※この作品は会話文が多いです。あらかじめご容赦ください。
◆この気持ちの名前を教えてほしい
相談するならまずは近くの者からだ、と私ははたてを訪ねた。そして唐突に質問をぶつける。
「はたて。あなたは恋愛をしたことがありますか? もしあるなら、恋愛とは何か私に語ってください」
「な、いきなり何よ。恋愛? 恋愛ねえ……残念だけど経験したことはない。ほら、私あんまり外に出ないし、幻想郷は女の子が多いしさ。何でいきなりそんなこと聞くのよ? まさかあんた誰か好きな人でもいるの? あ、ひょっとしてあの白狼天狗」
「椛は生真面目すぎてどうも好きになれません。そもそも、私は恋をしているとは一言も言ってませんよ」
「じゃあ何でそんなこと聞くのよ」
「それは……私が今抱いている感情が恋愛によるものかどうかを確かめようとしたのです。しかし無駄足でしたね。もっと経験豊富そうな者に聞くべきでした」
やれやれと首を振って私はゆっくりと飛び上がった。はたてを見下ろしながら次はどこに行こうかと首を傾げる。はたては私に何か文句を言っているらしいが、風の音に邪魔されて声が上手く聞き取れなかった。
空を飛んでいる間もこの胸のもやもやは消えない。やけになって全速力で飛んでみるが、心にかかる黒い雲のようなものは晴れなかった。
スピードを緩めると、ちょうど博麗神社近くの上空を飛んでいることに気がついた。そして都合よく地上には二人の人間。今度はあの二人に聞いてみようと私は地上に降り立った。
「こんにちは。霊夢さんに魔理沙さん」
清く正しい射命丸です、といういつものセリフは使えなかった。生憎私は現状、精神的に清らかな状態ではないからだ。
いつものように縁側に座って話をしていた二人の間に無理矢理割って入る。二人ともあからさまに不機嫌そうに眉をひそめたが、私はお構いなしにあらかじめ用意しておいた質問を口にする。
「突然ですが、お二人は恋愛をなさったことはありますか? ああ、これは取材ではないので、絶対に記事にしないと約束します。私にとって宝のごとく大切なこの羽毛と髪の毛を懸けてもいいです」
「じゃあ記事にしたらあんたのあらゆる毛をすべて刈り取らないとね」
さすが霊夢さん。恐ろしいことを言ってくれますね。
「何もかもが唐突だな。どうしてそんな質問をするんだ?」
魔理沙さんは面倒そうに言いながらお茶をすする。
「何故こんな質問をするのかと言いますと……説明すると長くなるので省略します。それで、お二人は恋愛経験とやらはおありなんですか?」
「魔理沙、答えてあげなさい」
「何で私なんだよ。霊夢はないのか?」
「いるわけないじゃない。そもそも私達の周りに一体どれだけの男性がいるって言うの? 片手の指どころか人差し指一本で足りるじゃない」
「それはつまり森近霖之助さんのことですね」
「霖之助さんは近くに住んでる年上のお兄さんみたいなものよ。恋愛対象になんかならないわ」
「私もそうだな。こーりんは恋愛対象じゃない」
「だいたい、あんた恋愛したいの? やめといたほうがいいわよ。あんた性格悪いじゃない」
霊夢さんはあからさまに嫌そうな顔をした。
「え? 私性格悪いですか?」
「自覚がないなら尚更恋愛に向いてないわね。知らない間に相手を傷つけるだけよ。大人しく身を引きなさい」
霊夢さんに注意されてから気付いたけど、さっきはたてにお礼も何も言わずに勝手に飛び出してきてしまった。確かに私は少し身勝手で性格が悪いかもしれない。しかし今はそういう問題ではなかった。別にいきなり恋人や夫婦としてやっていくわけではないのだ。
「いやいや、身を引くどころかまだ話したこともないのですが……」
「そんなことより相手は誰なんだよ。もしかしてあの白狼てん」
「椛は可愛げがないのでどうも好きになれません。それに、あの白い毛並みはどうも私の好みじゃないようです」
そうだ。私が今気になっているのは、もっと黒い――ああ、だめだ。想像しただけで胸が痛くなる。美しすぎてどう形容していいか分からない。比喩できるものが他にないのだ。
この気持ちの名前を教えてほしい。そう、私は恋愛について知りたいんじゃない。この胸をきゅうっと締め付ける、切なく、少しだけ苦しいこの不思議な気持ちの正体が知りたいのだ。
1000年以上生きている私も、この気持ちだけは知らないと断言できる。既知の感情のどれにも当てはまらない感覚に私は溺れている。
「あんたって意外とロマンチストなのね。心の中の声が全部口に出てるわよ」
「ひゃっ! そ、そんな、い、今のは聞かなかったことにしてください!」
心情描写を聞かれるなんてこの上ない恥辱だ。恥ずかしさに耐えられず私はその場からすぐに飛び立った。
またまた全速力で幻想郷の空を駆け巡ったが、先ほどの恥辱が消えることはなかった。
嫌味と思えるほど澄み切った空は、私の心を一層強く締め付ける。
◆恋愛をするお年頃
適当に飛び回っていると今度は妖怪の山の頂上の上空付近にいることに気がついた。地上を見下ろすと、これは当たりかもしれないと思える人を発見した。
東風谷早苗。幻想郷に来る前は現役の女子高生とやらだったらしいから、恋愛の一つや二つは経験済みかもしれない。いくら神に仕える身とはいえ、それくらいは許されているだろう、と宗教を解さない私は勝手に推測した。
私は石畳の上にそっと下駄を履いた足を下ろした。早苗さんは掃除の手を止めて笑顔でこちらに向かってきてくれる。霊夢さんとは大違いだ。
「私に何かご用でしょうか、射命丸さん。あ、それとも加奈子様や諏訪子様にご用がありますか?」
「いいえ。今はあなたに用があるんですよ。それと、私のことはどうぞ下の名前でお呼びください。こちらからだけ下の名前を呼ぶのはおこがましいですから」
「それでは文さんとお呼びします。掃除もだいたい終わりましたし、ゆっくり居間でお話をしましょう。お茶を淹れますよ」
そう言って早苗さんは私を居間に通してくれた。あのお騒がせな神様二柱は不在なのだろうか。最近また新たな動きがあったと見廻りの天狗が言っていたけど。
やがて早苗さんがお盆に急須と湯飲みを二つ載せてやってきた。この来客への対応の差が、そのまま信仰の差を表しているような気がした。
「それで、私にお話とは何でしょう? あ、ひょっとして文さんもいよいよ信仰心を起こしたのですか?」
「いいえ。残念ながら私は宗教を解さない妖怪天狗でして……。早苗さん、あなたに聞きたいことがあるんです。早苗さんは恋愛を」
言いかけて途中で口をつぐむ。違う。私が聞きたいのは恋愛についてではなくて……。
「早苗さんは、胸のこの辺りがきゅうっと締め付けられるような感覚に陥ったことはありますか?」
「胸がきゅうっと、ですか。ありますよ。幻想郷に来る前のことですけどね」
「そ、それはどんな時ですか!? そうなった時はどうやってその気持ちを鎮めていたんですか!? 教えてください!」
やっと答えにたどり着けるとそう思った。早くこの不可解な気持ちの正体を教えてほしい。そんな私の気持ちを焦らしているのか、早苗さんは昔のことを思い出すように少し遠くを見ながら微笑んでいる。
「あれは私がまだ高校に通っていた頃のことでした。毎朝同じ電車に乗っていた名前も知らない男性に恋をして、今日こそは声をかけようと毎日思っては勇気が出なくて……その度に胸が――心が締め付けられるような思いでした。結局、その思いを伝えることは叶わなかったんですが……。もう向こうの世界に戻ることはないでしょうし、今ではいい思い出です」
「…………」
押し黙る私に早苗さんは笑みを投げかけてくる。
「文さんもそういうお相手がいるのですか?」
「あ、いや、そうですね……。恋の相手というよりは、憧れというか……」
「分かります! 人を好きになるっていうのは、その人に憧れを抱くこともありますよ。全て含めてそれが恋心だと思います」
全て含めて恋心。早苗さんの言葉を心の中で繰り返す。恋心。
私のこの気持ちは恋心というのか。1000年以上生きてきて初めて抱いた気持ちが。
はは、ついに私も恋愛をするお年頃というわけですか。
「文さん、心情描写が丸聞こえです」
「あうう。さ、早苗さん、今のは聞かなかったことにしてください。もう恥ずかしくて今すぐ湖に飛び込んでそのまま沈んでいきたいです」
「それでそれで! 文さんが恋心を抱く相手は誰なんですか?」
興味津々という言葉を全身で表現しているようにこちらに迫ってくる早苗さん。
「じ、実は私も相手の名前を知らないのです。何せ遠目で数回見ただけですから。分かっているのは、彼女が妖怪であるということくらいしか」
「彼女ということは相手は女性ですか」
私が早苗さんの言葉を肯定しようと口を開いたちょうどその時、庭のほうから別の声が聞こえてきた。声の高さからして女性のようだ。
「おーい。ここの神社の巫女さんいるかーい? えーと、名前は何だっけなー。とりあえず巫女さんだよ巫女さん」
早苗と呼ばないということはあの神様二柱ではないようだ。声の主であろう者の影は、庭のほうからこの居間を発見したらしく、ガラっと障子を開けた。
私はその姿を見た途端、視線を逸らせなくなってしまった。
高い下駄を履いた私よりも上背な高身長、すらりと長い足に、腰まで伸びている美しい黒髪に頭頂部には緑のリボン、そしてしなやかで柔らかそうな漆黒の翼……。
一度見ただけなのにこの目に痛いほど焼きついている。目の前に現れた彼女はまさに、私が恋心を抱いている相手だった。
◆あなたは私の憧れです
どれくらいの間空を飛んでいたのだろう。同じ場に居合わせるのが辛くてあの居間から抜け出してからずっとだから、もう3時間くらいだろうか。さすがに疲れた。
しかし、妖怪の山には戻りたくない。どうして彼女があそこにいたのかは分からないが、もう一度鉢合わせしてしまったら、一度逃げた身としては非常に体が悪い。
「それにしても……」
鉢合わせしたときの彼女の容姿を、もう何度目か分からないが思い返す。美しくて綺麗で、しかも整った顔立ちの、可愛らしい少女だった。ああ、また胸が痛い。この痛みを発生させているのは一体どの臓器なのか。それだけ身体から取り出したいと思えるほどだ。
私は身体を休めるために仕方なく地上に降り立った。そこは湖のほとりで、きっと偶然だろうが、彼女を初めて見た場所に近かった。
「はあ。もう一度見たい。けど、見たくない」
初めて彼女を見た時の情景を思い返す。私もあれだけ綺麗な黒髪を風に揺らしてみたい。しなやかな翼で空を飛んでみたい。ああ、彼女の全てが私の憧れのように思える。
「あのお、文さんですか?」
「はあ、確かに私の名前は文ですがそれがどう」
声が聞こえたほうへ振り返るとそこには憧れの彼女の姿があった。私はまた、口を開けたまま固まってしまう。
「あ、あ……」
辛うじて出る声も言葉として繋がらない。私はまた逃げ出したくなる。
「待って! 逃げないでよ。私が何かいけないことをしたの?」
「違います……いけないのはむしろ私のほうで」
挨拶もせずに逃げ出してごめんなさい、と言わなければいけないのに声が出ない。
「私の名前は霊烏地空。皆からはお空って呼ばれてるよ。文さんもよかったらお空って呼んでね」
「は、はい。えっと、お空さん」
霊烏地空さん。お空さん。やっと名前を知ることができた。
「あの巫女さん――早苗さんに、文さんを探し出してお話をしてきてくださいと頼まれたから、ずっと探してたんだよ。見つかってよかったよ。それで、えっと、何を話せばいいんだっけ?」
それはきっと私が言わなければいけないのだろう。早苗さんは私にチャンスを与えてくれたのだ。
「私はあなたに言わなければいけないことがあるのです」
「そうなんだ。なんだろ。なんかわくわくしちゃうね」
お空さんはとびきりの笑顔を私に向ける。それを見るだけで私は息苦しくなって何も言えなくなってしまう。喉から言葉が出てこない。
「実は…………お空さん、の髪の毛は綺麗ですね羨ましいです」
私は何を言ってるんだ。私が言わなきゃいけないのはこんなことじゃないのに。
「そうかな? ふふ、ありがとう。毎日地霊殿のお風呂に入ってるからね!」
「や、そんな、眩しすぎて苦しいから笑顔は勘弁してくだ、さい。じゃなくて……お、お空さん、その、す……」
「す?」
「素敵な翼ですね!」
言えない。どうしても言えない。たった一言だけなのに。もう肺はまともに空気を取り入れているのかすら分からない。苦しい。
「ありがとう! 毎日お風呂から上がった後に灼熱地獄で乾かしてるからね。いつでもしなやかでふっさふさだよ!」
この場から一刻も早く逃げ出したかった。酸素が足りない。
「その、す、す……すらっと伸びた足も素敵ですね」
「お空さん、あなたは」
言え。言ってしまえ。と心の中で何度も念じた。胸の苦しさも、頭の働きも何もかも限界だった。もう何も考えられず、とにかく思いついた言葉を伝わるように必死に叫んだ。
「あなたは、私の憧れです。1000年以上生きてきて、こんな気持ちは初めてです。どうかこの気持ちを受け取ってください」
ああ、やっと言えた。言えたよ。私は言いましたよ、早苗さん。
心がみるみる軽くなっていくのを感じる。今までどれだけの重みを抱え込んでいたのだろうと驚嘆するほどだ。ああ、軽い。とても清清しい気持ちでいっぱいだ。呼吸がこんなに楽だなんて。
「憧れ? この私が? 初めて言われたよ。そっか。うん、でも私にはさとり様っていうご主人様がいるから。えっと、文さんの気持ちは受け取れない。ごめんなさい」
「いえ、謝らないでください。お空さんは何も悪くないじゃないですか」
「うん。でも文さんが悲しむかなと思ってさ」
「悲しくないよ。私はこの思いが伝えられただけで十分だよ」
「そっか」
「うん……」
実を言うと、ちょっとだけ悲しかった。でもそれは彼女には秘密にしておこうと思う。言っても困らせるだけだし。こうなることは大体予想していたのだ。彼女は私の隣に居てくれる存在ではない。きっと、私から少し離れたところに存在して、私はそこに向かって羨望のまなざしを向けるのだと、そう思っていた。
それでも名残惜しいと感じた私は一つだけ欲を張ろうと思った。
「あの、一つだけお願いをしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
お空さんはあっさり答えた。私は一つ深呼吸をして、それから晴れ晴れした気持ちで言い放った。
「これからも私の憧れでいてください」
「うん!」
お空さんは、憧れ、憧れ、と何度も嬉しそうに呟いてはニヤニヤと笑っていた。言葉の響きが気に入ったらしい。
嬉しそうに笑うお空さんを見ていると、私は溶けてなくなってしまいそうなくらい幸せを感じた。
◆私に教えてくれてありがとう
「よかったですね文さん。きちんと気持ちを伝えられて」
「はい。おかげで胸のこの辺りがとてもすっきりしました」
「でも、今思い返せばあの胸の切なさも悪くないと思いませんか?」
「そうですね。あの時は辛かったですけど、過去になってみればあの感覚というのはなかなかにいいもののように思えてくるから不思議です」
「ふふ、ああいう気持ちのことを表すのにぴったりな言葉を思い出したのですが、聞きたいですか?」
早苗さんは挑戦的な上目遣いでこちらを窺ってくる。そんなの、聞きたいに決まってるじゃないですか。
「日本語の古典単語に『愛し』という言葉があります。『愛』に送り仮名が『し』で『かなし』と読むんですよ」
「それは現代語の『悲しい』とは違うのですか?」
「はい、違います。この『愛し』という言葉はですね、いいことにも悪いことにも共通して使えるんです。具体的に言えば、目の前にいる好きな人を抱きしめているときに感じる切なさと幸せも、もう二度と会えないくらい遠くに行ってしまった愛人に思いを馳せたときの切なさと苦しさも、この『愛し』という言葉で表現することができるんですよ。つまりこの『愛し』という単語は、切なさや愛しさや悲しさや苦しさなどを感じたときに、心の奥がキュンとなるような状態を総じて表現している、とても汎用性の高い素晴らしく美しい単語なんですよ」
早苗さんの解説を聞いていた私はその単語はまさに自分にぴったりだと思えた。思いを伝える前の私は、心がキュンとなるような気持ちに終始囚われていた。あれは全て『愛しい』気持ちだったのだと納得がいった。
「心が痛む感情を全て同じ言葉にまとめるというのは、日本人の美学なんでしょうかね」
「きっとそうなんだと思いますよ」
早苗さんは胸に手を当てて静かに頷いた。
深い話で少しの間悦に浸っていたところで、私は一つある疑問を思い出した。
「あのとき、お空さんは何故ここにやってきたのですか?」
「それはですね、お空さんは最近加奈子様と諏訪子様の元である仕事をしているんですよ。そして、その仕事が終わったらここに来て、私と少しお話をしてから地霊殿に帰るというのが最近の習慣だったのです」
「なるほど。だから最近妖怪の山で見かけることが多かったのですね」
「よく見かけたのですか?」
「よくといっても数回程度です。それはもう、毎日姿を見ようと必死でしたよ」
「その様子だと、今は少し落ち着いているみたいですね」
「そんなことはありませんよ。心の重荷が取れただけです。やはり今でも彼女の姿を見たいと思いますし、拝見できたときはとても幸せになれますよ」
「恋に恋する乙女じゃなかったんですね」
「それでももう1000年以上生きてますが、私はまだまだ精神的にも未熟なようだったようで。自分にないものに憧れる乙女のようです。翼に対するこだわりは、私が天狗だからなのですが。ほら、私の髪型って短いし癖っ毛でしょ? だからお空さんみたいな黒髪ロングのストレートに憧れちゃうんですよ。」
「ふふ、実は私もお空さんの髪には憧れてますよ。生まれたときから皆と違う特別な色をした髪でしたから。せめて黒髪ならばってね」
早苗さんは自身の緑髪の毛先をいじりながら、少しだけ愁いを帯びた目でそう言った。日本どころか、世界のどこに行ってもなさそうな、特殊な色をした髪の毛。早苗さんのチャームポイントでもあるけど、同時にコンプレックスなのかもしれない。私は髪を伸ばせば黒髪ロングになれるが、早苗さんはそうはいかないのだ。
ちなみに私は彼女に気持ちを伝えた日から、髪を伸ばすことに決めた。彼女のような長さになるまでに何年かかるか分からないけど。
「さなえさーん。仕事終わったよー」
今度は庭と反対側の襖から登場したお空さんは、今日も美しい黒髪を腰まで垂らし、しなやか漆黒の翼を携えていた。
「あ、文さんも来てたんだ。やっほー」
彼女のいつもの能天気さに私は最大限の笑みがこぼれる。今日も見ることができた。お空さんの美しい黒髪と黒光りするほどの漆黒の翼。私は今日も幸せだ。
そして私は今日もその言葉を口にする。
「お空さん、今日も美しいですね」
私に『愛しさ』とは何かを教えてくれてありがとう。きっとこの感情は一生忘れません。
恥ずかくて言えないから、最後の二つの言葉はいつも心の中で呟いている。
◆この気持ちの名前を教えてほしい
相談するならまずは近くの者からだ、と私ははたてを訪ねた。そして唐突に質問をぶつける。
「はたて。あなたは恋愛をしたことがありますか? もしあるなら、恋愛とは何か私に語ってください」
「な、いきなり何よ。恋愛? 恋愛ねえ……残念だけど経験したことはない。ほら、私あんまり外に出ないし、幻想郷は女の子が多いしさ。何でいきなりそんなこと聞くのよ? まさかあんた誰か好きな人でもいるの? あ、ひょっとしてあの白狼天狗」
「椛は生真面目すぎてどうも好きになれません。そもそも、私は恋をしているとは一言も言ってませんよ」
「じゃあ何でそんなこと聞くのよ」
「それは……私が今抱いている感情が恋愛によるものかどうかを確かめようとしたのです。しかし無駄足でしたね。もっと経験豊富そうな者に聞くべきでした」
やれやれと首を振って私はゆっくりと飛び上がった。はたてを見下ろしながら次はどこに行こうかと首を傾げる。はたては私に何か文句を言っているらしいが、風の音に邪魔されて声が上手く聞き取れなかった。
空を飛んでいる間もこの胸のもやもやは消えない。やけになって全速力で飛んでみるが、心にかかる黒い雲のようなものは晴れなかった。
スピードを緩めると、ちょうど博麗神社近くの上空を飛んでいることに気がついた。そして都合よく地上には二人の人間。今度はあの二人に聞いてみようと私は地上に降り立った。
「こんにちは。霊夢さんに魔理沙さん」
清く正しい射命丸です、といういつものセリフは使えなかった。生憎私は現状、精神的に清らかな状態ではないからだ。
いつものように縁側に座って話をしていた二人の間に無理矢理割って入る。二人ともあからさまに不機嫌そうに眉をひそめたが、私はお構いなしにあらかじめ用意しておいた質問を口にする。
「突然ですが、お二人は恋愛をなさったことはありますか? ああ、これは取材ではないので、絶対に記事にしないと約束します。私にとって宝のごとく大切なこの羽毛と髪の毛を懸けてもいいです」
「じゃあ記事にしたらあんたのあらゆる毛をすべて刈り取らないとね」
さすが霊夢さん。恐ろしいことを言ってくれますね。
「何もかもが唐突だな。どうしてそんな質問をするんだ?」
魔理沙さんは面倒そうに言いながらお茶をすする。
「何故こんな質問をするのかと言いますと……説明すると長くなるので省略します。それで、お二人は恋愛経験とやらはおありなんですか?」
「魔理沙、答えてあげなさい」
「何で私なんだよ。霊夢はないのか?」
「いるわけないじゃない。そもそも私達の周りに一体どれだけの男性がいるって言うの? 片手の指どころか人差し指一本で足りるじゃない」
「それはつまり森近霖之助さんのことですね」
「霖之助さんは近くに住んでる年上のお兄さんみたいなものよ。恋愛対象になんかならないわ」
「私もそうだな。こーりんは恋愛対象じゃない」
「だいたい、あんた恋愛したいの? やめといたほうがいいわよ。あんた性格悪いじゃない」
霊夢さんはあからさまに嫌そうな顔をした。
「え? 私性格悪いですか?」
「自覚がないなら尚更恋愛に向いてないわね。知らない間に相手を傷つけるだけよ。大人しく身を引きなさい」
霊夢さんに注意されてから気付いたけど、さっきはたてにお礼も何も言わずに勝手に飛び出してきてしまった。確かに私は少し身勝手で性格が悪いかもしれない。しかし今はそういう問題ではなかった。別にいきなり恋人や夫婦としてやっていくわけではないのだ。
「いやいや、身を引くどころかまだ話したこともないのですが……」
「そんなことより相手は誰なんだよ。もしかしてあの白狼てん」
「椛は可愛げがないのでどうも好きになれません。それに、あの白い毛並みはどうも私の好みじゃないようです」
そうだ。私が今気になっているのは、もっと黒い――ああ、だめだ。想像しただけで胸が痛くなる。美しすぎてどう形容していいか分からない。比喩できるものが他にないのだ。
この気持ちの名前を教えてほしい。そう、私は恋愛について知りたいんじゃない。この胸をきゅうっと締め付ける、切なく、少しだけ苦しいこの不思議な気持ちの正体が知りたいのだ。
1000年以上生きている私も、この気持ちだけは知らないと断言できる。既知の感情のどれにも当てはまらない感覚に私は溺れている。
「あんたって意外とロマンチストなのね。心の中の声が全部口に出てるわよ」
「ひゃっ! そ、そんな、い、今のは聞かなかったことにしてください!」
心情描写を聞かれるなんてこの上ない恥辱だ。恥ずかしさに耐えられず私はその場からすぐに飛び立った。
またまた全速力で幻想郷の空を駆け巡ったが、先ほどの恥辱が消えることはなかった。
嫌味と思えるほど澄み切った空は、私の心を一層強く締め付ける。
◆恋愛をするお年頃
適当に飛び回っていると今度は妖怪の山の頂上の上空付近にいることに気がついた。地上を見下ろすと、これは当たりかもしれないと思える人を発見した。
東風谷早苗。幻想郷に来る前は現役の女子高生とやらだったらしいから、恋愛の一つや二つは経験済みかもしれない。いくら神に仕える身とはいえ、それくらいは許されているだろう、と宗教を解さない私は勝手に推測した。
私は石畳の上にそっと下駄を履いた足を下ろした。早苗さんは掃除の手を止めて笑顔でこちらに向かってきてくれる。霊夢さんとは大違いだ。
「私に何かご用でしょうか、射命丸さん。あ、それとも加奈子様や諏訪子様にご用がありますか?」
「いいえ。今はあなたに用があるんですよ。それと、私のことはどうぞ下の名前でお呼びください。こちらからだけ下の名前を呼ぶのはおこがましいですから」
「それでは文さんとお呼びします。掃除もだいたい終わりましたし、ゆっくり居間でお話をしましょう。お茶を淹れますよ」
そう言って早苗さんは私を居間に通してくれた。あのお騒がせな神様二柱は不在なのだろうか。最近また新たな動きがあったと見廻りの天狗が言っていたけど。
やがて早苗さんがお盆に急須と湯飲みを二つ載せてやってきた。この来客への対応の差が、そのまま信仰の差を表しているような気がした。
「それで、私にお話とは何でしょう? あ、ひょっとして文さんもいよいよ信仰心を起こしたのですか?」
「いいえ。残念ながら私は宗教を解さない妖怪天狗でして……。早苗さん、あなたに聞きたいことがあるんです。早苗さんは恋愛を」
言いかけて途中で口をつぐむ。違う。私が聞きたいのは恋愛についてではなくて……。
「早苗さんは、胸のこの辺りがきゅうっと締め付けられるような感覚に陥ったことはありますか?」
「胸がきゅうっと、ですか。ありますよ。幻想郷に来る前のことですけどね」
「そ、それはどんな時ですか!? そうなった時はどうやってその気持ちを鎮めていたんですか!? 教えてください!」
やっと答えにたどり着けるとそう思った。早くこの不可解な気持ちの正体を教えてほしい。そんな私の気持ちを焦らしているのか、早苗さんは昔のことを思い出すように少し遠くを見ながら微笑んでいる。
「あれは私がまだ高校に通っていた頃のことでした。毎朝同じ電車に乗っていた名前も知らない男性に恋をして、今日こそは声をかけようと毎日思っては勇気が出なくて……その度に胸が――心が締め付けられるような思いでした。結局、その思いを伝えることは叶わなかったんですが……。もう向こうの世界に戻ることはないでしょうし、今ではいい思い出です」
「…………」
押し黙る私に早苗さんは笑みを投げかけてくる。
「文さんもそういうお相手がいるのですか?」
「あ、いや、そうですね……。恋の相手というよりは、憧れというか……」
「分かります! 人を好きになるっていうのは、その人に憧れを抱くこともありますよ。全て含めてそれが恋心だと思います」
全て含めて恋心。早苗さんの言葉を心の中で繰り返す。恋心。
私のこの気持ちは恋心というのか。1000年以上生きてきて初めて抱いた気持ちが。
はは、ついに私も恋愛をするお年頃というわけですか。
「文さん、心情描写が丸聞こえです」
「あうう。さ、早苗さん、今のは聞かなかったことにしてください。もう恥ずかしくて今すぐ湖に飛び込んでそのまま沈んでいきたいです」
「それでそれで! 文さんが恋心を抱く相手は誰なんですか?」
興味津々という言葉を全身で表現しているようにこちらに迫ってくる早苗さん。
「じ、実は私も相手の名前を知らないのです。何せ遠目で数回見ただけですから。分かっているのは、彼女が妖怪であるということくらいしか」
「彼女ということは相手は女性ですか」
私が早苗さんの言葉を肯定しようと口を開いたちょうどその時、庭のほうから別の声が聞こえてきた。声の高さからして女性のようだ。
「おーい。ここの神社の巫女さんいるかーい? えーと、名前は何だっけなー。とりあえず巫女さんだよ巫女さん」
早苗と呼ばないということはあの神様二柱ではないようだ。声の主であろう者の影は、庭のほうからこの居間を発見したらしく、ガラっと障子を開けた。
私はその姿を見た途端、視線を逸らせなくなってしまった。
高い下駄を履いた私よりも上背な高身長、すらりと長い足に、腰まで伸びている美しい黒髪に頭頂部には緑のリボン、そしてしなやかで柔らかそうな漆黒の翼……。
一度見ただけなのにこの目に痛いほど焼きついている。目の前に現れた彼女はまさに、私が恋心を抱いている相手だった。
◆あなたは私の憧れです
どれくらいの間空を飛んでいたのだろう。同じ場に居合わせるのが辛くてあの居間から抜け出してからずっとだから、もう3時間くらいだろうか。さすがに疲れた。
しかし、妖怪の山には戻りたくない。どうして彼女があそこにいたのかは分からないが、もう一度鉢合わせしてしまったら、一度逃げた身としては非常に体が悪い。
「それにしても……」
鉢合わせしたときの彼女の容姿を、もう何度目か分からないが思い返す。美しくて綺麗で、しかも整った顔立ちの、可愛らしい少女だった。ああ、また胸が痛い。この痛みを発生させているのは一体どの臓器なのか。それだけ身体から取り出したいと思えるほどだ。
私は身体を休めるために仕方なく地上に降り立った。そこは湖のほとりで、きっと偶然だろうが、彼女を初めて見た場所に近かった。
「はあ。もう一度見たい。けど、見たくない」
初めて彼女を見た時の情景を思い返す。私もあれだけ綺麗な黒髪を風に揺らしてみたい。しなやかな翼で空を飛んでみたい。ああ、彼女の全てが私の憧れのように思える。
「あのお、文さんですか?」
「はあ、確かに私の名前は文ですがそれがどう」
声が聞こえたほうへ振り返るとそこには憧れの彼女の姿があった。私はまた、口を開けたまま固まってしまう。
「あ、あ……」
辛うじて出る声も言葉として繋がらない。私はまた逃げ出したくなる。
「待って! 逃げないでよ。私が何かいけないことをしたの?」
「違います……いけないのはむしろ私のほうで」
挨拶もせずに逃げ出してごめんなさい、と言わなければいけないのに声が出ない。
「私の名前は霊烏地空。皆からはお空って呼ばれてるよ。文さんもよかったらお空って呼んでね」
「は、はい。えっと、お空さん」
霊烏地空さん。お空さん。やっと名前を知ることができた。
「あの巫女さん――早苗さんに、文さんを探し出してお話をしてきてくださいと頼まれたから、ずっと探してたんだよ。見つかってよかったよ。それで、えっと、何を話せばいいんだっけ?」
それはきっと私が言わなければいけないのだろう。早苗さんは私にチャンスを与えてくれたのだ。
「私はあなたに言わなければいけないことがあるのです」
「そうなんだ。なんだろ。なんかわくわくしちゃうね」
お空さんはとびきりの笑顔を私に向ける。それを見るだけで私は息苦しくなって何も言えなくなってしまう。喉から言葉が出てこない。
「実は…………お空さん、の髪の毛は綺麗ですね羨ましいです」
私は何を言ってるんだ。私が言わなきゃいけないのはこんなことじゃないのに。
「そうかな? ふふ、ありがとう。毎日地霊殿のお風呂に入ってるからね!」
「や、そんな、眩しすぎて苦しいから笑顔は勘弁してくだ、さい。じゃなくて……お、お空さん、その、す……」
「す?」
「素敵な翼ですね!」
言えない。どうしても言えない。たった一言だけなのに。もう肺はまともに空気を取り入れているのかすら分からない。苦しい。
「ありがとう! 毎日お風呂から上がった後に灼熱地獄で乾かしてるからね。いつでもしなやかでふっさふさだよ!」
この場から一刻も早く逃げ出したかった。酸素が足りない。
「その、す、す……すらっと伸びた足も素敵ですね」
「お空さん、あなたは」
言え。言ってしまえ。と心の中で何度も念じた。胸の苦しさも、頭の働きも何もかも限界だった。もう何も考えられず、とにかく思いついた言葉を伝わるように必死に叫んだ。
「あなたは、私の憧れです。1000年以上生きてきて、こんな気持ちは初めてです。どうかこの気持ちを受け取ってください」
ああ、やっと言えた。言えたよ。私は言いましたよ、早苗さん。
心がみるみる軽くなっていくのを感じる。今までどれだけの重みを抱え込んでいたのだろうと驚嘆するほどだ。ああ、軽い。とても清清しい気持ちでいっぱいだ。呼吸がこんなに楽だなんて。
「憧れ? この私が? 初めて言われたよ。そっか。うん、でも私にはさとり様っていうご主人様がいるから。えっと、文さんの気持ちは受け取れない。ごめんなさい」
「いえ、謝らないでください。お空さんは何も悪くないじゃないですか」
「うん。でも文さんが悲しむかなと思ってさ」
「悲しくないよ。私はこの思いが伝えられただけで十分だよ」
「そっか」
「うん……」
実を言うと、ちょっとだけ悲しかった。でもそれは彼女には秘密にしておこうと思う。言っても困らせるだけだし。こうなることは大体予想していたのだ。彼女は私の隣に居てくれる存在ではない。きっと、私から少し離れたところに存在して、私はそこに向かって羨望のまなざしを向けるのだと、そう思っていた。
それでも名残惜しいと感じた私は一つだけ欲を張ろうと思った。
「あの、一つだけお願いをしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
お空さんはあっさり答えた。私は一つ深呼吸をして、それから晴れ晴れした気持ちで言い放った。
「これからも私の憧れでいてください」
「うん!」
お空さんは、憧れ、憧れ、と何度も嬉しそうに呟いてはニヤニヤと笑っていた。言葉の響きが気に入ったらしい。
嬉しそうに笑うお空さんを見ていると、私は溶けてなくなってしまいそうなくらい幸せを感じた。
◆私に教えてくれてありがとう
「よかったですね文さん。きちんと気持ちを伝えられて」
「はい。おかげで胸のこの辺りがとてもすっきりしました」
「でも、今思い返せばあの胸の切なさも悪くないと思いませんか?」
「そうですね。あの時は辛かったですけど、過去になってみればあの感覚というのはなかなかにいいもののように思えてくるから不思議です」
「ふふ、ああいう気持ちのことを表すのにぴったりな言葉を思い出したのですが、聞きたいですか?」
早苗さんは挑戦的な上目遣いでこちらを窺ってくる。そんなの、聞きたいに決まってるじゃないですか。
「日本語の古典単語に『愛し』という言葉があります。『愛』に送り仮名が『し』で『かなし』と読むんですよ」
「それは現代語の『悲しい』とは違うのですか?」
「はい、違います。この『愛し』という言葉はですね、いいことにも悪いことにも共通して使えるんです。具体的に言えば、目の前にいる好きな人を抱きしめているときに感じる切なさと幸せも、もう二度と会えないくらい遠くに行ってしまった愛人に思いを馳せたときの切なさと苦しさも、この『愛し』という言葉で表現することができるんですよ。つまりこの『愛し』という単語は、切なさや愛しさや悲しさや苦しさなどを感じたときに、心の奥がキュンとなるような状態を総じて表現している、とても汎用性の高い素晴らしく美しい単語なんですよ」
早苗さんの解説を聞いていた私はその単語はまさに自分にぴったりだと思えた。思いを伝える前の私は、心がキュンとなるような気持ちに終始囚われていた。あれは全て『愛しい』気持ちだったのだと納得がいった。
「心が痛む感情を全て同じ言葉にまとめるというのは、日本人の美学なんでしょうかね」
「きっとそうなんだと思いますよ」
早苗さんは胸に手を当てて静かに頷いた。
深い話で少しの間悦に浸っていたところで、私は一つある疑問を思い出した。
「あのとき、お空さんは何故ここにやってきたのですか?」
「それはですね、お空さんは最近加奈子様と諏訪子様の元である仕事をしているんですよ。そして、その仕事が終わったらここに来て、私と少しお話をしてから地霊殿に帰るというのが最近の習慣だったのです」
「なるほど。だから最近妖怪の山で見かけることが多かったのですね」
「よく見かけたのですか?」
「よくといっても数回程度です。それはもう、毎日姿を見ようと必死でしたよ」
「その様子だと、今は少し落ち着いているみたいですね」
「そんなことはありませんよ。心の重荷が取れただけです。やはり今でも彼女の姿を見たいと思いますし、拝見できたときはとても幸せになれますよ」
「恋に恋する乙女じゃなかったんですね」
「それでももう1000年以上生きてますが、私はまだまだ精神的にも未熟なようだったようで。自分にないものに憧れる乙女のようです。翼に対するこだわりは、私が天狗だからなのですが。ほら、私の髪型って短いし癖っ毛でしょ? だからお空さんみたいな黒髪ロングのストレートに憧れちゃうんですよ。」
「ふふ、実は私もお空さんの髪には憧れてますよ。生まれたときから皆と違う特別な色をした髪でしたから。せめて黒髪ならばってね」
早苗さんは自身の緑髪の毛先をいじりながら、少しだけ愁いを帯びた目でそう言った。日本どころか、世界のどこに行ってもなさそうな、特殊な色をした髪の毛。早苗さんのチャームポイントでもあるけど、同時にコンプレックスなのかもしれない。私は髪を伸ばせば黒髪ロングになれるが、早苗さんはそうはいかないのだ。
ちなみに私は彼女に気持ちを伝えた日から、髪を伸ばすことに決めた。彼女のような長さになるまでに何年かかるか分からないけど。
「さなえさーん。仕事終わったよー」
今度は庭と反対側の襖から登場したお空さんは、今日も美しい黒髪を腰まで垂らし、しなやか漆黒の翼を携えていた。
「あ、文さんも来てたんだ。やっほー」
彼女のいつもの能天気さに私は最大限の笑みがこぼれる。今日も見ることができた。お空さんの美しい黒髪と黒光りするほどの漆黒の翼。私は今日も幸せだ。
そして私は今日もその言葉を口にする。
「お空さん、今日も美しいですね」
私に『愛しさ』とは何かを教えてくれてありがとう。きっとこの感情は一生忘れません。
恥ずかくて言えないから、最後の二つの言葉はいつも心の中で呟いている。
文とお空の組み合わせも珍しくて新鮮でした。