結界が壊される少し前。
光りに明るく照らされる白玉楼は、新鮮な茶と花の香りが舞い、恐ろしいまでに和やかな雰囲気に充ち満ちていた。
いくらか気の早い桜がポツポツと恥ずかしそうに咲き、それを眺めつつ茶を啜る幽々子、霖之助、早苗、妖夢の四人。これから戦いの起こるのだとは、到底思えぬ空気が濃密に漂っている。穏やかな顔やら、不機嫌そうな顔やら、緊張した顔やら、不安そうな顔やら、こちらの花も彩りの豊かさでは負けを取っていなかった。どれも性格の所為が、色は随分と薄目であったが。
「ここって、明るい所なんですね。外はもう朱色が降り始めて……ましたよね?」
辺りを見渡しながら誰かは定めず、けれど問うように口にする早苗。
「冥界は、僕たちの住む世界と管理する神が違うからね。天候も時候も異なるし、時間の流れ自体も多少の誤差がある」
と、特に目線を向けるでもなく、少しばかり不機嫌そうな霖之助が説明を返した。
「へぇ」
そんな身近な珍しい自体に、少しだけ目を輝かせて早苗は声を漏らす。
白玉楼は冥界にある為、幻想郷の結界からは厳密には外れている。その為、ここの空が割れることはまずなく、敵が来るとすれば、幻想郷にある冥界の結界の穴を通って来る以外にはない。
入り口が一つしかないという点で、白玉楼の防衛は他と比べ遙かに楽であった。白玉楼へと続く石段の中腹で待ちかまえ、来る者を切り捨てていけば良いのだ。穴に近すぎると端と端から同時に侵入をされた場合に防げないので、やや離れた位置に立って敵を見張る。敵は結界である幽々子を狙うというのだから、石段を真っ直ぐ登ってくるのだろう。それなら、これで問題はない。これが幽々子の考えであった。
防衛方法までが予めしっかりと決まり、為す役を負った者の覚悟が固まっている以上、幻想郷結界に穴の開く数分後まで、そこにいる者たちには特別やることはなかった。
「ところで霖之助。いつまであなたは、そんな不機嫌そうな顔を引きずっているつもり」
「私は普段から愛想の良い方じゃないですので」
「ふふふ」
幽々子は楽しそうに笑う。そしてその幼い笑顔に、不機嫌そうな霖之助の表情が苦笑いに近い物へと形を変えていった。
「そんなに怒るものじゃないわよ。さ、あなたの持ってきた新茶でも味わいなさい」
「……そうします。しかしこれは、不思議と、苦いお茶だ」
「そうかしら。とても香りの良い、美味しいお茶だわ。ありがとうね」
今朝方発掘された、というか発掘させられた『超大事』と書かれていた小箱。その中身は、随分とせっかちな新茶であった。
小箱を持って白玉楼に訪れた時、上でにこにこと笑っている幽々子と目があった時には、幽々子と紫の謀なのだと確信した時にはまだ苦笑いで済んだ。だが、持ってきたものが茶と判った瞬間だけは、本気で霖之助は崩れてしまいそうだった。
「まさかこの非常事態に、どこから仕入れてたかも判らない新茶を運ばされるとは思いもよりませんでした」
新茶といえば夏の季語。けれど、幻想郷の季節はまだ春の前。そう考えれば、わざわざ新茶を手に入れる為に、結構な労力を裂いたことは明らかであり、そこが霖之助の最も呆れた部分である。
「すみません、霖之助さん」
「ん、いや……僕はどちらかといえば、嵌められた自分自身に腹が立っているだけだ。別に君の主には……普段通りにしか腹を立ててはいない」
「あははは……」
そんな霖之助の言葉に、妖夢は渇いた苦笑いで応えた。
まるでピクニックでもしているかのような緊張感のなさに、最初は少し緊張していた早苗であったが、次第に知らぬ所に来たという思いは霧散していった。
早苗の中で湧く、懐かしい外の世界の感覚。それは、入学してから三ヶ月が経ったような、そんなむず痒い馴染み空気。思わず、早苗はくすりと笑みを溢す。ここはそんな、春の陽気に包まれているのであった。
しかし、そんな空気が長く続くわけもない。戦いとなる時刻が近付く度に、チリチリと少しずつ、各々の心に緊張を走らせていった。
そわそわと妖夢が落ち着かなくなり、庭をうろうろと歩き回り始める。内心で落ち着かないのは霖之助や早苗も同じであったが、妖夢はもしも既に敵が来ていたらという不安が誰よりも強く、居ても立ってもいられなくなってきていた。そこで見回りに行かせてくれと頼むが、それは何故か幽々子が止める。
「……幽々子様。あの、そろそろ石段のところに行っても」
「駄目」
こんな感じである。
妖夢の行動を止める幽々子の意図が汲めず、けれどそこまで頑なになるからにはなにかしらの意図することがあるのだろうと、早苗と霖之助は何も言えずにいた。
だが、心の中の一割ほどは、実は単に我が侭言いたいだけなんじゃないかなぁと、思わずには居られない早苗と霖之助であった。
と、幽々子は自分の横に置かれた巨大な重箱を開ける。中から出てきたのは色取り取りの団子。この日の為にずっと仕込み続けた、妖夢の努力の結晶である。
その串に刺さっていない団子を、ひょいと手で摘んで口に放る。
「あ、ちゃんと口まで持っていってください!」
「あら、目敏い」
「これでも刀使いですので……って、あぁまた!」
妖夢の説教を何処吹く風と、幽々子は団子を摘んでは放って食べる。
それから、意地悪そうににこっと微笑むと、幽々子は妖夢に向かって団子を一つ、弧を描くように放り投げた。
「はい、妖夢。手を使っちゃ駄目よ」
「え、えっ?」
団子を目で追う妖夢。律儀にも、命令に従い手は頭より下にある。
飛ぶ小さな団子はしっかりと見え、その軌道も読める。どこに落ちるかは誤りようがない。落ちてくる団子をジッと見つめ、妖夢はそのあまり大きくはない口をおずおずと開き、落下地点で待ちかまえた。
「みゅん!」
……しかし、団子は妖夢の鼻に当たった。
こんな食べ方に慣れていない為、口の位置を読み誤ったのだ。鼻に当たった衝撃で思わず目を閉じてしまったが、咄嗟の反応で鼻に弾かれた団子を手で受け止める。どうにか落とさずに済み、妖夢はホッと一息吐いた。
「手を使っちゃ駄目って言ったのに」
「食べ物で遊ばないでください!」
上手く食べられなかったこととついうっかり乗ってしまったことに対する恥じらいに、顔に濃い朱を差しながら誤魔化すように妖夢は怒鳴る。
そんな妖夢が面白いようで、幽々子はにこにこと笑ったまま表情を崩さない。その態度に、何を言っても無駄と悟ると、妖夢は大きめの溜め息を吐いた。
「ん?」
ふと、何かに気付いたように幽々子が空を見上げる。
「どうかしましたか?」
霖之助が訊ねる。早苗も幽々子の顔を見てから、幽々子の眺める先へと視線を移す。だが、そこに何も見えない。妖夢にさえ、何一つ見えなかった。
「妖夢。大事なお客様が来るわ。助けてあげなさい」
「え? お客様……助ける?」
そう口にした直後、妖夢も気配を感じる。冥界の結界の穴を何かが抜けようとする気配。
「っ!」
気付くや否や、妖夢は駆け出す。それが何かは見てから考えるという意識の下で、今は何も考えずに道を走る。
気配を感じて数秒。既に結界を突破していたそれは、真っ直ぐに石段を越えてくる。
「「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」
……悲鳴を放つ二人の妖怪を腹に括り付けて。
「……にとりさんと、天狗?」
一瞬目の前の光景が理解できず唖然とするが、すぐに気を引き締め、それに向かい駆け出す。と同時に、幽々子の「助けてあげなさい」という言葉を思い出した。
飛んでいる鉄の塊と、それにくっついたにとりを切り離せば良い。そう思うと、妖夢はロケットに向かい、楼観剣を抜いてロケットと擦れ違う軌道を跳ぶ。
斬る箇所は、鉄の塊とにとりの狭間。紙一枚分の隙間。そこを僅かの逡巡もなく、右手に持った刀で一閃する。狙い通り、刀は妖夢の思い描く軌道を滑っていく。交差は一瞬。躊躇えば斬り損ねる。
「え、誰?」
妖夢が擦れ違おうとする少し前ににとりが妖夢に気付くが、その次の瞬間には視界から妖夢の姿は消えていた。
僅かに刃が金属を擦る音がしたが、どうにか刀身が弾かれることはなく、にとりとロケットとを固定する金具を断つことができた。途端、重荷を捨てたロケットはその進路をやや上に変え、にとりや椛たちから離れていった。
その事に意識を向けるようとした直後、にとりたちは不思議な不安定感に襲われる。突然足場がなくなったかの様に、にとりたちは落下を始めていた。
「しまった!」
切り離すことに夢中になりすぎて、切り離した後の二人の安全を完全に忘れていた。慌てて駆け戻ろうとするが、斬ることだけに集中しすぎた所為で、重心の移動を誤り速度が出ない。とにかく全力で駆けるが、ロケットの速度のまま飛んでいく二人はそれ以上に速い。
「二人とも!」
「「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」
先程よりも、悲鳴の中の恐怖が増す。
その時、石段の上から声が響く。
「奇跡よ!」
そこには、妖夢の後を追って駆けてきた早苗の姿があった。
早苗の声に空気が呼応するように動き、落下していたにとりと椛の体は風に持ち上げられ、緩やかに勢いを殺しながら石段を登り切って、静かに地面を転がった。
自分の未熟さに悔しさを感じながら、それ以上に安心して妖夢は大きく息を吐いた。
「「あぁぁ……」」
色々ありすぎて目を回している二人だが、見た目に怪我はなく、どうやら無事のようであった。
無事を確認すると、いくらなんでこんな場所に寝かせておくわけにもいかないと、早苗はのそのそと様子を見に来た霖之助と共に、二人を白玉楼へと運ぶことにした。
二人がどうにか無事であったことを安堵したのも束の間、妖夢は上へと飛び上がっていったロケットが、白玉楼目掛けて落下してきているのが目に映った。
「なっ!」
見たと同時に駆け出したが、このままなら落下するロケットの方が僅かに速く白玉楼に着いてしまう。それが判れば判るほど、妖夢の中で自分の油断への苛立ちが沸き立っていった。
まだ霖之助と早苗は、そのロケットに気付いていない。早苗にどうにかして貰おうと思い叫ぼうとするが、焦りで呼吸の調子を崩し、上手く言葉が出せない。
「駄目ねぇ、妖夢。全てが終わる前に気を抜いちゃ、護衛失格よ」
いつの間にか、すくりと縁側から腰を上げ、庭に立っていた幽々子がそう呟く。その声は大きくなかったが、不思議と妖夢の耳には、酷く鮮明な声量で届いた。
「幽々子様!」
石段を飛び越えて妖夢が庭に躍り出た時、幽々子はゆっくりと扇子を広げた。するとぼんやりと、次第に鮮明に、幽々子の周囲に十数頭の蝶が漂い始める。
幽々子が力を使う気配に早苗と霖之助は驚き、それと同時に落下してくるロケットにようやく気付いた。
そんな中で平然とした顔の幽々子は、ひらりと蝶を飛ばし、ロケットにまとわりつかせる。すると、蝶がロケットに接触した瞬間からロケットはその飛ぶ力を失い、けれど自重で一気に落下をすることもなく、まるで綿毛が落ちるようにゆっくりと、蝶にエスコートされ庭に着陸した。
「……え?」
唖然とする妖夢。
そして、続くように唖然とする早苗と霖之助。
「………? 何かしら?」
その一様に硬直する面々にまた、きょとんとした表情を向ける幽々子。
早苗は今まで幽々子の実力など知らず、これが初めて力を見た瞬間だった。そして、その力の強さに固まっている。
霖之助は、まさか幽々子が自分で行動をしてどうにかするとは思っていなかったようで、自発的な行動自体に驚いて固まっている。
最後の妖夢は、死を誘う蝶でどうやってロケットを止めたのかが判らず、どういうことになっているのか混乱してしまい固まってしまっていた。
この三者三様の驚きに、幽々子は一つ咳払い。そして、悪戯っぽく笑う。
「頼りのない従者の所為で、主が腰を上げなくてはならなかったわ」
「あ、も、申し訳ありません!」
妖夢の言葉を耳の端に感じながら、軽い足取りで縁側に戻り腰を下ろす。
幽々子の司るものは死。死とは、動きある生に対して、静止を意味する。故に、幽々子は物体が飛行する勢いという生を奪うことで、その物体を質量や重力さえ関係なく一カ所に留めておくことができる。これは、生命を殺す能力の応用であった。
限界こそあるのだが、それでも彼女は自分の力の及ぶ空間内全ての動きを、僅か一瞬で静止させてしまうだけの実力を持っているのである。
そんな実力の片鱗を見せつけながら、大して疲れた様子もなく、幽々子は少し冷めた茶を啜る。そこでようやく早苗と霖之助の硬直は解け、二人は互いに顔を見合わせてから、背負っている二人を白玉楼の縁側に寝かせた。
二人はまだ少しクラクラとしているようだが、意識はすぐにでも戻りそうである。
「す、すごいんですね、幽々子さんって」
「すごいでしょ」
素直に驚く早苗に、無邪気そうに微笑みながら誇らしげに言葉を返す幽々子。その天然か狙ってのものか判らない幼さに、早苗は僅かに怯んでしまった。
そんな早苗を見てくすくすと笑ってから、幽々子は少しばかり恐縮してしまっている妖夢の方へと目を向ける。
「ところで妖夢。役に立たなかった罰として、お茶のお代わりをお願い」
「はい、ただいま!」
自らの不甲斐なさを悔やむ少女は、主の言葉に何かしらの不満や疑問を抱くことはなく、ただ指示に従い居間へと駆けていった。
「……彼女の罪悪感を良いように使うのは感心しませんね」
「あら。罪悪を感じているのなら、償う機会をあげるのは優しさじゃないかしら」
「そういうのは、付け込むって言うようですよ」
「あ。何か漬け物が食べたくなってきたわ。明日妖夢に頼むとしましょう」
あからさまな程にわざと、けれど半分近くは本気で話を逸らす幽々子。
「あ、あははは……」
そんな二人のやりとりに、苦笑いを浮かべるしかない早苗であった。
しばらくして妖夢が六人分のお茶を持ってくると、未だ少しクラクラして意識を完全には戻さず横になっている二人を除いて、再び四人はお茶を啜った。
妖夢が、猫舌なのかゆっくりゆっくりと茶を五回啜った辺りで、もぞもぞとにとりと椛は動き出す。それに気付くと、妖夢と早苗は二人に近付いていった。
「さて、と。そろそろね」
誰にともなくポツリと口にして、幽々子は空を見上げる。そこに、つい先程の幼さは微塵もない。
「「えぇぇ!?」」
と、突然叫び声が響いた。
にとりと椛が意識をしっかりと戻し、ここがどこかと早苗に尋ねた結果がその悲鳴であった。
「は、白玉楼まで来ちゃったなんて……早く山に戻らないと!」
「私は文さんを探しに行かないと!」
二人はすくりと立ち上がる。どうしようと焦るにとりに、文が心配で苛立つ椛。だが、その二人の傍に幽々子がそっと立って並ぶ。
近付いて幽々子が周囲に放つ、重い気配。動けなくなるような、濃密な殺気。だが、その殺気に目標はなく、動けないが恐怖はない。それはただ、二人の足を止める為だけのものであった。
ただし、巻き添えを食らい、妖夢や早苗や霖之助も、一様に固まって動けなくなっていたりする。
そんな殺気を放ちつつ、幽々子はのんびりとした笑顔を浮かべ、二人に何気なく話かける。
「悪いのだけど、二人には白玉楼にいてもらうわ」
想像していなかった突然の言葉に、にとりと椛は揃ってぽかんと口を開けて固まってしまった。だが、すぐににとりはそれに反応した。
「わ、私は妖怪の山に戻らないと……幽々子さんなら、その理由判るでしょ!」
「えぇ、判るわ」
「だったら」
「でもね、無理よ。今あなたが妖怪の山に戻ることなんてできないわ」
「何故!」
真剣な目で、睨みつけるようににとりは幽々子を見る。戻らねば仲間たちがどれだけ心配するのか。それを思うと、何故か自分を止めようとする幽々子に対して、にとりは強い苛立ちを覚えてしまっていた。
そんなにとりの顔をじっと見てから、ふぅと小さく息を吐いて、空を見上げながら、この場にいる全員に聞こえるようにポツリと呟いた。
「だってもう、幻想郷の結界は割れてるから」
天気の具合を語るような気楽さで、幽々子はそんなことを口にした。それを聞いて、五人はその言葉の意味が掴めず唖然としてしまう。
それから、五秒後。
「「「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」」」
幽々子を除く全員が、そのあまりにあっけらかんとした発言を思わず聞き返してしまう。その途端、周囲に満ちていた殺気は瞬時に霧散してしまった。
しかしその直後、妖夢の中でチリッと何かが弾ける感覚が走った。これは、冥界の結界の穴付近に誰かの近付いた気配。幽々子の言ったことが本当なら、これは敵で有る可能性が極めて高い。
「くっ!」
気配を感じると同時に、妖夢は奥歯を噛み締め、腰に提げた刀を引き抜きつつ、結界の穴へと向かい駆けていった。
「よ、妖夢さん!」
あっという間に駆け去っていく妖夢の背を、早苗も急いで追う。
こうして、場には四人が残った。
「……つまり……外は危険だから、私は外へ出られない、ということですか」
物珍しさや好奇心に負けて、山を遠く離れてしまった自分。それを思えば、自身に対する悔しさ憎さが溢れてきて、にとりはその場で膝を折り、うずくまってしまった。
そのにとりの姿が見ていられず、椛は幽々子を睨み噛み付く。
「なんでですか! にとりさんなら私が山まで送りますし、それに、にとりさんだって結構強いんですよ!」
「それでも駄目。私は紫に、ここに迷い込んでくる客を保護しろって言われてるから」
紫に渡された手紙の中に書かれた、いくつかのお願いの内の一つ。それが、にとりと椛の保護であった。
今外に出れば、最悪の場合この二人は死ぬ。そうでなくても、重傷を負ってしまう。そういった危険を回避する為、紫はわざわざこのことまでを予言して幽々子に手紙を書いた。幽々子が折れて、二人を外に出してしまわないように。
だが、椛は結界のことを知らない。にとりが充分な力を持って戦えないことも、相手の攻撃が致命傷になりかねないことも。だから、椛には幽々子の心配が、にとりや自分を甘く見ているだけに思えて、我慢がならなかった。
「でも!」
「いいの、椛」
再度吼えようとするのを、にとりが弱々しく止める。諦めたような顔。けれど、諦めきれず悔しげな口元。
五秒を掛け、にとりはそれを呑み込むと、キッと真面目な顔で椛と幽々子を見る。
「……私はここに残るわ」
口にすると、徐々に表情からは強張りが取れ、にとりは強気な笑みを浮かべた。
意外に、心が強い。幽々子はそう思うと、嬉しそうに笑った。
「そう。それならほんの一刻、嵐の過ぎるまではゆっくりしていきなさい」
「はい。事の終わるまで、よろしく頼みます」
二人が笑顔になり、急に空気が弛緩する。まだ少し表情は硬いが、それでもにとりは、既に自分の中で今すべきことへの覚悟を固めていた。
一方、未だ整理のついていない椛は、にとりがあっさりここに残ることを決めたのが、何だか置いて行かれたようで気に食わなかった。
「……それなら、私一人で文さんを捜しに行きます! にとりさんは、ここでお茶でも飲んでいればいいんです!」
苛立ちから、言葉に刺が混ざる。そして言ってからそれを自覚すると、椛は自分の中の未熟さにまた苛立ってしまう。
椛は二人に背を向けて飛び立とうとする。だが、その道を幽々子が蝶で塞ぐ。
「な、何をするんですか!」
八つ当たりなどしたくないと思いながら、憤りが隠せず語気を荒げてしまう。
「ねぇ、白狼天狗。あなたはこれから、各地を回って烏天狗を捜すつもり?」
「当たり前です! 文さんは、結界修復で大事な役割を担っているんです!」
その言葉を聞いて、にとりが少しだけ苦笑いを浮かべた。まだ自分もそうだと言っていないことが、少しだけ悪く思えたのだ。
「私はあなたたちがここに来た理由を知らない。けれど、あなたは烏天狗を捜すと言っていたわね。それなら、烏天狗は逃げたのかしら」
「なっ!」
掴み所のない雰囲気と、柔らかな笑顔。ただし不思議と、その周囲に悪意が漂う。
その真っ直ぐではない悪意の気配に、椛は全身を震わせた。どこに向けられているのか判らない思いに、心が反応できなかったのだ。だが、それを自分に向けられたものだと認識すると、椛は幽々子を睨み付ける。だが、言葉に詰まってしまい、怒鳴れなかった。
「そうね。こんな事態ですものね。逃げたくなって当然よね」
「違う! 文さんはそんなに弱くない!」
とにかく否定をするが、それに対して幽々子はにこりと笑みを強める。
「そうなの? それじゃ、どうして烏天狗はいなくなったの?」
「それは……何か、何か! やらなければならないことを見つけたんです!」
思い通りの言葉を引き出せた。幽々子はそう思うと、ふぅと息を吐き、表情を整える。そしてすぐに、周囲に撒いた悪意を霧散させた。
「そう。それなら、あなたは?」
「えっ?」
突然、幽々子は澄んだ空気を発して、椛を混乱させた。
「烏天狗は、自分のできることをなす為に飛び出したのでしょう? それを追って、あなたは何もせずに迷い続けるの?」
そこに悪意はなく、けれど同情も怒りもない。
ただ、あなたは何をすべきなのかと、鏡のように真っ直ぐ問い掛ける。
「文が自分のなすべきことを見つけたのなら、あなたもあなたのなすべきことに目を向けるべきではないかしら」
空気をコロコロと変えて話す幽々子。だがこれは、相手を言いくるめるための技術というわけではなく、彼女にすればなんでもない自然な話し方であった。とはいえ、ここに残るという答えを出させたいという思いは勿論ある。
椛は、自分の意志が幽々子の思惑通りに動いてしまっていることを感じた。それが悔しく思える反面、決して間違ったことでもないと思え、椛は低く唸る。
「それは……でも、私は……文さんが心配で」
自分勝手に動いている、という思いがなかったわけではない。
椛の中の激情が、静かに引いていった。
そんな椛の様子を見て、幽々子は小さく溜め息を吐いてから、優しい声で話し掛ける。
「安心なさい。烏天狗なら、既に保護されているわ」
「「えっ!」」
それには、黙って聞いていたにとりも反応をする。
「けれど、それがどこかは手紙には書いてなかったわ」
「そ、そんな……!」
強い安心と、僅かな不安。椛の顔が、複雑そうに歪む。
「まぁ、細かく書いてないからには大丈夫なんでしょう。さて、そうとなれば心配をすることに意味がないわよ。時間の無駄だわ」
この話はここでお終いという様に、幽々子は一旦言葉を止めて、椛を優しく見つめる。
「ここで戦いなさい、白狼天狗。敵を多く倒せば、それだけこの異変は早く片が付くわ」
小さく一呼吸。
「そしてそれが、文を助ける一番の方法でしょう」
そう言って、無邪気に笑う。
椛には、幽々子が驚異的な演技力を持つ策士なのか、はたまたただ無邪気なだけなのか、それがまったく判らなくなってきていた。
食えない相手だと、しみじみ思う。だが、ふとそんな相手に対して、悔しさでもなく怒りでもない、穏やかな気持ちを椛は感じた。そして同時に、勝てないという気持ちが湧いてきてしまった。
それは、幽々子が案じているものは、あくまでも椛のことだと判ったからであろう。
「……数々の無礼、申し訳ありませんでした。取り乱していて……いえ、私はまだ落ち着いていません。ですので、もう少しだけ時間をください……」
膝を付き、精一杯の礼を持って、改めて椛は幽々子に接する。
椛のそんな行動に一瞬だけきょとんとしたが、すぐに幽々子は親しげな笑みを浮かべる。
「いいわよ。存分に悩みなさい。そして答えが出たのなら、あなたの向かう先はあっち」
そう言いながら、結界の穴の方角を扇子で示す。
「出るにしても守るにしても、ね」
「……はい」
何故か椛は、その幽々子の言葉に目が潤んでしまった。だが、自分で判らぬ涙を流すのも、その涙を誰かに見られるのも恥に思えて、椛はゴシゴシと目を擦る。
決意は固まっている。後は、受け入れるだけ。そして、掛けられる時間は少ない。
椛は白玉楼に背を向け、歯を噛み締める。今自分がすることを悔やまぬ為に、恥じぬ為に。
「……よしっ!」
椛は軽く自分の頬を叩くと、背負っていた剣と盾を構え、結界の方へと走っていった。
駆けていく背を眺め、幽々子は楽しげに呟く。
「……あぁあ。嘘吐いちゃった」
悪いことをした。けれど、良いこともした。そんな、諦めたようで満足げな表情。
「何か言いましたか?」
僅かに音として幽々子の声を聞いた霖之助が、思わず聞き返す。
「ふふふ。なんでもないわ」
幽々子がそう言うと、霖之助はそうですか、と視線を椛の去っていった方角へ向けた。
些細な嘘。それは、文の保護。
そんな情報は、紫の手紙にはなかったのである。
「でもまぁ……大丈夫なのよね、紫」
誰も失わない為の戦いと書いてあった。それなら少なくとも、死んでしまうということはないだろう。
「……嘘が真実に変われば、私は正直者だわ」
横にいる霖之助にさえ聞こえない声で呟くと、幽々子はくすりくすりと童女の様に微笑んだ。
時を少し遡る。
結界の穴へと続く石段の中段にて、妖夢は駆け上ってくる敵を眺めていた。
真っ黒い影の塊。角のない鹿のようなものが二体と、鳥らしき姿が一体。その計三体の影は、真っ直ぐに妖夢の方へと向かってきていた。
明るい冥界の白い石段に、黒い敵はよく映えた。
「……これが、敵……!」
僅かに両手が震える。
思えば、これが初めての実戦。それも、大異変の中での白玉楼の守護。震えるのも当然であった。
だが、それを強く刀を握り締めることで、妖夢は震えを押し殺す。
大きく息を吸い、心を静め、向かってくる敵をしっかりと見据えた。
「……二刀を持って一刀を為し、一刀を以て無刀を成す」
握る刀に己を重ね、意志のまま刀が動く様に心を研ぎ澄ます。
そして、敵があと少しで自分の間合いに入るという瞬間、妖夢は駆け出して地上にいる二体の間に入り込み、両手の刀を自分の胸の前で交差するように振り、向かってきた敵の頭部を斬り倒す。敵はその場で倒れることはなく、まるで霧のように霧散していった。
「はっ!」
二体を倒したことを目で確認すると、石段を強く蹴って飛び上がり、真上を飛んでいく鳥の腹部を楼観剣で貫く。
長刀楼観剣、短刀白楼剣。共に有効。
それを認識すると、妖夢は着地をしてから、力強く二刀を握って結界の穴を睨む。見れば、次々と敵が湧き出していた。
呼吸を整え構える。
「私の名は魂魄妖夢! 白玉楼を守護する者なり!」
高らかと、声を張って名乗りを上げる。敵に名乗りを理解するだけの知力があるかは判らないが、そんなことは関係ない。自らの意志と自らの役割を、心に刻む為に名乗るのだ。
「ここより先、許可なき者は何人たりと通しはしない。それを承知で押し通ろうというのなら、現世の未練は捨てて来い!」
精一杯の闘志を燃やし、敵の中に躍り込む。
早苗がようやく石段に駆け付けた時、妖夢は黒い塊の群れに飛び込んでいくところだった。
「あ、あれを倒すの?」
下から次々と上ってくる敵に、早苗は生理的な嫌悪感から身を震わせる。
早苗の見守る中で、妖夢は一番先頭の敵に飛びかかり、間合いに合わせて楼観剣と白楼剣を使い分けて戦っていた。
妖夢を食らおうと大口を開けて迫る敵。その顎を左手の短刀で下から上へ切り上げて裂くが、それでも死なないと見ると、長刀で首を狙い刺突する。首を貫かれ、その敵はようやく消滅した。
刺突の隙を狙い、勢いよく一匹の犬のような獣と一羽の鳥が攻めてくる。妖夢は突き出した長刀を僅かに下に下ろし、次の瞬間反動をつけて斬り上げる。刀は向かってきた一匹の獣の鼻を掠め、飛来していた鳥の一羽を真っ二つに切り裂いた。鼻先を掠められても止まらず大口を開けて向かってくる獣には、短刀を口の中から突き入れて生き物ならば脳に当たる部分を貫く。軽く牙が当たり腕に僅かな傷ができるが、それが深くなるよりも先に敵は霧散した。
こうして妖夢は、次々と敵を倒していく。しかしそれは、大勢を一人で相手するから仕方ないことではあるが、余計に動き回ることになり、体力の消費が大きいものであった。
敵の中で、両手の刀を振り回しては間合いに入るものを斬っていく、雑な戦闘手段。どうしても目の前の敵に集中をしてしまう為、全体の把握が疎かになってしまう。
「くっ!」
自らの立つ位置を抜かせまいと頑張るが、数が増すとどうしても刀の間合いを抜けてしまう敵が現れ、少しずつ石段を後退してしまっている。このままではやがて押し負けて、石段を登り切ってしまう。そんな焦りが生まれてくるが、刀を振るうことでそれを忘れる。
敵はそれほど強くはなく、深く一度斬ればそれだけで霧散する。油断はないが、敵を倒す行動が作業になり、一体一体の動きの確認がゆるんでいく。
そんな中、妖夢が一体を斬り損ねる。
「あっ」
―――浅い!―――
妖夢の刀が敵の身に入り込むその時に、敵が体を捻ったので、致命傷にならなかったのだ。しかも、斬れたと思いこんだ分、反応が遅れてしまった。
「しまった!」
だが、妖夢の真横を通過したはずの敵は、次の瞬間には不安定な格好で階下へと吹っ飛ばされていき、妖夢の視界に戻ってきた。そして、石段を駆け上ろうとした他の敵にぶつかり、数匹を巻き込んで階段を転げ落ちていく。
「……え?」
何が起こったのか判らず、呆然としてしまう妖夢。そんな妖夢に向けて、後ろから声が掛かる。
「妖夢さん、私がいることも忘れないでくださいね」
妖夢の少し上で構えている早苗。今の敵は、早苗の起こした風によって吹き飛ばされたのだ。
声を掛けるタイミングを逸して、いつ援護をしようかと早苗は悩んでいたが、ようやく良い切っ掛けが生まれ援護ができ、緊張の中にほっとした表情を浮かべていた。
ついうっかり忘れていた仲間の存在に、妖夢は引き続いて唖然とする。だが次の瞬間、妖夢は笑顔を見せた。そしてすぐに視線を敵に戻し、刀を構える。
「私を抜けた敵……いえ、空の敵を頼みます!」
「はいっ。任せてください」
一番のネックであった、空の敵。止めようとすると、どうしても高く飛び上がる必要が出て、他の敵に対して大きな隙を生んでしまう。それを、妖夢は早苗に任せることにした。
こうして不安な部分を早苗に任せると、妖夢は思い切って前進する。駆け出しながら通り過ぎる敵を三体斬るが、鳥と獣の二体を斬り逃す。次の瞬間、その斬り逃した二体は、早苗は風の弾丸で射抜いた。地上の敵は前方から突き飛ばすように、空の敵は地上に叩き付けるように。そのどちらも一撃で霧散させるには至らないので、早苗は妖夢の前方に押し出すことを意識した。それを妖夢は感覚で感じ、左右に刀を振り一閃で霧散させる。
思いの外、二人の連携は良いスタートを切った。それを感じると二人は短く笑い合って、表情を引き締める。
「「さぁ、かかってきなさい!」」
気を良くした二人は叫ぶ。
気合だけは十分。互いの未熟さは、それで補う。
押し寄せてくる敵を妖夢は次々と切り捨て、斬り逃した敵はすぐに早苗の攻撃で階下へ押し戻される。六割ほどは妖夢に襲いかかり、四割ほどは妖夢を無視して駆けていこうとする。妖夢はそれを見極め、自分を無視する四割を積極的に倒さなければならなかった。
連携は上手くいっている。今より敵の数が増えるか、あるいは強くなっては防ぎきれないかもしれないが、今のところは余裕さえあった。
「早苗さん、少しずつ敵が増えてきましたが、まだ抑えられそうですか?」
「こっちは大丈夫です。妖夢さんこそ、あまり無理をなさらず。まだ、私の方が楽なハズですから」
声を掛け合える。深く息を吸うことを忘れない程度に、まだ二人は余裕を感じられた。
押し寄せる敵を階段を、下りながら、あるいは抜かれた敵を追って上りながら斬り倒す。無理に追いすぎて早苗の風を食らいそうになることが一度だけあったが、とりあえず今のところは特別困難なことはない。
だが、そんな余裕が二人に油断を生む。どの敵も愚直に石段を駆け上ってきていたので、そうでない敵への反応ができなかった。
「なっ!」
石段の左右、剥き出しの土に多くの木が生える場所。そこを駆け抜ける狼のような姿の敵。敵は石段を上ってくると油断していた妖夢は、そいつが自分の位置を抜ける寸前まで気づかなかった。
「しまった!」
追うが、既に間に合わない。そう思うと、妖夢は早苗を見上げて叫ぶ。
「右にいます、気をつけて!」
「えっ?」
早苗は妖夢の言葉の意味が判らなかった。妖夢ほど気に鋭くない早苗には、その木々の中を駆ける敵に気づけなかったのだ。
そして妖夢を抜けた敵は、無防備であった早苗を目掛け、木々の合間から飛びかかる。それが眼前まで近づいているというのに、早苗は呆然としてしまい、それに反応することができなかった。
―――まずい!―――
早苗は目の前に敵が近づいて、初めてそう理解する。しかし、体は震えて動かない。思考は停止し、ただ恐怖だけが早苗の背筋に走った。
だが、早苗を噛もうとする寸前に、敵は早苗の前で霧散する。
「……え?」
何が起こっているのか全く判らない早苗は、また唖然と呟く。
その時、吹き抜けていく風。それを追って見れば、そこには妖夢の横に並ぶ可愛らしい耳を生やした少女の姿があった。
「椛さん!」
ようやく今までのことを理解した早苗は、自分を助けてくれた少女の名を呼ぶ。
一方、名を呼ばれた椛は、少し照れながら二人に声を掛けた。
「加勢します、妖夢さん、早苗さん」
それに、二人は笑顔で応じる。
「お願いします、椛さん」
「助太刀、感謝します」
こうして、また戦力は増す。だが妖夢たちが人数で力を増すのと同じように、敵もまた数を増やし、時と共に強さを増していく。それは、幻想郷内にある外の力が増えることで、敵一体一体を形作る力の密度が増すからであろう。そうなれば、いつかはこの戦力では防ぎきれなくなる。
三人の胸の内には、それぞれの不安があった。けれど、誰一人にも退く気はなかった。退くという選択肢なんてなかった。
各々、手にした武器を強く握り、駆け上ってくる獣たちを睨む。
結界修復までの時間は、まだ長い。
白玉楼へと続く階段での戦闘が激しさを増す中、白玉楼の縁側に腰を下ろす幽々子は、満足そうに茶を啜り、幸福そうに団子を食んでいた。妖夢が丹誠込めて作った小さめの団子を指で摘んでは、そのまま空を見上げるようにして口に落とす。さもタレがこぼれ落ちてしまわぬような食べ方だが、この団子にタレはない。内側に練り込まれているのだ。
噛めば、最初にやや強めの弾力。けれど、それを過ぎれば柔らかな歯応え。同時に口を満たす香り。今の団子は柚子が練り込んであった。
「ホッとする味ね」
「ホッとしていていいのか、僕には甚だ疑問なのだけど」
そんな幽々子の隣に座り、ここからは見えない三人の方角に目をやりながら、申し訳程度に応援をする霖之助。その隣に座り似たようなことをしているにとり。
そして。
「このお団子美味しくて幸せ」
「姉さん、もう全部食べちゃったの? 私のはあげないからね」
「二人とも。お茶は静かに飲みなさい」
「お団子、お団子。まんまるおだんごー」
その横に座る、プリズムリバー三姉妹と、ミスティア=ローレライの四人。騒がしさにかけては幻想郷屈指の一団が、いつの間にかここ白玉楼に訪れていた。
彼女らがここに来たのは、ほんの少し前のことである。
幻想郷を漂っていた四人は、目の前に黒い獣が出現し、初めて現在の異常事態との遭遇を果たした。そこで彼女らはその生物に攻撃をしてみたものの、それにはろくに通用せず、逆に襲われそうになってしまった。それと見るや、彼女らは今いる場所から最も近く最も親しい場所、白玉楼へ逃げ込むことにした。
そして四人が冥界に続く道へ向かうと、そこには押し寄せる大量の黒い塊の群れに遭遇してしまう。これは駄目かと方向転換しようとした時、彼女らの後ろには大量の塊が牙を剥いていた。
後は無我夢中であった。黒い獣を追い抜き、白玉楼を目指して必死に飛んだ。石段の途中、戦う庭師に斬りかかられそうになりつつ、正体を把握してもらい支援を受けて、どうにか白玉楼へと逃げついたのであった。
息を切らした夜雀と霊魂に対し、にとりと霖之助は茶を差し出した。それに続き、幽々子もいくらかの団子を小皿に乗せて差し出した。四人は感謝を口にすると、茶を啜り団子を食み、荒れた呼吸と気持ちをを落ち着かせた。
しばらくすると、ルナサは幽々子に訊ねた。あの獣はなんなのか、どうして戦っているか。
「あれはねぇ……」
なんと説明したものかと、幽々子は考える。しかし、途中で無性に面倒になる。
「敵よ」
「「「「なんの?」」」」
思わず四人が聞き返す。若干言い方は異なったが、言葉は同じだった。
「幻想郷の」
間髪入れずに答える。
間違ってないが、そのあまりにいい加減な説明に、にとりと霖之助は軽い頭痛を覚えた。けれど、内二人はその説明で納得したらしい。納得できなかった長女と三女は、後で霖之助とにとりに詳しく話を聞くことにした。
まぁそんなわけで、ここに集う役立たず共。仲睦まじく、平和に茶など啜りて太平。遠くに聞こえる刃の音風の音、その全てを耳の端に、特別気にした様子もなく歓談し惚けていた。霖之助、にとり、ルナサの三人を除いて。
「あぁ、口惜しいなぁ。武器さえあれば、私も戦えるのに。ほとんど置いて来ちゃった」
「同感だ。もっとも、あれに外の世界の道具が利くのかは判らないが」
「私たちも戦えたなら良かったのですが、あれには音楽はほとんど効果がないようです」
武器を望むにとり、加勢できるのならしたい霖之助とルナサ。けれど、三人ともどうしようもないと思い、揃って溜め息。
この三人、揃って初対面であるハズなのだが、やたらと気軽に会話をしている。しかし、遠慮や気兼ねが似合う存在の方が少ないのだから、誰しもこんな風なのかもしれない。
「材料さえあれば、どうにかなるのに」
と、腰に装着した愛用の道具をさする。開発と改造をする道具一式である。改造用・開発用の部品や修繕道具と護身用の武器を入れた巨大なリュックは、戻るつもりだったので置いてきてしまった。それが今は一番悔やまれた。
「材料って、どんなものが必要なのかしら?」
にゅっと、話に混じる幽々子。そのあまりの自然かつ不自然な侵入っぷりに、三人は少しばかりぎょっとしてしまった。
と、その驚きが去ってすぐに、霖之助は幽々子の質問でハッとした。そして幽々子の表情を窺えば、幽々子はにこにことしていた。
「まさか……」
「でも、そう思うのが自然でしょ?」
二人の会話が理解できず、にとりとルナサはきょとんとした表情でお互いの顔を見合う。
「? ……どんなものでも大丈夫ですよ。火薬や電子機器があると最高ですけど」
そのにとりの言葉を聞いて、霖之助は確信を持つ。。
「あぁ……見たな。取扱注意の箱を。あれは火薬に違いない。他にも色々あった。理解できなかったが、いくらか電気を通すようなものもあった」
それは霖之助の運んできたもの。紫の指示で、意味も判らず運んだ数々。
この為に運び込ませたのか。それを知って、霖之助は手で顔を覆った。
―――いったいどこまで、読んでいるんだ―――
ゾッとした。そして同時に、僅かに身が震える。にとりがここに来ることを読んでいたという事実が、なんだか恐ろしかったのだ。
幽々子にしても、くすりくすりと笑いながら、ゾクリと一度だけ身を震わせる。ただしそれは恐怖ではなく、ことが紫の予定通りに進んでいるという安心からであった。
その二人のやりとりはなんだか判らなかったが、どうやら材料があるらしいことだけは薄々理解した。
「えっと、どの程度の材料があるんでしょうか」
よければ分けて貰いたい。そんな思いから、二人をやや見上げるようににとりが訊ねる。と、二人は揃って声を出す。
「「大量に」」
声が重なる。綺麗に重なったことに霖之助は驚き、意図して重ねた幽々子は満足そうに微笑んでいた。
その二人の発言を受け、にとりが一瞬戸惑う。
「た、大量に?」
だが、その戸惑いはすぐに薄れる。何がどの程度、そしてどうして大量にあるのかが判らないが、もしかしたらいくらかが分けて貰えるのだろうかという期待がにとりの瞳に宿っていた。
「それだったら、あの、少しだけ分けて」
「でも、それは私たちには必要のないものなの」
にとりの言葉を、愉快そうな幽々子が遮る。懇願を打ち消す発言に、にとりは駄目という意思表示なのかと思い、やや表情が陰った。
「だから、全て使って良いわ。その代わり、白玉楼を守りなさい。いいわね?」
幽々子が話し終えると、短い沈黙が訪れる。にとりの中で起こった目まぐるしい感情の変化に、にとり自身がついて行かなかったのだ。その為、今にとりは沈黙している。期待、諦め、そして成就。あまりに感覚が短かったそれぞれの感情を、にとりはたっぷり三十秒掛けて理解した。そして途端、にとりの顔が綻ぶ。
「は、はい!」
不意に霖之助は、未知の道具を使用して自分も戦えるのであろうことを予知し、少しだけ、期待に胸を躍らせた。
戦闘を開始してから三十分を越えた頃。石段での戦闘は、徐々に激しさを増していった。
石段の中央付近で戦う妖夢と椛。そして、それより後ろから二人をフォローする早苗。即席のトリオは、けれどなかなかの連携を見せていた。
三人の中で最も運動神経と動体視力に優れる椛は、飛び回って相手をたたき落とす。感覚の鋭い妖夢は、敵の多い場所で、椛の援護を受けながらひたすらに切り伏せる。そして身体能力で劣る早苗は、後方から二人を抜ける敵を撃ち、また離れている敵を撃っては、二人の行動範囲内に誘い込ませた。
それぞれがそれぞれの力量を把握しているだけあって、連携に必要な役割の分担が上手くいっていたのだ。
時折、敵の波が緩むと、早苗は少しだけ休息が取れる。だが、休むことなど出来ない二人を見ていると、自分の体に鞭を打ち、早苗は自らの中にある神の力を盛大に放出する。
「二人とも! 真ん中です!」
その早苗の声の直後に、轟と唸る風。
妖夢と椛はその音と早苗の言葉で、どこに風の弾丸が飛ばされたのかを把握した。そして、互いから距離を置くように離れる。するとその直後、二人の間を半径三メートルを越える巨大な風の弾丸が通り抜けていった。
風の弾丸は、単純な渦ではなく、幾重にも風の輪が重なり合う構造になっていた。つまり、少しでも触れれば飲み込み、弾き、引き裂き、押しつぶす。ぶつかればまず無事ではいられない程に強力なものであった。それは、敵を蹴散らしながら突き進んでいく。
そして、その弾丸を上や左右から飛び越えて抜けようとする者は、すかさず妖夢と椛が斬り捨てた。弾丸が大きいので、逃げる位置も逃れる敵も限定され、一本道であるここでは実に有効なものであった。
「さすがです、早苗さん」
そう口にして椛が振り返るのと、早苗が前のめりに倒れ込むのは、ほぼ同時であった。
「えっ!」
椛の血の気が引く。が、立ち止まってはいられないと瞬時に判断し、椛は石段を駆け上る。少し無理をして足を痛めたが、どうにか早苗が頭を打ち付けるよりも早く、早苗を抱きかかえることに成功した。
早苗は意識を失っていた。二人に合わせて少しずつ無理を重ね、気付かずに限界を超え、体のブレーカーが落ちてしまったのだ。汗に濡れる額は、やや青い。
「早苗さん! しっかりして!」
抱きかかえて声を掛けるが、反応をしない。
どうすればいいのかと、椛は混乱してしまった。ここを離れるわけにはいかない。そう思いつつ、だからと言って早苗を放っておけない。
「あ、あぁ!」
頭を押さえる。完全に頭が真っ白になってしまった。
一方、椛から二秒遅れて妖夢も早苗が倒れたことに気付くが、風の弾丸は既に消えており、誰かがここで食い止めなければならない。だから、駆け付けることは出来なかった。
押し寄せる獣を群れを、どうにか一人で受ける。振り返る余裕もない。だが、椛が混乱しているのは、少しだけ判った。
「椛さん! 早苗さんを白玉楼へ運んでください!」
妖夢は今、椛が今すべき唯一の行動を示す。それ以外はない。
「で、でも!」
椛の戸惑いが聞こえた。
早苗の活躍で敵が少なくなっていたことが救いであったが、それでも一人で防ぐのには無理があった。次第に妖夢の息も上がっていく。これでまた数を増されれば防げなくなる。
思考する余裕を失いつつある妖夢は若干の苛立ちを押さえつつ、椛に対して冷静に叫ぶ。
「しばらくは大丈夫です! さぁ、早く! そんなに保ちません!」
その言葉に、弾かれたように椛は立ち上がり、早苗を抱きかかえて白玉楼へと駆けていった。
石段に一人。敵を斬っては、敵が倒れたのを確認し、次に移る。減った敵が数を増すのに掛かる時間など、およそ三十秒。しかし、それまでを防ぎきる自信さえ、妖夢にはない。
やらなければならない。そう思っても、手と足が震える。
「椛さん……早く戻ってきて」
それは、悲鳴に近かった。
悪いことは続く。椛は、痛めた足が予想以上に重くなっていた。
どうにか早苗を白玉楼まで運んでから、人気のない縁側に横にする。誰かを呼びたいが、そんな暇はなかった。だから、すぐにでも石段に戻らなければならなかった。だが、駆け出してすぐに、バランスを崩して屈み込んでしまう。
「あっ……!」
じわりと痛む。痛み自体はなんてことはないはずなのだが、その負担を読み違えた所為で、上手くバランスが取れない。
「は、早く戻らないといけないのに!」
焦れば焦るほど、全身が震えて立ち上がれない。立ち上がれないことは、ますます椛を焦らせる。
瞳に涙が浮かんできた。
「ほら、手を取って」
ふと、優しい声が耳を撫でる。
「え?」
椛が顔を上げれば、そこにはルナサが手を伸ばしていた。
「私たちは戦えないけど、支えてあげる。ほら、手を掴んで」
「はい!」
手を伸ばし、ルナサの手首を力強く掴む。同じようにルナサも椛の手首を掴み、倒れている椛を強引に起こした。
この短いやりとりが焦りを減らしたのか、椛はそのまま姿勢を低くし、石段へと駆けていった。もうバランスを崩すことはない。
「危うい割に、元気なのね」
そんなことを呟き、ルナサはくすりと笑った。
「姉さーん。あの巫女、畳の上で横にしてきたよ」
「人間の男の人も呼んできたわよー」
「はい。ご苦労様」
二人の妹の働きを聞いて、長女は満足そうに微笑んだ。
「それじゃ、私はお茶でも淹れてこようかな」
「じゃあ、私も手伝う」
「だったら私は、お茶菓子を用意するねぇ」
勝手知ったる他人の家、とばかりに、三人は台所へと向かっていった。眠る早苗を除く、八人分のお茶を淹れる為に。
椛がいなくなってすぐに、妖夢は膝を折りそうになっていた。
肉体が苦しいのは確かだったが、限界だったのはむしろ精神の方であった。
「はぁ、はぁ」
息が浅くなる。苦しい。
一人で守る不安と、緊張。もしも椛が戻ってきてくれなかったらと言う恐怖。たかが十秒という短い時間の中で、妖夢は酷く精神を乱していた。
石段を守っていた三人は強かった。けれど、まだ心が未熟であった。戦いの中で、安心できるほどの強さを持たない。だから、三人は肩を組むように支え合っていた。そんなギリギリであったからこそ、崩れ始めれば一瞬であったのだ。
それでも、妖夢は耐える。ここで踏ん張らねば、白玉楼はすぐそこにある。守れなかったでは済まないのだ。
覚悟を決め、青い顔で必死に刀を振るう。向かってきた敵を、切り伏せる為に。
だが、その妖夢の刀が獣に触れるよりも先に、獣は両断されて霧散した。
「え?」
何が起きたのか判らない。ふと、椛が戻ってきたのかと思い、あっという間に妖夢の顔に色が戻る。しかし、顔を上げたそこには、全く別の、けれど知った顔の女性が立っていた。
「なんて顔してるんだい。庭師さん」
その女性は、妖夢を正面から見て楽しげに笑っていた。
結界には背を向ける形。すぐ背後に獣が迫る。だが、見ずに巨大な鎌を振るい、またも一撃で獣を両断した。
「なっ……あなたはっ!」
振るった鎌の勢いを殺さず、足を狙ってきた狼もどきの首を落とす。そのまま手を支点に鎌を回転させ、頭上から向かってきた鳥もくちばしから尾にかけて綺麗に両断する。あっという間の攻撃を何気なくやってのけると、鎌を担ぎ、小さくあくびをする。
「手伝ってあげるからさ。そんな顔しなさんな。大丈夫、なんとかなるって」
お気楽に笑いかける。ただし、絶対の自信を持って。
それは死神、小野塚小町であった。
「な、なんで小町さんが!」
「そりゃぁねぇ。私はともかく、四季様は幻想郷の担当なわけだし。それに、西行寺のお姫さんを失う訳にもいかないしね」
にしし、と、歯を見せて笑う。
「あ、ありがとうございます」
「気にしない気にしない。さて、お喋りはこのくらい。敵さんも来たし、私らのお仲間さんも来たし」
その言葉に振り返れば、椛が石段を駆け下りてきていた。
ズズズズズ。茶を啜る音が響く。その音に、どことなく風情が宿る。
目を閉じて茶を口に溢れさせない程度啜ると、両手で大事そうに湯飲みを包み、膝の上に置く。湿った上下の唇が触れ合い、見えない水を弾いた。目はまだ開かず、舌で茶の滴をもてあそび、淡い香りを楽しむ。やがてそれに満足すると、こくりと喉を鳴らし、口の中の水滴を嚥下した。心地の良い温度が、喉を伝っていく。
喉を茶が流れ終えるのを感じると、そっと、閉じていた目を開く。
「久しいですね。幽々子」
「そうですね。閻魔様」
閻魔、四季映姫。彼女もまた、白玉楼に訪れていた。
「手助け感謝します」
「礼には及びません。私たちとしても、あなたを失うわけにはいかない。それだけです」
映姫は涼しい顔で幽々子を見つめ、特別思うこともないように、サラッと言葉を返した。
そんな映姫に、幽々子は笑みを返す。
「そんなに建前ばかりを口にしていると、今に本音が逃げますよ」
「……それもそうですね。組織の中にいると、どうしてもこうなってしまいます。でもいいんですよ。今ここで幻想郷を守る一手になれるのなら、本心と建前がどうであれ、私は満足です」
「あら素直ですこと」
「私にだって、失いたくないものくらいありますからね」
映姫は出されていた一口大の団子を摘み、口のすぐ上まで持ち上げると、口内に落とす。噛むと、口から鼻腔へ、柑橘系の香りが広がっていく。その香りを追うように、じんわりと甘みが広がっていった。
やがてそれを嚥下すると、人差し指と親指を軽く舐め、指先を団子の乗っていた和紙で軽く拭く。
「おかわりはいりますか?」
「いえ、結構」
映姫は珍しい幽々子の言葉を手の平で制し、改めて茶を啜る。
茶の湯が半分ほどになってから、映姫はぽつりと呟いた。
「まったく、口惜しい」
「戦えぬことが、ですか」
「そうです」
映姫は、戦うことが出来ない。白玉楼の援護は許されたが、閻魔自身が幻想郷の行く末に手を貸すということは許されなかったのである。それでもどうにか、小町だけは戦闘に参加できるように頼み、承諾を得た。それは充分なことであったが、それでも戦えぬ我が身が少々惜しいのは仕方がなかった。
「その憂い、忘れる物など如何ですか」
「仕事中だと言いました」
「これは失礼しました」
酒を勧め、断られ、冗談半分、本気半分で幽々子は残念がる。だが、そんな巫山戯た表情に、僅かな憂いが覗く。それに気付き、映姫はやれやれという気持ちを覚えた。
「幽々子。悔やんではいけませんよ」
「判っています。だから私は、私にできることをします」
そう言って、団子を食む。そろそろ、団子はなくなりかけていた。
「さてと。ではそろそろ私は、河童の様子でも見てきますわ」
「そうですか。では私も、他の者と話でもしてきましょう」
お互いにそう口にしてから、またゆるりと茶を飲み、湯飲みが空になってから、二人は背を向けあって離れていっ
た。
にとりは、部屋に積まれている雑多な道具の数々を入念にチェックしていった。
そこに置かれたものには統一感などなく、重火器、火薬、劇物、電子機器、鉄製品やガラス製品、木材、果てはギターやらマイクやら。節操がないにもほどがあった。
全てに目を通してから、にとりは血色の良くなった頬に手を添え、艶やかな笑顔を浮かべた。
「あぁ……す、素敵すぎます……」
調べる内に、どんどんとにとりの頬は興奮で赤みが増していく。これはまるで、宝の山であった。
これで自分も戦えるという喜びがあった。だがそれと同じ程、純粋な好奇心にも燃えていた。目の前にある上等な素材を、何も考えずに、ただ思う様に堪能したい。そんな強い欲求に駆られていたのだ。
いけない。そうは思っても、胸は高鳴り続け、一向に引く気配を見せない。
にとりの瞳が、とろんと蕩ける。目の前に積まれた広がる可能性を見て、あれやこれやと楽しんでいるのだ。
思わずにとりは、自分の唇を軽く舐める。唾液で、瞳と同じ程、唇が妖しく光った。
しかし、それを充分に堪能するより先に、にとりは頭を振る。
「駄目、そんな楽しんでる場合じゃない。私がやるのは武器を作ることで、不要なものに目をくらませちゃいけない」
ぎゅっと目を閉じて、痛いほど暴れる好奇心を押さえ込む。
全ての素材を使って、色々なものを作りたい。効果があるか、成功するか判らない賭けをしたい。でも、そんなことをすべきではない。
勿体ない。そんな気持ちを、必死でにとりは飲み干そうとした。
「にとり」
その時、静かに現れた幽々子が声を掛けてきた。
「幽々子様?」
驚きながら振り返る。自分の馬鹿な葛藤を悟られ、叱られるのかと思ったのだ。
だが、幽々子の言葉はにとりの考えを大きく覆した。
「面白いものを作りなさいね」
「……は?」
言葉を失う。意味が理解できなかった。
そんなきょとんとした顔を見て、幽々子は楽しげに笑い、意図を判りやすく伝える。
「ただ無骨な武器をいくつ作ったとしても、あなたも私も面白くないでしょ? だから、あなたの持っている自慢の技術と発想とを駆使して、あなたにしか作れないものを作りなさい。いいわね?」
それはにとりが強く望み、押さえ込もうとしていたこと。
途端、にとりの葛藤は終わり、堪えようとした好奇心は爆発した。
「は、はい! 任せてください!」
「期待してるわね」
怒鳴るような歓喜の叫びに、幽々子は満足したようであった。
石段の戦闘は、小町という圧倒的な戦力の増強により、完全にバランスを取り戻していた。いや、それどころではない。小町の強さもバランスを安定させたが、それ以上に小町の持つ自信が周囲に影響した。妖夢も椛も、知らずにその自信にあてられ、不安や憂いを大きく軽減させていた。
二人は自分の感覚の向上を不思議に思いながらも、小町に続くように獣を倒していた。迷いが薄れ、本来の力が発揮できるようになっていたのである。
最前線で、無数に湧く獣の中、まるで球体の竜巻の様に鎌を振るう小町。時折その球は潰れたように形を崩し、少し離れた敵を飲み込んで切り裂く。それは、獲物を狙い舌を伸ばすカメレオンのそれに、どこか似ているように思えた。
「す、すごいんですね……小町さんって」
唖然とした顔の椛。小町が死神であるということは妖夢が説明したが、それにしても、涼しい顔をしながら戦うものだから、椛は目を見開いて固まってしまった。
「うぅ、私の立場が……」
有り難い反面で切ない気持ちを感じている妖夢が、複雑そうな顔でうつむく。その妖夢に、狼型の影が迫る。
腕を狙って口を開いた獣を、裏拳で横顔を殴り払うと、距離を置いてから二本の刀で首と腹を斬る。
いくら強力であっても、小町は敵を斬り逃す。飛んでいる敵には銭を投げて打ち落とすこともあるが、大量に湧き出してくる敵を完全には防げず、いくらかは小町を抜けて石段を駆け上ろうとする。それを、小町の射程距離のすぐ後ろにいる椛と妖夢が倒す。三人は小町を先端とする三角形を保ち、二人は漏れてくる敵を次々と倒した。
「はぁ!」
大口を開けた、ワニの様な顔を持つ獣が椛に迫る。椛は盾を獣の口の中に突き出し、盾で殴り飛ばす。その獣が後ろから掛けてきた別の獣と接触すると、その二体を同時に刀で突き刺し、直後に蹴り飛ばして強引に刀を抜く。蹴った反動で身を翻すと、別の獣へと駆け出していった。
そこに足を狙って迫る蛇のような獣が地面から飛び上がってきたが、それは横から駆け付けた妖夢によって首を切り落とされた。
「おぉ、がんばるねぇ、二人とも」
鎌を嵐のように振り回していた小町が、突然鎌を振るう手を休める。その風の止んだ気配に、二人は驚いて小町を見る。
「せぇのっと」
小町は鎌を片手に持って大きく振りかぶると、押し寄せる影の波目掛けて投げ付けた。
鎌は力を込められ、青白く光りながら敵の中へと静かに入り、炸裂した。
「「いっ!?」」
二人が揃って息を呑む。
鎌は敵の真ん中に沈み込むと、まるで鎌が分裂したように青白い光の輪を四方八方へ放ち、あっという間に目の前の敵の群れを八割以上消し去ってしまった。限りなく湧き続ける敵に対して、これはあまり有効ではない。一気に消しても、また押し寄せるからだ。
だが、これをしたことには、小町の意図があった。
小町は戻ってきた鎌をキャッチするとすぐに担ぎ上げると、敵を無視して、一気に妖夢に迫る。
「よっと」
そして、小町は自分を見ている妖夢を飛び越えると、着地と同時に後ろにステップして背中を合わせた。
「え?」
妖夢が戸惑う。意図が欠片も判らなかったのだ。
「え、何をしてるんですか?」
「いやぁ、こう多勢に無勢だと、こういうポーズもしたいなぁってさ。背中合わせで戦うのって、格好良いと思わないかい?」
ただそれだけ。なんとなく思いついて、急遽やりたくなっただけ。
「と、時と場合を考えてください! そして、そういうのは敵に囲まれた時にやってください!」
「あははは、ごめんごめん。よいしょっと」
そう言って笑うと、小町は鎌を足に挟むと、両手で妖夢の肩に手を置いてバク転をする。そしてそのまま跳ね上がると、迫ってきていた鳥を足に挟んだままの鎌で両断した。それから両腕のバネで大きく飛び上がり、鎌を手に持ち直すと、妖夢の目の前で鎌を構える。
「疲れた顔してるね。庭の木以外を切って疲れたなら、お屋敷で横になっててもいいよ、庭師さん」
それは発破でもあったが、本気で休んでても良いという意味を持っていた。
「くっ!」
それを挑発と受け取った妖夢は、柄を強く握り締めて、迫ってくる獣目掛けて駆ける。
「私は……私はっ! 剣術指南役だぁ!」
刀を左右に振り、一体を断ち、一体に傷を負わせた。
妖夢が傷を負わせた敵を、小町は飛び越えながら鎌で裂く。振った勢いをそのままに、振る角度を変えて通過ざまに三体の獣も切り捨てる。
妖夢はまだ動きが固いねぇ。長期戦はまずいかな。そんなことを考えながら、小町は先ほどの立ち位置へと戻り、再度鎌を振り回し始める。その一瞬の行動に唖然と固まった妖夢と椛であったが、すぐハッとして、迫ってくる敵に刀を構える。
妖夢にも椛にも、随分と余裕が生まれていた。
だが、疲労は溜まる。小町の案じたように、知らず知らず、妖夢の足取りは重くなっていっていた。
「あれ、ここは……」
白玉楼の一室。その畳の上で、早苗はゆっくりと目を覚ました。
「起きたかい。具合は大丈夫か?」
「霖之助さん……っ!」
ぼうっとしていた頭が、急速に覚めていく。戦っていたことを思い出し、ガバッと上体を起こす。
「私は、どうして!」
目覚めた頭は、素早く自分のいる場所を把握する。それが終われば、何故眠っていたのかという疑問が生まれる。
「君は無理をし過ぎて倒れたんだ。大したことはないから、しばらく横になっていれば体調も戻るだろう」
その言葉を聞くや、早苗は立ち上がろうとする。だが、足に力が入らず、早苗は再度倒れ込んでしまった。
「まだ無理だよ。焦りは判るけど、そんな状態では邪魔になるだけだ」
その言葉に、ビクリと身を震わせる。
「まずは休むことだ。茶を持ってこよう」
霖之助はおもむろに立ち上がると、静かに部屋を出て行く。
かたんと、引き戸が閉まる。その音を耳にすると、途端に早苗は強い孤独感に襲われた。頭が冷えていく。思考が鮮明になり、頭痛を覚える。
自分は何をしているのだろう。八坂様を止めて、代わりになると胸を張り、その結果がこれか。
早苗の目尻に涙が浮かび、顔が引き攣る。
援護を期待しただろうに、当の自分はお荷物。さぞガッカリさせただろう。
拳を強く握り締める。爪が食い込み痛んだが、それがせめてもの詫びに思えて、力を込めることを止められなかった。
実際には、妖夢や幽々子ががっかりするということはなかった。元々戦力がないのだから、早苗の活躍に妖夢はこれ以上ないほど感謝していた。けれど、早苗がそれを知る術はない。また知ったところで、それは今の早苗にとって、大した慰めにはならなかっただろう。
自分の弱さが、未熟さが悔しかった。歯を食いしばり、涙をこぼす。けれど、声は上げない。ここで泣き叫んでは、本当に自分が惨めだと思ったのだ。
目を擦るが、まだ涙が伝い、また擦る。目元がひりひりと痛んだ頃に、早苗はなんとか泣き止むことが出来た。
目は赤いだろうが、それでも笑っていれば誤魔化せる、必死に表情を整える。笑ってみせると、早苗は必死で笑おうとした。不格好ながら、それはどうにか上手くいく。
これで大丈夫だと、早苗は胸を撫で下ろした。
「さて……もうそろそろ、入っていいのかな」
熱めで用意した番茶は、少しだけ冷めていた。
戦闘は続く。小町の活躍で、激しさはそれほど増さない。頼り切りなのは悪い気もしたが、徐々に疲労を自覚し始めた妖夢は、小町の援護に集中した。既に時間は、戦闘を開始してから四五分を超えている。この三人の中で最も体力の劣る妖夢は、少しずつ動かなくなっていく体を無視して戦い続けたが、それにも無理がたたってきた。
長時間の戦闘経験。それが妖夢には欠けていた。疲労すれば剣筋が乱れ、より負担を増し、疲労が溜まる。悪循環である。
息が切れる。刀の構えが、知らずに下がる。
「大丈夫ですか、妖夢さん」
椛が心配そうに声を掛ける。それに対して、疲労を隠した表情で妖夢は応えたが、隠しきれない疲労が声に現れていた。
「平気です……大丈夫、まだ戦えます」
「ですが、まだ先は長いんですよ。今は休まれた方が。まだ私と小町さんがいれば、しばらくは大丈夫です」
そんな精一杯の椛の言葉を、妖夢はどうにか拒絶する。
「大丈夫。私は白玉楼を守る使命がありますから」
「ですが……っ!」
と、妖夢目掛けて敵が迫る。だが、妖夢は感覚が鈍っているのか、それに気付かない。椛は咄嗟に妖夢を体当たりでとばし、犬に似た敵の体当たりを盾で受け、弾かれた獣を剣で下から切り上げた。
敵を倒すと、椛は遠慮してはいけないと理解する。
「やっぱり駄目です。妖夢さん。あとで私も休みます。その時にあなたが倒れないように、今は休んでください」
椛は意図して、口調を強める。
「私は大丈夫だって」
「妖夢さん。その状態で戦われては、私の気が散ります」
強く、突き放すように言う。これ以上会話をする余裕もない上に、そうでもしなければ妖夢は休まないだろうと判ったのだ。
予想していなかった言葉に、妖夢は唖然としてから、悲しげな顔を浮かべ、やむなしといった感じで、そこを離れた。
悪いことをしたと椛は感じたが、それ以上考えるのは止めた。後で謝ろうとだけ決めて。
戦いを離れた妖夢は、二本の刀を鞘に戻し、少しだけ石段を上ると、石段の横の植え込みに腰を下ろした。ここからなら、小町も椛も見える。いざとなれば、駆け付けられると思ったのだ。
しかし、腰を下ろして、その考えは打ち砕かれる。足が痺れ、動けなくなってしまったのだ。
「なっ……」
精神の疲労が肉体の疲労に重なり、妖夢は全身が痛んでいくのを感じた。
「あ、あぁ……」
動けなくなっていく。どさりと、妖夢は体を倒してしまった。
眠たくなる。体が限界だと、悲鳴を上げているように。
「駄目、眠っては……駄目」
眠れば起きられない。そんな予感がした。けれど、体は動かない。
起きていてどうなる?
そんな思いが頭を過ぎる。動けず、役に立たない自分が、何かをできるのか。小町さんと椛さんがいるのに、今の自分ができることがあるのか。この至らぬ自分では、何も出来ないのではないか。
弱音が溢れていく。いっそ眠り、全てが終わった時に起きたいという思いに駆られる。
泣きそうであった。挫けているのだという自覚があったが、それをどうにもできない自分が悔しかった。
「なんじゃ。しばらく見なかったというのに、相変わらず泣き虫よのう」
耳慣れた声が、妖夢の耳を撫でる。
「……えっ」
一瞬疲労を忘れ、妖夢は勢い良く身を起こした。
そこには、見知った、見慣れた、懐かしい顔がった。
「だらしないのう。ここを守るのは誰の役目じゃ?」
ニッと意地の悪い笑みを浮かべる、白髪の老剣士。
「……師匠?」
魂魄妖忌は、威風堂々と立っていた。
茶をゆっくりと啜る早苗。その横に霖之助が腰を下ろしていたが、二人の間に会話はなかった。どちらも言うべき言葉が見つからず、ただ静かに、時間をかけて茶を飲んでいた。
霖之助には、去る理由はないが、居る理由はあった。ここを離れ、その間に早苗が戦うことを決意して出て行かぬよう、見張っている必要があったのだ。まだ、早苗の心は揺れている。切っ掛けがあれば、恐らく無理をしてしまう。
この沈黙の中で、早苗は相変わらず悩み続けていた。けれど、それを悟られぬようにと表情を取り繕い、崩れそうになる度に茶を啜っていた。
と、二人の静寂を破るように、そっと引き戸が開く。
「……四季様」
霖之助がその人物を見て、驚いた顔をする。が、すぐに早苗に話をしに来たのだと気付き、静かに霖之助は立ち上がる。
映姫に気付いた早苗は、面識のないその女性を見て、戸惑った顔をする。霖之助が紹介してくれたら良いと思ったのだが、霖之助は立ち上がると、軽いお辞儀をしてその場を去っていってしまった。
「え、えっと」
「初めまして、早苗。私は幻想郷の閻魔、四季映姫と申します」
その映姫の挨拶で、何より、閻魔という言葉が耳に残った。同時に、閻魔が自分と話をしに来たということに恐れを覚えた。
「え、閻魔! ……あ、は、初めまして! 私は、東風谷早苗と申します!」
早苗の挨拶に、映姫はそっと会釈をしてから、早速話を始める。
その真面目そうな雰囲気に、早苗は何か罰せられるのかと、
「さて、早苗」
ビクリと早苗は身を震わせた。何か叱られるのだろうか、罰せられるのだろうかと、背中に冷や汗を流す。
「あなたは、ここに何をしに来ましたか」
一瞬、早苗は頭の中が真っ白になった。
自分の怯えていた通り、今の自分の未熟さを罰せられると思ったのだ。
声が震え、答えられない。
「あなたは、ここ白玉楼を守る為に、ここに訪れたのですよね」
「あ、あの」
血の気が失せ、涙がこぼれる。我慢なんてもうできなかった。
「だったら、休みなさい」
「……え?」
今にも泣きだそうという所で、早苗は優しげな言葉を聞いて、目を丸くする。
「あなたにできることは戦うことです。ですが、そう戦い続けられるものではない。それならあなたは、どう戦えば良いのか」
映姫は戦いと休憩を繰り返せと言っているのだと、早苗は理解した。だが、そんなことを言われてもと、早苗は苦い顔をする。
未熟な自分が休むなんてと、そういう思いがあったのだ。
「でも、私だけが休むなんて」
けれど、その早苗の言葉を映姫は切る。
「いいですか、早苗。あなたが無理をしても、それは戦力になりません。むしろあなたを守る為に、皆が全力を尽くせなくなります。苦しくても頑張った。最後まで休まなかった。そんなのは、自己満足でしょう?」
早苗は息を呑み、目を見開いて震えた。今の言葉は、まるで刃物のように早苗を突き刺していた。
強い嗚咽感に襲われ、早苗は腹と口を押さえる。
「かっ、かはっ……」
それをなんとか堪えると、荒くなった息のままで、映姫に視線を戻した。その表情は、酷く怯えたものであった。
そんな早苗に、映姫は努めて柔らかい声で、語りかける。
「疲れて動けないのなら、休めばいい。休んでからまた戦えば、無理を続けるより遙かに価値があります」
言っていることは判る。だけど、迷う。他に選択肢などはないのに、早苗は迷ってしまう。
「それでも……私……どうしたらいいのか」
助けて欲しかった。命令して欲しかった。無理をしろと。そして倒れれば、きっと楽になれると思ってしまったから。
「逃げてはいけません。堪えなさい。今戦えない悔しさも、罪悪感も、全て飲み干せます。あなたは山の神を止め、一人ここに来ました。強い子じゃないですか」
また、吐き気が襲う。けれど今度は、痛みではなく、背負っていた重苦しいものが、体から抜けていくような吐き気であった。
「あなたは、あなたのなせることをなさい。疲れたら休み、また全力で戦えば良い。それだけが、あなたにできる善行です」
「閻魔、様……」
涙が堪えきれなくなりそうになり、早苗はサッと映姫から視線を逸らす。すると、そっと映姫は早苗に寄って、その頭を優しげに抱きしめた。
「えっ」
わけが判らず、顔を上げて映姫を見る。そこには、優しげに微笑む顔があった。
「悔しさに泣くことを、恥じなくても良いのです。自らの未熟を悔やむことは、とても尊いことなのですから」
耳から流れ込む言葉が、ゆっくりと頭へと染み込んでいく。徐々に、顔が引き攣っていく。やがて感情が押し寄せると、早苗の我慢は容易く決壊してしまった。
「……うあぁぁぁぁぁぁ!」
映姫に強く抱きついて、涙を流す。自分の中にあった孤独さが、暖かな空気に包まれて消えていくのを感じた。
早苗の頭を撫でながら、映姫は早苗の言葉にならない言葉を聞いていた。それは、母のようであった。
上体を起こした姿勢で、妖夢は自らの師との、久方振りの対面を果たした。
「な、ど、どうして、師匠が……」
「なぁに、弱っちい小娘一人に白玉楼が守れるのか不安になっての。予想通りじゃ」
カッカッカッと声に出して笑う。
その酷く陽気な気配に、妖夢の中の陰鬱とした思考は飛ばされていく。心に、新鮮な風が吹き込んでくる。
深く深呼吸。それをに三度繰り返すと、手に、足に、生気が蘇っていく。疲労はあるが、肉体に溜まった陰の気はあっという間に抜けてしまった。
「さて、妖夢。お前はこれからどうする?」
そう言うと、妖忌は妖夢に対して背を向け、両手の刀を持って構える。
「戦う気があるのなら、儂の背を真似てみろ」
そこにあったものは、大きな背。今はまだ、遙か遠い剣士の場所。
妖夢は目を閉じた。師匠の問いに、返す答えなど一つしかない。その答えを、妖夢は弱気な自分を一掃する為に、自分自身に向けて叫ぶ。
私が今やるべきことはなんだ。膝を折って休むことか。手を合わせ助けを乞うことか。自分の未熟を嘆くことか。
目を、開く。
―――違うだろ!―――
立ち上がり、妖夢は刀を抜くと、師の背を真似た。
「私は、白玉楼を守ります!」
「よく言った、未熟者」
「はい!」
顔は見えなかったが、妖忌は口の端を持ち上げ、さも愉快そうに笑っていた。
「では、行くぞ」
「はい!」
妖忌は駆け出す。次いで、妖夢も駆け出す。ただひたすらに、目の前にあるものを妖夢は真似続ける。
「妖夢さん!?」
椛は、自分の言葉を破って来たのだと、妖夢を叱ろうとした。けれど、その妖夢の表情に言葉を失う。
澄んだ表情。自分より年上の存在のような、涼しげな横顔。椛はそれが妖夢なのか、少しだけ疑ってしまったほどであった。
「心配掛けました!」
引き締まった声でそれだけを返すと、妖夢は小町を抜けた獣に躍り掛かる。
妖夢の目の前で、妖忌が刀を振るった。けれど、その刀は獣に触れない。どころか、妖忌の肉体さえ獣はすり抜けた。
実体がない。それに、妖夢は駆けながら気付いた。だが、師を信じて動きを真似る。すると、妖夢の振る刀は見事に獣の腹を捉えて切り落とした。
それで妖忌の動きが止まるわけもない。動きは河のように、終わらず一つの流れ描き続ける。疲労は少ない。無理な動きがないので、むしろ動くほどに無駄な力が抜けていく。
妖夢の両手の刀が、それぞれ別の生き物のように動く。それは二匹の蛇のように、敵に狙いを定めて喉元を食いちぎる。
「す、すごい」
椛は妖夢の変わりように、持っていた刀を取り落としそうになってしまった。
倒す敵も、倒した後の敵も見やしない。敵を感じ、自らの腕を信じ、ただひたすらに戦い続ける。
それは、演舞にさえ見えた。
「……負けてられませんね」
それを見ていた椛にも、闘志が湧く。そして、妖夢に続くように前方へと踊り出した。
二人が近づいてきたのをなんとなく感じると、小町は何事かと、少しばかり鎌を緩める。すると、小町を追い抜いて妖夢が飛び出し、次々と獣を蹴散らしていった。
「……え、何あれ」
妖夢の変貌っぷりに、小町は唖然とした。まだ荒い部分は多いが、それを差し引いても異常な上達である。
「……良く判らないけど、やるねぇ。さすがは剣術指南役」
小町は楽しげに笑い、鎌を一旦止めると、前方へと構える。その横に、椛はすたっと降り立ち、同じように構えた。
「行くよ、天狗!」
「了解です!」
二人もまた、妖夢に続いて飛び出していく。
少しずつ、この石段に陽気さが満ちてきていた。
「まったく。半霊だけで助けに来るなんて、無精なんだから」
「けれど、弟子に憑くなんて感心しませんね。憑かれた側に、憑いた側の精神的な影響が大きそうです」
映姫と幽々子は再び縁側に腰を下ろし、早苗の淹れた茶を啜っていた。
ちなみに、早苗はひとしきり泣くと元気を取り戻し、今は自らを休める為にと茶を淹れたりしながらのんびりとしていた。今はミスティアに掴まり、外の世界の色々な歌を歌って聞かせているところであった。
「妖忌の影響を受けたら、怖いわぁ」
くすりくすりと幽々子は笑う。実際にそうなると本当に困る気がするが、想像する分には笑い話だと思ったのだ。
そんな雑談をしながら、幽々子は新しい食べ物の詰まった重箱を開き、その中にあるクコの実を摘んで食べていた。
「良く入りますね」
「私にしかできないお仕事ですから」
呆れた映姫と、自慢げな幽々子。
不意に、二人はハッとする。
「来ましたか」
「来たみたいね」
幻想郷で、雨が降り始めた音が、二人には聞こえた。
「しっかりと晴らしてね。霊夢、藍」
期待と願い。その二つを込めて、幽々子は小さく祈る。
「さて。ここからは紫の計算通りにいくのか……」
二人は真剣な目で、ここからは見えない幻想郷を見詰めた。
ただ一人、全てを計算した大妖怪のシナリオを信じて。
現在の布陣
・博麗神社 霊夢、萃香 藍
・白玉楼 幽々子、にとり 妖夢、早苗、霖之助、椛、プリズムリバー三姉妹、ミスティア、小町、映姫、半霊
・永遠亭 永琳、慧音 輝夜、鈴仙、てゐ、橙、メディスン
・妖怪の山 神奈子、諏訪子
・紅魔館 レミリア 咲夜、美鈴、パチュリー、フランドール
・人の里 妹紅、魔理沙、アリス
・太陽の畑 幽香
行方不明 文
遂に新章突入ですね!これで勝てる!!w
映姫様が早苗さんを諭すシーンで早くも涙が……
コレ全部読み終わる頃にゃ涙腺ぶっ壊れとるかもしれんなあ、本望だけど。
新章突入!俺の好きな東方小説No1ですb
今後も大いに期待です
期待に応えられるよう、作品集60中には次作を書けるよう努力します!
じわじわ盛り上がってきて続きが楽しみです。
次、幻想郷はどうなってしまうのかワクワク状態です。
期待
待っています。