「アリス。アーリス。ねえ、聞こえてるんでしょう? 無視しないでよ」
「今は大切な実験中だから、後でね」
「朝からそれしか言わないわよね」
「そうね」
溜息が漏れる。
せっかく会いに来たっていうのに、アリスはずっと何かの本やら薬品やらと睨めっこ。
魔女がそういう生き物だってのは知ってるけど、これじゃあんまりよ。
それは私より大事な実験なのかしら?
そういえば、裁縫してるところはよく見るけど、魔女らしい実験してるところはあんまり見たこと無かったわね。
邪魔しないように大人しくしてようと思うけど、正直退屈。
上海でも虐めて遊んでようかしら。
くっつこうとしたら邪魔と言われた。
少しくらいいいじゃないの。何でそんなに気が立ってるのよアリス?
あーあ。やってらんないわね。
一仕事終えて、ようやくアリスといちゃつけると思ったのに。
当のアリスは実験にお熱。これじゃあ私の方が冷めちゃうわよ。
背中向けて碌に話し相手にもなってくれないし。
ねえアリス。ちゃんと私の方を見てよ。
花はちゃんと愛情込めて育ててあげないと、すぐに枯れちゃうのよ?
ずっとアリスを見てて分かった。
あれは実験が煮詰まってるんじゃなくて、私を無視してるんだ。
だって、全然忙しそうじゃないもの。
さて、そうなると問題だ。
私は何かアリスを怒らせるような真似をしてしまったのだろうか?
膝を抱えて椅子に座る。
まるで悪い事をした気分だ。実際、悪い事をしたのかもしれないけど。
前に来たときに特におかしなことをした覚えは無い。
いつも通りからかって、いちゃついて、一緒に寝てさよならした。
その程度で愛想を尽かされるのなら、とっくの昔に私達は終わっているはずだ。
それなら、私が来なかった間に何かあったのかしら?
女心と秋の空、とは言うけど。前に来たときからそんなに日は経ってないし、それは考えづらいわよねえ。
あー、くさくさする。
嫌なところがあるならはっきり言ってくれればいいのに。
直る直らないは別として、その方がお互いすっきりするはずだ。
それとも、こうやって遠まわしに非難することが魔女流のやり方なのかしら?
未練がましくアリスの背中を睨む。
花相手だったら、愛情込めて手間隙かけた分だけ、美しく咲いてそれに応えてくれる。
人形相手だったら、物を言わないけれど、愛情も愚痴も全て受け止めてくれる。
人間相手だったら、適当に脅して痛みを与えてやれば、大抵の奴は言う事を聞く。スペカルールで叩きのめせば全て解決だ。
アリス相手だったら?
うーん……。これまで上手くやってたと思ったんだけどなぁ…。
私はただ、アリスの隣で、アリスの笑顔が見たいだけなんだけど。
人間友好度最悪の凶悪妖怪には、それも贅沢な望みだったのかしら?
「ねえ、貴女はどう思う?」
頭を撫でて上海に尋ねる。
答えを期待しているわけじゃないけど、他に話し相手もいないもの。
アリスが機嫌を直すまで、もうしばらく付き合ってちょうだいね。
あーあ。今頃はアリスといちゃついてる予定だったんだけどなー。
・・・
ソファーに横になってアリスの背中を眺める。気まずい時間。
アリスはろくにこっちを見てもくれないし、いつもは賑やかに動き回っている人形達は静かに棚の中に納まっている。
沈黙って割と堪えるのよね。
いつもは可愛い人形達が、次第に気味悪く思えてくる。
魔女の家。
こんなにも怖く感じたのは初めてだ。
今にも音を上げて泣き出してしまいそうになる。
出直すべきだろうか?
このまま帰っても気分が悪い。
まだアリスの笑顔を見てないし、せめて怒ってる理由を知りたい。
本当なら今すぐ謝りたいくらいだ。
ねえアリス。私が一体なにをしたの?
アリス。
ねえ、アリス。
どうしていつもみたいに笑ってくれないの?
とても長い時間が流れた気がする。
外を見ると、日が落ちて暗くなり始めている。
一体いつまでこんなことを続けなければいけないのか。
「ねえアリス、その実験はいつになったら終わるの?」
「当分終わりそうに無いわね。明日の夜には一区切りするけど、それまでは目を離せないわ」
「私はどうすればいいのかしら」
「泊まってくならベッドを用意するわ。幽香の好きにして」
「その実験は、私より大事なの?」
「んー、どうかしら」
「ねえ、アリス」
力任せに振り向かせ、強引にテーブルに叩きつける。
「ゆう…ッ?!」
唇を塞ぎ、抗議の声を強引に押さえ込む。
酸欠になるくらいに長く口を塞いで、大人しくなってから唇を離す。
強引に口付けしたせいで、唇から少しだけ血が滲む。
痣が残るくらい、強くアリスの腕と肩を押さえつける。
「ねえ、アリス。知ってると思うけど、私はとても我侭なの。
だから、思い通りにならないとむしゃくしゃして何をするか分からないわよ」
顔を近づけ、威圧的に囁く。
アリスがようやく私の目を見る。
その瞳には多少の非難の色はあれど、怖がっているようには見えなかった。
言葉とは裏腹に、私がこれ以上アリスを傷つける事が出来ない事に気付いてる。
そうよ、私はアリスが好きなのよ。壊せるわけが無いじゃないの。
途端に意気がしぼみ、声が震えだす。
「ねえ、アリス。私が会いに来たのに、実験がそんなに大事?」
「それは、」
「私のこと、嫌いになっちゃったの……?」
ここまで言って、泣きそうになる。
アリスを押さえる手が震える。
涙が零れそうになるのを、唇を噛んで辛うじて堪える。
嫌いならそれでもいい。
だから、アリスの口ではっきり言って。
アリスが両手を伸ばしてくる。
押しのけられたら、今の私は脆く倒されてしまうに違いない。
目を瞑り、アリスの言葉を待つ。
「そんな顔しないの。せっかくの美人が台無しじゃない」
「ふぇ……」
ほっぺを抓んでくる。
急にアリスの態度が柔らかくなり、優しく微笑んでくれている。
「今までもこれからも、ずっと幽香のことが大好きよ」
その優しい笑い方は、とても嘘を言っているようには思えなかった。
急に力が抜け、アリスの上に倒れてしまう。
今の顔を見られたくないから、これで良かったかもしれない。
アリスがあやすように頭を叩いてくる。それがとても温かい。
「幽香が一番大事よ。実験はいつだって出来るし、やらなくたっていいもの」
「それじゃあ何で」
「幽香の気持ちを確認したかったのと、ちょっとしたお仕置きね」
「ねえアリス。私の何が悪かったの?」
「ふむ。やっぱり自覚なしか」
アリスが体を入れ替え、私を見下ろすような格好になる。
目つきが厳しい。怒られるんじゃないかと体が固くなる。
「前に会いに来たの、いつだか覚えてる?」
「ええと。三日前…、くらい?」
アリスが盛大に溜息を吐く。
怒りを通り越して呆れている。
あの、そんなにおかしなことを言ったかしら…?
「九日前よ。また来るわね、て言ってそれっきり音沙汰なし。
いっつもふらふらしてて家にもいないから探せないし、どれだけ心配したと思ってるのよ」
「あら、そんなに経ってたの」
「そんなにじゃないわよ。春になって嬉しいのは分かるけど、ちゃんと私のことも構いなさいよ。
お花見だってデートだってしたいし、花壇の手入れも手伝って欲しいし、お茶したり喋ったり一緒にいたいのよ」
私の両頬を抓んでがなりたててくる。
ア、アリス。顔が近い、ほっぺ引っ張るのはやめてー。
どうにか手を引き剥がすと、アリスが頬を膨らませて拗ねている。
放って置かれたのが寂しかったから、それのお返しであんな冷たかったのね。
それにしては意地の悪い。
効果抜群だったし、相手されないのがどれだけ寂しいのか身を持って実感できたけど。
それにしてもあんまりだ。
寂しかったじゃないの、ばかアリス。
ぎゅっとアリスを抱きしめて囁く。
「ごめんなさい。春になって少しはしゃぎすぎたみたいね」
「少しどころじゃない」
「そうね。これからはちゃんと毎日会いに来るわ」
「毎日じゃなくていいけど、来れない時は連絡の一つもよこしなさいよ」
「そうね」
「うん」
「だから、もうあんな意地悪しないでね」
「うん。幽香も案外寂しがりなのね」
「ちゃんと相手してくれないと噛み付くわよ」
「分かってる」
お互い落ち着いたところで、仲直りのキスをする。
久しぶりの感触に、つい胸がときめく。
そっかぁ、そんなに会ってなかったのか。
寂しくなるのも当然よね。
「足りない」
「え?」
「キス一つじゃ足りない。ほったらかしにした分、ちゃんと埋め合わせしてよね」
可愛らしい我侭に、思わず笑みが零れる。
抱きしめたままおでこを合わせ、甘く囁く。
「ええ、喜んで。朝まででも夜まででも、いくらでも付き合うわ」
「うん」
やっぱり、アリスは笑ってる方が可愛い。
私はアリスがいないと駄目みたい。
これからも我侭な私に付き合ってちょうだいね、愛しいアリス。
・・・・・・・・・
「アリス。アーリス。ねえ、聞こえてるんでしょう? 無視しないでよ」
隣で毛布をかぶっている人影に声をかける。
魔女って寝る必要は無かったんじゃないの? 一日寝なかっただけで情けないわねえ。
「幽香、もう少し寝かしてくれたっていいじゃない」
「昨夜はしゃぎすぎたせいで疲れてるの?」
「……馬鹿」
ごっすんと叩かれた。
別に痛くはない。可愛いものだ。
「日も昇ったし、お花見デートしましょう?」
「五分待って、それから出かける準備するから」
「私は先に着替えてようかしら」
ベッドから出ようとしたら腕を掴まれる。
あらあら。
「もう少し一緒に居て」
「じゃあ、あと五分ね」
「うん、あと五分」
抱きついてきたので頭を撫でてあげる。
幸せそうな顔を見てると、このまま一日寝て過ごすのも悪くないなと思ってしまう。
決めた。しばらくはアリスの家に泊まっていく事にしよう。
ずっとくっついて、私の相手以外出来なくしてやるんだから。
・・・
案内されたのは山の中。
葉桜が目立ち始めた桜並木。
それでもまだ桜の薄紅色が勝っているだろうか。
木から滑り落ちた花が地面を彩っている。
「桜吹雪も止んで、緑が出始めたこのくらいの時期が好きなの」
桜を見上げながら優雅に微笑む。
やっぱり、幽香は花に囲まれているのが似合う。
魔女の家に閉じ込めておくべきじゃないのかも。
「会いにいけなかった間、ただ物見遊山してたわけじゃないのよ。
これ、何だか分かる?」
そう言って、子供なら入れそうな四角い木箱を指す。
心当たりは無かったけど、蓋がついてるし何かの罠だろうと見当をつける。
「すぐに分かるわ」
幽香が意味ありげに微笑む。
教えてくれそうにないから、仕方なくしばらく眺める事にした。
見た覚えがあるような、ないような。
そうしていると蜂が数匹飛んでくる。
飛んできて、謎の木箱に入る。そしてまた出てくる。
蜂の巣?
「蜂箱よ。知らないかしら?」
幽香が箱の蓋を開けると、大量の蜂が飛び立つ。
それを見て思わず腰が引ける。
幽香は蜂に囲まれても平気そうな顔をしている。まともじゃないわ。
遠目に恐る恐る箱の中身を確認すると、板が何枚か縦に挿されているようだ。
幽香がその中の一枚を引き抜くと、両面にびっしりと蜂が張り付いている。
うわぁ…。
ちょっと、それ本当に大丈夫なの?
「ミツバチは滅多に刺したりしないのよ。少し鬱陶しいだけね」
板にはりついた蜂を素手で払いのける。
妖怪とはいえ、とんでもないことを平気でやるわねえ。刺されても知らないわよ?
蜂の剥がれた板を光にかざすと、琥珀色に輝いて見える。
蜂蜜だ。
「桜の蜂蜜よ。食べてみる? ちょっと、何でそんな遠くに離れてるのよ」
蜂が酷くて近寄れないんです。
幽香と一緒にしないで。
「仕方ないわねえ。ほら、巣箱に戻りなさい」
何度か指で8の字を描くと、それまで喧しく飛び回っていた蜂が急に大人しくなって、巣箱に戻っていった。
やけに扱いが慣れている。いつもこんなことをしてるのかしら?
「はい、味見。 あーん?」
恐る恐る近付くと、蜂蜜を掬った指を差し出してくる。
何かエッチい…。
躊躇していると、「口移しの方がいい?」と言ってくる。
そうなったら蜂蜜どころじゃないわよ。
諦めて指を舐める。
うう、そんなに見られると恥ずかしい。
「美味しい…」
「でしょ? 桜はすぐ散っちゃうから、蜜を集めるのが面倒なのよ」
甘く、ほんのりと桜の香りがする。
春を感じるのに十分だし、これは病みつきになりそう。
幽香は板を箱に挿し、蓋をして元通りに直す。
つまみ食い以上の量を採るには専用の機械が必要だそうだ。
そのうちまた来るつもりなのだろうか?
「他にアカシアやクローバーの蜂蜜も採ろうと思って、色々と用意してたのよ。
それから、あちこちの花の様子を見たり、受粉のためにリグルに虫を指揮してもらったりね。
今やっておかないといけないことだったから。ずっと会いにいけなくてごめんなさい」
幽香は申し訳なさそうに頭を下げる。
もう気にしなくていいのに。
その代わり、来年は私も連れてきてよね。
「ええ、約束するわ。来年は一緒に幻想郷の春を見に行きましょう」
まるで今年の春は一緒に見れないような言い方ね。
まだ口の中に桜の香りが残っていたので、春を分けてあげようと幽香にキスをする。
「まだ春は終わってないわ。お花見、もう少し付き合ってね」
「そうね。まだ一緒にお花見してなかったものね」
「うん」
桜の根元に座って、手を繋いで一緒に桜を仰ぐ。
緑が混じる事により、桜の花がより際立つ。
花の儚さと、淡い緑の生命力。
蜜を集めようと飛び回っている蜂が可愛いく思えてくる。
花が散り、完全に葉だけになった桜を見る。
桜は花が散っても、やっぱり桜らしい。
うん、やっぱり幽香は花の楽しみ方を知ってる。
花に囲まれて笑っている幽香が好き。
陰気な森じゃなく、もっと日当たりのいいお花畑に引っ越そうかしら。
本気とも冗談ともつかない事をぼんやり考えていると、少し眠たくなってくる。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったものね。
「眠いの?」
欠伸をしていると、幽香が顔を寄せて聞いてくる。
「少し、ね。あんまり陽気がいいものだから」
「そうね。少しお昼寝しましょうか」
「うん」
目を閉じようとすると、幽香が悪戯っぽく微笑んでいるのに気付く。
唇を触って、何かを期待するように首を傾げている。
ああ、そっか。
ちゅっ
「よく出来ました」
おやすみのキス。
幽香の満面の笑みを目に焼き付けてから、膝枕をしてもらう。
まったく、甘えん坊なのはどちらかしらね。
桜の香りに包まれ、いい夢が見られそうだ。
おやすみ。
ずっと傍にいてね、大好きな幽香。
「今は大切な実験中だから、後でね」
「朝からそれしか言わないわよね」
「そうね」
溜息が漏れる。
せっかく会いに来たっていうのに、アリスはずっと何かの本やら薬品やらと睨めっこ。
魔女がそういう生き物だってのは知ってるけど、これじゃあんまりよ。
それは私より大事な実験なのかしら?
そういえば、裁縫してるところはよく見るけど、魔女らしい実験してるところはあんまり見たこと無かったわね。
邪魔しないように大人しくしてようと思うけど、正直退屈。
上海でも虐めて遊んでようかしら。
くっつこうとしたら邪魔と言われた。
少しくらいいいじゃないの。何でそんなに気が立ってるのよアリス?
あーあ。やってらんないわね。
一仕事終えて、ようやくアリスといちゃつけると思ったのに。
当のアリスは実験にお熱。これじゃあ私の方が冷めちゃうわよ。
背中向けて碌に話し相手にもなってくれないし。
ねえアリス。ちゃんと私の方を見てよ。
花はちゃんと愛情込めて育ててあげないと、すぐに枯れちゃうのよ?
ずっとアリスを見てて分かった。
あれは実験が煮詰まってるんじゃなくて、私を無視してるんだ。
だって、全然忙しそうじゃないもの。
さて、そうなると問題だ。
私は何かアリスを怒らせるような真似をしてしまったのだろうか?
膝を抱えて椅子に座る。
まるで悪い事をした気分だ。実際、悪い事をしたのかもしれないけど。
前に来たときに特におかしなことをした覚えは無い。
いつも通りからかって、いちゃついて、一緒に寝てさよならした。
その程度で愛想を尽かされるのなら、とっくの昔に私達は終わっているはずだ。
それなら、私が来なかった間に何かあったのかしら?
女心と秋の空、とは言うけど。前に来たときからそんなに日は経ってないし、それは考えづらいわよねえ。
あー、くさくさする。
嫌なところがあるならはっきり言ってくれればいいのに。
直る直らないは別として、その方がお互いすっきりするはずだ。
それとも、こうやって遠まわしに非難することが魔女流のやり方なのかしら?
未練がましくアリスの背中を睨む。
花相手だったら、愛情込めて手間隙かけた分だけ、美しく咲いてそれに応えてくれる。
人形相手だったら、物を言わないけれど、愛情も愚痴も全て受け止めてくれる。
人間相手だったら、適当に脅して痛みを与えてやれば、大抵の奴は言う事を聞く。スペカルールで叩きのめせば全て解決だ。
アリス相手だったら?
うーん……。これまで上手くやってたと思ったんだけどなぁ…。
私はただ、アリスの隣で、アリスの笑顔が見たいだけなんだけど。
人間友好度最悪の凶悪妖怪には、それも贅沢な望みだったのかしら?
「ねえ、貴女はどう思う?」
頭を撫でて上海に尋ねる。
答えを期待しているわけじゃないけど、他に話し相手もいないもの。
アリスが機嫌を直すまで、もうしばらく付き合ってちょうだいね。
あーあ。今頃はアリスといちゃついてる予定だったんだけどなー。
・・・
ソファーに横になってアリスの背中を眺める。気まずい時間。
アリスはろくにこっちを見てもくれないし、いつもは賑やかに動き回っている人形達は静かに棚の中に納まっている。
沈黙って割と堪えるのよね。
いつもは可愛い人形達が、次第に気味悪く思えてくる。
魔女の家。
こんなにも怖く感じたのは初めてだ。
今にも音を上げて泣き出してしまいそうになる。
出直すべきだろうか?
このまま帰っても気分が悪い。
まだアリスの笑顔を見てないし、せめて怒ってる理由を知りたい。
本当なら今すぐ謝りたいくらいだ。
ねえアリス。私が一体なにをしたの?
アリス。
ねえ、アリス。
どうしていつもみたいに笑ってくれないの?
とても長い時間が流れた気がする。
外を見ると、日が落ちて暗くなり始めている。
一体いつまでこんなことを続けなければいけないのか。
「ねえアリス、その実験はいつになったら終わるの?」
「当分終わりそうに無いわね。明日の夜には一区切りするけど、それまでは目を離せないわ」
「私はどうすればいいのかしら」
「泊まってくならベッドを用意するわ。幽香の好きにして」
「その実験は、私より大事なの?」
「んー、どうかしら」
「ねえ、アリス」
力任せに振り向かせ、強引にテーブルに叩きつける。
「ゆう…ッ?!」
唇を塞ぎ、抗議の声を強引に押さえ込む。
酸欠になるくらいに長く口を塞いで、大人しくなってから唇を離す。
強引に口付けしたせいで、唇から少しだけ血が滲む。
痣が残るくらい、強くアリスの腕と肩を押さえつける。
「ねえ、アリス。知ってると思うけど、私はとても我侭なの。
だから、思い通りにならないとむしゃくしゃして何をするか分からないわよ」
顔を近づけ、威圧的に囁く。
アリスがようやく私の目を見る。
その瞳には多少の非難の色はあれど、怖がっているようには見えなかった。
言葉とは裏腹に、私がこれ以上アリスを傷つける事が出来ない事に気付いてる。
そうよ、私はアリスが好きなのよ。壊せるわけが無いじゃないの。
途端に意気がしぼみ、声が震えだす。
「ねえ、アリス。私が会いに来たのに、実験がそんなに大事?」
「それは、」
「私のこと、嫌いになっちゃったの……?」
ここまで言って、泣きそうになる。
アリスを押さえる手が震える。
涙が零れそうになるのを、唇を噛んで辛うじて堪える。
嫌いならそれでもいい。
だから、アリスの口ではっきり言って。
アリスが両手を伸ばしてくる。
押しのけられたら、今の私は脆く倒されてしまうに違いない。
目を瞑り、アリスの言葉を待つ。
「そんな顔しないの。せっかくの美人が台無しじゃない」
「ふぇ……」
ほっぺを抓んでくる。
急にアリスの態度が柔らかくなり、優しく微笑んでくれている。
「今までもこれからも、ずっと幽香のことが大好きよ」
その優しい笑い方は、とても嘘を言っているようには思えなかった。
急に力が抜け、アリスの上に倒れてしまう。
今の顔を見られたくないから、これで良かったかもしれない。
アリスがあやすように頭を叩いてくる。それがとても温かい。
「幽香が一番大事よ。実験はいつだって出来るし、やらなくたっていいもの」
「それじゃあ何で」
「幽香の気持ちを確認したかったのと、ちょっとしたお仕置きね」
「ねえアリス。私の何が悪かったの?」
「ふむ。やっぱり自覚なしか」
アリスが体を入れ替え、私を見下ろすような格好になる。
目つきが厳しい。怒られるんじゃないかと体が固くなる。
「前に会いに来たの、いつだか覚えてる?」
「ええと。三日前…、くらい?」
アリスが盛大に溜息を吐く。
怒りを通り越して呆れている。
あの、そんなにおかしなことを言ったかしら…?
「九日前よ。また来るわね、て言ってそれっきり音沙汰なし。
いっつもふらふらしてて家にもいないから探せないし、どれだけ心配したと思ってるのよ」
「あら、そんなに経ってたの」
「そんなにじゃないわよ。春になって嬉しいのは分かるけど、ちゃんと私のことも構いなさいよ。
お花見だってデートだってしたいし、花壇の手入れも手伝って欲しいし、お茶したり喋ったり一緒にいたいのよ」
私の両頬を抓んでがなりたててくる。
ア、アリス。顔が近い、ほっぺ引っ張るのはやめてー。
どうにか手を引き剥がすと、アリスが頬を膨らませて拗ねている。
放って置かれたのが寂しかったから、それのお返しであんな冷たかったのね。
それにしては意地の悪い。
効果抜群だったし、相手されないのがどれだけ寂しいのか身を持って実感できたけど。
それにしてもあんまりだ。
寂しかったじゃないの、ばかアリス。
ぎゅっとアリスを抱きしめて囁く。
「ごめんなさい。春になって少しはしゃぎすぎたみたいね」
「少しどころじゃない」
「そうね。これからはちゃんと毎日会いに来るわ」
「毎日じゃなくていいけど、来れない時は連絡の一つもよこしなさいよ」
「そうね」
「うん」
「だから、もうあんな意地悪しないでね」
「うん。幽香も案外寂しがりなのね」
「ちゃんと相手してくれないと噛み付くわよ」
「分かってる」
お互い落ち着いたところで、仲直りのキスをする。
久しぶりの感触に、つい胸がときめく。
そっかぁ、そんなに会ってなかったのか。
寂しくなるのも当然よね。
「足りない」
「え?」
「キス一つじゃ足りない。ほったらかしにした分、ちゃんと埋め合わせしてよね」
可愛らしい我侭に、思わず笑みが零れる。
抱きしめたままおでこを合わせ、甘く囁く。
「ええ、喜んで。朝まででも夜まででも、いくらでも付き合うわ」
「うん」
やっぱり、アリスは笑ってる方が可愛い。
私はアリスがいないと駄目みたい。
これからも我侭な私に付き合ってちょうだいね、愛しいアリス。
・・・・・・・・・
「アリス。アーリス。ねえ、聞こえてるんでしょう? 無視しないでよ」
隣で毛布をかぶっている人影に声をかける。
魔女って寝る必要は無かったんじゃないの? 一日寝なかっただけで情けないわねえ。
「幽香、もう少し寝かしてくれたっていいじゃない」
「昨夜はしゃぎすぎたせいで疲れてるの?」
「……馬鹿」
ごっすんと叩かれた。
別に痛くはない。可愛いものだ。
「日も昇ったし、お花見デートしましょう?」
「五分待って、それから出かける準備するから」
「私は先に着替えてようかしら」
ベッドから出ようとしたら腕を掴まれる。
あらあら。
「もう少し一緒に居て」
「じゃあ、あと五分ね」
「うん、あと五分」
抱きついてきたので頭を撫でてあげる。
幸せそうな顔を見てると、このまま一日寝て過ごすのも悪くないなと思ってしまう。
決めた。しばらくはアリスの家に泊まっていく事にしよう。
ずっとくっついて、私の相手以外出来なくしてやるんだから。
・・・
案内されたのは山の中。
葉桜が目立ち始めた桜並木。
それでもまだ桜の薄紅色が勝っているだろうか。
木から滑り落ちた花が地面を彩っている。
「桜吹雪も止んで、緑が出始めたこのくらいの時期が好きなの」
桜を見上げながら優雅に微笑む。
やっぱり、幽香は花に囲まれているのが似合う。
魔女の家に閉じ込めておくべきじゃないのかも。
「会いにいけなかった間、ただ物見遊山してたわけじゃないのよ。
これ、何だか分かる?」
そう言って、子供なら入れそうな四角い木箱を指す。
心当たりは無かったけど、蓋がついてるし何かの罠だろうと見当をつける。
「すぐに分かるわ」
幽香が意味ありげに微笑む。
教えてくれそうにないから、仕方なくしばらく眺める事にした。
見た覚えがあるような、ないような。
そうしていると蜂が数匹飛んでくる。
飛んできて、謎の木箱に入る。そしてまた出てくる。
蜂の巣?
「蜂箱よ。知らないかしら?」
幽香が箱の蓋を開けると、大量の蜂が飛び立つ。
それを見て思わず腰が引ける。
幽香は蜂に囲まれても平気そうな顔をしている。まともじゃないわ。
遠目に恐る恐る箱の中身を確認すると、板が何枚か縦に挿されているようだ。
幽香がその中の一枚を引き抜くと、両面にびっしりと蜂が張り付いている。
うわぁ…。
ちょっと、それ本当に大丈夫なの?
「ミツバチは滅多に刺したりしないのよ。少し鬱陶しいだけね」
板にはりついた蜂を素手で払いのける。
妖怪とはいえ、とんでもないことを平気でやるわねえ。刺されても知らないわよ?
蜂の剥がれた板を光にかざすと、琥珀色に輝いて見える。
蜂蜜だ。
「桜の蜂蜜よ。食べてみる? ちょっと、何でそんな遠くに離れてるのよ」
蜂が酷くて近寄れないんです。
幽香と一緒にしないで。
「仕方ないわねえ。ほら、巣箱に戻りなさい」
何度か指で8の字を描くと、それまで喧しく飛び回っていた蜂が急に大人しくなって、巣箱に戻っていった。
やけに扱いが慣れている。いつもこんなことをしてるのかしら?
「はい、味見。 あーん?」
恐る恐る近付くと、蜂蜜を掬った指を差し出してくる。
何かエッチい…。
躊躇していると、「口移しの方がいい?」と言ってくる。
そうなったら蜂蜜どころじゃないわよ。
諦めて指を舐める。
うう、そんなに見られると恥ずかしい。
「美味しい…」
「でしょ? 桜はすぐ散っちゃうから、蜜を集めるのが面倒なのよ」
甘く、ほんのりと桜の香りがする。
春を感じるのに十分だし、これは病みつきになりそう。
幽香は板を箱に挿し、蓋をして元通りに直す。
つまみ食い以上の量を採るには専用の機械が必要だそうだ。
そのうちまた来るつもりなのだろうか?
「他にアカシアやクローバーの蜂蜜も採ろうと思って、色々と用意してたのよ。
それから、あちこちの花の様子を見たり、受粉のためにリグルに虫を指揮してもらったりね。
今やっておかないといけないことだったから。ずっと会いにいけなくてごめんなさい」
幽香は申し訳なさそうに頭を下げる。
もう気にしなくていいのに。
その代わり、来年は私も連れてきてよね。
「ええ、約束するわ。来年は一緒に幻想郷の春を見に行きましょう」
まるで今年の春は一緒に見れないような言い方ね。
まだ口の中に桜の香りが残っていたので、春を分けてあげようと幽香にキスをする。
「まだ春は終わってないわ。お花見、もう少し付き合ってね」
「そうね。まだ一緒にお花見してなかったものね」
「うん」
桜の根元に座って、手を繋いで一緒に桜を仰ぐ。
緑が混じる事により、桜の花がより際立つ。
花の儚さと、淡い緑の生命力。
蜜を集めようと飛び回っている蜂が可愛いく思えてくる。
花が散り、完全に葉だけになった桜を見る。
桜は花が散っても、やっぱり桜らしい。
うん、やっぱり幽香は花の楽しみ方を知ってる。
花に囲まれて笑っている幽香が好き。
陰気な森じゃなく、もっと日当たりのいいお花畑に引っ越そうかしら。
本気とも冗談ともつかない事をぼんやり考えていると、少し眠たくなってくる。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったものね。
「眠いの?」
欠伸をしていると、幽香が顔を寄せて聞いてくる。
「少し、ね。あんまり陽気がいいものだから」
「そうね。少しお昼寝しましょうか」
「うん」
目を閉じようとすると、幽香が悪戯っぽく微笑んでいるのに気付く。
唇を触って、何かを期待するように首を傾げている。
ああ、そっか。
ちゅっ
「よく出来ました」
おやすみのキス。
幽香の満面の笑みを目に焼き付けてから、膝枕をしてもらう。
まったく、甘えん坊なのはどちらかしらね。
桜の香りに包まれ、いい夢が見られそうだ。
おやすみ。
ずっと傍にいてね、大好きな幽香。
素敵な幽アリごちでした!
とてもおもしろかったです。