Coolier - 新生・東方創想話

巫女らと魔女とお月様

2010/12/04 00:46:51
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 魔理沙が博麗神社を尋ねたのは、雨上がりの夜のことだった。
 中秋の草花は露を飾り、吹く風は濡れた肌触りを帯びていた。
 迎える巫女はもちろん、客人の方も別段用事は無い。今宵もまた、徒然を肴に杯を交わすのみ。

「ときに霊夢さんや。今年は大きなお祭りはやらないのかい」

 互いに酒も回る頃、客人は切り出した。

「例祭の事かしら」
「きっとそれだ。そろそろのはずだろう」

 一年ひととせに一度の例大祭。
 こればかりは、やらねば神様にばちを当てられると、霊夢がひっそりと行う祭事である。
 何年か前までは、数人の顔見知りが戯れ半分に眺める程度であった。けれど、広まった交流のせいか、今では境内を使った大宴会の口実になりつつある。
 幻想郷の諸女子らは、それを「祭り」と呼んでいた。

 「みんな楽しみにしているぞ。星蓮船の一件で、今年も新顔が増えるだろう。いつだ霊夢」
 「それなら、もう結んだわよ」
 「結んだ……てなんだ? まさか、終わったという意味か」
 「そう」
 「いつだよ」
 「一昨日。殿内でお供えをして、祝詞のりとを上げて、おしまい」
 「大雨の日じゃあないか。わざわざ宴の出来ない日にやるなんて」

 例祭の日程は、神社に縁のある日に定められる。当然、雨だからと言って移せるものでは無い。
 ましてや、酒飲みの為などにみだりに変えたりすれば、それこそ何か、ばちを喰らうだろう。

「じゃあなんだ、次は来年まで待たなきゃいけないのか」
「お酒飲むだけならいつだっていいじゃない。どうして祭りにこだわるんだか」
「当然だ。みんな「祭り」を楽しみにしているんだから」

 祭りという言葉の持つ意味は、仏教にもキリスト教にもない、極東の島国独特のものである。
 今日、肝心の祭事に向けられる興味は、現実、幻想共に少ない。それでいて、あの独特の高揚感とノスタルジーが、人々の心を誘うのも確かだ。
 
 それならばと、客人は突拍子も無いことを思いつく。

「そうだ霊夢。大きな祭りが過ぎたなら、次いで大きい祭りを何かすればいいじゃないか」
「近くても新嘗の祭りは11月の末。他に祭事をやれと言われても、やる気が起きないわ」
「そう言うな。お前は巫女じゃないか」
「いーや。新しく何か作れと言うの? お断り」

 節目節目を祭る。それが神職の務めであるわけで。新たに節目を作れば、来年も同じ節を祭らねばならない。博麗の巫女にそこまでの気概は無かった。

「頼むよ。アリスも萃香もきっとがっかりするぞ。それに、さ。お前だって少しは寂しいだろう」
「……もちろん、少しは寂しいけどね」

 不思議と、会話が途切れた。
 酒のお蔭で、巫女の少しだけ素直な言葉を聞いたためだろうか。
 
 今年の幻想郷の秋は、一日の明けも暮れも、ほとんど陰鬱な空模様だった。
 空に低く八重雲の立ちこめ、やがては雨の降るを繰り返すばかり。閉じられた季節。
 実りの作物も、色づく木々の枯れ葉も、照らす明かり無ければくすんだ色彩。はるか臨む山々さえ、秋の風雅を醸す景色は、未だ少なかった。

 ふと、巫女は酒の手を止めていたことに気づき、杯を縁側に置いた。

「わかったよ魔理沙。何か考えよう」
「相変わらずよく移ろうやつだなぁ。それも前触れも無く」
「なら、やめようかしら」
「いや、是非頼む。言い出した私にも責任があるし、手伝えることは手伝おうじゃないか」

 魔理沙は杯を飲み干して言った。聞いているのやら、当の霊夢はおもむろに夜空を見上げる。

「満月はいつだったかしら」
「満月?たしか、明後日だったと思うが」
「なら良かった。明日一日あるし、あなたならあちこちに触れ回れるでしょうね」
「なに、まさか『じゃあ明後日やろう』とか言い出さないでくれよ?」
「祭事なんてやることは決まっているもの。後は周りの集まりだけ」
「人の集まりなら心配は無い。みんな毎年、境内の妙な賑わいを見て勝手に集まるし。私がいなくたって大丈夫だろう」
「上等。色々と計画を立てようか。そうだ、三姉妹に伶人を頼むのはどうかしら」

 伶人とは、神社で雅楽を奏でる人の事である。プリズムリバーなら、竜笛や琵琶も演奏できそうなものだと考えての提案だ。

「見上げた行動力だな。流石だよ」

 客は呆れ半分である。

「お月見かなんかやりたいみたいだけど、明後日もこんな天候だったらどうする気なんだ」
「月なんて久しく見ていないものね。けれど、だからこそのお祭りと言ってもいいわ」

 巫女は含んだような言い方をした。頭の中では早くも何かしら組みあがっているのであろう。
 魔理沙にはよく分からない。けれど、こう言った。

「よく分かった。難しいことは、ものぐさ専門家に任せるとしようじゃないか」

 言いながら酒瓶をかかげ、縁側に置かれた杯を二杯とも満たした。

「それでは前夜祭を」

 にやり、と笑う。そんな魔理沙を見て、巫女も顔を伏せて笑った。

「あんたは、おもしろい女だ」

 明後日の約束を契るように、少女は二人、見えぬ月明かりに向かって杯を突き上げた。

「お月様に」
「ええ、お月様に」

◇◇◇

お話は早くも二日後の夕刻。今宵は満月。

「早苗。どこかへ行くの?」

 神奈子が呼び止めた。

「博麗の阿呆巫女に説教してきます!」

 襟元を正し、装束の背中の線を完璧に中央に揃える。
 
「博麗神社の祭礼のことね。どうせいつもの気まぐれでしょう。釘を刺さずとも信仰で負けはしないわ」
「それはもちろんです。これは私個人の問題ですから」

 真剣な表情の早苗。神奈子には多少、意外だった。

「珍しいわね。まぁ、あなたがそこまで言うなら止めないけれど」
「御夕御饌(おゆうみけ)は二柱分ご用意してあります。取り合いになられませぬよう」
「はいはい。たまには楽しんでらっしゃいな」
「からかわないで下さいよ」

 「博麗神社にて祭礼あり」の報はすでに幻想郷中に伝わっていた。
 参加するもの、しないもの一様に、退屈な日常と、賑やかな酒宴を天秤にかけての判断である。
 けれど、東風谷早苗のもくろみは違った。

「酒宴の為に祭礼なんて……不埒。歯磨きしたくて御飯食べるようなもんだわ」

 本末転倒。なにより祭神に対して無礼だ。と言うわけである。
 風祝、東風谷早苗。自意識過剰の気がある故、神職としての自尊心も高い。
 他のお宮のこととは言え、身命奉仕する身として黙っているわけにはいかないと感じていたのであった。

 さて、幻想郷には下位妖精含め、思ったより多くの住人がいるものである。
 早苗の向かう道中にも、ちらほらと博麗神社へ向かう妖精を見かけた。せわしい話し声が聞こえてくる

「みんないそいで。日のしずむ頃には始まるよ」
「まってよぅ」
「まにあわないよぅ」

 開始時刻は「だいたい日暮れくらい」
 垂れ込める雲の間に、かすかに見える夕日は山の端にかかっていた。祭礼の始めにはなんとか滑り込めるだろうか。早苗は速度を上げた。
 
◇◇◇



   ひるめのかみの やすまりて
      
   つどうひとらの にぎわいに 
      
   かみのみたまの さかうれば
      
   まつりじたくぞ むすびけれ

               ――海部桃等(みなべのももひと)

      


 眼下に博麗神社の境内が見えてきた。
 この距離からでも、ほの明かりや微かな囃子の音色に、境内の賑々しさをうかがい知ることが出来る。
 げにも祭りの夜の、えもいわれぬ盛り上がりの様である。
 
 早苗が降り立った頃には、日はとっぷりと暮れていた。相変わらずの曇り空に、星一つ見えぬ静かな夜である。
 見れば、境内いっぱいに人や妖精が垣根を作る。こそこそと耳打ちする声が相まって、緊張感のある賑わいが溢れていた。

「みてみて。霊夢がなにかやってるよ」
「始めます、と言ってたよ」
「何を?」
「わかんない」
「たくさんお辞儀しているよ」

 人垣で殿内の様子が伺えないが、一足先に、祭儀は斉行されていたようである。

「失礼、通してもらえるかしら」

 早苗が声をかけると、人垣はゆるゆると肩を寄せ合って道を空けた。格好を見て神社の関係の人だと思われたのだろう。
 巫女に説教をする好機は失ったものの、早苗に帰るつもりはなかった。
 祭儀を一通り見物し、有るまじき所作の一つ一つを上げ連ねてやるつもりなのである。

「大麻振り回して戦うあの巫女のことだ。祭式なんか適当に決まっている」

 祭式とはお祭の作法の事である。
 神職は、お辞儀だけで十程の種類を使い分ける。進み方。曲がり方。回り方。立ち方、座り方に到るまで、出す足の順番や体の角度を決められている。
 が、博麗霊夢が祭式の修行を積んだことなど無いに等しかったと思われる。

「ちょっと失礼。ごめんなさいね」
「わぁ、こっちも巫女巫女だー」
「ちょ、だめだよルーミアちゃん。大声出しちゃ」

 最前列で幼子風の二人組みの間に割り込んだ。
 この手の娘はちゃらんぽらんばかりかと思っていたが、真面目であるべきところはわきまえているようだ。

「巫女さんは霊夢さがしてるの?中でお辞儀してるよ」

 早苗は殿内に目をやった。祓所(はらえど)の前で、正座のまま伏している。

 見ているうちふと、違和感を感じた。
 自分の想像していたものと、目の前の光景が相違している。

 二度伏した霊夢は、次いで拍手を二度打ち、軽く頭を下げ、祝詞奏上の体勢に入った。
 早苗は自分の気持ちが腑に落ちないまま、腰を六十度に曲げて伏した。(祝詞奏上の間の、周りの人の作法である。)

 少しだけ静まった境内に、平常誰も聴いたことの無い、霊夢の麗声が響き渡り始める。




   高天原たかまのはら神留坐かむずまります 皇親神漏岐神漏美かむろぎかむろみ命以みこともち

   皇御祖神伊邪那岐尊すめみおや かむいざなぎのみこと 筑紫つくし日向ひむかの橘の小戸おど檍原あわぎはら

   みそはらたもう時にせる 祓戸はらえど大神等おおかみたち

   もろもろ禍事まがごと 罪穢つみけがれはらたまい清め給えと白す事のよし

   天神地祗あまつかみくにつかみ 八百萬神等共やおよろずのかみたちとも

   あめ斑駒ふちこまの耳振立ふりたて聞食きこしめせと

   かしこみ かしこみも 白す


     二拍手

     再拝




 霊夢が体を起こす頃、境内にやんやの拍手が響きわたった。早苗は頭を上げた。
 見渡せば、冷やかし半分、感心半分の喝采である。詩吟か何かと勘違いしているのだろうか。
 本来、この場はそう騒ぐものでは無い。けれど、早苗は不思議と苛立ちを覚えなかった。

 巫女は普段振り回している、ふさふさの大麻(おおぬさ)を取り、神前、諸々のお祓いを始めた。
 集う人ら皆、その姿に見入り、それぞれに仲間と批評しあった。
 早苗も例外ではない。

「美しい」

 思わず、声に出てしまう。

 服装こそ、旧作時代の巫女服であったが、霊夢の伏す角度、呼吸、運び足は決して規定通りではなかった。
 本来「正当な美しさ。麗しさ」という意味の、「雅」の字を当てはめてやるわけにはいかない。


 けれども、其処には確かに、悠久の歴史を湛える「美」があった。


 舞うが如き身のこなし。そして神の威を肌に感じさせる神妙な表情。全てが心に感情を広める。
 博麗の巫女の天賦の才か。はたまた、まつろわるる神の威が故か。早苗は圧倒されていた。

「わぁ、リグル見て。霊夢がいつもの振ってるよ!よーしまけないぞー」
「だめだってばルーミアちゃん。珍しく真面目なことしてるんだからね」
「じゃあ、何してるのかな?」
「ううんと。わかんない」

 さっきの二人が話しているのが聞こえた。顔見知りではないけれど、早苗は声をかけてみる。

「あれは「しゅばつ」と言って、お祓いをしているのよ」

 二人は不思議そうな顔で振り返った。急に声をかけたけれど、悪い印象は与えていないようだ。

「おはらいって なぁに?」

 金髪の幼子が尋ねた。
 そうか、この子達は本当に何の知識も無いんだ。
 早苗は迷った。その意味を語り聞かせて、果たして伝わるのだろうか。

「ごめんなさい。この子も私も、難しいこと分からないの」

 もう一人。マントの娘がおずおずと言った。

「おまじない、だよ」

 言葉を選ぶ早苗。

「神様は身も心も綺麗な人が好きなの。可憐で清楚なお姫様になるための、おまじないなのよ」
「へえ……」
「へー。そーなのかー!」
 
 彼女らはにっこり笑った。
 語る間に、霊夢がこちらを祓うためにやって来た。早苗の姿をみて、堅い表情が一瞬たじろいだように見えた。

「さ、おふたりさん。頭を下げましょうね」
「はいっ」
「はーい」

 幼子らは眼を閉じて、可愛らしくちょこんと顎を引いた。早苗はもちろんきっちりと四十五度だ。
 ばさ ばさ ばさ と麻を振る音が心地よく響いた。
 事が済むと霊夢は、何事も無かったように次の集まりを祓いに行ってしまった。

「えへへ。どうかな。緑の巫女さん」
「どうですか?」

 二人がこちらを向き、あどけなく尋ねた。

「うん、ばっちり。二人とも可憐なお姫様だよ」
「わはー。うれしいな!」
「よかったね。ルーミアちゃん」

 二人組と早苗はお互いに微笑を返した。たまにはこんなのもいいだろう。
 すると、そんな様子を見て、回りから他の妖精達が集まってきた。

「ルーミア。さっきはなんで目をとじたんだ?」
「りぐる。どうして嬉しそうにしているの?」

 こそこそ、わいわいと盛り上がっている。早苗は眉を八の字に笑い、こっそりと人垣を抜け出した。
 なんだか急に、自分だけが一人ぼっちな気がして、この賑わいが切なく聞こえてしまうのだった。

 
「おーい!早苗!」

 境内を出ようかと言う頃、呼び止める声が聞こえた。

「痛い痛い魔理沙さん。腕がちぎれそう」
「あぁすまん阿求……やあ早苗。ちょうどいい所に通りかかった」
「魔理沙。それと、歴史家の人間ね」

 いかにも忙しそうな魔理沙と、稗田阿求の二人組みだった。

「この早苗様に何か用かしら」
「お前、この後は空いてるだろうか」
「空いてるけど、ナンパなら消えていいわよ」
「なんのことだ? 私も企画者側だぞ。でも霊夢の言ってる事がさっぱりでさ。礼は後でするから、手伝って欲しいんだが」

 紅白と白黒。計画性とかまったくなさそうな二人組みだ。自分がいなくては祭儀の形を成さないだろう。と早苗は思った。
 専門分野で人に頼られるというのも、悪い気はしない。

「いいわよ。お礼は後で相談しましょう。けど、後ろの人は?」
「あぁ、阿求はゲストだ。霊夢のご指名だったから、ついさっき見つけてつれて来た」
「ついさっきって……本人は何にも聞かされてないワケね?」
「え、よくわかったな。なんでだ?」
「早苗さん助けてください。急に拉致られたと思ったら、『祭に出てなんかやれ』って、こう言うんですよ?」

 なんとも横暴である。早苗は首をかしげた。

「滅茶苦茶ね。魔理沙、霊夢は何をさせるつもりか言っていたかしら」
「言ってたけどわかんなかった。ワザオギとかなんとか」
「魔理沙さんもわかってなかったんですか。あんまりですよ」
「勘弁なぁ阿求。なんか、お月様を主役にしてやりたいとかなんとか言っててさ」

 巫女である早苗には、これだけでなんとなく合点がいってしまう。
 彼女の血と、自分の能力を考えると、ひょっとしたら神話の丸写しになるのではないだろうか。

「あのエロ巫女」
「へ。今何か言いました?」

 面白そうだ。と、早苗は悪い笑みを浮かべた。

「わかったわ魔理沙。全面的にバックアップしてあげる」
「わ、本当か。助かるぜ。えらく乗り気になってくれたな」
「さ、舞姫様。心配要らないから私についてきて。貴女を今夜のメインディッシュにしてあげる」


◇◇◇


「なるほど。それで、玉串というのはどれだ?早苗」
「あの、左の黒い机の上。15センチくらいのお榊の枝よ」
「おお。神奈子の縄についてる紙みたいのが付いてるな」
「紙垂(しで)というの。あそこはベタベタさわんないようにね」
「はいはい。真面目だのう」

 祭儀を行う間の横、襖でさえぎられた一室が控え室になっていた。
 ここからなら境内と殿内を同時に見渡せる。霊夢はまたも朗々と、何やら唱えだしていた。
 境内はミュージシャンのライブのように左右に揺れている。不可思議な光景である。

 魔理沙は色々と霊夢に仕事を押し付けられていたのだが、打ち合わせも無く、漢字だらけの薄本を投げてよこされただけだった。
 正直、3ページ目くらいでぶん投げてしまった。今まさに早苗にご教授いただいているわけである。

「私の予想だと何時間か後に大騒ぎが静まるから、そのときに霊夢に渡せばいいわ」
「了解した。なんとも格式ばったものだね、祭というのは。霊夢の性格じゃ、めったにやらないのもわかるよ」

 ついでに、どこの祭も、魔理沙のようなわたわたした人物が裏で奔走しているものなのである。
 確かに、ものぐさで無くても年中やりたいものではない。

「で、阿求はどうした?」
「なんとか三姉妹にお願いした。私やることあるし」

 早苗は大き目の和紙に筆を走らせていた。大小混じった漢字で何やら書いている。

「お前はなにをやってるんだよ」
「奇跡を起こすのよ」
「そりゃ専売特許だけれど」

 ここに来てやたらと乗り気の早苗に、魔理沙は不思議がる。
 早苗は早苗で、久々に神道の面白みに、わくわくとしていた。

「ねぇ魔理沙。あなたって神話とか」
「しらんぞー」
「でしょうね」
「興味ないぞー」
「でしょうね」
「でも、これから面白い事に繋がってくなら? 聞いてやってもいいぜ」
「でしょう……あ、聞きたい感じ?」
「お前が振ったんじゃないのかよ」


◇◇◇


 古事記編纂に活躍した人物、稗田阿礼は、猿女氏の末裔である。

 猿女氏とは
 倭の国には、古来より神事を司る氏が、数氏伝わる。早い話、神主の血筋である。今日では社家と言う。
 神話には数々の神の系譜が記されているが、社家はその末裔とされ、人と神の仲取り持ちに携わる。
 そして、ある程度の階位を得た人物が、神主。と呼ばれることになる。
 日本史を受けたことがあれば、中臣氏、物部氏などの氏を聞いたこともあるだろう。

 猿女氏もその一つ。
 その祖は、女神である天宇受売神(あめの うずめの かみ)
 有名な天岩戸開き神話において、神々の前で舞を舞ったとされる神である。
 それ故、俳優(わざおぎ)の祖神としての属性も持っているのである。


「そして、あのあきゅーは、稗田阿礼とつながってるんでしょ」
「ごめん。話は全然わかんなかったが……つまりなんだ。阿求の先祖は神様だったってわけか」
「その通り」
「しかも舞いの神とな。霊夢が何を考えているのかがよくわからんけど」
「血に望みをかけたのよ。今のところ明確な舞いキャラはいないからじゃないかしら」

 早苗は筆を止めた。何やらを書き終えたようだ。

「あいつホント行動力しか無いな」
「何を今更。さてさて、私はそろそろ行くから。今のやつ終わったら奉納演舞だし」
「そうゆうのって順番決まってるんだな」
「ま、3ぺーじ目までには載ってないわね」

 既にお気づきのこととは思うが、此度の祭、かなり豪放磊落な進行状況である。
 当初の早苗の思惑を他所に、本義などなんのその。あるのは酒宴への誘いと僅かな信仰心ばかり。
 祭の結び様。推し量るる者はありや。


◇◇◇

 

     一 清浄を期すること。
     二 古儀を尊び、秩序を重んずること (←魔理沙はこの辺で振りかぶった)
     三 神饌を供し、幣帛を献ずること。
     四 祝詞・祭詞・祈願詞等を奏上すること。
     五 楽を奏すること。
     六 玉串を奉りて拝礼すること。
     七 直会の儀を行うこと。
     八 服装に関すること。
     九 祝詞等の作成ならびに奏上についての心得。
     十 祭典奉仕上の心得。 


           ――『平成二十二年改訂版 神社祭式 同 行事作法解説』 3ぺーじ目くらい





 祝詞奏上も結び、霊夢はひっそりと殿内の座に正座する頃。
 万雷の拍手の中に、阿求は放り出された。

 既に境内は酒の臭いに満ちていた。どこぞの幼顔の小鬼が、周りの杯に無限に酒を振りまいているのが見える。
 もはや観衆の声は歓声というより怒号と呼ぶに相応しい。
 日常な景色に、非日常な高ぶりの満ちた景色。互いに溶け合って、これこそ祭の画である。
 そんな世界の中心に一人。ポツンと放り出された。
 
 稗田阿求。九世一代の大舞台である。



 その数十分前のお話。

「諦めなよ……人生諦めが肝心なんだよ。これホント」
「そんな事おっしゃらないで下さいよ」

 阿求は伶人達の控え室にいた。自分でもなんでだかわからないが。
 頼みの綱だった早苗にもあっさりあしらわれ、ぼやき相手は待機中のルナサただ一人である。
 他の二人は、きたる長丁場に備えて脚を伸ばしている。

「だいたい私、舞いだなんてした事……」

 阿求は頭を抱えた。普通に考えて無理に決まっている。
 台本も要求も何も無い。黒歴史を作る為だけに今ここにいるようなものだ。

 それでも、ルナサの相槌は期待しない方向に向かうばかりだった。

「巫女が何考えてんのかしらないけどさ。頑張ってみればいいんじゃない?」
「そんな適当な事を。乗り気になる理由が無いじゃないですか」

 拉致られてさらし者。出るところ出てもいい気がする。

「消極的だなぁ」
「貴女に言われたくはないです」

 ルナサは楽器の手垢拭きに夢中なそぶりで無視した。

「人間はだいたいお祭好きだって聞いてたんだけど、やっぱり違ったみたいだね」
「もちろん嫌いではないですよ。でも、自分がそんな……主役になろうなんて思ってませんもの。無意味に」

 落胆と焦燥でいらいらする阿求に対して、ルナサはのんびりと、けれども真面目な話を持ちかけた。

「そーゆーのが寂しいんじゃないの。霊夢なりにさ」

 俯いていた阿求は、顔を上げてルナサを見る。急に何を言い出すのだろうと思った。

「寂しい、と?」
「最近、人間でもお祭に興味ない人多いんだってさ。大昔は頼まれなくても手伝いが来たりしたらしいのに」

 ルナサの方は夢中で楽器を磨いている。

「今日なんか見てごらん。百鬼夜行みたいになってる」
「……言われてみれば、人間はほとんどいませんね」
「この辺もそうだけど、もっと山奥の小さな村とか行くとさ、潰れちゃったお祭がたくさんあるんだって」
「それは、人不足で?」
「そ。これをご覧。霊夢に今日演奏してくれって渡された楽譜はね、滅びちゃった地方神楽ばかりなんだ」

 そう言うと、ルナサは紙の楽譜をよこした。五線譜ではない。いくつかの漢字で構成された譜面である。

「正直、急すぎるし勘弁して欲しかったんだけどね。話聞いたら三人でみんな意地になっちゃって」

 阿求は、読めない譜面を指で撫でた。

 自分でも、驚くほどにあっさりと。拉致への不満より大きな感情が沸き始めた。
 「記し残す」事を定めに生きる彼女の身に、目の前の羅列された文字が重く感じられたのだ。
 先人達の心。少なくとも目の前のものは一度、死んだのである。

「巫女の思惑通りというのも癪だけどさ」

 ルナサは畳み掛けた。

「なんていうか、アレだ。頑張ってみない? あなた人間代表としてさ」

 ルナサはルナサで、やるからには完璧なものを追求する主義で通している。
 神の御霊ふゆをかがふらすには、巫女舞の欠かせない事は言うまでも無い。芸術の完成には舞子が必要だ。 

「フォローするから。ね?」
「ルナサさん……」
「大丈夫大丈夫。全部私たちにまかしとけば。ある程度気持ちよくなるような演奏するから」
「私はただ、酔っ払いみたく、感情に任せてふらふらすればいい。と」
「ん、それでいいじゃない。祭儀ったって、ここは余興みたいなもんだろうし」
「さらし者?」
「んーん。スターだよスター」

 ルナサなりに快活な笑顔を見せた。

「どうせ何かやらかすなら、普段大人しい子の方が楽しい」

 ルナサの言葉、今の阿求には、悪気無く言っているのがわかった。

「……少し。考える時間を下さい」
「うん、やらかそう、やらかそう」

◇◇◇

 それから半刻ほど経つ頃、社殿の前に、伶人三人と一人の少女が現れた。

 やがて、打ち寄せる大歓声の中に、三姉妹の奏でる楽が響き始める。
 誰からと無く広がる静寂。そしてそのまま、世界が雅の音色に沈み始める。

 濁流と響いていた歓声は刹那に静みて。その様、波立たぬ湖畔に、落つる雫の波紋を描くが如く。

 ただの地面。という名の舞台に立つ舞姫も、その音色に揺さぶられ始めた。

「なんだろう……この感じ」

 気持ちいい。

 奏は段々とその力強さを増していった。
 祭に興じる人々は口をつぐみ、ただにこにこと朗らかな顔をしながら魅入るばかり。
 皆、思いに耽りながら杯をくゆらしている。
 曇天などもはや忘れ、暖かみと幸せだけに包まれた空間が、そこにあった。
 そして、何を合図にしたのであろうか。緑髪の巫女が静々と舞台の脇に現れた。

「わぁ。さっきの巫女だー!」
「巫女さーん。頑張ってー」

 すぐ向こうに、早苗が話しかけた幼子らが手を振っているのが見える。
 早苗は静かに微笑を返した。

 位置に付き、一つ深呼吸。
 境内の遥か奥。そして遥か空を拝み、己が役割を始める。

 再拝 二拍手――

『此の夜之食国を 歳久に知ろしめし坐す

 掛け巻くも畏き 月詠大神の宇受の大前に

 畏み 畏みも 申さく―― 』


「歌ってるー!」
「綺麗な声……」

 祝詞の奏じ方に作法は無い。
 霊夢の、麗しくもあどけなき声とはまた違う。清廉で、かつ陽気な声色が響いた。

 聞く人が聞いても、「まいったかー!」と同じ口の持ち主だとは思うまい。

「早苗さんの声、綺麗だな……」

 阿求は感じた。
 舞台に上がってから、まだ身じろぎひとつしていない。
 人々はこれから何が始まるのだろうという嬉々とした目で彼女を見ていた。
 視線を感じて肌がびりつく。始めは少し不快だったそんな感覚。

 響く早苗の声を聞いて、変わり始める。

「なんだろう。むずむずする」

 顔がほてり始めるのを感じた。

「わからないけれど、何か……」

 体中に痺れが騒ぎ出した。くすぐったい。
 それを払うように、阿求は袖を振り上げた。

「おっ」

 管弦楽に夢中になっていた人々が、阿求の変化に気づいて軽くどよめいた。
 豊かで、どこか妖艶な音色と、早苗の奏上する言葉とが、会場はもちろん、演者達を互いに不思議な世界へ誘う。
 ここは幻想郷であるはずなのに、もっと幻想的な世界に呑まれてゆく。

「どうしよう。気持ちがいい」

 阿求は自らの意識が遠い所に感じられてきた。

「止まらない……」

 舞姫が彩られていく。

◇◇◇


      あめつちの かみにぞいのる

      あさなぎの うみのごとくに なみたたぬよを

                  昭和天皇 御製  ――浦安の舞の神楽歌として知られる




 滴る汗。幼き頬は紅に染まり、紫黒の髪は艶やかな煌きを夜闇に映した。
 音色と織り重なるほどに増していく妖艶さ。そして時に、どこか頬の緩みを誘う滑稽さもある。

 奇跡。起これり。と言った所なのだろうか。

 もはや阿求の自我は恍惚の世界へ行ってしまった様だ。目は定まらず、息は荒い。
 神話的な言い方をすれば、まさしく「神がかり」しているのである。


「うーわあ。えらいこったなこりゃ」

 唯一の裏方。霧雨魔理沙の品評である。
 奇跡は進行中。これからもっと大変なことになる予定である。お楽しみに。
 
「すまん阿求……」

 とりあえず謝っておくのであった。




 またも時間は遡り、阿求が説得されている頃の魔理沙のお話。

「つまりなんだ、神話じゃあ太陽は引き篭もりだったのか」
「乱暴に言えばね。粗野な弟のせいで。その後世界は暗黒に包まれ、魑魅魍魎が跋扈した」

 早苗先生の神話講座。第二部である。

「そのとき舞ったのが阿求の祖先?」
「そう、そしてこれから私がやる役は、そのとき言葉を奏上した人」

 神話では、舞いの前に祝詞を奏上する神がいた。せっかくだから割り込んでみる算段である。

「その後、踊りで神様達大騒ぎ。太陽びっくりして部屋から出てくる」

 そのときの扉が有名な「天の岩戸」である。早苗の講義は続く。

「聞けば、『代わりの太陽が現れたお祭でーす!』とのこと。覗き込めばそこにはすごい輝きが」
「うわ、急展開だな」
「ドッキリだったけどね」
「ほえ」
「鏡だったの。輝きは自分の物。あっけに取られてる間に力持ちが太陽の女神を引きずりだす」
「おお……力ずくだな」
「部屋は封印。世界は再び光に満ちて、乱暴な弟は天上界から追放されましたとさ」

 神話はここで一つの章が終わり、ヤマタノオロチ退治へとシフトする。

「何か気づかない?」

 早苗が唐突に魔理沙に尋ねた。

「何かって?」
「太陽が引き篭もりました」
「うん」
「世界が闇に染まりました」
「うん」
「……月は?」
「あれ」

 月は、現れない。
 天照が岩戸隠れするときも、それを引き出すときも、月は現れない。
 月の神は名を月詠命(つくよみのみこと)とおっしゃる。彼も太陽の弟である。

 けれども、姉の天照(あまてらす)や弟の素盞雄(すさのを)が活躍する中、彼は影も形も現れない。
 生まれ坐す所だけ記され、他は潜んでしまう。太陽の隠れた後、そのほの明かりが描かれることも無い。
 忘れられた神様。

「悪気はなくとも、寂しいよね」
「そうかもなぁ……月を主役に、て言っていた思惑が分かってきたかも」

 時間を掛け、ついに魔理沙がピンときた。

「霊夢なりの趣向なんだな?」
「そういう事でしょうね。神話なんて微塵も興味なさそうな顔して」

 実際、知っているだけで興味は無い。

「なんの気かはしらないけど、付き合ってやるわよ。巫女の意地にかけてね」

 早苗は言いながら、曇り空を見上げた。

「誰がなんと言おうと、今日の主役様にはご登場いただくわ」


◇◇◇




      ……最後に、左目を洗うと太陽の女神。右目を洗うと月の神。鼻を洗うと荒ぶる神がお生まれになった。

      父となったいざなぎは命じた。

      「天照。お前は昼の世界を治めよ」 世界は光に満ち溢れた。

      「月詠。お前は夜の世界を治めよ」 暗闇にほの明るい秩序が生まれた。

      「素盞雄。お前は海原を治めよ」 しかし、須佐之男は拒んだ。母神の居る地の底の国へ行きたいと言うのだ。


                      古事記。三貴子の生れ坐す場面 ――月詠唯一の登場シーンより




 宴もたけなわ。
 始めは静まり聞いていた人垣も、呑んでいてもかまわないと知るや否や(そうでもないのだが)、再び杯を次々と空にしていった。

 早苗自身も、盛り上がりが頂点に達しているのを感じていた。
 もう少し。あと少し。 神威で臨界点を突破しよう。
 祝詞も終盤。声にさらに熱がこもる。阿求の鬼気迫る痺れを己が肌にも感じていた。
 呼応するように、三姉妹の演奏が空間を狂気的にゆさぶる。楽譜などとうに終わり、感情のままに奏でているのだ。
 その時。

「うおわっ!何?何だ!」
「傘キャラぁぁ!気をつけろー!強風だよーーーーーーーぉぉぉ」

 来た。
 遥か東より、木枯し程の風が幻想郷を鋭く撫でた。天の八重雲さえ、伊頭いづ千別ちわきに千別く程に。
 早苗は自らの意思が天神地祇の末まで聞き届いた事を悟る。後は天に全てを任すのみであろう。
 早苗は祝詞を畳み、二拍手二拝してひっそりと表舞台から姿を消した。

 さて、その力は、いまや神懸りした阿求の、四魂一霊の隅々を余すことなく揺さぶるのだった。

 阿求の手がゆっくりと、身体を這う様にして袴の帯にかかる。
 見る人の誰が気づく間もなく、ゆるゆると紐解かれ、そして。
 
「おおっと、投げるのはマズイんじゃないか!?」

 魔理沙が駆け出す頃、朱色の袴が宙に投げ出されたのである。
 境内は再び、歓声に支配された。


◇◇◇


「スーパー滑り込み魔理沙キャアアッチ!」

 阿求の袴、盗難の危機を越え避難成功。
 けれど、袴の持ち主のほうは、もはや無事ではなかった。

 未だ狂喜乱舞はやまず。
 舞姫は足先から、下半身の内側を指で撫ぜる。その脚は境内の明かりを受けて、絹の透くが如き美しさを醸した。
 尚も舞は激しさを増してゆき、袴を脱いでは内帯が段々と緩んでいく。
 その汗は、はだけた乳房に沿って零れ。上着を濡れに濡らして襦袢を透かす。離れていても、柔肌の色が浮き出て見えた。
 背景は夜闇。装束が体に張り付いて、幼体の曲線が艶かしいシルエットを投影している。
 やがては内帯も彼女自らの手で、必死に滑り込む魔理沙の下へ振り落とされる。
 もはや恍惚の他、感じられるものは無かった。

 その時舞姫は、境内の人々の狂喜的な喝采の中、神話の姿を俳優するに到ったのである。
 乳房も、未だ真白い御ほとも振り乱して。

 
◇◇◇




    ……ある日、天照は岩戸の外からの大歓声を聞いた。

    僅かな隙間を空けて外を眺めると、驚くべき光景が広がっている。

    舞いの女神様が、服を脱ぎ、乳房を振り乱して、面白可笑しく踊っているのである。

    それを見て、高天原中の神様が笑い声を上げていた。その声が聞こえたのだった。


                         ――古事記より 天岩戸神話の一部分






「はい、お疲れ様ー」

 役目を終えた早苗と魔理沙が飄々と控え室に帰還して、お話の場面は控え室へと戻る。
 境内は未だ歓声と酒飲みの無限ループを繰り返している最中である。
 「ただのストリップ」以上のものを受け取ってもらえればいいが。と早苗は思う。

「お、おう……ご苦労さん。ひどいことになったな。結局」
「霊夢にはご苦労とか言わないようにね」

 「ご苦労様」は目上の人間が使う日本語である。最近は老人でも知らない人が多いが。

「早苗よう。阿求に謝るのはお前と霊夢だけでいいよな?」
「だいじょぶだいじょぶ。どうせ誰も覚えてないから」
「酒で?」
「酒とかで」

 参加している瞬間が最高潮なのであって、記憶などに残るのは「楽しかった」で十分。それが庶民の祭なのだ。


 ……いや、流石にこればかりは多少、極論ではなかろうか?

「当方は責任負いませんよ」
「やっぱりそこか。そしたら、全面的に霊夢のせいって事でいいな」

 魔理沙は無理やり締めた。

「けど、この風……これは完全にお前の責任だろ?」

 さらに無理やり話題を持っていく。
 時は間もなく深夜零時。あらぶる風はいくらか弱まってきていた。
 けれども耳をすませば、歓声の向こうから、豪風が遥か天を唸る音が聞こえてくる。
 たくましい力が、垂れ込める雲をこじ開けようとしているかのようだった。

◇◇◇



     宴静みて     草枕
     仰ぐ雲間に    東風吹けば
     千別き霞みて   月詠の
     燈りさやけく   宿りけり

              ――海部桃人



 夜闇と静寂。

「もーのめまへーんよー」
「る……みやひゃん……おへそ出てる……」
「んぁーほんとらぁ」

 集う人ら皆、大の字に空を仰いで酔いに沈む。
 宴の夜は、まさしく嵐のように過ぎた。

「うわーぁ」

 眠りに落ちていく中、仰向けの少女達の幾人かは、その遥か空の光景に眼を奪われた。

「キレーな月……」


 伶人達が、体力の限界を感じて俯き伏す頃。
 殿内のともし火のみを残し、提灯の消された暗闇の中、古の舞姫は一人、恍惚に果てた。

◇◇◇

 神主さんは祭儀中、全く目立たないところで苦労しているものである。
 境内が神事芸能に爆発炎上する中、霊夢が一人、まんじりともせず正座で待っていた事を知るものはいない。
 宴は過ぎ、何事もなかったかのような静寂の中、ひっそりと祭儀は再行され始めるのだった。

 夜闇の端から、畳を踏みしめる音が近づいてくる。霊夢は扇を懐中した。
 はて、現れたのは、玉串を持った早苗であった。段取りと違う。
 玉串後取(しどり)は魔理沙に頼んでおいたはずだったが、こころもとなさすぎて、黙って早苗が買って出たのだった。
 後取の目が「ちゃんと正式にやれ」と訴えかけているのがよくわかる。霊夢は諦めて記憶の引き出しを探った。

 渡される。受け取る。座を離れ、神様の正面へ。
 大丈夫だ。間違いは無い。
 根元を胸に向け祈念。さらに神前へ向けなおし、供える。
 気づかぬ間に風の音すら止み、闇の中で二人の巫女の装束の衣擦れだけが響いた。

 再拝

 二拍手

 一拝

 そして、祭主一拝


 之を持ちて、観月祭の儀、寿ことほぎ終えまつる。


◇◇◇


 控え室。

「う……」
「あ、起きた。大丈夫?霊夢」
「早苗?」
「覚醒したヒーローみたいなお目覚めね」

 霊夢は体を起こした。
 祭儀を終えてより後を覚えていない。普段やらないことをやって酷く消耗した、というわけである。

「何時?」
「一時」
「まだ夜中か……」
「そ、主役も綺麗に輝いてるわ」
「あ、そうか」
「ちょ、ちょっと。起き上がって大丈夫?死んだみたいに寝てたけど」

 霊夢はよろよろと歩いて障子を開いた。

「おやぁ」

 縁側から見上げる冷えきった夜空。千切れて円を描く雲の中央に坐す、煌々とした明かり一柱。

 あれほど鬱屈と垂れ込めていた雲は、月明かりに照らされて名脇役を演じている。
 集う星々も、今日ばかりは、お月様の温かみを引き立てるのみの役回り。
 描かれたように、ただぽっかりと、そんな光景が広がっていた。

「ぽっかり口あけちゃてまー」
「はう」

 よだれを拭う霊夢。

「ま、趣向は褒めてあげるわよ」
「何で上から目線? 仮にも祭主……てゆうか、なんでいんの? そういえば」
「なりゆきよ。ほとんど私のお蔭なんだから感謝しなさいよね」
「誰も頼んでないんだけど」
「あら冷たい。ねぎらいの一つも欲しいものだわ」
「ありがとうっ!」
「うおっ」

 霊夢の勝ち。なんだかまったりとした時間が流れていた。
 しばらく余韻に浸っていると、廊下をどたどたと小走りする音が聞こえて来る。
 襖を開けてやれば、いつもの顔が横滑りに現れて、それとなく余韻をふんずけた。

「霊夢! 大丈夫かぁ!」
「魔理……」
「おおい、いきなり倒れるし死んだ様に寝てるし心配したぜ!」
「見なさい早苗。これが常人のリアクションなのよ」
「ここは狭かったから、阿求は台所に布団敷いて寝かしたぞ」

 すっかり裏方が板についてしまっているご様子。てきぱきしている。

「再起不能は私だけじゃなかったのね」

 霊夢は頭を掻いた。

「三姉妹はいないの?礼も何もしてないけど」
「白玉楼組と二次会行ったぜ。紫のお気に召した曲でのんびり後夜祭だとさ」

 そこまで言って魔理沙は目をそらした。

「阿求はその……なんかこう、ビクンビクンってカンジに……こう……」
「よし、まぁこれからの事は考えないようにして」
「阿求の台詞だよ。それ」

 魔理沙は突っ込んだ。お前もその程度で済ます気かと言いたい。

「とにかくだ」

 無理やり仕切りなおして、魔理沙はちょこんと正座する。そして。

「おつかれさまでしたー」

 ぺこり。
 巫女二人は向き合ってしばしきょとんとした。けれどやがて、平伏しっぱなしの魔理沙に礼を返す。

「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」

 神の前だけお行儀よく。というわけでは駄目。
 人々が改めて心を一にし、新たな日々を迎える事こそ、祭の大切な目的なのである。

「さて!」

 元気よく起き上がり、脚をくずす魔理沙。

「堅苦しいのも済ました事だし。パーっといこうぜ!お二人さん」
「あらら、一升瓶。てか神社のやつ」
「手品かよ……」

 太陽のような笑みの魔理沙に、巫女二人は合わせてずっこけた。

「あんた呑めるの?早苗」
「今ちょっと笑ったわね。直会だもの。そりゃ呑まなきゃ頑張った意味ないし」
「そうだそうだ。三人揃って再起不能まで呑みましょうじゃん」

 杯を(どこからか)用意しだす魔理沙。裏方というか下っ端スキルが申し分ない。

「どうせなら縁側に並べましょう。もう少し私のお蔭感を味わって欲しいし」
「そうだよな。お月様見ないとなー」

 寒々とした縁側に、朱塗りの杯が4つ並べられた。並々と注がれる酒には、本日の主役が映る。
 ふと、霊夢は尋ねた。

「ところであなた達。まだ呑んでなかったの?先に始めてればよかったのに」
「まぁ、もちろんあの式神一家にも誘われたんだけどね」

 早苗は髪をかき上げた。なんだか落ち着かない。

「霊夢一人寂しい思いさせるわけにはいかないだろー」
「ま、そんなとこ」
「ぶふっ」

 ふんぞり返った満足そうな笑みと、照れたようなほのかな笑み。
 そして、顔を伏せた霊夢の笑顔と、満天に映える月詠様のお顔。

 はてさて、『寂しい』などと心でぼやいていたのは何処の誰であったろうか。

「全くもって。ね。面白い女だよ。魔理沙も……あんたも」
「また言われた。褒めてんのか?」
「面白くて美しくて知的。と言ってくれるかな」

 供えから下ろした酒を頂くは、神の力を頂く事。
 今宵は神様と一緒に頂こうというのだから、贅沢さもひとしおである。


 神話も、祭も、神様も、古来から人々が伝えてきた心であり、わざわざ目に見える形に残してくれたものである。
 小説を読む手を少し休めてブラウザを一つ増やし、検索窓に地元の名前とお祭を打ち込んでみてはいかがだろうか。
 少しでもその幻想の世界に触れ、興味を持っていただければ幸いに存ずる。

 ともあれ、杯は満たされた。この一息が、人々をいつもの日常に帰してくれる。
 少女らは3人、思い思いに、景色いっぱいの月明かりに向かって杯を突き上げた。

「お月様に!」
「ええ、お月様に」
「ん。それと、みんなにもね」
「誰であったろうか」とか言うもんだからタイトルにしてみたよ。

 どうも、龍宮城です。こんにちは。こんばんは。
 処女作から裕に3ヶ月。リベンジしたい反面、サボりにサボっての2作めです。書き始めは確かに秋だったもので……
 前回の反省を踏まえ、テーマはシックに。と思いつつ結局暴れてしまいました。とにかく、楽しんでいただければ幸いです。

~ご案内~
①当作品の祭儀は、本義を参考にかなりアウトローな進行です。其の辺りはご了承下さい。
②かっこいい!だけの理由で中途半端に旧祭式を採用してます。ご了承下さい。
③月だけど永遠亭は絡んできません。ご了承下さい。
④色々おありでしょうが、とにかくご了承下さい。お願いします。お願い。お願い!
⑤つくよみ様。忘れられた神様と銘打ちましたが、宮中三殿とかで普通にお祭されてたり、日本書紀にはもう少し出番があったりします。(悲しい扱いだけど)脚色程度に受け取ってくださいませ。

 また、ご質問、意味ワカンネーよ等ありましたらなんらかの手段でお伝えくださいませ。なんらかの手段でお返事します。多分。
 それでは。

 追記その2.こんなにもご感想いただけるとは恐悦です!そして誤字指摘くださった方々。本当にありがとうございます。皆さん、少しでも神道に触れていただけたようで感激でごぜぃます。
龍宮城
http://twitter.com/#!/ryugujo
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コメント



0.1420簡易評価
5.100修行削除
作品の雰囲気がすごく良い。思わず引き込まれました。
7.100奇声を発する程度の能力削除
>霊夢のご氏名だったから
ご指名?
もう凄いとしか言えません…
11.100名前が無い程度の能力削除
こういった「東方」のバックボーンである、日本古来の神事を
扱った作品はあまりないので、楽しく読ませて頂きました。

とりあえず、阿求お疲れマジお疲れ
16.100名前が無い程度の能力削除
いいね、こういうの。
ファンになったよ。
19.100名前が無い程度の能力削除
まず雰囲気も良かったしカッコイイ
いいなあこれ
20.100名前が無い程度の能力削除
初詣は神宮とか天神さまとかミーハーなとこもいいけど、
まずは地元の鎮守さまだよね
21.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。日本に生まれてよかった。
22.90名前が無い程度の能力削除
霊夢の口調が好き。早苗や魔理沙の話し方も、良いなあ。
文章も読みやすい言葉で描かれていて、ありがたい。こういう話だとどうも固い文章にしたがる人が多いけど、それが無い。
ガチ教師の方ですか?と思った……なるほど、神主の卵の方。
23.100名前が無い程度の能力削除
文章も読みやすいですし、キャラクターがまた魅力的でした。
そしてなにより雰囲気がとても良くて、読んでいて思わず唸ってしまいました。
24.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。
28.100名前が無い程度の能力削除
ちょっと賽銭いれてくる
30.100名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい。ここまでの原作リスペクトはなかなかお目にかかれませんよ。
35.100名前が無い程度の能力削除
今更だけど霊夢って博麗「神社」の「巫女」なんですよね。
そのことに意味がある、いいお話でした。素晴らしい。
36.100名前が無い程度の能力削除
神社って素敵な場所なんですねー。
40.100名前が無い程度の能力削除
大変面白かったです。天の岩戸のお話に月をかけたセンスに脱帽です。

また神社神道や古事記でお話ができたらぜひ読みたいです!
……メジャーに天孫降臨とかどうでしょう?文×阿求とか……
41.90名前が無い程度の能力削除
これは面白い
いい雰囲気の話でした
45.100名前が無い程度の能力削除
キャラクターが「原作」っぽいw
一々綺麗でテンポ良く、面白かったです!
48.20名前が無い程度の能力削除
魔理沙の喋り方に違和感、早苗の喋り方に違和感。誰おま状態で全く楽しめなかった。物語自体は凄く良かったのに残念です