心地よさにまぶたを開ける。頭上に感じる気配へ視線を向けてみると、お嬢様の寝顔があった。息遣いが同調するほど近すぎる距離。私の髪がお嬢様のあごを撫でている。
頭上にお嬢様の寝顔があるのなら、眼前には何があるのか。視線を前へと戻してみれば、淡いピンクのパジャマが見て取れた。
すやすやという寝息と同じタイミングでふくらみ、縮み、ふくらみ……私の鼻先を撫でる。
ふにっ……と、最初に感じた心地よさが伝わってきた。
ああ、お嬢様の胸に抱かれているのか。
お互い横向きになって、お嬢様に頭を抱えられているのか。
ぼんやりと自覚しながら、ピンクのパジャマへと顔をうずめる。
シルクのすべすべとした生地越しだというのに、お嬢様のやわらかな肌の弾力が伝わってきた。
マシュマロの雲に心身を包み込まれる、やわらかな感触。
うららかな春の陽気にも似た、優しいぬくもり。
心がとろけて全身から力が抜けていき、得がたいほどの安心感が湧き上がる。
自然とほほ笑みがこぼれ、この心地にもっとひたっていたいという欲求からほんの少し額を押し込む。
ふにふにとした柔肌との間に前髪が割り込んできて邪魔だ。
お嬢様の腰に手を回しつつ、額をぐりぐりとこすって前髪をどけようとして――。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
枕に額をこすりつけている自分に気づく。
…………うん?
何が……。
枕の適度にやわらかい感触と、自分の体温が移っただけのぬくもりを長々と味わう気になれず、のっそりと起き上がってようやく現状を把握した。
私は横向きになってお嬢様に抱かれていたのではなく、私はうつ伏せになって枕に額を押しつけていただけなのだ。
ありていに言えばただの夢。
ああ夢かぁ。
幸せな夢だったなぁ。
心地いい夢だったなぁ。
……夢かぁ。
残念ではあったが、気持ちのいい目覚めを迎えられたのでプラスマイナスで言えば確実にプラスだ。
今日は元気百倍でメイド仕事をこなせそうなので、張り切って朝の身支度を整え出す。
ミニスカートのメイド服。エプロンも真っ白で清潔感バッチリ! タイを締めて背筋を伸ばし、鏡の前に凛と立つ。
今日も今日とてわたくし、完全瀟洒な電光石火のメイド長、十六夜咲夜がいざ参る!
「なに?」
ティータイムにティーカップをつまんだまま、お嬢様は眉をしかめて訊ねてきた。
なに、と言われても、なにがですか。
取り合えず現状を再確認してみましょう。
紅魔館のベランダ、屋根の下で日光から隠れながら、レミリアお嬢様が紅茶を飲んでいる……それだけのシチュエーション。
私は紅茶を入れて、お嬢様のかたわらにたたずんでいるだけ。
つまり、お嬢様の仰った「なに?」が意図するものは………………んーと……。
分かりません。
「なに、と仰られても、なにがですか?」
「あんたなんか、今日は私のことジロジロ見てくるじゃない」
「えっ、そうです?」
「そうよ」
別に後ろ暗い事情はないのだけど、思わずそっぽ向いてしまう。ああ、青空を鳥が飛んでいる。鳥が凍って霧の湖に落っこちていく。いきり立った夜雀が霧の湖に舞い降りていく。弾幕の光が――。
「で、なによ」
声が、頭上から。
今朝の夢がフラッシュバックして、ドキリと心臓が跳ね上がってしまう。
「おっとと……」
よろめきかけ、踏ん張る。
いつの間にやらお嬢様は私の肩に立っており、私の頭に肘をついて前のめりになり、逆さまの顔でこちらを覗き込んできていた。
時を止めたんじゃないかってような素早さだけど、今回は私が抜けてただけか。
お嬢様はとても軽いので肩に乗られてもそう重くはない。されど髪の毛先が妙にちりちりするというか、意識が尖るというか。
頭に肘が乗ってるってことは、肘のさらにもうちょっと上に、夢で触れた、あの、あれが。
そう考えるとどうにも身体がぎくしゃくしてしまう。
「じい」
っと見つめているとアピールするためか、わざわざ口に出して言うお嬢様。
逆さまの眼差しを受けながら、さてどう答えたものかとシミュレートしてみる。
シミュレート1、正直に答える。
お嬢様の胸に顔をうずめて眠る夢を見ました。気持ちよかった!
これに対するお嬢様の答えは?
1――なにそれキモい。
2――甘えん坊め。
3――咲夜がおっぱい枕になるがよい。
なんか1になりそうで怖い。こういうのって悪い予想ばかり当たるんですもの。
いやまあ実際、こんな夢の話をされたら誰だってキモいって思う。普通は思う。お嬢様は普通じゃないけどきっと思う。
シミュレート2、ぼかす。
実は今朝、お嬢様の夢を見たんですの。うふふ。それを思い出してつい……。
これに対するお嬢様の答えは?
1――もっと詳しく。
2――もっと具体的に。
3――夢の私の方がいいのなら永遠の眠りにつくがいい。
うーん、我ながら想像力が貧困な気がしてきた。
1と2は違いがない。3はさすがにない。
シミュレート3、嘘つく。
………………嘘の内容が思い浮かばない。
「咲夜ー。なに、って訊いてんのよ」
翼を広げる音がした直後、肩と頭にかかっていた重さがフッと消える。
軽やか華麗な宙返りを披露してお嬢様は着地した、私の手前に。
そして両手を腰に当てたちょっとだけ怒ったようなポーズで、ずずいとにじり寄ってくる。
「ご主人様に隠し事かしら」
「ええ、まあ、誰にだって秘密のふたつやひとつ、ありますか」
とんちんかんな物言いになってしまい、ますます進退窮まるこの有り様。
隠し事せず答えたらシミュレート1になっちゃうしなぁ……。
お嬢様のお胸に抱かれて眠る夢がとても心地よかったです、だなんて……人に話すようなものじゃないでしょう?
同性愛者のペドフィリアという訳でもないし、いやらしい気持ちは無いのだけれど、マナーの問題というか、倫理の問題というか。悪魔の犬でも踏み外してはならぬ道徳というか。ねえ?
「ああそうだお嬢様! おゆはんはなにに致しましょう? 今日はお嬢様のリクエストに全力でお応えしちゃいますよー」
「んー、今日は中華って気分……じゃなくて、答えんかい私の質問に」
つん、と。
お嬢様の指先が私の胸をつついた。
その動作は至って自然なものであり悪戯心すら垣間見えず、今朝の夢についてなんら察していないことは分かる。分かるのだけれども、気恥ずかしさから胸の鼓動がドッキンチョ!
思わず慌てて身を引いて、ぎゅぎゅっと己の胸を抱きしめて。
「ちゅ、ちゅうかですね美鈴と相談してきままぁー!」
時間を止めてトンズラしてしまった。
ああ、後でお嬢様になんと言われるのやら。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
パーフェクトメイドと呼ばれるだけあって、私の料理はともかく絶品だ。
幻想郷料理大会があったら最低でも三位以内に入るし、真面目に優勝を狙えるくらいの腕前だ。
ただ、中華料理だけは身内に絶対かなわない。
紅魔館の門番を居眠る紅美鈴。中華妖怪だけあって中華料理は超絶に抜群で絶品。
お嬢様は私の中華料理も美味しいと言ってくれるけど、美鈴の中華料理はとても美味しいって褒めるのよね。
とてもってつけるのよねとてもって。むむむ。悔しい。
なので中華料理の時は美鈴に相談して、とても美味しいって褒められるようがんばっている。
という訳で時間を止めて門までやってくると、意外、美鈴は居眠りをしていなかった。
陽射しを一身に浴び、しゃんと背筋を伸ばして立っている。
大きく大きく口を開けて、今にも中華饅頭にかぶりつこうとしている。
眠っていたならナイフを投げていつものようにじゃれ合い、いつものペースを取り戻せたかもしれないのに。ちょっぴり残念。
すぅっと息を吸って、はぁっと息を吐く。
よし。
いつもの自分を心がけながら、いつものように時間停止を解除する。
いつもの私がいつものように声をかける。
「おっ……はよう美鈴」
「は? あのー、今日は寝てませんけど」
私ぃー! なにを口走ろうとした私ぃー!! おっ……の後になんて言おうとしたの私ぃー!?
慌てておはようって言い直したけど、美鈴が寝てないのしっかり確認してたじゃないの私ぃー!
美鈴はというと、時間停止で忽然と現れる私に対しての驚きは皆無であったが、こちらのうろたえっぷりは伝わってしまったようで心配そうな表情を浮かべている。
「コホン。美鈴、なに食べてるの?」
話題そらしをすると、美鈴はわざわざ指で饅頭を真っ二つに割って具を見せてくれた。
「肉まん。半分どうです?」
「いただくわ」
受け取った肉まんは湯気こそ立っているものの、熱々というよりは手頃なあたたかさだ。美鈴が自作したなら出来立てほやほやを食べるだろうし、メイド妖精が作ったにしては出来がいい。
はむっ。うん、おいしい。モチモチしたやわらかい食感と、ジューシーな肉汁がよくマッチしている。
「小悪魔が人里で買ってきてくれまして」
心遣いから半分になった肉まんを、美鈴はたった一口でさらに半分にしてしまう。
「むぐむぐ……帰り道で一個食べたところ、結構ボリュームがあってパチュリー様には重たそうだったので、働き者で消費カロリーの大きな私に分けてくれたんですよ。あっはっはっ」
「そう、パチュリー様は食べてないのね。丁度よかった。今日のおゆはんはお嬢様のリクエストで中華になったから、かぶっちゃうものね」
「わお、中華ですか。肉がぎっしり詰まった餃子なんか食べたいですねぇ……じゅるり」
「お嬢様のリクエスト、と言ったでしょう? ニンニク抜き餃子でもお嬢様の心証は悪くなるかも」
「んじゃー肉まんなんてどうです?」
と、半分の半分になった肉まんを、パクリと一口で片づける美鈴。
どれだけ肉まん食べたいのよ。
分けてもらったこの肉まん、半分に割って美鈴に返そうか?
「人間向けじゃなく、妖怪向けの肉まんも食べたいなぁ……なんて思いまして」
「ああ、そういう」
幻想郷で妖怪向けとなれば、人間が口にするのが憚られる食材が使われることが多い。
憚られる肉がぎっしり詰まった肉まん……その味を想像したのか、美鈴は恍惚の表情でよだれを垂らした。
クスッ。なんだか美鈴が可愛くて、リクエストに応えたい気持ちが湧いてきちゃった。
お嬢様にもあの肉たっぷりの肉まんをご馳走して、先ほどの失態は忘れてもらうと致しましょう!
「で、この手はなんなんでしょう?」
「え?」
手、と言われて意識を向けてみればなぜか肉まんを両手に持っていた。
美鈴から受け取った肉まんを割いた覚えはない。
故に肉まんは片手にのみあるはずなのだ。
しかも右手にあるもちっとした肉まんに対し、左手にある肉まんはプニッと力強い弾力を持っている。
見下ろしてみれば――。
右手には肉まんを――。
左手には美鈴のおっぱいを――。
――掴んでいた。
「……オアッ!?」
裏返った悲鳴を上げながら、ついつい力のこもってしまった右手が肉まんを握りつぶして地面に落とし、ついつい力のこもってしまった左手が乳肉をぎゅぎゅっと握ってたっぷりと感触を味わう。
味覚に例えるなら間違いなく美味。弾力とやわらかさを兼ね備えるミディアムステーキ!
ああ、指が沈んでいく。
おお、指が押し返される。
「ひゃあ」
美鈴が妙に棒読みな悲鳴を漏らす。
冗談かなにかと思われ、美鈴なりにリアクションを考えてくれたのかもしれない。
つらい……その優しさがつらい……!!
「ご、ごめなさああァー!」
後ろに飛びのこうとしてつまずいて転びそうになって身体を捻って踏ん張ろうとしてグキッと腰が鳴って力が抜けて尻餅をついて倒れてしまって、真っ赤になった顔を両手で覆う。
なんで美鈴のおっぱいを無意識に鷲掴みにしちゃったのよ私。肉まん違いにも程があるわよ私。
完全で瀟洒なメイドって文句に背を向けて全力ダッシュするような所業。
人肉肉まんじゃなく妖怪肉まんをキャッチ&リリーホワイト!
私のオツムが春ですよー!
「まったく、なにやってんのよ」
呆れ声がし、そんな言い方しなくたってと思い、いやまあそんな言い方されても仕方ないかと肩を落とし、というか美鈴らしからぬ発言だと不審に思い、眉をひそめて顔を上げると、はい、レミリアお嬢様がいました。
日傘で身を守りながら、美鈴のかたわらへと歩いてきている。
そうよね、話の途中でトンズラこいたものね、美鈴に相談に行くって言って馬鹿正直に美鈴のところに来ちゃったから居場所バレバレよね。
挙句、よりにもよってこんな醜態を見られるなんて。
ああ……運命って残酷。
運命はお嬢様の下僕だもの、そりゃ残酷よね。
「で、あなたの隠しごとは美鈴のおっぱいをじっくりたっぷり味わいたいって性的嗜好だと判断していいのかしら」
「うェア!? ちっ……がいます!」
「と、言われてもちゃんと弁解してくれなきゃそういう風に誤解するしかないのだし、イヤなら吐きなキリキリ吐きな」
クルクル日傘を回しながら悪戯っぽくほほ笑むお嬢様の可憐さ、抗い難し。
美鈴も不審げに見つめてきてるし、これもう、誤魔化すのも逃げるのも無理かもしれない。
神は我を見放した――!
具体的には多分、紅魔館のメイドになった日にはすでに――。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
白昼の紅魔館、その門前にて正座しながら、今日見た夢を暴露するメイドの姿があった。
その夢は主であるレミリアお嬢様の小さな胸に抱かれて眠っているという内容であり、その心地よさが未だ忘れられずついついお嬢様の胸をチラ見したり門番の肉まんおっぱいを無意識に鷲掴みにしたりする程度に尾を引いている――と。
白昼の紅魔館、その門前にて正座しながら、赤裸々に語っているメイドは間違いなく私だった。
当惑――そう表現するのが適切だろう。美鈴は驚けばいいのか笑えばいいのか分からず、当惑してポカンと口を開いて呆けている。いっそ笑え! そう叫びたい衝動に駆られる。事実、叫ぼうとした。
「ファーッファッファッファッファ!」
でもそれより早くお嬢様が笑い出してしまう。
愉快そうでなによりです。死にたい。
「ファッファッファッ。ファファファのファ」
ハハハでいいじゃないですか。なんでファファファ。
そんな疑問を抱くのはきっと現実逃避って現象のせい。
「いやー、まさか咲夜がまだ乳離れできてないとは。まだまだ私に甘えたい盛りだったのかー、いやー、可愛いなー。咲夜可愛い」
フライパンがあれば顔を隠したい。きっと顔の熱だけで目玉焼きが焼けるから!
「そうかー、夢の中の私の胸の感触が忘れられないのかー、そうかー、そんなに気持ちよかったのかー」
はい、とっても。
「ファファファ。そんなにやわらかかったか。思わず笑い方もやわらかくなったわ、ファッファッファッ」
ファファファの理由そんなんですか。可愛い。抱いて。
「ファファファ、ファファファ。ファファファ――ふむ」
ひとしきり笑い終えたお嬢様は、口元に手を当ててしばし考え込む。
処刑台に上がる罪人の気持ちで待っていると、隠した手元の端からわずかに微笑が見えた。
「美鈴。今日の夕飯はあなたに任せるわ」
「はい? 私ですか?」
「中華な気分。つーか肉まん食べたい」
地面に落ちている肉まんを一瞥し、わずかに恨めしそうな目をされる。
純粋に肉まんが食べたいという訳ではなく、お裾分けをもらえなかったのがさみしいだけなんでしょうね。美鈴もそれを察したのか苦笑を浮かべて了承した。
「とびっきり美味しいのをご用意しますね」
「肉まんは三人分用意して、私の部屋に運びなさい。せっかくだし三人一緒に食べましょう。んで、咲夜は私のお供をなさい」
連行開始。
生きた心地がしないです。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
嫌な想像ばかりしてしまう。
お仕置きされるのかなぁ。それとも小言かしら。
美鈴から日傘を渡された際、励ますように肩を叩かれたのがなんか悔しい。
その日傘も門から館に入るまでの短時間で出番終了。お疲れ様。
館内の空気は悪魔らしく冷え冷えしている、だのに頬は熱い。羞恥心の暖房機能ってこんなに高かったのね。冬になるたび羞恥プレイをすれば暖かくすごせるのかしら。ああ、でも、顔は熱いけど肝は冷えてるのよね。上は暖房、下は冷房、身体に悪くて参っちゃいますわ。
ああ、こんな状況だっていうのに今朝の夢が蘇る。熱い暖房も冷たい冷房もいらないから、やわらかなぬくもりだけが欲しい。夢見るように眠りたい――。
連行されてたどり着いたのはお嬢様の寝室だった。
お嬢様はベッドに鎮座している棺桶をガシリと掴んで持ち上げると、絨毯の上にそっと下ろした。
未だ棺桶の跡が残るベッドに飛び乗ったお嬢様は、にんまりと微笑してポンポンとベッドを叩く。まるでここに来いと命じているかのように。不思議に思いながらも取り合えずベッドの前まで行くと、お嬢様は身を乗り出して私の手を掴み、ぐいっと引き倒して――抱きしめる。
「わぷっ」
息がつまって、なにが起きたのか目を白黒させる。
ベッドに倒れ込んだのだから、やわらかなぬくもりに包まれている。
寝心地もいい。お嬢様のベッドだもの、高級品だから、当然で、でも、ベッドと呼ぶには、これは。
「夕飯まで昼寝するわ」
お嬢様の声が頭上からし、見上げる。
お嬢様の顎と唇が見えた。
「それまで咲夜、お前は私の――」
このアングル、まさか。
夢で見たシチュエーションと同じ。
つまり。
「抱き枕をやってなさい」
お嬢様が私の頭を抱いている。
二人してベッドに横たわって。
母のように、子のように。
照れくささよりも、安らぎが先に立つ。
夢には無かった甘い香りに包まれ、うっとりとまぶたを下ろして額に意識を向ける。
乱暴にならないよう加減しながらお嬢様の柔肌に額を押し込み、ふにふにとしたやわらかなぬくもりを――。
……違う。
なんか違う。
天地神明に誓って心地いいんだけど、これ違うわ。
夢の中のお嬢様はパジャマで、今のお嬢様はドレス。その差異かとも思ったけれど、期待に満ち満ちた私の触覚は『否』と断じる。これじゃない。
お嬢様のお胸はふわふわとしたやわらかなぬくもりをお持ちになっている。
だが、夢の中で味わったのはふにふにとしたやわらかなぬくもりなのだ。
ふわっ……ではなく、ふにっ……なのだ。
こう……漠然とした表現しかできない、絶妙すぎる差異……。
どちらも等しく極上にて至高。
だのに満足できない自分がいる。
これは、そう。
肉まんと思って食べたら、あんまんだったような違和感。
最初からあんまんを期待していれば満足できていた。
でも私は肉まんを求めていたのだ。
マシュマロの雲と思って掴んだそれは、マシュマロの星だったのだ。
そのギャップが私の情動をさいなむ。
詐欺だ! と叫びたい衝動に駆られた瞬間、くしゃりと私の髪が撫でられた。
「ふふっ。咲夜ったら、こんなに抱き心地がよかったのね」
………………お嬢様、ご満悦。
言えない――これ違う、詐欺だ――言えない。
強張った表情を隠そうと、より深くお嬢様のお胸に顔をうずめる。
ああ、気持ちいいのに! 気持ちいいのになんか違う! あんまんでは、マシュマロの星では、私の欲求は満たされない!
でも言えない……なにも言えない……。
泣きたくなるのをこらえながら、せっかくの至福を無駄遣いし続けるしかなかった。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
「お嬢様ー、咲夜さーん。夕飯できましたよー」
午後六時。ようやく美鈴がドアの戸をノックしてくれた。
お嬢様の寝室で頂戴するのは従者として少々問題があるけれど、紅魔館はアットホームな職場なので大丈夫です。
「おー、ご苦労さん。入ってきて」
お嬢様が起き上がったため、ようやく噛み合わない至福から解放された。
ホントもう至福なのに至福じゃない矛盾ってつらい。
疲れた表情を見せないよう注意しながら私も起き上がると、トレイに肉まんを載せた美鈴が入室してきた。
ベッドに腰かけたまま、膝をポンポンと叩いて肉まんを持ってくるよううながすお嬢様。ああ、行儀悪いです。ベッドにこぼさないでくださいね、洗うの私なんですから。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけてくださいね」
受け渡される肉まん。お嬢様は満面の笑顔。
「はい、咲夜さんもどうぞ」
私も美鈴から肉まんを受け取り、ふにっ、指に伝わる肉まんのやわらかさ。
瞬間、渇望に注ぎ込まれる強烈な満足感。
歯車がガッシリと世界と噛み合ったのを実感した。暗闇に光が射し込むような実に晴れ晴れとした気分だった。
「これだぁー!!」
叫び! 魂からの叫び!
お嬢様がビックリして肉まんを落としてベッドに油がついてしまうのも!
美鈴がビックリして頬張ろうとしていた肉まんを丸呑みしちゃって喉につっかえさせたのも!
些細! 些末! 些少! どうでもいい!
中国四千年の歴史が生み出した、紅美鈴特製の肉まん!!
白い皮の手触りはまさしくマシュマロの雲!
今はただこの、ふにっとした感触を!
ふにふにとしたやわらかなぬくもりを!
味わい尽くすのみ!
という訳で。
夢の中のお嬢様のお胸に見立てて。
夢のように。
私は。
肉まんに。
顔を突っ込んだ。
食べるのではなく。
顔面で感触を楽しむために。
あまりの勢いに皮が破れ、具があふれるほどに。
ジュウ。
熱々の具が顔を覆い尽くした。
「あっツァァァアアアーッ!?」
こうして私は永遠亭までお嬢様にかつがれて行き、火傷の治療を受けることになるのでした。
恥ずか死。
頭上にお嬢様の寝顔があるのなら、眼前には何があるのか。視線を前へと戻してみれば、淡いピンクのパジャマが見て取れた。
すやすやという寝息と同じタイミングでふくらみ、縮み、ふくらみ……私の鼻先を撫でる。
ふにっ……と、最初に感じた心地よさが伝わってきた。
ああ、お嬢様の胸に抱かれているのか。
お互い横向きになって、お嬢様に頭を抱えられているのか。
ぼんやりと自覚しながら、ピンクのパジャマへと顔をうずめる。
シルクのすべすべとした生地越しだというのに、お嬢様のやわらかな肌の弾力が伝わってきた。
マシュマロの雲に心身を包み込まれる、やわらかな感触。
うららかな春の陽気にも似た、優しいぬくもり。
心がとろけて全身から力が抜けていき、得がたいほどの安心感が湧き上がる。
自然とほほ笑みがこぼれ、この心地にもっとひたっていたいという欲求からほんの少し額を押し込む。
ふにふにとした柔肌との間に前髪が割り込んできて邪魔だ。
お嬢様の腰に手を回しつつ、額をぐりぐりとこすって前髪をどけようとして――。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
枕に額をこすりつけている自分に気づく。
…………うん?
何が……。
枕の適度にやわらかい感触と、自分の体温が移っただけのぬくもりを長々と味わう気になれず、のっそりと起き上がってようやく現状を把握した。
私は横向きになってお嬢様に抱かれていたのではなく、私はうつ伏せになって枕に額を押しつけていただけなのだ。
ありていに言えばただの夢。
ああ夢かぁ。
幸せな夢だったなぁ。
心地いい夢だったなぁ。
……夢かぁ。
残念ではあったが、気持ちのいい目覚めを迎えられたのでプラスマイナスで言えば確実にプラスだ。
今日は元気百倍でメイド仕事をこなせそうなので、張り切って朝の身支度を整え出す。
ミニスカートのメイド服。エプロンも真っ白で清潔感バッチリ! タイを締めて背筋を伸ばし、鏡の前に凛と立つ。
今日も今日とてわたくし、完全瀟洒な電光石火のメイド長、十六夜咲夜がいざ参る!
「なに?」
ティータイムにティーカップをつまんだまま、お嬢様は眉をしかめて訊ねてきた。
なに、と言われても、なにがですか。
取り合えず現状を再確認してみましょう。
紅魔館のベランダ、屋根の下で日光から隠れながら、レミリアお嬢様が紅茶を飲んでいる……それだけのシチュエーション。
私は紅茶を入れて、お嬢様のかたわらにたたずんでいるだけ。
つまり、お嬢様の仰った「なに?」が意図するものは………………んーと……。
分かりません。
「なに、と仰られても、なにがですか?」
「あんたなんか、今日は私のことジロジロ見てくるじゃない」
「えっ、そうです?」
「そうよ」
別に後ろ暗い事情はないのだけど、思わずそっぽ向いてしまう。ああ、青空を鳥が飛んでいる。鳥が凍って霧の湖に落っこちていく。いきり立った夜雀が霧の湖に舞い降りていく。弾幕の光が――。
「で、なによ」
声が、頭上から。
今朝の夢がフラッシュバックして、ドキリと心臓が跳ね上がってしまう。
「おっとと……」
よろめきかけ、踏ん張る。
いつの間にやらお嬢様は私の肩に立っており、私の頭に肘をついて前のめりになり、逆さまの顔でこちらを覗き込んできていた。
時を止めたんじゃないかってような素早さだけど、今回は私が抜けてただけか。
お嬢様はとても軽いので肩に乗られてもそう重くはない。されど髪の毛先が妙にちりちりするというか、意識が尖るというか。
頭に肘が乗ってるってことは、肘のさらにもうちょっと上に、夢で触れた、あの、あれが。
そう考えるとどうにも身体がぎくしゃくしてしまう。
「じい」
っと見つめているとアピールするためか、わざわざ口に出して言うお嬢様。
逆さまの眼差しを受けながら、さてどう答えたものかとシミュレートしてみる。
シミュレート1、正直に答える。
お嬢様の胸に顔をうずめて眠る夢を見ました。気持ちよかった!
これに対するお嬢様の答えは?
1――なにそれキモい。
2――甘えん坊め。
3――咲夜がおっぱい枕になるがよい。
なんか1になりそうで怖い。こういうのって悪い予想ばかり当たるんですもの。
いやまあ実際、こんな夢の話をされたら誰だってキモいって思う。普通は思う。お嬢様は普通じゃないけどきっと思う。
シミュレート2、ぼかす。
実は今朝、お嬢様の夢を見たんですの。うふふ。それを思い出してつい……。
これに対するお嬢様の答えは?
1――もっと詳しく。
2――もっと具体的に。
3――夢の私の方がいいのなら永遠の眠りにつくがいい。
うーん、我ながら想像力が貧困な気がしてきた。
1と2は違いがない。3はさすがにない。
シミュレート3、嘘つく。
………………嘘の内容が思い浮かばない。
「咲夜ー。なに、って訊いてんのよ」
翼を広げる音がした直後、肩と頭にかかっていた重さがフッと消える。
軽やか華麗な宙返りを披露してお嬢様は着地した、私の手前に。
そして両手を腰に当てたちょっとだけ怒ったようなポーズで、ずずいとにじり寄ってくる。
「ご主人様に隠し事かしら」
「ええ、まあ、誰にだって秘密のふたつやひとつ、ありますか」
とんちんかんな物言いになってしまい、ますます進退窮まるこの有り様。
隠し事せず答えたらシミュレート1になっちゃうしなぁ……。
お嬢様のお胸に抱かれて眠る夢がとても心地よかったです、だなんて……人に話すようなものじゃないでしょう?
同性愛者のペドフィリアという訳でもないし、いやらしい気持ちは無いのだけれど、マナーの問題というか、倫理の問題というか。悪魔の犬でも踏み外してはならぬ道徳というか。ねえ?
「ああそうだお嬢様! おゆはんはなにに致しましょう? 今日はお嬢様のリクエストに全力でお応えしちゃいますよー」
「んー、今日は中華って気分……じゃなくて、答えんかい私の質問に」
つん、と。
お嬢様の指先が私の胸をつついた。
その動作は至って自然なものであり悪戯心すら垣間見えず、今朝の夢についてなんら察していないことは分かる。分かるのだけれども、気恥ずかしさから胸の鼓動がドッキンチョ!
思わず慌てて身を引いて、ぎゅぎゅっと己の胸を抱きしめて。
「ちゅ、ちゅうかですね美鈴と相談してきままぁー!」
時間を止めてトンズラしてしまった。
ああ、後でお嬢様になんと言われるのやら。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
パーフェクトメイドと呼ばれるだけあって、私の料理はともかく絶品だ。
幻想郷料理大会があったら最低でも三位以内に入るし、真面目に優勝を狙えるくらいの腕前だ。
ただ、中華料理だけは身内に絶対かなわない。
紅魔館の門番を居眠る紅美鈴。中華妖怪だけあって中華料理は超絶に抜群で絶品。
お嬢様は私の中華料理も美味しいと言ってくれるけど、美鈴の中華料理はとても美味しいって褒めるのよね。
とてもってつけるのよねとてもって。むむむ。悔しい。
なので中華料理の時は美鈴に相談して、とても美味しいって褒められるようがんばっている。
という訳で時間を止めて門までやってくると、意外、美鈴は居眠りをしていなかった。
陽射しを一身に浴び、しゃんと背筋を伸ばして立っている。
大きく大きく口を開けて、今にも中華饅頭にかぶりつこうとしている。
眠っていたならナイフを投げていつものようにじゃれ合い、いつものペースを取り戻せたかもしれないのに。ちょっぴり残念。
すぅっと息を吸って、はぁっと息を吐く。
よし。
いつもの自分を心がけながら、いつものように時間停止を解除する。
いつもの私がいつものように声をかける。
「おっ……はよう美鈴」
「は? あのー、今日は寝てませんけど」
私ぃー! なにを口走ろうとした私ぃー!! おっ……の後になんて言おうとしたの私ぃー!?
慌てておはようって言い直したけど、美鈴が寝てないのしっかり確認してたじゃないの私ぃー!
美鈴はというと、時間停止で忽然と現れる私に対しての驚きは皆無であったが、こちらのうろたえっぷりは伝わってしまったようで心配そうな表情を浮かべている。
「コホン。美鈴、なに食べてるの?」
話題そらしをすると、美鈴はわざわざ指で饅頭を真っ二つに割って具を見せてくれた。
「肉まん。半分どうです?」
「いただくわ」
受け取った肉まんは湯気こそ立っているものの、熱々というよりは手頃なあたたかさだ。美鈴が自作したなら出来立てほやほやを食べるだろうし、メイド妖精が作ったにしては出来がいい。
はむっ。うん、おいしい。モチモチしたやわらかい食感と、ジューシーな肉汁がよくマッチしている。
「小悪魔が人里で買ってきてくれまして」
心遣いから半分になった肉まんを、美鈴はたった一口でさらに半分にしてしまう。
「むぐむぐ……帰り道で一個食べたところ、結構ボリュームがあってパチュリー様には重たそうだったので、働き者で消費カロリーの大きな私に分けてくれたんですよ。あっはっはっ」
「そう、パチュリー様は食べてないのね。丁度よかった。今日のおゆはんはお嬢様のリクエストで中華になったから、かぶっちゃうものね」
「わお、中華ですか。肉がぎっしり詰まった餃子なんか食べたいですねぇ……じゅるり」
「お嬢様のリクエスト、と言ったでしょう? ニンニク抜き餃子でもお嬢様の心証は悪くなるかも」
「んじゃー肉まんなんてどうです?」
と、半分の半分になった肉まんを、パクリと一口で片づける美鈴。
どれだけ肉まん食べたいのよ。
分けてもらったこの肉まん、半分に割って美鈴に返そうか?
「人間向けじゃなく、妖怪向けの肉まんも食べたいなぁ……なんて思いまして」
「ああ、そういう」
幻想郷で妖怪向けとなれば、人間が口にするのが憚られる食材が使われることが多い。
憚られる肉がぎっしり詰まった肉まん……その味を想像したのか、美鈴は恍惚の表情でよだれを垂らした。
クスッ。なんだか美鈴が可愛くて、リクエストに応えたい気持ちが湧いてきちゃった。
お嬢様にもあの肉たっぷりの肉まんをご馳走して、先ほどの失態は忘れてもらうと致しましょう!
「で、この手はなんなんでしょう?」
「え?」
手、と言われて意識を向けてみればなぜか肉まんを両手に持っていた。
美鈴から受け取った肉まんを割いた覚えはない。
故に肉まんは片手にのみあるはずなのだ。
しかも右手にあるもちっとした肉まんに対し、左手にある肉まんはプニッと力強い弾力を持っている。
見下ろしてみれば――。
右手には肉まんを――。
左手には美鈴のおっぱいを――。
――掴んでいた。
「……オアッ!?」
裏返った悲鳴を上げながら、ついつい力のこもってしまった右手が肉まんを握りつぶして地面に落とし、ついつい力のこもってしまった左手が乳肉をぎゅぎゅっと握ってたっぷりと感触を味わう。
味覚に例えるなら間違いなく美味。弾力とやわらかさを兼ね備えるミディアムステーキ!
ああ、指が沈んでいく。
おお、指が押し返される。
「ひゃあ」
美鈴が妙に棒読みな悲鳴を漏らす。
冗談かなにかと思われ、美鈴なりにリアクションを考えてくれたのかもしれない。
つらい……その優しさがつらい……!!
「ご、ごめなさああァー!」
後ろに飛びのこうとしてつまずいて転びそうになって身体を捻って踏ん張ろうとしてグキッと腰が鳴って力が抜けて尻餅をついて倒れてしまって、真っ赤になった顔を両手で覆う。
なんで美鈴のおっぱいを無意識に鷲掴みにしちゃったのよ私。肉まん違いにも程があるわよ私。
完全で瀟洒なメイドって文句に背を向けて全力ダッシュするような所業。
人肉肉まんじゃなく妖怪肉まんをキャッチ&リリーホワイト!
私のオツムが春ですよー!
「まったく、なにやってんのよ」
呆れ声がし、そんな言い方しなくたってと思い、いやまあそんな言い方されても仕方ないかと肩を落とし、というか美鈴らしからぬ発言だと不審に思い、眉をひそめて顔を上げると、はい、レミリアお嬢様がいました。
日傘で身を守りながら、美鈴のかたわらへと歩いてきている。
そうよね、話の途中でトンズラこいたものね、美鈴に相談に行くって言って馬鹿正直に美鈴のところに来ちゃったから居場所バレバレよね。
挙句、よりにもよってこんな醜態を見られるなんて。
ああ……運命って残酷。
運命はお嬢様の下僕だもの、そりゃ残酷よね。
「で、あなたの隠しごとは美鈴のおっぱいをじっくりたっぷり味わいたいって性的嗜好だと判断していいのかしら」
「うェア!? ちっ……がいます!」
「と、言われてもちゃんと弁解してくれなきゃそういう風に誤解するしかないのだし、イヤなら吐きなキリキリ吐きな」
クルクル日傘を回しながら悪戯っぽくほほ笑むお嬢様の可憐さ、抗い難し。
美鈴も不審げに見つめてきてるし、これもう、誤魔化すのも逃げるのも無理かもしれない。
神は我を見放した――!
具体的には多分、紅魔館のメイドになった日にはすでに――。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
白昼の紅魔館、その門前にて正座しながら、今日見た夢を暴露するメイドの姿があった。
その夢は主であるレミリアお嬢様の小さな胸に抱かれて眠っているという内容であり、その心地よさが未だ忘れられずついついお嬢様の胸をチラ見したり門番の肉まんおっぱいを無意識に鷲掴みにしたりする程度に尾を引いている――と。
白昼の紅魔館、その門前にて正座しながら、赤裸々に語っているメイドは間違いなく私だった。
当惑――そう表現するのが適切だろう。美鈴は驚けばいいのか笑えばいいのか分からず、当惑してポカンと口を開いて呆けている。いっそ笑え! そう叫びたい衝動に駆られる。事実、叫ぼうとした。
「ファーッファッファッファッファ!」
でもそれより早くお嬢様が笑い出してしまう。
愉快そうでなによりです。死にたい。
「ファッファッファッ。ファファファのファ」
ハハハでいいじゃないですか。なんでファファファ。
そんな疑問を抱くのはきっと現実逃避って現象のせい。
「いやー、まさか咲夜がまだ乳離れできてないとは。まだまだ私に甘えたい盛りだったのかー、いやー、可愛いなー。咲夜可愛い」
フライパンがあれば顔を隠したい。きっと顔の熱だけで目玉焼きが焼けるから!
「そうかー、夢の中の私の胸の感触が忘れられないのかー、そうかー、そんなに気持ちよかったのかー」
はい、とっても。
「ファファファ。そんなにやわらかかったか。思わず笑い方もやわらかくなったわ、ファッファッファッ」
ファファファの理由そんなんですか。可愛い。抱いて。
「ファファファ、ファファファ。ファファファ――ふむ」
ひとしきり笑い終えたお嬢様は、口元に手を当ててしばし考え込む。
処刑台に上がる罪人の気持ちで待っていると、隠した手元の端からわずかに微笑が見えた。
「美鈴。今日の夕飯はあなたに任せるわ」
「はい? 私ですか?」
「中華な気分。つーか肉まん食べたい」
地面に落ちている肉まんを一瞥し、わずかに恨めしそうな目をされる。
純粋に肉まんが食べたいという訳ではなく、お裾分けをもらえなかったのがさみしいだけなんでしょうね。美鈴もそれを察したのか苦笑を浮かべて了承した。
「とびっきり美味しいのをご用意しますね」
「肉まんは三人分用意して、私の部屋に運びなさい。せっかくだし三人一緒に食べましょう。んで、咲夜は私のお供をなさい」
連行開始。
生きた心地がしないです。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
嫌な想像ばかりしてしまう。
お仕置きされるのかなぁ。それとも小言かしら。
美鈴から日傘を渡された際、励ますように肩を叩かれたのがなんか悔しい。
その日傘も門から館に入るまでの短時間で出番終了。お疲れ様。
館内の空気は悪魔らしく冷え冷えしている、だのに頬は熱い。羞恥心の暖房機能ってこんなに高かったのね。冬になるたび羞恥プレイをすれば暖かくすごせるのかしら。ああ、でも、顔は熱いけど肝は冷えてるのよね。上は暖房、下は冷房、身体に悪くて参っちゃいますわ。
ああ、こんな状況だっていうのに今朝の夢が蘇る。熱い暖房も冷たい冷房もいらないから、やわらかなぬくもりだけが欲しい。夢見るように眠りたい――。
連行されてたどり着いたのはお嬢様の寝室だった。
お嬢様はベッドに鎮座している棺桶をガシリと掴んで持ち上げると、絨毯の上にそっと下ろした。
未だ棺桶の跡が残るベッドに飛び乗ったお嬢様は、にんまりと微笑してポンポンとベッドを叩く。まるでここに来いと命じているかのように。不思議に思いながらも取り合えずベッドの前まで行くと、お嬢様は身を乗り出して私の手を掴み、ぐいっと引き倒して――抱きしめる。
「わぷっ」
息がつまって、なにが起きたのか目を白黒させる。
ベッドに倒れ込んだのだから、やわらかなぬくもりに包まれている。
寝心地もいい。お嬢様のベッドだもの、高級品だから、当然で、でも、ベッドと呼ぶには、これは。
「夕飯まで昼寝するわ」
お嬢様の声が頭上からし、見上げる。
お嬢様の顎と唇が見えた。
「それまで咲夜、お前は私の――」
このアングル、まさか。
夢で見たシチュエーションと同じ。
つまり。
「抱き枕をやってなさい」
お嬢様が私の頭を抱いている。
二人してベッドに横たわって。
母のように、子のように。
照れくささよりも、安らぎが先に立つ。
夢には無かった甘い香りに包まれ、うっとりとまぶたを下ろして額に意識を向ける。
乱暴にならないよう加減しながらお嬢様の柔肌に額を押し込み、ふにふにとしたやわらかなぬくもりを――。
……違う。
なんか違う。
天地神明に誓って心地いいんだけど、これ違うわ。
夢の中のお嬢様はパジャマで、今のお嬢様はドレス。その差異かとも思ったけれど、期待に満ち満ちた私の触覚は『否』と断じる。これじゃない。
お嬢様のお胸はふわふわとしたやわらかなぬくもりをお持ちになっている。
だが、夢の中で味わったのはふにふにとしたやわらかなぬくもりなのだ。
ふわっ……ではなく、ふにっ……なのだ。
こう……漠然とした表現しかできない、絶妙すぎる差異……。
どちらも等しく極上にて至高。
だのに満足できない自分がいる。
これは、そう。
肉まんと思って食べたら、あんまんだったような違和感。
最初からあんまんを期待していれば満足できていた。
でも私は肉まんを求めていたのだ。
マシュマロの雲と思って掴んだそれは、マシュマロの星だったのだ。
そのギャップが私の情動をさいなむ。
詐欺だ! と叫びたい衝動に駆られた瞬間、くしゃりと私の髪が撫でられた。
「ふふっ。咲夜ったら、こんなに抱き心地がよかったのね」
………………お嬢様、ご満悦。
言えない――これ違う、詐欺だ――言えない。
強張った表情を隠そうと、より深くお嬢様のお胸に顔をうずめる。
ああ、気持ちいいのに! 気持ちいいのになんか違う! あんまんでは、マシュマロの星では、私の欲求は満たされない!
でも言えない……なにも言えない……。
泣きたくなるのをこらえながら、せっかくの至福を無駄遣いし続けるしかなかった。
○〇OoO〇○〇OoO〇○〇OoO〇○
「お嬢様ー、咲夜さーん。夕飯できましたよー」
午後六時。ようやく美鈴がドアの戸をノックしてくれた。
お嬢様の寝室で頂戴するのは従者として少々問題があるけれど、紅魔館はアットホームな職場なので大丈夫です。
「おー、ご苦労さん。入ってきて」
お嬢様が起き上がったため、ようやく噛み合わない至福から解放された。
ホントもう至福なのに至福じゃない矛盾ってつらい。
疲れた表情を見せないよう注意しながら私も起き上がると、トレイに肉まんを載せた美鈴が入室してきた。
ベッドに腰かけたまま、膝をポンポンと叩いて肉まんを持ってくるよううながすお嬢様。ああ、行儀悪いです。ベッドにこぼさないでくださいね、洗うの私なんですから。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけてくださいね」
受け渡される肉まん。お嬢様は満面の笑顔。
「はい、咲夜さんもどうぞ」
私も美鈴から肉まんを受け取り、ふにっ、指に伝わる肉まんのやわらかさ。
瞬間、渇望に注ぎ込まれる強烈な満足感。
歯車がガッシリと世界と噛み合ったのを実感した。暗闇に光が射し込むような実に晴れ晴れとした気分だった。
「これだぁー!!」
叫び! 魂からの叫び!
お嬢様がビックリして肉まんを落としてベッドに油がついてしまうのも!
美鈴がビックリして頬張ろうとしていた肉まんを丸呑みしちゃって喉につっかえさせたのも!
些細! 些末! 些少! どうでもいい!
中国四千年の歴史が生み出した、紅美鈴特製の肉まん!!
白い皮の手触りはまさしくマシュマロの雲!
今はただこの、ふにっとした感触を!
ふにふにとしたやわらかなぬくもりを!
味わい尽くすのみ!
という訳で。
夢の中のお嬢様のお胸に見立てて。
夢のように。
私は。
肉まんに。
顔を突っ込んだ。
食べるのではなく。
顔面で感触を楽しむために。
あまりの勢いに皮が破れ、具があふれるほどに。
ジュウ。
熱々の具が顔を覆い尽くした。
「あっツァァァアアアーッ!?」
こうして私は永遠亭までお嬢様にかつがれて行き、火傷の治療を受けることになるのでした。
恥ずか死。
最高でした
なんなのでしょう。こんなにもやもやしつつも楽しめる感覚を、私は初めて知りました。
ちょっとオツムが春すぎますよっ!