幻想郷の秋は、うつせみに無いモノで満ちる。
月光に誘われたのか、夜にはそこに無いはずのモノが突然現れることもある。
それは土地が見せている思い出だと言う者も居れば、外への帰還を果たせずに埋もれた者達の望郷がそうさせるのだと言う者も居る。
そして、秋半ばの十五番目の月夜。
柔らかい黄色の満月。その下に広がる黄金色の海。
夕方までは、そこは何も無い、背の低い雑草の生える荒れ地だった。
今は月の光を受けて、風に揺れる、尾花の海。
その中に、小さな石造りの小屋が沈みかけた船のように建っている。
小屋の屋根の上には、影がひとつ。
カラスの濡れ羽色の長い黒髪に、和洋の組み合わさったうす桃の服に臙脂のスカート。
月光は撫でるが如くその髪を流れ、風はそれを乱さぬように、遠慮をするような微かさで髪を揺らす。
「懐かしい光ね」
月光と風にその体を預けて、彼女は一人思い出を楽しむ。
永遠亭の姫、蓬莱山輝夜。
もう千年以上の褪せない記憶。
あの時に、従者であり、最後まで彼女の月からの放逐を反対した永琳と共にここに辿り着き、隠れ住んできた。
その後、「もう逃げなくてもいい」と言う言葉と共に、彼女はかつての従者や地上の兎たちと手を繋いでその隠れ家を出た。
絶対に見ることの出来ない筈の『月の裏側』が地上に光を落とし、一晩だけの狂気が地上を支配した異変。
もうあの月を見る事は無いが、それ以降、満月と共に一夜だけの『夢』が具現する。
その夢の中で遊ぶ彼女に、天から影が降りてきた。
「こんな月夜に危ないですよ。永遠亭のお姫様」
月光の光とは違う、冷めた緑の光を纏う少女は言う。
「こんな夜は蟲達がざわめくので宥めるのが大変なのです。妖もまた同じように」
その言葉に、輝夜は声のほうを振り返らずに言った。
「ならば、私が無事で居られるように守るのがあなたの役目ではなくて?」
苦笑を伴う気配が流れた。
「参りましたね。そう言われたらここを離れられません。あなたに何かあったら、永遠亭の方々に怒られてしまいます」
その苦笑さえ弄うように、輝夜は訊いた。
「あなたのその腕前で、私に心安らかな時間を頂けないかしら?」
その訊ねに、困ったように少女ーーーリグルは答える。
「注文の多いお姫様ですね。しかし望んであなたの護りを受けたからには、そのリクエストに答えるのが礼儀」
そう言って、彼女は音も無く小さく飛び、空中でダンスのようにひと回りして、柔らかく足を付く。
Ri-Ri-Ryu-Ryu…Ryu-Ryu-Riri-Ryu…Tin-Ti…Ro-Ro-Ro……
水晶の琴を控えめに弾く様なさざめきが尾花の海のあちこちから流れてくる。
子守唄のような、こころを暖める音。
しかしその謡う様な音は、かなしい夢も、たのしい夢も抱きしめた夜想曲。
ーーーこころよ、こころよ、この海を泳いで私を見にいらっしゃい。
ええ、わたしはこんなにきれい。
想いよ、想いよ、届かぬ夢を抱えるこどもよ。
あなたの夢の一途さは、私の過ごした時間を追い越せるのかしら?
越えられないなら、なぜ、八百万の者達は、こんなにもきれいなのに
こんなにも悲しいこころをあなた達に与えたの?
静かに問うような月光のソナタ。
問うのは姫様、答えるは…誰も居ない。そのそばに居る緑の髪の少女さえ。
いつの間にか、虫たちは歌い止み、静寂が月光とロンドを踊る。
輝夜はリグルに問うた。
「あなたには解る?」
リグルは手を挙げて降参の意を表す。それが答えだった。 ---解るのはそれを生み出したもの達だけだと。
かごめ 籠女 籠の中の姫は いつ いつ出会う?
その答えを知るものに。
輝夜は何も言わない。リグルも微動だにしない。
夢の世界の中で、二人だけが現実だ。しかし他の者が見たら不安に思うだろう。
朝、夢から覚めるようにこの景色と共に、彼女達が溶けて消えてしまうかも知れないと。
『暗い夜の影 おとめごは一人惑う 闇にまぎれ隠れた己が影探して』
微かな、鐘を叩くような音がさびしく響く。
柱時計の振り子のように、規則正しく、戻らない時間を数えながら。
振り返る過去は金色。
永夜の時間は銀色。
未来は緑青を吹いたあかがね、そして、置いて行かれるだけの自分のこころはーーー
涙を流して藪に隠れるが如く、消えていく問い。
見えない答えを手探りで見つけようと、記憶の箱を開こうと輝夜は手を伸ばす。
だが、それは触れる前に消えた。
その代わり、その目の前には永琳が、てゐが、鈴仙が現れる。
「姫様、ひとりで何もかも背負わなくていいんです」鈴仙が励ますように言った。
「そうですよ、輝夜。私でも解らないものを無理にひとりで答えを探すことは無いの」永琳は自分が勉学を習っていた頃の顔で言う。
「姫様、『運命』と日本ではひと括りにしてしまうけど、私がいる限りずっと『フォーチュン』なんですから、いつでも言ってくださいよ」
てゐが悪戯っぽく笑った。
夢、だったのかも知れない。それとも、月の光が見せた不安を掻き立てる狂気の表われだったのか、輝夜は知らない。
でも、確かに目の前に三人の家族がいて、手を差し伸べていた。
「お姫様、夢から覚める時間が来ましたね。私の役目もここで終わります」
リグルの声に我に返ると、輝夜の目の前にはやはり、永琳、鈴仙、てゐの三人が居た。
「申し訳ありませんが、虫の知らせで私が呼びました。差し出がましい真似でしたら、後日お詫びに伺います」
そう言って彼女は風に流されるが如く、静かに、優雅に空へと消えていく。月光の輝きを尾に引きながら。
彼女が飛び去った方向に、初めて輝夜は顔を向けた。
「この郷は、お人よしが多いのね」
困ったように、でも嬉しそうに呟くと、輝夜は立ち上がり、迎えに来た三人へ歩き出す。
静寂はいつの間にか、四人を祝福するように虫たちの歌声で満ちている。それは大団円へ繋がるエンディングテーマ。
しばらくして、月光の中を四つの影が永遠亭の方角へと飛び立った。
そして、尾花の海に浮かぶ難破船は、最初から誰も居なかったかのように、月光を浴びてたたずむ。
東の空が白み、静かに消えていくまで、その夢は独り、月光に揺られて静かにそこにあった。
月光に誘われたのか、夜にはそこに無いはずのモノが突然現れることもある。
それは土地が見せている思い出だと言う者も居れば、外への帰還を果たせずに埋もれた者達の望郷がそうさせるのだと言う者も居る。
そして、秋半ばの十五番目の月夜。
柔らかい黄色の満月。その下に広がる黄金色の海。
夕方までは、そこは何も無い、背の低い雑草の生える荒れ地だった。
今は月の光を受けて、風に揺れる、尾花の海。
その中に、小さな石造りの小屋が沈みかけた船のように建っている。
小屋の屋根の上には、影がひとつ。
カラスの濡れ羽色の長い黒髪に、和洋の組み合わさったうす桃の服に臙脂のスカート。
月光は撫でるが如くその髪を流れ、風はそれを乱さぬように、遠慮をするような微かさで髪を揺らす。
「懐かしい光ね」
月光と風にその体を預けて、彼女は一人思い出を楽しむ。
永遠亭の姫、蓬莱山輝夜。
もう千年以上の褪せない記憶。
あの時に、従者であり、最後まで彼女の月からの放逐を反対した永琳と共にここに辿り着き、隠れ住んできた。
その後、「もう逃げなくてもいい」と言う言葉と共に、彼女はかつての従者や地上の兎たちと手を繋いでその隠れ家を出た。
絶対に見ることの出来ない筈の『月の裏側』が地上に光を落とし、一晩だけの狂気が地上を支配した異変。
もうあの月を見る事は無いが、それ以降、満月と共に一夜だけの『夢』が具現する。
その夢の中で遊ぶ彼女に、天から影が降りてきた。
「こんな月夜に危ないですよ。永遠亭のお姫様」
月光の光とは違う、冷めた緑の光を纏う少女は言う。
「こんな夜は蟲達がざわめくので宥めるのが大変なのです。妖もまた同じように」
その言葉に、輝夜は声のほうを振り返らずに言った。
「ならば、私が無事で居られるように守るのがあなたの役目ではなくて?」
苦笑を伴う気配が流れた。
「参りましたね。そう言われたらここを離れられません。あなたに何かあったら、永遠亭の方々に怒られてしまいます」
その苦笑さえ弄うように、輝夜は訊いた。
「あなたのその腕前で、私に心安らかな時間を頂けないかしら?」
その訊ねに、困ったように少女ーーーリグルは答える。
「注文の多いお姫様ですね。しかし望んであなたの護りを受けたからには、そのリクエストに答えるのが礼儀」
そう言って、彼女は音も無く小さく飛び、空中でダンスのようにひと回りして、柔らかく足を付く。
Ri-Ri-Ryu-Ryu…Ryu-Ryu-Riri-Ryu…Tin-Ti…Ro-Ro-Ro……
水晶の琴を控えめに弾く様なさざめきが尾花の海のあちこちから流れてくる。
子守唄のような、こころを暖める音。
しかしその謡う様な音は、かなしい夢も、たのしい夢も抱きしめた夜想曲。
ーーーこころよ、こころよ、この海を泳いで私を見にいらっしゃい。
ええ、わたしはこんなにきれい。
想いよ、想いよ、届かぬ夢を抱えるこどもよ。
あなたの夢の一途さは、私の過ごした時間を追い越せるのかしら?
越えられないなら、なぜ、八百万の者達は、こんなにもきれいなのに
こんなにも悲しいこころをあなた達に与えたの?
静かに問うような月光のソナタ。
問うのは姫様、答えるは…誰も居ない。そのそばに居る緑の髪の少女さえ。
いつの間にか、虫たちは歌い止み、静寂が月光とロンドを踊る。
輝夜はリグルに問うた。
「あなたには解る?」
リグルは手を挙げて降参の意を表す。それが答えだった。 ---解るのはそれを生み出したもの達だけだと。
かごめ 籠女 籠の中の姫は いつ いつ出会う?
その答えを知るものに。
輝夜は何も言わない。リグルも微動だにしない。
夢の世界の中で、二人だけが現実だ。しかし他の者が見たら不安に思うだろう。
朝、夢から覚めるようにこの景色と共に、彼女達が溶けて消えてしまうかも知れないと。
『暗い夜の影 おとめごは一人惑う 闇にまぎれ隠れた己が影探して』
微かな、鐘を叩くような音がさびしく響く。
柱時計の振り子のように、規則正しく、戻らない時間を数えながら。
振り返る過去は金色。
永夜の時間は銀色。
未来は緑青を吹いたあかがね、そして、置いて行かれるだけの自分のこころはーーー
涙を流して藪に隠れるが如く、消えていく問い。
見えない答えを手探りで見つけようと、記憶の箱を開こうと輝夜は手を伸ばす。
だが、それは触れる前に消えた。
その代わり、その目の前には永琳が、てゐが、鈴仙が現れる。
「姫様、ひとりで何もかも背負わなくていいんです」鈴仙が励ますように言った。
「そうですよ、輝夜。私でも解らないものを無理にひとりで答えを探すことは無いの」永琳は自分が勉学を習っていた頃の顔で言う。
「姫様、『運命』と日本ではひと括りにしてしまうけど、私がいる限りずっと『フォーチュン』なんですから、いつでも言ってくださいよ」
てゐが悪戯っぽく笑った。
夢、だったのかも知れない。それとも、月の光が見せた不安を掻き立てる狂気の表われだったのか、輝夜は知らない。
でも、確かに目の前に三人の家族がいて、手を差し伸べていた。
「お姫様、夢から覚める時間が来ましたね。私の役目もここで終わります」
リグルの声に我に返ると、輝夜の目の前にはやはり、永琳、鈴仙、てゐの三人が居た。
「申し訳ありませんが、虫の知らせで私が呼びました。差し出がましい真似でしたら、後日お詫びに伺います」
そう言って彼女は風に流されるが如く、静かに、優雅に空へと消えていく。月光の輝きを尾に引きながら。
彼女が飛び去った方向に、初めて輝夜は顔を向けた。
「この郷は、お人よしが多いのね」
困ったように、でも嬉しそうに呟くと、輝夜は立ち上がり、迎えに来た三人へ歩き出す。
静寂はいつの間にか、四人を祝福するように虫たちの歌声で満ちている。それは大団円へ繋がるエンディングテーマ。
しばらくして、月光の中を四つの影が永遠亭の方角へと飛び立った。
そして、尾花の海に浮かぶ難破船は、最初から誰も居なかったかのように、月光を浴びてたたずむ。
東の空が白み、静かに消えていくまで、その夢は独り、月光に揺られて静かにそこにあった。
素敵な作品でした。
完全にみかがみさんワールドという感じがしました。
去年から本格的に作品を読み始めましたが、作風で作者を予想出来そうなのはみかがみさんくらいだと思います。