ひとたび天狗の背中に乗れば、幻想郷何処もかしこもひとっ飛び。
霊夢と文は暗い道と寒い湖をすっ飛ばして、紅魔館の入口に着地した。
居眠りをしていた門番が、音速を越えたことによる衝撃波に吹き飛ばされて鉄格子の間に挟まった。
「ふげえ」
霊夢は袴の裾をパンパンと払って、美鈴を称えた。
「いい出オチね」
「あやや、着地に失敗してしまいました」と文が恥ずかしそうに手をもじもじさせた。
「二人だとブレーキが利かないなんて、まるで恋路みたいですね」
「あの胸向こうから見たいわ。胸が挟まっててエロいわ、きっと」
「……あなたたちは本当にノリだけで生きてますね」
美鈴は持ち前の腕力で鉄格子を曲げて、エロい状態から脱出した。
「あいにく向こう側には行かせない。それが私がここにいる理由」
大きく脚を前後に開き、腕を弓を引くようにしならせる。
五体を何かに「見立てる」形意拳、中国拳法の極意は素手ながらにして武器、武器ながらにして素手。自分でありながら自分を越えるところにある。
「さあ来なさい。この門番元より武道家、勝負を受ける準備はいつだって整っています。今日こそ中ボスとしての運命を越え、主役になってみせましょう!」
「あっついですねぇ」と文が目を輝かせ、カメラを構えて飛び下がる。
「頑張ってくださいね」
「いつだって整ってるって、あなたさっきまで寝てたじゃないの」
霊夢は懐からスペルカードを取り出し、扇型に広げる。
「勝負の前に一つ約束してもらおうかしら。負けた方は、今までに体験した一番恥ずかしい思い出を語ること。――これは、互いにやる気を出すためのブースターみたいなものよ。どう、受ける?」
「え、それは……」と美鈴はもじもじし始める。
「恥ずかしいのはちょっと……」
「あら、受けないの? なら私の前に立つ資格はないわね。そこをお退きなさい、くれないみすず」
と霊夢が冷笑すると、美鈴はもじもじをやめてキリッと霊夢を見据えた。
「……くう、仕方ない。そんなジャポニカされたあだ名で呼ばれては引き下がれません。いいでしょう。その済ました顔を羞恥で紅く染めてみせましょう」
美鈴は、今度は両手をだらりと下げて、自然体になった。
「トレース……オン!」
その両手にスペルカードが錬成される。
「綺麗な虹が楽しみだわ」
霊夢はニヤニヤしながらチラリと文を見つめた。
文はその底意地の悪い表情にゾクリとした。
悪意を混ぜれば混ぜるほど、霊夢という巫女は強くなるのだ。
――数分後。
「――ぎにゃああああああ」
死闘の果てに、全身に細い針を突き刺された美鈴が、絶叫しながら門前に倒れふした。
「針巫女ノーボム……嫌なものですねぇ」
無言でひたすら針を刺してくる、ガチ霊夢の必殺プレイスタイル。何かとんでもない神が乗り移ったとしか思えない回避の精度は、まさに巫女の巫女たる面目躍如というところだった。
「大勝利」
霊夢がスペルカードを懐にしまうと、針はパシュウと細い煙になってかき消えた。
「いい勝負だったわ」
霊夢はふわふわと美鈴に近寄るとさわやかなスポーツ漫画のヒロインのように右手を差し出した。
「霊夢さん……」美鈴はうるうるとした目でその手を握り、立ち上がる。
「文、ちゃんと撮ってる?」
「ばっちりですよ」と文はファインダーの向こうから返事をする。
「よしよし、これで私のイメージアップも完璧ね」
霊夢は手を離して袴でごしごしこすると、「っさて」と嬉しそうに口調を変えた。
「美鈴ちんは何が一番恥ずかしかったのかな?」
「う……」
「ん?」小首をかしげてプレッシャーをかける霊夢。
美鈴は思わずたじろいで、目を泳がせた。
「あ、あなたに最初に負けたときが一番恥ずかしかったですかねぇ。あんた一人で陣なのかって突っ込まれたのは恥ずかしかったかなぁ」
「適当言ってるとコンティニューするわよ」
「……はい」
「武道家の誇りが嘘や誤魔化しを許すのかしら。あなたはあなたを裏切れるのかしら、美鈴ちん」
「ちん、はやめてください……」
「美鈴ちんは何が一番恥ずかしかったのかな?」
「話すからやめてください……」
相手が嫌がることを的確に行う。この追い込みのかけ方は見習おう。文は心のメモ貼に書き込んだ。
「……私は、こう見えても妖怪なのですが」
美鈴は本格的に観念したらしく、正座をして話し始めた。
文は門の鉄格子にもたれて、霊夢はクッション代わりに文にもたれて話を聞いた。
「せっかく寿命が長いので、歴史の彼方に忘れ去られたあらゆる中国拳法を極めようと思っているのです」
「ふん……。というか、前から疑問に思ってたんだけど、あなた何処らへんが妖怪なの?」
「山にこもってたらいつの間にか虎になっていたタイプです」
「……文、わかる?」
「仙人属性なんでしょうか」と文は言った。「もちろん断言はできませんが」
「私が仙人というのはおこがましいので、妖怪で構いません」と美鈴は謙虚にそう言った。
「ともかく、中国拳法にはいろんな流派があるのです。その中でもべらぼうに種類が豊富なのは「形意拳」です」
「ふん……。形に意味を込める拳。拳撃と呪術と組み合わせたのなら、シャーマンに近しい技術ね」
「はい」
「美鈴さんも巫女だったんですか?」文は驚いて、これはいいネタになりそうだと喜んだ。
「いえ、本式の巫女とは、それこそ意味が違います。神は形が本質ではありませんから……。形意拳は、「形そのものが神格化」されているんです。型を創出せし開祖を神格化し、それを受け継ぎ改良することによって天地との合一を目指す。一象は万象に通ず。万象に届かぬが死を持つ人の定めならば自らを一象と化し死を無意味にする」
「その成功例が開祖ってわけね」と霊夢は頷いた。
「興味深いうんちくで、天狗が喜びそうだけれど。あいにく私はあなたの恥ずかしい思い出にしか興味がないの。前振りはそれぐらいにして、そろそろ本題に入って頂戴」
「はい……」
美鈴は数秒の羞恥を見せてから、おずおずと語った。
「その形意拳の一つに、「猿拳」があるのです」
「猿!」
霊夢の目が輝いた。
「猿って、あのウッキッキーの猿よね?」
「はい。ウッキッキーの猿です」と美鈴は頷いた。
「つまり、猿拳の場合、自らの全身全霊をもって猿になりきることが、天地に通じる道なのです」
「ひひひ」と文は堪えきれずに笑った。
「猿になりきるんですか……」
「はい」と美鈴は頬を紅らめて頷いた。
「あれはいつでしたか。ともかく深夜のことでした。私は自分の立ち位置に疑問を感じていたのです。武道家である以上、道の途中で負けを拾うことは厭いませんが、こうも度々同じ相手につまずくと、前向きな私でもさすがに悩んでしまいます。このままじゃダメだ。今一度基本に立ち返ろう。たとえまた負けるとしても、今度はもっとましな負け方をしようと……。しかし、それにしても行き詰まっていました。今までのようなかっこいい「形」じゃダメだと思ったんです。「虹」とか「颱風」とか大好きだけど、何処か自分を飾ろうとしているような気がしてなりませんでした。だったら、どう頑張っても飾れないような形を一度試してみようかという気になって」
「猿」
「はい」
「草履をもて」
「秀吉じゃなくて」
文はごくりとつばを飲み込んだ。霊夢は明らかに、美鈴の自分語りの長さに苛立っていた。この恐ろしいプレッシャーに彼女は気づかないのだろうか?
「まあ、猿です。深夜です。寝不足だったんです。……いつものように、私は自分に暗示をかけました。私は猿。一匹の猿」
――キキィ。
猿になった美鈴は、四本足で門をよじ登り、うろうろと塀の上を歩き回った。猿は高いところが好きだからだ。
しかしその安直な発想を、彼女の中の猿になりきれていない部分が拒否した。高いところに登ったから猿。そんな安直さは許されるものではない。
猿は果物が大好きだ。
――行こう。たとえその先に何が待っていたとしても。
私は台所に行って、果物を盗み食いしなければならない。
「私はウキウキ言いながら、紅魔館のキッチンへと歩を進めたのです」
「四つん這いね」
霊夢は機嫌が治ったのか、またニヤニヤとし始めた。
「はい」
――幸い、深夜ということもあって、妖精メイドたちには見つからずに済んだ。見つかって噂になったら明日から生きていけない。だが、そんなことを考えている時点で猿ではない。考えるな、感じろ。猿を感じろ。それは例えるなら月を指さすようなものだ。
そうして美鈴は、冷蔵庫にたどり着いた。
野菜室にはたくさんの果物が貯蔵されていた。健康マニアのメイド長が庭先で自家栽培している大切な大切な西瓜があった。
「私は胸が痛みました。本当に胸が痛んだのです。――でも、私は猿に成りきらねばなりません。そこで躊躇してしまえば、私は猿ではなくなるのです」
「美鈴、あなたは立派な妖怪だわ」と霊夢は涙ぐんだ。忍び笑いがこらえきれずに涙が出てきたのだ。
「……私は、食べました」
美鈴は、いや、巨大な赤毛の猿は、西瓜を思うさま貪った。むしゃむしゃ、むしゃむしゃと、本能の赴くままに手でほじって手ですくった。
ウマイ
コノクイモノハウマイ
――ケヒ、ケヒヒヒヒヒ
――モウスグダ
――モウスグワタシハ
――テンチトヒトツ
――カラン、と、何かが落ちる音がした。
ハッと振り向いた猿の、数メートル、先に。
ランプを取り落として、口元に手を当てて目を見開いた――
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜が立っていた。
「その瞬間、私は猿からただの妖怪に戻ってしまいました。恐ろしいほどの羞恥が全身を焼き尽くしました。釈明しようとしました。なのに言葉が出てこないのです。一言も、猿みたいに、あうあうと、唸って……」
「うひひひひひひ」「ひひひひひ」
霊夢と文は堪えきれずに笑い出す。
果たして咲夜が感じた恐怖はいかばかりだったろうか。
西瓜を貪り食う……巨大な猿。
「……それが、私の一番恥ずかしかった、思い出です」
「ひゃはははははははは」「えふふふふふふふふ」
霊夢と文はじたばたと地団駄を踏んで、五分ほど苦しそうによだれをたらした。
美鈴はやけになったのか、窒息死しそうな霊夢の前でウキッ、ウキッと小刻みに猿の真似をした。ゲラになった霊夢は、そのたびに必死になって息を吸おうとし、顔を真っ紅に染めていた。
「あなたは……最高よ」
ようやく落ち着いた霊夢は、満足しきった様子で優雅にふわふわと浮き、空中で脚を組んだ。
「紛れも無く、幻想郷で最高。私の中で今ほどあなたという存在が大きくなったことはないわ」
「ありがとうございます」と美鈴はまだ頬を真っ紅に染めて会釈をした。
「では、中にいれさせてもらおうかしら。あなたでさえこんなにおもしろいんだもの。中にはいったい何が待ち構えているのかしら……ねえ」
「待ってください」と美鈴は言った。
「……勝負に負けた私に、あなたたちを止める権利はありません。なれど、私だけ恥をかいて咲夜さんだけ無傷というのは府に落ちません。……話させてください。この話の、本当のオチを」
「……まだ、あるのね」
「はい」
美鈴は覚悟を決めたいい顔で頷いた。
しかも続くんですか。ちょっと期待しちゃう。
これは恥ずかしいww
続き楽しみです。
最後は霊夢と文も恥を晒すんですよね
その中で、猿拳らしき事をしてる人が登場してた
さぁ続きを完成させるんだ
めーりんが一生懸命すぎてつらい