気になることはいろいろとある。
何もしなくていいのかと思う時もある。
・・・だが、彼女は言った。
「何も心配しなくていいのよ」、と。
彼女の目を開いたのは、足音を感じたからか力を感じたからか。
「・・・珍しいわね」
時間は昼だが薄暗い部屋の中、敷いた布団の中で彼女―――博麗霊夢は眠りから覚醒した。
まだ来客の姿すら見えていないのだが、彼女にはそれが誰だか分かっていた。
ここ最近は彼女以外誰も居ない博麗神社の中を、ゆっくりと進む足音が聞こえてくる。
「不法侵入、ってわけね」
よっこらしょ、と上体を起こす。特に出会いたい相手というわけでもないが、寝たままでは失礼に値する。たとえ相手が不法侵入者であろうとも。
むしろ、不法侵入は彼女の代名詞でもあったわけだが、そんなものは遥か忘却の彼方に置き忘れられている。
足音が、ふすまの前で止まる。
「押し売りと新聞はお断りよ」
「ありがたい説教の無償提供はどうでしょうか」
ふすまの向こうへと投げかけた彼女の言葉への返答は、少々自虐的な皮肉に満ちたものだった。
(・・・変わったのね)
花の異変での最初の出会いから、もうどれだけが過ぎただろうか。
たとえ蓬莱人であろうとも“不変”ではない。
「あとから布団を売りつけられそうだから帰って」
「大丈夫です、今日は手ぶらなので」
皮肉の応酬は二合、それだけで来客はふすまを開けた。
おかしな帽子に色合いが鮮やかな服装。手に持ったそれは、来客の職業を詳細に表している。
「久し振りね、四季映姫」
「こちらこそ、博麗霊夢」
「とはいえ、西瓜ぐらいは持ってきてほしかったわね」
「どこぞの鬼でよければ今から連れてきてあげようかしら」
「良いわよ良いわよ、どうせ持ってきてもらっても食べられるか怪しいし」
そう言いながら霊夢は布団に寝転がる。
すでに失礼かどうかなど考えていない辺り、彼女はやはり博麗霊夢。
「貴方は本当に変わりませんね・・・そのようなことでは貴方は―――」
「たんま、説教は無しにしといてほしいわ」
「むぐ・・・」
相手が相手であるからこそ、映姫は押し黙った。
それを見て安心したのか、霊夢は目を閉じる。
「来客だというのに寝るのですか?」
「大丈夫よ、目、閉じてるだけだから」
そう言いながらも、リラックス具合からしてかなり眠たそうではある。
しょうがないことと映姫は割り切った。
「だいたいなんで来たのよ・・・お迎えならサボり魔でしょ?」
「私にはそんな権限はありません」
そう答えて、ふと映姫は顎に手を当てた。
そのまま、数秒過ぎる。
「・・・貴方は、寂しくないのですか」
「・・・・・・どうだろ。ただ、いくら寂しくてもあんたには来てほしくないわね」
質問に質問で返されたからか少々霊夢はムッとしていた。
そのためかトゲのある返答となっていた。
「貴方は本当に巫女らしくないですね」
「一応、これでも巫女らしいわ―――今でも」
どこか自嘲気味な霊夢の声に今度は映姫がムッとする。
だが、特に突っ込まずに話を続けた。
「とりあえず、私は一度出ます」
「・・・あんた、ほんとに何しに来たの?」
「さぁ、どうでしょうね」
こちらは自重気味な微笑み。
と、一瞬で普通の笑みに戻った。
「大丈夫ですよ、一応すぐに戻ってきますから」
薄暗い部屋だが時間だけは分かる。
ふすまの外が紅く染まり始めた。もう夕方だろう。
「今度はお土産持って来るんでしょうね」
「・・・・・・もう、必要ないと思いますよ」
その言葉に、霊夢は首を傾げた。
だがどうでもよかったのか、「早く行け」という風に手をひらひらとさせる。
それに従って、映姫はふすまを空けた。遮るものがなくなったため眩しいほどの夕陽がよく見える。
「あんた・・・玄関から出なさいよ」
「だから、すぐ戻ってくると言ったでしょう」
そう言いながら映姫は縁側に立つ。
夕陽に照らされて、霊夢にはその姿が美しく見えた。
「もう一度聞きますよ、霊夢」
振り返ったその顔は、逆光で見えなかった。
「ここを訪ねる人間が居なくなっても、貴方は寂しくないというのですか?」
普通の魔女は、普通の人間のままでいることを望んだ。
時を操るメイドは、人間のままで死ぬことを望んだ。
山の巫女も、自らの務めを全うした。
「・・・そういえば、この頃静かになったわね」
思い出したように、自らの手を見つめながら霊夢は呟いた。
皺だらけのその手。
「レミリアも夜は来なくなったし、宴会だって―――気を遣ってくれているのかしら」
「妖怪が巫女に気を遣うというのも、おかしな話ですね」
その真剣な口調の冗談に、ふと霊夢はおかしくなる。
あれだけ毎日、後片付けもせずに宴会をしていた連中が、気を遣うなんて。
「―――ほんと、おかしな話ね」
「では、もう一度、聞きましょう」
「あなたは、さびしくないのですか」
「・・・寂しいって言ったら、さびしいかもしれないわね」
喧騒がなくなった神社。
「もう少し、あいつらと騒ぎたかった気もする」
宴会後の、あの充満した酒の臭いもない。
「これからも、あいつらと騒ぎたい気もする」
負けても負けても向かってくる、最高の親友も居ない。
「でもこれが・・・これが私の生き方よ。気ままに生きて、そして死ぬ。
あとは―――輪廻の渦に乗るだけよ」
これが、霊夢の真実(こたえ)。
嘘も打算も何もない。
それだというのに、逆光の中映姫の顔は悲しそうに見えた。
「すぐに、戻りますから」
そう言って、彼女は飛び立つ。
もうすっかり陽は暮れようとしていた。
「なんだかなぁ・・・」
どこかやりきれないといった表情で、霊夢はぽりぽりと頭をかく。
その背後で、
「あらあら、おかしな顔してるわね」
隙間が展開。
「あんた、久し振りね」
「まぁね・・・いろいろあったし」
隙間から足を出して、妖怪―――八雲紫が現われた。
用済みとなった隙間を消して布団の脇に座る。
「ねぇ・・・あの閻魔、何か話したの?」
「何って―――ああ、そういえばあんたあいつが苦手だったわね」
いきなりのぶしつけな質問に眉をしかめる霊夢だが、すぐにその理由に思い至った。
「ん、まぁそういうこと」
「さぁ、良く分からないわ。『寂しくないか』だって」
ちょっとずれた布団を直しながら、霊夢はそう答える。
その言葉に、紫が複雑な表情をした。
「まったく・・・閻魔のくせに死に行く者への配慮が足りないわね」
「いやあんたの方が足らないでしょ」
思わず突っ込みをいれる。
ハリセンが手元にあれば霊夢は迷わずそれを紫の頭に叩き込んでいたであろう。
「うぅ・・・」
代わりに針を一本投げつけたのだが。
「まったく―――そういえばさ、」
「な、何かしら?」
刺さった針を慎重に抜きながら紫が聞く。
一瞬、迷いながら、霊夢は言葉を紡いだ。
「閻魔が来たってことは、もう私は死ぬんでしょ―――ってあんたもさっきそう言
ったか」
「否定はしないわ」
抜いた針を隙間に入れる。涙目になりながら紫は答えた。
その答えに溜め息を吐いてからさらに言葉を紡ぐ。
「じゃあさ・・・博麗の巫女は、誰がするの?」
「・・・・・・」
その言葉への返答は、沈黙。
それはある程度霊夢も覚悟していたことだ。
実を言うと、前にも霊夢は同じ事を聞いた。
その時の返答は、「何も心配しなくていいのよ」だった。
「私を不死にするとか言い出すんじゃないでしょうね」
「まさか、どこぞの吸血鬼かお姫様じゃあるまいし」
まだ魔女が三人そろっていたころの宴会。
酒の戯れにそんな話が出たこともあった。
「あんたなら・・・生死の境界ぐらい扱えそうだし」
「それが出来たら・・・・・・、良いのにね」
胡散臭い微笑が、ほんの一瞬だけ影を潜めた。
それに気づかず、霊夢は布団に倒れこむ。
「あ~あ、もう一回ぐらいはお花見したかったなぁ」
「我侭で欲張りね・・・ほんとに巫女?」
「あんたがそれを言うか」
何度目かの同じようなやり取り。まるで思い出を追従するかのように霊夢はそれを楽しむ。
(私を巫女にしたのは紫の癖、に・・・・・・あれ?)
ふと、その胸中に疑問が浮かぶ。ほんの小さな、まるで針の穴のような。
(・・・そういえば、何で私は巫女になったんだろ)
ある意味、もっとも重要な事柄。
だというのに、どうしても霊夢はそれが思い出せない。
否、まるで“そんなことなど体験したことが無いかのように”。
破滅的な予感を感じさせるその疑問を胸にしまい、霊夢は尋ねる。
「ねぇ紫、私が死んだらどうなるの?」
「・・・・・・閻魔のところに行くわね、その後、輪廻の渦に乗る―――普通なら」
陽は降りる。今はまさに昼夜の境目。
もっとも美しい、境目。
「普通じゃ、ないなら?」
聞いたらまずい、知らない方が良い、そんな心の声を無視して、霊夢は問いを重ねる。
そんな彼女に―――紫は手をかざした。
「え?」
何をするの―――と聞こうとして、霊夢は異変に気づく。
目の前の彼女は、いったい誰だ、と。
「ねぇ霊夢・・・博麗の巫女に重要なことはなんだと思う?」
どこか胡散臭い笑顔を浮かべた“彼女”が、言葉を紡ぐ。
「血筋や掟・・・そんなことは重要じゃない、“博麗”であることがもっとも大事なの」
そういえば、自分は誰だ。
屈託の無い笑顔の少女が、どこか冷たい目をした少女が―――記憶の淵からこぼれ
ていく。
それだけじゃない、大事なことが、“大事なことのはずなのにそれがなんなのかさ
えよく分からない何か”が、こぼれていく。
「―――博麗の巫女が子を宿したとして、その子が必ずしも“博麗”を受け継ぐとは限らない」
なぜ、彼女は手をかざしているのだ。
「ならばどうするか―――簡単なことよ」
「博麗の魂を、循環させればいい」
なぜ、彼女は悲しそうな顔をしているのだ。
もう自分ではどうしようもないくらいに“全て”がこぼれおちていく。
自らの体験してきたこと、思い出、想い、全てが白くなっていく。
「う、あ・・・」
動くのもつらい、なぜ動かなければいけないのか分からない。
でも、目の前の存在に、告げなければいけないことがある。
悲しい微笑をたたえた女性に、伝えなければいけないことがある。
「動かなくて良いのよ、すぐに終わるから」
見えないけれど、もう視界もかすんでいるけれど、これだけは―――
必死で畳に手をつき、彼女に向き直り、
「 」
その言葉が伝えられたのか、
意識が真っ白に染め上げられた霊夢には終ぞ分からなかった。
~閉じた輪廻~
“博麗”を維持するために障害となることはなんだろうか。
それは、後継者の問題。
仮に“博麗”にとって重要なことが血筋であるなら、
男と交わり子を宿す、ということになるが、必ずしも娘が生まれるとも限らない。
いわゆる“血”の薄さの問題もある。
では掟が大事であるなら?
これなら、力を持った娘であれば誰でも“博麗”を継ぐことができる。
それでは、神聖さが失われる。
だから、私はこの方法を選んだ。
『魂の初期化並びに再構築』という罪深い方法を。
術が終わり、
目の前の霊夢はもう“霊夢”ではなくなっていた。
顔立ちは細くなり、美しい黒髪は腰まで伸び、ほんの少し体型の凹凸が深くなった。
もう、彼女は“霊夢”ではない。
「『ありがとう』、か・・・」
幻想郷の平和のために博麗を犠牲にする。
許されるとは思っていない。
なのに、霊夢は私に感謝していた。
「・・・・・・思い出すわね」
いや、霊夢だけではない。
今までの博麗の巫女は十人十色、さまざまな性格の者が居た。
圧倒的な強さに酔いしれた者、強さを持ちながら慈愛に満ちた者。
でも、その全員がこの術の際、私に感謝の言葉を述べてくれた。
それが、何に対する感謝かはもう分からない。
「ふぅ・・・藍」
「はい、ここに」
いつの間に来ていたのか藍がすぐ後ろに控えていた。
この術の際には私と巫女以外には誰も傍に寄らせない。それは藍も分かっている。
それでも、万が一のために近くに居たのだろう。
「私は休むから、この娘のことお願いね」
「はい・・・名前は、どうします?」
「そうねぇ―――」
もう彼女は“霊夢”ではない。魂を同じとしながらも、別人だ。
だから名前を考えなければいけない。
「明日までに考えとくわ、じゃ、お願いね」
「かしこまりました、紫様」
生真面目に頭を下げる式の横を通り抜け、展開した隙間に私は入った。
ふと、振り返る。
「・・・さよなら」
それは霊夢に対する言葉か、“博麗の巫女”に対する言葉か。
私自身にも分からなかった。
「・・・紫様」
いったいどれだけ続いただろうか、この儀式は。
自らの主の、それとは表から分からぬ憔悴さに藍はそう思った。
「・・・・・・」
博麗を、幻想郷を維持するためには大事な儀式。
それだけ重要で、それでいて罪深き方法。
そんなことを考えていたからだろうか、彼女の存在に藍は接近されるまで気づけなかった。
「・・・四季映姫殿」
「終わったんですね、すべて」
閻魔の登場に、藍は思い出していた。
およそ八十年前・・・こんなことがあったのを。
そのさらに八十年前もまた、同様に。
「ええ、終わりましたよ、すべて。そして始まるんです」
「その通りね」
四季映姫も、この儀式については知っていた。
閻魔という存在が、自らの元に来ない魂について何も知らない訳がない。
「・・・どうしたんですか?」
何時もなら、経緯を見送ればすぐに帰るはずの彼女に藍は思わず問いかけた。
その言葉に表情を硬くして、映姫は口を開く。
「昔・・・・・・彼女に言った言葉がありましてね」
(「このままでは、死んでも地獄にすら行けない」)
「つい、言ってしまったんですよ。こうなることは分かっていたのに」
「・・・・・・」
映姫の独白に、藍は何も答えない。無表情を貫き通す。
だから、映姫は続けた。
「『このままでは』・・・なんて、どうなろうと彼女がこうなることは分かっていたのに」
「・・・後悔、しておられるのですか」
「さぁ、どうかしら」
その言葉には、あいまいな笑みで返す。
今までの博麗とは違う、だが根本ではやはり『博麗』だった彼女。
四季映姫は、彼女をどう見ていたのだろうか。
「・・・夜は冷えますね。私は帰ります」
「お風邪など引かれぬよう―――」
「もちろんですよ」
くるりと、映姫は身を翻した。身体を宙に浮かせる。
それを見て、藍も身を翻した。
博麗神社を一望できる空中で、映姫は振り返った。
「・・・・・・」
わずか、その口が開いて―――
「、」
だが、何もその口から漏れなかった。
そして彼女は、もう振り返らなかった。
ところで閻魔様が役柄的になんだかおまけっぽくて残念。紫と藍だけで話が十分成り立っていて、なんだかいるだけの人になっちゃってませんか。
私もそう考えることがありますし。(苦笑)
魂の循環、幻想を維持するために必要なこととはいえそれを行う紫様や、それを見届ける映姫は
どのような感情を抱いているのでしょうね?
作者様によって様々な話の展開があって「それもあるかも」と一考させられます。
次回作楽しみに待ってます。
霊夢と紫が切ない
こういう話はいろいろなところでありますが、魂転生は初めて見ました
霊夢が子供を産むとか、なんか変な感じですしねぇ
まあ、本家ではずっと霊夢でしょうよ
わーい 次回作、永遠亭だぁ
期待してます