年に一度の行事なんて、そりゃいくらでもある。一つ過ぎれば、また一つ。延々続き、気付いた頃には同じ行事に辿り着く。定例行事は、ある意味で時計や鎖のように、穏やかに人生の時間を刻み続ける。
それならば何度も巡る行事の中で、ちょっとくらい気紛れを起こしても文句はあるまい。どうせ、五十年生きれば五十年関わるものだ。
そんなことを、霊夢は境内でぼうっと考えていた。
「興味はないんだけどね」
誰にともなく、断りをいれてしまう。
本日は、母の日という行事なのだそうな。子供の日に引き続き、よくまぁ母は感謝される日が続くものだと思う。ただ、感謝する相手と感謝してくれる相手のいない霊夢にとって、この日は特別何かをやろうという目的を見いだしにくい日であった。
家と絶縁状態だという魔理沙だが、それでも母親に何かを送るつもりだと言っていた。いや、口にはしなかったが、態度が実に雄弁に語っていた。
これは後日になってアリスの口から聞いたことだが、魔理沙は母に人形を贈ったのだそうな。金髪で、カーネーション模様の着物を着た人形。
それを聞いて、魔理沙に珍しく良いことをしたと褒めようとしたら、ちょっと口にしただけで顔を朱に染めて逃げ去ってしまうことになるのだが、数日後の話である。
閑話休題。今は今日の話にしよう。
さて。母の日と言っても、それは人間だけの祭りではない。特別に家族という仕組みの薄い妖怪においても、今日の行事はそれなりの祭りであった。
人間と妖怪、どちらが始めてどちらに伝播したのかは不明だが、今日は地霊祭という祭りがある。これは自らの母ではなく、幻想郷という大地に感謝をするというものである。母なる大地というのだから、母の日という名目で差し支えないのだろう。
人と妖怪が交ざり、祭りをおこなう。それは別に数少ないわけでもない、普通の行事。
そんな平和さに、時折自分の存在意義を見失ったりする。
「白けた顔をしているのね」
と、横に降り立つ大妖怪、八雲紫。
「神社で祭りが始まるのは夕方よ」
「知ってるわよ」
神社は少しばかり遠く、良くない妖怪が潜んでいて危険ということもある。そんな理由で、里の人間は神社まで出店を広げない。祭りとは、単に霊夢とその知り合いたちが集まって酒を飲むというだけのものである。つまり、宴会のことだ。
「それで、この人気のない神社でぼうっとしている巫女さんは、なんでそんな顔をしているのかしら」
「……別に」
若干、ムスッとした雰囲気が篭もる。
霊夢の機嫌が良くない理由が判らず、紫は首を傾げる。
「くだらないことを思い付いた自分に腹が立ってるのよ」
「あら、くだらないことしか思い付かないでしょ。元々よ」
殴っちゃろかこの野郎。そんな思いを胸で堪えながら、霊夢は静かに立ち上がって神社の中へと入っていった。そしてとことこと戻ってくると、ぶっきらぼうに取ってきたものを紫に向けて突き出す。
「はい」
何も言わず、ただ突き出すだけの仕草。それを、少し戸惑いながら紫は受け取る。
「え……何これ?」
「花」
「それは判るけど」
改めて聞かれ、霊夢は顔に朱を差しながら鼻を掻きながら腰を下ろし、答える。
「カーネーションよ」
「いや、花の種類も判るわよ。そうじゃなくて、なんでこれを?」
霊夢にとっては最も言いたくない答えを、珍しく無邪気に紫が訊ねる。しかし、霊夢にしてみればわざと聞かれているように思えて、何か悔しい気持ちになった。
「……今日は、母の日でしょ」
ボソリと、霊夢が漏らす。
すると紫は軽く頭を掻いてから、ポンと手を叩いた。
「……遠回しな老けてるって意思表示だとしたら、ゆかりん泣いちゃうんだから」
「違うわよ……って、そんなかわいこぶった科白を言いながら殺気を溢すな。牙を剥くな、拳を固めるな!」
半ば本気で怒りかけた紫に、霊夢は冷や汗を流した。
「……あんたは、結界作ったりしたわけでしょ。それなら……幻想郷の生みの親というか、育ての親みたいなものでしょ」
誤解で攻撃されては敵わないと、ボソボソと早口で理由を述べる霊夢。そう言われると、紫は少し唖然としてしまった。
「それで、カーネーション?」
「そうよ」
貰った白く美しいカーネーションを眺めつつ、気になっていた疑問を投げる。
「で、何で白いの?」
「白い方が綺麗でしょ?」
理由は、別になんら思いがあってと言うものではなかった。
赤い方が普通なのだけど。と思ったが、無粋と思ったので口に出すことは止めた。その代わり、別のことを口にする。
「清らかな愛」
ポツリと、特に意識もせず口にする。
「……何よ、似合わないわね」
そんな心ない言葉に、僅か傷つく紫。
「似合わないってどういう意味よ。それがこの白いカーネーションの花言葉なの」
ムスッとした紫を気にせず、霊夢は花を眺めて感心した。
「へぇ、カーネーションって、そんな花言葉があるんだ」
「つまり、霊夢は私に」
「返して、それ」
紫の言わんとしていることを察した霊夢は感情を込めずに手を伸ばす。
「……そういう反応は早いわね」
「変なこと言うからでしょ」
本当に奪う気はないようで、伸ばした手はスッと引っ込めてしまう。
「ありがたく貰っておくわね」
「はいはい」
霊夢は目を背け、やや赤らんだ頬を冷ますように手で仰ぐ。
そんな霊夢をからかうように、けれどどこか同情をするように、紫が呟く。
「寂しいんだ」
「……何の話よ」
「贈る相手、欲しかったんでしょ」
「そんなんじゃない」
調子を狂わされっぱなしの霊夢は、下手なことを言わないようにと短く雑に言葉を返す。
「意地っ張り」
「ふん」
霊夢は目を背けついでに、縁側に横になろうとする。すると、紫はソッと動き、霊夢に膝枕をした。
一瞬だけ驚いたが、霊夢はそのまま、特に拒絶することもなく膝枕を受け入れた。
「母代わりにはなれないけど、仕方ないわね。今日くらい、優しくしてあげるわよ」
「……あんたが母代わりなんて、ゾッとするわ」
「はいはい」
我が子の癇癪をなだめるように、紫は優しく、霊夢の頭を撫でていく。
「涼しい、穏やかな日ね」
「えぇ、そうね」
午前中は曇り、ほんの少し雨を降らしていた空は、いつの間にやら日の光で地面を温めている。
澄んだ風と穏やかな日差しが頬を撫で、霊夢はほんの少しだけ、寂しさを感じた。そしてそんな気持ちを、鋭敏に紫は感じる。
「眠りなさい。日が暮れる前には起こすわ」
「……そう」
そう言われると、少しばかり考えてから、霊夢は眠ることを選んだ。
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
もぞもぞと頭の位置を整えて、じきに霊夢は小さな寝息を立て始める。
紫は小さく願う。この弱く儚い少女が、夢の中でくらい母に会えますように、と。
温めの風が、二人を包み込むように優しく漂う。
「良い夢を見なさいよ」
そう呟きながら、ちょっとしたおまじないにと、眠る霊夢に軽く口づけをした。
誰より儚く孤高な、幻想郷を守護する少女。それを放っておけない、今の幻想郷の生みの親の一人。
夕方までのほんの僅かな時間だけ、紫は霊夢の母であった。
太陽よ、願わくば今日だけは、ゆるりゆるりと沈んではくれまいか。
空に浮かぶ、願いが一つ。それは果たして、誰の思いだったのだろうか。
そんなこの日の日暮れは、普段よりも僅か遅かったように、宴会を待つ妖怪連中には感じられたそうである。
終始にやにやして堪能してしまいました。
母性溢れる紫、いじっぱりな霊夢、どっちも可愛いよー!
カーネーション?ワインか何かですか?
祭りの喧騒を待ち焦がれて長く感じる時間と緩やかな膝枕の時間の対比ですごい読後感になってますよ!!
これは……すごくいい話ナリ……。
白いカーネーションは送る相手がいない人が、亡き母を思い飾る物とされているのだそうですね。
花言葉を知ってその訳がわかったような気がします。
心地好い読後感を有難う御座いました。
許せる!もっとやれ!
いや違う。「柔らかい」だな、これは…
あたたかくなったぜ。