◆お茶会
コンコン、とドアをノックする音。戸棚から取り出したペアのティーカップをテーブルに置いて玄関に向かう。
「いらっしゃい。瀟洒なメイドさん」
「こんにちは。おじゃましますわ」
メイド服姿の咲夜が右手に花束を携えて門前に立っていた。
「手持ち無沙汰なのが気になったから、紅魔館の庭から少し花を持ってきたわ」
「まあ綺麗。どうぞ上がって。今紅茶を淹れるわ」
花束を受け取って一旦テーブルに置き、お湯を沸かし始める。
「私に紅茶を淹れてくれるのはあなただけよアリス」
「普段は吸血鬼に淹れてあげる立場なんでしょう?」
「お嬢様にお出しする紅茶は、人間の私には飲めませんわ」
「普通の紅茶に触れる機会の問題ね」
雑談をしているうちに沸かしたお湯で紅茶を淹れ、ペアのティーカップにゆっくりと注ぐ。片方のソーサーを咲夜の方へ差し出した。咲夜は少し顔を近づけて「いい香りね」と表情を柔らかくした。
「私と居る時くらい畏まった喋り方をやめてほしいわ」
「ごめんなさい。もうすっかり癖になっているので。職業病ね」
「ここに居る間くらい心を落ち着かせていいのよ?」
「ありがとう、アリス」
そう言って咲夜は左手でティーカップを持ち上げ、ゆったりとした動作で口へ運んだ。一つ一つの動作に気品が見られる。こういうのを瀟洒と言うのだろう。
続いて、私も自分で淹れた紅茶を口にする。人里で買ってきた新しい茶葉は、想像以上に美味しかった。
平穏な時間がゆっくりと流れていく心地よさ。そして咲夜が目の前に居ることによるドキドキとで、私は少し複雑な気分だった。
「この茶葉、この前人里で新しく買ったのよ。よかったら紹介するけど」
「いえ、紅魔館の茶葉は毎月同じところから取り寄せているから」
「そうじゃなくて、あなたが個人的に買いに行く時の話よ」
「……人里は、あまり積極的に行きたいとは思わないから」
咲夜は少し疲れたような目で窓の外の風景を眺めている。と言っても外はただ木が生い茂っているだけなのだけれど。
「私は、人間を殺す人間だから」
それはきっと、吸血鬼の為に人間を殺している、ということだろう。
「……ごめんなさい。嫌な話をしてしまって」
「アリスのせいじゃない。気にしないで」
「私はあなたに、そんな普段の生活から離れて落ち着いて欲しかったのに」
「何を言ってるのよ。私は……」
言葉を切って一度紅茶を口にする。
「私はあなたと一緒に紅茶が飲めるだけで十分落ち着けるわよ」
「え、あ、あら、そうなの?」
「ええ。アリスの心遣いは嬉しい」
咲夜に嬉しいと言われて軽くパニックになった私は、何と言い返せばいいのか分からない。そんな私とは対照的に落ち着いて紅茶を飲む咲夜が、すごく大人に見えてしまった。そして同時に少し悔しかった。
「お、おかわりもあるわよ」
結局そんなことしか言えなかった。
「いいえ、私はそろそろ」
「もう帰るの? もっとゆっくりしていけばいいのに」
「心遣いは嬉しいけど、これ以上――」
立ち上がろうとした咲夜が、何の前触れもなくふらついて私の目の前で床に倒れこんだ。
「咲夜!? どうしたの、しかっりして! 咲夜! 咲夜!」
気を失っていて、何度も必死に呼びかけても返事はなかった。
◆ベッドの上
ゆっくりと、咲夜は瞼を上げた。私と目が合い、しばらく沈黙。
「咲夜! よかった。意識が戻ったのね」
安心すると自然に涙が溢れてきて、私の頬を伝っていった。
「アリス? ここは。私は一体何があったの?」
起き上がろうとする咲夜を制して再びベッドに寝かす。
「横になったままでいいわ。あなた、紅茶を飲んだ後に席を立とうとして突然倒れたのよ。きっと貧血による立ちくらみよ。咲夜――あなた疲れていたんじゃない?」
「そう……。確かに疲れていたのかもしれない。それからどれくらい経った?」
1時間程度だと伝えると、咲夜は少し安心したような表情になった。
「もう少しここで寝ててもいいのよ? 泊まっていってもいいし」
「それはちょっと……。夜にはお嬢様がお目覚めするので」
これだけ一緒に居たいと言っているのに、咲夜は全く気がついていない。これが演技だったらどうしようと不安に思えてくる。敢えて避けられているのだとしたら……そんなことを考えると心が締め付けられる。
「ねえ咲夜、無理しなくていいのよ? 私は、あなたに無理をして欲しくない」
「アリスの心遣いは嬉し――」
「だから心遣いとかじゃなくて!」
思わず大声で怒鳴ってしまった。
「私は、ただの気まぐれでこんなことをしてるんじゃない。誰にでもこんな風に優しくしているわけじゃない」
「つまり、どういうことよ」
「……あなたの鈍さには完敗ね。分かったわ。咲夜、目を瞑りなさい」
「え、ええ」
鈍感な咲夜は何の警戒もせずに目を瞑った。私は無防備な咲夜の上に馬乗りになった。私は飛び出しそうな勢いで鼓動を続ける心臓を押さえて、呼吸を止めて、咲夜の顎を少し持ち上げた。
咲夜の唇に自分の唇を押し当てた。
「…………」
「…………」
時が止まったような錯覚。
柔らかさと暖かさで頭が真っ白になった。全身から力が抜けてとろけてしまいそうな気がした。気持ちいいという感情も。
呼吸を止めるのが苦しくなって唇を離した。
数秒してから咲夜が目を開いて、驚きの表情でこちらを見てきた。
「私は、あなたのことが好き。これで分かったでしょ」
「…………」
「あ、ご、ごめんなさい。感情が高ぶって、その」
「…………」
「咲夜?」
咲夜は恐る恐る左手を自分の唇に近付け、そっと指で触れた。それからゆっくり顔を上げて私と目を合わせた。耳まで熱くなっている私は目を逸らしそうになった。
「私の初めて……」
私は首を傾げる。頭の中は疑問符でいっぱいだ。
「え? 初めて?」
「私、初めてだったのに……」
え? 初めてって何が?
訳の分からない疑問が私の鼓動を更に加速させる。
「あなたに奪われるとは思ってなかったわ」
「え? ちょっ、ちょっと待って。咲夜、初めてだったの!? そんな、だって、咲夜は落ち着いているし大人びているからもう色んなことも経験済みで、これくらいのことましてやキスすらしたことないなんて」
「う、うるさいわね。ずっとお嬢様のメイドをしていたから、こういうことには疎いのよ」
きまり悪そうに顔を逸らす咲夜が、急に子どものように見えてきた。落ち着いていて大人びていて、手先が器用で料理上手で、垢抜けていて瀟洒で、少し憧れを持っていた咲夜のイメージが一瞬でひっくり返された。
驚きながら唇に触れていたさっきの動作がとても愛おしく思えてきた。右も左も分からない咲夜が戸惑う様子をもう少し見たいと思ってしまう。
「何だか、悪いことをしてしまったような気がするわ。でも癖になりそう」
「癖にしないでください。あーもう。暑い。アリス、この部屋暑いわ」
正直に言うと私も暑い。主に首から上が。咲夜の主張は、馬乗りの体勢を止めろという遠回しな要求だろうか。もしそうだとしても、私はもうしばらくこの体勢を維持するが。
「咲夜。私はあなたのことが好きよ」
一度言ってしまえば二度目はすんなり言えるものだ。
「その気持ちはとても嬉しいけど、あなたと恋愛はできないわ。ごめんなさい。私には死ぬまで仕えると決めた主人が居るの」
予想していたことだけど、あまりにもあっけない終わりに涙が出そうになった。
「そう……。分かったわ」
「その代わり、私の初めてを奪った責任を取らせてあげるわ」
「そ、それはどういう?」
「二度目もあなたにあげるという意味よ。だって、一度目と二度目が違う人だなんて嫌じゃない?」
何という乙女心。憧れていた咲夜がこんなに乙女だったなんて。ギャップが激しすぎてどんどん愛しさが増していく気がする。
咲夜は再び目を閉じて無抵抗な姿勢に戻った。誘いに乗っているような気分が私をゾクゾクさせる。
私は両脇にだらんと垂れていた咲夜の手を取り、必要も無いのに手首を掴んで押し倒したような体勢にした。無防備な相手を犯すような気持ちが私を支配していく。それでも文句一つ言わない咲夜は、私を信頼してくれているのだろうか。
私は唇に軽いキスをした後、少し服がはだけて艶かしく露出している鎖骨に口付けをした。
「ひゃうっ」
咲夜はビクンと身体を動かしたが、馬乗りになって両手を掴んでいる私から逃げることは出来ない。唇を触れる度に咲夜の色っぽい声が私の頭に響く。
鎖骨から少しずつ上に上がっていき、首筋に唇が触れた瞬間、咲夜は少し大きな声を出した。
「やぁあ。ちょ、だめ。首は――んっ」
「咲夜、今のあなたすごく可愛いわ」
「バカ。アリスのバカ」
次は舌で首筋をなぞってみようと私が顔を近づける。
「ってあれ?」
私の下に居た咲夜が消えた――と思ったら、ベッドサイドの椅子に座って荒い呼吸を整えていた。瞬間移動だろうか。それとも時間を止めたのかしら。残念だなぁと思いつつ咲夜を見ると、少し涙目になってこちらを睨んでいた。
「これ以上続けていたら、あなたに全てを捧げてしまうかもしれないという危機感に襲われたから、今日はこれで終わりよ」
呼吸を乱しながら顔を赤らめている咲夜の姿はちっとも瀟洒ではなかった。
はだけた服を直し、呼吸を整えた咲夜は早々に帰る準備を終わらせた。
「もう大丈夫なの? 目眩とかない?」
「ええ。今は気分もいいし、紅魔館に帰るだけだから大丈夫よ」
咲夜はいつもの大人びた表情に戻っていた。この顔が取り繕っているものだと気がつくと、安心と共に少しだけ残念な気持ちが生まれた。
「色々あったけど、アリスとはいいお友達で居たいわ」
「そうね。いいお茶会友達で居る方が咲夜にとっても楽でしょう」
でも、と私は続ける。
「さっき咲夜は『今日はこれで終わりよ』って言ったわよね。『今日は』ってことは次回があるということで期待していいのかしら?」
「それは言葉の綾です! 期待しないでください」
「ふふふ、期待しておくわ」
それじゃあ、と言って出て行く咲夜の後ろ姿を見ていると、急に寂しさがこみ上げてきた。
「ありがとう、咲夜。よかったらまたいらっしゃい」
咲夜はドアを開きながら振り返ると、屈託のない笑顔で言った。
「ありがとう、アリス。また来るわ」
瀟洒なメイドは悪魔の館に向けて静かに飛んで行った。
て が抜けてる?
ニマニマしながら読ませて貰いましたw
可能な場所で続きを書いてもいいのよ
嬉しいですかね
可愛い咲夜さんが良かったです
脱字多すぎて情けない……。まだまだ未熟者です。