「なぁ霊夢」
「なんよ」
「例えばだ、私とお前が一緒の風呂に入るじゃないか」
「割とよくある光景ね」
「でさ、お互い頬を赤らめるとするじゃないか」
「言い方が気持ち悪いけど、風呂なら仕方がないじゃない」
「そして、辺りに花を散らせるとする」
「で、なにが言いたいの?」
「うむ――」
霊夢の言葉に魔理沙は大きく頷いた。
ここは玄関。
「――これって百合っぽくね? いや、意味は知らんけど」
「とりあえず出てけばいいんじゃない?」
「ごめんなさい」
どうして自分はこいつと友達なのだろうか、と疑問が、頭の中を高速で過ぎっていった。
◆
ぱたぱたと胸元を扇ぎ、お茶を一口。ほぅ、と口元を緩ませる。
結局上げて、そしてお茶を用意してしまっているのは、きっと腐れ縁故だろう。
「いやさ、家が吹き飛んじまってさ」
「割とよくあることじゃない」
「誰かの家に泊めてもらおうとしたわけだ」
「一番近くて似たような奴がいたじゃない」
「アリスは駄目だ。あいつは泊めてくんない。研究結果を見られたくないんだと、まあ魔法使いなんて大体そんなもんだし」
「あんたは自分の研究結果ごと吹き飛ばしたけどね」
「言うなよ悲しくなるから」
魔理沙はお茶を飲み干すと、ばったり倒れてしまう。よく見れば煤だらけだ。そりゃ爆発したんだろう、盛大に。そんなぶっ倒れた魔理沙を見ながら、先ほどの、心底どうでもいい会話を思い出してみる。
「ああ、つまり」
風呂に入りたいと言うわけなのだ、こいつは。
「うむ、霊夢ならわかってくれると信じてた」
「でも今は無理よ?」
「なんで!?」
「いやそりゃあんた」
霊夢は静かに、お茶を含み、味わい嚥下し、一拍落ち着いてから、言った。
「真昼間から風呂沸かしてるわけないでしょ」
「がっでむ!」
ごろごろ畳の上をのた打ち回る魔理沙を眺めながら、霊夢はばりりと煎餅を食む。良い歯ごたえに、ついつい口元が緩んでしまう。
「なんか反応してよ!」
ばんっ、と卓袱台を叩きながら勢いよく起き上がる魔理沙。
「はいはい」
「そんな反応ならいらなかった……」
「まあでも、お風呂入りたいのよね?」
「うん」
「さっき言った通り、今からじゃ無理だから、ちょっと待ってて」
と、霊夢は立ち上がり、台所に向かう。
魔理沙は煤だらけの頬をかき、なんだろうと思いながら、卓袱台に突っ伏した。ごん、と思いのほか勢いよく落ちた額を、強かに打ちつけた。痛い。泣きそう。
ずきずきする額をそのままに、魔理沙はぐったりと動かなくなる。っていうか、動きたくなかった。
なんかいろいろいやだった、
いやもうホントに。
「おら」
べちょ。
と、水の音。正確には、水の滴る布の音。
「ひぃあ!?」
首元に突き込まれたそれは、手拭いというやつで。
「それで顔くらいは拭いたらいいんじゃない?」
「れ、霊夢……」
手に取り、顔を拭く。ちょっとだけ嬉しいのを隠すように、ぎゅっと拭いた。
なんというか、あれだ。
つっけんどんなやつが急に優しくしてくれたからか?
だから嬉しいのか。
そうなのか。
そうなのだろう。
ぎゅうっと拭って、ぷはっ、と顔を上げる。
手拭いを返そうと思ったら、ぽん、と霊夢に手渡される。それは、雑巾とバケツ。つまりそれの意味するところは。
「それじゃ、泊ってってもいいけど、掃除はお願いね」
「おま、お前! 私は身体が汚れてるのが嫌だったから――」
「そっちの方が都合いいじゃない」
「ああ? つまりなにか? お前は私に掃除させるために泊らせると」
「んー」
霊夢は考えるように顎に手を当てて、じっと魔理沙を見詰め、
「じゃあそれでいいわ」
「じゃあってなんだよ!?」
「なにも考えてないってことよ」
「うわ、扱い難い。知ってたし分かってたけど、こいつ扱い辛い」
「だからお願いね」
ぽんぽんと渡されて、三角巾まで巻かれてしまった。
魔理沙はまるで、掃除婦のような格好になってしまっていたのだ。
「……えと、霊夢は?」
「私は寝るけど?」
「うわ……」
「なによ?」
「いや、なんでもないよ、もう……」
なにを言っても、なにも変わらないだろう。どうせそういう奴なのだ、こいつは。昔っからなに一つ変わりゃしない。
知ってるから。昔からの腐れ縁。どこまで行っても切れないのだ。
◆
とたたたったたたー、と、廊下を蹴る音が響く。
端から端まで雑巾掛けの真っ最中だ。
魔理沙とてわかっている。
自分が泊るのだから、その分の対価は必要であると。
しかし、相手は霊夢である。きっと、押し通せば、そんなもの必要なく、きっと何日でも居ていいと言われただろう。
なんとなくだけれども、それは嫌だった。
貸しを作りたくなかったのかもしれない。
霊夢とは、対等な関係でいたかったのかもしれない。
それは恐らく、あいつをライバルだと思っているからだ、と魔理沙は思う。
だから泊めてもらうことの対価に掃除くらいはやってやる。
料理だって、そりゃあんまり作らないし、基本、簡単に作れるものばかりだけれども、やってやったっていい。
うん、でもあれだ。霊夢の料理は美味いし、うん。やっぱいいや。
と、魔理沙は雑巾をバケツに突き込み、ぎゅうぅっと絞る。
そうして再び、とたたたたったたたたたたー、と走り出す。
こうしていれば、あんまりものを考えなくて済む。
とりあえずは掃除に専念すればいい。
――――あ、そういえば、家、どうしよ?
まあいいや、萃香にでも頼めばきっと直ぐにできるはずだ。
おう、解決した。
然らば、しばらくここに置いておいて貰おう。
霊夢なら大丈夫さ。
などと思っているうちに、魔理沙は正面に紅い布の端を見る。
霊夢は縁側に座っていた。
お茶を飲みながらでも、魔理沙の様子を窺っていたのだろう。傍には煎餅と湯呑がある。サボる様子もないので、つい、本当に眠ってしまったのだろう。
霊夢は縁側の柱に背を預けて眠っていた。
雑巾掛けの前傾姿勢のままで、魔理沙は霊夢を見上げる。かくん、かくん、としている顔が見える。
だらしねえの、涎が出てるぜ。
くすりと笑う。
まるで子供みたい。
ちっちゃな桃色の唇から涎なんか垂らして、なんだ、直前に食ってた煎餅の味でも思い出してるのか?
魔理沙は笑いながら、やれやれと雑巾片手に立ち上がる。
手の甲で額を拭い、雑巾をバケツに放り投げる。
ぱしゃん、と飛沫が立った。
三角巾を取って、金色の髪の毛が、夕日に照らされる。
いつの間にか、夕方になっていた。
「そっか、私が来たのが、もう午後のおやつタイムだもんな」
そろそろ起こしてやらねば、と思ったのだけれども、
「しかし、こんな幸せそうに寝てるやつを起こすべきか否か……むぅ」
って言うか、こいつが寝ているのって起こし辛い、昔から。
うん、まあでも、ほら、起こさなきゃ、あとで文句言われるのは私だし、うん。
魔理沙は足を上げると、とん、と霊夢の背中を押し出した。
どべしゃあ、と顔面からダイブした霊夢は、ふるふると身体を震わせた。
「よお起きたか? おはよう。まさか人が掃除してるのに、ガチ寝してるとは思わなかったぞ」
次の瞬間。
魔理沙は殴られた。
まあそりゃそうだわな、と甘んじて彼女は受け入れた。
◆
「で、そろそろおゆはんの準備をしなきゃいけないわけだけど」
「うむ」
「私達はどっちも、揃いも揃って埃塗れなわけよ」
「まったくだ、誰のせいだよ」
「あんたのせいよ」
「いや、霊夢が私に掃除をさせるからだ」
「なんてはた迷惑な……!?」
「蹴り起こしたのは謝るよ。ごめんなさい」
「むしろ謝らなかったら、あんたはここには居られないわよ」
「次からは善処する」
「つまりやらないってことね」
「そういうことだ」
もう一回殴られた。ちくしょう。
埃塗れの魔理沙と、土埃塗れの霊夢は向かい合って、一つ溜息を吐いた。
「どうする? ご飯あとにして、お風呂入る?」
「おう。って言うか私はもともとそっちのが目的だったんだがな」
「お風呂なんて三日くらい入らなくても大丈夫よ」
「おいおいおい、お風呂は乙女の命なんだぜ?」
「乙女って自分で言っちゃうのって……」
「うっせ」
殴っておいた。
「いたた……とりあえず沸かしましょうか」
「河童の技術が真価を発揮するな」
「電気ってすごいわねぇ」
「まあまあ、なにはともあれ、沸くのにしばらく時間は掛かるし……なにしよう」
「のんびり過ごしましょうよ」
「それもそうだな」
霊夢は浴室の方に歩いていく。
ぴ、っぴ、と電子音が聞こえる。
ああ、ほんとに便利だなあ、と魔理沙は居間に寝転がる。
ついでに靴下を脱いで、エプロンを放り投げて、服を脱いだ。
ドロワーズとシャツだけで、ごろごろと転がりまわってみる。
転がりまわっていると、いつの間にか眠たくなる。
今日は疲れた。
ずっと掃除ばっかだったもの。
だからちょっと、お風呂が沸くまでだけ、寝よう。
あ、霊夢、あの、おやす……
◆
「おーい、風邪引くわよー」
げしげし。
蹴ってみたけど起きない。
仕方がないからと、霊夢はごろりと魔理沙の隣に寝転がる。
ふわりと、どこか懐かしい匂いを嗅いだ気がした。汗の匂い。いつだったか
と懐かしい記憶を想起させる。
隣を見ると、ふわふわした金色の髪の毛。
汗で爆発した金髪。
くるりと回ったそれを、指先に絡めて、きゅっと引っ張った。
「ん」
魔理沙は、それから逃れるように、寝返りを打った。
霊夢はするりと指先から髪の毛が解けるのを、見詰めた。
そして、懐かしい匂いがなんだったかのに気付く。
「そっか……」
汗の匂いだ。
と、幻視する。
そう言えば、昔からこいつはここに来て、戦ったりしてみて、そうして今みたいにぶっ倒れてたっけ。その頃からこいつの勝率は変わらないけれど、けれど、それでもまー挑んできてて、最近はそうでもないけど。だから、久しぶりに嗅いだ気がする。当たり前だったものを、久々に。
懐かしくて、安心する。
すーすーと寝息を立てている口元を見ると、こっちまで眠たくなってしまう。
自分に眠気が移ってきているような気さえした。
「ふわぁ……」
大きく欠伸をして、霊夢も目を閉じる。
――ちょっとくらいいいわよね、さっきお昼寝したし。
あっさりと、呆気ないくらいに眠りに落ちた。
夕日が二人を照らしていた。
鴉が、かぁ、と鳴いた。
風が吹き込んで、二人の髪の毛をふわふわと揺らした。
◆
「お、おおお?」
目を覚ました魔理沙の目に飛び込んできたのは、霊夢の寝顔だった。しかも、自分のすぐ傍に。
気持ち良さそうに寝息を立てて、眠っている。
こいつはまだ寝るのか、と魔理沙は呆れて、息を吐いた。
そろりと手を伸ばし、鼻先を擽る霊夢の髪の毛をどかす。
ちょっとサラサラしてて、自分の髪の毛を触って、溜息を吐く。
外はもうすっかり暗くなっていた。
そして料理の匂いはさっぱりしないし、たぶん、お風呂もまだだろう。
どうしてこいつは私の横で寝ているんだ、と魔理沙は疑問符を浮かべた。
起こそうかと思った。
けれど、起こせなかった。
弱いのだ、昔から。気持ち良さそうに寝てるこいつに。起こしたくないと思えるのだ。
こうして寝ていると、こいつも自分と同じで、人間で、手が届きそうに見えて――
なんてのは建前で。
実際には、ただ単純に、こいつの寝顔は安心するからだ。
そんなことは口に出しては言えやしない。
自分の髪に手をやる。汗でべたべただ。肌も、きっと汗臭い。
お風呂行こうと、そう思った。思ったのだ、けれど。
「どうしたものかなあ……」
霊夢の手が、魔理沙のドロワーズの裾を握っていたのだ。
「どうしたものかなあ……」
もう一度、呟いた。
いや、確かに、脱いでいってもいいかもしれない。
だが待て、この下と言えばすっぽんぽんだ。
それはどうだ。
友達の家を、下半身裸で風呂まで向かう。
それは、乙女的に、どうだ……。
いや、だめだろう。
さすがに、自宅のように知り尽くしている家であっても、さすがにそれは駄目だろう。
ならばどうするか。
「目覚めるまで待つしかないのかなあ……」
そもそも、こいつは起きるんだろうかと疑問が脳内を過ぎる。
そう考えると、四の五の言っていられなくなってくる。
起こしたくない、から、起こさなきゃならない、に意識が変わる。
魔理沙は、すっ、と片手を上げる。
「てりゃ」
そして、振り下ろす。
霊夢の頭に直撃するのは、必殺のチョップである。
ごん、と結構いい音が鳴った。
瞬間、霊夢の拘束が緩む。しめたとばかりに魔理沙はするりと抜け出した。
「ん、んん~……あふ」
目を擦ると、霊夢は欠伸をして、半目を開けた。
「おはよう霊夢。私はお風呂行って来るから」
しゅたッ、と手を掲げ、風呂場へダッシュする魔理沙。眠たげに魔理沙を見送る霊夢。むくりと起き上がると、もう一度大きく欠伸をする。
「んぁ、もう夜?」
おゆはんどうしようかなあ、と霊夢は現在の重要事項を考える。
けれど、もう簡単なものだけでいいかなあ、と思った。このままお風呂行って、そして適当にお昼のあまりとかでなんか作って食べて寝たらいいや、と。
そうと決まれば話は早かった。寝巻きを二枚持って、風呂場へと歩みを進める。
誰が入っているか知っているから。
だから、まあ、いいかな、と。
からからから、と戸を開け、ぽんぽんと籠の中に寝巻きを投げ込む。
と、扉の向こうから、先に入っていただろう魔理沙の声が聞こえてくる。
『おお。霊夢か』
「うん。ここに寝巻き置いとくね」
『ありがたいや。ここまで汗まみれの下着を着けてたくないしな』
「そして私も入る」
『はぁ!? ちょ、飯の準備は?』
「いいわ、適当で。それより私は疲れてるの」
『お前今日寝てただけじゃねえか!!』
「寝てるのって以外に体力使うのよ」
『どうしようもねえなそれ!』
「まあ嘘だし。とりあえずもう遅いわ」
と、喋りながら終えた脱衣。ひらりと下着を籠に方って畳んで置いておいたタオルを取る。凹凸の殆どない身体を、特に隠そうとせずに肩にかける。
がらがらと扉を開けて、丁度身体を洗っていた魔理沙に手を挙げる。
魔理沙は細っこい身体を泡塗れにして、しゃこしゃこと手拭いで腕を洗っていたところだった。白い肌が、普段と違うように、少し赤くなっていて、どこか色っぽい。けれど鼻先にくっつけた泡で台無しだ。
「うっす魔理沙ー」
「なんで入ってくるの……二人だと狭いじゃん」
「まあいいじゃない?」
「まあいいけどさ」
知ってる仲なのだ。温泉だって一緒に入る。小さい頃は風呂だってよく一緒に入ってた。けれど、今はそれなりに身体も大きくなったわけだ。つまり、霊夢の家の一人用の風呂だと、必然密着しなくてはならないのだ。
霊夢は、やれやれと両手を上に向ける魔理沙を放って、掛け湯をした。そして、もう一度汲むと、魔理沙の頭の上で風呂桶を引っ繰り返した。ざばー。
魔理沙の身体の泡が流れ、霊夢より細く、肋骨の浮き出た痩せっぽちな裸が現れる。
「な、な、なにするんだよ!」
「いや、頭くらい洗ってあげようかと」
「大きなお世話だよ!?」
「んや、昔してあげたから、今はどうかなあって」
「知らないよ!」
「それより魔理沙。あんたちゃんと食べてるの?」
「一気に跳んだな……。いや、うん、最近ちょい不摂生」
「だめよー。ちゃんと食べないと」
「はいはい。じゃあ夕飯はちゃんとしたのを……」
「時間がないから無理ね」
「そうか……そしてお前は、話しながら私の頭でシャンプーを泡立てるな!」
「まあいいじゃん」
したくなったんだから、と小さく呟く。
霊夢は魔理沙の髪の毛をわしゃわしゃと洗う。丁寧に。
魔理沙はまるで、猫のようだった。じっとしている。どこか安心したような表情で。
「あのさー」
「あによ。痒いの?」
「いやそうじゃなくって、うん、なんかむず痒い」
「痒いんじゃないの」
「そういう痒いじゃなくってなあ……こそばゆい感じ」
「ふうん。あ、流すわよー」
「うえ、ちょ、ま、ぶわっ!?」
ざばーっと桶を引っ繰り返す。魔理沙は頭からお湯を被って、口に入ったのか奇妙な声を上げた。
流れたのを確認して、わしわしと髪の毛をかき回して、少し泡が残ってるのを確認。もう一度、霊夢はお湯を汲む。
「はいもういっかーい」
「だから――わぷっ!?」
もう一度ざばーっと流して、わしわしかき混ぜる。
もう残ってないことを確認。
けれど、もう一度流したりしてみようとは思う。
「もういっかーい」
「おま、だから、楽しんでるだろ!?」
「うん。でも、ほらきれいに流れたでしょ?」
「別にいいけどさ……」
髪の毛をかき上げて水滴を飛ばす。
手入れやらなんやらも丁寧にやってやる。その間、魔理沙は一言も喋らなかった。霊夢もまた同じ。
そして立ち上がると、湯船に入り、座り込んだ。
「なんかさ、懐かしいな」
「懐かしい?」
「うん。あれだな、昔を思い出すな」
「わりと黒歴史っぽいけど」
「そっちは言うなよ!」
霊夢は風呂椅子に座ると、タオルを泡立て始める。
「あれだよなー。結構こうして一緒に風呂入ってたりしてたよなー」
「今じゃしないけどね」
「そりゃそうだ。あの頃は身体も小さかったしな。見ろよ、この湯船。二人で入ったら、きっとぎゅうぎゅうだぜ?」
ごしごしと身体を洗いながら、霊夢は考える。そう言えば、そうだ。もっとずっと広かったような気がする。でも、今じゃこんなものだ。成長したし、だから、こうして二人で入ることもなくなった。
まあそれでも、これは相も変わらず日常なのだ。
そんなものでいい。
それで、いいのだ。
「そうね。ぎゅうぎゅうよ」
ざばっと湯船から掬い、身体を流す。
今度は髪の毛だ。
洗って、手入れして――
ほんのそれだけ。
また二人して黙り込んだ。
わしゃわしゃという音が響く。
「ふいー」
「ホントに入ってきたぜ……」
「ホントに狭いわ」
「なら入ってくんなよ」
「やだ。私だって入りたいし」
「へーへー」
押し合い圧し合いしながら、二人でぎゅうぎゅうの風呂につかる。
寝てばっかりだったけれど、身体の疲れが抜けていくのがわかる。これは今日半日掃除していた魔理沙なら、尚更だ。
縁に首を乗せて、ぐうっと背筋を伸ばす。魔理沙より少しだけ大きな胸が、ふるりと揺れた。
「……やっぱこれ、栄養の差かなあ……?」
と自らの胸を押さえ、魔理沙は言う。
「あんたが食わないだけよ。それに少ししか違わないじゃない」
「その少しが重要なんだぜ?」
「結構どうでもいいわ」
「お前とは分かり合えない」
「そーね」
はふぅ、と一息。
肩までつかってリラックス。
窓の外からは、もう、秋の虫の声が聞こえ始めていた。
「……なあ、今度、お月見でもしに来ていいか?」
「あら珍しい。いっつも無許可で来るくせに」
「まあ許可がなくても行くけどな」
「そもそも毎日のように来るくせに」
「それもそうだ」
そう言って、くすくすと笑った。
◆
「そうだ、夕飯どうするんだ?」
「里から貰った素麺がいっぱいあるけど」
「夏だからかよ!」
「夏だからよ」
「それでいいよ。あ、私は山葵がいるからな」
「知ってるわ」
「だろうな」
茹でて、つゆにつけての簡単料理。
ぱたぱたと寝巻きの胸元を開け、団扇で扇ぎながら、夏の終わりに耳を傾ける。
賑やかな夜だ。
茹で上がるまでの間、退屈はしない。
魔理沙は、台所でお湯が沸騰する音を聞きながら、団扇を動かす。
火照った肌は赤みが差していて、どこか少女離れした色気を醸し出す、がこの場にいるのは少女二人。なにが起こるわけでもない。
かちゃかちゃと音がする。
霊夢が食器やらを準備する音だ。
ついで、山葵を擦る音。
本当に、賑やかな夜だ。
「ほらできたわよー」
「おう待ってたぜ」
振り向いて、魔理沙は器に盛られた大量の素麺に目を丸くした。ちょこんと氷まで乗っかってる。
「お、多いな、おい」
「そりゃね。貰い物だし、食べちゃわなきゃもったいないわ」
「おいまさか……」
「まだまだ沢山あるのよ。素麺地獄だわ」
「私が籠もってた間に、お前はいくつ素麺を食べたんだよ」
「数えるのも面倒だわ」
「私も手伝ってやるよ」
「……ありがとう」
めんつゆに山葵を投入。溶かして、魔理沙は素麺に手を伸ばす。めんつゆに浸け、つるりと飲み込むと爽快感が突き抜ける。
「っかぁー……夏はやっぱこれだな……」
「もう終わるし、わたしゃもう飽きるほど食べたけどね」
そう言う霊夢の手元には、大量の大根おろし。
「いろいろ使って、ろーてーしょんで飽きないようにしてるのよ」
そろそろお菓子とか入れてみてもいいかもしれない、と霊夢は呟くようにして言った。
「お疲れさまだ……」
「うん」
「それにしたって、一緒にお風呂で素麺か……」
「なんよ?」
「いんや、やっぱりなんか子供んとき思い出すな、ってさ」
「珍しい日だわね」
「ああ、珍しい。でも、こんな日があってもいいとは思わんか?」
「もうあったわ」
「それもそうだった」
霊夢から笑い声が漏れる。
少し恥ずかしくなって、魔理沙は一気に啜りこんだ。山葵の塊が口に入って、鼻の奥を刺激する。ごほごほ、と咳き込む。
「なにやってるの」
呆れたように水を差し出す。
「いやすまん」
一気に飲み干し、卓袱台に置く。
まだ鼻の奥がツーンごしているみたいだ。
「ほんとに、子供みたいだわ」
と、霊夢は笑った。
魔理沙はむくれた。
◆
「さすがに一緒の布団はちょっと……」
「いや、しないけど」
「だよなー」
寝床に二枚の布団を敷くと、どちらともなく寝転がる。
既に灯りは消してある。
真っ暗な中、月明かりだけが照らしている。
あふう、と霊夢は欠伸をした。
「お前今日寝てばっかだな」
「そう言えば、そうね」
もぞもぞと布団に潜り込む。
頭まで布団を被って、やっぱり暑くて蹴飛ばして、多きめの手拭いを腹に掛ける。二人ともが、同じように。
そして、目を瞑る。
真っ暗。
互いの息遣いが聞こえてきそうなくらい。
「……あのさ」
と魔理沙が言う。
「あによ」
と霊夢が問いかける。
「明日も泊ってってもいいか?」
「いいに決まってるわ。って言うか、あんた聞かなくても来るじゃない」
「そっか」
「そうよ」
それだけ聞くと、安心したように、魔理沙は瞼を閉じる。
霊夢は、明日には、萃香にでも魔理沙の家の立て直しをお願いしておこうと思った。
思って、目を閉じた。
どうしてこいつと私は友達なんだっけ、なんてことを思ってみる。けれど答えはなくて、結局、ただここに来るし、私はここにいるからだ、としか言えなかった。
それでも何故か、と答えを出してみる。
それでも、そうだと言えるものは、ない。
いつの間にか友達で、いつの間にかこんな感じでつるんでる。
そんなものだろう、友達なんて。
二人して同じ部屋で。
そう言えば、昔はこんなこと、もっとよくあったっけなあ、と思った。
そんなことを考えながら、いつの間にか、眠りに落ちてしまう。
眠ってしまった二人の顔は、まるで子供のようで――
了
「なんよ」
「例えばだ、私とお前が一緒の風呂に入るじゃないか」
「割とよくある光景ね」
「でさ、お互い頬を赤らめるとするじゃないか」
「言い方が気持ち悪いけど、風呂なら仕方がないじゃない」
「そして、辺りに花を散らせるとする」
「で、なにが言いたいの?」
「うむ――」
霊夢の言葉に魔理沙は大きく頷いた。
ここは玄関。
「――これって百合っぽくね? いや、意味は知らんけど」
「とりあえず出てけばいいんじゃない?」
「ごめんなさい」
どうして自分はこいつと友達なのだろうか、と疑問が、頭の中を高速で過ぎっていった。
◆
ぱたぱたと胸元を扇ぎ、お茶を一口。ほぅ、と口元を緩ませる。
結局上げて、そしてお茶を用意してしまっているのは、きっと腐れ縁故だろう。
「いやさ、家が吹き飛んじまってさ」
「割とよくあることじゃない」
「誰かの家に泊めてもらおうとしたわけだ」
「一番近くて似たような奴がいたじゃない」
「アリスは駄目だ。あいつは泊めてくんない。研究結果を見られたくないんだと、まあ魔法使いなんて大体そんなもんだし」
「あんたは自分の研究結果ごと吹き飛ばしたけどね」
「言うなよ悲しくなるから」
魔理沙はお茶を飲み干すと、ばったり倒れてしまう。よく見れば煤だらけだ。そりゃ爆発したんだろう、盛大に。そんなぶっ倒れた魔理沙を見ながら、先ほどの、心底どうでもいい会話を思い出してみる。
「ああ、つまり」
風呂に入りたいと言うわけなのだ、こいつは。
「うむ、霊夢ならわかってくれると信じてた」
「でも今は無理よ?」
「なんで!?」
「いやそりゃあんた」
霊夢は静かに、お茶を含み、味わい嚥下し、一拍落ち着いてから、言った。
「真昼間から風呂沸かしてるわけないでしょ」
「がっでむ!」
ごろごろ畳の上をのた打ち回る魔理沙を眺めながら、霊夢はばりりと煎餅を食む。良い歯ごたえに、ついつい口元が緩んでしまう。
「なんか反応してよ!」
ばんっ、と卓袱台を叩きながら勢いよく起き上がる魔理沙。
「はいはい」
「そんな反応ならいらなかった……」
「まあでも、お風呂入りたいのよね?」
「うん」
「さっき言った通り、今からじゃ無理だから、ちょっと待ってて」
と、霊夢は立ち上がり、台所に向かう。
魔理沙は煤だらけの頬をかき、なんだろうと思いながら、卓袱台に突っ伏した。ごん、と思いのほか勢いよく落ちた額を、強かに打ちつけた。痛い。泣きそう。
ずきずきする額をそのままに、魔理沙はぐったりと動かなくなる。っていうか、動きたくなかった。
なんかいろいろいやだった、
いやもうホントに。
「おら」
べちょ。
と、水の音。正確には、水の滴る布の音。
「ひぃあ!?」
首元に突き込まれたそれは、手拭いというやつで。
「それで顔くらいは拭いたらいいんじゃない?」
「れ、霊夢……」
手に取り、顔を拭く。ちょっとだけ嬉しいのを隠すように、ぎゅっと拭いた。
なんというか、あれだ。
つっけんどんなやつが急に優しくしてくれたからか?
だから嬉しいのか。
そうなのか。
そうなのだろう。
ぎゅうっと拭って、ぷはっ、と顔を上げる。
手拭いを返そうと思ったら、ぽん、と霊夢に手渡される。それは、雑巾とバケツ。つまりそれの意味するところは。
「それじゃ、泊ってってもいいけど、掃除はお願いね」
「おま、お前! 私は身体が汚れてるのが嫌だったから――」
「そっちの方が都合いいじゃない」
「ああ? つまりなにか? お前は私に掃除させるために泊らせると」
「んー」
霊夢は考えるように顎に手を当てて、じっと魔理沙を見詰め、
「じゃあそれでいいわ」
「じゃあってなんだよ!?」
「なにも考えてないってことよ」
「うわ、扱い難い。知ってたし分かってたけど、こいつ扱い辛い」
「だからお願いね」
ぽんぽんと渡されて、三角巾まで巻かれてしまった。
魔理沙はまるで、掃除婦のような格好になってしまっていたのだ。
「……えと、霊夢は?」
「私は寝るけど?」
「うわ……」
「なによ?」
「いや、なんでもないよ、もう……」
なにを言っても、なにも変わらないだろう。どうせそういう奴なのだ、こいつは。昔っからなに一つ変わりゃしない。
知ってるから。昔からの腐れ縁。どこまで行っても切れないのだ。
◆
とたたたったたたー、と、廊下を蹴る音が響く。
端から端まで雑巾掛けの真っ最中だ。
魔理沙とてわかっている。
自分が泊るのだから、その分の対価は必要であると。
しかし、相手は霊夢である。きっと、押し通せば、そんなもの必要なく、きっと何日でも居ていいと言われただろう。
なんとなくだけれども、それは嫌だった。
貸しを作りたくなかったのかもしれない。
霊夢とは、対等な関係でいたかったのかもしれない。
それは恐らく、あいつをライバルだと思っているからだ、と魔理沙は思う。
だから泊めてもらうことの対価に掃除くらいはやってやる。
料理だって、そりゃあんまり作らないし、基本、簡単に作れるものばかりだけれども、やってやったっていい。
うん、でもあれだ。霊夢の料理は美味いし、うん。やっぱいいや。
と、魔理沙は雑巾をバケツに突き込み、ぎゅうぅっと絞る。
そうして再び、とたたたたったたたたたたー、と走り出す。
こうしていれば、あんまりものを考えなくて済む。
とりあえずは掃除に専念すればいい。
――――あ、そういえば、家、どうしよ?
まあいいや、萃香にでも頼めばきっと直ぐにできるはずだ。
おう、解決した。
然らば、しばらくここに置いておいて貰おう。
霊夢なら大丈夫さ。
などと思っているうちに、魔理沙は正面に紅い布の端を見る。
霊夢は縁側に座っていた。
お茶を飲みながらでも、魔理沙の様子を窺っていたのだろう。傍には煎餅と湯呑がある。サボる様子もないので、つい、本当に眠ってしまったのだろう。
霊夢は縁側の柱に背を預けて眠っていた。
雑巾掛けの前傾姿勢のままで、魔理沙は霊夢を見上げる。かくん、かくん、としている顔が見える。
だらしねえの、涎が出てるぜ。
くすりと笑う。
まるで子供みたい。
ちっちゃな桃色の唇から涎なんか垂らして、なんだ、直前に食ってた煎餅の味でも思い出してるのか?
魔理沙は笑いながら、やれやれと雑巾片手に立ち上がる。
手の甲で額を拭い、雑巾をバケツに放り投げる。
ぱしゃん、と飛沫が立った。
三角巾を取って、金色の髪の毛が、夕日に照らされる。
いつの間にか、夕方になっていた。
「そっか、私が来たのが、もう午後のおやつタイムだもんな」
そろそろ起こしてやらねば、と思ったのだけれども、
「しかし、こんな幸せそうに寝てるやつを起こすべきか否か……むぅ」
って言うか、こいつが寝ているのって起こし辛い、昔から。
うん、まあでも、ほら、起こさなきゃ、あとで文句言われるのは私だし、うん。
魔理沙は足を上げると、とん、と霊夢の背中を押し出した。
どべしゃあ、と顔面からダイブした霊夢は、ふるふると身体を震わせた。
「よお起きたか? おはよう。まさか人が掃除してるのに、ガチ寝してるとは思わなかったぞ」
次の瞬間。
魔理沙は殴られた。
まあそりゃそうだわな、と甘んじて彼女は受け入れた。
◆
「で、そろそろおゆはんの準備をしなきゃいけないわけだけど」
「うむ」
「私達はどっちも、揃いも揃って埃塗れなわけよ」
「まったくだ、誰のせいだよ」
「あんたのせいよ」
「いや、霊夢が私に掃除をさせるからだ」
「なんてはた迷惑な……!?」
「蹴り起こしたのは謝るよ。ごめんなさい」
「むしろ謝らなかったら、あんたはここには居られないわよ」
「次からは善処する」
「つまりやらないってことね」
「そういうことだ」
もう一回殴られた。ちくしょう。
埃塗れの魔理沙と、土埃塗れの霊夢は向かい合って、一つ溜息を吐いた。
「どうする? ご飯あとにして、お風呂入る?」
「おう。って言うか私はもともとそっちのが目的だったんだがな」
「お風呂なんて三日くらい入らなくても大丈夫よ」
「おいおいおい、お風呂は乙女の命なんだぜ?」
「乙女って自分で言っちゃうのって……」
「うっせ」
殴っておいた。
「いたた……とりあえず沸かしましょうか」
「河童の技術が真価を発揮するな」
「電気ってすごいわねぇ」
「まあまあ、なにはともあれ、沸くのにしばらく時間は掛かるし……なにしよう」
「のんびり過ごしましょうよ」
「それもそうだな」
霊夢は浴室の方に歩いていく。
ぴ、っぴ、と電子音が聞こえる。
ああ、ほんとに便利だなあ、と魔理沙は居間に寝転がる。
ついでに靴下を脱いで、エプロンを放り投げて、服を脱いだ。
ドロワーズとシャツだけで、ごろごろと転がりまわってみる。
転がりまわっていると、いつの間にか眠たくなる。
今日は疲れた。
ずっと掃除ばっかだったもの。
だからちょっと、お風呂が沸くまでだけ、寝よう。
あ、霊夢、あの、おやす……
◆
「おーい、風邪引くわよー」
げしげし。
蹴ってみたけど起きない。
仕方がないからと、霊夢はごろりと魔理沙の隣に寝転がる。
ふわりと、どこか懐かしい匂いを嗅いだ気がした。汗の匂い。いつだったか
と懐かしい記憶を想起させる。
隣を見ると、ふわふわした金色の髪の毛。
汗で爆発した金髪。
くるりと回ったそれを、指先に絡めて、きゅっと引っ張った。
「ん」
魔理沙は、それから逃れるように、寝返りを打った。
霊夢はするりと指先から髪の毛が解けるのを、見詰めた。
そして、懐かしい匂いがなんだったかのに気付く。
「そっか……」
汗の匂いだ。
と、幻視する。
そう言えば、昔からこいつはここに来て、戦ったりしてみて、そうして今みたいにぶっ倒れてたっけ。その頃からこいつの勝率は変わらないけれど、けれど、それでもまー挑んできてて、最近はそうでもないけど。だから、久しぶりに嗅いだ気がする。当たり前だったものを、久々に。
懐かしくて、安心する。
すーすーと寝息を立てている口元を見ると、こっちまで眠たくなってしまう。
自分に眠気が移ってきているような気さえした。
「ふわぁ……」
大きく欠伸をして、霊夢も目を閉じる。
――ちょっとくらいいいわよね、さっきお昼寝したし。
あっさりと、呆気ないくらいに眠りに落ちた。
夕日が二人を照らしていた。
鴉が、かぁ、と鳴いた。
風が吹き込んで、二人の髪の毛をふわふわと揺らした。
◆
「お、おおお?」
目を覚ました魔理沙の目に飛び込んできたのは、霊夢の寝顔だった。しかも、自分のすぐ傍に。
気持ち良さそうに寝息を立てて、眠っている。
こいつはまだ寝るのか、と魔理沙は呆れて、息を吐いた。
そろりと手を伸ばし、鼻先を擽る霊夢の髪の毛をどかす。
ちょっとサラサラしてて、自分の髪の毛を触って、溜息を吐く。
外はもうすっかり暗くなっていた。
そして料理の匂いはさっぱりしないし、たぶん、お風呂もまだだろう。
どうしてこいつは私の横で寝ているんだ、と魔理沙は疑問符を浮かべた。
起こそうかと思った。
けれど、起こせなかった。
弱いのだ、昔から。気持ち良さそうに寝てるこいつに。起こしたくないと思えるのだ。
こうして寝ていると、こいつも自分と同じで、人間で、手が届きそうに見えて――
なんてのは建前で。
実際には、ただ単純に、こいつの寝顔は安心するからだ。
そんなことは口に出しては言えやしない。
自分の髪に手をやる。汗でべたべただ。肌も、きっと汗臭い。
お風呂行こうと、そう思った。思ったのだ、けれど。
「どうしたものかなあ……」
霊夢の手が、魔理沙のドロワーズの裾を握っていたのだ。
「どうしたものかなあ……」
もう一度、呟いた。
いや、確かに、脱いでいってもいいかもしれない。
だが待て、この下と言えばすっぽんぽんだ。
それはどうだ。
友達の家を、下半身裸で風呂まで向かう。
それは、乙女的に、どうだ……。
いや、だめだろう。
さすがに、自宅のように知り尽くしている家であっても、さすがにそれは駄目だろう。
ならばどうするか。
「目覚めるまで待つしかないのかなあ……」
そもそも、こいつは起きるんだろうかと疑問が脳内を過ぎる。
そう考えると、四の五の言っていられなくなってくる。
起こしたくない、から、起こさなきゃならない、に意識が変わる。
魔理沙は、すっ、と片手を上げる。
「てりゃ」
そして、振り下ろす。
霊夢の頭に直撃するのは、必殺のチョップである。
ごん、と結構いい音が鳴った。
瞬間、霊夢の拘束が緩む。しめたとばかりに魔理沙はするりと抜け出した。
「ん、んん~……あふ」
目を擦ると、霊夢は欠伸をして、半目を開けた。
「おはよう霊夢。私はお風呂行って来るから」
しゅたッ、と手を掲げ、風呂場へダッシュする魔理沙。眠たげに魔理沙を見送る霊夢。むくりと起き上がると、もう一度大きく欠伸をする。
「んぁ、もう夜?」
おゆはんどうしようかなあ、と霊夢は現在の重要事項を考える。
けれど、もう簡単なものだけでいいかなあ、と思った。このままお風呂行って、そして適当にお昼のあまりとかでなんか作って食べて寝たらいいや、と。
そうと決まれば話は早かった。寝巻きを二枚持って、風呂場へと歩みを進める。
誰が入っているか知っているから。
だから、まあ、いいかな、と。
からからから、と戸を開け、ぽんぽんと籠の中に寝巻きを投げ込む。
と、扉の向こうから、先に入っていただろう魔理沙の声が聞こえてくる。
『おお。霊夢か』
「うん。ここに寝巻き置いとくね」
『ありがたいや。ここまで汗まみれの下着を着けてたくないしな』
「そして私も入る」
『はぁ!? ちょ、飯の準備は?』
「いいわ、適当で。それより私は疲れてるの」
『お前今日寝てただけじゃねえか!!』
「寝てるのって以外に体力使うのよ」
『どうしようもねえなそれ!』
「まあ嘘だし。とりあえずもう遅いわ」
と、喋りながら終えた脱衣。ひらりと下着を籠に方って畳んで置いておいたタオルを取る。凹凸の殆どない身体を、特に隠そうとせずに肩にかける。
がらがらと扉を開けて、丁度身体を洗っていた魔理沙に手を挙げる。
魔理沙は細っこい身体を泡塗れにして、しゃこしゃこと手拭いで腕を洗っていたところだった。白い肌が、普段と違うように、少し赤くなっていて、どこか色っぽい。けれど鼻先にくっつけた泡で台無しだ。
「うっす魔理沙ー」
「なんで入ってくるの……二人だと狭いじゃん」
「まあいいじゃない?」
「まあいいけどさ」
知ってる仲なのだ。温泉だって一緒に入る。小さい頃は風呂だってよく一緒に入ってた。けれど、今はそれなりに身体も大きくなったわけだ。つまり、霊夢の家の一人用の風呂だと、必然密着しなくてはならないのだ。
霊夢は、やれやれと両手を上に向ける魔理沙を放って、掛け湯をした。そして、もう一度汲むと、魔理沙の頭の上で風呂桶を引っ繰り返した。ざばー。
魔理沙の身体の泡が流れ、霊夢より細く、肋骨の浮き出た痩せっぽちな裸が現れる。
「な、な、なにするんだよ!」
「いや、頭くらい洗ってあげようかと」
「大きなお世話だよ!?」
「んや、昔してあげたから、今はどうかなあって」
「知らないよ!」
「それより魔理沙。あんたちゃんと食べてるの?」
「一気に跳んだな……。いや、うん、最近ちょい不摂生」
「だめよー。ちゃんと食べないと」
「はいはい。じゃあ夕飯はちゃんとしたのを……」
「時間がないから無理ね」
「そうか……そしてお前は、話しながら私の頭でシャンプーを泡立てるな!」
「まあいいじゃん」
したくなったんだから、と小さく呟く。
霊夢は魔理沙の髪の毛をわしゃわしゃと洗う。丁寧に。
魔理沙はまるで、猫のようだった。じっとしている。どこか安心したような表情で。
「あのさー」
「あによ。痒いの?」
「いやそうじゃなくって、うん、なんかむず痒い」
「痒いんじゃないの」
「そういう痒いじゃなくってなあ……こそばゆい感じ」
「ふうん。あ、流すわよー」
「うえ、ちょ、ま、ぶわっ!?」
ざばーっと桶を引っ繰り返す。魔理沙は頭からお湯を被って、口に入ったのか奇妙な声を上げた。
流れたのを確認して、わしわしと髪の毛をかき回して、少し泡が残ってるのを確認。もう一度、霊夢はお湯を汲む。
「はいもういっかーい」
「だから――わぷっ!?」
もう一度ざばーっと流して、わしわしかき混ぜる。
もう残ってないことを確認。
けれど、もう一度流したりしてみようとは思う。
「もういっかーい」
「おま、だから、楽しんでるだろ!?」
「うん。でも、ほらきれいに流れたでしょ?」
「別にいいけどさ……」
髪の毛をかき上げて水滴を飛ばす。
手入れやらなんやらも丁寧にやってやる。その間、魔理沙は一言も喋らなかった。霊夢もまた同じ。
そして立ち上がると、湯船に入り、座り込んだ。
「なんかさ、懐かしいな」
「懐かしい?」
「うん。あれだな、昔を思い出すな」
「わりと黒歴史っぽいけど」
「そっちは言うなよ!」
霊夢は風呂椅子に座ると、タオルを泡立て始める。
「あれだよなー。結構こうして一緒に風呂入ってたりしてたよなー」
「今じゃしないけどね」
「そりゃそうだ。あの頃は身体も小さかったしな。見ろよ、この湯船。二人で入ったら、きっとぎゅうぎゅうだぜ?」
ごしごしと身体を洗いながら、霊夢は考える。そう言えば、そうだ。もっとずっと広かったような気がする。でも、今じゃこんなものだ。成長したし、だから、こうして二人で入ることもなくなった。
まあそれでも、これは相も変わらず日常なのだ。
そんなものでいい。
それで、いいのだ。
「そうね。ぎゅうぎゅうよ」
ざばっと湯船から掬い、身体を流す。
今度は髪の毛だ。
洗って、手入れして――
ほんのそれだけ。
また二人して黙り込んだ。
わしゃわしゃという音が響く。
「ふいー」
「ホントに入ってきたぜ……」
「ホントに狭いわ」
「なら入ってくんなよ」
「やだ。私だって入りたいし」
「へーへー」
押し合い圧し合いしながら、二人でぎゅうぎゅうの風呂につかる。
寝てばっかりだったけれど、身体の疲れが抜けていくのがわかる。これは今日半日掃除していた魔理沙なら、尚更だ。
縁に首を乗せて、ぐうっと背筋を伸ばす。魔理沙より少しだけ大きな胸が、ふるりと揺れた。
「……やっぱこれ、栄養の差かなあ……?」
と自らの胸を押さえ、魔理沙は言う。
「あんたが食わないだけよ。それに少ししか違わないじゃない」
「その少しが重要なんだぜ?」
「結構どうでもいいわ」
「お前とは分かり合えない」
「そーね」
はふぅ、と一息。
肩までつかってリラックス。
窓の外からは、もう、秋の虫の声が聞こえ始めていた。
「……なあ、今度、お月見でもしに来ていいか?」
「あら珍しい。いっつも無許可で来るくせに」
「まあ許可がなくても行くけどな」
「そもそも毎日のように来るくせに」
「それもそうだ」
そう言って、くすくすと笑った。
◆
「そうだ、夕飯どうするんだ?」
「里から貰った素麺がいっぱいあるけど」
「夏だからかよ!」
「夏だからよ」
「それでいいよ。あ、私は山葵がいるからな」
「知ってるわ」
「だろうな」
茹でて、つゆにつけての簡単料理。
ぱたぱたと寝巻きの胸元を開け、団扇で扇ぎながら、夏の終わりに耳を傾ける。
賑やかな夜だ。
茹で上がるまでの間、退屈はしない。
魔理沙は、台所でお湯が沸騰する音を聞きながら、団扇を動かす。
火照った肌は赤みが差していて、どこか少女離れした色気を醸し出す、がこの場にいるのは少女二人。なにが起こるわけでもない。
かちゃかちゃと音がする。
霊夢が食器やらを準備する音だ。
ついで、山葵を擦る音。
本当に、賑やかな夜だ。
「ほらできたわよー」
「おう待ってたぜ」
振り向いて、魔理沙は器に盛られた大量の素麺に目を丸くした。ちょこんと氷まで乗っかってる。
「お、多いな、おい」
「そりゃね。貰い物だし、食べちゃわなきゃもったいないわ」
「おいまさか……」
「まだまだ沢山あるのよ。素麺地獄だわ」
「私が籠もってた間に、お前はいくつ素麺を食べたんだよ」
「数えるのも面倒だわ」
「私も手伝ってやるよ」
「……ありがとう」
めんつゆに山葵を投入。溶かして、魔理沙は素麺に手を伸ばす。めんつゆに浸け、つるりと飲み込むと爽快感が突き抜ける。
「っかぁー……夏はやっぱこれだな……」
「もう終わるし、わたしゃもう飽きるほど食べたけどね」
そう言う霊夢の手元には、大量の大根おろし。
「いろいろ使って、ろーてーしょんで飽きないようにしてるのよ」
そろそろお菓子とか入れてみてもいいかもしれない、と霊夢は呟くようにして言った。
「お疲れさまだ……」
「うん」
「それにしたって、一緒にお風呂で素麺か……」
「なんよ?」
「いんや、やっぱりなんか子供んとき思い出すな、ってさ」
「珍しい日だわね」
「ああ、珍しい。でも、こんな日があってもいいとは思わんか?」
「もうあったわ」
「それもそうだった」
霊夢から笑い声が漏れる。
少し恥ずかしくなって、魔理沙は一気に啜りこんだ。山葵の塊が口に入って、鼻の奥を刺激する。ごほごほ、と咳き込む。
「なにやってるの」
呆れたように水を差し出す。
「いやすまん」
一気に飲み干し、卓袱台に置く。
まだ鼻の奥がツーンごしているみたいだ。
「ほんとに、子供みたいだわ」
と、霊夢は笑った。
魔理沙はむくれた。
◆
「さすがに一緒の布団はちょっと……」
「いや、しないけど」
「だよなー」
寝床に二枚の布団を敷くと、どちらともなく寝転がる。
既に灯りは消してある。
真っ暗な中、月明かりだけが照らしている。
あふう、と霊夢は欠伸をした。
「お前今日寝てばっかだな」
「そう言えば、そうね」
もぞもぞと布団に潜り込む。
頭まで布団を被って、やっぱり暑くて蹴飛ばして、多きめの手拭いを腹に掛ける。二人ともが、同じように。
そして、目を瞑る。
真っ暗。
互いの息遣いが聞こえてきそうなくらい。
「……あのさ」
と魔理沙が言う。
「あによ」
と霊夢が問いかける。
「明日も泊ってってもいいか?」
「いいに決まってるわ。って言うか、あんた聞かなくても来るじゃない」
「そっか」
「そうよ」
それだけ聞くと、安心したように、魔理沙は瞼を閉じる。
霊夢は、明日には、萃香にでも魔理沙の家の立て直しをお願いしておこうと思った。
思って、目を閉じた。
どうしてこいつと私は友達なんだっけ、なんてことを思ってみる。けれど答えはなくて、結局、ただここに来るし、私はここにいるからだ、としか言えなかった。
それでも何故か、と答えを出してみる。
それでも、そうだと言えるものは、ない。
いつの間にか友達で、いつの間にかこんな感じでつるんでる。
そんなものだろう、友達なんて。
二人して同じ部屋で。
そう言えば、昔はこんなこと、もっとよくあったっけなあ、と思った。
そんなことを考えながら、いつの間にか、眠りに落ちてしまう。
眠ってしまった二人の顔は、まるで子供のようで――
了
でも魔理沙って料理結構上手かった気がした。
しかも料理すること自体嫌いじゃなかったかと。
鈴虫の音が聞こえる。
不思議なものですね
お疲れ様でした。
こんな二人は見ていてにやけます!
良い作品を見せてくれた作者様に感謝を
ものすごいいい。