『私の幻想郷は段ボールにあったんです。』
そう語るのは幻想郷在住の貧乏神、Y氏である。貧乏神である彼女の暮らしは常にひもじいものだった。路上生活を送るにあたり、一番辛いのは冬だと氏は語る。
『風を凌げない、暖を取れない。私はいつもその状況で凍えていました。そんな時に出会ったのがこの段ボールだったんです。』
Y氏は実際の使い方を説明してくれた。氏の体がすっぽりと入る長い段ボールに横たわり、その上に毛布を被る。
『薄暗くて静かで暖かくて、とても落ち着きます。こんな素晴らしい箱を作ってくれた人に感謝ですね。』
まるで最愛の恋人に出会ったかのような安らぎの表情を浮かべるY氏。幻想郷にも流通し始めた段ボールは早速浮浪者への救いとなっているようだ。新しい物に懐疑的な貴方もまずは試しに入ってみてはいかがだろうか。そこには母の揺り籠にも通ずる温もりがあるのかもしれない。
(※花果子念報より一部抜粋)
◇
「……なんだ、ただの箱か」
さて、先のうさんくさい新聞記事が発行されるより数ヶ月前。
山童の山城たかねが、いつものようにサバイバルゲームに興じていた時の話である。妖怪の山の森林で見付けたのは何の変哲もない段ボール箱であった。印字されているのは『みかん』の文字、誰がどう見てもただの段ボールだ。
(って、待てい! こんな所に段ボールが落ちてるもんかい!)
声に出すと気付かれるので心の中でツッコミを入れる。思考が現代に染まっていたたかねも我に返ったのだ。
ここは幻想郷だ。段ボールの存在こそ知っているが、そのような物を作っている場所は存在しない。つまりこの箱は幻想郷の外から持ち込まれたに他ならない。陽動か、あるいは箱が爆弾となっているかもしれない。(あくまでサバゲーに使える範疇である)
たかねはそこまでを素早く脳裏に巡らせたところで素早く身を伏せた。箱を調べる無防備な瞬間を狙われるかもしれない。これは自分の考えすぎで罠ではないかもしれないが、しかしこんな怪しい箱を放置もできない。ならば処理するべきだ。
匍匐で木陰に移動したたかねは、腰の袋からパチンコを取り出した。そしてどんぐりを一つつまみ、パチンコにセット。山童ルールで定められた自然に優しい狙撃武器である。(ちなみに山童のサバゲーのメイン武器は銃ではなく刀だ)
狙い澄ますは段ボール。鬼が出るか、蛇が出るか。蛇ならヘビさんごめんなさい、鬼だったら……土下座で許してもらえるだろうか。
「……フッ!」
集中を解き放つ。
どんぐりは狙いどおり箱の中央にヒットした。そして箱はというと、ドンと鈍い音を奏でて地面に根付いたままだ。これは少なくとも紙の空箱の反応ではない。中に何かがある。
たかねの警戒がますます強まった、その時。
──がさがさがさ。フミャッ!
出てきたのは、まさかの猫。鬼でも蛇でもなく、ある意味で最もありきたりな結果だった。
『みゃー! ぐるぅぅぅぅ! なぁぁぁぁお!!』
猫は尻尾をぴんと天に伸ばしてたかねに向かって唸り声を上げる。怒っているのは明らかだが、生憎と山童に猫語は通じない。そもそも逃げずにここまで明確に意思を伝えようとしている猫は普通ではない。猫に化けているのか、化けられる猫か。どちらにせよ妖力を持った存在であるのは明らかだった。
「わ、分かった、悪かったよ! とにかく今ここはサバゲー中だから安全地帯に行こう!」
あまり騒がれると山童がわらわらとやってくるかもしれない。たかねは背嚢から一時休戦用の青い旗を取り出して斜面の下を指差した。麓にはサバゲーの本部があって、離脱者はそこで休憩もできるのだ。
猫はたかねの言葉をしっかりと理解しているようで首を縦に振ると、先ほどまで自身が入っていた段ボールを肉球でぽんぽんと叩いた。これも持って行けと言いたいのだろう。たかねは猫の求めのまま箱を持ち上げ、共に斜面を降りていくのだった。
「……っていうかさぁ、お前ミケだよね?」
休憩所にて。切り株の椅子に腰掛けたたかねは改めて猫に質問した。出会ったときはあまり注視していなかったが、白地に茶や黒のぶち模様。この特徴的な毛皮は三毛猫だ。そしてたかねの知る三毛の化け猫は一匹しかいなかった。
『ミー』
三毛猫はポンと煙を放って一瞬で人の姿に変化する。案の定、その正体は招き猫妖怪の豪徳寺ミケであった。
「やっぱりじゃん。そうならさっさと人の姿になってくれよ」
「それはごめん。寝起きでパワーが満ちてなかったんだよ」
ミケは変わりたての体を慣らすように四つん這いで大きく伸びをした。人の体になってもやることは猫と大差ない。
たかねとミケは一時期流行ったトレーディングカードの売買で知り合っている。妖怪の山に住む者同士、姿を見かければ挨拶をする程度の仲だ。
「で、だ。私たちがよくサバゲーやるのは知ってるよな? あんな所に怪しい段ボールがあったら撃たれても文句は言えないぞ」
「おっかしいなあ……あのおじさんは段ボールに隠れてればどんな兵士も騙せるって言ってたのに」
「どのおじさんだけ知らないけどそんなわけあるかい。それよりその段ボールはどこで手に入れたんだ?」
「これ? そのおじさんから貰ったんだよ。普段から集めてるんだって」
まとめると、幻想郷に段ボールマニアのおじさんがいるらしい。なぜそんな物を、と思うかもしれないがコレクターに理由を聞くなど無粋だ。自身の理解を越えた他人の感性と分かり合うなど無理である。
「段ボールの中ってそんなに居心地いい?」
「……凄いよ。ユートピアだよ」
わざわざタメを作って言うほどミケ的には凄いらしい。狭い所が好きという猫の本能がそうさせているのだろうが、たかねも自分に合うサイズだったら入ってみたいと思ってしまった。
それに、がめついという河童・山童共通の性質もたかねの心を刺激していた。これはもしかして、大きなシノギになるのではないか。
──パン、パン、パァン!
遠くでサバゲーの終わりを告げる三発の破裂音が鳴った。最後の一人になるまで生き残った者が勝ちのバトルロイヤル形式。たかねが離脱してすぐだったなら、もう少し粘れば彼女の勝利もあったかもしれない。しかし、現在たかねの脳はそれを惜しむよりも新たな興味にリソースを使っているのだった。
「その段ボールおじさんを紹介してくれないか?」
幻想郷に段ボールの革命が起きるかもしれない。その未来を頭に描き、たかねの心は踊っていた。
◇
「ああ、あの旦那かい。ほれ、あの辺りにいるはずだ」
妖怪の山、虹龍洞の番人を務める山女郎の駒草山如。彼女が胴元として開く賭場には鉱夫のみならず山一帯のごろつきが集まっている。つまりここより人探しに向いている場所は存在しない。何しろミケが段ボールおじさんと出会ったのもここなのだから。
「ようミケー、非番なのに来たのか? 飯でも一緒に行きたいってんなら付き合うぜ」
「うわっ、蜈蚣だ」
ミケの気配を察知して坑道の奥からのそのそと這い出てきたのは、虹龍洞の影のヌシ、姫虫百々世である。少女の姿を取っているが、たかねはその向こうに坑道を埋め尽くす黒々とおぞましい蟲の巨影を見た。
「あ、百々世さんごめんなさーい! 今日は別の用事なんです~」
「そっかぁ。じゃあたまにはこっちから龍でも齧りに行くとするか。またなー」
「はーい!」
禍々しいオーラを放つ百々世にもミケは全く恐れない。彼女の顔の広さを改めて感じさせる。
「びっくりしたぁ……あんなのと仲良くしてるなんて凄いな」
「強くてかっこいい人だよ。服もお洒落だしね。さて、おじさんはっと……いたいた」
猫らしく細めた眼が、御座を敷いただけの地べたに座る男達の中から目標を捉える。ミケは薄汚れた背中で埋まる地面をひょいひょいと踏み分けて男の背後に立った。
「おじさーん! 今ちょっと大丈夫?」
「あァ!? ああ三毛嬢か。今は大事な場面なんでな、口を挟んじゃあ駄目だぜ」
ミケが声を掛けた男は掌のサイコロ三つに念を送っていた。男の前に置かれているのは一口の茶碗、それを数名があぐらで円になって囲んでいる。これはチンチロという、サイコロの出目で勝敗を決める賭博だ。坑道の賭け事といえばこれが定番である。
「……ホッ!」
賽は投げられた。
チンチロ、チンチロ。サイコロが茶碗の中で踊る。固唾を飲んで見守る一同。ちっぽけな四角形の向きだけで決められる運命。馬鹿馬鹿しいと言えばその通りだが、全身がひりつくようなこの瞬間には山如の煙よりも中毒性があると、ギャンブラー達は口を揃えて主張している。
『三・四・五』
「カァ~~~~~~!?」
男は背中からバタンと倒れ込んだ。いかにも何かが有りそうな出目だがこれは役無し。三が六だったらシゴロで男の大勝だったのに。しかし賭博は結果が全て。あの時ああだったなら、は無意味なのだ。そこにいるのは勝者と敗者だけである。
「チックショォ~! 今日はもう止めだ止め、持ってけバカヤロー!」
手元のチップを対面の相手に向けて雑に放り投げる。控えめに言っても紛れもないダメ親父である。どうしてこの男が段ボールを集めているのか、たかねはなんとなく察しが付いた気がした。
「……おじさん、もういい?」
「おぉ……こんな負け犬に優しくしてくれるのは嬢ちゃんだけだよなぁ……」
ミケに背中をポンポンと叩いてもらい、男がよろよろと立ち上がる。
たかねは改めてこの男を観察した。着流しを身に纏った恰幅の良い中年男性だ。顔はごつごつとしていて、目は細い。しかし見た目など大した意味は無いだろう。何故なら、この男の姿は仮に決まっているのだから。だってここは妖怪の山である。
それよりも気になったのは鼻と口を隠すように唐草模様の布を巻いている事だ。よほど喉か鼻が悪いのだろうか。
「ごめんねぇ、今日は用事があるのは私じゃないんだ。こっちの人」
こっちの人ことたかねが帽子を脱いで男の前に立つ。
「山童の山城たかねだ、よろしく。旦那に聞きたい事があってミケに案内してもらったよ」
「聞きたい事だぁ? 証拠なんかどこにもないはずだぜ。上手くやってるからな」
「違う違う、旦那の悪事がどうこうなんて興味ないよ。私が気になってるのは段ボールだ」
「……ほっ、アレかい。三毛嬢のを見てここに来たか。良いセンスしてるぜえ、アンタ」
男は顔をぐにゃりと歪めた。彼としては只者ではない感を演出したいのであるが、いかんせん負けたばかりの素寒貧では悲壮感が上回っている。
「俺の所に来たのは間違いじゃない。でもな、残念ながら俺も出処じゃないんだなあ」
「ふーん? 旦那も人から貰ってるってことかい?」
「ああそうよ。嗅ぎ回られちゃ溜まんねえから教えとく。うちのボスだ。ボスに外から持ってきてもらってんのさぁね」
つまり、ミケの段ボールは貰い物の貰い物ということだ。幻想郷に出回ってない以上は結界の外から来ているのは明らかだが、男のボスとやらは結界を自由に抜けられる人物のようだ。これは大きな情報である。
「……ってことはだよ。旦那のボスっていうのは……」
「関心しませんわねえ。易々と私の事を明かさないでいただけますか」
たかねはビクンと後ろを振り返った。いつの間にか背後を取られていたからである。
むさ苦しい賭場には不釣り合いな、長身で細見の女性。しかし黒を基調とした着物と手に持った煙管がこの人物に手練れ感を添えている。どうやら彼女が男の親分らしい。別の場所で賭博に耽っていたようで、手に持ったお椀の中にはチップがてんこ盛りだ。
「へえ、ボス。この嬢ちゃん達はボスの持ち物に興味があるみたいですぜ」
「聞いておりましたわ。お主はバカ正直すぎて化かし合いには向いてませんのよ。それにしても山童といい河童といい、金の匂いには敏感な連中ですわの……」
やっぱり、こいつ。
若干珍妙なお嬢様言葉と雰囲気。そして外に出入りが自由な身分。たかねの予想が正しければこの人物の正体とは──。
「アンタ、二ツ……」
今度はボスの全身の毛が逆立つことになった。
「の、のォ~~~!?」
クールな見た目も台無しの素っ頓狂な声が上がる。
「こんな騒がしい賭場でビジネスの話はするもんじゃありませんわのう~!? ちょっと場所を変えてお話いたしましょうぞ~!?」
「あ、ああ……」
たかねに余計な事を言わせまいとボスは必死だった。どうやら予想は当たりだったらしく、ならばこの慌てぶりの理由も想像できる。急いでチップを換金する女性を眺めながら、これは一つ交渉に有利な材料ができたとほくそ笑むたかねであった。
◇
「……やれやれ、と。お前さんとは面識は無かったはずじゃが、儂もこっちでも有名になったもんじゃわい」
「いつぞやは河城……河童とやりあってたろう? 私はアイツが憎たらしくてね、だからアンタの事はチェックしてたんだよ」
四人は四角い卓を囲んでいた。ボスが拠点とする森の広場に即席で作った物だ。これも彼女の正体が成せる能力の一つである。
ボスは口調も姿も豹変していた。年寄り臭い喋りに、頭には獣耳、そして腰からは縞模様の大きな尻尾。
二ッ岩マミゾウ。それがボスの正体であった。
「化け狸様は大変だねえ。おちおち賭博も出来やしない」
「言っておくがの、あの大勝は全部儂の強運が引き寄せたもんじゃぞ。じゃが勝てば絶対に疑われるから変装は仕方あるまい」
化かす能力を使われては賭けの結果も簡単にひっくり返る。だから狐狸や鵺など、疑わしい種族は賭場に出入り禁止だった。それでも参加するなら命の保証は致しかねるということで。
「……さて、儂がマミゾウなのは知っておるな。そしてこっちは狸ではないが、儂が指導をしておる子分じゃ」
「ああ、蛇だろ旦那。この張り詰める感じは蛇の視線だ」
例え人の姿をしていても、元の生物由来の独特な言動があるのだ。山暮らしが長いたかねはその勘が研がれていた。この男の場合は時折シュー、シューと息の漏れる音がするので分かりやすい部類である。
「ああそうさ、蟒蛇(ウワバミ)だぜ。あの伝説のな」
「伝説って?」
「ああ。名前はそうだな……デイヴとでも呼んでくれ」
蟒蛇が布を外して顔を露わにした。一応補足しておくと、彼は一時期人間の里を騒がせた食い逃げ犯の蟒蛇である。幻想郷暗黙の掟を破ったことで、マミゾウから更正処分を受けて今に至る。もちろん九割九分が忘れていた、何の伝説でもない話だ。
ちなみに布を巻いていた理由は、山如が吹かす煙を嗅がない為である。蟒蛇は煙を吸うと変化が解けてしまうのだ。
「段ボールと言やあ俺たち蛇ってことだ。まあ常識だな」
「聞いたことないよ。どの世界の常識だい」
「知らねえのか!? 蛇の名を冠する伝説の傭兵を戦場で一番救ったのは段ボールなんだぜ! これだからトーシロは困るんだよなあ……」
たかねが知る由もないのを良いことに蟒蛇は好き勝手言っている。そして幻想郷の外に居て実状も分かっているマミゾウは笑いを堪えていた。
「まあ何だっていい。大事なのはそっちのにやけた狸が段ボールを流してるってとこだからね」
そう、与太話などたかねにはどうでも良かった。今の彼女は商売と技術独占のチャンスで頭がいっぱいなのである。
「……それじゃ、そっちの話をしてやるかの。と言っても、大した話ではない。こっちに来る前は佐渡に居たから通販に頼りがちだったというだけじゃ」
「ツーハン?」
ミケが首と尻尾を同時にかしげた。
「ああ、買った物を家まで持ってきてもらうサービスじゃぞい。そういう時の入れ物はまず段ボールでな、まとめて捨てるつもりが貯まって貯まって……」
「こんな素晴らしい箱を捨てるなんてとんでもねえ!」
「そうだそうだ! モッタイナイ!」
蟒蛇とミケの全力の抗議に、マミゾウは当時のように苦笑した。
「……と、荷物の整理をしていたらこやつが言うのでな。燃やすつもりじゃったがくれてやったわ」
「なんだあ。アンタが作ってるわけじゃないんだな」
たかねは露骨にがっかりした。
「当たり前じゃ。こういうもんは工場で大量生産に決まっとろうが。儂個人で作れていたら今頃はここの外で社長やっとるぞい」
とはいえ、人にはそれぞれ資質がある。親分肌のマミゾウは、今のように目が届く範囲の小規模な軍団を率いるのが一番性に合っているのだ。
「うーん……私が工場に見学、したいけど外じゃ無理だし……なあマミゾウ、もっと通販って利用できるか?」
「阿呆。果物程度なら買わんこともないが、段ボールの為に幻想郷と佐渡を何度も往復しろと? 馬鹿馬鹿しい」
ごもっともな意見であった。
「それにな、段ボールも紙だから原料は言うまでもなく木じゃ。量産するならここの木を伐りまくるのか?」
「うう、む……」
山童が自分の住む自然を破壊するなど自殺に他ならない。それ以外の種族だって黙っているはずがない。
「……夢、破れたりか」
たかねはうなだれた。今までは河童の陰に隠れてぱっとしなかった山童に逆転のチャンスが来たと思った。段ボールの利益で自分たちの王国も築けると思っていた。全ては絵に描いた餅であったのだ。
「まあ、すまんの。せめて儂がまだ持っとる物を見せてやるわい。欲しいのがあったら持っていくがよい」
マミゾウは木から葉っぱを数枚ちぎって机に並べると、キセルの先に火を灯す。
「うおっと危ねえ!」
これから起きる事を察知した蟒蛇が素早く布を巻き直した。狸で葉っぱときたらもうアレしかない。その予想通り、マミゾウは煙管から肺に溜めた煙を葉っぱに向けて吹きかける。
「ほれ、こんな感じじゃな」
煙の絡みついた葉っぱがポン、ポンと軽快な音を立てて段ボールに変化した。大きさ、色、形、硬さも様々だ。マミゾウほどの狸ならば実物そっくりのレプリカなど造作もない。
『ニャー!!』
そして一番狂喜したのはミケであった。段ボール、段ボール、段ボール。目の前全部が段ボール。
ミケはその中から一番自分の体にフィットしそうな物を見つけると、一瞬で三毛猫の姿に戻って箱に突っ込んでいった。彼女は今、幸せであった。
「良かったなあ、三毛嬢……」
何も良くないと思われるが蟒蛇はホロリと涙をこぼした。段ボールを愛する者にしか分からない世界があるのだろう。きっと。
「まあこんなもんじゃな。欲しいのが有ったら言え。本物を持ってきてやるからの」
「はー……見事なもんだねえ」
偽物だと分かりきっていてもマミゾウの変化術は感嘆に値した。触って叩いた感じでは本物と区別が付かず、それに元にも戻らない。下手な狸ではこうはいかないだろう。改めてマミゾウが一級妖怪であると認識させられる。
「……ん?」
その時、たかねの消えかけていた火に追い風が吹いた。
「これ、使えるんじゃないか?」
「むお?」
これとは、狸の葉っぱ段ボールに他ならない。たかねは試しにミケ入りの箱を持ち上げてみた。変化は解ける事なくミケの重さに耐えている。
「マミさん、アンタの化け術ってのはどれくらい保つんだ?」
「待て待て待てぃ、儂に詐欺の片棒を担がせる気か!?」
「詐欺ではない! 始めから狸の葉っぱだと書いておけばいい。少しの間だけのインスタント段ボールだ!」
「む……ふむ」
たかねの言わんとする事をマミゾウも理解した。段ボールは別に本物でも偽物でもどうでもいいのだ。ただ荷物を入れて持ち運べればそれで良い。そして用が済めばかさ張るゴミとなる。それが一枚の葉っぱだったらどうだろうか。
「……ふぉっふぉ。儂を舐めるなよ、小童」
マミゾウの口角が左側だけ不敵に持ち上がった。
「自分で妖術を解かない限りは半永久じゃ。術式を工夫すれば可逆性も付けられるぞい」
「よぉしっ!」
たかねは拳を力強く握りしめた。
化け狸侮るべからず。事の始まりがマミゾウだったおかげで展望が開けた。いや、それ以上の成果が見込めそうだ。
「防腐加工とか営業は任せてくれ。我ら山童の得意分野だ」
「子分の訓練にも丁度良さそうじゃな。こちらも利用させてもらおうかの」
たかねとマミゾウの手ががっちりと結ばれた。
たった一枚の段ボールがこの光景を生み出したのだ。
◇
──そういった経緯があって生まれたのが、先のY氏も愛用の『たぬき印の段ボールリーフ』だ。安価、丈夫、組み立てが容易という段ボールの利点は本物そのままに、葉っぱと箱の形を自在に切り替えられる驚きのアイテムとなっている。変化には魔力が必要なので人間相手の商売はしていないが、それでも既に喜びの声は多数だ。
『騙されたと思って使ってみろ。とりあえず物を突っ込んでおくのに最適だ。今じゃ私の家も段ボールだらけだぜ。(魔法の森の魔女)』
『式がこんなに喜んでくれたのは嬉しい。ただ、所詮は狸の仕事なので細部が甘い。私の方がもっと上手くやれる。(豆腐屋に居た九尾の狐)』
等々。収納の他にインテリア、住居としての愛用者も増えているようだ。好評に応えて現在は段ボール以外の葉っぱ製品も検討しているとの事。今後に期待したい。
しかし気になる問題も起きている。不良品率の高さだ。先日も太陽の畑で段ボールを被ってロボットごっこをしていた男性が急に下着一枚になる事案があった。自分から魔力を解除しない限り変化は解けないという触れ込みだったが、意図しないタイミングで葉っぱに戻るという事故が多発している。その事について、筆者は製造元のサンロックファクトリー(株)に向かい話を伺った。
『いやいや、工場長の仕事に間違いはないよ。ただ、量産に携わってる他の狸はまだ未熟なんでねえ、術の掛かりが甘いのもたまに混じるかもしれない。まあその代わりにこの安さなんだ。狐につままれたとでも思って勘弁してくれ。返品・交換は受け付けてるからさ。(営業担当の山童)』
潔しと見るか、開き直りと見るか。偽段ボールの中にも良品と不良品が入り乱れているようだ。しかしそこを差し引いても非常に安いのは事実。消費者である我々も、安価な物は低品質で当たり前だと再認識する必要がありそうだ。
(※花果子念報より一部抜粋)
◇
裏路地を駆ける、駆ける。追跡者の眼が切れるまで、とにかく走って逃げろや逃げろ。
その蟒蛇の視界に飛び込んできたのは、御座にぼんやりとしゃがむ貧相な少女だった。
「……ッと! お隣失礼するぜ、嬢ちゃん!」
少女は蟒蛇を不審な目で見つめるが、そんな事はお構いなしに隣へ陣取って、お得意の段ボール擬態を炸裂させた。
『どこ行きやがった! あの偽金野郎め!』
段ボールの前を調理衣の男が罵声交じりに通り過ぎていく。つまり蟒蛇が逃げていたのはそういう事だ。
板前にもう少し余裕があったら少女の横の箱に目が行ったかもしれない。いや、それでも少女に関わってはいけないと本能で目を背けたのであろう。冒頭の新聞にも登場したY氏こと、貧乏神の依神紫苑。それが少女の正体なのだから。
「いやぁ、やっぱり自分以外を化かすのはまだ上手くいかねえや。ありがとさんよ」
蟒蛇は被った段ボールをそっと持ち上げ、顔だけをひょっこりと出した。さながらかたつむりの如く。
「……段ボール、使い慣れてるのね」
「お、嬢ちゃんも分かる側かい? 昔は段ボール被ってるだけで騙せる間抜けばかりだったんだけどよぉ、最近はちゃんと場所を考えねえとダメなんだ。アンタが居て助かったぜ」
「それは良かったわ。貴方が偽金に頼るぐらいの文無しじゃなかったらもっと良かったけど。お礼は期待できないものね~……」
紫苑は、一人途方に暮れていた。頼りにしていた天人様は空の上に連行され、妹が居るはずのお寺に行けば、お前の妹は脱走中(嘘)だから帰れとネズミ妖怪から塩を撒かれた。今の彼女を守ってくれるものは何もない。
「……あん? 嬢ちゃんよく見りゃあの記事に出てた子じゃねえか! オイオイ段ボールはどうしたんだよ」
「うん……中で寝てたんだけど、急に葉っぱに戻って飛んでっちゃった……」
「あ、あァ~……!」
貧乏神は究極の不幸体質である。不良品を引かないわけがなかった。
「スマン! 実は俺もそっちに関わってるモンなんだ。そうだな、礼とお詫びを兼ねてこいつは嬢ちゃんにやろう。ちょっと俺の汗とかが染み込んでるけど正真正銘の本物だから我慢してくれ」
蟒蛇は被っていた段ボールをそのまま紫苑の前に置いた。女の子に送るプレゼントとしてはおよそ最低の部類に入ると思われるが、紫苑の目は磨き上げたサファイアのように輝き始めていた。
「い、良いんですか!? おじさん、ありがとう……!」
「おうよ、俺にはまだこっちの葉っぱがあるから気にすんな。大事に扱ってくれよ!」
「これが本物っ……! 温もりが違うわ……!」
段ボールの中で胎児のように丸まり、紫苑が歓喜の声を上げる。おそらくその温もりは蟒蛇の体温が残っているだけだが言うのも野暮であろう。
「嬢ちゃん、マミゾウ親分とは知り合いだったよな? 段ボールを愛する者に悪人はいねえ。口利きしといてやるからまだ欲しかったら親分に言いな」
「ああ、なんて優しいおじさんなの……!」
紫苑は、食い逃げと通貨偽造の罪を絶賛やらかし中の蟒蛇にうっとりとした目を向けた。これがマミゾウにバレたらきっと燻製の刑に違いない。しかし、都合が悪い過去など綺麗さっぱり忘れるのが幻想郷で上手く生きるコツだ。
端から見れば馬鹿馬鹿しい物でも、それを愛する者が集まればそこには絆が生まれるのだ。
猫でも、蛇でも、貧乏神でも、少女でも、大の大人でも。段ボールの中に入ってしまえばみな同じ。
等しく、ホームレスである。
そう語るのは幻想郷在住の貧乏神、Y氏である。貧乏神である彼女の暮らしは常にひもじいものだった。路上生活を送るにあたり、一番辛いのは冬だと氏は語る。
『風を凌げない、暖を取れない。私はいつもその状況で凍えていました。そんな時に出会ったのがこの段ボールだったんです。』
Y氏は実際の使い方を説明してくれた。氏の体がすっぽりと入る長い段ボールに横たわり、その上に毛布を被る。
『薄暗くて静かで暖かくて、とても落ち着きます。こんな素晴らしい箱を作ってくれた人に感謝ですね。』
まるで最愛の恋人に出会ったかのような安らぎの表情を浮かべるY氏。幻想郷にも流通し始めた段ボールは早速浮浪者への救いとなっているようだ。新しい物に懐疑的な貴方もまずは試しに入ってみてはいかがだろうか。そこには母の揺り籠にも通ずる温もりがあるのかもしれない。
(※花果子念報より一部抜粋)
◇
「……なんだ、ただの箱か」
さて、先のうさんくさい新聞記事が発行されるより数ヶ月前。
山童の山城たかねが、いつものようにサバイバルゲームに興じていた時の話である。妖怪の山の森林で見付けたのは何の変哲もない段ボール箱であった。印字されているのは『みかん』の文字、誰がどう見てもただの段ボールだ。
(って、待てい! こんな所に段ボールが落ちてるもんかい!)
声に出すと気付かれるので心の中でツッコミを入れる。思考が現代に染まっていたたかねも我に返ったのだ。
ここは幻想郷だ。段ボールの存在こそ知っているが、そのような物を作っている場所は存在しない。つまりこの箱は幻想郷の外から持ち込まれたに他ならない。陽動か、あるいは箱が爆弾となっているかもしれない。(あくまでサバゲーに使える範疇である)
たかねはそこまでを素早く脳裏に巡らせたところで素早く身を伏せた。箱を調べる無防備な瞬間を狙われるかもしれない。これは自分の考えすぎで罠ではないかもしれないが、しかしこんな怪しい箱を放置もできない。ならば処理するべきだ。
匍匐で木陰に移動したたかねは、腰の袋からパチンコを取り出した。そしてどんぐりを一つつまみ、パチンコにセット。山童ルールで定められた自然に優しい狙撃武器である。(ちなみに山童のサバゲーのメイン武器は銃ではなく刀だ)
狙い澄ますは段ボール。鬼が出るか、蛇が出るか。蛇ならヘビさんごめんなさい、鬼だったら……土下座で許してもらえるだろうか。
「……フッ!」
集中を解き放つ。
どんぐりは狙いどおり箱の中央にヒットした。そして箱はというと、ドンと鈍い音を奏でて地面に根付いたままだ。これは少なくとも紙の空箱の反応ではない。中に何かがある。
たかねの警戒がますます強まった、その時。
──がさがさがさ。フミャッ!
出てきたのは、まさかの猫。鬼でも蛇でもなく、ある意味で最もありきたりな結果だった。
『みゃー! ぐるぅぅぅぅ! なぁぁぁぁお!!』
猫は尻尾をぴんと天に伸ばしてたかねに向かって唸り声を上げる。怒っているのは明らかだが、生憎と山童に猫語は通じない。そもそも逃げずにここまで明確に意思を伝えようとしている猫は普通ではない。猫に化けているのか、化けられる猫か。どちらにせよ妖力を持った存在であるのは明らかだった。
「わ、分かった、悪かったよ! とにかく今ここはサバゲー中だから安全地帯に行こう!」
あまり騒がれると山童がわらわらとやってくるかもしれない。たかねは背嚢から一時休戦用の青い旗を取り出して斜面の下を指差した。麓にはサバゲーの本部があって、離脱者はそこで休憩もできるのだ。
猫はたかねの言葉をしっかりと理解しているようで首を縦に振ると、先ほどまで自身が入っていた段ボールを肉球でぽんぽんと叩いた。これも持って行けと言いたいのだろう。たかねは猫の求めのまま箱を持ち上げ、共に斜面を降りていくのだった。
「……っていうかさぁ、お前ミケだよね?」
休憩所にて。切り株の椅子に腰掛けたたかねは改めて猫に質問した。出会ったときはあまり注視していなかったが、白地に茶や黒のぶち模様。この特徴的な毛皮は三毛猫だ。そしてたかねの知る三毛の化け猫は一匹しかいなかった。
『ミー』
三毛猫はポンと煙を放って一瞬で人の姿に変化する。案の定、その正体は招き猫妖怪の豪徳寺ミケであった。
「やっぱりじゃん。そうならさっさと人の姿になってくれよ」
「それはごめん。寝起きでパワーが満ちてなかったんだよ」
ミケは変わりたての体を慣らすように四つん這いで大きく伸びをした。人の体になってもやることは猫と大差ない。
たかねとミケは一時期流行ったトレーディングカードの売買で知り合っている。妖怪の山に住む者同士、姿を見かければ挨拶をする程度の仲だ。
「で、だ。私たちがよくサバゲーやるのは知ってるよな? あんな所に怪しい段ボールがあったら撃たれても文句は言えないぞ」
「おっかしいなあ……あのおじさんは段ボールに隠れてればどんな兵士も騙せるって言ってたのに」
「どのおじさんだけ知らないけどそんなわけあるかい。それよりその段ボールはどこで手に入れたんだ?」
「これ? そのおじさんから貰ったんだよ。普段から集めてるんだって」
まとめると、幻想郷に段ボールマニアのおじさんがいるらしい。なぜそんな物を、と思うかもしれないがコレクターに理由を聞くなど無粋だ。自身の理解を越えた他人の感性と分かり合うなど無理である。
「段ボールの中ってそんなに居心地いい?」
「……凄いよ。ユートピアだよ」
わざわざタメを作って言うほどミケ的には凄いらしい。狭い所が好きという猫の本能がそうさせているのだろうが、たかねも自分に合うサイズだったら入ってみたいと思ってしまった。
それに、がめついという河童・山童共通の性質もたかねの心を刺激していた。これはもしかして、大きなシノギになるのではないか。
──パン、パン、パァン!
遠くでサバゲーの終わりを告げる三発の破裂音が鳴った。最後の一人になるまで生き残った者が勝ちのバトルロイヤル形式。たかねが離脱してすぐだったなら、もう少し粘れば彼女の勝利もあったかもしれない。しかし、現在たかねの脳はそれを惜しむよりも新たな興味にリソースを使っているのだった。
「その段ボールおじさんを紹介してくれないか?」
幻想郷に段ボールの革命が起きるかもしれない。その未来を頭に描き、たかねの心は踊っていた。
◇
「ああ、あの旦那かい。ほれ、あの辺りにいるはずだ」
妖怪の山、虹龍洞の番人を務める山女郎の駒草山如。彼女が胴元として開く賭場には鉱夫のみならず山一帯のごろつきが集まっている。つまりここより人探しに向いている場所は存在しない。何しろミケが段ボールおじさんと出会ったのもここなのだから。
「ようミケー、非番なのに来たのか? 飯でも一緒に行きたいってんなら付き合うぜ」
「うわっ、蜈蚣だ」
ミケの気配を察知して坑道の奥からのそのそと這い出てきたのは、虹龍洞の影のヌシ、姫虫百々世である。少女の姿を取っているが、たかねはその向こうに坑道を埋め尽くす黒々とおぞましい蟲の巨影を見た。
「あ、百々世さんごめんなさーい! 今日は別の用事なんです~」
「そっかぁ。じゃあたまにはこっちから龍でも齧りに行くとするか。またなー」
「はーい!」
禍々しいオーラを放つ百々世にもミケは全く恐れない。彼女の顔の広さを改めて感じさせる。
「びっくりしたぁ……あんなのと仲良くしてるなんて凄いな」
「強くてかっこいい人だよ。服もお洒落だしね。さて、おじさんはっと……いたいた」
猫らしく細めた眼が、御座を敷いただけの地べたに座る男達の中から目標を捉える。ミケは薄汚れた背中で埋まる地面をひょいひょいと踏み分けて男の背後に立った。
「おじさーん! 今ちょっと大丈夫?」
「あァ!? ああ三毛嬢か。今は大事な場面なんでな、口を挟んじゃあ駄目だぜ」
ミケが声を掛けた男は掌のサイコロ三つに念を送っていた。男の前に置かれているのは一口の茶碗、それを数名があぐらで円になって囲んでいる。これはチンチロという、サイコロの出目で勝敗を決める賭博だ。坑道の賭け事といえばこれが定番である。
「……ホッ!」
賽は投げられた。
チンチロ、チンチロ。サイコロが茶碗の中で踊る。固唾を飲んで見守る一同。ちっぽけな四角形の向きだけで決められる運命。馬鹿馬鹿しいと言えばその通りだが、全身がひりつくようなこの瞬間には山如の煙よりも中毒性があると、ギャンブラー達は口を揃えて主張している。
『三・四・五』
「カァ~~~~~~!?」
男は背中からバタンと倒れ込んだ。いかにも何かが有りそうな出目だがこれは役無し。三が六だったらシゴロで男の大勝だったのに。しかし賭博は結果が全て。あの時ああだったなら、は無意味なのだ。そこにいるのは勝者と敗者だけである。
「チックショォ~! 今日はもう止めだ止め、持ってけバカヤロー!」
手元のチップを対面の相手に向けて雑に放り投げる。控えめに言っても紛れもないダメ親父である。どうしてこの男が段ボールを集めているのか、たかねはなんとなく察しが付いた気がした。
「……おじさん、もういい?」
「おぉ……こんな負け犬に優しくしてくれるのは嬢ちゃんだけだよなぁ……」
ミケに背中をポンポンと叩いてもらい、男がよろよろと立ち上がる。
たかねは改めてこの男を観察した。着流しを身に纏った恰幅の良い中年男性だ。顔はごつごつとしていて、目は細い。しかし見た目など大した意味は無いだろう。何故なら、この男の姿は仮に決まっているのだから。だってここは妖怪の山である。
それよりも気になったのは鼻と口を隠すように唐草模様の布を巻いている事だ。よほど喉か鼻が悪いのだろうか。
「ごめんねぇ、今日は用事があるのは私じゃないんだ。こっちの人」
こっちの人ことたかねが帽子を脱いで男の前に立つ。
「山童の山城たかねだ、よろしく。旦那に聞きたい事があってミケに案内してもらったよ」
「聞きたい事だぁ? 証拠なんかどこにもないはずだぜ。上手くやってるからな」
「違う違う、旦那の悪事がどうこうなんて興味ないよ。私が気になってるのは段ボールだ」
「……ほっ、アレかい。三毛嬢のを見てここに来たか。良いセンスしてるぜえ、アンタ」
男は顔をぐにゃりと歪めた。彼としては只者ではない感を演出したいのであるが、いかんせん負けたばかりの素寒貧では悲壮感が上回っている。
「俺の所に来たのは間違いじゃない。でもな、残念ながら俺も出処じゃないんだなあ」
「ふーん? 旦那も人から貰ってるってことかい?」
「ああそうよ。嗅ぎ回られちゃ溜まんねえから教えとく。うちのボスだ。ボスに外から持ってきてもらってんのさぁね」
つまり、ミケの段ボールは貰い物の貰い物ということだ。幻想郷に出回ってない以上は結界の外から来ているのは明らかだが、男のボスとやらは結界を自由に抜けられる人物のようだ。これは大きな情報である。
「……ってことはだよ。旦那のボスっていうのは……」
「関心しませんわねえ。易々と私の事を明かさないでいただけますか」
たかねはビクンと後ろを振り返った。いつの間にか背後を取られていたからである。
むさ苦しい賭場には不釣り合いな、長身で細見の女性。しかし黒を基調とした着物と手に持った煙管がこの人物に手練れ感を添えている。どうやら彼女が男の親分らしい。別の場所で賭博に耽っていたようで、手に持ったお椀の中にはチップがてんこ盛りだ。
「へえ、ボス。この嬢ちゃん達はボスの持ち物に興味があるみたいですぜ」
「聞いておりましたわ。お主はバカ正直すぎて化かし合いには向いてませんのよ。それにしても山童といい河童といい、金の匂いには敏感な連中ですわの……」
やっぱり、こいつ。
若干珍妙なお嬢様言葉と雰囲気。そして外に出入りが自由な身分。たかねの予想が正しければこの人物の正体とは──。
「アンタ、二ツ……」
今度はボスの全身の毛が逆立つことになった。
「の、のォ~~~!?」
クールな見た目も台無しの素っ頓狂な声が上がる。
「こんな騒がしい賭場でビジネスの話はするもんじゃありませんわのう~!? ちょっと場所を変えてお話いたしましょうぞ~!?」
「あ、ああ……」
たかねに余計な事を言わせまいとボスは必死だった。どうやら予想は当たりだったらしく、ならばこの慌てぶりの理由も想像できる。急いでチップを換金する女性を眺めながら、これは一つ交渉に有利な材料ができたとほくそ笑むたかねであった。
◇
「……やれやれ、と。お前さんとは面識は無かったはずじゃが、儂もこっちでも有名になったもんじゃわい」
「いつぞやは河城……河童とやりあってたろう? 私はアイツが憎たらしくてね、だからアンタの事はチェックしてたんだよ」
四人は四角い卓を囲んでいた。ボスが拠点とする森の広場に即席で作った物だ。これも彼女の正体が成せる能力の一つである。
ボスは口調も姿も豹変していた。年寄り臭い喋りに、頭には獣耳、そして腰からは縞模様の大きな尻尾。
二ッ岩マミゾウ。それがボスの正体であった。
「化け狸様は大変だねえ。おちおち賭博も出来やしない」
「言っておくがの、あの大勝は全部儂の強運が引き寄せたもんじゃぞ。じゃが勝てば絶対に疑われるから変装は仕方あるまい」
化かす能力を使われては賭けの結果も簡単にひっくり返る。だから狐狸や鵺など、疑わしい種族は賭場に出入り禁止だった。それでも参加するなら命の保証は致しかねるということで。
「……さて、儂がマミゾウなのは知っておるな。そしてこっちは狸ではないが、儂が指導をしておる子分じゃ」
「ああ、蛇だろ旦那。この張り詰める感じは蛇の視線だ」
例え人の姿をしていても、元の生物由来の独特な言動があるのだ。山暮らしが長いたかねはその勘が研がれていた。この男の場合は時折シュー、シューと息の漏れる音がするので分かりやすい部類である。
「ああそうさ、蟒蛇(ウワバミ)だぜ。あの伝説のな」
「伝説って?」
「ああ。名前はそうだな……デイヴとでも呼んでくれ」
蟒蛇が布を外して顔を露わにした。一応補足しておくと、彼は一時期人間の里を騒がせた食い逃げ犯の蟒蛇である。幻想郷暗黙の掟を破ったことで、マミゾウから更正処分を受けて今に至る。もちろん九割九分が忘れていた、何の伝説でもない話だ。
ちなみに布を巻いていた理由は、山如が吹かす煙を嗅がない為である。蟒蛇は煙を吸うと変化が解けてしまうのだ。
「段ボールと言やあ俺たち蛇ってことだ。まあ常識だな」
「聞いたことないよ。どの世界の常識だい」
「知らねえのか!? 蛇の名を冠する伝説の傭兵を戦場で一番救ったのは段ボールなんだぜ! これだからトーシロは困るんだよなあ……」
たかねが知る由もないのを良いことに蟒蛇は好き勝手言っている。そして幻想郷の外に居て実状も分かっているマミゾウは笑いを堪えていた。
「まあ何だっていい。大事なのはそっちのにやけた狸が段ボールを流してるってとこだからね」
そう、与太話などたかねにはどうでも良かった。今の彼女は商売と技術独占のチャンスで頭がいっぱいなのである。
「……それじゃ、そっちの話をしてやるかの。と言っても、大した話ではない。こっちに来る前は佐渡に居たから通販に頼りがちだったというだけじゃ」
「ツーハン?」
ミケが首と尻尾を同時にかしげた。
「ああ、買った物を家まで持ってきてもらうサービスじゃぞい。そういう時の入れ物はまず段ボールでな、まとめて捨てるつもりが貯まって貯まって……」
「こんな素晴らしい箱を捨てるなんてとんでもねえ!」
「そうだそうだ! モッタイナイ!」
蟒蛇とミケの全力の抗議に、マミゾウは当時のように苦笑した。
「……と、荷物の整理をしていたらこやつが言うのでな。燃やすつもりじゃったがくれてやったわ」
「なんだあ。アンタが作ってるわけじゃないんだな」
たかねは露骨にがっかりした。
「当たり前じゃ。こういうもんは工場で大量生産に決まっとろうが。儂個人で作れていたら今頃はここの外で社長やっとるぞい」
とはいえ、人にはそれぞれ資質がある。親分肌のマミゾウは、今のように目が届く範囲の小規模な軍団を率いるのが一番性に合っているのだ。
「うーん……私が工場に見学、したいけど外じゃ無理だし……なあマミゾウ、もっと通販って利用できるか?」
「阿呆。果物程度なら買わんこともないが、段ボールの為に幻想郷と佐渡を何度も往復しろと? 馬鹿馬鹿しい」
ごもっともな意見であった。
「それにな、段ボールも紙だから原料は言うまでもなく木じゃ。量産するならここの木を伐りまくるのか?」
「うう、む……」
山童が自分の住む自然を破壊するなど自殺に他ならない。それ以外の種族だって黙っているはずがない。
「……夢、破れたりか」
たかねはうなだれた。今までは河童の陰に隠れてぱっとしなかった山童に逆転のチャンスが来たと思った。段ボールの利益で自分たちの王国も築けると思っていた。全ては絵に描いた餅であったのだ。
「まあ、すまんの。せめて儂がまだ持っとる物を見せてやるわい。欲しいのがあったら持っていくがよい」
マミゾウは木から葉っぱを数枚ちぎって机に並べると、キセルの先に火を灯す。
「うおっと危ねえ!」
これから起きる事を察知した蟒蛇が素早く布を巻き直した。狸で葉っぱときたらもうアレしかない。その予想通り、マミゾウは煙管から肺に溜めた煙を葉っぱに向けて吹きかける。
「ほれ、こんな感じじゃな」
煙の絡みついた葉っぱがポン、ポンと軽快な音を立てて段ボールに変化した。大きさ、色、形、硬さも様々だ。マミゾウほどの狸ならば実物そっくりのレプリカなど造作もない。
『ニャー!!』
そして一番狂喜したのはミケであった。段ボール、段ボール、段ボール。目の前全部が段ボール。
ミケはその中から一番自分の体にフィットしそうな物を見つけると、一瞬で三毛猫の姿に戻って箱に突っ込んでいった。彼女は今、幸せであった。
「良かったなあ、三毛嬢……」
何も良くないと思われるが蟒蛇はホロリと涙をこぼした。段ボールを愛する者にしか分からない世界があるのだろう。きっと。
「まあこんなもんじゃな。欲しいのが有ったら言え。本物を持ってきてやるからの」
「はー……見事なもんだねえ」
偽物だと分かりきっていてもマミゾウの変化術は感嘆に値した。触って叩いた感じでは本物と区別が付かず、それに元にも戻らない。下手な狸ではこうはいかないだろう。改めてマミゾウが一級妖怪であると認識させられる。
「……ん?」
その時、たかねの消えかけていた火に追い風が吹いた。
「これ、使えるんじゃないか?」
「むお?」
これとは、狸の葉っぱ段ボールに他ならない。たかねは試しにミケ入りの箱を持ち上げてみた。変化は解ける事なくミケの重さに耐えている。
「マミさん、アンタの化け術ってのはどれくらい保つんだ?」
「待て待て待てぃ、儂に詐欺の片棒を担がせる気か!?」
「詐欺ではない! 始めから狸の葉っぱだと書いておけばいい。少しの間だけのインスタント段ボールだ!」
「む……ふむ」
たかねの言わんとする事をマミゾウも理解した。段ボールは別に本物でも偽物でもどうでもいいのだ。ただ荷物を入れて持ち運べればそれで良い。そして用が済めばかさ張るゴミとなる。それが一枚の葉っぱだったらどうだろうか。
「……ふぉっふぉ。儂を舐めるなよ、小童」
マミゾウの口角が左側だけ不敵に持ち上がった。
「自分で妖術を解かない限りは半永久じゃ。術式を工夫すれば可逆性も付けられるぞい」
「よぉしっ!」
たかねは拳を力強く握りしめた。
化け狸侮るべからず。事の始まりがマミゾウだったおかげで展望が開けた。いや、それ以上の成果が見込めそうだ。
「防腐加工とか営業は任せてくれ。我ら山童の得意分野だ」
「子分の訓練にも丁度良さそうじゃな。こちらも利用させてもらおうかの」
たかねとマミゾウの手ががっちりと結ばれた。
たった一枚の段ボールがこの光景を生み出したのだ。
◇
──そういった経緯があって生まれたのが、先のY氏も愛用の『たぬき印の段ボールリーフ』だ。安価、丈夫、組み立てが容易という段ボールの利点は本物そのままに、葉っぱと箱の形を自在に切り替えられる驚きのアイテムとなっている。変化には魔力が必要なので人間相手の商売はしていないが、それでも既に喜びの声は多数だ。
『騙されたと思って使ってみろ。とりあえず物を突っ込んでおくのに最適だ。今じゃ私の家も段ボールだらけだぜ。(魔法の森の魔女)』
『式がこんなに喜んでくれたのは嬉しい。ただ、所詮は狸の仕事なので細部が甘い。私の方がもっと上手くやれる。(豆腐屋に居た九尾の狐)』
等々。収納の他にインテリア、住居としての愛用者も増えているようだ。好評に応えて現在は段ボール以外の葉っぱ製品も検討しているとの事。今後に期待したい。
しかし気になる問題も起きている。不良品率の高さだ。先日も太陽の畑で段ボールを被ってロボットごっこをしていた男性が急に下着一枚になる事案があった。自分から魔力を解除しない限り変化は解けないという触れ込みだったが、意図しないタイミングで葉っぱに戻るという事故が多発している。その事について、筆者は製造元のサンロックファクトリー(株)に向かい話を伺った。
『いやいや、工場長の仕事に間違いはないよ。ただ、量産に携わってる他の狸はまだ未熟なんでねえ、術の掛かりが甘いのもたまに混じるかもしれない。まあその代わりにこの安さなんだ。狐につままれたとでも思って勘弁してくれ。返品・交換は受け付けてるからさ。(営業担当の山童)』
潔しと見るか、開き直りと見るか。偽段ボールの中にも良品と不良品が入り乱れているようだ。しかしそこを差し引いても非常に安いのは事実。消費者である我々も、安価な物は低品質で当たり前だと再認識する必要がありそうだ。
(※花果子念報より一部抜粋)
◇
裏路地を駆ける、駆ける。追跡者の眼が切れるまで、とにかく走って逃げろや逃げろ。
その蟒蛇の視界に飛び込んできたのは、御座にぼんやりとしゃがむ貧相な少女だった。
「……ッと! お隣失礼するぜ、嬢ちゃん!」
少女は蟒蛇を不審な目で見つめるが、そんな事はお構いなしに隣へ陣取って、お得意の段ボール擬態を炸裂させた。
『どこ行きやがった! あの偽金野郎め!』
段ボールの前を調理衣の男が罵声交じりに通り過ぎていく。つまり蟒蛇が逃げていたのはそういう事だ。
板前にもう少し余裕があったら少女の横の箱に目が行ったかもしれない。いや、それでも少女に関わってはいけないと本能で目を背けたのであろう。冒頭の新聞にも登場したY氏こと、貧乏神の依神紫苑。それが少女の正体なのだから。
「いやぁ、やっぱり自分以外を化かすのはまだ上手くいかねえや。ありがとさんよ」
蟒蛇は被った段ボールをそっと持ち上げ、顔だけをひょっこりと出した。さながらかたつむりの如く。
「……段ボール、使い慣れてるのね」
「お、嬢ちゃんも分かる側かい? 昔は段ボール被ってるだけで騙せる間抜けばかりだったんだけどよぉ、最近はちゃんと場所を考えねえとダメなんだ。アンタが居て助かったぜ」
「それは良かったわ。貴方が偽金に頼るぐらいの文無しじゃなかったらもっと良かったけど。お礼は期待できないものね~……」
紫苑は、一人途方に暮れていた。頼りにしていた天人様は空の上に連行され、妹が居るはずのお寺に行けば、お前の妹は脱走中(嘘)だから帰れとネズミ妖怪から塩を撒かれた。今の彼女を守ってくれるものは何もない。
「……あん? 嬢ちゃんよく見りゃあの記事に出てた子じゃねえか! オイオイ段ボールはどうしたんだよ」
「うん……中で寝てたんだけど、急に葉っぱに戻って飛んでっちゃった……」
「あ、あァ~……!」
貧乏神は究極の不幸体質である。不良品を引かないわけがなかった。
「スマン! 実は俺もそっちに関わってるモンなんだ。そうだな、礼とお詫びを兼ねてこいつは嬢ちゃんにやろう。ちょっと俺の汗とかが染み込んでるけど正真正銘の本物だから我慢してくれ」
蟒蛇は被っていた段ボールをそのまま紫苑の前に置いた。女の子に送るプレゼントとしてはおよそ最低の部類に入ると思われるが、紫苑の目は磨き上げたサファイアのように輝き始めていた。
「い、良いんですか!? おじさん、ありがとう……!」
「おうよ、俺にはまだこっちの葉っぱがあるから気にすんな。大事に扱ってくれよ!」
「これが本物っ……! 温もりが違うわ……!」
段ボールの中で胎児のように丸まり、紫苑が歓喜の声を上げる。おそらくその温もりは蟒蛇の体温が残っているだけだが言うのも野暮であろう。
「嬢ちゃん、マミゾウ親分とは知り合いだったよな? 段ボールを愛する者に悪人はいねえ。口利きしといてやるからまだ欲しかったら親分に言いな」
「ああ、なんて優しいおじさんなの……!」
紫苑は、食い逃げと通貨偽造の罪を絶賛やらかし中の蟒蛇にうっとりとした目を向けた。これがマミゾウにバレたらきっと燻製の刑に違いない。しかし、都合が悪い過去など綺麗さっぱり忘れるのが幻想郷で上手く生きるコツだ。
端から見れば馬鹿馬鹿しい物でも、それを愛する者が集まればそこには絆が生まれるのだ。
猫でも、蛇でも、貧乏神でも、少女でも、大の大人でも。段ボールの中に入ってしまえばみな同じ。
等しく、ホームレスである。
段ボールと葉っぱを化かすことによる商売の発想が面白くて良かったですね。段ボールってたしかにあったかいから、みんながハマるのは確かにあるかもしれないなあってなってよかったです。
待っていたぞスネーク
蟒蛇の使い方も上手く、珍しいキャラにもかかわらず自然に話に絡んできて良かったです。
最初から最後までネタでみっちり。面白かったです!