Coolier - 新生・東方創想話

幻想ノ風 初風~幻想郷結界~

2008/02/23 23:13:20
最終更新
サイズ
36.89KB
ページ数
1
閲覧数
1814
評価数
4/35
POINT
1590
Rate
8.97

分類タグ


 暦の上では、未だ冬。
 けれど雪は去り、寒さは相変わらずだが、少しずつ穏やかな温かさの欠片も肌に触れる。リリー=ホワイトの姿を見ることができるのも、そう遠くないかもしれない。
 そんな日の昼間、博麗神社の中では、一人の巫女と一人の妖怪が温かい茶を飲んでいた。
「それで今日は、どんな厄介事を背負って来たの」
 これはこの博麗神社で唯一の巫女、博麗霊夢。
「あら、それは酷い物言い。まるで私が厄しか持ってこないみたいじゃない」
 向かって座るのは、スキマ妖怪と呼ばれる八雲家の主、八雲紫。
 現在、神社の中にはこの二人しかいない。
 この八雲紫という大妖怪は冬眠をする。だというのに、温かくなったとはいえまだ寒いこの時期に起きている。これは充分に異変であると霊夢は思っていた。
「紫。厄といえば流し雛。訪ねる相手を間違えているんじゃない?」
 そう口にしながら、パリンとピーナッツ煎餅をかじる。これは紫が持参したものだ。
「残念だけど、あれは身に付く厄だけ。これから起こる異変を打ち消す力はないわ」
 一定のリズムを刻んでいた霊夢の口が、ピタリと止まる。だが、すぐに咀嚼は再開され、霊夢はつまらなそうな顔をして深く息を吐き出す。
「それなら尚更、私じゃなくてあんたが適任でしょうが」
 霊夢は思う。紫は自分でもできる厄介事を、面倒だからと押し付けに来たのだと。だから、これからどんなことを言われても、上手いこと言い返してやろうと思っていた。
「怪異をどうにかすることだけが、あなたの仕事でしょう」
 そんな霊夢に、遠回しにだが、他にやることもないだろうと言う。その言葉に、霊夢は不機嫌そうな色を濃くする。そして、八つ当たり気味に煎餅を数枚重ねてバリバリとかじった。
「私はただの巫女よ」
 これには、人の相手をするのが正しいという思いと、何もしないことも仕事なのだという思いが込められていた。
 だが、紫はそんな思いには気付かぬように言葉を返す。
「けれど、博麗のね」
 そう言われると、霊夢も言葉に詰まる。いくら怠けたいとはいえ、自分の博麗の巫女としての役割は理解している。だから異変と聞けば、恐らく自分は動いてしまうのだろう。そう思うと、大きな溜め息を吐いて頭を軽く掻いた。そして、言い負かされたと感じたのだろう、目線を逸らして煎餅を掴む。
「それで、異変って? まさか、今度は新しい魔女でも引っ越してきたりでもした?」
 諦めたように、霊夢が異変についてを訊ねた。
 ちなみに霊夢の発言は、外から巫女が来たのなら、新しい魔女なり吸血鬼なりが来て騒動を起こすこともあるんじゃないか、という憶測からである。いや、憶測というより、むしろ気軽い冗談のつもりであった。
「その通りよ」
 しかし、まさかの肯定。
「ぶっ」
 それに驚き、霊夢は飲んでいたお茶を吹き出してしまった。そしてむせたようで、苦しそうにケホケホと咳をしていた。
 一方、霊夢の眼前に座っていた紫は、何時の間にやら傘を広げ、霊夢の吹き出したお茶から身を守っていた。
「冗談よ」
 霊夢がむせている内に傘を仕舞うと、何事もなかったように発言する。
 そんな紫を、霊夢は恨めしそうに睨む。
「……嘘なのか本当なのか判らない冗談は止しなさい」
 けれど睨みにも言葉にも動じない紫は、楽しそうにクスクスと笑った。
 怒鳴ってやろうかと思い、けれどそれは無意味だろうと諦めると、怠そうに机に突っ伏してしまう。
 どちらも、何も喋らない。霊夢が何かを言わない限り、紫は口を開かない気だった。そしてそれが判っているので、霊夢も意固地になって口を開かない。けれど、そんな沈黙に飽きたのだろう、三分の沈黙の後、霊夢は体を起こして再び煎餅を食べ始めた。
「で、本当はなんなの」
 つくづく負けた気がしてスッキリとしない霊夢であった。しかし、この寝坊助な妖怪が起き出すほどの異変。そう思うと、ゾクリとするものがあった。
「幻想郷がね」
 紫を睨みながらも、霊夢は小さく相づちを打つ。
「無くなっちゃうかも」
 そんなことを、紫はサラリと口にした。
 途端、惚けたように霊夢の顔から表情が抜け落ちる。驚いたのではない。紫が何を言っているのか理解できなかったのだ。
 衝撃的な驚きにあって、霊夢は煎餅を縦にしてかじってしまう。
「……っ!」
 割れた煎餅が、前歯の歯茎に思いっきり接触した。ゴリゴリという音が聞こえたような聞こえなかったような。
「くっ、つぅ! かっ!」
 歯茎が削られたのではないかという痛みを覚え、霊夢は畳の上に両手で口を押さえたままゴロゴロと転がる。何か言いながら転がっているが、もはや言葉になっていない。
 そのまましばらく、霊夢は倒れ込んだ位置から左右に転がり続けた。霊夢がこんな事態になることは予想外だったらしく、紫も少し唖然としていたが、すぐに表情を戻して霊夢が落ち着くのを見守っていた。
 やがて、転がる速度が遅くなってくると、霊夢は歯茎に指で触れ、傷ついていないかを確認する。すると、ほんの少しだけ血が出ていた。
「くぅ、痛かった……」
 そう言いながら、霊夢はのそりと体を起こす。
「何よ、それ?」
 そして、歯茎を痛めて転がっていた時間などなかったかのように、普通な顔をして紫に問い掛けた。これは、恥ずかしかった場面をなかったことにしようとしている、というより、今までの無様な自分を全く気にしていない、という方が正しそうだ。
 しかし、今のリアクションを少しも恥ずかしかったと思っていない、というわけではない。霊夢の心の中では、転げ回ったことではなく、似たような冗談に二度も引っかかったことの方を恥ずかしいと思っていたのだ。
 すると、紫は小さく息を吐いてから、湯飲みを置いて言葉を紡ぐ準備をする。
「細かく話すと少し長くなるけど、しっかりと聞きなさいよ」
 霊夢に問われると、今までと同じ表情ながら、耳がきんとするような真剣な空気が部屋中を包み込んだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! それも冗談なんでしょ!」
 急激な空気の変化に気付くと、霊夢は僅かに焦ったように空気を散らそうとする。同じ冗談に何度も引っかかるなんて、それこそ冗談じゃない。そう思ったのだ。だが心のどこかで、これ以上聞くのは嫌だという何かを、無意識に感じていたのかも知れない。
「私が冗談を言ったことがあったかしら」
 空気を変えようとする霊夢に合わせ、紫は空気をあっという間に和らげた。
「それならついさっきよ、痴呆妖怪」
 普通な顔を作り、呆れたように霊夢は口にする。けれど、動悸。息苦しさも感じている。先程の紫の発した空気は、霊夢にとってそれ程の衝撃を与えていた。
「あら酷い」
 霊夢の言葉を受け、表情を崩して微笑む。ただその顔が、どこか普段とは違うものに見えた。
「でも、これは本当の話。それも、私じゃ手に負えない大異変。ついでに言うと、私が起きなくちゃいけないほど、もう猶予もなかったりするわ」
 明るく微笑みながら、漂う先程の空気。この話を始める以前には欠片も漂わせていなかったそれが、今では気になって仕方がないほどだ。
 苛々とする。このよく判らない空気が、霊夢の頭をちりちりと刺激した。だから、その苛立ちを込めて何かを言おうとしたが、言葉が浮かばず、沈黙してしまう。
「それで、どんな異変なの?」
 やがて口に出たのは、そんな言葉だけだった。
「それじゃ、異変についてを細かく説明するわね」
 口調と表情は軟らかいが、空気に変化はない。これはとんだ厄介事になりそうだと、霊夢は重い溜め息を吐いた。
「まず、一番重要なのは結界。『博麗大結界』や『幻と実体の境界』、そういった結界が折り重なって、今の幻想郷を作っているわ。博麗大結界は判るわよね、管理人さん」
 話を振られ、途端霊夢の目線が宙を泳ぐ。
「……一応」
 そして不安な返事。
 この返答に、呆れた顔を作ってペシペシと扇子で霊夢の頭を叩く紫。
「あのねぇ。一応あなたが管理人なんだから、管理すべきものくらいは知っときなさい」
 叩かれるのが鬱陶しいので、霊夢はすぐに手で払いのけようとする。けれど、霊夢の手が扇子に触れるよりも速く、サッと紫は扇子を引っ込めた。悔しい気持ちばかりが積もっていく。
「暇でやることがない時にくらい、結界についての書も読んでいるわよ」
 それはどこか言い訳じみていた。
「まぁ、今はどうでもいいことだけどね。今度暇があったらしっかりと目を通しておきなさいよ」
 改めてお茶を口に含ませながら、その話を終える。そして、改めて結界に話を戻していく。
 ちなみに、先程紫が言った二つの結界は簡単に説明すると、前者が外の世界と幻想郷を分かつ結界、後者が外の世界の妖怪を幻想郷に招き寄せる結界、という感じ。
「そんな幻想郷を覆う全ての結界、大雑把に括って幻想郷結界とでも呼びましょうか」
 そう言って、少しの間だけ紫は沈黙をする。
「その幻想郷結界が、今、壊れようとしているの」
 紫のその「今」という発言に、胸の奥がゾワリとする。
「そもそも、なんで結界が壊れるのよ」
 胸の奥の苛々とする感覚。それが焦りなのか恐怖なのか、それとももっと別のものなのか、霊夢には見当が付かなかった。
「結界の寿命ね」
 どうでも良い、とばかりに短い返事。そんなあっさりとした返事を聞いて、不意に霊夢は、紫が何か言いづらいことをを言おうとしているのだと感じた。
「でもそんなことをわざわざ言いに来たって事は、修復する方法はあるんでしょう」
 紫が何を言おうとしているのか判らない霊夢は、とりあえずこの話の終わりにくるであろう部分に話を持っていこうとする。対して紫は。
「それはひとまず置いておいて」
 と、笑顔で箱を真ん中から右にどかすジェスチャー。何か盛大に肩透かしを食らった気持ちになった霊夢は、急激に脱力した。そして呆れた顔で頬杖を突き、そのままお茶を飲んだ。
「さて問題。幻想郷結界が壊れた場合、何が問題となるか?」
 まるで教師が生徒に問題を出すような気軽さで、紫は霊夢にそう問い掛ける。その問いに、特に深くは考えもせず思い付いたことを口にする。
「結界が壊れるって事は、外の世界と幻想郷の区別がなくなるってことよね」
 それはつまり、行き来が容易になるということ。
「だったら、妖怪が外の世界を自由に行き来できるようになる」
 そうなれば、外の世界の人間が妖怪に襲われる危険が出てくる。つまりそういうことだろうか。
「そうね。でも、それは正直それほど重要じゃないわ」
 しかし、霊夢の想像したことは否定される。
「いや、大問題だと思うけど……」
「外の人間の心配より、幻想郷の人間や妖怪の心配が必要ね」
 違う解答が浮かばない霊夢に対し、紫はやはり教師のようにヒントを与える。尚これは、霊夢に色々と学ばせたいというわけでもなく、単にそうやって教える側と教わる側とという構図を作りたいだけであった。
「?」
 意味が判らず、霊夢は首を傾げる。だがすぐに、ポツリと浮かんだことをそのまま口から漏らしていく。
「外の世界の人間が入りやすくなってしまうことが問題、ってこと?」
 疑問符を貼り付けた自信のない回答に、紫は片目を瞑ってのサムズアップ。何故かやたらノリノリであった。
 サムズアップ後、一秒と経たずに真面目な表情に戻ると、改めて話を続けていく。
「そう。妖怪が外の世界に行ってしまう以上に、むしろそっちが危険」
 真面目な顔で真面目な話に移り、今のやたらと緩い空気を放った紫の姿にツッコミを入れ損ねた霊夢は、先程のサムズアップを見てから、思考が少しだけ停滞していた。それなので、反応が数秒だけ遅れる。
「なんで?」
 再起動した霊夢は、紫の言った言葉を頭で反芻してから質問をした。
「外の世界は、それこそ凄い力を持っているわ。それも、幻想郷のような強い者にしか使えない幻想の力ではない、現実の力。この現実の力というのは厄介でね、妖怪や一部の人間が使える奇跡と違って、力のない人間や動物でさえ、自分より強い妖怪を簡単に殺せてしまうような奇跡なの。判るかしら?」
 歯茎の痛みを忘れたのか、霊夢は煎餅に再び手を伸ばして咀嚼し始める。そして、右を、次に左を、更に次には天井を仰いでから、頭を軽く掻きつつ視線を紫に戻した。
「正直、あんまり」
 イメージに失敗したらしい。
「そうね。外の世界に、手の平に収まる程度の玩具があるわ。それは安価で購入できて、子供でも扱える。けれど、それを使えば簡単に、人間も妖怪も一度に大勢殺すことができる、という感じかしら」
 その情報を元に、難しい顔をした霊夢が再びイメージを開始する。
「うーんと」
 目を閉じて考えること十五秒。
「要するに、チルノやルーミアでも扱える夢想封印、ってこと?」
 出た結論がこれであった。
「酷い例え。でも、大体正解」
 こんな例えに使われたことを、彼女たち二人は知る由もない。もっとも、ルーミアに至っては知ったところでどうということもないであろうが。
 霊夢は改めてイメージを再開する。けれど、チルノたちが夢想封印を使える、というイメージは霊夢にとってはあまり愉快な想像ではなかったので、里の人間が自由自在に夢想封印を放ち、妖怪を撃破して異変のなくなっていく様を想像した。
「便利じゃない、それ」
 自らの存在意義を失ってでも怠惰に過ごしたいそうである。
「先に危険だと思って欲しいわね。それに、外の世界は現実の力を持ってしまっているから、幻想は敵なのよ。魔法や妖怪、そういったもの全てがね」
 その中に自分が当てはまっていないことを、霊夢はぼんやりと確認する。そして、自分にそういう幻想に値する場所はないと判断した。完全に自分の持つ能力が人として異端であることを失念している。
「随分と心の狭い力ね。でも、外の世界は便利だってあんたがたまに言うじゃない。あんたたち妖怪だって、人として暮らすことぐらいできるんでしょ」
 霊夢の脳内で『便利な世界=何もしなくて良い世界』という誤解が完成しつつある。
「便利なものもある、っていうだけよ。それに、外の世界は休むことなく変化を続けた忙しい世界よ。お金がなければ何もできない、そんな世界。ただのんびりと神社に居るなんてこと、まずできないでしょうね」
 誤解は崩れた。
「うっ」
 途端、霊夢は自分が働く様子を鮮明に想像してしまい、目眩がした。この想像、霊夢が不意に思い描いた様でもあったが、紫が霊夢のイメージの中に現実の仕事風景を紛れ込ませた事によるものである。
「それにね、幻想郷結界の中と外では、幻想の濃度が違うから、今まで通りにできなくなるものも多いわ」
 淡々と言葉を続けていく紫に対して、霊夢は先程から繰り返される単語の中で、理解の及んでいない単語があることに気付いた。
「待って。少し気になってたんだけど、幻想って具体的に何を指すの?」
 霊夢の問いに、紫はにんまりと笑った。良い質問だと思ったようである。
「生き物の思いのこと。もっと詳しく言うと、幻想を信じられる力ね。幻想郷は、外の世界と比べて幻想が遙かに濃いの。というより、外の世界の幻想が薄まったから、妖怪や神といった幻想の為に幻想郷がつくられた、と言った方が正しいかしら」
 そう言われて、しばらく考え込む。幻想を信じる信じないと言われて、どうもピンとこないのだ。そもそもどういうものが幻想でどういうものが幻想でないのかという、明確な境界がイメージできないのだ。
「んー」
 とにかくどうにか考えつかないものかと、目を閉じて唸ってみる。しかし、ガチッとはまるイメージが浮かばず、頭がゴチャゴチャとしていくのを感じていた。
 あまりに整理がつかなそうなので紫がもっと判りやすく解説しようかと考えていると、ふと、幻想=信仰という置き換えを思い付き、そのままで考えてみることにした。
「もしかして、外の世界は神様を信仰してないってこと?」
 その階段を飛び降りるような発想の仕方に、紫はなんとなく感心した。
「少し飛躍してるけど、そういうことね。全員が全員ではないけど、神も妖怪も信じない存在が多いわ。だから、幻想的なものは受け入れられづらい。むしろ否定されることが多いかしら」
 どこか残念そうに、あるいは呆れているように、紫はふぅと息を吐いた。
「それで、その幻想があるかないかで、何が違うわけ?」
 だが、霊夢にとって大事なのは自分の損得。妖怪や神様のことなど知ったことではなかった。神社の巫女なのに、である。
「幻想がないと、魔法はほとんど使えなくなる。妖怪もその力を急速に失うわ。それから力のない妖精たちは、自分の姿さえ保てなくなって消えてしまうでしょうね」
 紫も、霊夢が自分のことを気にしているのは気付いていた。だが、知らぬ振りをして霊夢についてを語らない。
「何それ、平和じゃない。理想よ理想」
 驚いた、にしては少しばかり薄い反応。良いことだと僅かに思いながら、どうにもそんなことはどうでもいいという雰囲気が漂ってくる。
「あなたはそう言うと思ったわ」
 扇子を手で遊びながら、紫は少し視線を逸らす。
「でも、妖怪は力を失っても今とそれほど変わらない。むしろあなたの方が、外の世界では生活が大変なんじゃないかしら」
 言われて、霊夢はハッとする。
「んー」
 苦い顔。先程の紫が与えた鮮明なイメージが脳裏を過ぎていく。
「と、幻想郷結界が壊れるとどうなるかを、あなたでも判りやすく言ってみたわ」
 そんな頭を押さえそうなほどにうなっている霊夢を見ながら、紫が口を扇子で隠すようにしながら話を一旦締め括る。
「一々癇に障るわね」
 あなたでも、と言われたのが気に食わなかったのか、不満げな表情を作った。
「あら本当よ。本当はもっと色々困ることもあるのだけど、聞く気ないでしょ?」
 不満げな表情を、霊夢はげんなりとした表情に変えると、無言で煎餅を頬張る。少し意地を張って聞いてやろうかと思ったが、そんなことは面倒でしかないので不満を押し殺して煎餅に逃げたのだ。そんな霊夢の反応に満足したように、紫も扇子を置いて煎餅に手を伸ばすとパリパリという音を響かせる。
 煎餅の音と茶を啜る音だけが、しばらくの間神社の中を支配していた。
 やがて、紫は扇子を取り、改めて話を始める。
「……だけど、私たちにとっての本当の問題は別」
 ポツリと呟くように、重いものを吐き出すようにそう語る。それは小さな声ではあったが、しっかりと霊夢の耳に届いた。
「私たちにとっての、本当の問題?」
 自分も関わるとなったからか、霊夢の反応は素早い。
「全体から見れば、些細と言えば些細なこと。けれど、当事者からすれば大変なこと」
 紫は隠すように言おうとする中心を言わない。
「勿体つけるわね。それで何よ」
 すぐに焦れた霊夢は、紫に続きを促す。
 ただ、これは別に勿体つけたわけではない。紫は言わなければ思いながら、本心では言いたくなかった。だから、沈黙する。口が重く閉ざされる。
「ん? どうしたの?」
 焦らされた霊夢は、紫の顔を覗き込むようにしながら続きを待つ。そんな霊夢を前にして、紫は大きく息を吐くと、覚悟を決めて話を始める。
「これから話すことは、幻想郷結界の本質になるわ。正直、こんなことは誰にも話したくはなかったんだけど、そうも言っていられない状況だからね」
 決意を固める、自分への言い訳。
「あぁ、いいから早く言いなさい!」
 だが焦れた巫女はそんなこととは気付かず、続きをせがむ。その様子を見て、紫はまるで子供を相手にしている気分になり、なんだかおかしくなった。
「幻想郷結界が消滅すると、その幻想郷結界を支える結界の全てが消滅する」
 急に顔を上げたかと思うと、一息でそう説明した。
「……はい?」
 それが頭に入りきらなかったらしく、霊夢は首を傾げる。しかし、しばらくするとなんとなく紫の言葉を理解をした。
「逆でしょ? 全ての結界が消滅するから、幻想郷結界が消滅することになるんでしょ?」
 霊夢にとって紫の発言は、水が溢れてから器が割れる、と言っているように聞こえた。それに対し、紫は説明を補足する。
「結界と言っても、外の世界と幻想郷を分ける結界と、幻想郷内を安定させる結界があるの。そしてその内側にある結界が、外の結界が壊れると同時に消滅してしまうわけ」
「同時に?」
 なんとなく理解が及ばないらしく、判らない部分をおうむ返しにして煎餅をかじる。
「さっき言った博麗大結界や幻と実体の境界が、幻想郷結界の大黒柱。だからそれが折れれば、それを支える柱は耐えきれなくなって折れてしまう」
 霊夢の脳裏に、朽ちた屋敷が瓦解する様が浮かび出された。
「なるほど」
 幻想郷結界というものがどういう式で成り立つのか詳しくは想像が付かないが、言われていることはなんとなく想像がついた。
「けれど、他の柱が折れすぎても、今度は大黒柱が耐えきれなくなって折れてしまうのよね」
 あら大変、という表情の紫がそんな重要そうなことをサラリと語る。そんな紫の顔を見て、何か押し付けられる予感に駆られ続けている霊夢がゾクリと背を震わせる。
「つまり、幻想郷結界を修復するなら、外も中も同じように修復しないといけないってことね」
 そう言うと煎餅を指で弾いて宙を舞わせる。しかし、着地地点を間違えた煎餅は霊夢の鼻先にぶつかって畳に落ちる。
「そうなるわね」
 回答に満足したようで、少し嬉しそうに紫は微笑んだ。
「そして、この折れてしまうと内側の結界が問題なのよ」
 言ってから、これから先は言いたくないなぁという顔をあからさまに作る。
「幻想郷を安定させる結界って言ったわね。ってことは、妖怪の力を封じるとか、とんでもない化け物が封印されているとか、そういうもの?」
 厄介事と判っているからには聞きたくない反面、好奇心が止まない霊夢。
「的外れでもないけど違うわ」
 扇子を広げ、紫は口元を隠す。
「その結界の役割は、幻想郷に住む生き物同士が、安定して暮らしていける為の結界」
 そこで一瞬だけ目線を逸らして神社の天井を見上げてから、改めて霊夢を見下ろす。
「そしてその結界は魂や体を持っている。というより、結界に作られた存在って言った方が正しいかもしれないわね」
 その言葉に、霊夢は心臓がドクンと強く打ったのを感じた。けれど、それが何を示すのか判らず、軽く胸を手の平で撫でて話に意識を戻していく。
「何それ? 生き物が結界の一部ってこと?」
 問い掛けに、紫は静かに頷いて見せる。
「それで、結界が壊れるとその生き物がどうなるの?」
 無邪気な質問であったが、それに紫はどこか悲しそうな表情をしながら答える。
「単純よ。それは幻想郷結界に生み出された存在だから、幻想郷結界の消滅と共に消えてなくなるわ」
「なんか随分な話ね」
 口ではそう言いながら、あまりどうとも思っていないように霊夢は呟く。
「それで、それのどの辺りが問題なの?」
 聞いてはいけない。そういう思考が、口にした後に霊夢の頭を覆う。
 一方紫は、息を深く吐いてから『これで最後』と思い、最も言いたくなかった最後の事実の最初を言葉を口にする。
「その幻想郷結界に生み出された結界っていうのが、あなたなのよ。博麗の巫女」
 口にした紫も、聞いた霊夢も、鋭く細い針で全身を貫かれたような感覚を覚えた。
「……はっ?」
 震える唇を強引に動かし、霊夢はそんな一言だけを口にする。
「博麗の巫女は、代々結界を管理し続ける存在。そして、異変を収めて幻想郷を安定させる存在」
 それに対して、紫は淡々と無感情に言葉を吐き出していく。そしてその言葉が、何故か自然と霊夢の頭の中に流れ込んできていた。
「ちょっと待って! ちょっと待って! 冗談でしょ!?」
 針で全身を貫かれる感覚を受けて、霊夢は目眩がするような酷い動悸を起こしていた。嫌な汗が、うっすらと額に浮かぶ。
「本当の話よ」
 冷淡な言葉。
「ど、どういうことよ!」
 霊夢の頭の中に様々な事が浮かび、今までの自分の記憶を無意識に辿っていく。そしてそれとは別に、考えたくもないことを考えていってしまう。そして最後に浮かぶのは、先程紫が口にした、「結界に作られた存在」という一言。
「そうね。判りやすく言うと、あなたが今思い描いた通りかしら」
 胸が剣で貫かれるような、そんな衝撃。霊夢は、一瞬だけ目の前が見えなくなった。
「は、ははは……くだらない話ね、三文小説だってもっとマシだわ」
 だが、必死で体を起こして笑い飛ばす。そして、不思議なほど体に馴染んでしまった紫の言葉を、全力で否定する。だが、どう頭の中で否定を繰り返しても、体の震えが治まらない。そして自然と、涙が込み上げてくる。
「何言ってるの、私が結界の一部? とんだ虚言ね。あぁあ、真面目に聞いて馬鹿を見たわ。話っていうのはそれでお終い? ならさっさと」
 そんな霊夢の心の入っていない言葉を、強引に紫は終わらせた。
「全く自覚がないというわけではないでしょう?」
 また一段と強く、霊夢の心臓が跳ねる。
「考えたことがないわけではないでしょう。どうして全ての異変を、人間の巫女であるあなたが解決できるのか。どうして、退治した妖怪と仲良くできるのか」
「黙れ!」
 立ち上がり、拳を握り締めて霊夢は叫ぶ。叫べば音が散って、紫の言葉をなかったことにできるかのように。
 この激情は、幻想郷結界のシステムとして、自分を保つ為の反応なのかも知れない。と、紫はそんな霊夢を見ながら感じた。そしてこんな霊夢を見たくないと思いながら、そのまま言葉を続けていく。
「元々、博麗の血族なんてものはないし、代々受け継がれる巫女なんて居ない。ただ幻想郷結界が、都合の良い結界として博麗の巫女を生み出し続けているに過ぎない」
 感情の宿らない、記号としての言葉。口にするだけで、ドッと疲労が押し寄せる。
「うるさい! 黙れ!」
 紫の言葉の一つ一つを否定するように、霊夢は叫び続ける。けれど、紫は言葉を止めようとはしない。
「考えたことがあるはずよ。いえ、努力を続ける魔理沙を見れば、嫌でも考えてしまうわよね。努力もしないのに、相対した相手を必ずどこかで上回り、自分は決して負けない。でも、それは簡単なことよ」
 早く言い切ってしまいたいのか、紫の口調は普段より僅かに早かった。
「うるさいうるさいうるさい!」
 立ち尽くしていた霊夢は、紫目掛けて飛び出す。しかし次の瞬間には、突如開いたスキマから生えた無数の手に組み敷かれていた。まだ騒ごうとするが、口を押さえられ、両手も両足も封じられた状態では何もできない。ただ、殺意を込めた瞳で紫を睨みつける他は。
 怒り狂って、暴れて、少し泣いたこと。そんな霊夢を見て、自分はどういう感情を持てば良いのか、紫は少しだけ考えかける。けれどすぐにそんな思考を止めて、畳に倒れている霊夢の顔を覗き込むようにして言葉を放つ。
「あなたはそういう風に生み出されただけ。だから、そうなるのは必然」
 言葉が、まるで矢のよう。その感想は、言葉を放つ紫の思い。一本一本と突き刺さっては、もがき苦しむ獣を見るような感覚であった。
「うるさいって言ってるでしょ!」
 首をよじって手を口から外すと、できる限りの声でそう叫ぶ。そんな霊夢の口を塞ぐことはせず、ただ優しげに、最後の言葉を弦に番える。
「霊夢。あなたはそういう、幻想郷結界の一部なのよ」
 その言葉を聞いたと思うと、霊夢は全身が震え、溜めていた涙が溢れ出した。
「やめろぉ!」
 自分にできる全ての否定を込めて、少女は泣く。否定された自分を、必死に探すように。けれどどこにも、少女の探している自分は転がっていなかった。
 霊夢が泣き叫んでから、およそ五分後。霊夢は泣くのを止め、ただ仰向けに転がってぼうっと天井を眺めていた。既に霊夢を組み敷いていた手はスキマ共々消えている。
「どうしてもこの真実を否定したいのなら、上白沢慧音に頼りなさい。あなたの今日の記憶くらい消してくれるはずよ」
 そんなことを優しげに言われ、冷静になった霊夢は恥ずかしそうに転がって俯せになった。
 あれだけ心をかき乱されたというのに、冷静になるのは意外なほど早かった。溜め込んでいた自分に対する疑問が解消して、ショックだった部分は泣いたらスッキリしてしまった、というところなのだろうか。
「……別に構わないわよ」
 泣いたところが恥ずかしいのか、俯せた霊夢は体を起こさず、紫の方を見ない。そんな風にすぐに立ち直ってしまうのが驚きでもあり喜ばしくも思ったが、どことなく物足りなくも感じている紫であった。
 霊夢がこうもあっさりと自分を結界と認めたのは、やはり結界としての自覚がどこかにあったからなのだろう。納得してしまうと、笑いたくなるほど自分がしっくりとした感覚を霊夢は覚えた。
「さっきの話、本当なの?」
 俯せたまま、霊夢は最後の悪あがきをする。
「えぇ」
 そしてそんな悪あがきは、霊夢の想像通りの紫の反応であしらわれてしまう。もしもここで冗談だと言われていたら、それこそ霊夢の頭がどうにかなっていたかもしれない。
 紫の短い返事を、霊夢は自分の中で何度も咀嚼する。
「そうか」
 諦めや納得や、把握しきれない様々な思いが絡み合って霊夢の全身をうろついている。だが、それは何故か心地悪いものではなかった。
 ゴロリと転がり、霊夢は天井を見上げた。
「それなら、幻想郷が消えた時に、私も消えるのね」
 最後の確認。
「えぇ」
 そして肯定。
 肩の荷が下りたような清々しい気持ち。それを、二人は一緒に感じていた。
「だけど、防ぐ手段はあるわ。だから、あなたに話しに来たの」
 さて、という感じに紫はまた話を戻していく。そうと判ると霊夢も体を起こして、めげた顔を作って頬杖を突く。
「こんな気分の時に、そんなこと言う? なんか、どうでも良い気分だわ」
 実際にめげているわけではないが、何もかもがどうでも良い気分だというのは本当であった。
「そうか……私は、実在しないのか」
 思ったことが、そのまま口から音を持ってこぼれる。
「いえ、あなたはここにいるわ。確実に」
 するとそれに、紫は話を続けようとしたのを中断して、霊夢のその呟きに応えた。
「ただ幻想郷にしか存在できない。それだけのことよ」
 その言葉に優しい響きはなかったが、かえってそれが霊夢の耳に心地好く届く。
「まさに、幻想だったってわけね」
 自分に対する皮肉。でも、本気でもない。泣いた子供が、泣いた自分が恥ずかしくて泣くのを止めないような、そんな子供っぽさだった。
「話を続けていいかしら?」
 すっかり表情を元に戻した紫は、どことなくぶすぅっとした霊夢に訊ねる。
「……一応。聞くわ」
 やる気はない。というのに、聞く気はあった。
「あなたが結界の一部と言ったわね」
 確認。
「言われてこうなったわ」
 自分を指差して返答。
「私もなの」
 そして、何か違和感のある反応。
「……はい?」
 まるで、順番にピアノの鍵盤を押していったのに突然音が外れたような、腹の中が気持ちの悪くなる違和感。それに気付いて、霊夢が複雑な表情を作る。
「私も、幻想郷結界の一部なの」
 略した部分を補ってのリピート。
 頭の中でキンキンと音を立てている理解しがたい言葉たちが、ゆっくりと理解されている。けれど、言葉を理解して尚理解しきれなかった。
「……あんた妖怪じゃない。それも、異変起こすタイプの」
 頭の中が混乱しているようで、固まった表情のまま紫を真っ直ぐに指差す。
「その異変というものが、結界の起こすものなのよ」
 薄く笑いながら、扇子で霊夢の指先を自分から逸らす。逸らされた指は、そのままゆっくりを引っ込められた。
 先程の混乱から立ち直ってスッキリしたと思っていた霊夢に、今度は新たな混乱が始まる。気持ちの悪さや動悸はない、とても健康的な混乱。
「えっと……内側の結界って、安定させる為のものなんでしょ?」
 グルグルと回る頭を押さえて、なんとか自分の考えをまとめようと口に出す。
「世界の安定が、平穏だけとは限らないということ」
 この言葉に、ピンと霊夢はことわざを思い出す。
「雨降って地固まる、ってこと?」
 口にしてから、それだとすると納得できる気がした。
「そういうこと」
 教師気取りの紫はうんうんと頷く。
「だから、結界は積極的に異変を起こすわ」
 自己正当化に聞こえた。
「となると、レミリアたちも結界ってことになるわね」
 苦笑い混じりに霊夢は冗談を口にする。そして、新しくお茶でも淹れようと、ゆっくりと立ち上がって紫に背を向けた。
「そうね。そうなるわね」
 サラリとした何気ない返事。
「……えっ?」
 だが、そこに霊夢はまたも違和感を感じた。
「どうしたの?」
 不思議そう……にしてはどこか嫌らしい笑みが口元に浮いている顔で、紫が訊ねる。
「……ちょっと待って、否定してよ」
 僅かに慌てながら、振り返って紫を見る。
「なんで?」
 疑問を投げかけながらも、ニヤニヤとしている。
「だって、違うでしょ」
 紫の否定の言葉を聞きたい霊夢の頭に浮かんだ言葉は、『嘘から出たまこと』であった。
「あら、冗談だったの? 残念ねぇ、少しは賢くなったかと思ったのに」
 この言葉に、霊夢は頭を鈍器で殴りつけられた衝撃を覚えた。
「えぇ!? ま、待ちなさい! えっと、そう! 結界って私とあんただけじゃないの!?」
 藪をつついて蛇を出した気持ちである。
「そんなこと一言も言ってないじゃない」
 この返答に、霊夢はまるで金魚の様に口をパクパクと開閉させた。驚きのあまり声が出ていないし、そもそも言うべき言葉を探すにも頭の中が真っ白になっていた。
 そんな霊夢を、紫は面白そうに眺めている。
「ちなみに、結界は全員顔見知りよ」
 新しい言葉を聞いて、霊夢の頭が再度回転を開始する。
「ちょっと、そもそも結界って何人いるのよ!」
 机に体重を乗せるように手を突いて、グッと紫に向かって身を乗り出した。
「気になるなら、全員の名前を挙げましょうか?」
 すると、的の外れた回答をされる。勿論、紫がわざと的を外して回答したのだ。的を外した理由は特になく、単純に聞かれたこと以外を答えたくなったというだけのものである。
「気になるに決まってるでしょ!」
 的外れな回答をされたことに気付かず、霊夢は紫に続きを要求する。
「まずは私、そしてあなた」
 焦らし。
「それ以外!」
 焦らされる。
 ケラケラと笑いながら、紫が余裕を持って指折り数えながら名前を挙げていく。
「がっつかないの。他には、紅魔館のレミリア=スカーレット、永遠亭の八意永琳、人里に住む上白沢慧音、白玉楼に住む西行寺幽々子、妖怪の山に住む射命丸文と河城にとり、それから伊吹萃香と風見幽香。この十人が、幻想郷結界の内側の結界よ」
 八人の名を言い終えると、楽しそうに紫は霊夢の表情を覗った。すると紫の予想通りに、霊夢はポカーンと口を開いて完全に固まっていた。
「冗談じゃないわよ?」
 固まっている霊夢をしばらく観察してから、悪戯っぽく笑いつつそう付け加える。
「そんなの聞いてないわよ……ただ……」
 そこで言葉を句切ると、ゆっくりと丸くなって頭を押さえた。
「……頭痛い」
 衝撃の連続で、そろそろ頭が限界だったようだ。ちなみに、比喩でなく本当に痛んでいた。
 頭を抱えて屈み込んだ霊夢を面白がりながら、紫は煎餅をパリンと鳴らした。
「それと、全員があなた同様に無自覚だから」
 言わなきゃ言えないことを言い切った清々しさか、紫は霊夢から視線を外して軽く背伸びなどをしている。
「でしょうねぇ。そんなこと知ってたら頭おかしくなるわよ」
 そんな良く眠ったような清々しい紫と対照的に、徹夜明けのような顔でこめかみに人差し指を当てている霊夢。短い時間に連続して、それもかなりの爆弾発言を連続で食らったのだ。弾幕ごっこなら残機がなくなっているところだろう。
 だが、そんな霊夢の発言に茶を啜りながら反論が上がる。
「あら、意外に大丈夫なものよ?」
「そんなわけないでしょ!」
 煎餅を順調に消費していく紫に、霊夢は強い否定を唱えた。
「よく見なさい霊夢。これがその実例よ」
 するとそう言いながら、一瞬の間に紫はズズッと自分の顔を霊夢の顔の前に近付ける。
「わぁ!?」
 突然視界が紫一色に染まり、後ろに転びそうになった。けれど、なんとか手を突いて転倒は免れた。しかし同時に、紫の手によって頭を両手で押さえられた。
「そ、そういえばそうだったわね」
 なんだかコロッと忘れていたが、紫は霊夢にとって結界と言うことを教えた結界。つまり、自分がそうであることを知っていた唯一の存在ということになる。
「判ったかしら?」
 霊夢の頭を両手で掴みつつ、更にズズイッと顔が近付く。
「判ったからいい加減離れなさい!」
 体勢を崩しながら霊夢が手を振るうが、それに触れるよりも早く紫は元居た自分の席に素速く戻る。手が空を切って、なにか無性に悔しい霊夢であった。
「つまり、私が今日ここに来て言いたかったのは、幻想郷の結界が壊れそうで、それが壊れると幻想郷がなくなって、実は結界だった十人が消滅しちゃうって話」
 今まで言ってきたことの全てを、たったの十秒程度にまとめてしまった。
「そんなに判りやすくまとまるなら最初からそう言いなさいよ」
 疲れた顔で、しばらくぶりに煎餅を取って咀嚼を始める霊夢。そろそろ煎餅が空になる。
「あら、最初にこう言っても全然判らないでしょう」
 そう言われ、確かにそうだと思って視線を逸らす。理解はしたが、認めたことを悟られるのは悔しかったのだ。
 そんな気恥ずかしさを隠す為に、霊夢は一旦急須を持って部屋を出ると、しばらくしてから新しく茶を淹れて戻ってきた。
「それで、結界はどうやったら守れるのよ」
 茶を湯飲みに注いで座り直し、霊夢は話は本筋に戻す。
「それについてはしっかりと色々考えてあるのだけれど、それらは書にまとめてあるから、私がいなくなってから自分で読みなさい」
 が、戻ってすぐに打ち消される。
 まさかそんな返答をされると思っていなかったようで、座っているにもかかわらず霊夢はガクッとバランスを崩した。
「なっ! あんたも消えちゃうんでしょうが! 億劫がらずに手伝え!」
 自分にばかり荷が押し付けられると思ったのか、霊夢は猛抗議。
「随分なことを言うわね。私には私の仕事があるのよ」
 霊夢に何もしないと思われたことが不満なようで、少しだけムスッとした顔を作る。けれど、すぐに普段通りの、どこか人を食ったような笑顔に変わる。
 二人はそのまま、のんびりと茶を飲み、煎餅を食い尽くした。最後の一枚は、霊夢の手が触れるよりも早くスキマと使った紫に強奪され、霊夢は恨みがましそうに紫を睨んでいた。
 それからしばらくして、紫は帰ると言って立ち上がる。それに続いて、霊夢も腰を上げた。
「あ、そうだ。あなたはこれから大変でしょうから、この傘をあげるわ」
 そう言いながら、普段差している日傘を霊夢に突き出す。
「いらないわよ、こんな傘」
 即時拒否。けれど、それに対して紫は駄々をこねるような顔を作って、再度霊夢に傘を突き出した。
「貰っておきなさい。一度だけだけど、あなたが死にそうになったら守ってくれるから」
 これはとても素晴らしいものだから貰っておかないと後悔するわよ、とでも言わんばかりの雰囲気を発して再度傘を突き出す。
 呆れつつ、霊夢は貰ってもその辺りに置いておけば良いかと考えて、仕方なくその日傘を受け取ろうとした。
 すると、傘は霊夢の手に渡る前にスルリと紫の手を滑り落ち、下に開いたスキマの中へと入っていってしまった。
「……あら。怠惰な巫女より、勤勉な私の方が傘も良いみたい」
 傘を目で追ってから紫に視線を戻すと、そこにはニヤニヤとした意地の悪い表情があった。
「……あんたねぇ」
 最後の最後まで、悪戯をやめない紫に呆れる。そして、最後の最後まで悪戯に引っかかる自分にも呆れる。
「怠惰なのはいいけど、少しくらい真面目に生きないと後悔するわよ」
 傘がこの説教の為の演出だったのかと思うと、多少げんなりした。
「所詮幻でしょう?」
 考え方の問題でもあるが、幻には何も残せない。だから、何かを残す生き方などしなくて良いのではないかと軽く思ったのだ。
「幻だって、幻の中でなら現実よ」
 閉じた世界にしか生きられない実在。気付かなければ自由だが、気付いてしまえば不自由な存在。だから、紫はこの事実を告げたくはなかった。
「悪いけど、少しだけ付き合って」
 帰ろうとして一旦霊夢に背を向けてから、紫は霊夢に向き直って声を掛ける。
「ん?」
 茶や菓子鉢を片付けようとしていた霊夢が、不思議そうに振り向く。
「お見送りして欲しいなぁ」
 紫はどこかカマトトぶるように、可愛らしさを演じてみせる。
「スキマ通って帰るのに見送りもないでしょう」
 呆れた表情。
「ちょっとだけよ、ほんの門までだから」
 突然部屋の中に現れるというのに、今日は少しだけ歩いて外から帰るのだという。どんな気紛れだろうと霊夢は首を捻った。
「……後で塩でもまこうかな」
 紫に続いて外に出ながら、そんなことを真剣に呟いてみた。だが、そんな言葉を紫は気にした様子もなく、歩きながら話を始める。
「私は、幻想郷が好きよ。霊夢は好きかしら?」
 それは、あまりに突然な言葉だった。
「いきなり何?」
 虚を突かれ、霊夢は呆気にとられる。
「私は幻想郷が好きだから、本気で守りたいと思っている」
 改めて言い直され、霊夢はどういう意図での質問か理解した。
「私だって、それなりに好きよ。もう少し静かなら、とも思うけどね」
 素直に認めるのが恥ずかしいのか、本音を蛇足気味に付け足す。
 そんな霊夢を、紫はクスクスと笑いながら眺めていた。
「ねぇ、霊夢」
「ん?」
 立ち止まり、空を見上げながら、紫は言葉を繰る。
「あなたも私も、そして他の八人の結界も、全員幻のようなものだわ」
 霊夢も紫の目線を追うように空を眺めた。
「そうね」
 認めたくない思いもやはりあるが、それでも認めてしまっても構わない気がした。だから、霊夢は穏やかにそれを認める。
「でも、もしあなたが消えてしまっても、他の誰かはあなたを憶えている。そしてそれは、博麗のシステムではない、霊夢としてのあなたを憶えている」
 その言葉が、何かとてもくすぐったかったので、霊夢は小さく身を震わせた。
「……何よ突然」
 訝しげな表情。けれど何かを疑っているわけではない、コミュニケーションとしての表情。
「それが存在するということよ。何から生まれようが、誰に作られようが、そんなことは関係ない。誰かの心に残ることが、この世界に存在した唯一の証」
 それは恐らく、紫の中での解釈だったのだろう。自分の為というより、他の結界たちの為に考えた、存在についての解釈。
「……なんか釈然としないけど、、まぁ、自分が生きていて良いって、言い訳にくらいはなりそうね」
 照れくさく思いつつ、そんな紫の思いやりが聞けるとは思っていなかった霊夢は、何かとても嬉しいように感じていた。
「そうしなさい。幻想が幻想する世界。それだからここは、幻想郷なの」
 全てを受け入れる言葉。優しさと残酷さを合わせた、泣きたくなるような音。
「少し恥ずかしい気分になる」
 霊夢は泣きはしなかったが、僅かに頬を染めて俯いた。
 二人はゆっくりと歩き、鳥居の前に着く。
「さてと。これが、博麗神社の鳥居ね」
 どこか愛おしそうに、紫はその鳥居を撫でた。
「さぁ、帰るならさっさと帰りなさい」
 そんな様子の紫に、箒があれば柄で突きそうなことを言う。
「霊夢。ここが、幻想郷の外れ。幻想郷と外の世界の交わる場所よ」
 と、クルリと霊夢に紫は振り返る。その表情は、どこか憂いを含み、何故か悲しそうな影を背負っていた。
「そうね。まさか出られないとは思わなかったけど」
 肩をすくめ、軽く言う。今の紫が、自分に告げたことを後悔しているのだと感じたからだ。本当は僅かに、笑いながらからかってやろうとも思ったのだが、どうもそういう言葉が浮かばなかったのでそれは諦めることにした。
「ここから結界をくぐって外に出ようとすれば、私たち結界は消滅するわ」
 紫は、確認をするように呟く。
「さっき聞いたわよ」
 もうそんなことは良いから、気にせず帰れ。そう言いたかったが、言葉にするのがなんだか恥ずかしかったのでそうは言わない。
「ちゃんと信じてる?」
 表情から憂いを消して、いつもの笑顔に、覚悟を乗せて紫はそう問い直す。
「……そりゃ、まだ半信半疑ではあるけど」
 回答は素直だった。
「それは駄目よ。博麗の巫女は、結界修復で一番重要な役回りなんだから」
 さもおかしげに、紫は扇子で口元を隠しながら笑う。
「だからって、あんな話をそう簡単に」
「だからね、霊夢。よく見ておきなさい。これが私たちの現実よ」
 霊夢の言葉を遮り、紫は自分の言葉を言う。それは有無を言わせない、強い言葉。
「え?」
 その言葉に宿った強い思いに、霊夢が少しだけ驚く。
「結界の修復は頼んだわ。精々本気で頑張ってね」
 言いながら、紫は幻想郷結界を開く。
「……ちょっと、何を……!」
 止めないといけない。そう気付いた時には、時は遅い。
「それじゃあね」
 そう言って紫は、精一杯嬉しそうな笑顔を見せると、結界に触れ……消滅した。
「ゆ、かり……?」
 唖然とする。まるで光の雪が舞うように、紫は一瞬の内に消え失せた。
「紫!」
 名を叫ぶ。けれどそこにはもう、八雲紫の気配さえ残ってはいなかった。
 初めまして。大崎屋平蔵です。
 え~っと、初投稿に関わらず、やたら長い上にシリーズもので申し訳ないです。読んでいただけた方には深くお礼を申し上げます。

 この作品は、随分とオリジナル要素をでっかく利用して作られておりますので、読まれていて不快にさせてしまうかも知れません。その場合は申し訳ないです。
 登場人物の話し方なのですが、一つ問題がありまして、私はシューティングが大の苦手で、未だ紫様に会ったことがございません。というか未だに妖夢にさえ会ったことがない始末です。それですので、何かこの話し方はおかしいなどという点がありましたら、お気軽にコメントください。
 
大崎屋平蔵
[email protected]
http://ozakiya.blog.shinobi.jp/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1270簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
えっと、早急に続きのUPを要求する!おいしいゴハンを途中で取り上げられた気分だぜ!期待してます!
あー、もう少し改行があると読みやすいです、個人的には。
2.無評価大崎屋平蔵削除
 読んでいただけたことに、もう感涙ものの感謝です♪
 それで、申し訳ないのですが、私とっても遅筆なので、三日四日はかかってしまいます。すみません(泣)
3.100名前が無い程度の能力削除
ゆかれいむ!ゆかれいむ!
煎餅で歯茎を痛める霊夢w…俺も経験あるよ。痛いんだよなぁこれ
霊夢が博麗大結界そのものって設定は面白いなぁ。自分も似たようなこと考えたことある気がする。
続きも楽しみにしてます。
7.無評価創製の魔法使い削除
まさか此れで終わりなわけありませんよね?
続き楽しみにしていますw
8.無評価大崎屋平蔵削除
 あぁ、長い上に二人しか登場していない展開の遅いこの作品を、読んでくださる方がいたら良いなとは思っておりましたが、嬉しい限りです♪
 気合い入りましたので、なんとか明後日までには次を仕上げたいです!
9.80名無し妖怪削除
これは続きに期待です
11.60名前が無い程度の能力削除
とりあえず続きが気になる、ということで…。
何か冒頭から承までが論文発表みたいに感じて、少ししつこさを感じたのは私だけ?
12.無評価大崎屋平蔵削除
 お読みいただき感謝です♪
 あぁ、やはりしつこい部分がありますか。癖らしく、くどくなってしまうそうなんですよね。
 話を書き進める内に、どうにか改善していきます!
 試行錯誤しますので、よろしければしばらくお付き合いください。