Coolier - 新生・東方創想話

巫女を終える日(前編)

2011/11/19 15:05:54
最終更新
サイズ
102.07KB
ページ数
1
閲覧数
6797
評価数
17/83
POINT
4830
Rate
11.56

分類タグ


「葉月の九日より一週間の間のみ、博麗の巫女たる霊夢の名において以下のルールを施行する
 1.博麗神社の半径一里以内でのあらゆる殺人、食人を許可する。
 2.第一条は自発的にその場に留まる人間に対してのみ有効とする。連れ込み厳禁。
 3.妖怪同士の意図的な妨害行為は禁止
 4.この間のみ地底と博麗神社間の移動を許可する
 5.うらみっこなし                                 」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


幻想郷の辺境にして中心たる博麗神社は高台の上に位置しており、幻想郷を一望することが出来る。
蝉の大合唱に耳を傾けながら、今日もいつもどおり一人の老婆が社務所――博麗神社の場合は住居も兼ねる――の縁側から外を眺めていた。
ほんの少しばかり白髪の交じった髪を後ろで一つに束ね、袖のついた白衣と緋袴に身を包んだ初老の巫女、博麗霊夢はこのところいつもそうやってすごしている。
もっとも、博麗神社も神社の例にもれず鎮守の杜に囲まれている為、見渡せる景色などわずかである。
それでも、霊夢は飽きることなく視線を外に投じ続けていた。


頭上には雲ひとつない青空が広がっている。既に汗ばむほどの陽気だが今日はさらに暑くなるだろう。
少しくらい陰っても良いのに、と独りごちる霊夢の肌はしかしながら汗ばんだ様子も見えなかった。
代謝が落ちているのだ。

そんな霊夢の願いをかなえたわけではないだろうが、急に霊夢の周囲に影が落ちる。
ふと霊夢が顔を上げると、夏だと言うのに真っ黒い装束に身を包んだ老婆がゆっくりと降りてくるところだった。


  ◆   ◆   ◆


「正気か霊夢!」

開口一番にがなり立てる。
年をとっても霧雨魔理沙は霧雨魔理沙以外の何者でもなかった。

「ああ、魔理沙。あなたももういい年でしょう。少しは落ち着いたらどう?」

そして博麗霊夢もまた、年老いても博麗霊夢のままであった。
気だるそうに旧年来の友人に応答する。

「これが落ち着いていられるか?どういうつもりだ!」

まくし立てる魔理沙を、霊夢は穏やかな目で見つめ返す。魔理沙が怒鳴り込んでくることは織り込み済みだったのだろう。
気にすることはないとばかりに世話話でもするような口調で魔理沙に返事をする。

「ああ、心配しなくても次の巫女はその期間中人里に配置するつもりよ。問題ないわ」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
「里の人間達にもその間は神社に近寄らないように通達済みよ。しなくてもこないだろうけど。抜かりは無いわ」

霊夢は淡々としていた。そして霊夢が淡々と言葉を返せば返すほど、魔理沙は苛立ちを募らせていった。
しわの刻まれた魔理沙の手は、既に爪が皮膚に食い込むほど硬く握られている。

遊ばれている。それを理解していながらも魔理沙は苛立ちを抑えることが出来なかった。

「うるさい!私が何を聞きたいか分かっているんだろう!答えろ!」
「余り興奮すると血管が切れるわよ?私も一回永琳のお世話になったし。いやあの時はほんと死ぬかと思ったわ」

飄々と言葉を紡ぐ霊夢。口調と表情はおどけているものの、その目だけは驚くほどにすわっていた。
その霊夢の様子を前に、魔理沙は悟らざるを得なかった。
すなわち、霊夢は既に覚悟を決めているのだということを。
魔理沙の荒い呼吸と、蝉の鳴き声だけが辺りに響く。

怒鳴り声を聞きつけたのだろう、掃除中だったのか箒を携えた若い娘が二人の傍へやってきた。
年は十代前半と言ったところだろうか。黒い髪を白いリボンで結い上げ、昔霊夢が着用していた巫女装束を身に纏っている。
取り立てて美しい、というわけではなかったが、つややかな黒髪と柔らかな表情が印象に残る少女だった。
だが、その瞳が今は悲しげにゆれている。

近づいてきた少女に霊夢が声をかける。

「ごめん、私と魔理沙のお茶とお饅頭、用意してもらえる?」
「はい、お師匠様。それと魔理沙おばあちゃん、博麗神社へようこそいらっしゃいました」

少女は魔理沙に一礼し、魔理沙の湯飲みと饅頭を取りに玄関から社務所の中へと入っていく。
その後姿を見届けた後、霊夢は口を開いた。

「勿論、説明するわよ。お茶で喉を湿らせたらね。ほら、座んなさい」
「…ああ」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



二人の湯飲みに茶を注いだ後、少女はごゆっくりどうぞ、と会釈して箒を手に参道へと戻っていった。
二人共に緑茶をすする。熱すぎず、そしてぬるすぎもしない緑茶が喉を潤す。

先に口を開いたのは魔理沙だった。

「で、どういうつもりなんだ」
「あー、どっから説明したらいいかしらね」
「どっからでもいいさ、じっくり聞いてやる」

魔理沙もまた腹を据えたのだ、ということを霊夢は悟った。こいつは説明を聞くまでこの場を離れないだろう、と。
少しばかり頭を抱える。説明する筋書きは考えていたはずなのに。いざとなると口をついて出てこない。
少女であったころから彼女は筋道立てて説明する、ということが苦手だった。そのせいでしなくても良い決闘を繰り広げたのも一度や二度ではない。

「あんたって、老けても口調変わらないわよね」
「説明はどうした」

あっさりと会話の主導権は魔理沙に移ってしまった。
魔理沙を一瞥した後、霊夢はようやく自分が言わんとしていた単語を思い出した。

「はぁ、ほら、スペルカード」
「スペルカードがどうした?」

それは、己の持つ力を、技を、術を、相手を傷つけないレベルまで落とし込んだもの。
それは、二人が青春を、いや人生を賭けた物であった。
それは、憎しみを生まぬ決闘として。
それは、やや強引な相互理解の手段として。
そこに、己の性格と、思考と、言葉をこめて。

「根付いたじゃない?」
「そうだな」

最初に付き合ったのは紅い吸血鬼だった。その次は薄桃色の亡霊だった。ありとあらゆる人妖がそれに続いた。
既にスペルカードは揉め事解決の一手法として幻想郷に根付いている。
彼女らが死んだとしてもそれは遺り続けるだろう。
現に先ほどの少女も、東風谷の三代目とよくスペルカード戦を互いの神社で繰り広げていた。

「だからよ」
「はしょるな」

うまく説明できたはず、と霊夢は思った。
ふざけんな、と魔理沙は思った。

「ん、なんていうかさ」
「なんだ」

湯飲みを傾ける。
説明に失敗した霊夢は、今度は魔理沙の性格を突いていく事にした。
これならば共感の末に理解してもらえるだろう、と。

「あんたって王道好きよね」
「まあな、嫌いじゃないが」
「でも、王道を好まない奴だっている」
「そりゃあな」
「だからよ」
「はしょるな」

うまく説明できたのに、と霊夢は思った。
ふざけんな、と魔理沙は思った。

「あんたさ」
「ああ」

湯飲みを傾ける。
ならば少しばかり卑怯だが特権を攻めさせてもらおう、と霊夢は考えた。
これならば魔理沙も感づいてくれるだろう、と。

「マスタースパークを何も考えずにぶっ放したとき、何考えてる?」
「最高にハイだな。最近は反動で腰に負担が来るが」
「だからよ」
「はしょるな」

このわからずや、と霊夢は思った。
そういうことか、と魔理沙は思った。

「まだわかんないの?」
「老いぼれだからな。頭も弱る」
「なんていうかさ、こういう考え好きじゃないけど。私の責任なのよ」
「スペルカードに馴染めない連中とかのことか?」

こいつ、分かってるくせに分からない振りしてたわね、と霊夢は旧友をにらむ。
3つめの問いかけでようやく気付いたという事実はおくびにも出さず、魔理沙は素知らぬ顔をする。

「分かってたんじゃない」
「まあ、流れからしてな」
「スペルカードは殺傷力を弱めた決闘。でも、力のある妖怪は必ず一回はこう考えたことがあるはず」

そう、スペルカードは決闘であり、故にそれにはルールがあり、必ずしも己の能力の全てを振り絞れる、というものではなかった。

「なぜ、私は手加減して人間を襲わないといけないのか」
「私には全てを蹂躙できるほどの力があるのに」

そう、強者であるはずなのに、その力を行使できないという苛立ち。
それは納得し、ルールを呑んだつもりでいても魚の小骨のように喉の奥に残り続け、チクチクと内側から攻め立てる。

「だがそれは、幻想郷のバランスを維持する為に必要なことだ」
「そうね、でもあんたは全力を解放するカタルシスを得られるけど、妖怪にはそれが出来ない」
「それはお前の責任じゃない。スペルカードルールの成立が発端じゃない」

そう、魔理沙の言うとおりこれはスペルカードルールの有無が発端ではない。
幻想郷が幻想郷として存在し続ける為に、人間と妖怪のバランスが必要なのだ。

「まあ、実際のところ妖怪の不満なんてそんなの気にしてないのよ。千年妖怪級は納得の上で幻想郷に移り住んだはずだしね」

そんな連中の鬱憤なんて知ったこっちゃないわ、と口にしたところで急に霊夢が本殿の方を向いた。
釣られて魔理沙も顔を向けると、掃除を終えたのだろう、先ほどの少女が社務所へと近づいてきていた。

「お茶、お代わり」
「はい、お師匠様」

まるで厄介者を追い払うかのように、霊夢は少女に命令する。
それをいやがるそぶりも見せずに、少女は再び社務所の奥へと消えていった。

「でも、いつ爆発するか分からないものを残しておきたくない。次の巫女へと引き継ぐ前に、ガス抜きしておきたいの」
「だからあの発令か。妖怪が、手加減なしに全力を振えるように」

霊夢は湯飲みを置き、庭の端に目線を向ける。つられて魔理沙もそちらに顔を向けた。
霊夢の視線の先には向日葵が花を咲かせていた。あの向日葵は…そう、10年近く前に幽香にもらった種が発端だったか。
毎年の恒例として霊夢とあの少女が一緒に晩夏に収穫を、初夏に種まきを一緒になって行っていたはず。草むしりと水撒きは専ら少女の仕事だった。東風谷の三代目が手伝っていることもあったが。
大輪の花が咲くと少女は嬉しそうに幽香や魔理沙に報告に来た。幽香は共に喜んだ。魔理沙は褒めてやった。東風谷の三代目はうちの花のほうが綺麗ですよ!とふんぞり返った。
霊夢はなぜかいつも花を見ては物憂げな表情をしていた。

「ええ、ここが臨界点。あの子の成長と、私の衰弱の。前倒しは出来なかった。あの子が巫女として未熟だったから。先送りもできない。私が、戦えなくなってしまうから」

淡々と、霊夢は語る。視線は向日葵に向けたままだった。

「一週間、ありとあらゆる妖怪を相手にして生き延びられると思っているのか」
「準備はしているわ。いい年してやりたくもない勉強もしたし、道具も集めている」
「是か否で答えろ」

霊夢は答えなかった。代わりに視線を向日葵から魔理沙の顔へと向ける。
魔理沙にはどう好意的に解釈しても、その表情から生への執着を読み取ることが出来なかった。

「そうか、分かった。なら「あんたも一週間、神社に近づくんじゃないわよ」

付き合おう。そう言おうとして霊夢に先手を打たれる。

「なんだと?」
「あんたは、絶対に生き延びられないわ。分かっているでしょう」

そう、魔理沙にも分かっていた。自分は霊夢に並び立つどころか、足手まといにしかならないことを。
昔から魔理沙は防御を捨て、破壊力と回避に重点を置いたスタイルを好んでいた。
だが、老いは魔理沙から柔軟な判断力と認識力を奪っていた。
圧倒的な破壊力は今も健在である。いやむしろ魔術に精通した分だけ上昇している。だが、魔理沙には不意を突かれたときに対処するすべがない。
たとえ実戦であっても先手を取れればまず負けはない。弾幕ごっこであっても後手に回るとまず勝てない。それが今の魔理沙だった。

だが霊夢は違った。回避力も判断力も落ちているのは霊夢も同様である。しかし霊夢には圧倒的強度を誇る結界術がある。
火力は相変わらず高くない。だが後手に回ってもなお、霊夢には防御に身を固め、勝利を手繰り寄せる機会をうかがえるのだ。
これが、共に若さと鋭さを失った二人を分かつ最大の差分であった。

「…私の勝手だろう」

半ばやけっぱちで魔理沙はつぶやく。

「私の勝手に、他人を巻き込みたくないの」
「…そうか、私はお前にとって他人か」
「家族じゃなきゃ定義としては他人よ。…親友であっても」

霊夢が付け加えた思いがけないジャブに魔理沙はよろめいた。
友人の発した言葉に自然と魔理沙の胸は温かくなる。

「う、まあ、そうね」
「だから、来ないで」

その一方で、親友の役に立てないという絶望はよりいっそう魔理沙の心を凍らせた。
なぜ、私はこうも無力なのか。なぜ、私は若い頃にもっと先を見て魔術を身につけてこなかったのか。
成すすべなく、魔理沙は情に訴える。

「私の気持ちはどうなる?親友が死闘を演じるのをただ見ているしかない私の心は」
「あんたの心はあんたのもの。自分で解決しなさい」

そしてそのような惰弱な訴えはたやすくはじき返された。
魔理沙は口を噤むしかなかった。それ以上言を重ねても惨めになるだけである。
空になった湯飲みを握り締める。
喧しい蝉の鳴き声が、今は恨めしい。

「本当はね、もう一個あるのよ」

不意に、霊夢が口を開く。

「何が」
「理由」
「何だ?」
「私はね、私のまま死にたいの」

霊夢の口から出た言葉が魔理沙には信じられなかった。それは死への渇望だった。
人間の十の願望として確かに存在する欲。しかし目の前の、既に老婆となった少女から最も遠いと思われた欲。

「どういう意味だ」
「あんた、私のことを天才って言ったわよね」
「ああ」

そう口にした。何度も。何度も。忘れられるはずがない。その圧倒的力量差の前に魔理沙は何度も倒れ伏し、しかし諦めきれずに泥にまみれながらも立ち上がってきたのだから。

「あんたの言う通りよ。私の能力は天より与えられたもの。自分で身につけたものじゃないわ」
「それがどうした?」

そう、それが天から与えられたものだとしても、それを含めて霊夢なのだ。
そう、魔理沙は思っていた。次の霊夢の台詞を聞くまでは。

「抑えきれないの。私の能力が。私自身の力で」
「!」
「この「無重力」と言う力は、私の霊力の衰えに反して今も増大し続けている」
「…そんな」

そんなことがありうるのか?能力は己の身の丈に合ったもの。ずっとそう、魔理沙は思っていた。

ずっと、羨んできた。ありとあらゆる干渉を無効化し、無敵を誇る、その能力を。
幻想郷において、魔法とは限られたものだけが使える能力ではない。
簡単なことではないが、誰でも努力し、修練すれば多少なりとも身につけることが出来る「魔法」。
魔理沙にはそれしか才能がなかったから、オンリーワンになることが出来る霊夢がうらやましかった。だというのに。

「いずれ、私の制御を超えてこの力は解放されるでしょう。あらゆるものから浮くという力が暴走したとき、私は「霊夢」でいられるかしら?」
「…」
「朝、目が覚めると安堵するの。ああ、まだ私は私だって。寝てる間に消え去ってなかったって」

突きつけられた悩みはそんな魔理沙の羨望を一蹴した。己を消し去りかねない力。眠ることすら恐怖に変える力。それを行使する本人ですら縛り付けられない力。
無重力の力がそんなものだとは知らなかった。当たり前のように宙に浮き、当たり前のように魔理沙を地に落とすのだと、そう思っていた。

「だから死にたいの。私が霊夢であるうちに。そして死ぬなら少しでもあの子の役に立って死にたい」
「…お前に母性なんてものがあったとはな」

なんとか、魔理沙は皮肉を搾り出せた。魔理沙が自分の中で思い描いていた霊夢像は崩れ去っていた。
親友だと言ってくれた霊夢のことを何も理解していなかった。
二度目の絶望は魔理沙の心を引き裂き、荒れ狂っている。

「私も年ね。少しでも何かを残したいと思うなんて。昔は全てが私のために廻っていたのに」
「そうだな。お互い年をとった」

もう、魔理沙の口から皮肉など出てこなかった。動揺を隠すので精一杯だった。
そんな魔理沙に止めを刺すかのように、霊夢は別れを口にする。

「死ぬときは一人で死にたい。友引なんて真っ平ごめんよ。だから分かって、魔理沙」
「…お前の考えは分かった。でも私の考えはまだまとまらない……落ち着いたら、お前が死ぬ前にもう一度会いにくる。また会おう、霊夢」
「ん、またね、魔理沙」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


言い過ぎただろうか。魔理沙が去った後、霊夢は逡巡する。
魔理沙を死なせたくなかった。だから普段はつかない嘘もついた。

魔理沙が自分の能力を羨んでいることは知っていた。だからそれを利用した。
自身の能力が抑えきれないのは本当である。しかしそれを霊夢は恐れてはいない。

抑えることの出来ない無重力の能力は、霊夢を恐怖からも開放する。
故に、寝てる間に消え去ってしまうかもしれないと言う事実すら、霊夢自身にとっては「何も言わずに失踪したらちょっと騒ぎになるかもね」程度の問題でしかなかった。
それを恐れた事があるのは過去の話。今の霊夢は自由だった。

「そんな私でも、他人の行く末は心配しているのね」

恐怖すら消し去る無重力の干渉を受けてなお、たった三つ。自らの心に残っているものを刻み込む。
この気持ちを失っても、そう思っていた事実だけは忘れないように。

「お師匠様、お代わりを、お持ち、しました」

瞼からこぼれそうになるものを抑えようとして、少女は失敗した。

「遅いわ、何やってたの。魔理沙も帰っちゃったし…冷めてるじゃない、淹れ直してきて」

少女の涙に気付いていない振りをしようとして、霊夢もまた失敗した。

「……ずみ゛、まぜん」

それ以上二人は言葉を交わすことなく、ただ蝉と少女だけが泣いていた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


神社を後にし、魔法の森へと向かって魔理沙は飛んでいく。
ずいぶん長いこと話をしてたような気がしたが、太陽は未だ南中に差し掛かってすらいなかった。
眼下を流れ行く風景を見下ろしながら、魔理沙は考えていた。

(私は、どうすればいい?)

霊夢はあの時嘘をついていた。長い付き合いである。魔理沙にはそれが分かっていた。
霊夢が消滅を恐れていないこともすぐに気がついた。だが、それがなんだというのだ?

霊夢は己の能力に呑まれかけているというのは本当だろう。
消えるよりは死んだ事をはっきりさせたほうが混乱がないだろうと考え、自身の死の舞台を用意したのも事実。
絶望の嵐は鳴りを潜めたが、希望はまったく見えてこない。
霊夢の嘘が分かったからと言って、何かが解決するわけではなかった。


だが、このままにしておいて良い訳がない。
霊夢は、自身が思っている以上にみなに愛されているのだ。
霊夢を討ち取る栄誉を得たものは、霊夢を愛する他の妖怪に怨まれるだろう。霊夢の行動は、たった一つだが禍根を残す。
魔理沙は考える。霊夢の往く後に、後腐れなどあっていいはずがない、と。
霊夢は親友であると共に、追いつき追い越す目標であった。目標は星のように、高く、美しく輝いていなければならない。
そしてその星を打ち落とすのは、凡人、霧雨魔理沙だ。他の誰にも渡さない。

「やはり、霊夢を死なせるわけにはいかないな」

能力の問題はひとまず置いておく。一つずつ片付けねば。まずはどうやれば霊夢が生き残れるか、だ。一人で考えていても埒が明かない。
こういうときはブレーンストーミングである。実りのある相談が出来そうな相手は多くない。紫か、永琳か。
魔理沙の友人の魔法使い達はこういう時の相談相手としては役に立たなかった。彼女らは己の研究に生涯をささげた連中である。
己の夢を邪魔する奴を打ち砕く、とかなら頼りになるのだが、相手の意思を無視してでも命を救う、というような考えにはなかなか共感してもらえないのだ。
以前アリスの人形研究に付き合って肉体をバラバラに解体された記憶がよみがえり魔理沙は身震いする。とてもじゃないが命の相談などする気にならない。

紫の住居は未だ不明、故に目指すは一つ。魔理沙は行先を変更する。魔法の森から、迷いの竹林へと。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「あら、いらっしゃい魔理沙。いよいよリウマチにでもなった?」

入り口で鈴仙と出会う。魔理沙は鈴仙が苦手だった。というより苦手になった。鈴仙からは実に若々しいオーラが出ている。
実際の年齢とか、もっと若く見える妖怪はいるとか、そういったチャチな問題ではない。
年老いた魔理沙にとって、幻想郷の誰よりも青春の匂いがする鈴仙は毒以外の何者でもなかった。
同じ理由でムラサも苦手だ。早苗もこの考えに共感してくれた。実にパルパルしい、と。
だが今日はそんなことも言っていられない。

「よう鈴仙、悪いな、まだまだ五体満足だ。永琳と少し話がしたい。時間をもらえるか?」
「ええ、今は患者もいないし、竹林へ足を踏み込んでいるものもいない。一、二時間なら問題ないと思うわ。それ以上は来訪者次第ね」
「ああ、患者が来たら患者優先でいい。失礼するよ」
「では、ようこそ、永遠亭へ」

永琳の研究室へと向かう。はじめてアリスと共にこの館に忍び込んだときはその余りの襖の数に呆れたものだったが、
今となってはこけおどし。既に魔理沙にとっては勝手知ったる自分の庭の如しである。
無限ループを回避しながら所定の順序どおりに襖を開き、目の前に現れた寝殿造に似つかわしくない異彩を放つ密閉式の扉に手をかける。


扉の先に待ち構えているのは、両壁の天井まで続く、所狭しと並べられた薬品に囲まれた部屋。
中央の机で、八意永琳はなにやら薬品の計量を行っていた。
机の上には魔理沙には全く見分けのつかない、計量を終えたと思われる薬品が点在している。

入ってきた魔理沙に気がついた永琳は、計量を一旦中止して振り返った。


  ◆   ◆   ◆


八意永琳という存在を一言で表すならば、彼女もまた霊夢と同じく天才という言葉に尽きる。
二人の差異は、霊夢のそれは天より与えられた異才であるのに対し、永琳のそれは天より与えられた才覚である。
さらに永琳の才覚は圧倒的な長寿からもたらされる経験から裏打ちされている為、その言動には隙がほとんどない。

ただ、長年お姫さまである輝夜の面倒を見ていたせいか、天才的なクールビューティーと言った印象はなく、温厚で世話焼きなお母さん………いやいやいやお姉さんといった印象である。
つまるところ魔理沙から見た永琳とは、輝夜の敵にさえならなければまあ割と親切で、すこしお節介で、こちらが一を問わずとも先手を打って十を説明してくれるような相手であった。

「あら久しぶり魔理沙。貴方は老いても若いわね」
「ありがとさん、すこし、知恵を貸してくれ。お前か、紫ぐらいしか頼れそうも無い」
「ちょっとまって。一旦作業を凍結するから」

永琳が何事かつぶやくと、さきほどまで机の上でゆれていたパラフィン紙がまるで時間が止まったかのように全く動かなくなった。
輝夜の能力のパスを机に切ってもらったのだと説明されたことがあったが、魔理沙にはいまいちよく分からなかった。
うらやましい機能だと思ったが、輝夜の能力であるなら魔理沙の家にまで適応するのは不可能だろうと考え、それっきりである。

「さて、霊夢の、あの発令の件かしら?」
「ああ」

永琳は椅子ごと魔理沙のほうを向いてストッキングに覆われた長い脚を組む。そこら辺に転がっている椅子を手繰り寄せて魔理沙もまた腰掛ける。
やはり、永琳は話が早い、と魔理沙は嘆息する。
若い頃はその天才的な先回りが気味悪かったが、いざ自身が成熟してみるとその阿といえば吽と帰ってくる思考の早さが頼もしい。

「霊夢もいろいろ考えているようね。私もなにかと頼まれているわ」
「そうか」
「で、聞きたいことは何かしら」
「確率論だ。霊夢が生きるために全力を尽くしたとして、8日目の朝を迎える確率は?」

魔理沙の心境は複雑だった。
高確率であって欲しかった。霊夢に死んで欲しくなかったから。
低確率であって欲しかった。老いてなお霊夢が幾多の妖怪を圧倒できるとするならば、己との力量差は明らかだったから。

だが、質問者の心中に反して、永琳の回答は実に分かりやすかった。

「0%」
「!」
「意外かしら?」
「…意外じゃない」

そう、別に意外ではなかった。しかしその最も忌むべき数字を、永琳の口からは聞きたくなかった。
幻想郷最高位の頭脳を誇る永琳の発言はどれだけの反論を用意してもまず覆ることがない。

「一応、根拠を説明したほうがいい?」
「当然だ、よろしく頼む」

それでも、魔理沙はあっさりと諦めるほど出来た人間ではなかった。
諦めの悪さなら幻想郷一だと自負していた。喰らいついてみれば何とかなる事だって、まあ、たまにはあった。

「答えは単純、霊夢は衰えすぎた。あと五年、いや三年早ければ、生存確率は1割を上回っていたのだけれど」
「とはいえ、0%ってのはまずあるもんじゃないと思うが」
「これは確率論じゃないわ。どちらかと言うと精神論ね」
「?」

さしもの天才にも陰りが見え始めたか?と魔理沙は不安になった。まさか永琳の口から精神論などという単語が出るとは。
しかも通常、精神論といえば、出来もしないことをさも出来るかのように錯覚させる為のプロパガンダのようなものではなかったか?

「霊夢の発令。これはまあ、要約すれば自分を殺せるものなら殺してみろ、相手になるわって言ってる訳よね」
「そうだな」

そもそも博麗神社の周辺には、霊夢と、その後継者たる少女しか住んでいないのだから。

「そしていま、幻想郷にはそういったガチンコを何よりも愛する種族がいる。分かるわね?」
「鬼か」
「そう、鬼は正面から喧嘩を売られて引くような性格じゃない」
「確かにな」

鬼は正面決戦を三度の飯や酒よりも愛する種族である。相手の強弱に関係なく、正面から殴り、殴られることを何よりも愛する。
自身が圧倒的な実力を誇るにもかかわらず、相手が知恵を練り、奇策を用いることを卑怯と切り捨てる。
人間のみならず、妖怪から見ても異質で、そしてなにかと面倒な種族であった。

「そして霊夢には末端ならともかく、鬼の四天王と正面から戦って生き延びるだけの力が既に無い。故に生存確率は0%」
「あいつらが手加減するってことは?」
「ない。鬼にとって勝負は神聖なもの。覚悟を決めて喧嘩を売ってきたのなら、相手が何であれ全力で相対することが礼儀だと考えている。故に手加減は無い」

魔理沙は理解した。綿密な確率を計算するのが馬鹿らしくなるほど単純明快。
数字に基づく根拠など何もないのに、反論する気が失せるほどの異常な説得力。
勇儀が、萃香が、そうしないということが全く想像できない。
理屈ではなく心が納得させられてしまう。なるほど、本来の意味からは外れるが確かに精神論であった。

「ならばあいつらが神社へ行けない様、足止めすれば?」
「無論、足止めが出来るならば霊夢の生存確率は約一割五分まで上がるわね。加えて妖怪の山全てを足止めできれば5割まで、地底まで封鎖すれば9割9分。今の霊夢でも完勝よ。だけど、霊夢がそれを望むかしら?」
「…望まないな。あいつは幻想郷のそれを望む全ての妖怪が、全力を出しきることを望んでいる」

そう、それが最大の問題である。相手に多少なりとも本気を出させなければいけない以上、常に後手に回らなくてはならず、後の先を打つわけにもいかない。
この一線だけは絶対に霊夢は守るだろう。ただ、勝てば良いと言う問題ではない。
そしてその問題ゆえに高火力を持ちつつも、防御力に乏しい魔理沙は霊夢の助けとなることが出来ないのだった。

「ならば霊夢の生存確率は0%のままね、あと、仮に今の貴方が応援に加わったとしても何一つ変わりはしないわよ?」
「分かってるさ、自分の衰えくらい承知している」

唸るように、声を絞り出す。悔しさから永琳の顔を見ることが出来ない魔理沙が目をそらした先には、二人の会話を邪魔せぬよう物言わぬオブジェと化していた鈴仙の顔があった。
ふと、魔理沙は鈴仙が何か言いたげな表情であることに気がつく。そのまま視線で鈴仙に発言を促す。

「すみません師匠」
「何かしら?うどんげ」
「何で霊夢の生存確率は0%なんですか?私には全く理解できないのですが」
「何でだ?」

魔理沙が相槌を打つ。
鈴仙は魔理沙に忘れたの?と言わんばかりの表情で問いかける。

「ほら、霊夢にはあれがあるじゃない?なんだっけ、あらゆる干渉を無効化する無敵モード」
「夢想天生か」

霊夢の切り札にして最大の禁じ手。それは制限なしで発動したが最後、全ての決闘をあざ笑い蹂躙する。

「そう、それ。それ使えば霊夢は無敵でしょう?弾幕ごっこじゃないんだから時間経過で敗北宣言する必要もないし」
「ああうどんげ、実に嘆かわしいわ。貴方さっき魔理沙が言ったことを聞いていなかったの?」
「え、えーと魔理沙が衰えたって話ですか?」
「その前」
「えーと、妖怪が全力を出すことを霊夢が望んでいるってことですか?」
「そうよ。霊夢は実力を出す機会のない妖怪たちの不満を一手に引き受けようとしている」
「あ」
「分かった?イライラしているときに壁を殴れば少しは気が晴れる。でも空気を殴っても苛立ちは募るばかりよ」

霊夢の目的の一つは妖怪達の、全力を出せないという苛立ちを解消することである。
防がれるのならば良い。全力を出し、それでも及ばなかったのだという手ごたえが残る。
回避されるのもまだ良い。相手を包囲し、退路を断って詰みに追い込むことが出来なかったのだという反省が残る。
だがいかなる攻撃も全て素通りしてしまうとあっては、空しさしか残らない。

夢想天生とは、使わなかったから手を抜いたとかそういった次元とは全く異なる完全無敗の異能なのである。
相手の存在を無視するが故に勝利はなく、しかし無敗を誇る。それは絶対的な生存能力であった。

永琳の言を魔理沙が引き継ぐ。

「だから霊夢は絶対に夢想天生を使わない。それを使うぐらいならそもそもこんな発令は出さない」
「じゃ、じゃあ霊夢は自らサンドバッグになろうとしているってこと?」
「あいつがそんな殊勝なやつだと思ってるのか?全力を出させた上で、叩き潰す。当然だろう」

そう、博麗霊夢ならそうする。
幻想郷のヒエラルキーが人間<妖怪とはいえ、下級妖怪からすれば霊夢は下位の存在どころか、行掛けの駄賃に妖怪を殲滅して往く紅い爆撃機である。
そして、その認識はあながち外れてはいない。霊夢は年老いた今でも妖怪を見かけるや否や片手間で退治している。
今回も、神社に赴いた妖怪は五体満足で帰ることなど出来ないだろう。だが…

「しかし、それを一週間続けるだけの体力も霊力も霊夢には残っていない。常に先手を取ったとしたって容易でない話なのにね。加えて鬼の存在、生存確率は0%にならざるを得ないでしょう?」
「…」

鈴仙は沈黙するしかなかった。
永琳は魔理沙に向き直る。

「さて、魔理沙。私としては、今の貴方にはこのままこの件に首を突っ込んで欲しくは無いわね。貴方も長くても後50年と生きられないでしょうけど、だからといって友人を二人も一度に失いたくはないわ」
「ふうん、お前にもそういう感情はあるんだな」
「…貴方達ほど眩しい人間はそうそういないわよ」

魔理沙には永琳の言うことが理解できなかった。永遠の生を得たものが羨むほど、己に魅力があるとは思えない。
だがそんなことは既に魔理沙にとってはどうでも良かった。
永琳ははっきりとは言わなかったが、やはり永遠亭に来たのは無駄ではなかったようだ。

「そうか」
「これからどうするの?」
「いろいろとありがとさん。引き続き霊夢に協力してやってくれ。ああ、あと、あまり私を馬鹿にするな」

ニヤリ、と魔理沙は笑う。どうやら霊夢を生かす手段はあるようだ。
あれだけ「今の魔理沙」を連呼されればいやでも分かる。つまるところ、魔理沙の今後の行動次第ということらしい。
永琳もまた、魔理沙がそれに気がついたことを理解した。
鈴仙は未だ何も分からず、急に強気になった魔理沙を前に困惑した面持ちを浮かべていた。

「…ごめんなさい。学者って言うのはどうにも薀蓄を語ると口調が偉ぶっちゃって」
「おまえのそういう才能をひけらかさない謙虚なところ、割と好きだよ」

椅子を蹴って魔理沙は立ち上がる。急に立ち上がったせいでちょっと腰に来たのは秘密である。

「私は貴方のそういう天然ジゴロなところは好きじゃないわ。いつ姫が攫われるかヒヤヒヤよ」
「…私は女、しかも老婆だぜ。お前は私をなんだと思ってるんだ?まあいい、私はこれで失礼するよ」
「なにか必要な物があれば用意するけど?」
「うーん、相手は萃香達だとして…しばらく巨人とか作れるか?」
「事あるごとに巨人化してしまう体質に変える薬なら、作れるわね」
「いらんわ、そんなもん」

そんなもの服用したら霊夢とは別の意味でおちおち寝てはいられない。
やれやれ、とため息をつき、魔理沙は二人に背を向ける。

「じゃあな永琳。協力ありがとよ!」

黒衣の老婆はそう言い放ち、扉を開け放つ。もはや迷いはない。
彼女の後姿に、永琳は声をかける。

「ありがとうは一回言えば十分よ。…後悔しながら死ぬんじゃないわよ!」

回答代わりに親指を立てて、魔理沙は勢いよく扉を閉じる。
乱暴に閉じられた密閉式の扉は、完全に閉まることはなかった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「師匠」
「何?うどんげ」
「師匠は魔理沙を諌めたのですか?それとも焚きつけたのですか?」

永琳の発言は、客観的にはそのどちらとも取れる、もしくはどちらでもない内容に留まった。
そう、まるで受け取るもの次第と言った印象を受ける。
それゆえに鈴仙には永琳の意図が理解できなかった。

「貴方はどっちだと思うの?」
「私は…諌めたのであって欲しいと思います。もう霊夢の死は避けられない。ならば、魔理沙だけでも生き残って欲しい」

鈴仙は割と臆病な性格であった。故に不確実な二兎を追わずに確実に一兎を捕まえる。
相変わらず諦めが早い子ね、と永琳は嘆息する。

「そう、でも残念。どちらかといえば私は魔理沙を焚きつけたの。魔理沙も理解してるわ」
「!どうしてですか師匠!」
「うどんげ、貴方妖怪を最も多く屠った種族はなんだと思う?」
「え?」
「答えは人間よ。龍でも、神でもないの。人間が最も多くの妖怪を屠ってきた。鬼相手ですら例外じゃないわ」

人間は強靭な種とは言えない。種として見れば明らかに妖怪以下である。だがそれに甘んじるような鷹揚な種族ではない。
殺ると決めたら何でもござれ。権謀、毒殺、暗殺、自爆。いっそ清々しいほどにいかなる手段を用いても勝ちにいく。
人間とは妖怪には消し去ることが出来ない眩しさと、妖怪ですら飲み込めない闇をはらんだ種族なのである。
鈴仙とてそれは承知してる。承知しているからこそ、過去に技術で圧倒的に勝っていながらも逃走を選んだのだ。

それでも今回、鈴仙には魔理沙が勝利するビジョンが全く浮かばなかった。

「今の魔理沙に、鬼退治が可能だと考えているのですか?もう、昔ほどの体力も魔力も無いというのに!」
「今日は葉月の五日。つまり準備期間が最短で三日、最長で十日あるわ」
「そんな短期間で何ができると言うんですか!」
「さあ、できるかもしれないし、なにもできないかも知れない。ただ、魔理沙は焚きつけて欲しいと願っていた。そして彼女にはそれだけあれば現状をなんとか覆せるポテンシャルが十分にある」
「…」
「確かに私も二人に死んでほしくはない。でも私は二人が、己が望む生き方を最後まで貫くことを願うわ。重要なのは私たちが彼女に生き延びて欲しいかじゃない。彼女達が自分の生に満足できるかよ。私たちの望みなんて、その次でしょう?」

その考え方はつまるところ、パチュリーやアリスといった面々とさほど代わらない。異なるのは魔女達が己の中にある筋道を優先するのに対し、永琳は相手の心情を慮ったうえで、己の筋道に固執せず相手に最適な応答が出来ることであった。これが年季の差というものなのだろう。

「…私にはそこまで達観できません。私は私の望みどおり、二人に生き残って欲しい。それがほぼかなわぬ今、せめて一人だけでも」
「じゃあ賭けようか鈴仙」
「っとてゐ、なにをよ?」

閉まりきっていなかった扉から入ってきたのだろう。気付くとピンクのワンピース姿がいつの間にやら会話に参加していた。
どうせろくな話じゃないんだろうな、と鈴仙は考える。
てゐが振ってくる話は、鈴仙にとって毎回毎回ろくな結果をもたらさない。

「霊夢と魔理沙が16日の朝を迎えられるかどうか。さあ、どう賭ける?」

やはり、ろくな話ではなかった。友人の生死を賭けるなど。
ぶっきらぼうに鈴仙は回答する。

「ふん、賭けるなら私は二人の生存に全賭けするわ。たとえ全財産を失ってもいい。哂いたきゃ哂いなさい」
「…永琳はどうするの?」
「なら私も二人の生存に全賭けね。金銭は失っても、希望は失いたくないわ」
「ちぇ、胴元なしなのに四人して同じじゃ賭けが成立しないじゃない」

え?

「…ちょっと、どういうこと?てゐも二人が生き残ることに賭けたわけ?」
「当たり前じゃない。ちぇー、鈴仙が一人しか生き残れないなんていってるからいいカモだと思ったのに」
「あの年老いた二人がどうやって鬼に勝てるって言うのよ」
「は、どうやって勝つかなんてわたしに分かるわけないじゃん。ただ、あの二人が手を組んで、負けてるところが想像できなかっただけよ」

それだけいうとてゐはぶーぶーいいながらとっとと永琳の部屋から去ってしまった。

「師匠、私は薄情なのでしょうか?」
「てゐはただ頭に浮かんだことを口にしただけでしょう。情は関係ないわ。あまり悩むと脱毛症になるわよ?」

てゐは鬼の強さを知らないのだろうか?と鈴仙は考えた。だが、その考えを鈴仙はすぐに振り払う。
幼女のような外見ながら、てゐもまた千年以上を生きる妖怪である。過去に鬼とも出会っている可能性も高いし、
鈴仙よりもずっと鬼の力を熟知しているはずだった。

「鈴仙、何やってるの。話は終わったわよ?」

気付けば永琳もまた、机に向かって薬品の計量に戻っていた。
もう話は終わったと言わんばかりに自分の作業に没頭している。

結局、ここでボーっと突っ立っていても何の意味もないと考えた鈴仙もまた、館の警備に戻ることにした。
箱入りお姫様、天才医師、詐欺師という良くも悪くも独創的に過ぎる面々に囲まれてすごした鈴仙はいつしか己の波長を操り、いついかなるときも自分の思考と感情を調整してその場に合わせたスルーモードに突入するスキルを確立していた。果たしてそれが讃えられるべき技能かは別として。

「ま、精神論なんだし、人それぞれよね」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「それじゃ紫、後は任せたわよ」

背後に存在する気配に、霊夢は語りかける。
博麗霊夢はただ一人神社の石畳に立ち、鳥居の先に広がる幻想郷の夕日を見つめていた。
霊夢にとって長年の相方であった妖怪、八雲紫の姿はそこにはなかった。
ただ、紫の気配だけがそこにある。

葉月の八日を迎え、博麗霊夢は臨戦態勢を整えた。
明日より一週間、博麗神社界隈は大いに賑わうだろう。
弟子にはその間、人里に常駐するよう命じている。大妖怪達が浮き足立ち、下級妖怪への支配力や影響力が失われることを警戒してのことである。
里に住まない変わり者の人間達にも可能であれば人里に避難するよう、最低でも神社の周囲には近づかないようわざわざ別個に訪問して忠告を済ませた。
対外的な処置は既に終了している。後は全て霊夢個人の問題だけだ。

「霊夢、本当に良いのね?」
「ええ。…最後なんだから、あんたも顔ぐらい見せなさいよ。それとも私なんて、顔も見たくないほど嫌いって訳?」
「…そんなわけないでしょう」

霊夢の背後、紅く染まった空が裂け、混沌たる空間から妖怪の賢者、八雲紫が姿を現す。
普段と変わらぬ態度をとろうとはしているが、その目は赤く、瞼は少し腫れている。

「なによあんた、泣いてたの?」
「うるさい」

振り返り、紫の姿を確認した霊夢は呆れたようにつぶやく。
弟子の巫女が泣いていたときには知らないそぶりをしようとしたくせに、霊夢は紫には容赦がなかった。
紫はつい、と目線をそらす。

「先代が死んだときも、その前のときも、ずっとあんたはそんな風に泣いてきたの?」
「…」

紫は答えない。

「もしそうなら、泣きたいだけ泣きなさい。もしそうでないのなら、今すぐ泣くのをやめなさい」

誰かの重荷になるなんて、真っ平ごめんよ、と霊夢は続ける。
紫は答えない。
霊夢も口をつぐみ、二人の間には沈黙の帳が下りる。
遠方からは、妖怪鴉だろうか?それとも普通の烏だろうか、鳴き声が聞こえてくる。

「霊夢、ごめんなさい」

霊夢から目線をそらしたまま、紫は悲しげにつぶやいた。

「何がよ?」
「私は、貴方に重荷を背負わせてしまった」
「だから、何がよ?」

霊夢は繰り返す。
そこには偽りなく何が重荷なのか分からないという響きがあった。
それでも、紫は言葉を続ける。

「妖怪たちの不満。全力を出せないという苛立ち。それを私は知っていながら無視していた。…いえ、何も出来なかった」

贖罪を口にするかのように、紫は言葉を吐き出す。

「万が一、妖怪がその苛立ちを抑えきれずに全力を振るって鏖殺に走ろうとした場合、先手を打って殺すことしか考えていなかった。楽園の管理人が聞いて呆れるわね」

実際、紫は監視用の式を幻想郷の各地に配置していた。カモフラージュを施しており、大妖怪ですらよほど注意しなければそれが式であると認識できないほどに改良を加えられたそれは、幻想郷の各地の生物に取り付いて今も紫に情報を送り続けている。
無論それに気付く妖怪もいたが、それらには博麗大結界の監視用と伝えてある。
実際、人妖のバランスは博麗大結界の維持に必要なことであるため紫のその説明は全くの嘘ではなく、事実を語る自信に裏打ちされた紫の説明の真意を見抜けるものはいなかった。

そしてその式を通じて妖怪の抑えきれぬ渇きを感じ取ったならば隙間を使って先回りし、有無を言わせず殺害する。紫にとっては造作もないことだった。
だがそれは、暗い感情をそれ以上の闇で押し殺す、とても良手とは言えない方法である。

「貴方の方法は、妖怪たちの抱えた不満を解消してくれる。…貴方の命と引き換えに」

これが重荷でなくてなんだというの?と紫は霊夢に問いかける。

「別に重荷でもなんでもないわ。まず私の自殺があって、次に次代の巫女の負担低減がある。妖怪の満足なんてどうでもいいおまけよ」
「…」
「まあ、確かに妖怪のガス抜きをするから負担低減が出来るっていう逆の見方もあるけどね」
「だから、私が妖怪に不満がたまらないような仕組みを考えていれば、人間である貴方達がそれをする必要すらなかった」
「いや別に、妖怪のメンタルケアまでは幻想郷の管理人の仕事じゃないでしょうに」

あんたどんだけ世話焼きなのよ、と霊夢は苦笑する。今日はじめて紫は霊夢の笑顔を見た。
年老いても少女のような笑顔。その笑顔に魅了された紫は、変わらないわねと褒めるべきか、いつまでたっても子供ねと嘯くかなどという場違いな思考に一瞬陥ってしまった。

「それにね、紫」
「なにかしら」
「私は、あんたに感謝してるわよ?」
「なにを?」

なんのことだろうか?と紫は回想する。食い扶持に困っていた霊夢に仕事を振ったことだろうか?それとも妖怪退治に協力したことだろうか?
だがそれらは巫女の維持、秩序の回復という管理者としての仕事の一部に過ぎない。今では霊夢もそれを理解しているはず、感謝されるいわれはなかった。

さて、では藍を宴会の後片付けに貸し出したことだろうか?うん、多分そうだろうと紫は納得した。
霊夢は多分、自分に重荷を押し付けた私を怨んでいるだろう、と考えていた紫の思考は霊夢に笑顔を向けられた時からちょっとぶれたままだった。

「あんたが、私を博麗の巫女にしてくれたこと」

霊夢の言が理解できない。紫は慌ててぶれた思考を修正する。再度含み直してみても結果は同じ。
何故それに感謝するのか?それは霊夢にとって最大の重荷であったはずだった。
紫が彼女を巫女に抜擢しなければ、霊夢は一小市民として妖怪や異変への対処に頭を悩ませる必要すらなかった。
霊夢の人生を狂わせたのは、紫であるはずだった。なのに…

「あんたが、私に博麗の巫女という枷をくれなければ、多分私はここまで生きられなかったでしょ?」
「どういう意味なの?わけが分からないわ」
「いやだから、私の能力の話よ。枷がなかったら、もっと早くにこの能力は暴走していたはず」
「え?」
「もしかして気付いていなかったの?いや、むしろ紫すら取り込まれていたってことかしら。ますます恐ろしい話ね。まあ怖くないけど」

慌てて紫は霊夢の体をスキャンする。特に異常は見られない。心身霊力能力共に正常、そう見えた。だが、霊夢の言うことが本当だとすれば…

(スゥーパァースキャアァァン!!)

スキマを利用した精密検査に切り替える。相手の体内はおろか、思考や心の中にまでスキマを食い込ませて確認する高等技術である。
あらためて、霊夢を精査した紫は驚愕した。霊夢の語るとおり、無重力の能力が霊夢を食い破らんばかりに荒れ狂っている。
そしてそれを把握すると同時に、紫の驚異的な頭脳は全てを理解した。霊夢の願望、霊夢の礼の理由、霊夢の心境。その全てを。

「ありがとう紫。あんたが私を巫女に選んでくれたから、私は生き延びることができた。あんたの仕事は完璧よ。卑下することなんかないわ」
「…偶然だわ。私が貴方を巫女に選んだのはそこまで考えてのことじゃない」
「それでも、よ。貴方はよくやっている。どうせ胡散臭いあんたのことだから、他人に褒められたりしたことなんてないんでしょう?」

霊夢は紫の正面にまわり、その紫の頭の上にある帽子に手をかける。

「だから私が褒めてあげる。偉いわ紫。あんたは他の誰にもできないことを一人で頑張っている。もっと胸を張っていいのよ」

どうしてこいつはこんな偉そうに、こんなことを言うのだろう。紫は笑いとばす筈だった。

「あんたの行動の裏には、誰かしら助けられているやつがいるのよ。もっと自慢していいの。私が幻想郷を維持しているのよ、すごいでしょって。さもなきゃ私みたいにジリ貧になるわよ。体験者が言うんだから間違いないわ」

ちょっと苦笑しながら、霊夢のしわの刻まれた手が、紫の頭をなでる。今の霊夢の身長は紫を追い越していた。何歳のときに、身長差は逆転したのだろう。

「明日以降の戦で、今の幻想郷が嫌いだ、管理者は仕事がなってないなんていうやつがいたら私がお仕置きしてやるわ」

私も今の幻想郷が好きだしね、と霊夢は付け加える。

「だからほら、笑って。せっかく褒めてやってるんだから嬉しそうにしろとは言わないけど、そんな変な顔しないでよ」

馬鹿霊夢、と紫は心の中で霊夢を罵る。そんなこと言われて、どうやって笑えばいいのか紫にはわからなかった。
勝手に涙があふれてくる。止められない。泣き顔と笑顔の境界を操ったとしてもなお、この涙は止まらないだろう。

既に夕日は山向こうへ沈み、夜の帳が下りている。烏の鳴き声も気付けば聞こえなくなっていた。
蝉の鳴き声もなぜか聞こえない。紫の泣き声だけが神社に響いていた。
全ての思考を次元の彼方に追いやってただ泣くことが、こんなに幸せなのだと、その日紫は初めて理解した。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「落ち着いた?」
「うぅ、えぐ、落ち着かないわよう」

紫の心はいまや太極図のごとく白と黒の塗り替えを続けていた。
紫の行動の全てを受け入れてくれる理解者を得たのだ。そのことを考えると、体は羽のように軽く、なんだって出来そうな気分になる。
だが、その理解者を一週間後には失ってしまうのだ。その避けようがない未来に、今度は一転して絶望する。体は底なし沼に沈んだかのように重く、どうすればいいか分からない。
故に紫には泣き続けるしか出来ない。

「ほら、いい加減泣き止みなさい。厚化粧が落ちてるわよ」
「ぐすっ、厚化粧なんて、してないわ、うぅ」
「してるじゃない。ほら、いつもの人を食ったような胡散臭い表情はどうしたの?」

表情そのものが厚化粧、か。言いえて妙である、と紫は納得した。確かに紫はあの胡散臭い笑みで本心を隠してきた。幻想郷の維持の為なら、どんな下劣なことでも厭わない、という本心を。
だがその厚化粧はいとも簡単に剥がされて、あまつさえ醜いと自認していた素顔を褒められてしまった。

もう少し、この余韻に浸っていたかった。初めて得た喜びと、第一次月面戦争以来の絶望に。
だが、霊夢には時間がない。こうやって紫の相手をしている間は、霊夢は準備をすることも、休みを取ることも出来ないのだ。
あんまり情けないところを見せるわけにはいかないわね、と紫は感情を押さえつけガッツで立ち上がる。

「ごめんなさい霊夢。もう大丈夫よ。結婚しましょう」
「もう少し休んでいたほうがよさそうね」

軽口を叩いている間に、紫はいつもの厚化粧を済ませる。これが一番端的に、立ち直ったことを霊夢に伝えられるだろう。

「やあねぇ、私は本気よ。霊夢なら良い旦那さんになれるわ。そして働きもしないで私を責めるのよ。紫、飯って…あれ?」
「あまりいつもとかわらないわね」

言いつつ霊夢は紫の表情を伺い、安心したような表情を浮かべる。
その霊夢を痛ましい表情で見つめ、そして耐えられなくなった紫は口を開く。

「霊夢、ここには私たちしかいないわ。貴方まで厚化粧をする必要はないわよ?」
「…なんのこと?」
「もう私には全て分かっている。貴方、自身の感情からも「浮いている」んでしょう?」

その発言を聞いた途端、霊夢の顔から表情が抜け落ちる。

「流石、ほんとに分かってるのね」

無表情、かつ無感情に霊夢はつぶやく。

「ええ、あなたの能力は貴方を食いつぶしている。そんな状態で、まともに感情など表せるはずはないわ」
「じゃあ、私がさっき貴方を褒めたことも嘘だと思う?」
「思わないわ」
「何故」
「無駄だから。今のあなたにとって、あれだけ感情がある振りをする芝居をすることには全く意味がない。だから、そうしようと思っていたのでしょう?感情がある時は。そして感情がなくなってからも、無駄と考えつつもそう行動できるように心に刻み込んだのでしょう?強い意志で、そうせねばならないと。あれ自体は芝居だったのかもしれないけれど、私はただの芝居に涙を浮かべるような無垢な乙女ではなくてよ?貴方の心は八雲紫が確かに受け取りました」
「そう、良かった」

心残りの一つ目は解消されたわね、と霊夢は息を吐く。若干霊夢が安心したような顔を浮かべたような気がしたのはやはり紫の気のせいだったのだろうか?


  ◆   ◆   ◆


「一つ、お願いがあるのよ」

霊夢はポツリと語る。

「いいわよ。何かしら?お姉さん今なら何でも聞いちゃう」
「今後の巫女についてなんだけど」

ツッコミがなかったことは紫にはやはり心苦しかった。今までの霊夢なら、たとえどんな非常時でも「この馬鹿何を言っているんだ?」と言わんばかりの冷たい目線を向けてきた。
今は、それすら、無い。

「私は自分の都合で、妖怪たちに挑むわけだけど」
「ええ」
「これを博麗の巫女の義務にしたくないのよ。意味は分かるわね」
「勿論」

霊夢の言わんとすることを紫は理解した。
霊夢は自分が妖怪のガス抜きをすることによって、次世代以降の巫女が、妖怪達に自分がやったことと同じことを期待される可能性を危惧していた。
すなわち、妖怪のガス抜きが博麗の巫女の義務に名実共に加えられないようにして欲しい、と霊夢は懇願しているのだった。

「任せておきなさい。ええ、夫の願いを聞くのは妻の役目ですものね」
「お願いね。ただ私はあんたの夫じゃないけど」

そこだけはきっぱり否定しなくてもいいじゃない、と紫は歯噛みした。

「じゃあ、これは私からの最後のプレゼント」

紫が言うや否や、周囲の空気が変わったことを霊夢は理解した。周囲に結界が張られたのだ。

「これは?」
「境界の結界。半径4kmで設置したわ。まあつまり、博麗神社の周囲一里とはどこまでかを分かりやすくしたって事よ」
「それだけじゃないんでしょう?」
「…この結界は一定以上の力を持たぬ妖怪の侵入を防ぐ効果がある。つまりはフィルターね」
「不公平ね。誰にでも挑む機会は均等に与えられるべきよ。解除して」
「この程度の結界を超えられない連中には、他にいくらでも全力を出す機会があるわ」
「…」
「一体でも多くの妖怪のガス抜きをしたいなら、受け入れなさい。貴方が死んだ時点で、このお祭りは終わってしまうのだから」

紫の主張の正しさを霊夢は認めた。霊夢も一度はふるいにかける事を考えたのだ。
一般人でもかろうじて撃退できる程度の妖怪を退治するのにたいした手間がかからないとは言え、どれだけわずかでも、体力と霊力が削られるのは間違いない。
やはり数は脅威である。母数を減らしておくことは十分に効果があった。不公平感はあるものの、目的を果たす為にはそのほうが良いだろう。

「仕方ないわね。あんたの言っていることは正しい。ああ、あとありがとう」
「どういたしまして」
「ただこれ以上の助力は」
「分かってるわ。妖怪のガス抜きに必要なのは、あくまで妖怪同士の決闘じゃなく、「人間を襲う」という行為ですものね。一週間、私が貴方に手を貸すことは無いわ」
「了解」

これで二人の間で交わしておくべき事柄は全て終了した。
現在の時刻は八時半を回っている。

「ねえ霊夢」
「なに?」
「他に何か、準備しておくことはある?」
「もう済ませた。何も無いわ」
「そう、じゃあ」
「?」
「おやすみなさい」

紫がそうつぶやいた瞬間、霊夢の意識は暗転した。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「おはよう霊夢。目が覚めた?」
「…今は」
「葉月の八日、午後11時30分。これ、置いていくわね。デジタル電波時計」

そういうと紫はスキマから針のない数字だけの時計を取り出す。確かにLEDは23時30分を表していた。
霊夢は自分の状況を確認する。どうやら3時間近く紫に膝枕をされていたようであった。
場所もいつの間にか、紫と話していた参道から社務所の中へと移動している。
紫の腿はいかなる境界を操ったのかえらく頭の載せ心地が良かった。膝枕特有の疲れもまったく無い。
つまるところ、博麗霊夢は全快していた。

「私が貴方に出来ることはここまで。あとは全て貴方次第よ」
「…ありがとう、紫」
「さようなら、霊夢。生まれ変わったら夫婦になりましょう」
「そうね、憶えていたら考えておくわ」

死亡フラグを遺して、八雲紫は霊夢に振り向くことなくスキマへと姿を消した。
多分、また泣いているのだろうな、と霊夢は直感した。

(あと、30分)

霊夢は最後の確認を行う。神社の建築物には全て、保護の為の札が所狭しと貼り付けてある。これから始まる戦いにどれだけ耐え切れるかは分からない。
せめて社務所ぐらいは弟子の生活の為に残しておいてやるべきだろう。出来る限りの防備は固めておく。

賽銭箱の鍵を開け、中を覗き込む。今日も賽銭は0円である。
いつものことなので特に気にせずそのまま鍵をかける。
賽銭箱には防護符は張られていない。

本殿に背を向ける。博麗神社には拝殿も楼門も無い為、そのまま鳥居と参道を見渡すことが出来た。

ここで繰り広げられた数多の戦いが思い出される。
魔理沙と、咲夜と、早苗と、紫と、レミリアと、名前を挙げればきりが無い。多数の人妖と、ここで争ってきた。
今では霊夢の弟子や東風谷の三代目が、かつての霊夢と同じように争いを繰り広げていた。

(あと、20分)

あの子はうまくやっていけるだろうか?と霊夢は考える。若干自己主張を抑えすぎるきらいがあったから、それが少し心配であった。
霊夢の弟子である少女と東風谷の三代目は仲がよかった。互いにれーちゃん東風谷さんと呼び合い、毎日共に修行したり喧嘩したり妖怪退治に出かけたりしていた。
少女は紫が連れてきたため年齢不詳であり、それをいい事に東風谷の三代目は少女に対しお姉さんぶっていたが、どこをどう見ても落ち着きの無い東風谷の三代目と落ち着き払ったあの少女では東風谷の三代目のほうが妹分であった。三代目が事件を起こし、全く関係ない彼女まで巻き込まれるということは割と日常茶飯事である。

それでも、霊夢は東風谷の三代目に感謝していた。友人がいるということは喜ばしいことである。
霊夢自身も魔理沙には振り回されっぱなしであり、また魔理沙が神社に利益をもたらすことなどほとんど無かった。霊夢の存在が、魔理沙にとって利益を生むことも多分無かっただろう。だからといって魔理沙が横にいることを疎んだことなど、死を覚悟したそのときまで一度も無かった。魔理沙とて同様だろう。親友とはそういうものだ。

出来ることならば二人、切磋琢磨して成長していって欲しいと願う。それが霊夢の二つ目の心残りであった。
だが今は願う振りをするだけである。既に霊夢にはそう願うだけの心が無かったから。

(あと、10分)

そして、最後の一つ。
霊夢が死ぬ前に再度顔を出すといった霧雨魔理沙は姿を見せない。
余りに自分勝手を言い過ぎて愛想をつかされたのだろうか?
死を宣言した霊夢のことなど既に眼中になく、魔術の研究に忙しいのだろうか?
まあ、いい。最初に突き放したのは霊夢だ。あれこれ言う資格など無い。

夢を追っている魔理沙の目が霊夢は好きだった。霊夢には特に夢など無かったから。
目を輝かせた魔理沙が隣にいるときは自分も輝いているように思えた。それが投影に過ぎないことを知りつつも。
魔理沙に聞いてみたかった。あんたが種族魔法使いにならないのは、私が隣にいるからなの?と。
私をおいて行くことが出来ないから、あんたは人間のままでいるの?と。

魔理沙の重荷にはなりたくなかった。魔理沙は夢を追って、何者にも縛られず、どこまでも飛んでいくべきだ。
この能力が魔理沙のために使えればいいのに、そう思っていた。

しかし現実はどうだろう。無重力の能力は魔理沙のために使うどころか制御すら出来ず、そして霊夢は魔理沙に別れすら告げられない。
だが、まあ、いい。
仮に霊夢が魔理沙の重荷だったとしても、一週間後にはそれは消えてなくなる。何も問題はない。

魔理沙のことは振り払い、霊夢は気を引き締める。

5,

4,

息を、吸う。

2,

1,


紫が持ち込んだでじたる時計とやらが、耳障りなリズムを奏でる。
不協和音をファンファーレに博麗霊夢の死の舞台が幕を開けた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





「いっちばーーーーーーん!!!!!」

叫び声が神社に響き渡る。
それと同時に黄と茶の衣装に身を包み、絹のような金髪をポニーテールに結んだ少女が鳥居を飛び超えてくる。
まだ、日付が変わってから5分と経っていない。一里の境界でスタンバイしていたといわんばかりの速度であった。
神社の石畳を砕いて、着地する。

「来たわね、一番手はあんたか。黒谷イワナ」
「ヤマメだ」

間違えた。

「黒谷ヤマメ」
「ちぇーっ、せっかく一番手で乗り込んできた相手にそれって酷くない?」
「これも相手のやる気をそぐ作戦のうちよ」
「嘘付け」

霊夢の仕掛けた高度な心理戦は一瞬にして破られる。
しかし名前を間違えられたことなどもはやどうでも良いかの様に、ヤマメは目を輝かせて問いかける。

「で、全力でやっていいんだよね?」
「ええ、あんた程度の全力なんて博麗の巫女の前では塵にも等しいということを思い知るといいわ」
「イーヤッホーーーゥ!」

叫ぶや否や、ヤマメの姿が変わっていく。四肢が太く磨き上げられた突撃槍のごとく変化する。胴体からも服を突き破り同様の脚がさらに四本。
その全身は黒光りする甲殻と金色の産毛に覆われ黒と金の縞をなし、背中からは七色に光を反射する2対の翅が生えてくる。そして頭部には鈍く輝く目が8つ。

黒谷ヤマメだったものは、体長5mを越す大蜘蛛に変化していた。

「へえ、それがあんたの本性ってわけ?」
『いやいや、真の姿はさっきまでのあっち。ただ、私は人の肉も、恐怖の感情も同じように美味しくいただけるからねぇ』

霊夢の問いに、くぐもって聞き取りづらくなった声でヤマメは答える。

「なんだ、つまりこけおどしってわけね」

確かに、人に恐怖を与えるには少女の姿より今の姿のほうが効率的であろう。
だが、こけおどしなど霊夢には何の意味も無い。

『まあ、この姿になったから強くなるってわけじゃないわね』

ヤマメは正直に答える。

『けど、この姿のほうが力を振るいやすい!』

叫ぶと同時にヤマメは霊夢に突進し、前脚を振るう。
その一撃は霊夢を捕らえることは無かったが、まるで神社の石畳を豆腐か何かのように抉り取った。
カウンターで霊夢が放った封魔針は甲殻に阻まれ、ダメージを与えることなく地に落ちる。

「ふん、成る程。力は変わらなくとも甲殻で攻撃を防ぎ、増えた脚による手数で圧倒できるぶん、都合がいいってわけね」
『そういうこと!さあ、いつまでかわせるかしら!』


  ◆   ◆   ◆


ヤマメの攻撃は熾烈をきわめた。その巨体から想像も出来ない速さで移動し、4対の脚が霊夢を抉らんと振り回されるたびに神社の石畳が粉砕される。
だが、その猛攻も霊夢を捉えることは無い。まるで未来が読めているかのごとく、霊夢は避け、警醒陣を張って防御する。
霊夢と付き合いの長い者達がこの場にいれば、霊夢が回避よりも防御にまわる割合の多さを指摘しただろう。
衰えている。それでも霊夢は完全にヤマメの攻撃をしのいで見せた。
だが。

突如霊夢の体がぐらりと揺れる、そう、それはまるで熱に浮かされたかのように。

『かかったわね!』

そう、ヤマメの能力は病気を操ること。戦いながらヤマメが撒き散らしていたウィルスは人目に触れることなく、その体を蝕んでいく。
動きを止めた霊夢をヤマメの脚の一本が襲い掛かる。
その脚は霊夢をぼろ雑巾のように吹き飛ばす。


筈だった。

『な!』

一瞬、よろめいた霊夢だったが、その後はこともなげにヤマメの攻撃を回避する。

『馬鹿な!病はどうした!』
「馬鹿はあんたよ」

気付くとヤマメの脚の一本の関節に札が撒かれた封魔針が刺さっていた。
ヤマメが引き抜く前にそれは爆発し、ヤマメの脚を吹き飛ばす。

『アアアアアア゛ア゛!』
「残念だったわね。これでも私は結界を操る巫女よ?うぃるすだかなんだか知らないけど、そんなもの通すわけないじゃない」

静かに、しかし威厳をこめて霊夢は語る。それは病に負けた人間の姿ではなかった。最初にふらついたのも芝居だったのだろう。
空を飛ぶことすら不要とばかりに轟然とヤマメを下から見下ろす。

『ありえない!私はもともと体内に保持されてるウィルスだって活性化できるのに!』
「ああ、そっちは永琳に検査してもらって全て抗体とやらを作ってもらったわ」
『な……』
「あんたがやるべきことは2つ、力で押すか、それとも私の体を覆う結界を打ち抜いて、直接病気を叩き込むか。好きなほうを選びなさい」

そのとおり、別に病に冒せなかったからといってまだヤマメが負けたわけではない。その程度で引くようならこんな祭りに参加しない。
返答の変わりに、先ほど吹き飛ばされた己の脚を霊夢に向かって蹴り飛ばすと同時にヤマメは霊夢に向かって再度突進する。
その顔は満面の笑みを湛えていたが、霊夢には蜘蛛の表情など見分けがつかなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


二人の決着がつくまで、さほど時間はかからなかった。

「まだやる?」

霊夢はヤマメに問いかける。

『いや、もう、無理』

ヤマメは答える。既に脚は2本を残して吹き飛ばされ、複眼も残り2つまで潰されていた。
蜘蛛の巣を張り巡らせ、動きを制限した上での立体機動も、高速で吐き出した粘着糸も霊夢を捉えることはなった。
清々しいほどに惨敗である。

ヤマメは蟲化を解き、人型へと戻る。
元の姿に戻ったヤマメの手足は折れ、吹き飛び、あらぬ方向へ捻じ曲がっている。片目はつぶれ、全身のいたるところから出血していた。
それでも、ヤマメは片目で実に満足そうに笑う。

「洒落になんないわ。結界は破れないわことごとく抗体が用意されてるわ。お見事。完敗よ!」
「ま、あんたの敗因は引き篭もり、ってとこね。情報弱者お疲れ様。技術革新に置いてかれたものの末路は哀れなものね」
「それって酷くない?地底の妖怪は勝手に地上に出ちゃいけないんだよ?」

そう言いつつも、ヤマメの表情は晴れやかなままだった。
折れ、吹き飛んだ手足は粘着質の糸と硬質の糸で補強し、傷口にも止血用の糸を吹きかけてヤマメは応急処置を済ませる。

「はは、全て出し切ったっていうのに。人間の技術も馬鹿に出来ないね。でも、楽しかった!またやろう霊夢。次はもっとすごい病を用意しておくからさ!黒死病にも天然痘にも負けないような!」
「その前に結界を打ちぬく手段でも考えたら?」
「あははは、後わたしに勝ったからサービス。最初の三日間の相手は地底の妖怪だよ。地上、地底で話し合って順番を決めたんだ。今日このあとに続くのは、地霊殿の連中さ。明日は鬼、級地獄街道のターンだ」
「ふうん、そう」
「なにそれ、せっかくとっておきを教えてあげたのに」

ヤマメは片腕で器用に肩をすくめる。

「あ、まだあった。霊夢、最後に一撃だけ勝負しよう!お互い、一撃だけ」
「心残りがあるのね。いいわ、反撃で吹っ飛ばしたげるからそのまま帰りなさい」

気だるそうに霊夢は答える。
それを見た黒谷ヤマメは実に楽しそうな表情で宣言する。

「憤死「中二病」!」

宣言と同時に黒い霧がヤマメの体からあふれ出す。それは圧倒的な狂気を含み、しかし一切の危険を孕まず霊夢の体へと纏わりついた。
それは霊夢に一切の苦痛も異常も感じさせず、故に霊夢はいぶかしむがこれも永琳の薬の効果と考え思考から除外する。

「?なにこれ?さてじゃあお帰り、ヤマメ。スペルカードオープン「ブルースカイ・シール」!」

霊夢が放ったいつもの夢想封印、じゃなかったブルースカイ・シールは容赦なくヤマメを境内から吹っ飛ばした。

「あははははははは、効いた、効いたぞぉーう!!」

ただでさえ満身創痍だった上に追撃でぼろ雑巾のようになりながらも、一矢報いて心底満足げな表情を浮かべながら、黒谷ヤマメはリタイヤした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「はあ、何だったのやら」

一人になった霊夢は逆に憤懣やるかたなしといった表情であった。
霊夢はヤマメの笑顔を思い出し、苛立ちを覚える。
何であいつはあんなに楽しそうに去るのだろう。
私は魔理沙に別れすら告げられなかった。
私はあんな能天気なやつを楽しませるだけに自分を犠牲にしているのだろうか。
ああ、なんて、妬ましい。

「ああ」

自身の感情の変化に気付いて、霊夢は両手で両頬をパン、と張る。
先ほどまでの負の感情はそれでたちまち霧散していった。

「出てきなさい。パルスィ。それとも吹き飛ばされるまで隠れてる?」

鳥居の影から、水橋パルスィが姿を現す。

「一応、普通の人間なら爪どころか指を食いちぎるぐらいの精神攻撃だったんだけど。頬を張るだけで解除とかなんなの?貴方本当に人間なの?」
「今ちょっと感情が無くなりかけててね。普段なら効いたんでしょうけど、悪いわね。こればっかりは私でもどうしようもないのよ。フェアじゃなくて申し訳ないけど」
「嫉妬心なんて存在しないってわけね。実に妬ましいわ」

パルスィは己の爪を噛み、実に妬ましげな視線で霊夢を一瞥する。

「ま、そんなわけで荒事なら付き合うわよ。あんたも鬼の一種なんでしょう?」

そう問いかける霊夢にパルスィは妬ましげな表情を崩さず答える。

「私は都会派なの。暴力に訴えるなんて野蛮なまねはしないわ」
「なるほど、そういえば宇治の橋姫は都で生れ、都に消えた鬼だったわね。あんたもそうなのかしら?」
「ふん」

その霊夢の問いかけに答えることなく、水橋パルスィは霊夢に背を向ける。
全力の精神攻撃が効かなかった以上、パルスィにはここに留まる理由が無いということのようだ。
どうらやそのまま地底に帰るつもりのようであった。

「あなた、いろんな輩から愛されているわね。ほんと、妬ましい」
「あんただって、割と愛されてるわよ?以前、偶然地下に迷い込んだ人間の子供が緑目の怪物に導かれて無傷で地上に戻ってきたって一時期話題になってたわ。あれ、あんたなんでしょ?」

パルスィはぎくりと足を止めて振り向く。
どうやら心当たりがあるようだった。

「ば、馬鹿じゃないの?私がそんなことするわけ無いでしょう?誰よ、そんなこと言ったのは?」
「いや、ふつーに新聞でばら撒かれてたから。ついでに言うとその子の両親なんてお礼を言う為に新聞に広告まで載せてたわよ?あんた、新聞取ってないの?」
「な゛っ!」

パルスィの顔が朱に染まる。

「よ、妖怪にお礼とか、そいつら馬鹿なんじゃないの?狂ってる。正気じゃないわ!」
「人間ってそういうもんでしょ?助けてくれるなら妖怪でも敬う。助けてくれないなら神だって呪う。あんただって分かってるでしょうに」
「ああ、もう、だから人間なんて嫌いなのよ!節操が無いし。自分勝手だし。勝手に好きだって言って勝手に嫌うし!」
「実に感情豊かで妬ましいわ」
「私の台詞をとらないで!もう、せっかくの祭りだからって地上に出てきたのに、なにこの仕打ち。最悪よ!」

歯軋りしながらパルスィは霊夢に背を向け神社を後にした。
感情を失いかけている霊夢には何がなんだかさっぱり分からなかったが、所詮は妖怪の考えること、理解できるはずもなしと頭を振る。
そしてその後、さとりのペットと思しきアニマル軍団が群れを成して現れたのであっさりと霊夢はパルスィについて考えることをやめた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「残念だったわね。お燐、お空」

神社より半里ほど離れた平地にて、霊夢は目の前に転がる妖怪たちを見下ろしながら物憂げにつぶやいた。
あたりにはすさまじい熱気が立ち込めている。真夏の熱帯夜ということを差し引いてもその暑さは異常である。一部の地面は溶け、ガラス状になっているところすらあった。
濛々と気焔を上げる地面には数多の妖獣が転がっている。鹿のような者、象のような者、亀のような者、千差万別である。
最初はみな人型を取っていたのだが、今はみな力尽き妖怪としての素の姿をさらしている。

霊夢の暴れっぷりはすさまじかった。鹿の角をへし折って突き刺し返し、象の突撃を他の妖怪へ誘導し、亀をひっくり返して他の妖怪へ向けて蹴っ飛ばす。
例を挙げれば限がない。鬼人のごとき暴れっぷりで百を軽く超える妖獣妖怪をこともなげに粉砕していった。

結果、既に大概の者が容赦なく蹂躙され人化を維持できないほどに体力を消耗していたが、それでも未だかろうじて人型を維持し続けている者たちもいる。
緑がかった黒服に身を包んだ少女と、白と緑の上下に白い外套をまとった少女。
さとりのペット達の中でも一番の古株、火焔猫燐と、霊烏路空である。

「連鎖反応停止、出力低下。もう、とべません…」
「立て、立つんだあたい!せっかく合法的に霊夢を強い死体にするチャンスなのに!ぬおお!熱くなれよもっと熱くなれよあたい!!」
「死体に強い弱いも無いわよ。…いや、そんなこともなかったか」

知り合いの死体奴隷愛好家を思い浮かべながら、霊夢は理解できないとばかりに首を振った。

「そういえば、空」
「うにゅ?」
「あんた、最初は八咫烏の力をつかってなかったわよね。あれ、どうして?」

霊夢は疑問を口にする。
そう、霊烏路空は最初は八咫烏の力を使わず、地獄鴉の能力だけで挑んできていた。
最初は自分の能力すら忘れたのかと思っていたが、どうやら空は意図的に己に授けられた能力を封印していた感があった。
八咫烏の力を解放しようとして、一度だけだが逡巡した挙句にまた地獄鴉の地力だけで挑みなおしてきたのが霊夢には気にかかっていたのである。
霊夢としては空の攻撃を上空へと誘導する手間がずいぶんと省けた為ありがたかったが、空が欲求不満で終わっては意味がない。

「それは、山の神さまもさとり様も、この力はみんなを幸せにするためにある力だっていうから、だから」
「だから、戦闘に使うべきではないと?」
「ええ、そのとおり」
「そう、偉いわね。あんた、立派に神様してるわ。どっかの祟り神なんかよりはるかに」
「ふふーん」
「まあ、途中からはそんなことすっかり忘れてたみたいだけど」
「むむむ」
「なにがむむむだ」

嘆息し、霊夢はお燐のほうを向く。

「じゃあお燐。悪いけどそこら辺に転がっているやつらを回収してってくれる?あんたせっかくいいもの持ってるんだし」

戦闘中に燐が投げ出した猫車を霊夢は指差す。

「いやいや、あたいの猫車は死体を運搬する為にあるのであって、そんなタクシー代わりに考えられても」
「成る程。死体にすれば回収してってくれるのね」
「ノオ!ストップ!プリーズ!」
「分かったらとっとと回収して。ほら、いつまで寝てるのよ、とっとと立ちなさい」

霊夢は這いつくばる燐を爪先で小突く。
鬼、悪魔とつぶやきつつよろよろと立ち上がり、燐は空と共に辺りに転がった同胞達を回収し、地震の猫車に山と積み上げていった。
回収されたペット達は抗議の声を上げることも出来ないほど疲れ果てていたのか、燐と空の成すがままに、ピラミッドの一部となっていった。

「じゃあね霊夢、楽しかったよ。…死体に出来なかったのは残念だけど」
「ごきげんよう霊夢。次こそは私とフュージョンしましょ、心も体も熱く融け合うほどに」
「一人で燃えて溶け落ちろ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


アニマルピラミッドが姿を消した後霊夢は神社へと戻り、やれやれと賽銭箱の前にある短い階段に腰を下ろす。
そのまま軽く伸びをし、境内を軽く見回した後、夜空に目を向ける。空には静かに地上を照らす上弦の月。

その月に目を向けながら、何気なく、しかしすばやい動作で霊夢は左腕を動かし己の胸の前の何もない空間を横から握り締めた。

「え?」

声を上げたのは霊夢ではなかった。霊夢は口を閉ざしたまま何もない空間を握っている。
実際には霊夢には何もないように見えている、いや、見えているのに視えていないだけなのだろう。

「まったく、一息つく暇すらないわね…姿を現しなさい、こいし」
「あらら、何でばれちゃったのかしら?」

その声と共に、霊夢の目の前に色素の薄い少女が姿を現す。
瞳を閉ざした覚り妖怪、古明地こいしの姿がそこに現れる。

「私にはあんたは意識できなかったけど、結界が妖怪に反応したことには気付いた。それだけよ」
「結界が張ってあったの?気がつかなかったわ」
「目に見えるものだけが結界じゃないわよ。後は等間隔に結界を展開して、その反応を確認すればいい」

こいしの能力は無意識を操る能力。霊夢の無意識に潜り込むことはできても、意識のない結界は騙せない。
そして結界が反応することで、霊夢は己に近づいてくるそれを認識できなくとも把握できる。

「近づいてどうするか。頭蓋を叩き割る、首を落とす。色々あるけどあんたは間違いなく、心臓をえぐりにくると思ってた」

そう、こいしの右手は霊夢の胸を貫き、心臓をえぐるべく突き出されている。それを勘と先読みで霊夢の左手が捉えたのだった。

「どこを狙ってくるか分かってれば、かろうじて姿が見えなくても何とかなる。過信したわね。あんたの姉だったらこの程度の目論み、すぐに看破したわよ」
「あら、わたしがお姉ちゃんに劣っているって言いたいのかしら?」
「まさか、あんたの意識外から攻撃できる能力は恐ろしいわ。今みたいに一対一なら気がつけるけど、乱戦中に襲われたら対処しきれない。だから」

霊夢はこいしの腕をつかんだまま立ち上がり、有無を言わせぬ圧力でそのまま歩みを進める。
腕を拘束されたこいしは霊夢に合わせて後退するしかない。
そして、参道の中ほどまで来たところで、霊夢の霊力が爆発的に膨れ上がり、同時に霊夢とこいしの周辺に輝く霊力の弾が生み出される。

「後顧の憂いを断つために、あんたはここで死になさい」

その霊夢の口調に、こいしは産毛が逆立つのを感じた。霊夢が本気であるということを肌で理解する。
もともと覚り妖怪はその能力で話術を駆使して相手を翻弄するタイプであり、身体能力は人間よりは高いものの、お世辞にも強靭とは言えない。
あの光弾がすべて打ち込まれれば、こいしは跡形もなく、いや手首だけを残して消し飛ぶにちがいない。

「じょ、冗談、よね?」
「なんで?私はこの一週間妖怪を殺さない、なんて言ったおぼえはないけど。あんたは私を殺そうとした。正当防衛だわ。それに」

霊夢は恐ろしく冷たい声で言い放つ。

「無意識であっちへふらふらこっちへふらふら、あんたなんていてもいなくても同じじゃない。最初っから無価値なんだから、死んだって同じでしょう?」

その言葉は錐の様に、こいしの心へ突き刺さる。

「そ、そんなことないわ。私にはペットがいる。お姉ちゃんがいる。お姉ちゃんは私を理解してくれる、ペットは私を必要としてくれる。私は、無価値なんかじゃない…」
「本当に?さとりの、ペット達の心を読んだの?自分達に旧地獄の管理を押し付けてふらふらし、己に都合が良いときだけ他者の相手をするようなあんたを憎んで、妬んで、嫌ってないって、本当に言えるの?目を閉ざしたあんたに?」

こいしは何も言い返せない。そう、人も妖怪も、心が優しさに満ち満ちているなどありえない。たとえ肉親に向ける感情であっても。だからこいしは目を閉ざしたのだから。

「逃げるのは卑怯でもなんでもない。苦しい事、つらい事から逃げ出すのは仕方ない。逃げて、見知らぬ土地で己の存在意義を探しなおしてもいい。モラトリアムは許容されるべき。でも、それはいずれ力を蓄えて、再起する為の逃走だから仕方ないと許されるのよ」

熱気で霊夢の舌が乾く。唾を飲む。

「でもあんたは何もしない。何も探そうとない。何も得ようとしない。何も問いかけない。あんたみたいにありとあらゆる物から目をそむけて、逃げ出して、それでものほほんと不自由なく存在しているなんて、無価値以上に無駄だわ」
「そんな、こと、ない。私だって…」
「あんたに仮にしっかりした意思があって行動しているなら私も気には留めなかったんだけどね。あんた無意識で動いているんでしょう?私には無意識を説得できる自信はない。だからここであんたを放したって、あんたは再び、何の意図も意味も持たずにふらふらと私を殺しにくるかもしれない。私の命は、今を懸命に生きるやつにこそくれてやるわ。あんたみたいな無価値な妖怪に殺されてやらない。だから、繰り返す。あんたはここで死になさい」

霊夢が掲げた右腕に、周囲の光弾が反応する。こいしの右腕は万力のような霊夢の左腕に捕まったままだ。いくら非力な妖怪とは言え人間の、ましてや老婆如きに腕力で押し負けることないはずなのに。
こいしの体は金縛りに遭ったかのように動かない。躱さなきゃ、反撃しなきゃ、という思考だけが空転する。

「さよなら、こいし。夢想封印 集」

周囲の光弾がこいしめがけて殺到する。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ、まだ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!)

ただそれだけがこいしの頭を支配する。何故死にたくないのか自分でも分からない。
霊夢に言われるまでもない。自分の存在の無意味さには気がついていた。それを誇ってすらいたはずだった。なのに。
己の思考の理由も分からず、故にさらにこいしの思考は恐怖と動揺で拡散し、ばらばらになっていく。

「……し」

(誰?霊夢?)

「…いし」

(違う。この声は)

「こいし」

(お姉ちゃん?)

混乱したこいしの頭の中に響いていたのは在りし日の姉の声だった。
ふと気付くとそこはこいしの部屋。先ほど戦っていたはずの霊夢もいない。ただこいしとさとりの姿だけがある。いつの間に地霊殿に?

「こいし、聞いてください。先日地上から人間がここを訪れましてね。それが面白いほどに、何も考えていないのですよ」

古明地さとりは楽しそうに笑って消えた。
姉の後ろには猫がいた。

「あ、こいし様、協力してください。すごい死体として有望な人間を見つけたんですよ!二人であれを亡き者にして地霊殿のロビーに飾りませんか!!」

火焔猫燐は嬉しそうに笑って消えた。
猫の後ろには鴉がいた。

「こいし様。私はいま私の中に宿る力に目覚めたんです!わたしは、みんなを幸せにするために生まれ変わったのですわ!」

霊烏路空は幸せそうに笑って消えた。
烏の後ろには鏡台があった。姉とおそろいの鏡台。しかし埃をかぶっているからこいしの物と分かる。
他者に見られることがなくなったその日から、不要となって心の中で捨てた物。その鏡台の三面鏡を開く。

(鏡をのぞくと私も微笑んでいる。でも、笑っていない。だって、嬉しさも幸せも理解できない。だから、笑っているけど笑ってない。笑みが顔に張り付いているだけ)
(あんなふうに笑えたら、いいことあるのかな?だとしたら、私もああいう風に、笑いたいな。どうやったら、あんなふうに笑えるのかな?)

「「「知りたいですか?」」」

三面鏡の中のお姉ちゃんが、燐が、空が訊ねる。
彼女らの姿は溶けて、交じり合い、博麗霊夢の姿をとってこいしに語りかける。

「それは、心の赴くままに行動しているからよ」
「私の心ってなに?」
「さあ、さとりじゃないから私には分からないわ。あんたにしか分からない。自分の内側、中心をのぞいて見なさい」

(私の中心にあるものって?)

そう考えたこいしの目の前で霊夢の姿が掻き消える。次に映ったのは洋館だった。美しいステンドグラスをはめ込んだ、すこし灰をかぶった概観。そして少女が帰るべき家。

(地霊殿だ。これが私の中心?)

地霊殿の中のこいしの部屋の鏡の中に地霊殿がある。あまりに異様な光景だわ。
そう考えるこいしの前で地霊殿の扉がひとりでに開け放たれ、あれよと思う間にこいしは鏡の中の地霊殿に吸い込まれる。


  ◆   ◆   ◆


さっきからおかしなことばかり。一体何が起きてるのか。霊夢は一体どこへ行ったのか?それとも己がどこかへ飛ばされたのか?これは夢?幻?
たぶん己の能力も関係しているのだろうが、考えても答えなんて分からない。諦めてこいしはそのまま鏡の中の地霊殿を進む。こいしが進むたびに、先の扉が開け放たれる。あらこの道順は。
やがてたどり着いた先は彼女のたった一人の姉の部屋。そこにいたのは当然、不健康そうな顔色をした少女、古明地さとり。こいしにとっての唯一の肉親であった。

「お姉ちゃん?」

問いかけてみるが、目の前のさとりには聞こえていないようだ。さとりはため息をつく。

「こいしは今日も帰ってきませんね」

紅茶を不味そうにすする。不意に廊下に足音が響きわたる。
さとりははっとして顔を上げる。

「こいし?」
「さとり様、ただ今戻りました」
「あ…お燐、お疲れ様」
「すみません、今日もこいし様の足跡すら見つけられませんでした。…ごめんなさい」

火焔猫燐は心苦しそうに主に向かって頭を下げる。

「そう、やっぱりあの時霊夢に挑んで返り討ちに遭ったのかしら?10年以上も戻ってこないなんて。霊夢も死んでしまったし、閻魔様も知らないっていうし、確認のしようがないわね。…無意識の亡霊にでもなってしまったのかしら」

(え?)

こいしは自分の耳を疑った。

「そ、そんなことないですよ。私がこいし様を見つけられなかったのはこいし様が能力を使っているからで…」
「気休めを言わないで!!」

さとりは手にしていたティーカップを燐に投げつける。
燐はそれを避けなかった。

「あ……、ごめんなさい、お燐…」
「いえ、紅茶なんて旧灼熱地獄の炎に比べたら何てことないですよ。あたいもう一度こいし様を探してきますね」
「待ってお燐!貴方もう1年以上も探し回っているじゃない!少し休みなさい!いえ、お願いだから休んで頂戴!」
「心配御無用。地霊殿の妖怪はみなタフが売りなんですから。伊達に地獄で生れたわけじゃないですよ」

さとりにウインクして、燐はさとりの部屋を後にする。

「あ、あ、ああああああああああ!!!」

扉は閉まり、ただ一人部屋に取り残されて古明地さとりは絶叫する。

(なんだ、これ。なんなの?これは未来の光景なの?そんなことより、お姉ちゃん。その様は何よ!)

崩れ落ち、涙を流すさとりにこいしは問いかける。

「どうして、どうしてよお姉ちゃん!私なんていてもいなくても同じじゃない!」

目の前の姉に問いかける。答えはない。

「どうせいつもあっちへふらふら、こっちへふらふらして帰ってなんて来ないんだから!いないことのほうが当たり前でしょう!」

古明地さとりは答えない。答えない。答えない。

「お姉ちゃんはいつだって笑っていてよ!私みたいに逃げ出した臆病者じゃない。お姉ちゃんはどんな時だって目を閉じなかった、強い覚り妖怪なんだから!」

それが、こいしがいなくなっただけでこんな風になってしまうなんて。
だが、しかし、それはつまるところ。

「私は、お姉ちゃんの心の拠り所だったの?こんな私でもお姉ちゃんは必要としてくれていたの?」

答えはない、目の前でうずくまるさとりにこいしの声は届かない。
だが、既に言葉による答えは必要なかった。

「つまり、私がお姉ちゃんより幸福であることを願うのがお姉ちゃんの心で」

(そうか、これが私の心)

胸の奥でかすかに燻っている火を見つける。

「お姉ちゃんが私より強くあることを願うのが私の心だったんだ」

心の奥、長年無意識に身をゆだねていても消えることはなかった埋火に手を伸ばす。

「こんな未来にはならないよ。私はちゃんと、地霊殿に帰るから。だからもっとしゃきっとしてよ」

目の前のさとりにその言葉は届かない。だが、その必要もない。
この光景は決して現実のものではない。これから現実にもならない。

胸の奥が熱い。埋火がこいしに火をつける。
その火は炎となって目の前の光景の全てを焼き尽くし、灰にして吹き飛ばす。


目の前には三面鏡がある。
鏡に映ったこいしはもはや笑っていない。それは強い意志の宿る、決意を秘めた表情だった。
三面鏡をぶち壊そうとして、こいしは拳を振り上げ、そしてやめる。これはまた、これから必要になるのだ。
目の前の三面鏡をパタンと閉じて、古明地こいしは覚醒する。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


気付けば霊夢が放った光弾が迫ってきていた。結局先ほどの光景が夢だったのか幻だったのか。こいしには分からない。
だが、分かることが一つ。古明地こいしはここでは死ねない。
覚悟を決めて霊夢を視る!

今のこいしには光弾の動きが予測できた。いや、読めた。一撃目は前方からこいしの左腕を吹き飛ばさんと飛翔する。迷わず左腕を上げて回避する。
次は両足狙いだ。両足で大地を蹴る。右腕が固定されたままだが問題ない。そのまま宙返りする形で、二撃目、三撃目を回避する。スカートがめくれ、下着があらわになるが気にしない。どうせ誰も見ちゃいない。
むりやり己の右腕を霊夢の左腕から引き剥がすと同時に、そのまま霊夢の後ろへ背を向けて着地する。結果、こいしの背中を狙っていた四撃目はそのまま霊夢の正面へ向かう形となり、霊夢自身がこれを消し去った。

(後4発!)

霊夢の背中へ向き直る。
霊夢を視る。次は5撃目、6撃目!わずかな時間差をおいて、左右後方からこいしを挟撃する。もはや光弾を見る必要はない。こいしは踊るようにステップを踏み、背を向けたままその2つを回避する。

(後2発!)

霊夢もまた背後のこいしへ向き直る。
斜め左前方からこいしをの頭を吹き飛ばさんと迫る一撃をスウェーバックで回避する。帽子が落ちる。気にしない。続く最後の一撃は斜め右前方から、体の中心、心臓狙い。
だが全てかわすのは癪だ。迎撃するのみ!

「想起「夢想封印 集」!」

鈍く明滅する7つの妖弾が発生する。霊夢のように輝く光弾ではない。数も一つ足りない。明らかな劣化模造品だ。だが、しのぐには十分!

「あたれぇええええええええええ!!!!!!」

その全てを、迫る光弾と、その後ろにたたずむ霊夢に向けて打ちはなつ!
その妖弾は3発が光弾と相殺し、残る4発が四方から霊夢を打ち砕かんと襲い掛かる。
だが、その妖弾を一瞥した霊夢は動じる様子もなく、悠然とつぶやく。

「四重結界」

瞬時に霊夢の周囲に強固な4つの方壁が展開され、こいしの反撃は結界に衝突してあっさりと消えうせる。
それでも古明地こいしは息を切らしながら笑っていた。薄ら笑いではない。生の実感のこもった笑みである。

「ふうん、目を開いたのね」
「ええ、今なら霊夢の考えていることだって何よそれ!」
「何が」
「『別にあの程度の弾速なら、冷静に対処すれば目視で回避できたはずだけど』って、そんなのあり?せっかく覚悟を決めたのに!」
「いや、そんなこと私に言われても」『いや、そんなこと私に言われても』

呆れたようにため息をつく霊夢。ご丁寧にも心の中でも同様にため息をついている。
だがこいしは気がついた。霊夢の口調が変わっている。戦闘前の冷徹な口調はなりを潜め、今は空虚かつ無感動、しかしどこかやさしげなような気もする口調であった。

「なんだ、全て霊夢の掌の上ってわけか」

まったく、目の前の枯れかけた巫女は覚り妖怪の心すらたやすく操る。成る程、これでは誰も人間扱いしないわけだ。

「でさ、あんた、目を開けたってことは今は自分の意思で動けてるの?」
「勿論よ。まあたぶん目を閉じて無意識モードにも移れるけど。覚り妖怪の美味しいとこ取りね」
「ああ、そうなの。じゃ、やっぱ動きは封じておくべきね。夢想封印 散」
「ちょ、おま」

こいしは慌てて霊夢の心を読む。何か、なにか対抗できる攻撃は?

『ミッシングパワー。ミッシングパープルパワー。ミッシングパワー。ミッシングパープルパワー…』
「想起、ミッシング…って、無理にきまってるじゃない!しかもさっきより弾がでかいし早いし!」
「ふん、あんまり久しぶりなんで忘れちゃったのかしら?」『開眼一発目の怪光線を忘れてて表層しか読めない覚り妖怪なんて敵じゃないわ』
「まったくだぁぁぁー!」

なれないことはするもんじゃない。
今度の威力低下、されど速度と範囲重視の夢想封印は覚り妖怪の身体能力では、どうやっても回避できそうになかった。

『しばらく地霊殿でおとなしくしてなさい。…あんまりさとりに心配かけるんじゃないわよ』

そんな霊夢の心を瞳に映しながら、古明地こいしは光弾に吹き飛ばされ木っ端のように宙を舞った。

(まあいいや、霊夢も手加減したようだから多分死なないでしょ。でも多分七日七晩は身動き取れなくなるんだろうなー。ああでもその間はおねえちゃんが付きっきりで看病してくれるわけで。うんそれもいいかも。これで看病がペットまかせだったらぐれてやる)

あんな幻を見たせいで心がうずく。

(久々にお姉ちゃんの生の笑顔と怒り顔と赤面と、あといろんな表情を堪能しよう。あ、でも泣き顔はしばらくいいかな)

そこまで考えたところでこいしの意識は暗転した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「さて、と」

霊夢はこいしが先ほど落とした帽子を拾い上げ、自分の頭の上に載せる。
赤い大きなリボンは齢20を越えた辺りからしなくなった――今はただ肩甲骨まである髪を赤い布紐で束ねているだけである――頭にはこいしの帽子はちょっとゆるかった。
あら私ったら頭は小さいほうだったのねぇ、などと考えつつ、霊夢はべちゃりと石畳に落下したこいしの傍に歩み寄る。

「ほらパルスィ、出てきなさいよ」

まるでデジャビュのように水橋パルスィが鳥居の影から姿を現す。

「なによ」
「なによ、じゃないわよ。早く仕事をなさい。最初は何しに来たのかわかんなかったけど、あんた、こいつを回収しに来たんでしょ」
「なんでそう思うのよ」
「だってあんた、さっきすごくやる気なさそうだったじゃない。一発で分かったわ。ああ、こいつ私と殺りに来たんじゃないなって」

パルスィは顔をしかめる。

「私に攻撃を仕掛けたのはあくまで本能であってただのおまけ。そうじゃなきゃあんなにあっさり退かないでしょう」
「…」
「大方、能天気に地上へ向かうこいつを見かけて心配になって上がって来たってところかしら。あんた、ほんとに架け橋の守護者なのね」
「ふん、さとりに恩を売っておけば何かと地底での活動が楽になる。それだけよ」

パルスィは不機嫌そうにこいしを背負う。
霊夢は気絶したままのこいしの頭に、先ほどから自分の頭上にあった帽子をのせる。

「じゃ、後は頼んだわよ」
「うるさい、死ね」
「言われなくても一週間後には死んでるわ」

無感情に返す霊夢の返答にパルスィは息を呑む。

「なによ、ほら、いつもの決め台詞はどうしたの?」
「死に焦がれる人間なんて、妬ましくもなんともないわ」
「そう」
「だから、まあ、死ぬまで頑張りなさい」
「あんたって、ほんと優しいのね」
「その能天気な思考が妬ましいわ」
「その台詞が聞きたかった。普段どおりって感じがするわ。…さよならパルスィ。これからも地底と地上を繋ぐ通路の守護者、よろしく頼むわよ」
「ふん」

うまく返す言葉がなかったのだろう。パルスィは頬を紅く染めたまま、こいしを背負って神社を後にした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



霊夢は社務所の裏へと回り、井戸の水で喉を潤す。
燐や空の相手で汗をかきすぎたせいか、軽くめまいがする。冷たい井戸の水が心地よかった。

社務所へ戻り、紫が持ち込んだでじたる時計とやらを見る。文字盤には「8/9 03:42 26℃」という数字が並んでいた。
辺りに妖怪の気配はない。どうやら今日は打ち止めのようだった。

「ま、予想通りね」

妖怪は夜に活動する。そして今は夏。日付が変わってから夜が明けるまでは四時間弱しかない。
故に初日である今日は夜が短く、あまり妖怪が訪れる事はないだろうと霊夢は踏んでいた。
そして霊夢の読みどおり、夜明けを一時間余前にして既に周囲に妖怪の姿はなかった。

今日を選んだのは正解だった。相手は義理堅い、必ず神社を訪れるだろう。霊夢は確信していた。
水分補給も済ませ、軽い休憩もすませた霊夢は再び本殿正面へと移動する。
ほら、やっぱり。

「博麗神社へようこそ慧音。歓迎するわ」

鳥居の下、銀髪に月の光を反射させて、里の守護者、上白沢慧音がそこに立っていた。


  ◆   ◆   ◆


「それで、一体何用だ?時刻まで指定して私を呼びつけるとは。わざわざ「今」を選んだんだ。相当重要な内容だと思うのだが」

慧音は訝しむ。もとより納得できないことが多々あった。
霊夢の弟子より霊夢の言付けとして伝えられたのは

「葉月の9日、午前四時前後に博麗神社まで来られたし」

という内容だけであった。その余りに簡潔な文章は傍から読めばまるで果たし状のようであり、慧音に不審を抱かせるには十分であった。
だが、今は霊夢にとって最も重要なときである。
慧音もまた、霊夢が己の命を賭して妖怪の不満を解消しようとしていることを看過していた。
もしかしたら、これが霊夢の遺言になるかもしれない。そう思うとどれだけ逡巡しても無視するという選択肢は選びようがなかった。
そんな慧音の疑念をあざ笑うかのように、霊夢は口にする。

「別にたいした用じゃないわ。ちょっと私と殺し合いをしてもらおう、そう思っただけ」
「!何を言っ…て?」

慧音は霊夢の顔を見る。霊夢は驚く慧音には目もくれず、慧音の背後の空間を見上げていた。つられて慧音も振り返る。
そこにあったのは、存在するはずもない、空を覆い隠すほどの満月であった。

「馬鹿…な…一体あれは…!今日は満月ではなかったはず!」

慧音の体は慧音の意思に反して変貌を遂げていた。尻からは尻尾が生え、頭からは二本の鋭い角が覗く。
半人半獣。ワーハクタク、上白沢慧音のもう一つの姿がそこに顕現する。

「その通りよ。あれは私が永琳に頼んで作ってもらった2つのうちの一つ。一つはあらゆる病気に対する抗体、そしてもう一つが、あの古代の月。いやはや、すごい満月光線ね」
「何故、あんな、物、を…」

慧音は苦しそうにうめく。あの月は拙い。あらゆるものの狂気を助長する。
現在の月とは比べるべくもない、圧倒的な狂気の光が今、博麗神社には降り注いでいた。

「決まってるじゃない。あんたに狂ってもらうためよ」
「何…ダと?」

慧音は霊夢の発言を疑った。己を狂わせて、一体霊夢は何をしようとしているのか?
霊夢の意図が理解できず、慧音は懇願する。

「あの、月を、消しテ、くれ。抑え、らレない」
「抑える必要なんかないわ。解き放てばいい。その、獣の本性を。あんた、私が気付いていないとでも思ってたの?」

殺し合いをしよう、というその発言内容からは理解できないほど落ち着き払ったまま、霊夢は語る。

「ナにを、だ」
「その狂気、その闘争本能、半妖として抑えられないその破壊衝動」
「…押さエ、きれなくなんか、ナい」
「あんたは強い。あんたの意志はいずれ必ずその衝動を克服する。…でも、まだあんたは未だ獣人としては若すぎる。そう、押さえ切れているはずがないのよ。あんたは今まで自分を欺いてきていただけ。その頑固な石頭で、押さえ込めていると、そう強く思い込んできただけ」
「レいム、オネガイダかラ」
「要石と同じよ。無理矢理押さえ込んできたものは、何かの機会に暴発する」
「ソンナ、こトハ」
「村人を、妹紅を、襲いたくはないでしょう?今ここで、全てを吐き出しなさい。…心配する必要はないわ」

博麗霊夢は嘲笑うかのように詰問する。

「あんた、私に勝てるとでも思ってんの?」
「ア、ア、アアアアアアアアアアアア!!!!」

その嘲りは慧音の意思に反して慧音の殺意に火をつける。狂おしいほどの殺人衝動に突き動かされて、慧音は霊夢に向かって突進した。

「それでいい。さあ、暴れましょうか。あんたが最後。司会のしっとお姉さんもサファリバスガイドも帰っちゃったし、博麗わくわく動物ランド、あんたを倒して閉園よ!」

偽りの月の光を照明代わりに、霊夢と慧音、二人の人間の守護者は死の舞踏を繰り広げる。
月の光を打ち消す、太陽が昇るその時まで。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



寝苦しさに、霊夢は目を開ける。まぶしい。既に太陽は南中まで移動していた。
暑いわけである。気温は既に30℃を軽く超えていた。
紫が持ち込んだでじたる時計とやらを見る。文字盤には「8/9 12:15 34℃」という数字が並んでいた。
今日も蝉の大合唱が聞こえる。実にうっとおしい。

「目が覚めたか。アニマルハンター」

声をかけられる。慧音だった。とうの昔に人の姿に戻り、ざるを持ったまま霊夢の顔を覗き込んでいる。

「慧音、おはよう」
「おそよう、だ。霊夢。そうめんを茹でてある。わずかながら天麩羅も用意した。お昼にしよう」
「食欲がないわ」
「なくても食え。お前は人間なのだから。食わねば一週間持たないぞ」

有無を言わせぬ慧音の口調に霊夢は嘆息する。

「はぁ、仕方ないわね、食べてあげるわ、感謝なさい」
「私が勝手にやったこととはいえ、ここまで偉そうな人間は天人以外では初めて見たよ」

慧音は呆れたようにつぶやき、社務所のちゃぶ台にそうめんと薬味を用意した。


  ◆   ◆   ◆


「その、な」
「何?」

そうめんをすすりながら、慧音はばつが悪そうに口を開いた。

「すまなか…いや、ありがとう、霊夢。私を救ってくれて」
「むぐ…気にしなくていいわ。いや、やっぱ気にしなさい。そしてその海老天を私によこしなさい」
「もう若くないんだ。油物の取りすぎは内臓に負担をかける、抑えたほうがいいぞ。用意した私が言うのもなんだが」
「やかましい。つべこべ言わずによこしなさい」
「腹減ってないんじゃなかったのか…ほら」
「よろしい。礼は受け取ったわ。この話はこれで終わりね」

海老天以上の礼は不要とばかりに、霊夢は強引に話を打ち切る。
慧音の服からのぞく首元には――おそらくは首から肩にかけて――血のにじんだ包帯が巻かれていた。
さしもの霊夢もそれは無視することは出来ずに問いかける。

「怪我の調子はどう?あんまり手加減できなかったけど。…グレートホーンから流れるようにハリケーンミキサーとか、はっちゃけすぎよあんた」
「それにカウンターをあわせて飛翔白麗で迎撃したお前が言うか?むしろ私としてはお前こそいい年して何やってるんだと言いたい」

至近距離の満月光線はいささか強烈過ぎたようであった。

「…忘れましょう」
「そうだな、互いに狂いすぎた」
「慧音、昨晩の歴史、食べといてくれる?」
「食あたりにはなりたくないな」

やるせなさが二人を包み込む。
互いに黙ってそうめんをすする。
再び、慧音が口を開く。今度はしっかりとした口調だった。

「ありがとう、霊夢」
「それはさっき聞いた。同じことを二度言うなんて無駄よ、無駄無駄」
「思い知らされたよ。私は、私を受け入れていなかったんだな、里の皆は私を受け入れていてくれたというのに」

霊夢の発言を無視して、慧音は言葉をつむぐ。

「受け入れたくなかった。私に、人を襲いたいという欲求があるなど。よく考えれば、半妖なんだから当たり前だというのに」

霊夢は黙ってそうめんをすする。

「お前の言うとおりだ、私は、石頭で、意固地だった。…霊夢」
「うん?」
「私は、この感情を支配できるようになれるだろうか?」
「できないと思っているうちは、できないんじゃない?」
「そうだな、そう、その通りだ。霊夢、ありがとう」
「そう」

相槌を打って、霊夢は黙って箸をおいた。

「あんたが何に感謝してるのか、私にはさっぱり分からないけれど」

霊夢は湯飲みを手にする。

「何かに感謝の念を感じているなら、これからも里を守っていって」
「断る」

お茶をすすろうとした霊夢の動きが止まる。

「ようやく表情を変えたな?…ふふ、これからは私は裏方に回るよ。里を守るのは、博麗の巫女に任せる。当然、可能な限りの補佐はさせてもらうつもりだが」

弟子を貧乏巫女にしたくないだろう?と慧音は笑う。

「そうね。よろしく頼むわ」
「頼まれた。全身全霊を以って、お受けしよう」

慧音は笑う。霊夢も、つられて微笑んだように慧音には見えた。


「ところで」
「なんだ」
「あの子はうまくやってる?」
「ああ、たいしたものだよ。さすがお前の弟子だ」
「弟子じゃないわ。師匠らしいことをしたことなんて、一度もないもの。お師匠様って呼ぶなって言ってるんだけどね」

どこか苛立たしげに霊夢は言葉をもらす。

「師匠らしいことをしてないとはどういうことだ?」
「だって私は実演して、秘伝書を渡して、これ身につけておきなさい、って言ってただけだし」
「なんだと?」
「ここが分からない、って言われても私もわからないの。何が分からないか分からない。だから魔理沙や東風谷の二代目のほうがよっぽど師匠らしいことをしてるわ」

人に物を教えるなんて柄じゃないのよ、あんたじゃあるまいしと霊夢は語る。

「まあでもあの子はちゃんと博麗の巫女としての技能を身につけた。全部あの子の才能よ」
「……」
「なに怖い顔してるのよ」
「霊夢、お前は何故巫女としての技能を身につけたんだ?」

真面目な顔で慧音は問いかける。そこにははぐらかすことを許さない迫力があった。

「他にする事がなかったからよ。ま、一種の暇つぶしね」

憶えてからは、妖怪退治って言う新しい暇つぶしができたけどね、と霊夢はどうでもよさそうに語る。
慧音は眉間にしわを寄せる。

「では、お前の弟子が何故巫女としての技能を身につけていると思う?」
「私と同じで他にすることがないからじゃないの?博麗神社の業務なんて呆れるほど少ないし。仕事大好き咲夜や妖夢が巫女になったら仕事の無さに泣くわね。多分」

それがどうしたの?と霊夢は虚ろな表情を慧音に向ける。

「…そうか。だが…今…伝えても…」

霊夢の問いかけには答えず、慧音は一人つぶやきながら思考の海へと沈んでいった。
流石に霊夢も不審がって慧音に声をかける。

「ちょっと、慧音」
「…いや、すまない。なんでもないよ。ちょっとした好奇心からの質問だったんだ。混乱させたのなら謝る」
「?まあ、いいんだけどね」


  ◆   ◆   ◆


慧音はその後、八つ時まで霊夢と雑談した後、境内の整頓は私がするから、と霊夢に仮眠を勧めた。
霊夢が目を覚まし、境内に視線を向けたときには昨日紫と会話していたときと変わらぬ光景が広がっていた。
整頓どころか、昨晩の戦闘の跡など影も形も見当たらない仕上がりである。

慧音は、「これも歴史を食う能力のちょっとした応用だ」と笑いながら帰っていった。
今晩から、一夜まるまるの死闘が始まる。
しかもヤマメの言を信じるなら、今晩の相手は旧地獄の鬼。相手にとって不足どころか過分である。
少しでも、戦いなれた環境のほうが良い。
ありがとう、と慧音がいなくなってから霊夢は境内で一人呟く。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


昨日と変わらぬ、紅く染まった幻想郷に烏の鳴き声が響く。

紫が持ち込んだでじたる時計とやらを見る。文字盤には「8/9 18:10 29℃」という数字が並んでいた。

霊夢は装備を確認する。
御幣は持たない。鬼相手に打撃戦を繰り広げるだけの腕力は残っていない。
…蹴りならばまだかろうじていけるだろうが。

日が山陰に沈み始め、それと同時に周囲に異常なまでの妖気が立ち込める。その途端、わずかに聞こえていた蝉の鳴き声が一瞬にして静まる。
個体数は100を超えまい。数ならば昨日のアニマル軍団のほうが上である。だというのに今日の妖気は圧倒的な密度を誇る。
鬼気迫るとはまさにこの事。一体一体の放つ妖気が桁外れであった。

霊夢は境内に八方鬼縛陣を敷く。
管理者として人には決して敵わない相手、鬼や龍すらも相手にしなければならない時がある、博麗の巫女だけが使える専用術式。その一つ。
失われた正式な鬼の退治法とは別に博麗の巫女に伝えられている、鬼退治の為の切り札。

出来る限りの準備は整えている。来るが良い。

そして夜の帳は下りる。
二日目、開幕。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「ヤッホー霊夢。生きてるかしら?」

社務所で仮眠を取っていた霊夢は目を開ける。飛び込んできたのは黒い帽子からこぼれる、夏の空と同じ色をした髪、そして鼻腔をくすぐる淡い桃の香り。
比那名居天子が、霊夢の顔を覗き込んでいた。

「あら天子、じゃなかったてんこ、とそれに衣玖か」
「ちょっと、わざと言い直したでしょう?」
「ばれたか」

霊夢は体を起こす。まだ少し体が重かった。
紫が持ち込んだでじたる時計とやらを見る。文字盤には「8/10 10:05 30℃」という数字が並んでいた。
どうやら5時間ほど眠っていたようだが、未だ疲れは取れていない。

「しっかし、派手にやったわねー、鳥居、どこ行ったの?」

周囲を見渡して天子は尋ねる。参道の先には天子の髪と同じ青空だけが広がっている。既に博麗神社には鳥居など影も形も見えなかった。

「今頃冥界で幽霊になってるわ。鳥居の幽霊」

石畳は吹き飛び、砕かれ、散乱し、本殿も既に半ば崩壊している。本殿には防護符が大量に貼り付けてあったのだが、それでも鬼の猛攻の余波には耐えられなかった。
賽銭箱は陰も形も見えない。たぶん蒸発したのだろう。

「無事なのは社務所だけですか。惨憺たる有様ですね」

いっそ感心したかのように衣玖が語る。
幸いなことに、霊夢が鳥居と本殿の間に陣取っていたおかげで少し離れた位置にある社務所はかろうじて無事であった。

「社務所が残ればいいわ」
「あんた、本当に巫女なの?普通本殿が残ればいい、でしょうが」
「本殿だけ残っても生きていけないわ」

きっぱりと、霊夢は断言する。
その霊夢の様子に呆れたように天子は首を振った。

「で、あんたら、何しに来たのよ。私疲れてるんだけど」

気だるそうに霊夢は問いかける。疲れているのは事実だった。一晩で100体近い鬼を相手にしたのだ。
未だ自分が生きている実感がない。

「何よ、人がせっかく石畳だけでも修復してやろうと思って降りてきたのに」
「さっさと帰れ」
「ちょ、何よその態度!頭にきたわ!絶対許さない!」
「総領娘様。自分が以前何をなさったか忘れたのですか?霊夢の言もあんまりですが、疑われても仕方がありませんよ」

天子は以前、壊れた神社を修復すると見せかけて細工をし、神社を自分の別荘に仕立て上げようとしたことがあった。
それが紫にばれて、ボコボコにされたのも今は昔の話である。
体の丈夫さが自慢なら墓石程度痛くもなんともないわよね?と笑う紫に、比那名居てんこと刻まれた墓石を延々と叩きつけられ、心身ともに深い傷を負ったのは苦い思い出だった。
とどめに放たれた廃電車の行き先もご丁寧に「てんこ」だった。ちきしょう!
倒壊した神社で繰り広げられたその光景を霊夢に見られたせいで、いまだに天子は霊夢からてんこ呼ばわりである。

「う、まあ、そうだけどさ。いきなり人の好意を踏みにじること無いじゃない」

天子はすねたような表情を見せる。
天人の癖にころころと表情を変える天子に霊夢は苦笑する。

「そう、悪かったわ。…お願いできる?」
「え?ええ、任せておきなさい!」

自信満々に天子は頷き、昨晩霊夢が陣取っていたあたりへと移動する。
緋想の剣が地面に突き刺されるや否や、穴だらけであった地面は隆起し、見る見るうちに整地されていく。
何度も見慣れた光景だが、改めてその鮮やかさに霊夢もへえ、とため息を漏らす。

「ざっとこんなもんね、で、次は、と」

天子が手をかざすと、空から長方形の石が雨あられと降ってくる。瞬く間にそれらは地面の上に敷き詰められ、石畳を再生していた。
数分と経たず、本殿を除いて境内の修復は終了した。
天子がドヤ顔を浮かべて社務所のほうへと戻ってくる。

「どうよ!」
「…見事なものね、でも、あの石畳って」
「当然、要石よ」
「持って帰れ」
「だ、大丈夫よ。これは地面に刺しているんじゃなくて、ただ乗っけて並べただけだから!地震を押えつける効果も無いし、取り払っても地震を誘発したりしないわ」
「…そういうのは先に言ってよね。はぁ、まあ、ありがと。お礼にそこにあるの好きなのもってっていいわよ」

霊夢は社務所の奥に山と積み重ねられた品々を指差す。

「そこにあるの…って、うおお、宝の山じゃない!」
「あんた本当に駄目な子ね。物欲が見え隠れしてるわよ」
「総領娘様、はしたないですよ。…とは言え、すごいですね。これ、どうしたのですか?」
「さっきまでやりあってた鬼が置いてったのよ。鬼に勝ったんだから宝を得るのは当然だ、って」

そう、昨晩、霊夢は旧地獄の鬼達を相手に延々と死闘を繰り広げていた。
鬼達は呆れるほどに律儀であった。一人一人名を名乗り、正面から恐れることなく霊夢が敷いた八方鬼縛陣の中へ踏み込んできた。
別に霊夢は一対一でなければならない、などと指定した覚えはないのに、霊夢が相手をしている一体が敗れるまで次の相手が挑んでくることは無く、敗れれば嬉しそうに敗北を認め、宝を残して去っていった。
三体程度で同時に襲い掛かれば、霊夢は朝日を拝むことなど出来なかっただろうに。

「名前、憶え切れなかったわ」

霊夢のつぶやきの意味が分からず天子は首を傾げる。衣玖は柔らかな面持ちで霊夢を見つめていた。

「ま、そんなわけで境内を直してくれたお礼に好きなの持ってっていいわよ」
「…いいわ。あれはあんたのものよ。大切になさい」

天子も何か思うことがあったのだろう。宝の山を前にしてあっさりと引き下がった。
靴を脱ぎ、霊夢の横によっこいしょ、と腰を下ろす。

「でさ、二人に少しお願いがあるんだけど」
「何よ?」「なんでしょうか」
「何でもいいからさ、札とかあまってない?このままじゃちょっと足りなそうなの」

下っ端とは言え鬼を相手にするのはやはり容易なことではない。八方鬼縛陣で7割がた力を削いでいるというのに鬼達の猛攻は留まるところを知らなかった。
霊夢には出し惜しみする余裕など無く、この一週間を乗り切る為に手元に用意した装備の半分をたった一晩で失ってしまったのである。
手元の札が尽きても何とかするあてはあったが、可能であれば補充しておきたい。

「要石ならあるけど」
「それは私には使えないわ」
「じゃ、じゃあ緋想の剣を貸してあげるわ。未熟者が使うと己の気質に振り回されちゃうけど、霊夢なら大丈夫よ」
「…未熟以前に私に天人用の剣が振るえるわけないでしょう?あんたEマーク確認しないタイプね」
「ではこれはいかがでしょう?趣味で集めたものですが、爆雷符という大陸の道士が使う札です。仙人に至る前の道士用装備なので人間の貴方でもいけるのではないかと」

衣玖の差し出す札を手に取り、霊夢は霊力を込めて打ち出す。
先ほど天子が修復した石畳の一部が雷撃と共に爆散する。

「ちょっと、せっかく直したのに!」
「使えそうね。あるだけもらえるかしら」
「ええ、どうぞ」
「ごめん天子、直しといて」
「非道い!あんまりだわ!」

自身の扱いの軽さに天子は怒り、立ち上がって社務所を後にしようとした。
だが、靴を履き、歩き出したとしたところで、霊夢に後ろから抱きとめられる。

「ごめん、いじめすぎた。様子を見に来てくれて、ありがとう」

とっさの出来事に、天子は言葉を返すことが出来なかった。

「自発的に私を心配して来てくれたのは、あんたが最初よ。嬉しかったわ、天子」
「…ねえ、霊夢」
「なに?」
「…私も、手伝おうか?…ほら私だって、その、天「人」だし」

天子の背後で、何かがこすれる。
かろうじて天子にはそれが、霊夢が首を振ったのだと理解できた。

「駄目よ、天人は既に人知を超越した存在よ。妖怪からすれば、人間とは見なされない」

それは、悲しいかな天子の予想通りの回答だった。


  ◆   ◆   ◆


天子は昔を思い出す。
なぜ、自分は神社に地震を起こしたのだったか?と。
それは今でも明白に思い出せる。

天子は、特別扱いされたくなかった。天界では比那名居一族は常に特別視されていた。
七光り、付属物、そんな言葉がついてまわった。だが、周りの天人は意外にもそこに何の悪意も害意も込めてはいなかった。
天人として成熟した連中である。ただ事実としてその語を用いるだけであり、比那名居一族を傷つける意思などそこには全く無かった。
いや、なんだかんだで一応は天人として迎え入れていたからこそ、天人の心がその程度で傷つくことなどあるわけ無いと考えていた。自身が仮にそう言われたとしても傷つくはずもなかったから。
だが、天人として未成熟な天子はそう言われることが辛かった。地上人とさして変わらぬ思考を持つ天子にはそれは間違いなく嘲りだった。
だから特別視されたくなかった。他者を特別視しない友人が欲しかった。

そして博麗神社に目をつけた。
今代の巫女は、人間の癖に人間だろうと妖怪だろうと立ちふさがるものは等しく叩き潰すと評判だったから。
そして勝負を挑み、それが真実であると知った。妖怪だろうと、天人だろうと、仙人だろうと、霊夢の扱いは変わらなかった。

…変わらない扱いを望んだのに、特別でありたいと思うようになったのはいつからだったろうか?
天子には思い出せない。わりと最初からだったのかもしれないし、ごく最近かもしれなかった。

「霊夢」
「なに?」
「神社が傷ついたら、呼べばいつだって直しに来るわ。だから、約束して」
「なにを?」
「私の名前を呼んで。その後に投げつける言葉はなんだっていいわ。私に声をかけて。私を天子って呼んで」
「私が生きているうちは、そうするわ」
「…死なないでよ。霊夢。お願いだから。私が死ぬまで死なないでよ!」
「私が死んだって、魔理沙がいるじゃない」
「霊夢は霊夢、魔理沙は魔理沙よ!どっちかが生きてればどっちかが死んでいいなんて訳ないでしょう!!」

天子は思いの丈を全てぶつける。
もうこれを逃しては機会がないと思われたから。

「無理よ。私はただの人間だもの。遅かれ早かれ、あんたよりは早く死ぬわ」
「だったら」
「悪いけど、天人になるつもりもないし、寿命を延ばすつもりもないわ」
「どうしてよ!天人は私を理解してくれない。あいつらは完全すぎる!地上人は私を理解してくれない。あいつらは私を過大視しすぎる!私は、私として見て欲しいの!」

天子を抱いた手を緩めぬまま、静かに、霊夢は語る。

「人間の里に、上白沢慧音っていう半人半獣がいるんだけど」
「知ってるわよ。それが何よ」
「あいつ、もともとは人間だったのに、ある日いきなり獣人になったため、里の連中から白眼視されるそうになったそうよ」
「!?」
「でもあいつは元通り里に溶け込んでいる。それどころか、慕われてすらいる」
「だから、なによ!」
「慧音が受け入れられたのは、それを望み、そうありたいと努力をしたからよ。半天人半地上人のあんたは、慧音に匹敵するだけの努力をしたの?」
「なによ偉そうに!じゃあ貴方はどうなのよ。人に好かれるような努力をしているの?」
「してないわ。だから賽銭箱はいつも0円。妖怪退治を依頼される以外は、里の人間との付き合いなんてほとんど無かった。ましてや個人的な付き合いなんて。そして妖怪を退治したって、大して感謝なんてされない。滑稽でしょ?私は人間からすれば幻想郷における最大の守護者、博麗の巫女なのに」
「…」
「私みたいになっちゃいけない。あんたは私以上になれる。あんたが私を友人と思ってくれるなら、あんたは必ず誰かの友人になれる。自ずから私の神社を直してくれたように、誰かに手を差し伸べられる人間であって」
「ひどいよ、霊夢。私の願いは聞いてくれないのに、貴方は自分の願いを私に押し付けるの?」
「私がそういう人間だって、あんたは知っていたはずよ」

そう、博麗霊夢は、どうしようもないほど自分勝手な巫女であった。
天子は体を震わせる。

「何よ天子、あんたまで泣くの?」
「うるざい、泣いてなんかないわよ」

霊夢は、天子の胸に回していた腕を解く。
気付けば、先ほどの札束だけを遺して、永江衣玖は姿を消していた。空気を読んだのだろう。

「しっかしあんた何年経っても驚くほどまっ平らよね。腕にふくらみがまったく感じられなかったわ。桃以外も食べたほうがいいわよ」

そして博麗霊夢は空気を読めなかった。
非想非非想天の光が怒髪の如く、天を貫いた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


天子はそのまま肩を怒らせながら去っていった。
吹っ飛ばされ煙を上げて大の字に地面に転がりながら、霊夢はこれでいいわよね、と独りごちる。

「あいつもどうせ、泣顔なんて見られたくなかっただろうし」

霊夢は横たわったまま雑草一本ない神社の境内を眺める。
平らに整地された地面。隙間なく、しかし硬質な印象を与えない程度に整った石畳。
おまけに石灯籠まで再現されている。

「いい仕事するわね」
「なら、そう本人に言ってあげてください」
「あら衣玖、まだいたの。それとも準備運動代わりに一敗やっとく?」

よっこいせ、と霊夢は立ち上がる。

「ご冗談を。私は雲海の中を自由に泳ぎ回ることが出来ればそれで幸せです。自ら虎口に飛び込んでく方々の気が知れませんよ」
「駄目な妖怪ね、人間を襲わないなんて。幻想郷のルールが泣くわよ?」
「人を襲わず、ただ雲の中で踊るだけの妖怪がいても良い。全てを受け入れるとはそういうことでしょう?私はそんな幻想郷が好きですよ」
「そう」

そのように言われては、霊夢も言葉を返すことができない。
ほこりを払い、社務所の縁側に腰掛ける。衣玖にも座るよう勧めたが衣玖は軽く首を振る。
長話をするつもりはないということだろう。

「天子のこと、よろしくお願い。本来あんたにはそんなこと頼まれる筋合いなんてないんでしょうけど」
「仕方ありませんね。ご近所さんを己の好きに選ぶことはできませんし、これが腐れ縁というやつなのでしょう」

発言内容はさもいやいやといった感じであったが、その口調の柔らかさに霊夢は安堵する。
こいつがついていれば大丈夫だろう。

「霊夢」
「何?」
「私は幻想郷で割と幸せに生きていますが、貴方はどうですか?幸せに生きていますか?管理者の一員として理不尽を強いられてはいませんでしたか?」
「分からない。幸福かどうかはわからない。でもまあ、辛いと感じたことはないし、不幸ではなかった…たぶん」

少し自信なさげに霊夢は答える。
幸福も不幸も、感覚の一部である。客観的に幸福度のランキングをつけることもできるが、それは優越感や克己心、競争心といった感情をくすぐり、刺激する為の一資料に過ぎない。
満ち足りているか否かは全て己の中にある。
だが、特に夢とか目標とかを持たなかった霊夢には、どのように幸福と不幸を分ければよいか分からなかった。
目を輝かせている魔理沙を見ると、夢のない自分は不幸なのかと考えることもあったが、それも別に長くは続かなかった。
だから不幸でなかったとは思うのだが、幸福だったかと問われるとなんとも答えることができないのである。

「なんで、そんなことを聞くの?」
「なに、唯一つ知っておいて欲しかっただけです」
「何を」

永江衣玖はやんわりと微笑む。

「管理者が幻想郷の住人の幸せを願うように、住人にも、管理者への感謝と幸福を祈る者がいるということを」
「…そう」
「私が言いたいことはそれだけですよ。では、おさらばです。ご武運を」

そのまま永江衣玖は羽衣を翻し、雲居に隠れて行ってしまった。

紫が持ち込んだでじたる時計とやらを見る。文字盤には「8/10 11:19 33℃」という数字が並んでいた。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



霊夢は衣玖と別れて昼食を済ませた後、再度仮眠をとることにした。体力を回復しておくことにこしたことはない。
だが、年老いた霊夢はそう長く仮眠を取ることができなかった。
寝よう、と思っても眠りが浅く目が覚めてしまうのである。

なので老いた己の身に散々ケチをつけた後、霊夢は遺書をしたためることにした。今日の衣玖の発言を、紫にも伝えてやろうと思ったから。
紫のことだ。どこかで聞き耳を立てているかもしれないし、今日の会話も筒抜けであったのかもしれない。

それでも、霊夢は筆を執ることが無意味だとは思わなかった。文字として明文化する。そこには十分な意味があるだろう。
だが書いては破り、書いては破りを繰り返しているうち、気付けば時刻は6時を回っていた。
おまけに書き終えてみたものはどこをどう見ても遺書とは呼べない代物である。

「ま、いいや、続きは明日書きましょう」

妖怪相手の準備に取り掛かる。
ヤマメの言を信じるなら、今日が地底の最終日。地霊殿も鬼も来た。残るは真に忌み嫌われた能力を誇る連中だろう。
新旧の幻想郷縁起を読み比べてどんな奴等がいるか、ある程度アタリはつけているものの油断は禁物。入念に装備を確認する。

まだ、死ねない。不慮の事故などあってはいけない。
そう考えた霊夢は苦笑する。死ぬために、死なない為の努力をしている自分が滑稽に思えた。


烏の鳴き声が遠ざかっていく。
そして今日もまた、夜の帳が下りてきた。
三日目、開幕。博麗霊夢は、まだまだ死ねない。













続く
信じられないかもしれませんがこのお話は作者的にはレイマリです。では後半へ。キ○グ・クリムゾン!
白衣
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3170簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
タイトルとか序盤の流れからして、豹変した霊夢の殺伐とした話かと思いきや、愛に溢れた名作でした。後編読んできます。
6.無評価コチドリ削除
命名決闘法に依らないガチの殺し合いにおいても博麗霊夢は最強クラスに分類される。
本作品はそのような前提のもとに成り立っていますよね。斯く言う俺もそんな幻想を抱いているんだけど。
ただ、物語的には前提の根拠となる描写が必要なんじゃないかって気もする。

「妖怪と人間が正面きって渡り合えるはずないじゃん」と思われる読者の方も居られる可能性も否定できないし、
霊夢だから、博麗の巫女だから、だけじゃやっぱり説得力が足りないかも。
後編を読んでいないので断言はできないんですけどね。

それ以外。
上記の点以外は文句ありません。後編の150KB弱の文章量が、読む前から足りないと思える位の期待感。
紅魔から神霊に至る全てのキャラに見せ場が用意されてはいないであろうもどかしさを感じてしまう。
キ○グ・クリムゾンなどいらんかったんや!

前編はフリーレスで失礼させて頂きます。後編を読むのがほんと楽しみ。
10.90名前が正体不明である程度の能力削除
さて、次だ。
12.100名前が無い程度の能力削除
タイトルに惹かれて冒頭だけ読むつもりが……。
後編読んできます。
13.90名前が無い程度の能力削除
ここまでで殆ど言う事無しにおもしろいです。
しかし、マキシマム・・・?ですか?w他のネタはともかくここだけやたらと浮いてるような
14.100名前が無い程度の能力削除
タグで忌避していた自分が愚かだった、とにかく続きへ。
あと作者がロボット好きってことは分かった。
24.100過剰削除
いいな。
魔理沙の動向を楽しみにしつつ次へ
28.100名前が無い程度の能力削除
飛翔白麗の流れに秘孔を突かれたぜ・・・
32.100名前が無い程度の能力削除
天子の友への想いに涙が出た
33.無評価白衣削除
前半にも御講評くださった皆様に感謝。

では補足

霊夢最強?:=二日目開幕時にちょっと触れてますが、博麗の巫女は幻想郷に必要だけど万が一にも妖怪が巫女を襲わないとも限らない。最高神である龍や、最強妖怪の鬼が絶対に狂わないとも限らない。だから明らかに人の手に負えない鬼や龍などの相手のためには八方鬼縛陣や八方龍殺陣といった特効術が神によって用意されている、といった空想です。同じ神技である天覇風神脚は(元ネタ抜きにすれば)天狗特効かな?

マキシマム?:=あってます。スキャンといったらこの人。すごい浮いてるのは自覚してたんでここは草案から推敲時に何度も残ったり消えたりしたのですが、最終的に残りました。残ってしまうあたり私は病気ですね。

ロボット好き?:=好きです。前半だけで分かっちゃいますか?どこだろう。
37.100名前が無い程度の能力削除
>前半だけで分かっちゃいますか?どこだろう
こいしちゃんのギュネイと衣玖さんのロジャーは容易にわかりましたよ
39.80名前が無い程度の能力削除
>明日は鬼、級地獄街道のターンだ
明日は鬼、旧地獄街道のターンだ

う~ん…。霊夢のおばあちゃん姿をうまく想像できなかった。「腰に痛みが走る」とか「寝てもすぐ起きてしまう」とか
以外にも歳をとったことを読者に知らせる文章がもっとほしかった。自分の頭の中では15歳霊夢から離れられない。
 中二的な台詞・中二的な展開(少し急な感じの感動にもってく展開)は読んでて、「かっこわるいなぁ…」と思ってしまった。まあ、こう思う読者も一人はいるってことで!十人十色ですし!
 さあ!後編!いきます!
44.100名前が無い程度の能力削除
>前半だけで分かっちゃいますか?どこだろう
 あと慧音の次元連結システムのちょっとした応用もですね
 作者さんとはたのしいおはなしができそうです
50.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙はどうしたのかな?
後半行ってきます。
53.100名前が無い程度の能力削除
うぐぐ……なんでこんな名作に気付かなかったのだ。霊夢の引退系の話でもヘビーな内容ですね。
霊夢に助かって欲しいと思ってるのに読み切っても鬱にならないのは展開が王道だからか。王道大好きだともさ。設定的にはどうあがいても絶望なのにきっと霊夢は助かる、もとい救われるんじゃないかとか思っちゃってますよ。
あとがきのレイマリの信頼感ぱないし。個人的にはこのssがレイマリであることになんの違和感もなかった。

いやー涙腺が崩壊する箇所が多すぎて辛い。でも続き気になるから読んじゃいますね。
このss中ではスペカルール制定からまだ数十年、これがいつまで続けられるか分からないだけに、死力を尽くした殺り合いという妖怪のガス抜きという発想は面白いと思いました。
あとこのkbに匹敵するだけの、霊夢や魔理沙・それを取り巻く人妖の感情や想いが詰まってて、誰のエピソードを読んでも無駄に感じないのがまた凄いですね。
ここでグダグダ書くよりともかく後編を読んでこようそうしよう。ただ前篇だけでも素晴らしかったのでこの評価で。
55.100名前が無い程度の能力削除
博霊の巫女は南斗水鳥拳奥義まで使えるのか···
59.100名前が無い程度の能力削除
スゥーパァースキャアァァン!!にワロタww
68.100dai削除
こいしちゃんファンとして読んで良かったです。
もちろん他の皆も好きだぜ!
83.100名前が無い程度の能力削除
天子ちゃんまじ天子