――蒐集したものは、私に征服されたものになる。
それでようやく私は何かを満たしたつもりになる。
でも本当に欲しいものは、いつも届かない場所にある。
夕立の降りしきる魔法の森。
窓の向こうでは白くけぶる森の木々の向こうで、ときおり紫の雷光が閃く。
私はベッドの枕の脇から「蒐集日記」と書かれた手帳を取り、今日の戦利品を走り書きで書き込んでいく。
「蒐集日記」はあくまで蒐集目標や蒐集方法、失敗や成功、戦利品などを書き込み、多少のコメントをつけておくだけの備忘録である。
だが、こうした事務的な日記でも、付けていれば物思いに耽るきっかけにはなる。
今日はぼんやりと自分の蒐集癖について考えてみた。
なにかをコレクションしたいという欲求自体は、小さな頃からあったように思う。
幼い頃は実家の道具屋の商品棚を自分の庭のように歩き回り、値札を付けたり商品の名前をひとつひとつ覚えていくのが楽しかった。
そのまま恵まれた道具屋の娘として生きていれば、親のお金で買ってもらったコレクションに囲まれて幸せに暮らしていた可能性もあった。
だけど、私はあるとき、どうしても手に入れることができないものの存在を知ってしまった。
それは妖怪たちの世界、魔法の世界、不思議な巫女が異変を解決する世界。
魔法を覚えることで、それらに縋り付き、あわよくば自分のものにしようとして、深くのめり込み、しまいには実家から勘当されてしまった。
悲観は全くしていない。それどころか、次々と見えてくる新しい地平線に心が躍る毎日だ。
「あんたはコレクターとしては不良なタイプね。集めたものを適切に管理できてない。もっと頭を使いなさい」
これはコレクターの先輩でもあるアリスの台詞だ。
思い当たる節はある。まず、私は、整然と物を片付けるのが苦手である。
家に戻るなり戦利品をベッドの上に無造作に置いてしまうのがダメなのかもしれない。
単に散らかすだけならまだいい。
このあいだパチュリーの魔法道具の実験を呼ばれてもいないのに手伝ったとき、魔法道具の扱いについて「魔法使いとしてはあり得ないレベルで雑」と眉を顰められたことは記憶に新しい。
言いたい放題に言われて癪ではあるが、自覚はしている。
せっかく蒐集したものを駄目にしてしまうことがあるからだ。
たとえば、湿気を出す天気石をそうと知らず本の近くに置いてしまい、ぐっしょりと本を濡らしてしまったこともあった。
そうそう、まさしくその天気石の話である。
あれは、コレクターとして忘れがたい事件だった。
◇◆◇
つい先日、博麗神社の境内で天気石の一種である魚石を見つけた。
最初は華扇の説明で、霊夢も私も龍が入った龍石だと思い込んでいた。
霊夢が神社に里の人間の参拝者を増やそうとして、これは龍の入った大きくなるありがたい石だとかいって盛んに宣伝し、結果全く大きくならなくてインチキだと思われたのは傑作だった。
まあそれはさておき、今回の天気石の本当の正体である魚石は、その中に生きた魚が泳いでいるという、きわめて貴重な品だ。
この石の真価は表面を慎重に削っていき、内部の水に達するぎりぎりのところで止めたときに発揮される。
紙のように薄くなった石の膜を通して、中の水の光が漏れ出し、二匹の金魚の影が泳ぐ様をみることができるのだ。
それを毎日眺めるだけで、徳を積み、寿命を延ばす効果があるという(これは全部華扇の受け売りだ)。
透けるまで削った魚石の美術的価値、希少価値は龍石以上。
興味を引かれた私と霊夢はさっそく削ってみることにした。
石は最初は霊夢が削っていた。
霊夢は割れてしまうことなんて考えてもいないようにガツガツと大胆不敵に鑿を入れる。
「よく一気にここまで薄くしたな」
ひやひやした私は霊夢から魚石を奪い、やすりに切り替えて慎重にすり減らすように削ることにした。
それなのに、つい会話に夢中になって、変な風に力をかけてしまって。
カシャン――。
澄んだ音とともに石が割れ、中身の水が漏れ出してしまう。
「すまん……。つい手元が狂って……」
私と霊夢は、石の殻の中で赤と白が混じった色の二匹の金魚がぴちぴちと尾を打つ様子を見つめながら、二人でしばらく茫然とした。
霊夢の横顔をそっと見ると、どよーんというオノマトペが聴こえてきそうな顔で落ち込んでいる。
感情がわかりやすく顔に出るタイプなのだ。
その後、華扇が持っている魚石を見せてもらったが、全然削っていなかった。
自分が持っている方はちゃんと保持しておいて、他の人間を使って伝説通り石が透けるかどうか試そうとしたらしい。
してやられた。
聞けば華扇は龍石を孵したこともあるそうだ。コレクターの先輩として何枚も上手であると認めざるを得ない。
私は素直に尊敬した。
◇◆◇
そこまで考えて、ベッドにぼすんと身体を投げ出し、じっと天井を見る。
この出来事は、そそっかしさを自覚したとか、コレクターとして上手のやり方を学んだという以上の何かを含んでいるような気がした。そしてそれには霊夢が関わっている。
霊夢が削った魚石を自分がわざわざ奪ってうまく削ろうとして、かえって全部台無しにしてしまう光景をつらつらと思い出す。
博麗霊夢は天性の才を持っている。
具体的に何に対する才かと言われると説明が難しい。
どんなに適当な手つきで物事にあたっても、勘の良さと不思議な偶然でなんとかしてしまうところがあるのだ。
(ただし信仰を集めたり商売をするセンスがない)
思うに、あのまま霊夢が無造作に削っていれば、今頃はうまくいっていたのではないだろうか?
考えれば考えるほど理由もないのに、そうだという気がしてくる。
魚石の中の生き物は、石の中にいる限り、永遠に生き続けるという華扇の言葉を思い出す。
逃した魚は大きい。
私は透き通った魚石の中で魚が優雅に泳ぐ様と、それをにっこりと見つめる霊夢を想像した。
疲れた身体で悶々と考え事をしていると、しだいに眠くなってきて、ぼんやりとした夢を見た。
夜の神社の境内で、光を放つ魚石を両腕に抱きしめながら霊夢が立っている。
その腕の中では永遠を生きる生き物が金色の影を翻しながらすいすいと泳いでいる。
「ほしいの?」
霊夢の唇がやわらかく動き、そっと尋ねた。
「ああ、もらってくぜ」
私は霊夢から魚石を奪い、自宅の柔らかなベッドの上にそっと置く。
――カシャン。それだけで魚石は自重で潰れてしまう。
なぜか神社にいたはずの霊夢が隣にいて、二匹の金魚がぱくぱくと口を開けて苦しそうに喘ぐのをみて、泣き出しそうな顔をする。
闇の中で目が覚めた。
口の中が乾いている。寝覚めは良くない。
◇◆◇
翌朝。
「よし、準備万端だな!」
黒い魔法帽、白いブラウス、黒いスカート、白いエプロン。いつもの出で立ち。
愛用の箒をぐっと握りしめ、飛翔する。
まだ化け茸が胞子を飛ばすにも早い魔法の森の明け方の空は、ひんやりと空気も美味しく、心地よい。
私はすっきりしてきた頭で昨日の夢を反芻する。
魚石は手の届かない向こう側にあって、それが霊夢と重なっていて、自分はじたばたして物事を台無しにしてしまう。
コレクターをやっていると自然に気が付くことがある。
本当に欲しいものは、それを手に入れたと思ってもいつのまにか別のものに化けてしまい、あるいは手から滑り落ち、私から遠ざかるように動いていくのだと。だから、早い速度で、それこそ彗星のように追いすがるしかない。
今回もそうだと思った。
あの綺麗な金色の影は、私の腕の中では輝いてくれない。それがなんだか悔しい。
であれば、魚石をもう一度手に入れて、きちんと光るまで削ったものを霊夢に見せてやる必要がある。
これは、霊夢に対する借りを返すだけでなく、霊夢との勝負でもあると思った。
まずは香霖堂である。
ここははずれだった。
私はただ魚石は入荷されてないかと聞いただけなのに、まずツケについて愚痴を言われ、そもそも魚石や龍石とは何ぞやという妄想話につき合わされ、しまいには「恐竜の卵」とかいう怪しげな丸い石を見せられる始末だった。使えそうな情報は一切なし。まあ香霖だから仕方がない。
コレクターにもいろいろいるが、香霖は極端に衒学趣味なタイプである。こういうタイプは妄想の中だけでコレクションの価値を勝手に高めてしまうため、実に幸せな奴だといえる。
私はといえば、蒐集は自分の限界を突破することにつながっているため、もう少し自分のコレクションには客観的にならざるを得ない。
次にアリスのところだ。
だが、呼び鈴を鳴らしても扉を叩いても返事がない。
窓から覗いてみたが、灯りがついていない。どうやら留守のようだ。
それにしても、窓から見える室内のディスプレイは完璧で、きちんとアルファベット、ルーン文字、魔界文字で分類された蔵書が本棚に整然と並び、埃一つない アーティファクト類はガラスケースの中で燦然と輝いている。
また、人形たちは今にも動き出しそうな配置で、まるで物語の一節を演じているかのような芸術的な並びになっている。
アリスはきわめて洗練されたタイプのコレクターだ。
私には到底まねできないし、そこまで芸術性や精緻性にこだわるモチベーションは正直ちょっと分からない。
とはいえ、そのコレクションの管理術には学ぶべきところが大きい。
私はいつかこのコレクションも追い抜かしたいと決意を新たにした。
パチュリーは本の貸し借りの件で最近特に刺々しいので、気軽に相談するという感じではない。
また、紅魔館図書館の蔵書はあまりに膨大で、その中から魚石に関する本を見つけ出すのは、砂浜に紛れた数粒の砂を見つけ出すかの如く思われる。パスである。
しかし、パチュリーは、本の知識を高度な魔法や錬金術に応用しており、そういった意味ではきわめて実践的なタイプのコレクターである。
私の蒐集動機も、自分の魔法を磨くという理由が大きい。
そういった意味では学ぶべき先輩なのだが。
探索は何日にもおよんだ。
アリスには会うことができたが、魚石についてはあいにく知らないという。
華扇にもあらためて心当たりを訪ねたが、他の魚石については全く知らないそうだ。
弱った私は人里まで降りてきた。
ちょうど里では夏祭りが開かれており、命蓮寺の参道脇には焼きそば、綿菓子、リンゴ飴など定番の屋台が軒を連ねている。
金魚すくいも大盛況だ。白と青の大きな陶磁器の中で赤い姿がたくさん泳いでいる。
道を行き交う子どもや若い女性も、ガラスで作られた金魚を入れておく容器(金魚玉というらしい)を紐で手に吊るして、時々光にすかしては楽しそうに眺めている。
私も里に住んでいた頃は夏が来るたびに金魚すくいを楽しみにしていたものだ。
だが、今回私が欲しいのはそこらの普通の金魚ではなく、金魚を永遠に眺められる貴重な石である。
私の目当てはナズ―リンだ。命蓮寺の連中に聞いてみると、いつもどおり無縁塚の近くの掘立小屋で宝探しをしているとのことだった。
さっそく、無縁塚まで飛ぶ。
「なんだい、君か。失せもの探しなら受けるよ」
「失せものというわけじゃないが探しているものがある」
私が料金を支払って魚石の特徴を伝えると、ナズ―リンはダウジングロッドを両手に持って四方に体を向けかえながら思案していたが、やがて「里に5,6個、妖怪の山の方にもいくつかあるようだ」と教えてくれた。
より詳しい探索をお願いすれば高額の別料金がかかってしまうので、あとは自分で探すことにする。
私は礼を言ってあらためて小屋の中を見渡す。
あらゆるものが雑然と重なっていて、私の家以上の散らかりようだ。
私は箒で飛び立つ前に、気になって訊ねた。
「無縁塚でなにを探してるんだ?」
「さあてね」
ナズ―リンの答えは要領を得ない。
「分からないのに探しているのか、変わったやつだ」
「そうでもないさ。私のダウジングは探すものについて確固としたイメージを持たなきゃいけないんだ。だけど、探す前から形が分かっているものなんて、大したレア度じゃないね。だから、なにが見つかるかも分からない方が、蒐集家の浪漫をくすぐられるんだよ」
なるほど、これもまたコレクターとしての一つの姿である。
私は妙に感心して無縁塚を後にした。
妖怪の山は閉鎖的であるため探索の手間がかかりすぎる。そこで私は人里に向かった。
行ったり来たりしているが、欲しいものに向かっているときは疲労感は感じない。
稗田邸の応接間。
「それでなぜうちに来たんでしょうか?」
阿求が怪訝な目つきで問う。私は女中から良く冷えたお茶を受け取り、一口飲んでから答えた。
「魚石を持っていそうだったからだ」
「たしかにうちにはいくつか蓄えがあります。ですが、あげませんよ?」
「複数持ってるのか。流石、稗田家だ。もらうとは言っていない。貸してほしい」
「削るつもりなら貸しませんよ。壊されそうですからね」
そういって阿求はそもそも、と切り出す。
「魚石がなぜ寿命を延ばすといわれるようになったのか。それは、魚石のもつ希少性と脆弱な性質に理由があります。魚石をまず所有できる時点でそれなりに金銭に余裕がある可能性が高い。次に、それをうまく削るための力量のある人間を雇う余裕。さらに、それを割ってしまわないように細心の注意を払いながら管理して、朝夕かかさず眺める時間と心の余裕も必要。これらを達成できる人間は、魚石がなくともおのずから長生きする条件がそろっているでしょうね」
理にかなった話ではある。
「じゃあ魚石の不思議な効能ってのは出鱈目か」
「ですが、もしかしたら、と思う者も多いのです。稗田家では御阿礼の子の寿命を少しでも延ばすためにいろいろなお守りや神頼みをしてまして、魚石もその一つなんです」
「ふむ」
「私自身としてはわりとどっちでもいいんですが、魚石が万が一にでも壊れてしまったら、私を想って家人が気に病んでしまいます」
そうやって阿求はわざとらしくぐすんと涙を拭うそぶりをした。寿命の件を持ち出されては流石の私も降参するしかない。
「あ、ああ。悪かった。諦めるぜ」
「うーん……まあ、魔理沙さんと霊夢さんだけなら……。加工済みの輝く魚石をこっそり見せましょうか」
がっかりした私を見て多少同情してくれたのか、阿求は少し相好を崩して約束してくれた。何事も言ってみるものである。
阿求は「このことは誰にも言わずぜったいに秘密にしてください。本当に特別なんですからね」と念押ししてきた。
さらに、かつて人里で起きた魚石の所有をめぐる嫌な事件の話までされそうになったので、私は霊夢以外の誰にも言わないと誓って稗田邸を後にした。
「さて、どうするかな」
相変わらず魚石を手に入れる目途は立っていない。
人里には稗田邸以外にも2つほどあるらしいが、有力者が所有していて交渉は相当難しいことが予想される。
このところ探索に夢中で、1週間近く博麗神社には行っていない。
今回は勝利はお預けにして、霊夢には阿求が持っている加工済みの魚石を見せてやることにしよう。
自前の魚石はまた時間をかけてじっくり探索すればよい。
◇◆◇
昼下がりの博麗神社の境内。
霊夢はいつものように境内にいた。
「あんた最近みかけなかったけどなんか企んでる?」
「まあな」
私はそういって縁側に腰をおろす。
そして部屋の中を振り返る。
ちゃぶ台の上にはガラスの金魚鉢が置かれ、魚石から出てきた紅白の金魚が二匹、透明な光の中をすいすいと泳いでいる。
時折山の方から吹いてくる風に揺らされ、二つ並んで吊るされた風鈴が涼しげな音を立てた。
霊夢はそれを見てご機嫌な様子だ。
「透き通って光る魚石も見たかったけれど、これはこれで味わいがあるわね」
金魚鉢をおもしろそうに見つめる霊夢。
ひらひらした白い袖と紅いリボン。二匹の金魚にそっくりだ。
「石の中にいたら誰にも邪魔されずずっと生きることができただろうになあ。悪いことをしたかもしれん」
「どうかな。案外外の景色を見れて喜んでるかも。それにこの金魚は普通のものよりずいぶん長生きするらしいし」
私はその言葉でちょっと楽になった。
くよくよ気にしていたのは自分だけだったようだ。
「ねえ魔理沙」
「ん」
「華扇が言ってたんだけど、この金魚って、コメットっていう種類なんだって」
「ふーん。彗星って意味か」
私は二匹の金魚をしげしげと見つめる。
彗星は好きだ。勢いがあって、一途な感じがする。自分のとっておきの魔法のモチーフにするくらいだ。
「そうそう。すらりと伸びた尾びれで彗星みたいに素早く水の中を泳ぐから、コメットだってさ」
コメットは比較的新しい品種で、日本から持ち出されたものがアメリカという土地で改良されてできたものだという。
魚石の中にそんな新しいものが入っていたというのは不思議な気もするけれど、そんなものなのかもしれない。
霊夢は金魚鉢を眺めながら楽しそうに話す。その横顔は無邪気に笑っていた。
「なんか、コイツら、あんたにぴったりじゃない。名前もそうだし、あとは動きとか」
その言葉は、私の予期しないものだった。
「まあ色はお前に似てるけどな」
とっさに軽口を返す。
霊夢の世界に思いがけず私がいて、驚いた。
鼓動が早くなったのを気づかれていないだろうか。
霊夢は、捕まえたと思ったらするりと逃れていき、逃がしたと思えばいつの間にか手の中にいる。
たとえるなら金魚すくいの金魚や春の日の蝶々のようなものだ。
私が霊夢のまわりを引っ掻き回して、面白そうだと思ってくれれば、ふわふわとした動きで近づいてくる。
そうかとおもえば、今回みたいに、いつのまにか不思議な方法で先回りして私の想定を何度も出し抜いてしまう。
だから、私がこの世界のすべてを蒐集したとしても、霊夢だけは永遠に蒐集できそうにない。
だけど、一つの場所にとどめることができないものは、常にあらゆる場所に寄り付く可能性も持っている。
だからこそ私はがむしゃらに、天を割くような勢いで、未知のものに挑戦し続けるだろう。
鼻歌を唄いながら二匹の金魚と戯れる霊夢。
私はその隣に座りながら、稗田邸で魚石を見せてもらう話を切り出すのは、そんな様子をのんびりと眺めてからでも遅くはあるまいと思うのだった。
それでようやく私は何かを満たしたつもりになる。
でも本当に欲しいものは、いつも届かない場所にある。
夕立の降りしきる魔法の森。
窓の向こうでは白くけぶる森の木々の向こうで、ときおり紫の雷光が閃く。
私はベッドの枕の脇から「蒐集日記」と書かれた手帳を取り、今日の戦利品を走り書きで書き込んでいく。
「蒐集日記」はあくまで蒐集目標や蒐集方法、失敗や成功、戦利品などを書き込み、多少のコメントをつけておくだけの備忘録である。
だが、こうした事務的な日記でも、付けていれば物思いに耽るきっかけにはなる。
今日はぼんやりと自分の蒐集癖について考えてみた。
なにかをコレクションしたいという欲求自体は、小さな頃からあったように思う。
幼い頃は実家の道具屋の商品棚を自分の庭のように歩き回り、値札を付けたり商品の名前をひとつひとつ覚えていくのが楽しかった。
そのまま恵まれた道具屋の娘として生きていれば、親のお金で買ってもらったコレクションに囲まれて幸せに暮らしていた可能性もあった。
だけど、私はあるとき、どうしても手に入れることができないものの存在を知ってしまった。
それは妖怪たちの世界、魔法の世界、不思議な巫女が異変を解決する世界。
魔法を覚えることで、それらに縋り付き、あわよくば自分のものにしようとして、深くのめり込み、しまいには実家から勘当されてしまった。
悲観は全くしていない。それどころか、次々と見えてくる新しい地平線に心が躍る毎日だ。
「あんたはコレクターとしては不良なタイプね。集めたものを適切に管理できてない。もっと頭を使いなさい」
これはコレクターの先輩でもあるアリスの台詞だ。
思い当たる節はある。まず、私は、整然と物を片付けるのが苦手である。
家に戻るなり戦利品をベッドの上に無造作に置いてしまうのがダメなのかもしれない。
単に散らかすだけならまだいい。
このあいだパチュリーの魔法道具の実験を呼ばれてもいないのに手伝ったとき、魔法道具の扱いについて「魔法使いとしてはあり得ないレベルで雑」と眉を顰められたことは記憶に新しい。
言いたい放題に言われて癪ではあるが、自覚はしている。
せっかく蒐集したものを駄目にしてしまうことがあるからだ。
たとえば、湿気を出す天気石をそうと知らず本の近くに置いてしまい、ぐっしょりと本を濡らしてしまったこともあった。
そうそう、まさしくその天気石の話である。
あれは、コレクターとして忘れがたい事件だった。
◇◆◇
つい先日、博麗神社の境内で天気石の一種である魚石を見つけた。
最初は華扇の説明で、霊夢も私も龍が入った龍石だと思い込んでいた。
霊夢が神社に里の人間の参拝者を増やそうとして、これは龍の入った大きくなるありがたい石だとかいって盛んに宣伝し、結果全く大きくならなくてインチキだと思われたのは傑作だった。
まあそれはさておき、今回の天気石の本当の正体である魚石は、その中に生きた魚が泳いでいるという、きわめて貴重な品だ。
この石の真価は表面を慎重に削っていき、内部の水に達するぎりぎりのところで止めたときに発揮される。
紙のように薄くなった石の膜を通して、中の水の光が漏れ出し、二匹の金魚の影が泳ぐ様をみることができるのだ。
それを毎日眺めるだけで、徳を積み、寿命を延ばす効果があるという(これは全部華扇の受け売りだ)。
透けるまで削った魚石の美術的価値、希少価値は龍石以上。
興味を引かれた私と霊夢はさっそく削ってみることにした。
石は最初は霊夢が削っていた。
霊夢は割れてしまうことなんて考えてもいないようにガツガツと大胆不敵に鑿を入れる。
「よく一気にここまで薄くしたな」
ひやひやした私は霊夢から魚石を奪い、やすりに切り替えて慎重にすり減らすように削ることにした。
それなのに、つい会話に夢中になって、変な風に力をかけてしまって。
カシャン――。
澄んだ音とともに石が割れ、中身の水が漏れ出してしまう。
「すまん……。つい手元が狂って……」
私と霊夢は、石の殻の中で赤と白が混じった色の二匹の金魚がぴちぴちと尾を打つ様子を見つめながら、二人でしばらく茫然とした。
霊夢の横顔をそっと見ると、どよーんというオノマトペが聴こえてきそうな顔で落ち込んでいる。
感情がわかりやすく顔に出るタイプなのだ。
その後、華扇が持っている魚石を見せてもらったが、全然削っていなかった。
自分が持っている方はちゃんと保持しておいて、他の人間を使って伝説通り石が透けるかどうか試そうとしたらしい。
してやられた。
聞けば華扇は龍石を孵したこともあるそうだ。コレクターの先輩として何枚も上手であると認めざるを得ない。
私は素直に尊敬した。
◇◆◇
そこまで考えて、ベッドにぼすんと身体を投げ出し、じっと天井を見る。
この出来事は、そそっかしさを自覚したとか、コレクターとして上手のやり方を学んだという以上の何かを含んでいるような気がした。そしてそれには霊夢が関わっている。
霊夢が削った魚石を自分がわざわざ奪ってうまく削ろうとして、かえって全部台無しにしてしまう光景をつらつらと思い出す。
博麗霊夢は天性の才を持っている。
具体的に何に対する才かと言われると説明が難しい。
どんなに適当な手つきで物事にあたっても、勘の良さと不思議な偶然でなんとかしてしまうところがあるのだ。
(ただし信仰を集めたり商売をするセンスがない)
思うに、あのまま霊夢が無造作に削っていれば、今頃はうまくいっていたのではないだろうか?
考えれば考えるほど理由もないのに、そうだという気がしてくる。
魚石の中の生き物は、石の中にいる限り、永遠に生き続けるという華扇の言葉を思い出す。
逃した魚は大きい。
私は透き通った魚石の中で魚が優雅に泳ぐ様と、それをにっこりと見つめる霊夢を想像した。
疲れた身体で悶々と考え事をしていると、しだいに眠くなってきて、ぼんやりとした夢を見た。
夜の神社の境内で、光を放つ魚石を両腕に抱きしめながら霊夢が立っている。
その腕の中では永遠を生きる生き物が金色の影を翻しながらすいすいと泳いでいる。
「ほしいの?」
霊夢の唇がやわらかく動き、そっと尋ねた。
「ああ、もらってくぜ」
私は霊夢から魚石を奪い、自宅の柔らかなベッドの上にそっと置く。
――カシャン。それだけで魚石は自重で潰れてしまう。
なぜか神社にいたはずの霊夢が隣にいて、二匹の金魚がぱくぱくと口を開けて苦しそうに喘ぐのをみて、泣き出しそうな顔をする。
闇の中で目が覚めた。
口の中が乾いている。寝覚めは良くない。
◇◆◇
翌朝。
「よし、準備万端だな!」
黒い魔法帽、白いブラウス、黒いスカート、白いエプロン。いつもの出で立ち。
愛用の箒をぐっと握りしめ、飛翔する。
まだ化け茸が胞子を飛ばすにも早い魔法の森の明け方の空は、ひんやりと空気も美味しく、心地よい。
私はすっきりしてきた頭で昨日の夢を反芻する。
魚石は手の届かない向こう側にあって、それが霊夢と重なっていて、自分はじたばたして物事を台無しにしてしまう。
コレクターをやっていると自然に気が付くことがある。
本当に欲しいものは、それを手に入れたと思ってもいつのまにか別のものに化けてしまい、あるいは手から滑り落ち、私から遠ざかるように動いていくのだと。だから、早い速度で、それこそ彗星のように追いすがるしかない。
今回もそうだと思った。
あの綺麗な金色の影は、私の腕の中では輝いてくれない。それがなんだか悔しい。
であれば、魚石をもう一度手に入れて、きちんと光るまで削ったものを霊夢に見せてやる必要がある。
これは、霊夢に対する借りを返すだけでなく、霊夢との勝負でもあると思った。
まずは香霖堂である。
ここははずれだった。
私はただ魚石は入荷されてないかと聞いただけなのに、まずツケについて愚痴を言われ、そもそも魚石や龍石とは何ぞやという妄想話につき合わされ、しまいには「恐竜の卵」とかいう怪しげな丸い石を見せられる始末だった。使えそうな情報は一切なし。まあ香霖だから仕方がない。
コレクターにもいろいろいるが、香霖は極端に衒学趣味なタイプである。こういうタイプは妄想の中だけでコレクションの価値を勝手に高めてしまうため、実に幸せな奴だといえる。
私はといえば、蒐集は自分の限界を突破することにつながっているため、もう少し自分のコレクションには客観的にならざるを得ない。
次にアリスのところだ。
だが、呼び鈴を鳴らしても扉を叩いても返事がない。
窓から覗いてみたが、灯りがついていない。どうやら留守のようだ。
それにしても、窓から見える室内のディスプレイは完璧で、きちんとアルファベット、ルーン文字、魔界文字で分類された蔵書が本棚に整然と並び、埃一つない アーティファクト類はガラスケースの中で燦然と輝いている。
また、人形たちは今にも動き出しそうな配置で、まるで物語の一節を演じているかのような芸術的な並びになっている。
アリスはきわめて洗練されたタイプのコレクターだ。
私には到底まねできないし、そこまで芸術性や精緻性にこだわるモチベーションは正直ちょっと分からない。
とはいえ、そのコレクションの管理術には学ぶべきところが大きい。
私はいつかこのコレクションも追い抜かしたいと決意を新たにした。
パチュリーは本の貸し借りの件で最近特に刺々しいので、気軽に相談するという感じではない。
また、紅魔館図書館の蔵書はあまりに膨大で、その中から魚石に関する本を見つけ出すのは、砂浜に紛れた数粒の砂を見つけ出すかの如く思われる。パスである。
しかし、パチュリーは、本の知識を高度な魔法や錬金術に応用しており、そういった意味ではきわめて実践的なタイプのコレクターである。
私の蒐集動機も、自分の魔法を磨くという理由が大きい。
そういった意味では学ぶべき先輩なのだが。
探索は何日にもおよんだ。
アリスには会うことができたが、魚石についてはあいにく知らないという。
華扇にもあらためて心当たりを訪ねたが、他の魚石については全く知らないそうだ。
弱った私は人里まで降りてきた。
ちょうど里では夏祭りが開かれており、命蓮寺の参道脇には焼きそば、綿菓子、リンゴ飴など定番の屋台が軒を連ねている。
金魚すくいも大盛況だ。白と青の大きな陶磁器の中で赤い姿がたくさん泳いでいる。
道を行き交う子どもや若い女性も、ガラスで作られた金魚を入れておく容器(金魚玉というらしい)を紐で手に吊るして、時々光にすかしては楽しそうに眺めている。
私も里に住んでいた頃は夏が来るたびに金魚すくいを楽しみにしていたものだ。
だが、今回私が欲しいのはそこらの普通の金魚ではなく、金魚を永遠に眺められる貴重な石である。
私の目当てはナズ―リンだ。命蓮寺の連中に聞いてみると、いつもどおり無縁塚の近くの掘立小屋で宝探しをしているとのことだった。
さっそく、無縁塚まで飛ぶ。
「なんだい、君か。失せもの探しなら受けるよ」
「失せものというわけじゃないが探しているものがある」
私が料金を支払って魚石の特徴を伝えると、ナズ―リンはダウジングロッドを両手に持って四方に体を向けかえながら思案していたが、やがて「里に5,6個、妖怪の山の方にもいくつかあるようだ」と教えてくれた。
より詳しい探索をお願いすれば高額の別料金がかかってしまうので、あとは自分で探すことにする。
私は礼を言ってあらためて小屋の中を見渡す。
あらゆるものが雑然と重なっていて、私の家以上の散らかりようだ。
私は箒で飛び立つ前に、気になって訊ねた。
「無縁塚でなにを探してるんだ?」
「さあてね」
ナズ―リンの答えは要領を得ない。
「分からないのに探しているのか、変わったやつだ」
「そうでもないさ。私のダウジングは探すものについて確固としたイメージを持たなきゃいけないんだ。だけど、探す前から形が分かっているものなんて、大したレア度じゃないね。だから、なにが見つかるかも分からない方が、蒐集家の浪漫をくすぐられるんだよ」
なるほど、これもまたコレクターとしての一つの姿である。
私は妙に感心して無縁塚を後にした。
妖怪の山は閉鎖的であるため探索の手間がかかりすぎる。そこで私は人里に向かった。
行ったり来たりしているが、欲しいものに向かっているときは疲労感は感じない。
稗田邸の応接間。
「それでなぜうちに来たんでしょうか?」
阿求が怪訝な目つきで問う。私は女中から良く冷えたお茶を受け取り、一口飲んでから答えた。
「魚石を持っていそうだったからだ」
「たしかにうちにはいくつか蓄えがあります。ですが、あげませんよ?」
「複数持ってるのか。流石、稗田家だ。もらうとは言っていない。貸してほしい」
「削るつもりなら貸しませんよ。壊されそうですからね」
そういって阿求はそもそも、と切り出す。
「魚石がなぜ寿命を延ばすといわれるようになったのか。それは、魚石のもつ希少性と脆弱な性質に理由があります。魚石をまず所有できる時点でそれなりに金銭に余裕がある可能性が高い。次に、それをうまく削るための力量のある人間を雇う余裕。さらに、それを割ってしまわないように細心の注意を払いながら管理して、朝夕かかさず眺める時間と心の余裕も必要。これらを達成できる人間は、魚石がなくともおのずから長生きする条件がそろっているでしょうね」
理にかなった話ではある。
「じゃあ魚石の不思議な効能ってのは出鱈目か」
「ですが、もしかしたら、と思う者も多いのです。稗田家では御阿礼の子の寿命を少しでも延ばすためにいろいろなお守りや神頼みをしてまして、魚石もその一つなんです」
「ふむ」
「私自身としてはわりとどっちでもいいんですが、魚石が万が一にでも壊れてしまったら、私を想って家人が気に病んでしまいます」
そうやって阿求はわざとらしくぐすんと涙を拭うそぶりをした。寿命の件を持ち出されては流石の私も降参するしかない。
「あ、ああ。悪かった。諦めるぜ」
「うーん……まあ、魔理沙さんと霊夢さんだけなら……。加工済みの輝く魚石をこっそり見せましょうか」
がっかりした私を見て多少同情してくれたのか、阿求は少し相好を崩して約束してくれた。何事も言ってみるものである。
阿求は「このことは誰にも言わずぜったいに秘密にしてください。本当に特別なんですからね」と念押ししてきた。
さらに、かつて人里で起きた魚石の所有をめぐる嫌な事件の話までされそうになったので、私は霊夢以外の誰にも言わないと誓って稗田邸を後にした。
「さて、どうするかな」
相変わらず魚石を手に入れる目途は立っていない。
人里には稗田邸以外にも2つほどあるらしいが、有力者が所有していて交渉は相当難しいことが予想される。
このところ探索に夢中で、1週間近く博麗神社には行っていない。
今回は勝利はお預けにして、霊夢には阿求が持っている加工済みの魚石を見せてやることにしよう。
自前の魚石はまた時間をかけてじっくり探索すればよい。
◇◆◇
昼下がりの博麗神社の境内。
霊夢はいつものように境内にいた。
「あんた最近みかけなかったけどなんか企んでる?」
「まあな」
私はそういって縁側に腰をおろす。
そして部屋の中を振り返る。
ちゃぶ台の上にはガラスの金魚鉢が置かれ、魚石から出てきた紅白の金魚が二匹、透明な光の中をすいすいと泳いでいる。
時折山の方から吹いてくる風に揺らされ、二つ並んで吊るされた風鈴が涼しげな音を立てた。
霊夢はそれを見てご機嫌な様子だ。
「透き通って光る魚石も見たかったけれど、これはこれで味わいがあるわね」
金魚鉢をおもしろそうに見つめる霊夢。
ひらひらした白い袖と紅いリボン。二匹の金魚にそっくりだ。
「石の中にいたら誰にも邪魔されずずっと生きることができただろうになあ。悪いことをしたかもしれん」
「どうかな。案外外の景色を見れて喜んでるかも。それにこの金魚は普通のものよりずいぶん長生きするらしいし」
私はその言葉でちょっと楽になった。
くよくよ気にしていたのは自分だけだったようだ。
「ねえ魔理沙」
「ん」
「華扇が言ってたんだけど、この金魚って、コメットっていう種類なんだって」
「ふーん。彗星って意味か」
私は二匹の金魚をしげしげと見つめる。
彗星は好きだ。勢いがあって、一途な感じがする。自分のとっておきの魔法のモチーフにするくらいだ。
「そうそう。すらりと伸びた尾びれで彗星みたいに素早く水の中を泳ぐから、コメットだってさ」
コメットは比較的新しい品種で、日本から持ち出されたものがアメリカという土地で改良されてできたものだという。
魚石の中にそんな新しいものが入っていたというのは不思議な気もするけれど、そんなものなのかもしれない。
霊夢は金魚鉢を眺めながら楽しそうに話す。その横顔は無邪気に笑っていた。
「なんか、コイツら、あんたにぴったりじゃない。名前もそうだし、あとは動きとか」
その言葉は、私の予期しないものだった。
「まあ色はお前に似てるけどな」
とっさに軽口を返す。
霊夢の世界に思いがけず私がいて、驚いた。
鼓動が早くなったのを気づかれていないだろうか。
霊夢は、捕まえたと思ったらするりと逃れていき、逃がしたと思えばいつの間にか手の中にいる。
たとえるなら金魚すくいの金魚や春の日の蝶々のようなものだ。
私が霊夢のまわりを引っ掻き回して、面白そうだと思ってくれれば、ふわふわとした動きで近づいてくる。
そうかとおもえば、今回みたいに、いつのまにか不思議な方法で先回りして私の想定を何度も出し抜いてしまう。
だから、私がこの世界のすべてを蒐集したとしても、霊夢だけは永遠に蒐集できそうにない。
だけど、一つの場所にとどめることができないものは、常にあらゆる場所に寄り付く可能性も持っている。
だからこそ私はがむしゃらに、天を割くような勢いで、未知のものに挑戦し続けるだろう。
鼻歌を唄いながら二匹の金魚と戯れる霊夢。
私はその隣に座りながら、稗田邸で魚石を見せてもらう話を切り出すのは、そんな様子をのんびりと眺めてからでも遅くはあるまいと思うのだった。
雑で無頓着な魔理沙がここまで後悔しているところに特別感があって良かったです
タイトルの意味を回収していくところ、霊夢の言葉にどきりとするところ、好きです。
ああここはあの台詞だなと分かるのも楽しい。
阿求と絡ませたのが見事でした。