どこまでも果てしなく。
其処は広がっていた。
底は広がっていた。
「ここ……どこです?」
「………………さあ……」
どこまでも果てしなく。
いつまでも果てしなく。
星の無い夜のような空間だけが、広がっていた。
立っているのは。
「これって……やっぱり、さっきのアレが原因……でしょうか?」
守矢神社の風祝、東風谷早苗。
「多分……そうだと思うけれど、こんなケースは初めてよ」
紅魔館のメイド、十六夜咲夜。
普段通りの巫女装束と、普段通りのメイド衣装で、尋常ではない事態に陥っている。
地面と表現していいのだろうか、なにもない空間に立っているような気がする。
しかし重力から解放され浮いているような気もする。
しかし重力に束縛されて落ちているような気さえする。
ここは、どこだ。
ここは、なんだ。
「途方に暮れる前にまず、なぜこうなってしまったのかを思い返してみましょう」
そう言って、咲夜はこの異常事態の原因へと思考を向けた。
弾幕ごっこを始めた理由はなんだったか。それは重要ではない。
最初のきっかけとなったのは、咲夜のスペルである。
「デフレーションワールド!」
時空を縮小させ、短期間とはいえ過去と未来を同時に現在に顕現させる強力なスペルだ。
それに対して早苗の放ったスペルは。
「開海『モーゼの奇跡』!」
海を割った。
そういうスペルである。
しかし今回は。
過去を割った。
現在を割った。
未来を割った。
時間を割った。
空間を割った。
海が割れるタイミングと、過去と現在と現在が顕現するタイミングが完全に一致したために。
須臾の狂いも無く。
刹那の狂いも無く。
涅槃寂静の狂いも無く。
すなわち。
奇跡が起きたのだ。
特に深い意味の無い気まぐれの弾幕ごっこの最中。
天文学的確率という言葉が霞む領域の奇跡。
時の力と、奇跡の力が、弾けて混ざり、縮小し、収縮し、特異点を生み出し、小規模ながらもブラックホールらしき減少を引き起こした。
一瞬で膨張する暗黒空間。
一瞬で縮小する暗黒空間。
一瞬で消失する暗黒空間。
一瞬で呑み込まれ消失した人間二人。
「咲夜ー、終わったの?」
弾幕の衝突音が途切れたので、ベランダで本を読んでいたレミリアは顔を上げて従者の姿を探した。
紅魔館の庭で、守矢の人間と弾幕勝負をしていた従者の姿を。
でも。そよ風が花壇の花を優しく揺らす庭に、人影は見当たらなかった。
紅茶のおかわりを入れさせようと、思ったのに。
● ● ● ● ● ● ● ●
「時の流れに干渉できない……というより、ここには時間という概念が無いみたいね」
冷え冷えとした声色で言う咲夜。
それだけでここがどれだけ異常な場所か早苗にもよくわかった。
「幻想郷の外?」
「というより、異世界とか、異次元空間とか……パチュリー様ならなにかわかるかもしれないけれど、私は時を操れるというだけで、学者ではありませんから」
「……これから、どうすれば?」
「さあ?」
「さあ、って」
早苗はぐるりと周囲を見渡した。
なにも無い。
風景描写に困るほどなにも無い。
地面は闇、しかも踏み心地は霞のよう。
空も闇、しかし真っ暗闇という訳ではない。
ダークブルーの霧のようなものが延々と漂っている。それは光源ではないはずだが、咲夜も早苗も互いの姿を視認できた。その点を指摘してみると、咲夜はしばし遠方を見つめ、溜め息とともに言った。
「まともな物理法則を期待しない方がよさそうね」
「なるほど、常識に囚われてはいけないのですね。幻想郷以上に異常なこの場所では! 細心の注意を異次元空間脱出に粉骨砕身しましょう!」
「えいっ」
ふいに、咲夜がしゃがんだ。
どうしたんだろうと思って早苗が覗き見ると、銀のナイフで地面らしき空間をグッサグッサと突き刺していた。
「ちょ、ちょォっとー!? なにしてるんですか!」
「じっとしててもしょうがないでしょう。とりあえず地面らしきものを掘り返してみるわ……プリンのような弾力を持った水のような手応えのような気がしないでもないかしら。あら?」
ナイフを引っこ抜いて動きを止める咲夜。さっきまでナイフが刺さっていた暗闇の空間から、火山の噴火のように噴出した。
なにが? それは液体ではなく、固体でもなく、気体でもなく、色は無く、臭いは無く、音も無く、温度も無く、気配だけがあった。なにかが噴出しているという気配だけが、早苗の危機感を煽っていく。
「大丈夫なんですかこれ? 大丈夫なんですかこれー!?」
三歩だけ、早苗は後ずさりした。
それ以上、後ずさりはしなかった。
きびすを返して全力疾走したから。
その隣を、頬に手を当てていかにも困ったわという態度を見せて並走する瀟洒なメイド。
「あの噴出して凄まじい勢いで拡散しているアレはなにかしら……時間や空間が歪んでいるような感じはするのだけれど」
「ていうか! ていうかですね!? ここ、どういった場所なのか全然わかってませんよね!? 異世界とか異次元空間とかも何気なく言ってみただけで特に根拠もありませんよね!? そんな不可思議世界でなんばしよっとですかあんたはー!!」
「私には一刻も早く紅魔館に帰ってお嬢様のティーカップを自作面白紅茶で満たす仕事がありますの。のんびりしてられませんので、果報は寝て待たず、失敗を恐れず猪突猛進するのが瀟洒なメイドのチャームポイント」
「取り返しのつかない失敗をしたらどうなるんですかーッ!!」
「大丈夫、あなたを犠牲にしてでも、私は生き残るわ」
「もうイヤだ! 開幕早々もうイヤだこの組み合わせッ!! こんな状況に陥るなら頼れる人と一緒がよかった! 神奈子様とか諏訪子様とか霊夢さんとかシリーズ的な意味で妹紅さんとかーッ!!」
「呼んだか?」
「……はひ?」
頭上から声がして見上げれば、そこには白い天井が浮いていた。
端には柵がかけられてある。
広さは守矢神社の居間程度。
そんな中に。
白い髪の少女が座っていた。
天井に座り込んで、柵に背中を預けて、こちらを見下ろしていた。いや、見上げている?
「……藤原妹紅?」
「ああ」
咲夜の呼びかけを彼女は、藤原妹紅は肯定した。
直後、早苗は飛び上がった。妹紅に向かって一直線に。
直後、咲夜は罠である可能性を考慮しながらも、拡散して迫る気配から逃れるために天井へと飛んだ。
「妹紅さ――」
感激の声は、早苗が天井に頭を打ちつける形でさえぎられる。急に上下の感覚が狂い、天井に引っ張られたのだ。そんな失態を参考に、咲夜は軽やかな宙返りをして天井に着地した。そうしてみれば天井ではなく床なのだと認識でき、上下の感覚が修正される。
ダークブルーの霧のようなものは相変わらず漂っていたが、噴出した気配もここまでは追ってこないようで咲夜はホッと胸を撫で下ろし、眼差しにナイフの鋭さを宿らせて妹紅らしき人物を睨んだ。
あまりにも、タイミングがよすぎる。
早苗が妹紅に助けを求め、本当に妹紅が出てきた。
こんな状況では、偽者である可能性が高い。
しかし、偽者だと確信できない理由があった。
この妹紅は、咲夜の知っている妹紅と、だいぶ違う。
違っているからこそ、偽者だと言い切れない。
偽者なら、細部まで本物に似せるはずだから。
それに、これはなんだ。
床が白いのだと思っていた。
だが。
靴越しに伝わる感触。
これはなんだ。
悪魔の狗は戦慄する。
床を埋め尽くすこの白いモノはなんだ。
「おい、大丈夫か?」
「イタタ……大丈夫、です」
白い床は思ったより硬くなく、カーペットかなにかだと早苗は思った。
涙目になりながら起き上がり膝立ちとなると、ようやく、妹紅が自分の知る姿とだいぶ違う事に気づく。
まず、服装が違う。
カラーリングこそたいして変わっていないが、ブラウスでももんぺでもない衣装だ。
まず、全身が乳白色の艶やかなボディスーツで包まれている。見事にフィットし身体のラインがよくわかって、まるでSFアニメに出てくる宇宙服のようだった。さらにその上から、不思議な光沢と装飾を施された紅蓮のプロテクターらしきものを装着している。
爪先から膝までを防護するブーツ、太ももや股間のラインはボディスーツによって扇情的に見せられており、腰にはやはり紅蓮のベルトがあったが、それはベルトというより鎧の一部のようで、腰の左右を護るように金属板が配置されている。腹部と二の腕は金属に覆われておらずボディスーツの艶が妹紅本来の肉体のラインを強調していた。肘から指先まで隙間無く埋めるアームは、手首から肘にかけて魚の背びれのような突起があり、攻撃的な印象を受ける。胸元を包むプロテクターは翼を広げた鳥のような形状をしており、肩当ては腕を水平に伸ばせば肘が届く程度の長さがあった。
(和製ファンタジーの鎧みたい)
それが、早苗の抱いた印象である。
しかしそれは些細な変化だった。
妹紅はまだ、見上げたままだった。
すぐ前にいる早苗達に顔を向けようとしない。
だが、それでも妹紅の眼差しは確認できた。
鈍く淀んだ、ひび割れたルビーのような瞳が。
遠い目をしている、という表現が陳腐に聞こえるほど、遠くを見ていた。
どこまでも果てしなく。
いつまでも果てしなく。
遠くを見ていた。
早苗と咲夜の身体を透り抜けて、世界の彼方を見ているようだった。
冷たい水を垂らされたような悪寒が背筋を走る。
慌てて妹紅の瞳から目線をそらすと、妹紅のかたわらに、人型のなにかが倒れていると気づいた。
それは人間の形をしていたけれど、人間よりも小さく、赤ん坊程度の大きさしかなかった。しかし体型は赤ん坊ではなく、ああ、人形だと気づいた。服は、元は純白だったろう鈍色にくすんだドレスだ。所々擦り切れており、乳白色の人工肌や球体関節があらわになっていた。ガラスの瞳は青く、顔立ちは愛らしく、どこか見覚えがあり、流れる金の髪は白い床と絡み合っている。
「……え?」
人形の金の髪が。
白い床と絡み合っていた。
白い床と混じり合っていた。
「……え?」
もう一度呟いて、早苗は手を握る。
くしゃり、と。
膝立ちの早苗は、手のひらを床についていた。だのになぜ、今まで気づけなかったのだろう。
掴んだのは、真っ白な髪の毛だった。
掴んだのは、長く伸びた髪の毛だった。
掴んだのは、守矢の神社の居間程度の広さの床を隙間なく埋め尽くす、白い髪、だった。
「ヒッ……」
声にならない声を上げ、早苗は妹紅を凝視する。
後ろ髪と違い伸ばしていなかったはずの前髪ですら、顔を避けるように左右に流れ落ち、床の上で後ろ髪と合流して絡み合い、そこから、床に広がり、床に蔓延り、床を埋め尽くしていた。
妹紅が、あごを下ろし、真っ直ぐに早苗を見た。
早苗の顔を見た。
「呼んダのわ、アなタ?」
声は、確かに妹紅のものだったが、抑揚が壊れていた。
早苗は、彼女が藤原妹紅であると感じていた。
だからこそ思った。
彼女は誰だろう、と。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
正方形の床。
白髪の絨毯。
漂うダークブルーの霧。
どこまでも果てしなく続く暗闇。
光源が無くてもはっきりと確認できる互いの姿。
東風谷早苗。
十六夜咲夜。
そして、藤原妹紅だけが生きていた。
「ここはどこかしら」
ショックを受けて固まっている早苗をいちべつし、咲夜は警戒心を高めながら妹紅を見つめた。
くすんだ赤の瞳は、早苗と咲夜の中間で止まる。
「バカジャネーノ」
「ここはどこかしら」
「何度目だよおい。イイ加減、鳥頭飽きたワー」
「私達は一度目ですわ」
「そうなのか。そうなのか? ソーなノカー」
「で、ここはどこかしら」
「時の最果て……ってエイリンが言ってた」
「永琳が?」
軽く、周囲を見回す咲夜。
髪の床以外には柵くらいしかない。
「永琳もここにいるのかしら?」
「生は死の中にあル。それは真理だ。間違いではない、しかし……」
「あ、そう。時の最果てというのは? 過去かしら、未来かしら」
妹紅は笑い出した。
「過去でも未来でも現在でもない。時間という概念が存在しナい世界……ははは。ハハハ。は「はははは「はははははは「はははは」ははははは」」」」はははは」」」
馬鹿みたいに口を開けて、しかし表情をまったく変えず妹紅はいびつに哄笑した。
そのおぞましさに、早苗は思わず顔をそむける。
「バカジャネーノ。この世界に世界ナンテ概念は存在しないのに。時間という概念、世界という概念、空間という概念、全部無くて、全部を孕んだケイオスが波打ち胎動する。アルのはココだけだよネー妹紅「まあな」
話をしてみて、咲夜はひとつの結論を下した。
妹紅の言葉がどこまで真実かはわからないが、確実にわかった事がひとつ。
「ねえ早苗。この妹紅、オツムが愉快になってるか、精神が破綻しているか、気が違っているか、テンパっているか、ラリっているか、常軌を逸しているか、脳みそが腐っているか、あるいは、完全に狂ってしまってるわ」
「そ、そんな!」
慌てて、早苗は妹紅の両肩を掴んだ。
「妹紅さん、いったいなにがあったんですか? どうしてこんな事に?」
「あんた誰?」
「なにボケちゃってるんですか。早苗ですよ、東風谷早苗。守矢神社の」
「神社って言われてもなー「八百万もアルから思い出すのメンドクセー」
「二つしかないでしょう!? 守矢神社と博麗神社!」
「で、あんた誰?」
「天丼するタイミングじゃないでしょう!? 早苗ですよ東風谷早苗ですよッ!」
「で、今日はナンの用だ」
ようやくまともな言葉をひねり出した妹紅だが、ただの偶然かもしれないので早苗も咲夜も安堵はしなかった。
とはいえここで質問せねば前に進めない。
白髪の絨毯を踏みしめ、早苗は湧き上がる身体の震えを抑え込んだ。
「私達は……弾幕ごっこをしていたら、ここに迷い込んでしまったんです。咲夜さんの時間を操る程度の能力と、私の奇跡を起こす程度の能力がみょんな具合に衝突してしまったせいのようです」
「ああ! 弾幕ごっこか、懐かしいな。最後に弾幕ごっこしたのいつだっけかなぁ。やたら強い吸血鬼がいたよな」
「お嬢様の事かしら」
と、咲夜が一歩前に出る。
「そうそう、お嬢お嬢」
カラカラと笑う妹紅だったが、瞳は鈍くくすんだままだった。
「懐かしいなぁ。お嬢の紅虐異変。妖精も妖怪も人形も人間も、一緒くたに虐殺してさー。ははは、はは、は、ハ、ハハ、ハハハ! 今思い出しても、ああ、今でも思い出せるぞ。お嬢の、忠実な従者の鮮血で彩られた、姿を見て言うんだ。夕陽よりも鮮やかで溶岩よりも熱く、炎のように激しい笑顔が、痛いほどに眩しかった――「詩人だなーと感心したゼ。」あっはっはっ」ハハハ」あはは」は」ははハハはハ」
冷え冷えと、時間も空間も凍らせるような怒気が霧に混じる。
咲夜の唇はわずかに尖り、双眸はわずかに細まり、指には力がこもる。
「言動から察するにこの妹紅は、私達の時代よりはるか未来の妹紅か、完全にオツムのイカれた妹紅か、私達を虚仮にするための偽者のどれかね。どれにしても殺していいかしら、死なない人間ですし」
「咲夜さん、ナイフしまってくだ――」
止めようと、早苗が口を出した直後。
咲夜の両手に握られていた無数のナイフすべてに、絨毯の上に転がる妹紅の手のひらから無数の熱線が放たれた。
殺気無き奇襲に咄嗟の反応を見せた咲夜は、手放したナイフをすべて蒸発させられる程度の被害ですんだ。一秒遅かったら蒸発するナイフの熱に両手を焼かれていただろう。とはいえ、気体と貸したナイフの熱に火傷するのが通常である。だがそんなものは一切感じず、物理法則という概念さえもないのではと思わせた。
時の最果て。
いったいここはなんなのか。
なぜここに妹紅がいるのか。
「お前はアレか、十六夜一族って設定か」
「……一族?」
「紅魔館が幻想郷に引っ越してきた時から存在するという、代々お嬢に従属する人間のメイド一族だよ。「戦闘スタイルはナイフを使えばなんでもよし」忍者メイドだったり詩人メイドだったり魔剣士メイドだったり踊り子メイドだったり」
「……伝統になるのかしら……」
という事は、レミリアが起こすという紅虐異変とやらは、咲夜が寿命で死に一族が何世代も重ねた未来での出来事なのだろうか。だとしても、レミリアがそんな真似をするなど咲夜には信じられない。だから信じない。
この妹紅は狂っているのだと信じた。
嘘ばかりを並べる木偶なのだと信じた。
「レミリアてバカジャネーノ。死ぬにしたってよー、他に死に方ってもんがなー」
だからこの暴言も、受け流そうとして。
「まったくだ。おかげで私が苦労を背負うハメになった、面倒を押しつけやがってあの不良キューケツキ「私も壊れてメモリーの大半がふっ飛んジャったんだよネー。「修復には苦労したよなぁ「エーリンがんばっタ!」私と輝夜も手伝ったんだけどなぁ」ソウなのカー?」
出来の悪い一人芝居、のようなもの、をする妹紅。
その奇行の理由は、彼女が向ける壊れた目線が物語っていた。
妹紅のかたわらに転がる、壊れた金髪の人形。
まさか、と思い早苗は人形に手を伸ばす。
妨害は無かった。
早苗はその人形を、つい最近、見た覚えがあった。
確か、魔法の森の、まともな方の魔法使いが使っていた――。
「上海人形……?」
「バカジャネーノ。幻想郷の粋で愉快な蓬莱コンビを知らネーのかー」
壊れた人形のような口調で言う妹紅。事実、それは壊れた人形の物真似なのかもしれない。
「……蓬莱人形の成れの果て、かしら」
咲夜の推測は恐らく正しいだろうと、早苗は壊れた人形の青い瞳を見つめながら思った。
ああそういえば、藤原妹紅の二つ名の中に『蓬莱の人の形』というものがあったはずだ。
なればこその蓬莱コンビか。
「アリスさんの人形が、自律人形として完成した後……妹紅さんと蓬莱繋がりで仲良くなった?」
「と仮定するなら、ここの妹紅らしき残骸と蓬莱人形らしき残骸は、私達の世界のはるか未来という事になるから認めたくありませんわ。それにしても、精神が破綻して人形ごっこする妹紅だなんて唾棄したくなるわね。働き者の輝夜と同じくらい不思議で不可解で不愉快よ」
「輝夜は平均月一ペースで過労死する働き者なんだが?「輝夜ノ仕事っプりを知らないトか「「ネーワ』
妹紅と妹紅演じる蓬莱の弁護に、咲夜は軽い目まいを覚えた。
どれだけの時間と異変を重ねればそうなるのか。
咲夜は真面目に関わる気が失せてきた。
逆に。
早苗は真摯に向き合う気概が湧いてきた。
なぜなら。
「妹紅さん。事情はよくわかりませんが、私達は、なにか力になれませんか?」
「お前……は、私の知ってる奴か?」
「ええ」
「どういう設定の幻覚だ」
「あなたの友達の、現人神です」
「現人神……?」
「ええ。知ってますか? 神というものは――」
神は人を祟る。
けれど。
神は人を救う。
「だから」
心を壊し、苦しんでいる妹紅を。
救いたいと思っている。
時の最果てから脱出する前に。
友達を救おう。
「じゃあ早苗に任せるわ」
と、咲夜は髪の毛の届かぬ柵の上に飛び移ると、そこに腰をおろして時の最果ての最果てを探すようにはるか遠くを見つめた。漂うダークブルーの霧と、無限の暗黒しかない、最果てを。
ふいに、微風を浴びたような気がした。
しかし霧に影響は無く、錯覚だったような気もする。あるいは、時間と空間を操る咲夜だからこそ認識できる、ほんのわずかな時間と空間の歪みを察知できたのか。それにしても。この床と柵はなんなのだろう。
白い柵から、恐らく白髪に埋もれた床も白いのだろうと思われる。
白髪。何百、何千、何万年かけて、妹紅は床を髪の毛で埋め尽くしたのだろう。それほどの時を、妹紅はあの場に座してすごしたのか。見たところ、食べ物も飲み水も無い。蓬莱人ゆえに、この虚無にも等しい空間を生き続けたのか――。
「ところで小腹が空いたんですが」
「そこいらにある霧っぽいの食べられるよ」
「あ、本当だ。不思議な味ですけど、すっごくおいしい!」
食べ物あるのかー。
咲夜も手前を漂っている霧をちぎって口に運んだ。
お嬢様にも、いや、紅魔館のみんなにも食べさせたくなる味だなと思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そこでまたもや妹紅さんに助けられた私は、戦力を確保すべく妖夢さんを探しに岸辺の滝へですね」
「そうか。サナギ太郎さんも苦労したんだな」
「早苗です」
「しかしサナギ太郎さんは羽化して一年しか生きられぬ身……それがどうして氷の城なんかに?」
「早苗です。サナギ太郎さんて誰ですか。氷の城ってなんですか」
「光臨の氷精皇帝アルティメットチルノ編は大傑作だったなー……ところでサナギ次郎よ、お前の一族を護ると約束したがサナギ百太郎の代で途絶えてしまった……「けど立派な最後だったぜー「そうそう、月光蝶の蹂躙から幻想郷を救ってくれたんだ」誇りに思えサナギ次郎ー」
「早苗です。ていうかサナギ一族って百代も続いたんですか」
「サナギってなんだ? つーかお前誰だよ」
「早苗です」
「上海人形じゃないか「久シ振リー」
「……早苗です」
「アリスは元気か?」
「……ええ、元気ですよ」
「そうか。よかったな蓬莱」サスガ上海、私ガ認メタ相棒ダゼー」
壊れた人形を見つめ、楽しそうに、嬉しそうに笑う妹紅。
早苗は一生懸命に笑顔を作って調子を合わせていたが、知っている名前が出てきたせいで少々表情が強張っていた。アリス・マーガトロイドは魔法使い、とはいえ蓬莱人がここまで壊れるほどの時間を生きられるだろうか。神々や妖怪、吸血鬼も――。
自律人形は、蓬莱人にもっとも近い時間を生きられるのか? 蓬莱人形の残骸を見て、アリスの人形劇を思い出す。まるで生きているかのように舞う人形達。お嬢様も、楽しそうにご覧になられていた。
しかし早苗はまだ続ける気だろうか? 成立しない会話はもう一時間にもなる。だが、愛用の懐中時計は正しく機能しているのかしらと不安になった。見たところ秒針は正確に動いている、知覚できないほど小さな狂いはあるのかもしれないが。
「ところで元の世界への帰り方とかですね」
「銀の鳥は飛んでいるか?」
「鳥ですか? いえ、私達の他にはなにも」
「どこにあるやら次元の狭間……お前なのか? ケー……」
「ケー……? そうだ妹紅さん、ケーと言えばあなたと親しかったあの人の事ですね!」
「ケーキ屋さんを開いた仏蘭西人形なのか?」
「慧音さんちゃうんかい!」
「誰それ? アンドロメダ星人?」
手がかりが妹紅しかいないとはいえ、このまま無駄話を続けていても無駄に時間をついやすだけだと咲夜は思い始めた。妹紅が正気に戻れば頼りになるだろうけれど、それを早苗ができるとも思えない。妹紅にとって咲夜も早苗も大昔に死んだ知人という程度の認識だろう。例え印象深く残っていても、何千、何万と別れが積み重なれば埋もれてしまう。
一生死ぬ人間でいますと、咲夜は言った事がある。
今の妹紅の有り様を見れば、なおさら人間のままでいようと思う。
(お嬢様はどのようにお亡くなりになられたのかしら)
紅虐異変と妹紅は言った。お嬢様が皆殺しにすると。
馬鹿馬鹿しすぎて信じる気にならない。
怒りで胸が熱くなるほどに。
不安で胸が絞めつけられるほどに。
早苗は気にならないのだろうか。自分の将来、守矢神社の将来、一度も聞こうとしない。
いや、咲夜とて聞くつもりなど無かった。
ただ、吸血鬼という単語が出たから、反射的にお嬢様と口にしてしまっただけ。
後は向こうが勝手に語り出したのだ。
(なんだかムシャクシャしてきた)
未来など知りたいとは思わない。
運命などお嬢様がご自由になさればいい。
死ぬ人間には重すぎる。
「そこで私は言ってやったんですよ……ギムレットには、まだ早すぎますね」
「なんの話をしてるのよ、あなたは」
完全脱線してただの雑談をしていた早苗の頭に、ポンと手が置かれた。咲夜だ。
その目線は虚ろに笑う妹紅に。
「銀色の髪は八雲の八代目? まだ生きてタノか」
「紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。あなたの戯言をこれ以上聞いていたら、髪の床からおさらばしたくなるわ」
「やめとけ。時のウネリに引き裂かレて死ぬゾ」
「時はいつだって私の手の中にあるわ」
「十六夜の初代じゃあるまいし」
「十六夜咲夜と名乗ったわ」
「そうか。紅魔館は楽しかったな、崩れ去る最後の瞬間まで」
「妄想話は黙って。私達が元の世界に帰るのに役立つ事だけを話すように、それ以外の無駄話は首を刎ねさせてもらいますわ」
物騒な物言いに反抗したのは早苗の方で、咲夜の手を払いのけて立ち上がる。
今や早苗は妹紅の側であり、元の世界に帰るという共通目的を持っている咲夜の苛立ちは加速した。
「なによ、その眼は。あなたが役目を果たさないから、私がこうしているのよ」
「だからって、脅してどうするんです。人が辛抱強くお話をして、親交を深めもとい取り戻そうとしていたのに!」
「辛抱するくらいなら、頭を引っぱたいた方が早いですわ」
「家電製品じゃないんですよ!」
「リザレクションすれば頭もスッキリするでしょう!」
それいいな。
妹紅は口を閉じたままだったし、物理的な音声を発していないのは確かだった。
しかし、不思議とそんな思惟を受け取った二人は、ギョッとして妹紅を見た。
彼女は人差し指をこめかみに突き刺して、すでに脳への致命傷を与えて、血とも脳しょうともつかぬ朱が垂れていた。力無く指が抜け落ちると朱も勢いを増したが、あごに至る前に蒸発するように消えてしまった。こめかみの穴もふさがっている。蓬莱人とはここまで治癒速度が早かっただろうか。
二人が知る妹紅のリザレクションは、全身が炎上し肉体を四散させて復活する派手なものだったが、この妹紅が見せるリザレクションは注視せねばわからぬほど静かだった。
「ああ、スッキリした」
瞳は虚ろなままだったが、視線は最果てではなく早苗と咲夜に向けられていた。
これで少しはマシになったかもしれないが、咲夜としては頭を木っ端微塵にしてから再生するくらいの方が安心できた。こりずに虚言を繰り返すようなら、ナイフで脳みそを切り刻んでやろうと企む。
「妹紅さん大丈夫ですか? 私がわかりますか?」
「ああー……? あんた誰」
咲夜がナイフを振りかざし、早苗が押し留めようとした瞬間、妹紅の首が蓬莱人形へと向けられた。
「バカジャネーノ。コイツは早苗だろー「さなえ? さなえ……「ソッチは十六夜咲夜かー? 懐カシーな」
妹紅は駄目なままだったが、妹紅が演じる蓬莱人形は、どうやら二人を正しく認識してくれたようだ。
どっちも妹紅だが、この人形ごっこにつき合う方が多少は有益だろうと咲夜はナイフをしまう。
「あなたは蓬莱人形と考えていいのかしら。この状況を説明してもらえる?」
「んー? ここは時の最果て。星が寿命を迎え、銀河が寿命を迎え、宇宙が寿命を迎え、時が寿命を迎え、すべてが寿命を迎えた多次元宇宙の最終地点。すべての存在の成れの果て。ロマンチックに『時の最果て』とネーミングされた。ていうか、葬式をやったはずの咲夜がなんでここにいるの?」
咲夜は事情を簡潔に説明した。
「うーん、天文学的確率という言葉が虚しくなるほどの確率で発生した時間と空間のひずみに呑み込まれちゃったのかなー?」
人形を見つめたまま、妹紅は腕組みをして考え込む姿勢を取った。
これも蓬莱人形の真似なのだろうか。
早苗は表情に哀れみの色を浮かべたが、事が進展しそうなためか瞳は希望の光を灯している。
咲夜は急かすように一歩前に出て、妹紅と蓬莱人形を交互に見る。
妹紅の演じる蓬莱人形は語り出した。
「咲夜が生きていた時代か……だったら余計な事は教えず、とっとと元の時代に帰ってもらった方が「今日の蓬莱はご機嫌だな、この幻覚はお前の友達か?「いつまでボケてんだテメ「アリスの幻覚が出てきてクレた時も楽しソウだったなお前は」それよりタイムゲートの」タイムゲートの論文を整理シタ時さ、オ前がシステムダウンした原因って、私が組んだアトロポスシステムに不備があったんだよな……悪かったと思ってる、でも輝夜のプロメテスシステムだってリボン互換に入力ミスがあったンだ! なのに永琳め、私だけ爆殺しやがッて……」
妹紅の演じる蓬莱人形は積極的に情報を提供しようとしてくれているらしいが、主導権は妹紅にあるらしい。
そして妹紅はどうでもいい無駄話ばかりを続ける気らしい。
右ストレートで黙らせるか、左フックで黙らせるか、咲夜は三秒ほど真剣に悩んだ。しかしここで下手にショックを与え、まともな会話をしてくれる蓬莱人形――でいいやもう――がおかしくなったら、困るのはこちらだ。
「妹紅はちょっと黙ってて。ねえ蓬莱人形、そのタイムゲートで私達は元の時代に帰れるのかしら?」
「現段階で成功率は3%くらい。ご覧の通り、私はこの有り様だからね。時空座標の計算は半端じゃな「法と混沌は多次元宇宙の均衡を保つ天秤の左手右手。しかし時間と空間を解明した時――幻想郷のスペルカードフェスティバルで射的屋に冗談半分で特殊合金製デート券を置いたら、みんな本気で狙ってきたのが笑える。私や蓬莱や鈴仙はお客さんとデートする事になったけどさ、輝夜のデート券だけ永琳が衝撃反射フィールド発生装置を組み込みやがって、ははっ、楽しかったよな「妹紅、今ちょっと真剣な話をしてるから、黙っ「当たり前の技術……知識や道具があれば誰にだってできる、でもそういったものに頼らなくてもできる天性の持ち主っているよな……「そうか、技術も知識も道具も、咲夜がいる今なら解決する! ナイスアドバイス! よくやっ「そう、技術も知識も使わず適当に鍋にぶち込んだだけの料理が意外とうまかった時の感動……最高だよな「アドバイスじゃねーのかー……」
またもや、妹紅がどうでもいい妄言を並べ出したと思ったら、なにやら重要な事を告げたらしい。
蓬莱人形の演技は、とびっきりの笑顔を作った。
「時間と空間を操る技術が確立されて、そうだよ、すっかり忘れてた。技術により誰でも使えるようになったせいで、時間と空間を操る異能者はアドバンテージを失ったけれど、それは、技術を行使できる環境での話。時空間を操れる異能者は、幻想郷の歴史では99人しか記されていない。その元祖とも言える十六夜咲夜がいるのなら、時空座標の計算の大部分を省略できる! 必要とされるエネルギー問題も早苗の助力があればなんとかなるはず」
「つまり、帰れるのね」
「わかりやすく言うとね」
蓬莱人形の振りをしている妹紅が指を立てた。
「射的屋の売り上げがトップを飾ったよ。ドラキュラ卿が老後の貯金をつぎ込んだが、絶対倒れないんだもんなぁ」
どうせ生き返るんだしぶっ殺したいなぁ……と、咲夜はしみじみ思うのでした。
早苗は脱力して肩を落としている。ていうか幻想入りするのか、ドラキュラ伯爵。
そういえばレミリア・スカーレットはヴラドの末裔らしいと、どこかで聞いた事があった早苗は、咲夜の様子をちらりとうかがった。だが表情や眼差しからは苛立ちばかりが読み取れて、ドラキュラの名前に対する反応はわからない。
咲夜の剣呑な眼光を受けながら妹紅は、糸の切れた人形のようにうなだれ、大きく息を吐いた。
疲れたような仕草。
早苗は白髪と絡まった蓬莱人形を見、続いて妹紅へと視線を戻す。双方反応が無い。
「妹紅さん?」
不安になって声をかけるが、返事も無い。
「ねえ、蓬莱人形?」
咲夜も声をかける。あえて蓬莱人形に。
やはり反応は無く、聞こえていないのだろうか、そもそも意識はあるのだろうかと案じ、肩へと手を伸ばした。
ダークブルーの霧が咲夜の指に絡みつく。
指先の感覚が消え、痺れたように動かなくなった。
息を呑んだ咲夜は慎重に手を引こうとしたが、視界が、ダークブルーが濃くなっていく。
「さ、咲夜さん、これ……」
早苗もまた、周囲をダークブルーの霧に囲まれ戸惑っていた。
これがいったいなんなのか、二人はまだ知らない。
ちぎって食べた時は、指も口もなんともなかったはずだ。
手を引こうとしても、動きが鈍い。酷く緩慢で、まるで、時が遅くなったかのよう――。
時?
この霧には時という概念が存在するのか。不審に思った直後、意識が霧と繋がった。
動かせる、この霧の時間を。
時の流れが正常に戻るよう意識をやると、まるで何事も無かったかのように、霧から手が抜けた。
「再起動」
ふいに妹紅が呟くと、白髪のフィールドにまで侵食していたダークブルーはあっという間に霧散する。
再起動? なにかの機能をオフにしていた? 状況から察するに霧の侵食を防いでいるようだが、完全に隔絶した訳ではない。多すぎては困るが、無くても困る、そんなところだろうか。
「この霧はなんなの? ここには時間という概念が無いそうだけど、さっきの霧には時間が存在したわ」
「混沌に触れたか」
声の調子が重い。
「まず最初に混沌があった。混沌から法が生まれた。相反する法と混沌は衝突し、宇宙開闢のビッグバンとなった」
それはまるで、妹紅が正気を取り戻したかのような、はっきりとした口調。
「宇宙の天秤は時に法へ時に混沌へと傾き完全なり平衡を保った瞬間、時間と空間の関係はとても簡単なものだと気づいて理を理解し理を分解し、偶発的に出現するタイムゲートの観測に成功した時の賢者は七曜の魔女と清水の技術者の強力を経て、時を翔ける銀の翼を完成させた。賢者議会により過去への跳躍は禁忌と定められながらも研究は続きついに完成した銀の翼は大きな炎に呑み込まれ灰塵と消え――ああ、覚えている、星の夢の終わりに感じた生命の息吹を。だから私は、タイムゲートの技術を理解しながら、一度として使った事は無かった。だから生まれて初めて今、時間と空間の関係を解きほぐそう。今はもういない友の幻影のために」
酷く重々しい圧力を感じる。
積み重ねたものが崩れ、その残骸を土台としてまた積み上げ、また崩れ、また積み上げ、それを延々と繰り返した果てにある山の如き威圧感。希望も絶望も数え切れないほど積み重ね続けた、人間性を超越した精神性。
咲夜は思う、これがはるか未来の――。
「妹紅、なの?」
だとは思えなかった。蓬莱人形とも違う。
質問を無視し、妹紅は言葉を続ける。
「ゲームをしよう」
妹紅は笑う。
「五つの難題を出す。ひとつでも間違えたら、幻覚らしく消えて無くなれ。全問正解したら、お前達の言う時間空間次元宇宙世界へのゲートを開いてやる。それでいいか? 蓬莱「オッケー。三人じゃ成功率27%だけど、四人でやれば一気に91%まで跳ね上がるよ。小数点以下省略。だから咲夜と早苗、妹紅の難題がんばってね」
□口ロ口□□口ロ口□□口ロ口□□口ロ口□□口ロ口□□口ロ口□
五つの難題。それはかつて、蓬莱山輝夜が求婚者に出した条件。
五つの難題。それはかつて、蓬莱山輝夜が侵入者に出したスペルカード。
五つの難題。それが今、藤原妹紅から出されようとしている。
「第一の難題。似て非なるもの。今から私が似て非なるものを言う。相談は自由だが、答えられるのは一人一度ずつ」
難題と言っても、さすがにこの状況下で竹取物語のように宝物を取りに行かせはしないようだ。
これはクイズと考えていいのだろうか。
寺子屋で習う勉学、子供同士が出し合うなぞなぞ、専門家の研究、果たしてどのレベルの問題が出てくるのか。
緊張しながら、二人は出される問題を待ち構えた。
「因幡の白兎、因幡の黒兎、腹黒なのはどっち?」
「白兎」
即答の咲夜。これは恐らく引っかけ問題なのだろう、名前だけなら黒兎こそ腹黒に聞こえる。
しかし因幡の白兎とは永遠亭の因幡てゐ。アレ以上の腹黒兎がそうそういるとは思えない。
「正解。白兎は悪戯兎。黒兎は善意の化身ではないかと謳われた名医」
「……そんなとんでもないのが、今後の幻想郷に誕生するというの」
わずかに戦慄を覚える咲夜。善意の化身の名医? もしその黒兎が永遠亭の出なら胡散臭さ大爆発だ。
ともかくこれで難題をひとつクリアした。
「第二の難題。しりとり。当然しりとりワードルールに準拠する。今回はチーム戦。最初は"り"から。はい」
そう言って妹紅は咲夜を見た。しりとりと一口に言っても細かなルールの違いがある。例えば今「リンゴ」と答えたとしよう。そうしたら「リンゴの木」「リンゴの花」「リンゴジュース」など、二つの名詞を重ねればひとつの単語から多くの言葉を出せられる。これを認めるか認めないか。
「ルールの確認をしたいのだけど……」
「幻想郷公認しりとりワードルールに準拠する。プレイ中はお手つきの指摘と進行に関わる発言以外、すべてお手つきとする。1ミス」
スペルカードルールみたいに認められたのか、しりとり。
ある意味とても幻想郷らしい。これなら腕っ節の弱い知識人が大活躍できる。
しかしルール確認さえ許さないとは、そんなに浸透していたのだろうか、しりとりワードルール。プレイ前なら確認できたのかもしれないが、その隙を与えず開始されてはどうにもならない。
「……リンゴ」
当たり障りのない回答で様子を見る咲夜。
「ゴリラ」
妹紅が答えたが、声色から蓬莱人形ではないかと思われた。次は早苗の番だ。
「ら……ラッパ」
リンゴ、ゴリラ、ラッパ……実にオーソドックスなやり取りだ。
ここまで来たら、次はパイナップル以外の答えはあるまい。しかし。
「パルパルーンパール」
無駄に重々しい声色で妹紅が答えた。
……パルパルーン……パール? 地底の嫉妬妖怪に関係するなにかだろうか。
「あの、それってなんです?」
早苗がうかつに訊ねた。しりとりワードルールを知らない自分達だ、下手な発言でお手つき扱いされてはたまらない。お手つきの指摘と、進行に関わる発言は認められるので相手の答えの内容を確認するのは大丈夫かもしれないが。咲夜は息を呑んで妹紅の言葉を待った。
「幻想郷大辞典最新版に載っている名詞はすべて認められる。検索確認は指摘側が行うように。2ミス」
お手つきにされてしまった。
しかしこれでルールは分かった。名詞だ。名詞以外も認められている単語もあるかもしれないが、少なくとも名詞で答えれば問題は無いはず。だが。
この妹紅ははるか未来の住人。現在では存在せず未来では存在する多数の名詞を知っているとしたら、さらに自分達の時代に存在する名詞が未来において廃れ辞書から抹消されていたら、勝ち目はほぼゼロだ。
果たして幾つミスを重ねたら敗北が決まるのか。ありがちな3ミスだと仮定したら、すでに二人は崖っぷち。チーム戦はこちらが不利だ。知識量が絶対的に違いすぎる。
苛立ちを濃くした面差しで咲夜は次の言葉を探した。
「ルビー」
「えーと、ビー玉」
蓬莱人形はちゃんとこちらにわかる言葉を選択してくれているようだ。はるか未来でもビー玉は現役らしい。
「マント」
早苗も危なげなく答える。続いて妹紅は。
「トルマリックハーリアス」
またもや意味不明の未来言語。
本当に未来の辞典に載る言葉なのだろうか。しりとりを有利に進めるため騙していないだろうか。
疑いながらも咲夜は続ける。
「……スイカ」
「んー、紙」
「ミカン箱」
「忠告」
繋がらない言葉を淡々と言う妹紅。だがその言葉の意味を考えれば、しりとりの答えとして口にしたのではないという想像は容易い。咲夜は先ほど自分が考えた名詞を重ねる行為を思い出した。
「名詞を重ねると回答が莫大に増えるので禁止されている。訂正認可の誤答。ミカンに訂正する?」
「えっ、は、はい」
どもりながら早苗はうなずく。
「訂正承認。3ミスで敗北なので注意するように」
命拾いをしたと胸を撫で下ろす早苗だが、ミカン箱を訂正してミカンでは、負けになるのでは?
その疑問に腰をすえて構えるよりも早く妹紅が答えた。
「ン・カイ」
なんだそれ。
多分、咲夜や早苗が知らない言葉なのだろう。しかしいいのか。"ん"でお手つきにならないのか。
「ン・カイは地名だね。旧支配者ツァトゥグァの住処だった暗黒世界の名前。妹紅、合ってる?「ん、合ってる」
地名もありか。
一人芝居で今の回答の説明をする妹紅。これは蓬莱人形が咲夜達のために補足してくれたのだろう。
なにはともあれ首が繋がった。安堵しながら咲夜はしりとりを続ける。
「遺産」
本来ならお手つきになるが、しりとりワードルールなら"ん"がついても大丈夫だと踏んでの回答。自分達は"ん"で始まる言葉など全然知らないのだから、妹紅達にありったけ吐き出してもらう方がいいだろう。次は蓬莱人形の番だ。
「えーっと……ンジョモ」
ンジョモってなんだ。しかし考えたところでわかるはずもなく、特に興味を引く単語でもない。
早苗もンジョモの正体は気にかかったが、やはり別段興味を引く訳でもないので別の思考に移る。あえて遺産と答えた咲夜の意図を汲んで、早苗は"も"で始まり"ん"で終わる言葉を考えた。
考えるまでもなかった。門。これでいい。さっそく答えようとしたが。
「蓬莱。ンジョモは確かに大辞典に載ってるけど、人名だ。1ミス「おーっと、そうだったそうだった。人名は駄目だったね、失敗失敗。ちなみにンジョモは妖精の中でも力が弱いにも関わらず危険度の高い探検から三度生還し、超絶レアアイテムを持ち帰った伝説の妖精ね」
またもや補足説明をする蓬莱人形……だがこれはもしや、わざとミスをしてくれたのだろうか?
「それじゃ、ンツンッテンイキョウンツカダンカガリソンキョウンッタインニヲンベンノヨンッショウシナンニンゲントンションシンニンゲンガダンゴンタベンテインノハンシンツワリノコウンカレーンウマスンシャルンッシュウカンノコンハクモンバンサランイトシンレミリンヨポケッンノナカンレンアンナンダンホウランサンカグンノセッスンホウンイガヒトンカタンアリスンサガシンサンゼンセンイムジントンダンサナンサンコウンカンメインモコンヒストリーンカリントキメンショウンデンセンラブハーンナンダンキョウンアナンガンシュジンサマウサツバサンナシニソンヲトベンモンカイキルンシヌンサクンサンマリンズマリスマリンガタカンクジデゴヒャンマントウセンシンゼヒャッホウンスティアガタカンクジデサンゼンマンエントンセンシタンキャッホウパンツショウシンヨスズメンササグンキトリヒワエンカンノセンデモコンガインインアッテナゲンリスズメンオヤンダヨサンエサンフジワンエクスチェンジンタンクロンコウリンサンヒトントノアイシンゲンソウキョンオジンクリムゾンブレイズサンゲツヒンノヤソンキョク」
長い。
しかもどういう意味かまったく想像できない。
これはなんだ。さっそく妹紅がツッコミを入れる。
「蓬莱、お手つきだ。正しくはンツダッテサンキョウンツカダレカンリソンキョウンッタインニヲンベンノヨンッショウシナンニンゲントンションシンニンゲンガダンゴヲンベンテインノハンシンツンリノコウマカレーコウンスペシャルンッシュウカンノコンハクモンバンサランイトシンレミンアヨポケッンノナカンレンアンナンダンホンライサンカグヤンセッスイホウラインヒトンカタンアリスンサガシンサンゼンセンイムジントンダンサナンサンコンマカンメインモコンヒストリーユンリントキメンショウンデンセンラブハーンナンダンキョウンアナンガンシュジンサマウサツンサモナシニソンヲトベンモンカイキルンシヌンサクンサンマリサズマリンマリンガタカンクジデゴヒャンマントンセンシタゼヒャッホウミスティンガタカランジデサンゼンマンエントンセンシタンキャッホウパンツショウシンヨスズメンササグンキトリヒワエンカインセキンモコンガインインアッテナゲンリスズメンオヤドンヨサンエサンフジンラエクスチェンジンタンクロンコウリンサンヒトビトノアンシンゲンソンキョンオジンクリムゾンブレイズサンゲツンメノヤウンキョンだ。これで2ミス」
少なくともこれは日本語ではないだろう。
しかしこれで蓬莱人形が八百長をしてくれているのは明らかになり、咲夜と早苗は安全に難題を攻略できると安堵し、肩の力が抜けた。
「それじゃ、三度目の正直で行くぜ」
軽やかな声色だ。
きっとわざと間違えるのが楽しくなっているのだろう。
早苗と咲夜も、次はどんなミスをしてくれるのかと期待が高まっている。
そして。
自信たっぷりに言った。
「ン・カイ」
蓬莱人形による3連ミス達成。
第二の難題攻略である。
「第三の難題。三者の三大偉業。これから幻想史に語られる英雄を三名挙げる。それぞれの成した偉業を三つ答えよ。まあ、偉業を十も二十も成している連中だから、これはサービス難題だな……」
偉業。
幻想郷において、その言葉は胡散臭さしかない。
しかも幻想史の英雄である。
誰も思い浮かばないし、未来の人物が出てきたらその時点で詰んでしまう。
「一人目、博麗霊夢の成した偉業を三つ挙げよ」
知ってる人がきた。
なんという僥倖!
だがしかし、よりにもよって博麗霊夢ときましたか。
「幻想史とやらに載るのね、霊夢……」
「ほら、幻想郷縁起にも載ってましたし」
「私も載ったわ、幻想郷縁起」
「で、霊夢さんの偉業と言うと……なんでしょう?」
二人はしばし悩んだが、咲夜がピンと指を立てて答えた。
「スペルカードルールの制定」
妹紅の反応は無い。
間違いなら指摘してしそうだし、無言は肯定と受け取ればいいのだろうか。
「巫女の義務ですが、異変解決も偉業でしょうか?」
早苗が問うように言うと、今度は妹紅の反応があった。
「霊夢の場合、あの時代と、巫女の在任期間考慮すれば、異変解決の早さや数も見事。偉業認定。あとひとつ」
スペルカードルール制定も偉業として認められていた。
さらに咲夜は、在任期間という言葉を口の中で繰り返すや、自信たっぷりに新たな答えを出した。
「博麗神社のお賽銭、霊夢が在任中に最低記録を達成してないかしら」
「それ偉業とは正反対ですよ!?」
賽銭とは縁の深い守矢神社の早苗は、厳しいツッコミを入れた。しかし。
「在任期間と賽銭総額で割り出した平均賽銭額の最低記録は確かに霊夢。三大偉業確認」
正解してしまった!
博麗霊夢、賽銭の少なさで伝説となった巫女。
元の時代に帰れたら、賽銭を入れてやろうと思う早苗と咲夜だった。
ただし忘れてなければ。
「続いて霧雨魔理沙の三大偉業を挙げよ」
「霊夢と同じく異変解決の数、キノコの活用法とかキノコの魔法とか、それと本を盗んだ回数」
「三大偉業確認」
咲夜が即座に正解を叩き出した。
霊夢の偉業を当てる際にコツを掴んだようで、抜群の手際である。
この調子なら三人目も簡単そうだ。
「では三人目の英雄、エターナルーン・オイッシャーサーン・クーロウッサーが成した偉業を三つ挙げろ」
知らん。
詰んだ。
早苗は口ごもってうつむき、咲夜は眉間に指を当てて唸った。
これはもうどうしようもないのでは。
蓬莱人形の助力を願ったが、蓬莱人形ごっこの主導権は妹紅にある。
そして五つの難題が始まってから蓬莱人形が喋れたのは、チーム戦だった第二の難題の時だけ。
妹紅は蓬莱人形に喋らせないよう意識している? 第二の難題でああも露骨に裏切られては、そう考えるのが自然だ。
……五つの難題を一問でも間違えたら、妹紅の助力は得られず成功率27%に賭けねばならない。いざとなればやむなしだが、それは避けたい。しかしどうする。どうすればいい。
まったく知らない者の成した、まったく知らない偉業など、どうやって当てればいいのだ。
27%という数字を真剣に吟味し出す咲夜。大雑把に考えれば四回に一回は成功する。絶望的な数値ではない、時の最果てとやらから帰還するために賭けるには十分な可能性。しかし妹紅の助力さえあれば91%……十回やって一回しか失敗しない計算……あまりにも段違い。もぎ取りたい、なんとしても。
咲夜が思考の坩堝をさまよっているそのかたわらで、早苗はある結論に至っていた。
知らない人物の偉業を当てようとするならば、完全な当てずっぽうか、あるいは物凄く大雑把に答えるしかない。
ならば。
意を決して早苗は口を開く。
「人助けをした!」
まあ。
確かに偉業ともなれば、人助けくらいしているだろう。
妹紅の反応は無い。
間違いなら指摘してしそうだし、無言は肯定と受け取れば……いいのか?
「わ、悪者を退治した!」
失敗したと思った早苗は、慌てて挽回しようとしてさらに同じ失敗を重ねた。
しまった。
やってしまった。
27%でがんばるしかない。
「お見事。あとひとつだ」
「えっ」
だが意外、妹紅は正解として認めた。
あんなんでよかったのか。愕然としながらも、安堵から脱力する早苗。
一方咲夜は、あんなんでよかったのだと悟るや、みずからも似たような回答を試みた。
「……作った」
なにを、という部分はあえて省く。考えてないから。
「第三の難題お見事さん」
でも正解。
これは多分、不備は問題にではなく妹紅にあるのだろう。
もしかしたら1+1の答えを「数字」と言っても正解扱いするほど駄目な頭になってるかもしれない。
初めて妹紅の人格が破綻している悲劇に感謝したが、そもそも破綻していなければ最初から協力を仰げただろうと思い直した咲夜は、すぐさま感謝の心を投げ捨てた。
「第四の難題。すべてのものが生きるために必要なものを述べよ。回答は一人で一度。相談は自由だが、質問は受けつけない」
とても簡単な問題だというのが、早苗が抱いた最初の印象だった。
しかしチラリと横を見れば、咲夜の表情は険しい。
ここまで、咲夜は理論的に考えて正解を出している。早苗はどちらかというと思いついた答えをそのまま言っただけだ。
「あの、咲夜さん、答え……なんだと思います?」
「生きるという言葉の意味がよくわからないのよね。肉体が生きていればいいの? 水、食べ物、空気なんてものを素直に答えとして受け入れてくれるかどうか……」
「ん……確かに、そう考えると急に難しく……すべてのものが生きるために必要なもの、ですから、水や空気が無くても生きていける生き物がいたら、それらは間違いになる」
「肉体が無くても生きていける、精神生命体のようなものも存在するとかしないとかパチュリー様も仰ってたし……物質的な答えじゃなく、哲学?」
「哲学……人は一人では生きていけないとか、人という字は支え合ってるとか、そういう感じのアレですか」
「だいたいそんな感じかしら。でも第三の難題の傾向を見るに、水とか食べ物とか空気っていう答えでも大丈夫な気もするけれど、そう何度もギャンブルできないわ」
「ですよね。生きるために必要なもの……か」
神奈子様。
諏訪子様。
ふたつの名が浮かび、続いて信仰という言葉が浮かんだ。神にとって信仰は不可欠。
妹紅。
藤原妹紅。
不死。不死身。不老不死。
水、食べ物、空気……それらを欲しても、必要不可欠ではない少女。永遠に生き続ける少女が、生きるために必要なものは?
「し」
咲夜が呟いた。
その意味も意図もわからず、早苗はいぶかしげに咲夜を見やる。
もう一度、咲夜は力強く言った。
「死よ。生は死の中にあるとかどうとか……確か、言ってたわよね? なら、生きるために必要なのは死。違う?」
なるほど。感心した早苗は、期待を込めて妹紅へと視線を移した。
妹紅は顔を上げ、淡々と告げる。
「生は死の中にある。それは真理だ。間違いではない、しかし……」
ひび割れた赤い瞳の奥が鈍く揺らぐ。
「生の中に死があるとは限らない。自分以外のすべてが死に絶えても、生き続ける宿命に呪われたもの、おぞましき生命が存在する。不正解だ」
唇をきつく結ぶ咲夜。
どうやら先ほどと違い相当真面目な難題のようで、大雑把な回答は正解と認めそうにない。水、食べ物、空気、通用しないだろう、生き続ける宿命に呪われたものには。
早苗は手痛いミスをした咲夜を気遣い、見つめていたが、ふいに彼女の視線がこちらに向けられた。
「どうも、この手の難題はあなたの方がうまくやれそうね。頼めるかしら?」
「えっと、一人一回ですから私が答えるのは構いませんが、相談くらいはしてくれますよね?」
「下手に口出しすると、あなたの直感を害してしまうわ。巫女は直感が鋭いのでしょう? 私はそれを信じてみる」
直感が鋭いのは巫女の能力ではなく、霊夢の能力だ。
とはいえ、神がかり的ななにかを期待するなら現人神である早苗に頼るのは間違いではない。
間違いではないが……正解とは限らない。
それでも。
「困った時の神頼みっていうでしょ」
なんて言われちゃ、現人神としては張り切ってしまう。
「よぉし! この東風谷早苗、見事この難題をしのいで見せましょう! 現人神の名に賭けて!」
不老不死の藤原妹紅を基準に考えてみよう。
食事、必要無し。
空気、必要無し。
水、必要無し。
睡眠、多分必要無し。
死、必要無し。
弾幕ごっこ、必要無し。
愛情、友情、必要無し。
友達、必要無し。
宿敵、必要無し。
必要無し。必要無し。必要無し。
あれば健やかに生きられるのだとしても、ただ生きるだけならば、彼女に必要なものは無い無い尽くしだ。
肉体、必要無し。
精神、必要……か?
魂、必要……必要だ!
両の拳を握りしめて笑う早苗。これだ、これ以上の答えがあるだろうか。
魂は生命の本体と言っても過言ではない。
蓬莱の薬を飲んだ者は魂が本体となり、肉体が滅びても魂から復活すると以前神奈子様が仰っていた気がする。
確信を持って早苗は口を開いた。
「答えは、たま……」
「ホウラーイ」
ふいにさえぎる妹紅、いや、妹紅の演じる蓬莱人形。しりとりの際に自爆してくれた蓬莱人形が妨害をしたという事は、この答え、魂は……間違い?
妹紅の眼差しが鈍く揺らぐのを見て、早苗は慌てて撤回した。
「いえ、やっぱりもうちょっと考えます」
妹紅の反応は無い。
だが正解とも間違いとも言わないのなら、撤回は認めてくれたのだろう。
たま、までしか言っていないのだから、採用されたら確実に間違いだ。玉が必要な生命なんて確実に少数派である。
魂。この答えが違うという警告をまず考えてみる。
魂を必要とせず生きるもの。
魂を持たずに生きるもの。
そんな生命があるのか?
いや、そもそも、生命とはどこからどこまでをさす?
フォローをしてくれる蓬莱人形。果たして彼女に、魂はあるのだろうか。未来の自律人形だ、魂があったとしてもおかしくない。しかし未来ともなれば、今はSFの産物とされる人工知能を持ったロボットなども存在するだろう。魂の存在しない妖怪なんてのもいるかもしれない。
だとしたら、すべてのものが生きるために必要なものとはいったい?
――生の中に死があるとは限らない。自分以外のすべてが死に絶えても、生き続ける宿命に呪われたもの、おぞましき生命が存在する。
妹紅の言葉が思い出される。
なにかヒントはないだろうか。
咲夜は早苗の直感に賭けたが、早苗だって早苗なりにあれこれ考えて答えを出してきたのだ。
――生の中に死があるとは限らない。
間違いではないが、例外はあるという事。その例外さえも含む答えを導き出さなくてはならない。
――自分以外のすべてが死に絶えても。
死に絶えても、自分は残る。不死身だから残る。
魂は残る。
自分は残る。
「……自分?」
すべてのものが生きるために必要なもの。
肉体の生命、精神の生命、魂の生命、仮にどれかひとつで存在する生命だとしても、自分がいなくては存在できない。
自分を必要としない生命……そんなものがあるのか?
例えば、精神や魂が他者と混じり合ったならどうだろうか。コーヒーにミルクを入れれば、それはもう分割できない。しかしミルクコーヒーという新たな存在にはなる、それはそれで新しい自分と言えるのではないだろうか?
自分。
自分以外との境界によって保たれるもの。
その境界が失われたとしたら、自分を失ったとしたら、より大きななにか、集合体のようなものの中で生きるとしたら。
集合体の中で自分を保てれば自分は存在するし、自分を保てなければ、もはや集合体こそが本質?
だんだんとややこしくなってきて、自分という単語の意味さえ揺らいできた。
だがしかし、今、それ以上の答えを早苗は見つけられない。
もっと時間をかければ、あるいは他の答えに到達するかもしれない。
もっと時間をかけたら、思考の坩堝にはまって抜け出せなくなり、自分という答えを失ってしまうかもしれない。
だったら。
「答えは……自分です!」
早苗は言った。
「自分があるからこそ生きているのだと言える。自分を失ったら、例えなんらかの形で生を保っていても……それはもう、自分が生きているとは言えない。違いますか!?」
「違わないな」
あっさりと妹紅は肯定した。
「確かに、その考えは間違いじゃない。命の賢者が唱えた生命の証明で、色々と議論したもんだ。固が全、全が個、自我を共有した魂無き電子頭脳の持ち主も、盛んに議論に参加し、自分達が生きているのかを知ろうとした」
「そ、それじゃあ……」
「間違いじゃないが、あまりに稚拙。あまりに単純。もっと突っ込んで語ってもらいたいもんだ」
期待に満ちた早苗の声色は、呆気なく封殺された。
健闘はした。かたわらの咲夜も落胆はあったが、仕方ないという気持ちが勝っており、早苗を責めようとはしない。むしろ慰めの言葉さえ考えていた。しかし早苗が感じているのは自責。咲夜の期待に応えられず、蓬莱人形の助けを生かせず、悔しさのあまり手が白むほど強く握る。
「間違いじゃない」
繰り返し、妹紅が言った。
「百点満点中、せいぜい十点ってところか。だがそれでも、間違いじゃない……」
赤くくすんだ瞳が揺らぐ。
「完全じゃないが、一応正解だ」
ふいに肩が軽くなるのを感じた早苗。
しかし実際には、肩に手を置かれていた。
振り向けば、褒め称えるように微笑んでいる咲夜。
よかった。これで、第四の難題も突破できた。
「第五の難題」
喜びに水を差すように、淡々と進行させる妹紅。
緊張に身を硬くする両名。第三の難題のように簡単な難題か、それとも第四の難題のように難しい難題か。
せめて早苗達の生きる時代から推察できる問題であってくれれば。
妹紅の唇の動きがやけに緩慢に思え、みずからの鼓動の一回一回に息苦しさを覚える。
第五の難題は。
最後の難題は。
「藤原妹紅の友を五名挙げよ」
早苗達の知る人間の、早苗達の知る人々が答えだった。
「東風谷早苗!」
すぐさま深い考えも無く、深く考える必要すら無く、東風谷早苗はみずからの名を叫んだ。
「蓬莱人形! 上白沢慧音!」
続け様に名前を挙げる。今なお、妹紅のかたわらにある人形の名前。今なお、妹紅の妄想の中で友として存在する人形の名前。
そして早苗達の生きる時代において、もっとも妹紅と親しいだろう人間の名前。
「レミリア・スカーレット!」
さらに早苗が挙げた名前は、少々意外なものだった。
博麗霊夢や霧雨魔理沙の名前を挙げても、ほぼ確実に――妹紅がちゃんと覚えていればだが――正解していただろう。だがあえて、レミリア・スカーレット。紅虐異変なるものを起こした悪魔。
そして。
「最後の一人は、お譲りします」
微笑まれ、レミリアの名前を挙げた意図を理解する咲夜。
紅虐異変の話を聞かされて、妹紅に対し抱いた不快感を払拭させるために。
咲夜が挙げるべき名前をたったひとつに限定させるために。
完全で瀟洒なメイドはため息をつき、冷めた目線を難題の主に向けた。
「咲夜……十六夜咲夜。合ってるかしら?」
「五つの難題の成功おめでとう。幻覚相手に無駄な労力だと承知の上で、タイムゲートを空けるのに協力しよう」
もったいぶらず、正解だとも告げず、妹紅は難題の終了と協力を申し出た。
元の時代に帰る手はずは整った。それは嬉しいのに、結局、妹紅からは幻覚だと思われたままだという事が、早苗には悲しかった。
□ □ □ □ □ □ □
「開け時の門」
たったそれだけだった。
たったそれだけの言葉でタイムゲートは開いた。
白髪の床の上部に浮かび上がった、藍色に渦巻く穴。
「これに入ればいいの?」
「座標計算中ー、ちょい待ちー」
咲夜の問いに対する答えは軽く、蓬莱人形のキャラクターであるとわかった。
「私は手伝わなくていいの?」
「まだいい。私がゴール地点を指定するから、そこに行き着くまでの時空の乱れを咲夜が制御すれば、次元の狭間を漂流せずに移動できる。早苗は銀の羽根に神通力を吸わせればいい」
ここにきて新たな単語が出たので、早苗はじゃっかんの不安を覚える。
妹紅の手が軽く上がると、床に蔓延る銀髪の隙間から、銀色の羽根が浮かび上がった。
30センチほどもある長さのそれは、引き寄せられるように早苗の手におさまる。
「銀の羽根。銀の鳥の羽根。時の引き金とも言う。存在する次元がズレているから時間の影響を受けつけない。時間と空間が荒れ狂うタイムゲート内でも不変であるそれは、自分達の存在を保つのに必要だ。持ち続けるだけでいい。持ち続けるだけで精いっぱいだろう。時の賢者の唱えた時間次元混沌旋風回避航路理論についての説明が必要なら111時間くらいかけてじっくりと……」
「いいえ遠慮します結構です」
理解できそうにないし。
「座標計算終わるまで待ってなー」
蓬莱人形の口調がそう言うので、早苗と咲夜はタイムゲートの様子をうかがいながら待った。
だが少しして、咲夜が暗い声で呟く。
「これって、四人で力を合わせたら成功率が91%になるのよね」
「そう言ってたじゃないですか。私と、咲夜さんと、妹紅さんと、蓬莱人形の……」
「妹紅と蓬莱人形は別計算でいいの?」
ギクリとする早苗。
確かにそうだ。この蓬莱人形は、確固たる人格を感じられるが所詮は妹紅の妄想の産物。本物の蓬莱人形はそのかたわらで朽ち果てている。二人分の役目を果たそうとしてしくじられてはたまらない。
「あ、でも、それなら蓬莱人形の人格がなにか言ってくれるでしょうし……蓬莱人形はまともですし」
「今さらだけど、それも不安になってきたのよね。人格破綻者の演じる人格、あるいは精神の異常である多重人格が、果たしてまともと言えるのかしら。もっとも、それに頼る以外に方法が無いのだから、どうしようもない……か……」
「いよいよ帰れるって時に、不吉な話はやめましょうよ」
と言いつつ不安の伝染した早苗は、背筋に冷たいものを感じていた。
青く蠢くタイムゲートを見る。
あれに飛び込むのか。
銀色に輝く羽根を見る。
これは本当に意味あるものなのか。
藤原妹紅。
蓬莱人形。
信じていいのか。
信じるしかないのか。
「いいぞ、飛び込め」
心の準備をする暇も無く妹紅が告げる。
足が震えた。
「まあ」
咲夜が一歩、先んじる。
「案ずるより生むが易しとも言いますし、選択の余地もありませんし、行きますか」
後に続こうとして踏み出し、立ち止まる早苗。
振り返り、妹紅に手を差し伸べる。
「一緒に、行きませんか?」
不安からの誘いではない。
「こんな、時の最果てなんていう場所で、未来永劫、そうしているよりは……私達と一緒に過去に戻って、生きてみませんか?」
第五の難題で、友として己の名を挙げ、それを認められた。
ならば人としてではなく、神としてでもなく、友として手を差し伸べるのは当たり前だ。
どこまでも果てしなく。
いつまでも果てしなく。
星の無い夜のような空間だけが広がる、時の最果て。
すべての生あるものが朽ち果ててもなお、朽ち果てる事さえ許されず、正気さえ保てぬ暗黒の次元で幻覚を相手に自己を慰める生き地獄。見捨てて行けるか。行けるものか。
妹紅の虚ろな瞳の焦点が初めて、早苗の瞳をとらえた。
ひび割れ赤く濁った瞳にわずかな光が宿る。
「妹紅さん、一緒に!」
呼びかけ、手を伸ばす。
そのかたわらに、新たに現れる手。
「その長ったらしい髪を切って、とっとと立ち上がりなさい」
咲夜も、手を差し伸べる。
ふたつの手に導かれるように、妹紅の手がゆっくりと上がって。
「ああ、そうか、お前等――」
妹紅の指先が震え。
「早苗と咲夜か」
蓬莱人形の演技ではなく。
蓬莱人形の人格ではなく。
藤原妹紅が、二人の名をついに思い出した。
指先が震え。
拳を握り、力強く開く。
その動作によって強烈な風圧が生まれ、早苗と咲夜をタイムゲートの中に吹き飛ばした。
「も、妹紅さん!?」
その時、早苗は確かに見た。
藤原妹紅が優しく微笑むのを。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「咲夜ー、終わったの?」
弾幕の衝突音が途切れたので、ベランダで本を読んでいたレミリアは顔を上げて従者の姿を探した。
紅魔館の庭で、守矢の人間と弾幕勝負をしていた従者の姿を。
でも。そよ風が花壇の花を優しく揺らす庭に、人影は見当たらなかった。
紅茶のおかわりを入れさせようと、思ったのに。
「うひゃあ!」
と、いきなり悲鳴が頭上から。
見上げてみれば、東風谷早苗が降ってきた。
ここはベランダで、垂直に落下してくるには天井が邪魔になる。だが天井を突き抜けてきたようには見えず、忽然と天井の下に出現したかのような落下だった。
早苗はレミリアのかたわらに落っこちて、その背中に十六夜咲夜が着地する。
「どういう経緯があったかはわからないけど、勝ったみたいね」
ついさっきまで弾幕ごっこをしていたのだから、これが弾幕ごっこの決着の形であるという考えに至るのは自然であった。
しかし咲夜は、いぶかしげにレミリアを見、次に周囲を見、最後に足元の早苗を見た。
「……えーっと?」
とりあえず早苗から降り、額に指を当てて何事かを考え込む咲夜。
「どうかしたの?」
「いえ……なにかとてつもない体験をしたような気がするのですが、どうにもおぼろげで……」
「そうなの? 見てなかったから」
「それに、なんだか身体が億劫と言いますか……能力を限界まで酷使した後のような倦怠感が」
「たまには休暇を取ったら?」
一日二十四時間以上働いている咲夜だ、恐らく疲れが出たのだろう。今は咲夜が紅魔館の仕事をほとんどやっているが、そもそも彼女がメイドになる前は妖精メイドだけで持っていたのだ。メイド長がいなくては紅魔館は回らないと誤解されがちだが、実はたいして問題無い。
「こう……ぎゃ……?」
なにかを思い出そうと咲夜は呟く。
表情がつらそうだったので、レミリアは心配りを見せた。
「咲夜、紅茶のおかわりを用意しなさい」
「あ、はい、畏まりました」
肘掛け椅子でふんぞり返る主のため、十六夜咲夜はいそいそと館内に入っていった。時間を止めないのは身体が億劫だからか。無理に休暇を取らせようとしてもなかなか承知しないだろうし、レミリアは自分がバカンスに行くついでに咲夜も休める状況を作れないかと思案を始めた。
「う、うーん……」
それを邪魔するようにうめき、起き上がる東風谷早苗。
「あ、あれ? 時の……時が、んんー?」
きょろきょろと見回しながら、早苗もやはり何事かを思い出そうとしているようだった。
さして興味が無いので、レミリアは読みかけの本に視線を落とそうとし――視界の端で銀色に輝くものに気づいた。
「あら、綺麗な羽根ね」
「へ?」
自覚していなかったのか、早苗は手の中で輝く銀色の羽根に視線を落とした。30センチほどの長さで、これを生やしていた鳥はさぞ美しかっただろう。
舞い込んだ羽根を早苗が拾ったのかと、レミリアはベランダの外に広がる青々とした世界を見やった。
いい天気だ。飛び出せばすぐ気化できそうなくらいに。
「妹紅さんの羽根……」
早苗が呟いた。
「これ、妹紅さんの羽根……?」
「あいつの羽根は赤く燃えてるでしょ」
「え、ああ、そうですよね」
レミリアに指摘されてもなお、妹紅の羽根という考えから抜け出せないらしい早苗は、ベランダの手すりに飛び乗った。
「すみません、私、ちょっと竹林に行ってきます」
「勝手にどうぞ」
ページをめくり、文字列を追うレミリア。
数分ほど経って、ようやく咲夜が新しい紅茶を持って現れた。主の友人であるパチュリーをともなって。
レミリアの対面に座ったパチュリーの前にも、当然のようにティーカップが置かれる。
「どう、その本」
「微妙」
ページから視線を上げるレミリア。
「退屈だわ。未来人でも攻めてこないかしら」
「未来人は攻めてこないけれど」
パチュリーが手を払うと、レミリアの本の上に光が現れ、束ねられた紙へと変わった。
再び視線を落とすレミリア。
紙に書かれた文字を声に出して読む。
「紅虐異変?」
「レミィをモデルにした小説の草案よ。小悪魔がこっそり書きつらねていたのを拝借してきたわ、暇潰しになると思って」
「へぇ」
眼を細め、口角を上げ、レミリアは草案を読み進める。
「従者を手にかけて鮮血に染まったレミリアお嬢様を見て言う。夕陽よりも鮮やかで溶岩よりも熱く、炎のように激しい笑顔が、痛いほどに眩しかった――ねぇ。なかなかいいセンスだけど、なんで竹林の焼き鳥屋のセリフなのよ。霊夢でいいじゃない」
「数百年後が舞台だし、ほら、竹林のあいつって名前が妹様っぽいでしょ。それで出演させたそうよ」
「フランと妹紅の合体技で、私が殺されて終了?」
「続編の紅臨異変で復活して、主役側で大活躍するそうよ。映画化も企んでるみたい」
「ほう。その時は私みずから紅虐異変を演じてやろう」
瞳を輝かせてページをめくるレミリアを見て、これで暇潰しにはなったかしらとパチュリーは微笑を浮かべ、ある異変に気づいた。
かたわらに立つメイドが額に指を当てて何事かを考え込んでいるのだ。
「咲夜、どうかした?」
「いえ……紅虐異変って、どこかで聞いた気がして」
「あら。小悪魔ったら、盗作はよくないわね」
なんて言いながら、パチュリーはベランダの外に広がる青々とした空に視線をやった。
いい天気だ。飛び出せばすぐ立ちくらみを起こしそうなくらいに。
● ● ● ● ● ● ●
目の前の人物は明らかに対応に困っており、それも仕方ないと早苗は承知していた。自分自身、どういう用件で彼女の元を訪ねたのかよくわかっていないのだから。
迷いの竹林の一角。頑強な生命力を誇る竹さえも根づかぬ岩の上で、向かい合う早苗と妹紅。
「……で、その羽根がどうかしたの?」
「ええーっと……その、見覚えとか、ありません?」
「ちっとも」
早苗の手には銀色の羽根。
妹紅の手はもんぺのポケットに突っ込まれている。
「どうも尋常の羽根じゃないようだけど、それと私と、どう関係があるの?」
「それが、私にもよくわからないんですが……これは、妹紅さんが持ってなきゃならない気がして」
と、銀色の羽根を差し出す早苗。しかし妹紅の手はポケットにしまわれたままだ。
羽根は美しく、穢れを知らないかのように輝いており、この世のものとは思えない。
「お前が持ってろよ」
妹紅は笑った。
「せっかく綺麗なんだからさ、部屋にでも飾っとけよ。それでもし、私が持ってた方がいいなんて状況になったら、貸してくれりゃいいさ」
それでいいか。
早苗自身この銀色の羽根の意味を解しておらず、押しつけてなにかあっては申し訳が立たない。邪気は感じないが、確かにただの羽根とは思えない。とても大切な、とても、不思議な……。
「じゃ、私はこれで」
用件がすんだようなので、きびすを返す妹紅。
その背中、膝裏まで届く長い白髪、白髪の、白髪の……。
「妹紅さん」
呼び止め、続く言葉に驚いたのは早苗自身だ。
「私達って、友達、でしょうか……?」
なぜこんな質問をしたのか。
いきなり友達かどうか訊ねるなんて気色悪いんじゃないだろうか。
振り向かずに妹紅、肩を揺らして答える。
「そんなもん、死ぬ時までに決めればいいさ」
死ぬ時。
藤原妹紅にとっては決して訪れぬ未来。
どうしてか、それを思うと胸が苦しかった。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
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● ● ● ● ●
時の向こうで――。
● ● ● ● ●
● ● ● ● ● ● ●
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「無茶したわねぇ、妹紅」
「ああ。今度は輝夜の幻覚か」
「フランちゃん。妹紅の頭、木っ端微塵にしちゃって」
「OK」
軽やかに答えた悪魔の淑女、軽く手を握るだけで妹紅の頭は爆砕し、一秒と経たず復元した。
床にまで蔓延った白髪は一度ちぎれ、新たに再生された白髪は膝裏程度までの長さだった。
「ん……ああ、今度はフランの幻覚か」
「あれ? 治ってないよ」
「おかしいわね……って、なにこれ、魂を呑んじゃってるわ。人形の魂が二桁、吸血鬼の魂が一個、ていうか妹紅号の乗員全員の魂を呑んでるじゃないの。これじゃ魂は無事でも、精神は均衡を保てないわ」
「ああ、お姉様が見当たらないと思ったら、妹紅に食べられちゃってたのね。いやらしい」
「魂が絡み合っていて、解放するのが難しそうね。早苗ー、次元航行船に運んで……なにしてるの?」
白髪の絨毯に這いつくばった早苗は、髪を掻き分けてなにかを探していた。
「おかしいなー。銀色の羽根、次元安定板の中央に設置してあるはずなのに……」
「羽根、無いの?」
「ええ。反応もありません。それにしても……この状況、なんだかデジャヴ」
「くだらない事を言ってないで、妹紅を運ぶの手伝ってちょうだい。そろそろ混沌のひずみが限界を迎えるわ。このタイミングで妹紅号の残骸を発見できたのは僥倖ね」
「ええ。そしてついに宇宙新生のビッグバンが起こるのですね。待ち焦がれましたよ」
「私の能力で、輝夜号の乗員にとっては一瞬だったでしょうに」
「さあ妹紅、神の友と書いて神友(しんゆう)と読む東風谷早苗が迎えに来ましたよ!」
輝夜に起こされた妹紅は、虚ろな瞳を早苗に向ける。
「あれ? 早苗の幻覚がまだいる。お前、帰ったんじゃないのか」
「幻覚じゃなくて本物です。さあ、宇宙新生の瞬間を次元航行船輝夜号の中から眺めようじゃありませんか」
白髪に埋め尽くされた板に隣接した巨大な次元航行船輝夜号。その表面は銀色に輝く不思議な金属で、その中には宇宙の終焉をまぬがれるため乗り込んだ人間や妖怪や神々が、新たな宇宙誕生を待っている。
時間つぶしのために放映されている映画は『紅虐異変』『紅臨異変』の前後編。五百年置きに本人主演でリニューアルされる人気作。監督の超悪魔は宇宙新生をテーマに新しい映画の草案を練っている。
先んじで船に戻ったフランドールから妹紅の状態を聞かされた永琳は、難破した次元航行船妹紅号の乗員が無事だった事を喜びながらも、いったいどうやって乗員達の魂を妹紅から解き放つかに頭を悩ませた。「面倒くさいから妹紅はクルクルパーのままでいいんじゃない?」とフランドールがおどけると、因幡の黒兎ことエターナルーン・オイッシャーサーン・クーロウッサーが「ならば私が治してみせる、我が祖先……因幡てゐの名に懸けて!」と張り切っちゃう。
次元航行船輝夜号の中は今日も平和だ。
そして。
「おーもーいー……妹紅、太ったんじゃない?」
軽口を叩く輝夜と。
「なんだ、今度は次元航行船の幻覚までついてるのか。なあ蓬莱、あの中に早苗と輝夜もいるかな」
未だ幻覚を見ている妹紅と。
「だから幻覚じゃありませんし、私はここにいますってば」
神友を自称する早苗の三名は、白髪の床から次元航行船へと移り込んだ。
混沌のひずみが限界を迎えようとしている。
そして宇宙新生のビッグバンが起きるだろう。
時間という概念、世界という概念、空間という概念、すべてが生まれる。
その時が来たら。
新たな宇宙で、彼女達はたくましく生きていく。
そして、時の向こうへ――。
The End
本当、最初は読みにくいという印象しかありませんでした。
それが、やっぱりビビっと来て、そのまま読み進めたらなんと言う・・・。
良いですね、良いです。もこたんも、それは壊れてしまうはずです。素晴らしい思考実験でした。
最終的に救いがあるのも良い。救いが無くてもそれはそれでアリだったかな?と思いながら、Marisa's Maliceで凹みまくった自分にはやっぱり救いがあった方が嬉しかったり。
良いですねー。クーロウッサーもね、ピンと来ましたよ。あ、これさっき言ってた黒兎の事だって。
いやあ、楽しませてもらいました。
そして妹紅が救われたラストシーンではクロノクロスによって時食いから解放されるサラを幻視した。
これまであなたが書いてきた妹紅を見てきているだけにあの後こうなっちゃうの? とか色々と想像しちゃいました。
そういうのも含めて、面白かったです。
鈴仙が死んでしまった時に輝夜や永琳はなにを思ったんだろう。
ハッピーエンドとも言えずなんとなく色々考えさせられる
作品でした。
時の果ての描写や奇妙な難題はSF好きにはたまらないかも。
最後の救いに関しても、実に東方らしい締めくくりでよかったと思います。
読み始めてすぐお話引きずり込まれ、一気に読破してしまいました。
未来の状況で色々と複雑な思いに囚われましたが、妹紅が孤独じゃなかったので安心です。
久しぶりに読みごたえが有りました。
イムスさんの妹紅と早苗が好きだー
とても面白かったです!
いい早苗さんだなあ
終盤の怒涛のひっくり返しがまた堪らない。
頭の中が上手く回らなくて、これくらいしか言えませんが、本当に面白かったです。
妹紅の境遇に涙が出てきました。切なすぎる。
読後、脳内でクロノトリガーのメインテーマが流れつづけています。
妹紅はおかしかったけど、蓬莱人形は二人をきちんと認識していたんですよね。
魂の分離が取られたあと、蓬莱人形から事の顛末を聞いた妹紅たちを想像してみると楽しい。
このイメージが美しい。しいて難癖をつけるなら、それが美しすぎることでしょうか(笑
咲夜と早苗のスタンスの違いみたいなのも、くっきりと決まって心地よかったです。
話に入れてからは面白かったです
賽銭箱ェ・・・
短いのに読み応えがあり、楽しませて頂きました。
パロってる?作品って、元ネタ知らないとどこまでがパロでどこからがオリジナルか分からなくて、採点しにくい..
や、責めてるわけではなく。
超悪魔監督の作品を見て元気になってきます。
そうなったらどちらかの早苗が消える? SFでこういうのは何て言ったっけ…
ってまあそんなのはどうでもいいか。楽しめました。
特にもこたんに萌えました。
SFはもともと好きなのですが、妹紅が登場してからぐいぐい物語に引き込まれました。
妹紅が最後の瞬間に、早苗と咲夜を思い出すシーンはグッときました。
しんみり終わるのもアリだとは思いますが、最後は明るくハッピーなのがいかにも幻想郷らしくて良いと思いました。
でも、本人はそんなこと気にしないだろうキャラというのが・・・・・・
咲夜さんの忠誠心と端正さが美しい。
そして、壊れ妹紅の最後の難題と怒涛のラストに胸が震えました。
まっさきに自分の名前を挙げる早苗。
あなたのお話を読むともこさなコンビも良いよなあ、と思います。
良い物語をありがとう。
終わり方すごい好きです。
それを抜きにしても、永劫の時の果て、壊れてしまった妹紅の描写と口調が面白かった。
東方+SFは数が少ないのでうれしい。ご馳走様でした。
そこを越えるとあれよあれよと急速に引き込まれ、時の最果ての描写とシルバードにニヤリとし、最後の救いにはさすが幻想郷の面々だなあと感動しました。
このシリーズの早苗さんは無鉄砲さと無邪気さと少女らしさとまっすぐさを兼ね備えて、
ヒーローとヒロインを兼任しているすごいキャラだ。つまり大好きです
大好きです!
超悪魔と黒兎のネーミングに笑いました。
あと、妹紅が本当に壊れていたわけでなくてよかったです。
SFっていいよね。
それにしても皆さん逞しいな。
宇宙もう一巡いく気ですか。
ジェイムズ・ブリッシュの宇宙都市シリーズの「時の凱歌」だっけか
この宇宙は滅びるが、ある時空点に身を置く事で、
次に生まれてくる宇宙に影響を与えられるという設定だった
時の最果ての銀の羽根(シルバード)を連想して、ん?と思っていたら……
こういう不思議な作品も面白くて好きです