「ねぇ、蓮子。私達の赤ちゃんってどんなのかしらね?」
妊娠10ヶ月程度に膨れたメリーのおなかを見て、飲みかけの虹色炭酸飲料を全てふきだした。ひぃ、ふぅ、みぃ。……いやいやまてまて、慌てるな私。どう考えても計算が合わない。いやいやいやいや、まてまてまて。慌てるんじゃない、慌てるんじゃない、私。メリーとそんな既成事実は無かったはずだ。いやいやいやいやいや、まてまてまてまて。そもそも私達は女同士じゃない。めしべとめしべでは子供は……できるんだっけか! 昨今の遺伝子工学はとうとう性別を乗り越えたのだわ!?
「なんてね、嘘よ。コンニチハ、レンコママ。ボククマチャン」
メリーはおなかからクマのぬいぐるみを出産した。もっこもこでふわふわなそのぬいぐるみを抱えて妙に甲高い声で挨拶をさせる。数百年前に絶滅した動物だけど、本当にこんなにずんぐりむっくりしたのがTシャツ一枚の姿で川に入り鮭を獲っていたのだろうか。何はともあれ、一安心。一夜の過ちなんて、幻想に過ぎないのだから。
「びっくりした。私ってばつい……」
髪の毛から蓮子の細胞を培養して本当に妊娠してみたの、なんて言いだしかねないのが秘封倶楽部のメリーだった。冷静になって考えてみれば急に膨れたメリーのおなかに新たな生命が宿っていることなんて在り得ない。けれども、そんな嘘でさえ、強烈な真実味を伴って降り注ぐのが妊娠という奇跡なのだろう。見事に騙された。
「コホン。それで……メリーさんはどうしてクマチャンを出産したのかしら?」
「ちょっと気になったことがあったの」
私はメリーと向かい合うように椅子に腰掛ける。ここは大学の近所のビュッフェ。オープンスタイルで値段も安く、学生たちには人気のあるお店だった。店内のBGMがジャズなのもポイントが高い。やっぱり暢気な昼下がりはジャズミュージックに限るわと、ウキウキ気分で自分の分の昼食をお皿に乗せて戻ってきたらメリーが妊娠していた。ちなみに秘封倶楽部のもう一人はお皿に何を乗せようか、なんて迷っている。そんな時間があったらさっさと何でも良いからもって来ちゃえばいいのに。
「さっき輝夜と受けてた講義」
メリーはデザートの苺ショートにフォークをさしながら言う。どうでもいいけど、この子のデザートから食べるクセは見てて胃がもたれてくる。まぁ、幸せそうにほお張る姿は小動物にも似ていて可愛くもあるのだけれど。
「んと、お昼前のコマって」
私はスケジュール帳を確認する。驚くことなかれ我がスケジュール帳にはメリーや輝夜の講義のコマ割やこれからの秘封倶楽部の活動に関するエトセトラがみっちりと記録されている。
「遺伝子工学よ」
「ああ、バイオテクノロジー、ってことは遺伝? 加算、除算と劣化コピーじゃない」
あんなつまらない講義なんて、出るだけ無駄だった。卒業のための消化と称して参加するメリーと輝夜の気持ちが知れない。
「まぁまぁ、そう言いなさんなって。メリーったら授業中ずっとうわ言のように呟いてたんだから」
そしてもう一人の登場。秘封倶楽部の輝夜は大きなお皿に山盛りのご飯、それとお椀いっぱいのカレーをテーブルの上に乗せる。
「うぁ……カレーライス。よくもまぁ、そんなにガッツリと食べれるわね」
「ライスカレイよ、ライスカレイ。生徒、生米、食スベカラズ。但シ、ライスカレイハコノ限リニ非ズ。少年ヨ、三割食ヘ。クラーク・ケント」
「色々と違う気が……」
少年よ大志を抱け。大志を抱いた輝夜がライスカレイを食べようが、カレーライスを食べようが、どうでもいいことだった。算数とトレースに悩むマエリベリー・ハーンを救うことこそが私の緊急課題。銀色のスプーンを口から生やした輝夜には敢えて触れないでおく。身を乗り出してメリーに問いかけた。
「メリー。気になったことって何かしら?」
「蓮子。貴女のその気持ち悪い眼」
いきなり失礼なことを言われた。歩くGPS女と揶揄される私の眼を気持ち悪いなんて……。一家に一台はほしい優れものなのに、メリーはその価値を分かろうともしない。別にもう相談なんかに乗らなくても良いんじゃないかしら、と黒蓮子が囁く。いや、でも、メリーは大切な心友、どんな些細な相談でも蓮子を頼っているのよ、と白蓮子が説得する。白と黒の葛藤が繰り広げられていた。私の脳内で。
「ちょっと試させて。輝夜、アレを蓮子に見せて頂戴」
「むぐ? ああ、アレね。はいはい」
既にノルマの30%を消化していた。一瞬でコレだけの量のライスカレイを葬ることができるなんて、きっと胃袋はユニバース。そんな輝夜がメリーに急かされて取り出したのはセピア色にくすんだ数枚の絵だった。
「今は亡きポラロイド……ね」
「むぐ。ウドンゲフォトよ、それ。いくらなんでも聞いたことくらいはあるでしょ」
輝夜がモグモグさせながら写真の説明をする。
「聞いたことあるような……。あぁ、思い出した。オーパーツか」
なんてことは無い一枚の写真が現在の考古学を根底から覆すような論争に発展したことがあった。確かあれは2年前のこと。東北地方は八幡平、兎塚L古墳と仮称されていた遺跡、厳重に封印されていた石造りの箱の中から数枚の絵画が見つかった。そんな絵画に混じって写真がポロっと出てきたものだからさぁ大変。兎塚L古墳は少なくとも3千年以上昔の遺跡。偽造だ捏造だと連日テレビで論争してたっけ。被写体は一輪の花。その花も既に地球上に存在していない種だったものだから植物学者までテレビに引っ張り出されていた気がする。散々論争され一世を風靡したその写真は、3千年に一度開花すると言われている優曇華の花にちなんでウドンゲフォトグラフと呼ばれていた。
「そういえば、あの論争は結局どういう決着がついたんだっけ」
「発掘団の捏造でめでたしめでたし。……そんなくだらない事実じゃないのよ。私が蓮子に確認したいのは」
「と、言いますと。メリーさんが私に見せたいのはこの下ね」
「そ」
ウドンゲフォトをめくると同じような写真が出てきた。思わず私は眼を疑う。メリーはニヤリと笑い、頬づえをつきながら言う。
「なに……これ?」
「うふふふ。さぁ、蓮子。秘封倶楽部の宇佐見蓮子。今、この場でソレに封じられた歴史を暴いて見せなさいな!」
映っているのは一枚目と同じくセピアにくすんだ花。けど、背景には満天の夜空と白い月。在り得ない真実に脳が一瞬フラッシュバックする。メリーは当然と言ったような真剣な顔で、輝夜は好奇心に満ちた眼差しで相変わらずスプーンを咥えながら、私を眺めていた。
「ええと……。ホントに良いの?」
「勿論。そのための確認なんだから」
「今からだと……2万999年と363日前の0時19分22秒。緯度35度19分、経度138度48分。……富士山の近くね」
「あら、やっぱり国内だったのね」
この瞬間、日本の考古学は音を立てて瓦解した。一体なんでこんなモノが輝夜のカバンの中から出てくるのだろうか。
「もぐ。カバンのもぐもぐ。底の方で下敷きになってたもぐ」
「記憶が戻ったの?」
「うんにゃ。全然思い出せないわよ?」
「恐ろしい子っ……!」
一番重要なところはぼんやりとしている。実に都合の良い記憶喪失だった。時々、コイツは本当に記憶喪失なのかと疑いたくなってくる。
「蓮子。貴女はたった今、私の期待通りにこの写真の秘密を暴いたわ。まさかそこまで古いものだとは思いもしなかったけどね。専門家が総出で解析しても何の手がかりも掴めなかった謎。その謎を星と月を見ただけで暴いてしまうなんて、やっぱりアンタの瞳は不気味よ」
「ちっとも褒められている気がしないわよ」
「褒めていないもの。ねぇ、蓮子。きっと現代の科学だってやれば星と月から場所と時間を観測することくらい、できると思うの。数千年、数万年に及ぶ天体の膨大なデータと演算が必要な作業を、貴女は全て自分の頭の中だけでしてる。それも一瞬で」
「……」
メリーの言っていることは間違っている。私は星と月を見て計算しているワケじゃないのだ。言い換えるなら、ボウリングで投げた瞬間にストライクかどうかわかる程度の直感。言い換えるなら、降る直前の雨の気配。その程度のもの。だからメリーが私の眼を不気味だと言う理由がちっとも分からなかった。メリーはたっぷりと生クリームのついた唇を人差し指でぬぐい私の目の前につきつける。
「なんてね。貴女がそんなに小難しい計算をしているワケないじゃないの」
「んちゅ。誉められている気がしないわ」
メリーの白い指についた生クリームを嘗める。甘くて、温い。
「誉めていないわ。貴女の眼はおおよそ人類として不適格な出鱈目な能力だと言いたいの」
「やっぱり誉められている気がしない……」
「前向きすぎるのは蓮子の悪いところね」
「せっかく持って生まれた素晴らしい瞳だもの、使ってあげないと不憫だわ」
もって生まれた、ねぇ。なんて言いながらメリーは私が舐めた人差し指を咥えた。
「もしも貴女の眼が……星と月を見るだけで時間と空間を捉える力が、遠いご先祖サマからの遺伝だとしたら?」
「遺伝……だとしたら?」
季節外れの向日葵のようなメリーの瞳に、私の瞳が映っている。結界を暴くメリーの瞳は、秘封倶楽部には無くてはならないものだ。私に見えないものが見える彼女のことがいささか気持ち悪くもあるのだけど。もしも……私達の瞳が、遺伝だとしたら。宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンのDNAを掛けあわせれば、結界と、時間と、空間とが理解できるようになる?
もし、この世界にそんな能力を持った存在が居たとしたら――。
「だとしたらメリー、私達の赤ちゃんは【妖怪】よ」
「コンニチハ、レンコママ。ボクヨウカイクマァァァ!」
「何をバカなことやってるのよ……」
メリーは咥えていた人差し指を口から離した。私とメリーのDNAが混ざった唾液が糸を引いている。ああ、ちょっとだけ、メリーが私達の赤ちゃんについて考えていた理由が分かった気がする。季節外れの向日葵のような瞳に映った私の瞳が少しだけ潤んでいた。
「結界を暴くよりも子作りしてた方が早く結界を暴けるんじゃないかなと――」
矛盾しているわよ。それ。
「おーい、帰ってこーい。こっちのカレーはあーまいぞ」
何処か遠くで輝夜の声がする。甘口だったのね、そのライスカレヰ。
◇ ◇ ◇
鈴付きの扉をカランカラン。いつものように私達は大学とは反対の方向へ歩き出す。
「それで……どうする、今夜は?」
「なあに蓮子。子作りの相談?」
「ち、違うわよ、バカメリー!」
「本当に優曇華の花だったら開花まで一日とちょっと。もしかしたら今夜にでも華を咲かせるかも。うん。見に行きましょう、2人とも」
輝夜が口を拭き拭きしながら今夜の活動の提案をする。元々そのつもりだったのだろう。何せ自分のカバンの中から出てきたのだ。気にならないわけがない。私としても輝夜が少しでも記憶を取り戻す手がかりになれば良いし、これを逃せば次は3千年後になってしまうのだ。行かない理由は無い。
「ぇー」
「ぇー、って何よ。そもそもウドンゲフォトを見せたのはメリーじゃない。証拠を確認するためにも私達は見に行く必要があるでしょ」
「これで賛成2、反対1ね。メリー、どうする?」
「仕方ないわね……。子作りの算段の方が重要だったんだけどな」
「華だって観客が居れば、より優雅に咲き誇るもの。さ、お花見に行きましょう」
「ちょうど実家から送ってきた日本酒があるのよねぇ」
「いいわねぇ。私もおつまみ作っていこかな、久々に料理の腕を奮っちゃうわよ。蓮子とメリーは食べたいものある?」
輝夜が腕まくりをする仕草をして問いかけた。そんなの、もちろん決まっている。
「「筍のお刺身!」」
いつもの秘封倶楽部の昼下がり。こうして今日も淑やかに日々は進むのだった。
陽気と、ほんの少しの不思議に誘われて街を出よう。3千年に一度のお花見に行こう。
私達の間を吹き抜ける春風が、ほんのり甘酸っぱく染まっていた。
-終-
忘れられてなかった続きモノ!
相変わらず良い秘封倶楽部ですなぁ
ところで余った姫さまは貰っても良いですか?
蓮子の能力って、天文学かじれば、精度は別として
誰でもできそうな感じがしてしまうから怖いな。
要するに指ちゅっちゅしたい
流石に二万一千年も経ってると一日二日ぐらいはずれてそうだ。
何度読んでも面白い
ウドンゲフォトグラフとか本当わくわくするな
大好きだから気長に辛抱強く待つぜ
ロマンあふれ、まるで東方projectのよう
続きも期待しています!
気長に次回も期待!
この文中の“星と月を見るだけで時間と空間を捉える力”の遺伝元が姫様(なんたって月のお姫様)で、蓮子はその子孫だった。とか、そんな妄想が膨らみました。
雰囲気作りがうまいと思いました。
これかからも続いてほしいですね。