幻想郷の霧の湖。
妖精たちが住まう森の真ん中にあり、その近くには血の様に赤い屋根の館が建ち、その反対側の岸には
荒れ果てた洋館が森に埋まっている。
日中の殆どは霧に覆われ、知らない者が立ち入ればその霧の中から戻ってくる事は、ない。
ある者は霧の中に潜む何かにかどかわされたと話し、また他のものは、妖精たちの悪戯で霧の中を
さまよい続けていると言い、また他の者は霧に紛れた妖怪に食われたと話す。
霧の中から戻ってきたものは皆無なので、話の真贋は未だ明かされたことは無い。
その中に彷徨う人影を見たと熱弁するものもいたが、彼もまたそれを証明すると言い、霧の中に消えたままだ。
霧は昼に出て、夜は消える。その理由は不明で、その原理も不可解なまま、湖はあり続ける。
そんな湖の夜は静かに、そして美しい。
満月が出る日は妖精たちがざわめき、湖の上で一晩中ダンスをしたり遊興にふけるという。
ただ、その日は満月にしては珍しく、湖は油を流したように波も無く、妖精たちも騒がない。
風も霧も無く、湖面は満月を映し続ける。
そのほとり。
湖に浮かぶ、または落ちてきた物々が流れ着く淀みの岸辺。
朧な光が森の中からやってくる。
濃緑の髪に黒いマントを羽織った、白いワイシャツ姿の影。その周りには小さい気配が濃密に満ちている。
「ひと月ごとに来てるけど、ここはまだ穴場なのね。」
朧な光を纏う影は一人、誰かに話すように呟くと、無数の気配が返答をするが如く蠢く。
「おかげで君らには不便をさせずに済むけど…そろそろ見張りと不審者の排除を任命したほうがいいと思わない?」
誰もいないはずなのに、その言葉に賛同の意を纏う気配がまた蠢いた。
「人も私達も、君らも同じ、何かを食べなければ生きていけない。時々不便に思うわ。しかも食べる物が同じならいいのに
みんな食べられるものはバラバラ。君らは人間に追われ、時には食べられる。私達はその人間を食べる、君らはその亡骸を腹に納める。
妖怪、人、そして君ら、どれが一番恐ろしいのやら。」
困惑の気配が一瞬ざわめいた。その中には畏れもある。
「何を答えても怒らないわよ。私にも答えなんて出せっこないんだから。」
安堵を交えた気配が辺りを漂い、その中心にいる影はゆっくりと湖の岸辺へ歩を進める。
「チルノじゃ無くて大ちゃんに話をしておいたのは正解ね。誰も出てこない。」
湖の上を歩き回る影がいない事を認めて、彼女ーーーリグル・ナイトバグはうんうんと一人うなづく。
そしておもむろに岸辺に腰を下ろし、流れ着いた物々を吟味し始めた。
「これは・・・使えるもの。」
べしゃ、と濡れた音と共に、岸へ何かが放り出された。
「これは・・・あの子達に。」
重く硬い音が複数響く。
「これは・・・河童に売ってしまうかな?」
乾いた金属音が鳴り響く。
そんな作業が続いて、三つの山が出来た。
一つは薬缶や錆びた金属の部品がついた何か。二つ目は流木や藻、草木の屑。三つ目は…。
その中の二つにリグルの背後の気配が待ちきれないとばかりに許可を待っている。
「待たせたわね。みんな、たんとおあがり。」
それを合図に無数の羽音と、地面を這い回る何かの音がいっせいに漂流物の山に殺到した。
多い尽くさんばかりの蟲の大群、それが気配の元。そしてリグルの僕でもあるものたち。それらは本能に従うが如く、山の二つに殺到する。
「喧嘩はいいけど、共食いは別でね。」
釘を刺す様に言って、リグルは岸辺に流れ着いたものを拾い上げる。
緑色に苔むしたような骨。獣骨なのか人骨なのかも解らないそれを、リグルは何事も無く口に入れ、噛み砕く。
ボリボリと言う音が響き渡るが、蟲たちは反応しない。
「月の影や灯火の届かぬ所に妖怪や夜盗が潜むように、生き物の中にも潜むものがいるのよ…。」
霧の中に消える人達、それは、彼女の仕業。
何も彼女が操れるのは普通の蟲だけではない。水、土、風、そのどれにも蟲は潜ませることが出来る。
幼生の形でも、卵でも、原生的なものなら干からびても水を与えれば蘇生する。
哀れな犠牲者はそれに自然と、気づかぬうちに操られ、霧の中に消える。その下に広がるのは湖。
犠牲者はこの場所まで泳いでいかなければならないと思い込み、力尽きるか、溺れ死ぬーーーそれは人獣を問わない。
よしんば無事にたどり着いても、岸には上がらず、低体温で死ぬまで水に浸かる事になる。
途中で力尽きたものも、数日後には流れに乗ってここに漂いつく。
そして、彼女とその僕の餌となり、欠片も残らなくなるのだ。
「『人を襲わない』ルールには反してないし、私が狙うのは身寄りの無い者か厄介者だから誰もとがめない。花札で言えば八、九、三。」
くすりと笑って振り向くと、二つの山は殆ど無くなり、一つは白いものがバラバラに散っているだけになっていた。
流木の山はチップ状の残骸になっている。
「後はこれを混ぜて肥料の元にするだけ。金属は明日以降纏めればいいか。」
呟いて、リグルは言った。
「満足できた?」
気配と羽音が響く。感謝を表すように。
その中から、スズメバチとアシナガバチが出てきて、彼女は彼らに言った。
「蜂たちはいつもどおり、ミツバチの巣箱を襲わないように。これだけあればしばらくは持つでしょう。足りなくなったらその都度私に言って。
分蜂された物は古いのなら許可するわ。ただし鈴蘭の丘には行かないこと。あそこの蜜は誰にも使えないから。いいわね?
その約束を守ってくれるなら、ここの守りは任せるわ。」
辺りに大きな羽音が響いた。
「明日は幽香様の手伝い、四日後は紅魔館の害虫退治だから、それまでは自由に暮らしてて。今晩はここで解散。」
その声を合図に、気配が霧散して、羽音が遠ざかり、消えた。
一人残ったリグルは、どこからか麻袋を取り出すと、金属以外の残骸を詰めて湖を見やる。
「無駄と本人が言おうが、命はこうやって循環する。望もうが望むまいが。生きる者に無駄なものは無いのよ。私から見ればね。
妖怪にとって、人や獣はミツバチのようなもの。それを解っていないのは人間だけって言うのが滑稽ね。」
皮肉めいた笑みと共に、リグルは麻袋を持って飛び上がる。
「…来月は何体流れ着いているかな…?」
何かを期待する声が響き、鳴り止む。
それを見ているのは湖面と空、両方にある月のみだった。
妖精たちが住まう森の真ん中にあり、その近くには血の様に赤い屋根の館が建ち、その反対側の岸には
荒れ果てた洋館が森に埋まっている。
日中の殆どは霧に覆われ、知らない者が立ち入ればその霧の中から戻ってくる事は、ない。
ある者は霧の中に潜む何かにかどかわされたと話し、また他のものは、妖精たちの悪戯で霧の中を
さまよい続けていると言い、また他の者は霧に紛れた妖怪に食われたと話す。
霧の中から戻ってきたものは皆無なので、話の真贋は未だ明かされたことは無い。
その中に彷徨う人影を見たと熱弁するものもいたが、彼もまたそれを証明すると言い、霧の中に消えたままだ。
霧は昼に出て、夜は消える。その理由は不明で、その原理も不可解なまま、湖はあり続ける。
そんな湖の夜は静かに、そして美しい。
満月が出る日は妖精たちがざわめき、湖の上で一晩中ダンスをしたり遊興にふけるという。
ただ、その日は満月にしては珍しく、湖は油を流したように波も無く、妖精たちも騒がない。
風も霧も無く、湖面は満月を映し続ける。
そのほとり。
湖に浮かぶ、または落ちてきた物々が流れ着く淀みの岸辺。
朧な光が森の中からやってくる。
濃緑の髪に黒いマントを羽織った、白いワイシャツ姿の影。その周りには小さい気配が濃密に満ちている。
「ひと月ごとに来てるけど、ここはまだ穴場なのね。」
朧な光を纏う影は一人、誰かに話すように呟くと、無数の気配が返答をするが如く蠢く。
「おかげで君らには不便をさせずに済むけど…そろそろ見張りと不審者の排除を任命したほうがいいと思わない?」
誰もいないはずなのに、その言葉に賛同の意を纏う気配がまた蠢いた。
「人も私達も、君らも同じ、何かを食べなければ生きていけない。時々不便に思うわ。しかも食べる物が同じならいいのに
みんな食べられるものはバラバラ。君らは人間に追われ、時には食べられる。私達はその人間を食べる、君らはその亡骸を腹に納める。
妖怪、人、そして君ら、どれが一番恐ろしいのやら。」
困惑の気配が一瞬ざわめいた。その中には畏れもある。
「何を答えても怒らないわよ。私にも答えなんて出せっこないんだから。」
安堵を交えた気配が辺りを漂い、その中心にいる影はゆっくりと湖の岸辺へ歩を進める。
「チルノじゃ無くて大ちゃんに話をしておいたのは正解ね。誰も出てこない。」
湖の上を歩き回る影がいない事を認めて、彼女ーーーリグル・ナイトバグはうんうんと一人うなづく。
そしておもむろに岸辺に腰を下ろし、流れ着いた物々を吟味し始めた。
「これは・・・使えるもの。」
べしゃ、と濡れた音と共に、岸へ何かが放り出された。
「これは・・・あの子達に。」
重く硬い音が複数響く。
「これは・・・河童に売ってしまうかな?」
乾いた金属音が鳴り響く。
そんな作業が続いて、三つの山が出来た。
一つは薬缶や錆びた金属の部品がついた何か。二つ目は流木や藻、草木の屑。三つ目は…。
その中の二つにリグルの背後の気配が待ちきれないとばかりに許可を待っている。
「待たせたわね。みんな、たんとおあがり。」
それを合図に無数の羽音と、地面を這い回る何かの音がいっせいに漂流物の山に殺到した。
多い尽くさんばかりの蟲の大群、それが気配の元。そしてリグルの僕でもあるものたち。それらは本能に従うが如く、山の二つに殺到する。
「喧嘩はいいけど、共食いは別でね。」
釘を刺す様に言って、リグルは岸辺に流れ着いたものを拾い上げる。
緑色に苔むしたような骨。獣骨なのか人骨なのかも解らないそれを、リグルは何事も無く口に入れ、噛み砕く。
ボリボリと言う音が響き渡るが、蟲たちは反応しない。
「月の影や灯火の届かぬ所に妖怪や夜盗が潜むように、生き物の中にも潜むものがいるのよ…。」
霧の中に消える人達、それは、彼女の仕業。
何も彼女が操れるのは普通の蟲だけではない。水、土、風、そのどれにも蟲は潜ませることが出来る。
幼生の形でも、卵でも、原生的なものなら干からびても水を与えれば蘇生する。
哀れな犠牲者はそれに自然と、気づかぬうちに操られ、霧の中に消える。その下に広がるのは湖。
犠牲者はこの場所まで泳いでいかなければならないと思い込み、力尽きるか、溺れ死ぬーーーそれは人獣を問わない。
よしんば無事にたどり着いても、岸には上がらず、低体温で死ぬまで水に浸かる事になる。
途中で力尽きたものも、数日後には流れに乗ってここに漂いつく。
そして、彼女とその僕の餌となり、欠片も残らなくなるのだ。
「『人を襲わない』ルールには反してないし、私が狙うのは身寄りの無い者か厄介者だから誰もとがめない。花札で言えば八、九、三。」
くすりと笑って振り向くと、二つの山は殆ど無くなり、一つは白いものがバラバラに散っているだけになっていた。
流木の山はチップ状の残骸になっている。
「後はこれを混ぜて肥料の元にするだけ。金属は明日以降纏めればいいか。」
呟いて、リグルは言った。
「満足できた?」
気配と羽音が響く。感謝を表すように。
その中から、スズメバチとアシナガバチが出てきて、彼女は彼らに言った。
「蜂たちはいつもどおり、ミツバチの巣箱を襲わないように。これだけあればしばらくは持つでしょう。足りなくなったらその都度私に言って。
分蜂された物は古いのなら許可するわ。ただし鈴蘭の丘には行かないこと。あそこの蜜は誰にも使えないから。いいわね?
その約束を守ってくれるなら、ここの守りは任せるわ。」
辺りに大きな羽音が響いた。
「明日は幽香様の手伝い、四日後は紅魔館の害虫退治だから、それまでは自由に暮らしてて。今晩はここで解散。」
その声を合図に、気配が霧散して、羽音が遠ざかり、消えた。
一人残ったリグルは、どこからか麻袋を取り出すと、金属以外の残骸を詰めて湖を見やる。
「無駄と本人が言おうが、命はこうやって循環する。望もうが望むまいが。生きる者に無駄なものは無いのよ。私から見ればね。
妖怪にとって、人や獣はミツバチのようなもの。それを解っていないのは人間だけって言うのが滑稽ね。」
皮肉めいた笑みと共に、リグルは麻袋を持って飛び上がる。
「…来月は何体流れ着いているかな…?」
何かを期待する声が響き、鳴り止む。
それを見ているのは湖面と空、両方にある月のみだった。
あとがきを読んで、香霖堂の十一年蝉の話を思い出しました。
十一年蝉が鳴いた年は豊作?(うろ覚え)になるんでしたっけ。
あれも環境の変化によって豊作となる「十一年周期」に呼応して出現したから「十一年」蝉と呼ばれるようになったのでしょうかね。
違っていたらすみません。
今作も良い作品でした。
次回作を待ってます。
うまくは言えないけれどこの表現や雰囲気がとても好きになりました。
ダークなとこだぜ幻想郷!
こういうリグルは新鮮ですね。