紅魔館から借りてきた魔道書を読むのは、魔理沙にとって格別な時間だ。
古い重量感のある本を机の上に広げ、紙とペンを片手に情報を咀嚼するように写し始めれば、いつの間にか時間が経ってしまう。最終的に本が手元に残ることも多いが、時間をかけて写すと理解はより深まる。古い書物でも、魔理沙からしてみれば新しい事も多く、それに少し考えを加えると、何故か周りからも新しい魔法に見えたりするらしい。
あらかじめ用意していた小腹が空いた時用のパンがチラつくが、食べたら集中が切れる気がして魔理沙はペン先で目の届かない所に押しやった。
魔法使いたるもの、目指すべき一線がある。一つは食を捨てる捨食の法、もう一つは寿命を捨てる捨虫の法。具体的な方法は各々が見つけるが、紅魔館の本はその手がかり足がかりになるだろう。そしてそれらを会得したとき名実ともに魔法使いだ。
魔理沙はそのラインを躍起になって越えようとしている訳では無いが、意識ぐらいはしている。新しい魔法を考えている間にそんなラインを超えてしまえるかも。そう思えるくらい有益な事が紅魔館の本には書かれているのだ。
ついでに、ページを捲ると「三日以内に返さないとどうなっても知らない」と負け惜しみな紙が挟まっているのも面白い。この字は魔道書の持ち主パチュリー本人だろう。ほんの少しの背徳感が読書の味わいを深めてくれることもある。魔理沙はこれだから止められない、と頬を緩めた。勿論読書のことだ。
ある程度書き写したところで、流石に休憩するかと思い席を立った魔理沙は、窓の外にいる五六歳くらい女の子と目が合った。
一瞬呆然としてしまう。金髪で子供っぽい洋服なんか着て、実に里でも駆けまわってそうな普通の子だが、何故こんな所にいるのか。
「お姉ちゃん!」
さらに嬉々としてそんなこと言うものだから、直近に食べたキノコで幻聴でも聞こえたのか疑った。昨日の朝ご飯まで何とか思い出したが、変なキノコを食べた覚えは無い。おおよそあの子が変ということだ。
確かに親しみのある金髪でどことなく親近感はあっても、妹なんていた覚えはない。妹なんて姉が知らなくても居る可能性もあるが、小さい子が同伴も無く魔法の森を超えられるわけがない。
極めつけに右手には妙な物を持っていた、緩やかな湾曲が美しいしゃもじ。まごうことなくご飯をよそるアレである。そんな物持ち歩くのは変を通りこして意味不明だ。
しゃもじを振って存在をアピールする姿は敵意は感じないが、もしかすると人間ではないかもという印象を持たざるを得なかった。
「あなたがお姉ちゃんですか、面白いですね」
「おわっ!」
今度は後ろから声がして魔理沙は窓にへばりついた。
でも今度の声の主は見覚えがある。月へ行った時に会った、獏だかバグだかのドレミー・スイートだった。
「今度は知ってるけど、変な格好の奴が出やがったな」
「おや、悲しいですね……ツートーンカラーは親近感を覚えましたが」
ドレミーは楽しげに白黒の謎のファーらしき物を揺らしてみせる。正直、魔法使いより変な格好だ。
「帽子が赤いから認めん。それより、お前が居るってことはこれは夢なのか?」
「鋭いですね。お察しの通り、今日は生身じゃなくて夢見ですよ」
「なーんだ、面白味が無いな」
そっけなく返しつつ、魔理沙はほっとした。これが夢ならしゃもじをもった子供が突然出てきても、なんらおかしくはない。そして何かあってもそれは夢なのだから、さして心配することも無いのである。
思えば昔はあんな子供が出てくる夢をよく見ていた気もする。女の子はどうしただろうと再び外に目をやれば、入り口のドアが開けられないのか、しゃもじでドアノックしていた。夢と思えばいじらしくて純粋に可愛らしい光景だ。
まともに考えだしたら頭がパンクしただろう。よかったよかった。
一人で頷いているとドレミーが、小馬鹿にした顔をずいっと寄せてきて、思わず一歩下がった。
「もしかして夢ならいいや、関係ない。なーんて思っちゃったりしてませんか?」
「……思っちゃってるが」
「いけませんね、夢や精神世界は色々繋がっているのです、もっと気をやるべきですよ」
不規則なノックの音が響く中、妖しい事を言い出す。
「月に行った時、現実からそういう世界を経由してたのには少し驚いたけどな。これはただの夢なんだろう」
「例えばこのお部屋は散らかってますよね、現実でも散らかっている。それは単なる空想では無いと言う事です。そこで起こる事だって意味があると思いませんか」
ドレミーは喋りながらその辺に転がしていた鉄の棒を手に取ると、軽々と振り上げた。
「散らかってて悪かったな……で、何してんだ急に」
「関係無いなら、これで頭殴ってみてもいいですか」
「いやぁ、それは遠慮したいかな」
苦笑いで答えたが、ドレミーの方は有無を言わさぬ笑顔だった。
「もう少し片付けした方が良いですよ、せーの」
───ゴツン
「痛っ!」
鈍痛がじんわりと頭に広がっていく。
これだから夢って奴は嫌なんだ、わけがわからないじゃないか……魔理沙は心の中でぼやきつつ頭を触ってみるが鉄で殴られたのに血は出ていない。それどころかドレミーも居ないし、なんだか重力に違和感がある。
椅子から転げ落ちて頭を打ったと気付いたのは、数分して文屋が号外を声高に配りに来た頃だった。どうやら紅魔館の本を写している途中で限界に達し、寝てしまったらしい。
「……相変わらず下らないことしてんなぁ」
某アマノジャクが南天の木や、葉をかっぱらっているという号外だった。
難を転じるとされているのが、天邪鬼心の火をつけたとかで、あっかんべした写真つき。至極どうでもいい。
悠長な記事を読みながらかじる朝食のパンも悪くないが、意識がハッキリしてくると夢の出来事が気になった。殴られたのは癪だが、今思うと忠告をしていた気もする。あのしゃもじを持った子供は何かあるのだろうか。しゃもじが化けて、人の家の米を食べる下克上したりとかあったら嫌だ。他にも片付けた方が良いとか言っていた。
部屋を見回すと、普通の人が見たら入るのを躊躇する位の惨状ではある。でも最低限の物のちゃんと場所を覚えていたし、滅多に使わないけど必要な物は屋根裏に入れるなどして、いざという時も困らないようにはしてある。
「……キノコでも取りに行くか」
見切りをつけようと思ったらどこでも付けられる、それが夢だろう。
開き直って、お手製の茸狩りナイフを持つと箒に乗ってふらふらと出かけた。
そろそろ食用キノコを補充する頃合いだ。無論今季のキノコ発生ポイントはおさえている。紅魔館に近い雑木林、里から伸びる道端にある切り株群、玄武の沢の倒木。三か所も周れば懐も帽子の中もキノコだらけ。すぐ干しても良いが、神社の方に向かった。
冷やかしついでに神社に持って行き、見返りにお茶を飲むまでが魔理沙にとってのキノコ取りの一環だ、多少家に遠回りでも億劫とは思わない。
「あー、ありがと。今忙しいからその辺に置いといてよ」
帽子のキノコを見た霊夢の反応は、存外そっけないものだった。
「茶くらい出せよ、今日はそういう予定なんだ」
「悪いわね、でもそんな予定立てるな。倉の整理中なの見て分かんない?」
ふう、と息をつきながら霊夢は古い文机を下ろすと再び倉へと入っていく。古い家具やら壺やら神具やらが散乱していて、ちょっとした骨董屋のようになっている。
「大掃除はこの間やったんだろ、何か探してるのか」
「古くて鳴らない鈴があるって……言ったらさ、霖之助さんがさ、直してくれるって、言うもんだから、確かどっかに――」
今度は風呂敷と書物の束を山のように持ち、よろめいていて危なっかしい。
「少し手伝ってやろうか。鈴を探せば良いんだろ」
「あ、関係無いものは触らないでね、確かそこの山積みにされてる所にあるはず」
「分かってるよ、祟られでもしたら困るからな」
神社の倉は面白い物がありそうで興味が湧くが、言われたのは奧の棚に積まれた一角だけだった。
「せっかく二人だし、床のは全部出して整理しようかしら」
「おい、手伝うのはちょっとだけだぞ」
「わかったわよ、じゃあ鈴が見つかるまでお願いね」
忠告のつもりだったが、結局運べそうな物は全て外に出してしまった。しかもよりによって肝心の鈴は指示された場所では無く棚の上にあったので、魔理沙は眉をひそめた。
「まったく、人を散々使っといてこれじゃ半分詐欺だぞ」
「ごめんごめん、お掃除で近くに動かしたの忘れてた。でも本当助かったわ」
倉の前で当初の目的だった茶を出して貰えた。言っても無いのに珍しく羊羹なんて出してくる辺り、霊夢も本当に悪いと思っているらしい。
「それと今出したのは使ってない物だから、もし欲しい物あったらあげても良いわよ」
「そうなのか? ちょっと見てみるか」
くれるというなら貰っていくのが蒐集家という生き物だ。肉体労働も何か貰えると思えば付加価値にすら思えてくる。魔理沙は早速面白そうな物を物色し始めたが、直ぐに手を止めた。
「なんだこれ、いつかこれでご飯をよそりたいのか?」
馬鹿デカいしゃもじが転がっていた。丈は魔理沙の身長と同じくらいはあったが、持ち上げると思ったよりは軽く、桐を使ってるようだ。今朝の夢のこともあってつい手に取ってしまった。
「そんなわけないでしょ、ただの奉納品よ。うちじゃ珍しいけどね」
「神様はこんなもん貰って喜ぶのか、確かに高級感はあるけどな」
「福や敵をめしとる、とか言うし縁起物なのよ。あとは家族が増えるようにって安産祈願で奉納したりね」
「何で家族が増えるんだよ」
「しゃもじが無いとそれぞれの茶碗に取り分けられないでしょう。家族でご飯食べるってことよ」
「へぇ……しかしまあ、作った奴の顔を見てみたいもんだ。デカけりゃ良いってもんでもないだろうに、さぞ間抜け面に違いない」
「私が受けた物じゃ無いから良く知らないけど、それだけ願いが強いって事なんでしょ。欲しけりゃあげるけど」
「えっ、奉納品なのに人に渡していいのかよ」
「何を今さら、奉納されたお酒は皆がばがば飲んでるでしょうが」
霊夢は目を細めて言う。非常に説得力のある一言なので、その巨大しゃもじを貰う事にした。桐でこれだけ大きければ単に木材としてだって優秀である。
ついでに紐ももらって上手く背負う事ができた。
「まだキノコもあるし、香霖にもおすそ分けしに行ってやるかな。ついでに鈴も持ってってやるよ」
「そう? 戻すのも手伝ってもらおうかと思ったけど、まあいいか……うーん、でもやっぱり……」
また肉体労働させられるのはごめんだ。魔理沙は呼び止められる前に、風呂敷に包まれた鈴を持ってさっさと飛び立った。
しゃもじのせいで風の抵抗が酷かったが、どうにか香霖堂に到着。入るときにドアに引っかかったは惜しかったが、無事に着けたといえよう。
「よお香霖、冷やかしに来たぞ」
「なんだ、魔理沙か……」
客じゃ無いならどうでも良い、という気持ちがにじみ出る返事をする香霖。また不毛な事を大真面目に考えているのだろう、その証拠に魔理沙の方をちらりとも見ていなかった。
「見ろ、キノコを持って来てやったんだぞ。それと霊夢が直してほしいって鈴を預かったから渡す」
「鈴は機会があれば直すと言ったんだが、さも僕が直したがってると思われたのかな、迷惑な」
そんな話だろうなと魔理沙は思っていたが、香霖は想像力が足りてないらしい。軽いため息を吹かせながら、それでもキノコより真っ先に鈴を見る辺り、魔理沙には本気で嫌がっている用にも見えなかった。
状態確認が済み香霖がキノコを奧にしまっている間に魔理沙はスカートのポケットからナイフを出して机に置く。実はもう一つ目的があるのだ。戻ってきた香霖はまたか、という顔をした。
「これも見てくれよ、私が作った万能カッターキノコ用だ」
机の上に自信をもって置いた刃渡り十五センチ程のギザギザしたナイフ。上手く出来た道具は、こうして時々香霖に見せて、出来を評価してらっている。
「君も外の人間達に負けない変な道具を作るね、微塵も万能性を感じないネーミングだ」
「キノコを採るのに万能なんだよ。マツタケやナメタケはもちろん、サルノコシカケも採れる。その気になればマダケだって切れるぞ」
「そりゃ竹じゃないか。確かに普通のナイフじゃないだけど……」
香霖はナイフを手に取るとじっと見つめる。自分が見られている訳でもないが魔理沙は緊張して視線をそらした。
「魔法で振動したり熱を持ったりして、切りやすくなるんだ」
「へえ……ところでその背中のはなんだ、早使いの褒美かい」
それなりに覚悟して言葉を待っていたが、香霖の興味は背中の物に向いてしまったようだ。魔理沙は安堵したような残念なようなため息をつく。
だが即座にダメ出しを貰わないだけでも、悪いものとは思われていない証拠だ。かつて無差別に虫を集める誘蛾灯を作ったらこんな道具は産むべきで無いと一喝された事もある。
「んーと、これは霊夢の倉を片づけた時に出てきたのを貰ったんだよ」
魔理沙が体を捻り背中のしゃもじを見せてやると、香霖は目を丸くした。
「それは奉納杓子か、どうして魔理沙が」
「酒代わりに貰ったんだよ、中々良い木を使っているから、桐箱にでもしようかな」
「そうか……だけどそんな事を言っていると化けるかもしれないよ。そんなに古くは無いけどね」
しゃもじが化ける、魔理沙は自然と夢のことを思い出した。
「変なこと言わないでくれよ、ただでさえしゃもじのせいで今日は目覚めが悪かったんだ」
「しゃもじのせい?」
食指が動かされたらしい香霖に、魔理沙は今朝だか未明に出会ったドレミーとしゃもじ娘の夢を話した。特に最後殴られた理不尽さを強調したが、香霖の反応は冷ややかな微笑だった。
「妹がほしかったとは意外だ。確か姉が欲しいとか言ってなかったかい」
どうやら願望が夢となったと思っているらしい。魔理沙は首をこれでもかと振って否定した。
「私の知る姉妹は大体が妹ってやつに手を焼いてるからな、欲しいなんて夢にも思わないぞ」
フランドールやこいしなんて妹がいたら、なんてのは考えたくもない。そして姉が欲しかったのは、自分がそんな妹になって、家にしっかりした奴が居ればと思っただけだ。
「僕は姉妹じゃなくとも君たちに手を焼いてるけどね」
「とにかく! 私にそんな願望は皆無だ。ましてはしゃもじなんて、訳が分からん」
小言を貰う前に、魔理沙は話題を逸らした。露骨すぎたのか香霖は片眉を吊り上げて続きを言いたげだが、どうにか矛を収めた。
「僕も夢診断は出来ないが……しゃもじや杓子は道具としては特別な意味があるからね、そこが鍵かもしれないよ」
「敵をめしとるとか、ご飯とかを分けるから安産祈願って奴か?」
「めしとるは言葉遊びの類だろう。本来は後者の取り分けるという役目が重要な道具なんだ。その大きなしゃもじも安産祈願や家内安全を願った物だよ」
「なんだ、天下統一祈願なのかと思ったがな……でもなんで分かるんだ」
聞いてから香霖が道具の用途を見抜く能力があったと思い出したが、答えは違う物だった。
「それを作ったのは僕だからね」
意外な事実だ。まさか本当にこのしゃもじを作った奴の顔を見られるとは。
「いつ作ったんだよこんなの、霊夢だって知らなかったぞ」
「あれは僕が霧雨店を出て少しくらいだから、君は知らないだろうね。作るのは大変だったんだよ、わざわざ斧を持って自分で木材を取りに行ったんだ」
香霖は不意に昔を懐かしむ顔になった。いつもは昔のことを喋るときだって歴史の年号を言うのと大して変わらない顔なのに、そんな話聞いたら、加工し辛い。
「手元に戻したければ返すぞ、ちょっと上乗せするけどな」
「いらないよ。魔理沙の見立て通り材料は一級品だから、遠慮無く箱でもなんでも作るといい。奉納品は神社の倉で腐らせるものでもあるまい」
香霖は直ぐに元の表情に戻ってしまった。
「……なら持って帰るけどな。後から返せと言われても困るぞ」
「いいよ。話が逸れたけど、信仰は時として人に害を成す。しゃもじや杓子で飯桶を叩くと鬼が来るというし、南方では下手に捨てると化けると言われているんだ。夢のもそういう妖怪かもしれない」
「信仰されてるなら、そんなに悪いことはしない気がするが」
「しゃもじや箸を正しく使えば米を取り分けられて、食べることが出来る。でも正しく使わなければそんな当たり前のことも出来なくなる。それが道具の信仰だ、気をつけた方が良いよ」
「行儀が悪いだけだろ、永遠に茶碗や米櫃ドラムを続ける訳じゃ無し」
「そういう事態を呼び込むと人はそういう風に考えるものさ。魔理沙もそういう使い方してないかい」
魔理沙はしゃもじを見ながら頬を掻いた。正直よく分からない話だが、因果を逆転して事故などを呼び込むということだろうか。でもむしろ夢にでてきたしゃもじ娘の方が、しゃもじを普通に使おうとしている様には見えなかったが……。
「まあ夢の事はやっぱり専門外だよ。霊夢の方が詳しいと思う」
香霖はずっと持っていたナイフを置くと魔理沙の前に差し出した。
そういえば霊夢にも相談しておけば良かったかな。下手を打ったが、それを聞きに戻るのも面倒なのでそのまま家に帰ることにした。今戻ると倉の手伝いを再開することにもなりそうだ。
「まあそのうち聞くかな、今日は帰る」
「キノコはありがたく貰うよ。それに……そのナイフはよく出来ていると思うよ、立派なマジックアイテムと呼べると思う」
帰ろうと踵を返したところで香霖がそんなことを言う。
キノコのお礼に少し良いこと言ってやったって事だろう。そう頭で思いつつもにやけてしまい、再びドアにしゃもじをひっかけるくらいには平静を失った。
色々あったが、今日はプラマイプラスな一日だったと言えよう。
帰った魔理沙はしゃもじを適当にほっぽると、早速キノコを焼いて食べ、しばし魔道書を読んだ後、寝床へ入った。
「お姉ちゃーん!」
という例の声が聞こえて、魔理沙は目が覚めるごとく夢を見ていることに気がついた。
前と同じ様にテーブルに座っている自分、借りてきた本を眺めていた……気がする。シチュエーションは同じだ。
でもその女の子はドアを開けて部屋の中にまで入っていた。相変わらずしゃもじを持って奇妙なたたずまいでこちらを見ている。
「また出たな。私と何かしたいのか?」
魔理沙は優しく声を掛けてみるが、女の子はにこりと笑うだけで返事はない。やや間があって魔理沙の方へゆっくりと近づいてくる。無言で迫り来る女の子には魔理沙も流石に妖しさを感じた。
ただ、どうしたら良いのかも分からないので、距離を取ろうと本を手に席を立とうとした。その時。女の子が床のガラクタを蹴り分け強引に走り出してきた。
「このやろっ」
魔理沙も反応して、椅子を横倒しに素早く離れたが、女の子は倒れた椅子を足かけに跳んで、しゃもじで顔面に殴りかかってきた。
「わ、やめろ!」
咄嗟に身をかがめて躱す。勢い余ってべちゃりと床に墜落し、痛がる女の子を見て心がやんわりと痛むが、香霖の話でも殴るのは良くないと言っていたし、殴られるのも良いはずはない。 そもそも鉄の棒だろうがしゃもじだろうが、好き好んで殴られたくはない。
魔法で反撃しようかと思ったが、自分の家を破壊するような真似は寝覚めが悪そうだし、見た目がか弱い女の子攻撃するのは心が痛む気がした。
使える物は無いかとポケットを漁るとキノコカッターがあった。一瞬考えたが、それを女の子へ向けて構える。
「動くな! 動くとあれだ、刺すぞ!」
起き上がった女の子は、ぴたりと動きを止めた。これではどっちが襲っているのだかわからんと自嘲しつつ、魔理沙は扉の方へと後ずさる。
「しゃもじはそうやって使う物じゃ無いぞ」
女の子の不機嫌で恨めしそうな顔から、扉を閉めて逃れる。取っ手に人に置いていた箒の柄を挿し、簡易的なかんぬきを施した。窓を開けられればそれまでだが、時間稼ぎにはなるだろう。
頬を抓ってみたら痛く無かった。襲いかかって来られたのだし夢から覚めたいが、いざ覚めようと思った事なんて無いので、やり方が分からない。
「苦労しているようですね」
「お前か。見てるんじゃ無いかと思ってたんだ」
さあ改めてどうしたもんかと、腕を組んだ所でドレミーが現れた。何処で見ていたかは定かでは無いが、夢の中はきっと自分の庭に違いない。
「ふふふ、面白い事になってるな、と思いまして」
「見世物じゃないぞ。あいつはなんなんだ、私はどうしたら良い」
「お部屋を片付けたほうが良いと言ったじゃ無いですか。でもしゃもじを避けたのは良い判断でしょうね」
ドレミーは小憎たらしい顔で肩をすくめるが、その姿がぼやけ始めた。勝手に体が目覚め始めているのだと魔理沙は自然と感じ取った。
徐々に近づく朝の気配に、ドレミーに何か聞かねばと焦る。夢なら霊夢よりも誰よりこいつの方が詳しいに決まっている。
「部屋はともかく、あいつは私の妄想なのか?」
「気づいてないんですか、あれは杓子木という妖怪ですよ。もっとも妖怪が妄想というなら、全部妄想ですけどね」
小鳥の囀りに混じって聞こえたそれで、完全に目が覚めてしまった。別に飛び起きる訳でもなく寝床からむくりと起き上がって、深呼吸してみる。起きてしまうと若干どうでも良いかと思いそうになるのは、どうしてだろうか。
白黒な魔法使いの服に着替えながら、やはり霊夢に聞きに行こうと考える。杓子木という名前も分かったし。片付ける以外に何か楽な方法があるかもしれない。
……やっぱりドレミーの服とは似てないよなあ。姿見の前でスカートを揺らしてみて、再確認するのだった。
「よお霊夢、暫く見ないうちに老けたな」
「うるさい……」
早速神社に侵入すると、霊夢は腰を曲げ箒を手にしていた。掃く訳でも無く、ただ杖にして散歩でもしている様相だ。そのままやや仏頂面でどっこいしょと縁側に座った。
天日干しにするのだろう、横には新聞紙が敷いてあり、昨日のキノコが転がっていた。
「昨日、二人で出した物も一人で戻してたら、腰がなんかおかしくって……」
「玉手箱でも見つけたのかと思ったぞ」
「煙だけの箱なら腰も痛めなくて済んだけどねぇ」
少し手伝って上げても良かっただろうか。こういう霊夢はだいぶ弱そうに見えるから可笑しい。もっとも普段から強そうにはあまり見えないが。
「お大事に。それよりちょっと聞きたいんだが、杓子木って妖怪知ってるか?」
「杓子木?」
魔理沙は連日見た夢の事を話した。もちろんドレミーに殴れたことも強調して。ただ片付けろといわれた所はぼかした。
「あんた……妹が欲しかったの?」
「そんなやりとりは香霖ともうやったぞ」
「あら残念。夢に出てくる杓子木ね、私は見たこと無いけど、聞いたことあるわ」
「本当か? どんな妖怪か詳しく教えてくれよ」
「夢の中でしゃもじを持って現れて……確か殴られると死ぬらしいわよ」
「し、死ぬ?」
「詳しくは無いけど、殴られた数日後とかにぽっくり死ぬんじゃ無いの」
見た目がほんわかしているくせに、想像以上にハードな内容じゃないか。魔理沙は頭を抱えた。
「まだ死にたくないぞ、追っ払う方法は無いのかよ」
「南天に水を上げれば殴られても大丈夫って話だけど」
「木に水やりすればいいのか? それなら簡単だな」
ドレミーの言う片付けよりは手っ取り早そうな方法でほっとする。
「南天は夢違えの力があるから、悪い夢を無かったことにしてくれるの。ただ、今はその手も使えるかどうか……」
「あー? 何でだよ」
霊夢がうーんと唸って天日干しのキノコを退け始めた。敷いてある新聞紙があらわになり、写真が現れる。あっかんべした正邪の写真。魔理沙も見た昨日の号外だった。
「う、そういえばこいつが南天をかっぱらってるとかあったな……」
四つん這いで記事を読みなおす。昨日は流し読みだったが、想像以上に被害は深刻らしい。
被害者へのインタビューによると、隠していても保護団体を騙って奪う、倉庫破り、だだをこねる、泣きつく、等々高度な手口から頭の悪そうな手口まで多種多様で、知人に化けて盗み出すこともあり、里は南天に関しては疑心暗鬼に陥っている。
そしてしばらくは何者が来ても喋るなと箝口令が敷かれたとのことである。その呼びかけを積極的にしているのが霧雨店と出ていて、魔理沙は複雑な気分になる。しかしあそこがこんな俗物的な新聞に言葉を載せるとなると、里の猜疑心と警戒心は並大抵では無い。
「見つけるのに骨が折れそうだ。やらなかったが、夢で返り打ちにすればそれで終わるのかな」
「うーん、魔理沙の話を聞く限り、杓子木は付喪神か座敷童子……或いはそのどっちもだと思う。あんまり手荒にしない方が良いと思うけどね」
「座敷童子? そんな縁起がいい物とは思えんがな。こちとら夢の中だぞ、死ぬんだぞ」
「枕返しとかは座敷童の悪戯って言ったりもするじゃない。枕返しも会うと死ぬって話もあるし……寝てるときにやんちゃする座敷童子なのかもね」
「やんちゃで殺されたらたまらん。南天が見つかる前に殴られなきゃ良いが」
「家以外では出ないはずだから、最悪どこかに泊めて貰えば?」
「ああ、なるほどこっちが出れば良いのか」
それは思いつかなかった。座敷童子に家を明け渡すのは癪だが、それで済むと思えば恐怖のどん底というわけでも無し。じっくりと時間を掛ければ解決もできるだろう。
「よし、今は後先は考えず一丁正邪から南天をかっぱらってやるか。霊夢も正邪退治に……ってその調子じゃ無理か」
「とりあえず回復するまでパス……。というかあいつは一筋縄じゃ捕まらないでしょう。ドレミーの言った通り家を片付けた方が早く解決策が見つかる気がするわよ」
「私が片付けするのは、キノコを洗って風味を飛ばしちまうようなもんだから、できん」
「昨日は倉の整理を手伝ってくれたじゃない」
「よそはよそ、うちはうちだ」
「なにそれ、アマノジャクもびっくりね……まあ後で里には行くつもりだから、ついでに南天があるかは見てきてあげるけど」
霊夢が見つからなかった様なトーンで言う。先ほどの新聞を見れば、無駄足は覚悟しなければならない。それでも見てくれると言ってくれるのは素直にありがたい。
「悪いな、とにかく私は聞き込みからかな……あっ」
カラン。
立ち上がったときに、魔理沙のポケットからキノコカッターが畳に転がった。
「これが夢で突き付けたってナイフ?」
霊夢が拾ってまじまじと見つめた。
「まあな、香霖も御墨付けなんだぜ、店に出せるレベルだ」
そこまでは言わなかったが、ちょっとくらい脚色したくなるものである。
「へぇ、本当に便利なら私が買ってあげても良いわよ」
「馬鹿野郎、これは非売品だ」
「霖之助さんみたいな事言って……あ、そういえば昨日の大きなしゃもじなんだけど……」
「ああ、香霖が作ったんだろ? 本人から聞いたぞ」
「霖之助さんが?」
「なんだ違う話か」
「いや、えーと……やっぱりいいわ」
霊夢はばつの悪そうに言うと、ナイフを魔理沙に渡し新聞記事を改めて読み返していた。
歯切れが悪くなる霊夢も珍しいと思いながら、魔理沙は正邪を探しに出かけた。
なんだかんだボロを出しているイメージの正邪だが、今度ばかりはそうも行かない。被害にあった命蓮寺に行ってみると、既に一輪達が捜索していたが、尻尾どころか痕跡もつかめなかったそうだ。もっともあそこの生臭共がどれだけ真面目に探しているのかは疑問だが。
針妙丸も心当たりは無いし、新聞に写真を載せていた文屋も、その後は影すら見ていないという。噂好きな妖怪達の間では、今頃雲隠れして祝杯でもあげているとのこと。
今回は大した目的もなさそうだし、十分にありえるだろう。こういう嫌らしさが不可能弾幕を使ってでも捕まえろとなる所以だ。
「しょうがない……」
魔理沙はため息と共に帽子掛けにとんがり帽子を投げ掛ける。
結局手がかりも無く家の中の原因を漁る事にしたしたのだが、気が進まなかった。
散らかってこそいるが、その状態で必要な物の場所は覚えて居るから、そのうち整頓しようと幾度と決意こそするが、毎度諦めて挫折しているのが現状だ。
付喪神ならこの家の何処かにしゃもじが転がっているのだろうか。普段使いのしゃもじは既に確認したが、特に異常はなし。夢で見た物とは色が違う気がする。
早くも魔道書をチラ見してだらけ始めた時、魔理沙は外に気配を感じた。何か用が出来れば片付けなくても済むと本末転倒な事を考え、表に顔を出した。
「お客さんかな」
まず魔理沙の目に入ったのが大きなバスドラムだった。そんな楽器を持ってくる奴なんて一人しか知らず、案の定、異変の時に会った堀川雷鼓だった。
「お前は中々強かった付喪神じゃないか」
「御無沙汰。紹介されてきたんだけど、忙しそうだし出直した方がいい?」
「いやいや大歓迎だぞ」
魔理沙が肩を押して店内に押し込むと、雷鼓は散らかり具合を見て目を丸くした。それでも不快と言うよりは、興味深そうな目だ。
「ドラムの補修をしたいけど良い部品が中々なくてさ。ここならあるかもって言われたんだ」
「あまりあてにされても困るが……どういう形のだ」
無造作に拾ってきた蒐集品に関してはろくに把握していないが、正体不明の小物も似たもの同士でいくつかの塊になっている。代わりになる物くらいはあるかもしれない。
「太鼓で言う鋲みたいな役割で、打面を貼るのに使うんだけど」
雷鼓は元々太鼓の付喪神なため、ドラムの名称など疎い所があるらしい。最終的には壊れていない箇所を見せてもらって、どのような物か判明する、要は小さいフックだ。
完全に一致する物は難しいが、形が近ければ少し手を加えて十分役割は果たせそうだ。魔理沙は早速ガラクタを漁り始める。
「待ってろ、どうにか使える物を見つける」
「ありがとう。それと貴女が付喪神か何かで困ってるらしいと聞いたんだけど……」
「何処でそんな事聞いたんだよ、というか紹介って誰からだ」
「香霖堂ってお店」
おしゃべりな奴め。ちょっとお節介が過ぎるが、餅は餅屋。道具の化物なら付喪神に聞くのもいいのかもしれない。
「しゃもじが化けているかもしれないんだが、ご覧の有様でそもそも存在するのかすら知らん」
「ふーん、私も付喪神だから、魔力がある物は少し気配を感じ取れるよ。たとえばそのポケットの刃物や掛かってる帽子の中の凶器とか」
「わかるのか」
キノコカッターとミニ八卦炉の事だ。見もしないのに分かるとは、もしやこれは期待できるのか。直ぐにお願いすると、雷鼓は爽やかにと笑った。
「代わりに部品あったらタダにしてよね」
道具に商談を持ちかけられるとは変な話だ。しかし持って行かれるのはどうせ雑品なので魔理沙は快く頷いた。
「にしても、ここは妙な道具が多すぎる……しゃもじ、しゃもじ……その馬鹿でかいのは、違うのよね……」
雷鼓はガラクタの山を離れ、ウロウロと探索し始めた。魔理沙は頼まれた部品を探しつつ、ふと雷鼓に聞きたい事があった事を思い出した。
「お前元々太鼓が依代だったんだろ。ドラムになっちまうなんて大変だったんじゃないか」
付喪神は基本的に神体が道具と同一だ。その道具を別の物に変えるのは、ミルクティーからミルクだけ抜き取ってコーヒーに入れるようなものだ。考えとしても、技術としても、空前絶後で興味深いものがある。
「んー……小槌の魔力で自我を持ったときはこのままじゃ駄目だって必死だったし、発想さえあればそんなに難しい事じゃないよ」
そう聞いて魔理沙は少し親近感が湧いた。発想と月並みの力があれば新しい魔法が十分出来る様に、雷鼓もそうやって新しい術を編み出したのだ。
「じゃあさ、太鼓に未練とか無いのか」
「そりゃ私だって太鼓のまま力を持ちたかったけどね、それは叶わぬ夢だった……太鼓の時に叩いてくれた人にも、作ってくれた人にも感謝してる。でもあのままじゃ、こうしてそれを言える付喪神ですらなかったからね……」
予想していたより気にしていたのか、雷子は口をもごもごとぎこちなく言うと、歩みを止めて上を見上げた。
まさか泣いているのだろうか。付喪神とはいえ、デリカシーの欠けた質問だったのかもしれない……などと魔理沙は心配したが、振り向いた顔は微塵も泣いていなかった。
「それよりさ、もう少し片付けた方が良いんじゃないの?」
「う、うるさい、お前が来なかったら今やろうとしてたんだよ」
雷鼓はケラケラと笑うと、目の前にあった棚の仲板に手を掛け足を掛け、登り始めた。
「おい、なにやってんだ!」
本や薬草や爆薬じみた薬品が詰まった瓶がガタガタと揺れる。即座に魔理沙の心配は家が損壊しないかという事に変わり、慌てて棚に飛びつき揺れを緩和した。
「上に色々置いてあるでしょ、それなんだよ」
そりゃ棚なんだから上にも物があると思ったが、雷鼓は上部までくると天井の板を押し開けて、上半身を潜り込ませた。天井裏のことだったらしい。
「上を見たかったなら飛べば良いだろ」
「普段は極力足を使って鍛えてるのよ、私はバスドラム足で叩くからね」
なんだそりゃ、じゃあ足でドラム叩くために空飛んでたのか、人類の夢を何だと思ってるのだろう。空しさを感じつつ、雷鼓はごそごそと上を引っかき回してから顔を出した。
「ほら、あったよ」
上から落とされたのはしゃもじ。魔理沙が何とかキャッチすると、確かに夢のしゃもじ娘の持つ物と同じだった。
「でもこれは私たちみたいに人の姿で暴れる程の力は無いかな。精々夜中にちょっと抜け出す事ができるかってくらいでしょう」
「それで夢に出て来たのか」
「夢にそのしゃもじが? なーるほどね、そりゃ間違いないよ」
雷鼓は棚から飛び降りると、埃がきつかったのか、こほこほと咳をした。髪にも埃がついていたので魔理沙はつまんで取ってやる。
「へし折るか捨てれば夢に出てくることは無いわ。でもそういうこと、あんまりしたくないと思ってるでしょう」
「そんな事も分かるのか」
「いや、ただの勘」
捨てたくない、という明確な意思がある訳では無かった。正直忘れていたこのしゃもじは、魔理沙が里の実家を飛び出したときに持ってきた道具の一つだった。
しゃもじを回して裏表を改めてじっくり見る。並べて見なければさして違いを意識する事すらないしゃもじだ。これはあの時の、なんて浸れる思い出は存在しないが、いつしかこの道具達は見るたびに家を出たという居たたまれない思いがこみ上げて、天井裏に一つまた一つと移動させたのだった。
「上にもあったの忘れてたよ。客なのになんだかすまんな」
「いいってことよ、その代わり約束通りこの部品はタダでいいでしょ」
既にガラクタの山から似ている部品も発見していた。抜け目ない奴だ。
形は微妙に違うが、気にならない程度に上手くハマったらしく、雷鼓は鼻歌なんて歌い出した。魔理沙が手を加える必要も無さそうだ。
「そういえば人が夢を見るのは記憶の整理って言うじゃない? ちょっとは整理しなよ、部屋も気持ちもね」
「なんだよそりゃ」
「悩んでも良いけど、後悔しない生き方をした方が良いってことよ」
急に年寄り臭いことを言ったと思ったら、雷鼓は外に出て服の埃を完全に落とすと、挨拶もろくに飛んでいってしまった。魔理沙は首をかしげながらその姿を見送った。
しばらくはしゃもじを睨んでいた。これを折って良いのか悪いのか。
単に今まで捨てなかった物という理由だけでなく、霊夢の言う座敷童子かもしれないというも懸念だ。もしも付喪神兼座敷童子だったりしたら、霧雨魔法店が儲かっているわけではないにしろ、気分の良い話ではない。
だが本当はそれも言い訳に過ぎないかも知れない。心の底で何か引っかかる物がある。杓子木という妖怪が、何故そんなに自分を目の敵にしているのか、まだ分からないからかもしれない。やんちゃだけとは思えない、要は消化不良だった。
なおも悩んで居たら、霊夢が里で南天を探すと言っていたのを思い出した。原因が見つかったのだから、南天を得る必要は無くなったと伝えなくては。もう日が暮れる時間ではあったが、博麗神社に向かった。
「南天は見つかったか?」
障子を思いっきり開けながら言い放つ。無いつもりで言ったのだが、振り向いた霊夢越しに南天の苗木が見え、魔理沙は思わず息を飲み込んだ。
「見つかったのか。新聞は金を積んでも断られる勢いだったのに」
「まあね」
「持ってきてくれた手前言いにくいが、実は家で原因のしゃもじを見つけたんだ」
「え、まさか正邪見つけないで一日家捜ししてたの?」
魔理沙は実家から持ってきたしゃもじの事を話すと、霊夢は南天を見つめ、口をへの字にして考え事をしているようだった。
「それでその南天はどこから手に入れてきたんだよ」
「ん? 何処だって良いじゃない、企業秘密よ」
「まさかお前もかっぱらって来たんじゃ無いだろうな」
「そんなわけないでしょ。これは……霧雨店で貰って来たのよ」
思わぬ名前が出てきて魔理沙は眉根を寄せた。
「あそこかよ、嫌味でも言ってたか?」
「店先の人しか合ってないけど、南天が無いと魔理沙が危ないかもって言ったら奧で話したみたいで、快く譲ってくれたのよ」
「はぁ? あんな箝口令敷いておいて、なに自分から破ってるんだよ」
「それは私に聞かれても……」
つい前のめりになってしまい、慌てて引っ込む。あんなインタビューを新聞に載せながら、簡単に譲ってしまうなんて格好悪い。外の世界で子供の危機を装うオレオレ詐欺というのを思い出した。もし幻想郷でも流行っていたら、良い鴨じゃないか。
「この際だからついでにこれも見せておくわ。昨日言おうとしたのだけど、紙のところ見て」
さらに霊夢は古い和綴じの一冊の本を差し出した。倉整理で出てきた物らしく、鈴を探した時と同じ埃っぽい香りがする。その後ろの方に栞代わりで紙が挟んであった。
「博麗神社記?」
外題にそんな風に書いてあった。開くと内容は日記ないし台帳らしい。神社の奉納の記録で、日毎に受け取った物などが機械的に羅列されている。紙が挟まれた頁を読み、目に留まる一文。
霧雨店 大杓子 五尺三寸 一本。
恐らく巨大しゃもじのことだ。霧雨店が奉納した物と書いてある。
香霖が言っていたことを思い出す。これは安産祈願の物、そして私が生まれる前だったと。 だとしたらあの大きなしゃもじを奉納した理由は、
「あんたが生まれるから、奉納した物だったみたいね」
「香霖め……知ってたのに言わなかったな」
「まあ、あんたの事心配してくれてる人は色々居るってことでしょう。たまには里の家にも様子見に行ったら?」
魔理沙はきょとんとした。霊夢は普段こんな事を言う人間ではない。
「なんだよ急に、やっぱり妙な告げ口されたのか」
「別に。杓子木が夢に出てくるのに何か関係あるかと思っただけ」
「それはそれ、これはこれだ」
魔理沙はわざとらしく咳をして、南天の青々とした葉を眺めた。
屋根裏のしゃもじが杓子木の正体なら、確かに家と関係はあるのかもしれない。
でも違う。霊夢は勘違いしている。実家との関係はそんな妖怪なんかよりも、もっともっと複雑で面倒臭くて、どうしようもない。会いに行ったって意味は無い。
杓子木はもっと単純に攻撃してきたのだから、きっと実家が原因というよりは……
「ところで、今日は泊まってもいいか? 別の場所なら出てこないかも確かめておきたいからな。座布団だけでも構わんから」
半分は建前で、家に帰ってもしゃもじの所存を決められそうに無かったからだ。
「う、まあ言い出しっぺだからいいけど……」
その後シンプルな夕飯をご馳走になった。魔理沙はしゃもじで二つの茶碗に米をよそるという当たり前のことを久々に見た気のだった。二人で食べるのは宴会でがやがやと食べるのとはまた違って少し懐かしい感じがした。
魔理沙は座布団に布を敷いて枕もどきにして、あらかじめ持参しておいた布にくるまって眠る。杓子木が本当に出ないのか幾分緊張はしていたが、霊夢も南天もあるし、大きな不安は無い。正邪探しに行ったので体はほどよく疲れていて、呼吸する度に眠りの淵に落ちていった。
夢の中で、魔理沙は再び霧雨魔法店に居た。
慌てて周りを見てみると、しゃもじ娘を発見してしまった。背筋がゾクリとしたが、その手にはしゃもじは握られていなかった、何故かキノコカッターを握っていた。それどころか、そいつは姿見の中に居たのだ。鏡に映った魔理沙自身がしゃもじ娘だったのである。
「ぎゃあっ、あぁ?」
驚きのあまり目が覚めた。神社の一室である事を確認した魔理沙は、霊夢が起きていない事を確認してから、もう一度眠りに着いた。その後は浅い眠りでしばしば起きてしまったが、少なくとも杓子木は現われなかった。
後から起きてきた霊夢から、改めて南天の苗が渡された。
「やっぱり原因は雷鼓が見つけたしゃもじみたいだ」
「にしては何か夢見が悪かったような顔してるけど……まあ、南天に水をやるか、しゃもじをへし折るか捨てるか。それで一件落着でしょうね」
魔理沙は拳でぐりぐりと顔をこすってしゃっきりした顔を作る。
「今更だけど水をやると退治できるってことなのか?」
「……そういえば夢違えって対症療法なのかしら、殴られた後に水をやるんだから」
「やっぱりそうだよな……」
眠気で頭が回っていない霊夢に簡素な礼を言って、魔理沙は家に戻った。
相変わらずごちゃごちゃしている魔法使いの家。
部屋の片隅に倒れる巨大しゃもじ。テーブルの上には古いしゃもじに紅魔館の魔道書。手には南天の苗。ポケットにはキノコカッター。帽子に隠してあるミニ八卦炉。雑多な物があるのはいつものことだが、息苦しさを感じ、魔理沙は深呼吸してみる。
この道具達は何を望んでいるのだろう。安産祈願のしゃもじ。片やその子を襲うしゃもじ。それを無かったことに出来る南天。もしかしたら道具にとっては、中々の修羅場ではなかろうか。
魔理沙は寄り目が可愛い赤い象型ジョウロに水を入れ、南天の脇に置いた。しかし霊夢の話からすると、水をやるのは根本的な解決にならないのではないか。
やはり少しは整理しなければなるまい。部屋では無くて、雷鼓の言っていた気持ちの整理とやらを。
魔理沙は魔道書の前の椅子に座ると、目を閉じて考えた。これを読んでいる時に杓子木が出てきたのが最初だった。順に考えていかなくちゃいけない。
あの時は魔法使いになるには、と考えていた。それが杓子木の癇に障ったのだとしたら、私が魔法使いになるのが面白くないのかもしれない。
それで出て来て最初にお姉ちゃんと呼んでいた。
お姉ちゃん……香霖に言われるまで忘れていたが、昔は姉が欲しかった。今思えば別に兄でも弟でも良かったのだが、とにかく家に残ってくれる人が居れば、自分は適当に扱われ何でもしていいと思っていたのだ。
ところが自分はどうあがいても妹にはなれないし、きっと子供として可愛がられているのも分かった。少なくとも最初は必要とされていた筈だ。安産祈願のしゃもじからすると、自惚れや見当違いとは言えないだろう。
私自信も立派なお姉さんになるというのが、最初に思い描いた理想の未来で、きっと夢だった。だからこそ別の夢を叶えたいが為、実家を放り出した罪悪感でしゃもじを天井裏に上げたのだ。家を出た頃の私は、しゃもじが家族で使う物と自然と理解していたのだろう。未練と不安が無ければそんな小道具を持ってくる訳が無い。
ああそうだ、きっと杓子木は未練と不安が一人歩きしてしまった妖怪なのだ。あの頃の夢が今の夢を潰そうとしているのだろう。
目を開け両手で頬を三回叩いた。
へし折れば確かに終わるだろう、でもへし折って良いのだろうか? かといってこのまま逃げ回っていてもいつかは捕まってしまうだろう。二つに一つ、決め所ということなのだ。
「よし、決めたぞ」
「杓子木の件は解決したの?」
霊夢は腰が回復したらしく、背筋を伸ばしてお茶を飲んでいた。
「まだだ。霊夢に頼みがあって……倉を開けてくれないか」
「倉って、うちの?」
魔理沙の頼みを霊夢は訝しげにも承諾した。
倉が開かれると、魔理沙が最初に見たときよりも整理がされているようだった。しかも入り口に鈴が戻っていた、香霖堂も仕事が早い。
「で、何がしたいわけ」
魔理沙は帽子から風呂敷に包んだしゃもじを渡した。
「これが杓子木のしゃもじなんだが……ここで預かって欲しいんだ」
「えぇー、何で私の所で預かるのよ」
「私の所にあったら化けるだろ」
「折れば良いって言ってなかったっけ」
「そうなんだが……どうも折る気になれなくてな」
「何よそれ、取りに来るつもりあるわけ」
「わからんが、私が死んだら捨てて良いぞ、何だったら使ってもかまわんし」
「……人に預けて片付けられたと思ったら大間違いよ」
詳しく話していないのに、手痛い所を突いてくるから霊夢は怖ろしい。でも今更そのくらいは分かっている。
「私はいつかしゃもじが要らない様な生き方をするかもしれない。でもここに私のしゃもじがあれば、ずっと忘れずにも居られるだろ」
「……そう。うちは貸倉庫じゃないんだけどね」
霊夢は渋々という感じだが、奥まった所にあった箱の中にそれをしまってくれた。
「まあ、いつでも取りに来てちょうだいな」
「おう」
それからずっと霊夢が渋々な顔のままだったので、魔理沙は当たり障り無いうちに帰った。
これで杓子木の事は一件落着だ。魔理沙は久方に家で落ち着いた眠りにつく事が出来た。
しかし、気がつくと再び魔理沙は机で魔道書に向かっていて、ドレミーが現われていた。
「また、お前かよ」
「つれませんねえ、色々助けて上げたじゃないですか」
「殴っただろ」
「根に持ちますね、解決したんだから言いじゃないですか。今の貴女はしゃもじでは無くてそちらなのですね」
何のことか、と思ったがポケットを漁るとキノコカッターが出てきた。何だかんだ夢ではこいつも活躍してくれた。確かに今はしゃもじより、こっちだ。
今更だがお姉ちゃんと呼んでいたあの娘は昔の自分を写した物に違いない。神社で見た時にはキノコカッターを持っていたが、あれだって昔見た一つの夢なのだろう。
「なあ、杓子木はあのしゃもじが見た夢だったのかな、それともただ私が見たしゃもじの夢だったのかな」
「夢は繋がってますからね、誰が見た夢かなんてどうでも良いんですよ」
「アバウトだな」
「夢ですからね。でも見たからには、どんな夢も覚えておいて損は無いと私は思いますよ」
「そりゃ起きて見る夢じゃなくてか?」
「どっちもです」
ドレミーは戸棚に入れてあった瓶から勝手に金平糖を取り出してかじりだした。ボリボリと金平糖が砕かれる音を聞きながら、魔理沙は窓の外をぼんやり眺める。
「南天に水をやるって方法も教えて貰ったんだが、あれじゃ解決はしないよな」
「夢違えは夢をへし折らず、無かったことにする方法です。見る度に見なかった事にする。そうしていた方が都合が良い人も居ますから」
それはそれで寂しいな。魔理沙は
とにかく今は前に進むだけだ。その先でいつか完全な魔法使いになっても、諦めることになっても、魔法も人らしさも忘れる必要はない。いや、忘れてはいけないのだろう。どっちかしか立たない夢なら、どっちかは弔ってやるんだ。
「おや、魔理沙さん。うしろ、うしろ」
相変わらずボリボリやってるドレミーが背後を指す。
「もう杓子木は居ないだろ」
「あー、もう遅い」
――ゴツン
「痛ったぁ!」
飛び起きた魔理沙の前に、魔道書を抱えたパチュリーが居た。
「この魔道書は替えが効かないのだから、返して貰うわよ」
鈍痛の中、魔理沙は本で殴られたとようやく理解した。そういえば魔道書に三日以内に返さないと云々という紙片があったな。
「だからって乗り込んでくるなんて、珍しいな……しかも殴るか普通。殴ったら強盗だぞ」
「人の気も知らず良い夢でも見ている顔を見せられたのだもの。目は覚めたかしら」
「なに、まだまだ夢見心地だぜ」
「……変な奴」
怪訝な顔して去って行く魔法使いを見送りつつ、魔理沙は痛む頭を撫でるのだった。
面白かったです。
ことやかさんの作品がまた読めて嬉しいです。次も楽しみにしております。