Coolier - 新生・東方創想話

Phantom are some blue

2010/08/24 02:10:58
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「もう知らない!」

 そう声を張り上げると、扉を閉める大きな音と共にレイラが家を飛び出していってしまった。喧嘩である。



 理由は音楽のことだった。

 いつもの様に練習している途中、所々でいまいち噛み合わないことがあった。

 リリカが練習をしていなくてズレてしまったのだ。

 それをレイラが強く咎めた。

 ルナサもメルランも面食らってしまうほどレイラが強く言ったので、それを二人がなだめると、レイラが飛び出していってしまった次第である。


 呆気に取られていた三人だったが、何が起こったのか理解すると、空気はすぐに重くなり、なんとなくそれぞれの部屋に篭ってしまった。



   。   。   。



 勢いで飛び出して来てしまってどうしようとも思ったレイラだったが、まぁ紅魔の図書館にでも行こうかと思い、やや足早に歩く。


 二刻ほどレイラがあるくと、ようやく紅魔の館が見えてくる。湖の手前まで来たのだ。

 それでもまだ紅魔の館は遠い。それに人間であるレイラは、この湖を越える術など持っているわけが無かった。



 しかしレイラは困って立ち往生するわけではない。紅魔の門に向かって大きく手を振ると、門から超高速で美鈴が文字通り飛んできた。

「レイラちゃん久しぶりじゃないですかー!」

 太陽のように明るい笑顔で両手を出す美鈴に、レイラも掌を合わせて喜んだ。


「美鈴久しぶり! 嬉しいわ! でもね、私もうちゃんって歳じゃないよぅ」
「それもそうですねぇ。今日はお一人ですか?」
「まぁ、ほら、そっちの姉妹なんて私達よりしょっちゅうあって、酷いでしょ?」
「あぁ、喧嘩ですか」
「相変わらず微妙に無神経なんだね」


 美鈴は苦笑いを浮かべながらいつものようにかがんで、後ろに手を出す。

 レイラもまた、いつものように美鈴の背中におぶさった。

 湖を飛び越えることの出来ないレイラは、紅魔の館に一人行くときには、いつもこうして美鈴に背負ってもらうのだった。


「大きくなりましたねぇ」
「あんまりそういうの、女の子に言うもんじゃないよ。ほんと無神経ー」
「ははは、申し訳ないです」


 レイラは抗議として髪をぐいと引っ張ったが、美鈴はそんなもの関係無しに湖を飛び越える。

 一蹴りでどれだけとぶことが出来るのか見当もつかないほど軽々しく湖を越える美鈴。着地もレイラに振動が伝わらないほど柔らかいものだった。


「ありがと、美鈴。またね!」
「ごゆっくりー」



 レイラがここに来た理由は明白で、別にレミリアに会いに来たわけでも、パチュリーに会いに来たわけでもない。

 掃除が行き届いていないのであろう、所々薄汚れている真っ赤な廊下を歩いて向かった先は図書館だった。


 レイラは、軽くノックをしてから図書館の扉を開ける。

 舞い散るほこりと、人の身長なんぞ楽に越えるほど床に山積みになった本をかき分けて奥へと向かう。


 レイラが音楽のコーナーへとやってくると、手に持てるだけの本を持って、図書館中央に位置する本を読むためのコーナーへと足を運ぶ。



「うわっ」

 テーブルまであと少しといったところで、不意に体と本が浮かび上がった。

 パチュリーの魔法だ。
 レイラの体はテーブルの椅子におさまり、本はレイラの少し横に詰まれた。

「レイラ、いらっしゃい」
「なんで今浮かせたのさ」

 読んでいた本から一旦目を離し、パチュリーは、レイラを見据える。


 そして、床を指指してパチュリーが言う。

「その辺りに置いてある本は踏んだりして傷つけて欲しくないのよ」
「じゃ片付ければいいんじゃないかな」
「その時間ももったいない」

 そんなに忙しそうには見えないパチュリーに、レイラは、肩を竦めて気がついたことを聞いてみた。

「そいや小悪魔ちゃんは?」

 いつも埃っぽくて汚くはあっても、本だけは片付いてる図書館。その本の出し入れを、パチュリーが言うがままにせっせとしていた小悪魔が見当たらなかった。


「帰省。お盆だしね」
「帰省するんだ、悪魔って」
「悪魔でも親はいるでしょうよ」
「そりゃそうか」


 レイラは話もそこそこに、持ってきた小さい鞄から、白紙の紙を取り出す。

「あ、パチュリー。定規と鉛筆借りるね」

 レイラはテーブルに身を乗り出し、テーブル中央に置いてあったケースから定規と鉛筆を持ち出すと、おもむろに五本でまとまった長い線をいくつか書きはじめた。


「また楽譜作るの?」
「生きていられる時間は短いわ。沢山作らないと」

 バイオリンやトランペット、キーボードのことを詳しく知らないレイラは、それぞれの楽器についての本を読みながら楽譜を作っていったのだった。


 二時間くらい経っただろうか、パチュリーは本を一冊読み終えると、立ち上がって紅茶を二人分いれて戻ってきた。

「はい。私が知識だけでいれたお茶だから美味しくないけど」
「どうも」


 レイラは紅茶に目もくれず、ひたすら五線譜に音符を落としていく。

「少し休んだら? 集中力ってのは一時間続けば優秀な方よ。それ以上は脳がパンクしちゃうわ」


 パチュリーのことを不思議な人とは思いつつも認めているレイラは、素直に鉛筆と本を置き、大きく伸びをする。

 それを確認して満足したパチュリーは、瓶からルビーのようなアプリコットを一つ取り出して紅茶に落とした。

 片やレイラはというと、ポケットから砂糖を取り出してそれを紅茶に入れる。


「うわっ」
「何よ、珍しい声出して。そんなに驚いた?」
「砂糖は邪道でしょう。しかもここに砂糖が置いて無いことを見越してわざわざ持ってきてたことに驚いたのよ」
「何で、砂糖美味しいよ」
「まずいわ。理解出来ない。レミィも小悪魔も美鈴も妹様も、ここにいる人は皆そう思ってるから砂糖が置いてないのよ」
「パチュリーさぁ、頭いいけどそういう考えは良くないと思う」

 レイラがむすっとして紅茶を飲んでいると、パチュリーは手を伸ばしてレイラの読んでいた楽器の本を手にとった。


「貴女は演奏しないのよね。それなのになぜこんなにも一生懸命読んでいるの? 弾きたいの?」
「いい曲を作るにはさぁ、やっぱり全部の楽器を知ってた方がいいわけよ。いや私理論なんだけどね。本当は演奏も出来た方がいいと思うんだけど、流石に時間がね」
「時間? 寺子でもなければ、実家も持たない貴女には沢山あるように感じるけど」

 パチュリーは言ってしまってからしまったと思った。レイラに対して、実家のことを話題に入れたことを失敗したと思ったのだ。

 しかしレイラは別のことでパチュリーは無神経だと感じていた。

「じゃあパチュリーはなんでそんなに一生懸命本を読むんだっけ」
「生きている内にここにある全部を読みたいからよ。まだ一割も終わってないわ」

 これは、レイラが前にも聞いたことがある内容だった。


「私はさ、ほら。翼も牙も爪も角も、魔力も無い弱っちい人間の女の子だからさ。もってあと六十年くらいなわけよ」


 確かに少し残念そうに話すレイラを見て、パチュリーはレイラの鞄に入った大量の白紙を見た。あれが全て楽譜に変わるのだろうか。だとすれば、確かに時間は無いのかもしれない。


「でももう少し力抜いてもいいと思うわ。……喧嘩でしょう?」

 レイラは急に体を跳ねさせて驚く。

「何で分かったの」
「まず一人で来たこと。鉛筆や定規を忘れた程度には、何かが思考を占めている状態で家を出てきたこと。さっきちらりと見たのだけれど、手の平に爪の跡が残っていたこと。きっと怒りで手を強く握ったのね」
「よく見てるね」
「初歩的なことだよ、レイラくん。まぁあと美鈴じゃないけど、イライラしてるのを感じとったってのもあるけどね」
「ぐぅ。……まぁ喧嘩というよりは、私が一方的に悪いんだけど」
「そう。なら解決は早そうね。何にしても、少し生き急ぎすぎよ」
「そうかなぁ」



 パチュリーがアプリコットで香りと甘い味のついた紅茶を啜ると、それを見たレイラが不満そうに備え付けられていたティースプーンで紅茶を掻き混ぜる。

「そういえば飲まないのかしら」

 パチュリーはレイラが一度も紅茶に手をつけてないことに気がついた。

「冷ましてるの。頭と一緒に」
「あら、それいくら時間がたっても冷めないように魔法かかってるわよ」
「えぇ、本当? じゃ今すぐ冷ましてよ。アイスがいいの。キンキンにして! もーずうっと待ってたのに」
「はいはい」



   。   。   。



 今日のプリズムリバー邸は珍しく、とっても静かだった。

 しかしすぐにポロン、ティンというたどたどしいキーボードの音が鳴り出した。


 ポロン、ティン。ポロン、ティン。ポロン、ティン。

 同じフレーズが何回も何回も聞こえてくる。リリカが練習をしている音だった。

 リリカも自分が悪かったということを自覚しているのだ。

 しかしまだレイラの顔は見たくないと考えていた。プライドがそうさせなかったのだ。いくらリリカが練習していなかったのが悪いとはいえ、レイラもそんなに強く言うべきではなかった。結果として、姉妹全体の空気が悪くなってしまったのだから。


 ポロン、ティン。ポロン、ティン。


 部屋に篭っていたルナサは隣向かいの部屋から聞こえてくるキーボードの音に釣られてバイオリンを手に取ろうと思ったが、すぐに思い直した。

 今リリカに必要なのは、正しい方向へ導いてやることでは無い。



 ルナサが心配なのはレイラだった。

 この幻想郷という地は、色々な妖怪達が比較的平和に暮らしているとはいえ、力を持たない者にとっては危険であることに変わりは無かった。

 明確なルールなどは無く、なんとなくの秩序と道徳で成り立っているこの地では、数こそ少ないとはいえ妖怪が人を襲うのも珍しくなかった。


 唯一そういった人を襲わない約束をさせられている紅魔の館へレイラが行っているのが救いだったが、ルナサはそんなこと知るはずも無い。


 ただレイラが行くとしたら白玉桜か紅魔の館か寺子へ遊びに行くか、もしくは稗田の家だろうとは踏んでいた。

 上手く辿り着ければ何も問題は無いだろう。


 しかしどこも飛べないレイラがたどり着くには、かなりの時間がかかる場所だ。

 もし途中、理性の利かない妖怪に出会ってしまったら。もし途中、機嫌の悪い妖怪に出会ってしまったら。レイラはひとたまりもないだろう。


 そう考えるといてもたってもいられなくて、ルナサは幻想郷を見回ってみることにした。



 ルナサの気配が遠ざかるのに気がついたメルランは、軽い眠りから目を覚まし、もう今日は外に出ないだろうと思って、まだ日も高いのにいそいそと寝巻に着替えてしまう。もしルナサがそんなところを見ればだらしがないと怒るのだが、今ルナサはいない。

 メルランは動きやすい格好になって満足すると、壁に耳を押し当ててリリカの部屋の音を聞く。


 ポロンティンロンタンロン。
 ポロンティンロンタンロー。


「うんうんやってるやってる」


 しばらくリリカの練習を聞いていたメルランだったが、次第に我慢できなくなってきてトランペットを取り出す。



 リリカの練習してる曲のリズムをとって、タイミングを見計らってなんとなくのメロディーで入る。

 もしも朝のリリカのままだったなら、メルランやルナサが入るとすぐに崩れてしまったのだが、今のリリカは崩れるどころか自らどんどん曲をリードしている。

 演奏をしながら他の楽器を聴くだけの余裕が出来たのだ。


 キーボードの高音が、トランペットの高音ときれいに合わさって、演奏していても自分達がいい音楽になっていることを感じとれた。

 メルランが適当に演奏が終了しそうなフレーズに移行すると、リリカもそれに乗ってくる。



 小さなプリズムリバー邸で行われた即興のセッションは、素晴らしい音楽の記憶と共に見事な余韻を残し、演奏者である二人は気分よく終了した。


 嬉しくなったメルランはトランペットを持ったまま部屋を飛び出し、リリカの部屋のドアを強くノックする。

 リリカが入っていいという意思を伝える前に、勢いよく扉を開けたメルランは、キーボードの前で立っているリリカを無視してベッドに飛び込む。



「メル姉、ルナ姉に怒られるよ。態度も服も」
「音楽って楽しいね!」

 ちっとも話を聞くつもりの無いメルランをまぁいっかと思ってしまうほどには、リリカも楽しんだ。まさかこんなにも音楽が楽しいことだとは。

 今までろくに練習してこなかったリリカがこういったセッションに参加するのは初めてであって、今だ興奮が収まらないのだ。



「メル姉、ごめんね。ちゃんと練習してなくて」
「でも何だかんだで今出来てるじゃない。どこに謝る要素があるの? 謝るなら、相手が違うんじゃない?」
「そうだね、そうだった」


 リリカは、飛び出して行ったレイラを思い浮かべる。

「レイラ大丈夫かな」
「姉さんが追いかけてったから、まぁ大丈夫でしょう」
「どうだろう。ルナ姉ってさ、私らよりしっかりしてるけど、私らよりぼけぼけしてるよね」
「運も無いからね。どうだろう」
「さぁ」


 メルランは眠いから寝ると捨て台詞をはいて、リリカの反論が耳に届く前に眠ってしまった。



   。   。   。



 家を出たルナサは、とりあえず近場にある白玉桜まで行ってみた。

 白玉桜にレイラがいれば、さほど妖怪等に襲われるような心配は無く、安心出来るのだがレイラはそこにいなかった。


 何があったのか幽々子に聞かれて、ルナサが訳を話すと、幽々子の命で妖夢からの助力を得ることが出来た。



「こんなくだらないことに付き合わせてしまって申し訳ない」
「いえ、丁度全ての日課を終え、暇を持て余していたので」

 二人は人里へ来ていた。人里なら、レイラの寄りそうな場所がいくらでもあるし、もしここに居るのであれば安心出来る。

「貴女達の様に仲のいい姉妹でも、わりと喧嘩はしょっちゅう起きますよね」
「いや本当、面目ない」
「い、いえ、そういうことじゃ無くて。その、羨ましいなぁと」


 主はいるが姉妹などいない妖夢からすれば、今回の件は羨ましいことだったのだ。

「喧嘩、別にいつでもしてあげるよ?」
「えっ」
「妖夢と」
「えぇ!?あぁ、はい。ありがとうございます?」
「礼には及ばない」


 妖夢はルナサの表情を伺ったが、その表情はいつもと変わら無いどこかつまらなそうな物で、冗談なのか本気なのか分からなかった。



 二人は人里を一通り回ったが、レイラを見るどころか、レイラの情報を聞くことすら出来なかった。

「となると紅魔館かな」
「あそこちょっと苦手なんですよね」

 生涯徹底した和の中で育った妖夢には、紅魔館の文化は異色すぎたのだ。

 食べ物に飲み物、石造りの壁やカーペットに違和感を感じるのは勿論、何より靴のまま部屋に上がるというのが信じられなかった。どこかへ通されたとき、座るよう促された椅子にもまだ慣れない。


「見えてきましたね」


 紅く大きくそびえ立つそれの美意識も、妖夢には理解しがたいものだった。



 二人は紅魔館の前に降り立つと、夏の日差しの中、汗だくになっても平然と立ち尽くす美鈴に声をかける。

 すると美鈴から二人がある程度予想していた返事が返ってきた。

「お待ちしていました。レイラちゃんならパチュリー様のところにいらっしゃいますよ」
「そうか。それは安心した」
「ところでルナサさん、妖夢さん、今朝クッキー作ってみたんです。お茶しません?」
「それはいい」


 何の躊躇もなく了承し、門の奥へと入っていこうとするルナサ。
 それに驚いた妖夢が慌ててルナサの腕を掴んで止めた。

「それはいいじゃなくてレイラは!」
「いつもこうだから」
「いつもって。そんなんでいいんですか」
「問題無い」

 妖夢は次に美鈴を見る。

「貴女も門番は」
「大丈夫ですって。どうせ入っても害の無いチルノちゃん達ですし」
「門番……」
「妖夢さんも固いこと言ってないで行きますよ」
「は、はあ」


 美鈴は陽気に、ルナサは安心して、妖夢は渋々と。三者三様様々なことを思いながら門の奥に備え付けられた詰め所へと入っていった。



   。   。   。



 あれからどのくらい時間が経ったのであろう、もうすっかり夕日が落ちていて外は真っ暗になっていた。

 詰め所の会話は思いの他盛り上がり、あっという間に時間は過ぎていったのだ。

 内容は主にそれぞれの家の愚痴だった。

 当初折を見て帰るつもりだった妖夢までもが、愚痴を語り、愚痴を聞く。


 そうして三人が会話を楽しんでいるとき、レイラが図書館を出たとの報告をメイドから受けた。

 少々名残惜しかったが、決して皆本来の目的を見失ったわけでは無い。今度どこかへ飲みにでも出かけようと約束をし、ルナサと妖夢はその場を離れることにした。


「何だルナサ来てたんだ」
「何だじゃないだろう。こんな時間までこんな遠くに。帰りに妖怪にでも襲われたらどうするつもりだったんだ」

 門からレイラが出てくるなり、言い合いを始める二人。妖夢は出る幕では無いと悟って少し離れた場所から会話を見ていることにする。

「別に一人でも帰れたわよ」
「こんな時間にここから永遠と二刻くらい歩くつもりだったのか」
「あぁもううるさい! ルナサは何なの? 保護者?」
「姉だ」


 どうみてもルナサの方が正しいことを言っている様に見えるのだが、レイラは尚も食ってかかる。


「ほら帰るぞ。リリカも心配している。勿論メルランも」

 手を引っ張って一緒に飛んで帰ろうとしたルナサを、レイラは軽く突き飛ばした。

「いい、一人で帰る! いつまでもお姉ちゃん達がいないと何も出来ないって思わないでよ!」


 そしてそのままずかずかと美鈴の方まで歩いていってしまう。

 レイラは美鈴に湖の向こう側に送って欲しいという趣旨を伝えた。

 美鈴はどうしていいか分からず、レイラに気づかれない様ルナサに目配せすると、レイラが頭を下げたので渋々了承し、レイラをおぶって湖を渡っていった。


「追いかけましょう」
「そのつもりだ」



   。   。   。



 レイラに気づかれない程度の距離を保って歩くこと約二時間。

 ようやくプリズムリバー邸の煙突が見えてきた。


 レイラも一人で帰れると豪語するだけあって、暗く深い森の中を、獣除けの香をつけて、目立たぬ様明かりを持たずに月明かりだけで迷うことなく歩いていく。



「しかしすごいですね。私だったら絶対迷ってますよ」
「それは慣れだろうな。私達は飛べるお陰で歩くことをしなくなったから、方角は分かっても道は覚えられないんだ」
「あと普通に怖いです」
「それはレイラも同じだろう。強がっているだけだ」
「では何故一人で」
「今反抗期なんだよ」


 妖夢が妙な納得をしていると、急に沢山の殺気を感じて駆け出した。


 妖夢がレイラの方を見ると、既に妖怪の一匹がレイラに飛び掛かっている。

 レイラはすっかり腰が抜けて、動けずにいた。



 ルナサは、ルールこそ無いものの、秩序はあると安心しきって、レイラの意思を尊重しすぎ、レイラから距離を取りすぎたことも後悔したのだ。

 妖怪は既にレイラの目の前に迫っている。


 ルナサの攻撃方法は音だが、音の速度をもってしても届かないことは、ルナサにとって分かりきったことだった。



「レイラぁぁぁ!」


 瞬間、空気中で霊力が飽和するのを感じる。

「二百由旬の一閃」


 絶望を感じていたレイラが次の思考が始まったときに写った風景は、迫っていた妖怪が真っ二つに斬られて血を吹き出しているものだった。

 ルナサははっとするとレイラのところまで全力をもって移動する。


「レイラ、大丈夫か。立てるか?」

 目が恐怖の涙で濡れたままレイラは立ち上がり、ルナサの服を掴んだ。


「妖夢、ありがとう。妖夢がいなかったら今頃レイラは……」
「礼には及びません。しかし、ルナサちょっと前を見て貰えます?」
「既に確認している」


 そこには大小様々、五十はいるであろう、妖怪の群れがずらりと並んでいた。

 妖夢とルナサがレイラを庇うようにして立ち、妖怪達を睨む。



「お守り付きか。でも、見られたからには素直に帰すわけにはいかないのだよ」

 集団の中央にいた大きな鬼がどこかいらいらしながら少し前に出る。



 何やら不穏な空気に、妖夢が群れの頭らしい鬼を睨みながら問い掛ける。

「こんな時間にこんな場所でこんな人数で何をやっていた。宴会というわけでは無いな」


 鬼は妖夢を改めて見直すと、その大きな口を歪ませて笑い始める。

「何がおかしい」
「いや失敬。よく見れば管理者の友人を護ってる庭師のお嬢ちゃんだったんでね。どうりでお強いわけだ。下級とはいえ妖怪を真っ二つだもんなぁ」
「私を知っているのか」
「そりゃあ敵の戦力くらい調べるってもんさ」
「敵?」
「私達はこの幻想郷を本来の姿に戻そうと思っていまして」

 ルナサが細い目をさらにすごめる。

「クーデター……」
「おぉ怖い怖い。黒い方のお嬢ちゃんの言う通り、クーデターの準備をしていた」


 その鬼に妖夢が怒鳴り声をあげる。

「紫様の造り上げたこの地に何の不満がある!」
「不満だらけだ!」

 鬼も今までの冷静さからはうってかわって、太い声を張り上げる。

「秩序による平和? はっ、笑わせてくれる。単に我々人を襲うことに意味をもつ存在の首を締めているだけではないか。管理者が人間好きか知らないが、これでは籠に飼われた人間を眺めるだけの箱庭に、我々妖怪が生かされているだけではないか!」


 あまりにも鬼が強く出るので妖夢はたじろいでしまう。

「クーデターなんて、こんな人数で幻想郷を善しと思っている数多の妖怪相手に、成就すると思っているのか」
「こういうものは、頭だけ抑えればいい。管理者の何よりも大事な友人が、何よりも大事にしている庭師を捕らえて交渉すれば、賢い妥協が頭をよぎる。
 目の前にはたった三人の小娘。うち一人はただの人間。うち一人は我々が求めていた餌。さぁ、もし君らならこの状況、どうするね」



 鬼が足を持ち上げ、大きな音を立てながら踏み込むと、それを合図に沢山の妖怪がレイラを含む三人に殺到する。


 妖夢は二本の刀と半霊を巧みに操って敵を切り伏せていく。

 ルナサもバイオリンから荒々しいほどの音を出す。音は空気中を伝わる波として、妖怪達に衝撃を与え続けた。


 次々と数を減らしていく妖怪達であったが、やはり数がいる。



「きゃあ!」
「レイラ!」

 レイラにつかみ掛かっていた妖怪を大事なバイオリンで叩き、怯んだところへ音で攻撃する。

「大丈夫か」
「うん、ありが……ルナサ後ろ!」

 油断したルナサに迫ってきた腕を斬り落とし、妖夢は、すかさず脇差で腹を一閃した。

「油断している場合じゃないですよ」
「すまない」


 レイラを庇いながら一騎当千の勢いで妖怪を倒していく二人。

 しかしいっこうに数は減らない。


「おかしい。いくらなんでも、数が減らなさすぎる」

 ルナサはなんだか様子がおかしいことを感じていた。

 しかし迫りくる猛攻に思考を邪魔される。


 それどころか、敵の攻撃は勢いを増すばかりだった。



 それまで上手く立ち回っていた妖夢だったが、単体にしか攻撃出来ない妖夢は状況が押されはじめるほど、どうしても囲まれてしまう。


 そして等々妖夢の背中に火球が命中した。

「ああぁ!」

 倒れ込んで背中を地面にこすり、服についた火を消そうとする。

 囲まれてしまった状態で倒れてしまったが最期、妖夢に数々の攻撃が殺到し、次の瞬間にはぴくりとも動かなくなってしまった。


「まず一人」



 妖夢が倒れたことによって勢いついた妖怪達は、レイラを後回しにして、一斉にルナサへと襲い掛かる。

 それまでなんとか凌いでいたルナサも、数でこられてしまえば攻撃力不足が目立ってしまう。


 敵の行動を制限させるのは得意でも、敵を追い詰めたり、敵を直接攻撃したりするのが苦手なルナサが追い詰められるのは時間の問題だった。

「レイラ、絶対私から離れるなよ」
「ルナサァルナサァァ」

 遠距離からの攻撃に対応しきれないルナサは、自らの体を使ってレイラの壁になる。


 肩や腕、頭からは幽霊とは思えないほど真っ赤な血を流して、それでも楽器を手放さなかった。



 そして等々膝をついてしまっても、レイラを守る様にくっついて、音を鳴らし続ける。

 ルナサの霊力も底をついてきて、極狭い範囲の敵を動けなくするので精一杯になってきた。


 息もすっかり上がり、力もどんどん安定を失っていく。



 レイラはそんなルナサにせめて迷惑にならない様に、体を必死に小さくして攻撃をよける。

 レイラの目は涙で一杯だった。悔しかったのだ。何でルナサはこんなにぼろぼろになっている。何で妖夢はあそこで倒れている。いつどこで間違えた。音楽をやるといいだしたとき、リリカと喧嘩したとき、一人で紅魔館へ行ったとき、言うことを聞かず歩いて帰ると言い張ったとき。

 いや、もっと前かもしれない。三人を生み出したときかもしれない。幻想郷へきてしまったときかもしれない。

 思考がどんどん悪い方へと進む。そんな場合ではないというのに。



 弱々しかったルナサの音が急に止まったのに驚いてレイラが顔を上げるとルナサが鬼に首を掴まれて持ち上げられていたのだ。


「よくもまぁここまで持ちこたえたよ。中身なんてもうすかすかじゃないか」



 腕をだらりと垂らし、ゆらゆらと揺らされてもカーテンみたいに、覇気無く無機質に揺れるだけのルナサ。

 レイラが駆け寄る。

「やめて、お願いもうやめてよぉ。ルナサを放してよぉ。誰にも言わないから、誰にも言わないから」

 鬼はレイラを一差し指で突き飛ばす。人差し指だけだというのに、ものすごい力をうけて地面を跳ねて転がるレイラ。鬼の力と人間の力の差を強く感じる。


「もう革命はスタートした。そこの庭師を捕らえた時点で、この革命は成就したも当然だがな」

 鬼はそう言うと、今は必要無いとでも言うように、ルナサの体をレイラの方へ投げ捨てる。

 レイラは痛む体を必死に起こしてルナサを受け止めた。



「ルナサ、ルナサァァ、ルナサァァア!」

 レイラは抱き抱えるようにしてルナサの体を揺らした。

 ルナサがレイラを安心させるようにその手を掴む。


「少し休んだから、大丈夫だ」
「そんな……そんな体で」

 ルナサはゆっくりと立ち上がり、再びバイオリンを構える。


「まだ立つのか。そんなに幻想郷が好きかね」
「残念ながら、そういうわけじゃない」

 怪我もしているし、霊力も残り少ないルナサだったが、なんとかまだ戦えることを確認すると、ぼろぼろの体でレイラと鬼の間に構えた。


「お前、こちらに着かないか? そういう必死なのは個人的に、嫌いじゃない。この矛盾した世界を、共に在るべき姿へと戻そうじゃないか」
「誰が。ここが無かったら、私達姉妹は居なかった。そういうことだ」
「命が助かる誘いを断るには、説明不足にもほどがあるが、まぁ仕方ない。その決断が大切な人の命も奪ったことを、閻魔にでもたっぷり咎めて貰うがいい」


 ルナサは自覚していた。自分一人ではこの状況どうしようもないということを。でももし、メルランとリリカがいてくれれば。そう思っていた。

「さよならだ誇り高きバイオリニスト。その勇姿は修正された幻想郷でも語り継がれるだろう。前夜祭にしては盛り上がった。拍手でその閉幕を見送ろう。出来れば、アンコールもお願いしたいところだったが……」

 鬼が薄く笑いながらぱちぱちと拍手を送る。



 ルナサはにやりと不適に笑い、服を掴んでいるレイラから離れ、前に歩きだす。

「アンコールありがとう。アンコールはきっと、もっとすごいから期待してくれ」
「何?」
「まぁ焦らない。すぐに始まる」


 ルナサは人差し指を一本真っすぐ立てて、にやりと笑う唇にそれを付ける。

 レイラも妖怪達もルナサにつられて音を消し、耳を澄ませる。


 そこにいる全員が、何やら賑やかな音が近づいてくるのを確認した。

 それまで泣いていたレイラの顔が一瞬で明るくなる。

「メルランにリリカ!」



 次の瞬間には、辺りに無数のレーザーと、色々な色の音がほとばしった。

 くねくねと制御されることなく自由に駆けるレーザーは、妖怪を惑わすように纏わり付くカラフルな音に乗って、妖怪の群れを次々と倒していく。


「遅くなってごめーん。姉さん大丈夫?」
「うわっ、ルナ姉ぼろぼろじゃん。うっわ、妖夢まで」

 メルランとリリカは、音と共にものすごい速度で突進していき、集団をえぐる。


 ルナサとレイラの前に壁になるように立ち塞がった二人。

「レイラ大丈夫ー?」
「うん、でもよくわかったね」

 メルランがレイラを見て安心していると、リリカが解説を始めた。

「いや妖夢の半霊が家に入ってきてね、血まみれでうようよ忙しそうにするからさ、何事かと思ってついてきたってわけ」

 そういうリリカの周りを、半霊がくるくると回る。

 状況がまずいと思って呼んできてくれたであろう半霊に、レイラは、ありがとうと伝えて抱きしめる。


 レイラはちょっとだけリリカの洋服をつまんだ。

「あの、リリカ。朝は……」
「とりあえず後回しで。今はあっち」



 妖怪達は今だに余裕そうだった。

 それもそうだろう。ルナサと同じような女の子が二人増えただけなのだから。数的優位には何も変わらない。


「姉さん立てる? まだいけそう?」
「心配いらない。大きなダメージはうけてない。さっきレイラが体を張って受け止めてくれてな」
「へーレイラやるじゃない。最近へたれてきたと思ってたけど、心配いらなそうね」

 ルナサもメルランやリリカと並んで妖怪達とレイラの間に壁を作る。


「さて、ご希望のアンコールといこうか」
「数を見てからものを言えよ、小娘」

 再び妖怪達が殺到する。


 ルナサはバイオリン、メルランはトランペット、リリカはキーボードを構えて迎撃する準備を整えた。



 リリカの音が、妖怪達を支配する。

 ルナサの音が、誘導された妖怪の行動を縛る。

 そしてメルランの音が、もはや動かない妖怪を射していく。


 音は数少ない大人数広範囲に有効な攻撃手段であり、三人は戦線を保つどころか押し返し始めていた。

 それを見た鬼は舌打ちをする。

「まだだ! 我々は、まだこんなところで終わるわけにはいかんのだ」


 鬼がそう叫ぶと、急に妖怪達の数が増える。

 音が多人数広範囲に有効とはいえ、限界があった。ルナサ達はあまりにも数の多い妖怪達に対処しきれなくなり、戦線は再びルナサ達の目の前まで押されてしまう。


「やっぱりおかしい……」

 ルナサはバイオリンの音を止めることなく、ぽつりと呟いた。

「数が減らなさすぎる」
「ちょっと姉さんごちゃごちゃ言ってないで集中して! 疲れてるのは分かるけど、バイオリン音もたってるよ!」
「あ、あぁ。すまない」

 メルランに強く言われ、慌ててルナサはバイオリンに集中を戻す。



 ちっとも攻め崩せない鬼はとうとういらいらしてきた。

 それもそうだろう。

 誰にも見つからぬよう、暗い森の奥で集会を開いていたというのに、こんな大きな戦闘をし、こんなに大きな音を鳴らされてしまったのだ。

 もはや深く潜り、事を隠密に進めることなど不可能だった。

 ここで八雲紫の友人の守人である妖夢を捕らえることに成功し、紫と交渉して互いの妥協案を提示し合うしか、鬼に道は無かったのだから。


 蜘蛛の格好をした一匹の妖怪が鬼によって耳打ちをする。

「八雲が騒ぎに気がついて動き出したようです。現在、式の方がこちらに向かっているかと」
「到着はどれくらいだ」
「連絡用の蜘蛛が次々と確実にこちらに向かって倒されています故、詳しくは分かりません」
「時間は無い、か。相手が八雲になった以上、引いても無駄だろう。お庭番の確保を急ぐか」



 鬼が地面を足で強く踏むと、また妖怪の数が増えた。

「ちょっと! この数は……姉さん!」

 メルランはルナサに指示を仰ぐ。

「分かっている。既に囲まれていて逃げられない。やるしかない」
「ルナ姉、霊力大丈夫?」
「問題無い」

 三人はさらにきつくなった戦況に集中する。

 すでに妖怪達は三人の捌ける範囲を裕に越え、妖怪達の腕は三人に届く直前まで来ていた。


「姉さん!」
「無理だ! 続けるしかない!」
「メル姉音走っちゃってる!」
「どうにかならないの!?」

 次第に追い詰められる三人に混乱が広がる。



「ルナサ、メルラン、リリカ聞いて!」

 しかしレイラはあることに気がついた。いや、見たのだ。決定的な瞬間を、見てしまったのだ。


「この妖怪達は本物じゃないわ! 斬っても貫いても、血が出るのなんて本当に一部だもの!」


 その意見に、メルランとリリカは驚きを隠せなかった。

「私もレイラの意見に、賛成だ」
「メルランとリリカも聞いて。さっきから何種類かの同じ妖怪を倒し続けているの!」

 レイラに言われて、二人は少し冷静になって周りを見はじめた。

 よくみれば同じ妖怪が同時に存在しているではないか。


「多分だけど、これは誰かの能力だと思うの」

 それを聞いて二人が確認すると、三人は目配せをして一瞬だけ音を大きくし、妖怪達を突き放して一旦曲を切る時間を稼いだ。

 リリカがキーボードに手を置き、片腕を上げる。

「初合わせの新曲、聞いとくれ! コンチェルトグロッソ!」


 最初は単純なセッションのように始まった曲は、すぐに音と音が重なって、一つの曲になる。


 まとまりをもった音楽は、それぞれがその場で演奏していたものとは比べものにならない圧倒的さを持っている。

 曲が始まってからあっと言う間に戦況はひっくり返り、妖怪達は次々と消えていった。


 しかし相変わらず数は減らない。

「一気にたたむぞ」

 ルナサの号令で、曲は大きく変調する。先程まで奏でられていたメロディーは、変調に乗ることでどこか刺々しくなり、妖怪達へと殺到する。


「……すごい」


 レイラはこんな状況だというのに、コンチェルトグロッソに聴き入っていた。

 コンチェルトグロッソは、今朝方リリカと喧嘩になった原因の曲だった。


 リリカが練習をしておらず、今朝までは弾けなかった曲だ。

 しかし今は弾けている。レイラは、朝自分が飛び出した後、リリカが練習していたことを知ったのだ。



 妖怪達の増加速度は、既にコンチェルトグロッソによって倒れるスピードに追いついておらず、数は急速に減っていった。


 レイラはハッと我に返る。

 自分に戦う力が無いのなら、自分は目になればいい。そう思い、レイラは辺りをよく観察する。


 そして見ると、鬼が地面を足で強く踏む度に妖怪の数が増えているではないか。

「ルナサ、メルラン、リリカ、鬼! 鬼を狙って!」


 その声を聞いた三人は、音を鬼へと殺到させる。

 あれだけの数の妖怪を相手していた音を一人に集中させたのだ。

 いくら鬼といえど、対処出来るわけもなく、数秒で膝をついた。



 三人は演奏を止める。

 血まみれの鬼は地面に倒れた。

 妖怪達も消える。



「これでいい……」


 鬼がそう言った瞬間、妖怪達は再び姿を現した。

「えっちょっとどういう……きゃあ」

 レイラはルナサ達から離れていたのを失敗だと思った。

 結果現れた妖怪に簡単に組み伏せられてしまう。


 ルナサ達の周りにも大量の妖怪が現れた。

 ルナサは理解した。鬼は囮だったのだ。


 至近距離に現れた妖怪に、なすすべも無く組み伏せられてしまう三人。


 長い長い勝負は今ついた。



「かしらぁ!」

 今までずっと地面に倒れて死んでいると思っていた一匹の妖怪が起き上がって、鬼に近づいていく。

「大丈夫だ」
「そいつぁ、よくぞご無事で」


 怪我だらけの鬼に寄っていった妖怪は心底嬉しそうにする。

「なるほど。そっちが妖怪を出していたわけか」

 ルナサが何とか鬼に目を向け、睨みつける。


「そうだ。こいつの力は死んだ存在の身体を復元して操る程度の能力。そしてこの妖怪達は元、我が同士だ」
「元同士?」
「八雲や人間に殺されたのだよ。秩序と平和のためにな」

 鬼はしゃがみこんでルナサに近づく。


「どうやら我々不人気な妖怪は、人間達にとっては存在が確認され次第、命を脅かす危険な存在になるらしくてな」
「そんな理由で殺したりしないわ!」

 横から聞いていたレイラが叫ぶ。

「事実百近くの友が殺されているのだよ。人は、我々のような人の形を取れない者を見つけると、どうすると思うね。こいつのような、でかい蜘蛛が近づいてきたらどうするかね。子は石を投げ、大人は刀を振る」

 レイラは想像した。

 レイラ自身は吸血鬼や魔女等を見慣れているからどうとも思わないこのことも、普通の人ならどう思うだろう。やはり、怖がるのでは無いかと思った。


「刀は流石に我々妖怪でも辛いものがある。それを腕を振って防ごうとする。すると人間は怪我をしてしまった。その妖怪が襲ったとみなされ、妖怪は退治……殺された。一度そういうことが起こればどうなるかね。人間にとっては、我々のように人の形を取れない所謂化け物は全て危険に見えるはずだ。勿論退治されて当然の奴らも多い。
 だがしかし、我々が何をした。それでも我々は耐えた。私も他の者も、人と共に生きたいがためにこの地へとやってきたのだ。
 しかし、あるとき事件は起きた。八雲が、我々を狩りはじめたのだ」


 森は静に葉っぱを揺らしており、何も反応しない。

 実際ルナサ達も、何も反応せずにただ聞くだけだった。何も返せない。事実かどうかなど問うまでも無かったのだ。それが確かな事実でないかぎり、こんなことはおこさないだろうから。


「おかしら、八雲が。八雲が、来ます」

 蜘蛛の妖怪が鬼に報告する。

「丁度いい。この場で交渉をしよう」



 丁度言い終えると同時に、集団の中央に轟音と共に大きな砂の柱が立ち上がる。

 九本の黄金色に輝く尻尾をなびかせて現れたそれは、間違いなく八雲の式、八雲藍だった。


「妖怪共、こんなところにいたか」
「妖怪は貴様らも同じだろう、どこで差別化されるんだろうな八雲」

 藍は周りをぐるりと見回して、あらかたの状況を確認する。

「やってくれたな妖怪共」
「元より、そちらが始めたことだ。私達は、人と我々化け物が平等に暮らせればそれでよかったんだ」

 藍は妖夢とルナサ達を見る。

「偉く強気だが、それは人質のつもりか?」
「そうなるな。交渉と行こうじゃないか。そちらは我々に、ある程度人を襲う許可をくれればいい。なあに、人を襲うと言っても殺しはしない。少し驚かすくらいだ」
「人質か……。低俗のやることは低俗だな。そんなやつらに殺さず襲うなんて器用な真似出来るとは思えん」
「ならそちらで襲い方にルールを決めて貰って構わない」
「そんなもの、貴様らが守り通せるか」
「秩序では無い。今の幻想郷に必要なのはルールだ。破った者には罰か何かがある。そういったルールが必要なんだということに、何故気づかない」
「そんな物無くとも、ここは上手く回っている。お前達以外な」
「聞く耳持たずか」



 二人の会話を聞いていたレイラは震えていた。レイラの中で藍はこんなことをする人では無かったのだ。よく白玉桜に遊びに行くレイラは、藍にも沢山お世話になった。


 今目の前にいるような藍を、レイラは知らない。鬼の言葉を、少しは嘘かもしれないと信じていたレイラだったが、現れた藍本人によって、それが嘘出はないと言われてしまったのだ。藍はこの妖怪達を殺していたのだ。先ほど鬼が語っていたような理由で。

「ね、ねえ、藍。本当なの?」

 震える声でやっと言葉を発するレイラを一瞥しただけで、藍は、すぐに鬼を睨んでしまう。

「これからこの人達をどうするの? ねぇ。ルナサ! ルナサも何か言ってよ!」

 レイラは助けを求める様にルナサを見たがルナサは俯いたまま反応しない。

 ルナサは分かっていたのだ。自分達が生き残るため、今の幻想郷のためにはどちらがいい選択なのか。それはメルランもリリカも同じだった。人と妖怪が同等に存在する方法など、無い。そう思っていた。


 レイラは悔しくてたまらなくて、ルナサや妖夢をあんなにした鬼は憎いし、別段鬼の味方をしたいわけでは無いけれど、藍に向かって声を張り上げた。

「藍! せめて殺さないで! じゃなかったら私、助かってもここで舌を噛み切るわ!」

 ふるふると震えた声で、目に涙を浮かべての訴えだった。実際藍が行動を起こしたら、噛み切ってやろうとすらレイラは思っていた。それほどに、藍のことがショックだったのだ。


 藍はにっこりと優しい、レイラの知っている顔で笑うと、何かを呟いた。

 それが何だったかは誰にも分からなかったが、恐らくは妖術か何かだったのであろう、レイラは急な眠気に襲われて眠ってしまう。



 それを藍が確認すると、ついに藍は身構えた。

「交渉決裂というやつか。ならばこちらも行動するしかない」

 妖夢の近くにいた妖怪が、斧のようなものを振り下ろしたとき、藍が爆ぜた。

 一瞬で斧を持っていた妖怪は吹っ飛ばされる。


 そのまま止まることなく身を翻し、後ろにいたもうひとりの妖怪を切り裂く。

 そのままの体制で十二体の式神を呼び、辺りを一瞬の内に一掃した。

 藍は、それでも沸いてでてくる妖怪に、おかしいと思い辺りをよく観察する。


 しばらく戦っている内に、倒れている妖怪の中で一匹だけ起き上がることのない妖怪がいることに、藍は気がついた。


 藍は、そこ目掛けて式による猛攻をしかけた。死んだふりをしていた妖怪は、成す術も無く事切れてしまう。

 それと同時に何度も立ち上がっていた妖怪達が何かの糸が切れたようにばたばたと倒れだした。


「勝負ありだな」
「化け物が……」

 鬼は自らの最期を悟った。唯一数では圧倒的に勝っていたにも関わらず、一瞬でひっくり返ってしまう。

 十二体の式神と、その操り主である式神。

 それに対するは鬼一匹と、蜘蛛の妖怪一匹。


 これがこの地を管理する者の力。そのあまりもの圧倒的さに、鬼は口を噛む。


 蜘蛛の妖怪がにやりと笑った。

 いつの間にか十二体の式神は太い蜘蛛の巣に絡められており、藍にも細い何本もの糸が絡んでいた。

「細すぎて気づかなかったろう」

 藍が舌打ちをして、十二体の式神を消す。

 蜘蛛の妖怪は糸に絡まった藍に向かって突進をする。

「俺はまだまだ使えるぜぇぇぇ! おかしらぁぁぁ!」


 藍に蜘蛛の手が突き刺さる直前、藍が思い切り体を捻り、糸をふりほどく。

 そしてそのまま腕を蜘蛛に突き立てた。


 蜘蛛の妖怪を地面に投げ捨て、猛スピードで鬼に突進する藍。

 藍の右手を、鬼は両手を使ってやっと止めるが、繰り出された膝蹴りには対応出来ず、体を浮されてしまう。

 そしてそのまま鬼は藍の爪によって切り裂かれてしまった。



 辺りは静まり返る。

 つい先程までのことが嘘のように、余りにも呆気なく終わってしまった。


 メルランとリリカは立ち上がり、メルランはルナサに肩を貸して、リリカはレイラを背負った。

 藍は妖夢を担ぐ。


 ルナサはメルランに礼を言って、自ら立つと、藍の前に立つ。

 二人が目を合わせてから暫く沈黙が続いた。


「……ありがとう」

 ルナサが軽く頭を下げて言う。

「礼を言われるようなことをした覚えは無い」
「藍が来なければ、今ここにいなかった」
「当然のことをしただけだ。管理者として」

 未だに目を逸らそうとしない二人。メルランやリリカはどうしていいのか困りながらも、レイラを気遣っていた。


「レイラなら、明日の朝に目を覚ます。心配はいらない」
「何から何まで、本当にすまない」

 伝えようとしていたことを全て伝えきったのか、藍は身を翻す。

「そうそう」

 藍が、後ろ向きのまま、飛び立つ前に思い出したようにルナサに声をかけた。


「今日の一件で、私はレイラに嫌われてしまっただろう。でも、あまりにそれは淋しい。こんなこと、こんな最低なやつが言うべきでは無いのだろうが、どうか後々レイラにやんわりと伝えて欲しい」

 それだけ言うと、藍は飛び去っていってしまった。


 ルナサ達も、レイラを皆で引っ張って家へと向かった。



   。   。   。



 朝レイラが目を覚ますと、体はとても軽いのに、気分はとても重かった。

 昨日の藍のことが、フラッシュバックして離れない。


 覇気なく階段を下りてリビングに入ると、ルナサが朝食の準備をしていた。いつものことだが、リリカとメルランはいないようだ。

「おはよう、ルナサ。昨日の今日でそんなに動いて大丈夫?」
「幽霊だから、問題無い」
「そう」
「レイラこそ、大丈夫か?」
「何もしてないもの。人間だから心配してんの?」
「そういうわけじゃ」
「実際そうでしょう。隠さなくてもいいわ。分かってるもの、とっくに。私達人間は、誰かから守られてないと、生きていけないって」


 暫く少し気まずい沈黙が流れた。

「あ、あのさ、昨日は、ありがとね」
「どういたしまして」


 必死に絞りだしたレイラの言葉も、それきり途絶えてしまう。



 しばらくして、メルランもリリカも起きてプリズムリバー邸の朝食が始まった。

 朝食の途中、レイラは意を決して両手をテーブルについた。

「お姉ちゃん達、昨日は、本当、色々と、ごめんなさい!」


 少し唖然としていた三人だったが、いきなりメルランは笑い出す。

「あっはっは、はははレイラ面白い! そんなことをいまさら。いいわ。私気にしてないしほとんど関係無いし」

 リリカはまた再び何事も無かったかのように食事を始める。

「別に気にして無いよ。練習してなかった私が悪いんだし。むしろごめん」


 レイラはルナサに向き直ると、ルナサもレイラに向き直った。

「勝手に熱くなって飛び出して、勝手に一人で帰るとか言い出して、心配かけて、ごめんなさい」
「よく言えた。言えただけましだ。むしろ私はあの日メルランが寝巻で助けにきたことの方が聞きたい。あの時間はまだ普段着で生活する時間だったはずだが」

 ルナサがメルランを睨むと、メルランもリリカに習ってぱくぱくと朝食を食べはじめる。

「メルラン!」
「はいっ! ……ごめんなさい。楽なのが好きでごめんなさい」
「今後はみっともないので守るように」
「はい」


 朝食はやはり何かぎこちないものの、概ねいつものプリズムリバー邸の様に進んだ。



 しかしやはり昨日の事実に納得のいかないレイラは、空気を守ることよりも、ちゃんと話したいことがあった。

「やっぱり、今の幻想郷は歪んでるよね」

 急に話を切り出すレイラに戸惑う者はいなかった。

「こうやってさ、笑ってご飯食べてる家があって、昨日の鬼みたいに苦しいのがいるってのがおかしいよね。だってここって種族関係無く、人妖仲良く暮らしましょってのがコンセプトでしょ」
「それはそうだが、あれは仕方ないことなのでは」

 ルナサがそう言うと、レイラは人差し指を立てて、横に素早く振る。

「それは甘いね。やっぱり妖怪って人を襲ってなんぼだからさ、重要なんだって。それでかつ、人間にも勝ち目がある……決闘とかで襲うことを義務付けるルールを作れば……」
「例えば?」

 リリカがグラスの中に入っていたアイスティーを飲み干し、氷を口に含んでからころとさせながらレイラに聞く。


「……ベーゴマとか?」

 それを聞いた瞬間、メルランが吹き出す。それに釣られて、ルナサとリリカも大笑いをした。

「いくらなんでも平和すぎでしょー」
「メルラン、平和で何がいけないのよ」
「いやいいことだけどね」
「もー笑うなあ!」


 レイラは藍のしたことをしっかりと理解していたし、仕方の無いことというのも分かっていた。事実本人、そんなことで藍を嫌うほど子どもでは無いと思っていた。



 ルナサが立ち上がり、空いた皿を下げはじめる。

「私達は、そういう種族とか関係無しに楽しめるために音楽をやっているんじゃなかったか? レイラ」
「音楽は種族も何も関係無い、素晴らしいことだわ!」

 ルナサの言葉を聞いて何か思い立ったのか、レイラは机にばんと手をつき立ち上がる。


「練習よ!」


 レイラの音頭に、メルランもリリカも立ち上がってリビング横に設けられた練習スペースへと歩いていく。

 ルナサも皿に少し水を落として後々汚れが落ちやすいようにすると、バイオリンを手に練習スペースへと入る。



 全員揃ったことを確認すると、レイラがルナサを指した。

「昨日実践でコンチェルトグロッソを聞いて思ったけど、ルナサは音弱すぎ。リズム感はいいけど、あのままじゃメルランとリリカに飲まれっぱなしよ」

 急に名指しされたルナサは、びっくりして言葉が出ない。


 レイラはそのまま指を水平に滑らせて、メルランを指す。

「メルラン走りすぎ。もう最悪よ最悪。一人で曲をぐっちゃぐちゃにしてるわ。もっと周りの楽器の音も聞いて」

 メルランは口を開けてポカーンとしてしまった。


「そしてリリカ。完全に実力不足。セッションなんて出来るレベルじゃ無いわ。もっと真面目にやって」

 リリカは最初こそポカーンとしていたものの、段々と顔が怒ってきているのが、端から見ても分かる。

「リリカは本当基礎からやった方がいいかもね。もっと拍を理解してよ。リリカが出来ないといつでも出来ないんだから」

 リリカは我慢の限界だった。

「さっきから聞いてれば偉そうに」
「何よ」
「どうせ楽器なんか出来ないくせに!」
「理解してるもの。少なくとも、リリカなんかよりずうっと」
「ふん、楽器は読む物じゃない」
「だから! 私は曲を作るために楽器の勉強してるんでしょうが!」
「演奏してみてよ!」
「だからそれは違うって言ってんでしょ! リリカさえいなければ何もかも上手くいってんのよ、気づきなさいよ!」
「レイラだって、自分が空気壊してるって何で気づかないかなぁ。レイラこそいない方が私達のためになるよ!」
「あっそう、もう知らない!」

 レイラはずしずしと大股で歩いて、バックを手に取り家を出ていっていまう。

「あー清々した」

 リリカもリリカで、ずんずんと大きな音を立てながら階段を上り、部屋に閉じこもってしまう。


 残されたルナサとメルランは肩を竦め合った。

「とりあえず一時間くらいしたら迎えに行くかな」
「あ、白玉桜に行くなら妖夢に何か持っていった方がいいと思うわ」
「そのつもり」
「食べ物以外で」
「分かっている。食べ物のお土産なんて、妖夢に回るわけが無いから」
「じゃ、私も一時間くらいしたらリリカにコンタクト取ってみますか」
「寝巻に着替えるんじゃないぞ」
「へいへーい」



 コンチェルトグロッソが完成するのはいつになることやら。
今回はあとがきでふざけてる余裕が無いので色々と語らせていただきます。
いくつかの台詞がどうしてもやりたくてやってしまった作品。
密かに続けているプリズムリバー成長物語の一部です。色々なことを見て成長します。させます。
初のオリキャラ物だったのですが、難しいですね。
鉄梟器師ジュディ♂
http://tetuhukuroujudy.blog82.fc2.com/
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