暗雲立ち込める博麗神社。
博麗の巫女と向かい合うのは、悪魔の館に住まう唯一の人間。
唇を真一文字に結んだ咲夜の表情は真剣そのもので、背筋を伸ばし正座している。
彼女の前に置かれた湯飲みはいつしか存在を忘れられ、
半分ほど残されたお茶はすでに冷え切っていた。
一方、霊夢の湯飲みは湯気を立てている。
急須から注いだばかりのそれをは音を立ててすすった霊夢は、
湯飲みを持ったまま重苦しい口調で言う。
「……つまり……ふたつにひとつ、どちらになるかは本人次第よ」
咲夜は目を伏せて今の言葉の意味を受け取り、すでに得た情報と合わせ、抱いた疑問を口にする。
「具体的には、どうなるというの? いったい何が起こるというの?」
そこで一拍置き、語調を強くして続けた。
「神に……あるいは、悪魔になったとしたら、その身に何が!?」
ごうごうと吹く風が神社を揺らし、不吉な気配を運び込む。
戸が揺れる音が悪魔の足音にさえ聞こえた。
「所詮は私も聞いた話にすぎない、けれど……こう伝えられてるらしいわ。
神となれば、宗教画やギリシア彫刻のような完成された永遠を手にできるとか。
そして……悪魔になれば……」
ごうごうと吹く風で戸が揺れる。ガタガタ、ゴトゴト、ドンドンと揺れる。
それはまるで悪魔が戸を叩いているかのようだった。
かなりうるさいが、構わず咲夜は続きを催促する。
「悪魔になれば……!?」
ごうごうと吹く風で戸が揺れる。ドンドン、ドンドン、ドンドンと揺れる。
それはまるで悪魔が戸を叩いているかのようだった。
「おーい、留守か? それとも居留守かー?」
訂正。普通に誰かが戸を叩いていただけだった。
「うるさいなぁ、誰よ」
面倒くさそうに霊夢は立ち上がり、戸の方へ向かう。
来客に対する当然の反応だったが、咲夜は慌てた。
「ま、待ちなさい霊夢。まだ『神にも悪魔にもなれるブラ』の話が終わってないわ。
私を生殺しにする気ッ!?」
「実はここまでしか話は覚えてないのよ。霖之助さんなら知ってるかもしれないけど、
"誰も知らない知られちゃいけない"をモットーに個人情報は秘匿してるし。
案外、小悪魔あたりが悪魔のブラの持ち主なんじゃないの?」
「確かに小悪魔は着やせするタイプで、初めて浴場で鉢合わせた時は驚いたけれど、
何の変哲もないただのシルクのブラだったわよ」
「ふーん。最終的なオチを話すと、酔っ払った魔理沙から話半分に聞いた事を話してただけだから、
私はこれ以上ろくに覚えてないし、魔理沙のデタラメって可能性が一番高いのよ」
酔っ払った魔理沙のデタラメ話。
そーなのかー、と心の中で呟いて、咲夜さんはちゃぶ台の上に突っ伏した。
戸を叩く音は、まだ続いている。
「おーい霊夢、居留守なら返事しろー」
「居留守じゃないなら返事をしない方がいいのかしら」
なんて言いながら、霊夢は客が何者なのか確かめに行った。
◆◇◆
「あれ、何で咲夜がここにいるんだ?」
「週末にある宴会の打ち合わせよ……もう終わったけれど」
うなだれた様子の咲夜を妙に思いながら、新たな来客蓬莱人藤原妹紅は、
座布団の上であぐらをかいて、かたわらに大きな風呂敷を置き、ちゃぶ台には小包を置いた。
「峠の茶屋で団子買ってきたんだ、一緒にどう?」
「どうも」
「にしても、宴会かぁ、私も参加していい?」
「どうぞ、今回のメインは永遠亭メンバーだけどそれでもいいのなら」
「じゃあいいや」
完全に興味を失したのか、妹紅は包みを解いて団子を取り出した。
くしに刺された赤、白、緑の三色団子である。
そこに、霊夢が新たな湯飲みと、お茶を淹れ直した急須をお盆に載せて持ってくる。
「で、何しにきたの?」
どうやら霊夢もまだ妹紅が来客した理由を聞いていないらしい。
だが意気消沈している咲夜は、どんな用件だろうと紅魔館には関係ないだろうからという理由もあり、
妹紅がいったい何をしにきたのかまったく興味を持てずにいた。
「泊めてくれ」
霊夢に頭を下げて頼み込む妹紅を見ても、咲夜はどうでもいいとばかりに団子に手を伸ばした。
少しずつ咲夜の精神ダメージは癒えているようだ。
「これまた急ね、何かあったの?」
妹紅の分のお茶を注ぎ終えた霊夢も、団子へと手を伸ばそうとした。
宴会の打ち合わせのあと、茶請けなしで咲夜と下着談義をしていたので小腹が空いているのだ。
ちなみに鈴仙も参加していたのだが、永遠亭の仕事があってとっくに帰っている。
妹紅はそれを存じ上げていなかったが、これから話す事情を聞かれずにすむのは幸運だった。
「実は、かくかく――」
◆◇◆
「よおし、今日のお昼はカレーライスだ! 妹紅カレー激辛スペシャルに改良を加えて、
食べたら火を吐くくらい辛い奴を作ってやるぞ!」
最近妹紅はカレーライスにはまっていた。
竹林の道案内で稼いだお金でお米と香辛料を買い集め、慧音や寺子屋の子供達にご馳走したりもした。
霊夢と咲夜も、妹紅の新作カレーライスの味見を頼まれた事がある。
そしてついにその日、妹紅は改心の出来の激辛カレーを完成させ、さっそく味見をしてみた。
火を吐くくらい辛かった。
本当に火を吐いた。
カレーの辛さが本当にそこまでの威力を持っていたのか、
それともカレーの辛さに驚いた妹紅が炎の力を暴発させてしまっただけなのか、それは解らない。
ともかく、こうして妹紅の家の台所は炎上した。
あまりの辛さにしばし混乱状態に陥っていた妹紅は対処に遅れ、
火事により家の約半分が焼けてしまい、とても住めるような状態ではなくなったのだ。
修理は、以前竹林の案内をした客の中に大工さんがいたので格安で頼む事ができた。
しかしこのおかげで財布も貯金もスッカラカンになった妹紅は、
家が直るまでの間、宿に泊まる事もできぬ身の上となってしまった。
慧音は「家が直るまで、私の家に来るといい」と言ってくれたが、
普段から世話になっているのにさらに迷惑をかけるなんてしたくなかった。
なので適当に友人知人の家を泊まり歩きながら、その家の手伝いをしたり、
適当な仕事をしながら暮らそうと思い立ったのだ。
そして栄えある第一号に選ばれたのが、博麗神社の博麗霊夢である。
しかし不躾に頼むのもどうかと思い、わずかに残っていた金銭をはたいて土産の団子を買ってきたのだ。
◆◇◆
「――しかじか、という訳なんだ」
かくかくしかじか――何と便利な言葉であろう。
この一言でどんなに長ったらしい説明も一瞬で終わってしまうのだから。
事情を聞き終えた咲夜は、団子を食べる手が止まっていた。
まさか、そんな事情で買ってきた団子だとは思わなかった。
団子を食べてしまった以上、泊めてやらねば鬼畜にも劣る外道の烙印を押されてしまいかねない。
けれど博麗神社に来た以上、メインターゲットは霊夢のはず。
だがしかし、よくよく見れば霊夢はまだ団子を一口も食べていなかった。
これは巫女の直観力と防衛本能の成せる業か?
「で、家はいつ直るの?」
「一週間でいいんだけど」
「じゃあ駄目だわ」
と、霊夢は団子を置いて言い切った。
「何でだ? 宴会に参加する気はないけど、準備くらいなら手伝ってもいいよ」
「明日から鈴仙や永遠亭のうさぎも泊り込みで準備を手伝うんだけど、いいの?」
1.鈴仙達も泊まる。
2.なぜ妹紅が泊まっているのかバレる。
3.永遠亭に帰った鈴仙達が輝夜に報告する。
4.輝夜に馬鹿笑いされるに決まってる。
5.輝夜ぶっ殺すッ!!
「うおお! あの野郎ォ、輝夜死ねぇっ!!」
「そこの蓬莱人、それ以上お茶を蒸発させると100万回リザレクションさせるわよ」
妹紅の握る湯飲みからジュージュー音を立てて水蒸気が昇っていた。
お茶を愛する霊夢としては、そろそろ弾幕を飛ばしてきてもおかしくない。
殺気を感じ取った妹紅は、大きく息を吐き、湯飲みをちゃぶ台に置いた。
「むううっ……それじゃあ、どうしようか……チラリ」
上目遣いを咲夜に向ける妹紅。
「まあ、うち以外を当たってみる事ね……チラリ」
横目を咲夜に向ける霊夢。
元より団子を食べてしまった咲夜に退路はない。
「……はぁっ、解ったわ。紅魔館に泊められるかどうか、お嬢様に訊いてみる」
「おお、いいのか咲夜」
「私に決定権はないから、駄目だったとしても恨まないでね」
「いいよいいよ、頼んでくれるだけで大助かりだよ」
こうして妹紅と咲夜が友情を深めている間、
やっかい事に巻き込まれる心配のなくなった霊夢は、
妹紅がなけなしの金で買ってきた団子に遠慮なく手を伸ばすのだった。
◆◇◆
「一週間働いてくれるなら別に構わないわ」
紅魔館の雅な調度品に彩られた一室にて、レミリアの了承を得られた妹紅。
あまりに呆気ない展開で、逆に戸惑ってしまう。
「いいのか? こんなすんなり……」
「いいわよ、働いてもらうから」
「うっ……そ、そうか。なるほど了解した」
妹紅は悟った。悟ってしまった。
確かに物事には代価というものが必要だ。
そして紅魔館で払うべき代価はふたつしか思い浮かばない。
しかしそのうちのひとつ、吸血鬼のための血液は、すでに供給を得ているはずだ。
それに初めて会った時、咲夜は死なない妹紅を見て「血を吸い放題」と言ったが、
レミリアは妹紅がすでに吸血鬼を恐れる『人間』ではないという理由で拒否していた。
すなわち。
「少々恥ずかしいけど仕方ない。
藤原妹紅、今日から一週間メイド服を着させていただく!」
バーニングメイド☆妹紅ちゃん
紅魔館の新人メイド妹紅ちゃん! フリフリメイド服で今日もお仕事がんばるゾ!
イジワルなメイド長の嫌がらせにも負けず、健気にがんばる姿は野に咲く花のよう。
きゃー! お嬢様の花瓶を割っちゃったぁ、どぉしよう……。
厳しいお嬢様からオシオキが……嗚呼、堪忍! 後生ですから堪忍……!
散る花一輪、その名を妹紅。吸血鬼の毒牙にかかった少女の行く末や如何に。
「なぁーんて展開も、甘んじて受け入れよう!」
意外と妄想たくましい妹紅さん、頭の中はすっかり桃色カオスで意外とノリノリ。
メイド服という女性らしい服装への憧れなのか、すでに着る気満々だ。
しかし幸運にも以心伝心ではなかったレミリアは眉をしかめる程度の反応をするのみで、
すぐ気を取り直しちゃんとした仕事を言い渡した。
「じゃ、一週間門番してなさい」
「え」
一瞬、意味が解らなかった。
紅魔館には紅美鈴という門番がいるはずだ。
あれ? でもそういえば紅魔館に入る時、門を護っている者の姿はあっただろうか。
いや、いなかった。
「あの門番はどうしたのさ」
「美鈴は……」
レミリアに代わり咲夜が説明しようとしたその時、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「お嬢様!」
入ってきたのは、まさしく噂の門番紅美鈴。
いつもと違うのは松葉杖をついている事くらいか。
「雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も、雹が降ろうと矢が降ろうともグングニルが降ろうとも、
病魔に冒され熱が40℃あろうとも、両手両足の骨が折れようとも、
紅魔館を守護する勤めと決意は揺るぎなし! それが門番の矜持、紅美鈴の忠義ッ!」
猛々しい叫びは裂ぱくの気合となって空気を切り裂き、妹紅の背筋を冷たい電流が駆け抜けた。
同様に咲夜もわずかに身をすくませたが、さすがは紅魔館の主レミリアは余裕の笑みで受け流す。
「あなたの忠義は嬉しいのだけど、私に対しよくも傲慢を吼えたわね」
そう言ってレミリアは軽く手を払った。瞬間、無数の光弾が美鈴に向けて発射される。
慌てて回避行動をとる美鈴。避けられた弾は廊下に出ると同時に霞の如く消え去った。
「キャン!」
そして、一発の光弾が美鈴の左足をかすめ、彼女に膝をつかせる。
「その程度の弾幕も避け切れないようで紅魔館を護るとは何という傲慢。
あなたの役目は紅魔館の門を守護する事。そのためならあえて恥をかくのも忠義でしょう」
「イタタ……も、申し訳ありません……」
「とはいえ部外者に門を任せるのも問題。美鈴、あなたはこの蓬莱人を監督しなさい」
「……かしこまりました」
「と、いう訳だ藤原妹紅。美鈴の下で一週間、門番をやり遂げてみなさい」
まだ美鈴の気迫の余波で、ややぼんやりとしていた妹紅は慌ててレミリアの方に振り向く。
「あ、ああ……解った、任せてくれ」
言葉とは裏腹に妹紅は不安を感じていた。
正直、門番など侮っていた。
だが紅美鈴が見せた気迫は一流の闘士が持つもので、それが松葉杖を必要とする負傷をしている。
この平和な幻想郷で、それほど激しい戦いが繰り広げられているというのか。
そんな物騒な住人は、異変という例外を除けば輝夜と殺し合いをする自分くらいだと思っていた。
果たして妹紅は門番をやり遂げられるのだろうか。
◆◇◆
門番1日目。
仰々しい門のかたわらに、門番用の詰め所があった。
といっても最低限の設備しかない。
小さなキッチン、小さなトイレ、小さなテーブル、小さなベッド。
とても二人で寝食をともにできる広さではない。
美鈴は詰め所から椅子を取ってきて、門の前に置きそこに座り、松葉杖を肘掛に立てかける。
「私はここに座ってますから、妹紅は門の前に立っていてください」
「ああ……でも、あんたは詰め所の中にいたらどうだ? その足じゃつらいだろ」
「私は両手両足が折れても門の前に立ち続けるくらいの気概は持ってますから大丈夫です」
「そうか……」
「そう、門番とは必要とあらば一週間あるいは一ヶ月間不眠不休で見張り続ける事も……。
それにしてもいい天気ですねぇ、小鳥もさえずって、ふわぁ……ぐぅ、ぐぅ」
「って寝るのかよッ!?」
門番としてどういう事をすればいいか、一切説明なく美鈴は居眠りを始めてしまった。
どうしたものかと妹紅は頭を抱えたが、とりあえず言われた通りに門の前に立つ。
(怪しい奴が来たら、弾幕勝負で追い返せばいいんだよな?
何をやるかという問題はシンプルだ。
だがあの門番に負傷させるほどの強敵が襲ってくる可能性もある。油断は禁物か)
両の頬をパシパシと叩いて気合を入れた妹紅は、空に向かって握り拳を掲げた。
「よぉし。来るなら来い、襲撃者!」
「マスタースパァァァァァァク!!」
「ぎゃー」
空が光った。そして聞き覚えのある声をかき消しながら、閃光が妹紅を呑み込む。
光が晴れると、煙をプスプスと上げながら妹紅はその場に倒れ込んだ。
そんな彼女の前に降り立つ白黒衣装。
「よし、正義は勝つ! ……って、あれ? 誰?」
「リザレクショォォォン!」
「なんだ、妹紅じゃないか」
「そういうお前は霧雨魔理沙ッ!? いきなりマスパとはどういう了見だ!」
毎度お馴染み霧雨魔理沙は、すぐに門の側で居眠りしている美鈴と、松葉杖を発見した。
ぎょっと目を丸くした魔理沙は、美鈴の足に視線をやる。
衣服やズボンで隠れているものの、隙間からわずかに包帯が見て取れた。
「なぁ、美鈴の奴どうしたんだ?」
脅威の不死身性で完全回復した妹紅は、憮然とした表情でそっぽを向く。
「さぁね。私も訊こうと思ったんだけど、いきなり眠っちゃったからな」
「それで、どうして妹紅がここにいるんだ。美鈴と勘違いして開幕マスパしちまったじゃないか」
「お前はいつも美鈴に開幕マスパなんかしてるのか」
「マスパ以外もやるぜ。早く決着がついた方が時間に余裕ができるしな」
「で、何しに来たんだお前は」
「本を借りに」
「じゃあマスパする必要ないだろ」
「ん? いや、あるけど……何だ、入っていいのか?」
「本を借りに来ただけだろう? お前なら別に入ってもいいんじゃないか?」
「そうか、事情はよく解らんが入れてもらえるなら入れてもらボブッ!?」
唐突に、ひとつの気弾が魔理沙の顔面で弾けた。
ハッと振り向けば、居眠りしていたはずの美鈴が目を覚まして手のひらを向けている。
マスタースパークの轟音でも眠りこけていたはずだが、いつ起きたのだろう。
「魔理沙が何かを"借り"に来た時は全力で阻止するのが門番の務めです。ちゃんとやってください」
「あ、ああ……? でも魔理沙だろ、友達じゃないのか?」
「霊夢同伴の時や、行儀よく遊びに来たりした時はいいんです。
ただ何かを借りに来たときは必ず強行突破しようとしますので簡単に区別できますよ。
紅魔館には魔理沙に貸していい物は何一つありませんから」
「なんかケチくさいなぁ……」
まさか魔理沙が借りた物を一生返さない主義の持ち主だとは、
交友関係の深さが足りない妹紅が知る由もなかった。
とはいえ今の美鈴は妹紅の監督役、上司である。
文句や疑問があろうとも、言われた事は実行しなければならない。
「まあいいや。魔理沙の奴をコテンパンにすればいいんだな?」
意識を切り替えて向き直ると、魔理沙は鼻血を垂らしながらよろよろと立ち上がっていた。
気弾のふいうちはかなりの効果を上げたらしい。
鼻血は呼吸を妨げるため、弾幕勝負に限らず戦いでは非常に重いハンデとなる。
が、そんなもん知ったこっちゃないぜとばかりに魔理沙は鼻血を拭ってニヤリと笑った。
「お、やる気か? お前とは肝試し以来だな。また私の勝ちだな」
「人形遣いの友達なしで、果たして私に勝てるかな」
「相手が誰であろうと紅魔館の門番をやってる以上、私が負けるはずないんだぜ」
二人がやる気になるのを確かめて、美鈴は再びうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
妹紅が勝つと信じているのか、妹紅が負けたらすぐに起きる自信があるのか、
あるいはすべての責任を妹紅に押しつけこのあとどうなろうと知ったこっちゃないのか。
それは妹紅が負けてみなければ解らないが、ともかく二人の勝負が始まった。
「先手必勝! 恋符『マスタースパーク』!!」
「なんの! 時効『月のいはかさの呪い』!」
「さらに行くぜ! 恋符『マスタースパーク』!!」
「ならばこちらも! 不死『火の鳥 ―鳳翼天翔―』だー!」
「まだまだ行くぜ! 恋符『マスタースパーク』!!」
「でーい鬱陶しい! 藤原『滅罪寺院傷』でくたばれ!」
「もいっちょ行くぜ! マスタースパーク!!」
「ならば徐福時……」
「さらにドンとマスタースパーク!」
「虚人『ウー』で対抗……」
「うりゃうりゃうりゃー! マスタースパーク!」
「うおお、フェニックスの尾ォォオ!」
「とことんマスタースパークだぁぁぁ!!」
「フジヤマヴォルケイノー!」
「果てしなくマスタースパークだぁぁぁ!!」
「パゼストバイフェニック……」
「マスパァァァッ!!」
「蓬莱人形!」
「マスパだー!!」
「インペリシャブルシューティングゥゥゥッ!」
「懲りずに何度でもスターダストレヴァリエー!」
馬鹿のひとつ覚えの如き怒涛のマスタースパーク連発の最中、突然のスターダストレヴァリエ。
マスタースパークを回避するつもりで戦っていた妹紅は完全に虚を突かれ、直撃を受けてしまった。
「負けたぁ〜……」
バタンと仰向けに倒れてしまった妹紅の横を、スキップで通り抜ける霧雨魔理沙。
「さぁて、今日は何の本を借りて行こうかなー」
こうして門番初日から魔理沙の侵入を許してしまった妹紅。
ああ、門番補正でもあるのだろうか。強烈なマイナス補正が。
ちなみに美鈴は寝こけたままだった。
日が暮れる時刻。小悪魔が運んできた夕飯は質素なものだった。
「なあ美鈴、これは何だ」
「夕飯です」
「なあ小悪魔、これは何だ」
「夕飯です」
「おかしいな。私には食後のデザートのプリンしか見えない」
「夕飯です。今日は魔理沙さんがいっぱい本を借りていったので」
淡々とした口調の小悪魔だが、眼差しには同情の色合いが浮かんでいた。
よく見れば小悪魔の服も、まるで弾幕勝負に負けたあとのように汚れている。
魔理沙は本を借りに来た、という事は小悪魔とパチュリーも弾幕勝負でしてやられたのだろう。
なのに小悪魔は、門を護り切れなかった美鈴と妹紅を責めるではなく、
同じ被害者としての共感を抱いてくれている。
それは嬉しい。
だが。
「人間プリンだけじゃ生きていけないと思うんだ。いや、私は不死だけどさ」
「最低限の栄養は入ってるから大丈夫、って咲夜さんが言ってた」
「美鈴も怪我してるんだし、もっと栄養のあるものをだな」
気遣い半分、下心半分で言った妹紅だが、美鈴は素知らぬ顔でプリンを食べていた。
抗議の目線を送ると、美鈴は自嘲して答えた。
「慣れてますから、あなたも慣れてください」
慣れたくない。
絶対に慣れたくないと妹紅は思った。
プリンを食べ終えた妹紅は、湖にいるだろう魚でも捕まえて焼こうかと提案したが、
そんな理由で門の前を離れるなど言語道断だと美鈴に叱られてしまった。
夜は毛布を借りて詰め所の床で寝た。
泊まる場所を間違えたとひしひし感じる寒い夜だった。
そういえば夜は誰が門を護っているんだろうと考えた妹紅だが、
すぐ眠ってしまったためそれを確かめる事はなかった。
◆◇◆
門番2日目。
「霧雨魔理沙が1日に本を借りに来る確率は、先週だと200%でした」
「美鈴先生。普通は100%がMAXじゃないんですか?」
「1日1回、週に7回で100%とすると、1日2回を7日繰り返せば200%になります。
ちなみに先週は日曜日に3回、月曜日に2回、火曜日に1回、
木曜日に2回、金曜日に1回、土曜日に5回でした」
「そーなのかー」
「ちなみに最高記録は週に37回です。うち、5回の防衛に成功しています。
うち、1回は私が、1回はパチュリー様が、2回は咲夜さんが。
最後の1回はお嬢様が偶然魔理沙と遭遇したための幸運でした」
「美鈴先生。どうしてそうまでして魔理沙に物を貸したくないんですか?」
「彼女は一生借りる癖の持ち主です。ついでに蒐集癖に従いいくらでも借りていきます」
「そーなのかー」
「他に質問は?」
「あー、美鈴の足の怪我はどうして? 魔理沙が……って感じじゃなかったし」
「黙秘します。はい、じゃあ門の前に立って、ネズミ一匹入れないようしっかりお願いします。ぐぅ」
「やっぱり寝るのか」
絶好調居眠り中の美鈴のかたわらで、妹紅はぼんやりと青空を眺めながら今日の朝食を思い出す。
夜に侵入者が現れなかったのか、それとも朝は防衛率と関係ないのか、普通の朝食だった。
朝はご飯派の妹紅だが、トーストもなかなかイケるものだと感心した。
そこで妹紅は小さな目標を立てる。昼まで、昼食までは何としても門を死守する。
夕飯がプリンになるのもひもじいが、もし午前中に侵入者を通せば、昼食がどうなる事か。
「頼む魔理沙。今週は私のために来ないでくれ」
言い終わると同時に、上空から風のように舞い降りて、妹紅の眼前に着地する人影。
「こんにちは、清く正しい射命丸です」
「……そうきたか」
射命丸文の『文々。新聞』の悪評は、さすがの妹紅も聞いていた。
慧音が取材にあって散々な目に遭ったと愚痴を漏らしていた事もあったし、
妹紅も取材を受けなぜか弾幕の写真を撮られていったりもした。
さてここで問題なのは、どうこの場を誤魔化すか。
家を半焼させた事実を輝夜に知られる訳にはいかない、なんとしても誤魔化さねば。
「で、妹紅さんは紅魔館の前で何をなさっているんですか? 何か用事でも?」
さっそくペンとメモ帳を取り出す文。
どう答えたものかと妹紅は頭を悩ませた。
「あー……その、なんだ。美鈴が怪我をしたから、門番のアルバイトをしてるんだよ」
「ほほう、そうなんですか」
「うん、そう。竹林の案内よりギャラがよくってね」
「でも商売は信用第一ですからねぇ、竹林の案内を休んでしまうと固定客を逃しますよ?」
「ちょ、ちょっと入用でさ。短期間で稼げるだけ稼ぎたいんだ」
「おお、蓬莱人はいったい何に大金をつぎ込むのか? これは記事になりますよ!」
「プライベートな買い物なんだ、ほっといてくれ」
「いえいえ、記者は真実を報道する義務がありますから」
頼むから真実は報道しないでくれと妹紅は願った。
「で、いったい何を買おうとしていらっしゃるんですか?」
「ブラジャーよ」
返事は、門の内側からした。
振り向けば、門が開きメイド服の咲夜が現れる。
彼女はまず居眠中の美鈴をいちべつすると、次に文へと視線を移した。
「あやや、咲夜さんこんにちは。妹紅さんはブラジャーを欲しがっているんですか?」
「そうよ。バイトの面接の時に、動機として話してくれたわ」
「ちょ、咲夜、何を……」
面接なんてしてないし、そんな動機も持ってないし、誤魔化してくれるにしても他にあるだろう。
だが咲夜は構わず話を続ける。
「丁度うちの門番が怪我をして、信用できるバイトを探していたのだけど、
霊夢に相談に行ったらタイミングよく妹紅が来て利害が一致したという訳よ」
「ははぁ、なるほどなるほど。でもブラジャーなんてそう高い買い物でもありませんよね?」
「それがね……『神にも悪魔にもなれるブラ』という一風変わった品なのよ」
「何と! 『神にも悪魔にもなれるブラ』ですか!?」
そんなブラ知らない。
さらに言えば知っていても買いたいなんて思わない。
「実を言うとそのブラの情報が少なくて"妹紅が"困ってるんだけど、
情報通の文なら何か知っているんじゃないかしら?」
誰が困っているんだ、と妹紅は怒りの鉄拳を握りしめた。
でも振り下ろす事はできない。
「むむむっ、さすがの私も存じません」
「そう……」
「ですが実に興味深い名前のブラジャーです、取材する価値はありますね……。
よぉし、ここは"妹紅さん"のためにも『神にも悪魔にもなれるブラ』を取材してみましょう!」
「まあどうもご親切に。よかったら話の種に、私にも取材結果を聞かせてもらえないかしら」
「お任せください! 清く正しい射命丸、いざ取材へ飛び立たんッ!」
幻想郷最速の名に相応しい速度で文は空の彼方に消え去った。
それを見送ったあと、妹紅は咲夜の襟に掴みかかる。
「おい……誰がブラなんかのためにバイトしてるって?」
「せっかく誤魔化して上げたのに、そんな言い方はないんじゃない?」
「しかも『神にも悪魔にもなれるブラ』ってなんだよ。本当は自分が知りたいんだろ」
「まさか。あれは魔理沙の言っていた冗談よ……万が一という事もあるけれど」
「その万が一に賭けてる匂いがプンプンするんだが」
「さて、私は買い物に行きますわご機嫌よう」
言い終わると同時に咲夜の姿は忽然と消えた。
時間を止めて逃げたらしい。
妹紅は『蓬莱人藤原妹紅のお目当てはブラジャー!』という記事を幻視した。
涙が出た。
昼になると、小悪魔が昼食を持ってきてくれた。
どうやら咲夜は時を止めて帰宅したらしい。妹紅と顔を合わせるのを避けたようだ。
悪いとは思っているらしく、昼食はちょっと豪華だった。
豪華なのに嬉しくないという悲しさに妹紅はまたもや泣きそうになる。
事情を知らずのん気にご馳走を頬張る美鈴が妬ましかった。
「やっぱり泊まるべき家を間違えた気がする……」
一日中、門の前で立ちっぱなしの妹紅。
泊めさせてもらえるなら家事の手伝いなどをしようと考えていたけれど、
門番の仕事はとてつもなく暇で、しかしいざという時はきつい弾幕勝負が待っている。
どうか魔理沙が来ませんように、と祈ろうとして、妹紅はやめた。
祈ったら文が来た。
また祈ったら、今度こそ魔理沙か、あるいは別のやっかい者がやってくるに違いない。
祈ってはならぬ。そう、門番の仕事は祈る事すら許されない。
祈っては――。
「よう! 魔理沙さんが今日も本を借りにやってき――」
「フジヤマヴォルケイノォォォオッ!!」
視界に入った白黒目がけて即座に炎の洗礼を浴びせる妹紅。
やったぞ、今日の晩ご飯はハンバーグだ!
「しかし夜は床で毛布……グスン」
◆◇◆
門番3日目。
今日も朝食は普通。
そして気づく、美鈴も居眠りしてる事だし妹紅も立ちっぱなしである必要はない。
そもそも幻想郷にはスペルカードルールがあるのだから、ふいうちなどほぼありえないのだ。
ほぼ、なのは初日の魔理沙の奇襲もあったが、あれは何度も美鈴を突破し続けた結果の、
お互い了承済みな戦闘時間短縮のためのものらしいので、別に構わないらしい。
今は妹紅が門番を務めているため、魔理沙もそういった真似はしないだろう。安心安心。
それでもルールを無視して襲ってくるような輩がいたら、博麗の巫女に成敗してもらうだけだ。
とはいえそういう輩が来た時に、門を通してしまっては門番の役目を果たした事にならない。
「でもそんな奇特な妖怪や人間、もはや絶滅危惧種ですよ。絶滅してくれていいですけど」
と、三人分の昼食――今回はサンドイッチ――を持ってきた小悪魔が言う。
妹紅と一緒に詰め所に入って、小さなテーブルを二人で囲んだ。
美鈴は外で居眠り続行中なので、美鈴の分を残して二人は食事と雑談を開始する。
「いやー、紅魔館の飯はうまいな。やっぱり全部咲夜が作ってるのか?」
「ええ。メイド妖精以外の食事は、基本的に咲夜さんがお作りになっています。
たまに私も、自分やパチュリー様の分を作ったり。あと合作も」
「パンばかりって生活もたまにはいいもんだ。このハムサンドなんて、うむ、絶品ッ」
「ちなみに美鈴さんが中華料理を振舞ってくれる事もあります。
見かけ通り中華は得意で、しかも中華以外も一通り作れるそうで……隠れた才能ですね。
でも結局は咲夜さんの方が中華料理も上手に作れるという……」
「咲夜がいるから腕を振るう機会に恵まれないって感じか。
咲夜が来る前は、美鈴が門番兼料理長とかやってたんじゃないか?」
「あはは〜、どうでしょうねぇ」
「ところで美鈴だけど、いつもあんなに眠ってるのか? 門番の仕事してるのか?」
「んー、確かによく居眠りをしますけど、今は……ん……妹紅さんがいますから」
「それと気になってたんだけど、美鈴は足をいったいどうしたんだ? 階段から落ちたとか?」
「できれば内密にしたいんですけど、妹紅さんになら話してもいいかもしれませんね」
食後の一服に入ったため、詳しい話をするには丁度いいというその時、
詰め所の外から何者かの声が聞こえた。誰だろう。
二人は正体を確かめに詰め所を出る。
すると、絶好調居眠り中の美鈴のほっぺをつまんでグニグニとこねくりまわす魔理沙の姿があった。
「めーりん、めーりん、目ー覚ませー」
「よぉ魔理沙、懲りずに今日も本を借りにきたのか」
「おっ、妹紅……に、小悪魔か。丁度いいや、門を開けてくれ」
「ん? 今日はやらないのか?」
「今日はパチュリーのお見舞いだ。やっぱり寝込んでる時に本を借りていくのも気が引けるからな」
「寝込んでる?」
思わぬ言葉に妹紅は眉をひそめ、小悪魔はぷぅと頬をふくらませた。
「もうっ、だったらもっと早くそうしてください。
パチュリー様がお休みしているのをいい事に、私が護る大図書館を荒らし放題しておいて……」
「悪かったって小悪魔。ほら、お見舞いのリンゴとバナナだ。リンゴはうさぎさんカットで頼むぜ」
「自分で切ってくださいよ」
呆れた調子で、小悪魔は紅魔館の門を開けた。
魔理沙を通しながら、妹紅に軽く頭を下げ「続きは美鈴さんにでも」と言って、
自身も紅魔館の中へ消えていった。
目を覚ました美鈴は、膝の上にサンドイッチを置いて食べながら話す。
「5日前の日曜日からパチュリー様の喘息が悪化してね、
それでも魔理沙は本を借りにくるんだから困ったものよ。
借りる時は門番をふっ飛ばしてから……というポリシーを持っているとかいないとか」
「なるほどねぇ。パチュリーの事も気になるけど、それより美鈴の足はいったいどうしたんだ。
何だか毎回はぐらされてる気がする。小悪魔は話そうとしてくれたけど」
「ううっ、お恥ずかしい話、ドリフ級の見事な階段落ちで……骨にヒビが入ってしまって。
まあこれでも妖怪のはしくれですから、妹紅が手伝ってくれてる間にだいたい直ると思います」
嘘くさいなぁ、と思いながら美鈴の松葉杖に目をやる妹紅。
確かに恥ずかしい怪我の仕方だけど、美鈴は隠さず笑いながら話すタイプだと思う。
「ははは、それはぜひ見てみたかったなー」
でも本人が隠したいなら、わざわざ詮索しなくてもいいかと妹紅は思うのだ。
夕暮れ頃、魔理沙は魔法の森に帰っていった。
その後、夕飯を運んでくるついでに小悪魔が美鈴の足の事を話そうとしてくれたが断った。
おおむね平和な一日をすごした妹紅は、門番生活もたまには悪くないと思うのだった。
◆◇◆
門番4日目。
今日も美鈴は居眠りしている。
松葉杖を使うくらい足を痛めているのだから、存分に休んでくれて構わない。
だが妹紅が来てからずっと、美鈴は居眠りしっ放しだ。
一応妹紅を監督しているのだから、もう少し起きていたっていいだろう。
軽く小突いて起こしてやって、軽く文句を言ってやろうか、なんて思う妹紅。
でもわざわざ起こして自分も面倒するよりも、ここは起こさず楽しようと、
妹紅は館の外壁に背中を預けて座り込んで一休み。
のんびりと空を眺めていると小鳥が近づいてきた。
微笑ましい光景だと思いながら見つめていると、小鳥達は居眠り美鈴の帽子の上に止まる。
さらなる微笑ましさに小さく笑うと、さらに美鈴の肩に膝にと小鳥がやってくる。
まるで風景と一体化したかのような美鈴の姿。
ただ居眠りしているだけのはずなのに、彼女に降り注ぐ陽光がきらめいて、
小鳥の奏でるさえずりや、
美しさを感じてしまうほどだった。
気を使う程度の能力、紅美鈴。
彼女は森羅万象の気と同化し、この世の誰よりも穏やかな時をすごしているのではないか。
妹紅は無性に慧音の顔が見たくなった。
理由は解らない。自分のあんな風に穏やかでありたいからだろうか。
迷惑にならぬようと、今回は慧音を頼らなかった。
しかし慧音の家に泊めてもらっていたとしたら、心安らかな時をすごせただろう。
などと思いながら再び美鈴を見ると、まんまる鼻ちょうちんをふくらませていた。
「ブハッ」
思わず噴出す妹紅。
それに驚いた小鳥達が飛び去っていき、パチンと鼻ちょうちんが弾け美鈴が目を覚ました。
「ふがっ?」
まだ寝ぼけているらしく、気だるげな目で周囲を見回す。
そして、のん気にくつろいでいる妹紅を見つけ、一言。
「咲夜さん、今日のおやつは杏仁豆腐でどうかひとつぅ……ムニャ、ムニャ」
髪の色だけで判別したらしい美鈴は、またもや眠りについた。
そして鼻ちょうちん再び。
「くっくっくっ……」
起こさないよう、声を潜めて笑いながら、妹紅は青空を見上げた。
ああ、今日は良き日だ。
ああ、今日は悪い日だ。
酒臭い息に耐えながら、妹紅は苦笑いを浮かべていた。
彼女のかたわらには、酒瓶を持った慧音の姿があった。
「もー! 妹紅がいないから、妹紅がいないからー!」
「あ、あはは……ゴメンって慧音。家が直ったら帰るから……」
どうやら博麗神社の宴会に参加して悪酔いしたらしい慧音の襲撃である。
ある意味、魔理沙よりもつらい。
昼間は無性に慧音に会いたかったけど、こういう形では会いたくなかった。
ちなみに美鈴は「騒がしいですねぇ」と呟いて、詰め所のベッドに向かった。
「聞いてますか。聞いていますかもこたん!」
「聞いてるよ、つか、もこたんって誰だよ」
「もー! 輝夜に隠すのが大変だったんだぞ。妹紅の家が焼き芋になったなんて知られたら!
もこたぁぁぁん! フォーエバァァァッ! ユニバァァァァァァスッ!!」
「ええい、だかましいわこの酔っ払い!」
あまりに酷い酔い方をしているので怒鳴りつけると、
慧音は最強の攻撃『涙目で上目遣い』をしてきやがりました。
「もこーは私の事がキラいなのか?」
可愛すぎて鼻血がでるほどのパワーに、妹紅はたじたじである。
「キライな訳、ないだろ。でも、ちょっと酔っ払いすぎだぞ」
「霊夢がー、だって霊夢がー」
「はいはい、霊夢がどうしたって?」
「妹紅は赤味噌派だって言うんだもーん! 違うよね、妹紅は白味噌派だよね!?」
「私は別にどっちでも……ああ、いやいや、白味噌派白味噌派」
「もこぉぉぉっ! それでこそ、それでこそ藤原妹紅ッ! 家無き子!
同情するから酒をくれぇぇぇっ!!」
「あー……とりあえず家まで送ってってやるから、落ち着け。なっ?」
それからも慧音の愚痴を聞きながら、家まで送ってやる妹紅。
門番の仕事以上に疲れて帰ってくると、門の側に置かれた椅子に、美鈴が座っていた。
松葉杖を地面に転がし、夜空を見上げる形で眠っている。
手には酒瓶があった。見覚えがある、慧音が持ってきたものだ。
そういえば慧音を送っていった時、慧音は手ぶらだった気がする。
うっかり忘れていった酒瓶を、偶然起きてきた美鈴が見つけて、月を肴に飲んでいたのだろうか。
しかし見上げた空は暗黒で、月どころか星すら見えない。
雲で陰っているのか。
「……何だか、気味が悪いな」
誰にともなく呟いてから、妹紅は美鈴を抱きかかえて詰め所のベッドに連れ戻し、
己はすっかり慣れた床と毛布で就寝。夢の中でまで酔っ払った慧音に絡まれた。
◆◇◆
門番5日目。
「こんにちは、清く正しい射命丸です」
げんなりとした表情で迎えるは、紅魔館の紅白門番、藤原妹紅。
「こんにちは。さようなら」
「はい、さようなら。って、来たばかりでそれはないんじゃないですか?
つれないですねぇ。せっかく『神にも悪魔にもなれるブラ』の情報を持ってきたのに」
「ああ、そんな話もあったな」
「欲しがってるのは妹紅さんでしょう」
咲夜だよ。
十六夜咲夜だよ。
瀟洒なメイドだよ。
紅魔館のメイド長だよ。
パーフェクトメイドの咲夜だよ。
言いたくて言いたくてたまらない。暴露したくてたまらない!
だがしかし、ここでそれを明かせば咲夜の報復が待っているだろう。
カレーを作って家を燃やしたというマヌケ話をリークされる訳にはいかない。
だがこのままブラジャーのためにアルバイトをしていると勘違いされたままというのも嫌だ。
さらにそれを記事にされたりなんかしたら妖怪の山に殴り込みをかけてでも、
『文々。新聞』をすべて焼き払わねばなるまい。
「で、例のブラは実在するの?」
と妹紅、の後ろから声がした。
いつの間にか咲夜登場。わざわざ時間を止めてまで駆けつけるとは。
「咲夜さんこんにちは。記事にする前に、特別に少しだけ情報公開しちゃいますよ。
おいしいネタを教えてくれたお礼です」
「という事は、相応の情報を得られたという事かしら」
「ええ。ですが残念なお知らせです。『神にも悪魔にもなれるブラ』は一品物。
しかもそれはすでに購入されており、入手するには持ち主から譲り受けるしかありません」
「そう」
残念そうに咲夜は表情を伏せるが、妹紅としてはありがたかった。
もしブラが売っていたとしたら、それを買わねば怪しまれてしまう。
「もう売れちゃったんじゃ仕方ないなぁ。ブラはあきらめるとしよう。
あ、記事には私の事より、ブラを買った当人の話を載せたらどうだ?」
これで『文々。新聞』の一件は解決だと、ホッと胸を撫で下ろす妹紅。
咲夜は背中を向けて表情を隠しているが、残念そうな背中をしている。
「それじゃ、さっそく当人に取材してみましょう」
だが、文のその発言と、次なる行動に妹紅と咲夜は目を丸くした。
門の前で居眠りをしている門番の肩をゆっさゆっさと揺すりながら声をかけたのだ。
「美鈴さん、美鈴さん。起きてください」
「ん……んむ? ふわぁ、何ですかいったい……」
目を覚ました美鈴は、目をこすりながら文の姿を認め、続いて、その後方の咲夜に気づく。
「ゲェーッ!? い、いや眠ってないですよ? 今日たまたまですから!」
「うふふ、いいのよ美鈴。居眠りなんて些細な事だもの……そう……今は些細な事。それよりも」
「そ、それよりも?」
「脱げ」
誤解を招く発言を全力投球する咲夜。
紅魔館の門番は、顔を真っ赤に染め上げる。
「さささささ、咲夜さん!? いけません、いけませんよ! 同性愛だなんて非生産的な!
いえ、個人の趣味は個人の自由、構いませんけど、いえ、私は構いますよ?
重要なのは互いの気持ちであって私も咲夜さんの事は大好きですけど不純な気持ちは皆無で、
いえピュアなラブもありますが種類の違いというか好きイコール恋愛感情といのは短絡的、
つまり私の好きと咲夜さんの好きも微妙に意味合いが違う可能性もあるような気がしますし、
カレーとラーメンどっちが好きかみたいな問題にも発展しかねない今日この頃、
すなわち私はカレーもラーメンも好きですがそもそも三大欲求の食欲性欲睡眠欲とは」
「うろたえるな華人小娘!!」
咲夜に怒鳴られて身をすくませる美鈴。まるで母親に叱られた子供である。
助けを求める視線を向けられた妹紅は、頭をかきながら一歩前に出た。
「あー……文は『神にも悪魔にもなれるブラ』の取材をしてるんだ。
それで、美鈴が持ってるのか? そのブラジャー」
「え、香霖堂でワゴンセールしてた下着ですか?」
ワゴンセール品かよ、と妹紅は呆れた。
そんなブラジャーじゃ、たいそうな名前に反してろくなものじゃないだろう。
「持ってるのね、着けてるのね、その胸は悪魔の胸なのね」
だが咲夜は獲物を狩る猛禽類のように双眸を鋭くさせている。
そんなに欲しいのか、ブラジャー。
「違いますよぉ。この胸は天然です! だいたいあのブラジャー、もう捨てちゃいました」
「捨て……た……?」
わなわなと震えながら後ずさった咲夜に代わり、文がメモ帳を持って前に出る。
「あやや、捨ててしまったんですか。いったいどうして?」
「だって、神の胸とか悪魔の胸とか、気味が悪いじゃないですか。
毎晩夢にブラジャーの精霊が出てきて、どっちがいいか聞いてきて寝不足になるし、
あまりにも怪しいから燃やして捨てました」
「あやややや……それは残念、ぜひ使用後の話を聞きたかったのですが」
こうして『神にも悪魔にもなれるブラ』は記事にできるほどのものではないと判断され、
文は新たなネタを求めて飛び立った。くだらない騒動が終了して妹紅は笑顔満面だ。
だがその日の昼食はクッキー一枚ずつだった。
そして夕食は魚の目玉を一個ずつだった。
◆◇◆
門番6日目。
一晩経って咲夜の機嫌は治ったのか、朝食は普通のサンドイッチだった。
と思ったら微妙に鮮度が悪い気がした。残り物か畜生。
「まぁ空腹を満たせるなら何でもいいですよ」
美鈴はにこやかにサンドイッチを食べ、コーヒーにミルクをたっぷり入れて飲んだ。
「なあ美鈴。せっかく朝にコーヒーを飲むんだから、たまには居眠りするなよ」
居眠りしてもらっている方が、妹紅もサボれて楽ができる。
とはいえ、毎日居眠りされっ放しというのはどうかと思う。
「いくら怪我してるからってさ、私の監督って仕事があるのにずーっと眠ってるのはマズイよ」
「監督って言ったって、魔理沙を弾幕勝負で追い払う以外に特にやる事ありませんし。
妹紅だって別にサボったりしないから、私がどうこうする必要ないでしょう」
「うっ……」
実はちょっとサボったなんて言えない。
でも門番の仕事があまりに暇すぎるんだから仕方ない。
だから、美鈴が居眠りする気持ちもよく解る。
「でもなぁ……いくらなんでも眠りすぎだろ。普段からあんなに寝てるのか? 睡眠妖怪なのか?」
「誰が睡眠妖怪ですか失敬な」
「今日は私も居眠りしようかな」
「仕事中の居眠りは格別だから、妹紅も一度体験すべきです。
そうすれば私に文句なんて言えなく……いや、でも咲夜さんに見つかったら、
私が監督責任を取らされるのかなぁ、ううーん……」
「よぉし、じゃあ咲夜が来るタイミングを狙ってサボってみよう」
くつくつと笑う妹紅。もはや主目的はおちょくる事になり、真面目に注意する気は皆無である。
それは美鈴も了解しており、笑いながらの応答をする。
「むううっ、ならばその時は監督として鉄拳制裁させてもらいます。
もー、スペルカードルールのせいで得意の格闘技をなかなか活かせないから、拳の餌食決定ッ」
「フフフッ、伊達に蓬莱人はやっていないぞー。
私もデスクィーン島で磨いた自慢の拳がある(訳がない)!」
「望むところ、紅美鈴が蓬莱人を相手に前人未到の死亡確認を達成しましょう!」
「その後、平然と生き返ればいいんだな。でも痛いのは勘弁してくれ」
そんな調子で朝食を終えると、美鈴は松葉杖を置いて外に出た。
「足はもういいのか?」
「伊達に居眠りしてません、もうほとんど回復しました。
蹴ったり走ったりはまだつらいけど、飛べばいい弾幕勝負はもう問題ないかな」
「私もそろそろお役御免だからなー」
「じゃ、あとはヨロシクおやすみぃ」
堂々と椅子に直行し、居眠りモード突入の美鈴。
苦笑を浮かべつつ、妹紅も外壁に背中を預けてあぐらをかく。
「ん、今日もいい天気」
しばらくすると、妹紅もついうとうとしてしまう。
いい具合に現実と夢の狭間をたゆたっていると、目の前にメイド服が現れた気がした。
「うわぁっ!?」
突然の叫び声に、妹紅は飛び起きた。
いったい何事か、事態を早く把握せねばならないのに、重たい眠気がつきまとう。
「うっ……なんだ、誰だ? 何が……」
かすむ視界の中、妹紅はかろうじて白黒衣装を認めた。
「魔理、沙?」
「も、妹紅なのか?」
「何を言ってるんだ? いったい……」
目をこすり、妹紅は周囲を見渡した。
妹紅と同じく魔理沙の声で飛び起きたらしい美鈴が、見事に椅子から転げ落ちて、
顔面から地面に突っ伏している以外に何ら異常は見当たらない。
賊の類が現れた訳ではないようだ。
「それより魔理沙の叫び声を聞いた気がするんだけど、いったい何があったんだ」
「あー……空から鳥の糞が降ってきたから驚いただけだ。もう少しで当たるところだったぜ」
「なんだ、そんな事か……驚かすなよー」
呆れ返り、深々と溜め息をつく妹紅。
話はちゃんと聞こえていたのか、美鈴も突っ伏したまま、慌てて起きる気配はない。
「……で、今日は何の用だ。本を借りにきたんなら相手をするぞ」
「今日もパチュリーのお見舞いって事にしとくから、門を開けてくれ……くくっ」
「ああ、解った」
なぜか魔理沙は腹を抱え、何かをこらえているかのように見える。
腹痛か?
「パチュリーによろしくな」
「ああ、色々話しとくよ……色々とな」
含みのある笑いを浮かべながら、魔理沙は紅魔館の中に入っていった。
何だったんだろうといぶかしげに眉根を寄せながら、妹紅は門を閉じた。
「アイタタタ……鼻を擦った」
と、横から美鈴の声がした。そりゃ顔面から地面にダイブすれば鼻も擦るだろう。
「大丈夫か?」
「これくらい大丈夫です」
その時、二人の視線が交差する。
互いの顔を目視する。
妹紅は見た。
目の周りと鼻、それから耳を黒く、それ以外の部分を白く塗られた美鈴の顔を。
「パンダッ!?」
「歌舞伎ッ!?」
同時に指差し、同時に叫び、同時に硬直し、同時に気づき、同時に動き出す。
まさか。
二人は詰め所の洗面台に駆け込んだ。
妹紅は見た。
真っ白い顔に、黒々とした太い眉、そして紅い隈取は、妹紅の白い髪と相まって、
どこからどう見てもまさしく歌舞伎役者その人だ。
「なっ――ななななななななな、なんじゃコリャァァァッ!?」
叫びが轟かせながら、妹紅は鏡に両手を押しつけようとして、気づく。
手のひらに何か書いてある。
他にも落書きが? 慌てて両の手のひらを確認した。
左手に「る」
右手に「な」
るな? 月という意味だろうか、しかしそれならカタカナで書く方が解りやすい。
眉間にしわを寄せていると、隣の美鈴が呟いた。
「……サボ」
「え?」
美鈴も、妹紅同様両方の手のひらを見下ろしていた。
妹紅はそれを覗き込む。
左手に「サ」
右手に「ボ」
二人合わせて、
「サ、ボ、る、な……?」
妹紅が読み上げると、美鈴はその場に膝をついて嘆く。
「咲夜さんだ……咲夜さんが時間を止めて落書きしたに違いない……」
「な、なにぃ!? あれは夢じゃなかったのか!」
「魔理沙はこれを見て驚いて……意気揚々とパチュリー様にご報告に行った、と」
「パチュリーに知られるって事は、当然レミリアにも……」
「というか咲夜さんが直接報告してるかも……」
居眠りは毎度の事なれど、さすがに二人そろってのサボタージュは相当まずかった様子。
今日の昼食と夕食は悲惨な事になりそうだと、二人してがっくり落ち込んで約数分。
のそのそと手と顔を洗い、落書きを落とす。
それから意気消沈と門番の仕事に戻ると、小悪魔が昼食を持ってやってきた。
「あの……これが今日の昼食です」
豆が一粒ずつ。
一粒食べれば十日間くらい何も食べなくても平気な豆ならいいのにと思わずにはいられないッ!
何とか挽回してまともな夕食をもらわねばと意気込む妹紅だが、
美鈴は豆だけという仕打ちにやる気をなくしたのか、詰め所のベッドに引きこもってしまった。
「ええい、こうなったら私一人で勝利の夕食を勝ち取ってやるぅッ!」
しかし昼寝をしたくなるほど平和な時間が刻々とすぎ、
魔理沙も笑いながら帰っていったりして、挽回するような出来事は何も起こらなかったとさ。
夕食は、やはり小悪魔が持ってきてくれた。
「えーと、挫けないでくださいね」
意外と豪華だった。パン、スープ、サラダ、ジュース。
しかし素直に喜べない。どうして全部が全部、緑色?
とりあえずジュースを一口飲む。
吐きそうになるほど苦かった。
「あ、青汁……か……」
その時、妹紅は悟った。
このジュースはただの青汁だ。
そして他の緑色の食べ物は、全部青汁味だ。
それでも空腹だったので「青汁は栄養がある」と自分に言い聞かせて全部食べた。
美鈴は無言で全部たいらげ、無言でベッドに戻った。
こうして明日への不安を残しながら、妹紅も毛布に包まって床に寝転がる。
明日はいい日になりますように――。
◆◇◆
門番最終日――深夜。
爆砕する壁の破片の弾幕を、軽々と回避する咲夜。
紅魔館の廊下を、時と空間を操る能力でできるだけ広げ、逃げ場を確保する。
粉塵により視界を閉ざされながらも咲夜は果敢にナイフを投げるが、
紅き閃光がすべては薙ぎ払らい、咲夜の身を直撃する。
「ん……うん?」
地面が揺れている気がして、妹紅は目を覚ました。
今は何時だろう。時計を見ると、夜中の2時だ。すでに日付も変わっている。
「むぅ、ん……」
妹紅は布団をかぶり直して、再び眠りの海に精神を沈めようとした。
だが意識を叩き起こそうとするかのような轟音とともに大地が揺れる。
「うわ、あっ……!?」
さすがにただ事ではないと、妹紅は布団を跳ね除けて上半身を起こした。
ピリピリと張り詰める空気が、どんな目覚まし時計よりも素早く強烈に妹紅の目を覚まさせていく。
眠気など、もうどこにもない。
「敵襲かッ!? 美鈴、起き……美鈴?」
隣のベッドを確かめようとして、隣が壁である事に気づく。
妙だ。自分はベッドの隣の床で眠っていたはずだ。毛布に包まって。
そう思いながら妹紅は自分にかぶさっていた布団を力強く握る。
「……え?」
布団、だった。妹紅は布団で眠っていた。
しかも妙に床がやわらかい。身じろぎをすると、ギシと軋むほどに。
「あ、れ? 何で私がベッドで寝てるんだ?」
そう、美鈴が使っているはずのベッドで妹紅は眠っていた。
自分が眠っていたはずの場所には、自分が使っていたはずの毛布が広がっているだけ。
訳が解らないままベッドから降りると、再び短い地震が起きた。
「だぁーっ! いったい何が起こってるんだー!?」
怒鳴りながら詰め所から飛び出ると、色鮮やかな星々が夜空を翔けていた。
流星群? いいや違う、あれは……弾幕だ!
美しい気弾の乱舞が、紅い閃光の刃に吹き飛ばされている。
「レーヴァテイィィィン!!」
「ぎゃー」
紅い魔力に撃墜された人影は紅美鈴。
地面に向けて落下を始め、妹紅は慌てて飛翔し抱き止める。
「美鈴しっかりしろ!」
「い、妹様を、止め……て」
「美鈴ッ!」
呼びかけても返事はなく、美鈴はすでに意識を手放していた。
「くそう、急展開すぎて話についていけない!」
様々な疑問を置き去りにして妹紅はいったん紅魔館の庭に降りると、
彼女の守護する紅魔館の門の脇に美鈴を横たわらせ、月を睨む。
真円を描く月光の中心には、小さな少女の影が浮かんでいる。
彼女こそ紅魔館の悪魔の妹様。
「フランドールッ!」
名を叫びながら妹紅は空中に飛び上がり、フランドールと相対する。
「あなた誰だっけ?」
無邪気な笑顔を浮かべながら、強烈なプレッシャーが妹紅に叩きつけられる。
「でも……誰でもいいや、私はお外に行くの」
「おいコラ、ちみっこ。お外に行くのは構わんが、身内をぶっ飛ばして行くのは感心しないな」
「うるさいなぁ……あいつがパチュリーにかまけてる今がチャンスなのにー」
あいつ、とは咲夜の事だろうか。あるいはレミリアか。
パチュリーが寝込んで、魔法で雨を降らせられない今が、紅魔館を抜け出す絶好のチャンス。
おおまかな事情を察しながら、妹紅は自らが窮地に立たされていると理解した。
こんな絶好調暴走中のフランドールをお外に出したら、大惨事だ!
紅魔館の紅白門番として死守せねばならない。
「邪魔する奴は指先ひとつで破壊よー」
「むうう、いい感じにキてるみたいだな……。やい、出かける時は『いってきます』だ。
そして家族から『いってらっしゃい』って言われるべきだって慧音が言ってたぞ!」
「じゃあいってきまーす!」
「ところがどっこい、行かせる訳には参りません。
わがまま抜かして大暴れする悪い子は、とっ捕まえてお尻ペンペンだ!」
ぷうっ、とフランドールは頬をふくらませた。
殺人的な可愛さは、本当に殺人的な攻撃力を持っているから困り者。
「たまには咲夜や魔理沙や霊夢とは違う人間"で"遊びたいのにー!」
「ちょいと普通とは違う人間の藤原妹紅が遊んでやるから、おとなしく部屋に帰りな!」
妹紅の周囲に無数の炎弾が出現し、まさに弾の幕となってフランドールに迫った。
「不滅『フェニックスの尾』!!」
ほとんど隙間のない炎の乱舞を瞳に映したフランドールは、
三日月のような弧を唇に描かせると、軽く手を上げ、
「禁弾」
振り下ろす。
「スターボウブレイク!!」
まるで虹のように色とりどりの魔弾がフランドールの周囲に躍り出た。
その数、フェニックスの尾に勝るとも劣らぬほど。
次々と放たれる無数の炎弾と魔弾は二人の間で激突し、夜空に無数の花火を咲かせる。
ほぼ互角、に見えたのは最初だけだった。
「お、押されるッ!?」
弾数はほぼ互角、しかし一発一発の破壊力はフランドールに分があった。
破壊の権化の如き少女は、すでに勝利を確信してますます笑みを深く暗く、狂気をみなぎらせる。
「キャハッ……つぶれちゃえ」
次々と破壊される炎弾、ついにスターボウブレイクの威力が妹紅に炸裂しようとした。
この数、この量、この弾幕、とても避けきる自信はない。
ならば。
「受けてみるか大玉!」
構えた妹紅に宿った高熱が、両手のひらの前に巨大な火球を作り出す。
「凱風快晴……!!」
超高熱の球体が妹紅の前面を隠す盾となり、スターボウブレイクの弾幕を呑み込んでいく。
直撃コースではない分はすべて妹紅の後方の闇の彼方へと消えていき、すでに視界良好反撃好機。
「フ、ジ、ヤ、マ……ヴォォォルケイノォォォオオオッ!!」
火山の噴火にも匹敵する凄まじき迫力が、小さな火の粉を散らしつつフランドールへと迫る。
直撃すれば全身を炎に呑み込まれる火炎地獄、破壊の少女を倒すための破壊の火炎大玉。
「でも、遅いよ!」
余裕の笑みで回避するフランドールを見て、勝利の笑みを浮かべる妹紅。
「爆ッ砕ッ!」
「え?」
回避された大玉火炎は膨張し、次の瞬間、花火のように四方へ弾け飛んだ。
「キャアッ!」
火炎弾を浴びてわずかに高度を落とすフランドール。
加減はしてあるから火傷はしないはずだけど、それでも結構つらいはずだ。
だがさすがは高い不死性を誇る吸血鬼、炎を受けて闘争心を煮えたぎらせて紅蓮の眼を鋭くする。
「やったなぁッ……」
「ええい、もう一丁! フジヤマヴォルケイノー!」
「禁弾『過去を刻む時計』!!」
再び放たれた大玉火炎は盛大な爆発を見せるも、現れた二つの十文字回転によって薙ぎ払われる。
さらに十文字時計の回転は妹紅にまで迫ってきた。
「バカみたいにデカい攻撃を……うひゃー!?」
後退しながら上昇下降を繰り返し、迫り来る巨大針を回避し続ける妹紅。
悔しいがやはり破壊力は桁違い、フジヤマヴォルケイノですら対抗できない現実。
「さあさ、早く逃げないと時計に刻まれちゃうよー」
「むうう……そっちがパワーならこっちはスピードだ! 燃え上がれ不死ッ、火の鳥!!」
回転する巨大な時計の針の隙間を見切り、妹紅は渾身の炎を放つ。
「鳳翼天翔ーッ!!」
放たれるは赤々と夜を照らす炎の翼。
時計の隙間をかいくぐり、フランドールに向けて一直線。
「や……焼き鳥ッ!?」
それがフランドールの悲鳴だった。
鳳凰の翼はフランドールに直撃し、火炎を渦巻かせその身をおおった。
「焼き鳥じゃねぇぇぇっ! 火の鳥だよフェニックスだよ!」
そんな妹紅のツッコミが届いているのかいないのか、フランドールは炎とともに地面に落ちていく。
「あ、あれ? やりすぎた?」
ちょっぴり不安になる妹紅。
妹様を止めてと頼まれはしたものの、倒すとか怪我させるとかは、さすがにマズイ。
「おおーい、フランちゃーん? 吸血鬼だからそれくらいダイジョーブだよ……ね……?」
返事がない。ただの火達磨のようだ。
「フラァァァァァァンッ!?」
こいつぁヤベェと妹紅が大慌てで下降しようとした瞬間、
地面に激突したフランドールの肉体が炎を散らして四方に弾けた。
「スプラッタ!?」
否、肉体が四つに裂けたのではない。
「禁忌」
四人に分身したフランドール・スカーレットが、口をそろえて宣言する。
「フォーオブアカインド!!」
心配無用な元気の姿、むしろこっちの身を心配してもらいたいほどの大逆転。
「そんなのアリかー!?」
「アリだー!」
嬉々として答えたフランドールは、まるで天使のような笑顔を浮かべ、
続いて悪魔のような笑顔に歪めて、四人それぞれ異なる弾幕を放つ。
「避けきれ……る訳ゃねーだろー!!」
もし冷静に対処していればそうではなかったかもしれない。
だがまさかの分身に度肝を抜かれた妹紅は、一か八かの鳳翼天翔を放つのが精一杯だった。
弾幕を蹴散らして飛ぶフェニックスは、見事にフランドールを呑み込んだ。
しかし、フェニックスはそのまま後方の空間へと飛び去ってしまう。
「偽者!? う、うわっ」
色鮮やかな弾幕の嵐が妹紅に次々と着弾し、無残な姿となって彼女を墜落させる。
「大勝利ッ!!」
四人のフランドールはハイタッチをして喜び合い、みんなそろってVサインで決めた。
――どうして。
妹紅は思う。凶悪な弾幕に倒れ、地面に落下した妹紅は思う。
――どうして、私はベッドで眠っていたんだ?
妹紅は思う。仰向けに倒れて、満月と、嬉しそうに空で踊る四人のフランドールを見て思う。
――どうして、私より先に美鈴はフランドールが暴れてるって気づけたんだろう。
妹紅は思う。すぐ側、門の内側に寝かした、手を伸ばせば届きそうな美鈴を見て思う。
――どうして、いつも居眠りしてたんだろ。
妹紅は思う。ひとつひとつの疑問点が、ひとつひとつ繋がっていき、妹紅は思う。
「……お人好し……だな」
妹紅は笑う。
自分の想像が間違っていたのだとしても、そう解釈する方が気持ちがいいから妹紅は笑う。
「よーし、今のうちに脱出だー!」
「まず魔法の森に突撃しよー!」
「博麗神社で遊びたーい!」
「人里なら人間がたくさんいるはずだから行ってみたーい!」
四人になったフランドールは、自分同士で行き先会議を始めていた。
そして会議は、最悪の方向で決着をつける。
「人里! 人間がたくさん!」
「虫けらみたいにいっぱいいるのかな、プチプチ潰し放題なくらいいるのかな」
「アハハハハッ、お姉様をビックリさせてやるぅ!」
「お外お外お外お外お外……あいつばっかりズルい巫女と遊んでばっかりズルい……人間人間……」
気が触れているがため地下に閉じ込められているフランドール。
普段は落ち着いているのも珍しくはないが、ちょっとした刺激で爆発する危険性を孕む少女。
外に出たいと思うのは稀、しかもたいていはレミリアとパチュリーの妨害を受けあきらめる。
しかしパチュリーが伏せったために雨は降らせない時に、稀が起きてしまった。
約一週間前、フランドールは外に出ようと大暴れを開始し、
咲夜と美鈴が負傷しながらも時間稼ぎをしたために博麗神社へ外出中だったレミリアが駆けつけ、
消耗したフランドールを相手に何とか場を収める事ができた。
その結果、レミリアもまた消耗し、加減の苦手なフランドールの一撃で美鈴は足を負傷した。
そしてパチュリーが病床についたまま、レミリアと美鈴が完全回復しないまま、
フランドールは再び外の世界を求めて暴れ出した不運。
すでに小悪魔、咲夜、美鈴は倒れ、
レミリアもパチュリーを二次災害から防ぐため大図書館を離れられない。
そんな折に、家を火事にして泊まれる場所を探していた妹紅は、
一週間の約束で紅魔館の紅白門番を請け負った妹紅は――幸か不幸か?
いざ紅魔館を出ようとしたフランドールの眼前が深紅に染まった。
「キャッ! なに!?」
星々の海が、爆音で渦巻く。
炎が上がる。
暗黒の空で、悪魔が微笑む。
天地が燃える。
「リザレクション!」
四人のフランドールを待ち受けるかのように、紅魔館の門から火柱が上がる。
その内部、紅蓮に焼かれる人影があった。
「不死鳥は……炎の中から、蘇るッ!」
渦巻く火柱を四散させて現れるわ、炎の翼をまといし蓬莱の人の形。
燃える闘志をみなぎらせ、確固たる意志が壁となって狂気笑顔の悪魔少女をさえぎろうとする。
「……しつこいよ? 人間」
「意外と頑丈……なんだね」
「だったら……もっといいよね?」
「壊しても……いいよね? もっと……もっと、もっともっともっともっともっともっと!!」
鬼気と嬉々と笑う哂う四人のフランドール達。
小さな手のひらから放たれる、無数の驚異的威力を持つ弾幕乱舞。
そのすべてが獲物に着弾する寸前、妹紅は猛々しく咆哮する。
「月まで届け、不屈の炎!」
妹紅を、その周囲の空間を、紅魔館の上空を、暗黒の空を、幻想郷の夜を、満月を赤々と染める紅蓮。
不死の翼をはばたかせ、不屈の闘志は完全燃焼、藤原妹紅が最強奥義のラストワード。
「フェニックス再誕ッ!!」
それは絶対不死と絶対不敗の決意をまとった不退転。
フェニックスの化身となった妹紅から、火の鳥が天翔する。
「またその技?」
「鳳翼なんとか!」
「でもどれが本物か」
「あなたに解――!?」
放たれたフェニックス、その数はフランドールと同じ数。四羽の翼が闇夜を翔ける。
「見たか! これがフェニックス再誕の力だ!!」
少女の悲鳴を呑み込んで、紅蓮の花が四つ咲く。
そのうちの三つは灰となって崩れ落ち、残るひとつが髪の毛先や服を焦がして、
獰猛な表情で妹紅を睨みつける。
「……禁忌」
そして右手を天に掲げ、何かを握る仕草をすると同時に紅き閃光がほとばしる。
薔薇よりも紅く、溶岩よりも紅く、血液よりも紅く、火炎よりも紅い、その魔力は害をなす魔の杖。
「レーヴァテインッ!!」
スペルカードルールとして、弾幕としての攻略の難しさよりも、破壊力を重視した渾身の魔力。
「フェニックス再誕最大連射……」
対して妹紅も最強の攻撃を放とうとする。
一撃の威力は絶対に勝てない、ならば最強威力の連撃だ。
「フェニックス五連天翔ッ!!」
つらなった五羽のフェニックスがフランドールを襲う。
深紅の魔力が刃となってフェニックスもろとも妹紅へと振り下ろされる。
幻想郷の夜を、昼に変えんばかりの閃光が瞬いた。
紅魔館上空をおおった火炎は四散し、魔力の刃はヒビ割れて消える。
残されたのは静寂のみ。
紅魔館の門と館の間にある薔薇の花壇の真ん中に、小さな少女が倒れている。
頬はススで真っ黒で、服も焦げて、全身ボロボロ。
もう指一本動かせないほど満身創痍だというのに。
「……あ、アハッ……アハハッ」
月を見上げるその表情、遊び疲れて寝転がっている子供のようだった。
紅魔館の門と繋がっている外壁に背もたれながら、足を伸ばして紅白衣装が座っている。
額からは血が流れ、服も破れて、全身ボロボロ。
もう指一本動かせないほど満身創痍だというのに。
「あー……しんどいなぁ」
月を見上げるその表情、やり遂げた者の晴れやかな笑みが浮かんでいた。
◆◇◆
門番最終日――朝。
食堂やレミリアの私室、大図書館周辺など、
レミリアとパチュリーが使う場所はすでに咲夜が修理している。
そのためレミリアに呼び出された妹紅と美鈴は、あまり壊れている場所を通らなかった。
一室を訪れた妹紅と美鈴の門番コンビは全身包帯まみれだ。
「二人とも、よく働いてくれたわ」
一方レミリアはどこも怪我してませんといった風に、ソファーの上で足なんか組んでいる。
「二次災害がパチェに及ばないよう、門の外で捕まえようと思っていたけれど、
あなた達は門番の役目を果たしてくれた……内側からの最強の暴れん坊からね。
本当に見事な働きよ。美鈴は毎晩欠かさず門を護り、妹紅はフランを止めてくれた」
やっぱりか。
美鈴が異常に居眠りする理由を察していた妹紅は、自分の想像通りだったためつい笑みをこぼした。
という事は夜の間、自分をベッドに移しておいてくれたのも美鈴なのだろう。
そして朝になるとそんな気遣いがバレないよう、わざわざ床の毛布に戻していた。
……最後のは親切なのかと少々首を傾げてしまうが、妹紅は美鈴のお人好しっぷりが大好きになった。
一方、黙っていい格好していた美鈴は、主から暴露されたため赤面している。
隣でニヤニヤ笑っている妹紅のせいで、恥ずかしさ倍増だ。
「これでフランもしばらくはおとなしくしてるでしょう」
「閉じ込めてばっかりじゃなく、たまにはガス抜きさせてやれよ」
「それなら丁度いい、フランは妹紅の事も気に入ったみたいよ。
また『遊びたい』って言ってたから……いつでもフランに遊ばれにいらっしゃい」
「たはは……アレが遊びか、不死じゃなけりゃつき合いきれないよ」
「クスクス。だからこそ妹紅、あなたは臨時門番なのによくやってくれて感謝しているわ。
特別報酬を上げるから、望みのものがあったら言ってみなさい」
「なんだって!? そりゃありがたい!」
ガッツポーズをとる妹紅。
「よかったですね」
だが、隣に立つ美鈴がそうささやいたので、ガッツポーズを解いて言った。
「いや……やっぱいいよ、報酬なんてさ」
「あら、どうして? フランと真正面からぶつかって、溜まった鬱憤を晴らせるなんて凄い事なのよ」
「別にいいよ。そんなの、門番の仕事のうちだろ?
美鈴だって寝ずの番をしてたんだ、私だけ何かもらうってのは変だよ」
「……そう。欲のない子ね」
「年下のくせに偉そうに」
「あら、こう見えて私は500……」
そこで妹紅の年齢を思い出したのか、レミリアはしばし黙り込んだ。
「……ええと。まあ、いいわ。無理やり押しつけるのもね。
でも約束は一週間、今日が最後、一日しっかり門番してもらうわよ」
「ああ……いや、やっぱりひとつお願いしていいか?」
一度断っておいてのやっぱりお願いは、レミリアの機嫌を少々害したようだった。
「……何よ」
ほんの少し嫌な顔をして、けれど一応聞くだけ聞いてはくれるようだ。
「実は……」
「飯だー!! まともな飯どぁー!!」
「うおおっ! 中華! 咲夜さんの手作り中華ァァァ!!」
食堂で狂喜乱舞する包帯まみれの二人と、渋い表情で中華料理を振舞う、咲夜。
テーブルにはチャーハン、ラーメン、麻婆豆腐と、一般的な中華料理が並んでいる。
「まったく……お嬢様に言われなくても、私が……つもりだったのに……」
「ん? 咲夜ー、何か言ったかぁ?」
「満漢全席くらい作れるのにって言ったのよ。こんな庶民的な料理でよかったの?」
新たに餃子、シュウマイ、春巻きといった点心を並べながら、憮然とした顔で咲夜は言った。
しかし妹紅と美鈴は大喜びでがっついている。
まるで冬眠前のリスのように頬をふくらませている姿は滑稽であり、同時に愛らしい。
「いいんだよ。凝ったご馳走より、こういうのの方が私等には向いてるさ。なっ、美鈴?」
「私は咲夜さんが作った中華料理というだけで、もう……!
あーん、アレも美味しいコレも美味しい、ソレも美味しいー!
しかもデザートは杏仁豆腐とぉきたもんだ。ブラボー! おお、ブラボー!!」
「ひゃっほー! 紅魔館バンザーイ!」
「お嬢様バンザーイ! 咲夜さんバンザーイ!」
怪我を忘れて元気いっぱいマナー皆無で食べ散らかす二人の姿を見て、
咲夜は呆れながらもとびっきり腕をかけて料理を振舞うのだった。
「んー、天気はいいし、腹はいっぱい! これぞ門番日和だな!」
「まったくもって、その通りですねぇ」
今回は松葉杖が必要なほどの怪我はないとはいえ、
包帯まみれの美鈴は今まで通り詰め所から持ってきた椅子に座って天を仰いでいる。
妹紅もすでに門の前に立つ気はなく、少し焦げた外壁を背もたれにして、両足を伸ばして座っている。
「さて妹紅、先輩門番として最後のアドバイスです」
「うん? 何だ?」
「夜更かしやら徹夜やらしなくても門番中に居眠りしたくなる時というのは……」
「今がその時だ、って訳だな?」
「なかなか理解が早い! という訳で」
「という訳で」
おやすみ!
……………………。
………………。
…………。
……まったく、最後の最後でまた落書きされたいのかしら?
蝶々が花と勘違いしたのか、妹紅の鼻に止まり翅を休めた。
しかし針より細い足が鼻の上を刺激し、妹紅はむずかゆさに身じろぎした。
驚いた蝶々は妹紅の鼻を離れ、飛んでいく。
さらに身じろぎをしてから、妹紅は違和感に気づき目を開いた。
「ん……んむ、ふわぁ……今、何時だ?」
目をこすりながら妹紅は起き上がった。
ドサリ。
すぐ後ろは壁であるはずなのに、背後で何かが落ちる音がした。
「んあ?」
寝ぼけまなこで見下ろしてみれば、お尻と壁の間にまくらが落ちていた。
まったくもって意味が解らない。
もしこれが自分が動いて落っこちたものだとしたら、
このまくらは自分の首か頭の後ろにあったという事になる。
硬い壁で身体を痛めないよう、美鈴が配慮してくれたのか?
と思い美鈴へ視線をやると、彼女も首の後ろにクッションを入れている。
妹紅が夜に床で眠っている間に、わざわざベッドに移し、朝には床に戻すという、
親切なのか不親切なのか、不器用な真似をしてくれた美鈴だ。
これくらいの事はしてくれるだろう。
「ありがとう、美鈴」
感謝の気持ちを述べると、妹紅はまくらを首の後ろに戻して、再び壁を背に眠った。
毎度お馴染み小鳥さんが美鈴の頭に止まって羽を休めた。
もちろん美鈴は目を覚まさない。
ところが小鳥がわずかに身じろぎをすると、突如美鈴は双眸を見開き背筋を正した。
小鳥は大慌てで飛び立ち、美鈴の頭上から離れてすぐ、椅子の側に糞を落とした。
「あ、危ない危ない……帽子を汚されてはたまりませんからね」
と冷や汗を拭う美鈴。
そして、違和感に気づく。背中と背もたれの間を、何かやわらかい物がずり落ちていく。
「何だろう?」
掴み取ってみると、それはクッションだった。
しかし、何故こんな所に?
何気なく妹紅へ視線をやると、彼女も首と壁の間にまくらを挟んで眠っていた。
「なるほど、首が痛まないようにわざわざ」
という事は自分の所にあるクッションも妹紅の気遣いだろう。
「どうもです、妹紅」
感謝の気持ちを述べると、美鈴はクッションを首の後ろに戻して、再び椅子の上で眠った。
こうして、一週間だけの紅白門番最終日の大半は、居眠りという優しい時間で終わり、
日が暮れると妹紅は紅魔館の面々に別れを告げ、意気揚々と紅魔館をあとにする。
「おかえりなさい」
すっかり元通りに直った家で待っていてくれた慧音は、帰ってきた妹紅にまずそう言い、
続いてこう訊ねた。
「門番生活はどうだった?」
妹紅の答えはもちろん、決まっていた。
そしてそんな妹紅の表情を見ただけで、返事を聞かずとも慧音は答えを察する。
「時間はたっぷりあるのだし、じっくり聞かせてくれ」
「うん、今日だけで話しきれるかな」
たっぷり居眠りしてきた妹紅は夜通し楽しげに話し続けたが、
普通に朝起きて夜眠るつもりだった慧音は、話につき合うのに難儀したそうな。
◆◇◆
博麗の巫女と向かい合うのは、悪魔の館に住まう唯一の人間。
唇を真一文字に結んだ咲夜の表情は真剣そのもので、背筋を伸ばし正座している。
彼女の前に置かれた湯飲みはいつしか存在を忘れられ、
半分ほど残されたお茶はすでに冷え切っていた。
一方、霊夢の湯飲みは湯気を立てている。
急須から注いだばかりのそれをは音を立ててすすった霊夢は、
湯飲みを持ったまま重苦しい口調で言う。
「……つまり……もはや今までとは次元が違うという事よ」
咲夜は目を伏せて今の言葉の意味を受け取り、すでに得た情報と合わせ、抱いた疑問を口にする。
「具体的には、どうなるというの? いったい何が起こるというの?」
そこで一拍置き、語調を強くして続けた。
「神をも超え悪魔も倒せるブラ……その威力はいったい!?」
最高潮の盛り上がりを見せたその時、博麗神社の戸が激しく叩かれた。
「咲夜! 咲夜、いるんだろ! 美鈴から聞いてるからな! 咲夜ぁぁぁ!」
「ん? あの声は……妹紅? 開いてるわよー、勝手に入ってきなさーい!」
眉根を寄せながらも、霊夢は妹紅を招いた。
咲夜は、なぜ怒鳴っているのだろうと首を傾げていると、
ドカドカと足音を立てながら妹紅が駆け込んできた。
「咲夜ぁぁぁっ!!」
「……何で怒ってるのかしら?」
「これを、見ろぉー!」
妹紅が突き出したのは『文々。新聞』だった。
見出し記事は『紅魔館の素敵な門番コンビ』だった。
掲載された写真は歌舞伎顔の妹紅とパンダ顔の美鈴だった。
霊夢はお茶を吹き出してちゃぶ台を汚す。
咲夜は「ああ、そういえばそんな落書きもしたわね」と他人事のように言う。
「な、なんだその態度は。この、この新聞のせいで慧音には笑われるし、輝夜にだって……!
咲夜! この野郎、表に出ろ! ギッタンギッタンのケッチョンケッチョンにしてやるー!」
「はぁっ……せっかくパチュリー様も元気になられて平和な日常が帰ってきたと思ったら……」
「私の平和な日常を壊したのは誰だーッ!!」
今日も博麗神社はいつも通り。
面倒なお客さんが面倒を起こして大騒ぎ。
今回の事件に関わりのない霊夢は、面倒くさいなぁなんて思いながら、
妹紅の分のお茶を淹れに台所へ立つのだった。
「燃え上がれ私の小宇宙! 鳳翼天――」
「無駄無駄無駄、時よ止まれ! ザ・ワール――」
「外でやれ!」
幻想郷は、今日も平和。
FIN
博麗の巫女と向かい合うのは、悪魔の館に住まう唯一の人間。
唇を真一文字に結んだ咲夜の表情は真剣そのもので、背筋を伸ばし正座している。
彼女の前に置かれた湯飲みはいつしか存在を忘れられ、
半分ほど残されたお茶はすでに冷え切っていた。
一方、霊夢の湯飲みは湯気を立てている。
急須から注いだばかりのそれをは音を立ててすすった霊夢は、
湯飲みを持ったまま重苦しい口調で言う。
「……つまり……ふたつにひとつ、どちらになるかは本人次第よ」
咲夜は目を伏せて今の言葉の意味を受け取り、すでに得た情報と合わせ、抱いた疑問を口にする。
「具体的には、どうなるというの? いったい何が起こるというの?」
そこで一拍置き、語調を強くして続けた。
「神に……あるいは、悪魔になったとしたら、その身に何が!?」
ごうごうと吹く風が神社を揺らし、不吉な気配を運び込む。
戸が揺れる音が悪魔の足音にさえ聞こえた。
「所詮は私も聞いた話にすぎない、けれど……こう伝えられてるらしいわ。
神となれば、宗教画やギリシア彫刻のような完成された永遠を手にできるとか。
そして……悪魔になれば……」
ごうごうと吹く風で戸が揺れる。ガタガタ、ゴトゴト、ドンドンと揺れる。
それはまるで悪魔が戸を叩いているかのようだった。
かなりうるさいが、構わず咲夜は続きを催促する。
「悪魔になれば……!?」
ごうごうと吹く風で戸が揺れる。ドンドン、ドンドン、ドンドンと揺れる。
それはまるで悪魔が戸を叩いているかのようだった。
「おーい、留守か? それとも居留守かー?」
訂正。普通に誰かが戸を叩いていただけだった。
「うるさいなぁ、誰よ」
面倒くさそうに霊夢は立ち上がり、戸の方へ向かう。
来客に対する当然の反応だったが、咲夜は慌てた。
「ま、待ちなさい霊夢。まだ『神にも悪魔にもなれるブラ』の話が終わってないわ。
私を生殺しにする気ッ!?」
「実はここまでしか話は覚えてないのよ。霖之助さんなら知ってるかもしれないけど、
"誰も知らない知られちゃいけない"をモットーに個人情報は秘匿してるし。
案外、小悪魔あたりが悪魔のブラの持ち主なんじゃないの?」
「確かに小悪魔は着やせするタイプで、初めて浴場で鉢合わせた時は驚いたけれど、
何の変哲もないただのシルクのブラだったわよ」
「ふーん。最終的なオチを話すと、酔っ払った魔理沙から話半分に聞いた事を話してただけだから、
私はこれ以上ろくに覚えてないし、魔理沙のデタラメって可能性が一番高いのよ」
酔っ払った魔理沙のデタラメ話。
そーなのかー、と心の中で呟いて、咲夜さんはちゃぶ台の上に突っ伏した。
戸を叩く音は、まだ続いている。
「おーい霊夢、居留守なら返事しろー」
「居留守じゃないなら返事をしない方がいいのかしら」
なんて言いながら、霊夢は客が何者なのか確かめに行った。
◆◇◆
「あれ、何で咲夜がここにいるんだ?」
「週末にある宴会の打ち合わせよ……もう終わったけれど」
うなだれた様子の咲夜を妙に思いながら、新たな来客蓬莱人藤原妹紅は、
座布団の上であぐらをかいて、かたわらに大きな風呂敷を置き、ちゃぶ台には小包を置いた。
「峠の茶屋で団子買ってきたんだ、一緒にどう?」
「どうも」
「にしても、宴会かぁ、私も参加していい?」
「どうぞ、今回のメインは永遠亭メンバーだけどそれでもいいのなら」
「じゃあいいや」
完全に興味を失したのか、妹紅は包みを解いて団子を取り出した。
くしに刺された赤、白、緑の三色団子である。
そこに、霊夢が新たな湯飲みと、お茶を淹れ直した急須をお盆に載せて持ってくる。
「で、何しにきたの?」
どうやら霊夢もまだ妹紅が来客した理由を聞いていないらしい。
だが意気消沈している咲夜は、どんな用件だろうと紅魔館には関係ないだろうからという理由もあり、
妹紅がいったい何をしにきたのかまったく興味を持てずにいた。
「泊めてくれ」
霊夢に頭を下げて頼み込む妹紅を見ても、咲夜はどうでもいいとばかりに団子に手を伸ばした。
少しずつ咲夜の精神ダメージは癒えているようだ。
「これまた急ね、何かあったの?」
妹紅の分のお茶を注ぎ終えた霊夢も、団子へと手を伸ばそうとした。
宴会の打ち合わせのあと、茶請けなしで咲夜と下着談義をしていたので小腹が空いているのだ。
ちなみに鈴仙も参加していたのだが、永遠亭の仕事があってとっくに帰っている。
妹紅はそれを存じ上げていなかったが、これから話す事情を聞かれずにすむのは幸運だった。
「実は、かくかく――」
◆◇◆
「よおし、今日のお昼はカレーライスだ! 妹紅カレー激辛スペシャルに改良を加えて、
食べたら火を吐くくらい辛い奴を作ってやるぞ!」
最近妹紅はカレーライスにはまっていた。
竹林の道案内で稼いだお金でお米と香辛料を買い集め、慧音や寺子屋の子供達にご馳走したりもした。
霊夢と咲夜も、妹紅の新作カレーライスの味見を頼まれた事がある。
そしてついにその日、妹紅は改心の出来の激辛カレーを完成させ、さっそく味見をしてみた。
火を吐くくらい辛かった。
本当に火を吐いた。
カレーの辛さが本当にそこまでの威力を持っていたのか、
それともカレーの辛さに驚いた妹紅が炎の力を暴発させてしまっただけなのか、それは解らない。
ともかく、こうして妹紅の家の台所は炎上した。
あまりの辛さにしばし混乱状態に陥っていた妹紅は対処に遅れ、
火事により家の約半分が焼けてしまい、とても住めるような状態ではなくなったのだ。
修理は、以前竹林の案内をした客の中に大工さんがいたので格安で頼む事ができた。
しかしこのおかげで財布も貯金もスッカラカンになった妹紅は、
家が直るまでの間、宿に泊まる事もできぬ身の上となってしまった。
慧音は「家が直るまで、私の家に来るといい」と言ってくれたが、
普段から世話になっているのにさらに迷惑をかけるなんてしたくなかった。
なので適当に友人知人の家を泊まり歩きながら、その家の手伝いをしたり、
適当な仕事をしながら暮らそうと思い立ったのだ。
そして栄えある第一号に選ばれたのが、博麗神社の博麗霊夢である。
しかし不躾に頼むのもどうかと思い、わずかに残っていた金銭をはたいて土産の団子を買ってきたのだ。
◆◇◆
「――しかじか、という訳なんだ」
かくかくしかじか――何と便利な言葉であろう。
この一言でどんなに長ったらしい説明も一瞬で終わってしまうのだから。
事情を聞き終えた咲夜は、団子を食べる手が止まっていた。
まさか、そんな事情で買ってきた団子だとは思わなかった。
団子を食べてしまった以上、泊めてやらねば鬼畜にも劣る外道の烙印を押されてしまいかねない。
けれど博麗神社に来た以上、メインターゲットは霊夢のはず。
だがしかし、よくよく見れば霊夢はまだ団子を一口も食べていなかった。
これは巫女の直観力と防衛本能の成せる業か?
「で、家はいつ直るの?」
「一週間でいいんだけど」
「じゃあ駄目だわ」
と、霊夢は団子を置いて言い切った。
「何でだ? 宴会に参加する気はないけど、準備くらいなら手伝ってもいいよ」
「明日から鈴仙や永遠亭のうさぎも泊り込みで準備を手伝うんだけど、いいの?」
1.鈴仙達も泊まる。
2.なぜ妹紅が泊まっているのかバレる。
3.永遠亭に帰った鈴仙達が輝夜に報告する。
4.輝夜に馬鹿笑いされるに決まってる。
5.輝夜ぶっ殺すッ!!
「うおお! あの野郎ォ、輝夜死ねぇっ!!」
「そこの蓬莱人、それ以上お茶を蒸発させると100万回リザレクションさせるわよ」
妹紅の握る湯飲みからジュージュー音を立てて水蒸気が昇っていた。
お茶を愛する霊夢としては、そろそろ弾幕を飛ばしてきてもおかしくない。
殺気を感じ取った妹紅は、大きく息を吐き、湯飲みをちゃぶ台に置いた。
「むううっ……それじゃあ、どうしようか……チラリ」
上目遣いを咲夜に向ける妹紅。
「まあ、うち以外を当たってみる事ね……チラリ」
横目を咲夜に向ける霊夢。
元より団子を食べてしまった咲夜に退路はない。
「……はぁっ、解ったわ。紅魔館に泊められるかどうか、お嬢様に訊いてみる」
「おお、いいのか咲夜」
「私に決定権はないから、駄目だったとしても恨まないでね」
「いいよいいよ、頼んでくれるだけで大助かりだよ」
こうして妹紅と咲夜が友情を深めている間、
やっかい事に巻き込まれる心配のなくなった霊夢は、
妹紅がなけなしの金で買ってきた団子に遠慮なく手を伸ばすのだった。
◆◇◆
「一週間働いてくれるなら別に構わないわ」
紅魔館の雅な調度品に彩られた一室にて、レミリアの了承を得られた妹紅。
あまりに呆気ない展開で、逆に戸惑ってしまう。
「いいのか? こんなすんなり……」
「いいわよ、働いてもらうから」
「うっ……そ、そうか。なるほど了解した」
妹紅は悟った。悟ってしまった。
確かに物事には代価というものが必要だ。
そして紅魔館で払うべき代価はふたつしか思い浮かばない。
しかしそのうちのひとつ、吸血鬼のための血液は、すでに供給を得ているはずだ。
それに初めて会った時、咲夜は死なない妹紅を見て「血を吸い放題」と言ったが、
レミリアは妹紅がすでに吸血鬼を恐れる『人間』ではないという理由で拒否していた。
すなわち。
「少々恥ずかしいけど仕方ない。
藤原妹紅、今日から一週間メイド服を着させていただく!」
バーニングメイド☆妹紅ちゃん
紅魔館の新人メイド妹紅ちゃん! フリフリメイド服で今日もお仕事がんばるゾ!
イジワルなメイド長の嫌がらせにも負けず、健気にがんばる姿は野に咲く花のよう。
きゃー! お嬢様の花瓶を割っちゃったぁ、どぉしよう……。
厳しいお嬢様からオシオキが……嗚呼、堪忍! 後生ですから堪忍……!
散る花一輪、その名を妹紅。吸血鬼の毒牙にかかった少女の行く末や如何に。
「なぁーんて展開も、甘んじて受け入れよう!」
意外と妄想たくましい妹紅さん、頭の中はすっかり桃色カオスで意外とノリノリ。
メイド服という女性らしい服装への憧れなのか、すでに着る気満々だ。
しかし幸運にも以心伝心ではなかったレミリアは眉をしかめる程度の反応をするのみで、
すぐ気を取り直しちゃんとした仕事を言い渡した。
「じゃ、一週間門番してなさい」
「え」
一瞬、意味が解らなかった。
紅魔館には紅美鈴という門番がいるはずだ。
あれ? でもそういえば紅魔館に入る時、門を護っている者の姿はあっただろうか。
いや、いなかった。
「あの門番はどうしたのさ」
「美鈴は……」
レミリアに代わり咲夜が説明しようとしたその時、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「お嬢様!」
入ってきたのは、まさしく噂の門番紅美鈴。
いつもと違うのは松葉杖をついている事くらいか。
「雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も、雹が降ろうと矢が降ろうともグングニルが降ろうとも、
病魔に冒され熱が40℃あろうとも、両手両足の骨が折れようとも、
紅魔館を守護する勤めと決意は揺るぎなし! それが門番の矜持、紅美鈴の忠義ッ!」
猛々しい叫びは裂ぱくの気合となって空気を切り裂き、妹紅の背筋を冷たい電流が駆け抜けた。
同様に咲夜もわずかに身をすくませたが、さすがは紅魔館の主レミリアは余裕の笑みで受け流す。
「あなたの忠義は嬉しいのだけど、私に対しよくも傲慢を吼えたわね」
そう言ってレミリアは軽く手を払った。瞬間、無数の光弾が美鈴に向けて発射される。
慌てて回避行動をとる美鈴。避けられた弾は廊下に出ると同時に霞の如く消え去った。
「キャン!」
そして、一発の光弾が美鈴の左足をかすめ、彼女に膝をつかせる。
「その程度の弾幕も避け切れないようで紅魔館を護るとは何という傲慢。
あなたの役目は紅魔館の門を守護する事。そのためならあえて恥をかくのも忠義でしょう」
「イタタ……も、申し訳ありません……」
「とはいえ部外者に門を任せるのも問題。美鈴、あなたはこの蓬莱人を監督しなさい」
「……かしこまりました」
「と、いう訳だ藤原妹紅。美鈴の下で一週間、門番をやり遂げてみなさい」
まだ美鈴の気迫の余波で、ややぼんやりとしていた妹紅は慌ててレミリアの方に振り向く。
「あ、ああ……解った、任せてくれ」
言葉とは裏腹に妹紅は不安を感じていた。
正直、門番など侮っていた。
だが紅美鈴が見せた気迫は一流の闘士が持つもので、それが松葉杖を必要とする負傷をしている。
この平和な幻想郷で、それほど激しい戦いが繰り広げられているというのか。
そんな物騒な住人は、異変という例外を除けば輝夜と殺し合いをする自分くらいだと思っていた。
果たして妹紅は門番をやり遂げられるのだろうか。
◆◇◆
門番1日目。
仰々しい門のかたわらに、門番用の詰め所があった。
といっても最低限の設備しかない。
小さなキッチン、小さなトイレ、小さなテーブル、小さなベッド。
とても二人で寝食をともにできる広さではない。
美鈴は詰め所から椅子を取ってきて、門の前に置きそこに座り、松葉杖を肘掛に立てかける。
「私はここに座ってますから、妹紅は門の前に立っていてください」
「ああ……でも、あんたは詰め所の中にいたらどうだ? その足じゃつらいだろ」
「私は両手両足が折れても門の前に立ち続けるくらいの気概は持ってますから大丈夫です」
「そうか……」
「そう、門番とは必要とあらば一週間あるいは一ヶ月間不眠不休で見張り続ける事も……。
それにしてもいい天気ですねぇ、小鳥もさえずって、ふわぁ……ぐぅ、ぐぅ」
「って寝るのかよッ!?」
門番としてどういう事をすればいいか、一切説明なく美鈴は居眠りを始めてしまった。
どうしたものかと妹紅は頭を抱えたが、とりあえず言われた通りに門の前に立つ。
(怪しい奴が来たら、弾幕勝負で追い返せばいいんだよな?
何をやるかという問題はシンプルだ。
だがあの門番に負傷させるほどの強敵が襲ってくる可能性もある。油断は禁物か)
両の頬をパシパシと叩いて気合を入れた妹紅は、空に向かって握り拳を掲げた。
「よぉし。来るなら来い、襲撃者!」
「マスタースパァァァァァァク!!」
「ぎゃー」
空が光った。そして聞き覚えのある声をかき消しながら、閃光が妹紅を呑み込む。
光が晴れると、煙をプスプスと上げながら妹紅はその場に倒れ込んだ。
そんな彼女の前に降り立つ白黒衣装。
「よし、正義は勝つ! ……って、あれ? 誰?」
「リザレクショォォォン!」
「なんだ、妹紅じゃないか」
「そういうお前は霧雨魔理沙ッ!? いきなりマスパとはどういう了見だ!」
毎度お馴染み霧雨魔理沙は、すぐに門の側で居眠りしている美鈴と、松葉杖を発見した。
ぎょっと目を丸くした魔理沙は、美鈴の足に視線をやる。
衣服やズボンで隠れているものの、隙間からわずかに包帯が見て取れた。
「なぁ、美鈴の奴どうしたんだ?」
脅威の不死身性で完全回復した妹紅は、憮然とした表情でそっぽを向く。
「さぁね。私も訊こうと思ったんだけど、いきなり眠っちゃったからな」
「それで、どうして妹紅がここにいるんだ。美鈴と勘違いして開幕マスパしちまったじゃないか」
「お前はいつも美鈴に開幕マスパなんかしてるのか」
「マスパ以外もやるぜ。早く決着がついた方が時間に余裕ができるしな」
「で、何しに来たんだお前は」
「本を借りに」
「じゃあマスパする必要ないだろ」
「ん? いや、あるけど……何だ、入っていいのか?」
「本を借りに来ただけだろう? お前なら別に入ってもいいんじゃないか?」
「そうか、事情はよく解らんが入れてもらえるなら入れてもらボブッ!?」
唐突に、ひとつの気弾が魔理沙の顔面で弾けた。
ハッと振り向けば、居眠りしていたはずの美鈴が目を覚まして手のひらを向けている。
マスタースパークの轟音でも眠りこけていたはずだが、いつ起きたのだろう。
「魔理沙が何かを"借り"に来た時は全力で阻止するのが門番の務めです。ちゃんとやってください」
「あ、ああ……? でも魔理沙だろ、友達じゃないのか?」
「霊夢同伴の時や、行儀よく遊びに来たりした時はいいんです。
ただ何かを借りに来たときは必ず強行突破しようとしますので簡単に区別できますよ。
紅魔館には魔理沙に貸していい物は何一つありませんから」
「なんかケチくさいなぁ……」
まさか魔理沙が借りた物を一生返さない主義の持ち主だとは、
交友関係の深さが足りない妹紅が知る由もなかった。
とはいえ今の美鈴は妹紅の監督役、上司である。
文句や疑問があろうとも、言われた事は実行しなければならない。
「まあいいや。魔理沙の奴をコテンパンにすればいいんだな?」
意識を切り替えて向き直ると、魔理沙は鼻血を垂らしながらよろよろと立ち上がっていた。
気弾のふいうちはかなりの効果を上げたらしい。
鼻血は呼吸を妨げるため、弾幕勝負に限らず戦いでは非常に重いハンデとなる。
が、そんなもん知ったこっちゃないぜとばかりに魔理沙は鼻血を拭ってニヤリと笑った。
「お、やる気か? お前とは肝試し以来だな。また私の勝ちだな」
「人形遣いの友達なしで、果たして私に勝てるかな」
「相手が誰であろうと紅魔館の門番をやってる以上、私が負けるはずないんだぜ」
二人がやる気になるのを確かめて、美鈴は再びうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
妹紅が勝つと信じているのか、妹紅が負けたらすぐに起きる自信があるのか、
あるいはすべての責任を妹紅に押しつけこのあとどうなろうと知ったこっちゃないのか。
それは妹紅が負けてみなければ解らないが、ともかく二人の勝負が始まった。
「先手必勝! 恋符『マスタースパーク』!!」
「なんの! 時効『月のいはかさの呪い』!」
「さらに行くぜ! 恋符『マスタースパーク』!!」
「ならばこちらも! 不死『火の鳥 ―鳳翼天翔―』だー!」
「まだまだ行くぜ! 恋符『マスタースパーク』!!」
「でーい鬱陶しい! 藤原『滅罪寺院傷』でくたばれ!」
「もいっちょ行くぜ! マスタースパーク!!」
「ならば徐福時……」
「さらにドンとマスタースパーク!」
「虚人『ウー』で対抗……」
「うりゃうりゃうりゃー! マスタースパーク!」
「うおお、フェニックスの尾ォォオ!」
「とことんマスタースパークだぁぁぁ!!」
「フジヤマヴォルケイノー!」
「果てしなくマスタースパークだぁぁぁ!!」
「パゼストバイフェニック……」
「マスパァァァッ!!」
「蓬莱人形!」
「マスパだー!!」
「インペリシャブルシューティングゥゥゥッ!」
「懲りずに何度でもスターダストレヴァリエー!」
馬鹿のひとつ覚えの如き怒涛のマスタースパーク連発の最中、突然のスターダストレヴァリエ。
マスタースパークを回避するつもりで戦っていた妹紅は完全に虚を突かれ、直撃を受けてしまった。
「負けたぁ〜……」
バタンと仰向けに倒れてしまった妹紅の横を、スキップで通り抜ける霧雨魔理沙。
「さぁて、今日は何の本を借りて行こうかなー」
こうして門番初日から魔理沙の侵入を許してしまった妹紅。
ああ、門番補正でもあるのだろうか。強烈なマイナス補正が。
ちなみに美鈴は寝こけたままだった。
日が暮れる時刻。小悪魔が運んできた夕飯は質素なものだった。
「なあ美鈴、これは何だ」
「夕飯です」
「なあ小悪魔、これは何だ」
「夕飯です」
「おかしいな。私には食後のデザートのプリンしか見えない」
「夕飯です。今日は魔理沙さんがいっぱい本を借りていったので」
淡々とした口調の小悪魔だが、眼差しには同情の色合いが浮かんでいた。
よく見れば小悪魔の服も、まるで弾幕勝負に負けたあとのように汚れている。
魔理沙は本を借りに来た、という事は小悪魔とパチュリーも弾幕勝負でしてやられたのだろう。
なのに小悪魔は、門を護り切れなかった美鈴と妹紅を責めるではなく、
同じ被害者としての共感を抱いてくれている。
それは嬉しい。
だが。
「人間プリンだけじゃ生きていけないと思うんだ。いや、私は不死だけどさ」
「最低限の栄養は入ってるから大丈夫、って咲夜さんが言ってた」
「美鈴も怪我してるんだし、もっと栄養のあるものをだな」
気遣い半分、下心半分で言った妹紅だが、美鈴は素知らぬ顔でプリンを食べていた。
抗議の目線を送ると、美鈴は自嘲して答えた。
「慣れてますから、あなたも慣れてください」
慣れたくない。
絶対に慣れたくないと妹紅は思った。
プリンを食べ終えた妹紅は、湖にいるだろう魚でも捕まえて焼こうかと提案したが、
そんな理由で門の前を離れるなど言語道断だと美鈴に叱られてしまった。
夜は毛布を借りて詰め所の床で寝た。
泊まる場所を間違えたとひしひし感じる寒い夜だった。
そういえば夜は誰が門を護っているんだろうと考えた妹紅だが、
すぐ眠ってしまったためそれを確かめる事はなかった。
◆◇◆
門番2日目。
「霧雨魔理沙が1日に本を借りに来る確率は、先週だと200%でした」
「美鈴先生。普通は100%がMAXじゃないんですか?」
「1日1回、週に7回で100%とすると、1日2回を7日繰り返せば200%になります。
ちなみに先週は日曜日に3回、月曜日に2回、火曜日に1回、
木曜日に2回、金曜日に1回、土曜日に5回でした」
「そーなのかー」
「ちなみに最高記録は週に37回です。うち、5回の防衛に成功しています。
うち、1回は私が、1回はパチュリー様が、2回は咲夜さんが。
最後の1回はお嬢様が偶然魔理沙と遭遇したための幸運でした」
「美鈴先生。どうしてそうまでして魔理沙に物を貸したくないんですか?」
「彼女は一生借りる癖の持ち主です。ついでに蒐集癖に従いいくらでも借りていきます」
「そーなのかー」
「他に質問は?」
「あー、美鈴の足の怪我はどうして? 魔理沙が……って感じじゃなかったし」
「黙秘します。はい、じゃあ門の前に立って、ネズミ一匹入れないようしっかりお願いします。ぐぅ」
「やっぱり寝るのか」
絶好調居眠り中の美鈴のかたわらで、妹紅はぼんやりと青空を眺めながら今日の朝食を思い出す。
夜に侵入者が現れなかったのか、それとも朝は防衛率と関係ないのか、普通の朝食だった。
朝はご飯派の妹紅だが、トーストもなかなかイケるものだと感心した。
そこで妹紅は小さな目標を立てる。昼まで、昼食までは何としても門を死守する。
夕飯がプリンになるのもひもじいが、もし午前中に侵入者を通せば、昼食がどうなる事か。
「頼む魔理沙。今週は私のために来ないでくれ」
言い終わると同時に、上空から風のように舞い降りて、妹紅の眼前に着地する人影。
「こんにちは、清く正しい射命丸です」
「……そうきたか」
射命丸文の『文々。新聞』の悪評は、さすがの妹紅も聞いていた。
慧音が取材にあって散々な目に遭ったと愚痴を漏らしていた事もあったし、
妹紅も取材を受けなぜか弾幕の写真を撮られていったりもした。
さてここで問題なのは、どうこの場を誤魔化すか。
家を半焼させた事実を輝夜に知られる訳にはいかない、なんとしても誤魔化さねば。
「で、妹紅さんは紅魔館の前で何をなさっているんですか? 何か用事でも?」
さっそくペンとメモ帳を取り出す文。
どう答えたものかと妹紅は頭を悩ませた。
「あー……その、なんだ。美鈴が怪我をしたから、門番のアルバイトをしてるんだよ」
「ほほう、そうなんですか」
「うん、そう。竹林の案内よりギャラがよくってね」
「でも商売は信用第一ですからねぇ、竹林の案内を休んでしまうと固定客を逃しますよ?」
「ちょ、ちょっと入用でさ。短期間で稼げるだけ稼ぎたいんだ」
「おお、蓬莱人はいったい何に大金をつぎ込むのか? これは記事になりますよ!」
「プライベートな買い物なんだ、ほっといてくれ」
「いえいえ、記者は真実を報道する義務がありますから」
頼むから真実は報道しないでくれと妹紅は願った。
「で、いったい何を買おうとしていらっしゃるんですか?」
「ブラジャーよ」
返事は、門の内側からした。
振り向けば、門が開きメイド服の咲夜が現れる。
彼女はまず居眠中の美鈴をいちべつすると、次に文へと視線を移した。
「あやや、咲夜さんこんにちは。妹紅さんはブラジャーを欲しがっているんですか?」
「そうよ。バイトの面接の時に、動機として話してくれたわ」
「ちょ、咲夜、何を……」
面接なんてしてないし、そんな動機も持ってないし、誤魔化してくれるにしても他にあるだろう。
だが咲夜は構わず話を続ける。
「丁度うちの門番が怪我をして、信用できるバイトを探していたのだけど、
霊夢に相談に行ったらタイミングよく妹紅が来て利害が一致したという訳よ」
「ははぁ、なるほどなるほど。でもブラジャーなんてそう高い買い物でもありませんよね?」
「それがね……『神にも悪魔にもなれるブラ』という一風変わった品なのよ」
「何と! 『神にも悪魔にもなれるブラ』ですか!?」
そんなブラ知らない。
さらに言えば知っていても買いたいなんて思わない。
「実を言うとそのブラの情報が少なくて"妹紅が"困ってるんだけど、
情報通の文なら何か知っているんじゃないかしら?」
誰が困っているんだ、と妹紅は怒りの鉄拳を握りしめた。
でも振り下ろす事はできない。
「むむむっ、さすがの私も存じません」
「そう……」
「ですが実に興味深い名前のブラジャーです、取材する価値はありますね……。
よぉし、ここは"妹紅さん"のためにも『神にも悪魔にもなれるブラ』を取材してみましょう!」
「まあどうもご親切に。よかったら話の種に、私にも取材結果を聞かせてもらえないかしら」
「お任せください! 清く正しい射命丸、いざ取材へ飛び立たんッ!」
幻想郷最速の名に相応しい速度で文は空の彼方に消え去った。
それを見送ったあと、妹紅は咲夜の襟に掴みかかる。
「おい……誰がブラなんかのためにバイトしてるって?」
「せっかく誤魔化して上げたのに、そんな言い方はないんじゃない?」
「しかも『神にも悪魔にもなれるブラ』ってなんだよ。本当は自分が知りたいんだろ」
「まさか。あれは魔理沙の言っていた冗談よ……万が一という事もあるけれど」
「その万が一に賭けてる匂いがプンプンするんだが」
「さて、私は買い物に行きますわご機嫌よう」
言い終わると同時に咲夜の姿は忽然と消えた。
時間を止めて逃げたらしい。
妹紅は『蓬莱人藤原妹紅のお目当てはブラジャー!』という記事を幻視した。
涙が出た。
昼になると、小悪魔が昼食を持ってきてくれた。
どうやら咲夜は時を止めて帰宅したらしい。妹紅と顔を合わせるのを避けたようだ。
悪いとは思っているらしく、昼食はちょっと豪華だった。
豪華なのに嬉しくないという悲しさに妹紅はまたもや泣きそうになる。
事情を知らずのん気にご馳走を頬張る美鈴が妬ましかった。
「やっぱり泊まるべき家を間違えた気がする……」
一日中、門の前で立ちっぱなしの妹紅。
泊めさせてもらえるなら家事の手伝いなどをしようと考えていたけれど、
門番の仕事はとてつもなく暇で、しかしいざという時はきつい弾幕勝負が待っている。
どうか魔理沙が来ませんように、と祈ろうとして、妹紅はやめた。
祈ったら文が来た。
また祈ったら、今度こそ魔理沙か、あるいは別のやっかい者がやってくるに違いない。
祈ってはならぬ。そう、門番の仕事は祈る事すら許されない。
祈っては――。
「よう! 魔理沙さんが今日も本を借りにやってき――」
「フジヤマヴォルケイノォォォオッ!!」
視界に入った白黒目がけて即座に炎の洗礼を浴びせる妹紅。
やったぞ、今日の晩ご飯はハンバーグだ!
「しかし夜は床で毛布……グスン」
◆◇◆
門番3日目。
今日も朝食は普通。
そして気づく、美鈴も居眠りしてる事だし妹紅も立ちっぱなしである必要はない。
そもそも幻想郷にはスペルカードルールがあるのだから、ふいうちなどほぼありえないのだ。
ほぼ、なのは初日の魔理沙の奇襲もあったが、あれは何度も美鈴を突破し続けた結果の、
お互い了承済みな戦闘時間短縮のためのものらしいので、別に構わないらしい。
今は妹紅が門番を務めているため、魔理沙もそういった真似はしないだろう。安心安心。
それでもルールを無視して襲ってくるような輩がいたら、博麗の巫女に成敗してもらうだけだ。
とはいえそういう輩が来た時に、門を通してしまっては門番の役目を果たした事にならない。
「でもそんな奇特な妖怪や人間、もはや絶滅危惧種ですよ。絶滅してくれていいですけど」
と、三人分の昼食――今回はサンドイッチ――を持ってきた小悪魔が言う。
妹紅と一緒に詰め所に入って、小さなテーブルを二人で囲んだ。
美鈴は外で居眠り続行中なので、美鈴の分を残して二人は食事と雑談を開始する。
「いやー、紅魔館の飯はうまいな。やっぱり全部咲夜が作ってるのか?」
「ええ。メイド妖精以外の食事は、基本的に咲夜さんがお作りになっています。
たまに私も、自分やパチュリー様の分を作ったり。あと合作も」
「パンばかりって生活もたまにはいいもんだ。このハムサンドなんて、うむ、絶品ッ」
「ちなみに美鈴さんが中華料理を振舞ってくれる事もあります。
見かけ通り中華は得意で、しかも中華以外も一通り作れるそうで……隠れた才能ですね。
でも結局は咲夜さんの方が中華料理も上手に作れるという……」
「咲夜がいるから腕を振るう機会に恵まれないって感じか。
咲夜が来る前は、美鈴が門番兼料理長とかやってたんじゃないか?」
「あはは〜、どうでしょうねぇ」
「ところで美鈴だけど、いつもあんなに眠ってるのか? 門番の仕事してるのか?」
「んー、確かによく居眠りをしますけど、今は……ん……妹紅さんがいますから」
「それと気になってたんだけど、美鈴は足をいったいどうしたんだ? 階段から落ちたとか?」
「できれば内密にしたいんですけど、妹紅さんになら話してもいいかもしれませんね」
食後の一服に入ったため、詳しい話をするには丁度いいというその時、
詰め所の外から何者かの声が聞こえた。誰だろう。
二人は正体を確かめに詰め所を出る。
すると、絶好調居眠り中の美鈴のほっぺをつまんでグニグニとこねくりまわす魔理沙の姿があった。
「めーりん、めーりん、目ー覚ませー」
「よぉ魔理沙、懲りずに今日も本を借りにきたのか」
「おっ、妹紅……に、小悪魔か。丁度いいや、門を開けてくれ」
「ん? 今日はやらないのか?」
「今日はパチュリーのお見舞いだ。やっぱり寝込んでる時に本を借りていくのも気が引けるからな」
「寝込んでる?」
思わぬ言葉に妹紅は眉をひそめ、小悪魔はぷぅと頬をふくらませた。
「もうっ、だったらもっと早くそうしてください。
パチュリー様がお休みしているのをいい事に、私が護る大図書館を荒らし放題しておいて……」
「悪かったって小悪魔。ほら、お見舞いのリンゴとバナナだ。リンゴはうさぎさんカットで頼むぜ」
「自分で切ってくださいよ」
呆れた調子で、小悪魔は紅魔館の門を開けた。
魔理沙を通しながら、妹紅に軽く頭を下げ「続きは美鈴さんにでも」と言って、
自身も紅魔館の中へ消えていった。
目を覚ました美鈴は、膝の上にサンドイッチを置いて食べながら話す。
「5日前の日曜日からパチュリー様の喘息が悪化してね、
それでも魔理沙は本を借りにくるんだから困ったものよ。
借りる時は門番をふっ飛ばしてから……というポリシーを持っているとかいないとか」
「なるほどねぇ。パチュリーの事も気になるけど、それより美鈴の足はいったいどうしたんだ。
何だか毎回はぐらされてる気がする。小悪魔は話そうとしてくれたけど」
「ううっ、お恥ずかしい話、ドリフ級の見事な階段落ちで……骨にヒビが入ってしまって。
まあこれでも妖怪のはしくれですから、妹紅が手伝ってくれてる間にだいたい直ると思います」
嘘くさいなぁ、と思いながら美鈴の松葉杖に目をやる妹紅。
確かに恥ずかしい怪我の仕方だけど、美鈴は隠さず笑いながら話すタイプだと思う。
「ははは、それはぜひ見てみたかったなー」
でも本人が隠したいなら、わざわざ詮索しなくてもいいかと妹紅は思うのだ。
夕暮れ頃、魔理沙は魔法の森に帰っていった。
その後、夕飯を運んでくるついでに小悪魔が美鈴の足の事を話そうとしてくれたが断った。
おおむね平和な一日をすごした妹紅は、門番生活もたまには悪くないと思うのだった。
◆◇◆
門番4日目。
今日も美鈴は居眠りしている。
松葉杖を使うくらい足を痛めているのだから、存分に休んでくれて構わない。
だが妹紅が来てからずっと、美鈴は居眠りしっ放しだ。
一応妹紅を監督しているのだから、もう少し起きていたっていいだろう。
軽く小突いて起こしてやって、軽く文句を言ってやろうか、なんて思う妹紅。
でもわざわざ起こして自分も面倒するよりも、ここは起こさず楽しようと、
妹紅は館の外壁に背中を預けて座り込んで一休み。
のんびりと空を眺めていると小鳥が近づいてきた。
微笑ましい光景だと思いながら見つめていると、小鳥達は居眠り美鈴の帽子の上に止まる。
さらなる微笑ましさに小さく笑うと、さらに美鈴の肩に膝にと小鳥がやってくる。
まるで風景と一体化したかのような美鈴の姿。
ただ居眠りしているだけのはずなのに、彼女に降り注ぐ陽光がきらめいて、
小鳥の奏でるさえずりや、
美しさを感じてしまうほどだった。
気を使う程度の能力、紅美鈴。
彼女は森羅万象の気と同化し、この世の誰よりも穏やかな時をすごしているのではないか。
妹紅は無性に慧音の顔が見たくなった。
理由は解らない。自分のあんな風に穏やかでありたいからだろうか。
迷惑にならぬようと、今回は慧音を頼らなかった。
しかし慧音の家に泊めてもらっていたとしたら、心安らかな時をすごせただろう。
などと思いながら再び美鈴を見ると、まんまる鼻ちょうちんをふくらませていた。
「ブハッ」
思わず噴出す妹紅。
それに驚いた小鳥達が飛び去っていき、パチンと鼻ちょうちんが弾け美鈴が目を覚ました。
「ふがっ?」
まだ寝ぼけているらしく、気だるげな目で周囲を見回す。
そして、のん気にくつろいでいる妹紅を見つけ、一言。
「咲夜さん、今日のおやつは杏仁豆腐でどうかひとつぅ……ムニャ、ムニャ」
髪の色だけで判別したらしい美鈴は、またもや眠りについた。
そして鼻ちょうちん再び。
「くっくっくっ……」
起こさないよう、声を潜めて笑いながら、妹紅は青空を見上げた。
ああ、今日は良き日だ。
ああ、今日は悪い日だ。
酒臭い息に耐えながら、妹紅は苦笑いを浮かべていた。
彼女のかたわらには、酒瓶を持った慧音の姿があった。
「もー! 妹紅がいないから、妹紅がいないからー!」
「あ、あはは……ゴメンって慧音。家が直ったら帰るから……」
どうやら博麗神社の宴会に参加して悪酔いしたらしい慧音の襲撃である。
ある意味、魔理沙よりもつらい。
昼間は無性に慧音に会いたかったけど、こういう形では会いたくなかった。
ちなみに美鈴は「騒がしいですねぇ」と呟いて、詰め所のベッドに向かった。
「聞いてますか。聞いていますかもこたん!」
「聞いてるよ、つか、もこたんって誰だよ」
「もー! 輝夜に隠すのが大変だったんだぞ。妹紅の家が焼き芋になったなんて知られたら!
もこたぁぁぁん! フォーエバァァァッ! ユニバァァァァァァスッ!!」
「ええい、だかましいわこの酔っ払い!」
あまりに酷い酔い方をしているので怒鳴りつけると、
慧音は最強の攻撃『涙目で上目遣い』をしてきやがりました。
「もこーは私の事がキラいなのか?」
可愛すぎて鼻血がでるほどのパワーに、妹紅はたじたじである。
「キライな訳、ないだろ。でも、ちょっと酔っ払いすぎだぞ」
「霊夢がー、だって霊夢がー」
「はいはい、霊夢がどうしたって?」
「妹紅は赤味噌派だって言うんだもーん! 違うよね、妹紅は白味噌派だよね!?」
「私は別にどっちでも……ああ、いやいや、白味噌派白味噌派」
「もこぉぉぉっ! それでこそ、それでこそ藤原妹紅ッ! 家無き子!
同情するから酒をくれぇぇぇっ!!」
「あー……とりあえず家まで送ってってやるから、落ち着け。なっ?」
それからも慧音の愚痴を聞きながら、家まで送ってやる妹紅。
門番の仕事以上に疲れて帰ってくると、門の側に置かれた椅子に、美鈴が座っていた。
松葉杖を地面に転がし、夜空を見上げる形で眠っている。
手には酒瓶があった。見覚えがある、慧音が持ってきたものだ。
そういえば慧音を送っていった時、慧音は手ぶらだった気がする。
うっかり忘れていった酒瓶を、偶然起きてきた美鈴が見つけて、月を肴に飲んでいたのだろうか。
しかし見上げた空は暗黒で、月どころか星すら見えない。
雲で陰っているのか。
「……何だか、気味が悪いな」
誰にともなく呟いてから、妹紅は美鈴を抱きかかえて詰め所のベッドに連れ戻し、
己はすっかり慣れた床と毛布で就寝。夢の中でまで酔っ払った慧音に絡まれた。
◆◇◆
門番5日目。
「こんにちは、清く正しい射命丸です」
げんなりとした表情で迎えるは、紅魔館の紅白門番、藤原妹紅。
「こんにちは。さようなら」
「はい、さようなら。って、来たばかりでそれはないんじゃないですか?
つれないですねぇ。せっかく『神にも悪魔にもなれるブラ』の情報を持ってきたのに」
「ああ、そんな話もあったな」
「欲しがってるのは妹紅さんでしょう」
咲夜だよ。
十六夜咲夜だよ。
瀟洒なメイドだよ。
紅魔館のメイド長だよ。
パーフェクトメイドの咲夜だよ。
言いたくて言いたくてたまらない。暴露したくてたまらない!
だがしかし、ここでそれを明かせば咲夜の報復が待っているだろう。
カレーを作って家を燃やしたというマヌケ話をリークされる訳にはいかない。
だがこのままブラジャーのためにアルバイトをしていると勘違いされたままというのも嫌だ。
さらにそれを記事にされたりなんかしたら妖怪の山に殴り込みをかけてでも、
『文々。新聞』をすべて焼き払わねばなるまい。
「で、例のブラは実在するの?」
と妹紅、の後ろから声がした。
いつの間にか咲夜登場。わざわざ時間を止めてまで駆けつけるとは。
「咲夜さんこんにちは。記事にする前に、特別に少しだけ情報公開しちゃいますよ。
おいしいネタを教えてくれたお礼です」
「という事は、相応の情報を得られたという事かしら」
「ええ。ですが残念なお知らせです。『神にも悪魔にもなれるブラ』は一品物。
しかもそれはすでに購入されており、入手するには持ち主から譲り受けるしかありません」
「そう」
残念そうに咲夜は表情を伏せるが、妹紅としてはありがたかった。
もしブラが売っていたとしたら、それを買わねば怪しまれてしまう。
「もう売れちゃったんじゃ仕方ないなぁ。ブラはあきらめるとしよう。
あ、記事には私の事より、ブラを買った当人の話を載せたらどうだ?」
これで『文々。新聞』の一件は解決だと、ホッと胸を撫で下ろす妹紅。
咲夜は背中を向けて表情を隠しているが、残念そうな背中をしている。
「それじゃ、さっそく当人に取材してみましょう」
だが、文のその発言と、次なる行動に妹紅と咲夜は目を丸くした。
門の前で居眠りをしている門番の肩をゆっさゆっさと揺すりながら声をかけたのだ。
「美鈴さん、美鈴さん。起きてください」
「ん……んむ? ふわぁ、何ですかいったい……」
目を覚ました美鈴は、目をこすりながら文の姿を認め、続いて、その後方の咲夜に気づく。
「ゲェーッ!? い、いや眠ってないですよ? 今日たまたまですから!」
「うふふ、いいのよ美鈴。居眠りなんて些細な事だもの……そう……今は些細な事。それよりも」
「そ、それよりも?」
「脱げ」
誤解を招く発言を全力投球する咲夜。
紅魔館の門番は、顔を真っ赤に染め上げる。
「さささささ、咲夜さん!? いけません、いけませんよ! 同性愛だなんて非生産的な!
いえ、個人の趣味は個人の自由、構いませんけど、いえ、私は構いますよ?
重要なのは互いの気持ちであって私も咲夜さんの事は大好きですけど不純な気持ちは皆無で、
いえピュアなラブもありますが種類の違いというか好きイコール恋愛感情といのは短絡的、
つまり私の好きと咲夜さんの好きも微妙に意味合いが違う可能性もあるような気がしますし、
カレーとラーメンどっちが好きかみたいな問題にも発展しかねない今日この頃、
すなわち私はカレーもラーメンも好きですがそもそも三大欲求の食欲性欲睡眠欲とは」
「うろたえるな華人小娘!!」
咲夜に怒鳴られて身をすくませる美鈴。まるで母親に叱られた子供である。
助けを求める視線を向けられた妹紅は、頭をかきながら一歩前に出た。
「あー……文は『神にも悪魔にもなれるブラ』の取材をしてるんだ。
それで、美鈴が持ってるのか? そのブラジャー」
「え、香霖堂でワゴンセールしてた下着ですか?」
ワゴンセール品かよ、と妹紅は呆れた。
そんなブラジャーじゃ、たいそうな名前に反してろくなものじゃないだろう。
「持ってるのね、着けてるのね、その胸は悪魔の胸なのね」
だが咲夜は獲物を狩る猛禽類のように双眸を鋭くさせている。
そんなに欲しいのか、ブラジャー。
「違いますよぉ。この胸は天然です! だいたいあのブラジャー、もう捨てちゃいました」
「捨て……た……?」
わなわなと震えながら後ずさった咲夜に代わり、文がメモ帳を持って前に出る。
「あやや、捨ててしまったんですか。いったいどうして?」
「だって、神の胸とか悪魔の胸とか、気味が悪いじゃないですか。
毎晩夢にブラジャーの精霊が出てきて、どっちがいいか聞いてきて寝不足になるし、
あまりにも怪しいから燃やして捨てました」
「あやややや……それは残念、ぜひ使用後の話を聞きたかったのですが」
こうして『神にも悪魔にもなれるブラ』は記事にできるほどのものではないと判断され、
文は新たなネタを求めて飛び立った。くだらない騒動が終了して妹紅は笑顔満面だ。
だがその日の昼食はクッキー一枚ずつだった。
そして夕食は魚の目玉を一個ずつだった。
◆◇◆
門番6日目。
一晩経って咲夜の機嫌は治ったのか、朝食は普通のサンドイッチだった。
と思ったら微妙に鮮度が悪い気がした。残り物か畜生。
「まぁ空腹を満たせるなら何でもいいですよ」
美鈴はにこやかにサンドイッチを食べ、コーヒーにミルクをたっぷり入れて飲んだ。
「なあ美鈴。せっかく朝にコーヒーを飲むんだから、たまには居眠りするなよ」
居眠りしてもらっている方が、妹紅もサボれて楽ができる。
とはいえ、毎日居眠りされっ放しというのはどうかと思う。
「いくら怪我してるからってさ、私の監督って仕事があるのにずーっと眠ってるのはマズイよ」
「監督って言ったって、魔理沙を弾幕勝負で追い払う以外に特にやる事ありませんし。
妹紅だって別にサボったりしないから、私がどうこうする必要ないでしょう」
「うっ……」
実はちょっとサボったなんて言えない。
でも門番の仕事があまりに暇すぎるんだから仕方ない。
だから、美鈴が居眠りする気持ちもよく解る。
「でもなぁ……いくらなんでも眠りすぎだろ。普段からあんなに寝てるのか? 睡眠妖怪なのか?」
「誰が睡眠妖怪ですか失敬な」
「今日は私も居眠りしようかな」
「仕事中の居眠りは格別だから、妹紅も一度体験すべきです。
そうすれば私に文句なんて言えなく……いや、でも咲夜さんに見つかったら、
私が監督責任を取らされるのかなぁ、ううーん……」
「よぉし、じゃあ咲夜が来るタイミングを狙ってサボってみよう」
くつくつと笑う妹紅。もはや主目的はおちょくる事になり、真面目に注意する気は皆無である。
それは美鈴も了解しており、笑いながらの応答をする。
「むううっ、ならばその時は監督として鉄拳制裁させてもらいます。
もー、スペルカードルールのせいで得意の格闘技をなかなか活かせないから、拳の餌食決定ッ」
「フフフッ、伊達に蓬莱人はやっていないぞー。
私もデスクィーン島で磨いた自慢の拳がある(訳がない)!」
「望むところ、紅美鈴が蓬莱人を相手に前人未到の死亡確認を達成しましょう!」
「その後、平然と生き返ればいいんだな。でも痛いのは勘弁してくれ」
そんな調子で朝食を終えると、美鈴は松葉杖を置いて外に出た。
「足はもういいのか?」
「伊達に居眠りしてません、もうほとんど回復しました。
蹴ったり走ったりはまだつらいけど、飛べばいい弾幕勝負はもう問題ないかな」
「私もそろそろお役御免だからなー」
「じゃ、あとはヨロシクおやすみぃ」
堂々と椅子に直行し、居眠りモード突入の美鈴。
苦笑を浮かべつつ、妹紅も外壁に背中を預けてあぐらをかく。
「ん、今日もいい天気」
しばらくすると、妹紅もついうとうとしてしまう。
いい具合に現実と夢の狭間をたゆたっていると、目の前にメイド服が現れた気がした。
「うわぁっ!?」
突然の叫び声に、妹紅は飛び起きた。
いったい何事か、事態を早く把握せねばならないのに、重たい眠気がつきまとう。
「うっ……なんだ、誰だ? 何が……」
かすむ視界の中、妹紅はかろうじて白黒衣装を認めた。
「魔理、沙?」
「も、妹紅なのか?」
「何を言ってるんだ? いったい……」
目をこすり、妹紅は周囲を見渡した。
妹紅と同じく魔理沙の声で飛び起きたらしい美鈴が、見事に椅子から転げ落ちて、
顔面から地面に突っ伏している以外に何ら異常は見当たらない。
賊の類が現れた訳ではないようだ。
「それより魔理沙の叫び声を聞いた気がするんだけど、いったい何があったんだ」
「あー……空から鳥の糞が降ってきたから驚いただけだ。もう少しで当たるところだったぜ」
「なんだ、そんな事か……驚かすなよー」
呆れ返り、深々と溜め息をつく妹紅。
話はちゃんと聞こえていたのか、美鈴も突っ伏したまま、慌てて起きる気配はない。
「……で、今日は何の用だ。本を借りにきたんなら相手をするぞ」
「今日もパチュリーのお見舞いって事にしとくから、門を開けてくれ……くくっ」
「ああ、解った」
なぜか魔理沙は腹を抱え、何かをこらえているかのように見える。
腹痛か?
「パチュリーによろしくな」
「ああ、色々話しとくよ……色々とな」
含みのある笑いを浮かべながら、魔理沙は紅魔館の中に入っていった。
何だったんだろうといぶかしげに眉根を寄せながら、妹紅は門を閉じた。
「アイタタタ……鼻を擦った」
と、横から美鈴の声がした。そりゃ顔面から地面にダイブすれば鼻も擦るだろう。
「大丈夫か?」
「これくらい大丈夫です」
その時、二人の視線が交差する。
互いの顔を目視する。
妹紅は見た。
目の周りと鼻、それから耳を黒く、それ以外の部分を白く塗られた美鈴の顔を。
「パンダッ!?」
「歌舞伎ッ!?」
同時に指差し、同時に叫び、同時に硬直し、同時に気づき、同時に動き出す。
まさか。
二人は詰め所の洗面台に駆け込んだ。
妹紅は見た。
真っ白い顔に、黒々とした太い眉、そして紅い隈取は、妹紅の白い髪と相まって、
どこからどう見てもまさしく歌舞伎役者その人だ。
「なっ――ななななななななな、なんじゃコリャァァァッ!?」
叫びが轟かせながら、妹紅は鏡に両手を押しつけようとして、気づく。
手のひらに何か書いてある。
他にも落書きが? 慌てて両の手のひらを確認した。
左手に「る」
右手に「な」
るな? 月という意味だろうか、しかしそれならカタカナで書く方が解りやすい。
眉間にしわを寄せていると、隣の美鈴が呟いた。
「……サボ」
「え?」
美鈴も、妹紅同様両方の手のひらを見下ろしていた。
妹紅はそれを覗き込む。
左手に「サ」
右手に「ボ」
二人合わせて、
「サ、ボ、る、な……?」
妹紅が読み上げると、美鈴はその場に膝をついて嘆く。
「咲夜さんだ……咲夜さんが時間を止めて落書きしたに違いない……」
「な、なにぃ!? あれは夢じゃなかったのか!」
「魔理沙はこれを見て驚いて……意気揚々とパチュリー様にご報告に行った、と」
「パチュリーに知られるって事は、当然レミリアにも……」
「というか咲夜さんが直接報告してるかも……」
居眠りは毎度の事なれど、さすがに二人そろってのサボタージュは相当まずかった様子。
今日の昼食と夕食は悲惨な事になりそうだと、二人してがっくり落ち込んで約数分。
のそのそと手と顔を洗い、落書きを落とす。
それから意気消沈と門番の仕事に戻ると、小悪魔が昼食を持ってやってきた。
「あの……これが今日の昼食です」
豆が一粒ずつ。
一粒食べれば十日間くらい何も食べなくても平気な豆ならいいのにと思わずにはいられないッ!
何とか挽回してまともな夕食をもらわねばと意気込む妹紅だが、
美鈴は豆だけという仕打ちにやる気をなくしたのか、詰め所のベッドに引きこもってしまった。
「ええい、こうなったら私一人で勝利の夕食を勝ち取ってやるぅッ!」
しかし昼寝をしたくなるほど平和な時間が刻々とすぎ、
魔理沙も笑いながら帰っていったりして、挽回するような出来事は何も起こらなかったとさ。
夕食は、やはり小悪魔が持ってきてくれた。
「えーと、挫けないでくださいね」
意外と豪華だった。パン、スープ、サラダ、ジュース。
しかし素直に喜べない。どうして全部が全部、緑色?
とりあえずジュースを一口飲む。
吐きそうになるほど苦かった。
「あ、青汁……か……」
その時、妹紅は悟った。
このジュースはただの青汁だ。
そして他の緑色の食べ物は、全部青汁味だ。
それでも空腹だったので「青汁は栄養がある」と自分に言い聞かせて全部食べた。
美鈴は無言で全部たいらげ、無言でベッドに戻った。
こうして明日への不安を残しながら、妹紅も毛布に包まって床に寝転がる。
明日はいい日になりますように――。
◆◇◆
門番最終日――深夜。
爆砕する壁の破片の弾幕を、軽々と回避する咲夜。
紅魔館の廊下を、時と空間を操る能力でできるだけ広げ、逃げ場を確保する。
粉塵により視界を閉ざされながらも咲夜は果敢にナイフを投げるが、
紅き閃光がすべては薙ぎ払らい、咲夜の身を直撃する。
「ん……うん?」
地面が揺れている気がして、妹紅は目を覚ました。
今は何時だろう。時計を見ると、夜中の2時だ。すでに日付も変わっている。
「むぅ、ん……」
妹紅は布団をかぶり直して、再び眠りの海に精神を沈めようとした。
だが意識を叩き起こそうとするかのような轟音とともに大地が揺れる。
「うわ、あっ……!?」
さすがにただ事ではないと、妹紅は布団を跳ね除けて上半身を起こした。
ピリピリと張り詰める空気が、どんな目覚まし時計よりも素早く強烈に妹紅の目を覚まさせていく。
眠気など、もうどこにもない。
「敵襲かッ!? 美鈴、起き……美鈴?」
隣のベッドを確かめようとして、隣が壁である事に気づく。
妙だ。自分はベッドの隣の床で眠っていたはずだ。毛布に包まって。
そう思いながら妹紅は自分にかぶさっていた布団を力強く握る。
「……え?」
布団、だった。妹紅は布団で眠っていた。
しかも妙に床がやわらかい。身じろぎをすると、ギシと軋むほどに。
「あ、れ? 何で私がベッドで寝てるんだ?」
そう、美鈴が使っているはずのベッドで妹紅は眠っていた。
自分が眠っていたはずの場所には、自分が使っていたはずの毛布が広がっているだけ。
訳が解らないままベッドから降りると、再び短い地震が起きた。
「だぁーっ! いったい何が起こってるんだー!?」
怒鳴りながら詰め所から飛び出ると、色鮮やかな星々が夜空を翔けていた。
流星群? いいや違う、あれは……弾幕だ!
美しい気弾の乱舞が、紅い閃光の刃に吹き飛ばされている。
「レーヴァテイィィィン!!」
「ぎゃー」
紅い魔力に撃墜された人影は紅美鈴。
地面に向けて落下を始め、妹紅は慌てて飛翔し抱き止める。
「美鈴しっかりしろ!」
「い、妹様を、止め……て」
「美鈴ッ!」
呼びかけても返事はなく、美鈴はすでに意識を手放していた。
「くそう、急展開すぎて話についていけない!」
様々な疑問を置き去りにして妹紅はいったん紅魔館の庭に降りると、
彼女の守護する紅魔館の門の脇に美鈴を横たわらせ、月を睨む。
真円を描く月光の中心には、小さな少女の影が浮かんでいる。
彼女こそ紅魔館の悪魔の妹様。
「フランドールッ!」
名を叫びながら妹紅は空中に飛び上がり、フランドールと相対する。
「あなた誰だっけ?」
無邪気な笑顔を浮かべながら、強烈なプレッシャーが妹紅に叩きつけられる。
「でも……誰でもいいや、私はお外に行くの」
「おいコラ、ちみっこ。お外に行くのは構わんが、身内をぶっ飛ばして行くのは感心しないな」
「うるさいなぁ……あいつがパチュリーにかまけてる今がチャンスなのにー」
あいつ、とは咲夜の事だろうか。あるいはレミリアか。
パチュリーが寝込んで、魔法で雨を降らせられない今が、紅魔館を抜け出す絶好のチャンス。
おおまかな事情を察しながら、妹紅は自らが窮地に立たされていると理解した。
こんな絶好調暴走中のフランドールをお外に出したら、大惨事だ!
紅魔館の紅白門番として死守せねばならない。
「邪魔する奴は指先ひとつで破壊よー」
「むうう、いい感じにキてるみたいだな……。やい、出かける時は『いってきます』だ。
そして家族から『いってらっしゃい』って言われるべきだって慧音が言ってたぞ!」
「じゃあいってきまーす!」
「ところがどっこい、行かせる訳には参りません。
わがまま抜かして大暴れする悪い子は、とっ捕まえてお尻ペンペンだ!」
ぷうっ、とフランドールは頬をふくらませた。
殺人的な可愛さは、本当に殺人的な攻撃力を持っているから困り者。
「たまには咲夜や魔理沙や霊夢とは違う人間"で"遊びたいのにー!」
「ちょいと普通とは違う人間の藤原妹紅が遊んでやるから、おとなしく部屋に帰りな!」
妹紅の周囲に無数の炎弾が出現し、まさに弾の幕となってフランドールに迫った。
「不滅『フェニックスの尾』!!」
ほとんど隙間のない炎の乱舞を瞳に映したフランドールは、
三日月のような弧を唇に描かせると、軽く手を上げ、
「禁弾」
振り下ろす。
「スターボウブレイク!!」
まるで虹のように色とりどりの魔弾がフランドールの周囲に躍り出た。
その数、フェニックスの尾に勝るとも劣らぬほど。
次々と放たれる無数の炎弾と魔弾は二人の間で激突し、夜空に無数の花火を咲かせる。
ほぼ互角、に見えたのは最初だけだった。
「お、押されるッ!?」
弾数はほぼ互角、しかし一発一発の破壊力はフランドールに分があった。
破壊の権化の如き少女は、すでに勝利を確信してますます笑みを深く暗く、狂気をみなぎらせる。
「キャハッ……つぶれちゃえ」
次々と破壊される炎弾、ついにスターボウブレイクの威力が妹紅に炸裂しようとした。
この数、この量、この弾幕、とても避けきる自信はない。
ならば。
「受けてみるか大玉!」
構えた妹紅に宿った高熱が、両手のひらの前に巨大な火球を作り出す。
「凱風快晴……!!」
超高熱の球体が妹紅の前面を隠す盾となり、スターボウブレイクの弾幕を呑み込んでいく。
直撃コースではない分はすべて妹紅の後方の闇の彼方へと消えていき、すでに視界良好反撃好機。
「フ、ジ、ヤ、マ……ヴォォォルケイノォォォオオオッ!!」
火山の噴火にも匹敵する凄まじき迫力が、小さな火の粉を散らしつつフランドールへと迫る。
直撃すれば全身を炎に呑み込まれる火炎地獄、破壊の少女を倒すための破壊の火炎大玉。
「でも、遅いよ!」
余裕の笑みで回避するフランドールを見て、勝利の笑みを浮かべる妹紅。
「爆ッ砕ッ!」
「え?」
回避された大玉火炎は膨張し、次の瞬間、花火のように四方へ弾け飛んだ。
「キャアッ!」
火炎弾を浴びてわずかに高度を落とすフランドール。
加減はしてあるから火傷はしないはずだけど、それでも結構つらいはずだ。
だがさすがは高い不死性を誇る吸血鬼、炎を受けて闘争心を煮えたぎらせて紅蓮の眼を鋭くする。
「やったなぁッ……」
「ええい、もう一丁! フジヤマヴォルケイノー!」
「禁弾『過去を刻む時計』!!」
再び放たれた大玉火炎は盛大な爆発を見せるも、現れた二つの十文字回転によって薙ぎ払われる。
さらに十文字時計の回転は妹紅にまで迫ってきた。
「バカみたいにデカい攻撃を……うひゃー!?」
後退しながら上昇下降を繰り返し、迫り来る巨大針を回避し続ける妹紅。
悔しいがやはり破壊力は桁違い、フジヤマヴォルケイノですら対抗できない現実。
「さあさ、早く逃げないと時計に刻まれちゃうよー」
「むうう……そっちがパワーならこっちはスピードだ! 燃え上がれ不死ッ、火の鳥!!」
回転する巨大な時計の針の隙間を見切り、妹紅は渾身の炎を放つ。
「鳳翼天翔ーッ!!」
放たれるは赤々と夜を照らす炎の翼。
時計の隙間をかいくぐり、フランドールに向けて一直線。
「や……焼き鳥ッ!?」
それがフランドールの悲鳴だった。
鳳凰の翼はフランドールに直撃し、火炎を渦巻かせその身をおおった。
「焼き鳥じゃねぇぇぇっ! 火の鳥だよフェニックスだよ!」
そんな妹紅のツッコミが届いているのかいないのか、フランドールは炎とともに地面に落ちていく。
「あ、あれ? やりすぎた?」
ちょっぴり不安になる妹紅。
妹様を止めてと頼まれはしたものの、倒すとか怪我させるとかは、さすがにマズイ。
「おおーい、フランちゃーん? 吸血鬼だからそれくらいダイジョーブだよ……ね……?」
返事がない。ただの火達磨のようだ。
「フラァァァァァァンッ!?」
こいつぁヤベェと妹紅が大慌てで下降しようとした瞬間、
地面に激突したフランドールの肉体が炎を散らして四方に弾けた。
「スプラッタ!?」
否、肉体が四つに裂けたのではない。
「禁忌」
四人に分身したフランドール・スカーレットが、口をそろえて宣言する。
「フォーオブアカインド!!」
心配無用な元気の姿、むしろこっちの身を心配してもらいたいほどの大逆転。
「そんなのアリかー!?」
「アリだー!」
嬉々として答えたフランドールは、まるで天使のような笑顔を浮かべ、
続いて悪魔のような笑顔に歪めて、四人それぞれ異なる弾幕を放つ。
「避けきれ……る訳ゃねーだろー!!」
もし冷静に対処していればそうではなかったかもしれない。
だがまさかの分身に度肝を抜かれた妹紅は、一か八かの鳳翼天翔を放つのが精一杯だった。
弾幕を蹴散らして飛ぶフェニックスは、見事にフランドールを呑み込んだ。
しかし、フェニックスはそのまま後方の空間へと飛び去ってしまう。
「偽者!? う、うわっ」
色鮮やかな弾幕の嵐が妹紅に次々と着弾し、無残な姿となって彼女を墜落させる。
「大勝利ッ!!」
四人のフランドールはハイタッチをして喜び合い、みんなそろってVサインで決めた。
――どうして。
妹紅は思う。凶悪な弾幕に倒れ、地面に落下した妹紅は思う。
――どうして、私はベッドで眠っていたんだ?
妹紅は思う。仰向けに倒れて、満月と、嬉しそうに空で踊る四人のフランドールを見て思う。
――どうして、私より先に美鈴はフランドールが暴れてるって気づけたんだろう。
妹紅は思う。すぐ側、門の内側に寝かした、手を伸ばせば届きそうな美鈴を見て思う。
――どうして、いつも居眠りしてたんだろ。
妹紅は思う。ひとつひとつの疑問点が、ひとつひとつ繋がっていき、妹紅は思う。
「……お人好し……だな」
妹紅は笑う。
自分の想像が間違っていたのだとしても、そう解釈する方が気持ちがいいから妹紅は笑う。
「よーし、今のうちに脱出だー!」
「まず魔法の森に突撃しよー!」
「博麗神社で遊びたーい!」
「人里なら人間がたくさんいるはずだから行ってみたーい!」
四人になったフランドールは、自分同士で行き先会議を始めていた。
そして会議は、最悪の方向で決着をつける。
「人里! 人間がたくさん!」
「虫けらみたいにいっぱいいるのかな、プチプチ潰し放題なくらいいるのかな」
「アハハハハッ、お姉様をビックリさせてやるぅ!」
「お外お外お外お外お外……あいつばっかりズルい巫女と遊んでばっかりズルい……人間人間……」
気が触れているがため地下に閉じ込められているフランドール。
普段は落ち着いているのも珍しくはないが、ちょっとした刺激で爆発する危険性を孕む少女。
外に出たいと思うのは稀、しかもたいていはレミリアとパチュリーの妨害を受けあきらめる。
しかしパチュリーが伏せったために雨は降らせない時に、稀が起きてしまった。
約一週間前、フランドールは外に出ようと大暴れを開始し、
咲夜と美鈴が負傷しながらも時間稼ぎをしたために博麗神社へ外出中だったレミリアが駆けつけ、
消耗したフランドールを相手に何とか場を収める事ができた。
その結果、レミリアもまた消耗し、加減の苦手なフランドールの一撃で美鈴は足を負傷した。
そしてパチュリーが病床についたまま、レミリアと美鈴が完全回復しないまま、
フランドールは再び外の世界を求めて暴れ出した不運。
すでに小悪魔、咲夜、美鈴は倒れ、
レミリアもパチュリーを二次災害から防ぐため大図書館を離れられない。
そんな折に、家を火事にして泊まれる場所を探していた妹紅は、
一週間の約束で紅魔館の紅白門番を請け負った妹紅は――幸か不幸か?
いざ紅魔館を出ようとしたフランドールの眼前が深紅に染まった。
「キャッ! なに!?」
星々の海が、爆音で渦巻く。
炎が上がる。
暗黒の空で、悪魔が微笑む。
天地が燃える。
「リザレクション!」
四人のフランドールを待ち受けるかのように、紅魔館の門から火柱が上がる。
その内部、紅蓮に焼かれる人影があった。
「不死鳥は……炎の中から、蘇るッ!」
渦巻く火柱を四散させて現れるわ、炎の翼をまといし蓬莱の人の形。
燃える闘志をみなぎらせ、確固たる意志が壁となって狂気笑顔の悪魔少女をさえぎろうとする。
「……しつこいよ? 人間」
「意外と頑丈……なんだね」
「だったら……もっといいよね?」
「壊しても……いいよね? もっと……もっと、もっともっともっともっともっともっと!!」
鬼気と嬉々と笑う哂う四人のフランドール達。
小さな手のひらから放たれる、無数の驚異的威力を持つ弾幕乱舞。
そのすべてが獲物に着弾する寸前、妹紅は猛々しく咆哮する。
「月まで届け、不屈の炎!」
妹紅を、その周囲の空間を、紅魔館の上空を、暗黒の空を、幻想郷の夜を、満月を赤々と染める紅蓮。
不死の翼をはばたかせ、不屈の闘志は完全燃焼、藤原妹紅が最強奥義のラストワード。
「フェニックス再誕ッ!!」
それは絶対不死と絶対不敗の決意をまとった不退転。
フェニックスの化身となった妹紅から、火の鳥が天翔する。
「またその技?」
「鳳翼なんとか!」
「でもどれが本物か」
「あなたに解――!?」
放たれたフェニックス、その数はフランドールと同じ数。四羽の翼が闇夜を翔ける。
「見たか! これがフェニックス再誕の力だ!!」
少女の悲鳴を呑み込んで、紅蓮の花が四つ咲く。
そのうちの三つは灰となって崩れ落ち、残るひとつが髪の毛先や服を焦がして、
獰猛な表情で妹紅を睨みつける。
「……禁忌」
そして右手を天に掲げ、何かを握る仕草をすると同時に紅き閃光がほとばしる。
薔薇よりも紅く、溶岩よりも紅く、血液よりも紅く、火炎よりも紅い、その魔力は害をなす魔の杖。
「レーヴァテインッ!!」
スペルカードルールとして、弾幕としての攻略の難しさよりも、破壊力を重視した渾身の魔力。
「フェニックス再誕最大連射……」
対して妹紅も最強の攻撃を放とうとする。
一撃の威力は絶対に勝てない、ならば最強威力の連撃だ。
「フェニックス五連天翔ッ!!」
つらなった五羽のフェニックスがフランドールを襲う。
深紅の魔力が刃となってフェニックスもろとも妹紅へと振り下ろされる。
幻想郷の夜を、昼に変えんばかりの閃光が瞬いた。
紅魔館上空をおおった火炎は四散し、魔力の刃はヒビ割れて消える。
残されたのは静寂のみ。
紅魔館の門と館の間にある薔薇の花壇の真ん中に、小さな少女が倒れている。
頬はススで真っ黒で、服も焦げて、全身ボロボロ。
もう指一本動かせないほど満身創痍だというのに。
「……あ、アハッ……アハハッ」
月を見上げるその表情、遊び疲れて寝転がっている子供のようだった。
紅魔館の門と繋がっている外壁に背もたれながら、足を伸ばして紅白衣装が座っている。
額からは血が流れ、服も破れて、全身ボロボロ。
もう指一本動かせないほど満身創痍だというのに。
「あー……しんどいなぁ」
月を見上げるその表情、やり遂げた者の晴れやかな笑みが浮かんでいた。
◆◇◆
門番最終日――朝。
食堂やレミリアの私室、大図書館周辺など、
レミリアとパチュリーが使う場所はすでに咲夜が修理している。
そのためレミリアに呼び出された妹紅と美鈴は、あまり壊れている場所を通らなかった。
一室を訪れた妹紅と美鈴の門番コンビは全身包帯まみれだ。
「二人とも、よく働いてくれたわ」
一方レミリアはどこも怪我してませんといった風に、ソファーの上で足なんか組んでいる。
「二次災害がパチェに及ばないよう、門の外で捕まえようと思っていたけれど、
あなた達は門番の役目を果たしてくれた……内側からの最強の暴れん坊からね。
本当に見事な働きよ。美鈴は毎晩欠かさず門を護り、妹紅はフランを止めてくれた」
やっぱりか。
美鈴が異常に居眠りする理由を察していた妹紅は、自分の想像通りだったためつい笑みをこぼした。
という事は夜の間、自分をベッドに移しておいてくれたのも美鈴なのだろう。
そして朝になるとそんな気遣いがバレないよう、わざわざ床の毛布に戻していた。
……最後のは親切なのかと少々首を傾げてしまうが、妹紅は美鈴のお人好しっぷりが大好きになった。
一方、黙っていい格好していた美鈴は、主から暴露されたため赤面している。
隣でニヤニヤ笑っている妹紅のせいで、恥ずかしさ倍増だ。
「これでフランもしばらくはおとなしくしてるでしょう」
「閉じ込めてばっかりじゃなく、たまにはガス抜きさせてやれよ」
「それなら丁度いい、フランは妹紅の事も気に入ったみたいよ。
また『遊びたい』って言ってたから……いつでもフランに遊ばれにいらっしゃい」
「たはは……アレが遊びか、不死じゃなけりゃつき合いきれないよ」
「クスクス。だからこそ妹紅、あなたは臨時門番なのによくやってくれて感謝しているわ。
特別報酬を上げるから、望みのものがあったら言ってみなさい」
「なんだって!? そりゃありがたい!」
ガッツポーズをとる妹紅。
「よかったですね」
だが、隣に立つ美鈴がそうささやいたので、ガッツポーズを解いて言った。
「いや……やっぱいいよ、報酬なんてさ」
「あら、どうして? フランと真正面からぶつかって、溜まった鬱憤を晴らせるなんて凄い事なのよ」
「別にいいよ。そんなの、門番の仕事のうちだろ?
美鈴だって寝ずの番をしてたんだ、私だけ何かもらうってのは変だよ」
「……そう。欲のない子ね」
「年下のくせに偉そうに」
「あら、こう見えて私は500……」
そこで妹紅の年齢を思い出したのか、レミリアはしばし黙り込んだ。
「……ええと。まあ、いいわ。無理やり押しつけるのもね。
でも約束は一週間、今日が最後、一日しっかり門番してもらうわよ」
「ああ……いや、やっぱりひとつお願いしていいか?」
一度断っておいてのやっぱりお願いは、レミリアの機嫌を少々害したようだった。
「……何よ」
ほんの少し嫌な顔をして、けれど一応聞くだけ聞いてはくれるようだ。
「実は……」
「飯だー!! まともな飯どぁー!!」
「うおおっ! 中華! 咲夜さんの手作り中華ァァァ!!」
食堂で狂喜乱舞する包帯まみれの二人と、渋い表情で中華料理を振舞う、咲夜。
テーブルにはチャーハン、ラーメン、麻婆豆腐と、一般的な中華料理が並んでいる。
「まったく……お嬢様に言われなくても、私が……つもりだったのに……」
「ん? 咲夜ー、何か言ったかぁ?」
「満漢全席くらい作れるのにって言ったのよ。こんな庶民的な料理でよかったの?」
新たに餃子、シュウマイ、春巻きといった点心を並べながら、憮然とした顔で咲夜は言った。
しかし妹紅と美鈴は大喜びでがっついている。
まるで冬眠前のリスのように頬をふくらませている姿は滑稽であり、同時に愛らしい。
「いいんだよ。凝ったご馳走より、こういうのの方が私等には向いてるさ。なっ、美鈴?」
「私は咲夜さんが作った中華料理というだけで、もう……!
あーん、アレも美味しいコレも美味しい、ソレも美味しいー!
しかもデザートは杏仁豆腐とぉきたもんだ。ブラボー! おお、ブラボー!!」
「ひゃっほー! 紅魔館バンザーイ!」
「お嬢様バンザーイ! 咲夜さんバンザーイ!」
怪我を忘れて元気いっぱいマナー皆無で食べ散らかす二人の姿を見て、
咲夜は呆れながらもとびっきり腕をかけて料理を振舞うのだった。
「んー、天気はいいし、腹はいっぱい! これぞ門番日和だな!」
「まったくもって、その通りですねぇ」
今回は松葉杖が必要なほどの怪我はないとはいえ、
包帯まみれの美鈴は今まで通り詰め所から持ってきた椅子に座って天を仰いでいる。
妹紅もすでに門の前に立つ気はなく、少し焦げた外壁を背もたれにして、両足を伸ばして座っている。
「さて妹紅、先輩門番として最後のアドバイスです」
「うん? 何だ?」
「夜更かしやら徹夜やらしなくても門番中に居眠りしたくなる時というのは……」
「今がその時だ、って訳だな?」
「なかなか理解が早い! という訳で」
「という訳で」
おやすみ!
……………………。
………………。
…………。
……まったく、最後の最後でまた落書きされたいのかしら?
蝶々が花と勘違いしたのか、妹紅の鼻に止まり翅を休めた。
しかし針より細い足が鼻の上を刺激し、妹紅はむずかゆさに身じろぎした。
驚いた蝶々は妹紅の鼻を離れ、飛んでいく。
さらに身じろぎをしてから、妹紅は違和感に気づき目を開いた。
「ん……んむ、ふわぁ……今、何時だ?」
目をこすりながら妹紅は起き上がった。
ドサリ。
すぐ後ろは壁であるはずなのに、背後で何かが落ちる音がした。
「んあ?」
寝ぼけまなこで見下ろしてみれば、お尻と壁の間にまくらが落ちていた。
まったくもって意味が解らない。
もしこれが自分が動いて落っこちたものだとしたら、
このまくらは自分の首か頭の後ろにあったという事になる。
硬い壁で身体を痛めないよう、美鈴が配慮してくれたのか?
と思い美鈴へ視線をやると、彼女も首の後ろにクッションを入れている。
妹紅が夜に床で眠っている間に、わざわざベッドに移し、朝には床に戻すという、
親切なのか不親切なのか、不器用な真似をしてくれた美鈴だ。
これくらいの事はしてくれるだろう。
「ありがとう、美鈴」
感謝の気持ちを述べると、妹紅はまくらを首の後ろに戻して、再び壁を背に眠った。
毎度お馴染み小鳥さんが美鈴の頭に止まって羽を休めた。
もちろん美鈴は目を覚まさない。
ところが小鳥がわずかに身じろぎをすると、突如美鈴は双眸を見開き背筋を正した。
小鳥は大慌てで飛び立ち、美鈴の頭上から離れてすぐ、椅子の側に糞を落とした。
「あ、危ない危ない……帽子を汚されてはたまりませんからね」
と冷や汗を拭う美鈴。
そして、違和感に気づく。背中と背もたれの間を、何かやわらかい物がずり落ちていく。
「何だろう?」
掴み取ってみると、それはクッションだった。
しかし、何故こんな所に?
何気なく妹紅へ視線をやると、彼女も首と壁の間にまくらを挟んで眠っていた。
「なるほど、首が痛まないようにわざわざ」
という事は自分の所にあるクッションも妹紅の気遣いだろう。
「どうもです、妹紅」
感謝の気持ちを述べると、美鈴はクッションを首の後ろに戻して、再び椅子の上で眠った。
こうして、一週間だけの紅白門番最終日の大半は、居眠りという優しい時間で終わり、
日が暮れると妹紅は紅魔館の面々に別れを告げ、意気揚々と紅魔館をあとにする。
「おかえりなさい」
すっかり元通りに直った家で待っていてくれた慧音は、帰ってきた妹紅にまずそう言い、
続いてこう訊ねた。
「門番生活はどうだった?」
妹紅の答えはもちろん、決まっていた。
そしてそんな妹紅の表情を見ただけで、返事を聞かずとも慧音は答えを察する。
「時間はたっぷりあるのだし、じっくり聞かせてくれ」
「うん、今日だけで話しきれるかな」
たっぷり居眠りしてきた妹紅は夜通し楽しげに話し続けたが、
普通に朝起きて夜眠るつもりだった慧音は、話につき合うのに難儀したそうな。
◆◇◆
博麗の巫女と向かい合うのは、悪魔の館に住まう唯一の人間。
唇を真一文字に結んだ咲夜の表情は真剣そのもので、背筋を伸ばし正座している。
彼女の前に置かれた湯飲みはいつしか存在を忘れられ、
半分ほど残されたお茶はすでに冷え切っていた。
一方、霊夢の湯飲みは湯気を立てている。
急須から注いだばかりのそれをは音を立ててすすった霊夢は、
湯飲みを持ったまま重苦しい口調で言う。
「……つまり……もはや今までとは次元が違うという事よ」
咲夜は目を伏せて今の言葉の意味を受け取り、すでに得た情報と合わせ、抱いた疑問を口にする。
「具体的には、どうなるというの? いったい何が起こるというの?」
そこで一拍置き、語調を強くして続けた。
「神をも超え悪魔も倒せるブラ……その威力はいったい!?」
最高潮の盛り上がりを見せたその時、博麗神社の戸が激しく叩かれた。
「咲夜! 咲夜、いるんだろ! 美鈴から聞いてるからな! 咲夜ぁぁぁ!」
「ん? あの声は……妹紅? 開いてるわよー、勝手に入ってきなさーい!」
眉根を寄せながらも、霊夢は妹紅を招いた。
咲夜は、なぜ怒鳴っているのだろうと首を傾げていると、
ドカドカと足音を立てながら妹紅が駆け込んできた。
「咲夜ぁぁぁっ!!」
「……何で怒ってるのかしら?」
「これを、見ろぉー!」
妹紅が突き出したのは『文々。新聞』だった。
見出し記事は『紅魔館の素敵な門番コンビ』だった。
掲載された写真は歌舞伎顔の妹紅とパンダ顔の美鈴だった。
霊夢はお茶を吹き出してちゃぶ台を汚す。
咲夜は「ああ、そういえばそんな落書きもしたわね」と他人事のように言う。
「な、なんだその態度は。この、この新聞のせいで慧音には笑われるし、輝夜にだって……!
咲夜! この野郎、表に出ろ! ギッタンギッタンのケッチョンケッチョンにしてやるー!」
「はぁっ……せっかくパチュリー様も元気になられて平和な日常が帰ってきたと思ったら……」
「私の平和な日常を壊したのは誰だーッ!!」
今日も博麗神社はいつも通り。
面倒なお客さんが面倒を起こして大騒ぎ。
今回の事件に関わりのない霊夢は、面倒くさいなぁなんて思いながら、
妹紅の分のお茶を淹れに台所へ立つのだった。
「燃え上がれ私の小宇宙! 鳳翼天――」
「無駄無駄無駄、時よ止まれ! ザ・ワール――」
「外でやれ!」
幻想郷は、今日も平和。
FIN
また俺は騙されてしまった……
話自体もいい話でした。
最後のは皇帝のブラですね
ブラネタ出ますねぇ……。
ともあれ、大変面白いお話でした。
誤字の報告
>「ええい、だかましいわこの酔っ払い!」
やかましい…ではないでしょうか?
こちらの勘違いだったようで、申し訳ありませんでした。(礼)
もこたんかわいいよもこたん
でも夕飯が魚の目玉ってのはないと思うの。
ツッコミタイプなとことか
文句言いつつ苦労を受け入れるとことか
不死だからフランの相手が出来るとことか
妹なスカーレットなとことか
意外と熱血で、裏で良い人な紅魔館の住人達に心動かされちゃうとことか
最後のスペカ合戦には少し入り込んでしまって、熱くなりました。
それにしても神にも悪魔にもなれるブラを見てみたい……
妹紅は勇気を原動力にする紅い宝石の力で不死性を得ているのか
門番とのコンビが違和感ねぇな。
>「受けてみるか大玉!」
零式鉄球!?
全博霊神社が泣いた
戦闘シーンはもっと良く出来ると思う。
ところで、毎晩尋ねて来るブラの精霊様ですか・・・もうね。
いうことなしですな
しかし門の外より中の方に脅威がある紅魔館はやはり恐ろしいな・・・w
これは新しい世界が開けそうですね・・・
DI○様や!
…長めの話で、タグの通りダイナミック過ぎるパロディ入りだったのにグダグダ展開がなく、楽しめました。