幻想郷に、なんの変哲もない冬が訪れていた。
冬は半ばを過ぎ、もう少しで春になろう。
春へと移りゆく冬を、幻想郷の住人達は十人十色に過ごしていた。
『霧雨魔理沙の場合』
「……あー、寒いぜ」
深い森の中で、暗い木陰の闇と同化しかけていた少女は恨めしそうに呟いた。
地面には容赦なく雪が降り積もり、森の針葉樹を根本から喰っている。
それこそ暗闇のような真っ黒黒装束を着込んだ少女――霧雨魔理沙は真上にある空を覗き込んだ。
ちらちらと白雪が舞い降りる空は、深い森の木々に遮られて僅かしか顔を覗かせていなかった。
寂れた神社に仕えている呑気な巫女ならば、綺麗ねえ。 お茶淹れようかしら?
などと呑気に呟くであろう空を、魔理沙はむっつりと不満げな顔で眺めている。
「帰る……といっても飛ぶと寒そうだな」
魔理沙は寒い冬が苦手である。
単純に寒がりだから、というよりは、他の人間が丈夫過ぎるのだ。
普通寒さは人間なら嫌うものである。
そんなぶすっとした魔理沙の背中には、それこそウミガメがすっぽりと収まってしまいそうなほどに大きい籠があった。
幻想郷で冬虫夏草の初物がとれる最も早い時期の記録を今年こそ更新しようと、ついでに面白い物があったら拾って帰ろうと、今日の朝に思い立った魔理沙が家を出る時に背負っていったのがそれである。
最も、冬虫夏草の初物の記録などが付けられていることを知っているのは、幻想郷の中でもごく一部の天狗や妖怪や物好きな人間だけであるが。
魔理沙は一度大きな溜め息をついて、雪が降っている日に外に出た事と手袋を重ねて付けて来なかった事とをしばしの間悔やんだ。
寒さによって、その吐息は白く、淡く虚空に散っていく。
魔理沙は一通り悔やんでから、おいしょっと掛け声をかけ、自らの体とほぼ同体積であろう籠を地面へと降ろした。
そして中を覗き込み、収穫物を確認する。
道を塞ぐ雪の塊をかるーく吹っ飛ばした時偶然見つけた、僅かに魔力の残ったぼろぼろの人形(おそらく悩みの無い人形使いの元から逃げてきた物であろう)。
冬虫夏草どころかキノコ一つ見当たらないぜと呟いた次の瞬間、木に積もった雪と一緒に、目の前に降ってきた半分に折れた矢。
冬虫夏草ではないがやっと見つかった暗褐色のいかがわしいキノコ。
元々はオルゴールか何かだったのではないかと思われる溶けかけた四角い鉄の箱(魔理沙が片っ端から雪を吹っ飛ばした煽りを受けた)。
その他諸々。
他人が見たらゴミ拾いでもしているのかと勘違いするだろう。
山盛りになっているそれらを見て、満足げに頷きながら魔理沙はとんがり帽子の角度を直した。
第一目的の冬虫夏草は見つからなかったのだが、それでも充分な戦果である。
「さて」
帽子はいつもの角度、背負った籠は程良い重さ。
箒にぱっとまたがると、魔理沙は寒さを和らげる為か、心持ち控えめな速度で飛び去っていった。
『チルノの場合』
ばばっしゃぁぁあああん
と、派手な音を立てて水飛沫が飛び散った。
薄霧の立ち込めた湖畔。
ここからは赤い屋根の紅魔館がなんとか目視できる。
湖に勢いよく飛び込んだのは、大きな氷の塊だった。
「あははははははは! おっきい音ー!」
落ち着き無く空を飛び回りながら、氷を湖面に叩きつけているのは、色々と足りない氷精――チルノだった。
ばっしゃーーん
ばぼっしゃああん
どむぅっしゃーん
ばしゃしゃーん
ぼっしゃぁぁああーん
擬音語として書くととても気の抜ける音を、全く飽きる様子も無くチルノは楽しんでいた。
「あ!」
突拍子に叫ぶと、チルノは急に動きを止めた。
その顔には、得意げな、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
それは傍迷惑な面白い遊びを彼女が思いついた時の表情である。
チルノは両手をまっすぐ上に突き上げると、息を大きく吸い込んだ。
そして今まで湖面に落としてきた氷塊よりも一回り大きな物を作り、
「そおれっ!」
それを湖面に投げつけた。
今までどの氷を落とした時よりも激しい音が聞こえ、物凄い量の水飛沫が舞い上がる。
他の飛沫と共に小さな水滴がぽーんと空へ投げ出された。
その水滴の放物線がやがて頂点に達すると、ゆっくり湖面へと向かって、落ちていかなかった。
水滴は凍っていた。
チルノの冷気によって跳ね上がった飛沫はことごとく凍らされ、それらは美しい氷のオブジェとなっていた。
「あはははははは! できたでーきたー!」
飛沫が飛び散っていく途中の1コマを抜き出したそれは、複雑な曲線を描き、まるで花のように美しい。
それを見て、チルノは満面の笑みを浮かべ、満足げに何度も頷いた。
頷きながら、
「そおれっ!」
大きな氷の塊を、オブジェの中心に向かって投げつけた。
がききこっ ばり ぐしゃあああん と音を立てながら、オブジェはあっという間に砕け散っていく。
こぽこぽと湖の底へ沈んでいく氷の欠片を眺めながら、
「あはははははははは! きんもちいいーーー!!」
チルノは無邪気そうに笑い転げた。
湖畔は普段と何の変哲も無い。
『藤原妹紅と橙の場合』
「……ん?」
障子を通して、うっすらと月明かりが射し込む。
囲炉裏の火はぷすぷすと燻り、消えかけていた。
「鼠でもいるのか?」
古びた民家の中で、面倒くさそうに体を起こしたのは生きてないし死んでない人間――藤原妹紅だった。
妹紅も言ったように、かたかたと音がする。
寝ぼけ眼のまま、妹紅は辺りを見回してみた。
雨の日や雪の日に掛けていく蓑と笠。
近くの畑を耕す為の鍬、鋤。
古びた柱に古びた壁。
かちこちと鳴る振り子時計。
鍋に包丁、欠けた茶碗。
見慣れた景色である。 何も異変は無い。
強いて言えば、冬なので相応に寒いことくらいか。
妹紅は再び横になり、
「……あー。 寝よ寝よ――」
どがががん
と、床板がはじけ飛ぶ凄まじい音で目覚めた。
「うわわわわわわわ――」
「どお!? どお!? びっくりしたよね!?」
ド派手に床下から登場した愛くるしい化け猫――橙は無邪気に暗闇をやたらめったら跳ね回った。
「わわわわわわああああ――」
「やったー成功々々! これなら藍様もきっと驚いてくれるはず!」
しゅたっと枕元に着地した橙は小さくガッツポーズをする。
どうやら飼い主を驚かせようとでも企んでいるらしい。
「――ああああああああああああ!」
「練習に付き合ってくれてありがとー! それじゃねー!」
橙はパニックになっている妹紅を置いたまま、さっさと退散しようと障子を開けた。
――が、何やら焦げ臭い。
「……ありゃ?」
怪訝な顔で振り向いた橙は、その顔のまま固まった。
振り向いた先にあったのは、背中に巨大な炎を背負う妹紅の姿だった。
布団は既に火に包まれ、天井の梁がはっきりと映るほどに明々と燃えている。
「あああああああああああああ!」
「うわわわわわわわわわわわわ!」
月の綺麗な夜。
雪と竹林に囲まれた民家が一つあった。
民家は派手に炎に包まれていて、今にも崩れ落ちそうである。
その夜辺りを飛び回り、火を必死に雪で消し潰そうとする化け猫の姿があったとか無いとか。
『西行寺幽々子と魂魄妖夢の場合』
「うん。 やっぱり花見にはお団子ね」
白色、草色、桜色。
三色団子を頬張りながら、死へと誘う者――西行寺幽々子は笑顔で呟いた。
彼女の目の前にある庭では、既に何本かの桜が春を感じ取り、その花を開いていた。
「幽々子様~。 また勝手に幻想郷の春を持って来て……。
どこぞの呑気巫女や黒いひねくれ者が乗り込んできますよ?」
半分人間の庭師――魂魄妖夢は困ったような顔で言った。
幻想郷に巫女の仕える神社は一つしかないし、黒いひねくれ者と言われればほぼ意味は通じる。
「いいじゃない。 桜を40本くらい咲かせるだけの春だもの。 大した量じゃないわ」
「確かに、昨年と比べれば全然大した事でもないですけれど……」
屋敷の周りの桜、屋敷の全ての桜の本数からすればほんの僅かな量の桜だけが開花していた。
ずば抜けて大きな大きな桜の木も含め、他のほとんどの桜には蕾一つ見当たらない。
「それに、そういうのが入ってこないか見張るのもあなたの仕事でしょ? 妖夢」
幽々子は妖夢に顔を向け、悪戯っぽく尋ねた。
「う。 ……確かにそうですが。 それとこれとは別ですよ」
あからさまに困惑している妖夢を見て、幽々子はくすくすと笑い声を洩らした。
笑われたのが気に障ったのか、妖夢がむっと顔をしかめて、
「ふふ。 心配しなくても、お花見が終わったら春は返すわよ」
幽々子の言葉を聞いた途端に安堵の表情になった。
が、
「たぶんね」
「…………」
気紛れなお嬢様の言葉を聞いて、幽界に巫女や魔法使いが乗り込んできた時井の一番に相手をするかもしれないという心配のせいか、今度は苦く笑い出した。
ころころと表情が変わる忙しい顔である。
妖夢は溜め息を一つついた。
溜め息をつきながら、幻想郷の春のお陰で七分咲きになっている桜をぼうっと眺めてみた。
これから自分に降りかかるかも知れない火の粉の出所である桜を。
争い事の無い平穏な日々というものは、実にいい物なのかもしれない。
なんてことを、妖夢は今更ながらに考えていた。
幽々子はというと、やはりにこにことした笑顔で桜を眺めながら、
「うん。 やっぱり花見には柏餅ね」
「……どこから取り出したんですか」
今日も幽界は呑気である。
のびやかな雰囲気の中。
妖夢は、今からでも剣の修行やろうかな、などとぼんやり思った。
『因幡の場合』
竹から竹へと飛び移っていく影があった。
雪を被った竹林の中に、二つの声が響く。
「――こら待ちなさーい!」
「べえーだ。 捕まえてごらーん」
あっかんべーと、かわいいドレスを着込んだ地上の兎――因幡てゐは追跡者に向けて舌を出した。
「もー! 容赦しないわよ!」
ブレザー姿の追跡者――鈴仙・優曇華院・イナバ――愛称の略称ウドンゲは叫ぶなり、右手で銃の形を作り、左手を添えて体の前に突き出す。
竹から竹へと跳ね回るてゐの姿が見えた瞬間、その赤い眼がかっと見開かれ、
ぱーん
軽い高音が鳴ると共に、目の前の空気が掻き乱されていった。
掻き乱されていく空気の先端。
そこには小さな小さな、空気を切り裂きながら飛んでいく弾丸があった。
その弾丸を、幾つもの弾がまるで針鼠のように追いかけていく。
「避けられる!?」
弾丸達はまるで暴風のように竹林に降り注ぎ――
「こんな幼気な子兎に、避けられる訳が無いじゃないの!」
てゐが怒気を込めた声を発した。
周りの竹林は火薬でも爆発したみたいに薙ぎ倒され、ひどい所は雪が吹き飛んで茶色い土が覗いていた。
怪我でもしたのか、てゐは痛そうに右足を押さえていた。
かわいいドレスにはちょっとばかし焦げ目がつき、髪もひどく乱れている。
ウドンゲは困ったような顔をしながら、自らの長い耳を手持ち無沙汰に撫でた。
「あー……ごめん、怪我しちゃったの? そんなに強くやったつもり無かったんだけどなー……あはあはは――」
「笑って誤魔化さない! 本当痛かったんだからね?」
てゐは腕組みをし、ぷくーっと頬を膨らませた。
ウドンゲは尚更困ったように、
「だって、元々はてゐが勝手に永遠亭を抜け出すからいけないんじゃないの」
永遠亭では主の趣向なのか、数え切れないほどの兎が飼われている。
しかし永遠亭の主がわざわざ抜け出したてゐを連れ戻しに行くはずなどは無く、それはウドンゲの師匠も同じであった。
けれどてゐを連れ戻せるほどの力量があり、尚かつ永遠亭の主と師匠から信用されているのはウドンゲくらいのものである。
そんな事情から、ウドンゲは半ば自発的にてゐのお守り役になっていた。
お守りをされる側のてゐはというと、目の前でふくれ顔をしている。
「……だってー、私ちっとも外に出してもらえないもの。
私が外に出たの2ヶ月ぶりなのよ。 あなた知ってる?」
ウドンゲは正直、驚いてしまった。
そんなにもてゐは外に出る機会が少なくなっていたのかと。
「永林様やレイセンはいいわよね……。 調合用の素材集めに、ちょくちょく外に出られるんだもの。
ずっと奥のお部屋に籠もってた輝夜様だって、最近は毎日のように外に遊びに行くわ。
他のみんなだって、私ほど不自由をしている訳じゃない」
他の兎達が、割と自由に外に出られるのは、何もかわいがられてるからじゃない。
ウドンゲはそう言い出しそうになって、止めた。
「てゐ。 あなたは輝夜様に大事にしてもらってるのよ。 だから外に出さないの!
幻想郷は特に強大な妖怪だっているもの。 もしそんなのに出会っちゃったらどうするの?」
しかし、全く心にも無い言葉だな と、ウドンゲは自らが吐いた言葉を嘲笑った。
てゐが輝夜に大事にされているかというと、ウドンゲは実のところ、そうでも無いような気がしている。
何せウドンゲのことを呼ぶ時も他の兎を呼ぶ時も、もちろんてゐのことを呼ぶ時も輝夜は、
「イナバ」
としか言わないのだから。
これでは誰のことを言っているのだかわからない。 区別していないのかも知れない。
話がそれたが、しかし輝夜がてゐのことをほんの少しでも特別に思っているのは確かだと、ウドンゲは思っていた。
そうでもないと、てゐを永遠亭に半ば軟禁している理由が説明できない。
けれど、目の前にいるてゐは悲しそうな顔をするばかりだった。
「……永遠亭で、外に出ることさえできないのは私だけになっちゃったのね」
そう悲しそうに呟いて、ウドンゲの目を覗き込んだ。
てゐの顔は今にも泣き出しそうだった。
その紅い目は強く、何事かを訴えかける。
ウドンゲはてゐの目を見ていられなくなって、思わず視線を逸らした。
目ばかりではなく、てゐに背中を向けた。
泣き出しそうになってしまっていたからである。
ウドンゲは永遠亭での自分を考えてみた。
思えば随分と好き放題やらせてもらっている。
永林には薬の師事を受け、毎日は充実している。
輝夜からも目をかけてもらっている為、他の兎達より格段に扱いはいい。
同じ兎なのに。
同じ兎なのにてゐの扱いはどうだろうか?
昼でも夜でも薄暗い永遠亭の中。
地上の兎の中でも特別強い力を持つ為、仲間から畏敬はされても、友愛の情は抱かれない。
普段てゐが感じられる四季の移り変わりは、風の匂いと寒暖の違い、昼と夜の長さの違いだけだろう。
てゐの小さな姿に、月に置いてきた仲間の姿が重なった。
故郷での戦争はどうなったのだろう?
みんなは怪我などしていないだろうか?
自分ばかりこんなことでいいのだろうか?
……いいはずなど無い。
「……ごめんね。 てゐ。 私ばっかり――」
いつの間にか溢れていた涙を拭こうとした瞬間、ウドンゲは前のめりに吹っ飛び、地面とキスをしていた。
ずざざざざざざー と、思いっきり顔を擦りつけながら地面を滑っていく。
何故、前のめりに吹っ飛ぶことになったかというと、
「やーい騙されたー! 怪我なんてしてないもんねー! 単純兎! バーカ! バーカ!」
てゐがウドンゲを、背後から思いっきり吹き飛ばしたからである。
べえー と舌を出しながら、てゐは竹林の奥へと跳ねていく。
ウドンゲはがばっと起きあがりながら、
「……このおおお! 本当に容赦しないわよ!」
すぐさまてゐの後を追いかけ始めた。
追いかけられているてゐはというと、別段慌ててもいない。
むしろ楽しそうに笑っている。
てゐは知っていた。
輝夜が自分を永遠亭に閉じ込めているのは、自分がつまらなそうな顔をしているのを見て楽しんでいるからではないことを。
かと言って、自分をかわいがっているからでもないことを。
輝夜はてゐが退屈に耐えられずに外に飛び出した時、レイセンに追い掛けさせる口実を作っているのだ。
そして如何に連れ戻すのが大変だったかを、苦労顔のレイセンから聞くのを楽しみにしている。
輝夜は退屈な日常に、ほんの少しでも変化が欲しかっただけなのだ。
そんなことは随分と前、輝夜が永遠亭に閉じこもっていた頃からわかっていた。
しかし、そんな小さな事情のせいで不自由している自分の現状にも、大して不満は無い。
何故なら、見張りの目を盗んで飛び出し、レイセンをからかいながらたまの下界を回り、幻想郷の住人にちょっかいを出す生活もそれなりに気に入っているからだ。
くすりと笑いながら、てゐは後ろから飛んできた弾丸をひらりと避けた。
「ほらほらー、こんな小兎に手間取ってるのかしらーん?」
「てゐーーーーーー! 待ちなさい! いや、落ちなさいったらーーーー!」
今回の幻想郷探訪も楽しくなりそうだ。
てゐはふとそう思った。
『博麗霊夢の場合』
神社の境内には、真っ白な雪の絨毯が敷かれていた。
荘厳さが微妙に感じられるような、感じられないような社。
その縁側に、大した防寒機能があるとは思えない千早を着て座る巫女――博麗霊夢がいた。
雪が時折足下にまで吹き込む中、霊夢は縁側で呑気にお茶を呑んでいる。
彼女の目に映るのは、文字通り溢れんばかりの白。
しかし。
一見、白一色の世界の中にも、どこかに趣があることを彼女は知っていた。
そしてお茶を呑んでは、溜め息をつく。
ほうっと吐いた白い吐息は風に運ばれて後ろへと流れていった。
彼女はぼうっと考える。
今年も雪が多い。
異常である。 というか去年も似たような状況だったのだが。
なにせ屋根の一部が抜けるわ賽銭箱は埋まるわ冬眠しそびれた夜雀が歌いに来るわ。
夜雀が冬眠するのかはともかく、神社の境内も先ほどやっと雪を掻き終えたのだが、
朝は魔理沙が雪の中に埋まっているとしたら、とんがり帽子の先っぽしか覗かないであろうほどに雪が積もっていた。
もちろん例えばである。
きっと何か陰謀が巡らされているに違いない。 そうで無くとも変な現象は解決。 迷惑な妖怪は退治。
それでこそ巫女である。
まとまった自分の意見にこくこくと頷きながら、霊夢はお茶を口へ運んだ。
そして溜め息をつく。
ほうっと吐いた白い吐息は風に運ばれて後ろへと流れていった。
『フランドール・スカーレットと十六夜咲夜の場合』
湖が見える湖畔の雪原に、何故かぽつんとテーブルが置いてあった。
「フランドール様、紅茶が入りましたよ」
そう言ってテーブルにカップを置いたのは、瀟洒なる従者――十六夜咲夜であった。
雪が降りしきっているというのに、普段の姿に加えてマフラーを首に巻いただけ。
そしてそのカップを嬉しそうに受け取ったのは、
「ありがとー。 咲夜は飲まないの?」
触れてはいけない小さな禁忌――フランドール・スカーレットだった。
体はかわいらしいレインコートに包まれていて、よく見ると左胸の心臓の位置に魔法陣が刺繍してあった。
雨除け、雪除け、日除けの効果でもあるのかも知れない。
「お心遣いありがとうございます。 でも、おやつの準備がありますので」
「そっかー」
フランドールは納得したような顔で頷いたが、その声音は残念そうであった。
太陽の光は分厚い雲に遮られている。
夕刻の空は、既に青みを帯びていた。
やがては夜になるだろう。
「昼間ってこんなに明るいんだねー」
フランドールがぽつりと呟いた。
咲夜は辺りを見回して見たが、空は青と言うよりは蒼、もしくは藍というべき色合いである。
とても明るいと表現するには似付かわしくない空。
「ええ。 もっと明るいこともありますよ」
肯定しながら、咲夜は考えた。
500年近くも館の地下で過ごしていたのだ。
妹様は昼間がどんな物だったのか覚えていない。 もしくは知らないのかも知れない。
朝は太陽が昇り、昼は陽光が降り注ぎ、夕刻は月が昇り、夜は闇が包むことを、知識では知っていても感じたことは無いのかも知れない。
「へぇー」
フランドールは納得したような納得していないような声で相づちを打った。
もっと明るい世界、に興味が有るのか無いのか曖昧である。
咲夜はしばしの間、空想に耽った。
もしかして、妹様はわざと惚けた態度を取っているのではないだろうか?
そう思うことがある。
今では館の中を自由に歩き回ることを許されてはいるが、ほんの少し前までは幽閉されていたのである。
彼女の姉であるレミリア様でさえ、ぎりぎりまで私に妹様のことは隠していた。
他人にはできる限り知られたくない。 とでも言いたいかのようだった。
何度か妹様の強大な力を目の当たりにしたが、あれは既に力と呼んでいいものなのかわからない。
もしもだけれど。
私一人で妹様を止められるかというと、実の所全く自信が無い。
妹様がその強大な力を、自分の我が儘の為に使わないとは限らないのだ。
……しかし不思議なことに、何故か紅魔館を歩き回るようになっても、妹様は一度も問題を起こした事が無い。
むしろおとなしすぎて怖いくらいだ。
……これは一つの憶測に過ぎない。
あれは演技なんじゃないか?
いずれ何か大きな”遊び”をする為の、準備期間なのでは無いだろうか?
そんな事は無いだろう。 と、自分に言い聞かせる。
しかし一度そう考えてしまうと、後は恐ろしさ故にその考えから抜け出せないのだ。
妹様は本当に何かを企――
かたんっ
と、カップが受け皿に置かれる音で、咲夜は夢想から醒めた。
「ごちそーさまー! 美味しかったー!」
満面の笑みを浮かべながらフランドールが言った。
咲夜は素早く笑みを返す。
「お気に入られたのでしたら良かったです。 フランドール様」
内心は珍しく焦っていたのだが、表情にはおくびにも出さなかった。
ふふふー と、フランドールは機嫌良さそうに笑っている。
その笑顔が、突然口を尖らせた。
引き込まれるような紅い瞳は、まっすぐに咲夜の目を見据えている。
その鬱ぎ込んだような表情は、殺意を越えた何かを感じさせる。
その感情は、戦慄 としか言いようがないかも知れない。
一瞬、時間が止まってしまったかのように思えた。
咲夜は今度こそ何事か見透かされたのかと思い、恐れのせいで目元が強張ってしまった。
「フラン」
機嫌悪そうなフランドールの口から出たのは、その三文字だけだった。
氷のように固まっていた時が一気に溶け出した気がした。
「はい?」
咲夜は思わず気の抜けたような、怪訝そうな顔をしてしまっていた。
「フランドール様 って長いよ。 フランて呼んでよ」
フランドールはそう言った。
はにかんだ笑顔を伴いながら。
「は……はあ。 わかりました、フラン様」
咲夜はフランドールの意図が掴めないらしい。
咲夜は怪訝そうに小声で、フラン様。 フラン様ねぇ…… と呟いてみた。
呟いてみても、やはり意図は掴めていなそうな表情であったが。
「様もいらないよ。 ……でもまあ、付いてても我慢できるけど」
少しすねてみながら、フランドールは笑った。
「……ありがとうございます。 フラン様」
咲夜は何を言うべきなのかわからず、そんな事を言ってしまっていた。
何に謝礼を述べているのか全くわからない。
何故こんなに動揺しているんだろう と、咲夜は自分の事ながらひどく滑稽に思ったりした。
「いえいえそれほどでも。 んじゃもう少し遊んでくるねー。 見張りがんばって!」
そして咲夜が少々動揺している内に、フランドールはレインコートを脱ぎ捨て、いつの間にか太陽の沈んでいた空へと浮かび上がった。
まるで咲夜に見せ付けるように、くるくると体を捻りながら湖面へと飛んでいく。
やがて広い湖の上に辿り着くと、今度はジグザグジグザグと飛び回り始めた。
東の空には紅い満月が昇っている。
フランドールの七色の翼が、雪の結晶に混じってきらきらと光っていた。
楽しそうに飛び回るフランドールを眺めながら、咲夜は一つ溜め息をつく。
全く妹様の考えていることはわからない。
……とりあえず、今すぐに問題は起こらない気がする。
それほど心配はしないことにしよう。
……恐怖は頭の回りさえも鈍くさせてしまうのだろうか?
妹様の事も、もうちょっと怖がらない努力をしてみるべきか……。
おやつのケーキを準備をしながら、咲夜はそんな事を取り留めなく考えていた。
『射命丸文とレティ・ホワイトロックの場合』
ぶわわっ と風が通りすぎた。
冬の忘れ物――レティ・ホワイトロックは怪訝そうな顔をしながら、その突風の中から現れた少女に目をやった。
「どうもー文々。新聞です!
今回の長い冬にレティさんが一枚噛んでいるということですが、そこんとこどうなんでしょう?
コメントお願いしますレティさん!」
いきなり現れて必要以上の忙しさで捲し立てたのは、吹き抜ける情報――射命丸文であった。
「何もしてないわよ」
「それは事実でしょうか!?
この長い冬に直面して、少々寂れておられる神社の巫女さんなどは悲鳴を上げています。
ここから北に行った所にある大杉も、去年の暮れの落雷を受け、今年の豪雪で遂に折れてしまいました! 風の乱れも激しく――」
「あなたアナウンサーの方が向いてるんじゃないの?」
「えへへーそうですかぁ? って聞いてるのは私でした。
尚、森の黒い魔法使いさんからもコメントを頂いております! 「大変迷惑している。 あまり長く冬が続くようなら、絶えない炎の研究でもするか」 などとおっしゃって――」
「それは暑そうねえ」
「おっとコメントありがとうございますっ! ところで妹分と言われているチルノさんのことですが――」
雪がちらつく中。
散文的な取材は延々と続く。
『メルラン・プリズムリバーとパチュリー・ノーレッジの場合』
「あらあららー? こんなとこに誰か来るなんて珍しい」
白一色の雪原に騒がしい音楽が響いている。
宙に浮き、トランペットをぐるぐる引き回しているのは鬱ぎ無き騒霊――メルラン・プリズムリバーだった。
「やかましいわね」
ただ、それだけ呟く少女がいた。
陽気な音楽の響く雪原を歩いて横切ろうとしているのは、図書館の発酵しつつある知恵――パチュリー・ノーレッジだった。
パチュリーも既に呟いたが、やかましい。
「そりゃ人生陽気に生きなきゃ! 朝ベッドを出たら顔を洗う! 次に騒ぐ! 騒ぐ! 騒ぐ!
むっつり生きてても楽しくないわよ! そこの暗そうな貴方」
メルランがやかましい音楽に負けないやかましい声で言った。
喋る間だけはトランペットから手から離して演奏する。
どういう仕掛けなのやら、トランペットは一人でに陽気な音楽を吹き出していた。
そんな声を、パチュリーは無視して歩き続けた。
返事が無くともメルランは上機嫌のようだ。
やかましくパチュリーの頭上をぐるぐると回り始める。
「ところで用事は何かしら?
私の演奏聞いてくれるのかしら? それとも、楽しくて踊り出しちゃうのかしら!?」
「うるさいわね」
「あ、やっと喋った喋った。 そのまま音楽に合わせて歌っちゃいましょー!」
「一人で歌ってなさいよ。 ……それとも火傷したいの?」
機嫌悪そうにパチュリーは歩き続ける。
さり気なく脅されたメルランはというと、
「デュエットデュエット! 幻想郷に新しい風を吹き込むわよ! さあ!ワン、ツー、スリー、フ――!」
メルランが気にせずに拍子を取ろうとした瞬間、ぶわわわわわっと、風が暴れ出した。
パチュリーを中心に、雪がまるで白い羽根のように舞い上がる。
ぎゅおーんとまるで汽車がトンネルを通り抜ける時のような音が聞こえた後。
「……ふう。 ここら辺に咲く菖蒲の種まで吹き飛ばしちゃうじゃないの」
パチュリーは雪原に一人突っ立っていた。
雪原は先程までの騒音が嘘のように消えていた。
代わりにパチュリーを中心に、くっきりと円形に茶色い土が顔を出している。
顔を出していた、どころではなく少々えぐれていたが。
衝撃波で雪を吹き飛ばしただけでなく、地面まで吹っ飛ばしてしまったらしい。
「……ちょっと飛ばし過ぎちゃったかしら」
辺りを見回し、騒霊が居ないことを確かめてから、そんなことを呟いた。
『ミスティア・ローレライの場合』
成層圏もまっただ中。
いわゆる空の上。
「――の向こうにある~♪ 光を見る為に~♪」
そこに馬鹿元気な歌声が響いていた。
「かつてなく高くー飛んでいたけど~♪ あまりにー高く飛びすぎたんだー♪」
上手かどうかはともかく、元気よく歌っていたのは人狩りサービスタイム――ではなく、
幻想郷一騒がしい歌い手――ミスティア・ローレライだった。
「この目は~、見据えていたー♪」
ここでぶーんとトンボ返り。
「自分がまだー、盲目でーあるーってことをー!」
更にじぐざぐ蛇行飛行。
「この心はー知っていたっ!」
びしっとくるっと一回転。
そしてポーズを決めた。
心の中で、決まった……。 などと呟きながら、ミスティアはほくそ笑んだ。
もちろん観客など一人もいない。
風が寂しそうに音を奏でていた。
やがて、ミスティアは感慨深げに閉じていた瞳を、ぱちりと開ける。
そして、
「れ?」
素っ頓狂な声を出した。
彼女の視界に飛び込んできたのは、
「きゃあああああ!」
「――ぃゃぁぁぁああああああああああ」
右手にトランペットを持ったまま、音速に近いスピードでまっすぐとミスティア目掛けて飛んでくる騒霊だった。
ミスティアは避けきれずにぶち当たる。
「――ああああああああああああ!」
「――ああああああああああああ!」
そしてそのまま、二人は仲良く空へと昇り、お星様になりましたとさ。
めでたしめでたし。
『上白沢慧音の場合』
まったく難儀な土地だ。
傾斜がきつい上に大量の雪が積もり、歩きづらくて仕方がない。
かといって飛ぶと方角がわからなくなる。
こんな山奥に住んでいると不便だろうに。 妹紅の奴。
まあ、人から離れたい気持ちもわかるが。
しかし蛙の鳴き声さえ聞こえそうにもない山奥では、もっと気が狂いそうなものだが。
枝から雪が落ちるだけならまだしも、雪崩は勘弁してもらいたい。
お陰で道が潰れて、注意して歩かないと道に迷ってしまう。
誰かが成層圏で大声でも出したのだろうか。 まったく。
……しかし凄い大雪だな。
まさか妹紅の家、潰れてなどいないだろうな? 雪の重みでべきべきと。
ふふ。 考えすぎだな。
久しぶりだからか、早く妹紅の顔も見てやりたい。
そろそろ会える。
「……で? これは?」
事理を束ねる者――上白沢慧音は焼け落ちた民家を指差して尋ねた。
「……燃え尽きたよ。 ……真っ白に。 ……あはははははは」
藤原妹紅は生気が抜けきってしまったように、力無く笑う。
がこん と、民家の梁だった部分の木材が侘びしそうに音を立てて崩れ落ちた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 私がいけないんですごめんなさいっ!」
妹紅の横で、橙が今にも泣き出しそうな顔でぺこぺこと何度も頭を下げる。
慧音の見た限りでは、民家はまず、轟々と床から屋根まで火に包まれて脆くなった後、
雪の塊でも空から降ってきてべしゃりと押し潰されたように思われた。
つまりで言えば見事に粉々、もはや原型を留めていない。
がっくりと肩を落とし、地面に膝を突き、まるで廃人のように座り込む妹紅。
ごめんなさいごめんなさいと何度も何度も涙目で謝る橙。
「…………」
そしてひくひくと苦笑して、全壊した家を眺める慧音。
空は快晴。
いい天気の中、とんでもなく季節外れの閑古鳥が鳴いていた。
『八雲紫の場合』
厳かそうで厳かでない神社。
晴れ渡った空に浮かぶのは白い雲。
雪深き神社を照らす太陽は、光を満遍なく大地に分け与えていた。
そんな神社の巫女は、
「よう霊夢。 何してるんだ?」
汗だくで雪かきをしていた。
別にちょいと本気を出して雪を吹き飛ばしてもいいのだが、下手すると神社自体も吹き飛んでしまうからである。
「……見りゃわかるでしょうが。 それとも私も手伝うぜー とか言い出すのかしら?」
霊夢は口を尖らせて、招かなくても来る訪問者――霧雨魔理沙に当たった。
「そんなことする訳無いぜ。 それに聞いてるのは私だ。 何してるんだ?」
「見りゃわかるでしょうが! 雪かきよ!」
「違うぜ、気づいているだろ? 今年も春が遅い。 なんで異変をぱぱっと解決しないんだと聞いている」
「今から解決しようと思ってたとこよ。 方角はたぶん――」
「あっち」 「そっちだな」 「こっちね」
霊夢と魔理沙が100度ほど違う方向を指差した。
「あっちよ! 勘だけど!」
「そっちで間違いないぜ。 勘だが」
そして口論は始まる。
どこからか、溜め息が一つ聞こえた気がした。
「……それにしても」
白玉楼の幽雅なる主――西行寺幽々子は縁側に座り、口に手を当てて欠伸をした。
「どうしました? 幽々子様」
真剣なる庭師――魂魄妖夢は怪訝に思い、尋ねる。
「こんなに沢山の春を頼んだ覚えは無いんだけどね……」
呑気そうな声で幽々子は応えた。
妖夢はええ? と驚きを露わにし、
「この春、幽々子様が持ってきたんじゃないんですか!?」
目の前の桜達を指差した。
白玉楼は一面、満開であった。
とびきり大きな桜の木を除き、40本どころでは無く全ての桜が7分咲きだった。
正に華やか、としか言いようがない。
「じゃあ誰がやったんです!?」
「そんな事をするような奴なんて、一人しか知らないわ」
「へ? 誰です!?」 「――大正解」
風が囁いたような小さな声は、妖夢の大声に掻き消された。
「……それじゃ。 花見だし舞いでも一献、仕りましょうか」
「えええ?」
突然そう言うと、幽々子は庭に降り立った。
ぱちりと扇を開く。
どこからか鼓と鉦、琴の音が聞こえてきた。
「時々悪戯の過ぎる友の為に」
呟いて、幽々子は舞い始めた。
突然舞い始めた主の顔を見て、妖夢はおろおろするばかり。
くすくすと、どこからか笑い声が聞こえた気がした。
「――コメントありがとうございますっ! 幽香さん」
「いえいえ」
空気の乾いた雪原は、所々赤茶けた土が露出していた。
雪は少ないが、凍るように寒い雪原で大声を出しているのは、幻想郷最速の情報――射命丸文であった。
取材されているのは四季を巡る風来坊――風見幽香である。
彼女の足下には、かわいらしい雪の下の花が咲いていた。
「次の取材は花のこととは直接関係無いのですが……。
幽香さんは幻想郷のどこに、一番早く春が訪れるとお考えでしょうか!?
花に興じる幽香さんならご存じなのでは!?」
「ああ、それなら――」 「幽界かしらね」
「コメントありがとうございますっ! 幽界ですね! 行ってみます!」
「え? まあそう――」 「面白いわよ」
返事を聞く間でもなく、文は空高く飛んでいってしまっていた。
声が重なっていたことに気づいているのやらいないのやら。
※ ※ ※
「今年は早くお目覚めでしたね」
活きのいい九尾の雑用係――八雲藍は主人をからかった。
「ええ、あんまり眠っていると」
「眠っていると?」
「錆びちゃうものね」
「……はあ」
「人間じゃあるまいし錆びないけれど」
「…………」
「それじゃ、動いたら相応に寝ないと。 後はよろしくね、藍」
「……わかりました、紫様」
境界を往き来する者――八雲紫はすやすやと早めの春眠を始めた。
各々のお話も深い物からあっさりした物までどれも面白かったです~
冬からぼんやりと考えていたこの初投稿作品、もっと評価は低いと思っていましたので(笑)
読んでくれて重ね重ねありがとーです。