八雲紫が朝起きると、なんと、藍の体が縮んでしまっていた!
「なんで!?」
「おばちゃん、だれー?」
精神も縮んでしまっていた!
「おばちゃんと申したか」
「ぐええええ」
ついでに寿命も縮んでしまった!
「おはようございまうわあああああああ!」
朝一番にやってきた橙が目にしたのは、小さな九尾に首締めをかける妖怪の大賢者の姿でした。
なんという悲劇でしょう。藍が紫色に染まりかけていました。紫によって。
……ややこしい。
「紫様! 極まってます! 極まってます! 落ちそうです!」
「……は!」
なんとか橙の制止で紫は我に返り、藍を離した。
藍は布団の上に落ちて、けほけほと涙目でむせる。
「え、えーと、紫様、これはどういうことなんですか?」
「さ、さぁ……どういうことなんでしょうねえ」
目の前でかわいらしくむせているのは、確かに九尾の妖狐に相違ない。
だが、その姿かたちは、どう見ても橙よりも小さい年齢のものだったのだ。
さて、降って湧いたようなこの事件にも発端というか前触れというべきものが一応ある。
紫が珍しく朝起きたり、橙が朝一番にやってきた理由もそこにある。
昨日、八雲藍が風邪をひいて倒れた。
橙の世話をし、紫にいじられ、八雲家を切り盛りする日々。タイヤキ君でなくともいやになっちゃうというものだ。
彼女はタイヤキ君とは比べようもなく強力な妖怪である九尾の妖狐であったが、やはりその毎日の積み重ねは、彼女の体力を少しずつ削っていたらしい。
これに焦ったのが彼女の主人、八雲紫である。
八雲家の家事を藍に一手に引き受けさせていたもので、彼女がいなくなるとそれだけで健康で文化的な最低限度の生活が危ういことになってしまう。
「藍様……」
畳敷きの部屋に敷かれた布団で、藍がうんうんとうなっている。
その寝顔を、紫と橙が心配そうに覗き込んでいた。
「ちょっと無理をさせすぎちゃったかしらねえ……」
紫はいつも寝てばかりいるが、さすがに今日は頑張った。
藍の看病をし、永遠亭に薬をもらいに行き、ご飯も作った。
ご飯といっても急遽作ったカレーだったが、それを出された橙はなんだか戸惑っているようだった。
実はそのとき橙はカレーと加齢をかけたギャグなのかどうか迷っていたのだが、そのことは誰も知らない。誰も知らない。
「橙、あなたはもう休みなさい」
「いやです。私も寝ずに看病します!」
「永遠亭でもらった薬も飲ませたし、もう大丈夫よ。あなたに出来る仕事は、明日の朝一番に元気な笑顔を見せてあげることよ。そのためにも、もう寝なさい」
紫の言葉に橙は暫し逡巡を見せるも、こくりと頷いた。
「わかりました。おやすみなさい」
「おやすみ」
挨拶をして退出していった橙を見送って、紫は再び藍の寝顔に目を落とす。
「……ゆっくり休んでね。藍」
そうして彼女はまだ少し苦しげに息をする藍を見守っていた。
――そうして朝起きた結果があれだよ!
「ええと……藍が、子供になってる……?」
額に指を当てて、紫は状況を整理した。だが、整理も何も、おかしいのはただ一点だけなのである。
「どどど、どうしたんでしょうか……何か悪いものでも食べたんでしょうか!?」
「昨日は寝てたんだから私のおかゆくらいしか食べてないわよ!?」
「ああ! きっとそれですよ!」
「仕舞いにゃ泣きますわよ!?」
一切の逡巡もなく自分のおかゆを変なもの認定した式の式に、紫は末恐ろしいものを感じた。ある意味将来が楽しみなのかもしれない。
「で、でもそれ以外に昨日藍さまが口にしたものって……」
「ええと……あ……?」
あった。言ってしまえばそれ以上に怪しいものはない。
「永遠亭の薬ッ……!」
薬の何がしかの副作用だと考えた方が、合理的ではある。
「また何かしらの実験薬をつかまされたってことなのかしらねえ……?」
「人聞きの悪い事言わないでください」
全世界が、停止したかと思われた。
「こ、この声は……」
「もしかしなくても永琳さん!?」
だが、声のしたほうを振り向けど、そこには床の間に飾られた鎧武者の置物しかなかった。
が、その鎧武者はすっくと立ち上がると、がしゃがしゃがしゃとやかましい足音を立てて小走りに紫の方へと近づいてくる。
そして、普通にビビる紫の目前にやってくると、面あてをそっとはずした。
「どうも、八意永琳です」
「何よその登場の仕方は!」
出てきた顔は永遠亭の医者、八意永琳そのものだった。
「な、なんでそんなところにいるんですか?」
「それは私が天才だからよ」
橙の疑問に、永琳はまったく答えになっていない答えを発して微笑んだ。
「ええい、そんなことはどうでもいいわ! あの薬はなんだったの? 答えて頂戴!」
間隙をこじ開けて突きつけられた紫の詰問に、永琳は鎧兜のままやわらかく苦笑する。
「まぁ、確かにあれは実験味の強い薬でしたわ。でもそうするほかになかったのよ」
「どういうこと?」
「だって……九尾の狐の臨床例なんてあるわけないじゃない」
「……」
もっともな話であった。
「九尾の狐をこんな弱らせ方したのはきっとあなたが初めてですよ、八雲紫。喜びなさい、医学史に名が残るわ」
「やめて」
紫は力なく返答した。
「あらそう。残念ねえ。まぁ、それどころではないようですけれど?」
永琳がちょいと紫の背後を指差す。紫が振り向くと、そこには状況がよめず、しかし子供なりに剣呑な雰囲気であることは察して――つまり、今にも泣きそうな藍がいたのである。
「ふ、ふえぇえええん」
「あわわわわ、藍様ー、落ち着いてくださいー!」
橙がなんとかなだめようとするものの、難しいようだ。
「今のあなたは親としても振舞わなければならない。迂闊でしたね、八雲紫」
「いや、これはいきなりそんな出現の仕方したあなたに驚いたんだと思うけど」
もっともな意見を返され、永琳は素敵な笑顔を浮かべてごまかした。
武者姿で。
「ほら、藍。いい加減泣き止みなさいな」
紫は泣く藍をそっとその腕の中に抱いた。びっくりしたというのもあるのだろうが、はたと藍は泣くのをやめる。
「……あなたはだれなの?」
ぱちくりと目を瞬かせて藍は問うた。今気づいた、この不思議な安心感の正体を探るように。
そして彼女は柔和に微笑んで答えた。
「私の名は八雲紫。あなたの主人よ、八雲藍」
「しゅ……じん……?」
その意味を今の藍は解することができないだろう。
だが、今は自己紹介をするだけでいい。自分と言う存在を知らしめることが。
そう、もう二度とおばちゃんと呼ばれぬように。
「すぅ……」
「……寝たようね」
全員にとって等しくそうだったが、藍も色々と混乱していただろう。一気に泣き疲れてしまったようだった。
「すごい紫様!」
「意外にやるものねえ」
「あなたたち私のことなめくさってたでしょう」
ギロリと二人のことをねめつけると、紫はふぅと一息ついた。
「で、どういうことかの予測くらいはつくんでしょうね?」
「そんなに睨まないで下さいよ。あの薬の経過が心配だったからこそこうして張り込んでたわけだしね」
「あぁ、何の意味もなくそこにいたわけじゃないんだ……っていうか張り込むなら張りこむで許可を取ってほしいですわ」
「無用な心配をかけまいと思ってのこと。何事もなく終わるのが一番じゃないですか」
「え、えええぇー」
がっちゃがっちゃと武者姿で登場して場を引っ掻き回した上でそんなこと言っちゃう? と紫は思ったが、なんだか突っ込むのもバカらしくなったのでやめた。
「まぁ、そうですね。今のところだと全然情報もないので、単純な推論になりますけれど」
こほん、と一呼吸置いて、永琳は架空のホワイトボードを軍配で指し示しながら話し始めた。
「普通の狐用のものを元に作ったこの治療薬……この薬に体があわせてしまって、自身の妖怪としての規模を縮小してしまった、という推論が現時点では一番有力なんじゃないのかと思いますが。……まぁいずれにせよ一日経てば戻ってると思うわ」
「そんなものなの?」
なんだか投げやりな結論に、紫はやや不安を覚える。
「まぁ、風邪そのものは治ってるみたいだしね。あとは体そのものが本調子を取り戻すだけ。他にも仮説はありますけれど、どれも一日乗り切れば解決するものばかりよ。彼女の式である橙が健在であることを考えると、基本的な力自体は失っていないみたいですし」
「そう……」
もうちょっと大事になりそうな予感がしていたため、紫は胸をなでおろす。何日も続くようなら自分が持つかどうかわからないし。
最悪新しい式を探してくることも覚悟していたほどだ。
(新しい式、ねえ)
長い間藍と橙といるのに慣れてしまったのだろうか。
少し考えてみても妙にぴんと来ないのだった。
「紫さん」
「ん?」
呼びかけに振り向くと、そこには真剣な表情をした永琳の武者姿があった。
「ごはんはまだですか」
「……」
そういえばまだ朝食も摂っていなかった。
正論だ。正論なのだが……
(食っていく気なの? こいつ……)
どうやら寝付いた藍を再び起こさなければならないようだった。
永琳にやらせようとしたが薬を混ぜていいのならと言われたし、橙にやらせても猫まんまにしかならない気がしたので、仕方なく紫は簡単な朝食を用意した。
「チーズフォンデュにビーフストロガノフよ」
「洋風!」
「簡単!?」
「ってか朝食!?」
「何で昨日はカレーだったんだろう……」
反響は大きかった。
「いただきます」
なぜか率先して永琳がいただきますの音頭をとる。武者姿で。
紫はさすがに一言物申した。
「とりあえず具足を脱げ」
「やだ……こんな朝っぱらから脱げだなんて……」
「スキマに叩き落しますわよ」
「でも私この下に何も着てないんですよ」
「お前は何を言っているんだ」
結局永琳は脱がなかった。
「わー、これおいしいねー」
「紫様というものがよくわからなくなりました」
アダルティなんだかどうなんだかよくわからない会話の横では、お子様たちが平和に食事を楽しんでいた。
「これなんて料理なのー?」
「最初に言ったよ!?」
「舌平目のムニエルとサムゲタンですわ」
「変わってる!?」
「むにゃー」
波乱の朝食を終えた後に、藍がおなかいっぱいとばかりに寝そべる。
「藍様ー、食べてすぐ寝転ぶと紫様みたいになっちゃうよー」
「どういう意味?」
顔を引きつらせる紫に、橙はさっきの発言があたかもなかったことのように微笑む。
「そうだ紫様、藍様と庭で遊んでていいですか?」
「え? う、うん、相手してくれるならうれしいけれども」
戸惑いながらも紫が許可を出すと、橙はうれしそうに微笑んだ。
「やったぁ!」
「うーん……なぁに?」
はしゃぐ橙の声に、藍がゆっくりと身を起こす。
「藍様! 一緒に遊びましょう!」
「え?」
いきなりの申し出で少し小首をかしげる藍だったが、事態を飲み込むと破顔した。
「うん、あそぶー!」
紫が抱擁を解くと、藍は差し出された橙の手を両手でぎゅっと握った。
「紫様、私たち庭で遊んでますから、何か遊び道具ください。二人で遊べるような」
「遊び道具? そうねぇ……」
橙にねだられて、紫は倉庫用のスキマを開いて中をごそごそと探り始める。
「あったわ。はい、遊戯王カード」
「庭で!?」
確かに二人で遊べるが、その選択が誤りであるということは言うまでもない。
「もっとこう、動的なものはないんですか!?」
「ど、動的な……」
橙に詰め寄られ、紫は再びスキマを探り始める。
「あったわ。はい、ルームランナー」
「だから庭で!?」
確かに動的ではあるが、庭で使うに適したものではない。
そもそも遊び道具ではない。
「遊べるものをくださいよ!」
「ルームランナーも結構遊べると思うんだけどねぇ。まぁいいわ。動的な遊び道具ね」
紫は三度スキマの中に手を突っ込んだ。
「あったわ。はい、フラフープ」
「し、渋い選択ですね……」
意外なチョイスだったが、条件は満たしているので文句は言えない。
橙はおとなしくフラフープを受け取ると、藍の手を引いた。
「それじゃあ藍様、庭で何かお話でもしましょうか」
「あれ!? フラフープガン無視!?」
紫ショック。
「やだなぁちゃんと使いますけど、それまでに色々と私たちのこととか説明しなきゃいけないじゃないですか。結局なぁなぁですし」
「ま、まぁ、それもそうね。じゃあお願いするわ」
紫が胸をなでおろすと、橙は藍に笑顔を向けた。
「はい、じゃあ藍様、私が色々なことを教えてあげますね」
「ありがとー!」
「じゃあまずねー、ナマケモノは水に入ると機敏に動くらしいよ!」
「へぇ~」
「いきなり関係ないこと教えてどうすんの!?」
橙たちを見送り、紫はひと時の安息にほっと息を吐いた。
「私のこと忘れてません?」
「忘れていたかったですわ」
脇から覗き込んできた武者姿の女性に、紫は別の息を吐き出す。
「あなたは自分の家に帰らなくていいの?」
「まあ、うちには人手も多いですし。真の苦労人はウドンゲでしょうしねえ。……私がいないくらいでは永遠亭は困らないのですよ。残念ながら」
それは八雲家のライフラインたる藍への揶揄か同情か、はたまた羨望か。
「いっそのこと私も幼女になってみようかしら」
「……」
それはそれで面白いのかもしれない。
想像ができないと言うその一点においてだが。
そのころ、橙と藍は縁側に腰をかけていた。
「藍様、まずは自己紹介をしますね。紫様が呼んでたからわかってるかもしれませんけど……私は橙です。宜しくお願いしますね」
その自己紹介を受けて、八雲藍は一つの勘違いをした。
それは、橙が紫や自分に向けて、ずっと様付けで呼んでいたからこそ思った勘違い。
「ええと……橙様?」
「!!!」
その言葉に、橙の耳がぴんと立った。
名前の後には様をつける! それが彼女の勘違い。
(こ、これは……新しい!)
橙が何かに目覚めた。
「も、もう少し……もうちょっと呼んでください」
「? ちぇんさま、ちぇんさま」
「うわあああああああ」
ちぇん は まいあがっている!
「藍様……ちょっとお姉ちゃんといいことしましょうか……」
「橙さん、キャラ変わってますよ」
「はわあああああああ!」
いつの間にか背後に永琳がかがんでいた。
「はっ、私は一体何を!」
「まあいいんですけどねえ」
妙な空気の中、藍が首を傾げるばかりだった。
そして結局フラフープは忘れ去られていた。
「昼食よー」
紫の声に、橙と藍と永琳がどたどたと茶の間に戻ってくる。そして先を争うように座布団に座った。
「永琳……あなた……年は離れてるけど同レベルの姉みたいよ……」
「ほら、天才と馬鹿は紙一重って言うじゃないですか」
「自分では言わないと思う。あと武者姿で走るのやめて。床が抜けるわ」
「ふふふ、この鎧は実は新素材で出来ているのよ」
「そ、そうなの!?」
「なんと重さはそのままで二倍の防御力を実現した――」
「重さを変えてよ!」
紫と永琳のコントが続いてものが食べれなくなることを危惧した藍が、紫の足元をくいくいと引っ張る。
「ねー、早く食べよ?」
「うっ……」
その姿と仕草に、紫はなぜかめまいを感じた。
「そ、そうね。早く食べましょう。昼食は炊き込みご飯と味噌汁と納豆と茶碗蒸しよ」
「普通こっちが朝食じゃない!?」
橙の驚きの声を挨拶代わりに、永琳がパンッ! と勢い良く手を合わせて食べ始めた。
「あー、ずるいー!」
藍もとてとてと自分の席に戻って対抗して食べ始める。
橙は二人の勢いに飲まれている感じだった。
(橙が勢い負けしてるなんてねえ)
紫はこの奇妙な食事風景を、どこか楽しく見物できるようになってきていた。
「藍様、茶碗蒸しはまだ熱いですよ」
「えー? ……あひゃっ、ほんとだあ。ありがとう橙様」
「ブーッ!」
橙様に思いっきり味噌汁吹いた紫であった。なんとか顔をそらして大惨事は免れたが……まだ達観の域には達してなかったらしい。
「やっぱりご飯食べた後はねむいー」
「寝すぎじゃない?」
ふらふらと茶の間を彷徨する藍に、紫は心配そうな視線を向ける。
食後の茶を飲んでぷはあと息を吐き出した後、永琳が答えた。
「まぁ、体力を回復しようとしてるのかもね?」
「んー、じゃあ寝かしておいた方がいいのかしらねえ」
なんて考えているうちに、いつの間にか藍は紫の目の前まで来ていた。
「えへー、ここ気持ち良さそうー」
「え?」
そうして藍が倒れこんだ先は、紫のひざの上だった。
「あららら」
「やわらかいい気持ち~♪ ZZzzz」
「早っ!」
のびたくん並みの早寝に紫は若干驚きつつも、紫はそっと藍の頭を撫ぜる。
「まったくもう、こんなになっちゃうなんてねえ」
苦笑しながら、どこかずきずきと痛みと似て非なる何かを心のうちに感じる紫だった。
藍の様子を、橙がうらやましそうに見ている。
「うー、気持ち良さそうですね。藍様はちっちゃくなっちゃってるから私が好きな尻尾でフカフカはできませんねえ」
「いいじゃない、橙様」
「う……それ言わないでください……」
いじける橙様の後ろでは、永琳が茶の四杯目を注いでいた。
「自宅でのんびりと飲むお茶は格別ねー」
「超溶け込んでるところ悪いけど、ここあなたの家じゃないからね?」
「はっ、危うく忘れるところだったわ紫お母さん」
「お母さん言うな」
結局藍は短時間で起き出してしまったので、橙が今度こそフラフープを活用すべく庭に連れて行ってしまった。
一抹の寂しさを茶の間が覆う。
「あれ、私と一緒じゃダメですか?」
「色々とね」
相変わらず茶の間には武者が居座っている。なぜ頑なに格好を変えないのかよくわからなくなりすぎてどうでもよくなってきた。
「そういえば永琳。藍がああなったことについて、他にもいくつかの原因を示唆していたけれど」
「あれ、言わないといけないかしら」
「無理にと言うほどではないけど、気にはなりますわ」
永琳は顎に手を当てた。だが、顎には兜を固定するための緒があり、その下から当てる形になっている。
「うん、まあ、いいでしょう」
と一人納得して、永琳は話し始めた。
「実を言うと私は藍さんが子供の姿になったことについて、そこまで問題視はしていないのです。狐は化けて姿を変えるのがアイデンティティみたいなものだしね」
「ふうん……? って、藍がわざとやってるってこと!?」
「いや、薬がトリガーになった可能性が大きいし、たとえ薬が関係なくとも、無意識下の願望でしょう。……前日に風邪を引いてあなたに看病されていたことを鑑みれば」
「……?」
いまいちピンと来ない様子である紫に対して、永琳はにやっと微笑んだ。
「もうちょっと甘えていたかったんじゃないですかねえ。ねえご主人様?」
「……!」
その時、紫を何かが突き抜けたような感覚がした。
だが、何だろう。
そのことを強烈に感じたはずであるのに、それを言い表す言葉が見つからない。
いや、知らないはずじゃない。
だが、何か見当違いの場所を探してしまっているかのように、それが見つからない。
しかもこれは、さっきからちくちくと感じていたものではないか?
「……夕食の仕込みでもしてきますわ」
「あ、参考までに私のリクエストは中華です」
「うるさい」
紫はそうして台所に立った。
こう二食作って、橙が心底驚いた様子だったのが彼女としては心外である。出来ないわけではなく、差し迫らないとやらないだけなのだ。
そう、ナマケモノが水に入らないと機敏に動かないように。
「……」
しかし、紫は台所に立ったものの、特に何もするでもなかった。
それはそう。半ば一人になるための口実のようなものだったのだから。
彼女の中には、先ほどの感覚の不思議が渦を巻いていた。
「甘えていたかった、ねえ。あの藍がねえ……。っ!」
そう口に出した時に、見当違いの正体がわかった。
自分の中の無意識な藍のイメージが、正解の方角に向かせなかったのだ。
「そうよ……『可愛い』んだわ……」
紫は震えた。
「『藍にも可愛いところがあるのね』って、ただそれだけの言葉だったのに!」
なぜその言葉が自然に出てこなかったのかと。
紫は調理台に手をついてうなだれた。
「今のあなたは親としても振舞わなければならない。迂闊でしたね、八雲紫」
永琳の言葉がなぜだか今改めて聞いたように重くのしかかる。
「だって本当に今改めて言ったんですし」
「うわああああ、出て行け!」
いつの間にか侵入していた永琳は、そうして台所からはたき出された。
別に式神に対して親のように振舞わなければならないということは決してない。
だが、紫は考える。だとしたら、自分はいったいどのように振舞っていたのだろうか?
「そして……私は藍にとって、どういう存在だったのかしら……?」
「うーん、要介護老人?」
「……」
振り向けばそこに永琳。
「……ボッシュート」
「あー」
永琳はスキマに呑まれた。
「私は藍を、かわいがってあげていたのかしら……」
紫は今一度、自問した。
全力で後ろのスキマを見ない振りしながら。
一方そのころ八雲家の庭では。
「普通はこうして回すものなんですけどー」
ぐりんぐりんと橙は腰をひねってフラフープをまわしていく。
「うわー、お姉ちゃんすごーい!」
紫によって橙への呼び方は『お姉ちゃん』に矯正されていた。まだこれの方が健全だと。
(でもこれはこれでいいかも……)
ちぇん は 妹属性 を 手に入れた!
それはさておき。
「でもフラフープ結構大きいですから、今の藍様にはつらいかもしれませんねー」
そうしてまわしていたフラフープをがっしと掴んで。
「そりゃー!」
地面に転がした。
「すごいすごい! 回って走ってるよー!」
――式神『八雲藍』
「ああっ……回転して追いかけちゃダメぇっ! それにそれ藍様のスペルじゃない!」
……どこか知らないところまで行ってしまうのがセオリーかと思われたが、所詮はフラフープの行動範囲。
八雲藍が移動した先は八雲家玄関にすぎなかった。
「止まっちゃった……」
「あややや、なんとなく取材に立ち寄ってみれば、なんだかかわいらしい狐様がおられますね」
かがんでフラフープをちょんちょんとつつく藍の前に、幻想ブン屋射命丸文がふわりと降り立った。
「すきま妖怪の式にどことなく似てるけど……隠し子? にしても相手は誰なのやら。お嬢ちゃん、この家の妖怪?」
「そうだよ?」
「んー、藍さんはいる?」
「わたしが藍だよ」
「なん……だと……」
射命丸文は頭をフル回転させて考える。待てあわてるな。何かしらの事件かもしれないじゃないか。ここはすきま妖怪に事情を聞くのが一番だ。
「ええと、じゃあ、紫さんはいる?」
この受け答えで、藍はどうでもいいところにこだわってしまった。
紫が自分のことを何と言っていたのかふと思い出してしまったのである。
「主人なら中にいるよ」
「なん……だと……」
文脈で意味が違って見えるのが言葉の難しいところである。
「くっ……ショタ趣味くらいは覚悟していましたが……これは想定外です……!」
「おーい、藍様ー、どこですかー?」
「あ、おねーちゃーんこっちこっちー」
「うわああああ! もうわけがわかんない!」
橙の声をきっかけに、文は藍を押しのけて紫に説明を求めようと玄関に手をかけた。
しかし、その頭上にスキマがあいて、永琳が降ってきました。
「あー」
今日の天気は晴れのちスキマ。所により永琳が降るでしょう。
武者姿で。
「あやああああああ!?」
さすがの射命丸文でも、この奇襲と重量に耐え切れず目を回してしまった。
「やれやれ、今紫の邪魔をしてはいけないわよ。きっとね」
永琳はそう言うと、文を小脇に抱えた。
そして、藍ややってきた橙のほうに向き直る。
「あ、重いのは鎧であって私ではないからあしからずよろしくね。じゃあ私はこの子を届けに行きがてらもう帰るわ。もう大丈夫なようだし。……残念だけどお母さんに夕飯要らないって伝えておいて」
「あ、そうなんですか。お疲れ様です」
「またね永琳様!」
まだ微妙に勘違いしている藍だった。
そんな彼女に苦笑して、永琳はそれを訂正する。
「何でも人妖名に様をつけるのは誤りよ。『お姉ちゃん』ならいいけど」
「永琳おねえちゃん?」
「うむ、よし」
そうして永琳は飛び去っていった。最後まで武者姿で。
橙はその後姿を見送りながら呟いた。
「結局あの人なんだったんでしょうね」
藍は答えた。
「さあ……」
「え? 夕飯いらない? 何よ、せっかくあてつけに宇宙食作ったのに」
「宇宙食!?」
「はい、スキマの限界に挑戦して完成したフリーズドライたこ焼きよ」
「かてえ!」
悪戦苦闘する藍と橙に、紫は笑って台所にたち、そしておぼんを持って戻ってきた。
その上にはほかほかと湯気の立つ何かが。
「ま、本当はきつねうどん作ってたんだけどね。油揚げ特盛の。そういえば好物の油揚げを出すのを忘れてたな、と思って」
「あ、そういえばそうですね」
子供が喜ぶのは大体シンプルなものだ。
結局はそれが真実なのかもしれない。
シンプルなものは根幹である。そして子供もいつだって根幹なのだ。
「わーい! これおいしい!」
藍はその時、一番素直に感想を返した。
久しぶりだから調子に乗って変な料理をいっぱい作ったが、その時自身は最も有効なこの一打を忘れていた。
もっとも肝心なこの一打を忘れていたのだ。
(『可愛い』という言葉を、忘れていたようにね)
紫は自身もうどんを口に運びながら、藍の様子を眺めていた。
一心不乱に油揚げをほおばる彼女の姿は文句の付けようもなく可愛かった。
そしてあの藍もこんな一面をどこかに持っていたんだということを、今更のように実感するのだった。
「そろそろ寝る時間ね。布団を敷くわよ」
「えー」
紫の言葉に、藍は不満をあらわにした。
「こら、文句言わないの」
もうちょっと起きていたのだろうと思った紫が彼女をたしなめると、藍はにわかに紫のひざの上に滑り込んできた。
「寝るならここがいい」
そういうことか、と紫は合点し、微笑む。
「あー、いいなー紫様」
橙が指をくわえてうらやましがると、紫は得意げに微笑んだ。
「格の違いというものね。悪いけど、橙は自分で布団敷いて寝てくれる?」
「えー、ずるいですよ」
橙がごねると、紫はぱちりとウインクした。
「ね、私にも二人っきりになれる時間を頂戴?」
橙はぴく、と動きを止めると、ふう、と息を吐いて立ち上がった。
「むー、わかりましたよぅ。じゃあごゆっくりぃ」
「へんな言い方しないの」
まぁきっと、変な意味などなかったのだろうけど。
橙はそのまま茶の間から出て行った。
そうして、ついに二人っきりになる。だけれど、藍はもうまどろみ始めていた。
「ふああ、なんだかもう眠くなってきちゃった」
「そう……それじゃあゆっくりおやすみなさい」
そう言って、紫は藍の髪をさらさらと撫ぜる。
「でも眠る前に一つだけ聞かせて。……藍、今日はどうだった?」
「んー?」
藍はころんと寝返りを打って、紫に膝枕されるような体勢になる。その顔はまっすぐ紫を見上げて。
「うん、とっても楽しかったよー……」
そうして彼女はそっと目を閉じる。
「そう、よかった」
朝、八雲藍が目を覚ますと、八雲紫に膝枕されていた。
「え、え、えええ?」
「あら、藍。目が覚めたの?」
上から覗き込む紫の柔和な顔に、藍は息を呑んだ。
「は、はい。覚めました。ものすごく」
「そう。よかっ……た……」
ゆっくりと彼女の顔が近づいてくる。
「え、え、ええ?」
ぱたんと、そのまま首元に紫は伏せた。
「くう……すう……」
少し痩せた様子の彼女に、藍は驚いた。
「……何か、ものすごく無理してたんですね。紫様……」
そして、思い出す。自分が病気で倒れたことを。
紫を布団に寝かせて、八雲藍は伸びをした。
「うん、今日も一日頑張ろう」
そして、ちらりと紫の方を振り返った。
「なんだかいい夢も、見たことだしね」
妖狐が幼狐になった日 ―fin―
<オマケ>
「橙、藍のこと姉ちゃんって呼んでみなさいな」
「紫様っ! からかわないでくださいっ!」
「何かあったのか? 橙?」
「いいじゃない一回くらい。ねぇ橙様」
「わーわー! わかりましたよーっ!」
すぅはぁ。
「えーと、ら、藍姉ちゃん?」
「ぐはあ!」
「……なんかそれだとバーローみたいね」
「ちぇえええええええん!」
「らああああああああん!」
「うるさいわよ」
八雲一家はほのぼの、ちょっとドタバタしてて微笑ましかったです。
やっぱ八雲家って大好きです。
面白かったです。
随所に散りばめられたギャグはどれも切れ味抜群、テンポも良くて最初から最後まで笑いながら読めました。
しかしこの永琳、ノリノリである。
テンポ良し、ちりばめられたギャグにも笑わせてもらえて、とても良いSSでした。
次の作品にも期待させてもらいますね。
欄の様子を、橙がうらやましそうに見ている→藍の様子を、
なぜその言葉が思然に出てこなかったのかと→自然に出て~
ではないでしょうか?
ここは夕食では?
よくあるネタだけど良いね。
八雲一家のドタバタも和みました
ストレートに笑えて実に良かったです。
すごくいい
橙が藍を呼び捨てに!
それにしてもこの永琳は武者永琳と言うより無茶永琳ですねwww
とても面白かったです
この幻想郷では常識に捕らわれてはいけないんですね!
永琳ずっと武者姿てwwww
えーりん壊れすぎwww
このえーりん最高だwwww
藍姉ちゃんはいいなww
もう武者えーりんでスピンオフしちゃえYO!
あ、あの宇宙人が全部持って行きやがった・・・・!
ひとつだけ気になった点を挙げると
ちぇんについたのは姉属性ではないでしょうか?w
えーりんの鎧は大鎧なのか当世具足なのか、妙に気になるwww
>74さんと>75さんの質問に、ちょっと答えさせていただこうと思います。
>>74さん
姉属性
姉的なキャラクターに萌える趣向や、性癖を持った人達のこと。あるいは、姉萌えを喚起させる女性の特徴や、そのような女性のこと。
(出典:はてなキーワード)
……どちらも橙には当てはまらないというか、むしろ逆だと思うので、橙についたのは妹属性で間違いないと私は思っています。
反論の形ですみません。
>>75さん
えーりんの弓のイメージとかを鑑みると大鎧っぽいですが、実は当世具足です。
割と同時期に出現した軍配を持ってたりしますし、劇中で『具足を脱げ』って言われてたりしてます。
和ませてもらいました。
こういう壊れ方の永琳って意外と珍しい気がw
とても面白かったです。
面白過ぎるwww
面白過ぎるwww
橙様www