Coolier - 新生・東方創想話

調停官としゃくれた魚

2022/04/12 01:50:42
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「というわけで、犯人は妖怪化したカワウソだったわけです」
「ふーん、”のびあがり“ねぇ」
 神社の縁側に座りながら里での事件のあらましを報告するのは、私にとってはもういつも通りと言っていいものになった。
 遠い・高い・有り難みがないの三重苦を背負ったこの神社への参道は何度歩いても慣れそうにはなく、今日もまたずいぶん苦労させられた。これでも貸し本の回収でそれなりに歩き回っているつもりなんだけど……私も飛べたら楽だろうなと毎回思ってしまう。
「背をどんどん伸ばしていって、見上げれば一層高くなる妖怪───それで雲山が疑われたのね、丸かぶりだもん」
 霊夢さんは少し呆れたような顔をしてお茶をズズズと啜る。
「それで小鈴ちゃん。そいつらはなんとかなりそうなの? もし話を聞かないようであれば全滅させにいくけど……」
「あぁ、いえ。のびあがりたちのことは茨華仙に頼んだので大丈夫ですよ。どちらかというと命蓮寺の噂を止める方が面倒で、文さんにも協力してもらって真相を広めているところです」
「ふーん。まぁ茨華仙なら安心ね。寺の方はむしろ評判落ちたままの方が助かるけど、天狗が関わるのならそれも安心かしら」
 相変わらず物言いが酷いが、霊夢さんも本気でそう思っているわけではないだろう。命蓮寺ももうすっかり幻想郷の一部となっており、平和のバランスを大きく担っている。そこが崩れるのは霊夢さんも困る。
 文さんがどう思っているかは分からないけど、悪いようにはしないだろう。明日の文々。新聞には私が教えたのびあがりの情報に加えて、向こう独自の調査に基づいた命蓮寺の潔白を証明する根拠が載っているはずだ。人間なんかに知識で負けたくないだろうから。
「寺の方もいい迷惑ですよねぇ。聞けば雲山さんって、姿を変えたり大きくしたりはできるんですけど色はあのままだっていうんですよ。犯人だとしたらとっくに証言出てますよ」
「噂話なんてそんなもんじゃない? 仕方ないわよ」
「勉強不足だって言ってるんです。みんな怖がって好き勝手噂する割に、全然詳しくないんだから。知らないまま怖がってたって何にもならないじゃないですか」
「へぇ、そんなこと嘆くなんて。まるで……」
 ふと霊夢さんの口が止まり、言葉尻が切れて宙ぶらりんになった間が流れる。が、それを打ち消すように霊夢さんはすぐにまた話しだした。
「あんたも板についてきたのかもね。調停者だっけ?」
「調停官ですよ調停官。官の方がちゃんとした仕事っぽいじゃないですか」
「あんたのこだわりなんて知らないわよ」
 時間がずいぶん経った。霊夢さんは私のことを“貴方”ではなく“あんた”と呼ぶことが増えたし、私はいまや霊夢さんの仲間として立派に努めている。
 調停官。人妖にまつわる諍いごとの解決に務めており、人里ないしそこに住む人々と妖怪との間で問題が起きた際の相談、調査、推理などなどを受けもっている。ちなみに役職名は私がさる外来本から拝借して勝手に名乗っている。
 仕事が始まったキッカケは御阿礼の子が亡くなり、相談先を失った人たちが近場の命蓮寺やロープウェイのある守矢神社などに駆け込み始めたことだ。
 各宗教派閥らが次々と仕事と信仰を集めだす中、地理的要因で不利な博麗神社は大きく損を見ることに。事態を重く見た霊夢さんは自ら出張相談所を人里に作り依頼を募り始めたものの、流石の幻想郷といえど里に出向けば毎回問題が起こっているほど荒れ果ててはおらず。結局割りに合わないからと、出張事業は長続きせずに自然消滅に終わってしまった。
 ……まぁ場所が悪いとか以上に、そういう仕事の雑さが他との差に出てるだけなのよね。長い目で見るっていうことをしないんだから
 そこで私が手を上げてみたのだ。良ければ私が人里での仲介役をしようと。
 初めに話をしにいった際には神社側から難色を示されたけれど、他に人気を取られる危機感、私を仲間と認めた事実、分業の魅力などなどの材料を武器にしつつ、本人の怠慢っぷりにつけ込むことで上手く交渉は進めることができた。
「ところで、最近勝手に仕事しすぎだと思うんだけど」
「えっ?! そうですかねぇ……?」
「妖怪が出たって話なら、途中で何か言ってくれてもいいじゃない。そりゃあのびあがりなんて正体が分かれば大した妖獣じゃないけど、警戒するに越したことはないんだから」
「あ〜、たしかにそうだったかもしれませんね〜……」
「……もしかして出番取られたくなくて黙ってたの?」
 ジトッとした視線に思わず目を逸らす。
「あのねぇ、あんたに任せたのは相談の仲介であって、危ないことをさせる気はないの!」
「アハハハハハ、でもほら、無事でしたし」
「そもそも仕事も他のところに回しちゃって、これじゃあ全然あんたに任せてる意味ないじゃない! 」
「そのですねぇ……ほら。最近じゃ”神社に“じゃなくて“調停官に”相談しに来る人の方が多いので……ちょっとくらい、自分でやっても良いかなぁって? それに霊夢さん、こういう時退治しかしないですし……」
「あー? 妖怪退治して何が悪いってのよ! あんたこそ、自分一人で仕事回してそれっぽく振る舞いたいだけでしょ!」
 そんな不純な思いは無い。私は真に幻想郷の状況と神社の経営を憂いて窓口役を買って出たのだ。まぁちょっと、役得で遊んでいるだけで。
「と、ともかく。今回は何事も終わりそうですよ」
 無言で睨みつけてくる霊夢さんの視線は重苦しい圧力マシマシだ。
 しかししばらくするととりつく島がないと思ってくれたのか、苦々しい顔のままちょっと荒っぽくお茶を飲み始めた。なんだかんだ言って任せてくれているのは信頼してくれているからなのか、それとも指導が面倒だからなのか。
 実際、今回の件は霊夢さんを呼ぶこともなく平穏に終わるだろう。キッチリといつものように後始末さえすれば問題はない。
 これが私の今の日常だった。調停官として世のため人のため働き、チヤホヤされて楽しく生きる。周りも私もいいことずくめの素晴らしい日々だ。
「まったく、どうしてもっと真面目なやつが手伝いに来てくれなかったのかしら」
「類は友を呼ぶって言いますよ」
「…………」
 そろそろ黙っていた方が良さそうだった。


 それからしばらくした頃の話。
 最近の鈴奈庵はそれなりに忙しく、平穏ではあるけれど退屈はない生活を送っていた。調停官として私が評判になると、私目当てで子供たちが来ることが多くなった。おかげで帳簿の管理も増えて、なにより修繕作業が山積み状態……。
 誰か雇ってもいいんじゃないかとお父さんに言ったこともあったが、人を借りてしまえば儲けが帳消しになるのだとか。所詮子供相手ではそれほどお金は取れないのだろう。
 ただ、忙しいのも自分の人気が影響していると思えばそんなに悪い気はしない。手を振ってやると喜んでくれる子供たちは見ていて心地いい。
 そんな微笑ましい光景の代償ともいえる破れた頁たちへ私が果敢に立ち向かっていた折のことである。職漁師のお兄さんが私を訪ねて店にやってきた。
「はぁ、怪しい魚売りですか」
「あぁ、最近里で商売を始めたようなんだが。どうにも見覚えがねぇ男でなぁ」
 お兄さんの顔からは訝しみと憤りが分かりやすく浮き出ていました。
 本業を疎かにして店を離れるわけにもいかず、調停官の仕事は鈴奈庵で受け付けている。この日も店のソファにお兄さんを案内し、向かい合って話を聞いていた。茶を出せればいいんだろうけど、ここは貸本屋だ。そうもいかない。
 今のところ兼業はなんとかなっているのだが、家に迷惑をかけている自覚はあるので独立しようと思うこともある。けれども本から離れるのも嫌だし後継もいないし、結局この家に居座り続けている。
「職漁師と魚屋は全員顔馴染み同士でよ。それぞれ仲間うちで助け合ってやってるもんだ。俺だって初めは運松のじいさんから色々教わって、それから他の仲間に紹介してもらってなぁ。そうやって仕事をしていくのが普通なんだ。だけどあいつは突然ふらりと現れてよぉ。仲間に聞いても誰も見たことないってんだ」
 運松さんと言うと里の有名人で、とびきり腕利きの職漁師だったという。今は隠居中だなんて聞いたっけ。
「あの魚売り、美味くて安いって評判になってきてよぉ。客を取られるんじゃないかと困ってんだ」
「う、うーん。そうですか」
 正直に言うと、お兄さんの話をそこまで熱を持って聞けてはいなかった。
 独学で始めて商売を始めた人ってだけじゃないんだろうか。釣りなんて趣味でやってる人もいるくらいだ。そんなに不思議な話でもないような。新参者が生意気やっているなんて話なら仕事外だし、個人的にもどうでもいいんだけど……。
「不思議なのはそれだけじゃねぇんだ」
 私が苦笑いを抑えているのにも構わず、お兄さんは威勢よく続ける。職漁師というのは静かに釣りをしているイメージが強いけれど、この人からは火消しといった方が似合うほどの活気を感じる。そこはかとなく苦手……。
「これまた見たことねぇもんでな。ここらで獲れる魚なんていくら珍しくてもすぐ分かるはずなんだが、さっぱり分からん」
 はたと自分の顔色が変わったのを感じた。長いこと職漁師として生きている人が見たことない魚なんて、どう考えても異様だ。
「見たことない? ちょっと形が悪いとかじゃないんですか?」
「いや、あんなしゃくれた口はそういうんで済む話じゃないな。近くの川で住んでる種じゃない」
「それは確かに…… 怪しいですね」
 そこまで断言されてしまえばそう言うしかない。
「そうだろ? それで、一体あの魚売りはどこのどいつなんだという話になってな。他の仲間が言うにゃ、店じまいしてから門外に向かったときた。そりゃあ俺たちは門外に魚を取りに行くが、店に出すための道具なんかは里に置いとくもんだ。ほっぽり出してりゃ妖精に何されるか分かんないからな。普通、店じまいの後にゃ家に帰って片付けするもんだ」
「門外……」
 話の流れが進むにつれ、どんどん怪しさと興味深さは増していく。
「巫女さんじゃねぇんだ。里の外に住んでるとしたらありゃ妖怪だぜ」
「なるほど。それで私のところに相談しにきたんですね」
「妖怪相手となると何があるか分かんねぇからな。餅は餅屋だ」
 人里で妖怪が好き勝手に商売しているなら放っておくわけにはいかない。大義名分は十分ある。
「分かりました。こちらで調査承りますよ。無事解決させてみせましょう。調停官の名前に賭けて、ね」
 この仕事のいいところは正当性を持ちながら、いいカッコがつけられるところだ。


 翌日の卯の刻、日の出も過ぎて明るくなってきたころに市場へと向かった。仕事モード全開で出発しようとしていたが、母に捕まってしまってついでだからと家の買い物を頼まれてしまった。買い物カゴなんか持っちゃうと調停官の雰囲気は台無しになっちゃうわけで、出鼻を挫かれたような気分だ。
 献立を想像しながら物を買うのはそれなりに楽しいし、まぁいっか。
 市場は人も集まり始めたところで、それなりの賑わいを見せている。奥方らが今日一日の食卓を支えるための食材を揃えにきているのだろう。
 魚売りの方の言うような妙な魚を探してみるが、それらしいものは特にはなく。魚で言えばもうそろそろ見かけなくなるだろうウグイだとか、これから旬を迎えるドジョウなどを見かける。野菜を見ても茄子やキュウリなど、彩りあるものが目立ち始めた。今年も夏が来る。市を覗いていると、そんな時間の移ろいを感じるものです。
「あれ」
「おっ、小鈴じゃないか」
 にぎわう市場の中で白黒カラーの服のちんちくりんが妙に目立っていました。
「珍しいですね魔理沙さん。市場で会うなんて」
 霧雨魔理沙さん。自称妖怪退治の専門家で、私の先輩とも言える人だ。
 里で見かけることは別に珍しくはない。けど魔法の森に住む魔法使いにとって、朝市なんて無縁だろうに。
「面白い魚が出回っているって聞いてな。この間来てみたんだが、どうもすれ違いになったみたいでな……今日は早く出てきたんだよ」
「この間って、魚売りの話もう聞きつけてたんですか。流石ですね」
 採集やら研究やら時間を取られることを趣味にしているわりに、こういう騒ぎの時は必ず駆けつけてくるのだから不思議だ。
「異変に関わりたいならとにかく素早く行動だ。他にも目立ちたがりがいっぱいいるからな、手柄は早い者勝ちだぜ」
 なんだかしたり顔をしている魔理沙さんはいつにも増してご機嫌そうな声色だ。
 この人はいつも遊んでいる。異変解決にしても、こういう会話にしても、楽しいからやっているんだという気持ちがにじみ出ている。
「お前は買い物、だけじゃないか」
「えぇ、調停官として調査に来たところです。邪魔しないでくださいよ、魔理沙さんと違って仕事なんですから」
「何言ってるんだ。そっちも遊び気分でやってるくせに」
 ……まぁその通りなんだけど。
 そういう遊び人としても魔理沙さんは私の先輩と言える。昔は魔理沙さんもカッコよく見えていたりしたけど、最近は共感や呆れなど、とにかく馴染みが良い感情しか浮かばなくなっていた。
 はぁ。昔はもっと凄い人だと思っていたのに。なんとなく昔に思いを馳せてしまう。
「調査って、お前だけで来たのか?」
 それはさりげない言葉だった。けれど、僅かに声色が変わっているように感じられて妙な存在感があった。
 魔理沙さんの顔は極めて平静だった。表情からは特になんの感情も読み取れない。なんとなく気圧されてしまう。
「そうですけど、どうしました?」
「……いや、ならいいんだ」
 空白に空想をかきたてられるのは本読みの悪い癖だろうか。
「何、お前だけじゃどうにも頼りないなとちょっと思っただけだよ」
 パッと一変して頬が緩ませ、魔理沙さんはからかってくるようにケラケラと笑い出す。
 ちょっとばかり、カチンと来た。
「あのですね、私だって成長してるんです。これでも立派に仕事やってるんですから、調停官として」
「確かに背は伸びたが、中身はどうか分からないぜ」
 そっちだって年甲斐もなくエプロンドレスなんか着ているくせに。まぁ、口喧嘩を続けても勝てる気はしないから言い返さないけど。
 ひそめていた眉を伸ばし、できるだけ穏やかな顔を作る。
「ところで首尾の方はどうです?」
「あー、それがどうにもな……」
 さりげなく聞いただけだったのだが、魔理沙さんの顔が仏頂面に。舌戦に乗ってこなかったのが気に食わなかったのか、それとも自分の成果の方に不満があるのか。
 詳しく話を聞いてみると、今日はあらかた見て回ったけれどまだ件の魚売りは見つけられていないということだった。職漁師のお兄さん曰くいたく人気とのことだったからすぐ見つかると思ったんだけど、二人して探しだせていないとなると……。
「まだ来てない、ってことはないよな」
「もう買い物客が集まってきちゃってますから。店を開くには今からちょっと遅すぎますよ」
「じゃあ外れか、どうにも縁がないな」
「わざわざ相談が来るくらいですから、市場にはかなり顔を出しているとは思うんですけど」
「いつ来るかとか、その依頼人に聞いてなかったのか?」
「えぇまぁ、その……聞いておけば良かったですね」
「お前な」
 どうしてこういうことって後になってからじゃないと思い出せないんだろう。
 魔理沙さんは途端につまらなそうな顔をして、頭の後ろで手を組みだす。
「まぁまた明日くればいいか。早起きが続いて健康にはなれそうだが……ん?」
 小気味の良い、木の車輪の回る音が聞こえてくる。
 通りの真ん中に出て目を向けてみれば、木箱を詰め込んだ荷車を男の人が一人で引きながら歩んでくる。
 道を空けていく奥方たちの反応はさまざま。こんな時間になんだろうかと不思議そうに見る方もいれば、迷惑そうにきつい視線を飛ばす方も。反対に、目を輝かせていかにも歓迎しているような方もいる。
 店を出している側を見てみると、おおよそ険しい目付き。嫌われちゃってますねぇ。
「朝寝坊……ですかね?」
「そんな呑気じゃ朝市なんてやっていけないだろ」
 例の魚売りと思われる人物はある程度のスペースがある場所に荷車を止めると、一際大きくて細長い箱から大きな魚を見本と言わんばかりに取り出す。
 その見た目はなんとも不思議な、一度見たら忘れられない姿だった。コイを思い起こさせるほどの大きな鱗がついた美しい体に、ずいぶんとしゃくれた顔がくっついている。なんだかアンバランスな見た目だった。
 魚売りが申し訳程度に値段だけ書かれた看板のようなものを置くと、待ち侘びていた一部の奥方が駆け込んでいった。もはや店構えを整えるまでもなく人が集まる盛況らしい。
 その人気っぷりは行列ができようかというほどだったが、スルスルと客ははけていった。魚売りはずいぶんと手慣れているようで半身か丸魚かだけを聞き、次々箱を手渡す。どうもあの中に既に捌かれた身があるようだ。
 効率的で手早いが、その様子は活気ある市場からは浮いて見えていた。なんとなく目の敵にされている理由が分かる気がする。
 人が空いたところを見て、いざ突撃を決行。
「すみません、お魚いただけますか?」
「はい。半身分と一尾分、どちらで?」
 商売人にしてはいやに覇気のない声だった。
 余らせても困るので半身分を頼む。看板に書かれた値段は手頃というほどじゃないけど、飾られている魚のサイズから考えれば十分に安い額だった。
「すみません、ずいぶん評判なようなので特に考えずに買ってしまったのですが…… これは一体なんていう魚なんです?」
「アロワナと言ってね。見慣れないだろうけど、美味いし臭みもない。今日のうちなら生でもいけるだろうね」
「あー? 生だと?」
 魔理沙さんだけではなく、私も思わず怪訝な顔をしてしまいそうになった。
 幻想郷で取れる川魚というのは生臭くて仕方がなく、よほど新鮮でないと生食は難しい。外来本曰く海の魚ならばずいぶん事情が違うらしいのだが……。
 箱に入った切り身はすでにどこかで内臓や皮目の処理がされているようで、少なくとも生簀から取り出した魚のように食べられるとは思えないけど……。
「まぁ、食ってみれば分かるよ。生食は面倒じゃないしねぇ」
 やる気のない説明には説得力というものが著しく欠けていた。
「えぇと…… 他にはどんな調理方法が?」
 危ういものは避けるに限る。
「まぁ、シンプルに塩焼きじゃないかねぇ」
 またもなんだか投げやりな回答。
 こう手応えがないと、こちらも次の言葉を出しにくくて仕方がない。もう少しだけ頑張って笑顔をキープ。
「ところでこの魚、どこで獲れるんです?」
「あー…… 悪いね、それは言えないねぇ」
 魚売りはとても苦々しそうな顔だ。ここにきてようやく感情らしいものが見えた。
 職漁師のお兄さんの言うようになんだか怪しい。けれども、そこを今無理に突っ込む必要はない。
 調停官の仕事は妖怪を追い出すことではない。人と妖怪の生活を守り、諍いを治め、健やかな暮らしを届けられるよう最大限便宜を図ることだ。そうやってやましいことをしないで尊敬されるのが一番気分がいいし。
 最後にひとつだけ。
「この看板、貴方が書いたんですか?」
「え? ああそうだけど……」
「そうですか。ありがとうございました」
 魚売りに見送られて台車を後にし、その他の食料を買い足してから市場を後にする。
「私は一旦家に帰りますが、魔理沙さんはどうします?」
「お前が朝餉を済ませるまで待ってるさ。後で鈴奈庵で会おうぜ。あそこなら外の世界の図鑑とかもあるだろ? あぁそれと、私の分も魚焼いててくれよな。じゃ」
「えっ、ちょっと」
 さりげなく付け加えられた言葉をこちらが咎める間もなく魔理沙さんはフラリと去っていった。
 まんまとたかられてしまった。こういう押しの強さは見習うべきなんだろうか。


「おぉ、これは美味いな」
 箸を持つ魔理沙さんの目は爛々と輝いていた。その言葉には私も同感である。
 魔理沙さんは約束はきっちり守る方らしい。お昼前頃にうちの店までやってきた。
 一応こちらも(一方的にだけど)取り付けられた話通り、魔理沙さんの分の焼き魚を用意していた。けど、店でそのまま飲食をさせるわけにもいかず、かといって他所で都合の良い場所もなく、何も食わずに待っていたという魔理沙さんを待たせるのはなんとなくこちらが悪い気がしてしまうので私の自室である屋根裏へ連れてきた。
 いや、元自室という方が正しいかも。いい加減この部屋も狭く感じてしまって、もうあまり使っていない。それでも屋根裏という特別感は今でも気に入っている。
 アロワナなる魚の焼き物は大変に美味だった。箸を入れた途端に驚かされる身の柔らかさ、口の中にいれた時の旨味の存在感、噛めば噛むほど上品な甘味が広がっていき、それはもうどれを取っても一級品だ。
「なによりも、まったく臭みがないことが驚きだな」
「そうですよねぇ。ちょっと信じられないくらいで……」
 アロワナの身はあまりにもスッキリしていた。職漁師から買い付けた魚だって決して生臭くて仕方ないわけじゃないけど、これと比べてしまうと随分臭く感じてしまうだろう。
 味だけではなく、丁寧に骨抜きと鱗取りされている切り身で売られているのも人気の秘密だろう。調理も楽だと母が喜んでいた。
「こうなると、生で食べられるというのも本当かもな」
「あ、やっぱり気になりますよね〜?」
 すかさず後ろの盆から皿を取り出す。盛り合わせているのはもちろんアロワナの刺身。
「おぉ、用意がいいな」
「これも調査のうちですからねぇ」
 ささっと醤油を小皿に垂らし、二人で躊躇いもなく一口。
 口に含んだ瞬間、堪らず嬌声が喉から飛び出てきてしまう。
「これは、そりゃ売れるよなぁ。酒と合わせてもよさそうだ」
 売れている理由は十二分に分かった。やはり実地調査は重要である。百聞は一見にしかず、一食ならば美味しくて更にお得だ。
 アロワナはあっという間に二人で平らげてしまい、二人前では物足りなさを感じるほどだった。ただ食べてばかりでいるわけにはいかず。
「アロワナについて先に調べてたんですけど、どうやら外国の魚みたいです」
 皿と一緒に持ってきていた図鑑を広げ、アロワナのページを開いて見せる。英文の本だから魔法使いの魔理沙さんも読めるだろうけど、手っ取り早いので私が口で訳す。
『アロワナ。アロワナ目アロワナ科アロワナ属。アジア、オーストラリア、南米のアマゾン川などに生息する大型の淡水魚。生息地によっては1mを超えるものも見られる。水面に浮かぶ虫、小型魚を捕食するために突き出た下顎が特徴。その姿から観賞魚としての人気が高い』
 頁には出店で飾られていた魚通りの特徴と絵が載せられている。その他にも書いてあることは実際に見たアロワナの印象からはそう違わないことばかりだ。特段に気になるところはない。書いてあることに限れば。
「食材としての記述が何にも無いのは、なんででしょうね」
 あんなに美味しいのに、味について一文字も書いてないなんて。他に食用になっているであろう魚には色々書いてあるのが余計に不思議だ。
「うーん、外の世界じゃ食べてないのかしら? この”キンメダイ”とかもそうだけど、海の魚ってもっともっと美味しいのかな……」
 同じ頁に書かれている食用魚と書かれている魚の写真に目を向ける。alfonsinoという英名を訳してみてもまったく聞き覚えのないものだった。
 知らないものでも訳せるんだから自分ながら不思議だ。
 文字というのはこちらの記憶と知識を引き出してくるものだ。見知らぬ文字、名前を見ても何も思い浮かばないのが普通。けれど私の目は、きっと文字から発せられる言霊みたいなものを見ることができるんだと思う。なんとなくでしか分かんないけど。
「海の魚、それも外じゃ祝い物になるくらいの高級魚を食べたことはあるがな。アロワナとそんなに差があったとは思えないぜ」
「えぇ? 流石ですねぇ……」
 嘘みたいな話だがこの人ならあり得るだろう。珍品を自分から探しに行くだろうし、神社の宴会ではレミリアさんがどこから手に入れたか分からない肉やらなんやらをしょっちゅう持ってきているし……。
 しかしそれを信じるとなるとますます首をかしげたくなる。
「ちょっと詳しく調べてみましょうか」
 狙いを定めたのは生息地の中でも唯一明確に書かれているアマゾン川。この川はいったいどんな場所なのか、その謎を探るべく私たちは店の裏の書庫へと向かった。
 といってもそう難しい調べものではなかった。図鑑の説明に使われるほどメジャーなだけであって、子供向けの学習本ですらアマゾン川について触れている。
『世界でもっとも大きな流域の川。南アメリカとブラジルを流れていて、水量も世界一。流域は高温多雨で育った密林に覆われており、独自の生態系が発達しているんだ。長さ:6516km(世界第2位)。』
 ところどころにフリガナが振られた説明は外の世界について詳しくない私たちにも優しかった。とにかく、大きい川らしい。
「にしても、ずいぶん汚いですね……」
 一面の森の中を通る茶色の曲線。写真に映るドブみたいな川は雨が多いというだけあって台風の日を思わせる。いかにも泥臭くてまずい魚が住んでいますと言わんばかりの見た目だ。
「とても美味い魚が取れそうな場所じゃないな……」
「ここで釣れたものを食べろなんて言われたらちょっと、ねぇ……」
 舌から鼻へと通じる泥臭い味を想像して思わず顔をしかめてしまう。この濁った川がさっき食べたあのアロワナの住処とはとても思えない。
 外の世界でアロワナが食用として人気にならないのも当たり前だろう。これじゃ絶対美味しくない。
「うーん、ますます分かんなくなってきた」
 実際に食べたアロワナと外来本から読み取るアロワナはずいぶんと違って見えてくる。
 もしかしてあの魚売りはアロワナと偽って本当は別の魚を売っていたのかも。他の職漁師に漁場を悟られないために魚の正体を隠したいとか。
 けど荷車の上に飾られていたあのアロワナは本物だろうし違うか。そもそもアロワナ自体がどこで獲れるかを職漁師の人たちが分からないほどで、さらに別の魚が獲れるような秘密の漁場を二つも三つも偶然見つけられるとは思えない。
 じゃあ売られているのが本当にアロワナだとして、こうもズレているのは……。
「あんまり一人で考え込まないでくれよ。こっちが手持ち無沙汰になるぜ」
「あっ、すみません」
 つい没頭してしまって、2人でいるというのに魔理沙さんのことを忘れていた。
「そういうところ、いかにも友達が少ないって感じだよなお前」
 ……失礼な。
「売られているアロワナは綺麗な水に住んでるってだけの話なんじゃないか? 鯉だって沼で獲れた奴は不味いって言うぜ」
「あぁ確かに。見た目も鯉に似てますしね。色んな国に住んでいるみたいですし、汚い場所でも生きられる強い種なのかも」
 活力たっぷりの魚だからこそのあの味、と考えて見ると一転して納得感が湧き上がってくる。
 そうなると、だ。
「あの魚売りはただの雇われ。何かしらの組織がアロワナを養殖していて、人里に売りにきている──というところですかね」
 こういうセリフは本を閉じ、パタンと心地良い音を立てながら言うのがポイントだ。
「ほう。理由を聞かせてもらおうか」
 向かいに見えるは挑戦的な笑み。下手な推理を披露してしまえばこれが嘲りの笑いになるのは想像に難くない。
 でもそうはならないだろう。私が推理小説よろしく、華麗に答えてしまえばいいんだから。
「まずアロワナは外国の魚ってことですし、外から来たって線はないでしょう」
「そうか? 観賞用に人気らしいじゃないか。ペットが捨てられて野生化ってこともありそうだが」
 本当は疑問にも思っていないのは表情を見ればすぐ分かる。こっちが答えられるのを待っているのだ。
「あの大きさで、しかも外国の魚ですから。錦鯉なんかとそう変わらない価値でしょうね。それだけのものを飼うようなお金持ちがペットを捨てるなんて、そう多い事とは思えませんよ」
「なるほど、確かにな。じゃあなぜ幻想郷にアロワナがいるんだ?」
「元から住んでいたってことになるでしょうけど……正直まだ分からないです」
「あー? 肝心なところだろ」
「そうなんですけど、そこは置いといて話を続けさせてください」
 ピッと手を出して制止すると、魔理沙さんは納得していないようながらもそれ以上追求することはなかった。
 ちょっと信頼が揺らいでいる気がするが、咳払いをしてから続ける。
「養殖っていうのも、鯉からの発想です。あれだけ生臭さがないなら、きっと綺麗な場所で獲れたものでしょうね。でもそんな良い漁場が自然にあるなら職漁師の人たちが見つけてそうですし」
「それはまぁ無理のない話だな。養殖なんて手間がかかることも1人じゃ難しいだろうし、あの店員からそんなことをやれそうな覇気も感じなかったしな」
「覇気がない、なんてものじゃないですよ。一切やる気がないんですから」
 これについては断言ができた。が、魔理沙さんはこの言い分に納得できないようで眉がつり上がっている。
「ずいぶん強く言うが、印象だけの話じゃないよな?」
「えぇ。ほら言ってたでしょう、あの看板はあの人が書いたって」
 店で最後にした質問。なんてことない内容だっただろう。向こうには嘘をつく理由が無ければ素振りも無かった。
 私が言わんとしていることが理解できたのか、魔理沙さんの目が大きく見開く。
「お前の能力、書いたやつの気持ちまで読めるのか?」
「そう言うと何か違うんですけど…… 文字に込められた気みたいなものは感じることがあるんです。よほど強い気持ちで書かれていれば、ですが。たとえば妖魔本みたいに」
 ズルッ、とでも音が聞こえてきそうなほど魔理沙さんの頭が落ちる。
「あんな看板が妖魔本なわけないだろ」
「いやいや、他の商人の看板からは見えるんです。お店の顔ですよ? 生活がかかってるんですから大なり小なり気持ちはこもっているのが普通ですよ」
 看板の文字に込められた想いは色々だが、お客さんに来て欲しいとかいっぱい売れて欲しいとかそういった商売人らしい欲みたいなものをヒシヒシと感じるものだ。
「けど、あの看板からは何にも感じなかったんです。あの人からすればどうでも良いんですよ、アロワナが売れようが売れまいが。きっと売れたところでボーナスもないんでしょうね。雇われ、というか丁稚? そんな扱いなんじゃないかな……」
「……なんだかお前も反則な推理をするようになったなぁ」
 魔理沙さんは呆れているような、降参しているような、複雑な目をしている。“お前も“というのが誰を想像して言っているのかは明白でしょう。あっちは推理とすら言えない勘だからもっとひどいけど。
 まぁ、ズルできるのも才能あってこそだろう。
 確実な下調べと自分の特別な力を活かした論理立て。我ながら立派に仕事をやれている。
「まぁここまで合ってるとしてだ。アロワナの出自もそうだが、結局養殖しているという組織がなんなのか分からないと話にならないぜ」
 え。
「……あー……。そこについてですか……」
「おいおい。まさかそこが分かってないなんて言うんじゃないだろうな」
「いや、その、ね。全く見当がつかないってわけじゃなくて」
 今度こそ魔理沙さんの顔が呆れ十割に埋めつくされた。いや、今回はそう見られてしまっても仕方ないんだけれど。
「……まぁ分かるところまで話してくれ」
 それなりの推理を披露した分のマージンが残ってくれたのか、まだ信用を失いきっていないらしい。仏の顔も三度までという。次になにか抜けがあったらもうまともに聞いてもらえないことだろう。
 促されたとおり、正直に話す。
「絞り込むところまではいってるんですけど……話が矛盾しちゃって」
 自分の考え、特に看板から見た印象については間違いないと断言できる。けれどもどうにも噛み合わないのだ。
「まずアロワナは刺身でも食べられたあたり、近くで漁をしているはず。ただ、人里近くの組織っていうと河童とか天狗とかですけど……どこもそれぞれの商売にプライドを持ってますから、魚を売るとはとても……。狸や狐が漁をするというのも、どうでしょう」
 そもそも近場に漁場があったら職漁師の人たちが────というのは繰り返しになるので省略する。
「お前それでよくあんな自信満々に……」
「まぁその、魚売りの人を追いかければたどり着けるから分かんなくてもいいかな〜って……」
「だったら最初から下調べの意味がないだろ」
 うぐ、それは確かにそうだ。
「何かを解明して披露すること、じゃなくて解決が目的じゃないのか。”仕事“なんだろ?」
 うぐぐ、まさしくその通りで。
「まぁそれは建前にしてもだ。ちゃんとやり通さないと格好もつかないだろ? 遊びは真剣にやらないとなぁ」
 うぐぐぐぐぐ……。
「ま、一歩手前来れたのはいいんじゃないか?」
「……え?」
 はたと顔を上げる。
「情報収集と仮説立ては良くできてるんだけどな……ここは幻想郷だからな。発想がまともじゃダメだ」
「えぇと、どういうことです?」
 イマイチ話が見えてこない。自戒や嫌悪のこもった鬱々とした文章を読んでいたら突然爽快なスーパーアクションが繰り広げられたかのような困惑。突然褒められたうえに話がどんどん進んでいくものだからついていけない。
 魔理沙さんはというとなんだか満足げで、それでいて得意げでもあるような、とにかく楽しそうないつもの顔だ。
「『どうやって生で食えるほどの鮮度を保っているのか』。お前はよほど近くで採っていると考えたが、その前提がまともすぎる。それと『アロワナがなぜ幻想郷にいるのか』という話も放っておいていたが、それもヒントだったかもな」
 なにがなんだか分からないまま魔理沙さんが喋り続ける。
「ちょ、ちょっと待ってくれません?」
 混乱に耐えきれず、少し叫んで魔理沙さんを止める。しまった、店の方に聞こえてしまったかも。
 自分を落ち着かせるよう一呼吸おいてから。
「魔理沙さん、どこでアロワナが獲れているのか分かったんですか?」
「お前の話からな」
 一層のこと深まる、魔理沙さんのいつもの笑顔。
「魚を放っておくと悪くなるのはなんでか知ってるか?」
 魚が腐っていくなんていうのは常識だけど、なぜかと聞かれると言葉に詰まってしまう。なぜ……?
「菌類が食い散らかすから、らしい。詳しいことは私も分からんがな」
 返答に困っていると、待ちかねたのか魔理沙さんは自ら答えを話してくれた。
「魚でも肉でも、放っておけば菌類が勝手にエサにして増えたりなんだりしていくうちに腐っていくそうだ」
「へー。でも生きた人間は腐ったりしないですけど、菌が寄ってきたりしないんですかね」
「さぁ。私も死んだ魚しか食わないからなぁ、菌も一緒なんじゃないか?」
 なるほど。なんとなく納得できたような。
 しかしまぁ。薀蓄には素直に感心したけれど、だからなんだというのが正直なところ。やっぱり話は見えてこない。
「つまり、菌が生きている場所なら食べ物は腐るってことだな」
「……? まぁ、どこでもいるでしょう。そんなの」
 それくらいのことは私だって知っている。
 話の要領を飲み込めないでいると、魔理沙さんの表情には若干の呆れが。
「だからそこがまともなんだよ。わざわざ言ったろ、菌が”生きている”場所ならだ」
 あ。
「そっか、冥界なら菌は生きていない……」
 というより、あそこには魚を獲るうってつけの場所があるじゃないか。
 こちらがようやく察しがついたことを察知したのか、魔理沙さんはちょっと安心したように顔を緩ませた。
「アロワナは三途の川で獲られたんだ」
 三途の川。あの世とこの世を隔てるあの場所では菌など存在しないだろう。獲った魚をその場で処理してしまえば臭みもなければ腐りもしないはず。しかしだ。
「あの川には既に絶滅した魚が住み着いている、なんて言いますけど。アロワナが絶滅したなんてことは図鑑に書いてなかったような」
「ようするに今生きていない太古の魚がいるってことだからな。絶滅してない古代魚だって泳いでるぜ、シーラカンスとか。アロワナもそういった古代魚なんじゃないか」
 あぁ、この人のことだから実物のシーラカンスを見ているんだろうなぁ。それに、言われてみるとアロワナの独特のフォルムには我こそ古代魚なりというアピールに溢れているようだ。明らかに現代魚とは一線を画しているし。
 そういえば市場には時折だけど古代魚が売られていることがある。あれも三途の川で獲れたものだったはずだが、美味しいと評判だ。あの味の決め手は鮮度だったらしい。そりゃあ美味しいはずよね。
「とすると。冥界か地獄に住む何者かの仕業、ううん。冥界の人にそんな欲はないか」
 あの場所はわざわざ現世に戻ってまでお金を稼ごうとするがめつい人が行く場所ではない。そもそも死者がこちらに来ること自体タブーだ。それを犯すような無法者は地獄にしかいない。
「そういうことだ。ここまで一人で気付けたら満点だったがな」
「結果じゃなくて過程を褒めていただければ……」
「…………」
 魔理沙さんの教育にはゆとりというものは無いらしい。
「で、どうするんだ? 出所が分かったわけだが……」
 推理大会は終わり。ミステリー小説ならば探偵はそのまま安楽椅子に居座り、助手が駆けつける場面だけれども。
「もちろん。出向いて話をしてきますよ」
 私には助手もいなければ、現場を渋る理由もなかった。活躍の場はあればあるだけ楽しい。
 こちらとしては是非もなく、という勢いだったのだが魔理沙さんはそうではなかったようで。
「話って。一体何を」
「このまま勝手に魚を売られたら困るって言いに行くんですよ。商売するのは結構ですけど、職漁師の方たちの暮らしに影響が出ちゃいますからね。量を抑えるか、もっと高い値段で売ってもらわないと」
「おいおい。お前分かってるのか? 三途の川までは距離はあるし、それに……」
「なに言ってるんです。魔理沙さんだって何かあれば地獄だろうとどこだろうと飛んでいくでしょう? 私だって────まぁ飛べはしないですけど。問題があれば向かうだけです」
「別に止めはしないが…… 飛べもしないやつが地獄の連中なんかに関わるものじゃない」
 珍しく大人な意見が飛び出てきて、ちょっと困惑してしまう。
 この人は根っこからおかしい場所と理路整然とした場所の差が激しい。人を小ばかにしたと思ったらしごく真っ当なことを言い出す。難しいのだ。
 ただ、今の発言が正しいかと言えばそうではない。今度は魔理沙さんが見落としを指摘される番だ。
「まぁ。飛べないからって危険な場所に行っちゃいけないとは限らないですよ」
 懐の中に手を突っ込む。調停官として働きだしてから常に持ち歩いている、この大事な商売道具の出番はそう多くない。危険な荒事に突っ込んでいくことは私の仕事じゃないものね。ただ、その威力は保証できる。
 何を取り出したのかに気付き、魔理沙さんは今日一番の驚きを見せてくれた。
「これを使いこなせるって言ったら、文句ないですよね?」
 博麗神社が秘宝、陰陽玉。私の手に握られたそれを前にして魔理沙さんは金縛りにあったかのように固まっていた。


「もし、そこのお方」
 仕事にひと段落付けて何も考えず川を眺めていた折だ。魚の骨抜きなんていうチマチマした作業を長くやっていると酷く参ってしまう。いくらやっても終わりなどない作業なら、こちらが勝手にサボってひと段落つけるしかない。
 そんな束の間の休息を邪魔され、なんだよと俺が機嫌悪くしながら振り向くと、そこには少女が立っていたのだ。
 市松模様の着物に深い紺色をした袴。髪は地獄の赤い瘴気に似た、どこか赤みがかかった長髪でその上半分の頭の後ろで一つ結びにしている。少女というには大人びていたが、髪留めとなっている鈴にまだ抜けきらない幼さを感じさせる。
 身なりからすると俺のような奴隷ではないらしい。しかし今さっき三途の川を渡ってこちらに来たにしては、なんとも生気に溢れて落ちつきはらっている。
 卒塔婆と風車があちこちに刺さる見慣れた河原、その中に立つ明らかな異物。奇妙な光景だ。
 初めこそ物珍しいものだから興味深く眺めていたが、次第に緊張感が増してきた。まさかこいつ、別の組の敵じゃないのか? それとも是非曲直庁から来た役人か?
 だとすれば俺たちがやらされてるシノギの取り締まりか乗っ取りか────そりゃ別に構わない。取り締まれたところで元々得もしていない俺には関係ない。乗っ取りで上が変わろうが扱いが変わるわけじゃない。今までだってそうだった。
 しかしもしそうなら、向こうにはこちらをどうにでもできるだけの実力があるということだ。気に食われなければすぐにでも殺されてしまうんじゃないのか…… 地獄の連中なんて畜生界に限らずイカレているんだ。上手く取り入らなければいけないが、ヘコヘコしているところを見張りの動物霊どもなんかに見られてしまえばそれこそ何を言われたもんか分からない。
「そんなに緊張しなくても、同じ人間同士じゃないですか。といってもそっちは死んじゃってますけど……」
 こっちの気も知らずに、女の方は暢気な喋り口だ。
「あぁ? そっちは、って…… !」
 よく見たらこいつ、肉体がある! 拝むのはいつぶりか、いや、そんなことはどうでもいい。ということはこいつ、生きている!
「そんな幽霊を見たような顔をしなくても……」
 ジョークとしてはなかなか上手いが、こちらの警戒心はまったく解けなかった。
 明らかに異常だ。何をすき好んでこんなところに生きたやつが来るんだ。死後の下見にでも来たとでも、いやもしかしたらこいつ、古代魚漁に気付いたのか?
「……生きてるやつが何しにこんなところに」
「えぇと、人を探していまして。この辺りで漁をしている方って知らないですかね?」
 やっぱりだ。人里のやつらが気付くまではまだかかる、なんてカワウソたちが言っていたがあいつらは人間を舐めすぎなんだ。
 現世にはとんでもなく恐ろしい巫女がいるなんて噂がある。何か異変があるとぺんぺん草も生えない勢いで人外全てを薙ぎ払ってスッ飛んでくる生きた野分みたいな存在だという話だ。
 こいつもそういった異変解決者なのかもしれない、と一瞬思った。
 しかし、だ。目の前にいるこの女からはそんな力があるとは到底思えなかった。それに今こいつとはまともな会話ができている。
「おい! 何してるんだそこで」
 聞き覚えのある声にビクッと体が跳ね上がる。やばい、見張りのカワウソ霊が────。
「ぎゃああああああああ!!?!? 人魂ーーーーっ!!!!!」
 馬鹿みたいに大きな声が三途の川の静けさをぶち壊した。と思うと今度は派手な砂利音。
「……なんだそいつ」
「……さぁ。俺にもさっぱりで……」
 見回りに来たのであろうカワウソ霊だったが、その顔は困惑に満ちていた。俺だってそうだ。正体不明の生者が来たと思ったら、突然こっちの方が驚愕してしまうような悲鳴をあげてぶっ倒れてしまったんだから。
 何が起きたのか事態を飲み込めず、しばらくの沈黙。
「どうも、人里からうちのシノギの調査に来たみたいですよ」
 頭が働きだしてからようやく伝えるべきことを思い出す。
「人里? それにしては……」
 カワウソ霊が目を回して倒れた女にふよふよと近づき様子を伺う。どう見てもしばらく起き上がりそうにはない。
 確かに人里から異変の調査に来たにしては、あまりにも頼りない。カワウソ霊の姿を見ただけでこれというのは……。
「こいつ、どうします?」
「古代魚のエサにでもしておけばいいだろ。こんな場所にただの人間が来たのなら、”事故”くらい起きるだろう」
「……へい」
 可愛いツラしときながら平気でこういうことを言うのが恐ろしい。とはいえ俺も畜生界に落ちた身。逆らう気もなければ、自分の保身の為に女を殺すことに強い抵抗があるわけでもない。
 女の髪が枝垂れるように砂利の上に広がっている。こっちが生きていれば慰みものにしていたところだが、ああいう行為は生きた奴の特権だ。生命の象徴みたいなもんだからな。
 というわけでこの女を生かしておく理由はない。自業自得だ。恨むなら自分のことを恨みなよ。
 そう言い訳をつけて、鈴女の肉体に手を伸ばす。
「───ッ、!?!」
 一瞬見えたのは閃光。気付いた時には俺の片腕は吹っ飛んでいた。
 霊体の体で腕が吹っ飛ぼうが大したダメージではないはず。だが反射的な驚きと痛みの錯覚を抑えることはできない。
 どこからこんな攻撃が、と顔を上げると対岸の光が目に入った。それが無数の星を象ったエネルギー弾だと気付くまで、数瞬。
 横雨の如く流星群が襲いかかってくる。何か考えるより先に俺の体は身をかがめていた。頭上では高速の星弾が通り過ぎていく音と、それに混じって弾けるような音が響く。浮き上がっていたカワウソ霊が被弾したらしい。
 無様な姿でも見てやろうと体の隙間から覗きこんでやったのだが、何かしらの技なのか、カワウソ霊に向かってくる星弾は溶けるように消えていく。
 クソが! そんなことできるなら俺のことも守れよ!
 しかし状況についていけていないのはカワウソ霊の方も同じだったらしい。これ以上になく分かりやすくアワアワとしている。こいつらは小賢しい分不測の事態に弱い。少しだけ胸がすく。
 身の危険は畜生界じゃ珍しいことじゃない。これでもしぶとく死線を乗り越えてきた俺の神経は(少なくともカワウソ霊よりかは)素早く落ち着きを取り戻していた。
 川の向こうからの攻撃なら、十中八九この女の仲間の仕業だろう。こいつの盾にすれば……!
 姿勢を低くしたまま女の体に近づいていく。ようやく気付いたが、地面すれすれは明らかに弾の密度が薄い。鈴女への攻撃がいかぬように避けている。ビンゴだ!
 人質作戦なんか、いかにも地獄らしい。意地の悪い笑みになるのが自分でも分かる。そうして再度手を伸ばした瞬間。
「────ッッベッエ!!!!」
 何が起こったか分からない。まただ、なんてことを他人事の様に思った。今度は側頭部への衝撃。遅れてやってきた半身への痛みで自分の霊体が吹っ飛ばされて地面にたたきつけられたことが分かった。
 逸れた星弾がたまたま当たった? それとも気を抜いて体を起こしすぎたか?
 混乱のさなか、もう一度衝撃。アゴへの強烈な一撃。顔が半分吹っ飛び、体がまた浮き上がる。なんだってんだ、と言葉にすることすらできない。感覚が消え去って却って痛みはなく、目まぐるしさに地に足はつかず、何一つ理解が及ばない。
 続いて横っ腹で爆発。今度こそ星弾に命中してしまったらしい。欠けた視界がぐるぐる周り、全身への衝撃とともに収まる。どこにいるのか、どこを向いているのかさっぱりだ。体ももはや無事な部分の方が少ないのではないか。
「もう! 飛んできてみたらいきなり何なのよ!」
 怒りの声でようやく敵がいる方向をつかんだ。よじるようにして顔をなんとかそちらに向ける。
 立っていたのは地獄よりも赤い服を纏った長髪の女。
「なんだってこんなところでぶっ倒れてるのよあんたは!」
 星弾が飛び交う中に身震い一つもせずに立つその姿を認めた途端、俺は地獄界に落とされたかのような絶望と瞋りに襲われた。
 陰陽をかたどった使い魔を傍に、慈悲もなく大幣を振り回し、血も涙もなく妖怪を滅する紅白。何度も話に聞いたその姿が、今まさに目の前にいる。
 博麗の巫女────! 
 刹那、俺の視界はそこで途切れた。


「一体何考えてるのよ!!」
「えー、アハハハハ……」
 目覚めたら鬼の形相の霊夢さんがそこにいた。
 河原の石の上で正座するのは流石に勘弁してもらえているが、座り込むこちらを見下ろす目には一切の容赦がない。
 いや、何って言うと仕事であって、後ろめたいことは何にもないはずなんですけどね。確かな調査とそれに基づく推理。そうして確証を得てからいよいよ立ち入りを行い、事実の確認および検挙、交渉に入るというしごく正当な仕事のやり方を実施しただけでありそこに決して個人の好奇心や気取りなんてものは一切なく博麗神社の手伝いとしてしっかりと業務をこなそうと私のできる精一杯を行っているだけであり──。
「言い訳は?」
「いえ、特には何も……」
 こう答えるしかないでしょう。
「あんたにこれ持たせてるのは無茶させるためじゃないわよ!!!」
 私が持っていた通信機能付きの陰陽玉を握りしめ、霊夢さんはこれ以上にないほど怒気を発している。三途の川は風もなく静かなものだから声がよく響く。
 ようするにこうだ。倒れる寸前の私の悲鳴が陰陽玉を通して霊夢さんへ。何かあったことを察した霊夢さんが陰陽玉に込められた霊力を目印として瞬間移動。気絶癖が直らぬ私にとって、自動で霊夢さんに救援要請できるあのアイテムはまさにピッタリというわけだ。
 周囲を見渡せば卒塔婆がいくつか吹っ飛んだり折れたり。風車は総倒れ。分かりやすく戦闘の跡が残っていた。
「その、無茶するつもりはなかったんですよ。けれど突然不意打ちを受けまして……」
「そもそもこんなところに来ること自体、相当無茶だって言ってるんだけど?」
 おかんむりが収まる様子は一向になく。
 実際のところ、三途の川を渡るのはそんなに難しくない。中有の道まで歩く健脚と、六文銭があればいいのだから。来るだけなら大した苦ではない。もちろん、そんなトンチめいたこと言ったら一層の怒りの爆発が起こるだけだから黙ってるけど。
「まず経緯を聞こうかしら?」
 逆らうべくもなく。職漁師から謎の魚売りについて依頼があったこと、調査するに魚売りが地獄から来ていそうだったこと、中有の道で聞き込みをすると大荷物を運ぶ人間霊の目撃情報が多くあったこと、いよいよ突入したところで妖怪の妨害にあったことを話した。
 言い換えると、また勝手に仕事を受けてそのまま一人で出しゃばって地獄手前まで向かった挙句、無残に気絶していたことを正直に話したわけであって。
「……あんたねぇ」
「…………」
 愚かさを体言したような自分の行動を思うと、黙って目を背けること以外できるはずない。
「次やったら陰陽玉は没収、仕事も反省するまで辞めてもらうわ。文句はないわよね?」
 端から文句など受け付けないという顔だ。もうなんだか見慣れてきてさえいる。
 しかし、次、か。相変わらずというかなんというか。
「だったら、今すぐ没収しちゃえばいいのに」
「え?」
 予想外の反撃だったらしく、霊夢さんの表情の怒気がゆるむ。勝機。
「これだけ危なっかしいことしてるんですから、仕事でもなんでもやめさせればいいじゃないですか。大義も後ろ盾も無くせば、私も大人しくするかもしれませんよ」
 言っているうちに霊夢さんの顔はどんどんこわばっていき、口元はピクピクと動いてきて、もはや怒っているのかなんなのか良く分からない表情となった。
 まぁ、霊夢さんも分かっているのだろう。もはや調停官としての私の地位は確固たるものだ。霊夢さんが仕事を止めさせようとしても、私に送られてくる里の相談事が止まることはない。そもそも、そんな大義が無くても私は色んなところに足を突っ込む。
 だけれど私は普通の人間であって、妖怪に関わる事件に巻き込まれてしまえば命自体が危ない。
 とすると、だ。誰の監視の目もなく一人で自由気ままに行動できるようになった私を霊夢さんはどう思うだろうか。
「ほっとけませんよね。霊夢さんは博麗の巫女ですから」
 ゴン!
 嫌な音と衝撃が頭に響く。
 容赦なく陰陽玉が私のおでこに投げつけられ、そのままノックダウンしたことに気付くまで少々の時間がかかった。痛む頭を抱えながら起きると、既に霊夢さんはそっぽを向いてしまっていて表情は分からなかった。
 没収はなし、ということらしい。霊夢さんは昔からとっても優しくて、甘いのだ。となれば人の好意を無下にするわけにもいかないものね。ありがたく受け取ろう。
「……で、本当はどうする気だったのよ」
 言葉が続かなくなったらしくお説教はキャンセルされた。ラッキー。
「えぇと、霊夢さんの名前を使って交渉に持ち込もうかなと思っていたんですが。交渉しようにも相手がいなくなっちゃって……」
 察するに、霊夢さんの凶牙にかかり霧消してしまったのだろう。先ほどいた人の幽霊も、倒れる前に一瞬見えた人魂のような存在も見えなくなっていた。霊体が死ぬことはないだろうけど、再びコンタクトを取るのは難しいだろう。
「あいつらなら、私の知り合いよ。そのうち詫びか文句をつけに神社に来るんじゃない?」
「え? そうなんですか」
 地獄にまで知り合いがいるとは流石である。
「前に異変でちょっとね。鬼傑組とかいう連中よ……まぁ話をするならどっちみち神社でやった方が良いわね。あの亀を相手にしちゃいけないし、神社にあいつが来ても追い返せるもの」
「亀?」
 鬼傑組という組織は亀を飼っているのだろうか。地獄の苦役なんて暇だろうから、長生きできるペットがいた方が楽しいのかもしれない。
「とにかく、今日は帰るわよ。あんまり長居して気分が良い場所じゃないわ」
 まぁそれはその通りだろう。
 よっ、と立ち上がってみると自分の体が重くなるのを感じる。思ったより疲れているらしい。そりゃあ博麗神社に行くために歩き慣れているとはいえここまで大分足を酷使したし、覚えていないとはいえ石の上で倒れていたし、石の上に座らされていたし。確かに早めに帰った方が良い。
「ところで交渉と言っていたけれど、ちゃんと考えはあるんでしょうね?」
 疑いの目。そんなに信用がないだろうか、ないでしょうね。
 ただ、そのことについては一切ぬかりがなかった。調停官の仕事は人と妖怪の生活を守り、諍いを治め、健やかな暮らしを届けられるよう最大限便宜を図ることだ。
「えぇ、実は霊夢さんにもあとで協力してもらおうとしていたんですが……」



文々。新聞 第〇〇季 文月の三
■三途の川産のご馳走!?
 最近、市場には見覚えのない珍魚が並び始めた。しゃくれたアゴが特徴のその魚は三途の川で獲れた古代魚のアロワナという種だという。この風変りな魚が今、人里ではブームになりつつある。この魚を売り出すのは畜生界人間霊漁業組合。畜生界という言葉に警戒を強める方々も少なくないだろうがそこは安心を。漁協の店は博麗霊夢が提携しており、十分な安全性を持って経営されているようだ。市場への展開について漁協代表の──
「……まぁ、ようするに癒着よね」
 鬼傑組とこちらの交渉は手紙にて行われることになった。霊夢さんの予想通り、あの日の翌日には神社へ使者のカワウソ霊(これが大層かわいい)がやって来た。要件は神社側の人間である私に危害を加えたことへの謝罪、それと商いに関しては何一つやましいことがないという弁明だった。
 私は霊夢さんの監修のもと、鬼傑組のアロワナビジネスを許可する代わりに課する条件を手紙にしたためた。
 一つ、売値を今の三倍にすること。
 二つ、うち一割を博麗神社へのマージンとすること。
 実のところ、この条件は早々通るとも思っていなかった。けれど実際には先方はこれを快く受け入れてくれた。もちろん、霊夢さんもだ。
 ようするに薄利多売をやめさせ、博麗霊夢が太鼓判を押す高級魚という売り文句を渡してやったのだ。
 値段が上がったところで元々高級魚で通るほどの味だ。売れないことはないはず。アロワナは安くて美味い魚ではなく、たまの贅沢品として買われることになるだろう。これで職漁師との日々の競合は相当に少なくなる。
 大事なのは二つ目の方。これは商売に霊夢さんを混ぜ込む手段だ。向こうからすれば博麗の巫女の名前はアロワナを怪しむ客の不安を取り除くにはぜひとも欲しいものだろう。買い物客の中には少なからずアロワナを怪しむ人たちもいた。そういった客を呼び込むのには大層都合がいいことでしょう。
 しかしこの条文の真の狙いは客の信用を金で買わせることではない。この繋がりは抑止力だ。常に霊夢さんが関わってくるという威嚇にも等しい。
 博麗霊夢に商売が守られるということは、博麗霊夢に商売を常に見られるということである。人里で悪徳を起こせば、どうなるか。霊夢さんが三途の川で暴れたのは交渉材料としてよく効いたことだろう。
 こうして、アロワナ売りは霊夢さんの監視下に置かれたわけだ。実利を得ながら脅しにもかかっている。実にアコギなやり方だ。
 それにしても。これがあっさり受け入れられたのはなぜだろう。価格の指導にせよ、みかじめ料の回収にせよ、向こうには厳しいモノばかりのはずだけど。
 これについては、一つ思いついたことがあり、自分の中で半ば結論にしてしまっている。
 鬼傑組はもともとアロワナの値上げを画策していたのではないだろうか。
 霊夢さんが言うには鬼傑組では人間霊は道具のように扱われているらしい。三途の川で会ったあの人はともかく、市場で見たあの無気力な人も実は幽霊だったのだろう。アロワナビジネスはそういった人間霊によって支えられていると見て間違いない。
 無償で使える人間霊を使っての商売の人件費は、当然ながらゼロ。つまりアロワナビジネスは非常に経費が少ない商売だと察せられる。
 元値がそれだけ少ないからこそ、あの安売りでも商売が成り立っていたのだろう。けれど、そんな情もないようなことをする組織がそれで満足するだろうか?
 どんどんアロワナが流行っていき、人が鬼傑組の店でしか魚を買わなくなったら。職漁師たちは職を追われ、次々に辞めていくでしょう。シェアはどんどん大きくなっていきやがて魚商売を独占することだってできるだろう。市場を掌握してしまえば魚の価値を操作するなんて容易だ。いくらだって儲けることができる。それも一切の暴力がなく、実にクリーンに。そうなればもう霊夢さんだって口の出しようがない。
 そんな静かな侵略を想像してしまった。
 もちろん、そんなことが実現しようとすれば実際にはとても長い時間がかかるだろう。今値上げに応じれば、獲る魚の量も絞られる。となれば経営コストはますます削れるし、なによりこれ以上霊夢さんに文句を言われる心配も減る。
 だから、今回の交渉は向こうにとっても良い落としどころだったんじゃないか。
「やくざなやり方だったけど、そのくらいでちょうど良かったかも」
 まぁ、当面は問題ないだろう。ひとまずは博麗印のアロワナが良い話題になって市場が盛り上がってくれることを祈るばかりだ。
 事件には蹴りがついた。しかし、だ。それとは別な気掛かりが私の中にはあった。あった、というか……ううん。元からあったものを思い出した、という方が正しい。
 あの日の帰りのことである。霊夢さんがふとしたように口を開いた。
「そういえば、魔理沙が来ていたわ」
「えっ」
 あの時は思わず声が出るのを抑えられなかった。
 沈黙が流れ、気まずい空気だった。何を言ったものか、言われるのか。あれほど緊張していた経験を他に思い出せないくらいだ。霊夢さんの表情を伺おうにも、もう暗い中の道中だったし、向こうもこちらを見ないからまったく分からず。
「────まぁ。あいつが撃った弾しか見えなかったけど。あんたを助けていたみたいだったけど、一緒ってわけじゃなかったの?」
「あ~…… 途中まで調査は一緒にしていたんですが」
 魔理沙さんが着いてきていたということは本当に知らなかった。どうせならと中有の道まで送り迎えを頼んだら「そこも自分でやってこその一人前だろ」と断っていたのに。こちらの様子だけこっそり見ていたようだ。
「ふぅん」
 霊夢さんの言及はそれっきりだった。
 また何か聞かれないかとビクビクしていたが、霊夢さんは変わらず何も言わずにいたので段々と落ち着いてきて、しばらくしてようやく実際に会っていない事実に胸をなでおろした。
 二人はもうずっと、数年にわたって顔を合わせていない。どちらも何も言おうとしないし、表面上は気にも留めていない。けれどそれがかえって目立ってしまい、この話題はいまや知り合い一同の中でタブーとして通っている。
 魔理沙さんの姿は、あまりにも昔から変わらないままだった。
 霊夢さんもなんとなく気付いていると思う。そうじゃなきゃ、もっと分かりやすく寂しいと口にする。そういう人だ。黙っているのは、会ったらどうなるのか、自分がどうしなきゃいけないか良く分かっているからだ。
 ずいぶん時間が経ったなぁ。昔より大きくなって、けれど今では見上げることもなくなった霊夢さんの背中を見てそんなことを思っていた。
 霊夢さん曰く、鬼傑組を知ったのは前にあった異変からということだ。異変となればあの出しゃばりの魔理沙さんが関わっているに決まっている。それなら鬼傑組も知っているだろうし、きっとあの魚売りが人間霊だということは見てすぐ気付いていただろう。そこからあらかたのことは予想していたはず。
 ずるい推理をするようになったなんて言って、魔理沙さんの方こそ最初から答えをカンニングしていたようなものだったのだ。けれどそれなのに、私に答えを教えずに見守っていたのはなぜ?
 それは魔理沙さんの言葉を正直に信じるべきだろう。私の成長を見たかったから、だ。
 けどあの人は次代の異変解決者を育てるなんて真面目なことは考えていない、絶対に。じゃあ魔理沙さんは何を見ていたのか。
 これはもうただの深読みかもしれない。魔理沙さんは霊夢さん以上に自分のことを話さないから、まともな推察なんてできっこない。でも私が魔理沙さんの立場だったら、凄く気になることが一つある。
 霊夢さんの隣には誰かがいてくれているだろうか。自分がいなくなった穴を埋められているのだろうか。
「二人とも、このまま一生会わないつもりなのかしら」
 出会わなければ気付かないフリをしていられる。そんなこと、先延ばしにしかならない。けれど解決策なんてものもない。だから一生会わない。それは鬼傑組の策略などより、よっぽど遠大な話だろう。決着がつくのは霊夢さんが亡くなった時なんだから。
 二人の落としどころはどこにあるんだろうか。
「……まぁ色々あるけど、平穏で楽しいことには変わりないわよ。妖怪も人間もね」
 手紙の最後にそのようなことを付け足しておこう。結局、あんたが気になるのはここだろうから。
 私が調停官になる半年前、阿求は転生の儀に入った。秘術の詳細を隠すため、他人との接触は禁止。以降、誰一人として阿求と顔を合わせていない。唯一、手紙だけが私たちのコミュニケーションだ。といっても向こうからの返事は許されていないらしいけど。
 私が調停官を始めたことを阿求はどう思っているだろうか。他に何か知りたいことはないだろうか。そもそも、ちゃんと私の手紙を読んでいるのか。
 一方通行だと分からないことばかり。我ながらよく続けているなと思う。何を書いたとしても文句を付けてきそうな友人が相手だから、あんまり気にしてもしょうがないかなと思えるのが良いのかも。
 ただ、私が楽しく過ごしているということが伝わればいいのだ。
 退屈のない幻想郷が続いている。これからも、この先もずっと。私が調停官を始めたのは、それをできるだけ直で見るためでもある。
 死ぬ準備をするというのはどれほど寂しいものだろうか。想像ができることでもなければ、一生実感することもないだろう。だからせめて、また戻ってきてもきっと楽しい幻想郷が待っていることを伝えたいのだ。
「まぁ、こんなところよね」
 筆を置き、読み返してみる。特に誤字はないことが確認できる、とともに──。
 バンッ。
 思わず音を立てて手紙を折ってしまう。あぁもう、油断した。この能力の不便なところはオンオフが効かないところだ。自分の込めた気持ちなんて、恥ずかしくてたまったものじゃない。
 分かってる。分かってるのだ。そんな綺麗な言葉は建前だ。
 私はただ、阿求に忘れてもらいたくないだけだ。
 忘れることなんてないというのは知っている。けれど、そうじゃなくて。私の記憶は他よりもっと大事であってほしいというか、特に楽しい思い出としてあって欲しい。
 早くに亡くなってしまうというのも、良く分からない儀式で会えなくなるのも、私にはどうすることもできない。それは、今はもう納得できている。けれど別に、喜ばしく思っているわけじゃない。生きている間くらい、また軽口でも叩きに来ればいいというのが本音だ。
 それは叶わない。なら私の方からは好き勝手してやる。記録家としてのあんたにも阿求としてのあんたにも忘れられない存在になってやる。それが私なりの落としどころなのだ。
 手紙を封筒に入れ、家を出る。
 私はとても寂しいよ、阿求。あぁどうか、この思いが届きませんように。きっとまた馬鹿にされるだろうから。
小鈴はきっと調停官さんみたいになるだろう、という幻覚に色々継ぎ足していってできた作品です。幻覚に付き合ってくれてありがとうフォロワー。
元々は冒頭ののびあがりの事件を書こうとしたのですが、フォロワーがみこし入道とカワウソの話をしていて完全に被ってしまったので避けました。おのれフォロワー。
ケスタ
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コメント



0.150簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
成長した小鈴の姿が見れてとても楽しかったです
霊夢と魔理沙の関係性の変化と阿求と小鈴の距離感が二重になってて、変化していく幻想郷の人間関係に少し寂しさを感じたりしました
でも不思議とそこまで深刻な空気にならないのは小鈴の前向きさのおかげでしょうか
ぜひまたこの設定で他の事件も読んでみたいですね
4.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。三途の川の魚と里の漁業とリンクさせる着想と、そこに付随する幻想郷的な問題点に対する理由付けが面白いと感じました。親しみやすく、かと思えば悪びれずに立場を利用する強かさのある小鈴がぐいぐい物語を引っ張ってくれるのも心地よく、最後のほうで言及された変化や忘却に対するもの寂しさがきれいに合わさっていたように感じます。
6.100勾玉を作る程度の能力削除
霊夢のセリフで示唆された「亀」について、霊夢と小鈴の間で認識のズレが生じていたのが面白かったです。終盤の小鈴の独白も非常に魅力的でした。とても良かったです。
7.100サク_ウマ削除
がっつりミステリと濃厚な独自研究と原作ネタ拾いと重厚な関係性。完璧だと思います。楽しませて頂きました。
9.100石転削除
しっかりと読み込ませる力のある良い文章でした
10.100ヘンプ削除
ちょっと不器用な三者三様が見れてとても良かったです。
11.100ヘンプ削除
ちょっと不器用な三者三様が見れてとても良かったです。
12.90竹者削除
よかったです
13.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!
14.100Actadust削除
すごく幻想小説してました……魔理沙が三途の川と言った瞬間、ぞくっと背筋が震えるのを感じました。
阿求がいなくなって、調停官として事件を追いながら少しずつ成長していく中で、それでも阿求がいなくなったあの時のままで居続ける小鈴が凄く魅力的で、読んでいてすごく楽しい小説でした。
15.100南条削除
とても面白かったです
依頼人から餅は餅屋だと言われるあたりに小鈴の今までの努力が表れているようで素敵でした。
今回の事件を収束させる手段に文々。新聞を使っていますが、これが冒頭ののびあがりの時と同じやり方であるところに熟練を感じました。
魚の販売というとっかかりから畜生界にまで話が広がり、最後は見事にまとまっていて素晴らしかったです。
小鈴の調停官を続けている動機に阿求への想いがあるところもよかったです。
16.100植物図鑑削除
設定の斬新さとストーリーラインの上手さが合わさって素晴らしい作品です。話全体に説得力が強力にあって読んでて唸らされました。ありがとうございます。
17.100名前が無い程度の能力削除
本居小鈴探検隊いいですね。
18.100福哭傀のクロ削除
とても綺麗にまとまって素敵な文章でした
サスペンス(ミステリー?)ものってちゃんと筋道をたてて書くのが難しいイメージがあるのですが、しっかりと話が練られていてわかりやすかったです。
過去未来のお話にしてしまうとそれを読者に如何に短くわかりやすく示し、かつその世界観を共有できるかが大事だと思うのですが独自設定であるはずの調停官という設定が原作小鈴の近未来としてすごくイメージしやすかったです。
ただ個人的に話のピークが三途の川での解決編よりも魔理沙の推理だったように感じたのが普通のミステリーと少し違うように感じました。
調停官のシリーズとして他の作品も読んでみたい反面、最後のちょろっとしたレイマリとあきゅすずの対比なども絶妙で、そっちに重きをおいた作品も見てみたくもあります。
きつくならないほどにいろいろな設定の匂わせもあるので、それに関したお話でも全く違うお話でもぜひ次回作を楽しみにしております。
19.100水十九石削除
この物語は鈴奈庵の延長線上にあるような”らしさ”と、そこに付加された著者の我とも言えるようなアイデンティティの調和具合が素晴らしいものでした。もっと言えば、物語上での展開にその主張が出張ってこないように作られた文章構成に舌を巻いたものです。
近未来であるという点を惜しむ事無く、キャラクターの行く末を投げ掛けてくるストーリーは、やはり原作よりも少し先の話を描くならこうでなくてはと思わされるもの。阿求と小鈴の立場の変化がとりわけ好みのものでした。
とても程良く纏まった物語で面白かったです。ありがとうございました。
20.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
21.90めそふ削除
面白かったです。ストーリーの展開がいい感じで、良かったなと思いました。あまり見ないような設定だったので、どこか機会があるならオムニバス形式とかで一連の流れを読んでみたいですね。
22.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい幻覚でした。面白かったです。
調子に乗りがちで、危ないことは霊夢さんにお任せだった、迷惑娘小鈴ちゃん。
そんな彼女が成長して、自分で異変を解決しようとするあまり、やっぱり霊夢さんに迷惑をかける姿が「これだなあ」と思えました。
話の本筋も綺麗に通っており、調停官小鈴の活躍を描きたい「だけ」の作品に終わってしまっておらず、しっかりとお話として楽しめました。
レイマリ別居が終盤で明かされたところは、話の中で二人が直接会ってなかった理由の開示が上手かったなあと思いました。個人的な宗教とは微妙に違うのもあり、意外性を感じて良かったです。
そして終わり方も良かったです。決してビターではないのですが、それでも甘さしかない終わり方とは異なる、絶妙な温度感を描き出すことに成功していたように思います。
この世界線のレイマリの行き着く先とか、阿求との別れとか、続編を読んでみたいなーーーーと思いました。次回作楽しみにしています。圧ではありません。文章はいいですよ。
素晴らしい幻を有難う御座いました。
23.90わたしはみまちゃん削除
異変を軸に、それぞれのキャラの成長した姿を丁寧に描いていてとても魅力的な作品に仕上がっていました。小鈴の成長譚、ミステリー要素、そして三人の複雑な感情のぶつかり合いなど様々な要素を含んでいて読み応えがありました。しかし欲を言えば、少し肩に力を入れすぎというか、要素を詰め込みすぎているかなと感じました。舞台設定は凄く良いので、出来れば続編を読んでみたいです。次作も期待しています。