Coolier - 新生・東方創想話

CONTINUE? 始  (了)

2010/07/18 03:48:24
最終更新
サイズ
52.37KB
ページ数
1
閲覧数
1409
評価数
20/56
POINT
3030
Rate
10.72

分類タグ

「植物は根から毛細管現象で水を吸い上げる。
貴方は根を失った植物の潤いを保つのに精一杯」

東方緋想天
八雲紫ストーリーモード 魔理沙勝利台詞より
























































妖夢を適当になだめてから、魔理沙は昼食を取りに行った。

食料を隠していた岩場は、幸いにも無事だった。他の荷物をのけて、残りの食料を詰めた袋を、ごっそりとひっぱりだしてくる。
こんなときだというのに、魔理沙はわりとのんびりしていた。妖夢たちのところへ戻るときも、鼻歌でも歌うような調子で、ゆっくりと飛んでいく。
(まあ、急いでも仕方ないしな)
魔理沙は思った。実際、急いで追う必要は無かった。
あの後、霊夢は、空の高いところへと浮かび、そこへ立ち止まったままだった。なにもない空の上に浮かんだまま、こそとも動かず、風に吹かれて衣装をたなびかせている。
何をしているのか、と魔理沙は思ったが、やがてそうか、と納得した。
何もしていないのだ。もう行くところがないのだから。
(そうだな。もうあいつには行き場が無いんだろうな。妖怪も鬼も、天狗も、標的になるやつらは全部殺しちまったからな。おそらく、そうすることだけがあいつの目的だったんだ。そこから先には、なにもない)
魔理沙は、思いながら空を見上げていた。気のない様子で、手にもったパンにかぶりつく。
ありったけの余りものを詰めて、適当にサンドしたパンは、ハムやらチーズやら、でたらめにつめるだけつめたので、ひどく不恰好な様子になっていた。魔理沙は大口を開けてそれにかぶりつきつつ、上空の霊夢の様子を眺めた。
霊夢は、あいかわらず動かない。先刻、はるか上空の方に上がっていき、立ち止まってからのそのままの様子だ。
何をする様子も無い。魔理沙は、盛りこんだパンの具を噛みながら、ぼんやりと霊夢を見つけた。
(あいつは、腹減ってないのかな。たぶんなにも食っていないんだろうし)
魔理沙はぼんやりと思った。聞きに行ってみようかな、とも思う。
(馬鹿だな)
魔理沙は、思いながら、具を飲み下して水を含んだ。少し離れたところにいる妖夢の様子を、ちらりと見る。
妖夢は、ぼんやりと座っていた。さっき渡してやったパンは、かじってはいるようだったが、なにやらもそもそといった調子のようだ。あまり減ってはいない。
まだ、心ここにあらず、といった様子なのは変わっていないようだ。
妖夢の横には、さっきひきずってきた妹紅と、白蓮、それに神奈子が寝かせられていた。
白蓮と神奈子は、簡単な手当てをして寝かせてあるが、妹紅のほうは、念を入れて、縄で縛ってあった。自分が食料と一緒に隠してあった縄を持ってきてそれをやり始めたとき、妖夢はあっけにとられた目で見ていた。
途中で目を覚まされて、また水をさされるのが面倒だったのだから、しかたがない。これから自分がすることには、誰の邪魔も入れさせたくなかった。
(邪魔ってか)
魔理沙は、顔には出さずにふと思った。邪魔か。
(邪魔とはまた、身勝手なやつだな。あいつらの復讐のことは邪魔しておいて、自分のすることには、他人が邪魔ってか。まずまちがいなく恨まれるなこれは。いや、そんなことは、いまさら言うことでも無いけどな)
魔理沙は霊夢を見上げながら、またパンをかじった。豪勢にもりこんだ具の束を見て、ぼんやりと考え事をする。
(……考えなしも、たまにはいいのかな。でもそれは無駄なときにかぎっておくべきだよ。いつもじゃ駄目だ。なんたって、そんなことばかりやってたら、食料がすぐ底をついちまうし)
とりとめないことをつぶやきながら、パンの残りをほうばる。汚れた指をちょっとなめてから、魔理沙は立ち上がった。
服のすそで、濡れた指を拭うと、箒を持って、脇の八卦炉を取り上げる。
(……お前が全部悪いとは言わないよ、霊夢。今回のことは、きっと全部が全部、お前のせいじゃないんだろう。でもきっとお前のせいだ。そして、お前が悪い。何を言ってるか、わからないとは思うが、それが私の正直なところだな。もし、私がお前に誰が悪いのかって聞かれたらきっとそう言うと思うぜ。もし言ったところで、お前はわからないかもしれないし、結局言いたいことも伝わらなかったかもしれないけどな。そう、子供じみた言い方で悪いけど、お前は結局、私を見ていなかった。いつもどこか別のところを見ていた。いや、どこも見ていなかった)
準備を終えると、魔理沙は箒にまたがり、空へ浮かび上がった。
上空を目指して、ゆっくりと飛んでいく。
霊夢は動かない。どこを見つめているかもわからない。
(……見ているやつの目次第で、世界は変わるもんなんだぜ、霊夢。お前には――そう、お前にはきっと、そんなことわからなかったかもしれないが)
魔理沙はどうでもいいことを呟きながら上がっていった。空の高くたかくへと。
ゆっくりと上がっていったせいでいつもよりも、風が多く感じられた。下で色々している間に、結構時間がたっていたらしい。日はもう半分沈みかけているようだった。
暗く沈んだ空に、藍色になった雲がたなびいている。秋の夕暮れ空に特有の、どこまでも乾いた少し冷たい風が、ほほをなぶって通り、耳を鳴らしていく。
ゆるゆると上がりながら、魔理沙は沈む夕陽の色をちょっと見つめ、それからまた上空を見つめた。霊夢は、そこにいた。
魔理沙の姿が足元のあたりに見えても、なんの反応も見せないでいる。強く巻く風に、漆黒の髪と、それに同化したような色のリボンがはためいている。
すっかり黒に変わった巫女装束が、風をはらんでたなびいている。鈍く意思のない黒い目は、どこか目の前よりも少し上の空を見ていた。
魔理沙は霊夢の見ているほうを見たが、やはり近くで見ても、何を見ているのかは見当もつかなかった。見とれるような夕陽でも、心を掻き立てられるような雲でもない。暮れ空に輝き始めた一番星たちでもない。
「……」
魔理沙は、途中で箒の軌道を変えた。大きく迂回する形で飛び、霊夢の前に回り込む。
魔理沙が目の前にやってくると、霊夢は、ちらりと視線を向けた。あいかわらず表情の動きは無い。
ただ、その無愛想にも取れる顔が、なにやらいつもの霊夢のものでないようには見えた。
そして、いや、と魔理沙は思った。また思った。
(いや。違うか。そうか。やっぱりか、わかった……)
魔理沙は思った。そういえば、とふと頭の隅で思う。
そういえば。霊夢がこの状態になってから、じっくり面と向かって向かいあうのは、これがようやくだった。今まで、魔理沙は近くでじっくりと、この女を観察する余裕というのがなかった。
白玉楼のときに飛びながら近づいたのが、唯一、一番近くに寄ったときか。あのときは一瞬だった。
そして、さっき、妖夢をかっさらったときには、ようやく霊夢を観察できるほどの間近で見た。それは、ほんの一瞬だったが、魔理沙には幸運にもそれで十分だったらしい。
おかげで、そのことに気がつくことができていたらしい。
(そりゃそうだろうな。私は、お前をいっつも見ていたんだから。神社に行ったときも、弾幕ごっこをしているときなんかも、一緒にいるときや近くにいるときは、いっつもお前のことを観察していたし、なにかあると、お前をいじくってやる隙をうかがってたさ。私は、お前のことをどうしても出し抜きたかったからな。私にとってお前がなんだったかって言われれば、私はお前には友達だって言うし、他のやつには素直に友達だって言わないだろう。それは照れくさいのもあるが、正直に言っちまえば、私はお前のことをたぶん友達だとは思っていなかったし、心の底では友達だかどうだか、言い切れなかったんだ。それはたぶん、お前が本当はそんなことどうでもいいと思っているんだろう、ということが、内心でわかっていたからだ)
魔理沙は思った。
そうだ。こうなって、ようやくわかった。
こうなって霊夢は変わった、と魔理沙は思っていた。そう勘違いをしていた。
霊夢の目、霊夢の顔、あまりにも圧倒的な力を振るう様子を見て、表面に惑わされていた。変わった、と。
(そう。変わった)
変わった。
なにが?
(そう、変わった?)
魔理沙は思った。変わった。
なにが?
(変わった? なにが? なにが変わった? 変わっていないだろう?)
魔理沙は思った。そう。変わっていない
こいつは元々、こういう顔をしていた。今は言葉を発さないし、答えもしないだけで。
ようやくわかった。確信した。
目の前にいるのは、いつもの霊夢だ。魔理沙は笑った。
(そうだ、いつものこいつだ)
魔理沙は思った。
「霊夢」
魔理沙は呼びかけた。
霊夢はこちらを見ている。返事はない。
ただ黙って、じっと、感情のない目で魔理沙を見ている。
(誰にも特別な感情を持たないってか)
魔理沙は見返して思った。そう、それはそういう目だ。
それは、いつもの霊夢となにが違うんだ? 魔理沙は半眼になって、霊夢を眺めた。
そう、こいつはなにも違っていない。「いつもの」霊夢だ。
(……その巫女服はなんなんだ? 返り血か? 血なら、黒じゃなく真っ赤にでも染まっているようなもんじゃないか? 今のお前には、そっちの方がお似合いなんだよ)
心の中で皮肉を言ってやる。もちろん、意味のないことだとはわかっていた。
少しくすんだ、まるで塗りつぶされたような漆黒の色。殺戮する者ではなく、まるで疲れを連想させるような色。くたびれきって、汚れきった者の色。
殺すことに心底疲れきった者の色。生きることに飽きを感じている者の色。
(そうだな、お前はそんなやつだったよな)
魔理沙は、どうしようもなく皮肉が沸いてくるのを自覚した。罵る声が、頭のなかで響いている。
魔理沙は、思ったよりも自分が疲れていることを自覚した。そう、疲れている。誰もが。そして、自分は。
(疲れている? 疲れているって? 疲れているのは、お前じゃない、霊夢。疲れているのは、周りの方だよ。私や、お前にさんざん振り回された世界の方だよ。お前にさんざん振り回された、私たちだ。お前じゃない。疲れているのはお前のほうじゃない……)
お前じゃない。
魔理沙は思った。投げやりに。
今の霊夢を見ていると、言いたいことが山ほど沸いてきた。憎たらしいのか、悲しいのか。
魔理沙は、自分でも分からなかった。自分で自分がよく分からない。
自分が霊夢の前にたって何を言うべきだか、ここにいたるまではわからなかった。だが今はそれがわかっていた。
そう、思い切って被害者ぶってやればいい。わけもわからず振り回されたことを、嘆いてやればいい。思い切り罵ってやればいい。
今の霊夢を責める言葉なら、いくらでも浮かんできた。どれも言葉には出せずに終わりそうな、そんなものではあったが。そんなものではあったが。
ふうっと息を吐く。
やめた。魔理沙は思った。懐に手を入れて、スペルカードを探った。
霊夢に見えるよう、それを取り出して、掲げてみせる。
「……」
スペルカードだ。遊びの道具の。
なんの変哲もない。ただの。
霊夢は動かない。動かずに、じっとこちらを見つめている。
ただ、じっと見ている。
魔理沙は、それをじっと見返した。
いまさら霊夢に寄せる信用だの、信頼だの、そういうものはない。
ただ、伝えたいだけだった。
ただ、こちらのどうしようもない感情や、どうしようもないもどかしさや、そういったものというのを、なんとかしてこの鈍い女に伝えてやりたいだけだった。魔理沙は口を開いた。
「霊夢。私と勝負だ」
魔理沙は言った。霊夢は答えない。
魔理沙は霊夢の目を見て、少し待った。が、やがて返答を待つのが、意味のないことだと気がついてやめた。
「私の声が聞こえてるか? いや、別に聞いてなくてもいいけどな、まあ、いいから黙ってそこに突っ立っていてくれ。実を言うとな、私は今少し、頭がどうかなっているようでな。お前にちょっと色々言いたくて言いたくて、どうも仕方がないんだよ。なんでこんなことしたんだとか、いったいこんなことしてどういうつもりでいるんだとか、まあ、そういうことなんだけどさ。おかげで今から言うことも、ちょっと支離滅裂になっちまいそうだし、うまいこと整理して伝えられるかもわからない。どうにも前後不覚っていう感じなんだが、まあ、大目に見てくれよな。今のお前が、本当はなんだろうが、いまさら、私はどうでもいい。そう、そんなことはどうでもいいんだ。そんなことは、いまさら問題じゃない」
魔理沙は言った。
そう。どうでもいい。
どうでもいい。
自分は捨て鉢になっているのかな、と魔理沙は思った。
いや、違う。魔理沙は首を振った。
「……そう、どうでもいいんだよ。どうしてお前がそうなったのかも知らない。どうしてこうなっちまったのかも、まったく私は知らない。見当もつかない。私には、なにもわからないんだよ、霊夢。どいつもこいつも、お前がおかしくなってからこっち、会うやつ会うやつみんな、言っていることはどこかしらあてにならなかったし、肝心の事情を知ってそうなやつは出てこないし、お前は、いくら訊いたって何も言ってくれない。そんなんで、私にはなにかわかるわけないがないさ。私は普通の魔法使いだからな。たいして頭もよくない普通の人間なんだ。誰かがわかりやすく説明してくれなきゃ、こんなことはわからないんだよ。わからないまんま、一人で舞台の端っこのほうをうろうろしているだけだ。いや、あるいは、私はいつでも、そんなだったのかもしれないけどな。お前や文や紫や、それや、アリスのやつなんかには、もしかするとそういう風に見えていたのかもしれないな。いや、いいけどさ、そんなことはいまさら」
魔理沙は言った。
霊夢は何も反応せずに、そこに浮かんでいる。口も視線も動かさずに、ただこちらを見ている。
「霊夢、私たちは、人間だ。人間同士、最後は、こいつで決着をつけようぜ。お前の考え出した、ただのお遊びでさ」
魔理沙は言った。霊夢は答えない。
魔理沙は、待たずに言った。
「もともと、こいつはそのためのものだったはずだ。こんな馬鹿みたいに派手で、馬鹿みたく意味の無かった殺し合いは、もうどっちみち終わりだ。霊夢。私と勝負しろよ。弾幕ごっこだ」
魔理沙は言った。霊夢は答えない。
魔理沙は、少し間をおいて、続けた。
「それとも、私も殺すか? 邪魔だから殺すか? 咲夜みたいに? レミリアみたいに? パチュリーみたいに? アリスみたいに? 文や、幽香みたいに殺すか? 消し飛ばすか? お前はそれができるから? 無駄な言葉にはのらないか? 邪魔なものはなぎ倒すか? 他人の都合なんて聞かないか? まあ、それでもお前はいいのかもな。お前はそういうやつだし、それでお前は構わないんだから」
魔理沙は言った。霊夢は答えない。
魔理沙はカードを握る指に力をこめた。
「馬鹿げてるぜ。どれがどうっていうんじゃない、全部がだよ。全部。神奈子のいっていたとおりさ。茶番じゃなくても、こんなのは茶番だよ。ここは幻想郷なんだ。馬鹿みたいに暢気で、我欲で争わなくても済んで、なんでも気分でやらかしていてもたいてい許される、楽園みたいなところさ。こんな馬鹿な騒ぎを、いったい誰が望んでた? 馬鹿げてるぜ、本当に。みんな馬鹿みたいに死んじまった。意味もなく死んじまった。本当に、馬鹿みたいにだ。こんな馬鹿な騒ぎは、もういい! もうたくさんだ!! 殺さなくてもいいやつまで殺されて、後に残ったものが、何も無いなんて、こんな意味のない話があるのかよ!? いやわかってるさ、こんなのは本当は、日常茶飯事なんだ。本当にどこでも起こることなんだ。それがここから外の世界では、常識だったんだ。だが、だからこそここではやっちゃいけなかった。この馬鹿みたいな楽園じゃ、そんなことやっちゃいけなかったんだ。そしてお前は自分がやったことに、なにも感じていない、賭けてもいい、お前なんかにわかるもんか。これは茶番なんだ! 戦いなんかじゃない! 殺しあいでさえないんだよ! 死んだやつも残ったやつも、誰も救われないのに、みんな死んだ! そうだ、こんなのは外の世界の常識だよ! ここには通用しない! 必要がない!」
魔理沙は声を荒げて言った。霊夢は何も言わない。
その様子は、言うべき言葉に迷ったわけでもなく、罪の意識に押しつぶされそうになっているのでもない。ただただ平然としていた。
すべてから切り離されて、浮かんででもいるかのように。
彫像に話し掛けるような空しさをこらえて、魔理沙は、声を落ち着けた。
「……やめにしようぜ。なあ、霊夢。やめにしよう。なしにしよう、こんなのは。これで終わりにしようぜ。こいつで全部決着をつけて、終わりにするんだ」
魔理沙は言った。霊夢は答えない。
ふと魔理沙は口元の力が抜けるのを感じた。なぜかおかしく、それでいて本当に泣きそうになった。
ふと目の前がにじんだ。霊夢の姿がぼんやりとかすむ。
そのときになってようやく、魔理沙は自分が泣いているのに気がついた。悲しいわけではなかった。
ただ空しかった。さっき妖夢に言ったことが思い出される。
まったく。こんなところで泣くやつが、どこにいるんだ?
「……頼むよ。霊夢。私たち、友達だろう?」
魔理沙は最後に言った。霊夢は、やはり答えない。
ふと、その目の前が揺らいで見えた。しゅるりと、空間が変化し、一枚のカードが現れた。
それが霊夢の前にかざされて、浮かぶ。
スペルカードだ。
宣言の声はなかった。
霊夢の周囲に、じわりとにじみ出るようにして弾幕が展開された。
どちらも何も言わないが、魔理沙の攻勢側で、弾幕ごっこは開始された。




霊夢の弾幕は、さすがに苛烈だった。

相手が弾幕なら、魔理沙にとっては易い相手である。それでも、相手が相手だから手強いものだ。それでも、高速で振られる白刃と、いましも閃こうとしている閃光の前に割ってはいるよりは、ましだったし簡単だったが。
最初の弾幕で、かすった腕の皮膚が切れた。服も、脇を駆け抜けた衝撃の余波で糸を散らす。
きりきりと片腕でつかんだ箒で巧みに宙を舞い、魔理沙はかざした片手から弾を放ちながら飛んだ。すれすれで身をひねり、弾幕をかわすと視界が急激に変わり、身体の血流が、上から下、斜め下へとめまぐるしく入れ替わるのがわかる。
びりびりと身体を締めつける重力の反動が心地良かった。押しつぶそうとするようにこちらへ飛ぶ大玉の横を通過し、放たれる網の目のような弾幕のただなかへと、自ら速度を増して、飛びこんでいく。
頭の中では綿密な計算が勝手に働いている。意識が二つに分かたれたような感覚と、身体と意識が完全に一体化している感覚。
それらが交互に襲ってくる。そのたびに避わしていく。苛烈な弾幕の渦を凌いでいく。
仕方がない。仕方がない。
魔理沙はよけながら、繰り返した。こうしないと、目の前のあいつには、とうてい近づけないのだから。勝てないのだから。
自分がぎりぎりまで振り絞って出した力を、あいつは面倒くさそうに受け流すし、弾幕ごっこにいそしんでいるときにちらちら垣間見せる様子は、全く暢気なもので、とても本気でやっているようには見えない。
そう、あいつは自分を偽れない。他人に合わせて偽ってくれるということがない。
だから、むずがる子供をあやすみたいに、気難しい老人をあやすみたいに、こちらが気を遣って接していかないとならない。手のかかる女だ。
(お前とつきあえるのは、よっぽど気長なやつか、私みたいなお人よしの小心者か、ちょっと頭のおかしくて、けど頭はいい、そんな変人くらいのものだぜ。そんなんでお前のまわりには何かと人が集まるんだから、まったく不思議だよな。みんな、お前の何がそんなにいいんだろうな。不思議だよ、まったく)
ようやく一枚のカードを破ると、すぐに幕間の弾幕が来る。魔理沙は大きく身をかわして飛んだ。
霊夢とのこれまでの対戦成績を見れば結果はやや五分五分だが、どちらかといえば魔理沙が劣っていた。霊夢はあれで、調子の波が激しいほうだ。
しかも気分屋で、実力を三分ほども出さないようなときさえある。そういうときなら必ず勝てたかと言えば、そうとは言いきれないのだが。
彼女がどう見ても本気であったときにも、魔理沙が競り勝ったときもあるし、むろん、そうでないときもある。正直、霊夢の本当の力というのは、今以ても、魔理沙には理解し切れていなかった。ひょっとして、思うより弱いのではないかと思うときもあれば、あるときには、不意に絶対に勝てないと確信するときもあった。そういうときの霊夢は、そのとおり、絶対に負けない。
また、どれだけ調子が下であっても、こちらが勝てない、とすこしでも思ったときには、絶対に勝てなかった。そういうときの魔理沙は、絶対に負けるのだ。
(まあ、絶対に勝てるなんて思ったことは、私も一回もないけどな。でも、お前は違うな。絶対に勝てると思うときが、たぶんお前にはあった。何度かそういうのはほのめかしてはいたけどさ。お前はたぶん、そういうものを、何の根拠もなくかんじとっていたはずだ。そして、そういうときには絶対に勝てたんだ。ずるいよな、全く)
生まれ持った巫女の勘。いつもなにかに守られているという絶対の自信。
だからあいつはあんなに暢気でいられる。ふわふわと周囲から浮いている。
そしてそれでも平気でいられる。自分は一度もそんなものを持ったことがないから、いつでも負けることばかり、勝つことばかりを考えていた。どこかの人形遣いと違って、はっきりした勝敗を知ることを、少しも恐れてはいないが、少なくともあいつのように、ふわふわとしてはいられない。
(お前には、そういう葛藤はなかったんだろうな。断言してもいいが。お前は勝負事でさえ、ほとんどどうでもよかったんだろう)
魔理沙は胸の中で言った。負けるときは負けるでいいし、勝てるときは勝てるでいい。
彼女にはそれが分かる。そして、誰よりも早く諦めている。心の奥のほうで、あるいは心のどこかで。
諦めている。
諦観している。
「絶望」している。
(……そうだ、絶望していたんだな。お前はずっと。諦めていたんだ。何かを諦めたまま、ずっと生きてきた。今までずっと)
「絶望」している。彼女は。何かに対して。自分を取りまくものに対して。
文字通り、生まれつきの、天賦の力に恵まれて、生まれて十何年ばかりをすごして来て。努力は無意味、などと、へんに意固地なことを、堂堂と声高に言ってのけてくる。
魔理沙は、あの台詞を聞くたびに、腹が立つと同時に時々へんに思うことさえ多かった。
そんなことは、いちいち声高に言わなくてもいいことだと思うのだ。
もちろん、自分は単純だから、そういう霊夢の言いざまを見れば、単純に腹は立った。だから、皮肉の一つや二つ、少しむきになって言い返しはした。でもそれ以上は気にしなかった。気にはしていても。
(……そうだ、お前は絶望していた。あきらめていた。ただ、腐ってはいなかった。腐らなくたって生きていけたんだ。お前には天性の才能があったからな。恵まれていた。たいして努力しなくても良かった、だから腐らなくたって生きて来られた。人に興味を持たなくたって、生きてこられたんだ。お前の傍には勝手に色々な者が集まる。色々な者がやってくる。お前は一人じゃなかった。きっといつでもお前のそばには勝手に誰かがいた。だから、お前は誰にも必要以上に興味を持たなくたって良かったんだ。どうして、自分の周りにそいつらが集まってくるのか、そんなことには興味を持たなくてよかったんだ。霊夢、人間は一人だぜ。本当は一人なんだぜ。お前は一人なんだ。誰だろうと何もしなけりゃ、ずっとなにもやってきやしないままだ。お前は違うんだよ、誰もがいつもたった一人のはずなのに、一人じゃない。だけど、そうだとしてもお前はいつもたった一人だった。お前は諦め、絶望したままで、なににも腐らずに生きてきた――それは――きっと――人間じゃない。そうとは呼べない)
二枚目のスペルが破られた。幕間の弾幕が間近で弾けた。
頬が裂けた。顔に抉れるような衝撃が走った。
かすり傷だ、と魔理沙は思った。
人は大袈裟に痛みを感じるものだ。どんなに慣れたやつだって、そこまでは、どうにもできない。
(――そうか、霊夢、お前は人間じゃないんだな。人間の形をした、別の何かだったんだな。神様でも、妖怪でもない。でも、きっと人間でもない。いつでもこの世からふわふわ浮いている、いつでもどこにもいない。そこにいてもお前はそこにいない。きっとそういうものだったんだよ、お前は。どうして私も誰も気がつかなかったのかな。それとも気づいていたのか? ――誰しもが、そう、きっと、どいつも、きっと、お前のそう言うところに惹かれて、あそこに集まっていただけだったっていうのにさ。たとえば、自分が一人だとわかっていても一人じゃいられないやつらなら、お前のそばにいるのは居心地がいいだろう。お前は無知だから拒まないし、無知だから差別もしない。どうしてそんなに何も知らなくて、そんなに平然としてるのか、お前の身体に空いた、のぞきこんでもなにも見えないような、そんな真っ暗で透明な穴を誰しもがのぞきこもうとした。そして、誰しもがのぞきこめずにいつも首をかしげていたんだ。そこは覗いてみても何も見えやしない。そこにはなにもない。のぞきこもうとしているやつも、のぞきこんでも何も見えないと思っている奴も、みんなみんな滑稽だったんだから。道化だったんだから)
三枚目のスペルが破られた。
魔理沙は箒を切り返して、切れ間なく襲ってくる幕間の弾幕をかわした。脳を揺さぶる波涛の向こうに、忘我の心地を見かけながら思う。
(お前には、なにもない。だってのに、長い長い間、誰にもそのことがわからなかった――そばにいても、誰も気づけなかった。お前には、誰も近づけなかった――)
四枚目のスペルが破られた。あと何枚だ?
(あるいは、それも絶望か? いや、そんなおおげさなもんじゃないか。絶望していたのは、お前一人だ。周りはそれでみんな、迷惑をこうむっていただけだ。なにもないのに、いかにもなにかあるように見せかけられていただけなのに、)
五枚目のスペルが破られた。あと何枚だ?
六枚目。魔理沙は、思い切って霊撃を放った。
空が割れるように光がさし、群れなす弾幕を木っ端微塵に吹き飛ばす。
七枚目。
八枚目。
幕間。
そして、九枚目。
やがて、徐々に目の前が開けていった。夜が明けるように。
光がさすように、弾幕の波が割れるのが見えた。雲間に花のように開いていた怒涛が、光にはじけて、一斉に散っていった。
空が色を取り戻していった。鈍い風を。きらめく空を。もういい加減に暮れ時が迫った空を。
空が風を取り払ったように、空気が引いていった。弾幕が音を立てて、飛びちっていった。
一瞬の花火の輝きのように、きらきらと明滅して、虹色の波が宙に消え去っていく。その様は、こんなときにでも変わらず、ひどく美しかった。
きらめく一瞬の残滓が、魔理沙の服を掠めていった。
静寂。
沈黙。
新たな弾幕は、展開されていない。
風が落ち着きを取り戻していくのがわかった。
「……、……、…………」
魔理沙は、昂ぶる心を押さえて、息をついた。自分の心臓が激しく息をしているのが、耳元で感じられる。心地のいい一体感が。風の吹きぬけた後のような爽快感が。一瞬、体全体を支配しているのがわかった。
その一瞬も過ぎ去って、残されたのは目の前の光景だった。またぼろぼろの自分の体も。
見下ろしてみれば、ひどい有様だったろう。頬からは、数条の血まで流れ出しているようだし、衣服はところどころが破けている。傷は浅く切った物もあれば、やや深く切った物もあった。
とてもきれいな勝ち方とは言えなかった。弾幕勝負は、華麗さを競う遊びなのだから。
勝ったなら、傷一つなくすまし顔でいるのが一番いい。
(そうだな。そう思うよ、本当)
魔理沙は笑いたくなるのをこらえた。みっともない。
ふと前を見る。霊夢の周囲の空気が、ざわついているのが見えた。
来る。
カードは提示されていない。だが、来る。
最後の言葉が。
ラストワードが。
次の瞬間、圧倒的な弾幕の波が、魔理沙の視界一杯を埋め尽くした。








やがて、すべてが終わった。

ぼろぼろになった服をはたいて、魔理沙は霊夢を見た。
霊夢はそこにいた。漆黒の衣装の端は、魔理沙同様、少なからず、ぼろぼろになっている。
魔理沙は帽子をちょっと傾けて、つばを直した。びっしょりと汗じみた髪が、帽子の中で蒸れている。帽子をかぶりなおすと、少しは気持ちが落ち着いた。
いまだ鳴りっぱなしの鼓動を感じながら、息をつく。
すでに弾幕はなかった。消えていた。
今しがた、最後に残っていたものが、きらめいて、散っていったばかりだ。魔理沙がずたぼろになりつつも、突破した証拠だった。
霊夢には、もう何も残されていない。
こちらも強引に突破してやったせいで、何も残っていないが。度重なる被弾につぐ被弾で、残機もすべて落ちていた。
だが勝っていた。魔理沙の勝ちだ。
霊夢は、繰り出した全てのカードを破られて、負けていた。負けて、ただそこにたたずんでいた。
風が吹き、その身体から何かが吹き散らされていくのが見えた。それは、夕陽にきらきらと輝いて、鏡の砕片のようにして散っていった。
ぴし、と不意に、ひびのはいる音がした。
「――」
魔理沙は、霊夢を見た。
霊夢の顔面から、小さい屑が落ちていた。その顔に、何か不自然なものが生じて見えた。
(……?)
魔理沙は眉をひそめた。
霊夢の左目の下に、頬を縦にして、亀裂が走っていた。
霊夢の顔に、ふとまるで人形の顔のような、妙な亀裂が走っているのが見えた。
それを見たとたん、不意に思い浮かんだのはアリスの顔だった。死ぬ間際に見せていた、あの不自然なヒビの入った顔。ぐったりとした身体。妙に暖かくて、やわらかかった体。
霊夢が、目を瞬いたのが見えた。目を。
「……、……。あ……。?」
霊夢が言った。その目に、光が戻っているのが、ちらりと見えた。
(……?)
魔理沙は眉をひそめた。なんだ。
霊夢は、不思議そうに目をさまよわせると、ようやくこちらを見た。はっきりと。
不自然なヒビの浮いた、まるで古めかしい人形のような顔が、不可解そうな感情を浮かべている。まるで、たった今、夢から覚めて、現実を見たように。
どうして自分がここにいるのかを不思議がっているように、自分が置かれている状況が、まるでわかっていないかのように、霊夢はこちらを見ていた。
「……魔理沙……?」
こちらを向いた唇が呟く。
完全な無表情だった顔には、いつもの無愛想な感情と意思の光が灯っていた。いや。
「戻って」いた。
(……、戻っ、た?)
魔理沙は呆然としてそう思い、次の瞬間、霊夢の身体が平衡を失ったように、ぐらり、とのけぞるのを見た。
「え――」
霊夢の表情が、目を見開き、言う、それが驚愕のかたちに変わる。
「きゃ――!」
糸が切れたように宙を落ち始める瞬間、霊夢の表情が驚愕に見開かれ、歪むのが見えた。その顔が、まるで振り子のようにゆらいで落ちていくのが見えた。
「――!!」
魔理沙は飛び出していた。はじけるように。
何かを叫んだようにも思えたが、なにを叫んだのかはわからない。
ただ霊夢の体を追って、自分も落下した。少しタイミングが遅れているのがわかった。
何が起こったのか知れない。変化はなにもかも唐突で、急激だった。
(大丈夫だ)
とにかく魔理沙はそれだけを感じた。遅れているのは、半歩分だ。
自分の速度なら間に合う。霊夢の身体へと迫り、魔理沙は手を伸ばした。こぼれ落ちるものを、掬い上げるように。
「――」
霊夢が一瞬、魔理沙の目を見た。それはいつもの顔とはかけ離れていた。まるで、本当に落ちることを悟っているように、このまま飛べないことを悟っているように、恐怖でこわばっているようだった。
服のすそが、風を含んでたわんでいるのがわかった。間違いなく、落ちている。
霊夢がこちらを見、かすかに手を伸ばす仕草をしたのを見て、その手をとるべきなのか、一瞬、魔理沙はわけのわからない迷いを感じた。どうしてそう思ったのかは、わからない。
(――何を言っているんだ?)
魔理沙は無視して追いついて、霊夢の手をとった。指先が触れ、手のひらと手のひらが互いを捉える。寒気にも似たものが、背筋を走り抜けた。
握った。
やった。
やった、と思った。
その瞬間だった。
その瞬間だった。
「――」
握った、と思った霊夢の手が、突然くしゃりとつぶれた。
霊夢の手に、無数の細かいひびが走るのが見える。ひびは、そのまま全身に渡り、一瞬で体全体を埋めるようになった。
崩れた腕からひびが割れ落ちるのが見え、霊夢の身体は、そのままばきり、と音を立てて、全身が割れ、砕け散った。
破片が欠け落ちて、粉々になる。風が吹いて、鼻先をかすめた。
霊夢だった破片は、そのまま一瞬で風に巻かれて消えた。
「――、」
霊夢の身体は、細かい砂と小石とになって、そのまま空に舞い散っていった。夕陽の最後の輝きと、地上を背景に、星と煌めくような雲とが見える。
濃紺の空と。うすく染まった山際と。
魔理沙は、呆然として地上を見ていた。何も見えていなかった。何も、ない。
「……」
風が耳元を吹き抜けていた。耳をひっかいていくような、鈍く乾いた風だった。寂寞の色の深い、秋の風だった。
ふと、いつのまにか、意識が頭上にあった。
「……」
なにか、とてつもなく大きな、なにかが崩れ去るような崩壊の予兆をはらんで、天の雲が、不吉な静寂に不安げな呟きをもらしているのが感じられる。風は変わらずに、小さい嘆きをはらんでいた。
なにかがきしきしときしんでいる、と思われた。それはゆっくりとだが、はっきりと、徐々に大きくなっていくのが聞こえていた。
それは、耳には不快な音だった。とてつもなく大きな屋根の天井が、頭上で軋みをあげているような、そんな得体の知れない不安を感じさせる音だった。
「……」
魔理沙は顔をあげ、のろのろと視線をあげた。
やがて、それは始まったようだった。
微細な振動をともなって、はるか遠くで、また、すぐ近くの耳元で、空気がぎし、みしと不気味に鳴っていた。最初、それは微細なものだったが、やがて変わった。
それは、地鳴りにも似ていた。
ただ、それは地面よりも、もっとずっと薄っぺらいものが、揺らいで軋んでいるように思われるようだった。ぴし。みき、ぱき、というような、不快な、疲労した関節を、無理やりに動かすような音が、空のあちこちから響いている。
「……」
魔理沙は、空の間に目を凝らした。何かが降ってくるのが見える。
それは雪のように蒼い砕片だった。きらきらと、眩く輝いて、宙を舞うように降り注いでいる。
頭上のさらに別のところを扇ぐと、空の一角が、殻をぶったときのように割れていた。不自然な、なにかの亀裂のようなものが、空の中をくっきりと走り、濃紺の色の中にぽっかりと浮いている。
硝子のような砕片は、そこから降ってきていた。それは、見た目には、ふれれば切れそうな程に透明で、薄っぺらい硝子の欠片に見えた。
破片は、まるで幻の雪のように、地上に降りそそぐ前に、剥がれた端から、消えているようだった。崩壊は、徐々に、徐々に、と、少しづつその範囲を広げていった。
ゆっくりとだが急速に着実に、空が剥がれ落ちていく。
「……」
ふと、呆然としていると、視界の端で、空間が動く音がした。
見ると、赤いリボンのついたスキマが、そこに開いているところが見えた。すっと白い手袋の腕が開いた空間から伸び、金色の長い髪が伸び、紫色のつま先が伸びて、宙を滑っておりる。
肩の日傘がふわりと揺れて、背の高い、紫色の服をまとった少女が姿を現した。
紫。
完全にスキマから抜け出てくると、紫は、その開いたままのスキマに腰掛けて座った。いつものように、のんびりとした仕草で。
瀟洒な日傘の整ったへりが、夕暮れの光を受けて、きらめいている。紫はこちらを見て、淡く笑いかけてきた。
「ごきげんよう」
紫は、いつもとかわらない調子でそう言った。魔理沙は空を気にしながらも、その紫の顔を見た。
いつもとかわらない。本当に何も変わらない、胡散臭い姿だ。
(遅いよ)
魔理沙はぽつりと思った。だがそれも一瞬のことで、明確な感情にはならずに消えた。
「おや、ようやく役立たずがお出ましだぜ」
「役立たずは、あなたもでしょうに」
紫は言った。たしかにそうだな、と魔理沙は思い、とりあえずは怒鳴りつけたい衝動をこらえた。
「どこに行ってたんだ? まさか、いままでずっと寝てたのか?」
「いいえ? まさか。さすがにそこまで呑気ではないわよ。むしろ、今まで必死に息をひそめていたのですわ。静かに隠れていたのです」
「……隠れるって、お前がか? 霊夢から?」
「ええ、そうですよ? だって、霊夢がああしてああなった以上、私には彼女を止める術がなかったのだもの。目の前に出たら、一瞬で殺されてしまっていたでしょうからね。だから必死で隠れていたのよ。スキマを使って、この終わりのない夢の世界から、外の世界へとこっそり抜け出してね。彼女が決してここから出られないのはわかっていたから、それが一番安全だったのだけれど」
(……夢の世界?)
魔理沙はふと思ったが、尋ねるのはやめた。
「よくわからんが、とにかく逃げてたってことか。しかしお前がどうこうしないんなら、いったい誰があいつをどうこうできたって言うんだ? みんな死んじまったぞ。今のこの里の有様を見ろよ。お前以外妖怪なんか誰も残っていないぞ」
「それはあなたに言われるまでもないね。私はずっと見ていたんだからさ。もちろんそんなことは知っている」
「知っていて何もしなかったわけか。いっそ死ねばよかったんじゃないのか。なにもしないくらいならお前は、いっそそうしてくれるほうがましだったと思うが」
「あらあら、手厳しいわね」
紫は笑った。魔理沙は、その笑顔を無性に壊してやりたい気分になったが、やめた。
冷静なところでは、紫と自分の差くらい、魔理沙はわかっていた。紫の自分に対する態度には、あまり誠意というものがないのもわかっている。
このままでは何を言おうと、手のひらで転がされるだけだ。まずは質問するしかないのかな、と魔理沙は思った。
(それもこいつの思惑通りなのかは知らんがな)
「一体、なんなんだよ、これは」
「現実」
紫は言った。魔理沙は眉をひそめた。
紫はそれ以上の答えを返さない。魔理沙は、しかたなく聞いた。
「ふざけてるのか? そんな答えじゃなにもわからないぜ」
「それはあんたが未熟なだけさ。おふざけならどんなにか良かったでしょうにね。でも、現実。そう、これはただの現実。それ以上にふさわしい言葉が見つからないのでね」
紫は言った。
魔理沙はなにか言い返そうとした。
「博麗の巫女の役目ですよ」
「は?」
魔理沙は聞きかえした。紫は、続けて話す。
「だから、妖怪退治よ。博麗の巫女の役目は、人間に危害を加える妖怪を退治すること。それが霊夢の役目ですから。彼女は、それを忠実にこなしただけ。本当に忠実に、一片の情も挟まずに。ただ、いつもより少々、過剰にはなってしまったようだけどね。だけどやっぱりそれだけ。ええ。今回のことというのは、本当にただそれだけのことなんです。巫女のやる妖怪退治。人間に危害を加える存在を、人間の生活を脅かす、妖怪という存在を駆逐することね」
紫は言った。
「……」
魔理沙は黙りこんだ。しばし黙考する。
何か別のことを言いかけたはずだった。が、いざ口から出たのは違う言葉だった。
「……それだけか」
「ええ。それだけです。本当に。本当に、誰の思惑もない、単なる不幸な事故よ、いわば。まったく、偶然の産物のね。――まあ、ことの原因として挙げられるのは、突発的に誤作動を起こした結界が、まったく想定にない作用の仕方をしたというところかな。対策は、ちゃんと立てていたのだけれど、それもたまたま通じなかった。保険代わりに社の神に立てておいた悪霊なんかは、ひとたまりもなく消し飛んでしまったし、うちの式も、霊夢がああなってすぐに、あっけなく殺されてしまった。私はといえば事態を察知して、あわてて逃げ出すのが精一杯。今回の一件は、たまたま完全に私の予想をうわまわる物だったし、万に一つの起こるはずのない可能性が起こってしまった。……いえ、予想はされていたのだけれど、予想されていなかったようなもの、というほうが正しいかしらね。それが、たまたま突きあたってしまった。だから、本当にたまたま。だからそれだけ」
紫は言いつつ、扇子で口元を隠した。続けて言う。
「そして、それだけでみんな死んだ。十六夜咲夜という人間も。レミリア・スカーレットという吸血鬼も。パチュリー・ノーレッジという魔法使いも。上白沢慧音という半妖も。射命丸文という天狗も、アリス・マーガトロイドという魔法使いも、風見幽香という妖怪も。八雲藍という妖狐も、森近霖之助という半妖も殺された。伊吹萃香という鬼も、洩矢諏訪子という神も、因幡てゐという妖獣も。西行寺幽々子という亡霊さえも、成仏して消えた。みんな。全て消えてしまったわ。なんとも悲劇ね」
紫は言う。魔理沙は言った。
「そうかい。それで、お前はどうして生きているんだ、みんな死んだのに」
言う。思ったよりも、言葉はすんなり出せた。
「悪いけど、お前も香霖の奴も同じで、何を言っているのか、私にはよく分からないんだよ。私に説明するつもりがあるんなら、もう少しわかりやすく喋ってくれないか。いらいらしてくるんだが」
「残念だけどあんたに説明して理解できることだとは思えない。しいて言うなら、この里に、いえこの結界のうちにいた者たちは、この数日の間、ずっと、ある一人の少女の夢の中にいたということかしらね。この少女とは、もちろん博麗霊夢という巫女のこと。その役目として、多少なりと結界とのつなぎめをもっていた彼女には、結界に今回のありえない異常が起きた際、なんらかの作用で、その膨大な力が一気に堰を切り、流れ込んだ。このときに彼女は、一時的にとはいえ、この世の誰にもありえない、凄まじいまでの力を得ることになったのよ。ただしそれは、人の身体に納まるには、あまりに密度も体積も度を越したもの。これで出力するものがないのだったら、そのまま風船が破裂するように、壊れて終わりだったでしょう。でも皮肉にも彼女にはそれを出力するだけの器と力があった。稀代の巫女としての器が。私が彼女の力を読み損なっていたことも有るけれど、それは、凄まじい力を得たことで、一気に発現した。いえ、してしまった。制御すらできない彼女の力は、この里を、丸々、彼女の見る夢の中に落とし込んだ。そう、彼女は、そのときから、いままでずっと、夢を見ていたのです。彼女はその夢の中で、この里の妖怪や鬼や天狗たちを、ありえないほどの速度で皆殺しにしてしまったのかもしれないし、邪魔するものも、自律的な反応として殺めてしまったのかもしれない。どうしてそんなことをしたのかは、まあ人が悪夢を見るのはなぜか? ということででも考えてちょうだいな。どっちみち、きっと彼女にしかわからないことだわ。彼女の夢の中だから、なにをするかは彼女の思いのままだった。彼女の夢の中だから、彼女にできないことはなかった。だから、みんな死んだ。そして、なにより悲劇といえるのはもちろん、これは彼女にとっての夢であって、死んだ者たちにとっての夢ではなかったということ。死んだ者たちにとっては、これはただの現実だったのよ。最後の最後に、彼女は夢から覚めた。それは救いであり、可能性です。可能性はそこにある限り、不確実な未来への保証をたてることができるもの」
紫は言うと、腕を上げた。無造作な仕草だった。
そのまま、話を続ける。
「私は、これから忙しいので、もう何もできないわ。また結界を張りなおし、一からはじめなければならないのでね。もう崩壊は始まってしまっている。時間も余り無いから、あなたと話していられるのも、後数分程度のことかしら」
「またやるつもりなのか」
「ええ。あきらめはしませんわ。だって私は、誰よりこの郷を愛しているのですから。ちょっとでも可能性があるのならば、何度でも、何度でも、再生してやりなおすでしょう」
紫は笑顔で言った。魔理沙は吐き気がした。
「そうかい。お前の愛ってすごいんだな。私には、とても真似できやしないぜ」
「しなくていいのよ。あなたは人間なんだから。あなたには、ほかにやってもらうこともあるのだし」
紫は笑顔で言った。
魔理沙は、箒の柄を握り締めた。不機嫌な顔で、紫を見る。
「へえ、そうか。じゃあ、今ここでお前を殺してもいいのか? それくらいならなんとかできそうなんだが」
「それはちょっと困りますね。私としても手加減するのは苦手だし。だいたい、さっき十分暴れたのだから、満足しているのではないの?」
「それでなにもかも戻ってくるなら、満足していたかもしれないな。でも、なにも戻ってこないだろ。死んだ連中どころか、霊夢までもな。お前さ、その便利なスキマであいつらのこと引っ張り上げてくることはできないのか? そうして生き返らせるとかさ。何もしなかったんだから、それくらいやってくれてもいいだろ?」
「残念ながらできません。まったくあんたは贅沢ね。結局、今回成したいことを成したのは、あなた一人だけだったって言うのに」
紫が言った。魔理沙は口を尖らせて、にらんだ。
「私のやりたいことなんてのが、お前にわかるのか?」
魔理沙が言うと、紫は笑って答えた。
「自分でやりたいことがわからないような未熟者よりは、はるかにね。そう、おそらくあなたは、今回の騒ぎの中でこの郷の誰よりも、自分のやりたいことがわかっていた一人だと思う。そして、そのために確実に行動し、最後は目的を達成した」
「いったい、なんのことを言われているのかさっぱりだぜ。私にはなにもできなかったよ。なにかしようともしなかったしな。そして最後にもやっぱりなにもできていない」
「嘘つき」
紫は言った。魔理沙は首を振った。
「ああそうだな。私は嘘つきだが、それがどうかしたか?」
「まあ、いいでしょう。でも、なにかを為し得たとしたら、それはあなたなのよ。最後に霊夢をこちらに引き戻したのは、結局、あなただったのだし、それはあなたの望みでもあった」
「わけのわからないことを言うな。だからどうしたんだよ。それが何になるって言うんだ? 結局、あいつは死んだんだぜ? 見てのとおり、なんだか粉々になって、消えちまった。もう戻ってこないんだ。お前、それを分かってて言ってるのか?」
「ええ、もちろん。でもそれはそうなるのかもしれないし、そうならないのかもしれないこと。今となっては、もうね」
紫は言った。上げた腕がふっと振るわれる。
続いて紫は、何かを握っているような手の握りをした。それは、まるで手品かなにかのような胡散臭い仕草だった。そのまま紫は、腕を下げて続けた。
「私の言っているのは、予言なんかではないわ。ただ、私がそう思ったというだけであって。ただ、あなたならそうできるかもしれないと思っただけ。だから、こうしてあなたを選んだというだけ。そして今それはなんとか確信に近いほどまでは、確信できている。あなたは未来の流れを変える鍵になりうる、ほんの小さな米粒みたいなものだと」
「何を言っているのかさっぱりだぜ。わかりやすく喋れよ」
「実を言えば、私はあなたにたいしてなにかだいそれた期待をしているわけでもないの。いくらそうして虚勢を張ったって、あなたはしょせん、普通の魔法使いだもの。凡人には何も出来ない。でも、凡人にできることが全て、なみはずれた超人にできるかといえば、そうでもない。それはなぜなのか? それは、あまりに秀ですぎた者や、秀でた者には、凡人の通る道筋が見えないから。飛躍して考えるものには、一つ一つ、遅々として考えなければならない凡人の思考はわからない。嫌味でもなんでもなくね」
紫は言うと、滑らかな動作で、手をかざした。
それを軽くにぎるようにしてから、指を押しあげる。すると、指の間に一枚のコインが現れた。コインだ。何の変哲もない、ただのコイン。
(?)
魔理沙が怪訝な目で見ていると、紫は、コインを指でつまみ、掌に乗せて、よく見えるようにした。手品師のような胡散臭い顔が、なにかをからかうように笑っている。
「そうね。正直に言うとね、私は貴方に行ってきて、そこで見届けて欲しいと言うだけなのかもね。私は、どっちみちもうここから動けないのだし、ただ、そういう可能性があってもいいと思うだけ。この可能性はもう済んでしまった。もう終わってしまった。だから変えられない。変えられないものは否定できない。それを否定するのには、それはそれは酷いインチキが必要になる。あからさまで、ひどく小狡い如何様がね」
紫は魔理沙を無視して言いながら、ぴっとコインを弾いた。コインは宙に舞いあがって、一瞬光り、そのまま不意に消え去った。
あとかたもなく、すべるように。紫は、何事も無かったように、指を下ろした。
何をしたのか分からない。何をしたかったのかも。
「そのインチキができるのは、もう、ここにはただ一人だけ。それ以上は難しい。いくら私の力をもってしたって、確定した過去を変えることだけは容易でない。変化するもの。その名が未来。未来は空白。それは過去によって規定される。変化するもの。その名は過去。過去も空白。それらは未来によって規定される。どちらも空白。いくらでも無限に道が在るからこその空白。もしその境界をあいまいにできたなら、空白と空白をつないだまったいらな白紙の地平を現すことができたなら、そこにはまったく別の道ができるかもしれない。一瞬とはいえ、ひとつふたつの書き込みをちょこちょこと加えてやることができるかもしれない。ばれないように、そっとね。たとえ、二度とは許されないとしても。いえ、きっと許されないでしょうね。そう、二度目はない。一度やれば、きっと私でさえも目をつけられてしまうことでしょう。そう、二度はできない。そもそも、機会は二度もない。今を置いて他にはない」
紫が言うのを聞いて、魔理沙は眉をひそめた。
「お前が何を言ってるのか、さっぱりだぜ。ようは、私にどうしてほしいんだ?」
魔理沙が言うと、紫は微笑んだ。少女のような笑みで。
「そうね。じゃあ、わかりやすく言いましょうか。悪いけれど、あなたちょっとコンティニューしてきて頂戴」
言う。その直後に、紫の顔が隠れて見えなくなった。
なんだろう、と魔理沙は思ったが、それが、すぐ目の前の紫色のスキマが広がり、視界を覆いかくしたのだと気づいたのは、ほんのすぐだった。
魔理沙の身体は、一瞬でスキマに飲まれていた。同時に、意識も飛んでいた。
身体が、なにか紐のように細くなる感覚がした。




半瞬。

「――、」
意識は、一瞬で回復した。
魔理沙は目を瞬いた。周りを見る。
「……」
魔理沙は怪訝そうに沈黙した。森だった。
見慣れた魔法の森の風景。自分は、森の小道に立っていた。
見覚えのある景色。見慣れた森の木々。
「……」
生臭く香ってくる森の瘴気が、秋晴れの晴天の下でも少々うす寒い。
魔理沙は、しばし沈黙した。記憶の糸を探るような目で、その見慣れたはずの景色を見回す。
(……。ここは)
どこだ? 思わず聞き返す。
聞き返してから、それがわかっていることにも気づいていた。そう、ここはどこだ。
「……」
そんなことはわかっている。魔理沙は思った。
そうそんなことはわかっている。ここは、魔法の森の中の小道だ。なんの変哲もない小道。
自分がよく知っている道だ。魔理沙がいつも香霖堂へと向かうのに通る、その道の途中だ。
涼しげなほどよく乾いた空気が、秋晴れを告げていた。ほんの今すこし前まで、家に閉じこもりきりだった体には、透き通るような空気が清清しく感じられた。
自分はこれからまた、霖之助のところへ行って、あの偏屈をからかってでもやるつもりだった。久しぶりに外へ出たリハビリがてらには、ちょうどいい相手だ。
そう、そのつもりだった。自分は。
「――! っ」
魔理沙は、ふとはじかれるように道を駆け出していた。馴染みの道具屋のところまでは、さほどの距離は無かった。
たちまち、あの陰気で地味めの、まだ結構新しいはずなのに、どこか古めかしく見えるたたずまいが見えてくる。
魔理沙は、扉にとりつくようにして、少し乱暴に開いた。勢いよく鈴が鳴って、店内の様子が開ける。
いつもの店内だった。カウンターには、霖之助がいる。
その横には閉じた日傘を地面に着いた、金色の髪の妖怪がいた。こちらは棚の前で、なにかの商品を手にとっているところだ。
どちらも、音を聞いて扉のほうに目を向けてきた。やや怪訝そうな目と、どこかふわふわした、曖昧な関心の浮いた目が、自分を見つめているのを感じる。
「……」
魔理沙は、少し呆然とした。
思わず、目がさまよい、一瞬、どこともしれない宙を見る。
(……なんだ? これは?)
なんだこれは? 聞いておきながら、しかし、聞くまでもないことはわかっていた。
そう、自分にはわかっているのだ。これはなんだ?
そう。現実。
「……なんだ。魔理沙か。いらっしゃい。どうかしたのか? そんなに慌ててさ。」
霖之助が、暗い日陰の中から言う。魔理沙の様子を見て、少しは怪訝に思ったのだろう。横の妖怪は、もう興味を失ったか、また元のように、商品棚を眺めているようだったが。
「……」
魔理沙は沈黙した。何か言うべきだったのだろうが、言葉が出てこなかった。
なにか気の抜けたような心地だった。これが狐につままれた、とでもいうのか。
そのまま黙りこくっていると、後ろで足音がした。開きっぱなしにしていた扉に、軽く手が添えられる感触がした。
「魔理沙? ……なにしてるのよ? そんなところで」
魔理沙は振り向いた。
いや、振り向くまでもなく誰がいるかはわかっていたが。怪訝な顔の霊夢が立っている。
霊夢は、魔理沙の身体を押しやるように、店内を覗き込んだ。ちょっともみあった拍子に身体が触れて、思わず、魔理沙はびくりとした。
体温がある。作り物ではない。
たしかに霊夢だ。
(いや、霊夢じゃなけりゃ、なんだよ、見ればわかるだろ……)
魔理沙は内心で言いながら、少し霊夢から距離をおくように、身体を離した。ほんのわずか、心持ちだったし、霊夢は気にしてもいないようだが。
「こんにちは。霖之助さん? いる?」
「ああ、いるよ。いや、見ての通りだけど。いらっしゃい。どうぞゆっくりしていってくれよ。できれば買い物もしていってくれると嬉しいな」
「それはちょっと無理かな。……あれ、紫? なによ、あんた、まだ起きていたの?」
「まだ秋じゃないの。私は冬しか寝ませんよ。これだから頭のボケた巫女は困るわね。寝ているのはあんたの頭じゃないの?」
紫の毒舌が返ってくる。霊夢はちょっとむ、としたが、これもたいして気にはせず、店内を見回した。気のない足取りで、そのまま店内に入っていく。
魔理沙はその細い背中を見つつ、ぼんやりと目で追った。普段思われるよりは、背が高くなく、見た目にはちょっと貧相な巫女が、こっちの視線など介せずに歩いていく。
いつもの霊夢だ。何の変わり映えもない、しかし見ていて飽きない背中。
「……ふうーん今日はなんだか千客万来なのねえ。三人なんてめったに無いわよ。よかったじゃない、霖之助さん」
「別に客はいないようだから、嬉しくはないけど。それとも、やっぱり君がお客なのか?」
「商売してくれるんならいつでもお客になっていいわよ。霖之助さん、顔はいいし。ちょっと愛想つかってくれれば、私だってへんなもののひとつくらい買ってあげるわよ。でも道楽の相手なら、茶飲みの相手でも、十分じゃない?」
霊夢は言ってから、ふと気づいたように魔理沙を見た。怪訝そうに眉をひそめる。
「……なにつったってるのよ?」
「……ああ。うん」
魔理沙は言って、うなずいた。促されたままに、動き出す。
たしかに、ぼうっとして入り口で立ち止まっていたのだから、言われても仕方ない。魔理沙は、ややぎこちない様子で扉を閉め、店内に入った。
「……」
どこかぼんやりした足取りで、魔理沙は店の中を歩いた。
独特の、古い香のような、いつもの匂いが鼻にしみこんでくる。どこかぼけた脳に染みいるような匂いだ。
いつも勝手に腰掛けている椅子に近寄り、いつもどおり、勝手に座る。
「……」
店内を見回す。霊夢が、すぐそばを歩くのが見える。
その姿をちらりと目で追いながら、魔理沙はその服を見た。もっとも、見るまでもないようではあったが。
そう、見るまでもない。いつものあの巫女服だ。
頭の中では、あの霊夢の姿はもう薄れかかっているようだった。思い出そうとしても、ぼんやりとしか思い出せない。
「……」
魔理沙は、かるく頭を抑えた。ちょっと眉をひそめて考える。
脳の奥にかすみがかった記憶を、掘り起こすようにする。だが、さっきまでのあの世界の記憶は、霞みがかったように遠いものになっていた。
まるで夢でも見ていたように。
だが、夢ではない。それは、漠然とだが察せられた。
誰かが自分の頭の中を押し包んだような感覚がある。あら、だめよ、と胡散臭く笑って、本当はあるはずの記憶を、うっすらとした薄い布をかぶせて押し隠してしまったような感覚がある。
それはたしかに隠してはいたが、また同時に、隠しているという事実を伝えてきていた。まるで、忘れるなと警告でもするように、あるいはからかうように。
(隠す? 誰が? 誰に? なにを?)
「……だよ。なにが――」
「……じゃない? ――わよ――」
紅白の衣装を着た巫女は、いつものごとく霖之助に近づいていって、構えのない動作で話しかけている。目の前にあるのは、見慣れたいつもの風景だった。
そう、いつもの。
(……いつものね)
魔理沙は呟いた。ふと、紫のほうを見る。
背の高い金髪妖怪は、商品棚の適当なものを手にとっている。あいかわらず何を考えているのかわからない目をして、まるで少女のような表情で、へんな品物を眺めていた。
「……」
魔理沙はふと、なんとなく思いついて、スカートのポケットに手を入れた。探ると、すぐに指先に突き当たる感触があった。
取りだして、掲げてみる。
「……」
一枚のコインだ。さして値打ちがあるとも思えない。
見た覚えのない、だが、よく見覚えのあるコイン。
「……」
魔理沙は、手を下ろすと、しばし、天井をあおいで考えこんだ。
ため気をつく。考えていたのはそう長い時間ではなかった。
「……なあ」
「なに?」
横にいた紫に言うと、すぐに答えが返ってきた。
どうして、自分が呼びかけられているとわかったのだか。そんなことも思う。
まあ、この妖怪だからそんなことは不思議に思わなくていいのかもしれない。
魔理沙は紫を見ないまま、口を開いた。
「お前ってさ。本当はすごい妖怪なんだよな。力も強いし、頭もすごくいいし、すごい長いこと生きてる」
「ええ。そうね?」
あっさり言ってくる。魔理沙はちょっと眉がひそまるのを感じた。
なにか、脳に引っかかるものがある。紫の言葉。
『いくら私の力を持ってしたって、確定した過去だけは変えることが出来ない』
魔理沙はちょっと笑った。続きを口にする。
「でも、だからって、なんでもいつでもできるんだって思ってないか? そして、そういうことを、自分が錯覚してるんじゃないかって思ったことはないか? 自分が失敗したときのことなんか、ひょっとして、考えようとしても考えつかないことってないか? それともちゃんと考えてるのか? まあ、どっちみちわかんないよな、お前の考えなんて、きっと私なんかには、とうてい及びもつかないことだろうしな。うん。それだけは認めるよ。お前はやっぱりすごいやつなんだろうな」
「……なんのことよ?」
紫は目を瞬いてくる。魔理沙は笑わずに、それに応じた。
「なあ、紫。お前さ、蝶の羽ばたきって話を知ってるか? この世界ってのはな、なんでも、目には見えないけどすごく微妙なバランスで成り立っててさ。たとえば、ちょっと蝶が羽ばたいたくらいの、ほんのささいなことでも、全部に影響しちまうんだそうだぜ。まあ、たとえばの話だけど、ちょっと私には、想像も出来ないんだが、たとえば、どんなに小さな物でも、たとえば、小さなコインやなんかでも、もしもいままでなかったものが、そこにあるってことがあったなら、それだけで、未来はきっと違う方向にむかっちまうってことがあるんじゃないのかな? 現に、私は向こうの世界から、この世界へと、向こうの記憶とお前に渡されたコインを持ってやってきたわけだが、それはきっと、私やコインには意味があるわけじゃない。ただ、それがそこにあるってことだけで、意味があるってことなんじゃないかな。本当ありえないはずの話だけど、もし、そうやっていままでありえなかったはずのものが、違う要素としてそこに混入するって言うことは、きっと、それだけで未来を変える鍵になるんじゃないかな。いや、そりゃよくわからんから、ただの推論だけどな。ただ、私が送りこまれて起きた波紋によって、この世界の行き先は知らないうちに変わったんじゃないかってことだな。ほんのちいさな蝶のはばたきにだって、世界を変容させちまうくらいの力があるんだからな。私みたいなちっぽけなのでも、それが違う要素なら。起こったって不思議なことじゃない」
魔理沙は、ほとんど独り言のようにして語った。紫が変なものを見る目でこちらを見ているのはわかっていた。
多分、この紫は何もわかっていない。
魔理沙は思った。おそらく、彼女は紫だが、いままで魔理沙が一度も会ったことのない紫のはずだ。
だから、あの世界で起きた出来事なんて、知っているはずも無い。魔理沙は少し笑い出したい心地に駆られた。
この妖怪が知らないことを知っている、という、そんな優越感がある。魔理沙は首を振った。
「お前がやりたかったのは、そういうことじゃないのか? いや、推測だけどたぶんな。天下の大妖怪様が、私になにか大それた事なんか期待するはずがないからな。お前は、私を今までに存在しなかった、違う要素として、ここに送り込んだだけなんだ。誰でもよかった。きっと、私はほとんど何もしなくたっていいし、私が何もしなくたって、きっとこの未来は変わるんだろう。お前の思惑通り、見事に破滅を逃れるんだろうな。それとも、お前は本当は何も考えてないのかな? 言葉どおり、私が霊夢のやつを止められたように見えたから、またそれを期待しているのか? わからないよな。お前の考えなんて。まったく、どこまでも人を馬鹿にしてくれるよな。私はモンシロチョウかなにかかよ。たしかになにもできなかったのはたしかだが、お前にそこまで馬鹿にされる筋合いも無いぜ」
「……なによ。ぜんぜん訳が分からないわね。どこかの道具屋さんがうつったの?」
紫はいぶかしげに言ってくる。珍しく、不機嫌そうな顔をしている。
魔理沙は、そのときに、内心でひどい皮肉を感じた。今の少しはものを感じたような紫の顔に、自分はまるでそこに自分の価値があるかのように錯覚するのを感じた。
もっと悪いのはそれに少なからず、愉悦を感じていることだったと思う。なるほど、自分は、確かに卑小で小物だ。
あの妖怪に馬鹿にされるのも仕方が無いことだろう。そんなことが、なぜかあらためて思い浮かんだ。
(そうだよな。私なんてお前にとってはただの虫ころか。まったくだから妖怪は嫌いなんだ。いや、だから、じゃないか。「だから」嫌いなんじゃないな)
魔理沙は思った。正直を言えば、ひどく気分は悪かった。
正直を言えば、あの妖怪のすました顔を一度張り倒してやりたかった。
魔理沙は、そこで考えるのをやめた。むすっとした顔をちょっとほどき、わざとすがすがしい顔を紫に向ける。
軽い冗談を打ち明けるように、あどけない仕草で。
「……なあ。それはさておきさ。わたしが世界を救うためにひそかにやってきたヒーローだっていうのは、けっこう恰好いい話だと思わないか?」



そのとき、魔理沙を含めた誰も知るよしもなかったが、香霖堂の奥に置いてある、あの誰も目をむけない無機質な箱の表面に、ふと白っぽい文字が映し出されていた。それは、こう読めた。
『CONTINUE?』
音のない気配がして、それに続く文字が入力される。短く。
『>YES!』
文字はしばらく残っていた。画面の白い印が、何度か点滅を繰り返した。
やがて、画面が途切れて、文字も消えた。
箱の端に止まっていた一匹の黒い蝶が、ふと、前触れもなく、羽根を動かした。そのまま蝶は小さな羽ばたきを残して、飛び立った。
そのままどこかへと飛び去って、どこかへと消えた。
あとには店の中から響く話し声だけが残った。
コンティニューしますか?(ニヤリ


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
無言坂
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1360簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
完結お疲れ様でした。
しかしこれは…無限ループ…?
今回過去に戻ってきた魔理沙はそれ以前にも戻ってきていた…?
と、するなら結局破滅は回避出来ていないということに…。
この連鎖の果てに破滅を回避できる展開は訪れるのだろうか。
12.80名前が無い程度の能力削除
今の世界が過去なのか、もう一つなのかがあまり解らなかった。まぁ、俺の理解力不足ってことさね。
お疲れ様でした。
14.70名前が無い程度の能力削除
話が始まったころの期待感(私の勝手なものですが)から考えると、満足とは言えないのが正直な気持ちです。
台詞回しは上手いと思うし好きなんですが、ストーリーが大して無いというか、進展が無いというか。儚月抄を思い出しました。
こんなものは余計なお世話どころかそれ以下に違いありませんが、雰囲気のいい短編のほうが合っているのではないでしょうか、少なくとも今は。
16.70名前が無い程度の能力削除
まずはお疲れ様です。
起承転結の起承は抜群に面白かったです。
転結は若干の物足りなさを感じましたが、作中は続きはまだかな~
なんてもどかしさを感じながら楽しみにしている自分がいました。
これからもいろんなお話を期待しています。
19.100名前が無い程度の能力削除
山田正紀の初期SF作品っぽさを感じた。
「最後の敵」とか「チョウたちの時間」とか。
20.100v削除
満足感だけがある……。長い長い、あとから見ると短かったアトラクションの後のような。
揺さぶられ続けて、その衝撃だけで満足していた身にゃ、この了の満足感は無い。
何てこった……なんか幸せですちくしょう。
21.100名前が無い程度の能力削除
これは良い。
24.60名前が無い程度の能力削除
始めの頃の面白さ・期待からすると残念な終わりでした。
作者氏はこの終結を決めて書き始めていたのでしょうか。
長編お疲れ様でした。
28.80名前が無い程度の能力削除
CONTINUEというよりLOADかな?って感じました。
BADENDを体験した魔理沙は果たしてHAPPYENDを迎えることができるのでしょうか。
魔理沙の口上でちょっと理解しきれていない自分がちょっと残念ですが、
とにかく非常に読み応えがありました。
32.90名前が無い程度の能力削除
レイマリと読み取った。
会話、独白上等。
毎作品好きなように楽しませていただいてます。
34.80名前が無い程度の能力削除
おー タイトルが始まって終わってるw
ワクワクしながら読んでました。前回で終わらなくて良かったです。蝶の話が霊夢暴走にもっと絡んでたら良かったかなとか思いました。
35.100名前が無い程度の能力削除
完結お疲れ様でした!
もはや言葉もないので、点数のみを感想とさせて頂きまする。
37.90名前が無い程度の能力削除
自分はよくわかってないのですが締めにとても納得した気がします。
38.80名前が無い程度の能力削除
お疲れさまでした。
好みの題材でしたので、毎回楽しみに読んでおりました。
ただ、途中、冗長と感じたパートが続いたので、
そこが残念でした。
でも、紛れも無い力作だと思います。
また是非作者様が書いた長編が読みたいです。
39.100名前が無い程度の能力削除
基本的にはさらさらと東方が崩壊しながら
ゆかりんと魔理沙は異なる永劫回帰を選んだのか
40.100名前が無い程度の能力削除
負けた。なんか、もう、あなたにコテンパンにやられた気分だ。
自分にはどうしてもこのラストを想像することはできなかった。
血なまぐさいエンディングでしか終わらないはずのバトルを、一つにきっちりまとまった
作品に仕上げた手腕に感嘆した。

とにかく、戦闘物好きの自分には最高の作品でした。
42.100名前が無い程度の能力削除
完結お疲れ様でした。
なんか色々書こうと完結まで温存してきたはずなんですが、
読み終えた今ではそれもどうしようもなく陳腐に思えるので一言で済ませたいと思います。

面白かったです!楽しい時間を有難うございました!
46.70名前が無い程度の能力削除
…う~ん、まぁ、やはり、そこに無難に着陸するしかないんだろうなぁ…
こういう展開になるだろうという予想そのまま結果になった感じです
『無言坂さんなら、もっと私が腰抜かすような展開を持ってくる!』と、身勝手な期待していたのですが…
ターミネーター博麗の虐殺パートが若干長いようにも感じましたが
この場合、それでもこの子達の結末を明確にせねばならなかったのかもなぁ…。とも思います。

なんだか若干手厳しいというか偉そうな書き方をしてしまいましたが
先が読めたにも関わらず、話にはサクサク引き込まれてしまいました。お見事です。長編お疲れ様でした。
48.10名前が無い程度の能力削除
竜頭蛇尾
50.90名前が無い程度の能力削除
ネタ自体はよくあるものですが、台詞回しなどが上手く読んでて飽きませんでした。
引用によく使われているから分かりましたがオーフェン好きですね~
魔理沙の独白とかまさにそれでしたw
それにしても、原発問題の渦中にある現在 読んでて未来ゆかりんの言葉が痛い事痛い事…
52.無評価名前が無い程度の能力削除
壮絶に長くてナンセンスな駄作

つか書き捨てか
これを最後にドロンとは良い根性をしている