「歯医者でさ」
思わず「は?」と問い返したくなったが、取り合えず黙って続きを聞いてみる。
「痛かったり沁みたりしたら、左手を上げてくださいって言うらしいじゃない」
「言うわね」
「上げても止めないってホント? 意味分からん、ねじり殺されたいのかしら」
そんなことを唐突に言われても反応に困る。
優雅な読書タイムを送っていたらふらりとやってきて、対面の席に座るや地下暮らしの魔女に向かって「ハロー、今日はいい天気ね」なんて挨拶をして、おやつのイチゴが盛られた皿を手元に引き寄せてつまむフリーダムな親友。
まだ一口も食べてないイチゴを持ってかれたことを怒ろうかとも思うが、今日はイチゴよりブドウの気分だったので、おとなしく歯医者の話を続けてやろう。
「痛かったり沁みたりしたら、左手を上げてくださいって言うのは――」
紅魔館地下図書館を預かる叡智の魔女パチュリー・ノーレッジの声色は、淡々としたものであった。
「痛かったり沁みたりしたら、治療の手を止めますって意味じゃあないのよ」
紅魔館地下図書館を訪れた紅霧の吸血鬼レミリア・スカーレットの眉根は、苛立ちによってしわが寄っていた。
概ね、事情は察したと言っていいだろう。
さっきからつまんでいるイチゴも、不自然なまでに右側の頬をふくらませて食べている。首もやや右に傾いており、果汁すら左頬にやるまいという注意が見える。
まるで左の歯でイチゴを食べたら不都合があるかのようだが、まだ追求しないでおこう。
右側だけでイチゴを噛み潰したレミリアは、ごくんと飲み込んでから抗議の声を上げる。
「なんでよ。痛いって教えてんだから、そこをイジるのをやめなくっちゃあ道理に合わないわ。痛いところに痛いことをし続けるなんてのは治療じゃなく拷問。でしょう?」
「痛い場所、沁みる場所――つまり悪い場所を正確に確かめるって意味の質問なの。目に見えて分かるほど悪くなる前に治療できるから、手間も負担もかからない。いいこと尽くめね。痛みを堪えるなんてのは私生活や闘争の中では美徳だけど、診察や治療の最中に痛みを訴えないのは馬鹿よ。早期治療の機会を逃して患部が悪化してしまう」
「……道理は通ってるわね」
講釈を聞きながらレミリアは、たまたまテーブルに置いてあった医学書のページをパラパラとめくった。
イチゴに触れてない左手を使うくらいの配慮は自然としてくれている。
相変わらず右側でのみイチゴを噛むレミリアの表情はかんばしくない。
医学書には正しければ役立つ情報は書いてあるはずなのだけれど、望む情報はきっと書かれていない。喩えるなら、運動も食事療法もせずダイエットしたいと渇望しながら、運動や食事療法による効果的なダイエット法の書かれた本を読んでいるようなものだ。
「逆に――」
吸血鬼が黙り込んだので、魔女は講釈の続きを語り出す。
虫歯を治療する際、患部をドリルで削ってから治療するように――話題に突っ込んで掘り下げねば解決への筋道を作れない。
「目に見えて悪い場所をいじってるのに痛みを訴えない場合は、痛覚を喪失するほど悪化していると勘違いされて、大仰な治療をされてしまうわ。普通に治療できる程度の虫歯なのに神経を抜いてしまったり、あるいは歯そのものを抜いてしまったり」
「ハンッ。そりゃなんともマヌケな話ね」
「そうね。だから診察及び治療中は、痛いのを我慢はしても、痛いと言うのを我慢してはいけないわ。レミィったら変なところでプライド高いんだもの……もし、もしもだけど、虫歯になったりしたら、プライドから我慢しちゃうんじゃないかしら」
優しくいたわるように魔女は笑った。
レミリアは息を呑む。医学書の歯のページに視線を落としたまま、親友の顔を確かめることができない。
内心でやれやれと頭を振ったパチュリーは、さらにフォローを積み重ねる。
「ええ、決して痛いのが怖いとか、歯医者さんが怖いとか、そういう理由じゃなく……吸血鬼が虫歯なんて恥を晒す訳にはいかないという、吸血鬼という種を尊重した極めて高度なプライドによる心配りからくる我慢、を、するでしょうね」
「ま、まあね」
なるほど、そういう発想もあるのか。とでも言いたげにレミリアはうなずいた。
まさに天啓。天とはパチュリー。ならば天とは魔女の領土であり、魔の領域であり、悪魔の住処だ。神や天使は天を即刻明け渡すべきである。地上でスイーツを貪って暴食と堕落の罪を犯し、虫歯にでもなってしまえばいいのだ。
トンチンカンな現実逃避に耽り始めた吸血鬼は、幼き容貌によく似合うほがらかな笑みを浮かべつつあった。
ああ、なにを些細なことで悩んでいたのだろう!
こんなくだらない悩みは忘れて、今日も美味しいご飯や甘いスイーツを食べてのハッピーライフ日和!
という具合に脳内お花畑になってそうなので、ここらで引き戻さねば。
ドリルをえぐり込むような強烈さで。
「で、虫歯なのよね?」
端的な追求。
それに対し。
「……吸血鬼という種の名誉のため隠し通したかったのだけれども、ありていに言えばそうと言えなくもなくも然りであるからして、恐らくそう昨日から奥歯がなんというかその甘いものを食べた時に沁みたり沁みなかったりするから、高確率で敵対勢力に歯痛の呪いをかけられていて、中確率で神秘の古代呪文の副作用に身体が蝕まれていて、低確率で虫歯にかかってしまったようなの」
バタンと医学書を閉じて、しかし首ごとそっぽ向いて、決して親友と顔を合わせようとせず、イチゴを指で弄びながら、長々としたセリフを言い切るレミリアであった。
そういった態度を見れば物事の真実なんて一目瞭然なのだが、かといって痛いと喚いているところを、これ以上つつき回すこともないだろう。
虫歯の治療をしている訳ではないのだから。
虫歯の治療は歯医者がすればいいのだから。
慈愛に満ちたパチュリーはやわらかな口調を心がける。
「歯医者に行――」
「ヤ」
一文字で拒否。
さっきはあんなにも長々と遠回しに肯定したっていうのに、拒否するのは一文字なのか。
世の不条理を感じつつも、パチュリー・ノーレッジは親友のため言葉を止める訳にはいかぬのだ。
「でもレミィ、ほっとくともっと悪化しちゃうわよ」
「痛みを感じないレベルまで悪化すれば、楽に治療できるじゃない」
もはや虫歯だと隠そうともせず、滅茶苦茶な解決策を提示してきた。
ここで「それもそうねナイスアイディア!」と肯定してやれば、それが致命的な選択であると理解しつつも妥協してしまいかねない。
正論でズバッと切り捨てるのはたやすいが、それでは反発を生みかねない。
自主的に歯医者に行くよう誘導しよう。
「そう、でも、今すぐ治療して受ける痛みを100とするなら――痛みが無くなるほど悪化するまでに味わう痛みは8000以上よ」
「8000!?」
数字はテキトーである。
計算なんかしてないし、特に根拠がある訳でもない。
でも効果覿面。
「痛みを感じなくなる前に、もっともっと痛くなるんだから当然よ。しかも、虫歯が他の歯にも移るわね。8000以上の痛みが伝播して増殖よ」
「増殖ゥ!?」
数値化された恐怖は効果覿面だったようで、レミリアは蒼白の表情となってようやくこちらを向いてくれた。
可愛い。悪戯心からもうちょっとイジメたくなってしまうも、ここは自重せねば。怖がらせすぎるのもよくない。
ここらで方向性をちょいと変えよう。
「でも、さすがレミィね8000以上+増殖ゥが待っていようとも、吸血鬼の矜持を貫くだなんて」
「え、えっ……? あ、うん、まあ、うん」
目を白黒させながら言葉を詰まらせるその有り様、吸血鬼の矜持なんてすでに木っ端微塵だった。
せっかく用意された退路を断たれ、改めて危機感を抱いてくれたようなので、ここらでサッと助け舟。
「でも私……レミィが痛い目に遭うの、イヤだわ。親友が苦しんでる姿なんて見たくない。レミィだって、私が虫歯をこじらせて8000以上+増殖ゥな目に遭う姿なんて、見たくない……でしょう?」
「お、おう」
ちょいと小首を傾げて瞳を潤ませ、にやけそうな口元に手を当てて隠し、健気な親友っぷりをアピール。
ちょっとわざとらしいかもしれないけど、こんなに可愛ければ些細なこと。
キューティービューティーパチュリーちゃん!
チャーミングチャーム!
これならば、自分自身のためではなく親友のためにという理由を押しつけられる訳だ。
友情を盾に取るようで心苦しいが、それ以上に今のレミリアのうろたえっぷりが面白いのでよし。
眉間にしわなんか寄せて葛藤しているが、このまま押し切らせてもらおう。
「大丈夫よ、今は歯医者も進歩しているわ。麻酔かけてもらえば全然痛くないわよ」
「むう……それ無理」
「歯を削る痛みに比べたら、麻酔の注射くらい些細な痛みでしょ」
「確かに注射は嫌いだけど」
「今は注射の針も細くなってるから、歯茎を爪でつつく程度の痛みしか――」
「あー、そうじゃなくてさ」
嫌がっている、怖がってる、というんじゃなく、困った顔を浮かべて頭を掻くレミリア。
後は押し切るだけで解決と思っていたのに雲行きが怪しい。
なんにしても、くだらない言い訳だったら魔女の叡智の理論武装でサクッと片づけてしまおう。
レミリアは弄んでいたイチゴを口に放り込み、やはり右側のみで咀嚼すると、ニッと口角を上げた。
虫歯は恐らく左奥歯だろうと思われるため、健康的な牙が白金色に輝く。
「吸血鬼の唾液には麻酔効果があるのよ」
だが、悪魔から返ってきた言葉は全容こそ見えないものの、理論武装の気配がした。
まさか、ここにきてあちらが正しい道理を提示するというのか?
ともかく詳細を聞き出さねば。
レミリアの言葉には一応覚えもあるので。
「そういえばそうだったわね。獲物が暴れないよう陶酔効果もある麻酔を注入して――ってことは、虫歯を舐めてりゃ痛くはないんじゃないの?」
自分で言いながら、そんな訳はないとすぐに気づけた。
それができないから虫歯が痛むのだ。
愚問ではあったが、レミリアは律儀に答えてくれた。
「だといいんだけどね。麻酔毒の分泌はコントロールできるんだけど、使う時には自分の口にも入っちゃうでしょ? 口が麻痺して牙が抜けちゃうんじゃあマヌケだから、吸血鬼には麻痺耐性があるのよ」
「……外部から麻酔を注入されるのも?」
「ドラゴンが眠るくらい強力な麻酔なら効果あるかもね」
さすがにそれは、歯医者の治療としては大仰すぎる。
むしろ強すぎる麻酔のせいで身体に悪影響が出そうだ。
なんという誤算。これでは歯医者に行くとしても、麻酔無しで虫歯をガリガリ削らねばならない。
虫歯を放置するという最悪の選択以外に、それを避ける手立てはあるか?
すぐには思いつけそうにない。
それにまだ情報不足である可能性も否めず、しばし、質問をしてみるとしよう。
「でもほら、血で血を洗う闘争を駆け抜けた吸血鬼じゃない。手足がもげたり、聖水を浴びせられたり、銀のナイフで刺されたり、もっと痛い目に遭ってきたけど、耐えてきた訳じゃない。8000以上の苦痛を数え切れないほど乗り越えてきた訳じゃない」
「闘争の痛みと、治療の痛みは違うわ」
闘争――興奮状態だとアドレナリンが分泌されて痛みへの耐性ができるらしい。
または己の命、家族の命、仲間の命を護るためという覚悟が恐怖を跳ね除けるのかもしれない。
が、虫歯ではそうもいかないようで。
決して軽い問題ではないはずなのだけど、真剣に向き合えない不思議な存在なのだ、虫歯って奴は。
「闘争……ねぇ」
突破口、あるいは逃げ道を探さねば。
パチュリーは思案した。親友の虫歯を悪化させぬため、ちゃんと歯医者に行かせるため、どんな説得が有効だろう?
麻酔さえ効果があればきっと、おとなしく歯医者に行ってくれる流れだったのだ。もう一息なのだ。土俵際なのだ。
最後の一押しとなるアイディア――拙いながらもひとつ、思いつく。
「あー、じゃあ、レミィと同サイズの鬼がいたじゃない。あいつと殴り合ってみたら? 衝撃で虫歯くらい抜けるんじゃない?」
「虫歯を殴らせろっての? イヤよ、怖い」
もっともである。
それに鬼の四天王のスーパーパワーともなれば、無事な歯もろともへし折りかねない。
「えー、じゃあ、首を刎ねて、頭に太陽光を浴びせて焼却処分ってどうよ。新しい頭を首から再生して、歯も綺麗に再生っと」
「死ぬわ」
「死ぬの?」
「首を刎ねるって、吸血鬼殺しの伝統的手法のひとつじゃん。そこに太陽光もプラスって無理」
「無理かー」
「無理よー。ただでさえ虫歯で弱ってるところに、二重で吸血鬼殺しされたら死ぬ死ぬ超死ぬ」
もしかしたら虫歯も吸血鬼殺しの手段なのかもしれない。
だってほら、吸血鬼の牙って重要なアイデンティティだし。
牙が虫歯になったら獲物を狩れなくなっちゃうし。
友の名誉……というか吸血鬼という種の名誉のため追及してはいけない。
「むう……吸血鬼の治癒力で、虫歯を直接治療するっていうのは? 治癒力促進ポーションくらいなら用意するわよ」
「無理言いなさんな。それよか、虫歯の塗り薬か飲み薬ってないの? 痛み無しで治る前提で」
「痛み無しの前提無しでも無いわよそんな薬。今は虫歯なんて無いけど、あったら私も欲しいわそんな薬」
「まあ、ねえ。パチェも歯医者が怖くて泣き喚いたりしてたし……」
「は?」
まったく心当たりがなく、思わず聞き返した。
子供じゃあるまいしありえないこと。
念のためにと記憶の糸を手繰ってみたが、吸血鬼と違って麻酔が効くため怖がる要素が存在しない。
他の誰かのエピソードと勘違いしているのだろうか、正しておかねば謂れ無き汚名を着せられてしまう。
「子供の頃から歯医者を怖がったことなんて一度も無いわ。麻酔をかければ痛くないもの」
「んんー?」
眉根を寄せて小首を傾げ、疑問を全身でアピールするレミリア。
どうすれば納得させられるのか。
いや、今は歯医者に行く流れを磐石にするのが専決だ。
記憶違いを正すのは後日でもよい。
取り合えずペースを握り返すため、プライドをつついて判断力を奪うとしよう。
「まったく、吸血鬼って不便なものね。ただでさえ弱点だらけなのに、麻酔も効かないなんて」
「うー……麻痺攻撃も麻痺耐性も、本来長所だし……」
「長所で自滅してちゃ駄目でしょう。虫歯には歯が立たない、か……面倒な長所ね」
「自分のでなきゃ、歯が立たない訳じゃないんだけどねぇ」
「自分の……って?」
思い浮かんだのは目の前の悪魔のその妹だ。
姉妹だけあって当然その子も吸血鬼。
つまり。
「妹の唾液を虫歯に塗る……?」
あまりにも倒錯的すぎるプレイである。
十八歳未満視聴禁止どころじゃあない。
五百歳未満視聴禁止くらいのハイレベルさだ。
……って五百歳ならセーフじゃん!?
「いや、だから麻痺耐性あるって言ってるでしょ? 吸血鬼同士じゃ意味無いわよ」
「な、なんだそっか……まったくもう、驚かさな………………同士じゃ無かったら?」
「あるわよ、効果」
それは例えばだ。
パチュリーが虫歯になった時にだ。
レミリアの唾液を患部に塗ったらだ。
注射という小さな痛みすらなく麻酔をかけられる訳だ。
けれどそれは五百歳未満視聴禁止なハイレベルプレイだ。
パチュリーはまだ百歳なのだ。
そして同性愛者でもないし、仮に同性愛者でもそんなハイレベルプレイはお断りするだろう。
たまらず、頭を抱えて机に突っ伏す。
ガタンと揺れた際、盛られたイチゴがひとつコロリと机に転げ落ちた。
「ちょっ……待って、思い浮かべたくない。唾液を採取するって非現実的光景と、その手段を考えたくない」
「採取? いや、んなことしないし、よくある方法ですむけど」
「そ、そう? どうやるの?」
奇怪かつ破廉恥な妄想が頭をストロベリー色に染め上げようと蠢いていたため、これ幸いと思考の軌道修正をすべく訊ねる。
まあ、唾液を使った麻酔だ。よくある方法とやらも、なんだかんだで妙なものに違いない。
だがこのまま奇怪かつ破廉恥な妄想をしてしまうよりは、ずっとずっとマシなはずだ。
レミリアは先のイチゴを小さな指でそっと拾うと、ついばむようにイチゴに口づけをしてほほ笑む。
「ぺろちゅー」
と、短い回答をするや、イチゴの粒々とした表面をペロリと舐める。
ぺ、ろ、ちゅ、う。
パチュリーにとっては聞き慣れない言葉のため、それがなんであるかすぐには理解できなかった。
が、イチゴをペロリと舐める仕草、ついばむように口づけする仕草が脳裏に蘇り、聡明な魔女の頭脳によって意味を解してしまう。
解してしまうから、ポッと頬がストロベリー色に染まった。
「ぺろちゅーくらいすれば、麻酔としては十分な効果を与えられるわ」
無邪気な子供のようにきゃらきゃらと笑うその姿から、パチュリーは親友ならではの予感を抱く。
からかっているようには見えず、ぺろちゅーで麻酔をかけるという行為は事実存在するのだろう。
存在するとして……そういう方法があると知っているだけなのか?
百聞は一見にしかずと言うように、まさか見たこともあったりするのか?
百見は一触にしかずと言うように、まさか……まさか、まさか……!
「……まさか、ぺろちゅーしたことがあるなんて言わないわよね」
「あるけど」
虫歯をぶん殴られたような衝撃が、偉大なる叡智を秘めし魔女の頭脳を揺さぶる。
五百歳のくせに、まさかそんな、ぺろちゅーを!?
いや、五百歳という数字だけ見ればおかしな話ではない。恋のひとつやふたつして当然だ。
でもでも、だけれども!
妖怪っていうのは精神の生き物。精神年齢は肉体年齢に反映される。
五百歳らしい大人びた面も確かにあるけれども!
お子様に近い精神性を持つレミリア・スカーレットが、ぺろちゅー経験者!? ファーストキッス終了済み!?
いやいや、いいや、落ち着くのだ。
麻酔のためのぺろちゅーなら、それは医療行為と定義されるべきである。
人工呼吸がファーストキッスにカウントされないのと同じ道理である。
よくラブコメ漫画で人工呼吸はキッスではないとか言い訳するシーンがあるじゃないか。
だから、四百歳も年下であったとしても、肉体年齢の上回るパチュリー・ノーレッジは精神的にもお姉さんであり、このちんまいなロリータ吸血鬼に女性的な意味で置いてきぼりをされている訳ではないのだ。
まだ互角……! 乙女の経験値は拮抗状態……!
いやむしろ数多の書を読み、百聞どころか千聞も万聞も積み重ねている己こそ、一歩も二歩も先を進んでいる。はず。
とはいえ、医療行為によるノーカウント理論を採用したとて、気になるものは気になるのだ。
パチュリー・ノーレッジもまた年齢三桁になって日の浅い乙女であるがゆえ……。
「だ……誰にそんなことしたのよ?」
「パチェ」
しかし答えは返ってこず、なぜか呼びかけられた。
誤魔化そうとしているのか?
「……ん? なに?」
「パチェだってば」
不審に思いながら問い返すが、またもや名を呼ばれるのみで、要領を得ない。
見当違いの解釈をするならば、ぺろちゅーの相手がパチュリー・ノーレッジという風にも聞こえる。
そういった勘違いをつぶしがてら詰問しよう。
「だから、私がなによ? そんな言い方じゃまるで、ぺろちゅーの相手が私みたいじゃない」
「そう言ってんじゃん」
「……うん?」
「私、レミリア・スカーレットは、貴方、パチュリー・ノーレッジに、ぺろちゅーして麻酔をかけたことがあります」
「…………ほへ?」
ちょっと、意味が、分からない。
いや、意味は分かるけれども。
抜群の記憶力を駆使しても心当たりはない。
なにせパチュリー・ノーレッジは、歯医者を恐れたことがないのだ。
麻酔だってちゃんと注射で……。
「覚えてない? ほら、九十年くらい前……」
親友が葛藤してるのも構わず、永遠に紅い幼き月は述懐する……。
□□▽□□□□▽□□
□□△□□□□△□■
――正確には九十五年前。
魔法使いの名門ノーレッジ家を訪ねたのは、四百五歳でありながら幼き容貌の吸血鬼だった。
別に特別な間柄ではなかったし、特別な用件があった訳でもない。
ただの商談……紅魔館に相応しいアンティークやマジックアイテムを幾つか買うだけの来訪である。
しかしその日、ノーレッジ邸はちょっとした騒ぎが起きていて、商談どころではなかったのだ。
「お、おお! スカーレットのご令嬢か。すまぬ、今は立て込んでおって……」
「見りゃ分かる。どうしたのよこれ?」
面倒だな……。
レミリアが最初に思ったのは、たったそれだけの安い感情。
邸宅のあちこちを火の球が飛び交い、水流がのたうち、壁から崩れ落ちた石片が浮遊する。それがノーレッジ邸の執事や警備兵に襲いかかっていた。
下手人は、レミリアと同じくらい小さな女の子。
「賊……って雰囲気じゃないみたいだけど」
「娘だ。ちと癇癪を起こして、逃げ回っている……」
「ああ、娘さん。才気あふれるご息女だと聞き及んでおりますわ。名前は確か……パチェちゃんでしたっけ?」
「パチュリーです」
「そうそう、パチュリーちゃん。なんか泣き喚いてるけど、ああいう手合いは力ずくで屈服させた方が早いわよ」
暴力的な妹を思い浮かべながらアドバイスをしたため、妹とパチュリーの姿がわずかに重なって見えた。
まだ五歳のパチュリーは今、エントランスホールに立ち並ぶ大理石の柱の何本かをへし折り、その上に陣取って両手に火の球を抱えている。ますます妹の姿と重なってしまい、つい失笑が漏れる。
同時に興味も湧いた。
「で、どうして暴れてるの?」
「……虫歯が痛いと泣き喚くので……医者を呼んだら……治療が痛いからとますます暴れて……」
ノーレッジ卿は恥ずかしそうに事情を明かした。
虫歯は痛く、その治療もまた痛いという知識はあったが、レミリアには具体的な痛みを想像できなかった。
吸血鬼の強靭な歯は滅多に虫歯にならないため、四百五年の人生ではまだ未体験である。
が、事情は分かった。
「吸血鬼の麻酔毒はご存知? 私なら穏便にお宅のお嬢さんを虫歯治療の場へ連れ出せる」
「よろしいので? 吸血行為以外で牙の毒を使うのは恥と聞き及んでおりますが……」
「早く商談に移りたいしね、最上級の品を用意してくれればそれでいいわ」
そう言って、レミリアはコウモリの翼をバサリと広げる。
執事や警備兵を迎撃していたパチュリーが、こちらの気配に気づき視線を向ける。
ニッと笑って牙を見せ、レミリアは疾駆した。
幼き魔女が投げつける炎の球を掻い潜り、まばたきする間に眼前へ迫って幼き肢体を抱きしめる。
そして、当惑する幼き唇に、自身の幼き唇を押しつけた。
挨拶のキッスは頬や額、手の甲などにするものであって、唇にするのは恋人や夫婦がするものだということは、童話や物語から知識を得ていたパチュリー。故に現状を正しく認識できず、ただ、目の前に見知らぬ少女の顔があり、口腔に何かを流し込まれていることしか分からなかった。
獲物を捕らえるための甘い蜜、悪魔の雫。
痛覚を眠らせ、陶酔へと誘う魔性の毒。
それが、幼きパチュリー・ノーレッジの口腔を満たしていく。舌を甘く絡め取り、虫歯へと染み渡り、泣き喚いて暴れいてた原因すらも忘却させる。
吸血鬼の罠に堕ちていく……。
□□▽□□□□▽□□
□□△□□□□△□■
「……てな具合で、蕩けて動けなくなったパチェを医者に渡して、お父上と有意義な商談をした訳よ。ホントに覚えてない?」
覚えている訳がなかった。
吸血鬼の毒で陶酔していたということは、夢と現実の区別がつかない泥酔状態にも似た状況だったと想像される。
だから、覚えている訳がなかったのだ。
虫歯の治療は麻酔をかければ怖くないという記憶だけを残して……。
「ま、仕方ないか。まだちっちゃかったもんね。あの後、特に挨拶もせず帰っちゃったし……パチェの記憶にある最初の私って、いつの私?」
「……十歳の誕生日の……」
「ああ、あの時か。間が何年か空いちゃってるのね」
懐かしそうに物思いに耽りつつ、先ほど唇で弄んでいたイチゴにようやくかじりついた。
楽しげな表情のままイチゴの甘酸っぱさを堪能し……突然椅子を倒して飛び上がる。
気が緩んで左の歯でイチゴを噛んでしまったらしく、涙目になって左頬を押さえて震えている。
目と目が合えば、視線で助けを請うてくるのが親友の絆によって理解できた。
なのでパチュリーは、魔法によって突風を起こす。
「大人しく歯医者に行きなさいッ!!」
「うおあー!?」
ふっ飛ばされたレミリアの先には図書館を守護する分厚い扉。
このままでは激突するというところで、魔法の力によって突然ドアが開き、レミリアは無事外に放り出され、魔法の力によって突然ドアが閉じ、パチュリーの起こした突風の威力も途切れる。
一拍の間を置いて、子供サイズのなにかが床に激突して転がるような音がした。
「はぁっ、はぁっ……」
喘息の発作が起きた訳でもないのに呼吸を荒くしたパチュリーは、動悸の早まった胸へと手をあてがった。
ドクン、ドクン。
なぜ動揺しているのだ、なにが動揺させているのだ。
虫歯、麻酔、吸血鬼……。
記憶の糸を手繰り、手繰り、手繰り寄せ、されど思い出せぬは悪魔の述懐。
虫歯の治療を怖がって暴れていた自分。
そこにやってきた吸血鬼。
一風変わった麻酔方法。
なにもかも記憶に無い。
記憶違いを正すどころが、こっちが忘却していたなんて想定外だ。
からかうための作り話だった? いいや、レミリアは本当に懐かしげにほほ笑みながら、歌うように語っていた。
友情による絆や理解、観察力によって、真実だと判断できてしまう。
ということは、乙女のロマンスの金字塔であるファーストキッスのお相手は、親友になる前のレミリアによってとっくに奪われていた?
医療行為はノーカウント! 人工呼吸と同じでノーカウント!
必死に己に言い聞かせるも、必死にならざる得ない時点で挽回できそうにない。
同性愛者であるつもりは無いが、だからこそだろうか、同性……しかも親友とぺろちゅーしていたと聞かされては、強烈な羞恥を感じてしまうのは当然と言えよう。
これは正常な反応。必要以上にうろたえずともよい。落ち着くのだ、知的でクールな自分を思い出せ。我こそはクールビューティーパチュリー也。
……部屋で休もう。
現実逃避のための倦怠感がドッと押し寄せ、パチュリーは席を立って歩き出した。
テーブルにはまだイチゴの盛り合わせが残っていたが、手をつける気にはなれない。
放っておけば、小悪魔が勝手に片づけるだろう。余り物だからと喜んで食べるかもしれない。
「ふぅ……」
ため息をつき、唇に違和感を覚える。
九十年以上も前の、記憶にも残っていない経験なのに、ぺろちゅーしたと語った少女の唇の感触を想像してしまう。
思い描いた唇のやわらかさを確かめようとしたのか――。
それとも拭い去ろうとしたのか――。
無意識に己の唇を、そっと舐める。
…………。
小悪魔が用意してくれたイチゴの盛り合わせには、結局一口も手をつけていない。
だのに唇からはほのかに、イチゴの味が――。
イチゴのように真っ赤な、小悪魔の驚き顔があった。
本棚の陰に、恥ずかしい過去話を立ち聞きしてしまったがために狼狽している小悪魔の姿があった。
視線はバッチリ、パチュリーの唇へと向けられている。
ペロリと舐めたのを見て、意味深な妄想を繰り広げているらしい。思春期真っ盛りな乙女のように。
カァッとパチュリーの頬がイチゴ色。
カァッとパチュリーの手のひらにイチゴ色。
メラメラと燃えるイチゴ色の火炎。
「た、立ち聞きしゅる気は、なくてですね」
「…………わ……」
「うら若き乙女の衝動ゆえの過ちなんて誰にでもありますよ! わ、私、そういうの差別しないタイプですし、口も堅いので安心して――」
「忘れなさぁぁぁあああい!!」
爆音が図書館を揺るがした。
その震動はきっと、図書館の外に転がっている吸血鬼の虫歯にも届いたであろう。
END
思わず「は?」と問い返したくなったが、取り合えず黙って続きを聞いてみる。
「痛かったり沁みたりしたら、左手を上げてくださいって言うらしいじゃない」
「言うわね」
「上げても止めないってホント? 意味分からん、ねじり殺されたいのかしら」
そんなことを唐突に言われても反応に困る。
優雅な読書タイムを送っていたらふらりとやってきて、対面の席に座るや地下暮らしの魔女に向かって「ハロー、今日はいい天気ね」なんて挨拶をして、おやつのイチゴが盛られた皿を手元に引き寄せてつまむフリーダムな親友。
まだ一口も食べてないイチゴを持ってかれたことを怒ろうかとも思うが、今日はイチゴよりブドウの気分だったので、おとなしく歯医者の話を続けてやろう。
「痛かったり沁みたりしたら、左手を上げてくださいって言うのは――」
紅魔館地下図書館を預かる叡智の魔女パチュリー・ノーレッジの声色は、淡々としたものであった。
「痛かったり沁みたりしたら、治療の手を止めますって意味じゃあないのよ」
紅魔館地下図書館を訪れた紅霧の吸血鬼レミリア・スカーレットの眉根は、苛立ちによってしわが寄っていた。
概ね、事情は察したと言っていいだろう。
さっきからつまんでいるイチゴも、不自然なまでに右側の頬をふくらませて食べている。首もやや右に傾いており、果汁すら左頬にやるまいという注意が見える。
まるで左の歯でイチゴを食べたら不都合があるかのようだが、まだ追求しないでおこう。
右側だけでイチゴを噛み潰したレミリアは、ごくんと飲み込んでから抗議の声を上げる。
「なんでよ。痛いって教えてんだから、そこをイジるのをやめなくっちゃあ道理に合わないわ。痛いところに痛いことをし続けるなんてのは治療じゃなく拷問。でしょう?」
「痛い場所、沁みる場所――つまり悪い場所を正確に確かめるって意味の質問なの。目に見えて分かるほど悪くなる前に治療できるから、手間も負担もかからない。いいこと尽くめね。痛みを堪えるなんてのは私生活や闘争の中では美徳だけど、診察や治療の最中に痛みを訴えないのは馬鹿よ。早期治療の機会を逃して患部が悪化してしまう」
「……道理は通ってるわね」
講釈を聞きながらレミリアは、たまたまテーブルに置いてあった医学書のページをパラパラとめくった。
イチゴに触れてない左手を使うくらいの配慮は自然としてくれている。
相変わらず右側でのみイチゴを噛むレミリアの表情はかんばしくない。
医学書には正しければ役立つ情報は書いてあるはずなのだけれど、望む情報はきっと書かれていない。喩えるなら、運動も食事療法もせずダイエットしたいと渇望しながら、運動や食事療法による効果的なダイエット法の書かれた本を読んでいるようなものだ。
「逆に――」
吸血鬼が黙り込んだので、魔女は講釈の続きを語り出す。
虫歯を治療する際、患部をドリルで削ってから治療するように――話題に突っ込んで掘り下げねば解決への筋道を作れない。
「目に見えて悪い場所をいじってるのに痛みを訴えない場合は、痛覚を喪失するほど悪化していると勘違いされて、大仰な治療をされてしまうわ。普通に治療できる程度の虫歯なのに神経を抜いてしまったり、あるいは歯そのものを抜いてしまったり」
「ハンッ。そりゃなんともマヌケな話ね」
「そうね。だから診察及び治療中は、痛いのを我慢はしても、痛いと言うのを我慢してはいけないわ。レミィったら変なところでプライド高いんだもの……もし、もしもだけど、虫歯になったりしたら、プライドから我慢しちゃうんじゃないかしら」
優しくいたわるように魔女は笑った。
レミリアは息を呑む。医学書の歯のページに視線を落としたまま、親友の顔を確かめることができない。
内心でやれやれと頭を振ったパチュリーは、さらにフォローを積み重ねる。
「ええ、決して痛いのが怖いとか、歯医者さんが怖いとか、そういう理由じゃなく……吸血鬼が虫歯なんて恥を晒す訳にはいかないという、吸血鬼という種を尊重した極めて高度なプライドによる心配りからくる我慢、を、するでしょうね」
「ま、まあね」
なるほど、そういう発想もあるのか。とでも言いたげにレミリアはうなずいた。
まさに天啓。天とはパチュリー。ならば天とは魔女の領土であり、魔の領域であり、悪魔の住処だ。神や天使は天を即刻明け渡すべきである。地上でスイーツを貪って暴食と堕落の罪を犯し、虫歯にでもなってしまえばいいのだ。
トンチンカンな現実逃避に耽り始めた吸血鬼は、幼き容貌によく似合うほがらかな笑みを浮かべつつあった。
ああ、なにを些細なことで悩んでいたのだろう!
こんなくだらない悩みは忘れて、今日も美味しいご飯や甘いスイーツを食べてのハッピーライフ日和!
という具合に脳内お花畑になってそうなので、ここらで引き戻さねば。
ドリルをえぐり込むような強烈さで。
「で、虫歯なのよね?」
端的な追求。
それに対し。
「……吸血鬼という種の名誉のため隠し通したかったのだけれども、ありていに言えばそうと言えなくもなくも然りであるからして、恐らくそう昨日から奥歯がなんというかその甘いものを食べた時に沁みたり沁みなかったりするから、高確率で敵対勢力に歯痛の呪いをかけられていて、中確率で神秘の古代呪文の副作用に身体が蝕まれていて、低確率で虫歯にかかってしまったようなの」
バタンと医学書を閉じて、しかし首ごとそっぽ向いて、決して親友と顔を合わせようとせず、イチゴを指で弄びながら、長々としたセリフを言い切るレミリアであった。
そういった態度を見れば物事の真実なんて一目瞭然なのだが、かといって痛いと喚いているところを、これ以上つつき回すこともないだろう。
虫歯の治療をしている訳ではないのだから。
虫歯の治療は歯医者がすればいいのだから。
慈愛に満ちたパチュリーはやわらかな口調を心がける。
「歯医者に行――」
「ヤ」
一文字で拒否。
さっきはあんなにも長々と遠回しに肯定したっていうのに、拒否するのは一文字なのか。
世の不条理を感じつつも、パチュリー・ノーレッジは親友のため言葉を止める訳にはいかぬのだ。
「でもレミィ、ほっとくともっと悪化しちゃうわよ」
「痛みを感じないレベルまで悪化すれば、楽に治療できるじゃない」
もはや虫歯だと隠そうともせず、滅茶苦茶な解決策を提示してきた。
ここで「それもそうねナイスアイディア!」と肯定してやれば、それが致命的な選択であると理解しつつも妥協してしまいかねない。
正論でズバッと切り捨てるのはたやすいが、それでは反発を生みかねない。
自主的に歯医者に行くよう誘導しよう。
「そう、でも、今すぐ治療して受ける痛みを100とするなら――痛みが無くなるほど悪化するまでに味わう痛みは8000以上よ」
「8000!?」
数字はテキトーである。
計算なんかしてないし、特に根拠がある訳でもない。
でも効果覿面。
「痛みを感じなくなる前に、もっともっと痛くなるんだから当然よ。しかも、虫歯が他の歯にも移るわね。8000以上の痛みが伝播して増殖よ」
「増殖ゥ!?」
数値化された恐怖は効果覿面だったようで、レミリアは蒼白の表情となってようやくこちらを向いてくれた。
可愛い。悪戯心からもうちょっとイジメたくなってしまうも、ここは自重せねば。怖がらせすぎるのもよくない。
ここらで方向性をちょいと変えよう。
「でも、さすがレミィね8000以上+増殖ゥが待っていようとも、吸血鬼の矜持を貫くだなんて」
「え、えっ……? あ、うん、まあ、うん」
目を白黒させながら言葉を詰まらせるその有り様、吸血鬼の矜持なんてすでに木っ端微塵だった。
せっかく用意された退路を断たれ、改めて危機感を抱いてくれたようなので、ここらでサッと助け舟。
「でも私……レミィが痛い目に遭うの、イヤだわ。親友が苦しんでる姿なんて見たくない。レミィだって、私が虫歯をこじらせて8000以上+増殖ゥな目に遭う姿なんて、見たくない……でしょう?」
「お、おう」
ちょいと小首を傾げて瞳を潤ませ、にやけそうな口元に手を当てて隠し、健気な親友っぷりをアピール。
ちょっとわざとらしいかもしれないけど、こんなに可愛ければ些細なこと。
キューティービューティーパチュリーちゃん!
チャーミングチャーム!
これならば、自分自身のためではなく親友のためにという理由を押しつけられる訳だ。
友情を盾に取るようで心苦しいが、それ以上に今のレミリアのうろたえっぷりが面白いのでよし。
眉間にしわなんか寄せて葛藤しているが、このまま押し切らせてもらおう。
「大丈夫よ、今は歯医者も進歩しているわ。麻酔かけてもらえば全然痛くないわよ」
「むう……それ無理」
「歯を削る痛みに比べたら、麻酔の注射くらい些細な痛みでしょ」
「確かに注射は嫌いだけど」
「今は注射の針も細くなってるから、歯茎を爪でつつく程度の痛みしか――」
「あー、そうじゃなくてさ」
嫌がっている、怖がってる、というんじゃなく、困った顔を浮かべて頭を掻くレミリア。
後は押し切るだけで解決と思っていたのに雲行きが怪しい。
なんにしても、くだらない言い訳だったら魔女の叡智の理論武装でサクッと片づけてしまおう。
レミリアは弄んでいたイチゴを口に放り込み、やはり右側のみで咀嚼すると、ニッと口角を上げた。
虫歯は恐らく左奥歯だろうと思われるため、健康的な牙が白金色に輝く。
「吸血鬼の唾液には麻酔効果があるのよ」
だが、悪魔から返ってきた言葉は全容こそ見えないものの、理論武装の気配がした。
まさか、ここにきてあちらが正しい道理を提示するというのか?
ともかく詳細を聞き出さねば。
レミリアの言葉には一応覚えもあるので。
「そういえばそうだったわね。獲物が暴れないよう陶酔効果もある麻酔を注入して――ってことは、虫歯を舐めてりゃ痛くはないんじゃないの?」
自分で言いながら、そんな訳はないとすぐに気づけた。
それができないから虫歯が痛むのだ。
愚問ではあったが、レミリアは律儀に答えてくれた。
「だといいんだけどね。麻酔毒の分泌はコントロールできるんだけど、使う時には自分の口にも入っちゃうでしょ? 口が麻痺して牙が抜けちゃうんじゃあマヌケだから、吸血鬼には麻痺耐性があるのよ」
「……外部から麻酔を注入されるのも?」
「ドラゴンが眠るくらい強力な麻酔なら効果あるかもね」
さすがにそれは、歯医者の治療としては大仰すぎる。
むしろ強すぎる麻酔のせいで身体に悪影響が出そうだ。
なんという誤算。これでは歯医者に行くとしても、麻酔無しで虫歯をガリガリ削らねばならない。
虫歯を放置するという最悪の選択以外に、それを避ける手立てはあるか?
すぐには思いつけそうにない。
それにまだ情報不足である可能性も否めず、しばし、質問をしてみるとしよう。
「でもほら、血で血を洗う闘争を駆け抜けた吸血鬼じゃない。手足がもげたり、聖水を浴びせられたり、銀のナイフで刺されたり、もっと痛い目に遭ってきたけど、耐えてきた訳じゃない。8000以上の苦痛を数え切れないほど乗り越えてきた訳じゃない」
「闘争の痛みと、治療の痛みは違うわ」
闘争――興奮状態だとアドレナリンが分泌されて痛みへの耐性ができるらしい。
または己の命、家族の命、仲間の命を護るためという覚悟が恐怖を跳ね除けるのかもしれない。
が、虫歯ではそうもいかないようで。
決して軽い問題ではないはずなのだけど、真剣に向き合えない不思議な存在なのだ、虫歯って奴は。
「闘争……ねぇ」
突破口、あるいは逃げ道を探さねば。
パチュリーは思案した。親友の虫歯を悪化させぬため、ちゃんと歯医者に行かせるため、どんな説得が有効だろう?
麻酔さえ効果があればきっと、おとなしく歯医者に行ってくれる流れだったのだ。もう一息なのだ。土俵際なのだ。
最後の一押しとなるアイディア――拙いながらもひとつ、思いつく。
「あー、じゃあ、レミィと同サイズの鬼がいたじゃない。あいつと殴り合ってみたら? 衝撃で虫歯くらい抜けるんじゃない?」
「虫歯を殴らせろっての? イヤよ、怖い」
もっともである。
それに鬼の四天王のスーパーパワーともなれば、無事な歯もろともへし折りかねない。
「えー、じゃあ、首を刎ねて、頭に太陽光を浴びせて焼却処分ってどうよ。新しい頭を首から再生して、歯も綺麗に再生っと」
「死ぬわ」
「死ぬの?」
「首を刎ねるって、吸血鬼殺しの伝統的手法のひとつじゃん。そこに太陽光もプラスって無理」
「無理かー」
「無理よー。ただでさえ虫歯で弱ってるところに、二重で吸血鬼殺しされたら死ぬ死ぬ超死ぬ」
もしかしたら虫歯も吸血鬼殺しの手段なのかもしれない。
だってほら、吸血鬼の牙って重要なアイデンティティだし。
牙が虫歯になったら獲物を狩れなくなっちゃうし。
友の名誉……というか吸血鬼という種の名誉のため追及してはいけない。
「むう……吸血鬼の治癒力で、虫歯を直接治療するっていうのは? 治癒力促進ポーションくらいなら用意するわよ」
「無理言いなさんな。それよか、虫歯の塗り薬か飲み薬ってないの? 痛み無しで治る前提で」
「痛み無しの前提無しでも無いわよそんな薬。今は虫歯なんて無いけど、あったら私も欲しいわそんな薬」
「まあ、ねえ。パチェも歯医者が怖くて泣き喚いたりしてたし……」
「は?」
まったく心当たりがなく、思わず聞き返した。
子供じゃあるまいしありえないこと。
念のためにと記憶の糸を手繰ってみたが、吸血鬼と違って麻酔が効くため怖がる要素が存在しない。
他の誰かのエピソードと勘違いしているのだろうか、正しておかねば謂れ無き汚名を着せられてしまう。
「子供の頃から歯医者を怖がったことなんて一度も無いわ。麻酔をかければ痛くないもの」
「んんー?」
眉根を寄せて小首を傾げ、疑問を全身でアピールするレミリア。
どうすれば納得させられるのか。
いや、今は歯医者に行く流れを磐石にするのが専決だ。
記憶違いを正すのは後日でもよい。
取り合えずペースを握り返すため、プライドをつついて判断力を奪うとしよう。
「まったく、吸血鬼って不便なものね。ただでさえ弱点だらけなのに、麻酔も効かないなんて」
「うー……麻痺攻撃も麻痺耐性も、本来長所だし……」
「長所で自滅してちゃ駄目でしょう。虫歯には歯が立たない、か……面倒な長所ね」
「自分のでなきゃ、歯が立たない訳じゃないんだけどねぇ」
「自分の……って?」
思い浮かんだのは目の前の悪魔のその妹だ。
姉妹だけあって当然その子も吸血鬼。
つまり。
「妹の唾液を虫歯に塗る……?」
あまりにも倒錯的すぎるプレイである。
十八歳未満視聴禁止どころじゃあない。
五百歳未満視聴禁止くらいのハイレベルさだ。
……って五百歳ならセーフじゃん!?
「いや、だから麻痺耐性あるって言ってるでしょ? 吸血鬼同士じゃ意味無いわよ」
「な、なんだそっか……まったくもう、驚かさな………………同士じゃ無かったら?」
「あるわよ、効果」
それは例えばだ。
パチュリーが虫歯になった時にだ。
レミリアの唾液を患部に塗ったらだ。
注射という小さな痛みすらなく麻酔をかけられる訳だ。
けれどそれは五百歳未満視聴禁止なハイレベルプレイだ。
パチュリーはまだ百歳なのだ。
そして同性愛者でもないし、仮に同性愛者でもそんなハイレベルプレイはお断りするだろう。
たまらず、頭を抱えて机に突っ伏す。
ガタンと揺れた際、盛られたイチゴがひとつコロリと机に転げ落ちた。
「ちょっ……待って、思い浮かべたくない。唾液を採取するって非現実的光景と、その手段を考えたくない」
「採取? いや、んなことしないし、よくある方法ですむけど」
「そ、そう? どうやるの?」
奇怪かつ破廉恥な妄想が頭をストロベリー色に染め上げようと蠢いていたため、これ幸いと思考の軌道修正をすべく訊ねる。
まあ、唾液を使った麻酔だ。よくある方法とやらも、なんだかんだで妙なものに違いない。
だがこのまま奇怪かつ破廉恥な妄想をしてしまうよりは、ずっとずっとマシなはずだ。
レミリアは先のイチゴを小さな指でそっと拾うと、ついばむようにイチゴに口づけをしてほほ笑む。
「ぺろちゅー」
と、短い回答をするや、イチゴの粒々とした表面をペロリと舐める。
ぺ、ろ、ちゅ、う。
パチュリーにとっては聞き慣れない言葉のため、それがなんであるかすぐには理解できなかった。
が、イチゴをペロリと舐める仕草、ついばむように口づけする仕草が脳裏に蘇り、聡明な魔女の頭脳によって意味を解してしまう。
解してしまうから、ポッと頬がストロベリー色に染まった。
「ぺろちゅーくらいすれば、麻酔としては十分な効果を与えられるわ」
無邪気な子供のようにきゃらきゃらと笑うその姿から、パチュリーは親友ならではの予感を抱く。
からかっているようには見えず、ぺろちゅーで麻酔をかけるという行為は事実存在するのだろう。
存在するとして……そういう方法があると知っているだけなのか?
百聞は一見にしかずと言うように、まさか見たこともあったりするのか?
百見は一触にしかずと言うように、まさか……まさか、まさか……!
「……まさか、ぺろちゅーしたことがあるなんて言わないわよね」
「あるけど」
虫歯をぶん殴られたような衝撃が、偉大なる叡智を秘めし魔女の頭脳を揺さぶる。
五百歳のくせに、まさかそんな、ぺろちゅーを!?
いや、五百歳という数字だけ見ればおかしな話ではない。恋のひとつやふたつして当然だ。
でもでも、だけれども!
妖怪っていうのは精神の生き物。精神年齢は肉体年齢に反映される。
五百歳らしい大人びた面も確かにあるけれども!
お子様に近い精神性を持つレミリア・スカーレットが、ぺろちゅー経験者!? ファーストキッス終了済み!?
いやいや、いいや、落ち着くのだ。
麻酔のためのぺろちゅーなら、それは医療行為と定義されるべきである。
人工呼吸がファーストキッスにカウントされないのと同じ道理である。
よくラブコメ漫画で人工呼吸はキッスではないとか言い訳するシーンがあるじゃないか。
だから、四百歳も年下であったとしても、肉体年齢の上回るパチュリー・ノーレッジは精神的にもお姉さんであり、このちんまいなロリータ吸血鬼に女性的な意味で置いてきぼりをされている訳ではないのだ。
まだ互角……! 乙女の経験値は拮抗状態……!
いやむしろ数多の書を読み、百聞どころか千聞も万聞も積み重ねている己こそ、一歩も二歩も先を進んでいる。はず。
とはいえ、医療行為によるノーカウント理論を採用したとて、気になるものは気になるのだ。
パチュリー・ノーレッジもまた年齢三桁になって日の浅い乙女であるがゆえ……。
「だ……誰にそんなことしたのよ?」
「パチェ」
しかし答えは返ってこず、なぜか呼びかけられた。
誤魔化そうとしているのか?
「……ん? なに?」
「パチェだってば」
不審に思いながら問い返すが、またもや名を呼ばれるのみで、要領を得ない。
見当違いの解釈をするならば、ぺろちゅーの相手がパチュリー・ノーレッジという風にも聞こえる。
そういった勘違いをつぶしがてら詰問しよう。
「だから、私がなによ? そんな言い方じゃまるで、ぺろちゅーの相手が私みたいじゃない」
「そう言ってんじゃん」
「……うん?」
「私、レミリア・スカーレットは、貴方、パチュリー・ノーレッジに、ぺろちゅーして麻酔をかけたことがあります」
「…………ほへ?」
ちょっと、意味が、分からない。
いや、意味は分かるけれども。
抜群の記憶力を駆使しても心当たりはない。
なにせパチュリー・ノーレッジは、歯医者を恐れたことがないのだ。
麻酔だってちゃんと注射で……。
「覚えてない? ほら、九十年くらい前……」
親友が葛藤してるのも構わず、永遠に紅い幼き月は述懐する……。
□□▽□□□□▽□□
□□△□□□□△□■
――正確には九十五年前。
魔法使いの名門ノーレッジ家を訪ねたのは、四百五歳でありながら幼き容貌の吸血鬼だった。
別に特別な間柄ではなかったし、特別な用件があった訳でもない。
ただの商談……紅魔館に相応しいアンティークやマジックアイテムを幾つか買うだけの来訪である。
しかしその日、ノーレッジ邸はちょっとした騒ぎが起きていて、商談どころではなかったのだ。
「お、おお! スカーレットのご令嬢か。すまぬ、今は立て込んでおって……」
「見りゃ分かる。どうしたのよこれ?」
面倒だな……。
レミリアが最初に思ったのは、たったそれだけの安い感情。
邸宅のあちこちを火の球が飛び交い、水流がのたうち、壁から崩れ落ちた石片が浮遊する。それがノーレッジ邸の執事や警備兵に襲いかかっていた。
下手人は、レミリアと同じくらい小さな女の子。
「賊……って雰囲気じゃないみたいだけど」
「娘だ。ちと癇癪を起こして、逃げ回っている……」
「ああ、娘さん。才気あふれるご息女だと聞き及んでおりますわ。名前は確か……パチェちゃんでしたっけ?」
「パチュリーです」
「そうそう、パチュリーちゃん。なんか泣き喚いてるけど、ああいう手合いは力ずくで屈服させた方が早いわよ」
暴力的な妹を思い浮かべながらアドバイスをしたため、妹とパチュリーの姿がわずかに重なって見えた。
まだ五歳のパチュリーは今、エントランスホールに立ち並ぶ大理石の柱の何本かをへし折り、その上に陣取って両手に火の球を抱えている。ますます妹の姿と重なってしまい、つい失笑が漏れる。
同時に興味も湧いた。
「で、どうして暴れてるの?」
「……虫歯が痛いと泣き喚くので……医者を呼んだら……治療が痛いからとますます暴れて……」
ノーレッジ卿は恥ずかしそうに事情を明かした。
虫歯は痛く、その治療もまた痛いという知識はあったが、レミリアには具体的な痛みを想像できなかった。
吸血鬼の強靭な歯は滅多に虫歯にならないため、四百五年の人生ではまだ未体験である。
が、事情は分かった。
「吸血鬼の麻酔毒はご存知? 私なら穏便にお宅のお嬢さんを虫歯治療の場へ連れ出せる」
「よろしいので? 吸血行為以外で牙の毒を使うのは恥と聞き及んでおりますが……」
「早く商談に移りたいしね、最上級の品を用意してくれればそれでいいわ」
そう言って、レミリアはコウモリの翼をバサリと広げる。
執事や警備兵を迎撃していたパチュリーが、こちらの気配に気づき視線を向ける。
ニッと笑って牙を見せ、レミリアは疾駆した。
幼き魔女が投げつける炎の球を掻い潜り、まばたきする間に眼前へ迫って幼き肢体を抱きしめる。
そして、当惑する幼き唇に、自身の幼き唇を押しつけた。
挨拶のキッスは頬や額、手の甲などにするものであって、唇にするのは恋人や夫婦がするものだということは、童話や物語から知識を得ていたパチュリー。故に現状を正しく認識できず、ただ、目の前に見知らぬ少女の顔があり、口腔に何かを流し込まれていることしか分からなかった。
獲物を捕らえるための甘い蜜、悪魔の雫。
痛覚を眠らせ、陶酔へと誘う魔性の毒。
それが、幼きパチュリー・ノーレッジの口腔を満たしていく。舌を甘く絡め取り、虫歯へと染み渡り、泣き喚いて暴れいてた原因すらも忘却させる。
吸血鬼の罠に堕ちていく……。
□□▽□□□□▽□□
□□△□□□□△□■
「……てな具合で、蕩けて動けなくなったパチェを医者に渡して、お父上と有意義な商談をした訳よ。ホントに覚えてない?」
覚えている訳がなかった。
吸血鬼の毒で陶酔していたということは、夢と現実の区別がつかない泥酔状態にも似た状況だったと想像される。
だから、覚えている訳がなかったのだ。
虫歯の治療は麻酔をかければ怖くないという記憶だけを残して……。
「ま、仕方ないか。まだちっちゃかったもんね。あの後、特に挨拶もせず帰っちゃったし……パチェの記憶にある最初の私って、いつの私?」
「……十歳の誕生日の……」
「ああ、あの時か。間が何年か空いちゃってるのね」
懐かしそうに物思いに耽りつつ、先ほど唇で弄んでいたイチゴにようやくかじりついた。
楽しげな表情のままイチゴの甘酸っぱさを堪能し……突然椅子を倒して飛び上がる。
気が緩んで左の歯でイチゴを噛んでしまったらしく、涙目になって左頬を押さえて震えている。
目と目が合えば、視線で助けを請うてくるのが親友の絆によって理解できた。
なのでパチュリーは、魔法によって突風を起こす。
「大人しく歯医者に行きなさいッ!!」
「うおあー!?」
ふっ飛ばされたレミリアの先には図書館を守護する分厚い扉。
このままでは激突するというところで、魔法の力によって突然ドアが開き、レミリアは無事外に放り出され、魔法の力によって突然ドアが閉じ、パチュリーの起こした突風の威力も途切れる。
一拍の間を置いて、子供サイズのなにかが床に激突して転がるような音がした。
「はぁっ、はぁっ……」
喘息の発作が起きた訳でもないのに呼吸を荒くしたパチュリーは、動悸の早まった胸へと手をあてがった。
ドクン、ドクン。
なぜ動揺しているのだ、なにが動揺させているのだ。
虫歯、麻酔、吸血鬼……。
記憶の糸を手繰り、手繰り、手繰り寄せ、されど思い出せぬは悪魔の述懐。
虫歯の治療を怖がって暴れていた自分。
そこにやってきた吸血鬼。
一風変わった麻酔方法。
なにもかも記憶に無い。
記憶違いを正すどころが、こっちが忘却していたなんて想定外だ。
からかうための作り話だった? いいや、レミリアは本当に懐かしげにほほ笑みながら、歌うように語っていた。
友情による絆や理解、観察力によって、真実だと判断できてしまう。
ということは、乙女のロマンスの金字塔であるファーストキッスのお相手は、親友になる前のレミリアによってとっくに奪われていた?
医療行為はノーカウント! 人工呼吸と同じでノーカウント!
必死に己に言い聞かせるも、必死にならざる得ない時点で挽回できそうにない。
同性愛者であるつもりは無いが、だからこそだろうか、同性……しかも親友とぺろちゅーしていたと聞かされては、強烈な羞恥を感じてしまうのは当然と言えよう。
これは正常な反応。必要以上にうろたえずともよい。落ち着くのだ、知的でクールな自分を思い出せ。我こそはクールビューティーパチュリー也。
……部屋で休もう。
現実逃避のための倦怠感がドッと押し寄せ、パチュリーは席を立って歩き出した。
テーブルにはまだイチゴの盛り合わせが残っていたが、手をつける気にはなれない。
放っておけば、小悪魔が勝手に片づけるだろう。余り物だからと喜んで食べるかもしれない。
「ふぅ……」
ため息をつき、唇に違和感を覚える。
九十年以上も前の、記憶にも残っていない経験なのに、ぺろちゅーしたと語った少女の唇の感触を想像してしまう。
思い描いた唇のやわらかさを確かめようとしたのか――。
それとも拭い去ろうとしたのか――。
無意識に己の唇を、そっと舐める。
…………。
小悪魔が用意してくれたイチゴの盛り合わせには、結局一口も手をつけていない。
だのに唇からはほのかに、イチゴの味が――。
イチゴのように真っ赤な、小悪魔の驚き顔があった。
本棚の陰に、恥ずかしい過去話を立ち聞きしてしまったがために狼狽している小悪魔の姿があった。
視線はバッチリ、パチュリーの唇へと向けられている。
ペロリと舐めたのを見て、意味深な妄想を繰り広げているらしい。思春期真っ盛りな乙女のように。
カァッとパチュリーの頬がイチゴ色。
カァッとパチュリーの手のひらにイチゴ色。
メラメラと燃えるイチゴ色の火炎。
「た、立ち聞きしゅる気は、なくてですね」
「…………わ……」
「うら若き乙女の衝動ゆえの過ちなんて誰にでもありますよ! わ、私、そういうの差別しないタイプですし、口も堅いので安心して――」
「忘れなさぁぁぁあああい!!」
爆音が図書館を揺るがした。
その震動はきっと、図書館の外に転がっている吸血鬼の虫歯にも届いたであろう。
END
確かに最後の広告書いた人や薬師に比べりゃ全然子供だな
虫歯はいくつになっても恐ろしいもんです
べろちゅー良いですね、素敵です
それにしても吸血鬼の歯さえ溶かすミュータンス菌コワイ!