全ては、亡霊嬢の鶴の一声から始まった。
「うまいもんが食べたい。うまいもんが食べたくて仕方ないの。そう、幻想郷一うまいのを、食べたい!」
かくして、楽園史上最大の料理大会が始まる。その名を、幻想郷一料理人決定戦という。
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桜咲き誇る、大宴会場。
冥界は通常、その高度と霊の多さによって、四月でも若干肌寒いほどである。
しかし、この熱気は異様。異様としか言いようがない。
それもそのはず。ありとあらゆる人妖が、この会場に集まっている!
そう言っていいほどの、人妖の海が押し寄せているのだ。
うまいもんが食べたい。それは、西行寺幽々子ただ一人の願いではない。誰しも、常日頃、本能から願っていることなのである!
であれば、観客のごった煮状態も必然と言える。うまいもんが食える。だから、来る。それで、十分!
「お待たせいたしました。みなさん、こんにちは。新聞記者なのに、こういう場では必ずというほど司会進行役になっちゃう、射命丸文です」
「解説の八雲紫です。どうぞよろしく」
なんでもない、ただの自己紹介。にも関わらず、怒涛の勢いで歓声が上がる!
もうすぐ、始まる。その溢れんばかりの期待、歓喜、胸の高鳴りが、声となって表れる。
「さあ、幻想郷一の料理人を決めましょう! うまければ勝ち、単純明快! 予選トーナメントを勝ち上がった、総勢16名の料理人が、このスタジオに集結しています!」
「優勝者には、それなりの賞金をプレゼントいたしますわ」
我こそはと集まった、幻想郷の職人達。
しかもこの16人、厳しい予選をくぐり抜けてきた強者ばかりである。
予選落ちとなった妖怪達も、この会場にずらりと顔を並べて勝負のゆくえを見守っている。
「さあ、決勝トーナメント第一回戦です! ここから、ノンストップ、ノンカットで実況していきます! 紫さん、ルール説明をお願いします」
「はーい。第一回戦は、『初回からチキチキ全力バトル ~ 私の得意料理はこれよ!』を行うわ!」
「そのチキチキってのいりませんよね」
「これから二人の対戦者が得意料理を持ってステージに上がるわ。で、審査員が順番に料理を食べて、おいしかった方の勝ち。分かりやすいでしょ?」
「えっと、審査員は……」
「ええ。第一回戦は妖夢が担当するわ。白玉楼の台所事情をよく知っている彼女だから、いいジャッジが下せると思うわよ」
ステージの真ん中の真ん中、妖夢が緊張の面持ちで、ちょこんとテーブルについている。
「あ、よろしくお願いします」
「そうそう、会場の各テーブル分の料理も用意させているから、観客の皆も安心しなさい」
途端に拍手が沸き起こる! そして響き渡る、ありがとうございますの嵐!
皆、うまいもんを食うことばかり考えていたのだ。
紫コールに文コールが、観客席から噴火する!
「うまいもんが食いたいかー!」
「空腹の準備はできてるかー!」
紫と文の扇動に、観客のボルテージは臨界点を突破!
拳を突き上げ、料理を今か今かと待ち望む。
「では、参りましょうか!」
至上最高の宴会が、今、始まる。
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「一戦目! 先攻、博麗霊夢!」
いきなりの大物出現に、観客からどよめきが上がる。
一戦目から、霊夢。神社の宴会でも彼女の料理が振舞われているため、それなりに名が知れている。
そんな彼女が、一戦目からの出場。霊夢クラスの料理人が続々と登場することが予想され、会場は期待の空気に包まれた。
「霊夢か。あの子のモットーは、安く、うまく、お腹一杯に。家庭の知恵がつまった倹約料理を得意とするわ」
紫がアナウンスしただけで、すでに生唾を飲むものも出てくる始末である。
ステージ、向かって左サイド。フタ付きの銀のお盆を持って、霊夢がステージに現れた。
と、同時に。会場向けの料理を、橙がテーブルに運びはじめる。
「あ、まだ開けちゃ駄目ですからね?」
観客の目は、もはや獣のそれである。弱ったガゼルを目前にする、ライオン。いつ飛びかかっても仕方ない。
「まあまあ、慌てない慌てない。一休み一休み。料理はこれだけじゃないんだから」
「後攻、村紗水蜜!」
ステージ、今度は右サイド。自信たっぷり背を伸ばし、船長がずんずんやってきた。
「村紗水蜜。船旅で培った、豪快な料理を得意とするわ。彼女の海軍料理は稀少価値が高くて、魅了されるものも少なくないわね」
「海軍、ですか?」
「それっぽければいいらしいわよ?」
霊夢と比べると、その料理の腕はさほど知られていない。しかし、一度その料理の魅力に取り憑かれれば逃げられない。
彼女の料理欲しさに、命蓮寺に行列ができたという噂さえある。
「では、参りましょう。霊夢さんの料理、オープン!」
「こういう場所だけど……。あえて素朴に攻めてみたわ」
初っ端の初っ端。客どもの輝く眼差しを受けながら、お盆の蓋が取り去られる。
直後、感嘆の声があちらこちらで漏れ出る。
まず目につくのは、大きめのどんぶり。そしてその中身は。
「一番、博麗霊夢。『照り焼きハンバーグ丼』よ」
一同、咆哮! この日この時のために、皆、腹をすかせて待っていた!
そこに、ボリューム満点のこのメニュー。喜ばないものなど誰一人していない!
が、直後。喜び勇んで口にした者達から、ざわざわとした声。
それは、意外、予想外、想定の範囲外。そういった驚きから出る反応であった。
「と、豆腐だよこれー!」
妖夢、絶叫! 思いがけず、絶叫!
通常、こういった勝負の場では、最高の食材でもって、最高の腕をふるうはずである。
しかし、ハンバーグの食材が、まさかの豆腐。つまりは代用品!
本来は、安い、健康的、豆腐が余った、といった理由で作られるしろもの。
霊夢の言葉を借りるならば、あまりに素朴すぎる料理であった!
「いや、待ってください。これ、予想以上に……!」
しかし、しかし!
この料理を食したものは、二重に予想を裏切られていた!
一つは、食材が豆腐であったこと。
そしてもう一つ。存外に濃厚、かつ心地の良いまろやかな刺激に襲われたからである!
「……たれ、ですか。そうか、それで照り焼き!」
審査員、早々にしてこの料理の肝に気づく。
全てはこの、照り焼きソースにあった。
豆腐ハンバーグは一見、味気なく、さっぱり指向のイメージが強い。
しかし、照り焼きと銘打てばどうだろう。
濃厚なソースが豆腐に絡み、いいあんばいに、甘辛いとろみと変化するのだ。
これが肉だったらどうだろう。最悪の場合、濃厚かける濃厚となり、好みの分かれるところとなってしまう。
「甘辛い醤油……。私の好みをピンポイントでついてくるなんて、さすがです! ご飯にかかるのがまた、いいです!」
とろとろとしたソースが、雪のように柔らかいご飯の上に、コーティングされる。
その姿はまるで、美しい柔肌の色白美人に、ほんのり艶やかな浴衣を着せたかのようである。
醤油とみりんのとろりとした食感の後、ご飯の粘りとほのかな甘味が、波状攻撃で襲いかかる。
これにより、食の勢いにブーストがかかる。ご飯が、みるみるうちに減っていく。
「……ところで、霊夢さん。この薬味は、一体……」
「ああ、それ? 大根の葉っぱだけど」
「なんですと!? ……でも、これがまた、その。グーです。いい、アシストしてます」
多くはネギやシソが使われる薬味であるが、これも生活感丸出しの、大根の葉! もはや余り物と言わざるを得ない食材である。
だがしかし! この大根の葉こそ重要な脇役、いや、第二の主役なのである。
豆腐丼。これでは、噛みごたえというものが大きなウィークポイントとなってしまう。
ここに、大根の葉。これは、噛みごたえを重視した結果によるものである。
大根の茎の方は、シャキシャキというより、ザクザクに近いほどのもの。歯に心地よい刺激が与えられる。
また、全体的に甘くなりがちなこの料理全体を、大根の葉のかすかな苦味で引き締めている。
メインの食材が豆腐であるということも相まって、決してくどくなく、かつとろけるような濃厚さを楽しむことができるのだ。
「さすが、決勝トーナメントですね。これほどにまで、レベルが高い料理を味わえるなんて」
「そう? 気に入ってくれたのならいいけれど」
素っ気ない霊夢の態度であるが、その実、ニカニカとした笑いを隠しきれない。
うまいものを食べるのも喜びであるが、うまいものを食べさせるというのもまた、この上ない喜びである。
「ふっふっふー。まだまだ、それだけで満足しちゃいけませんな」
忘れていた、と言わんばかりに。一同、その声にはっとする。
これは、戦いである。うまいもんとうまいもんがぶつかり合う、戦争である。
我こそは、「もっとうまい」を知っている。そう言わんとばかりに、キャプテン・ムラサが待ったをかける!
「審査員! もういいよね? 私の料理、そろそろいいよね?」
「あ、えっと。そうですね。じゃあ、どうぞ」
霊夢の料理の衝撃に、若干気を取られていた妖夢であったが、気を引き締め直す。
観客から、さっきのが勝ちでいいじゃん、というムードも出てはいた。
しかし、そんな空気はものの数秒で消え去ることになってしまう。
「世の男性諸君が喜ぶ手料理、といえばこれだよねー」
突如見せる、魔性の微笑み。その笑顔にくぎ付けになってしまう。
「二番、村紗水蜜。『カレー風味肉じゃが』だよ!」
素朴VS素朴。神のいたずらか、家庭的な料理対決と相成った。
会場の空気は一転、ほんわかムード。
村紗の意外な一面、思いがけない母性を垣間見た、そんな気分にさせられる。
男性客の足は、その魅惑につかまれた。あとはその味でもって、「うまい」の海に引きずり下ろすだけである。
「カレー風味……。なるほど、確かにあくまで、風味なんですね」
名前からは、B級グルメ特有のくどい料理を連想する。
しかし、あくまで風味。カレーは出汁のようなポジションとして使われている。
ゆえに、肉じゃがそのもののうまさを損なっていない。
特筆すべき点は、じゃがいもである。じゃがいもは、その味の淡白さから、調理によって味が大きく変化する。
だからこそ、薄味。
少しだけ煮崩れした、出汁をふんだんに吸い込んだじゃがいもを、ほっくりと噛み切る。
口の中でほぐしているうちに、ほんのりとカレーのうまみが効いてくる。
「肉じゃが、ミーツ、カレーだよ。海軍っぽさ倍増で、いいでしょー」
「いい感じに融合してますね。それにこの、玉ねぎ。溶けちゃってなくて、むしろシャキッとしてるのが高評価です」
「玉ねぎは後から入れててね。ほら、食感ってのも大切にしたいし」
新鮮な玉ねぎからは、うっすらと甘い香りが立ち上る。
カレーの旨みで口がいっぱいになったら、今度はさっぱり玉ねぎでリセット。もう一度旨みを楽しめるという寸法である。
「どうよー。おいしいでしょー?」
しかし、その声に反応するものは、いなかった。
皆が皆、食べることに夢中になってしまっている。もはや、虜。料理の虜になってしまっている。
「カレーを使っているけれど、その味も巧みに薄くしてある。いや待て。……かすかに。かすかな香り、うま味がある。この香りはなんだろう……」
「よ、妖夢さん?」
「おのれ、この妖夢の味覚と嗅覚を試そうというのか!」
独り言。妖夢が料理と格闘を始める。
白玉楼の美食倶楽部である妖夢のプライドが、そうさせるのである。
「問題はこのうま味。こんぶでもない。カツオでもない。しいたけでもない。ニラでもない。コケモモでもない……」
そのとき。妖夢、開眼!
つきとめる。そのうま味の根源を!
「桑の実だ! そうでしょう!」
「いいえ、にんにくです」
「へえー。どうりで、妙にうま味が聞いてると思いましたよ」
「スタミナって、なんか海軍っぽい感じするしね。元気倍増だよ」
カレーに、にんにく。うま味を加速させるための、最終兵器である。
じゃがいもの、奥底にカレーの風味。さらに、カレーの奥底に、にんにくの風味。
この二重のトラップこそ、この料理の正体であった。
大多数の人はその旨みの正体がつかめないままであるが、妙にうまく感じる。そういった料理である。
しかしそこには、緻密に仕掛けられた、ムラサ船長のトリックがあったのだ。
見えないにんにくのうま味を求めて、どこまでも食べに食べてしまう。底なしの料理であった。
「では、そろそろジャッジに移りましょうか」
と、ここで文のアナウンス。判定を急かされてしまって、妖夢は困惑の色を隠せない。
「えっちょっ待ってくださいよ! これ、どっちもおいしいですって!?」
「それでも決着をつけるのがあなたの役割よ、妖夢」
「え、えー。でも、これ、本当におんなじくらい……」
「それでは判定に移りましょう。霊夢の照りやきハンバーグ丼か? 村紗のカレー風味肉じゃがか?」
「妖夢の判定はーどっち!?」
悩ませる。初戦から、レベルがあまりに高すぎた。
互角に、うまいもん。それでも決着をつけなければならない。
どちらかは、ここで敗退。残酷な処遇。それを、妖夢は下さなければならない。
妖夢は慎重に、口を開く。
「料理のおいしさは……。正直、互角です。本当に、優劣つけられません」
客席が、ざわつき始める。同時に、仕方ないとの声も挙がる。
が、予想に反して妖夢は続ける。引き分けなんて甘い決断は、無い。
審判を下すため、妖夢は語り続ける。
「両者とも、食材の扱いかた、歯ごたえ、共によく練られていました。この点については、互角です」
いつしか、会場は妖夢の声だけが支配するようになっていた。
「村紗さんの料理。うま味がどんどん足し算され、豊かな色彩を生んでいました」
途端、「おおっ」という声と共に、観客の視線は村紗に集まる。
「しかし、霊夢さんの料理は、かけ算だった! あのたれ一つで、二倍、三倍のうま味がありました!」
賑わう。歓喜と落胆が、同時に起こる。
「たれ、豆腐、ご飯。限られた食材をうまく変身させていました。食材の可能性を、引き出していたんです」
「では、判定を……」
「勝者、博麗霊夢!」
惜しみない拍手。うまいもんを食べさせてくれて、ありがとう。そう言わんばかりの、感謝の拍手。
霊夢は拍手の雨を浴びながら、満足そうに客席に混ざっていった。
村紗はというと、ちょっぴり残念そうな顔を浮かべたかと思うと、笑顔にころっと切り替わった。
「みんなー! 船長のご飯が食べたかったら、いつでもうちの寺にやってきてね! 待ってます!」
船長、右手を抱げ、敬礼。
こちらにも、割れんばかりの拍手が送られる。
それは両者の料理を越えるほど、あと味の清々しい光景であったという。
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妖夢は正直のところ、不安であった。
なぜなら一戦目の時点で、大会のレベルが想像以上に高く感じられたからである。
ここまでしておいてしくじってしまえば、もはやどこにも道が残されていない。
しかし、ここまできたらもう後には退けない。
妖夢は首を振って、次の審査のために気を引き締めなおすことにした。
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「さあ、どんどん行きますよー。ニ戦目! 先攻、東風谷早苗!」
「東風谷早苗。外の新しい料理を知る貴重な料理人ね。パーティーなんかで自身の料理を振舞っているらしいわ」
幻想郷の中では、おそらく流行の最先端をいくであろう。アナザー巫女、東風谷早苗が現れた!
口元は固く結ばれているが、その端は自信ありげに上向いている。
「後攻、伊吹萃香」
「さて、萃香。飲み会の席でちょっとしたつまみを持ってくるのが得意みたい。ごちゃごちゃ言わずにまずは食え、がモットーね」
「料理だって勝負。全力でいくからね?」
自身ありげ、どころか余裕しゃくしゃくの笑み。ふらふらとした足取りから、この一舞台にも関わらず呑んできていることが分かる。
ふざけているように見えるかもしれないが、これこそ、彼女なりのもてなし。全力のサインである。
「では、まずは私の料理からですね。今日はとっておきですよー」
額には汗。高くなる、鼻。一仕事やり遂げた後の手応えを、彼女は確かに手にしていたのだろう。
この世界に受け入れられる料理であるかどうかは、分からない。それでも、自信作。
誇りと不安の、相反する感情が、一緒になって声に表れている。
「……三番。東風谷早苗。『苺チーズタルト』を作ってきました!」
小さな宮殿が、各々のテーブルに出来上がっていた。
見た目の豪華さ、華麗さに、目を奪われてしまう。
さっくりと焼かれたパイ生地の土台に始まり、まずはホイップクリームの絨毯が敷かれている。
さらにその上には、まん丸とよく熟れた苺の城壁が堂々とたたずんでいる。
一つ一つの苺のみずみずしい輝きは、真っ赤な電飾のイルミネーションを想わせる。
「ささ。眺めてばかりでなく、食べてください」
その物珍しさに、誰しも目を奪われていた。しかし、これはあくまで食べ物。
食べ物の価値は、食べてみないと分からない。
「あ、なるほど。……ほお。ほおー!」
何しろ、大半の客が初めて口にしたスイーツである。
したがって、まずは「なるほどこういうお菓子であるか」という指向性をまずは把握する。
苺大福が、ものすごく豪華になったようなもの。まずは、そういったファーストインプレッション。
その上で、咀嚼。生地の柔らかな抵抗感が歯に伝わり、直後、苺から果汁が滲み出る。
「苺の爽やかな甘酸っぱさと、チーズのとろっとした甘ったるさが混ざって……。ふわふわで、その……。ハッピーな感じですね」
「ハッピー、ですか?」
「あ、えっと……。その、はい」
妖夢の口から、ハッピーなどという言葉が飛び出てしまう。
しかし、無理もない。
どこまでも甘く、口の中までとろけてしまいそうな食感。スイーツの味わいに、妖夢は本能から悦んでいた。
チーズとクリームの甘さだけでも、十分。
しかし、そこに苺のほどよい酸味と水分が合わさって、口の中はフルーティーな蜜で一杯になる。
禁断の果実というべきか、怪しいクスリというべきか。
気を抜くと、こればかり日がな一日食べてしまいそうな中毒性を兼ね備えていた。
「不思議です! 飲み込んだ後も、まだふわふわって甘い香りが!」
「バニラエッセンスですねー。最後の最後まで楽しめますから」
爽やかにして甘ったるい、バニラの香りがほんのりと口内に残る。
決して強力で刺激的なものではないが、甘さ中枢にとってはとどめとなる。
「いいですね、これ……。なんか、女の子って感じしますし」
「ですよねー。可愛い感じにできるから、好きなんですよー」
「良かったらその……。これが終わったら、作り方、教えてくれません?」
「もちろんですよ! 是非是非。一緒に作るってのも、結構楽しいんですよー」
いつの間にやら、ガールズトークに花開く。
なにやらほわほわな女の子の空間になってしまう。
甘党の観客には勝負あったかのように見えた。が、そうは問屋が卸しても、伊吹萃香が卸さない!
「じゃ、今度は私の番だねー。ま、何はともあれ食べてみればいいよ。食えば分かる」
決して負けじと、鬼がずずいと仁王立ち。
食え。食えば分かる。彼女はひたすらそう豪語する。
ならば、食わねばならない。その、溢れんばかりの自信の根拠を探すために!
「四番、伊吹萃香。『栗まんじゅう』」
二戦目にして、スイーツ合戦となった。
が、肩透かし。名前からすでに、華がない!
お盆の蓋が開かれると同時に、現れる栗まんじゅうの山!
と、いっても妙に白く、一つ一つが一口サイズ。
例えるなら、彼女のB射撃。あるいは、百万鬼夜行の団子状の弾というべきか。
「いいから食べなって。あ、そだ。お酒欲しかったらあげるから、言ってねー」
「あ、すみません。私は後の審査に影響が出たらまずいので、パスです」
「そう? あんた、ついてないねえ。お酒あってのつまみなのに」
どこまでいっても、マイペース。この栗まんじゅうに、果たして何が隠されているのか。
誰もがそう考えた頃合い。妖夢も一口食べようした、その時。
突如、観客席から絶叫! むしろ、悲鳴のようでもある。何事か、と思う間もなく、絨毯爆撃のように雄叫びラッシュ!
「な、なんじゃこりゃー!」
常軌を逸した栗まんじゅうであった。
口の中に入れた途端、生地が膨らみ始めたかのような食感。ふわふわ、どころではない。膨張にちかい。
その雲のように広がる、控えめな甘みをくぐり抜けると……。
「あ、泡! 泡が爆発する!」
冷えたカスタードの奥深く甘美な刺激が、口中に炸裂。
最後に、クリームに包まれた栗達がコロコロとその姿を現す。
「栗が、栗がぷりっぷりしてる!」
果実であり、果肉であり、果汁さえも感じられる。
弾けるような栗の噛みごたえに、口にした者は皆、目を丸くする。
その圧倒的なインパクトが、客席に火をつけた。
「これが、栗まんじゅう!? 馬鹿な! 何かの間違いだ!」
「これは花火だ……。口の中で弾ける、花火の菓子だ!」
「やっべ、萃香のくりまんまじうめえ」
「うまい、うますぎる!」
それは、手品を目の前で見ているかのようであった。
見た目からは想像もつかない宇宙が、饅頭の中に広がっていた。
しかも、誰もこの製法が分からない。分からないが、ただうまい。
萃香の、とりあえず食えというスタンス。今となっては頷ける。
食わねば、分からないのだ。しかし、それでは審査員も納得しない。
「萃香さん、これは一体、何を使っているんですか!」
「何を使うか? ちっちっちー。そんなこと、私には関係ないのさ」
栗まんじゅうを片手に、萃香がステージ中央にどっしりと構える。
「どんな料理も、良い素材と良い技術さえあればうまくなる。でも、それじゃあ駄目。私なら、私にしかできない料理を作りたいと考えたんだよ」
途端、手の上の饅頭が膨張を始め、最後には小さな爆発を起こした。
「密と疎を操る程度の能力。これほど料理に向いている能力は、そうないと思わないかい?」
「能力の使用……。そういうのも!」
勝ちにきた。この鬼は、勝ちにきた。
能力の使用だろうが、料理というよりお菓子だろうが、うまいものが勝ち。それがルール。
うまいもんならなんでもあり。それこそ、幻想郷一料理人決定戦。
「生地は卵白をメインに、疎に疎を重ねてふわふわに。カスタードホイップクリームの成分は密でありつつ、形状は疎で泡にして、はじけさせる。
おまけに、栗の表面の水分を密にしてあげれば、栗とは思えないほどジューシーに大変身。私にしかできない、オンリーワン饅頭だよ」
説明されても結局のところ、よく分からない。しかし、新しい触感の心地良さが、ただただうまい!
新鮮さが、鍵であった。
知らない料理を食べた時、そのうまさにはむしろ気づきにくい。比較する対象に乏しいからである。
しかし、なじみ深い料理が桁違いにうまい時、その実力に驚愕するのである。
だからこそ、萃香は親しみ深いメニューを持ってきたのである。
「勝者、伊吹萃香!」
あっけなく出された判定に、早苗の目はぷるぷると震え始めた。
「わ、わたしのタルトが……。栗まんじゅうに、私のタルトが……!」
「……食うかい?」
「むむ。いりませんよ、そんな気分じゃないですから」
「いいからいいから。そういう時は甘いもんでも食べたらすっきりするんだから」
対戦相手に歩み寄られ、早苗の眉が歪む。
しかし、萃香はお構いなし。
「まあまあ。食えばわかる。食えばわかるから」
「ちょっ待って、そんな押し付けなくてもふが……」
「どうよ、お味のほうは」
「あ、味の文化大革命やー!」
「そうそ、ここでお酒を飲むんだよ。そうしたらちょうどいいカクテルみたいになって。ほれ、どうぞどうぞ」
どこからか取り出したお猪口に、ひょうたんから酒を注ぎ始める。
「まあ一杯」
「いや、私あんまり飲めなくて」
「まあまあまあ、ちょっとでいいから。ちょっとでいいから」
「うう。ちょっとですからね? ちょっとだけですからね?」
「まま。ぐいっとやってみ? いけるから」
「ふわ……。な、なんですかこれは! 犯罪的です! うますぎます!」
「まま。饅頭もお酒も、向こうにたくさんあるからさ。ゆっくりやろうじゃないか」
早苗の腕が、がっちりと鬼に捕まれる。もう、逃げられない。
その後の早苗の行方を知る者は誰もいないとか、なんとか。
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「さて、とうとう真打の登場ですよー。三戦目! 先攻、ミスティア・ローレライ!」
ステージの照明が消えるとともに、スポットライトを浴びながら。
我らがみすちーが、実に奇っ怪な歌と共にやってきた!
「おーいしー♪ 料理ーで、ぽぽぽぽーんと人間大爆発! 鳥よりおいしいよ~♪」
粋な演出に、みすちーファンが一斉に合いの手を入れ始める!
ここでいうみすちーファンとは、当然、観客全員のことである。
「ミスティア・ローレライ。もはや説明の必要なし。B級グルメの女王として君臨しているわ」
幻想郷の料理人と言えば? と問われれば、真っ先に彼女が挙がるであろう。それほどの実力者である。
拍手の嵐に、彼女は手を振り振り応える。まるで脳天気であるかのように見えるが、実のところ脳天気。
まさしく、ミスティア・ローレライ!
「後攻、秋穣子」
「秋穣子。予選トーナメントでは対戦相手に大差をつけて圧勝した、実力派よ。人里の農民達に絶大な支持を集めているわ」
対するは豊穣の神。額に汗を一筋浮かばせて登場。
観客席の中から、「穣子様じゃあ!」という声もあちらこちらで挙がっている。
が、ミスティアと違って、穣子は手は振らない。あくまでその目は、対戦相手から離さない。
ステージの袖から姉がこっそりと応援しているが、果たして彼女は気づくのであろうか。
「デュエルよデュエル! 私の料理で骨抜きにしてあげるわー」
「あ、すみません。ミスティアさん。料理名を宣言してくれませんか?」
「名前? ……うーん。そんなのないわ!」
「え?」
「五番、ミスティア・ローレライ! 『いつもの』よー!」
お盆の蓋を取り去った途端、いつもの香りが鼻をくすぐった。
こんがりカリカリに焼かれたそれは、まさしくいつものであった。
「こ、この一大舞台で、八目鰻の串焼き!?」
「得意料理を出せって言われたからねー。私はこれ、もう長いことやってるから」
馬鹿正直であった。そこには戦略性の欠片もない。
二戦目では早苗、萃香ともに新鮮味を武器にして戦っていた。が、まるで逆である。
「あ、本当にいつものだ……」
八目鰻の身は硬い。しかしそれを利用しているのが特徴である。薄目に切り、カリカリに焼いているのだ。
たれはたっぷり塗られ、ところどころが焦げている。
そこに、荒削りの山椒がかかっている。
実は、妖夢はこの串焼き、さほど好きでは無かった。
八目鰻という難しい素材をうまく活かしているのは評価できるが、それでも全体的にアバウトというか、大味なのである。
……そう、思っていたはずなのであるが。
「……あれ、どうして。なんでこんなときに、私!」
ようむは、やつめうなぎのにおいをおもいだしていた。
初めて屋台に行ったのは、花の異変が起こる少し前であったか。
主人に連れられ行ってみると、なかなか良い気分転換が出来てしまい、以来ちょくちょくと来るようになってしまったのだ。
例えば、花の異変を調査しようとしても、何度も後ろから妖精に体当たりされ、いらいらした時に来てみたり。
だいだらぼっち騒動があった頃、剣の修行で相手の打撃を読むも六根発動前に殴られカードが全て消え、いらいらした時に来てみたり。
神霊が多いから調査をしようとするも、出かけたそばからドンドコ鳴り始めるのを十回くらい繰り返し、いらいらした時に来てみたり。
要するにいらいらしてばかりであったが、屋台に来ると何も考えてなさそうな店主に癒され、疲れが吹き飛んでしまうのであった。
気がつけば、妖夢の目は潤んでいた。
香りというのは、どうしてこんなにも古い記憶を呼び覚ましてしまうのだろうか。自分が屋台にいるかのように錯覚する。
「ああ、やっぱりこれですねえ」
新鮮味とは逆ベクトルのアプローチ。
いつもの味。変わらぬ味。だからこそ得られる、安心感。
今この場で食べている八目だけでなく、過去に屋台で食べた串焼きの全てが合わさって舌に襲いかかってくるようだ。
不思議と、気分もリフレッシュしてしまう。
「ではではここで一曲……」
「その必要はないわ!」
独壇場は許さない、とばかりに秋穣子が一歩前へ。
「私は負けない。皆のためにも!」
タンクトップの農民軍団から「おおっ」と期待の声があがる。
「では、秋穣子さん。宣言をお願いします」
「よーし。六番、秋穣子! 料理名は……」
文に促され、穣子が威勢よくコールを始める。
と、次の瞬間。
誰しも、予想だにしないものが飛び出した。
「料理名は、『トマト』!」
蓋を開けたら、あらびっくり。
そこには正真正銘の、ただのトマト! 料理でもなんでもない!
これには審査員も苦笑い。
「ゆ、紫様! こ、これは、トマトなんて。料理じゃないんですけど、いいんですか!?」
「えーっと。大会の趣旨は、料理というよりうまいもんだからねえ。幽々子が喜びさえすればいいから……。ありじゃない?」
続行。勝負、続行。
どうみても料理ではないにも関わらず、うまければよいという破天荒極まりないルール!
「かぷっといってくださいな。かぷっと」
促され、妖夢はおそるおそる、その赤い柔肌に歯を当てる。
噛むと、少しばかりの抵抗。直後、その皮が決壊した時であった。
「う、うわあああああああああああ!」
妖夢、吹っ飛ぶ! その衝撃に、吹っ飛ぶ!
観客席に投げ出され、転倒。床にはひびが入ってしまう、それほどの衝撃。
「あ、あ、あ……」
「ようむさんふっとばされたー! これは大丈夫なのでしょうか!?」
「なんということでしょう……。トマトがこんなに殺人的だなんて。アタックオブザキラートマトだなんて!」
まず、その実の食感に驚く。皮は風船のように、しっかりとしたハリを持っている。
それを一度超えれば、間欠泉。果汁がはじけ飛んでやってくる。
フルーツトマトではないから、甘くておいしいというわけではない。
しかし、だからこそ自然を、おいしく、楽しくいただくことができるのだ。
鼻孔をくすぐる酸味の中に、かすかな甘み。爽やかにいただくことができる。
「命拾いしたわね。もし秋野菜だったら、あなたは今頃ショック死しているところよ」
トマトで、この威力。穣子にとっては、トマトなどただのジャブである。そのジャブが、殺人級であった。
耐え切れずノックダウンした妖夢は、幻想を垣間見ていた。
「ああ、そうだ。DNAだ。私のDNAが、喜んでいるんだ……」
そう。妖夢は、宇宙にいた。
宇宙から、青々とした地球が見える。今よりも、もっともっと青い地球であった。
目を凝らすと、うっほうっほと踊りゆく、太古の集団。全裸の老若男女どもが見える。
誰もかもが、腹は陥没し、髪はひょろひょろと細く、頬の骨がよく見えるほど痩せこけている。
しかし踊る骸骨どもは、トマトを手にしている。それだけで、目の輝きだけは消え失せていなかった。
ミスティアの料理は、一昔を思い出させる一品であった。
しかし、こちらは原始も原始。太古の記憶を呼び覚ます一品であった。
料理を知らぬ時代に、うまい野菜に出会うことができた。
まる齧り。生き長らえることのできた者たちの喜びの儀式であるかのようである。
「農家の皆が、一生懸命作ったトマト。水と堆肥、お天道様が調味料! これ以上、何の調理が必要っていうのかしら?」
タンクトップ軍団、ヒートアップ! 両手を突き上げ、穣子様の声に応える!
そして告げられる、行方の決まった勝利の判定。
「勝者、秋穣子!」
あのミスティアが、敗北。大方の予想を裏切るこの事態に、観客席から座布団が舞う!
秋穣子、大金星を飾る!
「ちょ、ちょっと待ってー! こんなトマトが、そんなうまいわけ……」
いぶかしげにトマトをつかむミスティアは、もはや「ふり」であった。
「は、はらほろてぃあー!」
彼女は登場から退場まで、芸人であろうとした。ステージど真ん中で、直立したままばったりと横転!
会場からは笑い声。しかし同時に、早過ぎる退場を惜しむ声もまた溢れていた。
=========
「さて、前半戦のラストを飾ります。四戦目! 先攻、霧雨魔理沙!」
「魔理沙。キノコや野草を活かした、サバイバルな料理を得意とするわ。あまりその腕は知られていないけれど、どうなのかしら」
黒装束に白のエプロンのよく映えた、霧雨魔理沙がやってきた。
エプロンにはところどころ土がかかっている。今日も今日とてきのこ狩りをしていたのだろうか。
「後攻、アリス・マーガトロイド!」
「技巧派の登場ね。アリスはその器用な手先を活かした飴細工で名が知れているわ」
最近、人形劇の後に子供たちに飴をプレゼントしているらしい。これが好評で、特に里の子供たちに人気のお姉さんと化している。
そんなアリスがつかつかつかと歩いてやってくる。冷たい表情で、何を考えているのか分からない。
彼女の手にはお盆がない。後ろから、橙と藍が二人がかりで料理を運んでいる。
真四角で銀色の、ロッカーほどの大きさはある。
すでに、異質。客席は当然、どよめくどよめく。
「初戦からお前が相手だなんて、どういうことだよ」
「本当。仕組まれてるんじゃないかしら」
料理に必要なのは、パワーかブレインか。勝つのは自然派料理か、都会派料理か。
こういった対照的な試合運びになる、はずだった。
「まずは私から。七番、霧雨魔理沙。『キノコの味噌ポン酢串』だ!」
一つの串にしいたけ、キクラゲ、しめじを初め、名前も分からぬキノコなどなど、バラエティに富んだキノコが勢揃い。
キノコはどれもこんがりと焼き上がり、湯気と混ざる味噌ポン酢の香りが鼻孔を柔らかにくすぐる。
肉厚の良いしいたけに、歯ごたえのよいキクラゲ、うま味溢れるしめじと、ひとつひとつのキノコの役割を感じられる。
また、キノコ独特の芳しい香りが食欲をそそるのも特筆すべき点である。
「串とちょっとした調味料と……。あと、こいつさえあればどこでもできるからな。お勧め」
「八卦炉ってやつでしたっけ? それがおいしさの秘訣に?」
「使い方次第で、七輪にもできるからなー。じっくりめに焼くと、うまい汁が出てくるんだこれが」
ぶっ放すだけが能じゃない。火力の調整もお手の物。ミニ八卦炉の機能をフルに活用できる、彼女だからできる技。
肌身離さず持ち歩くほどの火力の源である。焼きあげることに関しては、彼女はプロであった。
「……うん。七味もいい感じに効いていますし。シンプルでもいい感じにまとまっているかと」
「ざっとこんなもんかな。あとは、賢いジャッジを期待するぜ」
ニカニカと笑いながら、魔理沙は対戦相手に目を流した。アリスと、それから規格外のあの容器である。
アリスの料理が、あの箱の中に入っている。
客席から魔理沙の料理が無くなり始める頃、ギャラリーの興味はみんなその箱の中身に移ってしまった。
「で、では。アリスさん。そろそろそれ、見せてもらってもいいでしょうか?」
「ええ。……それじゃ、いきましょうか」
アリスは咳払いを一つして。……そして、もう一呼吸してから、宣言した。
「八番、アリス・マーガトロイド。料理名は、『人形焼』」
阿鼻叫喚、地獄絵図。
会場は修羅の国と化した。
その料理は、人という人を驚愕させ、号泣させ、絶叫させたのであった。
「ア、ア、アリス。お前、なんでこんなもの!」
それは「にんぎょう」というより、「ひとがた」と言ったほうがいいかもしれない。
その棺桶の中には、煤けた人がいた。動かなくなった、人がいた。
人の焼かれた姿が、そこにある。
人間という人間が恐れおののき、目を伏せる。激昂し、意味不明に喚き散らすものすら現れる。
吐き気を耐える者に、訳もわからず司会の射命丸に抗議する者に、咽び泣く者。
天空の白玉楼が、地の獄と変貌する。
「そう、そうよ! ああ、なんていい表情……! 待ちに待ちわびていたのよ、この反応を!」
体中を震わせて、アリスはうっとりとため息をつく。
アリスの言葉に、人々は顔を凍りつかせる。
それを待っていたと言わんばかりに、アリスは頬を歪ませるように笑いながら、身悶えした。
「……どうして、どうしてアリスさん、こんなものを!」
「決まっているじゃない。妖怪にとって最高の食材というのは、ただ一つじゃないの」
パワー対ブレインとはならなかった。しかし、人間対妖怪となろうとは。
人形焼きという恐るべき料理に、人間はおろか、妖怪ですら食べるのを躊躇してしまっている。
このような公の場では、食べてはいけないのではないかという意識が強い。
それほどまでに、今の幻想郷にとっては禁忌の食材であった。
「まあ、あくまで人間っぽいってだけなんだけど」
「……え、今、なんと?」
「食べてみれば、分かるんじゃないかしら? もっとも、食べられたらの話だけど」
勇気ある妖怪達が、試食を始める。すると、意外な報告が立て続けに入った。
肌はもちもちとした、餃子の皮の食感。それを突き破ると、ベーコンサラダが溢れ出す。
骨にあたる部分には固く焼き上げたパンが入っており、サンドイッチを想わせる構成となっている。
外見はどう見ても人間。しかし、蓋を開ければランチメニュー。
注目すべきは髪である。
固めの細麺パスタが三つ編みにされ、さらにかんぴょうのリボンでくくられている。
熱く束になったパスタは噛みごたえがあり、オリーブオイルのみの素パスタが生き生きと感じられる。
オイルが全体に均等にかかっているため、髪に一層の輝きが生まれる。だれもが羨む金髪にしか、見えなかった。
というか、魔理沙だった。
「……つーか、何で私がモデルなんだよ! しょーぞーけんだぞしょーぞーけん!」
「知らないわよ。たまたまあんたが作り易そうな体してたのが悪い」
「どーゆー意味だ! どうかしてるぜ」
「どうかしてるのが妖怪ってもんよ」
見た目が見た目だけに、会場の人間達はどうしても食べることができない。
妖怪向けの、妖怪メニューであった。
目にあたるところにはうずらの卵。腹を割ればケチャップが惜しげもなくかかったウインナー。
人間からすると、趣味の悪いところに、趣味の悪い食材がチョイスされている。
「気軽に食べられなくなった人間を、食べたって気分になれる。それに、誰も傷つけること無しにね!」
その言葉が、荒っぽい妖怪達の頷きを呼ぶ。
妖怪の、妖怪による、妖怪のためのメニュー。
それがアリスの料理。誰もがそう思った。
「あなたの主人だって、きっと気に入るはずよ。妖夢」
「な……! そ、そんなわけ、あるわけ、ないわけで!」
「元人間、とはいえもう人外じゃないの。人間を食べる悦び、一度知ったらやみつきよ?」
仮に、人間の前世が豚であったことが証明されたとしよう。
だからといって、豚肉が好きな者は豚肉を食べ続けるだろう。
自分が以前、何であったかは関係ない。うまければいい。それが、ここのルール!
だが、妖夢は抵抗。抵抗し続けた!
異常とも思えるアリスの言葉に、一言一言、必死に対抗する。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか! 幽々子様に限って!」
「そうかしら? うまいものなら喜ぶはず。食べてみなければ、分からないわよ?」
泥沼化しそうな議論。
しかし、妖夢はこれを一刀両断する!
「いいえ、分かります! なぜなら、この料理には致命的な欠陥があるからです!」
「……なんですって? まあ、半分ばかり人間の貴女には、少々気味が悪いかもしれないけれど」
「そうじゃ、なくって。きっと、きっとですけど。幽々子様がこれを召されたら、こう言うと思うんです」
次第にペースを掴んできた妖夢が、一息おく。
そして、幽々子の真似らしく袖を口にあて、穏やかな口調で言いのけた。
「あら、怖がってくれないなんて、寂しいわあって」
「怖がる、ですって?」
「アリスさん。妖怪なら、分かるはずです。妖怪は人間そのものを食べたいというよりも。恐れおののく感情を糧としたいんです」
確かに妖夢の言うことは正しいだろう。
特に亡霊の姫にとっては、人間を食べるというのは比喩で、驚かすのを楽しんでいるという節があるだろう。
しかし、正しいだけ。正しいことが価値ある情報とは限らない。
アリスはそこに、槍を刺す。
「それじゃああなたは、どうしろっていうのかしら? そんな、怖がる人間なんて……」
「あなたの魔法とからくり人形の技術を使えば、きっとできたはずです。食べると泣いたり、痛がったり、叫んだり……」
「確かに、できるわよ? でも、そこまでやると可哀想で食べられるわけ……」
そこで突如、アリスの口が閉ざされた。
会場も、何かおかしいという漠然とした疑問が浮かび始める。
「なんでもない。いいわ、早く判定してくださいな」
「『誰も傷つけることなしに』、ねえ。良い子に育ったもんだな、アリス」
「はあ!? ちょっと魔理沙、何を勝手なこと……!」
「わざわざ人間の代用を作って、本物を守ろうってんだろ? しかも、偽者すら痛がらせたくないなんてな」
アリスの耳が、赤くなる。しかし、まだまだ抵抗する力を残している。
表情はあくまで変えずに、冷静に反撃の糸口を探ろうとする。
「何、言ってるのかしら。ええ、ほんと。私は異常者! 嫌われ者の妖怪よ!? こんな場に死体とか出しちゃうのよ? 恐れるがいいわ!」
「でもアリスさん、子どもからよく好かれますよね。人形劇も飴細工も人気で……」
「な……そそそそそ!」
アリス、あわあわ。口をぱくぱくさせるも、何も話すことができない。
会場から、アリスは笑顔と好奇の眼差しを受け取ってしまう。
輝かしい視線に、アリスは耐えることが、できなかった。
「別にうさぴょん飴なんて流行ってないし! 人間焼き作る妖怪だから! 人っ子なんかに好かれてちゃ駄目なんだってば! 私、妖怪だから!」
「そ、そうなんですか?」
「そう! そうよ! もっと恐れてよ! だからわざわざ怖いの我慢して作って……。じゃなくって! 私、妖怪だから!」
「えっと、アリスさんは別に人間大好きアリスさんのままでいいんじゃ……」
「違うっての! だからその……。さっさと判定! しないと会場爆発させるから!」
人間に好かれてしまい、人間と関わることが好きになってしまった妖怪。
アリスはここにコンプレックスを持ってしまっていたのであった。
その弱点を突かれ、アリスは正常な思考ができなくなってしまった。なにやら物騒な発言も飛び出す始末。
そんなわけで、妖夢もあわてて判定の準備を始めた。
「こればっかりは、えっと。勝者、魔理沙さんでよろしくお願いします……」
「よし、まず一歩!」
「アリスさんも技術は高かったんですけど、妖怪になりきれていなかった、ということで一つ……。って、アリスさん!?」
アリスの姿はすでに無い。
人間達の視線から、一刻も早く逃げ出したかったのだろう。
アリスの中途半端な「人間どもをびっくりさせて怖がられよう大作戦」は、失敗に終わってしまったのであった。
がんばれ、アリス。負けるな、アリス。
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「一緒に、勝ち上がれた。ようやく、お前と決着をつけるときが来た!」
勝ち残った魔理沙が、客席に向かって人差し指を突きつけた。
その先にいるのは、彼女の永遠のライバルであった。
「霊夢。私は絶対に負けない! なぜなら、絶対に負けられない理由があるからだ!」
魔理沙のその鋭い眼光は、ただのライバルに向けるものには見えない。
早口で怒鳴るような話しっぷりは、憎しみすらこもっているようである。
「そうは言っても、二回戦はチーム戦だって聞いてるけど」
「変わらない! 私はただ、お前を倒したい! そのためにここに来ているようなもんだ」
「……そう。私は魔理沙と組もうかなって思っていたんだけれど。残念ね」
挑戦的な魔理沙の態度を、霊夢は至って冷静に受け流す。
それが気に入らないのか、魔理沙はいらだちを隠し切れない。
ざわつく会場の中に、彼女は頬を膨らませながら混ざっていった。
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「さて、これで前半戦は終了となりました。勝ち上がったのは、霊夢選手、萃香選手、穣子選手、そして魔理沙選手ですね。
解説の紫さん、前半戦、どうご覧になりました?」
「ええ。想像以上にレベルが高くて、驚いているわ。特に村紗水蜜のカレー風味肉じゃが、相手が霊夢でなければ十分に勝ち進めていたと思うわ」
「誰が勝ってもおかしくない、そんな戦いが続いていますね。さて、後半戦に移りますか!」
多少の休憩時間の後に、決勝トーナメント第一回戦の後半戦が始まった。
熱い戦いは未だ四戦、残されている。
「さあ、後半戦。五戦目! 先攻、小野塚小町!」
「小野塚小町。仕事の合間……? に作った料理が密かなブームになっているわ」
「ちゃんと仕事の合間だって。今日だって休みとって来たんだよ?」
堂々と、のんびりと。
死神の貫禄を見せつけながら、小野塚小町がやってきた。トレードマークのどでかい鎌も忘れない。
「後攻は、紅美鈴!」
「紅美鈴。炎の料理人の異名を持つわ。本場の中華料理の威力、見せてもらいたいわね」
照明がステージの右サイドに。ニコニコ笑顔の紅美鈴が照らされた。
その呑気なひだまりのような空気に、和み癒される男性も少なくないとか。
「では、始めさせてもらおうか。九番、小野塚小町。料理は、『鮨』だ」
お盆の蓋を取ってみれば、あらびっくり。
すし、とは言うものの、シャリがちょこんと乗っているだけである。
会場は動揺の波に襲われ、落胆の声を上げる者すら現れた。
妖夢の頭も、クエスチョンマークでいっぱいになってしまった。
「なーに言ってんだい。鮨ってのは、ファストフードじゃないか」
「ファスト、フード……?」
「そうさ。料理は何より鮮度が大事。素早く作って、素早く食べてもらう! これでこそ鮨ってもんよ!」
小町が手を高く掲げると、ともに。会場の入り口から何かが猛スピードで飛んでくる!
鳥か? 飛行機か? いや、魚だ! 飛び入りで魚がやってきた! それも魚群!
迎え撃つは死神。床を蹴って、小野塚小町、魚の大群に向かって跳躍。
背中を大きくそらして、大鎌を構える。その切っ先が先頭の魚の鼻っ柱に向けられる。
「すげえ! あの死神、落ちながら料理してる!」
瞬間、大輪の花が咲いた。大鎌を振り下ろすとともに、小町自身も回転。大車輪が魚の雲を切り裂く。
カラン、と下駄が床を軽やかに叩く音がした。それと同時に、魚どもは一匹残らず切り身と化す。
ぱらぱらと、淡紅色の雨が降りはじめた。
あっけに取られる観客達を横目にしながら、小町が指をぱちんと鳴らす。
テーブルの皿にあるシャリに、サーモンピンクが吸い寄せられていくのであった。
「ざっとこんなもんさ。今が旬のニジマスの鮨、ちゃっちゃと楽しむがいい」
「なんという料理ショー……。しかし、問題は味です。ではでは早速、いただきます」
見た目はサーモンそのもの。
大鎌で乱れ斬りしただけあって、おおざっぱな身の形となっている。その分、厚めかつ大きめに切られているのが嬉しいところ。
妖夢の手が寿司をがっしりと掴みとり、先に醤油をとんと付ける。そして、運ばれる先はぽっかりと開かれた口の中。
「ふむ! さすが捌きたての天然物! さっぱり風味で、身がしまってますねー」
旬だけあって、しっかりと脂が乗っている。にも関わらず、あと味がすっきりしているのは余計な飼育料に頼らない天然物のなせる技だからだろう。
渓流で育ったニジマスならではの、ぷりっとした身のしまりも楽しむことができる。
「その場で作るからこそ、いいのさ。勝負も中盤。いくらおいしい物を作ったって、時間が経てば質は落ちるもの。
それは、炎の料理人さんが一番知っているんじゃないか?」
美鈴の顔が陰る。
小町は、料理の鮮度で勝負を仕掛けてきたのであった。その場で作る料理こそ、鮮度としては最高。
中華料理をその場で、というわけにはいかない。
しかも、餃子やチャーハン、エビチリなど、中華が本領発揮するのは熱々のメニューばかりである。
第五戦目ともなれば、料理が冷めてくる頃合い。
大会という場の性質と中華料理の弱点を計算した、小町の罠があったのだ。
「……なるほど。新鮮な鮨でもって、冷めた中華を殺しにくる。それがあなたの狙いなのね」
「まあ、ね。あたいだって負けるわけにはいかないさ。休み取ってまで一回戦負けなんて、楽園の閻魔様に合わせる顔が無いからね!」
「そう、ですか。辛い目に合わせてしまうみたいで、申し訳ないです」
「おいおい。お前さん、一体なにを言いたいんだい?」
「すぐに分かりますよ」
終始一貫、笑顔を絶やさぬ美鈴であった。ただ、この時だけは口元が歪に曲がっていた。
まるで、腹から沸き上がる笑いをこらえるかのようであった。
「十番、紅美鈴。『冷やしつけ担々麺』! 炎でダメなら冷やせばいい!」
「な、何だって!?」
現われたのは、どんぶり二杯。
一つは、麺。細めのストレート麺に、白髪ネギとワケギといった薬味に、おまけにしいたけも乗っている。
もう一つは、もちろんスープ。赤みの映えるごまだれスープの中に、豚のそぼろが浮いている。
「えっと……。これ、結構赤いんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ。本場よりマイルド調整してるから、ずずっといっても大丈夫なはずよ」
「そうですか? それじゃあ……」
濁った血のような色をしているスープである。躊躇うのも無理はない。
赤、それすなわち辛さを表す。
麺を赤の沼にちょんちょんとだけつけてから、妖夢は恐る恐る口を開いた。
「おおう、中々冷えてます! 見た目以上にさっぱりしつつ、マイルドで……」
「うちの隣のチルノさんに協力してもらってねー。麺が引き締まっていいのよ」
「ですね。それに思ったより辛くは……。辛くはって思ったより辛っ! あ、来た、やっぱ辛っ! これ辛っ!」
ごまだれのまろやかさの中に、キラリと潜む豆板醤。
ただ辛いだけではない。日本でも受け入れられるように、ごまだれのうまみをプラスしてあるのだ。
深いごまの香りの後から、シャープで奥行きのあるうま辛さが滲み出る。
「でも、どうして!? 辛いの苦手だって思っていたのに、止まらない! 箸が、止まらないなんて!」
「ふっふっふー。ようこそ、辛い、イコール、うまいの世界へ」
冷たいメニューであるにも関わらず、ホットなメニューであった。
ごまだれスープの冷たさとまろやかさでもって、舌の痺れを和らげる。
しかし、直後に辛味が弾け、口内がじんわりと熱を帯びる。
その熱を冷ますように、またもう一口、入れてしまう……。
食欲の永久機関に迷い込んでしまう、恐ろしい魔力を秘めた一品であった。
これには、小町もしまったという表情。
「担々麺……。そういうのもあるのか!」
「もともと、担いで売り歩かれた麺だからねー。時間が経ってもおいしいのは、当たり前よ」
和のファストフードに対し、中華のファストフードでカウンター。
熱々の料理を提供できない。それは美鈴にとって、百も承知であった。
だからこそ、発想の転換。
熱い料理でなく冷たい料理。かつ、肌寒い春の白玉楼にぴったりの、体温まるメニューを用意できたのだ。
「勝者、紅美鈴!」
その判定に、小町はにこやかに、しかし心底悔しそうに声を揚げた。
「くうー! あんなにまでしたのに、作戦負けしちまったよ!」
「狙いは良かったと思うわよ? ただ、中華を甘く見すぎていただけ」
「中華、ねえ。ま、あたいの分まで頑張っとくれよ? 炎の料理人さん」
そう言って、小町の手が美鈴へと伸びた。
ここに、和、中の古きファストフード同盟が結ばれるのであった。
=========
「咲夜さん! 見ましたか!? 勝ちましたよ!」
会場の上には、喜びを隠せない美鈴の姿があった。
しかし、一転。きりりと眉を釣り上げて、真剣な眼差しを見せる。
「さあ、咲夜さんも、ここに来ましょう。決着をつけるんです」
その瞳の奥には、料理人としての炎が灯されていた。
「我らが紅魔館の料理長の座をかけて。勝負です!」
=========
「まーだまだいくよー。六戦目! 先攻、ルナサ・プリズムリバー!」
「ルナサ。プリズリバー家の長女として、料理を妹達に振舞っているらしいわ。洋風料理が主なんだとか」
ルナサファン、絶叫。ファンにとっては聖母である。そんな彼女の料理を食べられるとは、もはや天にも昇る心地であろう。
うつむき気味で目を細めている彼女からは、これといった表情を汲み取ることはできない。
しかし、その足取りは至ってしっかりとしている。背中から妹たちのどんどんパフパフな応援を受けて、一歩一歩ステージ中央に向かっていく。
「後攻、古明地さとり!」
「さて、本大会のダークホースよ。ペットのために料理をしているらしいんだけど、未だその腕はよく知られていないわ」
猫背気味であるはずの彼女が、背筋を伸ばして登場。対戦者のみをまっすぐ見るその目からは、矜持の色が垣間見える。
背中からペットたちの声援を受けて、負けじとステージ中央に立った。
「……始めて、よろしいかしら?」
「はい、どうぞ。よろしくお願いします」
「では。十一番、ルナサ・プリズムリバー。『ポトフ』を作ったわ」
蓋をあけると、ふわっとした湯気が立ち昇った。
まず、大きめに切られたじゃがいも、かぶ、そして人参が、その存在を主張している。
野菜に混じって、サイコロサイズの牛肉がコロコロとスープに浮かんでいる。
さらに目を凝らすと、玉ねぎにしいたけにパセリと、豊富な具材が使われていることが分かる。
「……ポトフ?」
「ええ、ポトフ。フランスの庶民料理」
「なるほど。野菜スープっていう感じでしょうか」
「んー。というより、洋風おでんと言ったほうが分かりやすいかしら」
会場は、静寂に包まれた。ポトフを口にした者は、誰もが言葉を失った。
聞こえるのは、感嘆のため息だけ。会場の皆が皆、スープを口にしてはこの温もりに酔いしれていた。
安心するのである。この料理の暖かさに包まれ、胸が落ち着いていくのである。
牛すね肉としいたけのうま味の残る、透明な琥珀色のスープが、喉をふんわりと温めてゆく。
じっくりと煮込まれた野菜たちは、とろける一歩手前である。かぶからは、たっぷりと吸いあげたスープが惜しみなく溶け出てくる。
「それでいて、余計な味がない……」
「雑味は、始末するまで」
ポトフとは、野菜と肉を煮込むだけの、シンプルな料理である。
その分、スープは野菜と肉からの出汁がベースとなる。
これといった調味料は加えられておらず、塩コショウのみの至って基本的な味付けとなっている。
だからこそ、素材本来のうま味を純粋に味わうことができる。
「あの、審査員さん?」
「……はっ! そうでした。では、さとりさん、どうぞ」
妖夢はコメントすら忘れるほど、料理に夢中になってしまっていた。
首を振り振りしてから、妖夢は次の料理に向けて気合を入れなおした。
「十二番、古明地さとり。えーっと……」
お盆の蓋を開けると、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐった。
「『クッキー』を、焼いてきたのだけれど……」
何故だか、会場に向かって上目遣い。頬が紅潮しているように見える。
「一生懸命、作ったから。食べてくれると、嬉しいなって」
あざとかった。明らかに、媚びていた。しかし、それに乗じるのが男という者であった!
客席の一角が、火を付けられたかのように舞い上がる。
決して捲ることのできなかった、胸をくすぐる青春のページに今日この時を書き記すため、男どもはこぞってクッキーに群がった。
「なんということじゃ……。まだ温かい! 彼女の温もりを感じるぞ!」
「ナッツが効いておる! 恵みじゃ……。大地の恵みじゃ!」
「うちの婆さんも、昔は菓子をくれていたのにのお……」
タンクトップ集団、大絶賛。
さっくりと焼きあがったクッキーから溢れる、黒糖の風味が舌に溶けていく。
アクセントとして、アーモンドの香りが鼻孔にとどまる。
「素朴な味わいながら、よくできてますね」
「喜んでもらえて、嬉しいわ」
「ところで、さとりさん。ところどころにある、この緑とか赤いつぶつぶはなんでしょう?」
「それは……。気づいてしまいましたか」
クッキーをひとかじり。すると、断面につぶつぶが、ぽつぽつと見え隠れしていることが分かる。
「……野菜、でしょうか?」
「そう、野菜。人参に、かぼちゃ、そして小松菜が入っているわ」
非常に細かく切られた野菜たちが、クッキーの中に混ざっていた。
しかし、これといった味覚や食感を提供しているわけではない。
黒糖の甘さとアーモンドの香りに、野菜の風味が隠れてしまっている。
「どうして、野菜を? どんな意図をこめたんでしょう」
「えーっと……。あまり大したことじゃ、ないんだけれど……」
くるりと、さとりが振り向いた。
三つの瞳が、ステージ脇にいるお燐とお空を捉える。
「野菜をどうしても、食べて欲しかったから」
「さ、さとり様?」
目を細めて、ペットというより愛する者を見つめる。
会場は、しんと静まり返っていた。
「流行り病で、ペット達がみんなダウンした時があってね。それで、これじゃ駄目だと思って。みんな元気になってほしくて」
「私たち、そんなに気にしていなかったのに……」
「でも、みんな野菜嫌いでね。食べさせる度に、『苦いー嫌だー』って言ってくる心、全て見えてしまうのよ」
「それで、このクッキーを作ったんですか……」
甘味の強い黒糖、そして香り高いアーモンドというチョイス。これには訳があった。
野菜の風味が隠れてしまっているのではない。意図的に隠していたのだ。
風味の強い食材を用いつつ、決してくどくない菓子に仕上げているのであった。
「健康管理をするのも、主の役目よ。でも、それ以上に。楽しい食事の一時で、辛い顔をしてほしくなかったから」
「さとり様……」
慈しむように、お燐の頭をなでる主の姿があった。
家庭的であった。野菜嫌いに対抗するため、小さな主が悪戦苦闘した様子が、想像される。
野菜を食べてほしい。でも、楽しく食事してほしい。その願いを叶えるための、愛のこもったメニューであった。
聴衆は皆、さとりにがっちりと心を奪われていた。
頃合いと見た妖夢が、判定を言い渡す。
「勝者、ルナサ・プリズムリバー!」
それは、想定外の事態であった。
静寂が、会場を包み込む。
次第に、言い間違えたのか、あるいは聞き間違えたのかという疑念が渦巻き始める。
静寂はざわめきに変わり、ざわめきはとうとう、怒号と化した。
「小娘! さとり様の優しさが分からんのか!」
「さとりんの愛情が理解できんとは、薄情者め!」
「わしの青春の一ページを返せ!」
タンクトップ集団は、すっかりさとりに洗脳されていた。
いや、タンクトップ集団だけではない。観客の九割がたは、さとりに心を掌握されていた。
しかし、妖夢の心は動かされない。
「ペットへの愛情が産んだメニューということは分かります。料理自体のおいしさも、分かります」
「なら、どうしてじゃ!」
「さとりさんのクッキーは、野菜を殺していた! 野菜のおいしさが分からなければ、野菜嫌いなんて克服できません!」
「お言葉ですが、妖夢さん」
勝利ムードから一転、ジト目の厳しくなったさとりが、妖夢へ異議を唱える。
「野菜嫌いというものを甘く見すぎです。苦手意識がついてしまえば、そう簡単には……」
「いくんですよ、それが。料理の力を、甘く見すぎましたね」
「なんですって?」
「ルナサさんの料理。紫様がおいしそうに食べているのを、この目で見たのです! あの、偏食の紫様が!」
「ちょ、ちょっと! なにもこんなところで言わなくてもいいじゃないの!」
ふとしたことで、カミングアウト。野菜嫌いは、地霊殿のペット達だけではなかった。
野菜が好きで好きでたまらない妖怪というのは、あまりいないだろう。一方で、肉が好きというのは想像に難くない。
そんなわけで、八雲紫のような野菜嫌いが生まれても仕方がなかった。
で、あるにも関わらず。ルナサの料理は特に避けられることなく、皆の口に運ばれていったのである。
「確かにサラダは苦手だけど……。スープにしたらおいしいじゃないの。私、ロールキャベツは好きだし」
「紫様の場合はただの偏食ですけど……。事実、野菜の味というのは、調理によって大きく変化します。そのうま味を、教えてあげるべきだったのです!」
野菜は元々、淡白な食材である。味付けによって、如何様にも変化する。
トマトサラダは苦手であっても、スパゲティのトマトソースや、スープに入れると食べられるという人もいるだろう。
「それに、あのポトフ。つい心が静まって、あまりコメントできませんでしたが……。シンプルにして、本大会で屈指のうま味を持つメニューでした」
客席からも、そういえば、という声があがる。
なにが上手いのかは、よく分からない。ルナサ本人から語られることも、少ない。
ただ、野菜と肉からにじみ出るうま味成分が、うまく融合しているとしか言えない。いや、言うことすらできない。
これを口にしたものは、誰しも心休まり、何も言えなくなってしまうのだから。
「実は、私のポトフ。妹の野菜嫌いを克服したメニューで、ね」
妹と呼ばれたステージ袖の二人が、照れくさそうに頭をかいた。
「妹たちのために腕を磨いてきたメニュー。簡単な料理だからこそ、何度も練習してきたわ。負けられなかった」
恐怖の目を持つさとりは、恐怖していた。
ポトフとは、野菜や肉を煮るだけの料理である。
野菜嫌いを治すほどに上質なレベルになるために、どれほどポトフを極めていたのか。
「どうやら、危険な相手に出会ってしまったようね……」
野菜嫌いを治すのは、不可能に近い。さとりは、身を持って痛感していた。
しかし、それを覆した。ポトフなどという、至ってシンプルなメニューで。
ルナサの料理人としての力は、さとりの想像をはるかに超えていた。
真のダークホースは、さとりではない。ルナサだったのだ。
その上、ポトフのおいしさの秘密はまだ、語られていない。未だに実力を秘めている。
そのうまみの秘訣は、果たしてどこからくるのか。本当に、妹の力だけなのか。
「さとりさん。ルナサさんのポトフ、ペットに食べさせてあげたらどうです? きっと、野菜嫌いなんてすぐに……」
「いえ、遠慮しておくわ」
圧倒的な実力差を目前にしたさとりであったが、それでも胸に希望を抱いていた。
ルナサに出会ったことで、料理というものの力を知ったのだ。
野菜そのものを食べて、ペット達がおいしいと言ってくれるという話が、現実になるかもしれない。
そんなメニューを作ることは、不可能ではない。クッキーに逃げるには、まだ早い。
「私がこの手で作った料理で、野菜を好きになってほしいから!」
新たな意欲に燃えるさとりの背中に向かって、ルナサはそっと親指を立てていた。
=========
「会場の心はがっちり掴めたのに、惜しかったわ」
「さすがさとり様! ちょっぴり黒い戦法!」
「持てる力を尽くしてこそ、よ。……それでも、どうしても読めなかったわ」
「……? さとり様でも、読めないことがあったんですか?」
「ええ。そもそも、この大会はどうして開催されたのかしら?」
「……え?」
「大会の目的。そう、主催者の思惑というものが分かれば、それに合わせた料理も作れたと思うのに」
「目的? そりゃあ、おいしい物を……。あ、あれ? 確かに、そういえば!」
「この不自然さ、どう読めばよかったのかしら?」
「あたいには、難しい問題ですが」
「『お家でおいしいご飯でも食べながら考えましょう』、ねえ。それもありかもしれないわ」
「お食事中って、楽しく考え事できますもん」
「それもそうね。じゃあ早速、野菜たっぷりポトフでもこしらえますかねぇ」
「うえー」
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もう一人のルナは、控え室の時点で体が震えていた。
ちょっと皆を驚かせてやろうという軽い気持ちで出場してみたところ、あれよあれよと勝ち進む。
気がつけば、決勝トーナメントにまで進出していたのであった。
「さて、一回戦で食べられる料理も、残り僅かとなりました。七戦目! 先攻、ルナチャイルド!」
「妖精の代表料理人ね。一風変わった珍味を作るのが得意らしいわね」
ステージに向かうルナチャイルドの足取りが、重い。
お盆を持つ手は震え、顔はすっかり青ざめて、いつも以上にその口は三角具合に尖りが増して、顎もガクガクしていた。
ルナチャイルドは、深く反省していた。今すぐ土下座がしたくてたまらないほどであった。
不正勝利。彼女、いや、彼女たちは数々のイタズラによって予選を勝ち上がってきたのである。
逃げられない。いつ、ばれるか分からない。
幻想郷中の妖怪に注目されるほどになってしまった。自業自得とはいえ、その小さな背中にかかる重圧に彼女は耐えられそうもなかった。
「後攻、八雲藍!」
「さあさあ、我らが料理人、藍よー! そりゃもう、経験が違うわよ。なんだって作れるわ。中国宮廷料理なんて、彼女ならではよ」
対するは、それはもう自信に満ち満ちている九尾の狐。
会場内を走りまわる橙に、にっこりと目配せ。余裕の笑みだ。貫禄が違う。
柔軟剤を使っているのかと見間違えるほどの、しっぽの方も絶好調。ゆったりと揺れている。
「ルナ、ファイト! せっかくここまで来たんだから、堂々としていなさいよ!」
「あ、ああ、うん……」
「調子悪そうね……。でも、大丈夫。絶対に優勝させてあげるから」
「いや別に、その……」
「そうね。今日は人が多いから、見られるかもしれないけど……。ま、なんとかなるでしょ!」
「や、やっぱり私……。そろそろ負けといていいかなって」
「まったく、弱気なんだからー。任せといて、どんな料理も素晴らしい料理に変身させちゃうんだから」
ルナの傍らには、やっぱりいつもの二人がスタンバイ。ノリノリ具合はいつも以上。
酢、塩、味噌、そして小麦粉か何かを携えて。二人はいつものように目をきらきらさせて、妖狐の隣にスタンバイ。
止めようとするも、もう遅い。ルナチャイルドの短い腕は、二人の背中に届かない。
対戦相手は、何やら嫌な予感のする、八雲の名を持つ狐。姿が見えないとはいえ、これ以上下手に動いたら、それこそ不信がられる。
じゃんけんに負けて調理担当になったのが運のつき。不正がばれたら真っ先に非難が集まるのはルナチャイルドだ。冷や汗が止まらない。
「あの、ルナさん? ルナチャイルドさーん? そろそろ、料理のほうを……」
「え、あ、はい! えっと、十三番? ルナチャイルド。『コーヒーゼリー』……」
お盆を開けると、小さなカップ一杯につまったコーヒーゼリーが姿を表した。
その表面には、とろりとしたミルクがかかっている。
「敢えて普通のメニューで攻めてきましたか。それでは、いただくとしましょう」
珈琲は、里でごく一般的に愛飲されている。
これをヒントに、茶屋では和菓子に交じってコーヒーゼリーもまた普通に販売されている。
敢えて普通のメニュー。萃香のように、実力を感じさせるにはもってこいのチョイスである。
スプーンに掬うと、ゼリーはふるるんと愛らしく身をよじらせた。
「ふむ……」
見た目は、普通のコーヒーゼリー。ただ、作ったのは妖精。
何をしてくるか、分からない。
妖夢は、少しばかりの期待と不安を交えながら、ゼリーをすすった。
「コーヒーゼリーだよ、これー!」
「そりゃ、コーヒーゼリーですよ!?」
「いや、なにかこう、ひねったのかと思いまして……」
「ひねった方が良かったですか!?」
「いや、そういうわけでは……。挽きたてのコーヒーの香りもしますし、いいんですけど……」
「いいんですけど?」
「なんというか、『コーヒーゼリー!』って感じで、それ以外の何者でもないというか、普通というか……」
コーヒーゼリーであった。ただただ、コーヒーゼリーであった。
透き通った焦げ茶のほろ苦さに、とろっとしたホワイトの甘みの対照的な、いつものコーヒーゼリーであった。
茶屋で食すのと特に変わりない、いつものコーヒーゼリーであった。
強いて言うなら、コーヒーにこだわりを感じる。香り高さが効いている。だが、そこまで。
会場の皆も、舌が肥えていた。ただの料理には興味ありません状態であった。
そんなわけで、さすがの妖夢もコメントに困ってしまっていた。
「その、コーヒーゼリー自体、好きですし。いいんじゃ、ないですか?」
「あ、はい」
普通で、上等。不自然でない程度にうまくなくて、負けてしまえばそれでいい。
ルナの不安要素は、ただ一つ。妖狐のそばに潜む、サニーとスターの出方である。
この様子だと、そろそろターンエンド。藍がお盆をオープンする番になる。
お盆が開けられると、サニーとスターが見えざる素敵クッキングをしてしまう。
でも、こんな場所で素敵クッキングをしてしまうと、いくらなんでもばれてしまう!
ばれたら、終わりだ。おそらく、極刑。きっとフライド・三月精にされて食べられてしまう。
止めなくては、いけない。
「ちょ、ちょっと……!」
「……? どうしました?」
「あ、いえ、なんでも!」
通じない。ルナの思いは通じない。
ああ、糸電話さえあればバレずに会話できるのに。痛恨の忘れ物。いつも以上に、ルナは自身のうっかりを呪う。
声を出せば、怪しまれる。怪しまれたら、ばれる。
ばれたら、終わりだ。おそらく、極刑。きっと三妖精のホワイトソース和えにされて丸呑みだ。
詰み。何もしないと、極刑。声を出しても、極刑。声を出さずに二人を止めなければ……。
その時、ルナチャイルドに電流走る!
声を出さずとも、意思を伝える手段はあったのだ!
「よ、よーし……」
まず、辺りの様子を確認して。こっそりと、サイン。
作戦中止を伝えるべく、両腕で目一杯バッテンを作る。
「お願い、気づいて!」
その気持ちが届いたのか。まずはスター、次いでサニーがルナに目を向ける。
なにやら、サニーが笑顔を返す。サニーも腕でサインを作ろうとしている。これで、コミュニケーションが取れる!
ルナは腕をぷるぷるさせて、バッテンポーズを維持。対するサニーは、右手がチョキで。左手もチョキで。カニさんだ。
そのカニさんの手を、おでこに持って行って……。
違う! あんたちょっと馬鹿ね、ビームシュワッチじゃない! サニーだから太陽の拳を選んだのか!
一体、何を思ってビーム合戦に走るのか。ルナチャイルドの額には、滝のような汗。もどかしくて、たまらない。
「違うよ。全然違うよ……」
妖精の頭の悪さを恨んでしまう。
バッテンで伝わらないなら、作戦中止なんてどう伝えればいいのか。
中止。ちゅうし。チュー4!
謎の結論に行き着いたルナチャイルドは、中指と薬指を親指に当てて、狐を作る。それも、ニ体。
今度はスターサファイアに向けて、狐と狐の唇を四回くっつける。
すると、本気で心配そうに顔をしかめながら、人差し指を頭にくっつけてきた。
どうやら、頭が大丈夫なのかと言いたいらしい。
ルナの呼びかけは闇の中に吸い込まれていった。
「では、そろそろ次の料理に行きましょうか?」
「よし、行こうか」
絶体絶命。何回チュー4しても、バッテン作っても、首をぶんぶん振っても、スターもサニーも笑うだけ。
こうなったら、もはや実力行使しかない。
「十四番、八雲藍。作ったのは……」
「うおおおおおお! サニー! うおおおおおお!」
お盆がオープンする、その瞬間。二人めがけて、ルナチャイルド、突進!
「え、ちょ、ルナ、なにやってグヘエ」
渾身のラリアットが炸裂! サニーくん、スターくん、ふっとばされた!
何事もなかったかのように、素敵調味料たちを回収するルナの姿がそこにあった。
「どうしたのよルナ、さっきからおかしいわよ? 気でも狂ったんじゃないの!?」
「しー! 話は後で! 今は退却、退却!」
会場、騒然。
料理人がおかしなジェスチャーを始めるわ、誰もいなかったところに妖精が出てくるわ、どたばたやりはじめるわの大騒ぎ。
「あ、あの! ルナチャイルドさん?」
「あ! その、えと……。そう、トイレ! トイレに行ってきます!」
「え? あ、どうぞ……」
こうして、三妖精一味は無事に会場から退散することに成功したのであった。
「え、ええと。私はどうすればいいのかな……」
「あ、すみません! もう一度料理名の宣言をお願いします!」
「こほん。十四番、八雲藍。作ったのは、『フカヒレとナマコのスープ』だよ」
さてさて、お待ちかね。スープは無事に妨害工作されることなく登場することとなった。
途端、会場にはどよめきの海が広がった。
フカヒレもナマコも、幻想郷では雲山にコブラツイストしても手に入れることのできないほどの食材である。
海鮮物ということもあるが、どちらも中華料理で高級食材として扱われているものである。
八雲の食材調達の力を伺わせる。
「食べたことのない物ですね……。ですが藍様とはいえ、問題は味のほうです」
黄色がかったスープに、卵がふんわりとかかっている。
細かいゼリー状のフカヒレに、大ぶりに切ってある黒いナマコが見え隠れしている。
「では、いただきます」
未知なる高級食材を目の当たりにし、妖夢も緊張の色を隠せない。
スープをすくうと、とろみがついていることが分かる。スープの表面が、穏やかな弧を描いた。
「……ふむ」
ぬるめのスープの中に、ゼラチン質のフカヒレが混じり、奥歯に柔らかな触感が伝わる。
あっさりとした出汁のうま味の後に、胡椒が効いてくる。
「では。ナマコにいこうと、思いますが」
かなり大きめに切られているナマコは、どこかグロテスクに黒光りしている。
恐る恐る口にすると、存外に硬いことが分かる。噛み応えがある、というより、硬い。
5センチ厚のタコの足を食べているといったほどである。
「えっ、なにこれ、藍様何これ、えっ」
「さあ、存分に公平な判定をしてくれ」
「ええっと……」
妖夢は迷っていた。断ち切れないほどの迷いを抱いてしまった。
一言で言うならば。
微妙。微妙の一言に尽きるのであった。
もはや、突っ込んでくれと言わんばかりのものであった。
とろみのついたスープの割に、ぬるい。保温効果はどこにいったのか。
しかも、妙にとろみが強い。そのせいで、フカヒレの食感が殺されているようにも感じられる。
「おのれ、この妖夢の味覚と嗅覚を試そうというのか!」
またもや、本気モード。なんの狙いがあったのか、よくよく考える必要がある。
薬味らしく、人参のみじん切りも入っているが、小さすぎてよく分からない。というか、黄色のスープに赤色はそこまで映えない。
全体的にふにゃふにゃした物が多いが、食感についてもしっかり考えているらしく、ナマコが硬い。だが、硬すぎる。
それはそれで、卵はぷりぷりしてておいしい。スープのとろみが妙に強いのも、それはそれでいい。
でもでも、スープは妙に出汁が薄くって。
まとめると……。
「一体、なにがしたいのかわかりません! この料理、一体なんなんですか!? わけがわからないですよ!」
「ふふふ、そうだろう、そうだろう!」
藍は藍で、何やらご満悦の様子。一体何がどうなってんの。
おいしいわけではない。しかし、決してまずいというわけでもない。
どこをとってもなんだか分からない、高級食材を台なしにするような料理を、誇りに思っているのである。
「紫様! 私はとうとう成し遂げました! ご命令通り、『中途半端な料理』を完成させたのです!」
「藍……。成長したわね。ここまでの完成度……。いや、未完成度を持つ料理が作れるようになるなんて」
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、藍様は中途半端な料理を、わざわざこの大会で!?」
「そうさ。私にとっては、遙かにこちらの方がレベルの高い料理なのだからな」
式とは、命令の集合体である。コンピューターも式の一種と考えられる。
そんなプログラムな彼女にとって、最善を尽くした料理を作ることは容易い。
おいしさを求める関数がうんぬんで、それを最大化するためにニュートンだかEとMのアルゴリズムとからしい。なんてことだ。
一方、最悪な料理を作ることも、まだ容易い方である。苦汁でも辛酸でも舐めさせればいいし、それでも駄目ならマグマでもニトロでも舐めさせればよい。
が、中途半端な料理というものが難しかった。
彼女自身、最高の料理でもてなし続けてもう千年を超えている。その上、式というのは微妙さにこと弱い。
いざ、うまくもまずくもない料理を作れと言われても、何から始めればいいのか全く分からなかったのである。
中途半端な料理を作り始めて、行く年来る年。ついに彼女は、未完成度に満ちた料理を作ることに成功したのであった!
「出汁も工夫している。フカヒレとナマコの煮汁は全て捨てた。代わりにしいたけの出汁を使って卵スープを作っている」
「そんなもったいないことしてまでやったんですか!?」
「でも、不味くはないだろう? そして、特にうまくもないだろう?」
「うう、確かに……」
「二の句も告げないほどの微妙さか。想像以上にうまくいったようで、嬉しいよ」
会場の誰もが、しんと静まり返っていた。
舌鼓を打って舞い上がるでもなし、まずさに絶叫するわけでもなし。
ただ、意味不明の料理の前に、箸をちょこちょこと進めるだけであった。
そんなどんよりとした空気を、妖夢は絶ち切った。
泥仕合と化したこの戦いに、終止符を。
「えー、では。勝者、ルナチャイルド」
「……え、お前、この料理に私がどれだけ苦労したのか、分かっているのか!?」
「といっても、微妙なのは微妙ですし……」
「そうよ、藍。これはむしろ栄光よ。ちゃんとした料理で妖精に負けられるなんて、あなたぐらいなものようふふ」
顔を赤くして動揺する従者をなだめるように、主がひょっこりと茶々を入れに来た。
「そうは言っても! 微妙な料理って難しくてすごいのよって紫様が仰ったから、七月六日はナマコ記念日なんですよ!」
「そうよ。確かにすごいことよ。でもね、藍。この大会は、うまいものが勝ちってルールで……」
「は、初耳ですよ!?」
「初耳だったんですか!?」
思わず妖夢、突っ込んでしまう。
だが、主は生ぬるくない。追撃の手を緩めない。
「なんて言うか? 妖精に負けてあわあわする藍の姿ってのも見てみたかったし?」
「あはははは、紫様、おひとが悪いですよー」
「いやあ、あんなに顔を赤くしたの、久々過ぎて。中々可愛かったりして?」
「んもー、紫様ったらー」
「うふふふふ、ここまでおいで、らーん。捕まえてみなさい!」
「待ってくださいよ紫様ー! 捕まえたらみっちり八千万枚ナマコの刑ですからねー」
「そんな刑効きませんー。主人に刑とかどういうことですかー。ストレートとカーブのナマコビーム」
「バーリアー。ナマコ妖怪レーザーびびびびび」
この光景を見ていた橙は、後にこう語る。
曰く、あの時ほど自分の将来に不安を覚えたことはなかった、とか。
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会場から逃げたルナチャイルドは、まずは一息。ようやくサニーとスターに事情を説明することができたのだ。
「ルナが負けておきたかっただなんて、気がつかなかったわ」
「ごめんね、せっかくここまで一緒にやってきたのに。でも、そろそろやめとかないと、まずいことになりそうで」
「気にしないで。私たちは十分がんばった!」
「サニーの言うとおりね。なんてったって、決勝トーナメントよ。結構すごいことじゃない?」
「そう、だよね。えへへ、二人ともありがとう」
終始緊張しっぱなしであったルナチャイルドから、初めて笑みがこぼれた。
決勝トーナメント進出。妖精としては大健闘である。知り合いに自慢することだってできる。
ルナもサニーも、うきうきモードである。が、スターだけちょっぴりシリアスモード。
「でも、良い判断だったと思うわよ? なんか、じっとこっち見てるのがいて、気になっていたわ」
「ああ、いつぞやのあいつ……。紫とか言ってたっけ? 確かに、ちょっと怖かったね」
「そんなことあったの!? だったら早く教えてくれてもよかったじゃない!」
「えへへ、つい調子に乗っちゃってさあ」
「多分あれは、私たちに気づいていたんじゃないかしら。ルナの言うとおり、もし何かしていたら、あの時以上にぼこぼこに……」
妖精だもの。ノリだけで動くことだってあるさ。
しかし、もし一歩誤れば奈落の底に突き落とされていたのかもしれない。
三妖精はみんな、ぞっとすると共に少しだけ安心した。
もう、この大会に関わることはないだろう。無事、お家に帰ることができるのだ。
「じゃあ、そろそろステージに戻らない? さっさと敗北宣言受けて、帰ろう!」
「ルナ、ちょっと待って。何か、ステージの様子が変なような……」
「うん? ああ、ちょうど妖夢さんが判定しているみたいね」
スキップしながらステージに向かう、その時であった。
『えー、では。勝者、ルナチャイルド』
それは、ルナチャイルドにとって死刑宣告以外の何者でもなかった。
「ちにゃ!」
「ルナ! しっかりして、ルナ!」
「よ、よりによってこんなことになるとは……」
「藍様に勝っちゃった。うふ、うふ、うふふふふふふふ」
一難去ってまた一難。ぶっちゃけあり得ない。藍に勝つなんて、あり得ない。
想定外の二回戦進出に、ルナチャイルドは意識を手放すことにした。
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「さて、とうとう一回戦ラストとなりました! もうお腹いっぱい? おいしいものなら食べられるはずです!」
「まだまだ二回戦、準決勝、決勝と残っているからねー」
「では、きばって参りましょう! 八戦目! 先攻、十六夜咲夜!」
「紅魔館の代表料理人ね。主の嗜好と本人の趣味のお陰で、和、洋、中の全てを極めているとか。時間操作にも注目されるわね」
ステージ袖には咲夜はいない。ステージ中央に奴はいる。いつの間にやら、とうの昔にテーブルセッティング。
それは癖なのか、サービス精神なのか。宙空から、スカートつまんでお辞儀な登場。
客席からは、目をぎらぎらさせて見守る美鈴の姿がある。
「後攻、藤原妹紅!」
「妹紅炭で有名ね。料理の味よりも機能性を追究する、変わった思想を持っているわ。持ち前の火力が鍵かしら?」
「妹紅! しっかりやれよ!」
「分かってますよってば」
妹紅の背には、惜しくも予選敗退と相成った上白沢慧音の姿があった。
彼女の不安げな瞳から目を外して、藤原妹紅が対峙した。
「さあ、決着をつけようじゃない」
彼女の立てた人差し指から、火柱が細く揺らいだ。
それは、いつだかの一戦の続きであるかのようだった。
今、ここに。時をかける二人の少女の決戦が始まる。
「何度でも叩き潰すまで。十五番、十六夜咲夜。『熟・ビーフシチューライス』をご賞味あれ」
十五品目。もう、観客のお腹は満たされきった頃合い。の、はずが。
蓋を開けた瞬間。その香りだけで、奮起がふんふん沸き起こった!
じっくりと煮詰められたトマトに玉ねぎ人参と、そして牛すじ肉が合わさったデミグラスソースの芳醇な香りが、湯気とともに立ち上る。
まるでそれが毒ガスであるかのように、そいつを嗅いだ瞬間にノックアウトだ。
「ああ、脳みそがやられる! ビーフシチューの食材みたいに、とろとろに溶けてしまう!」
「さあ、ふわふわの牛テール肉でも、三十日間ことこと煮込んだスープでも、お好きなものからご自由にお楽しみくださいな」
「そ、そんなこと言われたら迷ってしまうじゃないですか!」
人の迷いを断つ白楼剣の持ち主が、それなりに迷っているとはこれいかに。
しかし、そのビーフシチューの食材のどれもこれもが即死級の威力を誇っている。
牛テール肉と牛タンと、贅沢にも二種類用意されたビーフは、どちらも半熟と言うほどに融けている。食べると死ぬ。
大ぶりに切られたじゃがいもや人参は、すっかり丸くなっていて、スープがしっかり染み付いている。食べると死ぬ。
おまけに、シチュー。二十年ものの赤ワインを含む、すべての具材とブイヨンの合わさった濃厚な味わいは、直ちに影響があるほどの代物。食べると死ぬ。
これを食した会場からは、「あっ」と口にして以降、何も話せなくなる者が続出。
真に美味な物は、食べてもその感想は口からこぼれない。むしろ、沈黙してしまうというものである。
「白米! ああ、白米が進む! 白米がどんどん減ってしまう!」
とろとろに濃厚なシチューと、白米の飽くなきサイクルに囚われてしまう。
まさに、至れり尽くせりである。この一品だけで、一食分を完全にまかなっている。
「……そういえば。なんだかシチューに、つぶつぶなのが入っていますが、これは……」
「白トリュフですわ。カマンベールチーズのような、芳醇な香りをアクセントとして添えています」
「うわあ、なんだか財力にもの言わせている気がする!」
「希少なものは、美味と感じるものですから。味覚は、脳で感じるものよ」
それは、咲夜のモットーであった。
食べる前から、いかにも旨そうな一品だと説明しておけば、自然と印象が良くなるというものである。
さらに隠し玉として、トリュフを用意してブースト。これが咲夜の作戦であった。
例えトリュフが普通のしいたけであったとしても、普通の人には分からないだろう。説明だけで、うまいもんと錯覚してしまうのだ。
「それは、どうかな」
「あら? あなたの料理はもう、食べさせる必要などないと思うのだけれど」
「珍しけりゃ至高だなんて、滑稽だね。トリュフだなんて、犬から豚に成り下がったのかい?」
「最近は犬を使いますがね」
藤原妹紅が、食いついた。十六夜咲夜に、攻撃開始!
両者、ともに譲らない。
「やれやれ、こんなものを有り難がる連中もどうかしている。三十日間煮込んだだの、二十年熟成したってのも怪しいもんだ」
「時間を速めればこれくらい、お手の物。私にしかできないやり方で、勝ちを取りにきただけよ」
「まあ、見ていなよ。こんな偽物の時間を歩かされた料理より、ずっとうまい究極の料理を見せてやるよ」
この自信はどこから来るのか。
本大会、最後の料理人のベールが、今、解かれる。
「十六番、藤原妹紅。『生ハム』だよ」
お盆の蓋を開けると、スライスされたハムが、白い皿にちょこんと乗っていた。
「え? こ、これだけですか?」
「これだけとは何よ。最強だよ? 味、保存性、携帯性の全てに優れていて、一度作れば調理の必要すら無い、なんてなかなか無いよ?」
「た、確かに……」
食べ物の機能性。妹紅はここに並々ならぬ情熱を持っていた。
しかしここはあくまで、うまいもの決定戦。うまくなければ、話にならない。
「もっとも、手間がかかるのだけは難点だけどね」
「手間、ですか?」
「香りに定評のある妹紅炭でじっくり燻製。実に三ヶ月の間、火の管理をしているよ」
「そ、そんなに!?」
一口に燻製といっても、様々な方法がある。
例えば燻製のステーキは、熱しつつ黒煙を浴びせる。そのため、ものの数時間で仕上がる。
一方、保存のため、そして食材に香りをつけるために行われる冷薫という手法は、数ヶ月を要する。
煙を冷やし、かつ腐らせないように湿度に気を配りながら、一冬かけての燻製が行われているのだ。
「じっくりねちねちとした炎で燻ったからね。炭の香りが、口中に広がるはずだよ」
「そう言われると、なんだかすごい気がしてきました……」
「これだけじゃないよ。今回のは熟成にニ年かけたものでね」
「に、ニ年!? それ、さすがに腐るんじゃ!?」
「いや、むしろカビが生えるぐらいじゃないと。もっとも、本当に腐っちゃもともこもないよ」
「もこもこもこう?」
「もともこもない、だってば」
腐らせず、うまく発酵させる。
微生物という自然の料理人を自在に操るには、一苦労二苦労どころの話ではない。
腐敗の主な原因は湿度。雨季の存在する日本での生ハム製造は困難を極める。
幸い、ここ幻想郷は山間部で、海に面していない。山の麓の平野部は、比較的湿度が少なかったのだ。
その上でなお、防湿に気を配った熟成庫を必要とする。
「私には分かるんだ。肉が息をしていて、暑がってるとか、寒がってるとか。ハムと一緒に生きてきた」
「生きる、ですか。……これなら、ひょっとしたら幽々子様も……」
「騙されないで、妖夢。つまりは、ただの苦労自慢ってところじゃない」
「苦労? 馬鹿言うんじゃない。大事なのは、そこじゃない!」
語気を強める妹紅。その目には、並々ならぬ生ハムへの情熱が見える。
その情熱の炎は、十六夜咲夜へと向けられた。
「熱さぬように気を配って燻製する最初の冬! 熟成が始まり、おいしいハムになるようにと願う春! そして湿気と雨からハムに気遣う夏!
秋になったら夏を越せた喜びを分かち合って! 冬は冬で、今度は凍りつかないように気を使って! そうやって、共に生きていたから旨い料理に仕上がるんじゃないか!」
「そんなの、ただの精神論じゃない!」
「階段飛ばしの時間を歩んで。そんな無情さで何が分かる。私は三百を超える年月を一歩ずつ進んで、情と共にこの生ハムを極めた!」
職人であった。それも、ただの人間では到底辿りつけない領域。
職人の、究極の生ハム。
熟成の成果として、ハムの表面にはうまみ成分の結晶の白い粒が浮き上がっている。
観客席の目は、生ハムにくぎ付けである。咲夜の額に汗が浮かぶ。
「早くその御託をやめさない! 肉っきれ一枚ごときが、おいしそうに見えてきてしまう!」
「そう。あなたに勝つには、御託を並べてでも脳に訴えなくちゃいけないと思ってね」
「卑劣な……!」
「もっとも、舌の方でも負けるつもりはないけどね! 有情の時を経たハムの力を見よ!」
瞬間、妹紅の手が閃光を放つ。
眩んだ隙をついて、そいつを咲夜の口へと放り込む!
「これぞ、柔の肉!」
「え、ちょ!」
「せめて自然の旨さを知り安らかに死ぬがよい」
その間。何があったのか誰にも分からない。
ただ、一つの事実から推測するしかなかった。
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
そこには、両膝をぺたんと地面に落とした咲夜の姿が!
数秒前は気丈だったあのメイド長が目をうるわせながら、唾液を一筋垂らしてしまっている!
咲夜が、ふやけている。ただそれだけの事実がステージ上に残ったのだ。
「何やってるんですか妹紅さん! 審査員は私です! 私にください!」
「いいよー」
少しばかり肉厚の生ハムを手にした妹紅から、強烈な熱が発せられた。
超短時間、超高温で熱された肉は、焦げと赤身とがまだらになっている。
とろとろに融け出た肉汁の香が、会場全体に渡る。燻煙と脂の混じった、奥深い芳しさである。
表面はまだ、脂がぱちぱちと跳ねている。それを、妖夢の口に放り込む!
「妹紅有情破顔肉!」
「はあん!」
「お前はもう、とろけてる」
まず、香る。熟成した肉が、肉の香りとして口から鼻へ突き抜ける。
カリカリとした焦げの、少し苦いのがたまらない。
塩味と共に、バターのような甘い肉汁が、止まらない。
一噛みすると、まだ熱せられていない、生のハムが現れる。
が、これもとける。キメの細かい脂が、じんわりと融け出てくる。
カリカリの熱されたとろとろの中には、上品な冷たいとろとろがある。
口の中で、あっという間に融けてしまう。にも関わらず、強烈なインパクトを叩きこむ。
それは、一発の大玉の花火のようであった。
それを口にしたものは、頬を落とすどころか、顔をぐちゃぐちゃにして喜び、極上の世界へと連れ去られてしまう。
まさに、有情破顔肉。
「しょ、勝者、ふにわらのもこー」
会場は、生ハムの炎に包まれた。妹紅を除く誰もがふにゃふにゃ。
誰も収集をつけるものがいなくなったまま、最終戦の決着がついたのであった。
=========
会場の皆は、天使の笑顔をしていた。
うまいものを食うことができた。これぞ、シンプルながら極上の幸せである。
「みなさん、お疲れ様でしたー! 幻想郷一料理人決定戦の初日、第一回戦の対戦は、全て終了いたしましたー」
しかし、人は皆、貪欲である。
まだ、足りない。もっとうまいものが、ほしい。
これを求め、早くも第二回戦に期待を寄せる者も少なからず存在した。
「第二回戦は2対2のチーム戦。試合当日までもうしばらくお待ちくださいね」
「さて、チームの組み分けですが、二回戦進出者の希望と抽選をもとに決定しております」
チーム戦となれば、誰と組むかが勝敗の鍵を握るのは自明の理。
第二回戦出場者の八人に、緊張走る。
「代わりばんこに言う?」
「そうしましょうか。じゃあ、紫さんから」
「はーい。まず、『いつもの神社チーム』で、博麗霊夢と伊吹萃香!」
「対戦相手は、『ワイルド料理チーム』。霧雨魔理沙選手と、秋穣子選手です!」
「もう二組。『紅炎の料理人チーム』で、紅美鈴と藤原妹紅よ」
「対戦相手は、『ルナ=ルナチーム』で、ルナサ・プリズムリバー選手とルナチャイルド選手です」
魔理沙が早々に、霊夢に火花を飛ばし始める。俄然、やる気である。
一方、美鈴は妹紅に火花を散らしていた。咲夜の敵のつもりだろうか。味方であるにも関わらず、険悪なムードである。
「チーム分けも発表しましたっと。では、幻想郷一料理人決定戦の初日、第一回戦は、これにて終了です!」
「第二回戦は明後日に行うわ。それまでに作戦を練るなり、食材を調達するなりするといいわ」
「ではではみなさん、お疲れ様です!」
こうして、観客の拍手に包まれながら、ステージの暗幕が下りていくのであった。
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「いかがでしたか」
恐る恐る、妖夢は顔を伺った。
強かった。レベルの高い争いだった。
審査員をして、妖夢は確かな手応えを掴んでいた。
「幽々子様」
会場に、一度も姿を見せなかった彼女が、そこにいた。
白玉楼の隅の方の部屋に、閉じこもるように彼女はいた。
「私の勘ですが……。精一杯の生を受けた妹紅さんの生ハム、きっとお気に召すと思うんです」
不安と期待が混ぜこぜになって。妖夢はただ主を見ることしかできなかった。
それでも主は、表情の一つも変わらない。
ただ、首を横に振っていた。
生気を失った眼差しの彼女は、今も救いを待ち続けている。
「うまいもんが食べたい。うまいもんが食べたくて仕方ないの。そう、幻想郷一うまいのを、食べたい!」
かくして、楽園史上最大の料理大会が始まる。その名を、幻想郷一料理人決定戦という。
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桜咲き誇る、大宴会場。
冥界は通常、その高度と霊の多さによって、四月でも若干肌寒いほどである。
しかし、この熱気は異様。異様としか言いようがない。
それもそのはず。ありとあらゆる人妖が、この会場に集まっている!
そう言っていいほどの、人妖の海が押し寄せているのだ。
うまいもんが食べたい。それは、西行寺幽々子ただ一人の願いではない。誰しも、常日頃、本能から願っていることなのである!
であれば、観客のごった煮状態も必然と言える。うまいもんが食える。だから、来る。それで、十分!
「お待たせいたしました。みなさん、こんにちは。新聞記者なのに、こういう場では必ずというほど司会進行役になっちゃう、射命丸文です」
「解説の八雲紫です。どうぞよろしく」
なんでもない、ただの自己紹介。にも関わらず、怒涛の勢いで歓声が上がる!
もうすぐ、始まる。その溢れんばかりの期待、歓喜、胸の高鳴りが、声となって表れる。
「さあ、幻想郷一の料理人を決めましょう! うまければ勝ち、単純明快! 予選トーナメントを勝ち上がった、総勢16名の料理人が、このスタジオに集結しています!」
「優勝者には、それなりの賞金をプレゼントいたしますわ」
我こそはと集まった、幻想郷の職人達。
しかもこの16人、厳しい予選をくぐり抜けてきた強者ばかりである。
予選落ちとなった妖怪達も、この会場にずらりと顔を並べて勝負のゆくえを見守っている。
「さあ、決勝トーナメント第一回戦です! ここから、ノンストップ、ノンカットで実況していきます! 紫さん、ルール説明をお願いします」
「はーい。第一回戦は、『初回からチキチキ全力バトル ~ 私の得意料理はこれよ!』を行うわ!」
「そのチキチキってのいりませんよね」
「これから二人の対戦者が得意料理を持ってステージに上がるわ。で、審査員が順番に料理を食べて、おいしかった方の勝ち。分かりやすいでしょ?」
「えっと、審査員は……」
「ええ。第一回戦は妖夢が担当するわ。白玉楼の台所事情をよく知っている彼女だから、いいジャッジが下せると思うわよ」
ステージの真ん中の真ん中、妖夢が緊張の面持ちで、ちょこんとテーブルについている。
「あ、よろしくお願いします」
「そうそう、会場の各テーブル分の料理も用意させているから、観客の皆も安心しなさい」
途端に拍手が沸き起こる! そして響き渡る、ありがとうございますの嵐!
皆、うまいもんを食うことばかり考えていたのだ。
紫コールに文コールが、観客席から噴火する!
「うまいもんが食いたいかー!」
「空腹の準備はできてるかー!」
紫と文の扇動に、観客のボルテージは臨界点を突破!
拳を突き上げ、料理を今か今かと待ち望む。
「では、参りましょうか!」
至上最高の宴会が、今、始まる。
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「一戦目! 先攻、博麗霊夢!」
いきなりの大物出現に、観客からどよめきが上がる。
一戦目から、霊夢。神社の宴会でも彼女の料理が振舞われているため、それなりに名が知れている。
そんな彼女が、一戦目からの出場。霊夢クラスの料理人が続々と登場することが予想され、会場は期待の空気に包まれた。
「霊夢か。あの子のモットーは、安く、うまく、お腹一杯に。家庭の知恵がつまった倹約料理を得意とするわ」
紫がアナウンスしただけで、すでに生唾を飲むものも出てくる始末である。
ステージ、向かって左サイド。フタ付きの銀のお盆を持って、霊夢がステージに現れた。
と、同時に。会場向けの料理を、橙がテーブルに運びはじめる。
「あ、まだ開けちゃ駄目ですからね?」
観客の目は、もはや獣のそれである。弱ったガゼルを目前にする、ライオン。いつ飛びかかっても仕方ない。
「まあまあ、慌てない慌てない。一休み一休み。料理はこれだけじゃないんだから」
「後攻、村紗水蜜!」
ステージ、今度は右サイド。自信たっぷり背を伸ばし、船長がずんずんやってきた。
「村紗水蜜。船旅で培った、豪快な料理を得意とするわ。彼女の海軍料理は稀少価値が高くて、魅了されるものも少なくないわね」
「海軍、ですか?」
「それっぽければいいらしいわよ?」
霊夢と比べると、その料理の腕はさほど知られていない。しかし、一度その料理の魅力に取り憑かれれば逃げられない。
彼女の料理欲しさに、命蓮寺に行列ができたという噂さえある。
「では、参りましょう。霊夢さんの料理、オープン!」
「こういう場所だけど……。あえて素朴に攻めてみたわ」
初っ端の初っ端。客どもの輝く眼差しを受けながら、お盆の蓋が取り去られる。
直後、感嘆の声があちらこちらで漏れ出る。
まず目につくのは、大きめのどんぶり。そしてその中身は。
「一番、博麗霊夢。『照り焼きハンバーグ丼』よ」
一同、咆哮! この日この時のために、皆、腹をすかせて待っていた!
そこに、ボリューム満点のこのメニュー。喜ばないものなど誰一人していない!
が、直後。喜び勇んで口にした者達から、ざわざわとした声。
それは、意外、予想外、想定の範囲外。そういった驚きから出る反応であった。
「と、豆腐だよこれー!」
妖夢、絶叫! 思いがけず、絶叫!
通常、こういった勝負の場では、最高の食材でもって、最高の腕をふるうはずである。
しかし、ハンバーグの食材が、まさかの豆腐。つまりは代用品!
本来は、安い、健康的、豆腐が余った、といった理由で作られるしろもの。
霊夢の言葉を借りるならば、あまりに素朴すぎる料理であった!
「いや、待ってください。これ、予想以上に……!」
しかし、しかし!
この料理を食したものは、二重に予想を裏切られていた!
一つは、食材が豆腐であったこと。
そしてもう一つ。存外に濃厚、かつ心地の良いまろやかな刺激に襲われたからである!
「……たれ、ですか。そうか、それで照り焼き!」
審査員、早々にしてこの料理の肝に気づく。
全てはこの、照り焼きソースにあった。
豆腐ハンバーグは一見、味気なく、さっぱり指向のイメージが強い。
しかし、照り焼きと銘打てばどうだろう。
濃厚なソースが豆腐に絡み、いいあんばいに、甘辛いとろみと変化するのだ。
これが肉だったらどうだろう。最悪の場合、濃厚かける濃厚となり、好みの分かれるところとなってしまう。
「甘辛い醤油……。私の好みをピンポイントでついてくるなんて、さすがです! ご飯にかかるのがまた、いいです!」
とろとろとしたソースが、雪のように柔らかいご飯の上に、コーティングされる。
その姿はまるで、美しい柔肌の色白美人に、ほんのり艶やかな浴衣を着せたかのようである。
醤油とみりんのとろりとした食感の後、ご飯の粘りとほのかな甘味が、波状攻撃で襲いかかる。
これにより、食の勢いにブーストがかかる。ご飯が、みるみるうちに減っていく。
「……ところで、霊夢さん。この薬味は、一体……」
「ああ、それ? 大根の葉っぱだけど」
「なんですと!? ……でも、これがまた、その。グーです。いい、アシストしてます」
多くはネギやシソが使われる薬味であるが、これも生活感丸出しの、大根の葉! もはや余り物と言わざるを得ない食材である。
だがしかし! この大根の葉こそ重要な脇役、いや、第二の主役なのである。
豆腐丼。これでは、噛みごたえというものが大きなウィークポイントとなってしまう。
ここに、大根の葉。これは、噛みごたえを重視した結果によるものである。
大根の茎の方は、シャキシャキというより、ザクザクに近いほどのもの。歯に心地よい刺激が与えられる。
また、全体的に甘くなりがちなこの料理全体を、大根の葉のかすかな苦味で引き締めている。
メインの食材が豆腐であるということも相まって、決してくどくなく、かつとろけるような濃厚さを楽しむことができるのだ。
「さすが、決勝トーナメントですね。これほどにまで、レベルが高い料理を味わえるなんて」
「そう? 気に入ってくれたのならいいけれど」
素っ気ない霊夢の態度であるが、その実、ニカニカとした笑いを隠しきれない。
うまいものを食べるのも喜びであるが、うまいものを食べさせるというのもまた、この上ない喜びである。
「ふっふっふー。まだまだ、それだけで満足しちゃいけませんな」
忘れていた、と言わんばかりに。一同、その声にはっとする。
これは、戦いである。うまいもんとうまいもんがぶつかり合う、戦争である。
我こそは、「もっとうまい」を知っている。そう言わんとばかりに、キャプテン・ムラサが待ったをかける!
「審査員! もういいよね? 私の料理、そろそろいいよね?」
「あ、えっと。そうですね。じゃあ、どうぞ」
霊夢の料理の衝撃に、若干気を取られていた妖夢であったが、気を引き締め直す。
観客から、さっきのが勝ちでいいじゃん、というムードも出てはいた。
しかし、そんな空気はものの数秒で消え去ることになってしまう。
「世の男性諸君が喜ぶ手料理、といえばこれだよねー」
突如見せる、魔性の微笑み。その笑顔にくぎ付けになってしまう。
「二番、村紗水蜜。『カレー風味肉じゃが』だよ!」
素朴VS素朴。神のいたずらか、家庭的な料理対決と相成った。
会場の空気は一転、ほんわかムード。
村紗の意外な一面、思いがけない母性を垣間見た、そんな気分にさせられる。
男性客の足は、その魅惑につかまれた。あとはその味でもって、「うまい」の海に引きずり下ろすだけである。
「カレー風味……。なるほど、確かにあくまで、風味なんですね」
名前からは、B級グルメ特有のくどい料理を連想する。
しかし、あくまで風味。カレーは出汁のようなポジションとして使われている。
ゆえに、肉じゃがそのもののうまさを損なっていない。
特筆すべき点は、じゃがいもである。じゃがいもは、その味の淡白さから、調理によって味が大きく変化する。
だからこそ、薄味。
少しだけ煮崩れした、出汁をふんだんに吸い込んだじゃがいもを、ほっくりと噛み切る。
口の中でほぐしているうちに、ほんのりとカレーのうまみが効いてくる。
「肉じゃが、ミーツ、カレーだよ。海軍っぽさ倍増で、いいでしょー」
「いい感じに融合してますね。それにこの、玉ねぎ。溶けちゃってなくて、むしろシャキッとしてるのが高評価です」
「玉ねぎは後から入れててね。ほら、食感ってのも大切にしたいし」
新鮮な玉ねぎからは、うっすらと甘い香りが立ち上る。
カレーの旨みで口がいっぱいになったら、今度はさっぱり玉ねぎでリセット。もう一度旨みを楽しめるという寸法である。
「どうよー。おいしいでしょー?」
しかし、その声に反応するものは、いなかった。
皆が皆、食べることに夢中になってしまっている。もはや、虜。料理の虜になってしまっている。
「カレーを使っているけれど、その味も巧みに薄くしてある。いや待て。……かすかに。かすかな香り、うま味がある。この香りはなんだろう……」
「よ、妖夢さん?」
「おのれ、この妖夢の味覚と嗅覚を試そうというのか!」
独り言。妖夢が料理と格闘を始める。
白玉楼の美食倶楽部である妖夢のプライドが、そうさせるのである。
「問題はこのうま味。こんぶでもない。カツオでもない。しいたけでもない。ニラでもない。コケモモでもない……」
そのとき。妖夢、開眼!
つきとめる。そのうま味の根源を!
「桑の実だ! そうでしょう!」
「いいえ、にんにくです」
「へえー。どうりで、妙にうま味が聞いてると思いましたよ」
「スタミナって、なんか海軍っぽい感じするしね。元気倍増だよ」
カレーに、にんにく。うま味を加速させるための、最終兵器である。
じゃがいもの、奥底にカレーの風味。さらに、カレーの奥底に、にんにくの風味。
この二重のトラップこそ、この料理の正体であった。
大多数の人はその旨みの正体がつかめないままであるが、妙にうまく感じる。そういった料理である。
しかしそこには、緻密に仕掛けられた、ムラサ船長のトリックがあったのだ。
見えないにんにくのうま味を求めて、どこまでも食べに食べてしまう。底なしの料理であった。
「では、そろそろジャッジに移りましょうか」
と、ここで文のアナウンス。判定を急かされてしまって、妖夢は困惑の色を隠せない。
「えっちょっ待ってくださいよ! これ、どっちもおいしいですって!?」
「それでも決着をつけるのがあなたの役割よ、妖夢」
「え、えー。でも、これ、本当におんなじくらい……」
「それでは判定に移りましょう。霊夢の照りやきハンバーグ丼か? 村紗のカレー風味肉じゃがか?」
「妖夢の判定はーどっち!?」
悩ませる。初戦から、レベルがあまりに高すぎた。
互角に、うまいもん。それでも決着をつけなければならない。
どちらかは、ここで敗退。残酷な処遇。それを、妖夢は下さなければならない。
妖夢は慎重に、口を開く。
「料理のおいしさは……。正直、互角です。本当に、優劣つけられません」
客席が、ざわつき始める。同時に、仕方ないとの声も挙がる。
が、予想に反して妖夢は続ける。引き分けなんて甘い決断は、無い。
審判を下すため、妖夢は語り続ける。
「両者とも、食材の扱いかた、歯ごたえ、共によく練られていました。この点については、互角です」
いつしか、会場は妖夢の声だけが支配するようになっていた。
「村紗さんの料理。うま味がどんどん足し算され、豊かな色彩を生んでいました」
途端、「おおっ」という声と共に、観客の視線は村紗に集まる。
「しかし、霊夢さんの料理は、かけ算だった! あのたれ一つで、二倍、三倍のうま味がありました!」
賑わう。歓喜と落胆が、同時に起こる。
「たれ、豆腐、ご飯。限られた食材をうまく変身させていました。食材の可能性を、引き出していたんです」
「では、判定を……」
「勝者、博麗霊夢!」
惜しみない拍手。うまいもんを食べさせてくれて、ありがとう。そう言わんばかりの、感謝の拍手。
霊夢は拍手の雨を浴びながら、満足そうに客席に混ざっていった。
村紗はというと、ちょっぴり残念そうな顔を浮かべたかと思うと、笑顔にころっと切り替わった。
「みんなー! 船長のご飯が食べたかったら、いつでもうちの寺にやってきてね! 待ってます!」
船長、右手を抱げ、敬礼。
こちらにも、割れんばかりの拍手が送られる。
それは両者の料理を越えるほど、あと味の清々しい光景であったという。
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妖夢は正直のところ、不安であった。
なぜなら一戦目の時点で、大会のレベルが想像以上に高く感じられたからである。
ここまでしておいてしくじってしまえば、もはやどこにも道が残されていない。
しかし、ここまできたらもう後には退けない。
妖夢は首を振って、次の審査のために気を引き締めなおすことにした。
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「さあ、どんどん行きますよー。ニ戦目! 先攻、東風谷早苗!」
「東風谷早苗。外の新しい料理を知る貴重な料理人ね。パーティーなんかで自身の料理を振舞っているらしいわ」
幻想郷の中では、おそらく流行の最先端をいくであろう。アナザー巫女、東風谷早苗が現れた!
口元は固く結ばれているが、その端は自信ありげに上向いている。
「後攻、伊吹萃香」
「さて、萃香。飲み会の席でちょっとしたつまみを持ってくるのが得意みたい。ごちゃごちゃ言わずにまずは食え、がモットーね」
「料理だって勝負。全力でいくからね?」
自身ありげ、どころか余裕しゃくしゃくの笑み。ふらふらとした足取りから、この一舞台にも関わらず呑んできていることが分かる。
ふざけているように見えるかもしれないが、これこそ、彼女なりのもてなし。全力のサインである。
「では、まずは私の料理からですね。今日はとっておきですよー」
額には汗。高くなる、鼻。一仕事やり遂げた後の手応えを、彼女は確かに手にしていたのだろう。
この世界に受け入れられる料理であるかどうかは、分からない。それでも、自信作。
誇りと不安の、相反する感情が、一緒になって声に表れている。
「……三番。東風谷早苗。『苺チーズタルト』を作ってきました!」
小さな宮殿が、各々のテーブルに出来上がっていた。
見た目の豪華さ、華麗さに、目を奪われてしまう。
さっくりと焼かれたパイ生地の土台に始まり、まずはホイップクリームの絨毯が敷かれている。
さらにその上には、まん丸とよく熟れた苺の城壁が堂々とたたずんでいる。
一つ一つの苺のみずみずしい輝きは、真っ赤な電飾のイルミネーションを想わせる。
「ささ。眺めてばかりでなく、食べてください」
その物珍しさに、誰しも目を奪われていた。しかし、これはあくまで食べ物。
食べ物の価値は、食べてみないと分からない。
「あ、なるほど。……ほお。ほおー!」
何しろ、大半の客が初めて口にしたスイーツである。
したがって、まずは「なるほどこういうお菓子であるか」という指向性をまずは把握する。
苺大福が、ものすごく豪華になったようなもの。まずは、そういったファーストインプレッション。
その上で、咀嚼。生地の柔らかな抵抗感が歯に伝わり、直後、苺から果汁が滲み出る。
「苺の爽やかな甘酸っぱさと、チーズのとろっとした甘ったるさが混ざって……。ふわふわで、その……。ハッピーな感じですね」
「ハッピー、ですか?」
「あ、えっと……。その、はい」
妖夢の口から、ハッピーなどという言葉が飛び出てしまう。
しかし、無理もない。
どこまでも甘く、口の中までとろけてしまいそうな食感。スイーツの味わいに、妖夢は本能から悦んでいた。
チーズとクリームの甘さだけでも、十分。
しかし、そこに苺のほどよい酸味と水分が合わさって、口の中はフルーティーな蜜で一杯になる。
禁断の果実というべきか、怪しいクスリというべきか。
気を抜くと、こればかり日がな一日食べてしまいそうな中毒性を兼ね備えていた。
「不思議です! 飲み込んだ後も、まだふわふわって甘い香りが!」
「バニラエッセンスですねー。最後の最後まで楽しめますから」
爽やかにして甘ったるい、バニラの香りがほんのりと口内に残る。
決して強力で刺激的なものではないが、甘さ中枢にとってはとどめとなる。
「いいですね、これ……。なんか、女の子って感じしますし」
「ですよねー。可愛い感じにできるから、好きなんですよー」
「良かったらその……。これが終わったら、作り方、教えてくれません?」
「もちろんですよ! 是非是非。一緒に作るってのも、結構楽しいんですよー」
いつの間にやら、ガールズトークに花開く。
なにやらほわほわな女の子の空間になってしまう。
甘党の観客には勝負あったかのように見えた。が、そうは問屋が卸しても、伊吹萃香が卸さない!
「じゃ、今度は私の番だねー。ま、何はともあれ食べてみればいいよ。食えば分かる」
決して負けじと、鬼がずずいと仁王立ち。
食え。食えば分かる。彼女はひたすらそう豪語する。
ならば、食わねばならない。その、溢れんばかりの自信の根拠を探すために!
「四番、伊吹萃香。『栗まんじゅう』」
二戦目にして、スイーツ合戦となった。
が、肩透かし。名前からすでに、華がない!
お盆の蓋が開かれると同時に、現れる栗まんじゅうの山!
と、いっても妙に白く、一つ一つが一口サイズ。
例えるなら、彼女のB射撃。あるいは、百万鬼夜行の団子状の弾というべきか。
「いいから食べなって。あ、そだ。お酒欲しかったらあげるから、言ってねー」
「あ、すみません。私は後の審査に影響が出たらまずいので、パスです」
「そう? あんた、ついてないねえ。お酒あってのつまみなのに」
どこまでいっても、マイペース。この栗まんじゅうに、果たして何が隠されているのか。
誰もがそう考えた頃合い。妖夢も一口食べようした、その時。
突如、観客席から絶叫! むしろ、悲鳴のようでもある。何事か、と思う間もなく、絨毯爆撃のように雄叫びラッシュ!
「な、なんじゃこりゃー!」
常軌を逸した栗まんじゅうであった。
口の中に入れた途端、生地が膨らみ始めたかのような食感。ふわふわ、どころではない。膨張にちかい。
その雲のように広がる、控えめな甘みをくぐり抜けると……。
「あ、泡! 泡が爆発する!」
冷えたカスタードの奥深く甘美な刺激が、口中に炸裂。
最後に、クリームに包まれた栗達がコロコロとその姿を現す。
「栗が、栗がぷりっぷりしてる!」
果実であり、果肉であり、果汁さえも感じられる。
弾けるような栗の噛みごたえに、口にした者は皆、目を丸くする。
その圧倒的なインパクトが、客席に火をつけた。
「これが、栗まんじゅう!? 馬鹿な! 何かの間違いだ!」
「これは花火だ……。口の中で弾ける、花火の菓子だ!」
「やっべ、萃香のくりまんまじうめえ」
「うまい、うますぎる!」
それは、手品を目の前で見ているかのようであった。
見た目からは想像もつかない宇宙が、饅頭の中に広がっていた。
しかも、誰もこの製法が分からない。分からないが、ただうまい。
萃香の、とりあえず食えというスタンス。今となっては頷ける。
食わねば、分からないのだ。しかし、それでは審査員も納得しない。
「萃香さん、これは一体、何を使っているんですか!」
「何を使うか? ちっちっちー。そんなこと、私には関係ないのさ」
栗まんじゅうを片手に、萃香がステージ中央にどっしりと構える。
「どんな料理も、良い素材と良い技術さえあればうまくなる。でも、それじゃあ駄目。私なら、私にしかできない料理を作りたいと考えたんだよ」
途端、手の上の饅頭が膨張を始め、最後には小さな爆発を起こした。
「密と疎を操る程度の能力。これほど料理に向いている能力は、そうないと思わないかい?」
「能力の使用……。そういうのも!」
勝ちにきた。この鬼は、勝ちにきた。
能力の使用だろうが、料理というよりお菓子だろうが、うまいものが勝ち。それがルール。
うまいもんならなんでもあり。それこそ、幻想郷一料理人決定戦。
「生地は卵白をメインに、疎に疎を重ねてふわふわに。カスタードホイップクリームの成分は密でありつつ、形状は疎で泡にして、はじけさせる。
おまけに、栗の表面の水分を密にしてあげれば、栗とは思えないほどジューシーに大変身。私にしかできない、オンリーワン饅頭だよ」
説明されても結局のところ、よく分からない。しかし、新しい触感の心地良さが、ただただうまい!
新鮮さが、鍵であった。
知らない料理を食べた時、そのうまさにはむしろ気づきにくい。比較する対象に乏しいからである。
しかし、なじみ深い料理が桁違いにうまい時、その実力に驚愕するのである。
だからこそ、萃香は親しみ深いメニューを持ってきたのである。
「勝者、伊吹萃香!」
あっけなく出された判定に、早苗の目はぷるぷると震え始めた。
「わ、わたしのタルトが……。栗まんじゅうに、私のタルトが……!」
「……食うかい?」
「むむ。いりませんよ、そんな気分じゃないですから」
「いいからいいから。そういう時は甘いもんでも食べたらすっきりするんだから」
対戦相手に歩み寄られ、早苗の眉が歪む。
しかし、萃香はお構いなし。
「まあまあ。食えばわかる。食えばわかるから」
「ちょっ待って、そんな押し付けなくてもふが……」
「どうよ、お味のほうは」
「あ、味の文化大革命やー!」
「そうそ、ここでお酒を飲むんだよ。そうしたらちょうどいいカクテルみたいになって。ほれ、どうぞどうぞ」
どこからか取り出したお猪口に、ひょうたんから酒を注ぎ始める。
「まあ一杯」
「いや、私あんまり飲めなくて」
「まあまあまあ、ちょっとでいいから。ちょっとでいいから」
「うう。ちょっとですからね? ちょっとだけですからね?」
「まま。ぐいっとやってみ? いけるから」
「ふわ……。な、なんですかこれは! 犯罪的です! うますぎます!」
「まま。饅頭もお酒も、向こうにたくさんあるからさ。ゆっくりやろうじゃないか」
早苗の腕が、がっちりと鬼に捕まれる。もう、逃げられない。
その後の早苗の行方を知る者は誰もいないとか、なんとか。
=========
「さて、とうとう真打の登場ですよー。三戦目! 先攻、ミスティア・ローレライ!」
ステージの照明が消えるとともに、スポットライトを浴びながら。
我らがみすちーが、実に奇っ怪な歌と共にやってきた!
「おーいしー♪ 料理ーで、ぽぽぽぽーんと人間大爆発! 鳥よりおいしいよ~♪」
粋な演出に、みすちーファンが一斉に合いの手を入れ始める!
ここでいうみすちーファンとは、当然、観客全員のことである。
「ミスティア・ローレライ。もはや説明の必要なし。B級グルメの女王として君臨しているわ」
幻想郷の料理人と言えば? と問われれば、真っ先に彼女が挙がるであろう。それほどの実力者である。
拍手の嵐に、彼女は手を振り振り応える。まるで脳天気であるかのように見えるが、実のところ脳天気。
まさしく、ミスティア・ローレライ!
「後攻、秋穣子」
「秋穣子。予選トーナメントでは対戦相手に大差をつけて圧勝した、実力派よ。人里の農民達に絶大な支持を集めているわ」
対するは豊穣の神。額に汗を一筋浮かばせて登場。
観客席の中から、「穣子様じゃあ!」という声もあちらこちらで挙がっている。
が、ミスティアと違って、穣子は手は振らない。あくまでその目は、対戦相手から離さない。
ステージの袖から姉がこっそりと応援しているが、果たして彼女は気づくのであろうか。
「デュエルよデュエル! 私の料理で骨抜きにしてあげるわー」
「あ、すみません。ミスティアさん。料理名を宣言してくれませんか?」
「名前? ……うーん。そんなのないわ!」
「え?」
「五番、ミスティア・ローレライ! 『いつもの』よー!」
お盆の蓋を取り去った途端、いつもの香りが鼻をくすぐった。
こんがりカリカリに焼かれたそれは、まさしくいつものであった。
「こ、この一大舞台で、八目鰻の串焼き!?」
「得意料理を出せって言われたからねー。私はこれ、もう長いことやってるから」
馬鹿正直であった。そこには戦略性の欠片もない。
二戦目では早苗、萃香ともに新鮮味を武器にして戦っていた。が、まるで逆である。
「あ、本当にいつものだ……」
八目鰻の身は硬い。しかしそれを利用しているのが特徴である。薄目に切り、カリカリに焼いているのだ。
たれはたっぷり塗られ、ところどころが焦げている。
そこに、荒削りの山椒がかかっている。
実は、妖夢はこの串焼き、さほど好きでは無かった。
八目鰻という難しい素材をうまく活かしているのは評価できるが、それでも全体的にアバウトというか、大味なのである。
……そう、思っていたはずなのであるが。
「……あれ、どうして。なんでこんなときに、私!」
ようむは、やつめうなぎのにおいをおもいだしていた。
初めて屋台に行ったのは、花の異変が起こる少し前であったか。
主人に連れられ行ってみると、なかなか良い気分転換が出来てしまい、以来ちょくちょくと来るようになってしまったのだ。
例えば、花の異変を調査しようとしても、何度も後ろから妖精に体当たりされ、いらいらした時に来てみたり。
だいだらぼっち騒動があった頃、剣の修行で相手の打撃を読むも六根発動前に殴られカードが全て消え、いらいらした時に来てみたり。
神霊が多いから調査をしようとするも、出かけたそばからドンドコ鳴り始めるのを十回くらい繰り返し、いらいらした時に来てみたり。
要するにいらいらしてばかりであったが、屋台に来ると何も考えてなさそうな店主に癒され、疲れが吹き飛んでしまうのであった。
気がつけば、妖夢の目は潤んでいた。
香りというのは、どうしてこんなにも古い記憶を呼び覚ましてしまうのだろうか。自分が屋台にいるかのように錯覚する。
「ああ、やっぱりこれですねえ」
新鮮味とは逆ベクトルのアプローチ。
いつもの味。変わらぬ味。だからこそ得られる、安心感。
今この場で食べている八目だけでなく、過去に屋台で食べた串焼きの全てが合わさって舌に襲いかかってくるようだ。
不思議と、気分もリフレッシュしてしまう。
「ではではここで一曲……」
「その必要はないわ!」
独壇場は許さない、とばかりに秋穣子が一歩前へ。
「私は負けない。皆のためにも!」
タンクトップの農民軍団から「おおっ」と期待の声があがる。
「では、秋穣子さん。宣言をお願いします」
「よーし。六番、秋穣子! 料理名は……」
文に促され、穣子が威勢よくコールを始める。
と、次の瞬間。
誰しも、予想だにしないものが飛び出した。
「料理名は、『トマト』!」
蓋を開けたら、あらびっくり。
そこには正真正銘の、ただのトマト! 料理でもなんでもない!
これには審査員も苦笑い。
「ゆ、紫様! こ、これは、トマトなんて。料理じゃないんですけど、いいんですか!?」
「えーっと。大会の趣旨は、料理というよりうまいもんだからねえ。幽々子が喜びさえすればいいから……。ありじゃない?」
続行。勝負、続行。
どうみても料理ではないにも関わらず、うまければよいという破天荒極まりないルール!
「かぷっといってくださいな。かぷっと」
促され、妖夢はおそるおそる、その赤い柔肌に歯を当てる。
噛むと、少しばかりの抵抗。直後、その皮が決壊した時であった。
「う、うわあああああああああああ!」
妖夢、吹っ飛ぶ! その衝撃に、吹っ飛ぶ!
観客席に投げ出され、転倒。床にはひびが入ってしまう、それほどの衝撃。
「あ、あ、あ……」
「ようむさんふっとばされたー! これは大丈夫なのでしょうか!?」
「なんということでしょう……。トマトがこんなに殺人的だなんて。アタックオブザキラートマトだなんて!」
まず、その実の食感に驚く。皮は風船のように、しっかりとしたハリを持っている。
それを一度超えれば、間欠泉。果汁がはじけ飛んでやってくる。
フルーツトマトではないから、甘くておいしいというわけではない。
しかし、だからこそ自然を、おいしく、楽しくいただくことができるのだ。
鼻孔をくすぐる酸味の中に、かすかな甘み。爽やかにいただくことができる。
「命拾いしたわね。もし秋野菜だったら、あなたは今頃ショック死しているところよ」
トマトで、この威力。穣子にとっては、トマトなどただのジャブである。そのジャブが、殺人級であった。
耐え切れずノックダウンした妖夢は、幻想を垣間見ていた。
「ああ、そうだ。DNAだ。私のDNAが、喜んでいるんだ……」
そう。妖夢は、宇宙にいた。
宇宙から、青々とした地球が見える。今よりも、もっともっと青い地球であった。
目を凝らすと、うっほうっほと踊りゆく、太古の集団。全裸の老若男女どもが見える。
誰もかもが、腹は陥没し、髪はひょろひょろと細く、頬の骨がよく見えるほど痩せこけている。
しかし踊る骸骨どもは、トマトを手にしている。それだけで、目の輝きだけは消え失せていなかった。
ミスティアの料理は、一昔を思い出させる一品であった。
しかし、こちらは原始も原始。太古の記憶を呼び覚ます一品であった。
料理を知らぬ時代に、うまい野菜に出会うことができた。
まる齧り。生き長らえることのできた者たちの喜びの儀式であるかのようである。
「農家の皆が、一生懸命作ったトマト。水と堆肥、お天道様が調味料! これ以上、何の調理が必要っていうのかしら?」
タンクトップ軍団、ヒートアップ! 両手を突き上げ、穣子様の声に応える!
そして告げられる、行方の決まった勝利の判定。
「勝者、秋穣子!」
あのミスティアが、敗北。大方の予想を裏切るこの事態に、観客席から座布団が舞う!
秋穣子、大金星を飾る!
「ちょ、ちょっと待ってー! こんなトマトが、そんなうまいわけ……」
いぶかしげにトマトをつかむミスティアは、もはや「ふり」であった。
「は、はらほろてぃあー!」
彼女は登場から退場まで、芸人であろうとした。ステージど真ん中で、直立したままばったりと横転!
会場からは笑い声。しかし同時に、早過ぎる退場を惜しむ声もまた溢れていた。
=========
「さて、前半戦のラストを飾ります。四戦目! 先攻、霧雨魔理沙!」
「魔理沙。キノコや野草を活かした、サバイバルな料理を得意とするわ。あまりその腕は知られていないけれど、どうなのかしら」
黒装束に白のエプロンのよく映えた、霧雨魔理沙がやってきた。
エプロンにはところどころ土がかかっている。今日も今日とてきのこ狩りをしていたのだろうか。
「後攻、アリス・マーガトロイド!」
「技巧派の登場ね。アリスはその器用な手先を活かした飴細工で名が知れているわ」
最近、人形劇の後に子供たちに飴をプレゼントしているらしい。これが好評で、特に里の子供たちに人気のお姉さんと化している。
そんなアリスがつかつかつかと歩いてやってくる。冷たい表情で、何を考えているのか分からない。
彼女の手にはお盆がない。後ろから、橙と藍が二人がかりで料理を運んでいる。
真四角で銀色の、ロッカーほどの大きさはある。
すでに、異質。客席は当然、どよめくどよめく。
「初戦からお前が相手だなんて、どういうことだよ」
「本当。仕組まれてるんじゃないかしら」
料理に必要なのは、パワーかブレインか。勝つのは自然派料理か、都会派料理か。
こういった対照的な試合運びになる、はずだった。
「まずは私から。七番、霧雨魔理沙。『キノコの味噌ポン酢串』だ!」
一つの串にしいたけ、キクラゲ、しめじを初め、名前も分からぬキノコなどなど、バラエティに富んだキノコが勢揃い。
キノコはどれもこんがりと焼き上がり、湯気と混ざる味噌ポン酢の香りが鼻孔を柔らかにくすぐる。
肉厚の良いしいたけに、歯ごたえのよいキクラゲ、うま味溢れるしめじと、ひとつひとつのキノコの役割を感じられる。
また、キノコ独特の芳しい香りが食欲をそそるのも特筆すべき点である。
「串とちょっとした調味料と……。あと、こいつさえあればどこでもできるからな。お勧め」
「八卦炉ってやつでしたっけ? それがおいしさの秘訣に?」
「使い方次第で、七輪にもできるからなー。じっくりめに焼くと、うまい汁が出てくるんだこれが」
ぶっ放すだけが能じゃない。火力の調整もお手の物。ミニ八卦炉の機能をフルに活用できる、彼女だからできる技。
肌身離さず持ち歩くほどの火力の源である。焼きあげることに関しては、彼女はプロであった。
「……うん。七味もいい感じに効いていますし。シンプルでもいい感じにまとまっているかと」
「ざっとこんなもんかな。あとは、賢いジャッジを期待するぜ」
ニカニカと笑いながら、魔理沙は対戦相手に目を流した。アリスと、それから規格外のあの容器である。
アリスの料理が、あの箱の中に入っている。
客席から魔理沙の料理が無くなり始める頃、ギャラリーの興味はみんなその箱の中身に移ってしまった。
「で、では。アリスさん。そろそろそれ、見せてもらってもいいでしょうか?」
「ええ。……それじゃ、いきましょうか」
アリスは咳払いを一つして。……そして、もう一呼吸してから、宣言した。
「八番、アリス・マーガトロイド。料理名は、『人形焼』」
阿鼻叫喚、地獄絵図。
会場は修羅の国と化した。
その料理は、人という人を驚愕させ、号泣させ、絶叫させたのであった。
「ア、ア、アリス。お前、なんでこんなもの!」
それは「にんぎょう」というより、「ひとがた」と言ったほうがいいかもしれない。
その棺桶の中には、煤けた人がいた。動かなくなった、人がいた。
人の焼かれた姿が、そこにある。
人間という人間が恐れおののき、目を伏せる。激昂し、意味不明に喚き散らすものすら現れる。
吐き気を耐える者に、訳もわからず司会の射命丸に抗議する者に、咽び泣く者。
天空の白玉楼が、地の獄と変貌する。
「そう、そうよ! ああ、なんていい表情……! 待ちに待ちわびていたのよ、この反応を!」
体中を震わせて、アリスはうっとりとため息をつく。
アリスの言葉に、人々は顔を凍りつかせる。
それを待っていたと言わんばかりに、アリスは頬を歪ませるように笑いながら、身悶えした。
「……どうして、どうしてアリスさん、こんなものを!」
「決まっているじゃない。妖怪にとって最高の食材というのは、ただ一つじゃないの」
パワー対ブレインとはならなかった。しかし、人間対妖怪となろうとは。
人形焼きという恐るべき料理に、人間はおろか、妖怪ですら食べるのを躊躇してしまっている。
このような公の場では、食べてはいけないのではないかという意識が強い。
それほどまでに、今の幻想郷にとっては禁忌の食材であった。
「まあ、あくまで人間っぽいってだけなんだけど」
「……え、今、なんと?」
「食べてみれば、分かるんじゃないかしら? もっとも、食べられたらの話だけど」
勇気ある妖怪達が、試食を始める。すると、意外な報告が立て続けに入った。
肌はもちもちとした、餃子の皮の食感。それを突き破ると、ベーコンサラダが溢れ出す。
骨にあたる部分には固く焼き上げたパンが入っており、サンドイッチを想わせる構成となっている。
外見はどう見ても人間。しかし、蓋を開ければランチメニュー。
注目すべきは髪である。
固めの細麺パスタが三つ編みにされ、さらにかんぴょうのリボンでくくられている。
熱く束になったパスタは噛みごたえがあり、オリーブオイルのみの素パスタが生き生きと感じられる。
オイルが全体に均等にかかっているため、髪に一層の輝きが生まれる。だれもが羨む金髪にしか、見えなかった。
というか、魔理沙だった。
「……つーか、何で私がモデルなんだよ! しょーぞーけんだぞしょーぞーけん!」
「知らないわよ。たまたまあんたが作り易そうな体してたのが悪い」
「どーゆー意味だ! どうかしてるぜ」
「どうかしてるのが妖怪ってもんよ」
見た目が見た目だけに、会場の人間達はどうしても食べることができない。
妖怪向けの、妖怪メニューであった。
目にあたるところにはうずらの卵。腹を割ればケチャップが惜しげもなくかかったウインナー。
人間からすると、趣味の悪いところに、趣味の悪い食材がチョイスされている。
「気軽に食べられなくなった人間を、食べたって気分になれる。それに、誰も傷つけること無しにね!」
その言葉が、荒っぽい妖怪達の頷きを呼ぶ。
妖怪の、妖怪による、妖怪のためのメニュー。
それがアリスの料理。誰もがそう思った。
「あなたの主人だって、きっと気に入るはずよ。妖夢」
「な……! そ、そんなわけ、あるわけ、ないわけで!」
「元人間、とはいえもう人外じゃないの。人間を食べる悦び、一度知ったらやみつきよ?」
仮に、人間の前世が豚であったことが証明されたとしよう。
だからといって、豚肉が好きな者は豚肉を食べ続けるだろう。
自分が以前、何であったかは関係ない。うまければいい。それが、ここのルール!
だが、妖夢は抵抗。抵抗し続けた!
異常とも思えるアリスの言葉に、一言一言、必死に対抗する。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか! 幽々子様に限って!」
「そうかしら? うまいものなら喜ぶはず。食べてみなければ、分からないわよ?」
泥沼化しそうな議論。
しかし、妖夢はこれを一刀両断する!
「いいえ、分かります! なぜなら、この料理には致命的な欠陥があるからです!」
「……なんですって? まあ、半分ばかり人間の貴女には、少々気味が悪いかもしれないけれど」
「そうじゃ、なくって。きっと、きっとですけど。幽々子様がこれを召されたら、こう言うと思うんです」
次第にペースを掴んできた妖夢が、一息おく。
そして、幽々子の真似らしく袖を口にあて、穏やかな口調で言いのけた。
「あら、怖がってくれないなんて、寂しいわあって」
「怖がる、ですって?」
「アリスさん。妖怪なら、分かるはずです。妖怪は人間そのものを食べたいというよりも。恐れおののく感情を糧としたいんです」
確かに妖夢の言うことは正しいだろう。
特に亡霊の姫にとっては、人間を食べるというのは比喩で、驚かすのを楽しんでいるという節があるだろう。
しかし、正しいだけ。正しいことが価値ある情報とは限らない。
アリスはそこに、槍を刺す。
「それじゃああなたは、どうしろっていうのかしら? そんな、怖がる人間なんて……」
「あなたの魔法とからくり人形の技術を使えば、きっとできたはずです。食べると泣いたり、痛がったり、叫んだり……」
「確かに、できるわよ? でも、そこまでやると可哀想で食べられるわけ……」
そこで突如、アリスの口が閉ざされた。
会場も、何かおかしいという漠然とした疑問が浮かび始める。
「なんでもない。いいわ、早く判定してくださいな」
「『誰も傷つけることなしに』、ねえ。良い子に育ったもんだな、アリス」
「はあ!? ちょっと魔理沙、何を勝手なこと……!」
「わざわざ人間の代用を作って、本物を守ろうってんだろ? しかも、偽者すら痛がらせたくないなんてな」
アリスの耳が、赤くなる。しかし、まだまだ抵抗する力を残している。
表情はあくまで変えずに、冷静に反撃の糸口を探ろうとする。
「何、言ってるのかしら。ええ、ほんと。私は異常者! 嫌われ者の妖怪よ!? こんな場に死体とか出しちゃうのよ? 恐れるがいいわ!」
「でもアリスさん、子どもからよく好かれますよね。人形劇も飴細工も人気で……」
「な……そそそそそ!」
アリス、あわあわ。口をぱくぱくさせるも、何も話すことができない。
会場から、アリスは笑顔と好奇の眼差しを受け取ってしまう。
輝かしい視線に、アリスは耐えることが、できなかった。
「別にうさぴょん飴なんて流行ってないし! 人間焼き作る妖怪だから! 人っ子なんかに好かれてちゃ駄目なんだってば! 私、妖怪だから!」
「そ、そうなんですか?」
「そう! そうよ! もっと恐れてよ! だからわざわざ怖いの我慢して作って……。じゃなくって! 私、妖怪だから!」
「えっと、アリスさんは別に人間大好きアリスさんのままでいいんじゃ……」
「違うっての! だからその……。さっさと判定! しないと会場爆発させるから!」
人間に好かれてしまい、人間と関わることが好きになってしまった妖怪。
アリスはここにコンプレックスを持ってしまっていたのであった。
その弱点を突かれ、アリスは正常な思考ができなくなってしまった。なにやら物騒な発言も飛び出す始末。
そんなわけで、妖夢もあわてて判定の準備を始めた。
「こればっかりは、えっと。勝者、魔理沙さんでよろしくお願いします……」
「よし、まず一歩!」
「アリスさんも技術は高かったんですけど、妖怪になりきれていなかった、ということで一つ……。って、アリスさん!?」
アリスの姿はすでに無い。
人間達の視線から、一刻も早く逃げ出したかったのだろう。
アリスの中途半端な「人間どもをびっくりさせて怖がられよう大作戦」は、失敗に終わってしまったのであった。
がんばれ、アリス。負けるな、アリス。
=========
「一緒に、勝ち上がれた。ようやく、お前と決着をつけるときが来た!」
勝ち残った魔理沙が、客席に向かって人差し指を突きつけた。
その先にいるのは、彼女の永遠のライバルであった。
「霊夢。私は絶対に負けない! なぜなら、絶対に負けられない理由があるからだ!」
魔理沙のその鋭い眼光は、ただのライバルに向けるものには見えない。
早口で怒鳴るような話しっぷりは、憎しみすらこもっているようである。
「そうは言っても、二回戦はチーム戦だって聞いてるけど」
「変わらない! 私はただ、お前を倒したい! そのためにここに来ているようなもんだ」
「……そう。私は魔理沙と組もうかなって思っていたんだけれど。残念ね」
挑戦的な魔理沙の態度を、霊夢は至って冷静に受け流す。
それが気に入らないのか、魔理沙はいらだちを隠し切れない。
ざわつく会場の中に、彼女は頬を膨らませながら混ざっていった。
=========
「さて、これで前半戦は終了となりました。勝ち上がったのは、霊夢選手、萃香選手、穣子選手、そして魔理沙選手ですね。
解説の紫さん、前半戦、どうご覧になりました?」
「ええ。想像以上にレベルが高くて、驚いているわ。特に村紗水蜜のカレー風味肉じゃが、相手が霊夢でなければ十分に勝ち進めていたと思うわ」
「誰が勝ってもおかしくない、そんな戦いが続いていますね。さて、後半戦に移りますか!」
多少の休憩時間の後に、決勝トーナメント第一回戦の後半戦が始まった。
熱い戦いは未だ四戦、残されている。
「さあ、後半戦。五戦目! 先攻、小野塚小町!」
「小野塚小町。仕事の合間……? に作った料理が密かなブームになっているわ」
「ちゃんと仕事の合間だって。今日だって休みとって来たんだよ?」
堂々と、のんびりと。
死神の貫禄を見せつけながら、小野塚小町がやってきた。トレードマークのどでかい鎌も忘れない。
「後攻は、紅美鈴!」
「紅美鈴。炎の料理人の異名を持つわ。本場の中華料理の威力、見せてもらいたいわね」
照明がステージの右サイドに。ニコニコ笑顔の紅美鈴が照らされた。
その呑気なひだまりのような空気に、和み癒される男性も少なくないとか。
「では、始めさせてもらおうか。九番、小野塚小町。料理は、『鮨』だ」
お盆の蓋を取ってみれば、あらびっくり。
すし、とは言うものの、シャリがちょこんと乗っているだけである。
会場は動揺の波に襲われ、落胆の声を上げる者すら現れた。
妖夢の頭も、クエスチョンマークでいっぱいになってしまった。
「なーに言ってんだい。鮨ってのは、ファストフードじゃないか」
「ファスト、フード……?」
「そうさ。料理は何より鮮度が大事。素早く作って、素早く食べてもらう! これでこそ鮨ってもんよ!」
小町が手を高く掲げると、ともに。会場の入り口から何かが猛スピードで飛んでくる!
鳥か? 飛行機か? いや、魚だ! 飛び入りで魚がやってきた! それも魚群!
迎え撃つは死神。床を蹴って、小野塚小町、魚の大群に向かって跳躍。
背中を大きくそらして、大鎌を構える。その切っ先が先頭の魚の鼻っ柱に向けられる。
「すげえ! あの死神、落ちながら料理してる!」
瞬間、大輪の花が咲いた。大鎌を振り下ろすとともに、小町自身も回転。大車輪が魚の雲を切り裂く。
カラン、と下駄が床を軽やかに叩く音がした。それと同時に、魚どもは一匹残らず切り身と化す。
ぱらぱらと、淡紅色の雨が降りはじめた。
あっけに取られる観客達を横目にしながら、小町が指をぱちんと鳴らす。
テーブルの皿にあるシャリに、サーモンピンクが吸い寄せられていくのであった。
「ざっとこんなもんさ。今が旬のニジマスの鮨、ちゃっちゃと楽しむがいい」
「なんという料理ショー……。しかし、問題は味です。ではでは早速、いただきます」
見た目はサーモンそのもの。
大鎌で乱れ斬りしただけあって、おおざっぱな身の形となっている。その分、厚めかつ大きめに切られているのが嬉しいところ。
妖夢の手が寿司をがっしりと掴みとり、先に醤油をとんと付ける。そして、運ばれる先はぽっかりと開かれた口の中。
「ふむ! さすが捌きたての天然物! さっぱり風味で、身がしまってますねー」
旬だけあって、しっかりと脂が乗っている。にも関わらず、あと味がすっきりしているのは余計な飼育料に頼らない天然物のなせる技だからだろう。
渓流で育ったニジマスならではの、ぷりっとした身のしまりも楽しむことができる。
「その場で作るからこそ、いいのさ。勝負も中盤。いくらおいしい物を作ったって、時間が経てば質は落ちるもの。
それは、炎の料理人さんが一番知っているんじゃないか?」
美鈴の顔が陰る。
小町は、料理の鮮度で勝負を仕掛けてきたのであった。その場で作る料理こそ、鮮度としては最高。
中華料理をその場で、というわけにはいかない。
しかも、餃子やチャーハン、エビチリなど、中華が本領発揮するのは熱々のメニューばかりである。
第五戦目ともなれば、料理が冷めてくる頃合い。
大会という場の性質と中華料理の弱点を計算した、小町の罠があったのだ。
「……なるほど。新鮮な鮨でもって、冷めた中華を殺しにくる。それがあなたの狙いなのね」
「まあ、ね。あたいだって負けるわけにはいかないさ。休み取ってまで一回戦負けなんて、楽園の閻魔様に合わせる顔が無いからね!」
「そう、ですか。辛い目に合わせてしまうみたいで、申し訳ないです」
「おいおい。お前さん、一体なにを言いたいんだい?」
「すぐに分かりますよ」
終始一貫、笑顔を絶やさぬ美鈴であった。ただ、この時だけは口元が歪に曲がっていた。
まるで、腹から沸き上がる笑いをこらえるかのようであった。
「十番、紅美鈴。『冷やしつけ担々麺』! 炎でダメなら冷やせばいい!」
「な、何だって!?」
現われたのは、どんぶり二杯。
一つは、麺。細めのストレート麺に、白髪ネギとワケギといった薬味に、おまけにしいたけも乗っている。
もう一つは、もちろんスープ。赤みの映えるごまだれスープの中に、豚のそぼろが浮いている。
「えっと……。これ、結構赤いんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ。本場よりマイルド調整してるから、ずずっといっても大丈夫なはずよ」
「そうですか? それじゃあ……」
濁った血のような色をしているスープである。躊躇うのも無理はない。
赤、それすなわち辛さを表す。
麺を赤の沼にちょんちょんとだけつけてから、妖夢は恐る恐る口を開いた。
「おおう、中々冷えてます! 見た目以上にさっぱりしつつ、マイルドで……」
「うちの隣のチルノさんに協力してもらってねー。麺が引き締まっていいのよ」
「ですね。それに思ったより辛くは……。辛くはって思ったより辛っ! あ、来た、やっぱ辛っ! これ辛っ!」
ごまだれのまろやかさの中に、キラリと潜む豆板醤。
ただ辛いだけではない。日本でも受け入れられるように、ごまだれのうまみをプラスしてあるのだ。
深いごまの香りの後から、シャープで奥行きのあるうま辛さが滲み出る。
「でも、どうして!? 辛いの苦手だって思っていたのに、止まらない! 箸が、止まらないなんて!」
「ふっふっふー。ようこそ、辛い、イコール、うまいの世界へ」
冷たいメニューであるにも関わらず、ホットなメニューであった。
ごまだれスープの冷たさとまろやかさでもって、舌の痺れを和らげる。
しかし、直後に辛味が弾け、口内がじんわりと熱を帯びる。
その熱を冷ますように、またもう一口、入れてしまう……。
食欲の永久機関に迷い込んでしまう、恐ろしい魔力を秘めた一品であった。
これには、小町もしまったという表情。
「担々麺……。そういうのもあるのか!」
「もともと、担いで売り歩かれた麺だからねー。時間が経ってもおいしいのは、当たり前よ」
和のファストフードに対し、中華のファストフードでカウンター。
熱々の料理を提供できない。それは美鈴にとって、百も承知であった。
だからこそ、発想の転換。
熱い料理でなく冷たい料理。かつ、肌寒い春の白玉楼にぴったりの、体温まるメニューを用意できたのだ。
「勝者、紅美鈴!」
その判定に、小町はにこやかに、しかし心底悔しそうに声を揚げた。
「くうー! あんなにまでしたのに、作戦負けしちまったよ!」
「狙いは良かったと思うわよ? ただ、中華を甘く見すぎていただけ」
「中華、ねえ。ま、あたいの分まで頑張っとくれよ? 炎の料理人さん」
そう言って、小町の手が美鈴へと伸びた。
ここに、和、中の古きファストフード同盟が結ばれるのであった。
=========
「咲夜さん! 見ましたか!? 勝ちましたよ!」
会場の上には、喜びを隠せない美鈴の姿があった。
しかし、一転。きりりと眉を釣り上げて、真剣な眼差しを見せる。
「さあ、咲夜さんも、ここに来ましょう。決着をつけるんです」
その瞳の奥には、料理人としての炎が灯されていた。
「我らが紅魔館の料理長の座をかけて。勝負です!」
=========
「まーだまだいくよー。六戦目! 先攻、ルナサ・プリズムリバー!」
「ルナサ。プリズリバー家の長女として、料理を妹達に振舞っているらしいわ。洋風料理が主なんだとか」
ルナサファン、絶叫。ファンにとっては聖母である。そんな彼女の料理を食べられるとは、もはや天にも昇る心地であろう。
うつむき気味で目を細めている彼女からは、これといった表情を汲み取ることはできない。
しかし、その足取りは至ってしっかりとしている。背中から妹たちのどんどんパフパフな応援を受けて、一歩一歩ステージ中央に向かっていく。
「後攻、古明地さとり!」
「さて、本大会のダークホースよ。ペットのために料理をしているらしいんだけど、未だその腕はよく知られていないわ」
猫背気味であるはずの彼女が、背筋を伸ばして登場。対戦者のみをまっすぐ見るその目からは、矜持の色が垣間見える。
背中からペットたちの声援を受けて、負けじとステージ中央に立った。
「……始めて、よろしいかしら?」
「はい、どうぞ。よろしくお願いします」
「では。十一番、ルナサ・プリズムリバー。『ポトフ』を作ったわ」
蓋をあけると、ふわっとした湯気が立ち昇った。
まず、大きめに切られたじゃがいも、かぶ、そして人参が、その存在を主張している。
野菜に混じって、サイコロサイズの牛肉がコロコロとスープに浮かんでいる。
さらに目を凝らすと、玉ねぎにしいたけにパセリと、豊富な具材が使われていることが分かる。
「……ポトフ?」
「ええ、ポトフ。フランスの庶民料理」
「なるほど。野菜スープっていう感じでしょうか」
「んー。というより、洋風おでんと言ったほうが分かりやすいかしら」
会場は、静寂に包まれた。ポトフを口にした者は、誰もが言葉を失った。
聞こえるのは、感嘆のため息だけ。会場の皆が皆、スープを口にしてはこの温もりに酔いしれていた。
安心するのである。この料理の暖かさに包まれ、胸が落ち着いていくのである。
牛すね肉としいたけのうま味の残る、透明な琥珀色のスープが、喉をふんわりと温めてゆく。
じっくりと煮込まれた野菜たちは、とろける一歩手前である。かぶからは、たっぷりと吸いあげたスープが惜しみなく溶け出てくる。
「それでいて、余計な味がない……」
「雑味は、始末するまで」
ポトフとは、野菜と肉を煮込むだけの、シンプルな料理である。
その分、スープは野菜と肉からの出汁がベースとなる。
これといった調味料は加えられておらず、塩コショウのみの至って基本的な味付けとなっている。
だからこそ、素材本来のうま味を純粋に味わうことができる。
「あの、審査員さん?」
「……はっ! そうでした。では、さとりさん、どうぞ」
妖夢はコメントすら忘れるほど、料理に夢中になってしまっていた。
首を振り振りしてから、妖夢は次の料理に向けて気合を入れなおした。
「十二番、古明地さとり。えーっと……」
お盆の蓋を開けると、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐった。
「『クッキー』を、焼いてきたのだけれど……」
何故だか、会場に向かって上目遣い。頬が紅潮しているように見える。
「一生懸命、作ったから。食べてくれると、嬉しいなって」
あざとかった。明らかに、媚びていた。しかし、それに乗じるのが男という者であった!
客席の一角が、火を付けられたかのように舞い上がる。
決して捲ることのできなかった、胸をくすぐる青春のページに今日この時を書き記すため、男どもはこぞってクッキーに群がった。
「なんということじゃ……。まだ温かい! 彼女の温もりを感じるぞ!」
「ナッツが効いておる! 恵みじゃ……。大地の恵みじゃ!」
「うちの婆さんも、昔は菓子をくれていたのにのお……」
タンクトップ集団、大絶賛。
さっくりと焼きあがったクッキーから溢れる、黒糖の風味が舌に溶けていく。
アクセントとして、アーモンドの香りが鼻孔にとどまる。
「素朴な味わいながら、よくできてますね」
「喜んでもらえて、嬉しいわ」
「ところで、さとりさん。ところどころにある、この緑とか赤いつぶつぶはなんでしょう?」
「それは……。気づいてしまいましたか」
クッキーをひとかじり。すると、断面につぶつぶが、ぽつぽつと見え隠れしていることが分かる。
「……野菜、でしょうか?」
「そう、野菜。人参に、かぼちゃ、そして小松菜が入っているわ」
非常に細かく切られた野菜たちが、クッキーの中に混ざっていた。
しかし、これといった味覚や食感を提供しているわけではない。
黒糖の甘さとアーモンドの香りに、野菜の風味が隠れてしまっている。
「どうして、野菜を? どんな意図をこめたんでしょう」
「えーっと……。あまり大したことじゃ、ないんだけれど……」
くるりと、さとりが振り向いた。
三つの瞳が、ステージ脇にいるお燐とお空を捉える。
「野菜をどうしても、食べて欲しかったから」
「さ、さとり様?」
目を細めて、ペットというより愛する者を見つめる。
会場は、しんと静まり返っていた。
「流行り病で、ペット達がみんなダウンした時があってね。それで、これじゃ駄目だと思って。みんな元気になってほしくて」
「私たち、そんなに気にしていなかったのに……」
「でも、みんな野菜嫌いでね。食べさせる度に、『苦いー嫌だー』って言ってくる心、全て見えてしまうのよ」
「それで、このクッキーを作ったんですか……」
甘味の強い黒糖、そして香り高いアーモンドというチョイス。これには訳があった。
野菜の風味が隠れてしまっているのではない。意図的に隠していたのだ。
風味の強い食材を用いつつ、決してくどくない菓子に仕上げているのであった。
「健康管理をするのも、主の役目よ。でも、それ以上に。楽しい食事の一時で、辛い顔をしてほしくなかったから」
「さとり様……」
慈しむように、お燐の頭をなでる主の姿があった。
家庭的であった。野菜嫌いに対抗するため、小さな主が悪戦苦闘した様子が、想像される。
野菜を食べてほしい。でも、楽しく食事してほしい。その願いを叶えるための、愛のこもったメニューであった。
聴衆は皆、さとりにがっちりと心を奪われていた。
頃合いと見た妖夢が、判定を言い渡す。
「勝者、ルナサ・プリズムリバー!」
それは、想定外の事態であった。
静寂が、会場を包み込む。
次第に、言い間違えたのか、あるいは聞き間違えたのかという疑念が渦巻き始める。
静寂はざわめきに変わり、ざわめきはとうとう、怒号と化した。
「小娘! さとり様の優しさが分からんのか!」
「さとりんの愛情が理解できんとは、薄情者め!」
「わしの青春の一ページを返せ!」
タンクトップ集団は、すっかりさとりに洗脳されていた。
いや、タンクトップ集団だけではない。観客の九割がたは、さとりに心を掌握されていた。
しかし、妖夢の心は動かされない。
「ペットへの愛情が産んだメニューということは分かります。料理自体のおいしさも、分かります」
「なら、どうしてじゃ!」
「さとりさんのクッキーは、野菜を殺していた! 野菜のおいしさが分からなければ、野菜嫌いなんて克服できません!」
「お言葉ですが、妖夢さん」
勝利ムードから一転、ジト目の厳しくなったさとりが、妖夢へ異議を唱える。
「野菜嫌いというものを甘く見すぎです。苦手意識がついてしまえば、そう簡単には……」
「いくんですよ、それが。料理の力を、甘く見すぎましたね」
「なんですって?」
「ルナサさんの料理。紫様がおいしそうに食べているのを、この目で見たのです! あの、偏食の紫様が!」
「ちょ、ちょっと! なにもこんなところで言わなくてもいいじゃないの!」
ふとしたことで、カミングアウト。野菜嫌いは、地霊殿のペット達だけではなかった。
野菜が好きで好きでたまらない妖怪というのは、あまりいないだろう。一方で、肉が好きというのは想像に難くない。
そんなわけで、八雲紫のような野菜嫌いが生まれても仕方がなかった。
で、あるにも関わらず。ルナサの料理は特に避けられることなく、皆の口に運ばれていったのである。
「確かにサラダは苦手だけど……。スープにしたらおいしいじゃないの。私、ロールキャベツは好きだし」
「紫様の場合はただの偏食ですけど……。事実、野菜の味というのは、調理によって大きく変化します。そのうま味を、教えてあげるべきだったのです!」
野菜は元々、淡白な食材である。味付けによって、如何様にも変化する。
トマトサラダは苦手であっても、スパゲティのトマトソースや、スープに入れると食べられるという人もいるだろう。
「それに、あのポトフ。つい心が静まって、あまりコメントできませんでしたが……。シンプルにして、本大会で屈指のうま味を持つメニューでした」
客席からも、そういえば、という声があがる。
なにが上手いのかは、よく分からない。ルナサ本人から語られることも、少ない。
ただ、野菜と肉からにじみ出るうま味成分が、うまく融合しているとしか言えない。いや、言うことすらできない。
これを口にしたものは、誰しも心休まり、何も言えなくなってしまうのだから。
「実は、私のポトフ。妹の野菜嫌いを克服したメニューで、ね」
妹と呼ばれたステージ袖の二人が、照れくさそうに頭をかいた。
「妹たちのために腕を磨いてきたメニュー。簡単な料理だからこそ、何度も練習してきたわ。負けられなかった」
恐怖の目を持つさとりは、恐怖していた。
ポトフとは、野菜や肉を煮るだけの料理である。
野菜嫌いを治すほどに上質なレベルになるために、どれほどポトフを極めていたのか。
「どうやら、危険な相手に出会ってしまったようね……」
野菜嫌いを治すのは、不可能に近い。さとりは、身を持って痛感していた。
しかし、それを覆した。ポトフなどという、至ってシンプルなメニューで。
ルナサの料理人としての力は、さとりの想像をはるかに超えていた。
真のダークホースは、さとりではない。ルナサだったのだ。
その上、ポトフのおいしさの秘密はまだ、語られていない。未だに実力を秘めている。
そのうまみの秘訣は、果たしてどこからくるのか。本当に、妹の力だけなのか。
「さとりさん。ルナサさんのポトフ、ペットに食べさせてあげたらどうです? きっと、野菜嫌いなんてすぐに……」
「いえ、遠慮しておくわ」
圧倒的な実力差を目前にしたさとりであったが、それでも胸に希望を抱いていた。
ルナサに出会ったことで、料理というものの力を知ったのだ。
野菜そのものを食べて、ペット達がおいしいと言ってくれるという話が、現実になるかもしれない。
そんなメニューを作ることは、不可能ではない。クッキーに逃げるには、まだ早い。
「私がこの手で作った料理で、野菜を好きになってほしいから!」
新たな意欲に燃えるさとりの背中に向かって、ルナサはそっと親指を立てていた。
=========
「会場の心はがっちり掴めたのに、惜しかったわ」
「さすがさとり様! ちょっぴり黒い戦法!」
「持てる力を尽くしてこそ、よ。……それでも、どうしても読めなかったわ」
「……? さとり様でも、読めないことがあったんですか?」
「ええ。そもそも、この大会はどうして開催されたのかしら?」
「……え?」
「大会の目的。そう、主催者の思惑というものが分かれば、それに合わせた料理も作れたと思うのに」
「目的? そりゃあ、おいしい物を……。あ、あれ? 確かに、そういえば!」
「この不自然さ、どう読めばよかったのかしら?」
「あたいには、難しい問題ですが」
「『お家でおいしいご飯でも食べながら考えましょう』、ねえ。それもありかもしれないわ」
「お食事中って、楽しく考え事できますもん」
「それもそうね。じゃあ早速、野菜たっぷりポトフでもこしらえますかねぇ」
「うえー」
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もう一人のルナは、控え室の時点で体が震えていた。
ちょっと皆を驚かせてやろうという軽い気持ちで出場してみたところ、あれよあれよと勝ち進む。
気がつけば、決勝トーナメントにまで進出していたのであった。
「さて、一回戦で食べられる料理も、残り僅かとなりました。七戦目! 先攻、ルナチャイルド!」
「妖精の代表料理人ね。一風変わった珍味を作るのが得意らしいわね」
ステージに向かうルナチャイルドの足取りが、重い。
お盆を持つ手は震え、顔はすっかり青ざめて、いつも以上にその口は三角具合に尖りが増して、顎もガクガクしていた。
ルナチャイルドは、深く反省していた。今すぐ土下座がしたくてたまらないほどであった。
不正勝利。彼女、いや、彼女たちは数々のイタズラによって予選を勝ち上がってきたのである。
逃げられない。いつ、ばれるか分からない。
幻想郷中の妖怪に注目されるほどになってしまった。自業自得とはいえ、その小さな背中にかかる重圧に彼女は耐えられそうもなかった。
「後攻、八雲藍!」
「さあさあ、我らが料理人、藍よー! そりゃもう、経験が違うわよ。なんだって作れるわ。中国宮廷料理なんて、彼女ならではよ」
対するは、それはもう自信に満ち満ちている九尾の狐。
会場内を走りまわる橙に、にっこりと目配せ。余裕の笑みだ。貫禄が違う。
柔軟剤を使っているのかと見間違えるほどの、しっぽの方も絶好調。ゆったりと揺れている。
「ルナ、ファイト! せっかくここまで来たんだから、堂々としていなさいよ!」
「あ、ああ、うん……」
「調子悪そうね……。でも、大丈夫。絶対に優勝させてあげるから」
「いや別に、その……」
「そうね。今日は人が多いから、見られるかもしれないけど……。ま、なんとかなるでしょ!」
「や、やっぱり私……。そろそろ負けといていいかなって」
「まったく、弱気なんだからー。任せといて、どんな料理も素晴らしい料理に変身させちゃうんだから」
ルナの傍らには、やっぱりいつもの二人がスタンバイ。ノリノリ具合はいつも以上。
酢、塩、味噌、そして小麦粉か何かを携えて。二人はいつものように目をきらきらさせて、妖狐の隣にスタンバイ。
止めようとするも、もう遅い。ルナチャイルドの短い腕は、二人の背中に届かない。
対戦相手は、何やら嫌な予感のする、八雲の名を持つ狐。姿が見えないとはいえ、これ以上下手に動いたら、それこそ不信がられる。
じゃんけんに負けて調理担当になったのが運のつき。不正がばれたら真っ先に非難が集まるのはルナチャイルドだ。冷や汗が止まらない。
「あの、ルナさん? ルナチャイルドさーん? そろそろ、料理のほうを……」
「え、あ、はい! えっと、十三番? ルナチャイルド。『コーヒーゼリー』……」
お盆を開けると、小さなカップ一杯につまったコーヒーゼリーが姿を表した。
その表面には、とろりとしたミルクがかかっている。
「敢えて普通のメニューで攻めてきましたか。それでは、いただくとしましょう」
珈琲は、里でごく一般的に愛飲されている。
これをヒントに、茶屋では和菓子に交じってコーヒーゼリーもまた普通に販売されている。
敢えて普通のメニュー。萃香のように、実力を感じさせるにはもってこいのチョイスである。
スプーンに掬うと、ゼリーはふるるんと愛らしく身をよじらせた。
「ふむ……」
見た目は、普通のコーヒーゼリー。ただ、作ったのは妖精。
何をしてくるか、分からない。
妖夢は、少しばかりの期待と不安を交えながら、ゼリーをすすった。
「コーヒーゼリーだよ、これー!」
「そりゃ、コーヒーゼリーですよ!?」
「いや、なにかこう、ひねったのかと思いまして……」
「ひねった方が良かったですか!?」
「いや、そういうわけでは……。挽きたてのコーヒーの香りもしますし、いいんですけど……」
「いいんですけど?」
「なんというか、『コーヒーゼリー!』って感じで、それ以外の何者でもないというか、普通というか……」
コーヒーゼリーであった。ただただ、コーヒーゼリーであった。
透き通った焦げ茶のほろ苦さに、とろっとしたホワイトの甘みの対照的な、いつものコーヒーゼリーであった。
茶屋で食すのと特に変わりない、いつものコーヒーゼリーであった。
強いて言うなら、コーヒーにこだわりを感じる。香り高さが効いている。だが、そこまで。
会場の皆も、舌が肥えていた。ただの料理には興味ありません状態であった。
そんなわけで、さすがの妖夢もコメントに困ってしまっていた。
「その、コーヒーゼリー自体、好きですし。いいんじゃ、ないですか?」
「あ、はい」
普通で、上等。不自然でない程度にうまくなくて、負けてしまえばそれでいい。
ルナの不安要素は、ただ一つ。妖狐のそばに潜む、サニーとスターの出方である。
この様子だと、そろそろターンエンド。藍がお盆をオープンする番になる。
お盆が開けられると、サニーとスターが見えざる素敵クッキングをしてしまう。
でも、こんな場所で素敵クッキングをしてしまうと、いくらなんでもばれてしまう!
ばれたら、終わりだ。おそらく、極刑。きっとフライド・三月精にされて食べられてしまう。
止めなくては、いけない。
「ちょ、ちょっと……!」
「……? どうしました?」
「あ、いえ、なんでも!」
通じない。ルナの思いは通じない。
ああ、糸電話さえあればバレずに会話できるのに。痛恨の忘れ物。いつも以上に、ルナは自身のうっかりを呪う。
声を出せば、怪しまれる。怪しまれたら、ばれる。
ばれたら、終わりだ。おそらく、極刑。きっと三妖精のホワイトソース和えにされて丸呑みだ。
詰み。何もしないと、極刑。声を出しても、極刑。声を出さずに二人を止めなければ……。
その時、ルナチャイルドに電流走る!
声を出さずとも、意思を伝える手段はあったのだ!
「よ、よーし……」
まず、辺りの様子を確認して。こっそりと、サイン。
作戦中止を伝えるべく、両腕で目一杯バッテンを作る。
「お願い、気づいて!」
その気持ちが届いたのか。まずはスター、次いでサニーがルナに目を向ける。
なにやら、サニーが笑顔を返す。サニーも腕でサインを作ろうとしている。これで、コミュニケーションが取れる!
ルナは腕をぷるぷるさせて、バッテンポーズを維持。対するサニーは、右手がチョキで。左手もチョキで。カニさんだ。
そのカニさんの手を、おでこに持って行って……。
違う! あんたちょっと馬鹿ね、ビームシュワッチじゃない! サニーだから太陽の拳を選んだのか!
一体、何を思ってビーム合戦に走るのか。ルナチャイルドの額には、滝のような汗。もどかしくて、たまらない。
「違うよ。全然違うよ……」
妖精の頭の悪さを恨んでしまう。
バッテンで伝わらないなら、作戦中止なんてどう伝えればいいのか。
中止。ちゅうし。チュー4!
謎の結論に行き着いたルナチャイルドは、中指と薬指を親指に当てて、狐を作る。それも、ニ体。
今度はスターサファイアに向けて、狐と狐の唇を四回くっつける。
すると、本気で心配そうに顔をしかめながら、人差し指を頭にくっつけてきた。
どうやら、頭が大丈夫なのかと言いたいらしい。
ルナの呼びかけは闇の中に吸い込まれていった。
「では、そろそろ次の料理に行きましょうか?」
「よし、行こうか」
絶体絶命。何回チュー4しても、バッテン作っても、首をぶんぶん振っても、スターもサニーも笑うだけ。
こうなったら、もはや実力行使しかない。
「十四番、八雲藍。作ったのは……」
「うおおおおおお! サニー! うおおおおおお!」
お盆がオープンする、その瞬間。二人めがけて、ルナチャイルド、突進!
「え、ちょ、ルナ、なにやってグヘエ」
渾身のラリアットが炸裂! サニーくん、スターくん、ふっとばされた!
何事もなかったかのように、素敵調味料たちを回収するルナの姿がそこにあった。
「どうしたのよルナ、さっきからおかしいわよ? 気でも狂ったんじゃないの!?」
「しー! 話は後で! 今は退却、退却!」
会場、騒然。
料理人がおかしなジェスチャーを始めるわ、誰もいなかったところに妖精が出てくるわ、どたばたやりはじめるわの大騒ぎ。
「あ、あの! ルナチャイルドさん?」
「あ! その、えと……。そう、トイレ! トイレに行ってきます!」
「え? あ、どうぞ……」
こうして、三妖精一味は無事に会場から退散することに成功したのであった。
「え、ええと。私はどうすればいいのかな……」
「あ、すみません! もう一度料理名の宣言をお願いします!」
「こほん。十四番、八雲藍。作ったのは、『フカヒレとナマコのスープ』だよ」
さてさて、お待ちかね。スープは無事に妨害工作されることなく登場することとなった。
途端、会場にはどよめきの海が広がった。
フカヒレもナマコも、幻想郷では雲山にコブラツイストしても手に入れることのできないほどの食材である。
海鮮物ということもあるが、どちらも中華料理で高級食材として扱われているものである。
八雲の食材調達の力を伺わせる。
「食べたことのない物ですね……。ですが藍様とはいえ、問題は味のほうです」
黄色がかったスープに、卵がふんわりとかかっている。
細かいゼリー状のフカヒレに、大ぶりに切ってある黒いナマコが見え隠れしている。
「では、いただきます」
未知なる高級食材を目の当たりにし、妖夢も緊張の色を隠せない。
スープをすくうと、とろみがついていることが分かる。スープの表面が、穏やかな弧を描いた。
「……ふむ」
ぬるめのスープの中に、ゼラチン質のフカヒレが混じり、奥歯に柔らかな触感が伝わる。
あっさりとした出汁のうま味の後に、胡椒が効いてくる。
「では。ナマコにいこうと、思いますが」
かなり大きめに切られているナマコは、どこかグロテスクに黒光りしている。
恐る恐る口にすると、存外に硬いことが分かる。噛み応えがある、というより、硬い。
5センチ厚のタコの足を食べているといったほどである。
「えっ、なにこれ、藍様何これ、えっ」
「さあ、存分に公平な判定をしてくれ」
「ええっと……」
妖夢は迷っていた。断ち切れないほどの迷いを抱いてしまった。
一言で言うならば。
微妙。微妙の一言に尽きるのであった。
もはや、突っ込んでくれと言わんばかりのものであった。
とろみのついたスープの割に、ぬるい。保温効果はどこにいったのか。
しかも、妙にとろみが強い。そのせいで、フカヒレの食感が殺されているようにも感じられる。
「おのれ、この妖夢の味覚と嗅覚を試そうというのか!」
またもや、本気モード。なんの狙いがあったのか、よくよく考える必要がある。
薬味らしく、人参のみじん切りも入っているが、小さすぎてよく分からない。というか、黄色のスープに赤色はそこまで映えない。
全体的にふにゃふにゃした物が多いが、食感についてもしっかり考えているらしく、ナマコが硬い。だが、硬すぎる。
それはそれで、卵はぷりぷりしてておいしい。スープのとろみが妙に強いのも、それはそれでいい。
でもでも、スープは妙に出汁が薄くって。
まとめると……。
「一体、なにがしたいのかわかりません! この料理、一体なんなんですか!? わけがわからないですよ!」
「ふふふ、そうだろう、そうだろう!」
藍は藍で、何やらご満悦の様子。一体何がどうなってんの。
おいしいわけではない。しかし、決してまずいというわけでもない。
どこをとってもなんだか分からない、高級食材を台なしにするような料理を、誇りに思っているのである。
「紫様! 私はとうとう成し遂げました! ご命令通り、『中途半端な料理』を完成させたのです!」
「藍……。成長したわね。ここまでの完成度……。いや、未完成度を持つ料理が作れるようになるなんて」
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、藍様は中途半端な料理を、わざわざこの大会で!?」
「そうさ。私にとっては、遙かにこちらの方がレベルの高い料理なのだからな」
式とは、命令の集合体である。コンピューターも式の一種と考えられる。
そんなプログラムな彼女にとって、最善を尽くした料理を作ることは容易い。
おいしさを求める関数がうんぬんで、それを最大化するためにニュートンだかEとMのアルゴリズムとからしい。なんてことだ。
一方、最悪な料理を作ることも、まだ容易い方である。苦汁でも辛酸でも舐めさせればいいし、それでも駄目ならマグマでもニトロでも舐めさせればよい。
が、中途半端な料理というものが難しかった。
彼女自身、最高の料理でもてなし続けてもう千年を超えている。その上、式というのは微妙さにこと弱い。
いざ、うまくもまずくもない料理を作れと言われても、何から始めればいいのか全く分からなかったのである。
中途半端な料理を作り始めて、行く年来る年。ついに彼女は、未完成度に満ちた料理を作ることに成功したのであった!
「出汁も工夫している。フカヒレとナマコの煮汁は全て捨てた。代わりにしいたけの出汁を使って卵スープを作っている」
「そんなもったいないことしてまでやったんですか!?」
「でも、不味くはないだろう? そして、特にうまくもないだろう?」
「うう、確かに……」
「二の句も告げないほどの微妙さか。想像以上にうまくいったようで、嬉しいよ」
会場の誰もが、しんと静まり返っていた。
舌鼓を打って舞い上がるでもなし、まずさに絶叫するわけでもなし。
ただ、意味不明の料理の前に、箸をちょこちょこと進めるだけであった。
そんなどんよりとした空気を、妖夢は絶ち切った。
泥仕合と化したこの戦いに、終止符を。
「えー、では。勝者、ルナチャイルド」
「……え、お前、この料理に私がどれだけ苦労したのか、分かっているのか!?」
「といっても、微妙なのは微妙ですし……」
「そうよ、藍。これはむしろ栄光よ。ちゃんとした料理で妖精に負けられるなんて、あなたぐらいなものようふふ」
顔を赤くして動揺する従者をなだめるように、主がひょっこりと茶々を入れに来た。
「そうは言っても! 微妙な料理って難しくてすごいのよって紫様が仰ったから、七月六日はナマコ記念日なんですよ!」
「そうよ。確かにすごいことよ。でもね、藍。この大会は、うまいものが勝ちってルールで……」
「は、初耳ですよ!?」
「初耳だったんですか!?」
思わず妖夢、突っ込んでしまう。
だが、主は生ぬるくない。追撃の手を緩めない。
「なんて言うか? 妖精に負けてあわあわする藍の姿ってのも見てみたかったし?」
「あはははは、紫様、おひとが悪いですよー」
「いやあ、あんなに顔を赤くしたの、久々過ぎて。中々可愛かったりして?」
「んもー、紫様ったらー」
「うふふふふ、ここまでおいで、らーん。捕まえてみなさい!」
「待ってくださいよ紫様ー! 捕まえたらみっちり八千万枚ナマコの刑ですからねー」
「そんな刑効きませんー。主人に刑とかどういうことですかー。ストレートとカーブのナマコビーム」
「バーリアー。ナマコ妖怪レーザーびびびびび」
この光景を見ていた橙は、後にこう語る。
曰く、あの時ほど自分の将来に不安を覚えたことはなかった、とか。
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会場から逃げたルナチャイルドは、まずは一息。ようやくサニーとスターに事情を説明することができたのだ。
「ルナが負けておきたかっただなんて、気がつかなかったわ」
「ごめんね、せっかくここまで一緒にやってきたのに。でも、そろそろやめとかないと、まずいことになりそうで」
「気にしないで。私たちは十分がんばった!」
「サニーの言うとおりね。なんてったって、決勝トーナメントよ。結構すごいことじゃない?」
「そう、だよね。えへへ、二人ともありがとう」
終始緊張しっぱなしであったルナチャイルドから、初めて笑みがこぼれた。
決勝トーナメント進出。妖精としては大健闘である。知り合いに自慢することだってできる。
ルナもサニーも、うきうきモードである。が、スターだけちょっぴりシリアスモード。
「でも、良い判断だったと思うわよ? なんか、じっとこっち見てるのがいて、気になっていたわ」
「ああ、いつぞやのあいつ……。紫とか言ってたっけ? 確かに、ちょっと怖かったね」
「そんなことあったの!? だったら早く教えてくれてもよかったじゃない!」
「えへへ、つい調子に乗っちゃってさあ」
「多分あれは、私たちに気づいていたんじゃないかしら。ルナの言うとおり、もし何かしていたら、あの時以上にぼこぼこに……」
妖精だもの。ノリだけで動くことだってあるさ。
しかし、もし一歩誤れば奈落の底に突き落とされていたのかもしれない。
三妖精はみんな、ぞっとすると共に少しだけ安心した。
もう、この大会に関わることはないだろう。無事、お家に帰ることができるのだ。
「じゃあ、そろそろステージに戻らない? さっさと敗北宣言受けて、帰ろう!」
「ルナ、ちょっと待って。何か、ステージの様子が変なような……」
「うん? ああ、ちょうど妖夢さんが判定しているみたいね」
スキップしながらステージに向かう、その時であった。
『えー、では。勝者、ルナチャイルド』
それは、ルナチャイルドにとって死刑宣告以外の何者でもなかった。
「ちにゃ!」
「ルナ! しっかりして、ルナ!」
「よ、よりによってこんなことになるとは……」
「藍様に勝っちゃった。うふ、うふ、うふふふふふふふ」
一難去ってまた一難。ぶっちゃけあり得ない。藍に勝つなんて、あり得ない。
想定外の二回戦進出に、ルナチャイルドは意識を手放すことにした。
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「さて、とうとう一回戦ラストとなりました! もうお腹いっぱい? おいしいものなら食べられるはずです!」
「まだまだ二回戦、準決勝、決勝と残っているからねー」
「では、きばって参りましょう! 八戦目! 先攻、十六夜咲夜!」
「紅魔館の代表料理人ね。主の嗜好と本人の趣味のお陰で、和、洋、中の全てを極めているとか。時間操作にも注目されるわね」
ステージ袖には咲夜はいない。ステージ中央に奴はいる。いつの間にやら、とうの昔にテーブルセッティング。
それは癖なのか、サービス精神なのか。宙空から、スカートつまんでお辞儀な登場。
客席からは、目をぎらぎらさせて見守る美鈴の姿がある。
「後攻、藤原妹紅!」
「妹紅炭で有名ね。料理の味よりも機能性を追究する、変わった思想を持っているわ。持ち前の火力が鍵かしら?」
「妹紅! しっかりやれよ!」
「分かってますよってば」
妹紅の背には、惜しくも予選敗退と相成った上白沢慧音の姿があった。
彼女の不安げな瞳から目を外して、藤原妹紅が対峙した。
「さあ、決着をつけようじゃない」
彼女の立てた人差し指から、火柱が細く揺らいだ。
それは、いつだかの一戦の続きであるかのようだった。
今、ここに。時をかける二人の少女の決戦が始まる。
「何度でも叩き潰すまで。十五番、十六夜咲夜。『熟・ビーフシチューライス』をご賞味あれ」
十五品目。もう、観客のお腹は満たされきった頃合い。の、はずが。
蓋を開けた瞬間。その香りだけで、奮起がふんふん沸き起こった!
じっくりと煮詰められたトマトに玉ねぎ人参と、そして牛すじ肉が合わさったデミグラスソースの芳醇な香りが、湯気とともに立ち上る。
まるでそれが毒ガスであるかのように、そいつを嗅いだ瞬間にノックアウトだ。
「ああ、脳みそがやられる! ビーフシチューの食材みたいに、とろとろに溶けてしまう!」
「さあ、ふわふわの牛テール肉でも、三十日間ことこと煮込んだスープでも、お好きなものからご自由にお楽しみくださいな」
「そ、そんなこと言われたら迷ってしまうじゃないですか!」
人の迷いを断つ白楼剣の持ち主が、それなりに迷っているとはこれいかに。
しかし、そのビーフシチューの食材のどれもこれもが即死級の威力を誇っている。
牛テール肉と牛タンと、贅沢にも二種類用意されたビーフは、どちらも半熟と言うほどに融けている。食べると死ぬ。
大ぶりに切られたじゃがいもや人参は、すっかり丸くなっていて、スープがしっかり染み付いている。食べると死ぬ。
おまけに、シチュー。二十年ものの赤ワインを含む、すべての具材とブイヨンの合わさった濃厚な味わいは、直ちに影響があるほどの代物。食べると死ぬ。
これを食した会場からは、「あっ」と口にして以降、何も話せなくなる者が続出。
真に美味な物は、食べてもその感想は口からこぼれない。むしろ、沈黙してしまうというものである。
「白米! ああ、白米が進む! 白米がどんどん減ってしまう!」
とろとろに濃厚なシチューと、白米の飽くなきサイクルに囚われてしまう。
まさに、至れり尽くせりである。この一品だけで、一食分を完全にまかなっている。
「……そういえば。なんだかシチューに、つぶつぶなのが入っていますが、これは……」
「白トリュフですわ。カマンベールチーズのような、芳醇な香りをアクセントとして添えています」
「うわあ、なんだか財力にもの言わせている気がする!」
「希少なものは、美味と感じるものですから。味覚は、脳で感じるものよ」
それは、咲夜のモットーであった。
食べる前から、いかにも旨そうな一品だと説明しておけば、自然と印象が良くなるというものである。
さらに隠し玉として、トリュフを用意してブースト。これが咲夜の作戦であった。
例えトリュフが普通のしいたけであったとしても、普通の人には分からないだろう。説明だけで、うまいもんと錯覚してしまうのだ。
「それは、どうかな」
「あら? あなたの料理はもう、食べさせる必要などないと思うのだけれど」
「珍しけりゃ至高だなんて、滑稽だね。トリュフだなんて、犬から豚に成り下がったのかい?」
「最近は犬を使いますがね」
藤原妹紅が、食いついた。十六夜咲夜に、攻撃開始!
両者、ともに譲らない。
「やれやれ、こんなものを有り難がる連中もどうかしている。三十日間煮込んだだの、二十年熟成したってのも怪しいもんだ」
「時間を速めればこれくらい、お手の物。私にしかできないやり方で、勝ちを取りにきただけよ」
「まあ、見ていなよ。こんな偽物の時間を歩かされた料理より、ずっとうまい究極の料理を見せてやるよ」
この自信はどこから来るのか。
本大会、最後の料理人のベールが、今、解かれる。
「十六番、藤原妹紅。『生ハム』だよ」
お盆の蓋を開けると、スライスされたハムが、白い皿にちょこんと乗っていた。
「え? こ、これだけですか?」
「これだけとは何よ。最強だよ? 味、保存性、携帯性の全てに優れていて、一度作れば調理の必要すら無い、なんてなかなか無いよ?」
「た、確かに……」
食べ物の機能性。妹紅はここに並々ならぬ情熱を持っていた。
しかしここはあくまで、うまいもの決定戦。うまくなければ、話にならない。
「もっとも、手間がかかるのだけは難点だけどね」
「手間、ですか?」
「香りに定評のある妹紅炭でじっくり燻製。実に三ヶ月の間、火の管理をしているよ」
「そ、そんなに!?」
一口に燻製といっても、様々な方法がある。
例えば燻製のステーキは、熱しつつ黒煙を浴びせる。そのため、ものの数時間で仕上がる。
一方、保存のため、そして食材に香りをつけるために行われる冷薫という手法は、数ヶ月を要する。
煙を冷やし、かつ腐らせないように湿度に気を配りながら、一冬かけての燻製が行われているのだ。
「じっくりねちねちとした炎で燻ったからね。炭の香りが、口中に広がるはずだよ」
「そう言われると、なんだかすごい気がしてきました……」
「これだけじゃないよ。今回のは熟成にニ年かけたものでね」
「に、ニ年!? それ、さすがに腐るんじゃ!?」
「いや、むしろカビが生えるぐらいじゃないと。もっとも、本当に腐っちゃもともこもないよ」
「もこもこもこう?」
「もともこもない、だってば」
腐らせず、うまく発酵させる。
微生物という自然の料理人を自在に操るには、一苦労二苦労どころの話ではない。
腐敗の主な原因は湿度。雨季の存在する日本での生ハム製造は困難を極める。
幸い、ここ幻想郷は山間部で、海に面していない。山の麓の平野部は、比較的湿度が少なかったのだ。
その上でなお、防湿に気を配った熟成庫を必要とする。
「私には分かるんだ。肉が息をしていて、暑がってるとか、寒がってるとか。ハムと一緒に生きてきた」
「生きる、ですか。……これなら、ひょっとしたら幽々子様も……」
「騙されないで、妖夢。つまりは、ただの苦労自慢ってところじゃない」
「苦労? 馬鹿言うんじゃない。大事なのは、そこじゃない!」
語気を強める妹紅。その目には、並々ならぬ生ハムへの情熱が見える。
その情熱の炎は、十六夜咲夜へと向けられた。
「熱さぬように気を配って燻製する最初の冬! 熟成が始まり、おいしいハムになるようにと願う春! そして湿気と雨からハムに気遣う夏!
秋になったら夏を越せた喜びを分かち合って! 冬は冬で、今度は凍りつかないように気を使って! そうやって、共に生きていたから旨い料理に仕上がるんじゃないか!」
「そんなの、ただの精神論じゃない!」
「階段飛ばしの時間を歩んで。そんな無情さで何が分かる。私は三百を超える年月を一歩ずつ進んで、情と共にこの生ハムを極めた!」
職人であった。それも、ただの人間では到底辿りつけない領域。
職人の、究極の生ハム。
熟成の成果として、ハムの表面にはうまみ成分の結晶の白い粒が浮き上がっている。
観客席の目は、生ハムにくぎ付けである。咲夜の額に汗が浮かぶ。
「早くその御託をやめさない! 肉っきれ一枚ごときが、おいしそうに見えてきてしまう!」
「そう。あなたに勝つには、御託を並べてでも脳に訴えなくちゃいけないと思ってね」
「卑劣な……!」
「もっとも、舌の方でも負けるつもりはないけどね! 有情の時を経たハムの力を見よ!」
瞬間、妹紅の手が閃光を放つ。
眩んだ隙をついて、そいつを咲夜の口へと放り込む!
「これぞ、柔の肉!」
「え、ちょ!」
「せめて自然の旨さを知り安らかに死ぬがよい」
その間。何があったのか誰にも分からない。
ただ、一つの事実から推測するしかなかった。
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
そこには、両膝をぺたんと地面に落とした咲夜の姿が!
数秒前は気丈だったあのメイド長が目をうるわせながら、唾液を一筋垂らしてしまっている!
咲夜が、ふやけている。ただそれだけの事実がステージ上に残ったのだ。
「何やってるんですか妹紅さん! 審査員は私です! 私にください!」
「いいよー」
少しばかり肉厚の生ハムを手にした妹紅から、強烈な熱が発せられた。
超短時間、超高温で熱された肉は、焦げと赤身とがまだらになっている。
とろとろに融け出た肉汁の香が、会場全体に渡る。燻煙と脂の混じった、奥深い芳しさである。
表面はまだ、脂がぱちぱちと跳ねている。それを、妖夢の口に放り込む!
「妹紅有情破顔肉!」
「はあん!」
「お前はもう、とろけてる」
まず、香る。熟成した肉が、肉の香りとして口から鼻へ突き抜ける。
カリカリとした焦げの、少し苦いのがたまらない。
塩味と共に、バターのような甘い肉汁が、止まらない。
一噛みすると、まだ熱せられていない、生のハムが現れる。
が、これもとける。キメの細かい脂が、じんわりと融け出てくる。
カリカリの熱されたとろとろの中には、上品な冷たいとろとろがある。
口の中で、あっという間に融けてしまう。にも関わらず、強烈なインパクトを叩きこむ。
それは、一発の大玉の花火のようであった。
それを口にしたものは、頬を落とすどころか、顔をぐちゃぐちゃにして喜び、極上の世界へと連れ去られてしまう。
まさに、有情破顔肉。
「しょ、勝者、ふにわらのもこー」
会場は、生ハムの炎に包まれた。妹紅を除く誰もがふにゃふにゃ。
誰も収集をつけるものがいなくなったまま、最終戦の決着がついたのであった。
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会場の皆は、天使の笑顔をしていた。
うまいものを食うことができた。これぞ、シンプルながら極上の幸せである。
「みなさん、お疲れ様でしたー! 幻想郷一料理人決定戦の初日、第一回戦の対戦は、全て終了いたしましたー」
しかし、人は皆、貪欲である。
まだ、足りない。もっとうまいものが、ほしい。
これを求め、早くも第二回戦に期待を寄せる者も少なからず存在した。
「第二回戦は2対2のチーム戦。試合当日までもうしばらくお待ちくださいね」
「さて、チームの組み分けですが、二回戦進出者の希望と抽選をもとに決定しております」
チーム戦となれば、誰と組むかが勝敗の鍵を握るのは自明の理。
第二回戦出場者の八人に、緊張走る。
「代わりばんこに言う?」
「そうしましょうか。じゃあ、紫さんから」
「はーい。まず、『いつもの神社チーム』で、博麗霊夢と伊吹萃香!」
「対戦相手は、『ワイルド料理チーム』。霧雨魔理沙選手と、秋穣子選手です!」
「もう二組。『紅炎の料理人チーム』で、紅美鈴と藤原妹紅よ」
「対戦相手は、『ルナ=ルナチーム』で、ルナサ・プリズムリバー選手とルナチャイルド選手です」
魔理沙が早々に、霊夢に火花を飛ばし始める。俄然、やる気である。
一方、美鈴は妹紅に火花を散らしていた。咲夜の敵のつもりだろうか。味方であるにも関わらず、険悪なムードである。
「チーム分けも発表しましたっと。では、幻想郷一料理人決定戦の初日、第一回戦は、これにて終了です!」
「第二回戦は明後日に行うわ。それまでに作戦を練るなり、食材を調達するなりするといいわ」
「ではではみなさん、お疲れ様です!」
こうして、観客の拍手に包まれながら、ステージの暗幕が下りていくのであった。
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「いかがでしたか」
恐る恐る、妖夢は顔を伺った。
強かった。レベルの高い争いだった。
審査員をして、妖夢は確かな手応えを掴んでいた。
「幽々子様」
会場に、一度も姿を見せなかった彼女が、そこにいた。
白玉楼の隅の方の部屋に、閉じこもるように彼女はいた。
「私の勘ですが……。精一杯の生を受けた妹紅さんの生ハム、きっとお気に召すと思うんです」
不安と期待が混ぜこぜになって。妖夢はただ主を見ることしかできなかった。
それでも主は、表情の一つも変わらない。
ただ、首を横に振っていた。
生気を失った眼差しの彼女は、今も救いを待ち続けている。
後編に行ってきます
後編楽しみ。
ホントに売られてそうだなw
後編読んできますね!あと妹紅炭って言った奴誰だよwww