Coolier - 新生・東方創想話

幻想ノ風・暴風編 二風~月と獣と人形と・前編~

2009/04/01 22:40:32
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 竹林に、風が吹いていた。
 まだ結界は開いていない。だが、いつ開くのか判らない以上、常に全員が警戒態勢を維持していなければならない。霊夢が時間通りに開ける保証さえないのだから、予定はそれほど当てに出来なかった。
 守らなければならない結界、永琳と慧音。その二人は、内側から強い結界を張った永遠亭内に待機することになっている。屋敷の中にいれば、例え敵が永琳たちの気配を屋敷内部に察したとしても、その具体的な場所を把握することができないというものになっている。そして輝夜やてゐたちは、二人が待機する部屋の眼前で敵を排除する。防衛対象を深く隠してしまって、いざという時に駆け付けられないと困るというのが、戦場を結界二人のすぐ近くに置いた理由である。
 まだ、結界の破れる予兆はない。

「もうそろそろなのかしらねぇ」

 縁側には三人。輝夜と永琳、そして慧音の三人が腰を下ろしていた。
 永琳と慧音に挟まれる位置にいる輝夜が、足をばたばたとして暇そうに揺らしながら呟いた。すると永琳は、もうそろそろでしょうねと、優しげに微笑んでいた。
 その穏やかに二人と並び座っている慧音は、申し訳なさそうに頭を垂らしている。
 待機場所が戦場から目と鼻の先なので、結界の崩壊する寸前までは、永琳も慧音も外に出ていることにしていた。そして今は縁側で茶を啜っている。
 慧音の胸の前で、小さなお守りの首飾りが小さく揺れた。これは永琳の作った、慧音が満月の夜に変身しない為のものである。結界の崩壊した状態でハクタク化するのは、体力の消費が激しすぎるという予想からだ。しかしその考えが正しければ、それは逆にハクタク化していない状態である場合、他の結界のように力が抜けて動けなくなることはないということになる。
 他の結界よりも影響を受けない結界。それが半結界というものなのだと、永琳は確信していた。それはもちろん永琳にも言えることであり、ほとんど結界としての力を持っていない永琳は、人間状態の慧音と同様に疲労がほとんどないものと推測されていた。
 万全に近い形で、永琳は備えを整えた。今日に全てを託した紫には及ばぬと思いながら、結界修復までの大まかな流れも予測はした。どうにかできる。そんな自信を永琳は抱いている。そしてそれが伝播したように、輝夜もまた、自信に溢れた顔を見せていた。
 今はまだ見えないが、もうじきに満月が昇る。こんな危機的な状況だというのに、輝夜は夕闇を見詰め、昇る月に胸を躍らせていた。永琳と揃って、負けることなどは微塵も考えてはいない。
 永琳を守る。輝夜を守る。永琳がどうにかしてくれる。輝夜が守ってくれる。そうした思いは、決してどちらかに偏らない。自分が相手に出来ること、相手が自分に出来ること。それを知っている。そして期待も信頼も、互いに裏切らないことを知っている。それの大本となるものは互いへの依存と贖罪だが、それを二人は理解した上で受け止めた。だから、疑いなどはなかった。
 自信に溢れる二人の傍に腰を下ろしている慧音は、二人があまりに落ち着いているものだから、段々と落ち着かない気持ちを積もらせていた。

「すまない、二人とも。私も戦えたなら良かったのだが」

 思い詰めたような声。戦えぬと判っていたし、覚悟もしていた。けれど、いざ今日になってみれば、そんな覚悟など意味はないのだと知る。
 申し訳ない気持ちが止まない。こんこんと湧き続け、頭の中を埋めていく。大事を目の前にしながら、それをただ見ていることしかできない自分の不甲斐なさに胸が痛んだ。それを悔やむべきではないと思いながらも、やはりどうしても悔やんでしまう。同時に守られることを悪いと思ってしまい、他の誰かに心を預けきれないでいた。
 そんな慧音に、輝夜は気楽そうに言葉を掛ける。

「気にしないで、慧音」

 気ままに歌うような穏やかな声。相手の為など考えず、自分の思うままに口から吐きだしているような、そんなわがままな音。
 輝夜は、慧音を見ずに言葉を続けた。

「私は、別にあなたを守る為に戦うわけじゃない。永琳と、そしてこの居場所を守る為に戦うの。その結果あなたが守られたところで、別にどうってことはないでしょ」

 楽しげに笑う。そして、話を聞いていた慧音の方に向くと、その瞳をジッと見つめた。

「だからね、ついでに保護されただけのあなたが、わざわざ私たちに遠慮をしなくてもいいのよ。それは、雨宿りに木の下に入ることを躊躇うようなものでしょ。判らないかしら?」
 何度も同じことを言ったかの様に、まだ理解できないのかと意地悪な表情で口にする。
 思わず「しかし」と言いたくなる。だが、それを呑み込むと、慧音は肩の力を抜き、大きな溜め息を吐いてから微笑んだ。

「なるほど。判った。ただし、偶然とはいえ、命を助けられた場合は感謝をするものではないだろうか?」

 輝夜の言葉に被せるように、慧音も反語で返す。
 その返しが気に入ったのか、輝夜は少し声を出して笑った。

「あはは、面白いわね。いいわよハクタク。ことが全て片づいたら、したいよう感謝なさい。お礼なら、そうね、美味しい洋酒が良いわ。あなたの力で、充分に寝かせてもらえるかしら」
「洋酒を手に入れられるかは判らないが、満月の晩に、お好きなだけ寝かせて差し上げましょう」
「あら、それなら私は薬品を寝かせてもらおうかしら。時間が掛かるものがいくつかあるのよね」

 三人は笑い合った。心底楽しく、和やかに。
 慧音の心の重りが、少しだけ外れた。




 それとは少し離れた位置で、今は見張り役をしている鈴仙が、武器である二挺の銃を手に持ち、それぞれを落ち着きなく眺めていた。ことが起これば敵を撃つ為に駆け出して、敵と遭遇したらそれを撃退しつつ、援護が来たら徐々に後退して永遠亭へと戻らなければならない。手に持つ銃の威力は未知だが、それでもその威力故に、輝夜に次いで重要な役割を担っていている。
 持つ手が、少し震える。撃つ練習も振り回す練習も続けてきた。だが、この銃では初の戦いであり、その上負けることの許されない戦い。刻一刻と、胸の鼓動が強くなってきていた。

「戦わないといけない……でも、私……」

 かつて、自分は逃げた。その過去を思えば、心が揺れる。自分自身を信用することが出来ない。また逃げ出してしまうのではないかと、鈴仙は自分の弱さに怯えていた。
 怖かった。大事な仲間を、安息の地を、自ら捨ててしまうのではないかということが。そしてその時に、大事な人たちから嫌われることが。

「私……できますか。あなたには判るのですか……?」

 銃を通し、八雲紫を見る。
 遙か先までを計算し尽くしたという妖怪が、自分に与えた武器。自分にしか扱えない、強力無比な銃。それを授けられるだけの力と意味を、自分は持っているのだろうか。そしてその役割を、自分は果たせるのだろうか。
 手にした銃が、酷く重く感じた。

「そんな思い詰めてると死んじゃうよ」

 横から、てゐが両側の脇腹を左右の指で同時に突き刺す。ぶすりと食い込んだ。

「きゃう!」

 全身を震わせながら、高い悲鳴を上げつつ思わず銃を取り落とした。
 全身に鳥肌を立てると、咄嗟に落ちた銃を拾い上げ、混乱しながらも脇腹を攻撃した悪党から距離を取る。そしてまっすぐに銃を構えてから、初めてそれがてゐであることを認識した。

「いよっす」

 片手を上げて気楽に挨拶。
 その途端、真剣な悩みを邪魔された戸惑いや、敵に襲われたのかと本気で驚きが頭の奥で混ざり合い、思考と視界が真っ白に染まる。

「なぁ、何するかぁ!」

 青筋立てて怒鳴り立てた。一気に湧いた感情をはき出すように。
 一度叫んで、ぜーぜーと荒く息を吐けば、次第に思考は色を取り戻していく。

「だって、嫌に深刻な顔してるからさ。息が詰まって死んじゃいそうなくらい」

 銃を持ったままで脇腹を隠す姿勢で、鋭い目つきで鈴仙はてゐを見やる。一方のてゐは、手をワキワキさせながら、襲いかかる寸前のような体勢をしている。だが、不意にその襲います体勢が格好だけなのだと気付くと、そっと両手を下ろして脇腹ガードを解き、手にしている銃を腰に差した。それを見て、ちぇっ、という感じに、てゐもまた構えを解く。と同時に、背負っていた槍をくるくると回転させながら握り直す。脇を突くためだけにわざわざ背負ったのである。
 そんな巫山戯た態度のてゐに、鈴仙は額を押さえながら溜め息を吐いた。

「深刻にもなるでしょ。幻想郷と、師匠の命が掛かってるのよ」

 むしろ深刻でない方が信じられない、とばかりに、鈴仙はジト目を送る。だが見られているてゐは、そんな視線など痛くはないと手を頭の後ろで組んでいる。

「だからって、そんなガチガチしてちゃ良い的でしょ。そんなんじゃ、戦えないどころかお荷物になっちゃうんじゃない?」
「うっ」

 納得できることを言われたので、思わず半歩後ずさってしまった。悔しいから何か反論したいと思ったが、何も浮かばない。その通りだと思ってしまったから、反論することに意味も見いだせなかった。
 仕方なく、悔しさは堪え、てゐの言うことの正しさを認めることにした。

「それもそうよね……ありがとう、てゐ」

 諦めたように、渋々ではあったが本心からの感謝を口にする。すると、いくらか心が落ち着いてきた。
 しかしそんな鈴仙に、てゐは引き攣った表情で応じた。

「……どうしたの、てゐ?」

 てゐの表情が凄まじいことになっていた。

「……素直に感謝されるとむず痒い」
「どうしろって言うのよ!」

 堪えた悔しさが何か名状しがたい別の感情に取って代わり、結局怒鳴ってしまう。

「まぁ、あれね。気にするな」
「うがぁ!」

 空を見上げ、手には握るでもなく力を込め、苛立ちやらなんやらを叫ぶことで発散していた。そんな鈴仙を見て、けらけらと面白げにてゐは笑っていた。
 それから、しばらく二人はこれからの戦いについて話しをした。その内に、鈴仙の中に燻っていた不安の熱は冷めていくのを感じた。
 そこにふと柔らかい風が吹いて、二人の間から言葉を奪い去った。
 短い沈黙が訪れ、空気が変わる。

「鈴仙」
「ん、何?」

 随分と心細げな声に、僅かな驚きを感じながら振り返る。

「死んだら、許さないからね」

 低い音。それが誰の声か判らないほど、普段の陽気さを失った声であった。
 一瞬それを冗談かと思い笑飛ばそうとしたが、口にしたてゐの表情を見て、鈴仙は黙ってしまった。それは酷く儚く、大人びた顔であった。
 数秒黙ってから、ふと、鈴仙は固くなった表情を崩す。そして、精一杯の笑顔を作った。

「ありがとう。でも、それはてゐも一緒。私も、てゐが死んだら絶対に許さないから」

 そんな返答は予測していなかったのか、言われたてゐはきょとんとした表情を浮かべる。それから、自分のさっきまでの表情を打ち消すように、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「生意気言って」
「お互い様でしょ」

 二人はどちらからともなく手を持ち上げ、打ち合わせる。

「守り抜くよ」
「当然」

 二人は小さく笑い合う。お互いの漠然とした不安を、信頼で埋めるように。




 夕焼けの匂いと竹の匂い。その二つの混ざった風が、歩く二人を優しく撫でる。
 橙とメディスンの二人は、竹林の中を見回りをしていた。それなりにこの辺りに詳しくなってきたメディスンと一緒なら、橙が迷うこともないだろうという配慮であった。
 二人は、永遠亭から少し離れた場所での戦闘を任されている。それは、永遠亭を傷つけるという心配をせず、自由に戦い回れるという利点があったからだ。しかし、それは窮地に陥った時に援護を受けにくいという危うさも持っていた為、二人は何かあったらすぐに戻るようにという命令も受けている。それが、戦闘経験の薄い二人の力を発揮する最良だと、永琳が判断した結果であった。
 二人はふらふらと、けれど緊張感を持ちながら歩いている。ぼんやりと沈み始める日は、竹林が邪魔をして眺めることは出来ない。だから橙は空気の変化を香りで感じ、なんとなく時間を把握していた。
 紫の示した時間はあと少し。無意識に、強く拳を握る。

「ねぇ、橙」

 戦いへの緊張や興奮を感じていた為、メディスンの声に気付くのに少し時間が掛かった。

「……あ、なに?」

 訊ねつつ、顔を見る。すると、メディスンは緊張しているようにも悲しんでいるようにも見える、どこか痛みがつらいような表情を浮かべている。手を見れば、メディスンもまた橙と同じく、固く拳を握り締めていた。
 躊躇いながら、メディスンはゆっくりと口を開く。

「橙は、怖くないの?」

 それは不思議そうな問い掛け。理解できないものに対する、純粋な疑問。
 何故そんなことを訊かれたのか判らず、訊ねられた橙はぽかんとした顔で首を傾げる。

「え、なんで?」
「だ、だって……ここが失くなっちゃうとか、すごい大変な事件なんでしょ。それなのに、大して慌ててないし。みんなそう。みんな平気そうで……私は、怖いよ……」

 そう言うと、メディスンは肩を震わせた。
 怯えていた。良く判らない現状と、良く判らない全員の気持ちに。緊張が高まるにつれて、周囲と自分との温度に、どんどんと差ができていく気がしていた。だから孤独で、怖かった。
 そんな不安そうなメディスンを見て、橙の中に、どうにかその不安そうな表情を晴らしてやりたいという気持ちが湧き出した。

「私は紫様を信じてるから。紫様が守れるって言ってたなら、絶対に守れる」

 口から出たのは、そんな言葉であった。
 メディスンはまじまじと橙の目を見て、その目に偽りはないのだと察する。けれど、それだけでは納得できず、重ねてメディスンは訊ねた。

「もう死んじゃった人なのに?」

 無邪気な問いに、橙は一瞬だけ息が詰まった。思わず、目が潤む。
 泣きそうになったけれど、奥歯を噛み、その涙と胸の痛みに耐えると、橙は笑った。

「うん。紫様はすごい人だったから。どんな事態でも予知できたし、やることは全部正しかった。そして、すごく綺麗で、すごく強かった。尊敬してる……ずっと」

 耐えられなかった涙が少しこぼれたが、すぐに袖で拭く。声が震えるが、気にしない。

「そうだよ。私は、紫様を信じてる。そして、藍様を信じてる。私は二人を絶対に疑わない。だから、大丈夫」

 それは、メディスンよりも自分に言い聞かせたかった言葉。心の中に蠢いていた不安を、燃やし尽くそうとする熱い思い。
 内側に眠っていた不安は表面まで浮き上がると、一瞬だけ橙を震わせて消えていった。
 口にしながら笑う橙の顔は、メディスンの目には不思議と明るく輝くように映った。

「……そっか」

 そんな橙を見て、メディスンは知る。みんな怖いのだと。けれどそれを、どうにかする術を持っている。そしてそれは、きっと自分にも出来るのだと。
 浮かぶのは一つだけ。それは、橙と同じ方法。

「じゃぁ、私はその紫って人は知らないから……橙を信じる」
「え?」

 橙は少しばかり素っ頓狂な声を上げた。

「幻想郷が大丈夫だって信じてる橙を、私は信じる……うん。気持ち軽くなってきた」

 口にしただけであったが、それは確実に、メディスンの不安を和らげた。
 何が何だか判っていなかった橙は戸惑ったが、メディスンの言葉の意味を知ると、少し照れくさそうに表情を綻ばせる。
 そして二人して小さく笑い合うと、強い意志を込め、お互いの目を見つめ合った。

「負けないよね、橙」
「うん。勝つよ、メディ」

 二人はギュッと、手を握り合った。
 その時に、メディスンは心の中で強く念じる。橙には言わなかった、もう一人の信頼する相手に向けて。

 ―――私は負けないから。だから、幽香も負けちゃ駄目だから。―――

 自ら以上に強き者を信じる。それは弱さをさらけ出すことになるが、歩を進める為の力にもなる。だから今は、自分たちより強い人をただ信じた。
 未来の怖さに、心が押し潰されてしまわないように。




 それぞれがそれぞれの覚悟を決めていく。それと共に、時間は確実に過ぎていく。
 焦りが積もり、怯えが表れ、それでも早く時の訪れるのを願う。それが危機の始まりであっても、何も出来ぬ時間を延々と感じ続けるよりはマシであったから。
 そんな中、一人の異端はそわそわと、戦いが楽しみだと言わんばかりに顔を輝かせていた。そして、まだかまだかと永琳の肩を揺らしている。

「ねぇ、まだかしら? そろそろよね?」

 弾む声に、輝く目。どうにも幼い。その様子に、慧音は少しばかり不安を覚えた。先ほどまでの雰囲気の重厚さはどこへ行っただろう、と。
 そんなはしゃぐ輝夜を無視して、慧音は永琳に問い掛ける。

「一つ気になっていたのだが、いくら妖力のある竹林とはいえ、ここは不用心すぎないか。四方八方から攻められれば、とても対処しきれないように思うのだが」
「そういえば、なんか昨日までごそごそとしてたけど、何してたの?」

 慧音の言葉に、輝夜が続ける。それを聞いて、やはり永琳は何か準備をしていたのかと慧音は安心した。
「確かに竹林だけでは弱いですね。それなので、私も結界を張りました。あとはついでだったので、気休め程度ですが、薬を使用した罠も作りました」

 なるほどと慧音が納得すると、その横で輝夜が首を傾げる。

「ねぇ、永琳。あなたの力、その外の世界の力っていうのに通用するの?」
「え?」

 質問を思わず聞き返してしまう。

「永琳って敵と相性が悪くて戦えないのよね。そんな永琳が結界を張って、意味があるのかなぁって」
「あぁ、そういうことですか」

 流石に鋭いと、永琳は感心してしまった。
 結界である者の力は、結界の割れた状態では外の力に対抗できない。全く効果がないわけではないのだが、無駄に力を放出してしまうという点と、ほとんどが吸収されてしまい効果がないという点から、どうしたって足手まといになってしまう。だから、永琳が防護用に力を使ったところで、それは無駄と言うことになる。
 だが、それは永琳の半結界に対する解釈が正しいとすればその限りではなくなる。永琳と慧音の本来持っていた力は、無駄に漏れ出ることもなく、そのまま敵に対しても有効と言うことになるのだ。
 その仮説の確認のため、永琳は自分の力で結界を生んだ。敵が入り込む場所を狭めて四方八方からの侵入を妨ぎ、また敵の力をある程度制限する、数日がかりで組み立てた強力な結界。これが有効であったのなら、永琳が戦えるという証明になる。それを、早い段階で知っておきたかったのだ。
 ただ、それはまだ言うべきでないと、永琳は嘘を吐く。

「大丈夫です。魔術のようなものですから、私自身の力はそれほど関係ありません」
「ふぅん」

 まだ僅かに納得がいかないようだが、輝夜はそれで引き下がった。
 長く一緒にいた二人だ。輝夜は嘘に気付いていた。それでも、真実は知らないが、今はまだ自分に伝えるべきでないと永琳が判断しているのだと理解していた。
 それからしばらくの間、話題が途切れて沈黙が漂い始めた。
 そんな沈黙を破ったのは、珍しく、永琳の驚きの声であった。

「えっ!」

 永琳は驚愕と共に立ち上がると、真っ直ぐに空を見つめる。

「どうしたの?」

 弾かれたような行動と表情に、輝夜は少し驚いた表情を浮かべていた。
 永琳はまだ、信じられないという顔で空を見上げている。

「結界の一部が……破られました。いとも容易く……」
「えっ」
「もう敵が来たってことか!」

 驚いた顔のままの輝夜と、すくっと立ち上がり周囲を睨み付ける慧音。永琳はそんな二人に応えられず、まだ険しい顔で空を見ている。
 ゆっくりと輝夜は立ち上がり、竹林をジッと見通す。

「そんな気配はないわよ……といっても、この竹林じゃ私より兎たちの方が鋭敏だけど。どう、何か判る?」

 と、横にいた兎に訊ねてみる。すると、訊ねられた兎は小さくふるふると首を振った。

「まだっぽいわよ、永琳」

 気にしすぎよと声を掛けるが、慧音も永琳も、緊張で強張ったまま動かず、輝夜はやれやれと再び縁側に腰を下ろした。

 ―――今のは……内側から破られた。―――

 永琳の驚きは、主にその部分にあった。油断なく力を込め、充分な完成度を持つ結界を張ったという自信があった。というのに、それを容易く破るようなのがいる。その想定外が、永琳に強い焦りを与える。そんな強力な邪魔があるとすれば、自分の計算全てが狂う。思わず永琳は汗を流した。
 そんな永琳を見て、何か心当たりを考えているのだと慧音は思った。それなのでひとまずは、輝夜へと向き直ることにする。

「しかし、もし気配を感じさせないような敵だとしたらどうだ。誰も実際に接触したことはないのなら、そういう危険性もあるだろ」
「んー……判らない。合図もないし。でも、危険という感じはしないのよね」

 腕を組み思案顔の二人。その二人に、落ち着きを装った永琳が言葉を掛ける。

「私や慧音が何も感じていないということは、まだ幻想郷を覆う結界が破られていないのでしょう。ですから、まだ敵が来ているとは思えません……ですが、だとしても理由を探らないといけませんね」

 その言葉に、慧音は頷く。そして縁側から少しだけ下がり、部屋へといつでも戻れる位置に正座をした。
 輝夜は無理して平静を装う永琳を見て、やれやれと溜め息をこぼす。

「いきなり前途多難ねぇ」
「そうですね」

 と、その途端に竹林の中で警笛が響いた。見れば、不自然な煙がもうもうと立ち昇っている。

「あれね」
「間違いないですね」
「あれか」

 三人が、その煙を見る。それは先ほど、永琳が見ていた空の方角であった。




 警笛が鳴った後の兎たちの行動は迅速であった。鈴仙は警笛を聞くと竹林を蹴り登り、跳び上がって煙を見つけるとそれに向って駆け出していく。そしてそれと同じ反応速度で、てゐは弾かれたように永遠亭へと駆け戻った。本格的な戦闘に突入すれば関係はなくなるが、戦闘開始段階での役割は、鈴仙が偵察と迎撃を、てゐが指揮と守護となっている。二人は迷いなくそれを実行していた。
 戦闘経験の乏しい橙とメディスンは、突然の警笛に驚いてしまった。けれど、すぐに意識を落ち着けて、どうするべきかを短く相談してから、二人は永遠亭へと駆けて戻っていった。
 橙とメディスンが永遠亭に戻りつくと、永遠亭は張り詰めた空気に覆われていた。輝夜が例外としてのんびりとしていたが、他の者の視線はみな鋭い。その雰囲気に気圧され、二人は思わず息を呑む。
 しばらくすると、竹林の中から足音が聞こえてくる。その音のする方角にジッと目を凝らせば、鈴仙が他の誰かの手を引いて永遠亭へと戻ってくるのが見えた。手を引かれているもう一人の人物が、不審な煙上げの犯人なのだろう。
 それを見守るてゐたちは、油断なく武器を構えている。だが、そういう緊張感の中だというのに、先に鮮明に見えるようになった鈴仙の表情は、何故か酷く複雑そうなものであった。
 てゐはそんな鈴仙の表情を不思議に思う。けれどそれも一瞬のことで、鈴仙に手を引かれている人物がしっかりと見えた直後には、程度の差はあれど、永遠亭にいた全員が唖然した顔になってしまった。
 不思議そうな表情を浮かべ、どこか千鳥足な状態で連行されてきたのは、妖怪の山の厄神、鍵山雛であったのだ。
 あまりの闖入者に、一同揃って何も言えず、ただただ黙りこくってしまう。その空気に、連れてきた鈴仙も困った表情を浮かべ、行き先を見失った思いを表すように意味もなく頬を掻いている。一方、連れてこられた雛はこれから何かあるのかといった感じで、輝夜同等に、場違いにも暢気な雰囲気を醸し出しつつ様子を窺っていた。

「……な、なんでこんなところに、鍵山様が?」

 この口を開くことの躊躇われる場で、どうにか沈黙を破ったのは慧音であった。

「ふえ~?」

 その反応は、緊張感ぶち壊しなほどに間が抜けていた。
 思わず数名が膝を折りかける。戦いに備えて心を張り続けていたのに、もはや台無しだった。

「か、鍵山様?」

 再度慧音が問う。
 けれど、雛は答えない。よく見れば、雛の上体は僅かに揺れ、瞳には夢見心地な色を浮かべている。酒に酔っているようにも見える。
 そこでハッと、周囲の全員が自分を見ていることに気づいた。そこで改めて周囲を見渡す。

「あら。どうしたんです? 皆さんお揃いで」

 何がどうお揃いなのか訊ねようと思った者が少しいたが、それを突っ込むと、既に十分に壊された緊張に止めを刺してしまいそうな気がしたので、そんな方々はとりあえず沈黙を守った。
 ふらふらと左右に揺れながら永遠亭へと歩み寄り、雛は軽い動作で縁側に腰を下ろす。そして、ほぅっと脱力するように溜め息を吐く。
 その横にゆっくりと慧音は近寄ると、気を取り直して声を掛けた。

「あの、鍵山様。一体、竹林で何をしていたのですか?」

 しばらく雛は前後に体を揺らしていたが、やがておもむろに慧音の顔へと視線を移した。そして、血色の良い柔らかな唇に指を軽く沈め、少しばかり思案顔を作ってから、唾液で軽く貼り付いていた上下の唇を剥がす。

「厄を上げていました」

 唐突すぎて、誰にも通じなかった。
 軽い頭痛を覚えつつ、慧音は再度訊ねる。

「……厄を上げる?」
「そう。厄を流すのは知っているわね。あれの変形」

 思い出して、またほぅと溜め息を吐く。

「厄を煙に乗せて空に上げるの。そうすれば厄は天に昇り、やがて運気に転じて下る。そういう儀式」

 軽く手を上に伸ばし、どのようにやっていたのかを再現するように腕を振るう。それは、楽しかった出来事を親に語る子供のようであった。

「本当なら溜まった厄を流して世に散らすのが正しいのだけど、何故かここ最近はやたらと厄が強かったものだから仕方なく上げたのよ。強引に上げるものだから、疲れたわ……あら。でもまだ、ここは少し厄っぽいわね」

 そこまで話してから、雛はようやく周囲の雰囲気に気づく。ようやく酔いが醒めてきた、という感じである。
 その話を聞いて、永琳は納得し、そして安心した。神の力で強引に天に厄を上げたものだから、その際に結界を打ち破ってしまったのだ。それは悪意のあるものではないし、これから連続でおこなわれるものでもない。
 そんな永琳を余所に、輝夜は雛を指差しながら慧音に声を掛けた。

「ねぇ、慧音。もしかしてこれ、異変に関して何も知らないんじゃないの?」
「これって……鍵山様。これから起こることについて、何もご存じではないのですか?」

 恐る恐る訊ねてみる。すると、すっきりした顔の雛は、それでもやはり首を傾げた。

「え、何かあるのかしら。春祭りにはまだ早いわよね。それじゃぁ、冬送り?」
「いえ、お祭りではなくてですね」

 慧音は全身の力が抜けていくのを感じた。
 それでもどうにか身を起こし、簡単に異変の説明をする。すると、雛は慧音の想像よりも遙かに早く事態を理解した。

「あら、大変ね」

 しかし言葉はとても軽かった。
 慧音がきりきりと痛む頭と胃を押さえていると、横から永琳が別の質問を投げた。

「それはともかくとして、鍵山様は何故こんなところにいらしたのですか?」
「んー」

 空を見上げ、しばし沈黙。

「そうね。上げるために丁度良い場所を探してたら、ここが丁度良くて。人少ないから迷惑にならないから」
「なるほど」

 つまり、偶然であったらしい。
 その言葉を最後に、両者見合ったまま沈黙してしまう。他に理由はないものかと言葉を待つ永琳と、永琳が何か言うのかとぼうっと待っている雛。待ち合っていて、動かない。

「それで、あなたは戦えるの?」

 沈黙してしまった二人に焦れて、輝夜が雛に期待を込めた声で訊ね掛けた。
 そうだ、神なら良い戦力になる。全員の脳裏に、そんな甘い思いが過ぎった。

「あ、私は戦えませんよ」

 だが、即時にその甘い想像は神の口から否定される。
 それがあまりにあっさりと、そしてはっきりとしたものだったので、訊いた輝夜でさえ言葉に詰まってしまい、何も言うことが出来なくなってしまった。

「な、なんでですか」

 全員がぽかんとする中で、中でも期待の強かった鈴仙が思わず声を上げる。
 すると、んー、と言いながら、雛はどう説明しようかと考え、やがて鈴仙の方へと視線を向ける。

「私の力は、厄を集める力です。そして溜まった厄を操ることもできます。といいますか、主には厄が私の力になります。つまり、ある程度厄がないと戦えないのですが」

 その言葉に、全員がハッとした。そしてそれと同時に、慧音と永琳は手で顔を覆い、他の全員は頬を引き攣らせた。どうして戦えないのか、もう全員が理解していた。

「そして今は、ちょうど厄不足で」
「「「「「この、厄立たず!」」」」」

 大合唱。

「あら酷い」

 感想はこれだけ。
 こうして、全員の緊張感を奪い脱力感を与えただけの神に、全員は文句を言う気力さえ失ってしまった。

「……計算外だわ」

 やはり想定外の人物は、予定を乱すだけだと悟った永琳であった。
 そんなちょっとした騒動があって、再び全員は改めて定められた自分の配置へと動いていく。
 そんな中で、メディスンと橙は見回りの役割を失い、縁側で待機をすることとなった。雛が結界に大穴を開けたので、敵の出現箇所がほぼ定まったからである。二人の新しい役割は、てゐたちが戦闘を開始し周囲に兎たちが弾幕を放った後、永遠亭から少し離れたところで敵を倒していくというものである。
 橙は既に縁側に座っており、メディスンもその方角へと歩き出した所である。

「あら?」

 と、そんな時に、雛がメディスンの方をジッと見た。その視線にメディスンも気付き、振り返って睨む。永琳の作った結界を壊し、戦闘の間は何もせず漫然と座っているお荷物な神様が、なんとなく憎らしかったのである。

「な、何よ」
「ん。都合良いなぁって、思っただけ」

 そう言ってくすくす笑う。そんな雛に、少しばかりゾッとして、メディスンは何も言わずに橙の方へと走っていった。
 そんなメディスンの背を見送ってから、雛は傍にいる慧音に声を掛ける。

「ねぇ、慧音さん」
「え、あ、えと、な、なんでしょう?」

 雛の登場やらなんやらで困惑混じりなものだから、少し派手にどもる。

「私、少しくらい戦えそう。ここには、結構厄があるから」

 そんなことを雛はどこか楽しげに話した。最初何を言っているのか良く判っていなかった慧音は、言葉を理解すると共に目を見開く。

「……ほ、本当ですか!」

 その声には、強い驚きと期待とが込められていた。

「しばらく休憩したらね」

 そんな慧音に、雛はにこりと笑って応じた。




 先ほどの見回りの時と違い、てゐは永遠亭にいた。敵の出現する場所がほぼ特定できるようになった為、屋敷の防衛を役割とするてゐもそれほど離れなくて済むようになったのである。
 見回りの数は減らし、雛の開けた穴の下付近に鈴仙が待機している。敵の出現を誰かが視認したら鳴子を鳴らす。それが、戦闘開始の合図。

「……っ!」

 慧音と永琳が身を震わせた。二人の結界が、幻想郷を覆う結界の破れを感じ取った。

「……もう、敵は現れますか」
「そのようね」

 戦いは近い。鳴子が鳴れば、四方八方から押し寄せる敵との乱戦になる。
 空を見上げ、てゐは時を待った。長さ六尺ほどの愛用の槍、八千矛を握り締めて。
 矛という名を持つ槍。それは、主に斬撃主体の武器なので、実際には矛の方がらしいと言える。だが、それを持ち主のてゐが槍と言うのだから、この武器は槍なのである。
 全員が違う表情で時を待つ。
 そしてその時は、鳴子と笛の音を響かせて訪れた。

「きたっ」

 輝夜の声が弾む。
 鳴子が鳴り響く中、銃声が竹林を反響する。

「さて、私たちは部屋に入ろう」
「それでは姫。しばらくの間、お願いします」

 慧音と永琳が立ち上がる。

「任せておきなさい。永琳もハクタクも、中で眠っていても構わないわよ」

 そう不敵に笑い、部屋に入る二人を見送った。そしてその襖が、閉まる。
 てゐは武器を構え油断なく、輝夜は優雅に自信を持って待機をする。メディスンと橙は、緊張した表情で戦う機を窺っていた。
 銃声は途切れることなく、竹林の中を大きく動きながら鳴り続ける。敵が多いのか、それとも強いのか、鈴仙の位置は止まらず動き続けていた。

「構えっ!」

 てゐの強い号令が飛ぶ。次の瞬間、全ての兎が武器を構えた。永琳特製バズーカの群れ。人間化できない兎用の設置型と人間化した兎用の持ち運び式の二種類が、永遠亭から四方八方の竹林に向けて構えられる。てゐの号令が届かない場所もあるが、そういうところは左右の兎が構えるのを見て続く。二十秒と掛からず、全ての兎が準備を終えた。

「良く見えるわね。私にはまだ何も見えないわよ」

 目を細め、竹林をジッと見つめる輝夜。けれど、元々薄暗い夕方の竹林に、何か変化を見つけることはできない。
 そんな輝夜の言葉を無視して、てゐは目を閉じて耳を澄ませる。沈黙してからおよそ二分経つ頃に、そっと右腕を持ち上げ、八千矛を天にかざす。

「弾幕」

 ゆっくりと口を開き、そっと目を開けていく。
 そして、輝夜が枝の折れる音を聞いた直後、槍を正面へと振り下ろし命令を飛ばす。

「始めっ!」

 周囲から轟音が溢れる。と同時に、黒い獣が竹林から次々と姿を現した。
 兎たちの撃つ弾幕が永遠亭の周囲を飛び交い、出現する黒い獣を狙う。
 ただ撃つことだけを命じられた兎や、敵を狙い撃つよう命じられた兎がいる為、弾は縦横を無尽に駆ける。まして、撃ち出され弾はひたすら直線に向かうもの、射出された後に弧を描くものと弾の種類が撃つ弾撃つ弾異なり、それはまさに弾幕であった。
 弾は敵に触れると弾けるが、そうでない場合は下に転がり地雷代わりとなる。鈴仙の銃にあった中身を分析して永琳が作り出した、対黒い獣用の衝撃弾。ただし、もし味方が踏んだ場合にはそれなりの衝撃は受けるので、戦闘行為のおこなえない者は、迂闊に永遠亭の庭に降りてはいけないこととなっている。

「意外に賢いわね」

 見える範囲の敵は槍で指し示し、横に立つ兎に狙わせる。だが、鈍重で避けられず弾を食らい続ける敵もいれば、俊敏に弾を回避する敵もいる。中でもすばしっこい数匹の黒い鳥は、弾の隙間を縫い、永遠亭を目掛けて飛んでくる。

「えぇい、鬱陶しいなぁ」

 そう言うと、てゐは八千矛を構え腰を落とすと、敵目掛けて縁側を飛び出した。

「ちょ、ちょっと!」

 それを見ていたメディスンが、少しばかり慌てた声を上げる。てゐが飛び出したというのに、弾幕は少しも緩んでいない。
 てゐは地面を跳ねる。自分を後方から追い抜いていく弾を、音のみで避けながら突き進んでいく。弾が空気を裂く音ではなく、銃を構える時、引き金を引こうとする時の空気の震え。そして、銃を持つ兎たちの呼吸。それらを敏感に感じ取り、てゐは周囲の空間を把握していた。
 地を跳ねて丁度良い位置に至ると、八千矛を引きながら黒い鳥目掛け飛び上がる。鳥を間合いに捉えた瞬間、てゐは全身をバネに、矢のような一撃を繰り出す。狙いは違わず、槍は喉から突き入り背を抜けた。
 しかし、鳥はまだ生きていた。この時、てゐは永琳の言っていた言葉を理解した。

 ―――恐らく、敵に臓器などなく、急所が存在しない。だから、倒す時には充分な衝撃を与えるしかない。これが、鈴仙の銃を見ての私の推測。ただ、確証はないから、一応頭に置いておく感じで、臨機応変に戦って。―――

「さすが、永遠亭の分析狂」

 呆れたように感心しながら、まだ生きている敵を刺したまま、地面に向けて八千矛を振り下ろす。
 振り下ろす勢いで、鳥は槍から抜け地面へと落下。てゐ自身も落下を始めていた為、鳥は激しく地面へと叩きつけられ、そしてそのまま霧散した。

「ごめんね。でも、こっちも必死だから」

 何に謝ったのか、口にしたてゐにさえ判らない。気づいた時にはそんな言葉が漏れていた。
 てゐは着地すると、片手で軽く頬を叩いて気合を入れると、また別の敵へと向かって行った。
 新たに飛び掛かってくる二羽の鳥。まっすぐにてゐを狙っている。その鳥へとてゐは飛び、先に向かってきた一羽の横顔を八千矛で殴り、遅れてきたもう一匹は体を回転させて蹴り飛ばした。
 払われた鳥は、どちらもてゐの狙い通りに弾幕の軌道へと飛び込み、二発の直撃を受け霧散した。
 その敵の消滅を確認するより早く、てゐは地面を疾走する犬目掛け、八千矛で斬りかかる。移動と攻撃とを同時におこなう、素早さを最大限生かした戦い方であった。

「すごい……」

 そんなてゐの戦いぶりに、メディスンは目を見開き呆然としていた。そしてその横で、メディスンよりはいくらか落ち着いてはいたが、橙もまた言葉も出せずに戦いを見つめていた。
 弾の中で自由自在に飛び回るその姿に、二人は驚きと、戦いの激しさを感じていく。そして同時に、強い負けん気を燃やし始めていた。
 次第に弾幕は緩んでいく。兎たちの体力が減り始めたので、攻撃と休憩のサイクルに入ったのだ。兎たちが全員で弾幕を張るのは、敵の強さや数を把握する為のこの瞬間だけと決まっていた。

「よし。行こう、メディ!」
「うん。行こう、橙!」

 二人は薄れた弾幕を抜け、竹林へと駆けていった。
 それは、結界が破れてから九分が経過した時のことであった。




 永遠亭の周囲で戦う者たちは、竹林と永遠亭の庭との境界線で戦いを続けている。大勢の兎たちは、手に武器を取り挑み、少しでも疲労すればすぐに下がるという、数が多さを武器にした戦い方を続けていた。
 そんな中で、まだ輝夜はタイミングを計り、雛はのんびりと体力の回復に努めている。

「ねぇ、神様」
「なんですか。お月様のお姫様」

 二人はお互い目は合わせず、縁側でぼうっと、戦いを眺めながら声を交わす。
 輝夜の目には期待が、雛の目には優しさが。揃って場には似合わない、穏やかな色を内に宿していた。

「あなたは、最後まで戦わない気なの?」

 それは、鋭さも何もない問い。けれどその空白な感情の中に、戦えという思いが込められている。

「さぁ、どうでしょう」

 けれどそれを、楽しげに雛ははぐらかす。というのも、雛自身、自分がどうしたいのか判っていないのだ。

「ここに居る人たちが頑張ってたら、触発されるかもしれません」

 それは、曖昧な自分の心の正しく表現した、含むところのない素直な気持ち。

「まったく、面倒くさいわね。あなたって」

 それが本心と判るので、輝夜はやれやれといった態度と表情を作る。
 そんな呆れ顔の輝夜が面白いのか、雛はくすくすと楽しげに微笑んだ。

「便利に扱える神というほど、崇められてもいないものですから」
「不便だわ。もっと神通力を持って、さっさと異変を解消してくれない?」

 口の端だけで笑いながら、輝夜は口にする。本音では、本当にそんなことをされたら面白くないな、などと思いながら。
 すると、雛は天を仰ぐ。まるで月夜に反射した地上を眺めるように。

「それには、それなりの信仰が必要です」

 輝夜もその視線を追う。けれどその視線は、まっすぐに月を捉えていた。

「私の信仰ひいとつじゃ駄目かしら」
「尊び敬い、感謝の気持ちが必要です」
「そうなの? それは困ったわ」

 大袈裟に溜め息を吐き、輝夜は困ったということを身振りで表現した。顔には相変わらずの笑みを浮かべて。

「私、礼をすべき理由が判らない感謝はしないようにしているの」
「あらあら」

 すると、雛は一層楽しそうに笑う。それから、困ったような表情を無理に貼り付けた。

「では、信仰を集めるためにも、戦わざるを得ませんね」

 それではあべこべだ。
 そう思うと、おかしくて仕方がない。

「でも、それは後ほど。まだ調子が戻っていませんから」
「ふふふ。あなたは本当に、厄介者ね」
「あら酷い」

 二人は楽しげに笑い合う。
 場違いな笑い声は、緩い風に乗って少しだけ永遠亭に響いていた。
 そんな輝夜と雛の声を耳の端に聞きながら、永琳と慧音は沈黙を続けていた。
 竹林の奥から、時折小さく響く爆発音。これは永琳の仕掛けた物である。

「この爆発、しっかりと効いているのか判らないな」

 敵に対する攻撃として、本当に爆薬が有効なのか。それは、実際に見ればすぐに判る。だが、ここにいる二人にはそれをなす術はない。
 けれど、永琳はそんなことを気にした様子もなく、平然とした顔をしていた。その顔は穏やかで、浮かぶ薄い微笑みは、見る相手の激情さえ奪うほどに澄んでいる。

「あら、罠とはそういうものでしょう。罠の動作を一々確認していたら意味がないわ」
「そりゃそうだろうが……でも、気にならないのか?」

 訊ねられて、永琳はくすりと笑う。

「気にはなるわ。でも、気にしても仕方ないでしょ」
「それは……そうだな」

 反論をしかけて、思い直し納得。そのままそっと障子の眺めた。

「この障子一枚向こう側でさえ、まともには見ることもできないのだから」
「そうね」

 二人はそっと、向こうの見えない障子を眺める。
 戦いの音が響く。慧音はその音に胸を締め付けられる痛みを覚えながら、それでも耳を塞がずにしっかりと耳を澄ましていた。
 そんな慧音を見て、頃合いかと、永琳が口を開いた。

「慧音。あなたに言っておきたいことがあるわ」
「ん?」

 外の戦いに耳を傾けていたので、少し慧音の反応は鈍かった。

「あなたの力だけど、もし少しでも使えるとしたら、どうしたいかしら?」
「……え?」

 思わず振り向いた慧音の前髪を、隙間を抜けた涼しい風がそっと揺らした。




 銃声が竹に当たり反響する。
 鈴仙の使う銃は、いくら撃っても反動も熱も持たない。だが、弾を発射すると耳を裂くように空気が震える。撃ち始めはその音に耳が痛んだが、絶えず撃ち続けていたこともあり、次第に耳が麻痺していった。お陰で耳は役に立たず、目と勘に頼って敵を把握することしかできない。だが、それでも十分なほど、鈴仙の腕は優れていたし、使う銃は強力であった。

「はぁ」

 胸に溜まった疲労を、大きく息を吐いて外に出す。
 まだ戦いは始まったばかりだというのに、疲労は少しずつ増えていく。少し息が荒くなるが、苦しいほどじゃない。深呼吸をすれば呼吸も整う、まだ心地好い程度。
 しかし、二時間という時間を考えるのなら、少し厳しいペースかもしれない。途中で少し休憩を挟まないとならないかなと、手を休めずに戦い方の計算を続けた。

「……だけど、なんだ。この銃で充分そうじゃないですか」

 言いながら、手にしている二挺の銃を見る。ここしばらくの訓練のお陰で重さにも慣れてきていたし、体が振り回し方もそれほど難はなくできるようになった。最初に緊張と興奮で振り回しすぎて手首を軽く痛めたが、それは永琳に手渡されていた塗り薬によってもう沈んでいる。
 二挺の銃を振るい、鈴仙は戦っていた。敵の気配を感じれば銃口を向け、視界に少しでも敵の影が入れば引き金を引く。鍛えられた動態視力と反射神経とを十二分に引き出し、次々と現れる黒い獣を霧散させていった。

「でも、湧き過ぎ!」

 吠えて、引き金を引く。
 次々と敵を倒しながら思う。無意識に浮かべていた二つの予想、最良と最悪の予想のどちらともが、現実が異なっていると。
 延々と弾を込め続ける術も、巨大なツェリザカも必要ないのではないか。一つは、そんな楽観。もう一つは、強力な敵が大量に押し寄せ、気を抜けば一瞬で死んでしまうのではないかという心配。
 確かに今のところ、ツェリザカを使う必要は感じていない。その点は最悪の予想から外れていた。けれど、弾を込め続ける術は習得しておいて良かった。とてもじゃないが、一々気合いを込めて弾丸を装填する暇はない。
 最良と最悪の狭間で、いつどちらに傾くとも知れない状況。それは安心と不安とを心に与えながら、すり切れるような疲労を鈴仙の心に響かせていた。
 腰に差した切り札。いつかこれを使うとすれば、それはきっと最悪の状況。いつそれが訪れるのか、緊張は消えない。

「どこまで判っているんだろう……あまり先まで読まれていない方が、助かるのですが」

 そんなことを言って、苦笑い。
 このツェリザカがただの用心であったのなら、使わなくて済むかもしれない。そう思ったのだ。
 だが、完璧に読まれていなければ、そもそも幻想郷の全員なんて守れないかもしれない。だからきっと、この銃を使う必要が出る。最悪が訪れる。
 そっと、腰に差してあるツェリザカを銃を握る手で撫でた。
 時はどう進むのか。問い掛けて、判らない。足が僅かに震える。
 そんな不安を忘れるように、鈴仙は強く引き金を引いた。




 永遠亭から少しばかり離れた所に、メディスンと橙はいた。
 メディスンは、手にしている小瓶を傾けると、足下に毒をこぼす。その様子を、少し離れたところから橙は眺めている。毒は液状で無色透明、そして鼻を突く刺激臭を放っていた。

「うぅ……にがなまぬるい臭い……」

 橙の感想である。
 鼻を押さえ距離を置いている橙を見て、メディスンは苦笑いを見せた。

「そりゃ嫌な臭いよ。寄せ付けないようにする毒なんだもん。でも、少し臭い抑えようか。これじゃ橙がきついよね」
「そんなことできるの……あ。臭いが薄れた」

 まだ鼻の奥がチクチクと痛むが、それでも数瞬前よりは遙かに楽になった。
 毒の刺激臭が薄れてくると、メディスンはその毒を両手で掻き回し始める。掻き回された部分は徐々に変色していき、それと同時に、少しずつ地面に広がっていく。メディスンを中心に、毒の沼はゆっくりと、およそ半径十メートルほどの円を描いていった。

「おっとっと」

 足下まで近づいてきたのを見ると、橙は跳ねて距離を置く。
 毒の色は無色から白、やがて灰色になり、青黒くなったと思うと、あっという間に紫の色へと変わった。
 見た目がとても毒々しい。しかも、何故か泡立っている。

「良し。準備はできたよ」
「……うわぁ。地獄みたい」

 一面に広がる毒の沼。グツグツと泡立つそれは、以前藍に見せられた地獄絵図に通じるものがあった。

「……これ、毒なんだよね」
「スーさんたちから分けて貰った猛毒。あ、橙もここに落ちてきたら駄目よ。死ぬかもしれないから」
「うわっ、怖っ!」

 橙の全身の毛が逆立った。地獄のようなものという認識が、地獄という認識へと変わった。
 見た目的にも臭い的にも、それが危険であることは良く判る。が、日が徐々に傾いてくることを考えれば、頼りは臭いだけだ。そう考えると、この臭いがきつくないと、むしろ自分が危険なのだと橙は気付いた。

「それじゃ、打ち合わせ通りに、私がこの毒の沼をここに留めておくから、橙には敵をここに誘き寄せて欲しいの」
「判った。任せてよ」

 準備に掛かった時間はおよそ三十秒。まだ敵は来ていない。
 二人はジッと耳を澄ませて待つ。十秒、二十秒、時が経つ。そして更に三十秒を過ぎた時に、慌ただしい複数の足音を聞く。
 その数秒後、数匹の黒い獣が飛び出してくる。
 それを見るや、橙は飛び上がり竹を蹴り登る。
 すると、獣たちは橙を無視し直進。メディスンの毒の沼へと飛び込んでいった。

「メディ、大丈夫!?」
「任せてよ」

 毒の沼に踏み込むと、瞬時に獣たちの足は鈍り、重い足取りで数歩進むと止まってしまった。
 止まってからもしばらくは体勢を維持していたが、やがてゆっくりと膝が折れて、ぺたりと地面に座り込む。そしてそのまま毒の沼に抱かれ、地面に溶けるように霧散していった。

「うわぁ……」
「効果抜群」

 嬉しそうなメディスンと、血の気の引いてきた橙。

「落ちたら、本当に死んじゃうんだろうなぁ……がんばろ」

 ひんやりする汗を感じながら、ギュッと竹を握り締める橙であった。
 次々と敵は訪れる。が、毒の沼が危険ということが判らないのか、次々と踏み込んでは消滅していく。
 毒の沼を避けようとするものもいくらかはいたが、低空を飛び越えようとしたり僅かに迂回したりしようとすれば、メディスンが操った毒が手を伸ばし、毒の沼に引きずり込んで倒してしまう。毒の沼を広げてから数分が経つが、今だ橙は待機を続けていた。

「良く判らないけど、私いらなかったかな?」
「えっと……もう少し一緒にいてよ」

 橙は地面を駆けて毒に飛び込むなんだかもの悲しい光景を眺めつつ、活躍できず拍子抜け気分を感じていた。なんとなく申し訳ない気持ちのメディスン。
 すると、そんな橙の期待に応えるように、鳥の姿の敵が橙の方へと向かってきた。

「あ、良かった!」

 パァッと表情が晴れる。このままぶら下がっていて全てが終わったらだどうしようと、橙は本気で不安になっていたのだ。
 竹を蹴り、橙は鳥目掛け爪を振り下ろす。
 斬撃で鳥は深く裂ける。が、止まらずに飛び、橙の頬を掠めた。

「うわぁ!」

 まさか仕留められないとは思っていなかったので、橙は思わずバランスを崩し落下をしてしまう。飛翔が間に合わない。

「え?」

 橙の声に上を向いたメディスンは、落下してくる橙を見て肝を冷やす。

「なっ! ま、間に合え!」

 メディスンは咄嗟に力を使い、橙の真下の毒を退かす。間一髪、毒の沼が引いた地面に橙は足から綺麗に着地した。

「あぁ……怖かった。驚いた」

 着地した橙がふぅと息を吐くと、メディスンが涙目で怒鳴り声を上げた。

「怖かったの私! 驚いたのも私! あぁ、橙のこと殺すところだった!」

 メディスンは本気で怒っていた。落ちてきた橙を見た時の恐怖といったら、メディスンは目の前が真っ白になるかと思うほどであった。その恐怖が怒りに転じたのである。
 あの時咄嗟に毒を退かそうとしていなかったら。そう考えると、今でも意識がくらっと飛びそうになる。

「あ、えっと……」

 涙を滲ませた目で睨まれて、橙は少しだけ辺りをキョロキョロと眺める。が、自分が悪かったと観念して潔く詫びた。

「……ごめんなさい」
「もうっ!」

 頬を膨らましてそっぽを向くメディスン。
 メディスンの機嫌をどうしたら直せるだろうか。そう思った直後に、橙は先程倒し損ねた鳥が自分に向かってきていることを察した。

「ごめん、メディ。後でまた謝るから!」

 そう言うと飛び上がり、また相まみえる。
 爪の傷はもうない。だが、僅かに橙の香りが残っている。先程の敵に間違いはない。
 今度は倒しきろうと、爪にすべきか、術にすべきかと悩む。が、ふと冷静になると、その考えは酷く場違いなものだと感じた。

「そっか……自分の力だけに頼るの、良くないよね」

 思い直すと、行動は決まった。腕を振り上げて構える。鳥は相変わらずの体当たり。
 鳥が自分の間合いに入った直後に、橙は鳥を叩く。斬撃ではなく殴打。鳥は飛んできた勢いのまま地面目掛けて急降下し、毒の沼へとその身を沈めた。少し経って、それは黒い霧へと変わり消滅をする。

「よし!」

 それを見届けた橙は、嬉しそうに笑う。
 調子良いんだからと、メディスンは少しむくれながら橙を睨んだが、橙の嬉しそうな笑顔を見ると、怒る気は失せてしまった。

「橙、もう落ちてきちゃ駄目だよ」
「はーい」




 少し緩んだ弾幕の中、てゐはまだそのまっただ中で戦っていた。
 増え続ける敵を次々と倒していると、弾を器用に避けてくる黒い巨大な二足歩行の獣……見た目にはゴリラのような敵が視界に映った。直後に、てゐは駆ける。
 接近し、八千矛の間合い寸前で刺突に構えた。だが、てゐが自分の間合いに入るよりも速く、ゴリラの右腕を振り下ろされる。咄嗟に横に跳ねて避けると、次いで左腕が外から凪ぎ払ってきたので、仕方なくそれを蹴って後ろへと跳ねると、てゐは一旦距離を置いた。

「見た目以上に速いね……猿め」

 鈍そうな容姿の奴に攻撃の先を取られたことが、なんだか無性に悔しい。

「今度は、もっと速く跳ねるから」

 そう言うと、少しだけ屈み、次の瞬間には弾けるように跳ねた。低く、地面を擦るように前へ。兎たちの撃ち出す弾が髪や服をかするが、怯まない。
 再度ゴリラに接近すると、てゐは八千矛を振りかぶる。それに合わせるように、ゴリラもまた左腕を振り上げる。
 てゐより一瞬早く、ゴリラの右手が振り下ろされる。八千矛で払い避ける。腕を逸らすのではなく、自分の体を八千矛を軸にして強引に逸らす回避。
 そのてゐ目掛け、左腕も振り下ろされる。そうと見るや、八千矛の柄で地面を突いて飛ぶ方向を変え、振り下ろされていた右手に飛び乗った。と同時に、刺突の構えを取る。

「この位置なら」

 八千矛を一気に突き出そうと腕に力を込める。その瞬間、ゴリラは腕を振り上げながら凄い勢いで横へと飛んだ。力任せに回避をしようとしたのだ。
 しかし腕に弾き飛ばされたはずのてゐは、悠々とゴリラの真上へと飛び上がっていた。

「嘘ウサ~」

 刺突に構えたのは、フェイクであった。
 不敵に笑い、ゴリラを飛び越えると、空中で反転し背を縦一文字に斬りつけた。敵は低く呻く。

「ちぇっ。やっぱり図体が大きいだけあって、これっぽっちじゃだめか」

 着地してから、くるりと頭上で八千矛を回転させると、腰を落として構えを取る。ゴリラもてゐへと向き直る。
 と、ゴリラが両腕を振り上げた。一気に押し潰そうという腹のようだ。

「力比べは嫌だから、一撃で決めるよ」

 揃って相手に向かい駆ける。
 槍を投げてやろうか、駆け抜けて横から刺すか。そんなことを考えていると、ふと、背後に聞き覚えのある音を捉えた。途端、てゐの頬が緩む。

「……よし」

 策を考えることを止め、てゐは最大限の速度で駆ける。八千矛の方が間合いは広いが、致命傷になるほど深く刺さなければならないとなれば、僅かな差にあまり意味はない。
 てゐが八千矛を突き出す。その鋭利な刃は、水を割るように自然と敵の内部へと分け入る。だが、そんな傷は気にせずに、ゴリラは両腕は振り下ろし始めた。
 刹那、銃声が響き、ゴリラの両腕は後方へと跳ねた。
 その隙に、八千矛は深々とゴリラの体内に埋まっていた。そして槍が貫通した時、黒いゴリラはその衝撃によって霧散し、空に消え去った。
 それを見届けると、振り向きながら、てゐは助けてくれた仲間に親指を立てつつ笑顔を見せた。

「ナーイス、鈴仙」
「このっ、無茶して!」

 まだ他の敵に弾丸を撃ち込みながら、鈴仙が声を掛けてくる。

「たまたま見かけたから良かったようなものの、もしかしたら死んでたじゃない! この馬鹿っ!」

 もし気付くのが遅れていたら。そう思うと、軽はずみなてゐの行動が鈴仙には許せなかった。
 そんな鈴仙に、てゐは澄んだ、そしてひどく大人びた笑みを返す。

「信じてるから。自分の運と、鈴仙のこと」
「なっ!」

 そんなことを真っ直ぐに言われて、思わず言葉が詰まってしまう。
 一瞬顔が白濁し、手が止まる。

「ほらほら、どうしたの。雑魚の掃除掃除」
「なっ、この……くっそ、調子良いんだから……」

 悪態を吐くと、改めて銃を握り締めて敵を倒す。
 緩んだとはいえ弾幕の飛び交う庭で、二人の兎は舞うように跳ねながらお互いの間合いで敵を倒していく。

「鈴仙が元気そうで良かった。まだまだ戦える?」
「大きなお世話よ。てゐこそ、疲れたら休みなよ」

 声を掛け合い、お互いの無事を確認する。そうして、お互いの余裕を確認する。

「鈴仙、私は屋敷の周囲を西から回るよ」
「判った。じゃあ、私は東から回る」

 二人は互いに接近すると、すれ違い様に槍と銃の柄を軽く打ち合わせた。

「後で」
「しっかりね」

 駆け抜け、振り返らない。
 森の中を駆けて敵を撃つ鈴仙。屋敷に沿って周り、状況を確認しつつ支援するてゐ。
 弾幕の演奏から踊り子が消え、庭先の舞台が寂しげに佇んでいた。
 そんな空いた舞台を、特等席に座る輝夜と雛がぼうっと眺めている。

「それじゃ舞台も空いたし、私もそろそろ舞を始めるとしようかしら」

 すくりと立ち上がり、蓬莱の玉の枝を握ると、輝夜は微笑む。

「それで神様は、いつ頃ご一緒してくださるのかしら?」
「力がある程度戻ったら。恐らくは、あなたと交代する感じだと思います」

 その応えに、輝夜は胸を躍らせたように笑う。

「さすが神様。やっぱり、いくらか未来を知ってるのね」
「朧ですけどね」

 笑顔に応じるように、雛も笑う。
 未来が多少は判る。そのくせここに迷い込んだのは偶然というのだから抜けている。

「でも、そうですね。その点でいうのなら、八雲の主さんほど未来を見通せた神は、幻想郷にはいないでしょうね」

 その言葉に、意外そうな、好奇心の強そうな表情を見せる。

「へぇ、妖怪が神に勝るわけ?」
「愛が違いましたから」

 さらりと。
 すると、雛の目に、少しばかり寂しげな色が浮かんだ。

「きっと、長い時間を掛けて計算したのでしょうね。ありとあらゆる想定外さえ読み切るように」

 空を見上げる。声を掛けるべき相手を探すように。
 それから、また元の笑みに戻ると、雛は輝夜に視線を戻した。

「存分に踊ってきてください。疲れた時には、休む時間は稼ぎますので」
「良いとこ取りぃ? 気にくわないわね。でも、それが必要になるのなら、お願いするわ」
「はい」

 輝夜はそこで会話を切ると、そっと舞台へと進んでいく。鈴仙やてゐの抜けた庭は、獣の侵入を許し、随分と黒が染めていた。

「私に対して難題を出そうなんて良い度胸じゃない。難しくなかったら、承知しないわよ」

 くすりくすりと笑いながら、迫る敵はそっと避けて舞台の中央へ。そして中央に至ると、優しく空へと浮き上がる。
 そっと腕を振るい着物を揺らすと、握り締めていた蓬莱の玉の枝を風に乗せて振るう。玉が風に乗って枝から外れると、それは緩やかに揺れ、やがて弾丸よりも速く飛んでいった。
 その途端に黒は消え、月のような静寂の美しさだけが庭先に残っていた。

「それでは神様。この舞を奉じましょう。世にも珍しい、満月の演舞を」




「……歴史を食う力が、使えるのか」

 外の喧噪が聞こえないほどに、慧音は訊ねかけた。

「違うわ。だって、今日は満月じゃない」

 空を指差す。見えないが、確かに今日は満月である。

「……可能、なのか?」
「多分、敵に攻撃するのは無理ね。でも、幻想郷に住んでいる私たちに使う分にはあまり問題はないと思うわ」

 永琳は自信を込めて口にする。けれど、やはり完全には信じ切れていないのか、少しばかり表情が陰る。

「つまり……?」
「傷を癒す。力を回復する。そういったことはできるんじゃないかしら」

 断言が出来ない。それが、酷くもどかしかった。
 もしも間違っていたら。そういう不安がある。それは慧音の身を案じるというよりも、永遠亭が守ることが難しくなるのではないかという不安。
 永琳の考えでは、慧音は備えなのだ。誰かが傷つき倒れた時に、それを癒すという重要な戦力。怪我を見ればそれに合った薬を調合できるが、患者を見るまではあくまで応急処置を施せる程度の薬しかない。その点、慧音ならば怪我そのものを負った歴史まで変えることができる。それに永琳は頼っていた。
 本当なら不確定要素に頼るなど考えられない話ではあったが、敵を知れない中では、少しでも可能性があるものには希望を賭ける外ない。他の全員が思う以上に、これは厳しい戦いであった。
 しばらくの沈黙を挟み、慧音が口を開こうとしたのと同時に、永琳がそれを制して言葉を紡ぐ。

「それでその力を、ウドンゲを優先的に使ってあげて欲しいの」

 その言葉に、ふと慧音の表情は抜け落ち、あっけにとられた顔を見せた。

「え。何故、蓬莱山ではなく、兎に?」

 顔全体に疑問符を貼り付けて問う。すると、永琳は優しく微笑みを浮かべた。

「姫はすぐに回復するもの。それに姫は、他の者が傷ついているのに自分が助けられるの、とても嫌がるから」

 幼い子供を思い笑うように、永琳はくすくすと笑う。だが、すぐに表情を戻すと、真剣な目を浮かべる。

「そして、姫に次いで強い力を持ってるのはウドンゲ。正確には、ウドンゲの持つ銃」

 言われ、ハッとする。八雲紫に与えられたという兵器。それを、あの兎が持っていることを思い出したのである。
 慧音にしても、永琳にしても、何故あんなものを鈴仙に授けたのか、その真意が読めていない。だから、きっと何かあるのだろうと、漠然と思う意外にできないでいる。
 だから、永琳は鈴仙の救助を頼んだ。

「もしあの弾を全て撃ち尽くしていたのなら、例え瀕死だろうとウドンゲを回復させる必要はないわ。でも、ウドンゲの持つ巨大な銃に一発でも弾丸が残っているようなら、ウドンゲにはそれを撃ってもらわないといけない」

 永琳の言葉に、慧音はゾッとした。それは感情のない音。
 軽く頭を振ると、甘いことは言っていられないと、慧音は再び表情を引き締める。

「あの計算狂が授けた銃、だからか」
「そう」

 ただ一人、恐らくこの戦いの結果を知っていた妖怪。今この戦いの中で、唯一頼ることのできる道しるべ。
 そこまでを話すと、永琳はふぅと息を吐き、重い空気を体から散らした。それを見て、慧音も大きめな溜め息を吐いて姿勢を崩す。

「ここまでが私の推測と計算」

 言いながら表情を緩め、薄く笑う。

「後はあなたに任せるわ」
「なっ」

 思わぬ言葉に、慧音は耳を疑った。思わず表情が強張ってしまう。

「誰に力を使っても良いし、使わなくても良い」

 呆気に取られた慧音から視線を逸らすと、天井を越え、月光の満ち始める空を見上げる。

「どう進むのか、判らない部分が多すぎるのよ」

 それは、ほんの小さな弱音であった。




 戦いは続く。そして時の経過と共に、少しずつ敵は強さを、味方たちは疲労を増していっていた。
 ただ、今のところ、傷を負った者はいない。それに、まだいくらか余裕もある。全員が想像していた最悪の状況よりも、現状はいくらか優しい。
 敵の強さというよりは、その耐久力が上昇していたと言った方が正しいだろうか。敵の攻撃が速くなったということや、攻撃が強くなったということは今のところ誰も感じてはいない。しかし、倒すためのダメージが、つい先程から鈴仙の弾が二発から三発へ増えた。メディスンの毒で消滅するまでに掛かる時間も、少しずつ確実に延びていっている。
 焦りはない。しかし、不安が溜まっていく。自覚できないほど、僅かずつ。
 戦いは大きな変化もなく、三十分が過ぎようとしていた。



 続く連戦の中で、特に疲労が色濃かったのは鈴仙であった。それは、肉体的なものと精神的なものの、両方の疲労によるものだった。
 ここまで、ほとんど休みなく人差し指を動かし続けている。一体の敵を倒すのに、今では最低でも三発は撃ち込まないとならない。敵が数体視界に映れば、休む暇など少しもない。そして周囲の敵を倒しても、鈴仙は休憩を恐れるようにその場を離れてしまう。
 予定の四分の一しか経過していない今、このままだと保たないと感じていた。
 休みなく戦いを続けているのだから、三十分持つだけでも立派なことだ。だが、それでは駄目だと鈴仙は自分を叱る。二時間戦えなければ、大事な仲間を守れない。この銃を持つ以上、みんなを守れなければならない。そういった脅迫に近い思いが、逆に少しの休息も許さない。そしてそれは、張りつめた心も削り取っていった。

「……なんで、こんなに不安になるの……」

 迫ってくる鳥を撃ち落とし、駆け抜けてくる猪を正面から撃つ。猪の速度は速く、体当たりが当たればどうなるか判らないが、そんな相手でさえ銃弾は難なく貫き、触れるよりも手前で消滅させていく。銃の強さは異常なものであった。普段の鈴仙の生み出す弾丸とは、貫通力は比べものにならない。
 弾を絶えず装填し続ける疲労は、むしろ心地好かった。内側も外側も疲労する感覚。それはバランスの問題か、ただ動き回るだけよりも体の負荷を軽減した。

「ふぅ」

 辺りの敵が一通りいなくなったと見ると、深呼吸をしてから、また駆け出す。すぐに新しい敵と出会った。

「また、すぐ湧く!」

 暗い竹林で敵を見つけるのは至難の業だが、鈴仙の狂気の目は、闇の中であろうと鋭敏であった。
 引き金を左右交互に三回引く。弾は三カ所を貫き、敵を霧散させる。
 背後に音を聞き、振り返りながら銃を構える。すると、思わぬ速さで鳥が顔を目掛けて急降下をかけていた。

「ちっ!」

 引き金を引いて間に合わない。そう踏むと、敵を振り返ろうとした姿勢のまま敵の方角へ倒れ込み、軌道から外れる。鳥は鈴仙が倒れたと見るや、体当たりを諦めて上昇を始める。その瞬間を逃さず、鈴仙は三回引き金を引いた。連なった弾丸が二発当たった時に、そっと敵は霧散する。体のサイズが小さかったので、二発で充分だったようだ。

「くっ、無駄弾っ」

 悔しげに表情を歪める。弾の出し惜しみは死を招く。とはいえ、これは持久戦。余剰の戦力がない以上、無駄がないに越したことはない。
 敵が地面に倒れた自分をすぐに起こすと、鈴仙は大きく息を吐いた。

 ―――焦ってる。でも、何に?―――

 戦っていて、自分の焦りが良く判る。けれど、何に、そしてどうして焦っているのかが判らない。
 休んでいてはいけない気がする。足を止めると、全身が凍えるように寒くなって、早く走れと急かしてくる。

 ―――どうしちゃったの。まだ余裕あるじゃない。何が怖いのよ。―――

 休まないと。そう思いながら、足は一歩、また一歩と歩み出す。
 駄目だ。そう思うと、鈴仙は銃を構えて駆け出す。
「なんとかなる。そうよ、大丈夫……もう少し頑張ったら、どうせ休まなきゃいけなくなる」
 無理に言い聞かせるが、不安は止まない。舌打ちでもしそうになる。
 その直後に、三つの銃が突然震え出した。

「え、何!?」

 鈴仙の全身を揺さぶる振動。振動は脳まで響き、鈴仙はゾッとした。それは震える銃に恐怖したのではなく、銃が叫んでいるかのように頭の中に響いた、嬉しくはない情報への恐怖であった。
 ハッとした時には、もう銃の振動は止まっている。

「……危険が、来る……? 危険て、何が来るって言うのよ!」

 血の気が引いていく。理解はできないが、恐ろしく強力な何かが来る。それだけが鈴仙に伝わった。
 空を見上げ、足を止める。手と足が震えていた。
 深呼吸をする。動悸は収まらないが、心はどうにか静まる。今自分のすべきことは何かを、鈴仙は必死に考えた。恐怖でノイズ掛かってなかなか浮かばないが、それでもどうにか自分の行動を探し出す。

「そうだ。伝えなきゃ、みんなにも!」

 思い立つと、鈴仙は飛び出した。
 半端な休息の所為か、急な移動で足が痛む。けれど、気にしてはいられない。

 ―――変に焦るから、竹林に入りすぎた!―――

 焦りに胸を痛めながら、屋敷に向かい駆けていった。




 飛んでいた玉の全てを枝に収め、輝夜はそっと背伸びをした。
 敵は止んでいないが、それでも平均すれば四秒に一匹程度。玉を飛ばして踊らせれば、あっという間に片付けてしまう。

「次々とまぁ、よく出てくるわね」

 しばらくぼうっとしていると、また敵は少しずつ湧いてくる。それを目掛けて玉を向かわせると、あっという間に消えてなくなる。

「でも、つまらない」

 もはや、舞う気さえしなかった。
 倒した数は既に数えてはいない。最初は数えようかと思ったが、キリがない上に倒しがいのない敵ばかり。正直、輝夜は飽きてきていた。
 そっと中央を離れ、雛の方へと向かう。

「ねぇ、神様。暇ぁ」
「それは私には解消してあげられませんよぉ」

 他の者の真剣さに比べるまでもなく穏やかな調子で、二人は言葉を交わした。
 そりゃそうか、と納得すると、またそのやりとりの間に少し増えた敵を一掃する。

「……脆い」

 そう呟くと、盛大な溜め息を吐いた。
 輝夜を見て、雛はにこにこと笑っている。それに気付くと、こんなつまらないことをしないで座っている雛が羨ましく思えた。

「ちぇ。こんな簡単なら、もっと大勢の敵を集められるようにすれば良かったわ」
「頑張ってくださいよー。一時間は戦ってもらわないと困りますからぁ」

 雛は相変わらずの笑顔で言う。
 段々と輝夜は、交代というのは自分が戦いに飽きたから雛と交代するのではないかと思ってきた。今の状況を考えれば、その可能性も大いにあり得た。

「判ったわよ。半刻ね」

 また大きな溜め息を吐いて、玉を飛ばす。

「我慢しましょう、この退屈な作業も」

 輝夜はひらりと回転する。置き去りにされた袖が宙を舞い、まるで空を川が流れているかのような美しい舞いであった。
 玉が飛び、敵を蹴散らす。鮮やかに、迅速に。
 本来は舞う必要などない。だが、少しでも玉を優雅に飛ばす為には、やはり自分自身も舞わずにはいられない。つまり、舞いこそが輝夜の余裕の象徴であった。
 煌びやかではないけれど、見取れてしまう舞踏。それを、心底楽しみながら、雛はジッと眺めていた。
 そんな雅やかさの中で、輝夜は大袈裟な溜め息を吐く。

「でも本当に、小物ばかりでつまらないわ」

 そんなことを溜め息に乗せて吐き出しながら、頭を垂れて地面をジッと見つめる。それから気を取り直して前を見た直後、輝夜は思わず固まってしまった。竹林の向こうに、今までとは雰囲気の異なる敵が見えたのだ。
 姿恰好は亀。ただ甲羅は異様に平たく、突き出した四肢や顔は狼のもの。そして何より、やたらと大きい。高さだけで、3メートルはありそうだ。
 そいつがノシノシと向かってくるのをぼうっと見てから、輝夜はふぅと息を吐き、軽く首を振ると、不敵な笑みを浮かべてくすくすと笑った。

「……災いの神様は、お耳が大層良いみたいね」

 こんなことなら、もっと早くに要求すれば良かった。そんなことを思う。

「ねぇ、神様。私はこの図体の大きな無粋な敵を相手に、苦戦をするということなのかしら」

 僅かに呆れを浮かべ、雛に振り返った。しかし、目に浮かぶうきうきと待ちかねたという色は、少しも隠し切れていない。

「どうでしょう。でも、さっきよりは倒しがいがあると思いますよ」

 少しの優しさもないまっすぐな物言い。雛は、相変わらずにこにこと笑っていた。

 ―――大きいだけで、強そうには見えない。私はあの神様に見くびられているのかもしれない。
 ……いや、そんなことはない。あれはきっと、見た目よりずっと強いに違いない。それこそ、倒すのが少し面倒な程度に。―――

 少し、手が震えた。楽しみで仕方ない。

「それじゃ、もう一度仕切り直しましょう。さっきは見苦しい舞を見せてしまいましたし」
「緩急あって、良いと思います」

 気張って飛び立とうとした輝夜が僅かにバランスを崩す。まさか舞の方にフォローが入るとは思っていなかったので、呆気に取られたのである。
 振り向いて顔を見れば、少しも崩れない笑顔。つられて、輝夜も笑う。

「あなた、変な神様ね」
「あら酷い」

 まだ少し言葉を交わしたい。そんなことを思いながら、輝夜は敵へと向き直る。
 いつでもできる雑談よりも、今しかできない戦いの方が希少そうだと思ったのである。
 玉が枝から外れ、輝夜の周囲を舞う。

「それじゃあ第二幕、楽しませてもらうわよ」

 無邪気な笑顔で、輝夜は空を駆けた。

「どれくらい保つかしらね」

 玉を飛ばす。玉は敵を覆うように広がり、甲羅の部分をに降り注ぐ。
 直後、玉は弾き返された。

「おっ?」

 弾かれた玉は、その勢いのまま輝夜の元に戻り、周囲に浮かぶ。

「……まさか、一発も貫通しないとは思わなかったわ」

 次の瞬間、そいつは飛翔した。輝夜を目掛けて真っ直ぐに。
 その速度が想像以上だったので、思わず輝夜は唖然としてしまう。だがすぐに意識を戻すと、周囲の玉を集めて、敵の横顔を殴りつけ打ち落とす。
 バランスを崩し墜落させることはできたが、殴るのに結構力を入れたというのに、それほどダメージを負わせられた気配はない。

「くっ! 大きくなって硬くなるのはいいけど、速くなるのはいくらなんでも卑怯じゃないかしら」

 軽口を叩くが、余裕ばかりじゃまずいと思い始めた。

 ―――呆れるほど硬いわね。でも、こいつ一体だけならそれほど問題じゃない……ってことは、増えるんでしょうね。これが。―――

 思った途端に、少し呆れたように笑う。

 ―――こんなのが次々湧いたら、確かに私も休まないといけなくなるかもね。―――

 強い期待を伴う不安に、輝夜の目は輝く。
 そのまましばらく、輝夜は単身で戦闘を続けた。雛は背後から気軽な応援を投げかけてくるが、援護はない。

「がんばってー。あと四半刻ないですよー」
「神様。その応援、力抜ける」
「あら」

 相変わらず緊張感の薄い二人であった。
 甲羅は見た目通りに強固なので効果がない。だから、狙うのは足と顔と決めているのだが、それでもさほど効果はない。敵がいくら速くとも、さすがに玉で捉えられないことはない。だが、いかんせん威力が足りない。それに、絶えず湧き続ける敵も倒さねばならず、巨大な敵にばかり集中ができないでいた。
 どうしたものか。そう思った時に、甲羅狼は、口から数発の黒い塊を撃ち出した。

「えっ!?」

 咄嗟に周囲の玉で迎撃。玉に弾かれ、敵の放った塊は消え去る。

「……そういうのが使えるようになっちゃったのね」

 僅かに不安が増した。
 玉をぶつけて消えたところを見ると、あの黒い弾は黒い獣の肉体と同じものなのだろう。だったら捉えることさえできれば、弾を消すことは困難ではない。
 そう理解すると、遊び方がわかった子供の顔をする。

 ―――でもこれは、想像以上に厄介よ。イナバたち大丈夫かしら。―――

 そう手間取ってもいられないと思うと、一筋だけ汗が伝った。
 この巨大な敵を、できる限り迅速に倒さないといけない。何せこれはきっと、てゐやメディスンたちには倒せないのだから。そう思うものだから、微かな焦りが出る。そして同時に理解する。鈴仙の持つ巨大な銃が、この敵に向かい撃つものなのだと。

「交代もいるし……仕方ない、出し惜みはしてる場合じゃないか」

 言うや否や、輝夜の体と玉から陽炎が昇る。面倒なのと、どうせなら楽しみたいと取っておいた、全開の妖術。
 甘かった。手加減しないでも、危うい戦いになりそうだ。
 楽しみという思いは変わらない。だが、この巨大な敵との戦い方を誤っていた気がして、それを少しばかり悔やんだ。

「悪いけど、全力で落とすから」

 玉は、まるで透明な炎でも纏ったように揺らめく。
 甲羅狼が吠え、空を駆けた。同時に、口から不格好な弾幕を吐く。今度は弾数が多く、広範囲に展開していた。弾速は速く、隙間を作らないように撃ち出された弾の雨。それは避けることのできないように、一気に輝夜の視界を埋めていく。

「綺麗じゃないわね。弾幕に必要なのは、僅かな逃げ道と美しさよ」

 少なく、均一の速度と大きさの弾。
 輝夜は避けない。向かってくる弾幕に自分の弾幕をぶつけて消し飛ばす。範囲を広げた分、一つの弾の強度は随分と下がっていた。
 弾幕に穴を開けると、そのままがら空きになった中央を抜けて、硬い甲羅から突き出ている狼の頭部目掛け、五つの玉を撃ち込んだ。
 玉は頭部からめり込み、尾を背を足を貫通して外に飛び出す。先程まで玉を弾いていた甲羅は、内側から破砕された。

「ふぅ。これはなかなか……全力出さないと駄目ね」

 手応えで判る。今のはギリギリだった。小さい敵と比べ、攻撃は飛び道具も含めそう激しくもない。しかし、尋常じゃなく硬くなっている。倒し切ることが案外難しい。
 改めて、油断と出し惜しみは大敵と知る。それと同時に、この巨大な敵を倒せるのは、自分と鈴仙くらいだろうと考えた。そして、自分と鈴仙は巨大な敵を最優先で排除しなければならないと思い至る。
 その考えを、とりあえずは鈴仙に伝えないとならない。鈴仙は屋敷の周囲を巡回しているのだから、いずれ訪れるだろう。

「……さて、それで問題の兎ちゃんは……いつ頃来るかしら」




 てゐは竹林に僅か踏み込んだ位置にいた。深追いせずに待って敵を間合いに入れる戦法を取っていたはずなのだが、何故か攻撃を避けられたことに焦り、竹林の中にまで敵を追ってしまった。
 敵を倒して辺りを見回して敵のいないことを確認しながら、ふと頭に残る違和感を考える。何故自分が敵を追ったのか。

「……おかしい。余裕があるはずなのに……追わされた?」

 しかし、罠のようなものは見当たらない。術に掛かったような気分ではあったけれど、それも微々たるもの。
 考えすぎなのかな。そう思うと、永遠亭に戻ろうと無期直る。

「あ、てゐ!」
「えっ、鈴仙?」

 跳ねようと腰を沈めたその時に、鈴仙が声を掛けながら駆け寄ってきた。

「丁度良かった! 大変なのよ!」

 緊張に強張り、青ざめた表情。ただごとでないことは一目で判る。
 てゐは一瞬だけ驚いた顔をしてから、すぐにニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。

「どしたの? 転んで擦り剥いた? 舐めたげよっか?」
「ふざけてる場合じゃないのよ!」

 茶化そうとしたが、あまりに強い口調で鈴仙が返すものだから、てゐは思わずきょとんとしてしまう。

「何かが来る! えっと、強い奴が、強い敵がくる!」

 その漠然とした情報に、てゐは思わず苦笑いを浮かべてしまう。

「落ち着きなよ鈴仙」
「そんな時間ないの! もうすぐ……えっ、違う。そうじゃないよ。じゃあ、もう来てるの? そんな! てゐ、どうしよう!?」

 てゐと会えた。その安堵で張り詰めていた心が緩み、鈴仙は恐慌状態に陥っていた。
 その慌て振りに、てゐは額を押さえる。

「あぁ、もう。わけが判らないよ鈴仙!」

 血の気の引いた鈴仙の怯え方。それが、てゐの冷静さを削いでいく。
 頭の中が恐怖で乱れ、伝えたいことも伝え方も判らなくなってしまっていた。今の鈴仙には何も見えていない。
 そんな鈴仙の頬を、一発、てゐは強く叩いた。
 思わず上体が振れたがどうにかバランスを保つと、鈴仙は頬を押さえて唖然とした顔を浮かべ、叩いたてゐの顔をジッと見つめた。

「しっかりしろ! 戦う為に戻ってきたんでしょ!」

 守る。その言葉に、鈴仙は強い痛みを覚え、少だけし自分を思い出した。
 てゐはまだ何か言ってやろうと思ったが、敵の足音を耳にしたので、すかさず飛び出した。
 駆けてくる黒い犬。てゐは槍を低く構えると、噛み付こうと飛び掛かってくる犬を下から一気に突き上げた。そしてそのまま八千矛を振るい地面に叩きつける。
 獣は苦しげに呻く。まだ息があるのかと、槍を一気に引き抜き、素早く連続で突き刺す。三度刺した時に、ようやく犬は黒い霧となって散った。
 地面に刺さった槍を引き抜くと、回転させて構え直す。そして、鈴仙の方へと急いだ。

「くそっ、何があったって言うのよ」

 ぼそりと、自分にさえ聞こえないようにこぼす。
 先ほどの場所に戻ると、鈴仙はその場に、銃を構えることさえせずに立ち尽くしていた。

「鈴仙、大丈夫?」
「え、あ、てゐ……うん、大丈夫」

 相変わらず真っ青な顔で、どこか空ろな表情。けれど、先程よりはいくらか落ち着いている。
 そんな姿に、てゐは少しだけ泣きそうになる。だがそれを堪え、意識して優しい声を掛けた。

「何があったのよ」

 その言葉にビクリと体を震わせてから、弾かれたように鈴仙は口を開く。
「そうだ! ねぇ、てゐ! 強い敵が来る! 今までとは全然違う、すごい強い奴が来るのよ……だから!」
 助けを乞おうとした。一緒に逃げようと言おうともした。そこでハッとして、鈴仙は我に返る。
 無意識に強く握り締めていた物を、ようやく思い出した。

 ―――私は今、何を考えていた……私は今、何を!―――

 背筋が冷え、怒りは上り、頭がパンクしそうになる。
 逃げようとした。そんな自分に気付き、鈴仙は頭を押さえて屈み込む。感情の爆発が、頭を内側から揺さぶってくる。

「ちょっと、鈴仙」

 心配そうに声を掛け、背を叩くてゐ。だけど、応えられない。今何かを口に出せば、きっと弱音を吐いてしまう。そう思うと、呼吸さえ詰まる。
 その時、がさりと、大きな音が響く。同時に二人はその方角を見つめた。

「……な、なに、こいつ」
「これが、敵……これが、強い敵!」

 てゐはその巨大さに、鈴仙はそいつが強いという認識に、二人は揃って震えた。
 それは高さ4メートルはあろうかという、巨大な蟹であった。

「この、蟹がっ!」

 槍を構え、飛びかかろうとする。だがその前を、咄嗟に飛び出した鈴仙が遮る。

「何してるの!」
「てゐ、早く行って!」
「はぁ!?」

 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。さっきまで苦しげに屈み込んでいたのに、なんでとっさに飛び出したのか。てゐには理解ができなかった。
 鈴仙にすれば、敵に今会えたことは丁度良かった。今の自分の中にある苛立ちから目を逸らせる。弱い自分を覆い隠せる。それで、鈴仙には充分だった。

「私の銃なら、きっとこれを倒せる……だから、早くみんなに伝えてきて! 姫や、兎たちや、メディスンや橙たちに!」
「あんた一人でどうにかできるの!?」
「私はそれができるのを渡されたのよ!」

 吠え返されて、てゐは言葉に詰まる。時間はない。それに、鈴仙の武器の方が強いのは知っている。
 納得できない心を、強引にてゐは沈めた。そして、それでも漏れる心を払う為に、最後に鈴仙をキッと睨んだ。

「……危険になったら、退きなさいよ」
「命は賭けないよ。私、賭け事には弱いから」

 その会話で、最後だった。
 てゐは駆けていく。屋敷に向かい、全力で。
 鈴仙はその背を目で追って、途端に恐怖が湧き出してきたのを感じた。

 ―――怖い。怖いよ。行かないで、てゐ。―――

 てゐの背中が、足音が遠ざかり、鈴仙は激しい後悔に襲われる。目の前が見えなくなりそうになる。
 それを、奥歯を噛んで堪える。こうしないと、自分でいられない。そんな気がした。
 異常なほどに胸が痛む。そして、正体の判らない焦燥に駆られる。

「怖くない、怖がるな……敵を撃つ。やることなんて……やれることなんて、それくらいじゃない!」

 震える手で、二挺の銃を構える。
 蟹は不格好ながら、鈴仙へと前進してきた。横にしか歩けない蟹ではないようである。
 巨大なハサミを大槌の様に振り上げて、一気に振り下ろす。それを見て、鈴仙は咄嗟に横へと跳んでかわす。
 地面が抉れていた。当たればただ潰される。そんな恐怖に頬が引き攣った。けれど姿勢を正し、精一杯蟹を睨み付ける。

「それだけ大きければ、的っ!」

 恐怖を噛み殺して、鈴仙は引き金を引いた。
 弾丸は四発。まっすぐ、頭部に二発、腹部と脚部に一発ずつ。
 しかし、これまで敵を粉砕してきた弾丸は、全て、いとも呆気なく弾かれてしまった、

「……え?」

 少しは利くと思っていた。効果がないとは、思っていなかった。だから、敵の急激すぎる強化が理解できなかった。

「そんな、馬鹿な……」

 自分にのみ与えられた武器。倒せないものなんてないと思っていた強力な武器。だが、それがこの大きな図体の敵には通じなかった。

「そんなわけない! だって、これはあの妖怪からもらった銃! 倒せないわけない!」

 元々、恐怖や緊張で、鈴仙の心は誰よりも不安定な位置にあった。それがここにきて、大きくぶれ始める。
 激しい動揺に、鈴仙は切り札の存在を忘れてしまった。
 あの銃、ツェリザカは、弾丸発射時に周囲の様々な力を強引に奪うという、悪魔じみた力を持っている。それは物質の他にも、妖力であったり、記憶であったりと、目に見えないものさえ奪い取るのだという。それを永琳に聞かされ、鈴仙は知らぬ間に、その銃に魂を奪われるのではないかという思いを抱いていった。そしてそんな無意識の恐怖も、鈴仙の目をそっと眩ませては、最大限の戦力を意識から隠してしまっていた。
 連続で引き金を引く。いくらかめり込んだ弾もあったが、それさえあまり効果があった様には見えない。それでも撃つのをやめない。今持っている唯一の力を信じて、震える手で狙いも付けずに撃ち続けた。
 その銃撃の中、止まっていた敵はゆっくりと鈴仙に向き直った。

「く、来るな! 私は、まだ銃を撃ってるのよ!」

 頭が焼ける。自分の考えさえ判らなくなる。
 鈴仙がハサミの間合いにはいっていないというのに、敵は大きく両方のハサミを振り上げ、振り下ろした。その風圧で砂が目に入り、思わず鈴仙は手を止めてしまう。
 目を擦ろうにも手が砂まみれ。諦め、鈴仙は痛みを堪えながら片目で敵を見た。

「……えっ」

 すると、敵の腹部に大きな穴が開いていた。
 思わず鈴仙はそれをただ呆然と見つめる。混乱している頭が銃を撃つのを止めたことで、ふと次にすべき行動を見失ってしまったのだ。

「何、するの?」

 呼吸が浅く荒くなる。冷たい汗が伝う。
 徐々に音量を増して、大きくなる「間に合わなくなるぞ、逃げろ」と心が叫ぶ。けれど、その叫び声が鈴仙には聞こえない。耳を塞いでしまう。心と体がバラバラになるような痛みのない激痛に、じんわりと涙が頬を伝った。
 巨大な腹部の穴の周囲が、歪む。強力な力が漂っているのだと、鈴仙は気付いた。

「……あ、まずい」

 蟹は自分に攻撃をしようとしている。そして、回避しないと危ない。そんな思いが、漠然と頭を過ぎった。

「逃げないと」

 他人事のように口から声が漏れるが、足が重く動かない。

「嫌だよ、ねぇ、動こう? ね? 私まだ、何も残せてないのに」

 徐々に頭が回り出す。氷が溶けていくように、頭は鮮明に物事を理解していく。けれど、体がまだついてこない。跳ばないといけないのに、歩くことしかできない。
 敵の力の集まりは、やがてそれが熱風を吹き出したかと思うと、突然空洞になっていた腹部へと収束する。

 ―――何もできないまま、殺される。―――

 何かは判らない。ただ、この敵は先程までのと違い、何かを発射することができる。そんな理解が、不思議と鈴仙の頭に広がっていた。

「嫌、どうして、どうして動いてくれないの……」

 叫びたいのに、声さえ出ない。

 ―――お願い、誰か助けてっ……!―――

 次の瞬間、敵の腹部から爆音が響いた。
 巨大な穴から大量の黒い弾幕を吐き出され、それはまるで雨のように鈴仙へと飛んだ。それを避ける術を、今の鈴仙は持っていなかった。
 目を閉じ、ゆっくりと身を屈め、鈴仙は激突の瞬間を待った。
 けれど、いつまで経っても弾が触れない。

「………?」

 もしかして外れたのか。そう考えると、涙が浮かんだ。助かった。運が良かった。そういう思いが湧いた。

「ふぅ、どうやら無事みたいね」

 すると、既に馴染んだ声が耳に届いた。

「あ、姫……」

 ハッとして目を開けば、見慣れた着物が揺れていた。
 深い安堵の息が、心の底から吐き出される。死んでいないという思いが、水のように全身に染みていく。それがあまりに強烈だったので、つい腰が抜けそうになってしまった。
 それをなんとか堪え、鈴仙は笑っている輝夜の顔を正面から見る。
 途端、水は凍てつき、氷へと変わった。
 輝夜の右腕が、肘までなくなっていたのである。

「あ、あ……」

 震えながら、鈴仙は輝夜の腕を指差す。輝夜はなんだろうとその指の方角を目で追って、そこで初めて、自分の腕がないことに気付いた。
 輝夜は妖力を使い壁を作った。だが、敵の攻撃が思った以上に激しかったので、壁が押され、自分の肘までが自分の作った妖術の壁に削り取られてしまったのである。

「あら。ピリピリ痛むと思ったら。あぁあ、この服はお気に入りだったのに」

 輝夜は自分の再生力に頼り、すっかり攻撃を避けるような戦い方は忘れてしまっていた。これでは戦い方が風雅ではないと、輝夜はぶつぶつと自分の戦い方への文句を口にする。そして最後に「鈴仙もそう思うわよね」と、優しげに声を掛けた。鈴仙の無事を喜んで、無邪気で嬉しそうな顔をして。
 しかし、その輝夜の声は鈴仙に届かなかった。
 引き金を引けず、仲間を傷つけた。そんな後悔が鈴仙の頭を埋めていた。そしてこの時になって、鈴仙は自分がツェリザカに恐怖して、無意識に避けていたのだと気付いた。

 ―――また、誤った。怯えて、逃げた。―――

 鈴仙の心が悲鳴を上げる。自分の為に、自分を永遠亭に置いてくれた姫を傷付けた。
 恐怖が色濃く湧き上がり、表情を歪ませていく。

 ―――あぁ。また私は仲間を見捨てたのか! もう逃げないって、誓ったハズなのに!―――

 血の気が引き、世界が歪んで見えてくる。涙が溢れる。
 自分が酷く汚らわしいものに思えて、胃の奥が気持ち悪い。酷い吐き気がする。

「うっ……」

 口を押さえ、屈み込む。
 鈴仙は自分を呪った。自分がどんな感情を抱いているのかさえ忘れるほど、自分自身を激しく憎悪した。

「どうしたの? 凄い顔してるわよ。もうへばるなんてだらしないわね」

 楽しげな声が耳に届く。ビクリと震えてから、鈴仙は顔を上げた。
 そこには、朗らかな笑顔があった。

「仕方ないわね。ほら、送ってあげるわ。しばらく屋敷で休んでなさい」

 手を伸ばし、鈴仙を起こそうとする。それを見て、自分はこの手を掴んではいけないと、咄嗟に手を払ってしまった。
 手を叩いた音が響く。
 その音に、初めて自分が何をしたのかを鈴仙は知った。
 傷を負ってまで助けてくれた輝夜の手を弾いた。
 鈴仙は弾かれたように立ち上がると、輝夜に怯えて駆け出した。
 そしてその背を、輝夜は唖然とした表情のままで追っていた。

「え、何?」

 去っていった鈴仙の気持ちが判らない。そして、腕を失った痛みより鮮明に響く、手の甲の痛みに戸惑っていた。

「私、なんかしちゃったのかしら」

 優しくしようとして逃げられたので、困惑と、良く判らない悲しさに襲われる。伝えたいことさえ言えなかったというショックもあって、手を見つめたまま唖然としてしまった。
 だが、長くぼうっとする暇もなく、背後からまた同じ攻撃が来る。それに気付くと、瞬時に飛び上がって回避する。
 一撃が重い分、この敵は動きが鈍く、更に硬直が長いようであった。

「よく判らないけど、うちの兎を泣かせたのは、たぶんあなたでしょ」

 空中で姿勢を立て直すと、笑顔を作り、キッと巨大な蟹を睨みながら近づく。

「全く。協力させるつもりだったのに、あんたの所為で台無しだわ。落とし前はつけてもらうからね」

 蟹はハサミを振り上げ、殴りかかろうと構えを取る。
 それを気にせず、輝夜は笑顔のまま拳を握り、歩み寄っていく。疲労はしているのに、手に無駄な力が入る。制限が狂う。長期戦に備えた、力の割り振りが巧くいかなくなってしまった。

「……家族のね、あんな顔は見たくないのよ」

 輝夜の周囲に、玉が浮かび上がる。そして、蟹の一撃を受け止めた。
 その時にふと、輝夜は自分の心の動きを感じた。それは焦り。そして、僅かな怯え。

「本当に、嫌な敵だわ」

 敵が口から、泡のような弾幕を放つ。
 対して、相変わらずの笑みを浮かべたままで輝夜は弾幕を避ける。そして、開いた口の中に玉を強引に惜しませる。

「人の心に入り込んで、嫌な気分にさせる」

 戦う中で、少しずつ輝夜は理解した。この敵の側にいると、心が弱る。考えが暗く重い方向に向かってしまう。
 まるで、幻想郷自体を自滅を誘うかのように。

「そう。つまり、だから鈴仙は泣いたのね」

 呟いた輝夜の眼前で、蟹は爆ぜて消えた。




 走って逃げていた。ただ、輝夜を見ないように、見られないように、鈴仙は必死に逃げていた。
 後悔と、憤りと、嫌悪と、嘆き。それらが不協和音となって響き、頭が内側から裂けてしまいそうだった。

「はぁ、はぁ……私は、あぁ、でも……」

 感情は溢れるのに言葉にならない。けれど吐き出さずにはいられなくて、溢れる何かを涙と一緒に吐き出していく。目が眩む、全身が痺れる。まるで自分が自分じゃなくなるようで、体から意識が剥がれてしまいそうに思えた。

「死んでしまえば良いのに。そうよ、こんな私は、死んでしまえば良いのに!」

 そう叫ぶと、徐々に足取りが重くなり、よろよろと立ち止まってしまう。溢れる涙を腕で拭うと、噛み締めて切れた唇から血が伝った。

 ―――何をやってるんだろう。私は戦う為に銃を取ったのに、何で自分で自分を傷つけて、握った銃を下ろして、守りたい人から逃げているんだろう。―――

 悔しくて仕方ない。何も出来ない自分を傷つけたくて、でもそれには意味がないと思うと、適当な理由を付けて実行をやめる。それだけで頭がいっぱいになって、何も出来ない。
 と、ツェリザカのことを思い出す。撃てば代わりに様々なものを奪い取る銃。

 ―――もしかしたらあれは、私がこうなることを見越して渡されたものなのかもしれない。私が、誰より憎い自分を傷つける為に。―――

 思うと、ゾッとする。それはやはり、不必要ということではないかと。
 また目に涙が溜まっていく。

「……でも、それでいいんだよね」

 紫の考えは正しい。生き残って不要なら、役立って散った方がずっとマシだ。
 そう納得すると、水滴は頬を伝った。
 その直後、重い足音が響いた。
 少し霞む頭を振り、涙を拭い、音の方角を探す。

「また、大きい奴!」

 ちらりと見えた巨大な影。目指し、走る。
 消してやると決めた。敵も、弱い自分も。だから、全力で敵の眼前に飛び出して、S&Wは腰に差し、ツェリザカを両手で構える。

「大きな奴!」

 そこにいたのは、高さ五メートルはありそうな猪であった。
 引き金に指を掛ける。引いたら倒せてくれと、強く願って。

「……え?」

 けれど、引き金は動かない。

「ま、待って……なんで?」

 手が震えている。まだ、怖い。
 臆病な自分は傷付けばいい。死んでしまえばいい。そう思っているのに、引き金が引けない。
 白む。光景も、頭の中も。撃てれば挽回できるという思いがあっただけに、引けない

 ―――なんで……なんで私は、こんなに弱いのよ……―――

 命を掛けてやる。そう決めたはずなのに、自分はまだ怯えている。震えて、何も出来ないでいる。

 ―――命懸けなんて、自分が満足するような言葉を思ったって、動けなきゃ……どうして、どうして!―――

 手に込めていた力が抜けていく。悔しさで噛み締めた奥歯が欠けた。もはや、涙はこぼれない。
 敵は迫ってくる。真正面から体当たりを仕掛けてくる。
 それを見て、とうとう鈴仙は銃を下ろしてしまった。

 ―――もう、このまま死んでしまえばいい。いても、悪い記憶しか残せない。これじゃ、迷惑を掛けるばかりじゃない。―――

 全身から力が抜け、思考が止まっていく。瞼はゆっくりと降りて、視界を閉ざそうとする。
 その時、鈴仙の手の中にあったツェリザカが、叫ぶように激しく震え出す。

「え?」

 驚きに、そして、痺れるような熱さに、鈴仙の中の消え掛けていた火が燃え上がる。思考が再開した。

「……わ、私は何を!」

 火は目を塞ぐ諦めを焼き払った。
 途端、弾かれたように跳ねる。それとほぼ同時に、さきほどまでいた場所を猪は踏み越えていった。

 ―――何やってるんだ! 私はまだ、住まわせてもらってる恩さえ返していないのに!―――

 冷静になってみれば、自分が馬鹿げたことを考えていたと気付く。そして同時に、冷静になれていなかったらと思うと、冷たい汗が流れた。
 ふと視界に銃が映る。それは、どこか誇らしげにふんぞり返っている様にも見えた。

「助けて、くれたんですか……?」

 目線は向けず、銃に、そしてその向こうの紫に、鈴仙はぼそりと問い掛ける。しかし、銃は答えない。当然か、と思うと、ふと笑みがこぼれた。
 銃に、軽い口付けをする。

「ありがとう。助かった」

 銃に対する怯えが、いくらか薄れていた。
 助けたのは全ての弾丸を撃ち終えていないからかもしれない。弾を撃ち尽くしたら、やはり自分は死ぬのかもしれない。そういう恐怖は残っている。

「ごめん……でもまだ、私……戦わないといけないから」

 引き金が引けない。試そうとしても、指が震えて動かない。
 途端、キッと視線を鋭くすると、ツェリザカを腰に差し直し、再び二挺のS&Wを構える。

 ―――怖いって気持ちを誤魔化さないで。そうじゃないと、また誰かを傷付ける!―――

 自分は憎い。銃は怖い。正直、ぼろぼろだと思う。
 それでも戦うと決めた。だから、本命とは別のだけど、銃を握った。

「あの銃に意味があるなら、諦めなければ、撃てるはずなんだ!」

 逃げかもしれないけど、悩んでいられる余分な時間はない。だから、今は生き残る。

「今は、やれる限りをやり尽くす!」

 通り過ぎた猪は立ち止まり、ゆっくりと鈴仙へと振り返った。
 銃を構え、相対する。
 ツェリザカを撃ち尽くすまでは死ねないのだと、自分自身に言い聞かせ、腹の中で渦巻く感情を抑え込む。
 猪は駆け出し、鈴仙は銃を構える。銃口は、必死に的を捉えている。



 永遠亭の庭先で、てゐは巨大な敵と対峙していた。

「参ったわね。倒せる気がしない」

 目の前に佇む、三角錘に似た異形。おそらく、巻き貝なのだろう。時折黒い空洞から顔を出しては、大量の弾幕をばらまいて、すぐに強固な殻の中に引きこもるという悪質な戦い方。今のところ前進して永遠亭を襲うようなことはないが、誘導して退かすこともできない。仕方ないので、他の兎たちは大半を待避させて、てゐは一人でこの巻き貝と戦っていた。
 ちなみにこの敵、横になって転がりながら庭中央に出現し、そこですくりと起きあがって現状に至る。鬱陶しい移動要塞である。

「あの中身が斬れたらどうにか……なるといいんだけどなぁ」

 とりあえず、殻の固さは尋常ではない。だから本来なら、それに守られた中身は柔らかいハズである。と思ってはいるのだが、あまり当てにはできない。
 この敵は進化を続けて今に至ったわけではなく、そこらの生き物の姿を模倣しているだけに過ぎない。つまりはこの堅い殻も、弱点を包むためのものではないかもしれない。

「くそっ。ていうか、鈴仙と姫は何やってるのよ。私じゃないでしょ、これは」

 敵はまだ湧いている。だから、大きい敵の一匹に集中しているわけにもいかない。何より、集中したところで勝てる保証など少しもないのだ。

 ―――勝てる保証がない、じゃないよね。たぶん勝てない。―――

 それが判るから、てゐは一刻も早く二人のどちらかを呼びたかった。
 巨大な敵に警戒しろと橙やメディスンに伝えたまでは良かったのだが、輝夜と遭遇する前にこれと出会ってしまった。うっかり目を離して永遠亭を攻撃されては堪らないとなれば、駆け出して助けを呼びに行くことも出来ない。

「早く、どっちかこーい」

 浮かぶ苦笑いのまま、どこか寂しげに口に出す。
 情けないと思っていた。あんな不安定な鈴仙に、頼らなければならない自分が。あんな状態の仲間を、戦わせないといけない自分が。

「きっついなぁ」

 思わず俯いて思考に浸りたくなる自分を律して、飛び回り弾幕を避ける。
 どうにか一撃を食らわせてやりたい。そう思い跳ぶが、顔を出すと同時に広く厚く弾幕を放つから、拡散する程度離れていないと避けられない。
 厄介だと、奥歯を噛み締める。

「選手交代の時間じゃないかしら、てゐ」

 と、何の空気の震えもなしに、まるで幽鬼のように、横にふんわりと輝夜が降り立った。
 着物は所々破れ、片腕の再生はまだ終わっていない。ここまで傷だらけの輝夜を見るのは、てゐにしても初めてであった。

「……姫、遅い」

 少しの驚きは溜め息と共に吐き捨てて、ようやく人心地ついた。
 さっと槍を背負うと、少し下がって敵から距離を取る。

「抑えててくれてありがと。あ、そうそう。悪いんだけど、鈴仙探してきてくれない?」
「はい?」

 思わぬ言葉に、理解が追いつかなかった。
 振り向きながら言葉を呑み込み、キッと目を鋭くする。

「鈴仙、どうかしたんですか?」

 どうにか戦えているだろうと、強引に思い込もうとしていた。だが、やはりそう巧くはいっていなかったのだろうかと、自分の判断に心で舌打ちをする。

「助けに行ったつもりで、逃げられちゃったわ」
「はい?」

 助けるという言葉と逃げるという言葉が、頭の中で少しも繋がらない。

「どういうことですか、それ?」
「ん。良くは判らないけど、たぶん悪い状態なんだと思うわ」

 悪い状態。その言葉に、背筋が震えた。

「鈴仙……」

 辺りをぐるりと見渡すと、数々の音の中に微かに聞き覚えのある銃声が響いている。これは鈴仙の銃の音。二挺の銃を連射する音。音のするのは、丁度屋敷を挟んで逆側。

「てゐ。ここは私に任せて、鈴仙を探しなさい」

 小さく胸を叩きながら、飛んでくる弾幕を玉で相殺する。
 一瞬だけ遠慮が喉まで上ってきたが、それをすぐに捨てると、てゐはすぐに竹林へと駆け出した。

「お願いします、姫様」
「そっちもお願いね」

 一瞬だけ言葉を交差させると、二人はお互い別々の目的に視線を向けた。
 駆ける。銃声のする方向へ。
 同時に思い出す。血の気の引いた、怯えて前後不覚に陥っていた鈴仙の顔。仕方なかったとはいえ、やはり離れるべきじゃなかった。鈴仙を戦わせるべきじゃなかった。そんな思いが止まない。
 と、不意に浮かぶのは、あの巨大な銃のこと。あれさえ銃さえ持っていなければ、鈴仙はあの巨大な化け物に挑み掛かる必要なんてなかった。そう考えた途端、カッとてゐの頭に血が上った。

 ―――あのスキマ妖怪がっ! あいつが変な物を渡すから、鈴仙が壊れそうじゃないか!―――

 奥歯が砕けそうなほどに奥歯を噛み締めた。行き場を見つけた苛立ちが、急に表に出てきたのである。
 だが、同時に冷静な部分で思う。本当に戦力強化の為だけに、あんなものを鈴仙に渡したのだろうか。戦いの為というのなら、もっとやりようがあったのではないか。鈴仙である必要はなかったのではないか。
 真意は測れない。だが、あの妖怪のことだ、何か狙いがあるのだろう。不思議と、そう思えて仕方ない。

 ―――……もしも鈴仙が苦しんでいることに意味がなかったら、私はお前を絶対に許さないからな。―――

 駆けながら空を睨み付ける。そして唾を飲むと、改めて前を向いて駆けていった。
 銃声は、まだ響いている。




 てゐを見送った輝夜は、永遠亭に巻き貝の弾幕がいかないよう、自分と永遠亭の間に巻き貝を挟む位置に浮遊していた。一度玉を放っては見たが、殻に弾かれて手元に戻ってきてる。どうも力の加減が上手くいかない。

 ―――全力出さないと駄目かなぁ。―――

 んー、と唇を少し尖らせて悩むが、やはり時間が惜しいので仕方がないと、加減をやめて力を込める。

「まぁいいか。そこな場違い貝殻さん。跳ね回る兎と違って、私はあなたに時間を掛けないわよ。ここは砂が綺麗でね、無粋な置物は必要ないのよね」

 と、そこまで呟いてから、不意にもう一体新しい大きな敵が現れたことに気づいた。視線を向ければ、そこにはえらく長い蛇が、体を起こして威嚇していた。

「二対一、ね。どっちが簡単に倒せるのかしら」

 少しだけ心が焦る。
 大きい敵と戦って、体が随分痛んできていた。戦闘に力を割きすぎて、回復が間に合っていない。全力で飛ぶと、回復しきっていない傷が開いて痛む。
 大きくはない敵も、少しずつ竹林から這い出してきている。十数分前には思っていなかった苦戦に、有り難いやら苛立つやらで、思考が安定しない。

 ―――参ったわね、陰鬱なこと考えちゃう。これじゃ、敵の思う壷じゃない。そんなんじゃ面白くないわよ。―――

 大きく深呼吸。竹林の香りを、嗅ぎ慣れた居場所の匂いを、精一杯胸に入れる。

「幻想郷は、確かに歪な世界よ。時代に逆らい、不自然に留まり続ける場所。いわば澱」

 周囲を囲む敵の群。少し心を侵されて、思考が悪い方へと流れていく。輝夜はそれを理解していた。
 だから、その自分の物じゃない考えを、素直な気持ちで打ち消していく。

「だけど、私はそんなここが好きなの。狭苦しい所だから、すぐ隣には人がいる。鬱陶しく思えるほど近くに心がある。こういう場所は貴重なのよ」

 空を見上げる。そして映る、丸い月を見つめる。
 月は、心が薄かった。人が皆役割を持ち、心は広がらず、密度に欠ける。生まれてから住み続けていたのなら気にならないが、地上を知ってからは、もう戻れないだろうと思っていた。
 そんな思いを抱きながら長い年月を地上で過ごした。けれどその内に、地上も月同様に心の密度が薄れていった様に輝夜には感じられた。それを悲しく思いながら、どこかにあるだろうと心を求めさまよい続けた歳月。それは、短くはなかった。
 そしてある日、ようやく幻想郷に辿り着いた。
 今はこの場所を、ここに住む生き物を、心から失いたくないと思える。それほど、輝夜はこの場所を好いていた。

「世界が急ぎすぎるから、立ち止まるものが置いて行かれる。でもね、止まる場所があっても良いでしょ。動けなくなったら忘れ去られるばかりじゃ、悲しいと思う」

 変化できない自分。死なないことは、常に今を生きている証にはならない。ただ、世界の時間の不具合に生まれてしまった異端の存在。
 だからこそ、この場所は肌に合った。
 自分に似た、置いていかれた世界。

「こんなに弱く、こんなに小さな世界は不自然よね。そして、不自然は洗い流したくなるものよね。でも、そんな場所にもね、生きたいって叫んでるのがいるのよ」

 兎の顔、人の顔、妖怪の顔。次々と浮かんでは、揺らいで消えていく。
 ふと、鈴仙の泣きそうな顔が、浮かんで、消えた。

「そういうの見ちゃうとさ……放っておけないじゃない」

 気力は戻った。戦う意味もしっかりと憶えている。
 改めて、退けないことだけは判った。

「ちゃんと頑張りなさいよ」

 誰かに宛てた言葉。空を泳いで、弾幕に消えた。




 駆けてくる猪を飛んで避けては、横っ腹に弾丸を撃ち込み続ける。だが、当たった弾はほとんどが弾かれ、弾かれなかった弾も僅かにめり込むだけ。やはりあの蟹同様に、この銃では効果はなかった。
 猪は風を纏っている。少し触れただけで、構わず吹き飛ばす強力な風の障壁。それが、突進の際には前方に集中する為、そのタイミングだけ敵に攻撃が届くのだと鈴仙は気づいた。だから望みを掛けてみたが、それでも銃弾は届かなかった。
 当て続ければあるいは。そう悪あがきをしていたが、これを繰り返して、ようやく諦めが付いた。
 二挺の銃を腰に差し、ツェリザカを取り出す。重く、熱い銃。

 ―――もう変な楽観はするな。希望は都合の良い妄想じゃない。覚悟決めて頑張った奴が、その努力の向こう側に見るものだ。―――

 こいつが撃てなければ、あれは倒せない。そう思い、真っ直ぐに銃を構える。

 ―――まだ、希望を見る資格は私にない。それでも、銃が撃てることを、信じるしかないから。―――

 一度強く瞼を閉じてから、見開いて敵を見る。
 震える指先に、力を込めた。

「撃てる……大丈夫。私がやることは、引き金を五回引くだけ……」

 しかし、指の震えが大きすぎて、力を込めることができない。引き金に指を掛けると、まだ怯えの方が強い。
 紫が鈴仙専用に改造した、周囲の力を吸収して弾丸を弾き出す銃。それが命を吸い出すかも知れない。記憶を奪い去るかも知れない。でも、それで構わない。自分が犠牲になってみんなが助かるなら、こんな私で役に立てるなら、それは望むところだ。
 何度も何度も、心の中でそう唱え続けた。けれど、心はいざとなると暴れ出す。

「怖い……怖いよ」

 心の声が表に溢れる。
 八雲紫は、全員を助けるつもりなのだと聞いた。しかし、もしも最初から全員の中に、自分がいなかったとしたら。私が命を掛けるのではなく、最初から私の命など捨てられたものだとしたら。
 馬鹿な考えだと思っていても、それは頭から離れない。不必要な自分の命を利用して、他の必要な命を守るつもりだとしたら。そんな思いが浮かんでは、苦しいほど胸を締め付ける。

「……死にたくない。忘れられたくない」

 傷を負うこと。死んでしまうこと。それはどちらも恐ろしい。けれどそれ以上に、幻想郷にあなたはいらないと放り出されることの方が、鈴仙には遙かに恐ろしかった。仲間に嫌われること、必要とされないこと、そして忘れられること。そういう死が、鈴仙の足をすくませていた。
 月の戦いから逃げた日から、心に根付いた巨大な傷。それは、未だ癒えていない。
 敵が再度地面を掻き、駆け出す。どうにか跳んで避けようとするが、反応が遅れてしまい、僅かに避けきれない。

「あぁ」

 このままじゃ、何もできずに死んでしまう。誰にも認められずに終わってしまう。
 そんな思いが胸の奥に突き刺さって、呼吸が止まる。
 直後、突然持ち上がった襟に首が絞められる。

「ぐぇ!?」

 襟首が何かに引かれ、鈴仙の体は猪の突進コースから紙一重で外れた。
 そのまま鈴仙は地面に転がってから、強引に潰された喉が空気を求めて大きくむせた。
 空気を充分に吸うと、地面に寝そべったままで自分を後ろに引っ張ったものを見る。

「え、てゐ?」

 そこにいたのは、見慣れた兎であった。

「何よ、持ってる銃はお飾りなの? 玩具で遊ぶなら屋敷の中にしなさい、恥ずかしい」

 怒るでもなく、安堵するでもなく、てゐは悪戯な笑顔で笑う。

「てゐ、私」

 何かを言おう。そう思うが、言葉は続かない。開いた口は、半端に言葉を紡いでから閉じられてしまった。
 そんな鈴仙から、てゐは目を背ける。

「不器用なのよ。いつも甘え損ねる。そんなんだから信じ切れない。どっかで、甘えたい相手に怯えちゃう」

 ビクリと身を震わせる。攻められているように聞こえたのだ。

 ―――嫌われた? 疑われた? 駄目、それには堪えられないよ。―――

 全身が細かく震え、嫌な汗が額を伝う。何か言わないといけないと、手を伸ばしながら言葉を吐き出す。

「あのね、てゐ、私は」
「信じなよ、鈴仙」

 だが、鈴仙の言葉はてゐにかき消される。
 少しだけ振り返って、ニッと笑う。

「鈴仙。怖いんでしょ。判るよ。戦うのは怖いよね。傷つくのも怖いよね」

 鈴仙から目線を逸らすと猪を睨み、突進の来るタイミングを計る。まだ猪は振り返る途中で、こちらには向かってこない。

「怖がるっていうのは、やっぱり恰好悪いよ。でもさ、怖いって思うことを否定しないで。怖がることは、何も悪いことじゃない」

 槍を小さく振って、鈴仙に立てと合図を送る。
 鈴仙はてゐの言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと身を起こし、重そうに立ち上がった。

「何も無理に戦うことなんてない。戦ってなくったって、仲間は仲間なのよ」

 腹に刃物が刺さるような衝撃が走る。けれどそれに痛みはなく、むしろ、傷を癒すように温かかった。

「甘えても良い。戦えなくたって良い。それでも鈴仙のこと、私が守ってあげる」

 息が詰まる。もう乾いたかと思っていた瞼が、再び熱く潤っていく。

「でも、なんでそんなこと」
「早く逃げろ! 屋敷に駆け込め!」

 そう言うと、てゐは鈴仙と逆の方向へ飛ぶ。猪は、駆け出す準備を終えていた。
 強い言葉に押され、戦いに挑むてゐの背を見て、一歩、また一歩と、鈴仙はてゐとは逆の方向へ歩き出した。そして、走り出す。逃げる為に。
 背後に、てゐの声が聞こえる。猪の駆ける音が響く。戦いが始まった。

 ―――なんで? てゐが、私を守る? そんなことしても、私何も返せないよ?―――

 思考は巡る。考えが進まない。
 けれどどうしたことだろう。頭の中は空回りしているはずなのに、手が、足が、心が震え出す。頭と胸の奥で、ひび割れの音が反響する。

 ―――判らないよ。判らないよ、てゐ!―――

 真っ白い感情は槌となって、五感を覆っていた正体の掴めない繭を砕き始める。
 理解できない何かが、内側で暴れる。
 堪えきれず、鈴仙は空を見上げ吠えた。

「うあぁぁぁぁぁぁ!」

 それは悔しさであり、苛立ちであり、そして勇気であった。




 槍を構え、てゐは猪を睨み付けていた。
 突進を避け、腹部に槍を突き立ててみた。しかし、刃はろくに沈まず、ほぼ瞬時にはじき飛ばされてしまう。ダメージを与えられている気はしなかった。

「これは、勝てないかなぁ」

 諦めが強く浮かぶ。それでも、鈴仙が逃げるまでの時間は稼がなければと、てゐは槍を下ろさずに敵を睨んでいた。
 突進の際に敵の風の障壁が邪魔で、様々な戦い方が思い付いては没になっていく。また、風の音の所為で外の音が様々な掻き消され、周囲の変化が把握しにくくなっている。接近戦を好むてゐにとって、これは相性の悪い敵であった。
 再度、猪は駆ける。竹を蹴って横に跳び、腹目掛けて槍を突き出すが、硬い体に弾かれて槍はてゐの手から飛ばされてしまった。
 槍を追い、すぐに拾い上げる。

「ははは、キツいなぁ。役に立てないっていうのは」

 心の奥が重くなる。
 あれほど弱った鈴仙と、傷だらけの輝夜。その二人に任せないと、倒せない敵。そんな現実が、てゐの心を締め付けた。
 本当は、守りたいのに。
 そう思うと、てゐはキッと敵を睨む。

「兎たちも鈴仙も、どうしようもなく弱いから。特に鈴仙は、少しだけ力持ってて、余計なこと色々考えちゃうから、かえって危なっかしくて見てられない。そういうの、守ってあげなきゃならないでしょ……守りたくなるのよ、そういう子は……」

 槍を構え、腰を落とす。効かないとしても、退く気はない。まだ、自分は囮にならなければならないのだと、覚悟を決めて戦っていた。
 しかし、強い疲労もあってか、てゐはすぐ頭上の敵に気づかなかった。黒い猿のような、けれど鋭く長い爪を持った獣が、てゐを狙い、今にも飛び降りようとしていた。
 獣は音もなく鋭い爪を構え、てゐ目掛け落下する。
 その瞬間、てゐの背後から、聞き慣れた声が響いた。

「てゐ、横に跳んで!」

 瞬間、目を剥く。

「なっ、鈴仙!?」

 驚きに一瞬だけ体を震わせてから、てゐは反射的に横に跳ねる。直後に、てゐのいた位置に獣が降り立ち、それと同時に鈴仙の弾丸に貫かれて霧散した。
 てゐの傍に駆けつけると同時に、鈴仙は引き金を引き、飛んでいた鳥を三羽撃ち落とす。
 それを見て、てゐは自分の油断を知る。そして、同時に、鈴仙に強い怒りを覚えた。
 逃げてくれたと思っていた。逃げてくれると信じていた。それなのに、鈴仙はここに戻ってきた。相変わらず、真っ青な顔のままで。

「なんで! そんな顔で!」

 怒鳴りつける。本気でてゐは怒っている。
 対する鈴仙は、銃を構え、辺りを窺いながら答える。

「だって、傷つくの怖いし、死ぬのはもっと怖いのよ……」

 声も体も震えていた。酷く寂しげに、そして、儚げに。
 そんなになってまで頑張る姿が、てゐには見ていられなかった。

「だったら!」
「でも!」

 てゐの言葉を、鈴仙は叫びで消す。

「大好きな人に怯えなきゃいけないのは、もっと、もっともっと怖いの!」

 震える手で、震える足で、思いの丈を精一杯吐き出す。
 何の為に戦うのか。そして、何に怯えているのか。それを、心と体に言い聞かせる。

「だからやるしかないじゃない! 布団を被ったって何も変わらないならないなら、自分で引き金引かなきゃ! 怖くたって戦わなきゃ、誰かと笑えなくなる! そんなのは、死んじゃうのよりずっと嫌!」

 戦いは怖いものばかり生む。全部から逃げてしまいたい。でも、逃げたら怖さは追ってくる。そしてその内に、耐えられる怖さは耐えられないものへと変わっていく。
 怖さの違いに気付かなかった。全部同じじゃないんだ。耐えられるものと、耐えられないものとがある。だから、耐えられる内に乗り越えるしかない。
 それが、鈴仙の出した答えであった。

「……馬鹿っ」
「ごめん、てゐ。でもね、私もみんなを守りたいの」

 そう言われては、てゐにも何かを言うことはできなかった。
 帰れと言いたくて、でも戦うのには鈴仙が必要で、結局選ぶ余地などはなかった。

「ええい。判ったよ。その代わり、さっさとその銃弾撃ち尽くして、後ろにさがれ」
「うん。ありがとう」

 清々しい表情。久しぶりに、鈴仙は晴れやかに笑った。
 鈴仙の素直な感謝が、やはりてゐにはむず痒い。できることなら、この痒さは今日限りにしたいとさえ思うほど。

「それじゃ、改めて行くよ、鈴仙!」
「うんっ!」

 その掛け声と同時に、敵は突進を開始した。
 二人は同時に飛び上がると、足の裏を合わせ、お互いを蹴って左右に跳ねる。そして、どうにか突進を回避する。

「てゐ、私撃ってみる。今なら撃てる気がするの」

 巨大な銃を両手で持って、鈴仙はまっすぐ猪を狙う。
 その姿に、てゐは掛ける言葉が見つからず、少し思案顔を作る。それから、槍を構える。

「了解。それじゃ、小物は任せて」

 言いながら、飛び掛かってきた鳥を両断する。
 お互いに視線を交わし笑い合うと、互いの目標に挑む。てゐは周囲の小柄な黒い獣に。鈴仙は巨大な黒い猪に。それぞれ役割を果たす為に。
 ツェリザカを握り、大きく息を吸う。

「そうだよ。私が銃を撃つのは、私が憎いからじゃない。敵が怖いからでもない」

 ゆっくりと照準を定め、鈴仙は敵の中心を狙う。一番厚い部分を貫いて、一発で消し去る為に。そしてそれができる銃なのだと、鈴仙は疑わない。

「私は、私を残す為に銃を撃つ。みんなが憶えていてくれる為に、私が役立たずじゃなかったって思ってくれる為に戦う」

 敵は突進の構えを取り、地面を軽く蹴る。あと少しで、また突進を始めるだろう。
 すると、三体の獣を倒したてゐが横に立った。

「突進を始めたら、正面からの攻撃は効かないでしょ。どうするの?」

 もしかして正面の障壁に気付いてなかったりしないよね。と、てゐは少し不安げに声を掛けた。
 そんなてゐに、鈴仙は笑みを返す。

「大丈夫。この銃は、さっきまでの銃よりも強いから」

 撃てば倒せる。それは不思議と、鈴仙の中で確信となっていた。
 まだ僅かに指が震えていて、望むままに引き金を引けない。しかし、もう震えは怖くはなかった。
 大丈夫だと、鈴仙は心に伝えていく。銃の強さに反応して暴れ出す心を、優しく撫でるように、ゆっくりと落ち着かせていく。

 ―――自分を守ろうとしてる自分を、私はずっと無視していたんだね。ごめん。でも、もう大丈夫だから。―――

 徐々に鈴仙の心が軽くなっていく。すると、何かの外れる音が胸の奥に響いた。
 指が、動く。
 その時、遂に敵が突進を開始した。いざとなれば鈴仙の服を掴んで跳べるようにと、てゐは腰を沈めて構える。

「……てゐ。お待たせ」

 ぼそりと、鈴仙が漏らした。
 てゐその言葉に少しきょとんとしてから、頭を掻いて姿勢を正す。そして、やれやれと笑ってみせた。

「遅いよ。十分の遅刻」
「ごめん」

 二人は笑い合う。鈴仙の顔は相変わらず青白いが、目の光は既にいつも通りになっている。霞みが、ようやく晴れた。

「やっちゃえ、鈴仙。焦らしに焦らしたんだから、期待外れは許さないよ」
「任せて。五発限りの、私の全力!」

 敵は迫る。その鼻先目掛けて銃口を構え、鈴仙は人差し指を引く。そして叫ぶ。
 それは希望の銃が撃ち出す、狂気の弾丸。

  フェイファー・ツェリザカ
「 『 狂 者 の 幻 想 』 ! 」

 引き金は、動いた。

 直後、耳の奥を貫く様な鋭い音が響く。鈴仙の放った弾丸が、銃口を飛び出した途端に音速を遥かに超え、空の壁を叩き割った音。だが、その音は鈴仙の耳に届かなかった。
 銃を中心に青白い光の球体が生まれ、鈴仙をすっぽり包み込む。その中で、砂が、音が、光が僅かずつ、青い光の中心に、大喰らいの鉄砲に飲み込まれていった。
 ガラスの様な何かの割れた様な甲高い音に驚き、思わずてゐは耳を塞いで顔を歪ませる。それから、ハッとして鈴仙の方を見ると、鈴仙は唖然とした顔で立ち尽くしていた。既にそこに、青い光はない。
 鈴仙は一度試射して腰を抜かしたことがあったが、今の弾丸はその時の威力をずっと上回っていたように思えた。あの時と今で、何が違うのかは判らない。ただ、あの時よりも、引き金は軽かった。
 二人が驚きから我に帰ってから巨大な猪の方を見れば、そいつは銃の衝撃に押され後方に吹き飛ばされていた。
 見れたのはその一瞬だけで、次の瞬間には消滅する。それは、銃の威力を信じていた鈴仙にしても、しばらくの間は言葉が出せなかった。

「……強いと言うか、強過ぎると言うか」

 敵の消え去った方角を見て、てゐがすっかり呆れていた。

「あ、あはは……なんだ、強いじゃない。強いじゃないよ、あはは」

 胸の内にあった微かな不安が、ドッと押し寄せてきた。見えていなかった、倒せなかったらどうするのかという恐怖に、鈴仙は冷や汗が噴き出した。
 心が、引き金を引けるように身を潜めていてくれた。そう気付くと、手にした銃と自分を支えてくれた無意識の自分に、思わず泣きそうになりながら感謝をした。

 ―――戦える。私には、みんなを守れる力がある。―――

 喜びに笑いながら、てゐの方へ行こうとした時、鈴仙の膝が折れる。

「あ、あれ?」
「鈴仙!?」

 突然膝を突いた鈴仙に、てゐは酷く焦って声を荒げた。

「あ、大丈夫大丈夫。この銃、撃つとすごく疲れるのよ。それだけだから」

 心配そうな顔のてゐに、鈴仙は優しげに答える。確かに、顔色は良くなってきている。それを見て、てゐはホッと息を吐いた。
 銃に体力を奪われた。けれどそれだけ。試射の時の様に、心を抉られた感じはない。

 ―――何が変わったの? 撃つ度に軽くなるとでもいうの?―――

 ふと、ツェリザカを見る。すると、それはどこか、もっと信頼してくれと語っているように見えた。
 鈴仙はそっと、腰に差した二挺の銃を撫でる。

「……ごめん」

 静かに詫びる。信用していなかったことと、一人で戦っていると思っていたことを。
 僅かに、銃が震える。認められたことを喜んでいるのか、水臭いと叱っているのかは判らない。ただ、伝わる気持ちは温かい。

「今更だけど、よろしく」

 ようやく相棒になれた。




 鈴仙と輝夜。その二人だけが、現状で巨大な敵を倒すことが出来る力を持っている。ただし、鈴仙には弾数に限りがあるので、そうなれば必然的にほとんどの敵を輝夜が倒すこととなる。
 巨大な猪を倒してから、鈴仙はてゐと分かれた後に輝夜と遭遇した。そこで、助けに来てもらって傷を負わせたことと、手を払って逃げてしまったことを詫びる。けれど、そんなことはどうでも良いとあしらわれてしまう。輝夜にすれば、自分に負い目がなかったと判っただけで満足だった。それ以外は、特に気にしていなかったのである。
 二人は短く話し合い、再び別れて行動を始めた。
 その時に与えられた鈴仙の役割は、S&Wでの戦闘を極力おこなわず、巨大な敵に専念すること。普通の敵をメディスン、橙、てゐに任せ、輝夜が戦闘中に別の巨大な敵を撃つことであった。
 その役割を果たす為に、鈴仙は屋敷を挟んで輝夜とは反対の位置を駆けていた。大きい敵は輝夜の力に惹かれるようで、ほとんどは輝夜のいる庭へと集まっていく。これを一人で受け持つのは輝夜にしても酷なものであったが、それでも輝夜はそれを自分に課していた。
 しかし、例外はある。輝夜に向かわず、永遠亭を攻めようとする巨大な獣。鈴仙が討つべき対象。
 それが今鈴仙が対峙している、巨大な高さが五メートル近い黒い牛であった。
 戦い始めて、五分が経過しようとしていた。
 無数の針のような弾幕が、鈴仙の数瞬前に居た場所を貫いていく。

「くそっ! 銃なら、間合いが取れなけりゃ!」

 跳ねて弾幕を避け続ける。弾の切れ間が短すぎて、ツェリザカを構える余裕がない。どうにか距離を取ろうと後ろに跳べばすれば、牛はあっという間に駆けて迫ってくる。
 牛は、まるで全身の体毛を飛ばすかのように、一瞬体全体を波打たせてから、細い弾を全方位に放った。そしてその弾は、牛からある程度離れると、突然方向を変えて鈴仙の方に降り注ぐ。確実に一点を狙うわけではなく、特定の方向に向きを変えるだけ。だから、避けにくい。
 大量に広く飛ばされた弾幕は、それこそ横殴りの雨のように鈴仙を狙う。下手に立ち止まれば、あっという間に穴だらけになれそうだ。
 そのを弾幕を回避しながら、鈴仙はツェリザカを構えるタイミングを探っていた。あれは飛び跳ねながら撃つことができない。立ち止まり、しっかりと構えて撃つ必要がある。
 まだパターンが完全には掴めていない為に、今は逃げ続けるしかない。
 ただ、ほとんどの敵にいえることだが、攻撃はほぼワンパターンである。多少の誤差は常に生まれるが、牛にしろ猪にしろ、攻撃方法はそれほど多くない。それが判ってきているので、鈴仙は隙を探るのにに集中できた。
 しかし、観察に集中をし過ぎた瞬間、鈴仙は足に痛みを覚える。

「痛っ」

 足を浅く切られる。他の弾より遅れて飛んできた弾を見落として、回避行動を取り損ねたのである。
 弾はかすっただけだが、それでも肌は裂け、血が足を伝っていた。

「あれで切れるの。くっ、結構痛い」

 顔をしかめながら傷を見る。痛むが、動けない訳じゃない。永琳からもらった薬を使うにしても、敵を倒してからでないとチャンスを掴めそうにない。

「細い弾だから当たってもどうにかなるかもって思ってたけど……甘かったかも」

 もしも急所に当たれば、間違いなく死ぬ。この時に初めて、輝夜さえ負傷させる敵の弾の威力を知った。
 僅かにゾっとする。けれど同時に、不謹慎にも胸は弾んだ。こんな強い敵を倒せるだけの力を持っている。それが誇らしく、嬉しかった。
 敵の弾を避けながら、ツェリザカを握り締める。握ることに、もう恐怖はない。
 竹林の中を、前後左右に上下を加え、止まらず駆ける。足に負荷が掛かる度に痛み、少し傷が開くのを感じた。

「構えて撃つだけの時間さえ見つけられれば」

 弾を避けることと隙を探すことに集中している為だろう、余計な焦りや苛立ちは湧いてこない。お陰で、鈴仙の思考に陰鬱さはない。
 しかし、いつまでも飛び回ってばかりはいられない。敵は増えるのだ。
 突破口になりそうなパターンはみつけていたのだが、それはまだ不安定な要素。牛は弾を四秒に一度ほどのペースで撃ち続ける。だが、ある程度撃つと、希に八秒ほど弾を撃たない間ができる。
 これが弾の再装填なのではないかと、鈴仙は踏んでいる。しかし、単に発射タイミングをずらすものだったりすれば、あまり意味のないものとなる。この発見に期待を掛け過ぎてはいけないと、鈴仙は勇む自分を戒める。

「姫ならこんな敵、あっという間なんだろうに」

 弾を回避して、無傷で勝とうとしている。そしてそれが長引く理由であることにも、勿論気付いている。そんな自分に少し焦るが、不意に輝夜の声が響いて、そんな焦りはどこかに消える。
 ―――私には不死という力がある。けれど、それはあなたにはないわ。だけど代わりに、素早く跳ね回れる足がある。ものを見逃さない眼がある。私に私の戦い方があるように、あなたにはあなたの戦い方があるのよ。―――
 実際に言われたわけでもないというのに、鮮明に浮かぶ輝夜の言葉。その言葉に救われる。

「判りました。やってみます。自分なりの戦い方」

 鈴仙は自分の目を信じる。狂気を叩き込む力を持つ同時に、鍛えて身につけた動態視力。武器にならないはずがなかった。
 一つ気づいた。敵は弾を止める際に、軽く身を震わせる。撃ち終えた後の動作で些細なものだが、鈴仙にはくっきりと見える。
 数度見送った。そして、自分の予想通りに敵は止まる前に震えた。
 自分の考えに自信を持つと、鈴仙は次のチャンスを待った。敵の撃つ弾数は常に変化する為、数も時間も当てにできない。だから、見続けるしかない。
 牛が震えた。

「今だっ!」

 弾を回避して、即座に銃を構える。
 狙いを定めて引き金に掛けた指に力を込める。次の瞬間、牛の背が波打ち、弾が出る前兆を示す。
 悪寒が走る。フェイントに引っかかったのかと、鈴仙の血の気が引いた。だが、もはや構えを解いても間に合わない。どうすれば良いのか、一瞬だけ判らなくなる。
 けれど、悩む暇などないと鈴仙は思い直す。そして少しの傷を負うのは仕方ないと覚悟を決めると、強く引き金を引いた。

「『狂者の幻想』!」

 引き金が引かれた途端、空の割れる音が響く。
 それと同時に起こる、力を呑む青い球状の空間。

 ―――え?―――

 青い空間に、赤い筋が走る。それが何なのか、咄嗟に鈴仙には判らなかった。

 ―――しまった!―――

 しかし、すぐに理解する。それは、鈴仙の血であった。
 ここはツェリザカが力を吸収する空間。だから、その吸引力に引かれて、足の傷が開き血が吹き出したのだ。
 だが気づいたところで、青い空間はすぐにはなくならない。鈴仙の血は球体を大きく周り、銃へと吸い込まれていった。

「あ、がっ……」

 強引に吸い出される血に、足が枯れるような錯覚を憶える。膝を折り、地面に寝転んだ。そうしてようやく空間は消え去り、宙を舞っていた細い血の筋は、行き場を見失って地面に落ちた。

「はぁ、はぁ……怖い怖い。傷を持って戦うと、私が銃に殺されちゃうわ」

 冷や汗をかいた。不思議ともう撃ちたくないと思うほどの恐怖は根付かなかったが、取り乱し掛けたのは言うまでもない。
 頭がようやく落ち着いて周囲を見れば、既に敵は跡形もない。ほっと一息。

「そうだ。早く、薬使っちゃおう」

 そう言うと、胸ポケットに入れてあった小瓶を出して、その瓶の中の液体を指に取り、そっと傷口に塗った。

「つ、つぅ……!」

 染みた。
 軽くのたうち回る。

「あぁ、でも効いてきたぁ」

 銭湯に浸かったかの様な科白であった。
 と、そこに黒い影が迫る。鳥が体当たりを掛けてきたのである。

「いっ!?」

 油断をしすぎた。だが、咄嗟に反応が出来ない。
 それでもどうにか体を捻り、直撃のコースから身を逸らした。
 しかし、鳥は鈴仙の背後に突き刺さることはなかった。

「手伝いますよ、鈴仙さん」
「おっきいの以外は、私と橙に任せて」

 と、元気な弾む声が響く。
 驚きながら見上げてみれば、そこには橙とメディスンが、鈴仙を挟むように周囲を警戒していた。
 巨大な敵が多くなってから、二人は同じ場所に長々いるのが危険だと判断して、通常のサイズの敵を探して倒すという遊撃に移ったのである。

「メディスン、橙……」

 鈴仙は驚いた顔のままで二人を見た。それに気づいた二人は、声を揃える。

「「仲間でしょ」」

 何気ない言葉。それが、温かかった。
 てゐだけじゃない、みんなが仲間なのだと、鈴仙は改めて心に刻み込んだ。
 鈴仙はその二人を見てから、再度体を寝かせて体力の回復と傷の治りを待つことにした。

「来るよ、メディ」
「判った」

 橙が飛び跳ねて攻撃し、それでも倒せなければメディスンが毒の弾を撃ちだして倒す。二人は寝転がる鈴仙を守る形で、巧いコンビネーションを見せていた。
 二人の戦い方の変化に、鈴仙は思わず拍手でも贈りたくなってしまった。
 そのまま数分が経った頃に、メディスンが鈴仙に声を掛けた。

「鈴仙! まだ駄目!?」
「……えぇ。もう、大丈夫です」
「橙! まだ駄目っぽい!」
「判った!」

 二人はまた護衛の体勢を取る。

「…答えたのに」
「ここの兎は嘘吐きだから。それに、鈴仙は嘘下手だし」
「あははは……」

 苦笑い。
 仕方ないから、今はもっと頼ろう。そう思いながら、鈴仙はまたしばらく横になった。
 寝転んでから五分が経った頃に、鈴仙はゆっくりと起き上がる。

「もういいの?」
「はい。もう大丈夫です。ありがとう、メディスン。橙」

 そういう鈴仙が本当に大丈夫そうだと確認すると、二人は別の場所へと駆けていった。その背を見送って、鈴仙は思わず溜め息を吐いてしまう。

「見習わないと」

 などと、ちょっと羨んでいた。
 二人がいなくなって、少し静かになった周囲を見渡すと、既に消えた牛のことを思い出す。

「そういえば、あいつが最後に放った弾って、届かなかったのかな? 全部をツェリザカが弾いたとは思えないんだけど」

 辺りを見回すが、判らない。敵が消えると弾も消えるのだろうか。しかし、そんなにすぐに消えるとも思えない。

「ん~」

 悩むが浮かばない。
 まぁいいかと、鈴仙は考えるのを止めた。しかし、考えたときに、一つだけ引っかかりを憶えた。
 最後の弾。あれが本当に、フェイントを狙ってのものだったのか。

「もしかして、あなたも生きたかったの?」

 あれが偶然なのか、狙ったのか、それとも撃たれると気付いて無理矢理弾を吐き出したのか。それは鈴仙には判らない。ただ、もし死ぬのを恐れてなら、哀れなものだと思った。
 頭を振る。そんなことを思ってやれる余裕もなく、哀れんで撃つには覚悟が足りない。

「ごめん。私も生きたいから、見なかったことにするね」

 哀れむのはこの一瞬だけ。突然生み出され、倒される獣。この獣たちにもしも自我があるとすれば、次は良き生涯を送れるようにと小さく祈った。

「よしっ。次だっ!」

 踏み出す。
 敵は、まだ多い。




 荒い呼吸をして、また大きな傷を増やした輝夜が、庭の中央で空を見上げていた。

「……あぁ。いくらなんでも、全力出しっ放しはしんどいわ」

 額と前髪を汗で濡らした輝夜は、涼しい風を体に浴びながら深呼吸をする。火照った体に、冷えた空気は心地好かった。
 頭を振り、髪の隙間まで風を送る。とりあえず大量の敵を倒し、しばしの休息を味わっていた。

「ふふふ。確かに休みたくなってきたわよ、神様。でも、まだ楽しんでて良いのよね」

 振り返ると、雛は相変わらずの笑顔でのんびりと眺めている。それを見て、輝夜は満足そうに笑った。
 珍しく、疲労の色が濃い顔。それもそのはずで、既に不死でなければ、何度死んだか判らないほどの傷を負っているのだ。
 回復が全体的に間に合っていない。妖術に使う体力の消費と、肉体の損傷。どちらもが激し過ぎて、時折目が霞む。血も随分と抜けてしまっている。
 これが楽しい。死ねない輝夜が死を感じるには、全力を持って暴れ、その上で傷を負い苦しむ外ないのだ。だから、これは最高に生を感じられた。
 とはいえ、これは守る為の戦い。心地好さに溺れ、倒れてしまうわけにはいかない。

「やっぱり回避できないと駄目ね。今度は、異変を解決する側でもやらせてもらおうかしら」

 半ば本気でそんなことを思う。しかし、今そんなことを思っても無駄なので、少し頭を振って雑念を払う。危うく、巫女の代わりに飛び回る自分の想像に浸ってしまうところだった。そして空想に溺れかけるほど、疲労は深刻なのだと知る。

 ―――こんなに疲れるのって久しぶりね。あぁ、楽しいわぁ……でも困ったわね。強過ぎるわ。―――

 微笑みは崩さず、けれど心底忌々しげに呟く。

 ―――こんなに楽しいのに、邪魔するなんて無粋よ。―――

 意味のない愚痴。
 今輝夜にとっての最大の敵は、疲労と回復の両方が放つ、強力な眠気であった。

 ―――……あぁ、寝そう。―――

 とろんとした瞼で、輝夜は必死に体を起こしていた。

「早く来なさいよ。間が空いたら、私、寝ちゃうわよ」

 酔っ払いのように身を揺らしながら、新たに顔を出す敵を睨み付ける。

 ―――交代までの時間。声枯れるまで、歌わせて貰うわよ。―――

 湧き出す巨大な敵に、無駄に力の入った玉が襲いかかっていった。
 優雅さを欠いた荒々しい、けれどやはり優雅な戦い様。それは、不思議と舞っているように見えた。




 鈴仙は完全に二挺の銃を撃つことを止め、ツェリザカを握り締めて駆け回っていた。
 通常のサイズは全ててゐたちに任せる。そうでないと、残り三発の弾丸を撃てなくなることが、鈴仙にはなんとなく判っていた。
 S&Wを撃てないことを、今の鈴仙は受け入れられる。みんながそれぞれの役割を果たすということが、今なら理解できた。
 そんな時に、鈴仙はてゐを発見する。

「てゐ」

 思わず声を掛けると、てゐは槍を構えたまま振り返り、空を指した。

「鈴仙。でっかいのがいるよ」
「へっ?」

 見上げてみれば、巨大な鳥。
 まるで時代を間違えたかのような巨大な鳥は、空を隠すような翼を羽ばたかせ、まるで空に浮く島のようであった。

「うわ、ばかでっかい」
「ジャンプしてみたけどさすがに届かなかった」

 チャレンジしたらしい。
 夕日に照らされて、黒く巨大な鳥が空を旋回していた。弾幕を放つ気配もなく、ただくるくると空を回っている。

「怪獣みたい」
「っていうかあれもう怪獣でしょ。そんなことより、鈴仙あれ撃ち落とせそう?」

 どこか恐怖を感じなかったもので、二人は緩そうに頭上を見上げている。
 距離は結構あるが、あの弾が届かないとも思えない。鈴仙はそう決めると、そっと頭上に銃を向けた。
 その途端、ひらひらと羽の様なものが舞い落ちてくる。

「なに、あれ?」

 少し意識を逸らしながら、鈴仙は指に力を入れた。
 刹那、てゐの頭の中にチクリとする刺激が走る。

「鈴仙! 下がるよ!」
「え、なんで? まさかあれ、弾幕!?」

 てゐは鈴仙を引っ張り、その落下物の範囲を離れた。と、そこで羽は炸裂する。
 その際に、てゐは永琳の薬の入った小瓶を首から掛けていた紐が切れる。

「しまった!」

 手を伸ばすが、炸裂した際の爆風に押され、小瓶は闇の中へと飛んでいってしまった。

「あぁ……探す暇ないし、探し様もないし。参るなぁ」

 いざという時の為の備えを失い、てゐははがくりと項垂れた。
 そのまま二人は二人は地面に伏せ、爆発をやり過ごす。

「危ないなぁ……」
「あいつら、どれだけのバリエーションの弾幕積んでるのよ」

 油断する度にひやひやする鈴仙と、勘の冴えているてゐ。ある意味とても良いコンビであった。
 二人は起き上がると、さっさとあの敵を撃ってしまうことを決めた。脅威でないなら無視してもよいかと鈴仙は思っていたが、とんでもない、あんなのを空から大量にばらまかれたら、猪や牛よりも遙かに恐ろしいことになる。

「じゃ、撃つからね。離れてて」
「はいはい」

 てゐはギュッと耳を塞ぎ、鈴仙が銃を構える姿を見守っていた。
 鈴仙の手から力は流れ込み、あっという間に発射の態勢は整う。

「『狂者の幻想』!」

 引き金を引く。だが、それよりも僅かに早く、いつの間にか降りていた羽が炸裂した。
 振動で手元がブレる。

「あぁ!?」

 青い空間が広がり、周囲に落ちていた羽を吸い込んでいく。

 ―――あぁ、やっぱりさっきの牛の弾幕も、こうやって銃が呑み込んでたんだ。―――

 思わずそんな理解が頭を走った。
 青い空間が引くと、すぐさま鈴仙は空を見上げた。
 鳥は、健在だった。

「外した……そんな」

 たった五発しかない弾丸の一発を、外してしまった。
 役に立てる。そう思っていた分の反動で、鈴仙は一気に震えだしてしまう。

「世界が終わったみたいな顔しない! まだあと二発もあるんでしょ!」

 そんな鈴仙を、すぐにてゐが叱る。

「それに、あんたが外すことをあのスキマ妖怪が想像できないとでも思ってるのか!」

 言われて、ハッとする。そして同時に、くよくよ悩んでいる時間などないのだということも思い出す。

「ありがとう、てゐ」
「まったく、世話の焼ける」

 本当に同じことで何度も何度も。そう思うと、てゐは苦笑いを浮かべた。
 てゐ自身は、紫のことをそこまで信じていない。けれど、今は信じた振りでもしておかないと、鈴仙をどうにか出来ないと思ったので、都合の良い嘘を吐いた。

 ―――私の嘘を、嘘にさせるなよ。大妖怪。―――

 未だに少しの敵意を込めて、てゐは紫の顔を思い浮かべた。
 二人は駆けて、鳥のまだ飛んでいない場所を探す。そして、弾幕のないことを改めて確認してから、再び銃を構えた。

「私にだって、銃に関しては意地がある……」

 苦々しく呟いて、照準を定める。

「『狂者の幻想』!」

 今度は何にも邪魔をされず、弾丸は真っ直ぐに鳥を捉えていた。
 空で、鳥の影は夕闇に飲み込まれていった。




 激しさを増す中で、輝夜と鈴仙はボロボロになっていく。その代わり、それ以外の妖怪たちはみな、ほぼ無傷の状態で戦っていた。疲労は貯まるものの、元より人間とは比べものにならない体力の持ち主だ。苦しいほどの疲労はまだない。
 これはまずい状態だと、鈴仙とてゐは感じていた。およそ半分に差し掛かろうという現状で、既に大きな敵を討てる二人が満身創痍。とてもあと一時間ちょっとを乗り越えるだけの体力は残っていない。これでもどうにかなるのだろうか。そういう思いが過ぎる。
 その点、輝夜はずっと気楽であった。戦うだけ戦えば、後は永琳と雛とが後はどうにかしてくれるだろうと、それほど深刻には考えていなかったのである。
 橙とメディスンも、輝夜と同じほど、後々に関しては楽観的であった。紫を純粋に信じている橙と、そんな橙を信じているメディスン。二人はただ戦ってさえいれば、道は紫が拓いてくれているという思いなのである。それなので、諦めなければ大丈夫としか、彼女たちは思っていない。
 一方、戦っていない者たちも、それぞれ思いが異なっていた。
 慧音は、使えるかも知れない自分の力の使い場所が判らず、どうすべきかと焦りを抱いていた。
 同じ部屋でジッとしている永琳は、輝夜の体力が尽き、交代する必要が出てくるタイミングをただ待ち続けている。
 その部屋の前で輝夜の戦い振りを眺めている雛は、もうじき交代になるかなと、待ち合わせでもしているような気楽さで、ぼうっと荒れ狂う弾幕の波を観察している。
 それぞれがそれぞれの思いを抱く中で、ぽつりぽつりと、雨が降り始めた。



「あら、雨」

 自分の血に塗れた輝夜は、空を仰ぎ、血の固まっていた部分が流れていくのを感じた。清々しい。
 雨はぽつぽつと慎ましやかに降り始めたが、途端にざぁざぁと強くなる。
 強まった眠気が、雨の冷たさに押し流されていく。

「さっきまで水の香りなんてしなかったのに。不思議ね」

 そう言うと、輝夜は雨の中でくるりと回りはしゃぐ。
 再び訪れた休息の時。敵は失せ、今は雨の音しか聞こえない。

「風まで出てきて……雷雨。不思議な天気ね」

 突然様相を変えた空に、少しばかり輝夜はきょとんとする。
 雨音は強く響き、外の音をどんどんと掻き消していく。そして音と共に掻き消されたのか、不思議と敵の気配が薄くなった。

「弱点、雨だったりするのかしらね」

 びしょびしょになりながら、輝夜は空を泳いだ。強風に煽られ、飛ばされるようにふらつきながら、楽しげにふらふらと飛んでいた。
 激しい雷鳴が響き、冷たい雨が降る。
 そんな中で、ふと強力な気配に気付き、輝夜はそちらに向かった。
 何かがいる。それも、永遠亭に近づけてはいけない様な大物が。
 その気配を頼りに、竹林の方へと進んでいった。
 しばらく奥に入ると、暗くなった竹林の中で、ぼんやりと細い何かが浮かび上がる。
 雨を弾き、勇壮に佇む巨大な敵。

「これは、本当に大きいわね」

 高さは六メートルほどだろう。細い枝のような体。巨大な鎌。それは、真っ黒いカマキリであった。

「小物がいなくなったと思ったら、大物が更に大物に変わったわね。合体でもしたのかしら」

 くすくすと笑う。
 見た目だけでなく、恐らく強度も力も増しているのだろう。そう思うと、輝夜の笑いは強まる。
 疲労が濃くて、力の制御ができない。不死で戦意に満ちていたとしても、力が出せなくなれば戦えない。

「こいつを倒したら、私はしばらく休憩かしら」

 倒せて一体だけ。
 雨に濡れて重い着物に構わず、滲む視界の内にカマキリを捉えると、枝を振る。輝夜の周りを囲うように、彩り豊かな玉が浮き上がる。

「来なさい。あなた倒したら休憩するんだから、強くてちょうど良いわ」

 相変わらず不適に笑う。
 カマキリは長く鋭い鎌を振って見せた。獲物を捕らえるにしては鋭利すぎて、敵を断つ為だけに備わっている二振りの刃。
 さすがに体を真っ二つにされるのは面白くないので、輝夜は敵の間合いの外から一気に片を付けることにした。そして玉を飛ばそうとした直後に、巨大なカマキリは輝夜のすぐ目の前まで迫っていた。

「え、速い」

 そのカマキリの跳躍は、輝夜の想像を上回っていた。
 この位置は既にカマキリの間合い。輝夜は焦りながら、カマキリが鎌を振り下ろすであろう方向に玉を配置する。
 そんな輝夜の読み通りの軌道を二つの鎌は描いた。だが、思わぬ威力に負けて、輝夜は後方に飛ばされた。
 地面や竹に接触する前に、姿勢を正すと、悠然と立つカマキリを見る。

「しまったわね。強くなり方が想像と違う。さっさと倒さないと、私が動けなくされそう」

 カマキリは再び飛ぶ。今度は油断がない分目で追えるが、それにしたって速すぎて、避けるだけで体に強い負荷が掛かる。

「くっ!」

 でかい体を器用に動かし、竹林の中を飛び回る。どうやら弾幕はないようだが、移動の速さと鎌の威力を考えれば、弾幕がなかろうが容易い敵ではなかった。

「これは、鈴仙たちの手には余りそうね。なんとか私が片付けないと」

 玉で鎌を受け、飛んで逃げる。攻撃をするタイミングさえ掴めない。
 敵の移動が速く、後方に飛んでもすぐに追いつかれる。まるでお手玉でもされているような感じだ。
 巧く攻撃する間をひらくことが出来ず、輝夜は数分という間、ただ良いように遊ばれていた。

 ―――防御と回避ばかりでは、体力を失うだけね。―――

 そう思うと、輝夜はダメージを受けて反撃をすることを決める。そうでもしなければ、このカマキリに攻撃を当てられる気がしなかったのだ。

「仕方ない、次の一撃、少し受けましょう」

 再度距離を取り、枝を構える。それを撃ち出そうとした時には、眼前にカマキリが迫っていた。
 全力の妖術を込めた玉が繰り出される。
 すると、その玉を目掛け、カマキリは鎌を振り下ろす。

「え?」

 次の瞬間、輝夜の放った玉は弾き飛ばされてしまった。
 輝夜は唖然と固まってしまう。そんな輝夜を、既に鎌は狙っていた。

「ちょっとそれは、聞いてないかな」




「敵の気配がやたら薄れたけど、どうしたんだろう」
「さぁね。雨にでも流されたんじゃない? 泥人形みたいな奴だし」
「そうだと嬉しいんだけどなぁ」

 全身を雨に濡らした二人は、そんなことを話しながら永遠亭を目指して走っていた。
 風雨が起こり雷鳴が鳴り始めた頃に、二人は通常の敵を見失った。そこで、敵が消えたなら良いが、力を蓄えて何かをしようとしているのかもしれないと、揃って永遠亭の庭先へ戻ることにしたのである。

「もしかして、終わってたりしないかな。もう弾もないし」
「まだあと一発あるでしょ。確かに結構やばくなってるけど、そんな都合良いこと考えない」
「そうだね」

 淡い期待が浮かぶのはどうしようもない。だけど、またそんなものに眼を塞がれては困ると、鈴仙は頭を振る。
 そうして、二人は永遠亭へと戻ってきた。

「あれ、姫がいない」

 庭先に辿り着いてみると、そこに輝夜はいない。ただ、雛が正座をしてのんびりと庭を眺めている姿しかなかった。
 とりあえず縁側の近くまでいって、少しでも雨風を避けようと、二人は雛の方へと駆けていった。
 すぐに雛は鈴仙とてゐの姿を認め、二人が近づいてくる様子をじっと見ていた。そして二人がすぐ近くまで寄ると、戦闘中とは思えない和やかさを纏いながら口を開いた。

「あら、兎さん方。お揃いで」
「あ、はぁ」

 あまりにのんびりした言葉に、鈴仙は一瞬だけ頭が白んでしまった。しかし、気を取り直す為にぶんぶんと頭を振る。
 その横で、てゐは呆れた顔を浮かべる。

「あんた本当に気楽そうね」
「えぇ。でも内心では、みなさんの心配でハラハラしていますよ」
「そりゃありがとう」

 苦笑いと呆れ顔の二人。
 そんな会話を終えると、雛はそっと横を向き、少しだけ大きめの声で叫ぶ。

「慧音さん。こちらに居ますよ」

 鈴仙とてゐも雛の向いた方向を見るが、そこには誰もいない。それから少し経つと、視線の方角から慧音が走って現れた。

「あ、ここにいたのか。すみません、鍵山様」
「え、慧音さん?」

 慧音は鈴仙たちの前に来ると、そこでぴたりと立ち止まった。

「あんた、出てきちゃ駄目なんでしょ?」

 そんな慧音に、てゐは腕を頭の後ろで組み、より一層呆れ顔。

「守ってもらっているのにすまない。だが、急を要する話でな。鈴仙、少し話させてくれ」
「え、私なんですか?」
 自分に何か用があるとは思っていなかったので、鈴仙はぽかんとした顔で聞き返す。
 横にいたてゐは、二人が話している間にぐるりと見回って戻ってこようと考えた。雛もいることから、この辺りは無事に違いないと踏んだのだ。そして、その間に橙とメディスンに会ったら、状況次第では一度この場所に集合させようと決めた。

「それじゃ、私は屋敷の周りを見てくるから」

 言いながら、てゐは再び雨の中に跳び込んでいく。

「え、てゐ!?」

 てゐはあっという間に、雨の帳の中に消えていった。
 一瞬、鈴仙は引き返せと叫び掛けた。強い雨に、てゐがさらわれる錯覚をしたのである。けれど、てゐにはてゐの役割があると言い聞かせると、慧音に振り返った。

「それで、何のご用でしょう」

 鈴仙の瞳に熱いものを感じて、慧音は、自分の選択に間違いはないだろうと思った。

「鈴仙。あの八雲の主から渡された大きな銃に、弾はあと何発残っている?」
「え? ツェリザカのことでしたら、あと一発です」

 言いながら、鈴仙は自分の手にある銃を慧音に見せた。

「そうか」

 慧音は少しばかり考える。残りはたったの一発。永琳の、撃ち尽くした後はもうどうでも良いという言葉が、頭の中で引っかかっていた。
 しかし、慧音は自分の勘を信じた。

「私は、私の持っている歴史を創る能力を、少しは使えるのかもしれない」

 何を言われるのかと思っていた鈴仙は、慧音の言葉にきょとんとしてしまった。

「え?」
「ただ、どの程度使えるのかは私にも判らない」

 やや俯きつつ、慧音は言葉を続ける。
 そこまで言われてから、鈴仙はようやく言葉の意味を理解した。

「でも、慧音さんの力って、確か使えないはずじゃ」
「あぁ。詳しい説明は後回しにするが、とりあえず、敵に攻撃をおこなう以外の使用はできるようなんだ」

 そこまで言って、言葉を止める。
 鈴仙は驚きのまま固まって、続く慧音の言葉を待っていた。

「鈴仙。私はお前が八雲の主から渡された銃を撃ち尽くす為の援護をする。一度しか使えないかもしれないし、半端にしか役立てないかもしれないが、お前が私の能力を使ってくれ」
「え、えぇぇ!?」

 驚き急激増加。
 鈴仙は、そのある意味プロポーズのような科白に驚き、両手をばたばたと振り回していた。

「れ、鈴仙?」

 鈴仙の様子がおかしいことに気づくが、自分の所為とは思っていない慧音。
 しばらくあたふたとしてから、鈴仙はこのままではいけないと、思い切って雨の中に飛び込んで頭を冷やし始めた。
 それからしばらくして、鈴仙は慧音の傍に戻ってくる。

「……ただいま」
「お、おかえり」

 通常状態に戻った鈴仙と、その鈴仙の挙動が理解できず混乱しかけた慧音。
 二人はお互いに向き合って、いくらか言葉を交わした。こうして、ようやく鈴仙は慧音の言う意味をしっかりと理解した。

「慧音さん……それなら、お願いがあります」
「あぁ、なんだ」

 鈴仙は、自分の望むことを告げた。
 望む力の使い方も、そして理由も、全てを説明した。
 それを聞いて、慧音は難しい顔を作る。だが、すぐに表情を解き、優しげな表情を浮かべた。

「判った、やれるだけのことはやってみよう」

 返答は肯定。鈴仙は、慧音の手をギュッと握った。

「ただ、私も、未だそういう力の使い方をしたことはないだから……」
「判ってます。ただ、もしも可能性があるのなら、きっとその可能性は叶いますよ」

 澄んだ瞳で、鈴仙は言い切る。

「この銃を与えてくれた妖怪は知りませんけど……この銃たちは信じたい。何度も救われたから。だから、この銃たちを預けてくれた妖怪も信じたいんです」
「そうか」

 信じることを、こうも清々しく言える鈴仙の無邪気さが、慧音には少し眩しく映った。

「それなら私も、自分の中のハクタクを信じてみよう」
「お願いします」
「やってみせる」

 そう言うと、鈴仙は再び庭の中央へと歩んでいき、周囲を警戒し始める。
 そんな鈴仙を、ジッと慧音は見つめていた。そしてそんな二人を、未だ立ち上がらない雛が交互に見る。

「力が使えると言っても、今あなたが力を使うのは、しんどいものですよ」
「そうでしょうね」

 頷く。それは、なんとなく判っていた。

「それでも、何も出来ずに悔やむのは御免なんです」

 何かが出来る。そう思えた慧音は、どこか澄んだ表情を浮かべていた。
 そこに、駆けて回っていたてゐが戻ってくる。メディスンと橙には会わなかったのだと言う。
 さて、これからどうするか。そんなことを誰かが言おうとした時、竹林の中から、輝夜が飛ばされてきた。

「姫っ!?」

 まっすぐに鈴仙の方へ向かってきた輝夜は、鈴仙にキャッチされる。見れば、全身に酷い傷を負い、息も絶え絶えになっている。

「あら、鈴仙」
「だ、大丈夫ですか! どうしたんですか!」

 抱いて身を起こさせると、輝夜は血を吐いて苦しげに噎せる。
 しかし、そんな状態でも輝夜は喋った。

「良い? 聞きなさい。私は、もう力がないわ。敵を倒すだけの、力が出ない」

 鈴仙を微笑みながら見つめ、呻きながら声を押し出す。

「話さないでください、今、師匠に」
「だから、あなたが倒しなさい」

 呼吸が止まる。
 その言葉に、鈴仙は全身が震えた。

「だけど、凄く強いから、気をつけなさい」

 そこまで口にすると、輝夜は静かに目を閉じた。

「ひ、姫! 今すぐ師匠の所に運びます!」
「私は、放っておきなさい。すぐ治る。戦えないけど、動けるようにはなるから」

 ビクリと跳ねて、鈴仙は固まってしまう。
 すると傍までてゐが駆けてきた。

「姫、大丈夫なの?」

 てゐが心配そうに声を掛けてくる。輝夜の飛んできた、竹林を睨みながら。
 鈴仙は、自分の胸の中に熱いものが生まれるのを感じた。
 頼られた。命令された。その二つが、鈴仙の心を激しく燃やしていた。

「てゐ、姫をお願い」

 そう言って立ち上がると、鈴仙は銃を握り竹林を見つめる。
 輝夜の言葉が聞こえていたてゐには、鈴仙が戦おうとしていることを知っていた。良く判らない、強い敵と。

「あんたが犠牲になっても、誰も喜ばない。だから、命を掛けるなんて英雄ごっこ、絶対にやめてよ」
「大丈夫だよ、てゐ。私は臆病だから、死ぬの怖いもん」

 ―――そういう否定をする時が、一番心配なんだよ。―――

 けれとてゐはそれ以上に言葉を紡げず、歯を噛み締めると、輝夜を抱えて永遠亭に向かった。

「ありがとう、てゐ」

 呟いた直後、鈴仙の視界に敵が映る。

「……っ!」

 飛び出してきた。巨大なカマキリ。

「なっ!?」

 振り返り、てゐも言葉を失う。それは、巨人と小人のようなサイズの違いがあった。
 銃を構えてはいたが、カマキリは既に鎌を振り上げ終えている。
 間に合わない。
 そう思うと、鈴仙は横に跳ねた。間一髪で切り抜ける。

「つっ!」

 跳び退くと、すぐにカマキリの鎌が襲ってくる。
 左右に跳ねて鎌を避けるが、キリがない。自分の限界以上の力で跳び続けているので、全身が痛む。
 それを見て、慧音は首飾りを外した。途端に、慧音の容姿が、半獣のそれへと変化していく。同時に、酷い疲労感が全身を襲い始める。

「……鈴仙。私も、やってみせる」

 戦う鈴仙へと腕を伸ばし、力を込め始めた。
 止まらず振られる鎌に、鈴仙は銃を構える余裕さえなく、次第に焦っていく。
 姫が倒れ、倒せるのは自分しかいないのだ。そんな重圧が、胸を貫いていた。
 だが、既にそれを乗り越える力を、鈴仙は身につけていた。

 ―――私がまだ、戦える。それを誇れ。私には私の、成すべき役割がある。一人じゃない。みんなが支えてくれる。きっと、みんなが一緒にいてくれる。―――

 鎌を蹴り、地面を転がると、転がりながら地面を蹴って跳び、カマキリの周囲を駆ける。
 どうにか回避し続けることは出来る。ただ、これでは埒が開かない。どころか、このまま疲労が積もれば足が止まり、いつかは殺されてしまう。
 そんな恐怖と無力さを、どうすべきか鈴仙は必死に考えた。
 てゐに言われた言葉が耳に残っている。けれど、英雄ごっこがしたくなる。

「駄目だ、てゐ。私が駄目になる前に出来ることって言うと、それしかないみたい」

 一つ、ついさっきした口約束を破ることを、鈴仙は選んだ。

「私がここにいたことを、そして私がここにいたことに意味があったことを証明できるのならね! てゐ、私は戦えるよ!」

 敵を蹴り、後方へと跳ねる。そして宙返りをしながら、銃を、着地した際に敵を捉えられる様に構えた。

「誰かの記憶に残るならそれでいい。私の事を、一人でも忘れずにいてくれればいい」

 そして、ゆっくりと鈴仙は着地をした。
 その隙を逃さず、カマキリの鎌が襲ってくる。鈴仙は一歩、後ろに跳ねた。鎌が、鈴仙の腕を斬るコースにあると判ると、鈴仙は銃を頭上に持ち上げた。

「……この弾丸を撃ち終えるまで……」

 鈴仙の肩から腰までを、巨大な鎌が深く切り裂いた。
 鈴仙の口から血が噴き出す。痛みを通り越し、意識が飛びそうになった。
 だが堪える。歯を食いしばり、震える両手で改めて敵を狙う。

「……私は、絶対に死なない!」

 激痛に目が眩んでいく。それでも、銃は下ろさない。

「もう少し、もう少しだから、私と一緒に戦って! 私がここで、生きる為に!」

 ―――私が、捨て駒だって構わない! みんなを守れるのなら、命だって惜しくない!―――

 再び鎌が持ち上がる。

  フェイファー
「『 狂 者 の 』……」

 風は冷たく、濡れた全身を凍らせる。けれど、心の中は熱い。不思議な感覚。生きているのだと実感できる。

「止めなさい、ウドンゲ!」

 永琳の悲鳴が耳まで届いた。輝夜を部屋に入れようとした際に開けた襖から、永琳は鈴仙がなにをしようとしているのかを見てしまった。
 その悲鳴が、鈴仙の背を押す。

 ―――私を心配してくれる人がいる。だからもう、何も怖くない。―――

 覚悟を決め、引き金を引く。

  ツェリザカ
「『 幻 想 』」

 弾丸は飛び、カマキリの腹部を穿つ。と同時に、衝撃波がカマキリを内側から砕いていった。
 あっという間に、巨大なカマキリは崩れ落ち、雨の中に沈んでいった。
 発射と共に起こる、巨大な力の奔流。その激流に耐えきれず、鈴仙の傷から大量の血が噴き出した。

 ―――……耐えて。まだ、死ねないの。―――

 薄れる意識の中、それだけを強く念じた。
 しかし、その急激な出血のショックに耐えきれず、鈴仙は白目を剥いて意識を失ってしまった。

「鈴仙!」

 膝を折り、崩れていく鈴仙を見て、てゐは駆け出した。永琳もまた、庭先に飛び出していく。
 同時に、慧音も能力を発動させる。

「欠片を集め、新たな歴史を創り出せ」

 言葉を紡ぎ、自分の力を放出していく。

「頼む、私の中のハクタクよ。自分以外の為に命を掛けた奴がいるんだ。そいつの想いに、応えてやってくれ」

 願うが、力が出し切れない。つっかえたように、能力が完全に発揮できない。

「私のハクタクの力が、幻想郷の一部なら!」

 その苛立ちをぶつけるように、慧音は目を見開いて吠える。

「まだ在り続けたいのなら、応えてみせろ! 幻想郷!」

 その咆哮に反応するように、慧音は自分の中から完全な力が放出されるのを感じた。途端に、鈴仙の前方に光が溢れる。

「でき、た……」

 慧音は笑い、そのまま、気を失った。力を使い果たし、既に慧音は、人の姿に戻っていた。

「ご苦労様です、慧音さん」

 雛はそんな慧音の頭を、優しく何度も撫でるのであった。
 輝夜と鈴仙という、巨大な敵と戦う力を、ほぼ同時に失った。時刻はまだ、一時間を少し過ぎたところ。
 雨は、いつの間にか上がっていた。













 現在の布陣
 ・博麗神社 霊夢、萃香 藍
 ・白玉楼  幽々子、にとり 妖夢、早苗、霖之助、椛、プリズムリバー三姉妹、ミスティア、小町、映姫、半霊
 ・永遠亭  永琳、慧音 輝夜、鈴仙、てゐ、橙、メディスン 雛
 ・妖怪の山 神奈子、諏訪子
 ・紅魔館  レミリア 咲夜、美鈴、パチュリー、フランドール
 ・人の里 妹紅、魔理沙、アリス
 ・太陽の畑 幽香

 行方不明 文
輝夜「どうせ聞こえているのなら聞かせてあげるわ! 永琳、好きよー! 愛してるー!」
さとり「なっ、なんですか!? 今は弾幕ごっこの最中なんですよ!」
輝夜「心の声は、心の叫びでかき消してあげるわ! 永琳! いつもありがとう! ずっと大好きよー!」

永琳「あらあら」

さとり「こんな盛大な惚気聞いてたら、頭が茹だっちゃうわ。そうだ、第三の目を閉じれば良いのね。よし、これでまともに戦えるわ……あら? 兎の姿が? 見えませんよ?」
鈴仙「悪いですが、今ですね」

さとり被弾


どうも、新年あけましておめでとう。(遅い
今年初投稿になります、大崎屋平蔵です。

いやぁ……読んでくださってる方には申し分けなさすぎるスローペース。

1なんか書けなくなった
2データ飛んだ
3長くなりすぎて気力が萎えた
4目標にしてた千点を一風が超えてて満足してしまった

↑こんな感じでした。
でも、ようやく熱が戻ってきたので、書くぞー!
最後駆け足で申し訳ありません。あと、以後の作品はもっと短くなります。バランス悪くてすみません。

それでは、スクロールバーがおかしなことになってますが、読んでいただきありがとうございました♪
がんばるっ!
大崎屋平蔵
[email protected]
http://ozakiya.blog.shinobi.jp/
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コメント



0.1450簡易評価
2.90煉獄削除
久しぶりすぎて内容などすっかり忘れてました。(汗
読んでいるうちに、ところどころ思い出したりもしましたけど。
戦いなど鈴仙やてゐの行動など、とても面白かったと思います。
次回がどうなるのか楽しみですね。
5.80名前が無い程度の能力削除
おお、お久しぶりです。続き待ってましたよー
姫様の異常なまでのかっこよさに惚れました
6.100名前が無い程度の能力削除
燃え燃え怒涛な展開ですねー。
次回も期待して待っとります。
11.80名前が無い程度の能力削除
永遠亭のめんめんの心情がよく出ていましたね。とくにうどんげの描写が頭抜けていたように思いました。

それでは応援してますのでこれからも頑張ってください!
13.90名前が無い程度の能力削除
相変わらずの萌え燃えですね

あれ?雛…
15.100名前が無い程度の能力削除
がんばって!!!
18.100名前が無い程度の能力削除
おかえりなさいませ
熱い展開ですね。とても読み応えがありました
輝夜、鈴仙と倒れ、半結界である永琳はどう戦うのか、そして雛は?
もう続きが待ちきれないです
26.100名前が無い程度の能力削除
待った・・・。
ずっと待っていましたよ!!
がんばれ!!
28.無評価名前が無い程度の能力削除
これはかなりの良作
続編楽しみにしてます
32.80名前が無い程度の能力削除
頑張れ~
34.無評価名前が無い程度の能力削除
続き、気になります!
頑張ってください!
38.100名前が無い程度の能力削除
続き…ずっと待ってます!