Coolier - 新生・東方創想話

アンクル・トガズ・キャビン 第三話 The Lionest Heart

2018/08/01 19:16:56
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 館があります。紅色の館です。紅いドアがついています。とてもきれいな館です。家族がいます。レミリア、パチュリー、沢山の使丁とフランドールが、紅色の館に住んでいます。みんな、とても幸せです。フランドールをごらんなさい。赤いくつを履いています。フランドールは遊びたがっています。フランドールと遊ぶのはだれでしょう? メイド長をごらんなさい。メイド長は忙しそうにしています。おいで、遊ぼう。フランドールと遊ぼう。メイド長は遊ぼうとしません。パチュリーをごらんなさい。とても優しい魔法使いです。パチュリー、フランドールと遊びますか? パチュリーはほほえんでいます。ほほえんで、パチュリー、ほほえんで。レミリアをごらんなさい。とてもすてきなお姉さまです。お姉さま、フランドールと遊びますか? レミリアは笑います。笑って、お姉さま、笑って。美鈴をごらんなさい。妹様、妹様、と美鈴が探しています。フランドールと遊びたいの? 美鈴が走るのをごらんなさい。走れ、美鈴、走れ。ごらん、ごらんよ。お外に友だちがいます。友だちがフランドールと遊ぶでしょう。皆でおもしろいゲームをするでしょう。遊べ、フランドール、遊べ。

 館があります紅色の館です紅いドアがついていますとてもきれいな館です家族がいますレミリアパチュリー沢山の使丁とフランドールが紅色の館に住んでいますみんなとても幸せですフランドールをごらんなさい赤いくつを履いていますフランドールは遊びたがっていますフランドールと遊ぶのはだれでしょうメイド長をごらんなさいメイド長は忙しそうにしていますおいで遊ぼうフランドールと遊ぼうメイド長は遊ぼうとしませんパチュリーをごらんなさいとても優しい魔法使いですパチュリーフランドールと遊びますかパチュリーはほほえんでいますほほえんでパチュリーほほえんでレミリアをごらんなさいとてもすてきなお姉さまですお姉さまフランドールと遊びますかレミリアは笑います笑ってお姉さま笑って美鈴をごらんなさい妹様妹様と美鈴が探していますフランドールと遊びたいの美鈴が走るのをごらんなさい走れ美鈴走れごらんごらんよお外に友だちがいます友だちがフランドールと遊ぶでしょう皆でおもしろいゲームをするでしょう遊べフランドール遊べ

 やかたがありますあかいろのやかたですあかいどあがついていますとてもきれいなやかたですかぞくがいますれみりあぱちゅりーたくさんのしていとふらんどーるがあかいろのやかたにすんでいますみんなとてもしあわせですふらんどーるをごらんなさいあかいくつをはいていますふらんどーるはあそびたがっていますふらんどーるとあそぶのはだれでしょうめいどちょうをごらんなさいめいどちょうはいそがしそうにしていますおいであそぼうふらんどーるとあそぼうめいどちょうはあそぼうとしませんぱちゅりーをごらんなさいとてもやさしいまほうつかいですぱちゅりーふらんどーるとあそびますかぱちゅりーはほほえんでいますほほえんでぱちゅりーほほえんでれみりあをごらんなさいとてもすてきなおねえさまですおねえさまふらんどーるとあそびますかれみりあはわらいますわらっておねえさまわらってめいりんをごらんなさいいもうとさまいもうとさまとめいりんがさがしていますふらんどーるとあそびたいのめいりんがはしるのをごらんなさいはしれめいりんはしれごらんごらんよおそとにともだちがいますともだちがふらんどーるとあそぶでしょうみんなでおもしろいげーむをするでしょうあそべふらんどーるあそべ



 紅美鈴にとって、フランドールという少女は、ボスの妹として忠誠を捧げるべき相手であると同時に、その悲愴な境遇にあってさえ希望を失わない恭敬すべき対象であった。
 事実、その信仰にも似た感情を貫いているのだ、美鈴は。恐らくは、数多くの使丁達の中で誰よりも、フランという少女を敬っていたのではなかろうか。
 ただの門番という、取るに足らない立場でありながら。

 ――そう、美鈴は門番である。その職務は警衛と庭仕事、概して地下には用事がない。さらに言うなら門番と幽閉された令嬢では覆いがたい身分の格差がある。よって単純な面識すら生じ得ない。
 なので元々、美鈴は、妹君の事情に憐憫こそ覚えていたが直接的な関わりは無かった。
 何とかお救いして差し上げられないだろうかと、神妙かつ朴訥な優しさを募らせつつ、美鈴は職務を粛々と、時にはグウグウと、それなりにこなしていた。

 そうして縁由が訪れた。小鬼の起こした異変である。
 繰り返される宴会、花見、何でもない日のティーパーティーに、紅魔館の者達は外出が多くなり、特にレミィと目付役の魔女、それとメイド長が同時に外出する場合などには、フランの目付役の代理が必要となった。
 そこで美鈴に白羽の矢が立った。強靭な肉体を持ち、居眠りこそ多いが善良な性格で、なおかつ要所で機転が効く、そのバランスの取れた才覚を見込まれてのことであった。
 ……ちなみに件の騒ぎにはのちのち美鈴も巻き込まれることとなったが、それは異変の本質が解決してから随分と経った後のことで、当時の当人と同じく特に話すことはない。
 ともあれ、この異変に乗じてフランとの因果を得た美鈴は、その後も、多からぬ寸暇を見つけては悲劇の妹君の面前に参上するようになった。

 では、この来訪者に、フランはいかなる反応をしただろうか。
 最初こそ無関心だった。ただ次第にこの小娘の挙措に興味を向けるようになり、やがて少なからぬ笑顔を見せるようになって、遂には歓迎の体裁で甘えるようにすらなった。
 一介の門番風情に、まるで全幅の信頼を置いているような、そういう態度であった。世間知らずの令嬢が、相手を疑うことを知らぬまま、その胸襟を露わにしてしまうような。
 美鈴にとってはトントン拍子の展開で、全てが順調に進んだ。……あまりにも順調で、障りと呼べるほどの障りもないまま呆気なく、あっさりとフランの好意を掌中に得た。
 気の触れた性格、物騒極まりない破壊の能力、そんなハナシはどこへやら。美鈴と接する時のフランは無邪気な少女そのままであり、或いはそれ以上の偶像めいていた。
 例えば美鈴がニコリとすればフランもニコリとして、頭を撫でればポッと頬を染める。どこか児戯めいた、そのスムーズな交流は、脳天気な美鈴をさえ不安にさいなめた。
 好事魔多しという意味ではない。つまりその甘っちょろい応対の全てがフランの演技であり、彼女が美鈴を利用して何事か企んでいるのではないかと、その懸念を覚えたのだ。
 だがしかし、かくも当然な謎を承知しつつ、美鈴は心の片隅で、愛情に飢えて捻くれた少女の素が自分に吐露されているに違いないと、そう楽観的に考えてしまっていた。

 そういう虫の良い思考回路をこそ鑑みれば、なるほど彼女は白痴であった……。



 その日、美鈴がフランの地下室を訪れたのは黄昏時のことだった。
 肉饅でも一緒にいかがですか、と。先日の凄惨なアクシデントなど無かったかのような台詞を胸に秘めて、竹蒸籠を片手に扉前に佇み、いつものルールに則ったノックをした。
 フランが美鈴に提示した合図は二回、一回、二回のリズム。某有名映画のマネらしい。

 ところがノックに応じて出てきたのは、フランではなく三角巾を被ったメイドだった。

「あ、美鈴さん。どうもです」やおら三角巾を外しつつ、彼女が言った。
「あなたは――」面食らい、美鈴は多少うろたえつつ、問うた。「どうして、ここに?」
「お部屋の掃除ですよ。妹様なら、お姉様と一緒にパンケーキを作ってるはずですよ」
「……? ああ、咲夜さんのことか」

 メイド長のことをお姉様と呼ぶ、この少女は、紅魔館で新しく雇った新米メイドだ。
 晴天の霹靂たる話であるが、彼女は、あのメイド長の引き立てにより雇われたという。咲夜という女性は、仕事にそういうプライベートを持ち込まない性分であったはずなのだが、よくよくの事情があるのだろう。
 詳細は良く分からないが、少なくとも彼女にはメイド長への尊敬があるようで、彼女がメイド長にならい瀟洒な所作を心がけようとしている点では、美鈴としても好感がある。
 また他のメイドらと違ってなかなか勇敢なところもあり、命の危険があるフラン関連の仕事に対しても率先して立候補していくといった働きぶりで、紅魔館内部での評判も悪くない。
 ただ唯一その調音にのみ明白な粗忽があった。曰く家庭環境の事情であるらしいので、一種の俚言とでもみなすべきかもしれないが、彼女は『ダ行』の一部が巧く発音できないのだ。
 当人もそれを余程と恥じているらしく、何とか訛りを誤魔化そうとして、その曖昧な箇所の発音を飛ばしてしまおうとする――即ち、そこを促音と入れ替えてしまおうとする。
 例えばワークデスクはワークッスクになり、メルセデスがメルセッスになり、アデスガタはアッスガタになる。一見ジョークのようだが本人にとっては冗談で済む話ではない。
 幼少期に家族が発していた言葉は構音発達にて重要な因子であり、どうしても影響は避けられないものだ。彼女の場合、その呪わしい家族(偽兄)の俚語が耳を通して定着してしまい、今もそれを矯正できていないというわけだ。
 さりながら彼女はそれを酷く気にしているため、地の文を担当する存在の権限として、ここではそれを訂正して表記させて頂く。あしからず。

「ご丁寧に、ありがとうです。嬉しいです」
「何がですか?」美鈴は目を丸くした。
「だってそれ差し入れですよね?」と、甚だしく勘違いして、彼女は美鈴の手から蒸籠を取った。「妹様なら厨房ですからね。では、私はお掃除に戻るので、これにて失礼です」

 ペコリと頭を下げ、彼女はいそいそと部屋へと戻り、パタンと戸を閉めてしまった。

「え、あ……」

 せっかくの肉饅を勝手に持っていかれて、そのまま扉外に放置されてしまった美鈴は、流石に憮然として鉄扉を眺めていたが、やがて気を取り直して厨房へ向かうことにした。

 地下の廊下は薄闇に陰り、それでも一定の距離ごとに持ち送りのジランドールが突き出ている。それらコーベルが仄かな灯りを煌めかせて地下世界を優雅に照らしていた。
 光にチラチラ目がくすぐられ、スンと軽く鼻を鳴らす。すると鼻孔が乾いた砂の芳香に包まれた。煉瓦で固められた壁の向こうにあるサラサラに保たれた砂が香ったらしい。
 匂いの先を探して、美鈴は壁の一部を見た。はらはらと砂が壁から溢れていた。
 かくのごとく、地下の壁はどこもかしこも柔らかなパウダー状の砂が壁外を囲む意匠となっている。仮に何者かが壁を破壊したならば、その砂の重量がたちまちに破壊者を襲うだろう。
 つまりこれは、誰かさんに、無闇な破壊行動を控えさせるためのギミックなのである。

 やがて上階への唯一の経路である螺旋階段の設置されたホールに着いた。
 この螺旋階段は、殆んど歩くのに等しい足運びで昇れるくらいに低勾配なのだが、そのため他の場所の階段に比べて段数が多くなっており、また回転の回数が実に多い。
 階上と地下を頻繁に行き来するメイド連中には不評であり、歩いて昇るにしろ飛ぶにしろ、クルクル回らねばならないのが厄介で、急げば急ぐほど目が回るといった具合だ。
 そうしてこれもまた、誰かさんが、容易に抜け出せないよう用心ゆえの構造であった。

 地下を抜けてからは早い、まもなく美鈴は紅魔館の厨房に辿り着いた。

 厨房の扉を開いた、その途端、バニラの甘い香りに顔中が包まれたようになった。
 そこは、紅魔館でも珍しい蛍光灯が照らす部屋で、幻想郷の一般と比較するに近代的な調理場であった。壁紙や調度は白を貴重とした清潔感を旨とする意匠で、床は汚れにくいセラミック・タイルである。
 そうしてその部屋の調理台の前には、ボウルに入った卵やら牛乳やらを掻き混ぜているフランと、それを監督しつつもコンロとガスボンベの準備をしている咲夜の姿があった。

「あ、美鈴」
「あら、美鈴」

 世にも麗しやかな美少女二人にあけすけな笑顔を送られて、そのあまりのまばゆさに、美鈴は若干の気後れを覚えつつもやっと会釈を返した。
 先日まで険悪ムードだった二人がどうして一緒に居るのか……と、そういう怪訝を飲み込んで隠せてしまうところが、この美鈴という小娘のそつのなさとでもいうべきか。

「何を作ってらっしゃるんですか?」
「あのね、あのね、パンケーキよ。咲夜に作りかたを教えてもらってるの」

 無邪気に、腰に手を当てて可愛らしく胸を張り、フランが答えた。……今日は何故だかいつもと雰囲気が違う。舌足らずな喋りかたで、その幼さを衒っているかのような――。
 と、訝しむ美鈴をよそに、口元を瀟洒に隠した咲夜がクスクスと笑声を漏らした。

「妹様ったら、おかしなことを仰るのよ。パンケーキで紅魔館を支配するんですって」
「なによう、咲夜ったら。パンケーキは美味しいのよ。美味しいものは強いんだからね」

 ぷりぷりと、しかしどこか兎の弾むような口振りで、フランは野望を語らった。

「私の作ったパンケーキで魅了して、御姉様を骨抜きにしちゃうのよ」
「あらあら、妹様。それはとっても恐ろしいことですわ」
「だって、御姉様って公言してる弱点があんなにもあるんだから、そのリストの一番上に『フランの作ったパンケーキ』っていうのがあっても良いと思わない?」
「うふふ、どうなのでしょうね。一メイドには難しい話です」

 そう言いながら、咲夜はピカピカのスキレットをコンロに乗せて、新聞紙に浸したオイルで表面を潤した。コンロをパチリとさせて、火を点ける。油がパチパチと弾けた。

「さあ、妹様。先程お教えした通り、ここに生地を流し込むのです。一度、咲夜がやって見せましょうか?」
「ううん、大丈夫よ。私ってほら、イメージ・トレーニングのエキスパートだから」

 フランは羽を優雅に煽り、中空の高いところから生地を油の上に流し込んだ。はちみつとバターの香りを漂わせる白濁の粘液は重力の摂理によってパンに鮮やかな丸を作った。
 メイラード反応の香ばしい香りが炸裂して厨房に充満し、美鈴の鼻先をもくすぐった。心ならずも頬の緊張が緩み、目尻が下がった。なるほど魅了か、パンケーキは度し難い。

 そのまま美鈴は朦朧にも等しい放心に沈み、パンケーキに集中して殆んど睨めっこしているフランを眺めていたが、ちりちりとした自分への視線に気付き、向き直った。
 視線の元は無論メイド長、コンロの熱源に負けぬ熱っぽい目でこちらを見据えていた。

「どうしたの美鈴、わざわざ厨房に来て」と、文面にすればさりげないが、彼女は側へと迫っていた。その一挙措の指先に至るまでが美鈴を対象とした、無言の迫力となる。
「いやその、お二人で何をしてらっしゃるのかな、と」しどろもどろに、美鈴は告げた。
「何をって、ご覧の通り仲良くパンケーキを作っていたのよ」平静なる声音の下で、その白い手が美鈴の掌に被さる。「そもそも、妹様と仲良くして欲しいって言ってたのは貴女じゃなかったかしら、美鈴」
「確かに、その通りですなのですが……」

 どうしてもギクシャクと、美鈴は頷いた。
 客観的な事実として、メイド長はフランと不仲というわけでもなかったが、その主に向けるほどの忠誠を妹君に向けているかと見れば、到底それほどの重きは無かっただろう。
 元より、その主がメイド長とフランの接触を快く思っていない気配があった。
 何せ、メイド長はモータルな存在なので、誤ってドカンとされれば死んでしまうのだ。それゆえ仕事配分の時点で、フラン関連の職務からは遠ざけられるきらいがあった。
 つまり忠誠を深めようとする意欲の問題ではなく、その土壌すら無かったわけだ。
 だがそれは一介の門番に過ぎぬ美鈴とて似たようなものであり、それでも偶然に努力を重ねて親しくなれたのだから、何事も瀟洒にこなすメイド長であればフランと仲良くすることくらい容易いはずである。
 歴とした関係性が確立した暁には、主も、決して咎め立てするようなことはあるまい。主とて独りぼっちで居る妹君の姿より『門番やメイド長と睦まじくする妹君の姿』を望んでいるに違いないのだから。
 それにメイド長との友誼の形成は、フランの、紅魔館での立場の安定に少なからず役に立つはずだ。使丁達の狂者を見るような視線も改まり、紅魔館の結束は一層に強いものとなる。
 ――と、諸々を語らった上で『咲夜とフランのはっぴい計画』を提言した。これに対して、当時のメイド長は話半分に「はいはい」とあしらう、そんな程度の反応だった。

 そこに、例の事件が勃発した。フランがメイド長を破壊しようとした、大騒動である。
 当然ながら『はっぴい計画』は頓挫、彼女達の関係は親交どころか修復不可能なほどの亀裂が生じた――と、美鈴はそう認識していた。

 だが……この状況より察するに、白紙になったとみなすには時期尚早だったらしい。

「お二人が仲良くして下さるのは嬉しいのですが、その、少し意外な気がしまして」
「ああ、まあね、美鈴の言いたいことは分かるわ。けど私ね、妹様に感謝しているのよ。だって妹様の癇癪が無くちゃ、私達って今みたいに成れなかったと思わない?」

 確かに、世界は様変わりした。フランの癇癪は世界を何色に染めたものか。
 少なくとも、美鈴とメイド長の淡い光彩は、玉虫色のてらてらした色彩へと変貌した。これにメイド長は甚く陶酔し、けれど美鈴は、その薄光が切ないくらいに懐かしかった。

 そんな感傷に囚われている美鈴をよそに、メイド長は言葉を続けた。

「そりゃ色々と思うところはあったけれど、後から考えてみれば全て妹様のおかげでしょう。だから私、もう少しくらい妹様と打ち解けてみようって、そんな気分になったのよ」
「そう、ですか」ぎこちなくも、美鈴は相槌を打った。

 この国には雨降って地固まるという諺がある。メイド長の発言に表裏がないとすれば、件の騒ぎは幸福な『運命』に転がったということだろうか。
 実際、この状況は決して厭うべき事態ではない。菓子作りの指導は実質の交流であり、これの継続は何らかの情を形成させるはずである。
 メイド長は割りと古風な性分であるし、ひとたび人情が形成されたならば、フランへの応対も柔らかなものとなるに違いない。
 そう考えてみれば、美鈴の発案した『はっぴい計画』は順調の途にあるのだろう。
 喜ぶべきだ、美鈴は。喜ぶべきなのだ、この展開を。

「美鈴? 何よ、どうしたの、そんな顔して」

 ふと、長々とした沈思で表情が暗くなっていた美鈴に、メイド長の怪訝な視線が向けられていた。取り澄まされた端正な顔に、一縷の狐疑、幽かな不安の色彩が浮かんでいる。
 当然といえば当然で、メイド長にしてみれば今の状況は美鈴を尊重した結果でもある。その提言を採納した側面には美鈴を喜ばせてやりたいという気持ちがあったに違いない。
 なのに当人はどこか気乗りしない、考え込んだ顔をしている。不安にもなるだろう。

 ゆえに美鈴は慌てて何事かを言い繕おうとしたのであるが、今更になって嬉々と文言を並べ立てたところで胡散臭さが膨らむばかりであり、かといって都合の良い理由もなく、ますます言葉に迷ってしまう。
 会話が途切れて天使が通った――その時だった。横から、フランが口出しをした。

「あのねえ、咲夜。美鈴はね、私に咲夜が取られちゃうんじゃないかって不安になっちゃったんだよ、きっと」そう言いながら、目線は手元、フライ返しでパンケーキをくるり。
「あら」と、メイド長が肩をゆるりと揺らがせた。「なあに、美鈴、それ本当?」

 フランの無頓着な、それでも助け舟であるには違いない言葉に、美鈴は困惑した。
 尤も、目を輝かせるメイド長を前にしては、もはや肯定せざるを得ないのであるが。

「……妹様の仰る通りです」と、美鈴は心に道化の仮面を被せてその醜態を受け入れた。「ハハハ、どうぞ笑ってやって下さい、臆病な女の取るに足らない悋気を」
「あのねえ、妹様の御前で、そんなの恥ずかしくて笑えないわよ、全くもう」

 メイド長は、その喜悦した口元を手で覆いつつ、口先だけの叱声を浴びせた。素気ない台詞はあくまでも人目を気にしたポーズに過ぎず、息遣いからして悦びの興奮が窺える。
 だが美鈴は、お叱りをそのまま朴訥に、言葉通りに受け取った体裁で萎縮してみせた。半ば空気を読んでの配慮であったが……後の半分は、罪悪感ゆえの苦悶であった。
 するとメイド長も妙に実直な解釈をした。美鈴の鈍感さに慌てた様子で、その塩対応は所詮ただの体面的な小言なのだと弁明するように、恋人へのアプローチを図った。
 時間を操る程度の能力による、このメイド長にしかできない干渉である。

 初めは頬のこそばゆさだった。余韻の心地良い、羽箒じみた感触には覚えがあった。
 次は左眉の違和感だった。くすぐったくても顔に出すのは憚られる、その類いの刺激。
 その次は右耳の残響だった。「――」と、限りなく小さな猫撫声が聞こえた気がした。
 最後は唇だった。外目に悟らせず、された者にのみ伝わる、身軽な唇だけの触れ合い。メイド長の淡いベーゼは蜂蜜の余薫がした。……来る前に、味見などしていたのだろう。
 ともあれ、これら悪戯めいた愛情表現を、素知らぬ顔で冷淡を装うメイド長が施したかと思うと、何やら無性な愛おしさが感じられて、やっと美鈴は気楽になれた気がした。

 きっと美しかったろう。時の止まったその世界での、メイド長が美鈴に施した児戯は、その一挙一動が妖精じみて、穢らわしい性の衝動など超越してしまっているはずで――。
 もし可能なら、その残酷の玩具にされても構わないから、その世界でずっと静止してしまいたい。などと、美鈴は愚にも付かぬファウスト的な白痴を思った。

「門番に戻りなさい、美鈴」舌頭こそは厳しく、メイド長が口と指を動かして命令した。「これ以上、恥を晒したくなければね」
「はい、咲夜さん」

 素直に従って、美鈴はその場を離れることにした。
 その際、スキレットより矯首したフランが無邪気に見送りの手を振ってくれた。

「また後でね、美鈴。パンケーキはね、皆で食べるとずっと美味しくなるのよ。だから、きっと一緒に食べようね。混ぜてあげるから」

 それは、まるで天使めいていて、しかもそれを自認するかのような声音であった。

「楽しみにします」美鈴は言葉少なに応じて、会釈を返した。

 かくして美鈴は厨房を後にしたが、厨房を出てすぐの場所に先程のメイドが佇んでいた。
 どうやら竹蒸籠を厨房に返しに来たらしいが、その頬には肉饅のカスが付着している。大ぶりのものが八つほど入っていたのだが、彼女はその全てを平らげたのだろうか。

「どうもです」
「ああ、これはどうも」
「どうだったですか、妹様は」
「今日は機嫌が良さそうでしたよ」

 当たり障りのない会話でお茶を濁し、そのまま美鈴は門扉へと戻ろうとした。
 このメイドのことは嫌いではないが、今は少しだけ距離を置いておきたい気分だった。
 何せ、彼女がその身に纏っているアチャラカな気質に長く触れていると、自分までアチャラカになった気分で、それこそ先程の肉饅を取られた失態までコメディの一幕であったのではないかと錯覚させられてしまう。
 美鈴は、確かに彼女のことが嫌いではないのであるが、しかしそれでも、自分が彼女の同類としてみなされることは、あまり望まなかった。

 ところが彼女には話があったらしい。
 足早に去ろうとする美鈴を引き止めるような問いかけを発した。

「貴女はあの妹様で満足ですか」
「……は?」

 思わぬ言葉に、去り足を止めて振り返る。
 メイドはコミックの登場人物のように目を細めることでスマイルを表現していた。

「百点ですか、八十点くらいですか。それとも三十点とかですか?」
「何を、言ってるんですか?」
「百点でないなら探し続けると良いですよ、美鈴さん。妹様は地下の図書館です」

 それだけを言って、メイドは厨房へと入って行った。
 美鈴は呆然とした。何せ今さっきフランに手を振られたばかりである。それこそ、あのメイドに続いて厨房への扉を開けば、また彼女が笑って手を振ってくれるに違いない。
 あの、フランが。

 なのに、それをせず、美鈴の足が地下図書館へと向かっていたのは何故だろうか。
 職務たる門前にも向かわず、フランの安否確認に厨房へと戻ることもせず、あんなメイドの言葉に踊らされて地下図書館へと歩を進めているのは、いかなる風の吹き回しか。

 或いは、美鈴は、あのフランに違和感を覚えたのかもしれない。白痴なりに。



 であるにも関わらず、図書館のフランは先程のフランよりも明らかにおかしかった。

「はい、地下図書館からこんにちは! 第五十五回読書討論会、司会の小悪魔です!」
「パネリストのフランです!」

 金髪メイドの向けるハンディカメラを前にして、小悪魔とフランがはしゃいでいた。
 どうやら、皆でホームビデオを撮っているらしい。奥にはパチュリーも座っている。

「今回の議題は『米文学の作家で一番凄いの誰やねん』です!」
「わあ、なんて斬新なテーマなのかしら! ぶっちゃけ、もう飽きたけど!」
「これまでの五十四回は全てが同テーマかつノーゲームという結末に落ち着いておりますので、今回こそは結論を出してやりたいところですね!」

 なるほど、つまり同じ題目で五十五回目の討論会というわけだ。
 果して、後からそれらのホームビデオを見直して、彼女らは一体何を感じるのだろう。
 こうまで続けている以上、それなりに違いを楽しんでいるはずだとは思うが、と、美鈴は好意的な解釈をした。

「じゃあフランさん! 貴女の推し作家は?!」
「はい、私が一番だと思う作家はモリスンです!」

 と、ピースを目にかざす格好付けたポーズをして発表したフランの隣で、小悪魔がサムズダウンをしながらブブブとリップロールをさせた。どうやら大いに異論があるようだ。

「出た、権威主義的な作家の選びかた。ダサい、つーか臭い。奇妙な果実の匂いがする」
「止めてよ、そういうレイシズムな冗談は!」フランが反駁した。「それに権威主義とか関係なしに、私はちゃんと自分なりの基準で選んでるんだから!」
「んなこと言って、いっつも次点でベロー挙げてるんだから、やっぱ権威主義的でしょ」
「でも米文学縛りならモリスンが世界で一番評価されてるのは間違いないでしょ!」

 そのフランの言葉に、小悪魔がプップーと大袈裟な吹き出し笑いをしてみせた。

「世界ですって?」相手を小馬鹿にする時の、語尾の上がった声調子だ。「うふふ、フランちゃん、うふふ。地下室住みが大きなこと言い出しやがりますね。世界って漢字、書けます? お節介とは違うんですよ?」
「分かってるわよ、馬鹿にして! ……コホン、良いかしら、モリスンは『青い眼が欲しい』や『ピラウド』で、アメリカに住まう黒人の姿を明確に書き出しているわ」
「んで、黒人様カワイソーってんでお節介にもノーベル賞ですよね。それ以上でもそれ以下でもない」
「あんた本当に読んでんでしょうね?!」

 フランは噛み付くくらいの剣幕で、周囲の目もカメラも気にしない鋭利な牙が丸出しな表情をした。
 それに対して小悪魔は平気の平左といったところ、全く以て飄々とした態度を崩さない。ちゃんと議論の体裁で、コホンと咳払いして、次のようなことをスピーチした。

「黒い米文学は、白い米文学が目を背けたものを書き出していると、往々にしてそう称賛されます。ですが本当にそうでしょうか。私が思うに、黒いアメリカ文学の最高峰は白人作のアンクル・トムです。ストウのそれと比べて、昨今の黒いアメリカ文学にはあまりにも主観が入りすぎていやしませんか。黒人がアメリカ文学を黒く書くのに異議はありませんが、その整合性はアヤフヤなもんでしょう。それこそ自分が自分を主役に書いた偉人伝ほどの価値しかない」
「ストウだってわりとムチャな主観を入れてるじゃん……ま、それは良いけどさ、黒人が黒いアメリカを書いたなら、やっぱりそこには信憑性があるじゃない」
「その信憑性などという、およそ文学に不要な論理のおかげで、アンクル・トムは今尚も臆病者の代名詞として扱われているのです。作者が白人だから、その忍耐強さが臆病さとされた。これは逆差別ではないのですか?」

 小悪魔がカメラ目線に肩を竦め、沈黙して討論を見守っているパチュリーの肩を撫で、また入口に棒立ちしている美鈴に目配せもした。全員に視線を送り、自分の主張を目立たせるテクニックだ。
 フランはカメラのほうをチラリと眺めて、悔しげに唇を尖らせた。無理もないだろう、自分の推し作家を腐されているのだから、はらわたも煮えくり返ろうというものだ。

「もっと本質として訴えられている黒さを見てよ!」
「そう、重要視すべきなのは外見ではなく本質の黒さ(ノワール)!」と、小悪魔が俄然と興奮した。「アメリカ文学におけるノワールの天才といえば、そう、ポー!」

 カメラに向かい、小悪魔が九十年台的なポーズをした。舌を出して小悪魔なウインク。

「またそれ」吐き出すように、フランが言った。「彼を推すくせに、よくもまあこっちをアヤフヤとか何とか腐せたもんね。あんなの、話の中身が既にアヤフヤじゃない」
「いえいえ、彼はその作品群の表面的な部分だけで幻想的な側面が強調されがちですが、その本質には精妙に組み立てられたロジックがあるのですよ。伊達にアメリカ初の職業小説家ではありませんね」
「その職業小説家ってのが嫌なのよ。だって、お金のための小説ってことでしょ、それ。あんたいつも次点でキング挙げてるけど、今は商業主義者の話は要らないんだ。アメリカ文学の崇高な議論をしてるんだよ」
「その発言は近代の多くの作家を敵に回しますよ! じゃあモリスンはどうなんですか! 彼女は黒人という存在を商売にしているのではないのですか?!」

 その小悪魔の暴言にどうやらフランはカッとしたらしい。そのゲルマン風な女の頬を、少女の細い指でつねって引っ張った。すると小悪魔も同じことをしたものだから、互いに頬を引っ張り合う子供の喧嘩になってしまった。

「むっきゅ!」と、静観していたパチュリーが何事かを宣告した。
「そうですよ、文学の議論がこじれた時のルール、お忘れではありませんね」と、カメラ役のメイドも告げた。
「分かっへるわよ」口に潜り込もうとする小悪魔の指を振り払いながら、フランが応じた。
「下らない旧時代的な解決法ですがね」小悪魔も不承げに頷いた。

 そうして矛を収めて見合った彼女達が何をしたかというと、互いに仲良く肩を組んで、まるで写真に映る瞬間のような可愛らしい表情で、カメラ目線に次のような呪文を同時に告げた。

「美しい顔!」

 余談であるが、この『美しい顔』というのは古代ギリシアにおけるプラトンを起源とした故事の一つである。
 紀元前373年の冬、ペロポネソス半島のポリス・ヘリケを地震と津波が襲った。大地の揺るぎが海の水を招き、その大波はヘリケと市民らを海底へと連れ去ったという。
 この時プラトンは五四歳、著述者として周囲に知られていた彼は、『ティマイオス』において、神の怒りに触れたとして、この災害を引用した。もちろんヘリケの生き残り達に配慮して、時代背景も都市の名前も変更されていたが、しかしヘリケの生存者達はそれに納得しなかった。その『アトランティス』という都市の描写が、あまりにも精緻であったがためである。彼らは、プラトンがヘリケを取材していないはずはなく、市の名誉を失墜させたと主張した。
 プラトンは、自分の師のごとく、堂々と弁明した。曰く、ヘリケを訪れたことはない。ただ、その講談(ラプソディア)は豊穣や裕かさを求めてのことではなく、イデア界を知らしめる方便の螺子に過ぎないのだ、と。
 そうして、笑ったのだ、彼は。その哲学者の達観の、いかに美しかったことか!
 ヘリケの生存者達は、その笑顔にこそ納得した。全ては落着となった。
 転じて物事の議論、特に文学的な対話において喧騒と成った際、互いに『美しい顔』を晒すことにより収束させる。これを『美しい顔』(アポリア)というようになったのだ。

 ――以上のことは全て風刺のためのフィクションである。
 こうまで出鱈目しておいて申し訳ないが、こういうのは私ではなくあっちの彼のが向いているはずで、ならば今どうして私がこの情景の地の文を担当しているのかというと、その説明責任は無いので答弁は控えさせて頂く。

「じゃあ、再開ですよ、妹様」
「まあ、そうなんだけどさ……このまま議論してても代わり映えがしないよ」
「それは、そうなのですが、かといってここに居る連中に意見を言わせたところでいつもと違う意見が出るとも思えないわけでして……」

 はたと、二人の目が、入口で佇んだままの美鈴に向けられた。
 その顔には『美しい顔』とは少しだけ趣味の異なる笑顔が浮かんでいる。
 唐突な注目に美鈴は尋常ならざる負の予感を感じたものであるが、当然ながら退室する猶予など与えられるはずもなく、二人に手を掴まれてカメラの前に引き立てられた。

「さて、美鈴さん。小癪なまでに頭の回る貴女ならば、もう何を言う必要がないとは思いますが、私達は貴女の意見ってものを必要としているわけです。個人的には、貴女が常識的な判断をしてくれることを望みますがね」
「ねえ、美鈴。貴女は分かってくれているでしょう。私、美鈴のこと尊敬してるし、美鈴みたいになりたいって思っているくらいだから、まさか美鈴が間違った選択をするなんて思ってないよ」

 小悪魔は、まさしく小悪魔のような仕草で、美鈴の頬に自分の唇を突きつけるくらいの密着を呈した。匂い立つような色気に満ちた誘惑であるが、しかし、どうして彼女の指は頸動脈をなぞっているのだろうか。
 フランはフランで美鈴の臍上の辺りに頬をペタリとさせて甘えているが、そのくせ両手は抜け目なく肝腎を抑え込むようにしている。意に沿わぬことを口にしたならば破壊すると、そう脅迫されているような気分だ。

「ええっと、その、私は実はあまりアメリカ文学には詳しくなくてですね。譚恩美や劉宇昆くらいなら知ってるのですが、まさか歴代で一番ってことも無いでしょうし」
「大丈夫よ、美鈴。なら、モリスンって一言だけ言ってくれれば良いから。そしたらね、今までの十倍も二十倍も美鈴が好きになっちゃう。これ以上この感情が強くなるのは怖い気もするけど、でも美鈴なら良いかな」

 いかにもな甘え声で、フランはそう言った。その掌は愛撫の体裁で美鈴の腹を上行し、その無駄に大きな乳房の下縁を撓ませた。無論、これは肝破壊を意識させる恫喝である。
 すると小悪魔がフランの誑惑の露骨さに苛立った様子で気炎を吐いた。ちなみに興奮のためか、その鋭利な爪が僅かなほど皮膚をえぐった。血管まで、あと数ミリほど。

「ちょっとちょっと、そんな誘導尋問は認められませんよ! っていうか、モリスンとかポーに比べてマイナーすぎて知ってる人のが少ないんじゃないですかね!」
「ノーベル文学賞の受賞者がマイナーなのは、あんたの頭ん中だけでしょ」

 二人は火花を散らしてソクラテス式ダイアローグを進めていく。
 美鈴に付いて行けるはずもなく、殆んど虚脱して厭世のスマイルを浮かべていた。
 確かに、小悪魔の言う通り、美鈴はモリスンを知らなかった。だが、実はポーのことも詳しくは知らず、『黒猫』や『大鴉』という小説を書いた人というくらいの認識でしかなかったのだ。

「あの、じゃあ、せめてモリスンさんとポーさんが、どのような小説をお書きになったかだけでも教えては頂けないでしょうか」と、美鈴は慎重に言葉を選びながら言上した。
「とりあえずモリスンは幼女が父親と姦淫して孕んで流産して発狂する話が処女作です」
「――何なのよ、その悪意に満ちた紹介は! ならポーはあれよ、謎めいた殺人犯が実はオランウータンだったっていう読者をバカにしきった話が有名よね!」
「あっ、あっ、そんなネタバレはあんまりじゃないですか!」

 そうして二人がまた喧嘩になりかけたところで、パチュリーが机をトントンとして水入りを促した。

「むっきゅ!」
「そうですとも」と、カメラ役の金髪メイドも厳粛に告げた。
「ちぇ、仕方ない」
「旧時代的ですよ、全く」

 かくして二人は、げんなりとした笑顔を浮かべている美鈴を間に挟んで抱擁し合った。
 小悪魔は美鈴の右頬に、フランもよじ登って美鈴の左頬に、それぞれのチークを乱暴なほど情熱的に密着させて宣言した。

「美しい顔!」

 この間、美鈴はひたすら空虚に仏様の像みたいな笑顔でいた。
 ただ何も考えていなかったわけでもなく、とかく五十四回の前提があるアメリカ文学の論議に交わるのであれば、もっと情報が必要であると、そんなことを思案した。

「あの、あなた」と、美鈴はカメラ役の金髪メイドを指差して言った。「あなたは誰が一番だと? まさか五十四回の間ずっと撮影だけして意見を言わなかったってこともないでしょう?」
「はあ、私ですか?」と、彼女は呑気に応じた。「多分いっちゃん普通ですよ。ベストがトウェインで、次点がヘミングウェイです。どっちが一番でも良いかなって差ですけど」
「なるほど……ではパチュリー様は?」
「むきゅうん」

 どうやら聞いて欲しかったようで、パチュリーはどこぞからかパネルを取り出した。
 そこには一位から十位まで作家の名前がズラズラっと並んでいるが、とりあえず彼女のランキングにおいては、一位がサリンジャー、二位はフィッツジェラルドであるらしい。

 美鈴は呻いた。もし仮に誰かと誰かの推し作家が被っていたならば、自分の推し作家もその人であるとして、この場を巧いこと丸め込んでしまおうと考えていたのだ。
 だが、こうまで好みがバラけてしまっている以上、もはや誰かの意見に追従することは却って危険であり、ならば美鈴は誰とも被らない作家を挙げる必要がある。
 かといって、美鈴は文学に詳しいわけでもない。なまじ名前を知っている程度の作家を挙げ、その理由を説明しろと促された場合、満足な答えを出せなければ周囲からの、特にこの両隣からの批難は免れないだろう。
 美鈴は、例えば漫画なら多少はかじっており、シュルツの名前を挙げることもできなくもないが、文学なのかと考えると疑問である。それよりも、もっと理由など不要とばかりの権威ある賞を受賞したような人物……。
 と、そこまで必死に頭を回転させて、漸く美鈴はとある人物を思いついた。
 世界最高峰の文学賞を受賞して、知名度も抜群、小説をあまり読まない美鈴でさえ彼の高名は知っている。となれば、一番好きと告げたところで、何の不思議もないだろう。

 ――と、このように吟味もせず権威や名声ゆえに自分の好みとして披露する。
 これを、まさしく、白痴というのだ。

「ディラン、ですかね」 美鈴は言葉運びにヘタなタメを作りつつ、ある程度の理論を構築した気分になって、さながら天国への扉をノックするような心地で告げた。

 だが、情景は色彩を変え、全ては移ろった。

「あ?」

 と、フランが鼻に引っかかるような明白な激怒の反応を示した瞬間に、美鈴の心を支えていた全ての自信は臆病風に吹かれて飛ばされた。走馬灯が瞼の裏に広がって、遠い日々の記憶がブルーにこんがらがって。
 もはや全ては転がる石コロ、美鈴は自分がとんでもない失態を犯したことを自覚した。

「嘘だよね、美鈴、え、嘘だよ、そんなこと美鈴は言わないもん。ねえ美鈴、嘘でしょ。冗談だよね、美鈴。そうでしょ、冗談よね。でも冗談でも、もう許さないから」
「同じロバート(ボブ)でも、せめてハインラインでしょ……」と、小悪魔が吐き捨てた。
「うわあ、放送事故だ」――なら撮影するのを止めれば良いが、無論そんな素振りはない。

 まるで原子の流動すら静止したような緊迫した雰囲気の中で、ふと舌打ちが聞こえた。そちらを見ればパチュリーだった。いかにも不機嫌そうにパネルを倒して、頬杖をつく。
 小悪魔はフランの爆発の巻き添えを食わぬように、殆んど美鈴を突き放すように離れ、そのまま拗ねてしまった図書館の主を揶揄する方面に主眼を移した。

「ねえねえ、パチュリー様、ディランの作品ってこの図書館にありますう?」
「むぎょ」パチュリーは、口にするのも嫌とばかりに否定した。
「え、一冊も? 一冊もないんですか? ノーベル文学賞なのに、一冊も? それって図書館の管理者として情けなくないですか? ねえねえ、今どんな気持ち? ハウ・ダズ・イット・フィール?×2」
「♪むうぎょ、むうぎょんぎょん」覆い被さる皮肉に堪え兼ね、パチュリーは思い切ったように歌い始めた。あろうことか投げやりな熱を込め、伴奏を手拍子でカバーしながら。

 すると小悪魔も手拍子を併せて、その調子外れなヤケッパチ・ソングに唱和した。金髪メイドも、カメラだけは回しつつ、歌声だけでそのハーモニーに加わった。
 ただし、その詳細な歌詞はここに書くことはできない。彼の作品は他の作家のそれと違い、そのタイトル以外を引用すると某仕事熱心な団体から叱られてしまう類いのものだからである。
 だが、これだけは言えよう。この図書館に存在しない文学などというものはない。

「♪むうぎょ、むうぎょんぎょん」

 ――彼女達は密かに練習していたのだ! その図書館の名誉を、気紛れなノーベル賞選考委員から護るために! この図書館に存在しない文学などというものは許されないのだ!
 紅魔館地下図書館は、今夏、ボブ・ディランを入荷しました!

 と、かくも愉快な日常を楽しむ連中の横で、明白な命の危機にある美鈴は過去の幸福な日々を思い返していた。妹君との楽しい日々だ。カードゲーム、言葉遊び、夜寝る際には絵本を読んでやったりもした。
 ……そう、絵本である。米文学についての討論に参加できるほどのフランに、絵本を。
 何たる白痴か、当初の美鈴は彼女が読書を好むことを知らなかったのだ。想定すらしていなかった。四九五年も地下の一室に幽閉されていた少女が、果して他に何をしていたと思ったのやら。

 だが幸運にも、フランはその子供扱いに抗わず、寧ろ絵本を読んでもらうという行為が新鮮だった御様子で、門番ふぜいの大根な朗読を目をキラキラさせて聞いてくれた。
 一応、今も目は輝いている。輝いてはいるがキラキラというよりギランギランである。

「私ね、すごくショック」と、フランが耳元にささやいた。「そんなバカなことを言い出すだなんてさ。もう顔も見たくもない、それこそ美鈴の顔を黒く塗っちゃいたいくらい」
「あ、いや、それはディランじゃなくて……ッ――痛っ」

 美鈴が何事かを弁明しようとした矢先、フランの鋭い牙が美鈴の首筋を噛んだ。
 思わず悲鳴を上げてしまったが、それは甘噛み程度の強さで痛みも幽かなものだった。とはいえ、少なくとも彼女は美鈴の弁解がましい態度が気に食わなかったらしい。
 こうなってしまっては美鈴はもう何も言えない。遠くから聞こえる『ライク・ア・ローリング・ストーン』が緩やかなレクイエムのイメージに変調しつつある。

「♪むうぎょ、むうぎょんぎょん」

 まさに、まさに今の状況が、ライク・ア・ローリング・ストーンだった。

 そんな美鈴の沈痛に、やがてフランも罪悪感を催されたのだろう、耳元でなければ聞こえないくらいの小声で堪忍の台詞を口にした。

「でも私、美鈴のこと大好きだし、本当は酷いことなんてしたくないよ……」 嘆息して、フランは続ける。「だからさ、一回だけは許したげる」
「――!」美鈴は救われたような気がした。三秒間だけ。
「それで?」と、ドスの効いた愛らしい声が躊躇なく問うた。「美鈴の推し作家は誰?」

 どうやらディランは無かったことになったらしい、失態の余韻は残ったままに。
 なので、美鈴は救われていないどころか、より悪い状況に追い詰められている。
 次、解答を間違えたならば、この少女は容赦せず癇癪のままに自分を破壊するだろう。

「♪むうぎょ、むうぎょんぎょん」

 遠くに聞こえる『ライク・ア・ローリング・ストーン』はラストスパートしていた。
 カメラ役すら歌に熱中している以上、誰かが助け舟をだしてくれるはずもない。

 とはいえ、仮にここでモリスンの名を出したとしても、フランは喜ばないだろう。
 寧ろ、なまじモリスンの名を出せば、美鈴の中ではディランの次の存在であるとして、悪い意味で彼の次点という印象を周囲に与えてしまい、儚くもイメージダウンとなる。
 モリスンという選択肢は、こうなってはミスチョイスなのだ。かといってポーを選べばフランの怒髪は天を衝くに違いなく、だとすれば別の作家の名前を出すしかない。

 美鈴は困窮して精神を揺蕩わせ、目を閉じた。瞼の裏では走馬灯が尚も続いていた。
 その幻影のビジョンで、美鈴はフランに『オズの魔法使い』を読んでやっていた。あの絵本は幾度となく請われて読んだもの、と――追憶そこに至り、漸くにして思い出した。
 その絵本の原作者もまたアメリカ人だったではないか。
 美鈴は閃きの衝動に目を開いた。窮した目に映っていたブルーな世界などどこへやら、図書館には鮮やかな色彩が蘇っていた。さながら翠玉の都で色眼鏡を外した時のように。
 そのままフランを見る。彼女の目の強烈な赫灼がブルーの余韻すら消してくれた。そうしたら嬉しくなって、睨まれているというのに、やっと美鈴は微笑むことができたのだ。

「今」と、美鈴は切り出す。「妹様に絵本を読んでとせがまれたことを思い出しました」
「――何よ、いきなり」
「何度もせがまれて、何度も読みました」訝しむフランをよそに、美鈴は言葉を続けた。「やがて妹様はその絵本に書かれた靴が欲しいと、私に仰りました。――覚えてます?」
「まあ、ね……これのことよね」

 フランが指差したのは、その足に履かれた真紅色のストラップシューズだ。幻想郷では珍しくラメの入ったもので、見る角度によって小さな光がチラチラと瞬いている。
 鴉天狗の取材の頃から、彼女が履くようになった靴といえば分かりやすいだろうか。
 これは前述の通り、フランにねだられた美鈴が贈呈した短靴であった。作中に登場する魔法の靴を模したものだ。原作では銀だが絵本では映画に準じたルビーの色をしていた。

「その靴は魔法の靴でも何でもありません。私が人里に行き、妹様の足のサイズを伝えて履物屋に仕立てさせた、ただの真赤な革靴です。絵本の中のルビーの靴のように踵を三度鳴らしても何も起こりません」
「分かってるよ」フランは嘆息した。「ってか、あの時だってそんな無邪気に頼んだわけじゃなくて、無理は承知の上で、ちょっと美鈴を困らせてやろうとしただけだったのに」
「それでも私は、大抵の願い事なら私が叶えてみせると、そう意気込んでいたのです」

 当時のことを思い出しながら話しているために、それを語る口調は、どこかポツポツとした抑揚となった。胸内を積み重ねて行くような、或いは心の澱みを掬って行くような。
 フランは、もう黙り込んで、美鈴の言葉を聞いていた。

「途中まではお菓子や玩具だったので、私でも御用意することがかないました。けれども妹様が最後に望まれた願い事は『外に出たい』というシビアなものでした。御嬢様に直訴などもしましたが御了承は頂けず、しかしコッソリと連れ出すなどという勇気もなく……結局、私は妹様の前で泣いて許しを請うことしかできませんでした。今でもその時のことを思うと、自分の無力さが胸を疼かせます。――覚えて、いらっしゃいますか」
「……覚えてるよ、当たり前じゃん。美鈴が泣いちゃうなんて思わなくて、こんな無茶を押し付けるみたいなことしなければ良かったって、本当に後悔したんだから」
「私にとっても生来の臆病を露呈させた以上、あまり誇るべき記憶ではありません」

 美鈴は淡い微笑を浮かべていた。到底、哀しそうな表情で口上すべき話ではなかったからだ。
 フランの瞳は赫灼を保ちつつ、ノスタルジアの色彩の薄膜を張っていた。

「ですが、その赤い靴をお履きになってから最後の願いを成さるまでの、その間、妹様はドロシーだったでしょう。そうして今でも私にとって、貴女は、ドロシーなのです」
「ふん……」
「私にとって『オズの魔法使い』は、僭越ながら妹様を投影してしまう特別な物語です。この物語を、どうして愛さずにいられましょうか」

 そうして遂に美鈴は、自分の主観にのみ則った、白痴ならざる結論を出した。

「ゆえに私はボームの名を挙げさせて頂きます。これに妹様が御不興であったとしても、私は喜んで批判を受けましょう。その投影がため、私にとってその物語は崇高なのです」

 阿呆な唱歌は既に終了していた。酸欠に成りかけているらしいパチュリーは携帯型酸素吸入器を顔に押し当てて、しかしそれでも肩で息をしているといったありさまであった。
 歌うことは、喘息の患者にとって、どうしても負担の大きなものとなってしまうのだ。

「むぎゃん」パチュリーが呻いた。
「初めからその線でやっとけやボケェ、とパチュリー様がハマダみたいにキレてますが」
「わざわざ翻訳して下さらなくても聞こえてますから」美鈴はそちらへ慇懃に告げた。

 その一方で、フランは目を細めた不服げな表情で、その幼けな口元を尖らせていた。
 美鈴としても、彼女を理由付けのダシに使ったのは確かであり、そういう意味での憤懣を浴びせられるかもしれないと、そういう覚悟はあった。
 さりながら彼女の最終的な結論はその唇が首筋にフワリとすることで明らかとなった。先程にフランが噛んだ傷口へ、上唇があてがわれる。どうも謝意を示したつもりらしい。

「ごめんね、美鈴」モゴモゴと、フランが言った。「好みを押し付けるようなことして」
「いえ、私も要らぬ強情を張ってしまって……」美鈴はディランを無かったことにした。
「良いのよ。それに私もね、私も、あの臆病なライオンが好きよ。本当に、大好きなの」

 どこか健気に、弁解するというよりも告白するように、フランが言った。
 美鈴は優しく頷いて、そんなにもライオンが好きなのだなあと、単純に考えていた。

「ハイハイ皆さん、宴もたけのこではございますが、見届け役のパチュリー様がショート寸前なので、そろそろ終わりにしますよ」

 今になって司会者めいたことを言って、小悪魔が手をポンポンとさせながら告げた。
 それに応じて、カメラ役の金髪メイドが音頭を取る。

「それでは、皆さん御一緒に――美しい顔で、ヨ・ロ・シ・ク!!」

 途端に、フランはおしゃまな表情をして美鈴の肩を抱きしめ、小悪魔はぐったりしてるパチュリーの顎下に手を回して顔をもたげさせ、カメラ役もダイスケ・ミウラの自撮りがごとくフレーム・インした。

「以上をもって、第五十五回読書討論会を終了とします!」

 かくして議論は今回もまたアポリアに収束したのであった。

「でも、結局、なんだこれ」と、決して口には出さなかったが、美鈴は内心そう思った。

 そうして諸君、これは、私もまたそう思うのです。なんだこれ。



 あのメイドはどこだ、と美鈴が足早に探していたのは何故だろうか。
 普段は愉快な性格が目立つだけの彼女に、今日に限って不思議と違和が積もる。あまつさえ、そんな彼女を探そうとする美鈴は、殆んど自覚のない衝動に突き動かされていた。
 謂わば無月の闇を掻き分けるがごとき迷妄である。直感に導かれ、地下の廊下を進む。

 そうしてメイドは、やはりと言うか、薄々と感じていたまさにその通りの場所に居た。
 即ち、フランの部屋の前である。彼女は淑女然として扉を背に佇んでいた。

「……そこに」と、美鈴は会話もそこそこに問うた。「妹様が居ますね?」
「はい、居ます」メイドは顔一杯に笑っていた。「時に、先程の妹様の点数は?」
「――妹様に評点を付けるなど畏れ多いことです。どきなさい、そこを!」
「あーれー」

 気の抜けた悲鳴をあげるメイドを柄にもなく乱暴に押し退け、フランの部屋に入った。
 先程まで掃除されていたこともあってか、いつもと内装は変わらないが、どことなく整えられている印象だった。天蓋ベッド、本棚、幾らかの生活家具に、山積した人形など。
 だがフランの姿がない。視線をくるりと回すも、目の見える範囲には見当たらない。

「妹様?」美鈴は呼びかけた。「美鈴が参りましたよ、妹様」

 過去にもフランは、気分が愉快でない時になど、自分を探して貰いたいという理由で、このようにして隠れてしまうことが――「ちょっとちょっと」――何かね、卑賎なメイドよ。私に妄りに話しかけてはいけないよ。

「あんた、詰まんないです。もっとなんか工夫しないとダメです」
「な、え? ……それはまさか私に言っているの?」

 何を言うかと思ったら、何を言ってるんだろうか、このメイドは。

「もっと、最近の流行りを勉強しないとダメですよ。地の文とかナレーターは奥が深いんですから」
「……? 貴女、さっきから何を言ってるの? というか、いつまでそこに居るつもり?」

 最近の流行りを無視しているわけではないが、私はそこいらの事情については不得手なのだ。
 とはいえ確かにコメディ方向の欠落は私も気になっていた。私には彼ほどのユーモアがない。

「でもあんただってユーモアやって愉快っぽくしないとダメですよ。まあ、もう一人の彼はピエロを演じ過ぎて、遂にはレミリア様を怒らせて追放されちゃったんですけどね」
「……笑顔を絶やさないようにしているつもりよ、私は。もう一人の彼というのが誰かは知らないけど、それより私が貴女を追い出さないうちに部屋から出ていきなさい」
「あ、そんな怒んないで下さい、美鈴さん。妹様はぬいぐるみに埋まってるんですよ」
「え?」

 無機質に物語を進行させることは簡単だが、それで読者を退屈させては良くない。
 それに、ああも煽られた以上はやらねばなるまい。
 最近のナレーションのトレンドであるらしい川平慈英をマネてみよう。

「出てったけど……何なの、あの子? いつもは少しおかしいくらいだけど、今日は凄くおかしい――まあ、良いか。それより、妹様、妹様、どこにいらっしゃるのですか?」

 ――負けられない戦いが、そこにはある。夏の暑さに手の汗にぎる地下の戦場、今宵の挑戦者は、そうっ、鉄壁のゲートキーパー、ホン・メイ・リン! クゥーゥ!

「ぬいぐるみに埋まってるって、そんなわけないじゃない」

 さあっ、美鈴、前に出て、フランを探す! 探すッ! 探すぅッッ!

「ベッドの下とか?」

 あーっと、そこは誰もいない! スペースの解釈を誤ったかぁ!

「絨毯の下とか?」

 あーっと、そこにも誰もいないッ! 見当違いな方向に向かうッ、メイ・リンッ!

「……本棚の裏とか?」

 あーっと、これはいけない! 味方のパスを重ねてスルー! ラモスが怒っています!(捏造)
 先程の指示が聞こえていなかったんでしょうか、どうしたんだ、ホン・メイ・リン!

「もしかして本当にぬいぐるみの下?」

 さあ、美鈴ッ、やっとぬいぐるみの山へ近付いて、呼びかけるぅ!

「妹様?」

 そ・の・と・きィ! そう、その時、上の方のぬいぐるみが揺れて揺れてポロリ!
 そうして崩れた合間から表れたのはッ! そう、フランドォォォォォルッ! ホワッタ・キュート・シーイズ!

「妹様、このような場所で、何を?」
「……あのね、美鈴。私ね、雌獅子なのよ。すっごく強いメスのライオンなの」

 むむッ、これはまさかのメ・ジ・シ! クゥーゥ!

「でもね、私が雌獅子だって言っても誰も怖がらないの。それどころかほっぺたとか撫でてくるのよ。だからね、もしかしたら私ってぬいぐるみの雌獅子なのかもしれないって、そう思ったの。だからここに居るのよ」
「雌獅子……ええと、でも、ぬいぐるみの下に埋まっていては息が詰まりますよ」
「みんな私だもの、この子達は。誰かが息すれば私の肺にも届くよ、きっと」

 しかしぬいぐるみは誰も息をしていなああい! フラン、絶賛、絶息中ッ!

「とにかく妹様、こちらのベッドでお話しましょう。ベッドはふかふかですよ」
「嫌よ、ここに居るの。みんなが私をちゃんと雌獅子として扱ってくれない限りね」

 おっと、一触即発の目、目ッ、ン目ッ。フランが美鈴を睨みつけているぅ。

「なら、私が隣りに座っても宜しいですか?」
「……うん、良いよ」

 良いんですか? 良いんです!
 メイ・リン、起死回生の一言! フランが隣りの人形を押し退けています。

「全部どかせないや、ここ踏ん付けちゃって」
「いえ、みんな妹様の大切なお友達でしょうから」
「良いよ、美鈴のが大事だから」

 ぬいぐるみにまで敬意を払うメイ・リン、その気遣いはまるで幻想郷のデル・ピエロ!
 それにしても、フランドォル、みんな私だという台詞はどこへ行ってしまったんだッ!

「それで、その、雌獅子についてですが……」美鈴からフランへのパス。
「今日の美鈴、何だか甘ったるい匂いがするね」しかしフラン、これをスルー。
「さっきまで厨房に居たものですから。そうだ、お腹空いていませんか? お腹が温かくなれば、きっと気分も良くなりますよ」
「子供扱いしないで。私は雌獅子なのよ」

 むむッ、これはまさかのメ・ジ・シ、リピートゥ! クゥーゥ!
 訳の分からない展開ッ、苦悩ゥ、葛藤ゥー、これはぁ、そんな物語ィ!

「……こんなにも可愛らしいライオンがいらっしゃったら、愛おしく思わずにはいられませんよ。誰かは存じませんが、その御方も、ぬいぐるみ扱いしたつもりは無かったのではないでしょうか」
「ふうん、そうかしら……じゃあ、美鈴は私のこと雌獅子として扱ってくれる?」
「ええ、もちろんです。ただ、その、雌獅子として扱う方法が私には分かりませんが」
「んふふ、そんなに難しくないのよ」

 辛うじての話題の維持、暗雲たちこめ視界は不良、袋小路、迷路ォ、ドルォヌマァ――それでも進む、メイ・リン! 理解は要らぬ、ただ望みを求めよぉ!

「雌獅子にはね、ライオンが必要なのよ」うっとりッ、フラン、ドリィムッ!
「ラ、ライオン……ですか?」

 メイ・リン、困惑、動揺、白昼夢ッ……! 思わず空想ッ、ライオンに食べられる自分の姿ッ!

「それって、その、本物を連れて来いって意味じゃないですよね?」
「え? ああ、もちろん違うよ。雌獅子に相応しいライオンにね、ここに居て欲しいの」
「ははあ……」

 ここにきて、美鈴、漸く閃く。フランが欲するのはライオンの『役(ルォォル)』。
 だがぁ、メイ・リン、意外にもここまでスルー。気付かない、まさに、白痴ィ!
 そうして更なる言葉が首根を逼塞して、やっと気付くッ! 飛躍した論理、絡みついた拘束、地底の泥濘への圧倒的ないざないにッ!

「ほら、だって、美鈴は臆病なライオンでしょ」
「――え?! ……私が、ライオンなのですか?」

 まさしく不慮、呆気、青天の霹靂ッ!
 傍らには甘え縋る雌獅子ッ、ガオ、ミャオ、ミャアァオ!

「だって美鈴、前に泣きながら行ってたじゃない。私は臆病なライオンですって。臆病なライオンだから、私をここから出してあげることもできないって。でも、それならそれで良いよ。ずっとここで一緒だよ、美鈴」
「あっ、それは……そういえばそんなことも口にしたような……」

 そうッ、さっきまでのはコレの前振り、前座ァ! なんだこれなんて言わせないッ!
 叶えられなかった願い事ッ! それを宥める方便に使った比喩が、今ァ、メイ・リンを突き落とすッ! 墓穴に次ぐ墓穴ッ、連鎖ッ、その場しのぎで穴二つッ! クゥーゥ!

「あの、仮に私が臆病なライオンだとすれば、妹様はドロシーでして――」
「ああ……なんだか、そんなことも言ってたかも。でも私は雌獅子になることにしたの。だからドロシーじゃなくて良いや。私は勇敢な雌獅子として臆病なライオンのこと護ったげるんだよ」

 雌獅子の、ライオンに擦り寄る小悪魔的所業ッ! ライオンは困惑ッ、圧倒的困惑ッ!

「それは、でも、本来ならば私が貴女をお護りせねばならないのに」
「ライオンはね、メスのが強いからそれで良いんだよ。餌とかもメスが取るらしいよ」
「わ、私も――」

 メイ・リン、フランのドリィムに辛うじて言葉を飲み込む、実は自分もメスゥ!
 身長ッ、振舞ッ、佇まいッ、諸々のファクタゆえに勘違いされがちな、メイ・リンッ、実はストレィトォォォッ!

 だがぁ、美鈴は逆らえないッ! フランのスカーレット色な、目、目ッ、ン目ッ!
 輝いている、その視線は鋭利ッ、空ゥ前絶後の圧迫感ッ! まるで剣舞での圧倒ゥーッ、キンキン、キンキンッ、キンッキンッに迫って来やがる! クゥーゥ!

「あの、その、でも、ここには危険はありませんよ。安全です」
「ダメだよ、美鈴。ここも危険なんだからね、大人しくなさい」

 そうして入り込む、フランが、美鈴の懐にッ!
 これでもかというほど密着したマンツーマンッ、激しいマンマークッ、笛は鳴らないッ! ラモスが怒っています!(二度目)

「嘘じゃないよ。ここには美鈴を独り占めにしようとする悪いヤツがいるんだからね」
「……なるほど」

 咄嗟に頭に浮かぶフランの仮想敵ッ、メイド長ッ!
 と・こ・ろ・がぁ――お肌のヒリ付く予兆ッ、そちらを見やれば圧巻ッ、豪奢な寝台の天蓋ッ、暗く澱んだ物陰から何者かが顔を出しているッ!
 意外ッ、それはもうひとりのフラン! 分身ッ、別物ッ、異端ッ!
 これにはメイ・リン、動揺ッ、慌てて交互に見るッ、こちらにフランッ、あちらにフランッ、ダブルでフランッ、ダブ・フラァッ!

「ほら、あれよ。あいつが悪いヤツなの」
「あれは……? いや、でも、あのかたも妹様ではありませんか。フォー・オブ・ア・カインドでしょう?」
「まあね、厳密に言えば私なんだけど、あいつは私が自分の嫌いなところを追い出した、その結果としてのフランなの。余計モノよ。凄く残酷で、美鈴にまで乱暴するの」

 そのキュゥトな体で美鈴を庇い、もうひとりのフランを睨むフランッ!
 一方、もうひとりのフランは無言ッ、沈黙ッ、微笑ッ!

 ここで美鈴、悪魔的な発想ッ! 理解ッ、この状況への経緯ッ!
 すなわち耐えきれなかったのだ、フランはッ! 自分が美鈴を傷害した、その撞着にッ!
 ゆえに分身ッ、分裂ッ! 作り出したのだッ、その全ての責任を押し付けた生贄をォ!

「嫌いなところを追い出したって、そんな、そんな残酷な――」
「仕方ないんだよ、美鈴」

 むむッ! そう言ったのは、天蓋の上で足をブラァンブラァンのフラァンドォル、その目は平静を装うも奥底に澱むのは諦めッ、諦観ッ!

「そうしないと正気が保てないくらい、あのことをみんな後悔しているんだ。愛されてるんだよ、美鈴は。んで、心の始末を付けるためにはさ、私みたいな捨石役も必要なんだと思う。だから、それで良いんだよ」

 切々ッ、滔々ッ、微塵の曇りもない口上ッ、それでもッ、まさしく狂気ッ! 良いんですか? 良いんです!
 刷り込まれた己の運命が辿る悲劇こそはッ、虚無への確信された階段なのだッ!

「すると、その、貴女が悪役を担当すると?」
「役じゃないよ、美鈴。私、悪者なの。じゃなくちゃ、他のフランが困っちゃうでしょ」
「そんなのおかしいです。私にとってはみんな大切ないも――」

 ふッと、その瞬間ッ、発動ッ、美鈴の気を使う程度の能力ッ!
 目に見える凶気ッ、天蓋から投げつけられるッ、デモニッシュなパワーの結晶ッ!

「あれは……妹様の能力?」

 思わず独言ッ、向けられるのは初めてッ、フランの悪意ッ!
 小さな小さな、どす黒い球体ッ! 当たれば粉砕ッ、玉砕ッ、明確な死ッ!
 慌てて庇うッ! 遮蔽ッ、肉盾ッ、懐の妹様ッ!
 ところが――想定外ッ、同じ球体がフランの掌中にッ!
 投げるフランッ、ぶつかり合う球体ッ、破裂ッ、閃光ッ、相殺ッ、消滅ッ! クゥーゥ!

「あらま、失敗しちゃった」
「やらせないわよ、この雌獅子の目が紅いうちはね!」

 茶番ッ、圧倒的茶番ッ!
 ヘタな悪玉ッ、滑稽な善玉ッ、滲んだ虚構ッ、浮き上がった譎詐ッ!
 もはや明白な演技ッ、大して悔しそうでない妹様と作為的な台詞の妹様ッ、大根ッ!
 即ち互いの立場ッ、善と悪を印象付けッ、それだけッ、そのためだけの小芝居ッ……!

 なのに美鈴、ツッコミなど忘却ッ! その顔はなぜか迫真ッ、感動の潮ッ!

「妹様……こんなに、こんなにも御上手に操れるようになったのですか……?」

 茫然自失ッ、メイ・リンッ、呼びかけるッ、二人のフランにッ!
 その能力は一見して単純ッ、しかし能力の固化・力の縮小・破の含有・コントロール、これまでの粗暴さと雲泥ッ、もはや卓越ッ、全てがッ!

「これなら、もう、自由自在ではありませんか、妹様……!」
「褒めてくれてありがとう。練習したんだよ、美鈴」

 その呟きの声の元ッ、見やればッ、そこには微笑みがッ!

「ほら、格言にもあるでしょう、ケーゾクは力なりだっけ?」
「でもこれで終わりだよ」懐のフランッ! その手にはコイン一個ほどの球体ッ!
「そうそ。私がコンティニュー、できないのさ」

 否ッ、するつもりもないのだッ! このフランはッ! 終えたッ、その役割をッ!
 悪意の呈示ッ、責任の形代ッ、憎悪のデコイッ、後は滅されてお役御免ッ!
 そうッ、今にもフランが投げつければ! その、破壊の球ァ!

 だ・がッ! 制止しないはずもないッ、美鈴ッ! フランを押し止めるッ!
 もちろん単純な力勝負では完敗ッ、無力ッ、ゆえにくすぐるッ、その腋窩ッ!

「うひゃあ――」

 フラン、半ば喜悦の悲鳴ッ、脱力ッ、破壊の球はスッテンコロッ、床に転がる有象無象のぬいぐるみを破壊ッ! だが見向きもしないッ、それで良いのかフランドォルッ!

「妹様っ、お逃げ下さい。貴女もまた私にとって大切な妹様です!」
「ダメだよう、美鈴。あいつを破壊して、そこでやっとメデタシなのに」

 しかしメデタシとはフランの死ッ、見過ごせるはずもなくッ、美鈴、必死ッ、蛮勇ッ! もみあい、へしあい、なんとかフランを御する!
 一方で、もうひとりのフランは御満悦の表情ッ! 顔一杯の笑みッ! 喜悦ッ、至福ッ!
 その口はまるで三日月、悪魔的な笑みッ……!

「ありがと、美鈴。優しい美鈴なら、私がどんなに悪者でも庇ってくれるって信じてた。今ね、私、凄く良い気分よ。美鈴に護られてるって骨の髄まで感じるの」

 どこか達観ッ、この窮地が他人事ッ、ただその無上の高揚は紅き瞳にまざまざとッ!

「本当は私ね、こうやって美鈴に庇われる気持ちを味わってみたかったから悪者に立候補したんだ。私って多分フランの中で一番嫉妬深くて、あの時、気が狂っちゃいそうなくらい咲夜が羨ましかったんだよ」
「妹様っ……!」
「もう、これでもう思い残すことはないよ。ありがとう、美鈴。……さようなら」

 そう言うや否やッ、飛び去るフランッ! 逃走ッ、扉バァンからの室外へッ!
 不審ッ、違和感ッ、さよならの言葉ッ、その様子から漂う絶望の芳香ッ!

 慌ててそれを追うッ、がッ、ダメッ! 疼痛ッ、痺れに似た激痛ッ、左足の感覚の消失ッ! 次いで右足ッ、奇妙にも出血はないがバランスの欠如ッ、美鈴はスッテンコロッ、ぬいぐるみにうずまるッ!
 胸のざわめきッ、喪失感よりも夥しい焦燥感ッ! 気付けば消失ッ、両膝の先ッ!
 背後を見やれば哀しそうな顔ッ、フランッ、泣きべそッ! 悪魔的ッ、泣きべそッ!

「……大変、美鈴の足が破壊されちゃったわ。あいつの仕業よ」
「い、妹様?」 当然そんなはずはないッ、美鈴は見ていたッ、あのフランを一筋にッ! つまり失念ッ、このフランへの注意ッ!
「あいつがやったのよ。全部あいつがやったの」

 むむッ! よもや計画再開ッ、続行と進行ッ、まさに予定調和ッ! クゥーゥ!
 仕組まれていたのだッ、初めから全てがッ! この状況ッ、美鈴はもう動けなァい!

「可哀想な美鈴、ベッドに運んであげるね」

 抱きかかえられる美鈴、まるで囚われた獲物ッ、戦慄ッ、予感ッ、この後の展開ッ!
 転がされる美鈴ッ、密着して寝転ぶフランッ! ぬるぬるとした添寝ッ! だが、とどのつまり実行犯ッ、このフランッ、美鈴を捕囚に!
 それでもめげず、美鈴は肘で上体を支えて姿勢を正すッ、さながらピラミッドの守護者たるエジプシャン・ライオンのようにッ!

「妹様……咲夜さんを、咲夜さんを呼んで頂けませんか――?」
「まあ美鈴ったら、お腹が空いちゃったのね? 大丈夫、もうすぐ来るからね」

 会話のつながらぬ狂気ッ、まるで壁ッ、壁に話すような徒労感ッ! その上で、もうすぐ来るとの断定的予言、貼り付いたように動かないフラン、この両者の符号が意味するものは一つ!

「パンケーキ・パーティー! イエーイ!」

 扉が開くや弾む歓声ッ、はしゃぎ声ッ! 漂う甘い芳香ッ、小麦と卵と蜂蜜ッ!
 入室するッ、厨房帰りのフランッ! そうして後に続くッ、厨房帰りの咲夜がッ!

「咲夜さん!」

 パンケーキを大量に乗せた大皿を携えたフランをよそに、美鈴、咲夜を呼ぶッ!
 しかし咲夜は無反応ッ、足を失った美鈴に驚きもせずテーブルに並べるッ、小皿や調味料ッ、お飲み物ッ、ほかいろいろッ、おゆはんの準備ッ!

「咲夜さんっ!」

 美鈴、尚も咲夜を呼ぶッ! がッ、しかし咲夜ッ、仄かな笑みッ、目配せッ、生ぬるい目ッ!
 ここで美鈴ッ、漸くッ、漸く納得ッ! そんな現実を信じたくないとッ、その気持ちッ、やっと消化ッ! 理解ッ、苦々しい真実ッ!
 暗澹ッ、絶望ッ、この計画ッ、咲夜もグルッ!

「あれれ、美鈴の足が無い。誰がこんなことしたの?」
「あいつがしたのよ。全部あいつのせいよ」
「ひどおい。ねえ咲夜、美鈴、治るよね?」
「ええ、八意先生のお薬がありますから大丈夫ですよ」

 繰り広げられる穏やかな談合ッ、美鈴は沈黙ッ! もはや言葉も無くッ……!

「私ね、治るまで美鈴のお世話をしたげるの。雌獅子だからライオンに尽くしたげるの」
「私だって雌獅子だもの。もちろん手伝うよ」
「うふふ、妹様は空想がお好きなのですね」

 勝手な会話ッ、美鈴に主権などあるはずもなく進行ッ、全てがッ!
 だが憐れにもッ、この期ですら生じない反抗心ッ! 情けないッ、弱者ゆえの諦観ッ!
 挙句には心の中で自分を説得ッ、この凶行は全て自分への愛ッ、それゆえの暴走ッ、だから仕方ないッ!
 ダメッ! その考えかたがダメッ、白痴の所感ッ、臆病者の納得ッ! 
 築き上げた友好・親密の崩壊ッ、それを怖れるあまりの辛抱ッ、忍耐ッ、今や白痴ッ!
 惰弱ッ、クズッ、ゴミッ、壊せばまた築き直せるのにッ!

「けれど空想やイメージ・トレーニングで済ませてはいけないこともありますよ、妹様」
「なあに、それ」
「相手を愛する方法ですわ。こればかりは、なおざりにして耳学問だけでことを運ぼうとすると、どうしても相手を傷付けてしまう可能性があるのです。お嫌でしょう、つたない失敗のせいで美鈴を傷つけてしまっては」

 そう言うや、メイド長の手ッ、艶かしくも撫でるッ、美鈴の背筋ッ!

「まあね、雌獅子がライオンとそういうことするのは確定的に明らかだものね」
「無茶なことして美鈴を傷付けたら、あいつと同じになっちゃう」
「咲夜めは、美鈴のことならば隅々まで承知しております。非才なれどお見苦しくはならないかと」
「でも、パンケーキはどうするの? せっかく作ったのに、冷めちゃうよ」

 不満ッ、厨房のフランッ、だが懸念を感ずるべきはそこではないッ、圧倒的ズレッ!
 本来なら尊重されるべき美鈴の意思ッ、誰も聞かないッ、問わないッ、話題にしないッ!
 そうこうしているうちに、元から地下室にいたフランッ、提案ッ、自分のアイディア!

「じゃあ、こういうのはどうかしら。私達がパンケーキを食べてる間、咲夜にはベッドで実践してもらうの。そうすれば、ちゃんと学べるよ」
「まあ、それなら良いか。でも咲夜、見世物みたいになっちゃうけど、大丈夫?」
「あらあら、妹様ったら。この咲夜めは美鈴とであれば何も問題ありませんわ」

 この会話ッ、自分の価値を知る美少女特有の会話ッ、相手の事情を一ミリも考えていない、美少女ゆえの傲慢ッ!
 自分が相手である以上は相手が喜ばぬはずはないと、誤ってはいないが間違っている、その高飛車な思考ッ、選民思想ッ、だが誰も指摘してこなかったッ、その無知蒙昧ッ!

 なのにッ、尚も沈黙ッ、美鈴ッ、もはや名実共にスフィンクス像ッ!
 まさに美鈴のための形容ッ、臆病なライオンッ!
 勇気ッ、臆病なるライオンが思い願ったものッ、勇敢なる心ッ!
 こうはならなかったのだッ、仮に美鈴がそれを持っていたならばッ!
 即ち、それこそはライオネスト・ハートッ! 最もライオンらしい心ッ!

 かくして咲夜ッ、とうとう美鈴の服を――「ちょっとちょっと」――扉の物陰よりメイドッ、ヒソヒソ話ッ! こちらにッ、地の文にッ!

「ここに居ても仕方ないです。それより、あっちのフラン様を追うんですよ。どうせ、この方々はもうパーリー・ナイトするだけですから」

 おっと、まあ、そうだね、そうだろうとも。では、いざ行かんッ、彼女の元へッ!
 以上ッ、ナレーションッ、幻想郷の川平慈英こと紅魔館がお送りしましたッ!

「あれ、ここでバラしちゃって良いんですか?」

 え? あっ……その……えっと……

「ノーカン、ノーカン」

 ノ、ノーカン、ノーカン、私の正体は未確定ィ――

「ううん。ちょっとオチが苦しくないですか?」

 ……そう思ったなら流すべきではなかろうかね、卑賤なメイドよ。



 本当に出ていくのかい?

「そうよ、出てくの。このままじゃあ、私以外のフランまで『あんたの声』が聞こえるようになっちゃうからね」
「出てってどうするんですか?」
「朝を待って、太陽に愛の告白をするのよ」

 それが正しいことだとは思わないな。『She got married the sun shine and then there were none』ってことだろう?

「正確に言うと『She died by the sun shine and then there were none』ですね」
「『sun shine』ってどういう意味かしら。太陽で死ねってことかしら」
「そういう下らない言葉遊びは好きですけどね。漫画じゃあるまいし、死ねば助かるなんてことはなくて、死ねばそこでオシマイで、全て散逸するってことは理解しといたほうが良いですよ」

 ……なあフラン、まだ間に合う。もしも君が生存の意思を欠片でも持っているのなら、もっと深い地下の空き部屋に潜むと良い。沢山あるんだ、誰にも気付かれやしないさ。
 食事だとかはこのメイドと私で何とかする。
 フラン、考え直さないか。美鈴への不慮の事故に、踏ん切りが付けられない君の気持ちは分かる。でも、その心の始末を付けるために、分身とはいえ自棄になるのは良くないよ。

「そうですよ、妹様」
「ありがとう。あんた達がそうやって制止してくれるおかげで、御姉様が私を地下に閉じ込めた理由が少しだけ分かった気がする。あいつも、私にとにかく生きていて欲しかったんだろうなって、そう思うよ」

 それこそ愛だ。どんなに薄かろうと、平たかろうと、そこには確固たる愛の意思がある。
 翻って見れば、君が生きている事自体が、四九五年も積み重なった姉君の愛情なんだ。君の能力が普遍に持つ邪悪から、他ならない君自身の正気を、時には瞋恚を煽ってさえ、どうにかこうにか保護して来たんじゃないか。
 なのに君は、そうまで理解しながら、レミリアの元から去って行こうと言うのかい。

「別に、その理解があいつへの認識を大幅に変えるってもんでもないからね」
「ううん、そこは見解の相違ですね。その気付きだけで随分と違ってくる気がするんですが……あれ、御嬢様って今どこですか?」

 天狗の山にマヌカンをしに行っていると思ったな。
 しかしこの顛末を、運命を見通すレミリアが知らぬはずはないのだが、あの子は何を考えているんだろうか。私にはさっぱり分からない。フランが出ていってしまうんだぞ。

「居ても変わんないよ」
「まあそれはそうでしょうね。寧ろ悪化する可能性もありますから居なくて正解ですよ」

 そうだろうか。だとしても、こればかりはあんまり冷たいじゃないか。
 今の状況は彼女が定めた運命であるはずだろう。
 なら、ただの分身とはいえ、レミリアはこの妹を見捨てることにしたってことだ。どんな思考回路が働いたのか分からないが、正直、私はそこに失望を覚えているよ。
 初めてだ、彼女に失望するのは、これが始めてなんだ。それくらい大きな失望だよ。

「初めてなら大きさは関係ないのでは……まあ、それはとにかく、妹様。もう制止しても無駄でしょうから口酸っぱくは申しません。力ずくで止めようたって無理ですからね」

 そうだ、私達は無力だ。君に対して、もう何もできやしない。
 ただ君が飛んだり跳ねたりする姿を眺めて心を楽しませ、君が悲しむ姿に焦燥して心から御加護を祈る。それくらいのことしかできないんだ、実力的にも、その立場的にもね。

「ただ、一つ。たった一つだけ、このメイドの頼み事を聞いて下さいませんか?」
「なあに」
「この湖に、一人、キチガイがいます。そいつを妹様の力で掃除して来て欲しいのです」
「……んん?」

 ……なんだって? こんな終盤に何を言い出しやがるのか、このメイド。

「良いじゃないですか、ここからはどうせ死出の旅、後は野となれ山となれ。もう幻想郷のルールに縛られる必要もない。相手は生きるだけで咎のような男です、妹様の手で冥府に送ってやって下さい」

 もしかしてというか、なんというか、それって君の御家族ではなかろうか。
 不仲であることは知っているが、まさかそんなことを言い出すほどとは思わなかった。

「……どこに居るって?」
「湖畔の、人里に少し近い場所です。小屋がありますから、その中に居ます」
「別に構わないけどさ。太陽が出るまでの間に見つかればね」
「見つかりますとも。あいつは幻想郷中のヘイトを引き寄せることが得意ですから」

 よしなさいって、妙なところで兄妹喧嘩を持ち出すのは。
 そもそも、どうしてフランに罪を教唆するようなことを言うんだ。

「いやあ、でも、何か変わるかもしれないじゃないですか。あんなんでも、倒せば」
「……ふうん。あんたが何を考えてるかイマイチ分かんないけど、良いよ、ノッたげる。今すぐ、そいつを破壊してきたげるよ」

 ――! フラン、フラン、ああ、行ってしまった。
 月光に照らされた鮮紅の影は美しい、なのに、この晴れ姿は今宵が最初で最後なのだ。何と哀しいことだろうか。こんな結末は悲劇だ、トラジェディだ。
 滑稽でも良い、爆発しても良い、私は悲劇の舞台にだけは成りたくなかったのに――!

「まあそう言わないで。後は、あいつが何とかするんですよ。たぶん」

 ――それだけではないよ。情けなくも、私は、どうしても恥を感ぜずにはいられない。

「……恥ですか。妹様が?」

 いいや、ああも小さな少女を容受しておけなかった、この図体ばかり大きな古びた屋敷の無力さが恥だということさ。
 まったく恥ずかしい、私はあの子を護りきれなかったのだ。

「それは見方を変えるべきです。どんな子供も、一度は家を出ないと成長しないですよ」

 しかし、帰路の予定が分からない旅路になど、誰が安んじて送り出せようものか。
 私は、仮にあの子が狂気に囚われて何もかもを破壊するとしても、或いはこの私自身を破壊してしまうことになろうとも、その最期の瞬間まで彼女達と一緒でありたかったと、心からそう思っているんだよ。

 だから寂しい。
 あの子の後姿は寂しい。
 まだ間に合う。行かないで、フラン。
 行かないでおくれ、フラン。

 気が狂っていても構わないから、君に一緒に居て欲しいんだ。
 フランよ。



「あたいはやっぱヴォネガットかな」
「やっぱりチルノちゃんはそうだよね。私は、そうだなあ、メルヴィルとかどうでしょう」

 俺はアーヴィングが一番だと思うんですけどね、爺さんは誰だと思う?

「爺さんは昔は和製シェルダンと呼ばれてたっすからね。親近感があるっすよ」

 んっふ、その発言が今日一でキチガイだわ。
『読みたい本がこの世にないなら、それをあなたが書けば良いじゃない』
「サリンジャーの新作は読みたかったかな。でも幻滅しそうだ、もし自分で書いたとしても」

 いんぐりっしゅのタイトルが作品集にひとつあってもいいのではという御言葉に同調してかきました。この作品もまた大羹必有澹味(論衡)ってことらしいですよ。しかたないね。
 参考文献? おおすぎてね、かききれないかな。

 まあそれはそれとして、そそわの投稿数ももりかえしてきたね。
 よかった。初投稿しやすくなるね。
お客さん
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コメント



0.140簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.90名前が無い程度の能力削除
チルノがヴォネガット好きなのは何となく分かってた気がする
面白かったです
4.70名前が無い程度の能力削除
うーん、素でエグい
つーかムズいことやりながらふざけるとワケ分かんなくなるからマジでもう少し抑えたら?

ただトニスンが前提って言われれば確かにトニスン的な物語だからありっちゃあり
5.70名前が無い程度の能力削除
モリスンなんて読んだことがない自分には展開が独りよがりに感じられる。
少なくとも創想話向きの話じゃないし、今回はギャグもあんまり良くない。
そもそも川平慈英は滑ってると思う、アニメも、これも。

ただ図書館のシーンは良かった。そっちメインにしてほしいくらい良かった。
100-30(上記3つ)で70点。
6.80名前が無い程度の能力削除
アンクル・トガ・・・ 妹・・・ メイド・・・ 紅魔館・・・
ええっ??
7.100名前が無い程度の能力削除
金髪の子かわいい!
8.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!
10.90名前が無い程度の能力削除
劉宇昆の名前が出てきて嬉しくなった。
ってか、随分と読書家の多い幻想郷だな、しかし。
11.90名前が無い程度の能力削除
あなたが結末まで飽きないことを祈ってます
13.90名前が無い程度の能力削除
無知にして蒙昧な自分にどれだけの事が理解できたのかは分からんが、あんた普段どう言う生活して何読んでたらこんなモン書けるようになるんや
最初ドグラマグラか何かかと思ったぞ
14.90名前が無い程度の能力削除
最初の鈴奈庵から全て読ませて頂いていました。
専門医試験の勉強であるとのことで仕方のない話ですが、残念という気持ちが強いです。
続きを書いて下さるつもりはあると、そう信じております。