じりじりと照りつける太陽の下から、声がする。
「暑いわねぇ」
「そうですねぇ」
あらゆる戸を全開に開け放った神社の一室に、大の字が二つ、描かれている。
「ほんっとーに、暑いわね。なんとかならない?冷気をがばーっと吐き出すとか」
「無理ですよ、さすがに。湖の妖精さんじゃないんですから」
大の字は、声を出す体力も残っていないと言わんばかりに、茹った声で囁きあう。
「奇跡でぱーっと雨を降らせるとか」
「奇跡の力を、軽々しくそんなことに使うわけには。奇跡は自然を捻じ曲げるためではなく、捻じ曲がってしまった自然を元に戻すためにこそ使え、と神奈子様がおっしゃっていました」
時折吹き抜ける柔い風に一瞬の安らぎを得ながら、蕩けた声で囁きあう。
「また堅っ苦しいことを。どんな力も、使わなきゃ宝の持ち腐れよ」
「それに、この気温で雨なんて降らせたら、余計蒸し暑くなるだけですよ。逆効果です」
「…それもそうね」
少しでも冷たい場所を求めて体をごろごろと転がしながら、二人の少女は囁きあう。
「あーもー、なんでこんなに暑いのかしら。考える気力も湧かないわ」
「だからって、さっきみたいに危ないところまで服を脱ぐのはやめてくださいね。人が来るかもしれないのに」
「脱がないと涼しくならないわよ。あんたも脱がせてあげようか?涼しくなるわよ」
「え、遠慮しておきます」
煮えて茹った頭の片隅で、ふと思う。
「……ねぇ、なんか忘れてない?大事なことを」
「大事なこと?…あ、麦茶ですか?幻想郷の麦茶は味が濃くて、外の物よりおいしいです」
「違う」
「素麺ですか?そういえば、最近食べてないですねぇ」
「違うわよ」
「それじゃあ、西瓜ですか?私は塩をかけないほうが好みです」
「違うってば。なんで食べ物ばっかりなのよ」
「それは霊夢さんですから…いえ、なんでもないです。食べ物以外だと…風鈴ですか?」
「いいわねぇ、出してこようかしら。でも、それも違う気がする」
寝転んだまま頭だけを動かして、部屋を見まわす。
「じゃあ、団扇」
「それでもないのよ。あー、なんだっけな」
見やった部屋の中に、答えを見つける。
「うーん、それ以外でこの時期と言えば…」
「……思い出した」
「はい?」
「ねぇ、早苗――」
目に映った答えは、壁に掛けられた日めくりカレンダー。
「―――今、冬よね?」
■
最初は、単に太陽が季節外れの怪光線を放っているだけだった。
幻想郷は、どちらかと言えば寒い。もっとも比較できる対象などほとんどないのだが、少なくとも外の世界に比べれば寒いらしい。だからその日は、洗濯物が早く乾くことを喜びこそすれ、その微かな変化に思うところなどなかった。
なにも思わぬまま数日が過ぎ、太陽がいよいよ輝きを増し、歩くだけで汗ばむほどの陽気になったところで、なぜか誰もそのことに疑問を抱かなかった。疑問を抱かないまま、こうやって季節外れの熱気の中、季節外れの薄着に身を包み、だらだらと汗を流しながら、ダラダラと寝転がって過ごしている。
「…そんな馬鹿な」
「どうしたんですか?」
重ねて言うが、幻想郷は寒い。もちろん四季もある。如月を迎えた冬の真っ只中に、暦とか風流とか完全無視でこんなに暑くなることなど、天地がひっくり返らない限りありえない。ついこの間、天地がひっくり返って真夏に雪が降り、ついでに神社がぶっ壊れたような気もするが、もう忘れた。忘れないと、異変だらけのこの幻想郷ではやっていけない。過去に囚われてはいけないのだ。
異変だろうか。そんな気もするが、そうでないような気もする。常日頃頼りにしている自身の直感も、そんな曖昧な答えを返してきた。ついに私の勘も衰えたか、そんな嫌な想像を汗で顔に張り付いた髪と共に、ぶんぶんと振り払う。
「早苗。ちょっとあれを見なさい」
「あれ?……ぇ?二月?」
「そうよ」
「駄目ですよ、半年も放っておいたら。ちゃんと毎日めくらないとカレンダーの意味が」
ぱこ。
「痛っ」
「そんなに強く叩いたつもりはないけど」
「冗談です。でも、そんなはずは」
「そう、そんなはずないのよ」
「異変でしょうか?」
「わかんない」
むぅ、と眉を顰められる。そんな可愛らしい仕草をされても、わからないものはわからない。
「それに、異変じゃないなら解決しなくてもいい…って訳にも、いかないわよね」
耐え難い熱波以外にも、異変と呼べるだけの要素は確かに兼ね備えている。霊夢以外の皆が、今が冬であることをさっぱり忘れているというのはどう考えてもおかしい。覚えていれば、なんでかまず我先にとここにすっ飛んでくる筈なのだ。霊夢ですら、カレンダーを見るまでは思い出せなかった。
もっとも、皆、かはまだわからない。うだるような暑さのせいなのか、ここ数日神社に訪ねてくる者はほとんどなかった。かと言って、自分からわざわざ外出して人と顔を合わせるだけの気力があるはずもなく、故にどうなっているかを知る者もほとんど居ない。
「面倒だけど、なんとかしないとね。こう暑くちゃ、イチャイチャするのにも都合悪いでしょ」
「な、なっ、いきなり何を…」
「冗談よ」
暑さと羞恥で二倍顔を真っ赤にする様を見ながら、思う。やはり、自分の頭は相当に茹ってしまっているのではないか?だとすれば大変都合が悪い。これ以上醜態を晒すと、引き返せない所まで行ってしまう気がする。よるなんとか、とか、そんな感じの名前の所へ。そう、きっと全ては異変のせいなのだ。そうに決まっている。そうでなければこんなこと言え…言ってしまうはずがない。
―――だとすれば、これは、やはり自分がなんとかせねばなるまい。
■
じりじりと肌を焼く太陽の下、肩を並べて飛ぶ。
「まずは、どちらへ?」
「紫のところね。実はどこに住んでるか知らないけど、気配探って適当に飛んでけば着くでしょ」
「あぁ、あの」
「そ、あの胡散臭いスキマ妖怪のとこ」
まずなによりも先に彼の賢者の住まいを目指すのには、れっきとした理由がある。
何せ、相手は天候である。世界全体、と言っても過言ではない。異変に際して切れる自身の勘が役立たずな現状、もっとも頼れるのは幻想郷の管理者を――本人は無言のうちに――名乗る彼女、のはずだった。
「あいつのことだから、簡単に答えが出てくるとは思ってないけど。ま、役に立つ情報の一つくらいはあるでしょ」
「紫さんなら、もう答えに辿り着いていてもおかしくなさそうですが」
「過大評価よ、あいつにもわからない事なんていくらでもあるし。第一なんかに気付いてるなら、その辺のスキマからぴょこっと飛び出してくるはず」
それが不安要素の一つだった。重大な異変なら、そして何かに気付いているなら、わざわざ足を運ばずとも向こうから顔を出してくるはずである。そうでないという事は、彼女が動かないと決めた事の証明であるように思えた。
「いつもなら、冬眠とか言ってぐーすか寝てる時期のはずだしね」
「こんなに暑いのに冬眠、ですか?寝苦しそうですが」
「冬眠がおかしいんじゃなくて、暑いのがおかしいのよ。寝苦しそうだってのは同意だけど」
「なるほど」
変な部分で同行者を納得させながら、飛翔速度を上げる。風を切って疾る間だけは、汗が乾くのと髪が後ろになびくのとで、つかの間の涼しさが得られて大変心地良い。こうして二人でずっと飛んでいられれば良いのに、とすら思う。
「でも、やっぱりおかしいですね、この暑さは。…ほら、音が」
「音?…あぁ、蝉か」
「はい。普通なら、どこだって鳴いてるはずなのに」
真っ当な季節なら欠けることなく響くその音は、どんなに耳を澄ませても聴こえなかった。異常の証明にも、破滅の前兆にも感じられる静寂に、知らず体が震えるのは、気化熱のせいだけではない。
寒気を振り払うように、さらに速度を上げて飛ぶ。答えがすぐに見つかるかもしれない、最初の目的地を目指して。
「申し訳ありません、主は」
「あぁ、やっぱり。みなまで言わなくて良いわよ」
やたらと疲れた表情で頭を下げる苦労人の式を片手で制し、反対の手で頭を抱える。簡単に答えが出るなどと都合の良いことは考えていなかったが、やはり無駄足を踏まされたのにはげんなりする。
「なんか、一つでも有用な情報があればと思ったんだけどね。どうせ、いつもみたいにぐーすか寝てるんでしょ?」
そうなれば、もうここに用はない。一刻も早くこの状況から抜け出すべく、迅速に次の一手を打たねばならない。外に比べれば涼しいとはいえ、情報が手に入らない場所に長居する理由などないのだ。
「ええ。主は冬眠中でして」
「そ。…行くわよ、もうここには居られない」
「はい」
充分に推測できた事を改めて告げる声を背に、これ以上哀れな従者を責めないように小声で相方を促し、歩き出す。
「大変寝苦しそうに眠っておられます……スケスケのネグリジェで」
―――欲しくもない情報を一つ投げつけられ、ちょっとつまずきながら。
■
正中に達した太陽が放つ光の下、肩を並べて歩く。
「ぁあっつぅー…」
「あまり暑いとか言わないほうが、体感的にはいいんじゃないかと」
わかっていても、言わずにはいられない。普段なら動くのすら億劫な暑さの中、客観的に見れば忙しないほどあちこちを飛び回っているのだ。勤勉な自分を称賛してくれるのは、太陽光と微風、そして一人の風祝だけである。合計すると、わずかの慰めにしかならない。
「水筒の中身も、もうぐんにゃりするほど温くなってるしさ。体もべとべと、特に手」
「す、すいません…」
唐突とも見える謝罪の訳は、先頃の愚昧な行為にある。
「誘いとしては嬉しいんだけどさ、タイミングってもんがあるでしょ」
隣で申し訳なさそうに縮こまる少女がこともあろうにこの陽光下で「手を繋ごう」などと言い出した瞬間は、ついに幻想郷全てが自分に牙を剥いたように思えたものだ。何も知らぬ少女を傷つけぬよう、しかし愚行に走らぬよう、散々悩んで三十秒だけその『挑戦』を許可した。何を大げさな、と微笑む少女が音を上げたのは、ちょうど三十秒経った瞬間だった。
「そ、それで、次はどこに向かってるんでしょう。飛んでないってことは、すぐ近くですか?」
「飛ぶと太陽に近づくから、暑くなって嫌なのよね。まぁ、飛んでないのはそんな理由じゃないけど。遠ざかるから」
「…というと、地底ですか?」
「お、察しが良いじゃない。いつでもその察しの良さを発揮してくれるとより嬉しいんだけど」
「うぅ、さっきからちゃんと謝ってるじゃないですか…」
軽口を叩きながらも気分は優れない。それもそのはず、これから向かうのは誇張や比喩ではない、正真正銘の灼熱地獄である。異変――そうとしか呼べなくなっていた――の解決という大義名分がなければ、たとえ大金を積まれたとしても近づきたくない場所だった。いや、その金額にもよるが。
その場所の、陽炎が立ち上るが如き様相の入り口を覗き、短く深く、溜息を吐く。
――刹那、びゅうと一迅の涼風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。
「さ、とっとと行くわよ。…ありがと」
「はい、行きましょう。…何のことですか?」
奇跡の風で嫌気と熱気を振り払い、また軽口を叩きあいながら、二人は地の底の底に落ちていく。
「あの子が?いや、最近はおとなしいもんだよ。ちょっと気味が悪いくらいさ」
温室にでも入ったかのような熱気の中を歩いて屋敷に辿り着いた二人を出迎えたのは、屋敷の主たる覚り妖怪ではなく、ペットだという火車だった。ここを舞台にした前回の変事でもどちらかと言えば協力的だったこの優しい猫が、嘘をついているとは考え辛い。友を庇っているという可能性もあったが、その確率は低いと――ついでに言えば、そんな嘘を見抜けないほど自分の勘が鈍っているとは考えたくないと――思った。しかし、そうなるとまた別の問題が浮上する。というより、こちらが本題なのだが。
「地獄鴉の人工太陽でもない…となると、なんなのかしら」
「ここが本命だと思っていたんですが…現実は甘くないですね」
神の火ではない熱さを悩む二人に、猫が問いかける。
「どうしたんだい、そんな難しい顔してさ。それに、お顔が真っ赤だよ。知恵熱かい?」
「暑いんだからしょうがないでしょ。好きで真っ赤にしてるわけじゃないわよ」
「暑い?確かに慣れてないお客さんには、ここの熱さは辛いだろうけどさ」
「いえ、ここだけじゃなくて。今、幻想郷全体がここみたいな蒸し風呂状態になっているんですよ」
「…へぇ、そりゃ大変だ。ここにずっと暮らしてると、熱さなんて慣れちまうけどね」
心配しているようにも、皮肉を言っているようにも見えるその視線を切って、立ち上がる。これ以上居ると、本当にのぼせてしまいそうだ。
「邪魔したわね。あの鴉にも、疑って悪かったって伝えておいて」
「ご協力、ありがとうございました」
「いーって、あたいは何もしてないじゃないか」
からから笑う猫に見送られ、再び天に昇る。確かに昇っているというのに、気分は暗く沈んでいった。
■
むしむしと湿った夕暮れの下、顔を突き合わせて話し合う。
「それで、どこが原因だと思う?どこがってか、何が」
「まだ私は、あまり幻想郷に詳しくないので…私の奉る二柱の計らいではないと、思いたいんですが」
「もしそうだったら、蒲焼と塩焼きにして食ってやるわよ。蛙の肉は鳥肉みたいな味がするっていうじゃない」
「滅多なことを言わないでください」
一番頼りになりそうな場所と、一番原因がありそうな場所は既に潰した。
「紅魔館…はありえないわね。今頃、『ふえーん、夏は太陽が沈むのが遅いよー、怖いよー』とか泣いてるんじゃないかしら」
「そ、そんな方でしたっけ?もっとこう、見た目からは考えられない威厳に満ちた方だったような…」
「そういうところもあるかわいい奴なのよ」
「はぁ」
「冥界も永遠亭も、太陽とは真逆の方向性よね。さすがの魔理沙でも、『太陽はパワーだぜ!』とか言うわけないだろうし。言ってたら絶対ぶっ飛ばす。どっかのウサ耳どもの本拠地までぶっ飛ばしてバニー魔理沙にする」
「霊夢さん、だんだん壊れてきてますよ?」
「この暑さで壊れずにいられるわけないでしょ」
心当たりを端から探っても、まだ答えには辿り着かない。
「さすがにちょっとした妖怪やら妖精やらじゃ、こんなことできないだろうし。強い妖精っつったらあいつだけど」
「チルノさんこそ暑さとは真逆の方向にいる気がしますが」
それでも、一応通りすがりに顔は出してみた。完全に暑さにやられており、まともな話など聞けるはずもなかったのだが。それどころか、前に会った時より小さくなっていた気すらする。
「拉致ってくれば良かったかしら。抱いてればちょっとは涼しいかも」
「だから、だんだん壊れてきてますってば」
出会った誰も、話を聞いた誰もが、すっかり今を夏だと思い込んでいた。
それも無理からぬ話だろう。太陽は天高く、空気は湿っぽく、雲は低くにかかる。これで蝉の鳴き声さえあれば、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない真夏の様相である。
「もう、夕暮れですね。…明日も、『夏』なんでしょうか」
「あーもー、明日もこんな暑いのかしら。全く、忌々しい」
常より僅かに刺々しい口調で吐き捨て、天を見上げる。日が沈みかけるその一瞬、美しき夕暮れの色に染まった、上天を。
――そして、思い出す。今日と同じように天地がひっくり返って雪まで降った、あの本物の夏の日のことを。
「…もう一箇所、原因オーラばりばりの所があったわよ。太陽が眩しくて見上げるのが億劫だったから、忘れてた」
「…あぁ、あそこですか。私も、今思い出しました」
「乗り込んでってボコるわよ。これで駄目なら冬眠するしかないわ」
「スケスケのネグリジェで、ですか?」
「まさか。神社には和服しか似合わないのよ」
口元では笑って、しかし目は笑っていない。あの野郎なんて事をしやがるんだという怒りと、もしそこが原因ではなかったらという恐怖。それから逃れるために、日が沈んだ事を言い訳として、短くも長い旅路の相棒の手を取る。
「―――――突っ込むわよ」
「―――――了解です」
―――二つの弾丸が、非想非非想天に向かって、放たれた。
■
天国とも思える涼しさを孕んだ夜空の中、三人の少女が並び立つ。
「…ほら、天界っていつでも快適じゃない。夏は涼しく、冬は暖かく」
「へぇ」
「でもさ、たまには暑いかなーとか、寒いかなーとか思うこともあるのよ。気のせいかもしれないけど」
「そうですか」
「それでさ、天界って地上よりちょっとばかし太陽に近いじゃない」
「それが何?」
「だから、頑張れば温度調節っていうか季節操作っていうか、そんなのの真似事もできるってわけよ。天界にいたら、ちょっといじったくらいじゃ体感温度は大して変わらないんだけど」
「なるほど。そういうことですか」
紅の怒気と蒼の冷気に気圧されて、天人の少女は後ずさる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんな怒らないでよ!私だって学習して、ちゃんとみんなに気を遣ったんだから!」
「…へぇ。どのへんを?」
「冬なのになんでこんな暑いのよって慌てないように、天人の秘宝でみんなの記憶をいじったのよ。なんでか貴方たちにはあんまり効かなかったみたいだけど」
「……へぇ。天人ってすごいんですね、そんなこともできるんですか」
「まぁ、私の力じゃなくて秘宝の力だけどね。いつでも使えるわけじゃないし、持ち出すのも大変だったんだから。なんせ、秘宝中の秘宝なのよ?」
いかにも偉いでしょ!みたいな表情で、ない胸を張ってふふんと鼻を鳴らす天子。
どうやら天人の辞書には、『小さな親切、大きなお世話』とか『雄弁は銀、沈黙は金』とか『火に油を注ぐ』とか、そういう言葉は載っていないらしい。載っているのなら、知らないはずがないのだ。
そーかそーか、知らないのか。なら仕方がない。知らないのなら、この総領娘様に教えて差し上げなければならない。火に油を注ぐとどうなるのか…絶対に記憶から消えないよう、その体に。
「――早苗?」
「――はい、霊夢さん」
互いに目線を流して隣にも同じ表情があることを確認すると、二人は軽く頷きあった。
「え、ちょ、待って、謝るから、ごめんって、許してってば、直し方も知って…!」
「「こぉんのぉ…」」
「「――――――我侭娘がぁぁぁぁ!」」
天子の目に最期に映ったのは、スペルカードを切る手の残像だけだった。巫女(片方は風祝だったか)の手は、有事にはここまで素早く動くものなのだと、そのとき初めて知った。
天子の頭に最期に浮かんだのは、―――ありがとう、そんなに怒ってるのにルールに則ってくれて。おかげで私、お星様にならずに済みそう…でも娘って、私あなた達よりずっと年上なんだけど?―――そんな、場違いで能天気な、抗議と感謝だった。
「大奇跡『八坂の神風』!!」
「神霊『夢想封印』!!!」
「ぅぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
静寂に満ちた天界の夜空に、偽りの夏の終わりを告げる、でっかい花火の音が響き渡った。
たーまやー。
■
雪のちらつく寒空の下から、声がする。
「寒いわねぇ」
「そうですねぇ」
炬燵に体を埋めながら、言葉を交わす。
「ちょっとそれ取って」
「はい、どうぞ」
ぐつぐつと煮え立った鍋を挟んで、言葉を交わす。
「いつも思うんですけど、霊夢さんって本当にお料理上手ですね」
「そう?ありがと。鍋なんて具材を切ってぶっこむだけなんだから、上手もなにもないけどね。…しっかしさ」
外から凍み込む冷気に身を震わせながら、言葉を交わす。
「暑いなら暑いで文句言って、寒いなら寒いで文句言うなんて、人間ってほんと現金よねぇ。自分で言うのもなんだけどさ」
「そうですけど」
「けど?」
「人間というのはそういうもん、じゃないでしょうか」
「…そうよね、そういうもんよね」
言葉を交わしながら、さらに体を炬燵の奥深くまで突っ込む。さして広くもない炬燵ではすぐ反対側からの侵略者と衝突が起こるが、そこから伝わる熱もまた心地よい。
夏には汗を流して不平を述べ、冬には鳥肌を立てて愚痴を零し、それでも笑いながら日々を生きていく。人間ってのは、そういう生き物なのだ。一年中気候の変わらない天の上に住む、どっかのバカと違って。
あぁ、それにしても寒い。早く―――
「――――夏が、来ないかなぁ」
「暑いわねぇ」
「そうですねぇ」
あらゆる戸を全開に開け放った神社の一室に、大の字が二つ、描かれている。
「ほんっとーに、暑いわね。なんとかならない?冷気をがばーっと吐き出すとか」
「無理ですよ、さすがに。湖の妖精さんじゃないんですから」
大の字は、声を出す体力も残っていないと言わんばかりに、茹った声で囁きあう。
「奇跡でぱーっと雨を降らせるとか」
「奇跡の力を、軽々しくそんなことに使うわけには。奇跡は自然を捻じ曲げるためではなく、捻じ曲がってしまった自然を元に戻すためにこそ使え、と神奈子様がおっしゃっていました」
時折吹き抜ける柔い風に一瞬の安らぎを得ながら、蕩けた声で囁きあう。
「また堅っ苦しいことを。どんな力も、使わなきゃ宝の持ち腐れよ」
「それに、この気温で雨なんて降らせたら、余計蒸し暑くなるだけですよ。逆効果です」
「…それもそうね」
少しでも冷たい場所を求めて体をごろごろと転がしながら、二人の少女は囁きあう。
「あーもー、なんでこんなに暑いのかしら。考える気力も湧かないわ」
「だからって、さっきみたいに危ないところまで服を脱ぐのはやめてくださいね。人が来るかもしれないのに」
「脱がないと涼しくならないわよ。あんたも脱がせてあげようか?涼しくなるわよ」
「え、遠慮しておきます」
煮えて茹った頭の片隅で、ふと思う。
「……ねぇ、なんか忘れてない?大事なことを」
「大事なこと?…あ、麦茶ですか?幻想郷の麦茶は味が濃くて、外の物よりおいしいです」
「違う」
「素麺ですか?そういえば、最近食べてないですねぇ」
「違うわよ」
「それじゃあ、西瓜ですか?私は塩をかけないほうが好みです」
「違うってば。なんで食べ物ばっかりなのよ」
「それは霊夢さんですから…いえ、なんでもないです。食べ物以外だと…風鈴ですか?」
「いいわねぇ、出してこようかしら。でも、それも違う気がする」
寝転んだまま頭だけを動かして、部屋を見まわす。
「じゃあ、団扇」
「それでもないのよ。あー、なんだっけな」
見やった部屋の中に、答えを見つける。
「うーん、それ以外でこの時期と言えば…」
「……思い出した」
「はい?」
「ねぇ、早苗――」
目に映った答えは、壁に掛けられた日めくりカレンダー。
「―――今、冬よね?」
■
最初は、単に太陽が季節外れの怪光線を放っているだけだった。
幻想郷は、どちらかと言えば寒い。もっとも比較できる対象などほとんどないのだが、少なくとも外の世界に比べれば寒いらしい。だからその日は、洗濯物が早く乾くことを喜びこそすれ、その微かな変化に思うところなどなかった。
なにも思わぬまま数日が過ぎ、太陽がいよいよ輝きを増し、歩くだけで汗ばむほどの陽気になったところで、なぜか誰もそのことに疑問を抱かなかった。疑問を抱かないまま、こうやって季節外れの熱気の中、季節外れの薄着に身を包み、だらだらと汗を流しながら、ダラダラと寝転がって過ごしている。
「…そんな馬鹿な」
「どうしたんですか?」
重ねて言うが、幻想郷は寒い。もちろん四季もある。如月を迎えた冬の真っ只中に、暦とか風流とか完全無視でこんなに暑くなることなど、天地がひっくり返らない限りありえない。ついこの間、天地がひっくり返って真夏に雪が降り、ついでに神社がぶっ壊れたような気もするが、もう忘れた。忘れないと、異変だらけのこの幻想郷ではやっていけない。過去に囚われてはいけないのだ。
異変だろうか。そんな気もするが、そうでないような気もする。常日頃頼りにしている自身の直感も、そんな曖昧な答えを返してきた。ついに私の勘も衰えたか、そんな嫌な想像を汗で顔に張り付いた髪と共に、ぶんぶんと振り払う。
「早苗。ちょっとあれを見なさい」
「あれ?……ぇ?二月?」
「そうよ」
「駄目ですよ、半年も放っておいたら。ちゃんと毎日めくらないとカレンダーの意味が」
ぱこ。
「痛っ」
「そんなに強く叩いたつもりはないけど」
「冗談です。でも、そんなはずは」
「そう、そんなはずないのよ」
「異変でしょうか?」
「わかんない」
むぅ、と眉を顰められる。そんな可愛らしい仕草をされても、わからないものはわからない。
「それに、異変じゃないなら解決しなくてもいい…って訳にも、いかないわよね」
耐え難い熱波以外にも、異変と呼べるだけの要素は確かに兼ね備えている。霊夢以外の皆が、今が冬であることをさっぱり忘れているというのはどう考えてもおかしい。覚えていれば、なんでかまず我先にとここにすっ飛んでくる筈なのだ。霊夢ですら、カレンダーを見るまでは思い出せなかった。
もっとも、皆、かはまだわからない。うだるような暑さのせいなのか、ここ数日神社に訪ねてくる者はほとんどなかった。かと言って、自分からわざわざ外出して人と顔を合わせるだけの気力があるはずもなく、故にどうなっているかを知る者もほとんど居ない。
「面倒だけど、なんとかしないとね。こう暑くちゃ、イチャイチャするのにも都合悪いでしょ」
「な、なっ、いきなり何を…」
「冗談よ」
暑さと羞恥で二倍顔を真っ赤にする様を見ながら、思う。やはり、自分の頭は相当に茹ってしまっているのではないか?だとすれば大変都合が悪い。これ以上醜態を晒すと、引き返せない所まで行ってしまう気がする。よるなんとか、とか、そんな感じの名前の所へ。そう、きっと全ては異変のせいなのだ。そうに決まっている。そうでなければこんなこと言え…言ってしまうはずがない。
―――だとすれば、これは、やはり自分がなんとかせねばなるまい。
■
じりじりと肌を焼く太陽の下、肩を並べて飛ぶ。
「まずは、どちらへ?」
「紫のところね。実はどこに住んでるか知らないけど、気配探って適当に飛んでけば着くでしょ」
「あぁ、あの」
「そ、あの胡散臭いスキマ妖怪のとこ」
まずなによりも先に彼の賢者の住まいを目指すのには、れっきとした理由がある。
何せ、相手は天候である。世界全体、と言っても過言ではない。異変に際して切れる自身の勘が役立たずな現状、もっとも頼れるのは幻想郷の管理者を――本人は無言のうちに――名乗る彼女、のはずだった。
「あいつのことだから、簡単に答えが出てくるとは思ってないけど。ま、役に立つ情報の一つくらいはあるでしょ」
「紫さんなら、もう答えに辿り着いていてもおかしくなさそうですが」
「過大評価よ、あいつにもわからない事なんていくらでもあるし。第一なんかに気付いてるなら、その辺のスキマからぴょこっと飛び出してくるはず」
それが不安要素の一つだった。重大な異変なら、そして何かに気付いているなら、わざわざ足を運ばずとも向こうから顔を出してくるはずである。そうでないという事は、彼女が動かないと決めた事の証明であるように思えた。
「いつもなら、冬眠とか言ってぐーすか寝てる時期のはずだしね」
「こんなに暑いのに冬眠、ですか?寝苦しそうですが」
「冬眠がおかしいんじゃなくて、暑いのがおかしいのよ。寝苦しそうだってのは同意だけど」
「なるほど」
変な部分で同行者を納得させながら、飛翔速度を上げる。風を切って疾る間だけは、汗が乾くのと髪が後ろになびくのとで、つかの間の涼しさが得られて大変心地良い。こうして二人でずっと飛んでいられれば良いのに、とすら思う。
「でも、やっぱりおかしいですね、この暑さは。…ほら、音が」
「音?…あぁ、蝉か」
「はい。普通なら、どこだって鳴いてるはずなのに」
真っ当な季節なら欠けることなく響くその音は、どんなに耳を澄ませても聴こえなかった。異常の証明にも、破滅の前兆にも感じられる静寂に、知らず体が震えるのは、気化熱のせいだけではない。
寒気を振り払うように、さらに速度を上げて飛ぶ。答えがすぐに見つかるかもしれない、最初の目的地を目指して。
「申し訳ありません、主は」
「あぁ、やっぱり。みなまで言わなくて良いわよ」
やたらと疲れた表情で頭を下げる苦労人の式を片手で制し、反対の手で頭を抱える。簡単に答えが出るなどと都合の良いことは考えていなかったが、やはり無駄足を踏まされたのにはげんなりする。
「なんか、一つでも有用な情報があればと思ったんだけどね。どうせ、いつもみたいにぐーすか寝てるんでしょ?」
そうなれば、もうここに用はない。一刻も早くこの状況から抜け出すべく、迅速に次の一手を打たねばならない。外に比べれば涼しいとはいえ、情報が手に入らない場所に長居する理由などないのだ。
「ええ。主は冬眠中でして」
「そ。…行くわよ、もうここには居られない」
「はい」
充分に推測できた事を改めて告げる声を背に、これ以上哀れな従者を責めないように小声で相方を促し、歩き出す。
「大変寝苦しそうに眠っておられます……スケスケのネグリジェで」
―――欲しくもない情報を一つ投げつけられ、ちょっとつまずきながら。
■
正中に達した太陽が放つ光の下、肩を並べて歩く。
「ぁあっつぅー…」
「あまり暑いとか言わないほうが、体感的にはいいんじゃないかと」
わかっていても、言わずにはいられない。普段なら動くのすら億劫な暑さの中、客観的に見れば忙しないほどあちこちを飛び回っているのだ。勤勉な自分を称賛してくれるのは、太陽光と微風、そして一人の風祝だけである。合計すると、わずかの慰めにしかならない。
「水筒の中身も、もうぐんにゃりするほど温くなってるしさ。体もべとべと、特に手」
「す、すいません…」
唐突とも見える謝罪の訳は、先頃の愚昧な行為にある。
「誘いとしては嬉しいんだけどさ、タイミングってもんがあるでしょ」
隣で申し訳なさそうに縮こまる少女がこともあろうにこの陽光下で「手を繋ごう」などと言い出した瞬間は、ついに幻想郷全てが自分に牙を剥いたように思えたものだ。何も知らぬ少女を傷つけぬよう、しかし愚行に走らぬよう、散々悩んで三十秒だけその『挑戦』を許可した。何を大げさな、と微笑む少女が音を上げたのは、ちょうど三十秒経った瞬間だった。
「そ、それで、次はどこに向かってるんでしょう。飛んでないってことは、すぐ近くですか?」
「飛ぶと太陽に近づくから、暑くなって嫌なのよね。まぁ、飛んでないのはそんな理由じゃないけど。遠ざかるから」
「…というと、地底ですか?」
「お、察しが良いじゃない。いつでもその察しの良さを発揮してくれるとより嬉しいんだけど」
「うぅ、さっきからちゃんと謝ってるじゃないですか…」
軽口を叩きながらも気分は優れない。それもそのはず、これから向かうのは誇張や比喩ではない、正真正銘の灼熱地獄である。異変――そうとしか呼べなくなっていた――の解決という大義名分がなければ、たとえ大金を積まれたとしても近づきたくない場所だった。いや、その金額にもよるが。
その場所の、陽炎が立ち上るが如き様相の入り口を覗き、短く深く、溜息を吐く。
――刹那、びゅうと一迅の涼風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。
「さ、とっとと行くわよ。…ありがと」
「はい、行きましょう。…何のことですか?」
奇跡の風で嫌気と熱気を振り払い、また軽口を叩きあいながら、二人は地の底の底に落ちていく。
「あの子が?いや、最近はおとなしいもんだよ。ちょっと気味が悪いくらいさ」
温室にでも入ったかのような熱気の中を歩いて屋敷に辿り着いた二人を出迎えたのは、屋敷の主たる覚り妖怪ではなく、ペットだという火車だった。ここを舞台にした前回の変事でもどちらかと言えば協力的だったこの優しい猫が、嘘をついているとは考え辛い。友を庇っているという可能性もあったが、その確率は低いと――ついでに言えば、そんな嘘を見抜けないほど自分の勘が鈍っているとは考えたくないと――思った。しかし、そうなるとまた別の問題が浮上する。というより、こちらが本題なのだが。
「地獄鴉の人工太陽でもない…となると、なんなのかしら」
「ここが本命だと思っていたんですが…現実は甘くないですね」
神の火ではない熱さを悩む二人に、猫が問いかける。
「どうしたんだい、そんな難しい顔してさ。それに、お顔が真っ赤だよ。知恵熱かい?」
「暑いんだからしょうがないでしょ。好きで真っ赤にしてるわけじゃないわよ」
「暑い?確かに慣れてないお客さんには、ここの熱さは辛いだろうけどさ」
「いえ、ここだけじゃなくて。今、幻想郷全体がここみたいな蒸し風呂状態になっているんですよ」
「…へぇ、そりゃ大変だ。ここにずっと暮らしてると、熱さなんて慣れちまうけどね」
心配しているようにも、皮肉を言っているようにも見えるその視線を切って、立ち上がる。これ以上居ると、本当にのぼせてしまいそうだ。
「邪魔したわね。あの鴉にも、疑って悪かったって伝えておいて」
「ご協力、ありがとうございました」
「いーって、あたいは何もしてないじゃないか」
からから笑う猫に見送られ、再び天に昇る。確かに昇っているというのに、気分は暗く沈んでいった。
■
むしむしと湿った夕暮れの下、顔を突き合わせて話し合う。
「それで、どこが原因だと思う?どこがってか、何が」
「まだ私は、あまり幻想郷に詳しくないので…私の奉る二柱の計らいではないと、思いたいんですが」
「もしそうだったら、蒲焼と塩焼きにして食ってやるわよ。蛙の肉は鳥肉みたいな味がするっていうじゃない」
「滅多なことを言わないでください」
一番頼りになりそうな場所と、一番原因がありそうな場所は既に潰した。
「紅魔館…はありえないわね。今頃、『ふえーん、夏は太陽が沈むのが遅いよー、怖いよー』とか泣いてるんじゃないかしら」
「そ、そんな方でしたっけ?もっとこう、見た目からは考えられない威厳に満ちた方だったような…」
「そういうところもあるかわいい奴なのよ」
「はぁ」
「冥界も永遠亭も、太陽とは真逆の方向性よね。さすがの魔理沙でも、『太陽はパワーだぜ!』とか言うわけないだろうし。言ってたら絶対ぶっ飛ばす。どっかのウサ耳どもの本拠地までぶっ飛ばしてバニー魔理沙にする」
「霊夢さん、だんだん壊れてきてますよ?」
「この暑さで壊れずにいられるわけないでしょ」
心当たりを端から探っても、まだ答えには辿り着かない。
「さすがにちょっとした妖怪やら妖精やらじゃ、こんなことできないだろうし。強い妖精っつったらあいつだけど」
「チルノさんこそ暑さとは真逆の方向にいる気がしますが」
それでも、一応通りすがりに顔は出してみた。完全に暑さにやられており、まともな話など聞けるはずもなかったのだが。それどころか、前に会った時より小さくなっていた気すらする。
「拉致ってくれば良かったかしら。抱いてればちょっとは涼しいかも」
「だから、だんだん壊れてきてますってば」
出会った誰も、話を聞いた誰もが、すっかり今を夏だと思い込んでいた。
それも無理からぬ話だろう。太陽は天高く、空気は湿っぽく、雲は低くにかかる。これで蝉の鳴き声さえあれば、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない真夏の様相である。
「もう、夕暮れですね。…明日も、『夏』なんでしょうか」
「あーもー、明日もこんな暑いのかしら。全く、忌々しい」
常より僅かに刺々しい口調で吐き捨て、天を見上げる。日が沈みかけるその一瞬、美しき夕暮れの色に染まった、上天を。
――そして、思い出す。今日と同じように天地がひっくり返って雪まで降った、あの本物の夏の日のことを。
「…もう一箇所、原因オーラばりばりの所があったわよ。太陽が眩しくて見上げるのが億劫だったから、忘れてた」
「…あぁ、あそこですか。私も、今思い出しました」
「乗り込んでってボコるわよ。これで駄目なら冬眠するしかないわ」
「スケスケのネグリジェで、ですか?」
「まさか。神社には和服しか似合わないのよ」
口元では笑って、しかし目は笑っていない。あの野郎なんて事をしやがるんだという怒りと、もしそこが原因ではなかったらという恐怖。それから逃れるために、日が沈んだ事を言い訳として、短くも長い旅路の相棒の手を取る。
「―――――突っ込むわよ」
「―――――了解です」
―――二つの弾丸が、非想非非想天に向かって、放たれた。
■
天国とも思える涼しさを孕んだ夜空の中、三人の少女が並び立つ。
「…ほら、天界っていつでも快適じゃない。夏は涼しく、冬は暖かく」
「へぇ」
「でもさ、たまには暑いかなーとか、寒いかなーとか思うこともあるのよ。気のせいかもしれないけど」
「そうですか」
「それでさ、天界って地上よりちょっとばかし太陽に近いじゃない」
「それが何?」
「だから、頑張れば温度調節っていうか季節操作っていうか、そんなのの真似事もできるってわけよ。天界にいたら、ちょっといじったくらいじゃ体感温度は大して変わらないんだけど」
「なるほど。そういうことですか」
紅の怒気と蒼の冷気に気圧されて、天人の少女は後ずさる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんな怒らないでよ!私だって学習して、ちゃんとみんなに気を遣ったんだから!」
「…へぇ。どのへんを?」
「冬なのになんでこんな暑いのよって慌てないように、天人の秘宝でみんなの記憶をいじったのよ。なんでか貴方たちにはあんまり効かなかったみたいだけど」
「……へぇ。天人ってすごいんですね、そんなこともできるんですか」
「まぁ、私の力じゃなくて秘宝の力だけどね。いつでも使えるわけじゃないし、持ち出すのも大変だったんだから。なんせ、秘宝中の秘宝なのよ?」
いかにも偉いでしょ!みたいな表情で、ない胸を張ってふふんと鼻を鳴らす天子。
どうやら天人の辞書には、『小さな親切、大きなお世話』とか『雄弁は銀、沈黙は金』とか『火に油を注ぐ』とか、そういう言葉は載っていないらしい。載っているのなら、知らないはずがないのだ。
そーかそーか、知らないのか。なら仕方がない。知らないのなら、この総領娘様に教えて差し上げなければならない。火に油を注ぐとどうなるのか…絶対に記憶から消えないよう、その体に。
「――早苗?」
「――はい、霊夢さん」
互いに目線を流して隣にも同じ表情があることを確認すると、二人は軽く頷きあった。
「え、ちょ、待って、謝るから、ごめんって、許してってば、直し方も知って…!」
「「こぉんのぉ…」」
「「――――――我侭娘がぁぁぁぁ!」」
天子の目に最期に映ったのは、スペルカードを切る手の残像だけだった。巫女(片方は風祝だったか)の手は、有事にはここまで素早く動くものなのだと、そのとき初めて知った。
天子の頭に最期に浮かんだのは、―――ありがとう、そんなに怒ってるのにルールに則ってくれて。おかげで私、お星様にならずに済みそう…でも娘って、私あなた達よりずっと年上なんだけど?―――そんな、場違いで能天気な、抗議と感謝だった。
「大奇跡『八坂の神風』!!」
「神霊『夢想封印』!!!」
「ぅぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
静寂に満ちた天界の夜空に、偽りの夏の終わりを告げる、でっかい花火の音が響き渡った。
たーまやー。
■
雪のちらつく寒空の下から、声がする。
「寒いわねぇ」
「そうですねぇ」
炬燵に体を埋めながら、言葉を交わす。
「ちょっとそれ取って」
「はい、どうぞ」
ぐつぐつと煮え立った鍋を挟んで、言葉を交わす。
「いつも思うんですけど、霊夢さんって本当にお料理上手ですね」
「そう?ありがと。鍋なんて具材を切ってぶっこむだけなんだから、上手もなにもないけどね。…しっかしさ」
外から凍み込む冷気に身を震わせながら、言葉を交わす。
「暑いなら暑いで文句言って、寒いなら寒いで文句言うなんて、人間ってほんと現金よねぇ。自分で言うのもなんだけどさ」
「そうですけど」
「けど?」
「人間というのはそういうもん、じゃないでしょうか」
「…そうよね、そういうもんよね」
言葉を交わしながら、さらに体を炬燵の奥深くまで突っ込む。さして広くもない炬燵ではすぐ反対側からの侵略者と衝突が起こるが、そこから伝わる熱もまた心地よい。
夏には汗を流して不平を述べ、冬には鳥肌を立てて愚痴を零し、それでも笑いながら日々を生きていく。人間ってのは、そういう生き物なのだ。一年中気候の変わらない天の上に住む、どっかのバカと違って。
あぁ、それにしても寒い。早く―――
「――――夏が、来ないかなぁ」
でも、異変の原因探す→解決→お仕置きって流れしかないから物足りないかな。
しかし早苗さん、神奈子様の格言に従うとして、異変なら最初っから奇跡使いましょうやww
ちなみに俺は秋が一番好きですけどね。いや、姉妹的な意味でなくて。