「風にー揺れるー」
太陽よりも黄色く眩しい向日葵たちが風に揺らされている。
ここは夏の幻想郷でも一際鮮やかで賑やかな太陽の畑。
まるでここの主であるかのように振舞っているのは、幻想郷でも随一の実力者でもある風見幽香である。
日傘をくるくるまわしながら鼻歌を歌う彼女は、自らの庭とも言うべき畑を闊歩していた。
「まてー!」
「またないよーだ!」
向日葵が咲き乱れる頃の太陽の畑というのは、昼間は妖精たちの格好の遊び場。
夜には定期的にプリズムリバーのコンサートが開かれる賑やかな場所だ。
そして今夜もまた、演奏会が催されるらしい。
昼前降っていた小雨はもうすっかり上がり、山のほうから大きな虹がかかっている。
それをみてははしゃぐ妖精たち。
風見幽香をよく知らぬ者ならば、部外者が跋扈する現状を見て首を傾げるだろう。
きっとあの妖怪は自ら以外を見下していて、気に障ることがあれば力づくでも従わせる傲慢さを示すはずなのだと。
しかしどうだろうか、向日葵の首を回して遊んでいる妖精たちを風見幽香は慈愛の笑みを持って眺めている。
たまに妖精たちがケンカをし始めると、殺気を放って無理やり場を収める。それが自分の印象を悪くすると知っていながらである。
私はこの妖怪が一体何を考えているのかを知りたい。深くまで知りたい。
いくら観察したところで、それは私の主観の域からは脱しないだろう。
けれども、何を考えているのかさっぱり掴めないこの妖怪からは、どことなく寂しさを感じる。
論理的に解釈せねばならない私が感覚に頼る表現をしてしまうのは非常に癪なのだけど、女の直感という奴を信じてみたくなったのだ。
それゆえに私は、ここに居る。
「稗田阿求です、お話を聞かせてもらえないでしょうか」
「断るわ」
とまぁ、夏の太陽のように爽やかな笑みで拒絶されてしまった。にべもない。
あれから一時間ほど経っただろうか、風見幽香は私を無視しながら、太陽の畑の散歩に興じている。
無視しているというよりも、そもそも興味がないから目に入らないといった様子。
彼女が見つめているのは、花と妖精と、仕合えるだけの力を持った妖怪だけ。
(直感に頼るのは間違いだったんでしょうかね)
ゆっくりと踏みしめるように進んでいく彼女の背を、私も歩調を合わせて付いていく。
ジリジリと太陽の光が髪の毛を焼いていく。暑い。帽子被ってくればよかった。
日傘を差した彼女は涼しげで羨ましい。
きっと時折吹く風の恩恵も十二分に受けることができているのだろう。妬ましい。
私なんて、風が吹けば顔中を撫で回されているような不快な気持ちになっているというのに。
この待遇の差はなんだ。
そうやきもきしたところで、風見幽香はこちらに一瞥すらくれようとはしない。
はやくその日傘、くれ。
彼女は私の切実な願いを受け流し(口に出してはいない、出したら殺されそうだし)、向日葵へと微笑みかけたり、茎を撫でたりと愛でるのに忙しいらしい。
花を偏執的に愛する根暗って書くぞちくしょうめ。
この心の声が聞こえていたならば、今私はこの世にいないだろう。なんというスリルだ、背筋が凍る。
けれど体感温度が下がらない辺り、この世界はユーモアを忘れた失敗作に違いない。
ついに世界にまで憎しみの矛先を向け始めた私は、目の前の妖怪が足を止めていたことに気づくことができなかった。
「あいたっ! っとと、すみません幽香さん」
「ねぇ、あなたは、妖精たちがどこから生まれるか知ってるかしら?」
幽香さんが日傘を回しながら尋ねてきた。彼女の表情は、相も変わらず柔らかい。
不気味。
「ええ、自然の歪みから生まれた存在でしょう? 生きているのか死んでいるのかも、さっぱりわかりませんね」
「そう、あなたは賢いわ」
「え?」
泣いているわけがないのに。彼女は微笑んでいるはずなのに。なのにどうしてだろう、私の直感は、今にもはちきれそうな感情の揺らぎを捉えていた。
さては、私のセンサーも暑さに負けて異常をきたしたか。私は丁寧に作られた人間なのだから、きちんと利用環境を守っていただきたい。
単純でいて頑丈な、博麗神社の腋出し巫女とは全然違うのだ。このように真夏の炎天下を歩かせるなんて言語道断。頭がくらくらしてこのまま逝ってしまいそうだ。
「向日葵は綺麗ね、余計なことを喋ってしまいそうになるぐらいに」
「余計なこと?」
「ええ、余計なこと」
そう言って風見幽香は、私に日傘を差し出してくれた。読心術でも使えるのだろうか。
だとしたら先ほど考えたことは私の本意ではないんです。夏の暑さに言えと強要されたんです。
どうか許してください。まだ紅茶も飲み足りないし、酔い潰れるまで酒を浴びたりもしたいんです。
無茶運転をしてもきっと大丈夫。これが安心の稗田クオリティ。先ほど考えていたことと矛盾していても何も問題はない。
ここまで考えても、彼女の表情は何一つ変わらない。よかった。読心術なんて使えないんだ。
「いつ、だったかしらね」
「はい?」
「私が、妖怪になった日のこと」
そう言うと、彼女はそっと目を瞑った。
それが、懐かしい記憶の束を一つ一つ整理していくかのように見えて仕方がない。
(感覚に頼り切ってばかりですね、今日は)
辺りに風が吹き抜けていく。向日葵がそれに頷くように揺れている。
やけに静かだ。妖精たちの騒がしい声が、何一つ聞こえてこない。
◇
人間が身を寄せ合い、畑を耕し田を植えるようになった頃。この世界は、妖怪や妖精こそがこの世の春を謳歌する場所だった。
後に風見幽香と名乗るようになる私は、そのときはまだどこにでも居る名も無い、ほんの少しだけ力の強い妖精に過ぎなかった。
「さいきょー?」
「そう、さいきょーになるの。私は」
目を輝かせてる仲間たちの前で、私は切々と、最強であることについて語っていた。
妖精の中では力が強い、何の自慢にもならない、たったそれだけのことなのに、私はそれに溺れていった。
並みの妖怪だったら一人でもいい勝負ができていたし、仲間を連れていれば妖怪だって倒すことができた。
妖精である私たちが妖怪を倒せることに、いつのまにか悦を感じていたのだろう。
いつか私はリーダーに担ぎ上げられて、妖怪にちょっかいをかけていくようになっていた。
妖精というのは軽んじられている。それもそうだ。妖精は力が弱いし、賢くもない。だがそれゆえに、恐ろしい。
おびき出す役、罠をかける役など、私たちは力を合わせて自分よりも強いものを倒すことに快感を感じていた。
私たちは良心の呵責を感じることもなく、面白がって次々妖怪を甚振っていった。
相手が並の妖怪であるうちはそれでよかった。
並の妖怪で、あるうちは。
苛立ちも、あったのかもしれない。力が強いと言っても所詮は妖精。
花の種を咲かせることはできても、それ以上に特別な力など私には備わってはいなかったから。
「私、お花好き!」
「なんだか見てると、吸い込まれそうになるの」
私もこの頃から、花が好きだった。花は時に、魂すらもその内に捉える。しかし妖精にはその魂が存在しない。
ないものを欲しがる私たちは、次世代を育てるためにだけ咲き乱れる花たちにどうしようもなく憧れていたのか。
ある日私たちは、命乞いする妖怪を崖から突き落とそうとしていた。
妖精なんてと鼻から馬鹿にしている相手の心をへし折るというのは、胸が透く思いがする。
このように追い詰めてから嬲ることは、一番大好きな『遊び』だった。
ジリジリと歩み寄って、あとはその身体を押すだけ。
今でも鮮明に覚えている。仲間の妖精たちが、突如隙間の中へと次々吸い込まれていった時のことを。
何が起きたのかわからなかった私は、それを震えて見ていることしかできなかったことを。
「お痛が過ぎたわね。妖精の範囲を踏み越えてしまったらもう、妖精としては生きていられないというのに」
助けて、助けてと恐怖に染まりきった声をあげ、私に向かって手を伸ばしてくる仲間たち。
こんな私を慕ってついてきたばっかりに、ゴミ屑のように殺されていく。
中には諦観して何も言わずに吸い込まれた者もいた、泣き叫びながら消えていくのを拒んだ者もいた。
けれど誰一人として、私を責める者はいなかった。
茫然自失。
隙間から現れたそいつは、たった一人ぼっち残された私の目の前へ日傘を突き刺した。
「妖怪の世界へようこそ」
惨めだった。
悔しいだとか、仲間の仇を討ちたいだなんて感情は、その時は存在しなかった。
同じように殺されてしまうのかという恐怖に怯え、ガチガチと歯が鳴っていたこと。その音が酷く五月蝿かったことだけは覚えている。
そいつは私を殺さなかった。
何の気紛れかわからなかったけれど、私を自分の子のように扱ったのだ。
「××××(今でも憎い相手である。名前はできるだけ思い出したくはない)」
「なぁに幽香」
「焼けた」
「そ、食べていいわよ」
妖怪として生活するようになってから、私には目に見える変化が起きていった。
第一に、おなかが減るようになった。
以前までは食べる真似はしても、おなかが減るなんてことはなかったのに、今では毎日何かを食べなきゃ耐えられない。
不便だ。
それに、背中に生えていた羽が抜け落ちてしまった。
妖精としてのアイデンティティを喪失したような気がして、しばらく落ち込んだことを覚えている。
「大分身長が伸びたね。それに力もついた。もう、どこから見ても立派な妖怪だ」
立派な妖怪と言われても、この頃の私は自分の力に欠片も自信を持てやしなかった。
目の前に常識外れの力を持った妖怪がいるのだから、それもやむなきことだと思う。
でもこいつは、私を戦わせはするものの、自分から戦おうとすることは最後までなかった。
大体の場合私をどこかへと連れて行って、妖怪と戦わせる、それを横から楽しそうに見ているだけ。
その態度が気にいらないから、私はどんな相手でも全力で、短時間で戦いを終わらせようとしてきた。
そんなことが続いても私が逃げ出さなかったのは、いつか自らの手で仇を討ってやるという憎悪が燃え滾っていたからに他ならない。
何の罪もなかったはずなのに、虫けらのように殺された仲間たち。妖精の枠から引き剥がされ、修羅のように戦い続ける私。
共に過ごした季節は、百はとうに過ぎていたかもしれないし、片手で収まる数だったかもしれない。
ある日、××××が、妖怪の子供を連れて帰ってきた。
「今日からあんたの妹分。仲良くしなさい」
私よりも頭一つ低い金髪の少女は、利発な色の伺える大きな瞳をくりくりと動かしつつ、情報把握に励んでいた。
その子の手には、私と同じ日傘が握られている。
「この子にあんたが名前、付けてあげな」
それは××××の戯れだったのだろうか。いまでも真意はわからない。というか、どうでもいい。
ただ、白い歯を見せて笑っていたことと、大きな虹がかかっていたことを覚えている。
紅い光と、紫の光がほかの色をサンドイッチにしていて、懐かしい気持ちにさせられた。
「んーとじゃあゆかり」
「ゆかり?」
「うん、この子はゆかり」
たったいまゆかりと名付けられた少女は、白い歯を見せてにぱーと笑っていた。
私たちがまだ、あどけない少女だった頃の話だ。
◆
「昔のことって、どうしてこう曖昧になるのかしらね」
「私は忘れたりしませんよ」
求聞知の力は凄い。スポンジに水が染み込んでいくように、様々な情報を頭の中に叩き込んで行く。
転生のたびにリセットがかかるのは癪だけど、大切なことは書きしたためておけばいいのだ。
八雲紫のような頭のいい妖怪の場合はめんどくさいだろうな、だなんて。
それにしてもこの妖怪は先ほどから散発的に話を振ってくるだけで、何か意味のある言葉を言ってくれない。
もしかして何か、恨みでも買ってしまったのだろうか。主に幻想郷縁起のことだとか。
かといって私から話を振るのも憚られるし、結局は待つしかない。
風見幽香がまた、ゆるゆると歩き始める。私はそれを追いかける。
時折風が吹く音がするだけで、太陽の畑は気味が悪いぐらいに静かだった。
少し気温が下がったのかもしれない。日傘のおかげかもしれないが、過ごしやすいならばここも結構いいところだなぁ、うん。
やっぱり太陽光というものは、私のようにか弱く脆い乙女の天敵なのだ。
目の前の風見幽香や、頭のネジが緩んだ妖精たちは恩恵を受けていればいい。
私が求めるのは、冷たい素麺をすすることとか冷やした麦茶を一息に飲み干すこと。
ああもう、正直帰りたい。
「騒がしいわね、向日葵畑は」
「今はめちゃくちゃ静かですけどね」
「そう。私にはとても五月蝿く聞こえるわ。さっきよりもずっと」
「はぁ」
暑さに頭がやられてしまったのだろうか。そうならば、日傘を借りてしまったのが悪いように思えてきた。返さないけど。
そんな中をてろてろ歩いていくと、道端に平べったい岩が転がっていた。
「座りましょうか」
「喜んで」
ベンチも完備されているだなんて。妖怪のカップルがいたらここはさぞかし大人気だろう。
でも尻に敷くって言葉もあるし、妖怪の男がベンチ代わりになるのかも?
危険な想像をどうにか頭の中から消し去って、私は岩へと腰掛けた。
「あつっ!」
「そりゃぁねぇ。太陽に照られてるんですもの」
私が飛び跳ねたのを見てクスクス笑うだなんて。
次の幻想郷縁起を覚えておけ。個人的に不倶戴天って書き足しておいてやるから。
人間の、それも身体の弱い薄幸の美少女から不倶戴天扱いされるだなんて、最強妖怪の名折れだろうきっと。
ご褒美かもしれないが。
「慣れないけれど、魔法でも使おうかしら」
「ほう?」
肉体言語で語るジェノサイダーに繊細な精霊魔法が使えるだなんて。
手を翳した彼女は、小さな氷片をいくつか岩の上へと落としていった。
それはすぐに蒸発していって、岩から湯気となって消えていく。
「これで座れるでしょう」
「へぇ、意外と器用なんですね。大雑把な人だと思ってましたから」
「魔法はねぇ、力をこの世界から借りている物なのよ。それに関しては誰よりも上手い自信があるわ」
私が腰掛けると、彼女もまた同じように腰を下ろした。
ちらりとその表情を覗き見ると、懐かしむように向日葵たちを眺めている。
「思えば、遠いところまで来たものだわ」
「太陽の畑の奥のほうなんですかね」
◇
ゆかりも私と同じように、××××に連れられて妖怪と戦うようになっていた。
私が力押しに頼るタイプとするならば、ゆかりは相手の力を受け流していく戦い方を好んでいた。
けれどもそんなゆかりには、救い難い悪癖があった。
彼女は自分が有利だと見るやいなや、相手の心を様々な方向から圧し折りにかかるのだ。
それは虫の足をもぐ妖精のように無邪気で残酷な戦い方で、私は幾度となく目を逸らすこととなった。
「あの子は賢いねぇ、それに強い。でも」
××××は、目を細めてゆかりの戦いを眺めていた。
「あんたには、勝てないだろうね」
私は本気で戦えば、きっとゆかりには勝てないと思っていたのに。
「姉さん」
「何?」
「姉さんがここに居る話を、私まだ聞いてない」
「あー……」
「私は毎日が楽しいけど、姉さんはそうは見えないんだもの」
この子のくりくりした大きな瞳が、私は苦手だった。
ゆかりは賢い。ゆかりは強い。
けれどもこの子には、自分以外への興味が存在していないのだ。
いくつかある例外は、××××への敬意と、私への対抗心にも似た感情だろう。
仲が良いとも悪いともいえない私たちは、この頃何度か手合わせをした。
様々なアプローチで仕掛けてくるゆかりを捌いていく。
普段と逆の戦い方をするのは姉としての配慮か、ゆかりへの恐れがあったからなのか。
嬲る戦い方ばかり上手くなっていたゆかりの攻撃を捌くのは容易いことだった。
所詮格下にしか通用しない戦い方であり、自分の痛みを覚悟できていないようでは、私には勝てない。
手合わせが数度続いてからようやく、ゆかりは私と話すようになった。
そんなある日のこと、ゆかりがいつも通り話しかけてきた。
「××××のことが、姉さんは嫌いなの?」
「ええ」
「それはどうして? こんなによくしてくれるじゃないの」
「……家族がね、あいつに殺されたのよ」
「家族?」
ゆかりが首を傾げている。私たちだって似たようなものじゃないのと、私は苦笑しつつ言おうとした。
「そんなことで恨んでいるの? 妖怪として生きるなら他の奴なんて不要でしょう?
死んだのならば、それは弱いっていう証拠じゃない。悲しむ必要がわからないわ」
さも当然のようにゆかりは言い放った。
その言葉にカッとなった私は、ゆかりを引き倒し、記憶が飛ぶぐらいに真っ白になりながら殴りつけていた。
気がついたとき私は、××××に引き倒されていて、矛先を変えて何度も食って掛かっていった。
「あんたが全部奪ったんだ!」
そう泣きながら叫んだ私を、ゆかりは嘲っていた。
××××は、何も言い返しはしなかった。
ただ私のことを、すまなそうに見つめているだけだった。
◆
「元気かしら」
「何がですか?」
「紅魔館に働きに行った妖精がいたのよ。面白そうだからって、仲間を引き連れてメイドになったとか」
「妖精は好奇心旺盛ですからねぇ。あの屋敷は何かと怖そうです」
なんせ吸血鬼が仕切っている館だ。妖精の一匹や二匹、物の数ではあるまいて。
以前インタビューにでかけたときは、妖精メイドは貴族の体裁を取り繕うために雇っているとざっくばらんに語っていたが、その内情は私の預かり知らぬ所だ。
「でも大丈夫よね。妖精は命を無くしたりしないから。砕け散ってもすぐにまた、同じように駆け回るもの」
「それもまた、寂しい気がしますね」
「不変でなければ、無邪気でなければ妖精ではないの」
ふっと小さく笑う風見幽香の横顔は、やはり寂しさの色を孕んでいる。
「妖精に何か、思い入れが?」
「さあ、いつも周りをブンブン飛び回るから目に付くだけよ」
そう言うと彼女は目を閉じた。眠っているかのように穏やかに、耳を澄ませている。
私も同じように目を閉じ耳を澄ませても、虫の羽音すら聞こえてはこない。
静寂。風の音がしないときには、耳が痛くなりそうだった。
◇
ゆかりの態度が露骨に変わったのはこの頃だったろう。
手合わせをするときも、以前のように遠巻きから隙を伺うのではなく、積極的に仕掛けてくるようになった。
「妖怪は心が資本。だから、それを圧し折ってやるように戦うのが理に適っているの。
自分よりも圧倒的に格下の妖精なんかに嬲られたら、それこそ立ち直れないでしょうね」
そういってクスクス笑うゆかりはもう、私よりも圧倒的に強くなっているように思えた。
私はというと、前と逆だ。
自分から仕掛けることを嫌がり、攻撃を捌くのに精一杯になっている。
××××はそんな私たちの様子をのん気に眺めている。口を出すつもりはないようだ。
「力は強いくせに、妖怪としてはてんでダメ。それじゃいつか足元を掬われるわね」
ゆかりの言葉はいちいち棘を含んでいる。私はそれを聞き流しつつ目を背け続けていた。
妖怪らしく生きるだなんて、私はそんなことは望んではいないのに。
そう生きることを強要されるのならば、いっそのこと足元を掬われて死んだほうがマシなのかもしれない。
力の差が大きく開いていない相手であっても、巧みな誘導で罠にかけていく。
きっと本気で殺しあったのならば、そこに立っているのは私ではないだろう。
それでもいい。滅ぶのならば、ゆかりの手にかかるほうがマシに思えた。
自分でも笑ってしまうのだけど、家族を否定したゆかりや、憎い××××ですら、私にとっては家族なのだ。
群れを作りたがる、妖精としての習性が心の深い部分に根を張っているのだろう。
妖怪らしく生きていけないのならば、せめて妖精の心を残したまま逝きたい。
この頃から、私は妖精たちのリーダーだったときの夢をよく見るようになった。
みんなは妖精として生まれ変わって、楽しく過ごしているのだろうか。
妖怪として生きることを余儀なくされた私とは違い、穏やかな日々を過ごしているのだろうか。
目が覚めるたびに、涙の乾く痕が残っていた。女々しいと思う。
私はここから逃げだしたかったのだ。思い出を、過剰に美化してまで。
その証拠に、私は仲間だ、家族だと言っていたはずの妖精たちの顔が、上手く思い出すことができなかった。
「幽香、あんたの仕事だ。行ってこい」
ゆかりとの手合わせや、妖怪と仕合うことも激減した私。もはや、生きる屍と化していた。
そんなあるとき××××が仕事を持ってきた。
仕事を果たせないのならば役立たず。少なくとも、私の作った仲間たちの間ではそうだった。
役立たずになりたくはない、行かなくてはなるまい。義務感、焦燥感だけが身体を突き動かす。
××××の出した隙間を抜けた先。小高い丘の開けた場所。
そこでは妖精が妖怪を囲んで、嬲っていた。
「……」
息を呑んだ。無邪気な妖精たちが、無邪気さゆえの狂気をもって、抵抗できない妖怪を甚振っている。そして、残酷に笑っている。
今、妖怪を嬲っている妖精は私だ。妖精だった私とその仲間たちの姿が、確かにそこに重なっている。
なんと醜い姿だろうか。その笑い声が耳障りだ。しかし私の足は、釘で打ちつけられたかのように動かなかった。
『自分よりも圧倒的に格下の、たとえば妖精なんかに嬲られたら、立ち直れないでしょうね』
妖精たちが相手を慮ることなどない。自分たちは死んだとしても、すぐに同じように生まれ変わるから。
妖精の常識や論理で妖怪を面白半分に狩るなど、果たして許されることなのだろうか?
私は、許されて良かったのだろうか。
「自分の行動に、責任も持てないくせに」
傘を構え、妖力を研ぎ澄ましていく。もう迷いも、幻影もそこにはない。
これを放ったあとに、倒れ伏したって構わない、抜け殻になったって構わない。
ただ眼前にいる目障りなものが、全て全て全て、壊れてしまえばそれでいい。
「己の死を持って罪の深さを自覚しろ、愚者の体現たる妖精たちよ!」
こちらの殺気にようやく気づいたのか、妖精たちが慌てて倒れ伏している妖怪から離れようとした。
けれどそれは、絶望的に遅かった。
傘から放たれた妖力の奔流が、唸りをあげて大地を喰らいこんでいく。
逃げ惑う妖精たち、傷つき伏した妖怪が、断末魔の悲鳴をあげながら粉々に散っていく。
私は眼前が砕けて行く様を、冷めた目で眺めている。ああ、これだけの力が、いつのまにか備わっていたのか。
客観的に見ていること自体が滑稽だった。全身全霊を込めたはずなのに、息一つ乱れていないことがさらに滑稽だった。
すべてが終わった後、むき出しの地面には生々しい傷痕が残されていた。
しばらくそこに立ち止まって考えていても、ついに何の感情も沸くことはなかった。
ただ、何かを失ったという実感だけが残っていただけである。
「派手にやったじゃないか」
誰もいなくなってから、私はぼんやりと虚空を見つめ佇んでいた。
××××がゆかりを連れてきたのは、月が狂気の光で照らす頃になってからだった。
虫の音も、夜に吸い込まれ聞こえない。
この静寂を私が割ることを、二人は待っているようだった。
「妖精たちが、妖怪を嬲っていたわ」
「それを、助けたのかい?」
「纏めて消し飛ばした」
「ヘぇ、姉さんやるじゃん」
××××は表情を変えず、ゆかりは満面の笑みを浮かべて私に近寄ってきた。
その二人へと、私は傘の切っ先を向ける。
「ここでおしまい。私はこれから一人で生きるわ」
心まで妖怪となった今、誰かと寄り添い生きる必要などない。
××××は微笑んで、ゆかりは少しだけ寂しそうな顔をした。
「あの妖精たちは、生き返らないよ」
「妖精の枠を、外れてしまったからでしょう?」
私はとうに、答えを知っていた。ただ、理解したくはなかっただけだった。
「命のやり取りをする場に立ってしまった以上、命を奪われることも覚悟しなきゃいけない。
妖怪や人間は、覚悟を持って生きているんだ」
「なぜ私を育てたの?」
「そりゃ気紛れさ」
「そう」
私は目を伏せて踵を返した。もう二度と、振り返ることはないだろう。
「世話になったわね」
「幽香、お前はまだ自分を知らない。ようやく一人で立てるようになった幼子だ。
だけども、いつかはお前がこの世を統べるようになる。誰にでも恐れを振り撒くことのできる唯一の存在だ。
この地上が在る限り、自然の力を源とするお前に勝てるものなどいまい」
「そんなことに興味ないわ」
「最強の称号を欲しいままにできるとしても?」
「風の向くまま、この目に見える場所がある限り、一人漂い続ける。ついさっきそう決めたの」
「境界を持たず、根無し草として生きるか。あんたにはそれがらしいのかもしれないね」
××××の顔を見ることは、もう二度とないだろう。
一歩、また一歩踏み出すごとに、胸の中で何かが、音を立てて崩れていった。
「さようなら、姉さん」
ゆかりの透き通った声が聞こえてくる。その声の調子は、いつもと何ら変わりがなかった。
私の往く道は月が照らしてくれている。元より行く当てなどないのだけれど。
「退屈凌ぎに、力試しでもしていこうかしら」
××××から貰った日傘をクルクルと回す。ここからが、妖怪としての私の第一歩なのだ。
◆
耳を澄ませている風見幽香。彼女は一体何を聞いているのだろうか。
同じように目を瞑り、耳を澄ませたところで、私の耳には風が通り抜けていく音しか聞こえない。
「向日葵たちは雄弁ね」
「聞こえませんてば」
私の言葉に、彼女は目を丸くした。そんな風に驚かれても、私は聞き耳頭巾を持ってはいないのだ。
たまに振ってくる話題はこのような無茶振りばかり、物事を決して忘れない天才薄幸美少女のキャパシティを超えることを求められても困るのに。
「妖精の言葉は聞けても、木々や花々の声を聞くことができないのね。人間って不便なものだわ」
「たぶん妖怪の大半も聞けないと思いますが」
「それもそうかもしれないわ」
あ、笑った。
それはいつも讃えている微笑や、嘲りの色が混じった笑いとは一線を画していた。
心の底から楽しげに笑う姿は、危険度極高の大妖とは思えない。
ごく普通の少女のようだ。
一通り笑い終えると、彼女はまた微笑を浮かべた。
こっちの微笑は、背筋が凍りそうになるから困る。
「どうやら騒がしいのが来たみたい」
そう言って風見幽香は立ち上がる。何が来たのだろうかと辺りに目を配り耳を済ませると、少女特有の甲高い話し声が聞こえてきた。
「チルノちゃん止めようって、無理だって」
「何言ってるのよ大ちゃん。さいきょーになるにはあいつぐらいケチョンケチョンにしなきゃ」
いやいや、無理でしょ。
「ちょっと相手してくるわね」
「しちゃうんだ」
「あの子も向日葵の末席に加えようかしら?」
まったく冗談に聞こえないから困る。
風見幽香は私から受け取った日傘を回しながら、声のほうへ優雅に歩いていった。
遊び相手が来るのを待ち望んでいた、子供のような背中だった。
◇
二人と袂を別ち、膨大な時間が、私の横を通り抜けていった。
そのうちに、妖怪たちの性質も徐々に変わり始めたらしい。
お互いに縄張りを作り、弱い妖怪は強い妖怪を頼り集まる。
まるで人間や妖精みたいだ。長い時がそれらの境界を曖昧にしたのかもしれない。
鬼や天狗、河童なぞはまるで人間のような社会を作っているし、人間たちは妖怪から身を守る術を持ち、恐れを忘れはじめている。
だというのに今度は同じ種族同士で傷つけあい始めるという滑稽さ。
それらが私の興味関心を引くことは、最後までなかったけれど。
私は海を渡り、山を登り、この世全てを瞳に収めるべく歩き続けた。
深い森は私を包むようで心地よかったし、吹雪が頬を撫でていくのも悪い気はしなかった。
けれど長い旅路を経た私の足は、全ての始まった場所へと向かっていた。
三日月が山道をぼんやり照らしている。
木々がざわめく音がいかにも不気味ではあったけれど、私は恐れる側でなく、恐れを与える側。
気づかれぬようにと息を潜めて逃げて行く妖怪たち。気づかれていないと胸を撫で下ろしている者を、わざわざ狩る必要もあるまい。
鼻歌を歌いながら歩いていくと、木々の開けた草地へと出た。今夜はここで、月を見て過ごすのが良いかもしれない。
降りかかる野暮用を、済ませてから。
「久しぶりね……姉さん」
「こんばんは、ゆかり」
ゆかりはあの日傘を持って、××××と同じ隙間を抜けて現れた。月光に照らされた金髪が、緩い風でふわりと揺れている。
「私が名を引き継いだの。あの人はもう、いないわ」
「そう」
死んだのかいなくなったのかは定かではないが、私はそんなことに興味はない。
「ねぇ、姉さん」
「なぁに?」
ゆかりの表情は、遠い昔の面影をほんの少し残すだけになっていた。
身長も、私のほうが頭一つは高かったはずなのに、今では私のほうが負けている。
「昨今の妖怪事情を、どう思う?」
「さあ、考えたこともなかったわね」
自分以外に興味を示していなかったゆかり。長らく会っていなかったとはいえ、この変化には少々驚かざるをえなかった。
「そう……。姉さん? 私にも家族が出来たのよ。出てきなさい、藍」
ゆかりが手を振ると、そこに遅れて亀裂が走る。
その隙間から、遠い昔のゆかりに似た面影の少女が現れた。
その腰には、金色の尻尾が四本揺れている。
「妖獣を飼うことにしたの? 変わったのね」
「姉さんは変わらないわね。いいえ、妖怪になってからは不変と言うべきかしら」
藍と呼ばれた妖獣の少女は、私の視界から隠れるようにゆかりの後ろへとまわった。
どうも怖がられているらしい。
「あの人は、境界のぼやけるときが来るのを知っていたの」
「妖精と妖怪の境界がぼやけるように、かしら」
「私が元は人間だったことのように、ね」
「そうなの」
「だからこそ私たちが選ばれたの。か弱き妖怪たちの守り手に」
ゆかりの目は使命感に燃えていた。私とは違い、××××に心底懐いていたようだったから。
「姉さん、私と一緒に来てくれないかしら。二人ならば妖怪の楽園を作ることができるわ。
境界を改めて敷きなおして、秩序を保ちましょう。人間たちは妖怪への恐れを忘れる。
私たちが手を組まなければ、近いうちに妖怪は滅びてしまう」
「滅びればいいじゃない。人間に恐れを与えてきたその役目が終わったのだから。
盛者必衰の理は、妖怪でさえ逃れることができないのね、ああ悲しい」
泣き真似をしてみせると、ゆかりは苛立って唇を噛んだ。
「姉さん、私は真剣に言っているのよ」
「ゆかり、私は真剣に言っているのよ」
そう言って日傘を構える。ゆかりも同じように日傘を構えた。
「ゆかり、あなたは弱くなった。理想を掲げ、あの人の真似っ子をしている限りは決して辿り着くことなどできない。
もう一度己の胸に問うてみなさい、その言葉、その理想は本当に自分の心から出たものか!」
ゆかりは後ろに隠れていた妖獣に離れるように指図をし、私の目を睨み返してきた。
「私は弱い。己の力を過信し、無二の親友を失った。同じ過ちを二度と繰り返すものか。
美しくなくとも、泥臭くとも、姉さんが知っている私よりも弱くなろうとも。
母さんの理想のため、私の継いだ理想のために、力づくでも従わせてみせる!」
「ならば従わせて見せなさい。あなたがこれから往く道は必ずしも平坦な道ではない。
か弱い力で理想を語るというのなら、貫くだけの覚悟を見せろ!」
◆
「ぐぇえ……」
「あわわわわチルノちゃんが……」
「さいきょー。にはほど遠い実力ね」
「あらまー……」
やけにでっかい光の柱が立ったと思い、慌てて駆けつけた結果がこれである。
チルノは目を回してぶっ倒れていて、緑髪の妖精がその身体をゆさゆさと揺すっている。
「これはひどいですね」
「相手しただけマシだと思わない?」
悪びれずに日傘を畳む風見幽香。まぁ、妖精風情が大妖怪に。
それも風見幽香に挑むこと自体がめちゃくちゃなことなのかもしれないけれど。
「それにあの子、がんばれば私に並べるかもしれないし」
「へ? それってどういうことです?」
「強くなりたいって思ってる者に微笑まない女神はいないってね」
また笑った。
この妖怪は八雲紫と比べても遜色がないぐらい、掴めない妖怪だなぁ。
自分と同じぐらい強い者にしか興味がないと思いきや、取るに足らないはずのチルノを見てニコニコ笑っているんだから。
単に、嗜虐心を刺激されているだけかもしれないけども。
「もしかしたら、チルノは私よりも強くなれるかもしれないわ」
「まっさかぁ、妖精ですよ?」
「妖精だから、よ」
踵を返し、肩を揺らす風見幽香。なぜそんなにも嬉しそうなのか。
それを面と向かって聞いたところで、彼女は教えてくれやしないだろう。
この妖怪は自らアピールしてくる連中とは違って、こちらから推測を立てていかなければ何もわかりはしないのだから。
ううん、どうしたもんか。
「今日も綺麗ねぇ、向日葵は」
「むきゅー」
「チルノちゃぁぁぁん」
◇
「はい降参」
「……何言ってるのよ、ぜんぜん本気になってないくせに!」
「だって、負けちゃったんだもの」
納得いかない顔をしているゆかりに向かって、骨の折れた日傘を放り投げる。
「これ、折れちゃったもの」
「攻撃をずっとそれで受けていれば、壊れるのも当然でしょう!?」
「案外丈夫だったわねえ。もったいないことをしたわぁ。これからどうやって陽の光を遮ればいいのかしら」
「……私たちの覚悟を愚弄する気か!」
やれやれ、いつのまに私の妹分はこんなに余裕がなくなったのでしょうか。
私が妖精の論理を捨ててしまったように、この娘は力を手に入れた人間の傲慢さをどこかに置いてきたのだろう。
私よりもはるかにボロボロなゆかりは、私の物よりも綺麗な日傘を杖にして、ようやく立っている有様だった。
目だけは死んでいないのだけど。むしろさっきよりも強い光を、意思の光を金色の瞳へ宿している。やはりこの子は変わった。
ふっと、頬が緩む。
「紫、あなたの『覚悟』は見せてもらったわ。得意の計略の一つも使わずに、真正面から撃ち合ってくるだなんて。
可愛い可愛い妹にそこまでされたら、姉としてそれを無碍にできるわけがないじゃない。だから、私は傘を折ったの」
××××は私たちに同じ傘を授けた。それは私たちの立場が対等であるという証なのだと、そう解釈した。
「地上すべては私の僕。実際に見回り踏みしめ、そのことを理解したわ。
この世界を統べる私が、あなたに頭を下げましょう。我が母の境界を引き継ぐ君へ」
今でも憎い相手である。私の家族を奪い、到底背負いきれぬ枷を私に嵌めた。
しかし××××は、あの人は紛れもなく、私の家族であり、母だった。
妖精としての枠から大きく外れ、生きる覚悟、死ぬ覚悟を持たぬままにいた私。
いずれは蛮勇が祟り、名も無き仲間たちのように生きた証すら残せぬまま散る運命であっただろう。
草地に膝を付き、ゆかりに向かって手を差し伸べる。いつだかに見た、忠誠を誓う姿勢だ。
私はこれから、我が母へと最大の反抗をする。すなわち、妹へとすべての重しを被せること。
この手を取ったその時から、ゆかりはただ一人で妖怪たちを守っていかなければならない。
「姉さん……。いえ、風見幽香。私はこの地に、妖怪たちの楽園を作るわ。
そのために最低でも、この国すべての妖怪を納得させなければならない。そのために畏れを、力を示さなければならない。
天魔を下し、鬼はおろか神をも恐れぬその力。借りさせてもらう」
ゆかりが、その枷を自らに嵌めた。
「母が外、妹が内を名乗るのならば、私は虹の中心で、その想いを支えましょう。
たとえ、恐れだけを振り撒く死神へとこの身を堕とそうとも。
我が母の遺志を継いだ妹、八雲紫と供に未来永劫か弱き妖怪の盾となることをここに誓う」
同じ母に育てられた、血を分けていない姉妹。
しかし私たちは、母の目論見どおり、血を超えた盟約を結ぶに至った。
遠くからこちらの様子を伺っていた紫の子。藍が尻尾を揺らしながら駆け寄ってきた。
ボロボロになった紫を心配しているのだろう、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めている。
そんな藍の頭を、紫は微笑みながら撫でていた。遠い昔、紅が私たちによくしてくれていたように。
「これから忙しくなるわよ、幽香」
「私はなるべく、動きたくないのだけど」
紫はもう、小生意気で残虐な妖怪ではなかった。人間のように、希望を糧にして生きている。
私がもう、自然の体現たる妖怪でしかないように。妖精のように、不変を胸に仕舞っている。
◆
「ねぇ幽香さん、一ついいですか?」
「何かしら」
「その日傘なんですが、永遠に枯れない花で出来ているとか」
「うーん、といってもこれは、レプリカなのよね」
「レプリカ、ですか」
「そ、大事に使ってた日傘があったんだけど、八雲紫に壊されちゃって」
「大妖同士で争うこともあるんですね、それはさぞかし」
「幻想郷が出来る前の話よ」
「へぇ……」
稗田の記録も、風見幽香の記述は曖昧なままである。幻想郷に何時から居るのか、ほかの妖怪との交友関係。
そのすべてが曖昧で、いつのまにかそこに居たとしか言い表せないという有様だ。
花が好きで、戦いが好きで、妖精にも興味関心を向けているよう。
結局一日一緒に居たぐらいでは、何一つわかることなどなかった。
「さってと、そろそろ私は帰らなくてはいけません」
「そう。だったら一つお願いしてもいいかしら」
「何でしょう。私にできることならば」
「手を合わせて欲しいのよ。向日葵たちに」
「手を合わせる、ですか」
「そう。難しいことじゃないでしょ?」
「ええまぁ」
言葉の真意は知るところではないが、頼まれたことを拒む理由も何一つ存在しなかった。
私は手を胸の前で合わせ、故人を悼むように黙祷をした。
「ありがとう」
「何か言いました?」
「いいえ、風の音か何かでしょう」
ふむ。何か呟くような声がしたと思うのだけど、風見幽香は普段通りの微笑みを崩さなかった。
◇
紫の作った妖怪の楽園、いつかこの場所は幻想郷と呼ばれ、力の弱い妖怪たちや、そうでない妖怪たちも寄り添い暮らすようになっていた。
私は一人満月の下、訪れる者のないすり鉢状の台地へと来ている。
「紫、ここにね、向日葵をたくさん植えたいの」
私の言葉に呼応して、空間が割れる。
「別に構わないけど、何か理由があるの?」
「お墓を立ててあげようと思って」
「そう」
「ええ」
もう十分に、私はこの世界を見て回った。そろそろ腰を一所に落ち着けてもいい頃だ。
向日葵が咲けばきっと、華やかな光景を好む妖精たちが集まってきて、さぞや賑やかになることだろう。
私はそれらを眺めながらここで、墓守として永遠に過ごしていく。
弔われることのない、自然から捨てられた愚かな妖精たち。
いつも笑っていた、仇であり母親代わりの妖怪。
共に過ごす相手として、これ以上は居ないだろう。
「夏になったら、顔出しに来るわ」
「夏の間は、私もここに居るから」
それじゃあ仕事があるからと言い残し、紫はそのまま隙間へと消えていった。本当に忙しい子だ。
そうして私は、草の一本も生えていない荒地を眺める。
まずはここを、花が生える環境にしてあげなくてはいけない。
「もう隠居した身には堪えるわぁ」
わざと大声でそう言ってみせる。今頃母はそんな私を見て、歯軋りをしているに違いない。
力を合わせるようにと育てたはずなのに、一人はサボりにサボってるのだから。
「ざまぁみやがれ、ってね」
手を突き上げる私。それを見て母は、困ったような顔をして笑うんだろう。その口元からは白い歯が覗いているかもしれない。
そうして私たちの頭を、くしゃくしゃ撫でるのだ。
「仕方ない奴に育ったのは、母さんと紫の責任よ」
◆
「それではお暇しますね」
「そ」
「私はか弱い人間ですから」
「送らないわよ」
「結構です」
そろそろ陽が傾かんとしていた。あんなに静かだった太陽の畑にも、いつのまにやら妖精たちの騒がしい声が戻ってきていた。
私は座っている風見幽香へ向かって斜め45度にお辞儀をする。今日一日付き合ってもらったのだ、一応の謝意を見せなければ失礼だ。
そんな私へと彼女はひらひら手を振って、また向日葵のほうへと向きかえってしまった。いかにも、彼女らしい見送り方だと思う。
さて、と。
今日は家に戻ったら、気づいたことを日記にしたためてみよう。
縁起にまとめるにはいささか情報が少なすぎるし、何より個人的な興味が発端なのだから、私以外の目に触れる必要などない。
帰る途中、すれ違った妖怪や妖精たちの表情は明るい。
今夜のプリズムリバーのコンサートを、楽しみにしているのだろう。
「まったく緩い世の中ですこと」
御阿礼の子が、妖怪を面白おかしく書く時代が来るなど、初代が見れば鼻血を吹き出すだろう。
魂は同じはずなのに、環境が違うだけでまったく違う成長をするだなんて。
「今から来世が楽しみですね、こりゃ」
私に残された寿命は、長くてほんの10数年でしかない。
妖怪たちからすればまばたきをするような時間だろう。
その短い時間で、次も楽しめるようにしていかなければ。
「あら御機嫌よう、珍しい顔がいるわね」
「紫さん、太陽の畑に何か用が?」
「ええ、少し野暮用が」
私がぼんやり考え事をしながら帰路についていると、向こうから豪奢な日傘を差した八雲紫が歩いてきた。
彼女が隙間を使わずに歩いているだなんて珍しい。プリズムリバーのコンサートを観覧しにきたのだろうか?
理由が気にならないと言えば嘘になるが、日が暮れてしまえば一人で歩けるような場所でないのもまた事実。
断腸の思いではあるが、私は会釈をしてその横を通りすぎて行くことにした。
通り過ぎてから、私は後ろ髪を引かれる思いをすることになる。振り返り、その理由に思い至ることができた。
「ああそうでした、彼女も日傘を差しているのですね」
そこには、風見幽香と同じ日傘が――造形は違う豪奢な日傘が、オレンジ色の陽光を受けて揺れている。
だからなぜ、そんなにも嬉しそうな背中なのだろうか。
「わからないことがあるだけ、世の中は面白いんです」
人を襲わなければ存在できないはずの妖怪が、その律に縛られることなく自由を謳歌する。
幻想郷には妖怪や妖精、そして人間たちの間には踏み越えることのできない境界が敷かれている。
形式上の対立が明瞭に引かれているからこそ、いちいち行使して確かめる必要もない。
お互いを意識はしても対立しあわぬよう、上手く調整がなされているのだ。
「境界はか弱き者のために、ですね」
常識と非常識を分けるこの境界は、人間のために敷かれたものなのだろうか。
それは違う。そもそも幻想郷とはもっと、か弱き者のために作られたもの。
幻想郷とははた迷惑なことに、弱者である妖怪のために作られた最後の楽園なのだろう。
「っとと、このままが日が暮れてしまいます。急いで帰らないと」
我ながら独り言が多い。考え事をしていると、ついつい口が饒舌に滑り出す。
とりあえず今はそんなことよりも、夕陽が沈みきる前に家へと着いておきたい。でないと、死ぬ。
転ばない程度にぱたぱた足を急かして、私は家路へとついたのだった。
なんというか、ババァ達が若々しいですね。
すげぇ格好よかったです。まっすぐな幽香はいい幽香。
幽香が家族意識を持ったのは境界弄られてたから?と読めて揺さぶられてます。
なんにせよ、紫と幽香の出生ストーリーの一つとして説得力があり、楽しめました。
良いSSをありがとうございます。
ゆうかりんちゅっちゅしたい
→寄り添い生きる
> 自然の力を源をするお前に勝てるものなどいまい
→源とする
面白かったです。
現在に至る幽香の性格形成がとても丁寧に描かれていました。
ゲームでは紫と幽香が一緒に出ている作品自体はなかったように思いますけど、この二人には浅からぬ関係がありそうな気がしてきましたw
ゆうかりんさんかっけー。
恐れ入ります
ところで
>紅が私たちによくしてくれていたように
と、いきなり名前出てきてますがこれが紫達の母ということでいいんですよね?
急に出てきたから美鈴の事かと思ってしまった
俺もこのネタで書こうと思ったけど挫折しましたねぇ。
そしてゆかゆうかの姉妹は良いものだ!
姉貴ゆっかさんが格好良かったですー。
うん。読めてよかった。