つい、先週の話だ。
知っての通り私は人形使いである。だから家には山ほどの人形がある。
ドール。フィギュア。ぬいぐるみ。マリオネット。かかし。土偶。マネキン。きぐるみ。パペット。てるてる坊主。仏像。式紙。ドナルド・マクドナルド。カーネル・サンダース。ペコちゃん。くいだおれ太郎。サトちゃん。ひこにゃん。くまモン。まんべくん。
このように挙げればキリはない。よって魔法の森に建てられたそこそこ大きな一軒家も、そこそこ大きい割に、居住空間はいわゆる「キッチン付きワンルーム」程度しかない。
しかも三畳一間くらい。
魔理沙のような普通のキノコマニアからしてみれば、私のようなものは変態と映るらしい。
まあ、変態なだけはあって、人形に関することなら一家言ある私だけれど、それでもやはり知識として追いつかない部分もある。例えば、その人形の『生態』について。
学者というのは、その生き物以上にその生き物のことを知っている、というのが当然らしいけれど、そんなもの、学者さえ超越した知識の探求者である魔術師、ひいては魔法使いからしてみれば、大言壮語も良いところ。
動物学者が、早く殺してくれと喚いている瀕死の動物を、素直に殺してやった姿を見たことがない。
地質学者が、ボーリングされた地層の恋愛相談を、バーで一杯引っ掛けながら聞いている姿を見たことがない。
天文学者が、新たに『星誕』した星に、祝典の手紙を送っている姿を見たことがない。
流行ファッションアドバイザーが、一般人の目から見ておしゃれと思える格好をしている姿を見たことがない。
だって所詮は、種が違う。
質が違う。
次元が違う。
感性が違うのだ。
分かっているような振りをして、そんな気になって、自慢の知識をひけらかし、一方的に物事を決めつけているだけ。
私から言わせれば、そんな勘違いどもなんてみんな、占い師と変わらない。
当たるも八卦当たらぬも八卦。
そんな言い訳に身をやつしている、部外者でしかないのだ。
さて、話が逸れたけれど、ともかく先週の話。
そもそも人形というのは生きていない。長年愛された人形には魂が宿るなんて言うけれど、そんなことありえない。付喪神なんかは単純に、古くなって存在の概念がほつれた状態になっている器に、その辺をふらついていた霊気や妖気が、雨露凌ぐ場所を求めて、ヤドカリのようにすっぽりと入った、というだけの状態である。
多々良小傘なんて化け傘を自称しているけれど、多分そんなことはない。存在の固定、具現化を求めてたまたま入った器が、煤けて汚れて壊れた傘だったというだけである。
元は多分小動物の浮遊霊とか、そんなやつでしょう。
きっとモルモットか何かに。
違いない。
「それで、話って何よ」
「ああごめんなさい」
いい加減、メディスンからのツッコミが入った。後二回くらい脇道を挟んでから本題に入る予定だったのに。
「今更、アリスが私に聞かなきゃ分からないことなんてあるの?」
メディスン・メランコリーは、人形だ。
鈴蘭畑で生まれた人形。いや、生まれたというよりは『気付いた』と言ったほうが間違いがない。
メディスンは気付いたら鈴蘭畑に居て、動いていた。人形が独りでに動くなんて、それに考えて喋るなんて、初めて会った時なんか私は興奮しすぎて思わず抱きついてその華奢で細い腰に巻き付いて体部とは少し材質が違う柔らかな胸部に顔を押し付けて思いっきり深呼吸したのだけれど、その時に、メディスンの体内を形作っていると言ってもいい、毒の霧を強烈に吸い込んで数日間寝込むことになった。
ヒトの身体は、血の巡りが全てであるように。メディスンの身体は、毒が巡って動いている。恐らくは鈴蘭そのものの意志が顕現しているのだろうが、まあ、詳しいことは調べていない。プライベートだから。人形類の神秘だ。
ファーストコンタクトがそんな感じだったせいで、しばらく警戒を解かれることはなかったけれど、今となっては私の人形全体に対する情熱を汲み取ってもらったのか(ただのロリコンではないということが分かってもらえたのか)、すっかり仲睦まじいものだ。
仲、良いわよね?
そんなわけで理由は分からないけれど、未だに着替えは覗かせて貰えない。
「あなたの性事情の問題なんだけど」
未だに着替えを覗かせて貰えない理由は、分からない。
「……政治上の問題?」
「区切りが惜しいわ。もっと言葉を学習しないと」
「いえ、生まれてから一年近く、人間よりも遥かに優れた知能を持つ魔法使いという存在相手に、弛まぬ会話を続けて手に入れた叡智を可能な限りかき集めて、何とか聞き間違いであることにしたかったんだけど」
テーブル……というか、今更テーブルなんて人形を飾るスペースでしかなくなったので、魔理沙から貰った卓袱台を三畳程度空いたスペースの真ん中に置いてるんだけど。その卓袱台を挟んで向かい合っていた私たちは、その会話距離を少しだけ離すことになった。メディスンが勝手に五十センチくらい離れていった。可能なら、後五十メートルは離れてトランシーバーで会話をしたいという雰囲気だった。
「……は?」
その五十メートル分は、どうやら声と表情に込める心の距離感で表現する気らしい。
メディスンの声と表情は、バルサンを焚いた翌日にもかかわらずキッチンでゴキブリを見つけた時にしか出さないような、声と表情だった。
「昨日ちょっとしたことがあって、もしかして人形って何もしなくても勝手に性機能を持つのかしら? ってことに思い至ったの」
「ああっ、流石アリス、全くめげないで絶対に続けて欲しくない話題をお構いなしに続けてくる!」
メディスンは頭を抱えた。毒が流れてるんだからね。頭痛も酷いんだろうね。大丈夫かしら?
「それでちょっとメディスンを呼んだんだけど」
「うん、まあ……私そのものの性事情についての話じゃあないみたいだし、アリスにはお世話になってるから聞いてあげるし、その結果なんとか私なりの解を与えてあげることが出来そうなら与えてあげたいと思うけどさ。……で、何?」
「この間起きたら、私が持ってるほとんどの人形が、(ピー)を湿らせていたのよ」
「もう聞きたくない!」
ついにリスペクト・トゥ・レミリアみたいなポーズを取られてしまった。尚、両手は頭部じゃなくて耳をガードしている。ティガレックス対策ね。
このまま(ピー)を連打すれば放電攻撃しそう。
これもティガレックス対策ね。
「股間をね」
「表現を変えても一緒だから! えっ、どうしたの? 頭は大丈夫!?」
これは本気で心配されているわね。
「うん、その、冗談だから。いや、人形の股間部分が濡れてた、湿ってたっていうのは冗談じゃないんだけど。別に人形がいつの間にか魂を宿して、あろうことか股間部分が湿りかねないような行為に及ぶのか否か、っていうのを聞きたいわけじゃないのよ。いや、確かに聞きたいんだけどそういう意味じゃなくて、こう、深い意味合いがあるんじゃなくて。メディスンがここで、あるよ、と言うだけで問題は解決するの。私の気分的な問題じゃなくて――私が知らない内に、私の家に上がり込んで、人形の股間を逐一湿らせていくような変態が居るのかどうか、っていう話。メディスンが、そういうことが『ある』って言えば、ああ、そういうこともあるんだな、で済むの。むしろ私の人形勝手に自律してるじゃん、やったね! でもそうじゃなければ、私の家に忍び込んだ愚か者が居るってことになるでしょ。だから、割と真面目に、メディスンに聞いてみたいんだけど」
人形は――乙女を嗜むのか。
「言いたいこと……と、聞きたいことは、分かったけど。真面目っていうのならもうちょっと、思春期の女の子に性教育を教えるその日暮らしの三十代雇われ男性教師くらいの清廉潔白さをアピールしながら喋って欲しかったわ」
その場合、もしも女の子に下心を抱いてしまっているとなったら、イコールその日の生計が立ち行かなくなるということだ。
なるほど。私には誤解を受けないための覚悟が足りなかったのかもしれない。
いや、もしかしたら、誤解を受けてしまってもいい、と。思ってさえいたのかもしれない。誤解を受けてしまってもいい――しかしその誤解の向こうで、あわよくば、花園に辿り着くことが出来るのかもしれない。
私とメディスンの――鈴蘭畑の桃源郷へ。
『ねぇアリス、何で私の胸はこんなに熱いの?』
『それはね、メディスン。想いをしまいこんでしまっているからよ』
『ねぇアリス、何で私のおでこはこんなに熱いの?』
『それはね、メディスン。言葉をしまいこんでしまっているからよ』
『ねぇアリス、何で私の……大事なところは……こんなに、熱いの?』
『それはね、メディスン。全てをさらけ出して、幸せの第一歩を、踏みしめたいと思っているからよ』
「ねぇアリス、何で遠い目をしてよだれを垂らしているの……?」
「それはね、メディスン……ハッ! いや……なんでもないわよ」
――とても危なかった。
「ちょっと答えてしまうことに、身の危険を覚えるけど……いえ、身の危険を覚えるのはアリスのほうね。私としては、きっと、こう答えることがモア・ベターなんだと思うけど。残念ながら私は、今までそういう気分になったことはないわ。こう、人間を知る上で決して避けては通れない知識として、知っているには知っているけど、だけど、それでも、知ったからって身体がどうこうってことはなかったし。やっぱり人形はあくまでも人形であって、『子ども』を作るためには、人形師の存在が必要不可欠なんじゃないかしら。だからアリスには残念だけど、きっと居るのよ。その……不届き者が」
「そう、かしらね」
深い、溜息を吐いた。
私は腐っても魔法使いだ。
それも、割と大魔道師側の人間だ。
魔理沙のような普通の魔法使いを、手取り足取り指導する側の存在だ。
何なら魔法の腕自体は、命蓮寺の聖白蓮よりも上である自信さえある。
そんな私の家は、言うなればそれ自体が結界。しかも私は此処で人形作りを行なっているのだ。それは、もはや魔術師の工房であり、それは三ツ星レストランの超一流シェフが秘伝のブイヨンスープを煮込んでいるキッチン以上に、なんぴとたりとも足を踏み入れてはならない聖域なのだ。
其処にやすやすと、私の与り知らない所で不法侵入を喰らい、更には人形に酷い粗相を受けた。
魔法使い。――いや妖怪の、『ヒトならざるモノ』の名折れである。
「どれくらいの頻度で?」
「ここのところ、毎日よ」
「毎日!? それでアリスが気付かないっていうの? 驚き。冗談みたい」
「それにね、ほとんど、って言った通り。唯一触られてない種類の人形があるの。それが、大江戸なんだけど」
「爆発するやつね」
「そう、正しい取り扱い方以外の手段で触るとね。局部に触れるなんて言語道断よ」
「割と適当に投げてるのに」
「まあ色々あるのよ。――うーん。やっぱり、私をよく調べてる奴の犯行よね。ファンかしら」
「そうだね。っていうか」
メディスンがひらめいたように両手を合わせた。動きのところどころ古典的なのが、メディスンらしい。誰の教育だろう。
私だ。
「アリスの仕業なんじゃない?」
「ハハハ、そんな馬鹿な。大切な人形に対して、そこまで気持ち悪いことを私がすると思うの?」
「思うわよ。私が知ってる、幻想郷の誰よりも、アリスが犯人だったほうが納得よ」
本当、なんで着替えを覗かせてくれないんだろうなぁー。
「アリスに気付かれず、家にあるほとんどの人形を、危険なものは選り分けて、すこぶる変質的な行為に及んでる。そして犯人はアリス」
「ふむ」
「完全にミステリーじゃなくてコメディじゃない」
「犯人が私ならね! でもこれは犯人が不明! 完全にミステリーよ。真相は闇の中、霧の中、深い迷宮の秘密の部屋の中だわ」
「じゃあもうそのまま封印しちゃえば犯人は出てこれないんじゃないかな……あっ」
もう一度、メディスンが手を叩いた。
「罠を張ればいいんじゃないの? 大江戸だけを避けるなら、全部大江戸にしちゃえばいいじゃない。中身だけ」
「ああ……なるほど。でもそれ、下手したら罪もない人形が爆発四散しちゃうんだけど、人形的にそれはどうなの?」
「オールオッケー。むしろ変態に制裁を与えるほうが、人形の心理的には優先されるわ」
人形界は私が思っているよりも、仁義のないところなのか。
「人形の総意みたいに言われたらまあ、私だって犯人を捕まえたいから、それくらいの細工わけないし、やってみるのもいいんだけど。っていうか今のところ、考えられる最善策か」
もっと深く考えれば、もっといい発想が出てくるのかもしれないけれど、文殊の知恵も発揮できない現状だから、これが精一杯かもしれない。見えない敵と戦うことは、思っているよりも難易度が高い。なにせ見えないのだ。見えないし触れない。其処に居るかも分からない。この場合、攻め込む側は戦闘という意識を持てない。やっていることは、ただの消耗に他ならないのだ。
ならば待ったほうがいい。罠を張るというのは、なかなかどうして名案だ。
「そうと決まれば、善は急げか。ありがとね、メディスン。今から爆発物を扱うし、もう今日は帰りなさい」
「そうする。アリスこそ気をつけてね。罠を張ってる、って。気付いた犯人がいきなり乗り込んでくるかもしれないし」
「馬鹿をおっしゃるな。私を誰だと心得ますか」
「そんなアリスの隙に付け込める程の相手みたいだから、心配してるのに」
「まあ、そうね。ありがとうメディスン。でも心配要らない。私は死なないわ。貴女が……守るもの」
「私が!?」
「メディスン程の人形が爆発すれば、大抵の相手はたちまち」
「木っ端微塵でしょうね、私を含めて! 確かに人形の身よりも、犯人へ制裁したいって気持ちが上回るのは事実だけど、それで私は自分の身を呈する程のお人好しじゃないわ」
意外と冷たい。
「人嫌いだし!」
そういえばそうだった。
「冗談よ」
「もう、ノリで会話しないでよ。お陰様でツッコミスキルばっかり上がるんだから」
「いやいや。そんなツッコミじゃあまだまだよ」
「何か悔しい!」
「魔理沙のツッコミはもっと激しいんだから」
「それは多分、アリスとの付き合いの長さが物語ってそうね……」
「言葉責めの語彙なんてそれはもう」
「猥談から離れろ!」
しばらくこんな調子で掛け合いをしてから、私はメディスンと別れた。
本当に、立派な子に育ててしまった罪悪感が、少しだけ芽生えてしまうレベルで、私のために良く喋ってくれる。
感謝感激雨あられで、もう大洪水だ。
メディスンと出会ってから私は、より一層、人形に対して感謝の想いを抱くようになった。立派な人形を作った自分への労いじゃなくて、立派に出来上がってくれた人形への弔いを大事にするようになった。
……いや、弔いじゃないでしょう。さっきノリで喋るなって言われたばっかりなのに。木っ端微塵にする前提で作っててどうする。
とにかく感謝。だからこそ、今回みたいな――いっそ、非道とさえ言える変質行為を、許しておくわけにはいかない。
絶対に制裁だ。
「よし!」
と、私は気合を入れて、罠の作成に取り掛かった。誘爆しない程度に、人形を濡らす犯人の顔が、良い感じに吹き飛ぶくらいの量と、指向性の、爆薬で。
ほぼ全人形大江戸化――メディスンを家に帰したのが昼下がり。作業が終わった時には、もうすっかり日が暮れていた。
ん、と背伸びをすると、何処かの骨がぱきっと鳴る。随分根を詰めてしまったけれど、大事な人形のためだ。これくらいならどうってことない。
きっと近いうちに、それこそ明日には、犯人が分かるだろう。明日の私の目覚まし時計は、爆発音に違いない。
満足感のある疲労をした身体を引きずってベッドに入ると、私はそのまま、あっという間に意識を沈めた。
「……おはよう、アリス。よく生きてたわね?」
私は、メディスンの冷たい声で目を覚ました。
「…………おはよう、メディスン。ええ、――天国に昇っちゃうような、二度寝だったわ」
そう絞り出した私の声は、酷く焼け付いたガラガラ声だった。
ぼうっと見つめる目線の先で、私はカーネル・サンダースを抱きかかえていた。
股間が強烈に炸裂したのだろうと思われる、ボロボロのカーネル・サンダースだった。
私は、彼を抱き締めて泣いた。
静かに泣いた。
職業病かもしれないし、そうなると処置無しか。南無。
もう家ごと吹っ飛んじゃえばいいと思います
色々酷くて面白かったですw
持ってけ100点www
股関の吹き飛んだアリスはいなかったんだね
そしてメディがかわいい。 どうか歪まずにそのまま性徴・・・いや、成長してほしい
笑って読ませて頂きました。
あらぬ方向へきりもみ回転しながらまっすぐ進んでいく地の文がひどく心地よかったです
なんだかんだで付き合ってあげるメディスンが可愛いです。