ルナサを明るくする会
その朝は寒いのに、よく晴れた朝でした。
空にはお日様が昇り、その周りを綿のような雲が縁取っていました。
けれど足元には霜が降り、まもなく終わる秋を、手ぐすね引いて待ち構える冬を象徴するかのようでした。
そんな中でも、みすちーは割烹着に身を包み、唯一の家財道具である鰻屋の屋台を、元気いっぱい押していました。
「うんしょ、うんしょ……今日の八つ目鰻を獲りにいかなくちゃ」
かけ声に合わせて背中の羽がピコピコ揺れます。
そんな彼女に、誰かが空から声をかけました。
「ねえねえ、ミスティア。貴女にお願いがあるの」
「なーに? 三歩あるくと忘れちゃうから、手短にお願いね」
すると空から、光かがやく何かが降りてきました。
わあ、とみすちーは声をあげました。鳥は光る物が大好きなのです。
空から降りてきた光る何かは、ピカピカに磨かれたトランペットでした。その後ろに女の子の姿が浮かび上がります。
「初めまして、私はメルラン」
桃色の洋服に身を包んだ少女は、丁寧にお辞儀しました。
みすちーも一緒にお辞儀しました。
「初めまして、私はミスティア」
「うん、知ってる。ねえミスティア、一緒に着いてきて」
「どうして?」
みすちーが首をかしげると、メルランはとびっきりの笑顔で言いました。
「姉さんを笑わせたいのよ! さあ、早く早く!」
「わっ、待って! 私の屋台が……!」
メルランはみすちーを抱っこして飛び上がりました。
唯一の家財道具である屋台は、かわいそうに、置き去りです。
「あーん、私の屋台ー!」
「屋台なんて後で取りに来ればいいよ」
こうして、みすちーはメルランの姉が待つ場所へ運ばれました。
着いたのは白玉楼のそば、冥界と現世を分かつ大結界の前でした。
山々が剥き出しの岩肌を晒す中、ぽつりぽつりと桜の木が生えています。
けれど、その枝には葉も花も無く、これから訪れる寒さに備えて縮こまっているようでした。
そんな寂しい風景の中に、三つの人影がありました。三人とも少女です。
一人は横になっていて、動くのも億劫といった様子でした。
メルランはその少女に向かって声をかけました。
「ルナサ姉さん、助っ人を呼んできたよ!」
「すけっ……と?」
ルナサと呼ばれた黒い服の少女は、ごろんと寝がえりを打ちました。
うるんだ瞳は焦点が合っておらず、まるで眠りから醒めたばかりのお姫様、といった表情です。
メルランはルナサの前に着地すると、やっとみすちーを離してあげました。
「さあミスティア、歌を歌って!」
「歌は好きだけど、無理矢理連れてこられて怖いよぅ……」
「あははははは、大丈夫だから! ほら歌って!」
みすちーは半べそで抗議しましたが、メルランは話を聞きません。
自分のトランペットを取り出すと、いきなり演奏を始めました。
すると、どうでしょう。サァッと辺りを南風が吹き抜け、周りが暖かくなったではありませんか。
メルランの奏でる曲は、激しくアレンジされたポップ調の「さくらさくら」でした。
それを聞くうちに、なんだかみすちーも楽しくなってきました。
大切な屋台を忘れてきたことなんて、もう記憶にありません。鳥頭ですから。
「よーし、私も歌っちゃうぞー!」
バッと割烹着を脱ぎ捨て、いつもの服装に戻ったみすちーは、さくらさくらを歌おうとしました。
その瞬間、メルランの演奏が間奏部分に入りました。
「さーくーら……」
「パラリッパッパラリラ!! パラパパッパラリラ!! パラリパラリパラリラン!!」
「こほん、さーくーらー……」
「パラリーパッラリー!! パッパッパパラリー!!」
「ああもう! 私にも歌わせてちょうだい!」
みすちーは怒鳴りますが、ノリに乗ったメルランは止まりません。
激しいビート、熱く刻まれるリズム。会場はメルラン・ソロツアーとして完成してしまいました。
寒空に震えていた桜たちも、今にも開花しそうな勢いです。
「ぐおー……ずぴぴぴ……」
「……ん?」
いきなり響いてきた不協和音に、みすちーは足元を見ました。
そこでは、ルナサと呼ばれた少女が、いびきをかいて寝ていました。
「どうしてこの状況で寝られるのよ!」
「やっぱり無理だったみたいね」
三人の様子を見かねたのか、赤い服の少女が前に出ました。
内巻きになった銀色のショートカットに、とび色の瞳をした、どこか控えめな少女でした。
みすちーは小首を傾げて問いかけます。
「貴女はだあれ?」
「私はリリカ。メルラン姉さんが無理を言ったみたいで、ごめんなさいね」
「メルランって……だあれ?」
リリカは盛大にずっこけました。
鳥頭のみすちーはメルランの名前を忘れていたのです。
リリカは、まぁいいかと呟いて、言いました。
「えーと、貴女は歌を歌ってくれるのよね?」
「歌? 歌は好きだよ、何か歌ってほしいの?」
するとリリカは、にっこり笑ってこう言いました。
「今ね、誰が最初にルナサ姉さんを元気にさせるかで勝負してるの。
良かったら、貴女も参加する?」
「明るくするって、あの寝てる子を?」
「うん」
リリカの話によるとルナサは鬱気味で、朝は起きてこないし、「死にたい」と呟くし、見ていてかわいそうなのだそうです。
だから皆で元気にさせようと話し合い、この競争を思いついたのだそうです。
みすちーには細かいことは分かりませんでした。
というか鳥頭なので、聞いた端から忘れてしまうのです。
それでも「歌で目の前の人を元気づける」という趣旨には、いたく感動しました。
「私も参加する! お姉さんを元気にしてみせるよ!」
「おっ、いいねえ。その調子、その調子!」
みすちーは背中に使命の炎を燃え上がらせて、仁王立ちしました。
リリカがパチパチと優しい拍手で応援してくれます。
でもその前に、とリリカは第三の人物に声をかけました。
「響子ちゃん、姉さんを起こしてくれる?」
「任せて!」
それまで、じっと黙って成り行きを見ていた彼女は、ルナサのそばに近づいて息を吸い込みました。
え、アレやるの、とメルランが顔を輝かせて近づいてきます。
リリカとメルランは耳をふさぐと、こう言いました。
「それじゃ、ぎゃーてー砲、発射!」
「ぎゃーてー!!」
「「「ぎゃ~~~~~~~~~て~~~~~~~~~~~~~~!!」」」
「きゃああああああああっ!?」
リリカが「ぎゃーてー」と叫ぶと、同じ声が辺り一面から響いてきました。
驚いたみすちーは、耳をふさいで、しゃがんでしまいました。
耳の奥、鼓膜の辺りがキィーンとして、うまく音が聞こえません。
と、それまで寝ていた黒服の少女が、ぱちりと目を開きました。
「ん……? 私、寝てた……?」
「姉さんが起きた! さすがだよ響子ちゃん!」
「わふーっ! 私にかかれば、これくらい当然なのだ!」
メルランに頭と顎をなでられて、響子は自慢げに胸を張りました。
ルナサは何が何だか分からない、という様子で周囲を見渡しています。
その頃になって、ようやく耳の痛みがとれてきたみすちーは、不思議そうにルナサの顔をのぞきこみました。
「ねえねえ、貴女はどうして寝ちゃったの? さっきの音楽、ノリノリだったじゃない」
「ああ、あれ……? あれはね、」
ルナサは、まだ眠り足りないといった顔で返事をします。
「私は考え事をしていたの。自分のレパートリーにふさわしい、静かで、海の底のような曲が欲しかったのよ。
それをのんびり考えていたのに、急に激しいリズムが来るから、考えが全部流されちゃって――
考え直すのが面倒くさくなって、そのまま眠ってしまったの」
「ふぅん……静かな曲が好きなのね」
みすちーは何度も頷きながら、ルナサの話を聞きました。
そこで、ふと何かが閃きました。
静かなのが好きな人を励ますには、静かな歌のほうが良いのではないかと思ったのです。
静かに、けれど心の奥底に届く力を持った歌。
そんな歌を歌ったなら、この少女は心を開いてくれるのではないか。
果たして、彼女のレパートリーにその歌はありました。
「ねえ、声の大きい子!」
「わふ? 何か用?」
「さっきみたいに、私の声を真似してほしいの。出来る?」
「出来るよ!」
響子が元気よく頷くのを見ると、みすちーは歌を歌い始めました。
それはパッヘルベルのカノン。
外の世界では歌詞などない曲でしたが、彼女は幻想入りした外国語の歌詞を知っていたのでした。
――もし、あなたが傷ついたのなら、今は立ちあがらなくてもいいから。
――いつか、あなたを必要とする人が現れるから。
――だから、今はおやすみなさい。ゆっくりと、深い海の底のように。
もちろん、みすちー本人は歌詞の意味など知りません。
けれど、聞く者が聞けば立ち止まるその歌詞は、優しい優しい山彦を伴って、辺りに響き渡ったのでした。
突然、洟をすする音がしました。
泣いているのは誰だろう、ルナサその人です。
メルランとリリカが、慌ててみすちーの歌を止めに入りました。
「ちょっと、ちょっと! 姉さん泣いてるじゃない!
これは『ルナサを明るくする会』の集まりだよ! ルール違反!」
「いいのよ、二人とも……」
しゃくりあげながらの声に、二人の姉妹は振り返りました。
するとどうでしょう、ルナサはもう泣いていませんでした。
それどころか、しゃがみこんで地面に楽譜を書いています。その熱心さといったら、さっきまでの暗さが嘘のようでした。
しばらくするとルナサは「曲が閃いたわ。聞いて」と言って、バイオリンを取り出しました。
そこで奏でられたのは、静かな、まあるいお月さまを思わせる旋律。
天から見下ろすだけでなく、海にも姿を映して、そこに佇む者を余すことなく照らし出そうとするような、慈愛に満ちた曲でした。
居合わせた誰もが、心が鎮まってゆくのを感じていました。
やがてメルランが即興で和音を奏で始めました。
最初こそ姉妹の息はぴったり合っていましたが、次第にトランペットが暴走を始め、曲はメチャクチャになっていきます。
その様子を、みすちーはぼんやり眺めていました。
あの一瞬。自分と黒い服の少女は、歌で心が通じ合ったのだと。
そんな達成感に酔いしれていたからです。
「ありがとう」
「え?」
リリカがそばにやってきて、頭を下げました。
「あんなに情熱的なルナサ姉さんを見たの、久しぶりかも。人を明るくする方法なんて、一通りじゃなかったのね」
「え、ああ、うん……」
みすちーは急に照れくさくなって、下を向いてスカートの裾をいじり始めました。
そんな彼女に構うことなく、リリカは空を向いて叫びました。
「どうです、姉さんを元気にさせましたよ! この賭け、私の勝ちですね!」
「そのようね」
すうっと、冥界と現世を隔てる境界が割れて、一人の少女が姿を現しました。
空色の衣に身を包んだ少女の名は、西行寺幽々子。冥界の主です。
リリカと幽々子は賭けをしていました。
白玉楼に招かれ、お花見をしながら演奏をしたとき
「あの子、暗いわねぇ……もし元気に出来たらご褒美をあげるわ」
と幽々子から言われていたのです。
そこでリリカは「ルナサを明るくする会」をでっち上げ、誰が最初にルナサを元気にできるか競争しようと言いだしたのです。
勝っても負けても、彼女への報償は約束されていたのでした。
「勝った貴女にはご褒美をあげましょう。そうねぇ……」
「ぴっ!?」
みすちーは殺気を感じて、跳び上がりました。
「鳥鍋なんてどうかしら? それともから揚げがいい? 妖夢を呼んで、活きのいいうちに〆ましょう」
「ぴーっ!!」
みすちーは、もう生きた心地もしません。
背中の羽をはばたかせると、必死の思いでその場を離れました。
※ ※ ※
翌日。
みすちーは、朝の光の中をトボトボと歩いていました。
唯一の家財道具である屋台を、どこにやったか忘れてしまったからです。
その他に、何か感動的なことや、怖いこともあった気がしたのですが――かわいそうに、彼女の鳥頭は全ての出来事を忘れ去っていました。
「はぁ……これからどうしよう」
「おーい」
どこからか声が聞こえてきました。
みすちーは立ちあがると、声のする方へ行ってみました。
「おーい、ミスティアさーん!」
「はーい、なんでしょう?」
そこには嬉しいことに、昨日の三姉妹が屋台を引いて来てくれていました。
でも、みすちーが持っていた屋台とは少し形が違います。
何より、この屋台は新品で、ピカピカに光っていました。
「これ、どうしたの?」
「それがね、貴女の屋台を置きっぱなしにしたってメルラン姉さんから聞いて……
探したけれど、誰かに盗まれて無かったから、幽々子様に『新しい屋台を下さい』ってお願いしたの」
息を切らせながら、リリカが答えました。
みすちーは、イマイチ事情が呑みこめません。
「ええと、つまり、どういうこと?」
「この屋台をあげるから、私たちに、とびっきりの鰻を御馳走して!」
「えっ、くれるの!?」
みすちーの顔がパアッと輝きました。
お客様が向けてくれる期待の顔、それこそ彼女が二番目に喜ぶものでした。
もちろん、一番うれしいのは「美味しい!」の声です。
「待ってるから、早く作ってよ」
「うん、待っててね!」
八つ目鰻を獲りに行こうとする少女を、ルナサがそっと呼びとめました。
「あのね……」
「うん?」
「昨日は、ありがとう」
みすちーは、ありったけの笑顔で返事をすると、今度こそ鰻を獲りに飛んでゆきました。
(了)
みすちー可愛いよ
主にみすちーと響子が
綺麗にまとまってる短編ですな
他の作品には見られない第三者目線でのナレーションが多く、斬新なSSですが、少し気になったのが、ミスティアが鳥頭で物忘れが激しすぎる所が私としてはかなり違和感ありました。
追記
あなたが、響子ちゃんにわふーと言わせるのでリトバスのクドしか想像できません。(どっちも犬ぽいし)
さらにみすちーにカノン歌わせる辺りでkanonを思い出しました。
無意識にしろ意図的にしろかなり良かったです。
展開も安心して読むことが出来て、寒い季節ですが、ほのぼの出来ました。