルのところにいかない?」
「う、うん!あたいなんにもこわしてないよ!お、おじゃましましたあ!」
呪縛が解けたチルノと橙が全速力で去っていく。私だって逃げたい、霊夢は背筋が冷たくなるのを感じた。
「ふふっ」
紫が笑った事でほんの少しだけ空気が緩んだように感じる。しかし、その空気は次の一瞬に再び冷たくなった。
「それと?」
そう言って静葉の方に顔を向けて言葉を止める。その眼は一瞬細められ、笑顔は張り付いただけのものに変わる。
「あらあら。秋静葉、だったかしら?あなたから来てくれると思わなかったわ」
「初めまして、秋静葉です。今日は紫様にお願いがあってきました。」
「?どうしたの紫?」
紫から静葉の話を聞いた事はない。この何か思うところがあるようなそぶりは何なのだろう。
「あらあら。いや、いいのよ。霊夢が何も知らないなら」
そう言って紫は口元を扇子で隠しながら、いつものうさんくさい笑みを浮かべた。
「何よ、気になるわね。静葉、なんかあるの?」
「いえ、なんにもないですよ?」
そう言う静葉は紫の方に顔を向けたままだ。うーん、気になる。
「紫、この子の頼みで冬の管理者を探しているんだけど、誰だか知らない?」
「冬の管理者ねぇ」
「レティさんに聞いたら冬の神は幻想入りしていないから、紫様なら何か知っているかもしれないって言ってたんです」
「へぇ。あの子そんなことを。なるほどねぇ。いや、実に面白いわ」
話がどう進んでいるのかは分からないが、話しやすくなった事だけは確かである。
「何よ、気になるわねぇ。さっきまで寝てたくせに何もかもわかってるような顔しちゃって」
「失礼ね、霊夢。私はお昼寝をするだけの働きをしているのよ。それにしても冬ねぇ。まぁわからなくとも無理は無いのかもしれないけど」
紫は隙間から取り出した帽子をかぶりながらそう言う。その眼からは何を考えているのかさっぱりわからないが、たくさんの事を隠している事だけは確かだ。こういうことをするからこいつはいつまでたっても幻想郷の賢者として扱ってもらえないのだ。
「静葉ちゃん」
紫が静かに話しだす。その口調は諭すようでもあり、責めるようでもあった。その瞬間日がかげり辺りが一気に暗くなる。さっきまで雲一つなかったのに。
「幻想郷の冬の管理者は、レティよ。彼女の言った事は決して間違っている訳ではないのだけれど」
「え?だってあいつは妖怪でしょ?冬の神が幻想郷にいないからって……」
霊夢は思わず二人に割り込んで聞き返してしまう。それに、紫は少し眉をひそめたが、何も言わなかった。
「紫様。それはどういうことなのですか?レティさんが嘘をつく様な方には見えなかったのですが」
「あらあら、霊夢。こっちの子の方がよっぽど礼儀がなっているじゃない。そうね、確かに彼女は妖怪だわ。ただ、それは今の姿。言っている意味が分かるかしら?」
「……もしかして、レティさんは、神様だったのですか?」
「昔、というのは少し変ね。この幻想郷にいるレティ・ホワイトロックは今も昔も冬の妖怪だわ。けれど、そう。彼女は幻想郷にくる前、確かに神としてまつられていた事がある、というだけよ」
「そんなこと聞いた事ないわよ!神が妖怪になるなんて。それも信仰のせいとでもいうつもり?訳が分からないわ」
神妙な面持ちで話を聞いている静葉と対照的に霊夢は思わずまた口を挟む。しかし、これが本当なら信じられない事だ。あのいつも能天気に吹雪を起こしては笑っているあのレティにそんな過去があったなんて。
「信仰、確かにそう言ってしまえばそうなのかも知れないわね。霊夢、あなた秋と冬どちらが好きかしら?」
「どういうつもり?そりゃもちろん食べ物がおいしい秋の方が好きだけれど……」
「はっ……霊夢さん。もしかしたらあり得ることなのかもしれません」
「どういうことよ。勝手に納得されても意味が分からないんだけど」
「お話しした通り、神というのはとっても不安定なものなんです。はっきりとした季節があるのならば実りを与える秋や、生命の息吹く春は神格化される事も多いのですが、冬は死の季節。絶対的な神とされることもある反面で負の要素しかもたらさないものはただの妖の存在として忌避される事もあり得るのでしょう」
「そんな……。でも私こたつで食べるみかんが世界で一番好きだし、雪景色だって美しいと思うわよ」
「そうね。ただ幻想郷の人里はまだまだ冬は厳しく、辛いものの一面が強すぎたのかしらね。幻想郷に冬の神への信仰はないのよ」
そう言う紫は少しだけ悲しそうな目をする。
「誰が決めたのよ。お前は神でお前は妖怪だなんて言う事を」
「それは……」
静葉は答えをいいよどむ。いや、それ以前に静葉もこんな事は知らなかったのだろう。
「神の前に人があったのか、人の前に神があったのか。そんな事は誰にもわからない。ただ、あの子が幻想郷に来た時の弱った力では神として生きていけなかったのよ。だから、彼女は妖怪として生きる道を選んだの。生きる道を与えたのは閻魔だけれど、それはレティの意思。もっともあの閻魔は負い目を感じているようだけどね」
「私たちも、幻想郷に秋への信仰がなかったらそうなっていたという事ですか?」
「どうかしらね。ただ、これは誰の悪意があってこうなった訳じゃないってこと。静葉ちゃん、霊夢。あの子が何故この事を隠したのかはわからないけど、私から一つだけ言える事があるわ。あなたの妹の異変にレティは何の関係もないわ。残念かもしれないけど」
「そんな、だって冬が厳しいから秋の信仰が減ってるって……」
紫の話はさっきから衝撃的すぎて、霊夢はついていけない。静葉が間違っていたというのだろうか、じゃあなんでこんな事になっているのかと考えてもさっぱり何も浮かばなかった。
「やっぱり……そうだったんですか…」
「心当たりがあるの?」
「え?あ……いや、そう言う訳じゃないんですけど。そう、レティさんはあんまり悪い人じゃなさそうだな、と思っていたので」
「あぁそういうこと。紫、あなた知ってる事が他にもあるんなら全部吐きなさい。レティにはこれからもう一度会ってくるから」
霊夢がそう言うと紫は困った顔をする。扇子を口に当てて言葉を濁した。
「そうねぇ、霊夢。でも、これは、神々の問題。あなたは手を出していい問題じゃないのよ。これは異変ではないのだから」
「何寝ぼけた事言ってるのよ。それなら巫女としてじゃなく博麗霊夢として動けばいいだけでしょ。ほら、言わないと神社に入れなくするわよ」
そう言っても紫の顔は崩れない。それどころか、私にはもう言う事はない、と言うように部屋に引き返そうとしている。それを今まで上の空のように話を聞いていた静葉が引き止める。
「紫様!妹は、穣子はこのままだと妖怪になってしまうのですか?」
それは奇妙な質問だった。いや、霊夢が違和感を感じたのはその聞き方だった。その声はむしろ、願いをかけるような、あたかも穣子に妖怪になってほしいと言っているような聞き方だった。その声に紫は足を止めて振り返り、静葉をしっかりと見つめて言った。
「それはちがうわ。今のままだとあの子は消える。私にも、どうする事もできないままね。でもね、静葉ちゃん。秋は消えないわ、私が言えるのはこれだけ」
そう言って紫は自分が来た部屋に帰ってしまった。部屋の前で立ち尽くした霊夢と静葉は顔も合わせられない。気がつくと霊夢の耳に小さな嗚咽が聞こえた。
「静葉ちゃん?」
「穣子は、穣子は優しい子なんです。誰にも恨まれる事なんてない。この前だって、芋につく虫をとるのがかわいそうだからって虫の分まで実りを増やそうと一生懸命に頑張ってたような、優しい子なのに。こんなの、こんなのあんまりです!」
「静葉ちゃん。まだ時間はあるわ。もう一度何が原因なのか探してみましょ。私もできる事はなんでもするから」
顔を手で覆っている静葉の肩に手をかけて霊夢が言うと、静葉は顔を上げないまま首を振った。
「どうしてよ、きっと魔理沙だって早苗だって協力してくれる。慧音に言えば人里だってどうにかなるかもしれない。まだあきらめるには早いわよ」
「駄目なんです。もう、どうにもならないんです」
「何言ってるの!何勝手にあきらめてんの!私に関わらせたんだから最後までしゃんとしなさい。姉のあなたがそんなんでどうするの!」
すこし強く言うと静葉は肩をびくりと震わせ、その場に座り込んでしまった。そのままぽたぽたと床に涙を落とす。霊夢はそれ以上次の句を継げなかった。しばらく静葉の嗚咽だけが響いた。
霊夢がそろそろ何か言葉をかけなければと悩みだした頃彼女は急に立ち上がった。その顔はぐしゃぐしゃだったけれど、瞳には光がある。
「霊夢さん。私、今日は帰ります。穣子ともう一度話してみます。今日は本当にありがとうございました」
「……そう?大丈夫なの?」
「はい、本当に霊夢さんを巻き込んでしまってすいませんでした。このお礼はきっとするので今日はこれで失礼します」
涙にぬれた顔で早口にそう言って霊夢が呼び止める間もなく静葉は行ってしまった。一瞬後を追おうかと悩んだ霊夢だったが、なんだか行ったら駄目な気がしてならなかった。騒がしかった縁側にぽつんと一人残された霊夢は実の落ちた庭の柿の木で鳴く一羽の鴉を見る。心の中で何かがひっかかっているのを感じた。
PM1: 30
「お腹減ったなー」
にとりが呟く。私はあんまり食欲は感じないけれど、もう朝ご飯を食べてから大分たつと思う。でも、にとりは私の分まで食べていたのに。
守矢神社の一室で私が目を覚ましてから2、3時間経つ。神社にどれだけの部屋があるのかは知らないが、障子の向こうが明るいことから地下ではないことは確かだ。にとりのバッグが取り上げられていないことから強行突破を考えることもできたが、部屋の外には何人も天狗がいて脱出は無理そうだった。
あの時、ドアの向こうには射命丸文だけではなく何人かの白狼天狗が控えていた。にとりの催涙ガスボムとかいうので足止めはできたけど、裏口から出たところでいつの間にか回り込んでいた文に捕まってしまった。取材はお断り!とにとりが語気を強めて言うと文は気の毒そうな顔をしていった。
「あやややや……そうですよね。私は本来新聞記者なのでこんなことしたくないんですけど、今日は山の使いとしてなんですよ」
どういうことかと詰め寄るにとりを押しとどめて文は続けた。あんなに怒っているにとりを初めて見たように思った。
「そこのと、厄神に守矢の方が用があるらしくてね。厄神は他の天狗が探してるとこだよ。天狗には関係ない話だって言うのに、まぁそこは大人の考えってもんがあってね。仕方がないんだ。あんた何したのさ」
「そんなの何にも心当たりないわよ!神様にこんなことしてただですむと思ってるの?来年天狗の住んでるとこに一粒の栗も落とさないことだってできるんだからね!」
「そうだぞ、私の友達を連れてくなら、河童を敵に回すことになるよ!」
「おぉ怖い怖い。やめてくださいよ、私もやりたくてやっている訳じゃないんですから」
そう言う文の顔は本当に冴えなかったので、本当にやりなくなかったのだろう。いつもの手帳も手に持っていなかったと思う。
「そういうわけでね、まさか反撃されるとも思ってなかったんだけど、こっちとしてもこれ以上荒っぽくはしたくないからさ、一緒に来てくれるかい?来たけりゃ、にとりも来ていいからさ」
にとりはその後もずっと文句を言っていたように思うけど、叫んで頭が痛くなった私がそこで気を失ってしまったのでそこからは覚えていない。起きたらこの部屋でにとりと二人でいたのだ。
「お腹減ったー」
にとりがまた呟く。もう何回目になるだろう。私が起きたときはいろいろ話したけど、今はにとりの呟きの他は無音である。話があるというから来たのにこの待遇は何なのだろう。
「失礼します」
すっとふすまを開けて一人の白狼天狗が顔を出した。肌が白くて、とってもきれいな人。でも全然隙がない感じがするし、よく見ると顔にも傷跡があるみたい。文とは全然違う。
「椛!」
にとりが声を上げる。よかった、知り合いみたい。思わず安心のため息をついた。私にとっては初めて会う顔だけど、にとりが天狗と将棋する、という話は聞いたことがある。でも目の前の椛と呼ばれた天狗は怖い顔を崩さない。
「にとりさん。今日はこんな形で会うことになってしまいすいません。穣子さん、神奈子様がお呼びですのでこちらまでお願いします」
「椛、どうなってんのさ。守矢の神様も穣子も、同じ神だろ!なんでこんなことするんだ!それに今苦しんでるのは穣子のほうだよ!」
「ごめん、にとり。私みたいな下っ端には何も知らされていないんだ。でもひどい扱いは受けないはずだから」
「もう受けてるよ、椛……」
責めるにとりも責められる椛も悪いのが誰かはわかっていないのだろう。
「二人ともそんな顔をしないでよ。ほら、私は元気だし、神奈子様もきっと話せばわかるはずだよ!」
この空元気は自分でも説得力無いだろうな、と思ったがそこに思わぬ援護が入った。
「そうだよ、神奈子も気が立ってるだけだから。穣子、あいつ今あたし達が何言っても聞かないからさ、悪いけど頼むよ」
後ろに立っていたのはこの神社のもう一人の神様、洩矢諏訪子様だった。全く気がつかなかった。しかし、気のせいかその姿はとても疲れているように見える。神奈子様が、暴れたりしたんだろうか、それなら私なんかがどうにかできることじゃないと思うんだけどな。
「うん、じゃあにとりちょっと待っててね」
そう言って椛と廊下に出る。外はいい天気なのにな、と呟くと椛が反応した。
「いい天気ですね。私はこの季節が一番好きですよ、穣子さん」
「えっ?」
「あっ私は犬走椛と言います。こんな時に自己紹介も変ですけど」
「きれいな名前ね、きっと秋の加護があるわ。にとりの友達でしょ?じゃあ私とも友達になれるね!」
椛、そんな名前の天狗との出会いはお姉ちゃんじゃなくても素直に嬉しかった。天狗は指図を受けない私たちを快く思っていないのもいるのを知っていたから余計に。
「でも、あんまり宴会とかでみた覚えないけど……」
「白狼天狗が出席するのはおこがましいですから。たとえ無礼講でも、です」
なんだか堅い性格みたいだ。うー……私も将棋とか覚えた方がいいのかな。あんまりスムーズに話せる自信がない。
その時、廊下の角の向こうに気配を感じて椛も私も話すのをやめた。
「諏訪子さまー?」
やってきたのは早苗だった。早苗はこの神社の巫女みたいなもので私の手伝いもよくしてくれる。
「あ!穣子様!今日はよくおいでくださいました!あ、諏訪子様見てないですか?目を離すとすぐどこか行っちゃって」
あれ、この子には何も伝わっていないのだろうか。そう、目線で椛に聞くと椛も首をひねる。早苗は手には氷嚢みたいなものを手にしている。諏訪子様も調子が悪いのかな。
「諏訪子様ならそこの奥の部屋にいらっしゃいましたよ」
椛が素早く答えると早苗は礼を言って去っていった・
「何がどうなっているんでしょうね」
椛の意見には大賛成である。突き当たりまで進むと椛はここです、と言って礼をした。
「椛はこないの?」
「はい、私はここまでです」
「うん、じゃあ今度は一緒に遊ぼうね!」
そういうと、椛は口の前に人差し指をたてて微笑んだ。もう片方の手は部屋の中を指差している。なるほど、本当は任務中は話してはいけなかったのかな。ごめん、と手で表してからふすまを開けて部屋の中に入った。さっきまでのお堅い印象がすっとぬぐい去られていた。
PM2:00
霊夢は一人で湖に戻って来ていた。静葉に自分が何をしてあげられるかわからなかったので、自分の中の疑問を一つずつ解消していく事にしたのだ。チルノはまだ帰ってきていないらしく凍った湖面の上にレティは一人でたたずんでいた。
「あら、早かったわね。八雲のは今日は素直だったのかしら?」
わるびれもせずにレティは言った。さすがにむっとした霊夢は眉間にしわを寄せて言い返す。
「まったく、どういうつもりよ。わざわざややこしくなるような事言って」
「だってねぇ。恥ずかしいじゃない」
そう言って笑うレティの奥をみればそこには見事な氷の像が彫られていた。
「はずかしい、ねぇ」
それを見て一つ合点のいった霊夢は肩をすくめた。
「それに、あんまり覚えてないのよ。私も」
「え?」
「ここに来て長いからか、いや、違うでしょうね。神様だった頃の記憶は妖怪の私には必要ない、というとこね」
「それじゃ、あんたは」
「私はレティ・ホワイトロックよ。それ以外の名前はもういらないの」
晴れやかな彼女はとても冬の妖怪とは思えなかった。そう言えば、こいつはいつも笑っている、と霊夢は思った。チルノと遊んでるときも弾幕をしているときも、レティの顔が歪むところを見た事がなかった。
「恨んだりしてないの?」
「しないわよ。まぁ今日みたいな事があると反応には困るかしらね。でも便利よ。うっかり冬厳しくしすぎちゃってもあんまり閻魔様に怒られないもの」
「あんたね。穣子とは関係なくても今年の冬も厳しくしたら私が怒るからね」
冗談のつもりでそう言うと、レティは形だけの笑みを返した後真剣な目をする。
「やっぱり私には関係なかったの?」
「紫が言ってたからそうなんじゃない?あの子はこのまま消えるけど秋は消えないだとかなんとか」
「秋は消えない……。霊夢、今静葉ちゃんはどこに?」
「一旦家に帰ったわ。穣子と話すって」
レティはそれを聞くと一層表情を硬くした。さっきずっと笑ってると思ったのは間違いだったみたい。その顔は雪女と呼ぶのにふさわしいほど冷たかった。
「霊夢、これは私の想像だから聞き流しても構わないけど」
「何?心当たりがあるの?」
「うーんとね……。このままだと静葉ちゃんが危ないかもしれないわ」
「あの子が?どうして」
数分後、レティの話を聞いた霊夢はその場を出せる限りのスピードで飛び出した。全力で先ほど静葉を家に帰した事を後悔しながら。それを見送った後一つため息をつき冬の妖怪もその場を後にする。数分後、湖に戻ってきた氷精が目にしたのは、冬で形作られた、無邪気に笑う見事な秋の姉妹の像だけであった。
前作、投稿された日に一応最後まで拝読はさせて頂いたのですが、まあ諸々の理由でスルーという無礼を働いていた訳ですね。
まずは今作についての率直な感想を。
凄ぇ、改行の仕方一つでここまで印象が変わるものか、ってのが一点目。
文章から堅さというか、ぎこちなさが薄れている気がする。マジでこれが書き始めて二作目? ってのが第二点。
つまりはとても良い。俺はこの作品が気に入りました、と言いたかったんです。
キャラについては現時点でやっぱ穣子と静葉ちゃんがお気に入り。この健気な姉妹は応援せざるを得ないでしょう。
にとりも地味に好き。「きゅうり喰っときゃなんとかなる。尻子玉見ときゃ大体わかる」みたいな大雑把というか勢い任せな感じが。
その他の皆も今後どう動いていくかとっても楽しみ。
ストーリーについても同じ。破綻は見えないし後編への期待をすばらしく高めてくれる出来だと思います。
独立した場面場面がどう有機的に絡まって収束していくか。敢えて自分の中で予想することを封印して、
まっさらな心で作者様の解答をお待ちしたいと思います。
うーん、ちょっとプレッシャーかけすぎかな? 個人的には貴方の納得いくものが出来るまで気長に待つことも厭いませんので、
気楽に頑張って下さい。苦笑してしまうような矛盾に満ちた台詞ですが、俺の本心です。
失礼ながら点数は後編を読んでから、ということで今回はフリーレスにてお目汚しさせて下さい。
という東方二次創作可能性について考えなければならない気がして来た