眈々と、鎌足は機を伺い続けている。
虎が獲物を定めるように――といっても、鎌足は漢籍でしか虎を知らない。その他は百済に渡った使いが、我が子を食い殺した虎を倒したという噂を聞くばかりだ――抜け目なく、牙と爪を隠したままその喉元に噛み付くときを待ち続けている。
鎌足の視線の先では、王族の御子たちが蹴鞠に興じていた。いずれも鎌足より十ほどは若い、溌剌とした青年たちである。その中で、一際鎌足の目を引く御子がいる。
――葛城の御子。
中大兄の御子とも呼ばれるこの若き王子と、鎌足は未だ親しく口を聞く機会を持たない。
鎌足はその機を眈々と待ち続けている。彼こそが、憎き蘇我入鹿を共に討つに値する人間だと信じて。
◇

蘇我大臣蝦夷の息子、入鹿はその若さながら権勢は父をも凌ぐと専らの噂であった。彼ら親子を恐れるがためにこの頃は盗人もおちおち道端の遺物を拾わない、などと囁く声もある。
(入鹿よ。その権勢、果たして永久に続くものか)
鎌足は、我が世の春を謳歌しているかのような入鹿に、密かに冷ややかな眼差しを向けていた。
鎌足と入鹿とは、一応は知己と呼べる仲である。かつて、二人は共に留学僧旻の元で漢籍を学んでいたのだった。
『鎌足よ、かつてお前の祖は、俺の祖父や曽祖父と、仏の享受を巡って争ったそうではないか』
同じ漢籍を習いながら、入鹿は屈託なく言いのけた。鎌足は難解な漢文の訓読を中断して顔を上げる。
大倭に大陸から渡ってきた仏法を広めるべきか否か、豪族たちが争っていたのは、もはや六十年ほど昔の話だ。当時、崇仏派として知られたのは入鹿の祖の蘇我氏。そして廃仏派は蘇我氏と激しく対立した物部氏と中臣氏――鎌足の祖である。
『私も父からその話は聞いている。しかしいずれも過ぎ去ったことだ。我が父は廃仏などを訴えたことは一度もない。廃仏に拘った中臣の人間とは、私からすれば遠い神代の物語の中にいるかのようだ』
『わからぬものだな。あれだけ苛烈に廃仏を掲げた物部は長を討たれ、今や大連の座も追われ、一方で物部に与したはずの中臣は抜け抜けと生き延びている』
『そして今や蘇我と中臣は共に机を並べている。蛍の光と窓の雪を頼りに官吏を目指すかのように』
『お前が功を得るかはわからぬがな。中臣は産土の神の力に拘り過ぎて身を滅ぼした物部と何が違うかわかったものではない』
入鹿の物言いに悪意はなかった。ただ、曽祖父から自分に至るまでに築き上げられた蘇我の栄華が、ある日砂上の楼閣のように崩れるとは夢にも思っていないだけなのだ。鎌足は入鹿の傲慢さを不快に思った。早くに父を亡くし、豪族の中でも華やかな権勢とは言えない中臣氏の中で細々と生きている鎌足からすれば、恵まれた境遇に置かれながら、その恩恵をちっとも理解していないような態度が憎くてならなかった。
しかし実際問題、この頃天の下で最も勢いのある豪族といえば、なんといっても蘇我氏である。蝦夷の祖父、稲目が娘を次々に大王や御子の妃としことが栄耀栄達の発端となる。妃は数多の御子を産み、蘇我の血を引く御子にまた蘇我の娘を添わせ、やがてその御子が大王となる。稲目の息子の馬子が稲目の娘を母とする額田部の大王(推古天皇)と、かの聖徳王と共に仏教政策と政を支えた功績も大きく、蘇我氏はたった四代で神代から続く古来の豪族にも引けを取らぬ権勢を恣にしていた。今も蝦夷と入鹿は蘇我の血を引く有力な御子を二人も抱えており、彼らを次代の大王とすべく強力な後ろ盾となっている。
(いや、厳密には蘇我の親族すべてではないか)
馬子とその直系の子孫は栄華を謳歌しているものの、馬子の弟やその子孫、はたまた蝦夷の兄弟は同じ蘇我の中でも影が薄い。蝦夷・入鹿親子の栄華に与れぬ蘇我の族人は強く不満を抱いているという。
そもそも、豪族も王族も、この頃はまだ父から子へ、そのまた子へと直系で財産や地位を相続する慣習は確立していない。親世代から受け継がれたものは兄や姉から弟、妹へと男女の境なく受け継ぎ、一定の世代が途絶えたら初めてその子世代へ渡る、というのが倣いである。
それを蘇我は稲目―馬子―蝦夷―入鹿の直系で大臣の地位を独占しているため、他氏族からも、王族からも、そして他ならぬ蘇我氏からも反感を買っているのだ。
(蘇我の栄華も長くは保つまい)
鎌足はそう確信している。それは入鹿が未だ若く、王族と縁を結べそうな娘を持たないからというのもあるが、鎌足は彼らが群臣や民から見放される一因となった出来事を目撃しているのである。
昨年の夏、ひどい旱魃が起こり、民はあらゆる神を祀り、牛や馬を殺して雨乞いの儀式を行い、頻りに市を移すなど、様々な手段に訴えた。それでも雨は降らず、このまま旱魃が続けば人々は飢えと渇きに喘ぐに違いなかった。
秋になって、蝦夷は寺々に経典を読ませ仏像を祀り、自ら仏に祈りを捧げて雨乞いを行ったが、僅かな雨が降るばかりで到底旱魃を潤すには至らなかった。
そこで蝦夷に代わって雨乞いを行ったのが、今の大王、宝の女王である。彼女は前年の末に崩りした夫・田村の大王の後を継いで即位したばかりで、新嘗もまだ迎えていなかった。天子の不徳は天変地異となって災いをもたらすという考えが大陸から広まりつつある中で、宝の大王の雨乞いに人々の注目は良くも悪くも集まった。
宝の大王は仏法には頼らず、さながら神を呼ばう巫女のように四方を拝んで天を仰いだ。果たして彼女は見事に雨を降らせた。雨は五日に渡って降り続き、渇いた地を潤し、民が感涙にむせいだのは言うまでもない。
「おお、ありがたや、ありがたや」
「まさに至徳の君よ」
その感激は鎌足の胸も強く打った。中臣は古くから神に仕え、祭祀を取り仕切る一族である。仏法の隆盛に思うところはもはやないが、神への信心は未だに強い。
以来、鎌足は宝の大王により親しみを持って仕えた。その縁で、やがて宝の同母弟である軽の御子にも接近するようになった。
ある時、軽の御子が病と聞つけた鎌足は、軽の坐す宮に参上して寝ずの番を買って出た。軽の御子はいたく感激し、わざわざ寵妃を鎌足の元に寄越して鎌足に対し下にも置かぬもてなしをした。
「身に余る恩寵を承りまして、この喜びは到底言葉には尽くせませぬ。まこと、大王は優れた御子様をお待ちでいらっしゃいます」
などと、鎌足は軽の使いでやってきた舎人に調子のいいことを語ったりもした。実際、接近してみて軽の柔和な人となりに好感を抱いたところはあった。彼も蘇我親子を苦々しく思っているのは違いなかった。
しかし、謀を共にするには少々心許ないように思えた。彼もまた王族の一員であり、相応の野心を持つが、その権勢は姉である宝の大王に頼るところが大きい。何より、軽は神祇よりも仏法を優先するきらいがある。――廃仏派ではないと自認しながら、鎌足はどうにもこの点が気になって仕方ないらしい。額田部の大王が三宝興隆の詔を発し、仏法を政の要とすると定めて久しいが、神祇を仏法の下に置かずに平等に政を行う御子がいないものだろうか。軽は鎌足より歳上で、なまじ聖徳王の時代を知る者は、仏法を重んじすぎる節があるようだ。
(なら、いっそ若い御子たちに目を向けるのはどうだろうか)
入鹿と同世代か、あるいはそれよりも若い者なら、かえって仏法偏重でない考えを持つかもしれない。十年後二十年後に新たな大王となるような、未来の大王たる器の御子の中に同胞を探し求めた。
そして、鎌足はついに一人の御子に目をつけた。
葛城の御子は、現王宝の息子である。二年前、葛城の父王が崩りした時、葛城は父の殯にて誄を奏上する役目を仰せつかったのを、鎌足は覚えていたのである。十六の若さで誄を見事に亡き父王の御霊に語りかける姿が印象に残っていた。
今、葛城は齢十八、はちきれんばかりの若さと活力に溢れ、武術にも漢籍にも通じ、宝の大王もこの御子を殊の外寵愛している。彼の勝気な気性から、蘇我親子の専横に腹を立てていることも、あからさまに表には出さずとも伝わってくるのだった。
鎌足はこれぞ志を一つにできる唯一の御子と思い、どうにかして葛城と縁を持ちたかったが、なかなか機会に恵まれなかった。若い葛城は軽の御子のように病に臥せることはないし、中臣が彼や彼の近くに血縁を持つわけでもなかったからだ。
葛城と縁を持てぬまま、ただ遠くから様子を伺うばかりの時間が続き、今日もまた鎌足は葛城を遠目に眺めていた。
葛城は法興寺――かの蘇我馬子によって建立された寺である――の槻の木の元で、同世代の御子たちと共に蹴鞠に興じていた。御子たちは鎌足に気を止めるそぶりもない。
葛城が鞠を高く蹴り上げる。ところが、勢い余ったのか、はずみで皮鞋が脱げて鞠と共に宙を舞った。
鞠の方は共にいた御子に拾われたが、葛城の皮鞋は鎌足の足元まで転がってきた。
片足を裸足にした葛城が、鎌足の元へ近づいてくる。鎌足はまるで神事の秘宝であるかのように、恭しく皮鞋を手に取り、土埃を払い、頭を地面につくほど深く下げて、皮鞋を葛城に差し出した。
「ああ、すまないな。お前が拾ってくれて助かった――面を上げよ」
葛城は差し出した皮鞋を履き、一度仲間の御子たちに目配せした。そのまま蹴鞠を続けよという合図らしく、御子たちは葛城を抜いたまま蹴鞠に戻っていった。
「お前、中臣連御食子の息子だな」
「はい。鎌足と申します」
「母上はお前に神祇の職を与えたがっていたのに、固辞するのを残念がっていた。軽の叔父上はお前のことを大層褒めていたよ。心映えは気高く優れ、人となりは正しく、人を輔け救う志があると――私はそうは思わないが」
鎌足は思わず顔を上げた。若さゆえの自信と傲岸さに溢れた葛城が、したり顔で見下ろしている。
「お前がどうにかして私と縁を持とうと好機を探していたのは知っていた」
「……ご存知でしたか」
「まるで鷹か虎のように睨め回していれば嫌でも気づく。お前が叔父上や私に目をつけていることは、とうに母上の知るところだ。亡き父上の殯の時からそうだったろう?」
鎌足は冷や汗を流した。
思えば、大王の殯というのは、最も有力な妃が主催するものだ。死者の御霊に語りかける重要な役目である誄の奏上者を葛城に抜擢したのは宝だろう。当時、田村の大王の御子たちの中では葛城より歳上の古人大兄の御子がいたにもかかわらず、宝は実子の葛城を群臣に印象づけようとしたのだ。鎌足は自ら吟味して軽と葛城に接触したつもりが、宝の撒いた釣り餌にまんまと食いついただけなのかもしれない。
そして先に葛城が言った通り、鎌足は宝の拝命を一度断っている。そのくせ軽や葛城には急接近するという鎌足の行動は、大王を蔑ろにした背信行為と受け取られてもおかしくなかった。
葛城は肩を揺らした。
「安心せよ。母上はお前を嫌っていないし、私もまた同じこと。だから今日はわざわざ鞋を飛ばしてやったんだ」
葛城の不敵な口ぶりに安堵しつつ、鎌足は宝と葛城のおおよその力関係を把握した。若い王子は自分の意志で気ままに動いているように見せかけて、母王に極めて忠実である。四十前後を長老格と見做す当代の社会では、十代の若者は自分の意志を政に反映させられるほど成熟していないのだ。
元より鎌足は宝の大王を支持している。宝の意向を受けた葛城と手を組まんとした判断は間違っていないと再認識した。
「何もかもお見通しでしたか。ならば、私の意向もわかっていただけますか」
「入鹿だろう? 私も――というより、母上も入鹿と蝦夷をいつまでものさばらせておくつもりはない。まこと、その点では我らとお前とは利害が一致している。お前が手を貸してくれるというなら喜んで……と言いたいところだが、私から、お前に一つ聞きたいことがある」
葛城は鎌足を見下ろした。
「お前、何が望みだ? なぜ入鹿をそこまで排除したい? 天の下の政を正すため、などというのは口実だろう。鎌足。お前の真に欲するところ望むところはなんだ?」
葛城の視線が真っ直ぐに突き刺さる。父と母、双方を大王とする御子だからか、葛城の言葉には若さとは釣り合わない威厳がある。それでいて僅かな偽りや誤魔化しすら赦しそうにない潔癖さは、まさしく世間擦れしていない若者のそれであった。
鎌足は考えた。正しい政のためという大義が通用しない中、ここで蘇我親子に代わって中臣が栄華を手にするため――と言ったら、どれほど尤もらしく聞こえるだろうか。鎌足の父は既に亡く、有力な兄弟もおらず、子供も幼い。鎌足は一族のためという野心や欲望を持っていなかった。あるのは極めて個人的な入鹿への怨恨、それだけが唯一葛城に曝け出せる欲望だった。
「私はただ入鹿を除きたいのです。それさえ叶うのであれば、後の大王が古人大兄の御子であろうが軽の御子であろうが、はたまた貴方様であろうが、私の知ったことではない」
「はっ! ずいぶんはっきり言い切るではないか」
「生憎と私には姉妹も娘もおりませぬゆえ、蘇我のように娘を大王や御子と結ばせたくともできません。いたところで中臣を繁栄させられるかもわからない」
「風に吹き散る木の花のように儚い人の世か。歳の割には悟り澄ましたようなことを言うんだな、中臣のくせに」
「今になって廃仏など夢にも思わぬことですよ。政には仏法が必要なのだと、かの聖徳王が示した通りです。ただ、古来より我が国が尊んだ天津神国津神を今まで通り尊んでいただきたいと、中臣の者として願うだけです。神祇と仏法に則った政を貴方様と大王が行うとおっしゃるなら、私は喜んでお力になりましょう」
鎌足と葛城は眼差しを交わし合った。
「馬鹿正直は嫌いじゃない。しかし、我が母上や叔父上はお前ほど入鹿を憎んではいないぞ。あやつらは古人大兄の御子の後見をしているから、古人を廃する上で目障りな連中というだけだ。いくら亡き父上の御子といえども、母上にとって古人は継子だからな」
そして、葛城にとって古人は母親違いの年嵩の兄である。子供が母親の一族の元で育てられるこの時代、母を同じくする兄弟の結びつきは強いが、異腹の兄弟とは縁が薄く終わる例も多い。蝦夷の妹の法提郎女を母とする古人は、葛城にとっては兄弟という実感も薄いのだろう。
つまり、鎌足は個人的な因縁から、葛城は王位継承を争う古人の権勢を削ぐため、共に蘇我親子を敵としているわけだ。
「それでも構わないのではないでしょうか。我らの欲するところと望むところの行き着く先が同じなら」
「ならば手を取り合おうではないか。私はいずれ必ず大王になる。お前がその手助けをするというのなら、お前に相応の褒美をやろう」
この日より、二人は蘇我親子の打倒という目的を以て結びついたのだった。
◇
「王子」
と、鎌足は葛城に対してある種の敬意と親しみを込めてそう呼んでいる。
あれから鎌足と葛城は密かに会合を重ねていた。無論、二人の交流が何度も目撃されれば他人が怪しむだろうと案じて、書物を手に留学僧・南淵請安の元へ儒教を学びに通い、その行き帰りの道すがらに密談を重ねている。地に水が染み込むように漢籍を習得してゆく葛城に、かつて鬼才と呼ばれた入鹿も目ではないと鎌足は感心していた。
「王子のおっしゃる通り、とかく我らの味方は多いに越したことはありませぬ。軽の御子様の寵妃は阿倍倉梯麻呂の姫君でしたな。倉橋麻呂には軽の御子様から働きかけていただきましょう」
たとえ葛城が宝の大王の名の下に蘇我親子を討ったところで、群臣の賛意を得られなければその後の政に支障をきたす。かつて蘇我馬子は部下を使い泊瀬部の大王(崇峻天皇)を討ったそうだが、馬子は他の王族や豪族の反感を買うことなく、殺された泊瀬部も大掛かりな殯を催されずに即日陵に葬られたということは、泊瀬部の誅殺は馬子の独断ではなく、すでに多くの王族や豪族を味方につけた上での決行だったのだろう。鎌足たちも味方を増やし、かつ簡単に裏切らないよう結束を強める必要があった。
「わかっている。元より叔父上は母上の言うことをよく聞くお方だからな。……母上は間人を軽の叔父上の妃にするつもりだ」
「間人様を?」
これには鎌足も思わず聞き返した。間人は宝の大王の一人娘で、葛城の同母妹だ。叔父と姪の結婚はこの頃よくあることとはいえ、間人はまだ十代の若い姫で、軽は五十近くの中年である。
「恐れながら、軽の御子様にはすでに妃も御子もいらっしゃいます。そこに今更姪御とはいえ、お若い間人様をお加えになったとて、軽の御子様の御心はいかなるものか……」
「だからわかっておる。私もそれとなく母上に申し上げたが、私の娘は間人しかいない、間人も大王の姫としてしかと心得ていると聞かれなんだ。間人には気の毒かもしれないが、致し方あるまいよ」
そう言いながら、葛城は目を伏せる。葛城としても、宝と軽の姉弟の結束を強めるには婚姻政策が一番だと心得ているのだ。しかし、葛城はすぐ年下の同母妹を殊に可愛がっているようであった。
鎌足はかぶりを振った。下手な情けは計画の妨げとなる。何の代償もなくして、鎌足たちの悲願を果たすことはできない。たとえ宝や葛城が間人に恨まれることになってもだ。
鎌足はすかさず切り替えて、
「間人様が婿を迎えられるのであれば、王子もぜひ妃を迎えなければなりませぬな」
葛城はまだ定まった妃を持っていない。実を言えば、鎌足は自分に娘がいない分、有力な豪族の中で葛城と歳の近い娘を持つ者に幾人か目をつけていたのである。
その一人が入鹿の従兄弟、蘇我倉山田石川麻呂であった。石川麻呂には娘が複数おり、鎌足が石川麻呂に話をつけにいくと、ぜひにと乗り気になった。蝦夷と入鹿ばかりが蘇我氏の財や権勢を独占しているのを日頃から忌々しく思っていたのである。その積年の鬱憤たるや、なまじ蘇我の名を持つだけあって、鎌足以上に凄まじいものがある。話はとんとん進み、葛城と年の近い姉姫を葛城と結婚させることになった。
ところが、ここで思わぬ事態が生じた。
石川麻呂の弟である日向が、姉姫と葛城の結婚の噂を聞きつけ、姉姫を密かに盗んで己の妻にしてしまったのだ。
このままでは蘇我親子に一矢報いる機会を失ってしまう上に、大王の御子たる葛城の不興を買うだろう。青ざめ途方に暮れる石川麻呂を見かねて、二番目の娘の妹姫が父に事の次第を尋ねた。父から事情を聞いた妹姫はあっけらかんと笑って、
「ならばわたくしを姉上の代わりに葛城様に娶させなさいませ。まだ間に合いますわ、父上、そんなに気を落とさないで」
と申し出たため、この妹姫、遠智娘が葛城の妃になり、石川麻呂はめでたく葛城の舅に納まった。後から事情をすべて聞いた鎌足は、危うく石川麻呂の娘と葛城を結びつける計画が水泡に帰すところだったのかと石川麻呂以上に肝を冷やした。石川麻呂が娘を数多持っていたこと、遠智娘がすかさず自身が姉の代わりにと申し出てくれたことに感謝するばかりであった。
(女人というのは侮れぬ)
女王・宝の元、軽や葛城や鎌足が手足となって、反蘇我親子勢力が着々と手を結びつつある。実際に動き回っているのは葛城や鎌足とはいえ、その権威の源は宝にある。思えば蘇我氏の隆盛も、娘が大王と結びついて数多の御子を産んだためであり、結局のところ、政とは男と女の双方がいなければ成り立たないのだ。
「鎌足、お前は聖徳王を知っているか」
またある日、請安の元からの帰り道に、葛城は鎌足に尋ねた。
「この大倭、飛鳥に生まれてその御名を知らぬ者がありましょうか。彼の人こそが我が国の仏法興隆の要です。幼い頃から人並外れて聡くいらした、十人の話を一辺に聴いてたちどころに的確な応えをした、未来すらもみそなわすと、今でも様々な逸話が語り草となっておりますのに」
「仏法への信仰が篤く、額田部の大王の元で存分にその才気を発揮した傑物だと聞く。私は生前の聖徳王を知らぬが、お前が幼い頃にはまだ聖徳王は生きておられたはずだな」
「いえ、ほんの童でしたから、私が聖徳王を目にする機会などとてもとても。父から聞いた限りでは、聖徳王はその頃はもう斑鳩の宮に籠りきりで、政にもほとんど顔を出していないようでした」
聖徳王が晩年に斑鳩に籠ったのは、仏道に励むためとも、蘇我の興隆に嫌気がさしたためとも言われている。いずれにせよ、晩年の聖徳王は母や妃や御子たちと共に斑鳩にあり、そのまま斑鳩で崩りしたと伝わる。
「なあ、聖徳王は蘇我馬子と共に額田部の大王の御代を支えた傑物だ。聖徳王も大王の御子だったというのに、なぜご自身は大王にならなかったのだろうな?」
「さあ……額田部の大王はご長命でしたからな。大王はその死を以て御位を代わるのですから、聖徳王が額田部の大王よりも早く崩りされたのでは、どうにも」
「そうだ。聖徳王は早死にしたから大王にはなれずじまいだったのだ」
鎌足は肩をすくめる。王族同士とはいえ、今なお大倭国中の憧れの的たる貴人に対して率直な物言いをするものだ。早死にといったって、聖徳王の享年は四十九だったのだから、当時としては決して短命ではなかったのだが。
とはいえ彼の輝く眼を見る限り、どうも葛城は聖徳王に並々ならぬ興味と憧れを抱いているらしい。幼い頃から人並み優れた才能を顕わし、仏敵を滅ぼす戦に自ら身を投じ、女王の補佐役として政の手腕を発揮し、志半ばで病に斃れる、その生き様が、前途有望な若者の憧れを激しく掻き立てるのだろう。
「聖徳王の父王も病に斃れたのだし、お血筋であったのかもな。聖人と讃えられても、病には打ち勝てぬ人の子であったというべきか。崩りされた時、天の下は悉く、老いる者は愛し児を失ったかのように、幼き者は慈しむ父や母を失ったかのように嘆いたと聞くぞ」
「ええ、確かにそのような有様であったと憶えております」
「このような噂も聞いた。聖徳王は先立たれた寵妃と一日遅れで崩りしたが、後日聖徳王と妃を訪うと、二人とも骸は跡形もなくただ御衣だけが残されていたと」
鎌足と葛城は二人して笑みをこぼす。まだ聖徳王が没してから二十年ほどしか経っていないのに、真偽の不明な伝説がずいぶんと一人歩きしているようだ。
かつて、聖徳王は片岡の地で飢人と出会い、食べ物と衣を与えて歌を詠みかけた。後に飢人を尋ねると彼はすでに死んでおり、聖徳王は悲しみつつ『彼の人ぞ真人なり』とつぶやき、使いが飢人の墓を尋ねると、そこに屍はなく、聖徳王に与えられた衣だけが土の上に残されていたという。おそらくそういった伝説に触発された噂話なのだろう。
「誠だとしたら、聖徳王と妃は何処へ尸解していってしまわれたのだろう」
「聖徳王の死を惜しむゆえに生まれた他愛もない噂でしょう。気になるのであれば、聖徳王の陵を改めてご覧になりますか」
「いや、さすがに私も墓を暴くのは気が引けるな。……なあ、鎌足。私は聖徳王のような傑物がついぞ大王になれず終いであったこと、口惜しうてならぬ。私は必ず大王になる。聖徳王に果たせなかった悲願を必ずや果たして見せようぞ」
鎌足はまた笑みをこぼす。若者にありがちな、眩いほどの傲慢さ、自惚れ、そのいずれもが入鹿とは違うと感じるのは、己が贔屓目であることに鎌足は気づいていない。
「そのように憧れていらっしゃるのに、王子は聖徳王の残した御子たちには冷たくいらっしゃいますね」
葛城は足を止めた。つい意地の悪い言い方になると思いながら、鎌足は身辺に集まる噂を葛城の耳に入れた。
「入鹿はついに山背大兄の御子を討つそうです。かつて山背に従っていた者たちはもう皆死んでいます。ここで入鹿が山背を見放してしまえば――」
「いよいよ古人大兄の御子一人に狙いを定めるわけか」
葛城は、山背にさして憐れみを持っていないようだった。
山背は聖徳王が蝦夷の妹、刀自古郎女との間に設けた息子だ。かつて山背は葛城の父、田村と大王の座を争い、歳若さゆえにその座を田村に譲らざるを得なかった。その田村の大王は蝦夷のもう一人の妹、法提郎女との間に古人大兄の御子を設けている。田村が大王になった時から、蝦夷と入鹿の親子は山背に見切りをつけていたのだろう。
「親と子は違う。世人は山背大兄の御子をなんと言っているか? 悪い人ではないが器量は聖徳王に劣る、だ。何より蝦夷と入鹿を除いた後ろ盾が膳氏ではな」
聖徳王には四人の妃がいたが、その中の一人、膳大娘がとりわけ多くの御子を残している。山背はこの膳大娘の娘、舂米と結婚して斑鳩の後継となった。聖徳王が斑鳩に住んだのも、元は妃である膳大娘の父が斑鳩の地を所有していたからだとも言われている。
しかし膳氏とは元々大王の食事を世話する一族で、軍事や外交にも携わるものの、蘇我や大伴のような大豪族に比べれば規模の小さい豪族だと言わざるを得ない。聖徳王と繋がりを得てからも、膳氏は特に大きな出世をしておらず、存在感は薄いままだ。
「なれど聖徳王の同母弟や同母妹までもが、膳大娘の妹や息子と結びついたのですよ。聖徳王はよほど膳大娘を愛しんでいらっしゃったのでしょう」
「ゆえに蘇我親子は気にくわんのよ。聖徳王の寵愛をよその姫に奪われた上に、山背まで蘇我の甘樫や葛城の地から離れた斑鳩で独り立ちしてしまってはな。せめて山背が蘇我の姫と結ばれていればまた違ったのだろうが、その場合は山背は斑鳩を継げなかったやもしれぬ。勿体無いな、斑鳩の宮もこれまでか」
鎌足は葛城の顔をじっと見つめた。葛城はやはりさしたる憤りも見せない。ただ微かな憐れみが感じられるばかりだ。
「鎌足。山背は聖徳王の御子とはいえ、大王の孫に過ぎぬ。我が父上だって王孫だ。額田部の大王の御遺言がなければ、御位を継げたかもわからぬ。ましてや権勢を恣にする蘇我親子に見放された山背では」
「左様な口実があるから、宝の大王も山背をお助けしようとは思し召しにならないのですね。軽の御子様や貴方にとって不都合な御子ですから。何より、入鹿が山背を攻め滅ぼして人々から更なる恨みを買ってくれた方が、我らにとっては……」
「諌める気もないくせに賢しらぶったことを言うなよ」
葛城は嘲笑った。葛城自身、鎌足のややもすれば不躾な物言いを面白がっているようだった。
「良いか、大王の歴史は血に塗れている。力づくで王座を勝ち取らねば、敗れた者は殺される。群臣に認められ即位しても、穴穂の大王(安康天皇)や泊瀬部の大王のように殺される例もある。己が王位を盤石にしたければ、邪魔者は蹴落とすしかないのだ。たとえ幾百幾千の恨みを背負おうともな」
「宝の大王は……いえ、王子はその覚悟がおありで?」
「私がそれしきで怯むとでも思っているのか? 十六で父王に死に別れてから、私の道はもはや定まっていたのだ」
葛城は臆すことなく言い切り、北の方角を見やった。葛城の目には、戦火に包まれ燃え盛る斑鳩の宮が浮かんでいるのであろうか。
鎌足の胸に奇妙な感慨が湧いた。入鹿を討てるのであれば、その後に誰が大王になろうとも構わない。今でも鎌足はそう考えているが、ほんの少し、いつか葛城が大王になるために自分が力になるのならそれも悪くないと思った。
その年の十一月、山背大兄の御子は入鹿の軍に攻め入られ、妃の舂米や数多の御子たちと共に首を括って果てた。聖徳王の血筋が大王になる道は途絶えたのである。しかし蝦夷にとってはこの襲撃は寝耳に水だったようで、息子の蛮行を嘆いたという。
暗澹たる時代の空気を引きずったまま年が改まりゆく中で、葛城と結ばれた遠智娘が早くも身籠ったことだけが明るい知らせであった。
◇
「お前、秦造河勝を知っているか」
もはや通い慣れた南淵請安の元からの帰り道、葛城はどこからか仕入れた噂を鎌足の耳に入れた。
「聞けば河勝、東国にて常世神なる怪しげな神を民に広め世を乱す大壬生多なる男を討ち取ったとか」
「河勝といえば、聖徳王の政をお輔けした臣下の一人でしたね。聖徳王が崩りなされた頃にはもう大層な高齢の翁だったと聞いておりましたが、まだ生きていらっしゃいましたか」
「聖徳王に一度でもかかずらわった者たちは、後々まで偉業を残すものよ。しかし、民に怪しからぬ神の名が広まるとは由々しき事ぞ」
「何者です、常世神とは。中臣には左様な神の名は伝わっておりませぬが」
「おおかた、蕃国の神であろうよ。橘の木に這いつくばる芋虫を常世の神と崇めさせ、永久の命と富を得られると吹聴し、すっかり信じ込んだ民は財を放るのに、ちっとも実りはなく民は貧しくなる一方であったと」
「愚かな……」
異国の神を祀り上げ、民を惑わし世を乱す。神祇を司る中臣の一族からすれば、飛鳥から離れた地の出来事であろうと見過ごせぬものだ。幸い、河勝が動いたために事態は治ったものの、そのまま常世神なるものが大倭の国々に広まっていれば、宝の大王の治世にも障りが出たであろう。
「大陸では、天子に不徳があると、天地の調和が乱れ天の下が災いに塗れるという」
「ええ、確かに」
「しかし我が大王に不徳があるとはいえぬ」
「左様です」
この一年で、蘇我親子の悪評はますます高まりつつある。蝦夷は独断で入鹿に大臣の証たる冠を与えた、臣下の身でありながら自らの邸を大王の宮に準えた、子供たちを御子と呼んだ、兵士を大量に集めている、など。これは蘇我親子が大王の一族を蔑ろにし、自分たちこそが新たな王に取って代わらんとする前触れなのだ――そんな噂を流しているのは、本当に鎌足や葛城とは無関係の純朴な民ばかりであろうか? あるいは、河勝が動いたのは、前年に聖徳王の遺児の山背が滅ぼされたためであろうか。
「私は此度の件で改めて身に染みたよ。世を乱す輩を放っておいては国がまとまらぬ」
葛城より強い決意を露わにするが、鎌足たちは水面下でずっと蘇我親子と敵対する豪族や王族との結束を強め、新たな政に向けた足固めをしているのである。
そしてついに翌年の六月、
「百済、高麗、新羅、三韓の進調をする日に、そなたがその表文を読み上げよ」
葛城はまず舅の蘇我石川麻呂にそう告げたという。無論、三韓の進調とは怪しまれずに入鹿を誘き出すための口実に過ぎない。とうとう入鹿の討伐を決行するのである。
鎌足と葛城はしきりに計画を練り、相談を重ねた。当日の段取りや味方につけた豪族の配置、何も知らぬ古人大兄の御子を呼ぶことまで語らい合った。佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田という豪族を味方につけ、二人が実際に入鹿を斬る役目を当てられた。
「私が自ら入鹿を斬ろうと思ったのだが、母上に強く止められてしまった」
「当たり前です」
当然のように自らが得物を握る気でいる葛城に、万が一にでも入鹿と刺し違えるようなことがあってはと鎌足は気が気でならない。しかし血気盛んな若者はちっとも堪えていない。
「大王はすべてご存知なのですね。軽の御子様は臨席されないと聞きましたが」
「母上は本当は私のことも進調の場に呼びたくないのだ。此度の計画はあくまで蘇我親子を憎む豪族の仕業として、母上は知らぬ存ぜぬを通すことになっている」
「なれど王子は大王の反対を押し切ってしまわれたと」
「私だけが入鹿の死に様を目の当たりにせずに終われるものか」
「大王の御心痛が目に浮かぶようです」
活気に満ちた若者は、若き日の聖徳王が物部守屋討伐の戦いに身を投じたような血湧き肉躍る戦いに飢えているのだ。鎌足は、葛城のそばに控える自分がいざという時は盾にならねばならぬと気が重かった。
不意に、葛城は声を潜めて囁いた。
「事がすべて成し遂げられたら、母上は御位を叔父上に譲るおつもりだ」
鎌足は目を瞬く。
「大王が御位をお譲り遊ばすとは、前例がありませんな」
「しかし理にかなっているではないか。かつて、額田部の大王は御歳七十五で崩りするまで三十六年もの間、御位におられたわけだが、その間に聖徳王を始めとした目ぼしい御子たちは亡くなっている。そうして亡き父上と山背が後継を巡って争った。そうならぬためにも、大王が生きておいでのうちに、次の大王を自ら指名して譲ってしまった方が争いの種を摘めるではないか」
そうかもしれない、とも鎌足は思う。しかし一度位を退いた大王がまだ健在なのに新たな大王を戴けば、群臣たちはどうなるのだろうか。
「ともかく、すべてはまず入鹿を討てるか否かだ。大王の話はその後だ。鎌足、心してかかれよ」
決行は、六月の十二日と定められた。
鎌足は葛城たちよりも入鹿のことを知っている。入鹿は疑り深い男で、剣を昼夜問わず帯刀しているので、儀式に呼ぶ俳優(滑稽な歌舞を演ずる者)に指図して、入鹿を言いくるめて剣を手放させるように仕向けておいた。入鹿は丸腰で儀式の行われる板蓋宮に現れた。宝の大王もお出ましになり、何も知らぬ古人もまた儀式に呼ばれていた。
宮の門はすべて厳重に閉ざされている。石川麻呂が偽の表文を奏上する間、葛城は長槍を携えて物陰に隠れていた。鎌足は弓矢を構えて葛城を守るべく控えていた。下手人となる子麻呂と網田に二つの剣をそれぞれ与えた鎌足は、
「いいか、一撃で仕留めるのだぞ」
と言い聞かせた。二人は飯を水で流し込んだが、これから成し遂げる大事を前に緊張しているのか、重圧ゆえの恐怖が襲ってきたのか、むせって吐き戻す始末であった。
「しっかりせい、腹を空かせていては力が出ぬぞ。せっかく待ち望んだ好機を不意にするつもりか」
鎌足は青ざめて震える子麻呂たちを叱り飛ばしていた。そうこうしているうちに石川麻呂の奏上も終わりが近づいた。子麻呂たちが一向に駆けつけてこないので、鎌足たちに何か不測の事態が起きたのか、もしや入鹿に計画が漏れたのかと恐れて、次第に声が震え手に汗が滲み出した。
「どうして震えているのだ。ひどい汗だ」
さすがに入鹿も怪しんで、石川麻呂に問いかけた。
「お、お、大王の、かけまくも賢き大王の御前にて、て、手が……」
石川麻呂はわななきを堪えてどうにか返答したが、入鹿の疑いはいよいよ決定的となったようだ。
(どいつもこいつも!)
鎌足は苛立ち、よっぽど自分が矢を入鹿に射掛けてやろうかと思ったが、葛城が二人に役目を託している以上、鎌足が勝手に動くこともできない。
その時、葛城は警護の舎人から剣を奪い、子麻呂と網田に先んじてさっと飛び出した。鎌足が止める間もなく、子麻呂たちが後を追うより早く躍り出た葛城は不意を突いて入鹿の頭と肩に一太刀を浴びせた。入鹿が驚いて立ち上がったところに、葛城につられるまま飛び出した子麻呂が足を斬りつけた。たちまち儀式の場は大混乱となった。入鹿は這々の体で宝の大王の前に進み出て、
「大王、某は罪を知りませぬ。どうかお取りなしを!」
宝の大王はあたかもすべてを今し方目の当たりにしたように立ち上がって葛城を一瞥し、
「葛城の御子、此は何事ぞ!」
驚愕を滲ませながら堂々と言い放った。実際、葛城が入鹿に斬りかかるのは想定外だったのだが、俳優よりもよっぽど俳優らしい腹芸のお方よと鎌足は思った。
「蘇我臣入鹿は天つ御子を尽く滅ぼし日嗣の位を傾けんとしています。どうして天孫を以て入鹿に代えられましょう」
葛城は血塗れの剣を手にしたまま、地に伏して奏上した。宝の大王は不愉快を露にするかのように宮の中に入ってしまった。
絶望のまま大王に追い縋ろうとする入鹿に、子麻呂と網田が止めを刺した。
鎌足は目を見開いたままの入鹿の骸を見下ろした。罪を知らぬと奏上した通り、本人は何も知らなかったのであろう。
(入鹿、哀れな男よ。己が恵まれた境遇を、自分自身の実力と信じて疑わなかった。その無知こそがお前の誠の罪だ)
入鹿の頬を水滴が伝った。いつのまにか雨が降り出していた。入鹿の骸はすぐさま筵にくるまれて運び出された。かつて僧旻の元に共に机を並べた仲ながら、鎌足がその亡骸に思うことはもはや何もない。積年の憎き相手を倒したという感慨も、思ったほど深い満足を鎌足にもたらしはしなかった。
鎌足は血塗れた剣を子麻呂に渡した葛城に改めて目をやった。
お怪我は、と聞くまでもなかった。返り血を浴びているだけで、葛城自身は傷一つ負っていない。初めて人を殺めた興奮のためか、雨に煙る中でも、葛城の目は爛々と輝いていた。
それにしても、先ほどの臆せず入鹿に斬りかかった手並みのなんたる鮮やかなことか! 勝手な真似をした葛城を本来なら諌めねばならないというのに、無謀と紙一重の勇気を発揮した葛城に、未来の王の姿を思い描くようで、鎌足は見惚れる思いでいた。
(――まだだ)
鎌足と葛城は無言のうちに確かめ合った。鎌足にとってはこれが一つの区切りでも、葛城たちの真の狙いは古人大兄の御子であり、未だ古人の片翼を捥いだに過ぎないのだ。古人は、騒ぎの中で供人と逃げ出したのを確認している。入鹿の父の蝦夷にもすぐさま軍勢が差し向けられることだろう。
『某は罪を知りませぬ』
入鹿の言葉は、ある意味では正しい。蘇我氏内部の反感と対立関係を利用し、王位継承の邪魔者を排除する口実を作り、罪なき者に罪を着せる、本当の罪はどちらにあるかなど、火を見るより明らかだろう。
されどもう後戻りすることはできない。これからその罪を背負って生き続けなければならない鎌足たちに比べて、何も知らぬまま死んで行った憐れな謀反人の、なんと身軽なことか。
降り頻る雨が葛城の返り血を流してゆく。鎌足は、決して洗い流せない罪を共に背負うことになった若き王子をじっと見守り続けていた。
葛城たちはその後、法興寺に入り、蝦夷を討つべくより多くの軍勢を固めた。入鹿の死を知った蝦夷は、挙兵を断念し自刃。蝦夷は王記や国記――聖徳王が晩年に馬子と共に編纂したと伝わる書物である――などの財を焼き払い、かろうじて国記だけが燃え尽きる前に持ち出され、宝の大王に献上されたという。
ここに蝦夷、入鹿の家譜は完全に途絶えたのであった。
◇
蘇我親子討伐の後、六月十四日、宝の大王は同母弟の軽の御子に璽綬を授け御位を譲った。軽は形式ばかりは古人大兄の御子に意向を伺うふりをしたものの、蝦夷と入鹿という後ろ盾を失い、私邸に逃れた古人は固辞して、
「いえ、私は出家して吉野に篭ります」
と奏上し、自ら法興寺に赴いて髪を下ろしてしまったため、軽の御子はそのまま御位に着くことになった。先王の宝は王母の尊と号され、未だ権勢を維持している。
その後は新たな大王の元、新たな群臣の位の制定に年号『大化』の導入、三韓への使いなど、新たな政を整えるのに忙しく、古人のことは取り紛れていたが、乙巳の政変から三月後、九月に古人謀反の密告がもたらされた。
「母上も大王も、古人を決して野放しにはせぬおつもりだったのよ」
軽の大王に古人討伐を命じられ、果たして帰ってきた葛城は、今や内臣となった鎌足にそう語った。腹違いの兄を討つのに、葛城は一切の躊躇いを持っていなかったに違いない。
「これで蘇我を後ろ盾とする御子はいなくなったわけだ」
「大王も王母の尊もようよう胸を撫で下ろしていらっしゃることでしょう。……ところで、古人には、倭姫なる娘が一人いると聞きましたが」
「姫君まで殺したのかと言いたいのか?」
葛城は笑った。
「安心せよ、大王の仰せ通り、倭姫は吉野から飛鳥に連れてきた。まだ若く、夫もいない姫だ。王孫の姫は貴重だからな。もしや大王は倭姫を妃にするおつもりかな」
「恐れながら」
鎌足はすかさず口を挟んだ。
「倭姫は王子の妃になさいませ」
「……何?」
「確かに古人の遺児を放っておけば、また大王に不満を抱く輩に担がれないとも限りません。その前に味方にしてしまうのはよろしいのですが、大王は間人様を妃にしたばかりです。王母の尊は諸手を挙げて歓迎とはいかないでしょうね。ならば倭姫は王子の妃になるべきと存じます。私から王母の尊に奏上しましょう。たとえ大王が倭姫をご所望でも、同母姉の意向には逆らえないでしょうから」
訥々と考えを述べる鎌足に、葛城は肩をすくめた。
「鎌足。お前という奴は、己に娘がいないからといって、私の妃の世話ばかり焼きたがるのだな。遠智娘が先日私の二人目の子を産んだばかりだというのに。倭姫からすれば、私は父の仇ぞ。お前は私に妻に恨まれる夫になれというのか」
「そうです」
鎌足は怯まず言い切った。葛城の勇猛果敢な気質には一目置いているものの、若さゆえの無謀さからは目を逸らしてはならない、彼を未来の王にするために遠慮してはならないと、親心にも似た気持ちで葛城を支える役目に徹している。耳の痛いことばかり言う図々しい男よと煙たがられても構わなかった。
「入鹿も蝦夷も、他の蘇我の族人から恨みを買い孤立しました。その入鹿と蝦夷を滅ぼす助けをした私もまた既に恨みを買う身でしょう。我らの地位を盤石にする力を求めるごとに、恨みはいよいよ大きくなってゆくに違いありません。王子も大王を目指す身の上なら、差し出がましいようですが、改めて覚悟をなさいませ」
「……」
「何より、倭姫はまだお若いのです。間人様より歳下かもしれませぬ。大王よりも王子の方がお似合いですよ」
それまで真顔でいた葛城が、耐えかねたように笑い声を上げた。
「わかった、私が倭姫に通おう。つくづく抜け目のない男よ。お前に娘がいないのが勿体ないな」
「私に相応の娘がおりましたら、喜んで王子を婿に迎えましたとも。こればかりは、多くの娘を大王や御子に添わせた蘇我のやり方が正しかったと認めざるを得ませんね」
「お前、妻がいないわけではないのだろう」
「幾人かは。未だ男子が一人いるだけですから、私に子ができにくいのかもしれませんね」
「もしお前の働きに応じて私が女をやると言ったら、どうする?」
鎌足は目を瞬く。この次代、女の再婚は珍しくなく――葛城の母の宝も、実は田村と結ばれる前に夫がいたのである――また、高貴な人間のお手つきとなった女性を賜るのは大変な名誉である。葛城もこれから是非我が娘婿にと申し出る豪族や王族が増えるであろうし、大王たちに仕える采女が彼の目に留まることもあるだろう。
「豪族どもがこぞって献上する采女はいずれも世に二人となき美女ばかりだ。中にはお前の気に入るような女もいるだろう。いや、何も女でなくともよい。財か、美酒か、何でもよい、お前にはいずれお前の望む褒美をやらねばならぬ。お前の働きには私も母上も常々感謝しているのだ。何よりお前に裏切られては我らとしても困るのでな」
「まだ新たしき世は始まったばかりです。とても褒美をいただけるほどのことは」
「欲しいのか、欲しくないのか、私はそれを聞いているんだ」
「――私は、王子が気まぐれに『くれてやろう』と思うような嬢子を欲しいとは思いませぬ」
鎌足はお気持ちだけでありがたく畏れ多いなどと固辞するつもりはなかった。大王や御子から贈り物を頂けるのは光栄であり、入鹿を討った今となっては、鎌足も妻や幼い我が子や、これから生まれてくるかもしれない子供たちのために、少しでも財や地位となるものを得たいと思っている。
そして、同じことなら、貰う相手は軽の大王でも宝の王母でもなく、葛城がよかった。
「貴方様が狂おしいほど愛しい、昼も夜も分かたずそばに置きたい、他の誰にも渡したくない。左様に惚れ込んだ嬢子こそ、欲しいのです」
鎌足は葛城をじっと見つめた。果たしてこの厚かましい要求を、苛烈な王子はどう受け止めるのかと思いながら。
しばし二人は視線を交わし合ったのち、葛城は軽く肩を揺らして笑ってみせただけだった。
「しかし、もうじき大王の新しい宮も完成するというのに、お前は未だ大王よりも我が母上を崇めているようだな」
「御位を譲られたとはいえ、王母の尊は大王にも王子の権勢の源ですから」
「自ら位を退くと聞いた時は私も驚いたが、母上もよく考え抜かれたものよ。群臣の承認を抜きに次の大王を指名することで王族の権威を強めた上で、ご自身も先王としての権勢を維持し続けられるのだからな」
「大王も王母の尊を頼っておいでです」
「無理もない。母上と叔父上の父は大王ではなかったからな。大王の妃となった母上の方が王座への見識は深い。叔父上としてはちと煙たいやもしれぬが」
二人して宝の王母を褒め称えるそぶりで、鎌足も葛城もある不安を共有していた。
宝と軽の姉弟が今まで政を協力して行っていたのは、蝦夷・入鹿親子と古人という、彼らにとって王座を狙う上での共通の敵がいたからだ。しかし入鹿たちがいなくなった今、次の大王を誰にするかという意向に対する答えを、姉弟は共通して持っているだろうか?
宝は必ず我が子である葛城を推すだろう。一方で軽にも有間の御子という息子がいる。姉の言いなりになって、素直に我が子より甥の葛城を大王にすべきだと考えられるだろうか。
そもそも、大王というのは一代一代、独自の経済基盤を持っていて、それは男の王でも女の王でも変わらない。政の要となる王宮は大王の代替わりごとに新たに築かれる。宝は王位継承の証たる璽綬を譲りはしたものの、自らの宅や奴婢や臣、財、それらをそっくり軽に明け渡したわけではない。これまでは大王の死と同時に代替わりが行われていたが、宝による生前譲位が決行された今、いうなれば民は二人の王を同時に戴いているようなものだ。二人の王が同じ方を見ている間は良いが、亀裂が入った時、群臣や民は当然ながらより力の強い方、自分に都合の良い方に阿るだろう。
やがて二人の懸念は現実のものとなる。軽の大王の難波の宮が完成した五年後、宝の王母は元の宮であった飛鳥への遷都を主張し、軽の大王はそれを拒否。すると宝は息子の葛城と大海人、さらには軽の妃になっていた間人まで引き連れて、軽を置いて飛鳥へ移ってしまった。
失意のまま、軽の大王はその一年後に難波の宮で寂しく崩りした。
空座となった大王には、一度位を退いた王母の宝が飛鳥の地で再び舞い戻った。史上初の重祚であった。
◇
「王子」
鎌足の呼びかけに、葛城は大義そうに視線ばかりを投げるのみであった。
葛城はこの頃、悩みがちである。軽の死によって葛城はついぞ自分が大王にと期待をかけたのであるが、母である宝はまだ息子に御位を譲ることを許さなかった。宝の重祚から三年経った今でも、葛城は母の采配に心から納得していないらしい。
「王子、中大兄の王子」
「その名で呼ぶな。もはや大兄と呼ばれる御子は私以外にいないのだから」
「ああ、ようよう返事をいただけました」
鎌足にとっては葛城のあしらいはとうに慣れたものであったし、葛城も鎌足の多少の不遜な態度は全く諌めないのであった。葛城もさすがに十八の時ほどの傲岸さは鳴りを潜めたが、まだ若いものだと、四十を過ぎて老いを感じるようになってきた鎌足は微笑む。
「私はな、今度という今度こそ、母上は私を大王にしてくれると思っていたのだ」
「あの時の王子は御歳三十でした。大王が年若さを心配なされるのもごもっともでしょう」
「かの磯城島の大王(欽明天皇)は御歳三十一にして御位につかれたではないか」
「その磯城島の大王は自分は若すぎると申して先王の妃に御位を譲ろうとしたのです」
「しかし結局は敷島の大王が即位した。母上は私の何が不満だというのか」
鎌足は目を細める。親なればこそ、自分が憎まれ役になってでも我が子に万全の道を用意したいと思うものだ。若い頃から目立ち過ぎた葛城が、いざ王座についた時に誹りを買わぬよう、宝の大王は自分の補佐をさせながら次代の王としての経験を積ませたいのだ。
とはいえいつの世も親の心子知らず――葛城もすでに数多の御子たちの父となっているのだが、母の懸念を慮れるほど成熟してはいなかった。葛城はため息をつく。
「聖徳王も、斯様なものだったのやもしれぬ」
「また聖徳王ですか?」
「あの方の上にいたのは母ではなく叔母だったがな。昔はなぜ聖徳王が大王にならないのかと不思議でならなかったが、案外、額田部の大王に押さえつけられていたのかもな」
「まさか」
「考えてもみよ、先代、先々代の大王がいずれも短い治世に終わったのを引き継いで、額田部の大王は三十六年もの治世を保ったのだ。額田部の大王が政を聖徳王や馬子に頼りっきりだったとは、我が母上を見ていても思えぬのよ」
鎌足は肩を揺らした。額田部の大王の手腕に対する見解は同意するものの、聖徳王との関係に対してはその限りでない。そもそも宝による譲位ですら前代未聞だったのだ。それより昔、額田部の大王に聖徳王への譲位という考えがあったとは思えない。下手をすれば、宝と軽のように王への求心が二つに分裂してしまう。
「あるいは蘇我馬子が口喧しかったか。あの蝦夷の父ならそれも考えられる。物部守屋の妹を妻にして、守屋が滅びたら妻を通じて守屋の財をそっくり蘇我のものにしてしまう御仁だからな」
「馬子は聖徳王を娘婿にしていて、馬子の娘の子が山背ですよ。馬子こそが聖徳王の御代を待ち望んでいてもおかしくないと思いますが」
「自分に都合が悪くなれば、血のつながりがあろうが婚姻の繋がりがあろうが、切り捨てるものだ。蘇我も、王族も」
葛城の語りには自嘲の響きがあった。
葛城の舅である蘇我石川麻呂と、その娘で葛城の妻である遠智娘は、すでにこの世にない。
数年前、まだ軽の大王が在命だった頃、石川麻呂に謀反の疑いがあると石川麻呂の弟の蘇我日向から密告があった。蘇我氏内部の紛糾と見做した葛城はまず軽の大王に奏上し判断を仰ぐも、軽の大王は直ちに石川麻呂に兵を差し向けた。石川麻呂は大王への直の弁明を求めるも受け入れられず、自害。父の死を嘆いた遠智娘は病がちになり、葛城の三番目の子供、建を産み落とすと同時に亡くなってしまった。
(思えば、あの頃から……)
世人には一連の騒動を、葛城が手を引いたのだと思っている者もいる。遠智娘も彼が軽の大王を唆したのではないかと夫を疑っただろう。しかし当時二十四の葛城に一人で蘇我の内紛を引き起こす力があるはずもなく、まして舅を排斥して得られる利も葛城にはない。あの入鹿を討った政変ですら、彼の意向は常に母や叔父の下にあった。入鹿を討ち取った華々しい活躍が、反面、水面下で何をしでかすかわからぬ恐ろしい御子という悪評にも繋がりつつあるのだ。
あの頃から、葛城と軽の間に亀裂が入り始めた。軽は息子である有間の御子が成長するにつれて、有間に次期大王の座を譲りたがるようになったし、軽の意向が有間に傾いていると見做した宝は少しずつ同母弟を敵視し始めた。どんなに同母きょうだいの絆が強くとも、大王の座を巡っては容易く敵に転じ得るのだ。
葛城も宝も、恨みを買い続ける人生である。かつて鎌足に宣言したように、葛城は舅の死にも妻の死にもじっと耐えている。未だに心を開かない倭姫にも丁重な扱いをしている。
しかし、若き日の報いかと思わせる出来事が、次々と葛城に降り注いで彼を苛んでいるのも事実だった。
遠智娘の忘れ形見である建は、数え六つになっても一切言葉を話せない童男だった。
『なに、かの活目の大王(垂仁天皇)の御子の誉津別命だって、大人になっても口が聞けなかったというではないか。その誉津別命も出雲の大神の祟りだと明らかになり、出雲参りの後に口を聞くようになったのだ。まして建はまだほんの童ではないか。周りの我らが焦っても致し方あるまい』
などと葛城は明るく振る舞ってみせるものの、どこぞの神の祟りを受けてはいないかと頻りに鎌足へ卜占や太占を要求するし、誉津別命が鵠を見て物を言いたげにしたという逸話にあやかって、やたらと建に鵠やありとあらゆる鳥を見せているのである。葛城の心痛を思えば、母への不満は単なる表向きの憂さ晴らしとすら思えた。
その宝の大王も、二度目となる治世を迎えたものの、群臣や民からの評判が良くないのである。即位に伴って新たな宮の造営を推し進めているものの、工事にかかる莫大な人員や富のために『狂心』と揶揄されるほどであった。
「鎌足。お前、あの噂をどう思う」
「あの噂とは」
「お前も忘れたわけではないだろう。母上が再び即位した年の夏、龍に乗って空を駆ける青き油の笠を纏った男を見たと。あの後、どういうわけだか飛鳥に多く死人が出た」
鎌足は口を閉ざした。忘れるはずもない。新たに始まった御代を早くも不吉に思う者を生み出してしまった出来事である。
「なあ、世人はあの青油笠の男を亡き蘇我蝦夷の御霊かと噂しているそうではないか。死人が次々と出たのも、我が子共々我らに滅ぼされた恨みゆえと……」
「左様なものは不確かな噂に過ぎませぬ」
鎌足は苦々しい思いで否定した。二人が死んで間もないうちに惜しむ声が上がるのならまだわかるが、十年も経ってから突然名前が上がるのは、宝の大王への不満からくる当て擦りとしか思えなかった。宝もまた権力への欲が強い人間であるから、不評を買いやすい理由もわかっていたが。
「確かに亡き者の御霊が世を彷徨う例もありましょう。しかし人の御霊が人に災いをなすなど、聞いたことがありません。生きた人間に祟りをなすのは神のみです。国津神の末裔たる蘇我の子らが神になるはずもなし、おおかた大王への不満を蝦夷らにかこつけているだけでしょう」
「ならばお前も母上の治世に不満の声が上がっていることは認めるのだな」
鎌足が言葉に詰まると、葛城は肩をすくめた。
「生きているうちに御位を譲る。一度御位を退いた身で再び即位する。前例にないことを二つもやってのけたのだから、多少は反発も生まれよう。母上も強気なお人で、少しばかりの不平なら気にも止められないところがおありだからな。私なら母上より上手くやれるとも言わぬ。しかし大陸や三韓の情勢が不安定な今、大王への求心力が下がるのは由々しきことぞ」
「……」
「亡き軽の叔父上が残した有間の御子はもう十七になったか」
「王子。有間の御子はまだお若く、とても大王に取って代わることなど」
「先王の遺児を唆す者がいないとでもいうのか? 他でもないお前が昔言ったことじゃないか。建の同母姉二人もそろそろ年頃になる。有間を婿にするのも一つの手ではあるが……」
葛城はため息をついた。母に似てか、葛城も謀略を好むたちである。この頃は母王に頼らず、独断で葛城も自ら謀を巡らすことが増えてきた。
「大田と鸕野、二人ともいずれ大海人にやってしまおうと思う」
叔父と姪が結婚するのも、姉妹が揃って同じ男と結婚するのも、珍しくないことである。葛城は有間を抱き込むよりも、同母弟である大海人との結束の強化を選ぶというわけだ。
「いずれかお一人に大海人様を迎えるのではなく?」
「ああ」
「誠に有間が大王たちの脅威になるとお思いですか」
「私が入鹿を斬ったのは二十歳の時だ」
鎌足はすでに葛城も宝も有間を見放していることを悟った。我が子の脅威と見るや長年手を取り合ってきた同母弟の軽すら容赦なく切り捨てた宝。その子の葛城もまた苛烈な気性を秘めている。彼らにとっては今なお王座とは、殺すか、殺されるかで奪い合うものなのだ。
鎌足はそれを強いて諌めようとは思わなかった。葛城と知り合ってからもう十年以上も経ち、常に葛城の側に仕えてきたためか、鎌足はもはや彼が大王になるために尽力することを躊躇わなくなっている。
それから二年の後、建の御子はついぞ口を聞くことなく、わずか八年の短い生涯を閉じた。葛城たちの慟哭はここに書き記すまでもない。同じ年、建の死から三月後に、蘇我赤兄が有間の御子の謀反を密告した。――なぜこうも葛城の元にばかり謀反の密告がもたらされるのであろうか? 謀反の噂は真実なのであろうか?
有間は首を括られ、もはや葛城の将来の即位を邪魔する者はいなくなったかのように見えた。
◇
宝の大王の坐す朝倉宮は、その日騒然としていた。
前年、百済を救うために新羅を討たんとして、宝の大王は御子たちや群臣を率いて筑紫に渡っていた。朝倉宮は筑紫に建てられた宮である。
五月九日、朝倉宮に雷が落ちた。更には宮の内に鬼火を見たという者が数多現れ、人々が次々と病に斃れ死んでいった。
宝の大王もまた、落雷の日より病を得て床に伏せっている。
「して、大王のご容態は」
間人、大海人らと共に看護にあたっている葛城を鎌足が尋ねると、葛城は焦燥し切った顔で鎌足の前に現れた。
「母上はもうお歳だ。ただでさえ軍勢を率いた長旅で疲れておられるのに、病に打ち勝つお力が残っているとはとても思えない」
葛城は一切の希望を含ませることなく言い切った。葛城もずいぶん窶れていると鎌足は見受けた。
「まるで母上の即位の年の繰り返しだな。あの時も俄かに病死人が増えたものだった。亡き蘇我蝦夷の御霊の仕業だと人々は噂したか」
「しかし、それは……」
「そして此度はなんと噂されているか? 入鹿の御霊の怒りが天に通じて、朝倉宮に雷を落としたというのだ」
「いえ、王子!」
鎌足は躍起になって否定した。蝦夷に次いで入鹿の名が人々の口の端に上った頃から、斯様な悪しき噂に歯止めをかけねばならないと思っていた。
「あの時も申し上げた通り、亡き人の御霊が生きた人に仇なすはずがありません。十年も経って、今更入鹿の御霊が現れるはずがありますか」
「母上が鬼火の正体を見たと言ってもか?」
「宮の落雷という混乱の中では、人と御霊とを見間違えても……」
「それ以上言うてみよ! 母上はお歳といっても耄碌してはおらぬ。それ以上はお前でも赦さぬ」
失言に気づいた鎌足は平伏するしかなかった。実の母の命が尽きかけている葛城に、なぜ無礼をぶつけられたのかと己を恥じた。
「お前がなんと言おうと、私は老いた媼の空目とは思わぬ。死人の御霊が祟る前例がないなどどうでもよい! ただ……」
葛城は途中で息を切らした。政敵たる人であれ荒ぶる神であれ、何者をも恐れない豪胆な気性の葛城が、いつになく心乱れているのは珍しかった。
「鎌足、お前の言う通り、入鹿の御霊の仕業ではないと私も思う。しかし此度は蝦夷の時以上に素早く広く入鹿の名が蔓延している。どうして世人がこうも口を揃えて入鹿だ入鹿だと囃し立てるのか、不思議でならぬ」
「どういうことです。大王は入鹿の御霊をご覧になったのではありませんか?」
「母上が落雷の中で見た人影は、女だったというのだ」
「……はい?」
鎌足はわけがわからなかった。それこそ采女や女嬬の見間違いではないかと喉まで出かかった。入鹿に娘がいたとは聞いたこともない。入鹿の叔母たち、刀自古郎女や法提郎女は乙巳の政変の時にはすでに身罷っていた。その他、鎌足の知る限りの蘇我の女を並べてみても、入鹿に結びつく者はいない。非業の死を遂げた遠智娘ですら、入鹿の味方たり得るはずはないのだ。
「母上はその女こそが自らを祟る者だと信じ切っている。なぜ女の御霊が入鹿の御霊と取り違えられているのかは私にもわからぬ」
「……」
「鎌足。私はあまりに多くの者を殺してきたな。入鹿に蝦夷、古人、石川麻呂、遠智娘、軽の叔父上、建、有間。私は拘ったものをこれだけ死に追いやってきたのだ。その女に心当たりがないのも当然だ。誰に恨まれていても不思議ではない」
「いえ、王子は建の御子様を殺めてなどいません。石川麻呂も遠智娘も、軽の大王も……」
「ならばなぜ建は口も聞けずに生まれてきた!? なぜたったの八つで父を置いて死なねばならなかった!? なぜだ、答えてみよ!」
葛城は鎌足の肩を掴んだ。我が子に先立たれた痛みを背負い、今は母の重篤に向き合わねばならない葛城を前に、鎌足はかける言葉を持たなかった。
「私が病を得て死ぬなら当然の報いだ。口惜しくはあるが得心はゆく。なれど、妻や我が子や母に矛先が向けば……」
「……」
「どうすればいい。これが神の祟りであるなら、いくらでも財を尽くして神事を行ってやる。だが、正体のわからぬ人の御霊はどうすればいい?」
鎌足にもわからない。神に仕える中臣の一族を以てしても、死者の御霊が神のように生きた人間に祟る謎は解けなかった。
葛城は自らに降りかかる凶事を、蘇我親子討伐を発端とする様々な所業の報いだと思い始めている。報いを我が身に引き受ける覚悟をしながらも、自分にとって最も親しい者、愛する者が次々に奪われてゆくことは耐えられないのだろう。葛城たちが屠った者たちの中にも、不当に奪われた彼らの生き様があり、彼らを愛しむ者がいたとわかっていても。
鎌足の脳裏に、絶命した入鹿の雨に打たれて地に伏せる姿が過ぎる。屍は絶望に目を見開きながら、虚空を見つめていた。
あの時、自ら剣を手に飛び出し、入鹿に斬りかかった葛城の勇猛果敢ぶりを、鎌足は惚れ惚れとする思いで見つめていた。
しかし今となっては、なぜ葛城に入鹿を斬らせてしまったのかと思う。あの時無理にでも子麻呂と網田を焚き付けていれば、あるいは鎌足が自ら入鹿を殺していれば、葛城は今になって入鹿の御霊に母を煩わされることはなかったのではないか。
落雷から二月の後、宝の大王の病は快方に向かうことなく、朝倉宮で崩りした。葛城が喪を主宰し、新羅への遠征も大軍も葛城が引き継ぐことになった。
その夕暮れ、朝倉山に鬼の影を見たとの証言が寄せられた。それは単なる山にかかる黒い雷雲の見間違いだったかもしれないが、入鹿の噂は未だ鎮まる気配がなかった。
「王子」
宝の葬列は無事に飛鳥へ帰還し、葛城の主催で殯が執り行われた。軍勢を筑紫に留めて、葛城たちは久々に飛鳥の地を踏んでいる。
「私はいつまで、貴方様を王子と呼べるのでしょうね」
葛城は大義そうに振り返った。葛城は三十七、もはや即位に若すぎるという齢ではないのだが、ずいぶん面窶れて、実際の齢よりも幾許か歳を取ったように見える。
「かつて誰が大王でも構わぬと言い放った男の言葉とは思えぬな」
「あの頃は私も若かったのです。お赦しを」
「たとえ大王が死しても新羅征伐を中断してはならぬと、亡き大王の遺言だ。今はすぐさま即位の式を行うわけにはいかない。……わかっているとも、もはや私以外に大王となる者はいない。私は長年、どれほどこの日を待ち侘びていたことか……」
言葉に反して、葛城の声音に力はない。母王の死が、葛城から持ち前の活力をごっそりと奪い取ってしまったようであった。
「不思議だな。母上が生きておられた頃は、母上の言うことをうるさく思っていたものだが、いざ亡うなってしまったらこうも虚しいものとは思わなんだ」
鎌足は葛城の意気消沈ぶりを見ていられなかった。彼のきょうだいである間人も大海人も母の死に沈んではいるものの、葛城ほどではない。亡き宝の大王が自分の次には必ず葛城を、と望みをかけていたのに、ここで葛城の心を折らせてはならないと思った。
「王子。人の口に戸は立てられぬもの、忌々しくも朝倉宮の入鹿の御霊の噂は飛鳥にまで広まっております。大王の見た女が何者であろうと、亡き大王の名誉を入鹿めに穢されるのは由々しきこと。大王の死は、朝倉宮を建てるのに社の木を伐り払ったがために、朝倉山の神の怒りを買ったことにしましょう」
「それは……」
「かつて軽の大王も、難波宮を建てるために生国魂の社の木を伐ってしまったことがありました。同母姉の大王もまた同じことをしたのだとすれば、人々は信じるでしょう」
「……」
「入鹿の名を蘇らせてはなりませぬ!」
「鎌足、お前はそんなに入鹿が怖いのか」
葛城は目を細めて笑った。目尻の皺が濃くなったように思う。
「お前は昔から入鹿の名が世に憚るのが気に食わないようだったからな」
「……」
「思えば不思議な奴よの。出会った頃、私はてっきりお前は中臣の一族こそが蘇我親子に取って代わって栄華を恣にしたいものとばかり思っていた。しかしお前には助け合う兄弟はいないし、あの頃は定恵も幼かった。まさか純然たる入鹿への憎しみのみで私と手を組んだとは思わなんだ」
「今となっては、幼い子らに大したものを遺してやれないことを悔やんでもいます」
「お前もようやく親心に悩まされるようになったか。私も大友のことでは心配が尽きぬ」
大友の御子は、葛城が采女との間に設けた息子である。建の御子を亡くした葛城が自分の後継にと強く望む御子で、日頃から鎌足を始めとした群臣や同母弟の大海人に、大友の行く末を頼むと強く働きかけている。
鎌足はそういった葛城の動きをいつも不吉に思っていた。まるで余命幾許もない年老いた親が幼い我が子を案じるかのようで、鎌足は入鹿の祟りを頭ごなしに否定しながらも(もしや)という予感を振り払うことができない。
「大友様が心配でいらっしゃるなら、まずは貴方様が大王として為すべきことを為さなければ。田村の大王という前例はあれど、いつか貴方様がおっしゃったように、王の孫は王の御子よりもずっと立場の弱いものです。気を強く保ちなされ。我々は百済を救わねばなりませんし、新しき国作りもまだ途中です。貴方様は聖徳王がついぞ届かなかった大王の座に手をかけているのですよ。貴方様が聖徳王にどれほど憧れていらしたのか、お忘れですか?」
「……」
「入鹿の御霊は私にお任せくださいませ。神を祀る中臣が子孫として、必ずや悪しき御霊も打ち払って御覧ぜましょう。王子や大友様に仇なす真似は、この鎌足が決してさせませぬ」
葛城は肩を揺らした。
「母上のことなら好きにせよ。母上も不確かな噂で世が乱れるのは望んでおられなかった」
「王子! いつか貴方は私の働きに応じて褒美をくださるとおっしゃった。王子もご存知の通り、私もこの歳で幼い我が子を抱える身です。老いた我が身がどうなろうとも構いませぬが、残される子供たちは不憫でならない。私が入鹿の御霊を祓った暁には、私の子々孫々を貴方様の御影の下で守っていただけるような、そんな栄誉をくださいませ」
「鎌足、お前は……」
葛城の表情が強張る。鎌足の強請りに、不吉な予感を受けたのだろう。母たる宝の大王が身罷った今、入鹿の御霊は、今度はまた葛城の近しい者を狙うのではないかと。葛城は俄かに取り乱し始めた。
「お前、何を企んでいるのだ。よもやお前が御霊を口寄せする憑坐となるなどとは言うまいな? 入鹿の御霊の誠の狙いもわからぬのに、お前はわざわざ危機に身を投じるつもりか?」
「王子。私は、貴方様を大王と呼べるその日までは決して死ねませぬ」
鎌足は葛城の答えを聞かぬまま退出した。
あの頃の活気に満ちた青年が、歳を重ねたとはいえ、なんと病み窶れたことだろう。いや、歳を取ったのは葛城ばかりではなかった。鎌足も五十を過ぎてから病に罹りやすくなり、年月を重ねるごとに身体が弱く脆くなってゆくのを自覚していた。即位を渋る葛城を急かす気持ちがあるのは、このままでは葛城の御代を見る前に自分の命が尽きてしまうかもしれないという恐れがあるからだった。
その後も葛城はなかなか王座に着こうとしなかった。母の死が想像以上に堪えているのかと鎌足は推察した。宝の死の翌年、新羅征伐は白村江の大敗に終わり、民の猛反発を受けながらも都を近江に遷し、称制から七年経って、ようやく葛城は即位した。
四十を過ぎて、長年政と謀略に身を乗り出し続けたためか、身体は痩せぎすで、顔のそこかしこに心労が刻まれている。かつての傲岸さはなりを潜め、それが貫禄のある大人の男らしさを引き立てていた。即位の宴で、鎌足は葛城を眺めながら、ようやくここまでという感慨と共に、互いにあの法興寺の蹴鞠の頃よりずいぶん年老いたことを噛み締めていた。
即位の翌年、葛城は弟の大海人、鎌足、諸々の群臣を率いて山科野にて薬狩を催した。鎌足の陶原の邸の近くで行ったのは、この頃病がちで外出も大義な鎌足のためかと思われた。
「今日は顔色が良いようだな、鎌足」
「我が大王がわざわざ山科までおいでになったのですから。まこと、前年の蒲生野の薬狩にも劣らず立派な鹿が数多おりますゆえ」
「大海人を見よ。自ら野に分け入って草を摘む姿の清々しさは」
葛城は目を細めて大海人を見つめている。その眼差しが、単なる同母弟への慈愛のみでないことを、鎌足は知っていた。
葛城の同母妹であった間人は三年前に崩りしたため、今は大海人だけが葛城の唯一の同母きょうだいだった。可愛がっていた妹の死の痛手は深く、葛城は間人のために三百人を出家させて菩提を弔った。
鎌足の知る限り、葛城と大海人の兄弟仲は良く、大海人は葛城を慕っていつも兄の意向に従順だった。かつて額田王という女性を巡って相争ったことすら、宴の席の戯れで茶化してしまえるほど、葛城は大海人に対しては甘い。大海人の妃になった葛城の二人の娘のうち、大田は二人の御子を残して亡くなってしまったが、もう一人の妃、鸕野は相変わらず大海人に寵愛されている。
とはいえ、かつて宝と軽の姉弟が対立したように、同母の兄弟でもいつまでも仲睦まじくいられるとは限らない。葛城は我が子の大友の後見を日頃から大海人に託し、大海人も承知しているものの、大海人にも御子たちがあり、いつまでも大友の味方でいるか、葛城も心から信頼はしていないのだ。いくら大王の御子といえ、他ならぬ葛城が長年若さを理由に即位を阻まれてきたのだ。歳若い大友よりも、年長の大海人の方を群臣が支持してもおかしくない。
「大海人は良き弟だ。そして鎌足、お前は良き忠臣だ。私ほどに恵まれた大王も居るまい。かの聖徳王にも優ろうぞ」
「大王、何を――」
「だから充分に養生して、早うに病を治せよ。お前の力なくして私は大王にはなれなかった。私の政にはお前が欠かせないのだ」
鎌足は言葉に詰まった。
この身体がもっと頑強ならば、もっと若ければ、子供たちがもっと成長していれば、葛城の期待に応えることも容易だったろう。
今や病に塗れ、もはや葛城のためになんの役にも立てぬ身の上だ。白村江では撤退を余儀なくされ、長男の定恵は法師となり仏法による護国のために尽くしているものの、次男の不比等は未だ幼く、その下の娘たちも同じだ。
軍事にせよ遷都にせよ、葛城の治世に対する世人の反発が少なくないのは事実だ。ましてや葛城は若き大友という火種を抱えている。少しでも味方を離したくないのは当然だった。
「ああ、黒雲が立ち込めてきたな」
葛城が東の方角を指差すと、山の上に黒い雲がかかっていた。まだこちらに雷雨の気配はないが、遠からぬうちに天候が乱れるやもしれなかった。
「薬狩はここまでにしましょう。還御の道が雨に覆われては」
「鎌足。雷とは嫌なものだな」
葛城の眉を顰める表情に、鎌足は朝倉宮の惨事を想起せずにはいられなかった。
幸いにも、宝の大王の崩御以来、入鹿の御霊の噂はぴたりと止んでいる。葛城の政敵となり得る者たちを全て排除し切ったからかもしれないが、今のところ、葛城への鬱憤をぶちまけるのに入鹿や蝦夷を持ち出す輩はいないようだ。
鎌足は入鹿の御霊が宝の死のみで満足しているとは思っていない。葛城との約束を忘れてもいない。
「なれど雷は天津神と大地との交信でもあり、殊に秋の雷は稲の豊かな実りをもたらすものです。雷とは決して災いばかりを我々に与えるわけではありません」
「ならばお前は雷も恐ろしくないと?」
「いえ。恐ろしくもあれば頼もしくもある。それが、天に地に海に、この世のあらゆるものに宿りし神々の力のはずでした」
老いと病に蝕まれながら、鎌足は数年がかりで死者の御霊を祓う方法を模索し続けていた。
神が祟るように人の魂も祟るというのなら、あるいはその御霊は神に準えるべきだろうか。しかし、神々を祀ってきた一族の末裔たる鎌足は、入鹿を神と同列になど扱いたくなかった。今でも入鹿を神に等しい力を持つ御霊などとは認めないまま、葛城の周辺から入鹿の名を遠ざけることばかり考えている。
「大王はただ、今まで通り、天神地祇を祀り仏法の教えに則った政をなされば良いのです」
葛城は心許なげな視線を投げかける。
言葉を交わさずとも、互いの考えていることはなんとなくわかる。葛城は『死ぬな』とは言わないし、鎌足もまた『死にませぬ』とは答えられない。歳月を重ねるごとに妻や息子や母や妹や娘、近しい者を亡くして心身共に疲れ切っている葛城だが、大王として一人の臣下に弱みを見せられないのもあるだろう。叶う望みのない約束を口にするほど青くはないが、さりとて全てを諦めて受け入れるほどには成熟しきっていない。
次第に暗くなり行く空の下、還御に付き従いながら、残り少ない命を葛城のために使い果たすことを思った。
(せめて、我ら中臣に悪しき御霊を祓う力があればよかったのだが……)
中臣の祖神は天児屋根命という、神事に携わり神の言葉を伝える神巫のような役目を持つ神である。農耕神や太陽神などの権威や利益からは遠い、控えめな神だ。
同じ神事に携わる一族といっても、かつて共に廃仏を唱えた物部は祖神の饒速日命を祀りながら、後から石上の宮の奉仕に関わり、布都御魂大神という軍事を司る神をも氏神に加えているのであるが。
(待てよ、布都御魂大神?)
布都御魂大神は霊剣が神格化された神で、その霊剣を持っていたと伝わるのは、武甕槌神だ。雷の神であり、葦原中国平定のために建御名方神と争って勝利した戦の神でもある。
物部が後代に新たな神を氏神として迎えたように、常陸なる香島におわす武甕槌神を、中臣の氏神に加えればどうだろうか。幸いにも大化以降、中臣の占める土地は常陸にある。得体の知れぬ御霊の雷に対抗するには、雷神に縋るより他の道はないように思われた。
遠く、雷の音が響いた。夏が過ぎ、秋が深まり行くに連れて、例年よりも天候が荒れる日々が多くなっていた。今日も夕方から雲が多く、夜には荒天になると思われていたが、鎌足に残された時間は多くないようであった。
◇
額田部の大王の御代、聖徳王がまだ生きていた時代に、河辺臣なる男が安芸の国にて雷の神を捕らえ、その正体と思しき魚を焼いたという話が伝わっている。
鎌足は今宵、河辺臣になるのか、わからない。
病の身を無理に起こして、剣を携えて寝床に横たわりもせずその時を待ち続けている。雷の音が刻々と近づいてくる。雷光も次第に眩く、明るさが激しくなりゆく。雨の降る気配は微塵もない。落雷における万が一の火事に備えて、鎌足は奴婢たちに水を多く用意させていた。
(――いる)
暴風で戸が開いたわけでもないのに、邸に控える何者でもない誰かの気配がすぐそばに忍び寄っていた。
稲光で一瞬、その姿が照らし出される。逆立った緑なす黒髪、血走った眼、神懸かりをする巫女のような見てくれの女であった。鎌足は恐れを堪えて声を張り上げた。
「何者だ。名乗れ」
もしこいつが宝の大王の見た女と同じなら、確かにこれは入鹿ではないと鎌足は認めた。入鹿に連なるどの女とも、この女は面影が重ならない。遠智娘にすら似ていない。鎌足は入鹿の母すら知らないので、見当がつかないのも当然かもしれないが……。
鎌足はすかさず剣を構える。二十年以上も前、入鹿に斬りかかった葛城のように、鎌足は謎の女と対峙した。
――外が一瞬で明るくなる。閃光と同時に轟音が耳をつんざく。邸のすぐ近くに雷が落ちたようだった。目を覚ました奴婢らの悲鳴が上がる。
「名乗れ。お前は誰に恨みを持つ者だ。私か? 大王か? 何故お前が入鹿の御霊として噂されているのだ」
女は何も答えない。鎌足に襲いかかるようなそぶりすら見せず、ただ鋭く鎌足を睨みつけるばかりであった。得体の知れぬわななきが鎌足の身体に込み上げてくる。
(入鹿に代わって私を殺そうというのか……)
何者とも知れぬ者に命を狙われている不気味さは如何ともし難い。
あるいは、この女は今まで鎌足と葛城が屠ってきた者たちの屍の山から生じた、顧みられぬまま歴史の闇に埋もれた命の怨念と怨恨の、入鹿の名を纏った化身であろうか。
鎌足は息を整える。もし葛城だったら、入鹿の時のように躊躇いなく斬りかかるのだろうか。それとも立ち向かう気力を失くして自らの宿世に身を任せるだろうか。
あの時、怖気付いた臣下たちに代わって自ら入鹿を斬った、その葛城に代わって、今度は鎌足が葛城の積年の恨みを一身に背負ってやりたい。それこそが鎌足の最後の葛城への奉仕であるように思われた。
「雷よ、大王に仇なすな、我が身を傷れ!」
震えを抑えて鎌足が叫ぶと同時に、木々が裂ける音がした。
轟音の衝撃と共に、鎌足は意識を失った。
「あなた、あなた……」
日が昇って鎌足が目覚めると、安見児が床に伏せる鎌足の看病をしていた。
彼女は元は葛城に仕える采女だった。葛城の覚えはめでたく、美人で気立てのいい安見児に『どうにかして我が妻に貰い受けたいものだ』と憧れる群臣は多かったため、鎌足が結婚を赦された時の喜びはひとしおだった。
彼女が奴婢たちからの報告をまとめたところ、鎌足の邸は半壊し焼け焦げているそうだった。
入鹿の御霊を名乗る神懸かりのような女を見たかとは、鎌足は聞かなかった。鎌足はもはやあの女が誰か知りようがない。邸の内に何か生き物が転がっていないかと尋ねたが、何もいないとのことだった。
(ならば私は河辺臣のようにはいかなかったのだ)
もし雷に撃たれていたのなら、即死していたに違いない。あの雷は邸だけを焼いたのだ。
ただ、老いた身体がもう以前のようには動かないことも鎌足は知っていた。
(不比等に伝えなければ)
天児屋命と共に、武甕槌神を我らの祖神として祀るように、と。
不比等と彼の妹たちはまだ幼い。父亡き後に葛城の庇護を受けたとしても、葛城の臣下となるには幾年かかることか。鎌足が生きているうちに、少しでも身を助ける術を授けておかねばならなかった。
「あなた、大王がお見舞いにいらっしゃるのですよ」
「大王が?」
「ええ、見苦しくないよう部屋を設えてあります」
臣下の身で大王の御幸を直々に受けるとは、この上ない名誉である。安見児としても久々に大王に見えることができるわけだ。
病に侵された身体で、鎌足はこれが葛城との最期の対面になることを思った。
もっと長く貴方の御代を見ていたかった。
それはもはや見果てぬ夢であるが……。
鎌足を見舞った葛城は、鎌足に藤原の姓と大臣の位と大紫冠を授けることを告げた。見舞いの五日後、葛城の使いの大海人に藤原姓をもたらされ、その翌日、鎌足は五十六年の生涯を閉じた。
その二年後に、葛城もまた病により崩りした。享年四十六。彼が憧れ、短命だと評した聖徳王よりも三年短い生涯であった。
晩年の葛城の周辺に、落雷の記録は見当たらない。
虎が獲物を定めるように――といっても、鎌足は漢籍でしか虎を知らない。その他は百済に渡った使いが、我が子を食い殺した虎を倒したという噂を聞くばかりだ――抜け目なく、牙と爪を隠したままその喉元に噛み付くときを待ち続けている。
鎌足の視線の先では、王族の御子たちが蹴鞠に興じていた。いずれも鎌足より十ほどは若い、溌剌とした青年たちである。その中で、一際鎌足の目を引く御子がいる。
――葛城の御子。
中大兄の御子とも呼ばれるこの若き王子と、鎌足は未だ親しく口を聞く機会を持たない。
鎌足はその機を眈々と待ち続けている。彼こそが、憎き蘇我入鹿を共に討つに値する人間だと信じて。
◇

蘇我大臣蝦夷の息子、入鹿はその若さながら権勢は父をも凌ぐと専らの噂であった。彼ら親子を恐れるがためにこの頃は盗人もおちおち道端の遺物を拾わない、などと囁く声もある。
(入鹿よ。その権勢、果たして永久に続くものか)
鎌足は、我が世の春を謳歌しているかのような入鹿に、密かに冷ややかな眼差しを向けていた。
鎌足と入鹿とは、一応は知己と呼べる仲である。かつて、二人は共に留学僧旻の元で漢籍を学んでいたのだった。
『鎌足よ、かつてお前の祖は、俺の祖父や曽祖父と、仏の享受を巡って争ったそうではないか』
同じ漢籍を習いながら、入鹿は屈託なく言いのけた。鎌足は難解な漢文の訓読を中断して顔を上げる。
大倭に大陸から渡ってきた仏法を広めるべきか否か、豪族たちが争っていたのは、もはや六十年ほど昔の話だ。当時、崇仏派として知られたのは入鹿の祖の蘇我氏。そして廃仏派は蘇我氏と激しく対立した物部氏と中臣氏――鎌足の祖である。
『私も父からその話は聞いている。しかしいずれも過ぎ去ったことだ。我が父は廃仏などを訴えたことは一度もない。廃仏に拘った中臣の人間とは、私からすれば遠い神代の物語の中にいるかのようだ』
『わからぬものだな。あれだけ苛烈に廃仏を掲げた物部は長を討たれ、今や大連の座も追われ、一方で物部に与したはずの中臣は抜け抜けと生き延びている』
『そして今や蘇我と中臣は共に机を並べている。蛍の光と窓の雪を頼りに官吏を目指すかのように』
『お前が功を得るかはわからぬがな。中臣は産土の神の力に拘り過ぎて身を滅ぼした物部と何が違うかわかったものではない』
入鹿の物言いに悪意はなかった。ただ、曽祖父から自分に至るまでに築き上げられた蘇我の栄華が、ある日砂上の楼閣のように崩れるとは夢にも思っていないだけなのだ。鎌足は入鹿の傲慢さを不快に思った。早くに父を亡くし、豪族の中でも華やかな権勢とは言えない中臣氏の中で細々と生きている鎌足からすれば、恵まれた境遇に置かれながら、その恩恵をちっとも理解していないような態度が憎くてならなかった。
しかし実際問題、この頃天の下で最も勢いのある豪族といえば、なんといっても蘇我氏である。蝦夷の祖父、稲目が娘を次々に大王や御子の妃としことが栄耀栄達の発端となる。妃は数多の御子を産み、蘇我の血を引く御子にまた蘇我の娘を添わせ、やがてその御子が大王となる。稲目の息子の馬子が稲目の娘を母とする額田部の大王(推古天皇)と、かの聖徳王と共に仏教政策と政を支えた功績も大きく、蘇我氏はたった四代で神代から続く古来の豪族にも引けを取らぬ権勢を恣にしていた。今も蝦夷と入鹿は蘇我の血を引く有力な御子を二人も抱えており、彼らを次代の大王とすべく強力な後ろ盾となっている。
(いや、厳密には蘇我の親族すべてではないか)
馬子とその直系の子孫は栄華を謳歌しているものの、馬子の弟やその子孫、はたまた蝦夷の兄弟は同じ蘇我の中でも影が薄い。蝦夷・入鹿親子の栄華に与れぬ蘇我の族人は強く不満を抱いているという。
そもそも、豪族も王族も、この頃はまだ父から子へ、そのまた子へと直系で財産や地位を相続する慣習は確立していない。親世代から受け継がれたものは兄や姉から弟、妹へと男女の境なく受け継ぎ、一定の世代が途絶えたら初めてその子世代へ渡る、というのが倣いである。
それを蘇我は稲目―馬子―蝦夷―入鹿の直系で大臣の地位を独占しているため、他氏族からも、王族からも、そして他ならぬ蘇我氏からも反感を買っているのだ。
(蘇我の栄華も長くは保つまい)
鎌足はそう確信している。それは入鹿が未だ若く、王族と縁を結べそうな娘を持たないからというのもあるが、鎌足は彼らが群臣や民から見放される一因となった出来事を目撃しているのである。
昨年の夏、ひどい旱魃が起こり、民はあらゆる神を祀り、牛や馬を殺して雨乞いの儀式を行い、頻りに市を移すなど、様々な手段に訴えた。それでも雨は降らず、このまま旱魃が続けば人々は飢えと渇きに喘ぐに違いなかった。
秋になって、蝦夷は寺々に経典を読ませ仏像を祀り、自ら仏に祈りを捧げて雨乞いを行ったが、僅かな雨が降るばかりで到底旱魃を潤すには至らなかった。
そこで蝦夷に代わって雨乞いを行ったのが、今の大王、宝の女王である。彼女は前年の末に崩りした夫・田村の大王の後を継いで即位したばかりで、新嘗もまだ迎えていなかった。天子の不徳は天変地異となって災いをもたらすという考えが大陸から広まりつつある中で、宝の大王の雨乞いに人々の注目は良くも悪くも集まった。
宝の大王は仏法には頼らず、さながら神を呼ばう巫女のように四方を拝んで天を仰いだ。果たして彼女は見事に雨を降らせた。雨は五日に渡って降り続き、渇いた地を潤し、民が感涙にむせいだのは言うまでもない。
「おお、ありがたや、ありがたや」
「まさに至徳の君よ」
その感激は鎌足の胸も強く打った。中臣は古くから神に仕え、祭祀を取り仕切る一族である。仏法の隆盛に思うところはもはやないが、神への信心は未だに強い。
以来、鎌足は宝の大王により親しみを持って仕えた。その縁で、やがて宝の同母弟である軽の御子にも接近するようになった。
ある時、軽の御子が病と聞つけた鎌足は、軽の坐す宮に参上して寝ずの番を買って出た。軽の御子はいたく感激し、わざわざ寵妃を鎌足の元に寄越して鎌足に対し下にも置かぬもてなしをした。
「身に余る恩寵を承りまして、この喜びは到底言葉には尽くせませぬ。まこと、大王は優れた御子様をお待ちでいらっしゃいます」
などと、鎌足は軽の使いでやってきた舎人に調子のいいことを語ったりもした。実際、接近してみて軽の柔和な人となりに好感を抱いたところはあった。彼も蘇我親子を苦々しく思っているのは違いなかった。
しかし、謀を共にするには少々心許ないように思えた。彼もまた王族の一員であり、相応の野心を持つが、その権勢は姉である宝の大王に頼るところが大きい。何より、軽は神祇よりも仏法を優先するきらいがある。――廃仏派ではないと自認しながら、鎌足はどうにもこの点が気になって仕方ないらしい。額田部の大王が三宝興隆の詔を発し、仏法を政の要とすると定めて久しいが、神祇を仏法の下に置かずに平等に政を行う御子がいないものだろうか。軽は鎌足より歳上で、なまじ聖徳王の時代を知る者は、仏法を重んじすぎる節があるようだ。
(なら、いっそ若い御子たちに目を向けるのはどうだろうか)
入鹿と同世代か、あるいはそれよりも若い者なら、かえって仏法偏重でない考えを持つかもしれない。十年後二十年後に新たな大王となるような、未来の大王たる器の御子の中に同胞を探し求めた。
そして、鎌足はついに一人の御子に目をつけた。
葛城の御子は、現王宝の息子である。二年前、葛城の父王が崩りした時、葛城は父の殯にて誄を奏上する役目を仰せつかったのを、鎌足は覚えていたのである。十六の若さで誄を見事に亡き父王の御霊に語りかける姿が印象に残っていた。
今、葛城は齢十八、はちきれんばかりの若さと活力に溢れ、武術にも漢籍にも通じ、宝の大王もこの御子を殊の外寵愛している。彼の勝気な気性から、蘇我親子の専横に腹を立てていることも、あからさまに表には出さずとも伝わってくるのだった。
鎌足はこれぞ志を一つにできる唯一の御子と思い、どうにかして葛城と縁を持ちたかったが、なかなか機会に恵まれなかった。若い葛城は軽の御子のように病に臥せることはないし、中臣が彼や彼の近くに血縁を持つわけでもなかったからだ。
葛城と縁を持てぬまま、ただ遠くから様子を伺うばかりの時間が続き、今日もまた鎌足は葛城を遠目に眺めていた。
葛城は法興寺――かの蘇我馬子によって建立された寺である――の槻の木の元で、同世代の御子たちと共に蹴鞠に興じていた。御子たちは鎌足に気を止めるそぶりもない。
葛城が鞠を高く蹴り上げる。ところが、勢い余ったのか、はずみで皮鞋が脱げて鞠と共に宙を舞った。
鞠の方は共にいた御子に拾われたが、葛城の皮鞋は鎌足の足元まで転がってきた。
片足を裸足にした葛城が、鎌足の元へ近づいてくる。鎌足はまるで神事の秘宝であるかのように、恭しく皮鞋を手に取り、土埃を払い、頭を地面につくほど深く下げて、皮鞋を葛城に差し出した。
「ああ、すまないな。お前が拾ってくれて助かった――面を上げよ」
葛城は差し出した皮鞋を履き、一度仲間の御子たちに目配せした。そのまま蹴鞠を続けよという合図らしく、御子たちは葛城を抜いたまま蹴鞠に戻っていった。
「お前、中臣連御食子の息子だな」
「はい。鎌足と申します」
「母上はお前に神祇の職を与えたがっていたのに、固辞するのを残念がっていた。軽の叔父上はお前のことを大層褒めていたよ。心映えは気高く優れ、人となりは正しく、人を輔け救う志があると――私はそうは思わないが」
鎌足は思わず顔を上げた。若さゆえの自信と傲岸さに溢れた葛城が、したり顔で見下ろしている。
「お前がどうにかして私と縁を持とうと好機を探していたのは知っていた」
「……ご存知でしたか」
「まるで鷹か虎のように睨め回していれば嫌でも気づく。お前が叔父上や私に目をつけていることは、とうに母上の知るところだ。亡き父上の殯の時からそうだったろう?」
鎌足は冷や汗を流した。
思えば、大王の殯というのは、最も有力な妃が主催するものだ。死者の御霊に語りかける重要な役目である誄の奏上者を葛城に抜擢したのは宝だろう。当時、田村の大王の御子たちの中では葛城より歳上の古人大兄の御子がいたにもかかわらず、宝は実子の葛城を群臣に印象づけようとしたのだ。鎌足は自ら吟味して軽と葛城に接触したつもりが、宝の撒いた釣り餌にまんまと食いついただけなのかもしれない。
そして先に葛城が言った通り、鎌足は宝の拝命を一度断っている。そのくせ軽や葛城には急接近するという鎌足の行動は、大王を蔑ろにした背信行為と受け取られてもおかしくなかった。
葛城は肩を揺らした。
「安心せよ。母上はお前を嫌っていないし、私もまた同じこと。だから今日はわざわざ鞋を飛ばしてやったんだ」
葛城の不敵な口ぶりに安堵しつつ、鎌足は宝と葛城のおおよその力関係を把握した。若い王子は自分の意志で気ままに動いているように見せかけて、母王に極めて忠実である。四十前後を長老格と見做す当代の社会では、十代の若者は自分の意志を政に反映させられるほど成熟していないのだ。
元より鎌足は宝の大王を支持している。宝の意向を受けた葛城と手を組まんとした判断は間違っていないと再認識した。
「何もかもお見通しでしたか。ならば、私の意向もわかっていただけますか」
「入鹿だろう? 私も――というより、母上も入鹿と蝦夷をいつまでものさばらせておくつもりはない。まこと、その点では我らとお前とは利害が一致している。お前が手を貸してくれるというなら喜んで……と言いたいところだが、私から、お前に一つ聞きたいことがある」
葛城は鎌足を見下ろした。
「お前、何が望みだ? なぜ入鹿をそこまで排除したい? 天の下の政を正すため、などというのは口実だろう。鎌足。お前の真に欲するところ望むところはなんだ?」
葛城の視線が真っ直ぐに突き刺さる。父と母、双方を大王とする御子だからか、葛城の言葉には若さとは釣り合わない威厳がある。それでいて僅かな偽りや誤魔化しすら赦しそうにない潔癖さは、まさしく世間擦れしていない若者のそれであった。
鎌足は考えた。正しい政のためという大義が通用しない中、ここで蘇我親子に代わって中臣が栄華を手にするため――と言ったら、どれほど尤もらしく聞こえるだろうか。鎌足の父は既に亡く、有力な兄弟もおらず、子供も幼い。鎌足は一族のためという野心や欲望を持っていなかった。あるのは極めて個人的な入鹿への怨恨、それだけが唯一葛城に曝け出せる欲望だった。
「私はただ入鹿を除きたいのです。それさえ叶うのであれば、後の大王が古人大兄の御子であろうが軽の御子であろうが、はたまた貴方様であろうが、私の知ったことではない」
「はっ! ずいぶんはっきり言い切るではないか」
「生憎と私には姉妹も娘もおりませぬゆえ、蘇我のように娘を大王や御子と結ばせたくともできません。いたところで中臣を繁栄させられるかもわからない」
「風に吹き散る木の花のように儚い人の世か。歳の割には悟り澄ましたようなことを言うんだな、中臣のくせに」
「今になって廃仏など夢にも思わぬことですよ。政には仏法が必要なのだと、かの聖徳王が示した通りです。ただ、古来より我が国が尊んだ天津神国津神を今まで通り尊んでいただきたいと、中臣の者として願うだけです。神祇と仏法に則った政を貴方様と大王が行うとおっしゃるなら、私は喜んでお力になりましょう」
鎌足と葛城は眼差しを交わし合った。
「馬鹿正直は嫌いじゃない。しかし、我が母上や叔父上はお前ほど入鹿を憎んではいないぞ。あやつらは古人大兄の御子の後見をしているから、古人を廃する上で目障りな連中というだけだ。いくら亡き父上の御子といえども、母上にとって古人は継子だからな」
そして、葛城にとって古人は母親違いの年嵩の兄である。子供が母親の一族の元で育てられるこの時代、母を同じくする兄弟の結びつきは強いが、異腹の兄弟とは縁が薄く終わる例も多い。蝦夷の妹の法提郎女を母とする古人は、葛城にとっては兄弟という実感も薄いのだろう。
つまり、鎌足は個人的な因縁から、葛城は王位継承を争う古人の権勢を削ぐため、共に蘇我親子を敵としているわけだ。
「それでも構わないのではないでしょうか。我らの欲するところと望むところの行き着く先が同じなら」
「ならば手を取り合おうではないか。私はいずれ必ず大王になる。お前がその手助けをするというのなら、お前に相応の褒美をやろう」
この日より、二人は蘇我親子の打倒という目的を以て結びついたのだった。
◇
「王子」
と、鎌足は葛城に対してある種の敬意と親しみを込めてそう呼んでいる。
あれから鎌足と葛城は密かに会合を重ねていた。無論、二人の交流が何度も目撃されれば他人が怪しむだろうと案じて、書物を手に留学僧・南淵請安の元へ儒教を学びに通い、その行き帰りの道すがらに密談を重ねている。地に水が染み込むように漢籍を習得してゆく葛城に、かつて鬼才と呼ばれた入鹿も目ではないと鎌足は感心していた。
「王子のおっしゃる通り、とかく我らの味方は多いに越したことはありませぬ。軽の御子様の寵妃は阿倍倉梯麻呂の姫君でしたな。倉橋麻呂には軽の御子様から働きかけていただきましょう」
たとえ葛城が宝の大王の名の下に蘇我親子を討ったところで、群臣の賛意を得られなければその後の政に支障をきたす。かつて蘇我馬子は部下を使い泊瀬部の大王(崇峻天皇)を討ったそうだが、馬子は他の王族や豪族の反感を買うことなく、殺された泊瀬部も大掛かりな殯を催されずに即日陵に葬られたということは、泊瀬部の誅殺は馬子の独断ではなく、すでに多くの王族や豪族を味方につけた上での決行だったのだろう。鎌足たちも味方を増やし、かつ簡単に裏切らないよう結束を強める必要があった。
「わかっている。元より叔父上は母上の言うことをよく聞くお方だからな。……母上は間人を軽の叔父上の妃にするつもりだ」
「間人様を?」
これには鎌足も思わず聞き返した。間人は宝の大王の一人娘で、葛城の同母妹だ。叔父と姪の結婚はこの頃よくあることとはいえ、間人はまだ十代の若い姫で、軽は五十近くの中年である。
「恐れながら、軽の御子様にはすでに妃も御子もいらっしゃいます。そこに今更姪御とはいえ、お若い間人様をお加えになったとて、軽の御子様の御心はいかなるものか……」
「だからわかっておる。私もそれとなく母上に申し上げたが、私の娘は間人しかいない、間人も大王の姫としてしかと心得ていると聞かれなんだ。間人には気の毒かもしれないが、致し方あるまいよ」
そう言いながら、葛城は目を伏せる。葛城としても、宝と軽の姉弟の結束を強めるには婚姻政策が一番だと心得ているのだ。しかし、葛城はすぐ年下の同母妹を殊に可愛がっているようであった。
鎌足はかぶりを振った。下手な情けは計画の妨げとなる。何の代償もなくして、鎌足たちの悲願を果たすことはできない。たとえ宝や葛城が間人に恨まれることになってもだ。
鎌足はすかさず切り替えて、
「間人様が婿を迎えられるのであれば、王子もぜひ妃を迎えなければなりませぬな」
葛城はまだ定まった妃を持っていない。実を言えば、鎌足は自分に娘がいない分、有力な豪族の中で葛城と歳の近い娘を持つ者に幾人か目をつけていたのである。
その一人が入鹿の従兄弟、蘇我倉山田石川麻呂であった。石川麻呂には娘が複数おり、鎌足が石川麻呂に話をつけにいくと、ぜひにと乗り気になった。蝦夷と入鹿ばかりが蘇我氏の財や権勢を独占しているのを日頃から忌々しく思っていたのである。その積年の鬱憤たるや、なまじ蘇我の名を持つだけあって、鎌足以上に凄まじいものがある。話はとんとん進み、葛城と年の近い姉姫を葛城と結婚させることになった。
ところが、ここで思わぬ事態が生じた。
石川麻呂の弟である日向が、姉姫と葛城の結婚の噂を聞きつけ、姉姫を密かに盗んで己の妻にしてしまったのだ。
このままでは蘇我親子に一矢報いる機会を失ってしまう上に、大王の御子たる葛城の不興を買うだろう。青ざめ途方に暮れる石川麻呂を見かねて、二番目の娘の妹姫が父に事の次第を尋ねた。父から事情を聞いた妹姫はあっけらかんと笑って、
「ならばわたくしを姉上の代わりに葛城様に娶させなさいませ。まだ間に合いますわ、父上、そんなに気を落とさないで」
と申し出たため、この妹姫、遠智娘が葛城の妃になり、石川麻呂はめでたく葛城の舅に納まった。後から事情をすべて聞いた鎌足は、危うく石川麻呂の娘と葛城を結びつける計画が水泡に帰すところだったのかと石川麻呂以上に肝を冷やした。石川麻呂が娘を数多持っていたこと、遠智娘がすかさず自身が姉の代わりにと申し出てくれたことに感謝するばかりであった。
(女人というのは侮れぬ)
女王・宝の元、軽や葛城や鎌足が手足となって、反蘇我親子勢力が着々と手を結びつつある。実際に動き回っているのは葛城や鎌足とはいえ、その権威の源は宝にある。思えば蘇我氏の隆盛も、娘が大王と結びついて数多の御子を産んだためであり、結局のところ、政とは男と女の双方がいなければ成り立たないのだ。
「鎌足、お前は聖徳王を知っているか」
またある日、請安の元からの帰り道に、葛城は鎌足に尋ねた。
「この大倭、飛鳥に生まれてその御名を知らぬ者がありましょうか。彼の人こそが我が国の仏法興隆の要です。幼い頃から人並外れて聡くいらした、十人の話を一辺に聴いてたちどころに的確な応えをした、未来すらもみそなわすと、今でも様々な逸話が語り草となっておりますのに」
「仏法への信仰が篤く、額田部の大王の元で存分にその才気を発揮した傑物だと聞く。私は生前の聖徳王を知らぬが、お前が幼い頃にはまだ聖徳王は生きておられたはずだな」
「いえ、ほんの童でしたから、私が聖徳王を目にする機会などとてもとても。父から聞いた限りでは、聖徳王はその頃はもう斑鳩の宮に籠りきりで、政にもほとんど顔を出していないようでした」
聖徳王が晩年に斑鳩に籠ったのは、仏道に励むためとも、蘇我の興隆に嫌気がさしたためとも言われている。いずれにせよ、晩年の聖徳王は母や妃や御子たちと共に斑鳩にあり、そのまま斑鳩で崩りしたと伝わる。
「なあ、聖徳王は蘇我馬子と共に額田部の大王の御代を支えた傑物だ。聖徳王も大王の御子だったというのに、なぜご自身は大王にならなかったのだろうな?」
「さあ……額田部の大王はご長命でしたからな。大王はその死を以て御位を代わるのですから、聖徳王が額田部の大王よりも早く崩りされたのでは、どうにも」
「そうだ。聖徳王は早死にしたから大王にはなれずじまいだったのだ」
鎌足は肩をすくめる。王族同士とはいえ、今なお大倭国中の憧れの的たる貴人に対して率直な物言いをするものだ。早死にといったって、聖徳王の享年は四十九だったのだから、当時としては決して短命ではなかったのだが。
とはいえ彼の輝く眼を見る限り、どうも葛城は聖徳王に並々ならぬ興味と憧れを抱いているらしい。幼い頃から人並み優れた才能を顕わし、仏敵を滅ぼす戦に自ら身を投じ、女王の補佐役として政の手腕を発揮し、志半ばで病に斃れる、その生き様が、前途有望な若者の憧れを激しく掻き立てるのだろう。
「聖徳王の父王も病に斃れたのだし、お血筋であったのかもな。聖人と讃えられても、病には打ち勝てぬ人の子であったというべきか。崩りされた時、天の下は悉く、老いる者は愛し児を失ったかのように、幼き者は慈しむ父や母を失ったかのように嘆いたと聞くぞ」
「ええ、確かにそのような有様であったと憶えております」
「このような噂も聞いた。聖徳王は先立たれた寵妃と一日遅れで崩りしたが、後日聖徳王と妃を訪うと、二人とも骸は跡形もなくただ御衣だけが残されていたと」
鎌足と葛城は二人して笑みをこぼす。まだ聖徳王が没してから二十年ほどしか経っていないのに、真偽の不明な伝説がずいぶんと一人歩きしているようだ。
かつて、聖徳王は片岡の地で飢人と出会い、食べ物と衣を与えて歌を詠みかけた。後に飢人を尋ねると彼はすでに死んでおり、聖徳王は悲しみつつ『彼の人ぞ真人なり』とつぶやき、使いが飢人の墓を尋ねると、そこに屍はなく、聖徳王に与えられた衣だけが土の上に残されていたという。おそらくそういった伝説に触発された噂話なのだろう。
「誠だとしたら、聖徳王と妃は何処へ尸解していってしまわれたのだろう」
「聖徳王の死を惜しむゆえに生まれた他愛もない噂でしょう。気になるのであれば、聖徳王の陵を改めてご覧になりますか」
「いや、さすがに私も墓を暴くのは気が引けるな。……なあ、鎌足。私は聖徳王のような傑物がついぞ大王になれず終いであったこと、口惜しうてならぬ。私は必ず大王になる。聖徳王に果たせなかった悲願を必ずや果たして見せようぞ」
鎌足はまた笑みをこぼす。若者にありがちな、眩いほどの傲慢さ、自惚れ、そのいずれもが入鹿とは違うと感じるのは、己が贔屓目であることに鎌足は気づいていない。
「そのように憧れていらっしゃるのに、王子は聖徳王の残した御子たちには冷たくいらっしゃいますね」
葛城は足を止めた。つい意地の悪い言い方になると思いながら、鎌足は身辺に集まる噂を葛城の耳に入れた。
「入鹿はついに山背大兄の御子を討つそうです。かつて山背に従っていた者たちはもう皆死んでいます。ここで入鹿が山背を見放してしまえば――」
「いよいよ古人大兄の御子一人に狙いを定めるわけか」
葛城は、山背にさして憐れみを持っていないようだった。
山背は聖徳王が蝦夷の妹、刀自古郎女との間に設けた息子だ。かつて山背は葛城の父、田村と大王の座を争い、歳若さゆえにその座を田村に譲らざるを得なかった。その田村の大王は蝦夷のもう一人の妹、法提郎女との間に古人大兄の御子を設けている。田村が大王になった時から、蝦夷と入鹿の親子は山背に見切りをつけていたのだろう。
「親と子は違う。世人は山背大兄の御子をなんと言っているか? 悪い人ではないが器量は聖徳王に劣る、だ。何より蝦夷と入鹿を除いた後ろ盾が膳氏ではな」
聖徳王には四人の妃がいたが、その中の一人、膳大娘がとりわけ多くの御子を残している。山背はこの膳大娘の娘、舂米と結婚して斑鳩の後継となった。聖徳王が斑鳩に住んだのも、元は妃である膳大娘の父が斑鳩の地を所有していたからだとも言われている。
しかし膳氏とは元々大王の食事を世話する一族で、軍事や外交にも携わるものの、蘇我や大伴のような大豪族に比べれば規模の小さい豪族だと言わざるを得ない。聖徳王と繋がりを得てからも、膳氏は特に大きな出世をしておらず、存在感は薄いままだ。
「なれど聖徳王の同母弟や同母妹までもが、膳大娘の妹や息子と結びついたのですよ。聖徳王はよほど膳大娘を愛しんでいらっしゃったのでしょう」
「ゆえに蘇我親子は気にくわんのよ。聖徳王の寵愛をよその姫に奪われた上に、山背まで蘇我の甘樫や葛城の地から離れた斑鳩で独り立ちしてしまってはな。せめて山背が蘇我の姫と結ばれていればまた違ったのだろうが、その場合は山背は斑鳩を継げなかったやもしれぬ。勿体無いな、斑鳩の宮もこれまでか」
鎌足は葛城の顔をじっと見つめた。葛城はやはりさしたる憤りも見せない。ただ微かな憐れみが感じられるばかりだ。
「鎌足。山背は聖徳王の御子とはいえ、大王の孫に過ぎぬ。我が父上だって王孫だ。額田部の大王の御遺言がなければ、御位を継げたかもわからぬ。ましてや権勢を恣にする蘇我親子に見放された山背では」
「左様な口実があるから、宝の大王も山背をお助けしようとは思し召しにならないのですね。軽の御子様や貴方にとって不都合な御子ですから。何より、入鹿が山背を攻め滅ぼして人々から更なる恨みを買ってくれた方が、我らにとっては……」
「諌める気もないくせに賢しらぶったことを言うなよ」
葛城は嘲笑った。葛城自身、鎌足のややもすれば不躾な物言いを面白がっているようだった。
「良いか、大王の歴史は血に塗れている。力づくで王座を勝ち取らねば、敗れた者は殺される。群臣に認められ即位しても、穴穂の大王(安康天皇)や泊瀬部の大王のように殺される例もある。己が王位を盤石にしたければ、邪魔者は蹴落とすしかないのだ。たとえ幾百幾千の恨みを背負おうともな」
「宝の大王は……いえ、王子はその覚悟がおありで?」
「私がそれしきで怯むとでも思っているのか? 十六で父王に死に別れてから、私の道はもはや定まっていたのだ」
葛城は臆すことなく言い切り、北の方角を見やった。葛城の目には、戦火に包まれ燃え盛る斑鳩の宮が浮かんでいるのであろうか。
鎌足の胸に奇妙な感慨が湧いた。入鹿を討てるのであれば、その後に誰が大王になろうとも構わない。今でも鎌足はそう考えているが、ほんの少し、いつか葛城が大王になるために自分が力になるのならそれも悪くないと思った。
その年の十一月、山背大兄の御子は入鹿の軍に攻め入られ、妃の舂米や数多の御子たちと共に首を括って果てた。聖徳王の血筋が大王になる道は途絶えたのである。しかし蝦夷にとってはこの襲撃は寝耳に水だったようで、息子の蛮行を嘆いたという。
暗澹たる時代の空気を引きずったまま年が改まりゆく中で、葛城と結ばれた遠智娘が早くも身籠ったことだけが明るい知らせであった。
◇
「お前、秦造河勝を知っているか」
もはや通い慣れた南淵請安の元からの帰り道、葛城はどこからか仕入れた噂を鎌足の耳に入れた。
「聞けば河勝、東国にて常世神なる怪しげな神を民に広め世を乱す大壬生多なる男を討ち取ったとか」
「河勝といえば、聖徳王の政をお輔けした臣下の一人でしたね。聖徳王が崩りなされた頃にはもう大層な高齢の翁だったと聞いておりましたが、まだ生きていらっしゃいましたか」
「聖徳王に一度でもかかずらわった者たちは、後々まで偉業を残すものよ。しかし、民に怪しからぬ神の名が広まるとは由々しき事ぞ」
「何者です、常世神とは。中臣には左様な神の名は伝わっておりませぬが」
「おおかた、蕃国の神であろうよ。橘の木に這いつくばる芋虫を常世の神と崇めさせ、永久の命と富を得られると吹聴し、すっかり信じ込んだ民は財を放るのに、ちっとも実りはなく民は貧しくなる一方であったと」
「愚かな……」
異国の神を祀り上げ、民を惑わし世を乱す。神祇を司る中臣の一族からすれば、飛鳥から離れた地の出来事であろうと見過ごせぬものだ。幸い、河勝が動いたために事態は治ったものの、そのまま常世神なるものが大倭の国々に広まっていれば、宝の大王の治世にも障りが出たであろう。
「大陸では、天子に不徳があると、天地の調和が乱れ天の下が災いに塗れるという」
「ええ、確かに」
「しかし我が大王に不徳があるとはいえぬ」
「左様です」
この一年で、蘇我親子の悪評はますます高まりつつある。蝦夷は独断で入鹿に大臣の証たる冠を与えた、臣下の身でありながら自らの邸を大王の宮に準えた、子供たちを御子と呼んだ、兵士を大量に集めている、など。これは蘇我親子が大王の一族を蔑ろにし、自分たちこそが新たな王に取って代わらんとする前触れなのだ――そんな噂を流しているのは、本当に鎌足や葛城とは無関係の純朴な民ばかりであろうか? あるいは、河勝が動いたのは、前年に聖徳王の遺児の山背が滅ぼされたためであろうか。
「私は此度の件で改めて身に染みたよ。世を乱す輩を放っておいては国がまとまらぬ」
葛城より強い決意を露わにするが、鎌足たちは水面下でずっと蘇我親子と敵対する豪族や王族との結束を強め、新たな政に向けた足固めをしているのである。
そしてついに翌年の六月、
「百済、高麗、新羅、三韓の進調をする日に、そなたがその表文を読み上げよ」
葛城はまず舅の蘇我石川麻呂にそう告げたという。無論、三韓の進調とは怪しまれずに入鹿を誘き出すための口実に過ぎない。とうとう入鹿の討伐を決行するのである。
鎌足と葛城はしきりに計画を練り、相談を重ねた。当日の段取りや味方につけた豪族の配置、何も知らぬ古人大兄の御子を呼ぶことまで語らい合った。佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田という豪族を味方につけ、二人が実際に入鹿を斬る役目を当てられた。
「私が自ら入鹿を斬ろうと思ったのだが、母上に強く止められてしまった」
「当たり前です」
当然のように自らが得物を握る気でいる葛城に、万が一にでも入鹿と刺し違えるようなことがあってはと鎌足は気が気でならない。しかし血気盛んな若者はちっとも堪えていない。
「大王はすべてご存知なのですね。軽の御子様は臨席されないと聞きましたが」
「母上は本当は私のことも進調の場に呼びたくないのだ。此度の計画はあくまで蘇我親子を憎む豪族の仕業として、母上は知らぬ存ぜぬを通すことになっている」
「なれど王子は大王の反対を押し切ってしまわれたと」
「私だけが入鹿の死に様を目の当たりにせずに終われるものか」
「大王の御心痛が目に浮かぶようです」
活気に満ちた若者は、若き日の聖徳王が物部守屋討伐の戦いに身を投じたような血湧き肉躍る戦いに飢えているのだ。鎌足は、葛城のそばに控える自分がいざという時は盾にならねばならぬと気が重かった。
不意に、葛城は声を潜めて囁いた。
「事がすべて成し遂げられたら、母上は御位を叔父上に譲るおつもりだ」
鎌足は目を瞬く。
「大王が御位をお譲り遊ばすとは、前例がありませんな」
「しかし理にかなっているではないか。かつて、額田部の大王は御歳七十五で崩りするまで三十六年もの間、御位におられたわけだが、その間に聖徳王を始めとした目ぼしい御子たちは亡くなっている。そうして亡き父上と山背が後継を巡って争った。そうならぬためにも、大王が生きておいでのうちに、次の大王を自ら指名して譲ってしまった方が争いの種を摘めるではないか」
そうかもしれない、とも鎌足は思う。しかし一度位を退いた大王がまだ健在なのに新たな大王を戴けば、群臣たちはどうなるのだろうか。
「ともかく、すべてはまず入鹿を討てるか否かだ。大王の話はその後だ。鎌足、心してかかれよ」
決行は、六月の十二日と定められた。
鎌足は葛城たちよりも入鹿のことを知っている。入鹿は疑り深い男で、剣を昼夜問わず帯刀しているので、儀式に呼ぶ俳優(滑稽な歌舞を演ずる者)に指図して、入鹿を言いくるめて剣を手放させるように仕向けておいた。入鹿は丸腰で儀式の行われる板蓋宮に現れた。宝の大王もお出ましになり、何も知らぬ古人もまた儀式に呼ばれていた。
宮の門はすべて厳重に閉ざされている。石川麻呂が偽の表文を奏上する間、葛城は長槍を携えて物陰に隠れていた。鎌足は弓矢を構えて葛城を守るべく控えていた。下手人となる子麻呂と網田に二つの剣をそれぞれ与えた鎌足は、
「いいか、一撃で仕留めるのだぞ」
と言い聞かせた。二人は飯を水で流し込んだが、これから成し遂げる大事を前に緊張しているのか、重圧ゆえの恐怖が襲ってきたのか、むせって吐き戻す始末であった。
「しっかりせい、腹を空かせていては力が出ぬぞ。せっかく待ち望んだ好機を不意にするつもりか」
鎌足は青ざめて震える子麻呂たちを叱り飛ばしていた。そうこうしているうちに石川麻呂の奏上も終わりが近づいた。子麻呂たちが一向に駆けつけてこないので、鎌足たちに何か不測の事態が起きたのか、もしや入鹿に計画が漏れたのかと恐れて、次第に声が震え手に汗が滲み出した。
「どうして震えているのだ。ひどい汗だ」
さすがに入鹿も怪しんで、石川麻呂に問いかけた。
「お、お、大王の、かけまくも賢き大王の御前にて、て、手が……」
石川麻呂はわななきを堪えてどうにか返答したが、入鹿の疑いはいよいよ決定的となったようだ。
(どいつもこいつも!)
鎌足は苛立ち、よっぽど自分が矢を入鹿に射掛けてやろうかと思ったが、葛城が二人に役目を託している以上、鎌足が勝手に動くこともできない。
その時、葛城は警護の舎人から剣を奪い、子麻呂と網田に先んじてさっと飛び出した。鎌足が止める間もなく、子麻呂たちが後を追うより早く躍り出た葛城は不意を突いて入鹿の頭と肩に一太刀を浴びせた。入鹿が驚いて立ち上がったところに、葛城につられるまま飛び出した子麻呂が足を斬りつけた。たちまち儀式の場は大混乱となった。入鹿は這々の体で宝の大王の前に進み出て、
「大王、某は罪を知りませぬ。どうかお取りなしを!」
宝の大王はあたかもすべてを今し方目の当たりにしたように立ち上がって葛城を一瞥し、
「葛城の御子、此は何事ぞ!」
驚愕を滲ませながら堂々と言い放った。実際、葛城が入鹿に斬りかかるのは想定外だったのだが、俳優よりもよっぽど俳優らしい腹芸のお方よと鎌足は思った。
「蘇我臣入鹿は天つ御子を尽く滅ぼし日嗣の位を傾けんとしています。どうして天孫を以て入鹿に代えられましょう」
葛城は血塗れの剣を手にしたまま、地に伏して奏上した。宝の大王は不愉快を露にするかのように宮の中に入ってしまった。
絶望のまま大王に追い縋ろうとする入鹿に、子麻呂と網田が止めを刺した。
鎌足は目を見開いたままの入鹿の骸を見下ろした。罪を知らぬと奏上した通り、本人は何も知らなかったのであろう。
(入鹿、哀れな男よ。己が恵まれた境遇を、自分自身の実力と信じて疑わなかった。その無知こそがお前の誠の罪だ)
入鹿の頬を水滴が伝った。いつのまにか雨が降り出していた。入鹿の骸はすぐさま筵にくるまれて運び出された。かつて僧旻の元に共に机を並べた仲ながら、鎌足がその亡骸に思うことはもはや何もない。積年の憎き相手を倒したという感慨も、思ったほど深い満足を鎌足にもたらしはしなかった。
鎌足は血塗れた剣を子麻呂に渡した葛城に改めて目をやった。
お怪我は、と聞くまでもなかった。返り血を浴びているだけで、葛城自身は傷一つ負っていない。初めて人を殺めた興奮のためか、雨に煙る中でも、葛城の目は爛々と輝いていた。
それにしても、先ほどの臆せず入鹿に斬りかかった手並みのなんたる鮮やかなことか! 勝手な真似をした葛城を本来なら諌めねばならないというのに、無謀と紙一重の勇気を発揮した葛城に、未来の王の姿を思い描くようで、鎌足は見惚れる思いでいた。
(――まだだ)
鎌足と葛城は無言のうちに確かめ合った。鎌足にとってはこれが一つの区切りでも、葛城たちの真の狙いは古人大兄の御子であり、未だ古人の片翼を捥いだに過ぎないのだ。古人は、騒ぎの中で供人と逃げ出したのを確認している。入鹿の父の蝦夷にもすぐさま軍勢が差し向けられることだろう。
『某は罪を知りませぬ』
入鹿の言葉は、ある意味では正しい。蘇我氏内部の反感と対立関係を利用し、王位継承の邪魔者を排除する口実を作り、罪なき者に罪を着せる、本当の罪はどちらにあるかなど、火を見るより明らかだろう。
されどもう後戻りすることはできない。これからその罪を背負って生き続けなければならない鎌足たちに比べて、何も知らぬまま死んで行った憐れな謀反人の、なんと身軽なことか。
降り頻る雨が葛城の返り血を流してゆく。鎌足は、決して洗い流せない罪を共に背負うことになった若き王子をじっと見守り続けていた。
葛城たちはその後、法興寺に入り、蝦夷を討つべくより多くの軍勢を固めた。入鹿の死を知った蝦夷は、挙兵を断念し自刃。蝦夷は王記や国記――聖徳王が晩年に馬子と共に編纂したと伝わる書物である――などの財を焼き払い、かろうじて国記だけが燃え尽きる前に持ち出され、宝の大王に献上されたという。
ここに蝦夷、入鹿の家譜は完全に途絶えたのであった。
◇
蘇我親子討伐の後、六月十四日、宝の大王は同母弟の軽の御子に璽綬を授け御位を譲った。軽は形式ばかりは古人大兄の御子に意向を伺うふりをしたものの、蝦夷と入鹿という後ろ盾を失い、私邸に逃れた古人は固辞して、
「いえ、私は出家して吉野に篭ります」
と奏上し、自ら法興寺に赴いて髪を下ろしてしまったため、軽の御子はそのまま御位に着くことになった。先王の宝は王母の尊と号され、未だ権勢を維持している。
その後は新たな大王の元、新たな群臣の位の制定に年号『大化』の導入、三韓への使いなど、新たな政を整えるのに忙しく、古人のことは取り紛れていたが、乙巳の政変から三月後、九月に古人謀反の密告がもたらされた。
「母上も大王も、古人を決して野放しにはせぬおつもりだったのよ」
軽の大王に古人討伐を命じられ、果たして帰ってきた葛城は、今や内臣となった鎌足にそう語った。腹違いの兄を討つのに、葛城は一切の躊躇いを持っていなかったに違いない。
「これで蘇我を後ろ盾とする御子はいなくなったわけだ」
「大王も王母の尊もようよう胸を撫で下ろしていらっしゃることでしょう。……ところで、古人には、倭姫なる娘が一人いると聞きましたが」
「姫君まで殺したのかと言いたいのか?」
葛城は笑った。
「安心せよ、大王の仰せ通り、倭姫は吉野から飛鳥に連れてきた。まだ若く、夫もいない姫だ。王孫の姫は貴重だからな。もしや大王は倭姫を妃にするおつもりかな」
「恐れながら」
鎌足はすかさず口を挟んだ。
「倭姫は王子の妃になさいませ」
「……何?」
「確かに古人の遺児を放っておけば、また大王に不満を抱く輩に担がれないとも限りません。その前に味方にしてしまうのはよろしいのですが、大王は間人様を妃にしたばかりです。王母の尊は諸手を挙げて歓迎とはいかないでしょうね。ならば倭姫は王子の妃になるべきと存じます。私から王母の尊に奏上しましょう。たとえ大王が倭姫をご所望でも、同母姉の意向には逆らえないでしょうから」
訥々と考えを述べる鎌足に、葛城は肩をすくめた。
「鎌足。お前という奴は、己に娘がいないからといって、私の妃の世話ばかり焼きたがるのだな。遠智娘が先日私の二人目の子を産んだばかりだというのに。倭姫からすれば、私は父の仇ぞ。お前は私に妻に恨まれる夫になれというのか」
「そうです」
鎌足は怯まず言い切った。葛城の勇猛果敢な気質には一目置いているものの、若さゆえの無謀さからは目を逸らしてはならない、彼を未来の王にするために遠慮してはならないと、親心にも似た気持ちで葛城を支える役目に徹している。耳の痛いことばかり言う図々しい男よと煙たがられても構わなかった。
「入鹿も蝦夷も、他の蘇我の族人から恨みを買い孤立しました。その入鹿と蝦夷を滅ぼす助けをした私もまた既に恨みを買う身でしょう。我らの地位を盤石にする力を求めるごとに、恨みはいよいよ大きくなってゆくに違いありません。王子も大王を目指す身の上なら、差し出がましいようですが、改めて覚悟をなさいませ」
「……」
「何より、倭姫はまだお若いのです。間人様より歳下かもしれませぬ。大王よりも王子の方がお似合いですよ」
それまで真顔でいた葛城が、耐えかねたように笑い声を上げた。
「わかった、私が倭姫に通おう。つくづく抜け目のない男よ。お前に娘がいないのが勿体ないな」
「私に相応の娘がおりましたら、喜んで王子を婿に迎えましたとも。こればかりは、多くの娘を大王や御子に添わせた蘇我のやり方が正しかったと認めざるを得ませんね」
「お前、妻がいないわけではないのだろう」
「幾人かは。未だ男子が一人いるだけですから、私に子ができにくいのかもしれませんね」
「もしお前の働きに応じて私が女をやると言ったら、どうする?」
鎌足は目を瞬く。この次代、女の再婚は珍しくなく――葛城の母の宝も、実は田村と結ばれる前に夫がいたのである――また、高貴な人間のお手つきとなった女性を賜るのは大変な名誉である。葛城もこれから是非我が娘婿にと申し出る豪族や王族が増えるであろうし、大王たちに仕える采女が彼の目に留まることもあるだろう。
「豪族どもがこぞって献上する采女はいずれも世に二人となき美女ばかりだ。中にはお前の気に入るような女もいるだろう。いや、何も女でなくともよい。財か、美酒か、何でもよい、お前にはいずれお前の望む褒美をやらねばならぬ。お前の働きには私も母上も常々感謝しているのだ。何よりお前に裏切られては我らとしても困るのでな」
「まだ新たしき世は始まったばかりです。とても褒美をいただけるほどのことは」
「欲しいのか、欲しくないのか、私はそれを聞いているんだ」
「――私は、王子が気まぐれに『くれてやろう』と思うような嬢子を欲しいとは思いませぬ」
鎌足はお気持ちだけでありがたく畏れ多いなどと固辞するつもりはなかった。大王や御子から贈り物を頂けるのは光栄であり、入鹿を討った今となっては、鎌足も妻や幼い我が子や、これから生まれてくるかもしれない子供たちのために、少しでも財や地位となるものを得たいと思っている。
そして、同じことなら、貰う相手は軽の大王でも宝の王母でもなく、葛城がよかった。
「貴方様が狂おしいほど愛しい、昼も夜も分かたずそばに置きたい、他の誰にも渡したくない。左様に惚れ込んだ嬢子こそ、欲しいのです」
鎌足は葛城をじっと見つめた。果たしてこの厚かましい要求を、苛烈な王子はどう受け止めるのかと思いながら。
しばし二人は視線を交わし合ったのち、葛城は軽く肩を揺らして笑ってみせただけだった。
「しかし、もうじき大王の新しい宮も完成するというのに、お前は未だ大王よりも我が母上を崇めているようだな」
「御位を譲られたとはいえ、王母の尊は大王にも王子の権勢の源ですから」
「自ら位を退くと聞いた時は私も驚いたが、母上もよく考え抜かれたものよ。群臣の承認を抜きに次の大王を指名することで王族の権威を強めた上で、ご自身も先王としての権勢を維持し続けられるのだからな」
「大王も王母の尊を頼っておいでです」
「無理もない。母上と叔父上の父は大王ではなかったからな。大王の妃となった母上の方が王座への見識は深い。叔父上としてはちと煙たいやもしれぬが」
二人して宝の王母を褒め称えるそぶりで、鎌足も葛城もある不安を共有していた。
宝と軽の姉弟が今まで政を協力して行っていたのは、蝦夷・入鹿親子と古人という、彼らにとって王座を狙う上での共通の敵がいたからだ。しかし入鹿たちがいなくなった今、次の大王を誰にするかという意向に対する答えを、姉弟は共通して持っているだろうか?
宝は必ず我が子である葛城を推すだろう。一方で軽にも有間の御子という息子がいる。姉の言いなりになって、素直に我が子より甥の葛城を大王にすべきだと考えられるだろうか。
そもそも、大王というのは一代一代、独自の経済基盤を持っていて、それは男の王でも女の王でも変わらない。政の要となる王宮は大王の代替わりごとに新たに築かれる。宝は王位継承の証たる璽綬を譲りはしたものの、自らの宅や奴婢や臣、財、それらをそっくり軽に明け渡したわけではない。これまでは大王の死と同時に代替わりが行われていたが、宝による生前譲位が決行された今、いうなれば民は二人の王を同時に戴いているようなものだ。二人の王が同じ方を見ている間は良いが、亀裂が入った時、群臣や民は当然ながらより力の強い方、自分に都合の良い方に阿るだろう。
やがて二人の懸念は現実のものとなる。軽の大王の難波の宮が完成した五年後、宝の王母は元の宮であった飛鳥への遷都を主張し、軽の大王はそれを拒否。すると宝は息子の葛城と大海人、さらには軽の妃になっていた間人まで引き連れて、軽を置いて飛鳥へ移ってしまった。
失意のまま、軽の大王はその一年後に難波の宮で寂しく崩りした。
空座となった大王には、一度位を退いた王母の宝が飛鳥の地で再び舞い戻った。史上初の重祚であった。
◇
「王子」
鎌足の呼びかけに、葛城は大義そうに視線ばかりを投げるのみであった。
葛城はこの頃、悩みがちである。軽の死によって葛城はついぞ自分が大王にと期待をかけたのであるが、母である宝はまだ息子に御位を譲ることを許さなかった。宝の重祚から三年経った今でも、葛城は母の采配に心から納得していないらしい。
「王子、中大兄の王子」
「その名で呼ぶな。もはや大兄と呼ばれる御子は私以外にいないのだから」
「ああ、ようよう返事をいただけました」
鎌足にとっては葛城のあしらいはとうに慣れたものであったし、葛城も鎌足の多少の不遜な態度は全く諌めないのであった。葛城もさすがに十八の時ほどの傲岸さは鳴りを潜めたが、まだ若いものだと、四十を過ぎて老いを感じるようになってきた鎌足は微笑む。
「私はな、今度という今度こそ、母上は私を大王にしてくれると思っていたのだ」
「あの時の王子は御歳三十でした。大王が年若さを心配なされるのもごもっともでしょう」
「かの磯城島の大王(欽明天皇)は御歳三十一にして御位につかれたではないか」
「その磯城島の大王は自分は若すぎると申して先王の妃に御位を譲ろうとしたのです」
「しかし結局は敷島の大王が即位した。母上は私の何が不満だというのか」
鎌足は目を細める。親なればこそ、自分が憎まれ役になってでも我が子に万全の道を用意したいと思うものだ。若い頃から目立ち過ぎた葛城が、いざ王座についた時に誹りを買わぬよう、宝の大王は自分の補佐をさせながら次代の王としての経験を積ませたいのだ。
とはいえいつの世も親の心子知らず――葛城もすでに数多の御子たちの父となっているのだが、母の懸念を慮れるほど成熟してはいなかった。葛城はため息をつく。
「聖徳王も、斯様なものだったのやもしれぬ」
「また聖徳王ですか?」
「あの方の上にいたのは母ではなく叔母だったがな。昔はなぜ聖徳王が大王にならないのかと不思議でならなかったが、案外、額田部の大王に押さえつけられていたのかもな」
「まさか」
「考えてもみよ、先代、先々代の大王がいずれも短い治世に終わったのを引き継いで、額田部の大王は三十六年もの治世を保ったのだ。額田部の大王が政を聖徳王や馬子に頼りっきりだったとは、我が母上を見ていても思えぬのよ」
鎌足は肩を揺らした。額田部の大王の手腕に対する見解は同意するものの、聖徳王との関係に対してはその限りでない。そもそも宝による譲位ですら前代未聞だったのだ。それより昔、額田部の大王に聖徳王への譲位という考えがあったとは思えない。下手をすれば、宝と軽のように王への求心が二つに分裂してしまう。
「あるいは蘇我馬子が口喧しかったか。あの蝦夷の父ならそれも考えられる。物部守屋の妹を妻にして、守屋が滅びたら妻を通じて守屋の財をそっくり蘇我のものにしてしまう御仁だからな」
「馬子は聖徳王を娘婿にしていて、馬子の娘の子が山背ですよ。馬子こそが聖徳王の御代を待ち望んでいてもおかしくないと思いますが」
「自分に都合が悪くなれば、血のつながりがあろうが婚姻の繋がりがあろうが、切り捨てるものだ。蘇我も、王族も」
葛城の語りには自嘲の響きがあった。
葛城の舅である蘇我石川麻呂と、その娘で葛城の妻である遠智娘は、すでにこの世にない。
数年前、まだ軽の大王が在命だった頃、石川麻呂に謀反の疑いがあると石川麻呂の弟の蘇我日向から密告があった。蘇我氏内部の紛糾と見做した葛城はまず軽の大王に奏上し判断を仰ぐも、軽の大王は直ちに石川麻呂に兵を差し向けた。石川麻呂は大王への直の弁明を求めるも受け入れられず、自害。父の死を嘆いた遠智娘は病がちになり、葛城の三番目の子供、建を産み落とすと同時に亡くなってしまった。
(思えば、あの頃から……)
世人には一連の騒動を、葛城が手を引いたのだと思っている者もいる。遠智娘も彼が軽の大王を唆したのではないかと夫を疑っただろう。しかし当時二十四の葛城に一人で蘇我の内紛を引き起こす力があるはずもなく、まして舅を排斥して得られる利も葛城にはない。あの入鹿を討った政変ですら、彼の意向は常に母や叔父の下にあった。入鹿を討ち取った華々しい活躍が、反面、水面下で何をしでかすかわからぬ恐ろしい御子という悪評にも繋がりつつあるのだ。
あの頃から、葛城と軽の間に亀裂が入り始めた。軽は息子である有間の御子が成長するにつれて、有間に次期大王の座を譲りたがるようになったし、軽の意向が有間に傾いていると見做した宝は少しずつ同母弟を敵視し始めた。どんなに同母きょうだいの絆が強くとも、大王の座を巡っては容易く敵に転じ得るのだ。
葛城も宝も、恨みを買い続ける人生である。かつて鎌足に宣言したように、葛城は舅の死にも妻の死にもじっと耐えている。未だに心を開かない倭姫にも丁重な扱いをしている。
しかし、若き日の報いかと思わせる出来事が、次々と葛城に降り注いで彼を苛んでいるのも事実だった。
遠智娘の忘れ形見である建は、数え六つになっても一切言葉を話せない童男だった。
『なに、かの活目の大王(垂仁天皇)の御子の誉津別命だって、大人になっても口が聞けなかったというではないか。その誉津別命も出雲の大神の祟りだと明らかになり、出雲参りの後に口を聞くようになったのだ。まして建はまだほんの童ではないか。周りの我らが焦っても致し方あるまい』
などと葛城は明るく振る舞ってみせるものの、どこぞの神の祟りを受けてはいないかと頻りに鎌足へ卜占や太占を要求するし、誉津別命が鵠を見て物を言いたげにしたという逸話にあやかって、やたらと建に鵠やありとあらゆる鳥を見せているのである。葛城の心痛を思えば、母への不満は単なる表向きの憂さ晴らしとすら思えた。
その宝の大王も、二度目となる治世を迎えたものの、群臣や民からの評判が良くないのである。即位に伴って新たな宮の造営を推し進めているものの、工事にかかる莫大な人員や富のために『狂心』と揶揄されるほどであった。
「鎌足。お前、あの噂をどう思う」
「あの噂とは」
「お前も忘れたわけではないだろう。母上が再び即位した年の夏、龍に乗って空を駆ける青き油の笠を纏った男を見たと。あの後、どういうわけだか飛鳥に多く死人が出た」
鎌足は口を閉ざした。忘れるはずもない。新たに始まった御代を早くも不吉に思う者を生み出してしまった出来事である。
「なあ、世人はあの青油笠の男を亡き蘇我蝦夷の御霊かと噂しているそうではないか。死人が次々と出たのも、我が子共々我らに滅ぼされた恨みゆえと……」
「左様なものは不確かな噂に過ぎませぬ」
鎌足は苦々しい思いで否定した。二人が死んで間もないうちに惜しむ声が上がるのならまだわかるが、十年も経ってから突然名前が上がるのは、宝の大王への不満からくる当て擦りとしか思えなかった。宝もまた権力への欲が強い人間であるから、不評を買いやすい理由もわかっていたが。
「確かに亡き者の御霊が世を彷徨う例もありましょう。しかし人の御霊が人に災いをなすなど、聞いたことがありません。生きた人間に祟りをなすのは神のみです。国津神の末裔たる蘇我の子らが神になるはずもなし、おおかた大王への不満を蝦夷らにかこつけているだけでしょう」
「ならばお前も母上の治世に不満の声が上がっていることは認めるのだな」
鎌足が言葉に詰まると、葛城は肩をすくめた。
「生きているうちに御位を譲る。一度御位を退いた身で再び即位する。前例にないことを二つもやってのけたのだから、多少は反発も生まれよう。母上も強気なお人で、少しばかりの不平なら気にも止められないところがおありだからな。私なら母上より上手くやれるとも言わぬ。しかし大陸や三韓の情勢が不安定な今、大王への求心力が下がるのは由々しきことぞ」
「……」
「亡き軽の叔父上が残した有間の御子はもう十七になったか」
「王子。有間の御子はまだお若く、とても大王に取って代わることなど」
「先王の遺児を唆す者がいないとでもいうのか? 他でもないお前が昔言ったことじゃないか。建の同母姉二人もそろそろ年頃になる。有間を婿にするのも一つの手ではあるが……」
葛城はため息をついた。母に似てか、葛城も謀略を好むたちである。この頃は母王に頼らず、独断で葛城も自ら謀を巡らすことが増えてきた。
「大田と鸕野、二人ともいずれ大海人にやってしまおうと思う」
叔父と姪が結婚するのも、姉妹が揃って同じ男と結婚するのも、珍しくないことである。葛城は有間を抱き込むよりも、同母弟である大海人との結束の強化を選ぶというわけだ。
「いずれかお一人に大海人様を迎えるのではなく?」
「ああ」
「誠に有間が大王たちの脅威になるとお思いですか」
「私が入鹿を斬ったのは二十歳の時だ」
鎌足はすでに葛城も宝も有間を見放していることを悟った。我が子の脅威と見るや長年手を取り合ってきた同母弟の軽すら容赦なく切り捨てた宝。その子の葛城もまた苛烈な気性を秘めている。彼らにとっては今なお王座とは、殺すか、殺されるかで奪い合うものなのだ。
鎌足はそれを強いて諌めようとは思わなかった。葛城と知り合ってからもう十年以上も経ち、常に葛城の側に仕えてきたためか、鎌足はもはや彼が大王になるために尽力することを躊躇わなくなっている。
それから二年の後、建の御子はついぞ口を聞くことなく、わずか八年の短い生涯を閉じた。葛城たちの慟哭はここに書き記すまでもない。同じ年、建の死から三月後に、蘇我赤兄が有間の御子の謀反を密告した。――なぜこうも葛城の元にばかり謀反の密告がもたらされるのであろうか? 謀反の噂は真実なのであろうか?
有間は首を括られ、もはや葛城の将来の即位を邪魔する者はいなくなったかのように見えた。
◇
宝の大王の坐す朝倉宮は、その日騒然としていた。
前年、百済を救うために新羅を討たんとして、宝の大王は御子たちや群臣を率いて筑紫に渡っていた。朝倉宮は筑紫に建てられた宮である。
五月九日、朝倉宮に雷が落ちた。更には宮の内に鬼火を見たという者が数多現れ、人々が次々と病に斃れ死んでいった。
宝の大王もまた、落雷の日より病を得て床に伏せっている。
「して、大王のご容態は」
間人、大海人らと共に看護にあたっている葛城を鎌足が尋ねると、葛城は焦燥し切った顔で鎌足の前に現れた。
「母上はもうお歳だ。ただでさえ軍勢を率いた長旅で疲れておられるのに、病に打ち勝つお力が残っているとはとても思えない」
葛城は一切の希望を含ませることなく言い切った。葛城もずいぶん窶れていると鎌足は見受けた。
「まるで母上の即位の年の繰り返しだな。あの時も俄かに病死人が増えたものだった。亡き蘇我蝦夷の御霊の仕業だと人々は噂したか」
「しかし、それは……」
「そして此度はなんと噂されているか? 入鹿の御霊の怒りが天に通じて、朝倉宮に雷を落としたというのだ」
「いえ、王子!」
鎌足は躍起になって否定した。蝦夷に次いで入鹿の名が人々の口の端に上った頃から、斯様な悪しき噂に歯止めをかけねばならないと思っていた。
「あの時も申し上げた通り、亡き人の御霊が生きた人に仇なすはずがありません。十年も経って、今更入鹿の御霊が現れるはずがありますか」
「母上が鬼火の正体を見たと言ってもか?」
「宮の落雷という混乱の中では、人と御霊とを見間違えても……」
「それ以上言うてみよ! 母上はお歳といっても耄碌してはおらぬ。それ以上はお前でも赦さぬ」
失言に気づいた鎌足は平伏するしかなかった。実の母の命が尽きかけている葛城に、なぜ無礼をぶつけられたのかと己を恥じた。
「お前がなんと言おうと、私は老いた媼の空目とは思わぬ。死人の御霊が祟る前例がないなどどうでもよい! ただ……」
葛城は途中で息を切らした。政敵たる人であれ荒ぶる神であれ、何者をも恐れない豪胆な気性の葛城が、いつになく心乱れているのは珍しかった。
「鎌足、お前の言う通り、入鹿の御霊の仕業ではないと私も思う。しかし此度は蝦夷の時以上に素早く広く入鹿の名が蔓延している。どうして世人がこうも口を揃えて入鹿だ入鹿だと囃し立てるのか、不思議でならぬ」
「どういうことです。大王は入鹿の御霊をご覧になったのではありませんか?」
「母上が落雷の中で見た人影は、女だったというのだ」
「……はい?」
鎌足はわけがわからなかった。それこそ采女や女嬬の見間違いではないかと喉まで出かかった。入鹿に娘がいたとは聞いたこともない。入鹿の叔母たち、刀自古郎女や法提郎女は乙巳の政変の時にはすでに身罷っていた。その他、鎌足の知る限りの蘇我の女を並べてみても、入鹿に結びつく者はいない。非業の死を遂げた遠智娘ですら、入鹿の味方たり得るはずはないのだ。
「母上はその女こそが自らを祟る者だと信じ切っている。なぜ女の御霊が入鹿の御霊と取り違えられているのかは私にもわからぬ」
「……」
「鎌足。私はあまりに多くの者を殺してきたな。入鹿に蝦夷、古人、石川麻呂、遠智娘、軽の叔父上、建、有間。私は拘ったものをこれだけ死に追いやってきたのだ。その女に心当たりがないのも当然だ。誰に恨まれていても不思議ではない」
「いえ、王子は建の御子様を殺めてなどいません。石川麻呂も遠智娘も、軽の大王も……」
「ならばなぜ建は口も聞けずに生まれてきた!? なぜたったの八つで父を置いて死なねばならなかった!? なぜだ、答えてみよ!」
葛城は鎌足の肩を掴んだ。我が子に先立たれた痛みを背負い、今は母の重篤に向き合わねばならない葛城を前に、鎌足はかける言葉を持たなかった。
「私が病を得て死ぬなら当然の報いだ。口惜しくはあるが得心はゆく。なれど、妻や我が子や母に矛先が向けば……」
「……」
「どうすればいい。これが神の祟りであるなら、いくらでも財を尽くして神事を行ってやる。だが、正体のわからぬ人の御霊はどうすればいい?」
鎌足にもわからない。神に仕える中臣の一族を以てしても、死者の御霊が神のように生きた人間に祟る謎は解けなかった。
葛城は自らに降りかかる凶事を、蘇我親子討伐を発端とする様々な所業の報いだと思い始めている。報いを我が身に引き受ける覚悟をしながらも、自分にとって最も親しい者、愛する者が次々に奪われてゆくことは耐えられないのだろう。葛城たちが屠った者たちの中にも、不当に奪われた彼らの生き様があり、彼らを愛しむ者がいたとわかっていても。
鎌足の脳裏に、絶命した入鹿の雨に打たれて地に伏せる姿が過ぎる。屍は絶望に目を見開きながら、虚空を見つめていた。
あの時、自ら剣を手に飛び出し、入鹿に斬りかかった葛城の勇猛果敢ぶりを、鎌足は惚れ惚れとする思いで見つめていた。
しかし今となっては、なぜ葛城に入鹿を斬らせてしまったのかと思う。あの時無理にでも子麻呂と網田を焚き付けていれば、あるいは鎌足が自ら入鹿を殺していれば、葛城は今になって入鹿の御霊に母を煩わされることはなかったのではないか。
落雷から二月の後、宝の大王の病は快方に向かうことなく、朝倉宮で崩りした。葛城が喪を主宰し、新羅への遠征も大軍も葛城が引き継ぐことになった。
その夕暮れ、朝倉山に鬼の影を見たとの証言が寄せられた。それは単なる山にかかる黒い雷雲の見間違いだったかもしれないが、入鹿の噂は未だ鎮まる気配がなかった。
「王子」
宝の葬列は無事に飛鳥へ帰還し、葛城の主催で殯が執り行われた。軍勢を筑紫に留めて、葛城たちは久々に飛鳥の地を踏んでいる。
「私はいつまで、貴方様を王子と呼べるのでしょうね」
葛城は大義そうに振り返った。葛城は三十七、もはや即位に若すぎるという齢ではないのだが、ずいぶん面窶れて、実際の齢よりも幾許か歳を取ったように見える。
「かつて誰が大王でも構わぬと言い放った男の言葉とは思えぬな」
「あの頃は私も若かったのです。お赦しを」
「たとえ大王が死しても新羅征伐を中断してはならぬと、亡き大王の遺言だ。今はすぐさま即位の式を行うわけにはいかない。……わかっているとも、もはや私以外に大王となる者はいない。私は長年、どれほどこの日を待ち侘びていたことか……」
言葉に反して、葛城の声音に力はない。母王の死が、葛城から持ち前の活力をごっそりと奪い取ってしまったようであった。
「不思議だな。母上が生きておられた頃は、母上の言うことをうるさく思っていたものだが、いざ亡うなってしまったらこうも虚しいものとは思わなんだ」
鎌足は葛城の意気消沈ぶりを見ていられなかった。彼のきょうだいである間人も大海人も母の死に沈んではいるものの、葛城ほどではない。亡き宝の大王が自分の次には必ず葛城を、と望みをかけていたのに、ここで葛城の心を折らせてはならないと思った。
「王子。人の口に戸は立てられぬもの、忌々しくも朝倉宮の入鹿の御霊の噂は飛鳥にまで広まっております。大王の見た女が何者であろうと、亡き大王の名誉を入鹿めに穢されるのは由々しきこと。大王の死は、朝倉宮を建てるのに社の木を伐り払ったがために、朝倉山の神の怒りを買ったことにしましょう」
「それは……」
「かつて軽の大王も、難波宮を建てるために生国魂の社の木を伐ってしまったことがありました。同母姉の大王もまた同じことをしたのだとすれば、人々は信じるでしょう」
「……」
「入鹿の名を蘇らせてはなりませぬ!」
「鎌足、お前はそんなに入鹿が怖いのか」
葛城は目を細めて笑った。目尻の皺が濃くなったように思う。
「お前は昔から入鹿の名が世に憚るのが気に食わないようだったからな」
「……」
「思えば不思議な奴よの。出会った頃、私はてっきりお前は中臣の一族こそが蘇我親子に取って代わって栄華を恣にしたいものとばかり思っていた。しかしお前には助け合う兄弟はいないし、あの頃は定恵も幼かった。まさか純然たる入鹿への憎しみのみで私と手を組んだとは思わなんだ」
「今となっては、幼い子らに大したものを遺してやれないことを悔やんでもいます」
「お前もようやく親心に悩まされるようになったか。私も大友のことでは心配が尽きぬ」
大友の御子は、葛城が采女との間に設けた息子である。建の御子を亡くした葛城が自分の後継にと強く望む御子で、日頃から鎌足を始めとした群臣や同母弟の大海人に、大友の行く末を頼むと強く働きかけている。
鎌足はそういった葛城の動きをいつも不吉に思っていた。まるで余命幾許もない年老いた親が幼い我が子を案じるかのようで、鎌足は入鹿の祟りを頭ごなしに否定しながらも(もしや)という予感を振り払うことができない。
「大友様が心配でいらっしゃるなら、まずは貴方様が大王として為すべきことを為さなければ。田村の大王という前例はあれど、いつか貴方様がおっしゃったように、王の孫は王の御子よりもずっと立場の弱いものです。気を強く保ちなされ。我々は百済を救わねばなりませんし、新しき国作りもまだ途中です。貴方様は聖徳王がついぞ届かなかった大王の座に手をかけているのですよ。貴方様が聖徳王にどれほど憧れていらしたのか、お忘れですか?」
「……」
「入鹿の御霊は私にお任せくださいませ。神を祀る中臣が子孫として、必ずや悪しき御霊も打ち払って御覧ぜましょう。王子や大友様に仇なす真似は、この鎌足が決してさせませぬ」
葛城は肩を揺らした。
「母上のことなら好きにせよ。母上も不確かな噂で世が乱れるのは望んでおられなかった」
「王子! いつか貴方は私の働きに応じて褒美をくださるとおっしゃった。王子もご存知の通り、私もこの歳で幼い我が子を抱える身です。老いた我が身がどうなろうとも構いませぬが、残される子供たちは不憫でならない。私が入鹿の御霊を祓った暁には、私の子々孫々を貴方様の御影の下で守っていただけるような、そんな栄誉をくださいませ」
「鎌足、お前は……」
葛城の表情が強張る。鎌足の強請りに、不吉な予感を受けたのだろう。母たる宝の大王が身罷った今、入鹿の御霊は、今度はまた葛城の近しい者を狙うのではないかと。葛城は俄かに取り乱し始めた。
「お前、何を企んでいるのだ。よもやお前が御霊を口寄せする憑坐となるなどとは言うまいな? 入鹿の御霊の誠の狙いもわからぬのに、お前はわざわざ危機に身を投じるつもりか?」
「王子。私は、貴方様を大王と呼べるその日までは決して死ねませぬ」
鎌足は葛城の答えを聞かぬまま退出した。
あの頃の活気に満ちた青年が、歳を重ねたとはいえ、なんと病み窶れたことだろう。いや、歳を取ったのは葛城ばかりではなかった。鎌足も五十を過ぎてから病に罹りやすくなり、年月を重ねるごとに身体が弱く脆くなってゆくのを自覚していた。即位を渋る葛城を急かす気持ちがあるのは、このままでは葛城の御代を見る前に自分の命が尽きてしまうかもしれないという恐れがあるからだった。
その後も葛城はなかなか王座に着こうとしなかった。母の死が想像以上に堪えているのかと鎌足は推察した。宝の死の翌年、新羅征伐は白村江の大敗に終わり、民の猛反発を受けながらも都を近江に遷し、称制から七年経って、ようやく葛城は即位した。
四十を過ぎて、長年政と謀略に身を乗り出し続けたためか、身体は痩せぎすで、顔のそこかしこに心労が刻まれている。かつての傲岸さはなりを潜め、それが貫禄のある大人の男らしさを引き立てていた。即位の宴で、鎌足は葛城を眺めながら、ようやくここまでという感慨と共に、互いにあの法興寺の蹴鞠の頃よりずいぶん年老いたことを噛み締めていた。
即位の翌年、葛城は弟の大海人、鎌足、諸々の群臣を率いて山科野にて薬狩を催した。鎌足の陶原の邸の近くで行ったのは、この頃病がちで外出も大義な鎌足のためかと思われた。
「今日は顔色が良いようだな、鎌足」
「我が大王がわざわざ山科までおいでになったのですから。まこと、前年の蒲生野の薬狩にも劣らず立派な鹿が数多おりますゆえ」
「大海人を見よ。自ら野に分け入って草を摘む姿の清々しさは」
葛城は目を細めて大海人を見つめている。その眼差しが、単なる同母弟への慈愛のみでないことを、鎌足は知っていた。
葛城の同母妹であった間人は三年前に崩りしたため、今は大海人だけが葛城の唯一の同母きょうだいだった。可愛がっていた妹の死の痛手は深く、葛城は間人のために三百人を出家させて菩提を弔った。
鎌足の知る限り、葛城と大海人の兄弟仲は良く、大海人は葛城を慕っていつも兄の意向に従順だった。かつて額田王という女性を巡って相争ったことすら、宴の席の戯れで茶化してしまえるほど、葛城は大海人に対しては甘い。大海人の妃になった葛城の二人の娘のうち、大田は二人の御子を残して亡くなってしまったが、もう一人の妃、鸕野は相変わらず大海人に寵愛されている。
とはいえ、かつて宝と軽の姉弟が対立したように、同母の兄弟でもいつまでも仲睦まじくいられるとは限らない。葛城は我が子の大友の後見を日頃から大海人に託し、大海人も承知しているものの、大海人にも御子たちがあり、いつまでも大友の味方でいるか、葛城も心から信頼はしていないのだ。いくら大王の御子といえ、他ならぬ葛城が長年若さを理由に即位を阻まれてきたのだ。歳若い大友よりも、年長の大海人の方を群臣が支持してもおかしくない。
「大海人は良き弟だ。そして鎌足、お前は良き忠臣だ。私ほどに恵まれた大王も居るまい。かの聖徳王にも優ろうぞ」
「大王、何を――」
「だから充分に養生して、早うに病を治せよ。お前の力なくして私は大王にはなれなかった。私の政にはお前が欠かせないのだ」
鎌足は言葉に詰まった。
この身体がもっと頑強ならば、もっと若ければ、子供たちがもっと成長していれば、葛城の期待に応えることも容易だったろう。
今や病に塗れ、もはや葛城のためになんの役にも立てぬ身の上だ。白村江では撤退を余儀なくされ、長男の定恵は法師となり仏法による護国のために尽くしているものの、次男の不比等は未だ幼く、その下の娘たちも同じだ。
軍事にせよ遷都にせよ、葛城の治世に対する世人の反発が少なくないのは事実だ。ましてや葛城は若き大友という火種を抱えている。少しでも味方を離したくないのは当然だった。
「ああ、黒雲が立ち込めてきたな」
葛城が東の方角を指差すと、山の上に黒い雲がかかっていた。まだこちらに雷雨の気配はないが、遠からぬうちに天候が乱れるやもしれなかった。
「薬狩はここまでにしましょう。還御の道が雨に覆われては」
「鎌足。雷とは嫌なものだな」
葛城の眉を顰める表情に、鎌足は朝倉宮の惨事を想起せずにはいられなかった。
幸いにも、宝の大王の崩御以来、入鹿の御霊の噂はぴたりと止んでいる。葛城の政敵となり得る者たちを全て排除し切ったからかもしれないが、今のところ、葛城への鬱憤をぶちまけるのに入鹿や蝦夷を持ち出す輩はいないようだ。
鎌足は入鹿の御霊が宝の死のみで満足しているとは思っていない。葛城との約束を忘れてもいない。
「なれど雷は天津神と大地との交信でもあり、殊に秋の雷は稲の豊かな実りをもたらすものです。雷とは決して災いばかりを我々に与えるわけではありません」
「ならばお前は雷も恐ろしくないと?」
「いえ。恐ろしくもあれば頼もしくもある。それが、天に地に海に、この世のあらゆるものに宿りし神々の力のはずでした」
老いと病に蝕まれながら、鎌足は数年がかりで死者の御霊を祓う方法を模索し続けていた。
神が祟るように人の魂も祟るというのなら、あるいはその御霊は神に準えるべきだろうか。しかし、神々を祀ってきた一族の末裔たる鎌足は、入鹿を神と同列になど扱いたくなかった。今でも入鹿を神に等しい力を持つ御霊などとは認めないまま、葛城の周辺から入鹿の名を遠ざけることばかり考えている。
「大王はただ、今まで通り、天神地祇を祀り仏法の教えに則った政をなされば良いのです」
葛城は心許なげな視線を投げかける。
言葉を交わさずとも、互いの考えていることはなんとなくわかる。葛城は『死ぬな』とは言わないし、鎌足もまた『死にませぬ』とは答えられない。歳月を重ねるごとに妻や息子や母や妹や娘、近しい者を亡くして心身共に疲れ切っている葛城だが、大王として一人の臣下に弱みを見せられないのもあるだろう。叶う望みのない約束を口にするほど青くはないが、さりとて全てを諦めて受け入れるほどには成熟しきっていない。
次第に暗くなり行く空の下、還御に付き従いながら、残り少ない命を葛城のために使い果たすことを思った。
(せめて、我ら中臣に悪しき御霊を祓う力があればよかったのだが……)
中臣の祖神は天児屋根命という、神事に携わり神の言葉を伝える神巫のような役目を持つ神である。農耕神や太陽神などの権威や利益からは遠い、控えめな神だ。
同じ神事に携わる一族といっても、かつて共に廃仏を唱えた物部は祖神の饒速日命を祀りながら、後から石上の宮の奉仕に関わり、布都御魂大神という軍事を司る神をも氏神に加えているのであるが。
(待てよ、布都御魂大神?)
布都御魂大神は霊剣が神格化された神で、その霊剣を持っていたと伝わるのは、武甕槌神だ。雷の神であり、葦原中国平定のために建御名方神と争って勝利した戦の神でもある。
物部が後代に新たな神を氏神として迎えたように、常陸なる香島におわす武甕槌神を、中臣の氏神に加えればどうだろうか。幸いにも大化以降、中臣の占める土地は常陸にある。得体の知れぬ御霊の雷に対抗するには、雷神に縋るより他の道はないように思われた。
遠く、雷の音が響いた。夏が過ぎ、秋が深まり行くに連れて、例年よりも天候が荒れる日々が多くなっていた。今日も夕方から雲が多く、夜には荒天になると思われていたが、鎌足に残された時間は多くないようであった。
◇
額田部の大王の御代、聖徳王がまだ生きていた時代に、河辺臣なる男が安芸の国にて雷の神を捕らえ、その正体と思しき魚を焼いたという話が伝わっている。
鎌足は今宵、河辺臣になるのか、わからない。
病の身を無理に起こして、剣を携えて寝床に横たわりもせずその時を待ち続けている。雷の音が刻々と近づいてくる。雷光も次第に眩く、明るさが激しくなりゆく。雨の降る気配は微塵もない。落雷における万が一の火事に備えて、鎌足は奴婢たちに水を多く用意させていた。
(――いる)
暴風で戸が開いたわけでもないのに、邸に控える何者でもない誰かの気配がすぐそばに忍び寄っていた。
稲光で一瞬、その姿が照らし出される。逆立った緑なす黒髪、血走った眼、神懸かりをする巫女のような見てくれの女であった。鎌足は恐れを堪えて声を張り上げた。
「何者だ。名乗れ」
もしこいつが宝の大王の見た女と同じなら、確かにこれは入鹿ではないと鎌足は認めた。入鹿に連なるどの女とも、この女は面影が重ならない。遠智娘にすら似ていない。鎌足は入鹿の母すら知らないので、見当がつかないのも当然かもしれないが……。
鎌足はすかさず剣を構える。二十年以上も前、入鹿に斬りかかった葛城のように、鎌足は謎の女と対峙した。
――外が一瞬で明るくなる。閃光と同時に轟音が耳をつんざく。邸のすぐ近くに雷が落ちたようだった。目を覚ました奴婢らの悲鳴が上がる。
「名乗れ。お前は誰に恨みを持つ者だ。私か? 大王か? 何故お前が入鹿の御霊として噂されているのだ」
女は何も答えない。鎌足に襲いかかるようなそぶりすら見せず、ただ鋭く鎌足を睨みつけるばかりであった。得体の知れぬわななきが鎌足の身体に込み上げてくる。
(入鹿に代わって私を殺そうというのか……)
何者とも知れぬ者に命を狙われている不気味さは如何ともし難い。
あるいは、この女は今まで鎌足と葛城が屠ってきた者たちの屍の山から生じた、顧みられぬまま歴史の闇に埋もれた命の怨念と怨恨の、入鹿の名を纏った化身であろうか。
鎌足は息を整える。もし葛城だったら、入鹿の時のように躊躇いなく斬りかかるのだろうか。それとも立ち向かう気力を失くして自らの宿世に身を任せるだろうか。
あの時、怖気付いた臣下たちに代わって自ら入鹿を斬った、その葛城に代わって、今度は鎌足が葛城の積年の恨みを一身に背負ってやりたい。それこそが鎌足の最後の葛城への奉仕であるように思われた。
「雷よ、大王に仇なすな、我が身を傷れ!」
震えを抑えて鎌足が叫ぶと同時に、木々が裂ける音がした。
轟音の衝撃と共に、鎌足は意識を失った。
「あなた、あなた……」
日が昇って鎌足が目覚めると、安見児が床に伏せる鎌足の看病をしていた。
彼女は元は葛城に仕える采女だった。葛城の覚えはめでたく、美人で気立てのいい安見児に『どうにかして我が妻に貰い受けたいものだ』と憧れる群臣は多かったため、鎌足が結婚を赦された時の喜びはひとしおだった。
彼女が奴婢たちからの報告をまとめたところ、鎌足の邸は半壊し焼け焦げているそうだった。
入鹿の御霊を名乗る神懸かりのような女を見たかとは、鎌足は聞かなかった。鎌足はもはやあの女が誰か知りようがない。邸の内に何か生き物が転がっていないかと尋ねたが、何もいないとのことだった。
(ならば私は河辺臣のようにはいかなかったのだ)
もし雷に撃たれていたのなら、即死していたに違いない。あの雷は邸だけを焼いたのだ。
ただ、老いた身体がもう以前のようには動かないことも鎌足は知っていた。
(不比等に伝えなければ)
天児屋命と共に、武甕槌神を我らの祖神として祀るように、と。
不比等と彼の妹たちはまだ幼い。父亡き後に葛城の庇護を受けたとしても、葛城の臣下となるには幾年かかることか。鎌足が生きているうちに、少しでも身を助ける術を授けておかねばならなかった。
「あなた、大王がお見舞いにいらっしゃるのですよ」
「大王が?」
「ええ、見苦しくないよう部屋を設えてあります」
臣下の身で大王の御幸を直々に受けるとは、この上ない名誉である。安見児としても久々に大王に見えることができるわけだ。
病に侵された身体で、鎌足はこれが葛城との最期の対面になることを思った。
もっと長く貴方の御代を見ていたかった。
それはもはや見果てぬ夢であるが……。
鎌足を見舞った葛城は、鎌足に藤原の姓と大臣の位と大紫冠を授けることを告げた。見舞いの五日後、葛城の使いの大海人に藤原姓をもたらされ、その翌日、鎌足は五十六年の生涯を閉じた。
その二年後に、葛城もまた病により崩りした。享年四十六。彼が憧れ、短命だと評した聖徳王よりも三年短い生涯であった。
晩年の葛城の周辺に、落雷の記録は見当たらない。