なまえはいわなくても大丈夫です。
切りたくなったらいつでも切っていいです。
× × ×
ある日私がお手洗いから帰ってくると、部屋に糸電話が置かれていた。糸は壁に埋められるように繋がっていて、なんだかシュールな光景だった。
「お姉さまかな……」
こんなことをするのはお姉さまくらいだ。あの人(人じゃないけど)は私のことがすごく心配らしい。それもそうだ。もうずっと、私はこの地下室に引き篭もっているのだから。
「?」
紙でできたコップの横に小さな紙が添えられていた。
『いのちのでんわ』
そこにはお姉さまの字でそう書かれていた。
ベッドに寝転んで天井を見上げていると、いろんなことが頭に浮かんでくる。どうして私はこんなに臆病なんだろうとか、心配ばかりかけていてだめだな、とか、いろいろ。
「……」
ごろごろと寝返りを打っていると、固い床に転落した。結構痛い。
「電話、かけてみようかな」
なんとなく、誰かと話がしたかった。
仕組みは分からなかったけど、とりあえず壁をこんこんと叩いてから耳にコップを当ててみた。
「はい、いのちのでんわです」
聞こえてきたのは優しそうな声だった。
「小悪魔?」
「はい、小悪魔です」
「えっと……、あの、なに話すか、決めてないんだけど、いいかな」
「ええ」
それから私は弱音を吐いたり愚痴を零したりした。
「妹様は、そう思われるんですね」
「うん……」
小悪魔は私の話に相槌を打ちながらずっと話を聞いてくれた。
「今日はもう寝るね」
私がそう言うと、
「はい、おやすみなさいませ」
小悪魔はゆったりと就寝の挨拶をした。
そんな風に、『いのちのでんわ』初日は終わった。
× × ×
嫌な夢を見た。輪郭は覚えているけれど、夢の内容はよく思い出せない。でもひどく不快だ。心がざわついて、どうにも落ち着かない。
そんなとき、あの電話が目に入った。
コンコンと壁をノックして今日も耳にコップを当てた。
「はい、いのちのでんわです」
今日の声の主は、
「美鈴?」
「はい、美鈴です」
美鈴だった。
「嫌な夢を見たの」
怖かったこと、落ち着かないこと、一人だと不安なこと、今日もたくさん話を聞いてもらった。そして、
「美鈴これから夜勤?」
「ええ」
「がんばってね」
「ありがとうございます」
少し、人のことを気にする余裕が出来た。
そんな風に、『いのちのでんわ』二日目は終わった。
× × ×
ひきこもりをやめたいな、とふと思った。でも、どうしたらいいのか一人では考え切れなかった。こんなときは、そうだ。
相談してみよう。
「はい、いのちのでんわです」
「パチェなんで敬語なの」
「いや、なんかデフォルトらしいから一応ね」
久しぶりに聞いたパチェの声は、どこか慣れていないようなことをしているようで、聞いていて面白かった。
「今日はどうしたの?」
「ひきこもりをやめたいなって、思って」
「それ私に聞く?」
そういえば、パチェはよく図書館に引き篭もっているのだった。
「冗談はさておいて。原因が何か分からないと、いつまで経っても引き篭もったままよ」
パチェは真剣そうな声でそう呟いた。
「原因は……」
分かっているけれど。
「切る」
切りたくなったら切っていい、お姉さまの書いたメモにはそう記されていた。
パチェ、ごめんね。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、『いのちのでんわ』三日目は終わった。
× × ×
私が引き篭もる理由は単純で、ただ力を制御できないからだ。今まで人を傷つけたことはないけれど、抑えられない力で大切な人を傷つけるのは、死んでも嫌だ。むしろそんな不安を解消できないまま生きているのも嫌だった。
「死にたいなぁ」
そんなネガティブなことを口にしていると、壁のほうから小さい音が聞こえた。
こんこん。
「……?」
そろそろと壁に近寄りコップを手に取る。
「フランお嬢様」
すると、糸を伝って咲夜の声が聞こえた。
「どうしても心配で、声をかけてしまいました」
この部屋にプライベートはないのかもしれない。
レミリアお嬢様に叱られてしまいますね、そう咲夜は苦笑していた。
「心配……してくれたの?」
少し間をおいて、咲夜は、ええ、と返事をした。
「フランお嬢様、大丈夫ですよ。……レミリアお嬢様も、パチュリー様も、美鈴も、小悪魔も、私も、みんなフランお嬢様が思っていらっしゃるより、柔じゃないです」
だから、安心してください、そう咲夜は続けた。少し、涙声だった。
そんな風に、『いのちのでんわ』四日目は終わった。
× × ×
ぼーっと白い壁を見つめていた。机には少しよれた紙カップが置いてある。この数日間、たくさんのことをここで話した。もう十年分くらいは話したのではないか、というくらいに言葉を紡いだ。
小悪魔、美鈴、パチェ、咲夜。私の話を聞いてくれた人たちを思い出す。
足りなかった。一番大切な人が、来ていない。では、今日は。
もしかして、と思い、壁際までよろよろと伝い歩いた。そうして、こんこんこんと壁を鳴らし、耳元にカップを当てた。
「お姉さま、いるんだよね、おねえさま……」
壁の先から返事はない。
お姉さまに会いたかった。もうずっと会っていない。
やっぱり私からじゃないと、だめなのだろうか。
「っ……」
カップを置いて、ドアの前まで来た。ドアノブを握ったまではいいがその先に進めない。外に出ることが、怖い。
そこに。
「フラン」
鈴の鳴るようなきれいな声がぽつりと落ちてきた。私が一番求めていたものだった。
それに導かれたかのように、気がつくと、私は扉を開いていた。
「よくがんばったね」
そこにはお姉さまが立っていた。お姉さまだけじゃない。パチェ、咲夜、美鈴、小悪魔、みんながいる。
「ようこそ」
みんなの声が、まるで祝福のようだった。
そうして、『いのちのでんわ』は五日目に役目を終えた。
切りたくなったらいつでも切っていいです。
× × ×
ある日私がお手洗いから帰ってくると、部屋に糸電話が置かれていた。糸は壁に埋められるように繋がっていて、なんだかシュールな光景だった。
「お姉さまかな……」
こんなことをするのはお姉さまくらいだ。あの人(人じゃないけど)は私のことがすごく心配らしい。それもそうだ。もうずっと、私はこの地下室に引き篭もっているのだから。
「?」
紙でできたコップの横に小さな紙が添えられていた。
『いのちのでんわ』
そこにはお姉さまの字でそう書かれていた。
ベッドに寝転んで天井を見上げていると、いろんなことが頭に浮かんでくる。どうして私はこんなに臆病なんだろうとか、心配ばかりかけていてだめだな、とか、いろいろ。
「……」
ごろごろと寝返りを打っていると、固い床に転落した。結構痛い。
「電話、かけてみようかな」
なんとなく、誰かと話がしたかった。
仕組みは分からなかったけど、とりあえず壁をこんこんと叩いてから耳にコップを当ててみた。
「はい、いのちのでんわです」
聞こえてきたのは優しそうな声だった。
「小悪魔?」
「はい、小悪魔です」
「えっと……、あの、なに話すか、決めてないんだけど、いいかな」
「ええ」
それから私は弱音を吐いたり愚痴を零したりした。
「妹様は、そう思われるんですね」
「うん……」
小悪魔は私の話に相槌を打ちながらずっと話を聞いてくれた。
「今日はもう寝るね」
私がそう言うと、
「はい、おやすみなさいませ」
小悪魔はゆったりと就寝の挨拶をした。
そんな風に、『いのちのでんわ』初日は終わった。
× × ×
嫌な夢を見た。輪郭は覚えているけれど、夢の内容はよく思い出せない。でもひどく不快だ。心がざわついて、どうにも落ち着かない。
そんなとき、あの電話が目に入った。
コンコンと壁をノックして今日も耳にコップを当てた。
「はい、いのちのでんわです」
今日の声の主は、
「美鈴?」
「はい、美鈴です」
美鈴だった。
「嫌な夢を見たの」
怖かったこと、落ち着かないこと、一人だと不安なこと、今日もたくさん話を聞いてもらった。そして、
「美鈴これから夜勤?」
「ええ」
「がんばってね」
「ありがとうございます」
少し、人のことを気にする余裕が出来た。
そんな風に、『いのちのでんわ』二日目は終わった。
× × ×
ひきこもりをやめたいな、とふと思った。でも、どうしたらいいのか一人では考え切れなかった。こんなときは、そうだ。
相談してみよう。
「はい、いのちのでんわです」
「パチェなんで敬語なの」
「いや、なんかデフォルトらしいから一応ね」
久しぶりに聞いたパチェの声は、どこか慣れていないようなことをしているようで、聞いていて面白かった。
「今日はどうしたの?」
「ひきこもりをやめたいなって、思って」
「それ私に聞く?」
そういえば、パチェはよく図書館に引き篭もっているのだった。
「冗談はさておいて。原因が何か分からないと、いつまで経っても引き篭もったままよ」
パチェは真剣そうな声でそう呟いた。
「原因は……」
分かっているけれど。
「切る」
切りたくなったら切っていい、お姉さまの書いたメモにはそう記されていた。
パチェ、ごめんね。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、『いのちのでんわ』三日目は終わった。
× × ×
私が引き篭もる理由は単純で、ただ力を制御できないからだ。今まで人を傷つけたことはないけれど、抑えられない力で大切な人を傷つけるのは、死んでも嫌だ。むしろそんな不安を解消できないまま生きているのも嫌だった。
「死にたいなぁ」
そんなネガティブなことを口にしていると、壁のほうから小さい音が聞こえた。
こんこん。
「……?」
そろそろと壁に近寄りコップを手に取る。
「フランお嬢様」
すると、糸を伝って咲夜の声が聞こえた。
「どうしても心配で、声をかけてしまいました」
この部屋にプライベートはないのかもしれない。
レミリアお嬢様に叱られてしまいますね、そう咲夜は苦笑していた。
「心配……してくれたの?」
少し間をおいて、咲夜は、ええ、と返事をした。
「フランお嬢様、大丈夫ですよ。……レミリアお嬢様も、パチュリー様も、美鈴も、小悪魔も、私も、みんなフランお嬢様が思っていらっしゃるより、柔じゃないです」
だから、安心してください、そう咲夜は続けた。少し、涙声だった。
そんな風に、『いのちのでんわ』四日目は終わった。
× × ×
ぼーっと白い壁を見つめていた。机には少しよれた紙カップが置いてある。この数日間、たくさんのことをここで話した。もう十年分くらいは話したのではないか、というくらいに言葉を紡いだ。
小悪魔、美鈴、パチェ、咲夜。私の話を聞いてくれた人たちを思い出す。
足りなかった。一番大切な人が、来ていない。では、今日は。
もしかして、と思い、壁際までよろよろと伝い歩いた。そうして、こんこんこんと壁を鳴らし、耳元にカップを当てた。
「お姉さま、いるんだよね、おねえさま……」
壁の先から返事はない。
お姉さまに会いたかった。もうずっと会っていない。
やっぱり私からじゃないと、だめなのだろうか。
「っ……」
カップを置いて、ドアの前まで来た。ドアノブを握ったまではいいがその先に進めない。外に出ることが、怖い。
そこに。
「フラン」
鈴の鳴るようなきれいな声がぽつりと落ちてきた。私が一番求めていたものだった。
それに導かれたかのように、気がつくと、私は扉を開いていた。
「よくがんばったね」
そこにはお姉さまが立っていた。お姉さまだけじゃない。パチェ、咲夜、美鈴、小悪魔、みんながいる。
「ようこそ」
みんなの声が、まるで祝福のようだった。
そうして、『いのちのでんわ』は五日目に役目を終えた。
あったかいお話で楽しめました。
素晴らしい