※
「茶会のお誘い、って……私を?」
十六夜咲夜の招待を、メディスン・メランコリーは素直に受け入れることができなかった。
くりっとした無垢な瞳を咲夜に向け、彼女は首を傾げる。
「ええ。ここで採れる鈴蘭で漉した紅茶がお嬢様に好評でして。そのお礼にとのことですわ」
咲夜は頷き、微笑みを見せる。
柔く、慎ましげな口調は、上品さすらも醸し出している。さすがメイド長だと、メディスンは思った。
もっとも、メイドの意義をあまり知らない彼女が、気品の良さとメイド長とを結びつけたのは、単にメイド”長”という、権力を持っていそうな、咲夜の肩書きからであるのだが。
「ここの鈴蘭で作った紅茶はとても甘い香りがして、上品な仕上がりになるわ。正直なところ、今までどうしてこんな場所があるのを見落としていたのかが不思議なくらいよ」
ここ、無名の丘に咲き乱れる一面の鈴蘭を見渡して、それらに咲夜は賞賛の言葉を贈った。
メディスンはさも、自分が褒められているかのようにはにかむ。
彼女は丘の鈴蘭たちのことを寵愛している。『スーさん』という愛称で呼び親しんでいるほどだ。
だから、鈴蘭が誰かの役に立ち、感謝されるのは、彼女にとってとても嬉しいことだった。
一方で、鈴蘭が、様々な人の手に渡るのが、何だか鈴蘭と自分との間に隔てりが出来たような気もして、彼女は寂しさも覚えるのだった。
メディスンは妖怪だが、元を辿れば人形だ。
無名の丘に捨てられた人形が、鈴蘭の毒に長い間浸されたことで彼女は生まれた。
また、同時に、鈴蘭の毒は、彼女に『毒を操る程度の能力』を備えさせている。
虚に満たされていたた人形に注がれた魂、使い方次第では他人を死に追いやることも可能な力。
このように、自分を構成する物の大半は、鈴蘭の毒による恩恵である。
だからこそ、彼女はその可憐にして怜悧な花に愛情を抱いていた。
無量の愛は強い依存心となり、それが原因となって、メディスンは無名の丘から一歩も出ようとは思わなかった。
他者と関わろうともしないで暮らしていた。が、彼女の周りを堅牢に取り囲んでいた殻は、突如として崩れ、彼女を幻想郷の下に露わにさせる。
その契機となったのが、『大結界異変』。
これによって、メディスンは咲夜との、もとい他人との交際を始めるにまで至ったのであった。
六十年、つまり還暦を周期にして起こる、幻想郷と外の世界に介在する境界の弛緩。ならびに幻想郷内の幽霊の急激な増加。
これら二つの事象が重なったことによって生起したのが、『大結界異変』である。
千万無量の幽霊たちは花に憑依し、四季の枠を越えてそれぞれの花弁を咲かす。それは幻想郷に百花繚乱の景観を生み出した。
当然、その息吹は幾千の鈴蘭を擁する無名の丘にも及んだ。名も付けられぬ、しがなき丘陵は、一気に騒動の渦中へと躍り出る。
メディスンはそうして、無名の丘を訪れた幻想郷の住人と邂逅する。自分の住処を脅かさんとする者たちと弾幕ごっこを交え、彼女はそれまで閉鎖的だった自分の考えを、改めることになった。
「折角お誘いをもらったんですもの。断る理由はないよね、スーさん」
語勢に喜色を浮かばせて、メディスンが大きく頷く。
彼女の受諾に咲夜は、決して大いに喜ぶことはせず、目を細めるだけで密かにその嬉しさを表した。
端整の美を崩さないそれに、威厳のようなものを感じ取る。これが偉い人のオーラなのかと、メディスンはほおと感心した。
求知心を湛えた瞳で、彼女はまじまじと咲夜を見る。その視線に、当の咲夜の微笑が困惑の気色を呈しだす。
「とにかく」と、その気概を些か引きずりながら、咲夜が話を切り出した。
「そうと決まれば、早速お屋敷にご案内しますわ。お嬢様を待たせるわけにもいきませんからね」
「うん!」
メディスンの威勢の良い二つ返事に感化されるように、咲夜は口元を緩めて、ふわりと宙に飛び上がった。
吹き上がる風に、ざわと鈴蘭が靡き、同時に甘美な芳香が空に舞い上がる。
メディスンもまた、地面を軽やかに蹴って空中に浮かぶと、眼下の鈴蘭たちに、
「それじゃあ、行ってくるわね、スーさん」
と、腕を元気一杯に振りながら、咲夜と共に無名の丘を後にする。
白色の壺の形をした花弁を提げて、鈴蘭たちはかしずいている。その光景は、まるでこれから出かけるメディスンに向けて、了承を込めた一礼をしているかのようだった。
未だ大海の窮みを知らぬ姫君に、頭を垂れるそれらの姿は、それはそれは圧巻で、荘厳すら思い起こされるほどの偉観なのであった。
※
メディスンには夢がある。
その夢とは人形解放――自らの創造主たる、人間による束縛からの脱却である。
人間の愛を受けている内は至福だが、愛想を尽かされば、見向きもされず人形は廃棄の末路を辿る。そこに人形の権利は存在しない。
ただ人間の気紛れ一つに弄される自分たちの運命が、余りにも軽薄で、メディスンは憤りを抑えずにはいられなかった。
この現状を良しとしない彼女は、当然だが同胞を蔑ろにする人間たちに恨みを抱く。
そして、人間たちを根絶やしにすることが、この儚い定めからの解放、人形の地位確立に繋がると思っていた。
では、人間に激しい憎悪を向けているメディスンが、何故こうも当の人間である咲夜に、友好的に接しているのか。
これが、先の『大結界異変』が彼女にもたらした、見解の変化である。
メディスンは、異変の最中、『楽園の閻魔』と畏れられる、四季映姫・ヤマザナドゥとも対峙していた。
二つ名の通り、彼女は幻想郷の閻魔を務め、中有にさまよう霊魂たちを、日々裁いている。
また、定期的に此岸を訪問しては、教えを説いたりもしている。
その説教は、核心をことごとく突き、かつ長いということで評判になっており、そのせいか名の知れた妖怪でさえも、目を合わせることを憚るほどだ。
メディスンと会った彼女は、世間を知らない身一つで、人形解放という壮大な夢を訴えるメディスンに、やはり教えを説いた。
『あなたは、少し視野が狭すぎる』――メディスンの望みを壮語だと看過せず、映姫は言った。
彼女は、人形解放を夢のままで終わらせる気など毛頭も無い、メディスンの強靭な意志を感じ取ったのであろう。
夢を語ることなら、幾らでもできる。
けれど、いざそれを実行するとなれば、否が応でも現実を見極めなければならない。
本質を直視したことで、実現のためには何が足りないのか、それを得るために、自分は何をするべきなのか……そういった指標が、明瞭なものとして導き出されていくのだ。
まだ見ぬ世界の片鱗に触れたこと、そして映姫の言葉は、メディスンにこの幻想郷における自身の存在をはっきりと突きつけた。
それらは、『人形解放』という漠然と謳うだけだったイメージを具象化させる。それによって、そこへ至るための道のりが、メディスンにはっきりと指し示された。
これからなすべきこととは、人間の蹂躙ではない。
人が他者の愛情を求めているのと同じく、人形も同様に人間の愛を希求しているのだという、自分たちの思い。それを彼らに伝えることだとメディスンは気づく。
非道であり、冷徹。人形だった頃の記憶が不鮮明なメディスンにとって、人間の存在は抽象的なものだ。
だから、まず、花でもって人間に歩み寄らなければならない。
お互いのことをよく理解するということ。それはいつの日か、人間へ毒でもって宣戦する際に、きっと役に立つ情報になるに違いなかった。
メディスンが人間と交流をはじめたのはこれに起因する。
またこれが、彼女が鈴蘭との僅少な別離を厭いながらも、それを峻拒しようとしない理由なのである。
故に、今回の咲夜の誘いは、メディスンにとって願ってもみないような話だった。
交流を深めることが出来る好機を得て、夢へまた一歩近づいたからか。招待を受けたことが純粋に嬉しかったのか。
どちらが喜びの発信源なのかは分からない。それでも、胸を小躍りさせる自分に、メディスンは自分の心の存在というものをひしと感じ取っていた。
鈴蘭が咲いたときの法悦に似た、はちきれんばかりの喜びを胸に抱えて、彼女は咲夜の背中を追いかけていく。
両手一杯に抱いても余るくらいのそれは、メディスンの腕からこぼれ落ち、言霊となって飛び出していった。
「ねえ咲夜。咲夜のいるお屋敷ってどんな所なの?」
メディスンの声色には、意識を凝らさずともひしひしと感じ取れるくらいの喜色が、ひしひしと滲み出ている。
それを受け、「そうねぇ」と呟く咲夜は、いたって冷静だった。
「霧の乳白色を掻き消すほどに鮮やかな紅色をしたお屋敷よ。水のせせらぎを、草のざわめきに囲まれてひっそりと建っているけど、中に入ってみれば――毎日が騒がしくて、退屈しない」
咲夜の言葉が紡がれると同時に、その光景がメディスンの脳裏に浮かんでは色彩を帯びてくる。
騒がしいって、やっぱり”人”が一杯いるから騒がしいのかな――などと、多少の脚色を加えながら、想像のキャンバスを鮮明なものにしていく。
完成されたそれの中で、忙しく動き回る”人”、賑やかに談笑を交わす”人”を見れば、一層にメディスンは屋敷へ向かうのが楽しみになってきた。
胸躍るメディスンの喜びは、もう一つ、咲夜に問いを投げかけることを欲した。
咲夜の後を付いていくように飛んでいたメディスンは、ふっと速度を上げて彼女の隣へと追いつく。
「それじゃあ、咲夜のご主人様ってどんな人? やっぱり、すごい人?」
「お嬢様は人じゃなくて吸血鬼よ? ……まあ、どんなお方かと言えば、気高く、我が儘なお方ね。そして、私を忙殺させるただ一つの種でもある」
慈愛を帯びた咲夜の表情に、メディスンははてと小首を傾げた。
最前、咲夜が主に対する愚痴をこぼしたものだと思っていたのだが、その割に咲夜には呆れた素振りも無かった。
そうしてメディスンが、自分の顔をのぞき込んでいるのに気づき、咲夜はその意図でも汲んだかのように、催促されるわけでもなく話を続ける。
「従者としての最大の喜びは、専ら主に必要とされていると感じた時。こうして目一杯こき使われる内が、メイドとして、奉仕者としての華なのよ。そう考えれば、繁忙になっても私は構わないわ」
メディスンは感心した。
その感情の働くところは単に、主に対して誠心誠意尽くすという、咲夜の敬服すべき忠誠心だけではなかった。
更にメディスンは、咲夜の主にも感心を向けていた。
そして、どちらかといえば後者に、気概の秤は傾いていた。
こうして人形解放を謳っているメディスンだが、実際のところ、彼女に賛同する人形は一体たりともいない。
そもそも人形は、人の存在無しでは自力で動けないのが当たり前で、逆に自立することが出来るメディスンが稀有なのである。
しかし、そのことにメディスンは気づかない。彼女は誰も自分の考えに賛同してくれないのは、自分に力が無いからだと思っている。
人形が自らの地位向上のために立ち上がる、などということは嘗て例を見ない。恒久なものと考えられている秩序を改変する大革命だ。
行く手にかかる濃白の靄と、前進を阻止せんとする鋭利な茨。
そんな危地を進むために人形は、信頼出来るリーダーを求める。そして自分がそのリーダーになるかもしれないという可能性を、メディスンは希薄にも予感していた。
リーダーとしての素質。
それが何なのかとか、本質はいいとして、とにかくその素質が無いから、誰も自分を支持してくれない。
力があれば、きっと――こういうわけで、彼女は指導者という立場に、段々と興味を覚えていたのであった。
その矢先に舞い込んだ咲夜の誘いである。鈴蘭の丘を訪れるたびに、彼女の口をつく『お嬢様』という言葉。
メイド"長"という華々しい肩書きに恥じぬ、毅然とした態度を持つ彼女すらも惹きつける『お嬢様』に会えるという点でも、メディスンはこの誘いに嬉々としていた。
そこへ更に、咲夜が主への忠義を赤裸々に述べるものだから、なお一層に、メディスンは『お嬢様』への思いを馳せるのであった。
※
咲夜が住んでいる屋敷――紅魔館に着くまで、メディスンは彼女のことを質問責めにした。
『お嬢様』――レミリア・スカーレットのこと、咲夜の繁多な仕事のこと、他に住んでいる”人”たちのこと……
メディスンの好奇心は留まることを知らず、あちらこちらを駆け回っては些事さえも、片端よりつまみ上げていく。これには咲夜も、困り顔を浮かべざるを得なかった。
終いには、「そもそも、行けば分かるんだから、ちょっと我慢してちょうだい」などと彼女に言われる始末で、これにはメディスンの情念も、なりを潜め腹中に隠れていった。
咲夜との会話に熱が入りすぎたせいか、メディスンは辺り一帯が霧に覆われているのに今更になって気づき、一驚した。
彼女らを包み込んでいる白は、燦々と輝く陽光をことごとく遮蔽し、見通しも悪い。
下を見やれば、黄土色をした大地は失せ、海淵の紺色に染まった水面が静かに波打っていた。
メディスンが普段見ている、多種多様な動植物、自然の織りなす色彩に比べれば、貧相に見える景観。
それに際立てられたかのように、メディスンの目の前、霧中に佇む屋敷の紅は、甚く鮮烈なものとして彼女の目に映った。
「すごい、すごい! 本当にどこもかしこも真っ赤なのね!」
「冗談だと思ったの?」
「だって、全部が真っ赤なお家なんて、一度も見たこと無かったんですもの!」
メディスンは興奮気味にそう言うと、居ても立ってもいられなくなり、咲夜より一足先に湖畔に浮かぶ大地へと降り立った。
こうして、間近で紅魔館を仰視してみると、紅色で濃密に塗りたくられた壁もさることながら、その敷居も広いものだとメディスンは小感する。
屋敷の周りには石垣が高々とそびえ立ち、そのせいで向こう側を目視することが彼女には出来なかった。
ただ、石垣と屋敷との間に幾分かの遠近があるあたり、相当広々としているのだろうということは予測できた。
敷居というものは、その持ち主の財力、権力を量ることのできる一つの判断材料である。さすれば、レミリア・スカーレットという吸血鬼は、屈指の実力者、ということになるか。
そのように推察すれば、先刻の咲夜との会話も相まって、彼女の印象に含蓄された威厳と、伴って存在感が増大しだす。
それとは対照的に、まだ走り始めたばかりの、権力も同志も持ち合わせていない自分自身の存在が、顕著に小さく感じられた。が、そう萎縮しているわけにもいかなかった。
自分は、咲夜に誘われたからという、受動的な理由だけでここにいるのではない。
そこには世間の人形に対する偏見を払拭し、人形の地位向上を図るという能動的な理由も含まれているのだ。
小さくあり続けていては、ここに住んでいる皆に何の感銘も喚起させられない。
後込みするのも、大はしゃぎするのもここまで。メディスンは一つ深呼吸をして、たたずまいを直す。
「さ、行きましょ。咲夜」
先ほどとは打って変わり、落ち着きのある語調で、メディスンは遅れて彼女の隣に着陸した咲夜に言う。
何の前触れもなくしゃんとしだしたメディスンの意図など、知る由も無い咲夜は、少しだけ長く彼女を見やると、何も言わずに歩き出した。
その斜め後ろをメディスンが付いていく。分相応の節度をわきまえ、かつ、完全な下手に回らない、至極安寧な位置である。
黒塗りの門には、朱色の長髪を三つ編みに、中華風の装束を着た女性が壁にもたれ掛かっている。
腕組みをしては、退屈そうに欠伸をしている――だが、咲夜とメディスンを見るや否や、彼女は急に背筋をぴんと、肩が強ばるくらいに伸ばした。
「お、お帰りなさい。咲夜さん」
引きつった笑みを作り、女性は咲夜に言った。それから、「大丈夫です、誰一人通していません、というか、誰も来ませんでした」と、継ぎ足す。
「こんな短時間の中で誰かに来られるほど忙しなかったら、貴方もそうやってのんびりしていないでしょう?」
「まあ、それはそうなんですけどね」女性は言葉を詰まらせつつ、咲夜に賛同した。
「これだけ平和だったら、門番しているより、庭の手入れをしていたほうがよっぽど楽しいですよ」
緊張を含んでいた女性の表情は弛み、次第に安堵の色が垣間見えている。
すっかり蚊帳の外のメディスンはというと、じゃあどうして庭の手入れをやらないのかしら、などという疑問を抱きながら二人のことを見ていた。
その疑念を口に出さないようにしているのは、そんなことよりも慎ましく在り続け、人形とてそういった品格を持ち合わせているのだと、顕示するのに精一杯だったからである。
「庭の手入れがしたいっていうのなら、別にやってもいいのよ? 貴方の役割はここに居ることじゃない。侵入者を中に入れさせないことなんだから。それを守ってくれるんだったら、私は美鈴が何をしていても文句は言わないわ」
諭すような、穏やかな口調でもって接する咲夜。
だが、美鈴と呼ばれた門番は、その言葉に譲歩しようとはせず、困った表情をして、頬を掻いた。
「咲夜さんがそう言うと、何だか私のことを試しているようにしか思えないんですよね……」
咲夜は目を閉じ、否とも応とも答えず、ふっと笑みを見せると、そのまま美鈴の横を通り過ぎていく。
突然、話を切り上げる咲夜に対して、美鈴は驚く様子も見せず、そんな彼女ににへらと緩みきった、安堵しているような顔を向けた。
その気色を横目に見ながら、メディスンは咲夜の後を追おうとする。すると、美鈴が彼女に向かって会釈程度の軽いお辞儀をした。まだ、顔色は綻んでいるようにも見える。
壁に寄りかかり、公然と怠慢を主張しているさまを咲夜に見られたが、彼女から何も咎められなくて安心しているのだろうか。それにしたって、咲夜はとても厳しいと、メディスンは美鈴に同情した。
目の前は霧で見通しが悪いし、湖が広がっているだけでつまらない。
にも関わらず、ここに突っ立っていなきゃいけないというのは、退屈すること請け合いだ。こうして、たまに壁に寄りかかってしまうのは仕方の無いことではないのだろうか。
そうは言っても、美鈴を擁護し、咲夜に反論するのには自分の器じゃあ足りなさ過ぎる。
それに、今後のことを考慮すれば、咲夜との関係に水を空けてはならない。
メディスンは哀憐の念が、美鈴の琴線に触れる前に、小さくお辞儀をすると、足早に咲夜の後へ追いついていった。
※
「似てるわよね、貴方と美鈴」
紅魔館に入り、暫く歩いていると、それまで無言だった咲夜が口火を切った。
透明感のある咲夜の声は、閉塞された紅の空間に何度も跳ね返って残響音を鳴らす。
それは何も、彼女の声に限ったことではない。メディスンの耳に届く一つ一つの音には、幾重ものエコーがかかっていた。
メディスンと咲夜しかいない筈のこの場に、第三者の足音が響く。空間の存在するところ、縦横無尽に駆け抜ける音たちは、この紅魔館の有り余るほどの広大さを示唆していた。
「似てる?」
咲夜の言葉をメディスンは反芻する。
「ええ」という彼女は至極真面目であり、揶揄する気概は一切も見えなかった。
「そうかしら? 全然違うと思うけど。どこが似ているっていうのかしら」
冗談で言っているふうでもない咲夜に、懐疑するメディスン。
自分と美鈴が似ているなどと、万に一つもあり得るわけがないだろうと、美鈴の容姿を思い浮かべながら彼女は思う。
赤い髪、メディスンの二回りはありそうな背丈。
太腿が垣間見えるのが色っぽい、緑を基調とした衣装――どれを挙げても、彼女は美鈴と自分の似ている箇所を見つけることが出来なかった。
咲夜は一体、私と美鈴のどこに同じところを見つけたっていうのかしら……自覚できないとなると、煩わしさが生じてくる。
何が似ているのか、気になるところなのだが、咲夜は先程のメディスンの質問に、なかなか答えようとはしなかった。
答えを言うのをはぐらかしているかのように、咲夜は笑っていた。悪戯心が入っているような、少しだけ妖しげな笑顔である。
焦らされるメディスンは、それに好奇心を掻き立てられて、答えを知りたい気持ちで一杯になる。
一方で、慎ましくあると決めた以上、必死でその衝動を抑えつけようとする。
おとしやかであり続ける、という決意は大きなものであるけれども、そんなオブラートに包まれた機微は歳相応の子供のそれ。
ここまで勿体付けられてしまって、その答えを知らないままでい続けるというのは、彼女にとって腹の煮え切らない思いがある。
そうして、必死に胸中をかき回す歯がゆさに耐えながら、下唇をきゅっと噛み、上目で咲夜を見るメディスン。
咲夜はふふと笑い、人差し指を唇に当てがった。
「よく考えてみることね。ということで、何が似ているかは教えてあげない」
メディスンの様子を楽しんでいるかのように、咲夜は弾んだ調子で喋った。
さほど感情を前面に出さずにいた咲夜が、ここに来て初めてメディスンに見せたそれについて、感慨に耽っているほど、メディスンの心には余裕が無かった。
咲夜が答えを言ってくれない、ということに彼女はショックを覚え、不意に緩まる涙腺をこらえる。
非常に答えが気になって仕方ないのだが、だからと言ってそれを咲夜にせがんでは、周りからやはり脆弱な人形、と思われてしまうかもしれない。
そうして、世間体を慮れば、溜飲の下らないままに錯綜する好奇心を、彼女の意志が包み込んでいく。それによって気持ちの高揚も、徐々に治まってくれた。
少しばかり潤んだ目尻を拭って、メディスンは、とにかくこの件については後でゆっくり考えることに決めた。
幸いにも、揺らいだメディスンの心境に咲夜は無駄な言及を費やさなかった。
そのお陰で、彼女の心にゆとりが出来る。ゆっくりと平坦になっていく心情と並行して、彼女は辺りに目を向けた。
外観同様に、内装も紅がおおよそを占めていた。
目に痛いほど鮮明なその色も、何分もじっと見ていれば慣れてくる。
すると今度は逆に、紅以外の色――咲夜の銀髪や、彼女の白と黒を基調とした服装であるとかが、豪く鮮明なものとして見える。
後にも先にも、ただ広い廊下が続いている。咲夜はここをまっすぐ進んで行き当たった扉こそが、レミリアが待つホールだと言うが、当の扉は全く見える気配が無い。
外で見た限りじゃあ、こんなに広いとは思えなかったのにな……などと、外装とは裏腹に広大な内部に、メディスンは当惑を感じずにはいられなかった。
他方で、騒がしくて毎日が退屈しない、と咲夜が言っていた割には、思いの外静かな館の様相には、拍子抜けしたところもあった。
それはただ、紅魔館の住民が少ない、という理由ではない。寧ろこの広さに相応して、非常に多いのだとメディスンは認識している。
ただ、擦れ違う女性は誰も彼も、咲夜に、客人であるメディスンに対してしとやかにお辞儀をするだけで、談笑を交わそうとしなかった。
フリルのついた、咲夜と同じひらひらした衣装を身につけている辺り、彼女らは咲夜と同じメイド。
主に従事するのが本分であって、対話に花を咲かすのはお門違いというのだろうか。
「咲夜。ここのメイドたちって、みんな咲夜が取り仕切ってるの?」
「そういうことになるのかしらね。妖精メイドのことは、お嬢様から一任されているから」
そんな一言交わしただけの会話の間にも、妖精メイドは咲夜とメディスンに向かってお辞儀をする。
廊下の脇に寄って、咲夜たちが通り過ぎるまで頭を下げる。
メディスンはその妖精メイドの姿を幾度も目で追った。自然と、目が彼女たちの方へと向かうのである。
邂逅する妖精メイドは皆が皆、同じ衣装に身を纏っているからだろうか。瓜二つに見え、そうと分かってはいても、さっき逢ったはずなのにどうして、とついつい心に思ってしまう。
この長い廊下も相まって、自分が螺旋の只中にいるような錯覚すらメディスンは覚えた。
一様に同じ姿の妖精に対する驚き。それもあるが、彼女は譬えそれが義務であり、敬意などといった特別な感情が無かったとしても、低頭されたことにえも言われぬ感慨を脳裏に過ぎらせていた。
メディスンの関節がただの関節ではない、人形特有の球体関節だということは、恐らく妖精メイドたちも露わになっている彼女の腕から気付いているだろう。
そうだとしたら、彼女らはメディスンが人形であるということに気づいている筈だ。人間に一方通行の感情を突きつけられ、反攻も出来ず為されるがままの脆弱な人形である、ということに。
その人形が今、己の意志で立ち、歩き、人間である咲夜に話をしている。
慎ましくあるメイド達も、きっとそのことに驚いているに違いない。
それは紛れも無く、人形に対する世論に革命を与える一矢となってくれている。
そのささやかで確かな変化を感じ取る事が出来たのが、メディスンは嬉しかった。
それだけではない。
メディスンは、何十の妖精メイド達の低頭を受け、紅魔館の権威の一端に触れることで、自分が想像していたよりも膨大なそれをひしひしと感知していた。
そのことは、恐れにも似た思いを抱かせるが、それと同時に、何が彼女らをここに集めたのか、という疑問を浮かばせる。
そして、それに対する答えというのが、人形解放を目指す自分にとって最も必要とされるもの。
ここならば、人形たちを纏め上げるのに、自由を掴みたいという自分の思いを伝える為に何が必要なのかがきっと分かる。
大願への邁進、克明となる可能性。それと何よりも、内に秘めた好奇心――
連なりあう希望は、意識しなくとも、メディスンの歩調を軽いものへとさせる。
思いを馳せるのは、これから会うとされる、紅魔館の主・レミリアのこと。
一体どのような人なのだろうか。吸血鬼と言うのだから、恐ろしいイメージが浮かばれる。
けれど、咲夜が心奪われ、忠誠を誓うほどだ。きっと凄く美人なんだろうな……などと、まだ見ぬ彼女のことを考えれば、益々胸の昂ぶりが抑えられなくなる。
そうして、挙動が素に戻りかけてハッと我に帰っては、優雅にと言い聞かせて落ち着くといったことを繰り返していく。
それを数回かしていると、この長い廊下の暗がりもいつの間にか終わりを迎えようとしていた。
廊下の一番奥、とりわけ大きな扉の前まで辿り着いて、咲夜の足が止まる。
メディスンもそれに同じて立ち止まり、咲夜を見た。
彼女は一言、
「ここですわ」
と言って首肯する。いよいよ、主人と対面するときが来た。メディスンは一つ深呼吸をする。
「あら、怖くなった?」
「べ、別に。ちょっと緊張してるだけよ」
何てことはない、平常心で構えられると思っていても、いざ直面してみれば安気などどこかへ放り出されてしまい、冷静な思惟が出来なくなってくる。
この先にレミリアがいる。そう自然と意識しているからなのだろうか、主としての高尚さ、権威が逼迫してメディスンに重圧を加えてくる。
怖くないと、咲夜には気丈にも言ったが、それらに尻込みをしているのは否めなかった。
「ほ、ほら。勿体つけないで行きましょう、きっと、お嬢様が待ちかねているよ?」
重圧に耐え切れなくなって、自然とそんな言葉が漏れる。
無駄に懸念を張り巡らせているままであるよりかは、いち早く対峙した方が気分も楽になれる。
幾ら好奇心を抑えることが出来たといっても、プレッシャーまでも抑え込めるほど、メディスンの気は剛毅ではなかった。
咲夜は同意しながらも、微笑みを見せていた。
何回も変転するメディスンの表情を可愛らしいと思ったのか、仄かな母性もそこから窺える。
でもやはり、正鵠を射た彼女の言葉に、いつまでもこうしてはいられないとも感じたのだろう。咲夜は先程みたく、メディスンを焦らそうとはせず、握り拳を作ってドアを二度、コンコンと鳴らした。
「入りなさい」
ドア越しに、幼さの残るくぐもった声が聞こえてきた。事は動き出し、最早立ち止まる必要性など無い。
咲夜はドアノブに手を掛けると、それを一息に押した。
扉は軋みをあげながらゆっくりと開き、その先の空間をメディスンに露わにさせる。十分にドアが開ききると、それを右手で押さえながら、もう片方の手で咲夜は彼女を招き入れた。
たどたどしい足取りで、メディスンは中へ入る。咲夜の先導を失ったその足で、ゆっくりと、一歩一歩踏みしめるようにして前進していく。
※
扉の向こうで待ち構えていたのは、閉鎖感を感じさせないほどに広大無辺とし、煌びやかな装飾が施された部屋であった。
床一面には真っ赤な絨毯が敷かれ、壁、柱、天井と彫刻が施されている。天井に仰々しくぶら下がった金色のシャンデリアと合わさって、豪華さと芸術的な趣を演出していた。
側面上部にはめ込まれた赤のステンドガラスに、光が差し込んでは、鮮血の如く綺麗な緋色を輝かせ、絨毯の上に白を垂らす。
それを忌避するかのように、シャンデリアの真下に置かれた長テーブル。
そして、その奥へ更に視線を移せば、一際目立つ椅子に腰掛けては頬杖を衝き、来客を見詰めている少女がいた。
「お嬢様。メディスン・メランコリー様です」
「ん。お前が咲夜の言ってた鈴蘭人形とやらか。しかしアレね、見てくれ人形には見えないわ」
少女は椅子から飛び降りると、翼を広げて飛翔し、メディスンの元へ瞬く間に降り立った。
僅か刹那の出来事に、メディスンは声を上げて驚く暇もなく、急に目の前に現れた少女に呆然とする。
そんなことは歯牙にもかけず、少女はメディスンの手をとってまじまじとそれを眺めた。
「ほぉ。本当に人形なのね……しかも自らの意思で動く人形、か。何、魔法でも施されたの? それとも最新鋭の動力か何かで動いているのかしら」
魔法でもない、最新鋭の動力でもない。
スーさんの毒によって私は生まれたのだと、メディスンは思うも、思うだけでどうしても口にすることが出来なかった。
少女の背丈は、メディスンよりやや高い程度で、胸元、帽子に飾り立てられた真っ赤なリボンも加わって、その容姿は可愛いという印象が非常に強い。
声色も咲夜のそれと比べてみれば、あどけなさが拭いきれておらず、一見しただけでは、成熟しきっていない純真な子供、と思ってしまうだろう。
率直に言って、メディスンは俄かに信じることが出来なかった。
この、目の前にいる少女こそが、この壮麗たる紅魔館の主、レミリア・スカーレットだということを。
信じられなかったけれど、咲夜の彼女に対する”お嬢様”という呼称、吸血鬼。
それらは確かに、彼女がレミリアだという証明をしており、その現実を否が応でも、メディスンは受け容れなくてはいけなかった。
「違うわ、よ。私は、スーさんの毒のお陰で生まれたの。人間の手なんて、借りなくても動けるんだから」
ようやっと声を絞り出したメディスンに、レミリアは何やら訝しげな目線を向ける。
貫かれてしまいそうな、鋭い目線に、メディスンは胸を高鳴らせた。明らかに、彼女の纏っていたものが一変した、ような気がする。
見るものを萎縮させる、威厳を滲ませた眼力、とでも言うのだろうか。しかしレミリアは、ああと一声漏らすと、口許を綻ばせてその権威を引っ込めた。
「鈴蘭だからスーさん、か。誰のことかと思ったよ……ふうん。毒で生まれたんだ、珍しいねぇ」
納得して手を叩き、レミリアは背を向ける。「気になることが色々あるけど、まずは腰掛けなさい」と彼女に言われるがまま、メディスンは中央に準備された椅子に座る。
ふかふかして心地いいのだが、豪勢なものには余り慣れないせいで、なかなか落ち着くことが出来ない。彼女は辺りを見回した。すると、一つの変化に気付く。
「あれ? 咲夜は?」
「咲夜ならお茶の準備よ。そもそも、そのために貴方を呼んだことになっているんだから」
スーさんで作った紅茶がレミリアに好評だったから、そのお礼に。
そう言えば、自分がここに招待された理由って、このためだったっけなと、メディスンは思い出す。
人形の地位上昇とか、自分のことに気を詰めていたせいか、すっかりその根幹が念頭から追いやられてしまっていた。
鈴蘭を褒め称える気持ちなど忘れていた自分を、メディスンは内省する。
そして、今は人形解放のことなど忘れて、レミリアたちの役に立ったスーさんを労ってあげよう、という思いに満ちた。
咲夜を待っている二人の間は、沈黙が支配していた。
レミリアが、自分に対して気になることが色々ある、と言った後だったから、質問責めに遭うのではないかとメディスンは予期していたから、その寂静は意外であった。
腕組みをして構えているレミリアの面持ちは神妙だった。
嬉々としている様子は無く、寧ろ迫り来る時を忌避しているようにも捉えられる。
好評と賛辞を送った鈴蘭の紅茶が、間もなく準備されるというのに、期待に胸を膨らませている様子など一切無い。
準備が遅いと、苛立っているのだろうか。
もしそうだとしたら、なるほど咲夜の言う通り、我侭だと、メディスンは彼女を見て思った。それが余計に、レミリアの幼さに拍車をかける。
先程、自分に向けられたレミリアの鋭い眼光は、確かに一驚に値するものだった。
そのように、威厳の一端を垣間見れば、たとえ自分が思い描いていたイメージと実際が余りに異なっていたとしても、自ずからその差異が、そういった根拠によって埋められていく。
見かけにはよらない、ってことなのかしら―― 一滴、水面を穿っただけでも、その有様は例え些細ながらでも変化する。
メディスンは、彼女が見せた権威の奥に静謐としてなりを潜める大いなる力を、微風の如く頬に感じるようになっていた。
沈黙というのは不思議なもので、平生考えないようなことにまで思案を張り巡らせてしまう。
現にメディスンは、こうして、レミリアに横たわる権威をひしひしと感じているのだから。
そして、それが、メディスンにとって最も必要とされるもの。無名無実な人形と、権威横溢の吸血鬼との決定的な違い。人形解放のための礎。
「ねえ、レミリア……」
どうしたら、貴方みたいに、強くなれるのだろう。
そう、疑念を過ぎらせていたときには、そんな言葉がメディスンの口からこぼれていた。
だるそうに、彼女を見やるレミリア。二の句は既に、喉元まで出掛かっている。指先は今にも、求むる力の源へ触れようとしている。
そんな、言葉から言葉の間に存在する、一瞬の間奏を見計らったかのように、どこからともなく、唐突に咲夜が二人の間に割って入った。
「お茶の用意が出来ましたわ」
それは、またもや鈴蘭から脱線しようとしていたメディスンに対する、注意のようにも見えた。
咲夜は、銀色の皿に乗せたティーカップを置くと、そこへ鈴蘭入りの紅茶を注ぐ。
それまで沈黙を貫いていたこの場が、陶器のぶつかる音やら、紅茶が注がれる音やらで、僅かだが賑やかになった。
淹れたての紅茶が入ったカップからは湯気が立ちこめ、咲夜から差し出されたそれの中をメディスンは覗き込む。
透明感のある薄茶色の液体については、普段の紅茶と何ら変わり無いものだったが、湯気からは鈴蘭の甘い香りが漂っていた。
その甘美な芳香に陶酔し、メディスンの好奇は暫時の眠りに就く。
咲夜から砂糖とミルクを差し出されたが、鈴蘭の味を直に楽しみたいと思ったメディスンは、その誘いを断った。
レミリアも、砂糖とミルクは入れないことになった。
もっとも、それは彼女自身の要望でなく、咲夜から一方的に、「お嬢様は何も入れなくて大丈夫ですよね」と断言されたからであるのだが。
咲夜が入れた紅茶が冷めないうちにと、メディスンは早速カップを手にし、少しばかりを口に含んだ。
紅茶のほろ苦さに、僅かだが鈴蘭の花の香りが混ざっている。
搦め手気味で、余り味が主張しないと思ったら、飲み込んだ際に、鈴蘭の甘さが尾を引いた。
ちょっとした砂糖のようである。それによって苦味が緩和され、爽やかな後味に仕立てられていた。
鈴蘭の多様性の片鱗を肌で感じたメディスンは、感動を覚えた。
ここまで美味しく仕上げることが出来るのは、鈴蘭の甘い芳香もさることながら、咲夜の紅茶の淹れ方もあるのだろう。
気付けば、メディスンのカップは瞬く間に空になった。
確かにこれなら、レミリアも褒めてくれるのも分かるかもしれない。だってこんなに美味しいんですもの――幸福に頬を緩ませて、メディスンはレミリアを見る。
彼女もメディスン同様、紅茶と鈴蘭の絶妙な組み合わせに舌鼓を打っているかと思いきや、レミリアはカップに一度も手を付けず、ただ苦い顔をしているだけであった。
「あら? レミリア、飲まないの?」
メディスンの問い掛けに、レミリアは言葉を濁す。彼女は、咲夜とカップとを何度も交互に見ていた。
一向に飲む気配を見せないレミリアに、次第とメディスンの心に不安が生まれてくる。
まさか、飲めないのだろうか。そんな懸念が脳裏を掠めて、ふるふると彼女は首を振る。
そんなはずは無い。きっと事前にお菓子か何かを食べて、そのせいで食欲が無くなってしまったんだろう。
どうしても、メディスンはレミリアの行動を、”レミリアは、実はこの鈴蘭入りの紅茶が嫌いだった”というふうに捉えたくなかった。
咲夜が言った、”鈴蘭で漉した紅茶が、レミリアに好評だった”ということ。
そして今し方口にした、この紅茶の想像以上の美味しさ。
これら二つのことが重なり合って、メディスンに”レミリアがこの紅茶を嫌いなはずが無い”という固定観念を生み出してしまっていた。
「あぁ、もちろん飲むに決まっているじゃない。ただ、飲むのが勿体無かったの」
引きつった笑みを見せたレミリアはそう言うと、一度唾を嚥下して、一息に紅茶を流し込んでいった。
天井を仰ぎ、空になったカップをテーブルの上に置く。
飲んでから飲み終わるまで、凡そ数秒。豪快な飲みっぷりを見せたレミリアに、メディスンはただただ呆気に取られるしか他に無かった。
「ええ、美味しいわ。美味し過ぎて涙が出るくらい、絶品ね」
目尻を潤ませながら、レミリアはしたり顔で賛辞を贈った。
それに対してメディスンは疑問すら抱かない。彼女の言う通り、本当に涙が出るくらい美味しかったんだ、と信じ込んでしまう。
嬉しくなってメディスンは、咲夜にお代わりを注文する。
真っ白なカップに、優しい香りを携えた紅茶が注ぎ込まれ、そのかさを増していく。
差し出されたカップより立ち込める湯気に乗って、風味が鼻腔をくすぐれば、それだけで幸せな気分になれた。
「そういえば咲夜、お茶請けが準備されてないわ」
「別に紅茶だけでも十分なのでは?」
「何を言っているのよ。良質な紅茶に、美味しいお茶請け。この二つが揃わなければティータイムとは言えないわ」
そこまで言うと、レミリアは「メディスンだって、紅茶ばっかりじゃあ物足りないでしょう」と、メディスンに同意を求めた。
別に紅茶だけでも十分な気がしたが、折角お茶請けを準備してくれるのだ。
無下に断る理由は無いし、好意はありがたく受け取っておくべきだろう。
メディスンが頷くと、咲夜は頭を下げてまた先程のように姿を消した。種も仕掛けも無いその一瞬の消失劇に、彼女はまたも驚く。
恐らく、それが彼女の能力か何かなのだろう。
瞬間移動が出来る能力。どのような原理でそれが成り立っているかまで興味は無いにしても、便利な能力だと思った。
※
咲夜がいなくなって、ふぅ、とレミリアは溜息を吐く。
今まで押し留めてきたものを一気に排出するような、そんな深い息だった。
気だるそうに頬杖を衝いてはメディスンから視線を逸らし、明後日の方向をむいている。時折彼女は、紅茶に口を付けているメディスンのことを睥睨した。
それが数回続いた後のこと、レミリアは何の脈絡もなしに、独り言のように口を開いた。
「……不味かった」
その一言に、メディスンはカップを傾ける手の動きをはたと止めた。
視線だけをこちらに向けているレミリアのことを、彼女は凝視する。刹那的に、不意に紡がれたその一言はメディスンに塵芥一つ残さず、水疱へとなりて消え行く。
空耳かと錯覚させるほどに茫洋としたその言の葉を、彼女はすぐに信じることが出来なかった。
「え?」などと、聞き返してしまったのも、それが虚空でしかなかったとすがりたくての行動だった。
例え茫漠として実体が瞭然でなくとも、その言霊は存在している。それだけは揺るがない事実であった。
「貴方は毒が聞かないから美味しく飲めるでしょうけど、私は違うのよ? 別に飲める代物であるけど、アッサム、ダージリン、アールグレイ。美味しい紅茶を提供する為に存在するそれらに比べれば、足元にも及ばないわ」
何食わぬ顔でレミリアはそう言うが、それでは矛盾しているではないかと、メディスンは混乱してしまう。
咲夜は自分に、”鈴蘭で漉した紅茶がお嬢様に好評だった”と言っていた。
だが、実際のところ彼女はその紅茶に向けて、不味いと言い放ったのである。
さすれば、どちらかが嘘をついた、ということになる。認めたくは無いが、恐らく、レミリアの言葉は本物だろう。とすると、矛盾が生んだのは咲夜の言葉。
「……えーと? それじゃあ、スーさんの紅茶が好評だったから、私をここに招待したっていうのは……」
「ええ。今回の事を組んだのは咲夜よ。私は何一つ関与しなかった」
徐々に浮き彫りになってくる真実に、ますますメディスンは訳が分からなくなった。
紅茶が不評だったにも関わらず、なぜ咲夜はメディスンを誘っての茶会を開いたのか。レミリアが絶賛していたと、あんな嘘をついたのか。
鈴蘭の紅茶がレミリアに不評だったと率直に告げるのでは、メディスンにに申し訳ないと思ったのだろうか。
しかし、そうだとしたら何も口頭で伝えるだけに留め、茶会を開かなければ良いだけの話だろう。
実質、あの場で『鈴蘭で作った紅茶が好評だった』とだけ咲夜から告げられていれば、メディスンは間違いなくそれを鵜呑みにして喜んでいた。それ以上の詮索を望まなかっただろう。
メディスンは嘘をついた咲夜の意図が読めずにいる。
しかし、レミリアはさすが彼女の主とだけあってか、何もかもを知っているかのように息を漏らした。
「私にこの紅茶を飲ませたかったんでしょう。何せこの紅茶の素を育てている貴方の目の前ですもの。無闇に断ったり、嫌悪を顕わには出来ないからね」
「その割には、今の今『不味い』って言ってたじゃない」
「そりゃあ、あのまま褒め倒された貴方が、この鈴蘭紅茶を周りに配ったらどうなる? 今回は毒が効かない私だったからいいけど、他の奴が飲んでいたら状況は悪くなるに決まってるじゃない」
そんなことはない、と言いそうになった口をメディスンはつぐんだ。
新たに鈴蘭の用途の可能性を見出し、それを他方へ顔を利かせるための足掛りにすることが出来るかもしれないという案件が、全く思い浮かばなかったわけではなかった。
メディスンは、鈴蘭の毒について、その効果を相手に及ばせるか否かを調整することが出来る。
だが、それは鈴蘭が醸成し放出している毒霧にのみ適用されるものだ。
内包されている毒素は、いわば鈴蘭を構成している一部。それを取り除くことは、鈴蘭本来のパフォーマンスを失うことになる。
だから、鈴蘭で紅茶を作った際、それには必然に毒が含まれる。
メディスンは効かないから問題無いにしても、毒は何者にも何かしらの影響をもたらす存在だ。
レミリアは効かないと言っているが、害悪は感じていることだと思う。
それについては咲夜も重々承知しているに違いない。
なのに、何故咲夜は、鈴蘭の紅茶をレミリアに飲ませたいなどと思ったのだろうか。
「咲夜は」嫌いと言い放ったが早いか、レミリアはカップを押しやった。
「普通の紅茶に代わるような、新しい茶葉を探しているのよ。んで、毒が入っていたり、何だか妙な感じの花を持ってきたりしては、紅茶に加えて私に飲ませているの」
「レミリアに毒が効かないのを、知ってて?」
メディスンは同情の眼差しを向けた。
毒の威力が如何ほどかというのは、毒を統制する存在であるから実感したことは無い。
しかし、だからこそ、その重さは一番良く彼女が理解しているつもりだった。
「もちろん。ただ、それが善意によるものだから、どうしても断るわけにはいかないのよ」
咲夜の献身に対して、溜息混じりにうんざりして言うレミリアだったが、語勢には些かの惚気もあった。
あの、レミリアに対して多大な忠誠を誓っている咲夜だ。
彼女のレミリアに対する一挙一動には、邪な感情など一切無い。今回もそうなのだろうなと、メディスンは思った。
そんな多少屈折した方法ではあるけれど、そのひたむきな忠義を受けたら、体を蝕む毒も甘美な香辛料となって、感情を揺さぶるだろう。
「『良薬口に苦しですよ、お嬢様。毒の中には、他には表現することの出来ない味覚の妙が眠っているのですわ』……ってね。私から見れば、毒はただの毒にしか過ぎないのだけれどねぇ。まあ、さっき言ったように私に毒は効かないし、多分咲夜は言っても聞かないだろうし。気の済むまで付き合ってあげるつもりだよ」
メディスンはこのとき初めて、理想像ではない、等身大のレミリアに感心を抱いた。
この立派な紅魔館を束ねる、威厳に満ち溢れた存在。そればかりが先立って刺々しいイメージを彼女は抱いていた。
しかし、レミリアと対面してみれば、こうして寛容で柔和な一面も彼女は垣間見せているではないか。
それもまた、指導者に必要なものであるのだろうと、メディスンは心の中でうんうんと頷いた。
「鈴蘭が好きらしい貴方の前で、辛辣な言葉をかけてしまったとは思うわ」
レミリアは腕を組み、緋色の眼でもってメディスンを見据えた。
「でも、ありとあらゆるものには長短、得意不得意が存在するわ。それらはコインの表裏のように決して離れることが出来ないもの。そして今回は、鈴蘭の短所が露呈してしまっただけの話。すべての面において完璧なパフォーマンスが出来るものなんて無いの、だから、悲しむ必要は無い」
レミリアの言葉に、メディスンはただ頷くことしか出来なかった。感心の念しか浮かばないのである。
外見の幼さゆえに、レミリアの主としての地位に疑問を持った彼女はもういない。
完璧な陽を、あるいはその逆を備えている者が一握だと言うことは、普遍的な事実。
それをあくまでレミリアは述べただけなのだろうが、それがメディスンにとっては、頭へ鮮烈に残されるほどのものであった。
彼女はまだ生まれたばかりの妖怪だ。
まさに今、人形解放へ奮闘していたりと、歳に似合わない殺伐としたことをやっているが、その思考は同年代の人間の子供たちに尾ひれがついた程度である。
自己を客観視することに慣れておらず、すること全てが自分の出来るものだと思っている。
そこへ与えられたレミリアの言葉は、さながら何物の手も付けられていない大地を開拓するかのように、メディスンに新たな考え方を打ち付けた。
不安定な地盤の元では何も育たない、整備されて初めて、それは様々な能力、思想を生み出す源となってくれる。
長所があれば短所がある。
私にもスーさんにも、レミリアや咲夜にだって。
悪いところ、苦手なものなんて、誰にだってあるんだ――そう思えば、メディスンに翳るぐずつき模様から、陽光が差し込んで来てくれた。
浮つく気概に、メディスンは釣られてはにかむ。それをレミリアは、温和な瞳で見詰めていたのであった。
※
「で――何の話かしら」
咲夜が持ってきたクッキーを頬張っては、サクサクと小気味の良い音を立てながら、レミリアが問う。
メディスンには、鈴蘭紅茶の件を言ってしまったので、欺瞞を貫く必要はなく、その旨を咲夜に伝えた彼女のカップは依然と空のままであった。
一方で、メディスンは鈴蘭紅茶の、尾を引く仄かな甘味にすっかり見初められてしまっていた。
彼女もまた、クッキーに手を伸ばし、三杯目の紅茶に口を付けている。
「ん……えっと、話って?」
話の前後が窺えないレミリアの言葉に、メディスンは口に含んでいた紅茶を飲み下して首を傾げた。
「ほら、咲夜がクッキーを持ってくる前。何か私に言おうとしていたんじゃなかったの?」
それから数秒の間を置いて、メディスンはああと手をぽんと叩く。
同時に、それを思い出させてくれたレミリアに感謝をした。
このまま小さな茶会に興じていては、聞きたいことも聞けずにこの紅魔館を後にしていたことだろう。
それもこれも、この紅茶とクッキーが美味しいからいけないんだと、彼女は銀皿の上に並べられたそれらを睨みつけ、それから一個に手を伸ばした。
口に放れば、幾ら緊張していたとしても是非無く顔が緩んでしまう。
これも咲夜のお手製なのだろうか、メディスンは何度も咀嚼して味わいながら、そんなことを考えていた。
――いやいや。もう誘いには負けるものですか。
クッキーの甘味と紅茶の苦味。その二つが混ざり合い絶妙な調和を生み出す。幸福に満ち満ちた陶酔の誘惑に、いやいやとメディスンは首を振った。
口に残る、バターの風味がもう一口と彼女の食欲を煽る。
それをぐっと我慢して、椅子に深く腰掛けたたずまいを改めると、レミリアは怪訝な表情を浮かべた。
レミリアも、咲夜も、メディスンの言葉を待っていた。流れる沈黙に、メディスンは縮こまる。
テーブル側にもたれ、頬杖を衝いては怠慢と構えているレミリアだが、威厳を醸し出していることに変わりは無い。
大きな力の重圧は空気に付帯し、悠々自適と巡る風の循環を留まらせた。
ずしりと、メディスンに不可視な重みが圧し掛かる。言霊を、喉元に押さえつけようとする。
しかし、それを彼女の人形解放への強い意志が凌駕する。言の葉はゆっくりと、だが着実に彼女から解き放たれようとしていた。
「実は……」
その一端が漏れた瞬間、堰を切ってメディスンの思いの丈が流れ出す。
「私は、人形が人間の支配から逃れること、人形の解放を望んでいるの。それは、人形の夢だと思っているわ。だって、人間の手から離れれば、もういじめられることも、ボロボロにされて、捨てられることも無くなるんですもの。なのに、私はいつまで経っても独りぼっち、誰も私に協力なんかしてくれない……どうして? 辛い思いをしなくて済むっていうのに!
ねえレミリア、貴方はこのでっかいお屋敷の主なんでしょ? だったら教えてちょうだい、どうやったら貴方みたいに、誰からも頼られる存在になれるの? 私には、貴方の持ってるその力が必要なのよ! 幾ら人形解放のために頑張ったって、叫んだって……」
メディスンはレミリアにまくし立て、最後に弱弱しい声で、「……独りぼっちなんだもん」と訴えた。
人形解放への強い意志という厚い外壁に護られた彼女の心は、頑是無く、脆い。
孤独から生まれる寂寥は、外壁など気にも留めず、内側から彼女の機微を何度も叩いた。
無名の丘で鈴蘭とだけ戯れていたときは、それによる幸福に満たされることで、寂しさを紛らわしていた。
しかし、メディスンの世俗進出によって、自分のものではなく、皆のものへとなりつつある鈴蘭。人形解放に、誰も頷いてくれないという現実。
一歩進むたびに、独りぼっちの悲しさは克明になる。彼女の心に、それは深々と突き刺さった。
人形解放のために、他者との交流に努め、人形の地位向上を図る。
それもまた、稚い彼女の心を覆う外壁と同じで、真実を包んだものでしかない。
メディスンの全ての行動の根幹にあるもの、それは、他者の温もりの切望であった。
「えーと、つまり、何?」怪訝な表情から一変、レミリアはメディスンの話を聞いて、今にも笑い出しそうなほど、満面に喜色を見せていた。「貴方は誕生してから一度も崩れることの無かった、人間と人形の関係を、秩序を変えようとしているわけ?」
こっちは大真面目だというのに、ふざけているようにしか思えないレミリアの態度に、メディスンは憤慨を禁じえなかった。
だが、レミリアがそうした態度をしているのも当たり前かな、とメディスンは思った。実際、未だ彼女には同胞が誰もいないのだから。
どこにも向けることの出来ない怒りは悔しさに変わり、彼女は腿の上に乗せていた掌をギュッと握った。
「いやね。私はメディスンの計画を馬鹿にしたくて笑ったわけじゃないのよ? 寧ろ、面白い話だと思ったわ」
目下を拭って、レミリアは凛として腕を組んだ。
「創造主に喧嘩を売る。実に痛快な話だ。それにしたって、何も有志を集めなくとも、貴方の能力を使えば人間なんてけちょんけちょんに出来ると思うのだけど……まあ、貴方の話を聞くに簡単には出来なさそうなことだし、だからこそ、支えが欲しいと考えるのは頷けるわね」
そう言いながら、レミリアはクッキーをメディスンに差し出す。ついでに咲夜が、紅茶を注いでくれた。
ささくれ立ったメディスンの感情を、甘味と苦味が織り成す旋律が優しく包み込む。それで少しだが心の乱調も治まってくれ、胸の締め付けも和らいでいった。
レミリアは続ける。
「私だって、咲夜や美鈴、パチェやフランがいなかったら、どっかで心が折れていた。誉れ高い吸血鬼も支えが必要なんだよね、気に食わないけど……それが心を持つ生き物の性なんだろうねぇ」
「レミリアも咲夜がいないと、寂しいんだ?」
「いるといないじゃ大きく違うわね。そういう点では寂しい……いや、今貴方が話題にしているのはこんな話じゃないでしょうに」
脱線しかけた話の主題を戻そうと慌てふためくレミリアに、咲夜は目を細めた。
そんな二人の様子に、メディスンは羨望を覚える。
彼女らが仲睦まじくあることは、自身の孤独を強く感じさせられたけれど、自らの計画をこうして親身に聞いてくれるレミリアの優しさが嬉しくて、悲喜の重心は傾かなかった。
「どうやったら、私のようになれるか、だっけ? いきなりで悪いけど、方法なんかどこにもないわよ」レミリアは不敵に笑った。「どうしたもこうしたも、これは全て必然であったのだからね」
「必然?」
レミリアの言葉を反芻し、疑問符を浮かべるメディスン。
対してレミリアは、ふふと享楽的な笑みを見せ、両手の指を絡めて祈るような仕草をした。
「そう。必然だったの。私がこうしていち屋敷の主になったのも、多くの臣下を抱えるようになったのも。誇り高く、強靭な力をを持つ吸血鬼という種族。その中でも名声高い、ツェペシュの末裔――生まれながらに与えられたそれらの境遇は、私に天賦の才を与えたわ。言わば、私は数多の生者の中から選ばれた一握りの存在。その才能に導かれるままに、私はここへ至っただけの話」
いち屋敷の主まで昇りつめたということに、方法など無い。
ただ天賦の才がそうさせたのだと、至極単純明快なことをレミリアは述べた。
逆にそれは、その才能が無ければ指導者にはなり得ない、ということを示している。
「人はその才能を、カリスマと呼んでいるわ。超越的、非日常的な資質。神話や伝記の中で英雄が、預言者が多くの賛同者を従えたように、カリスマには他人を惹き付ける力がある。そう考えれば、魅力、とも言い換えることが出来るのかしらね」
「かり、すま……」
メディスンは、自分の境遇を顧みてみた。
しかし、彼女はレミリアのように実力や威厳を備えてはいないし、ツェペシュの末裔だとか、そんな大それた肩書きは持っていない。
どんなに探してみても、自分に眠っている才能など見当たらないのは明白。メディスンはがっくりと気落ちしてしまった。
「そんなもの、私には無いよ……」
「あら、そう? メディスンにもきっとあるわ。ただ、貴方がそれに気づいていないだけよ」
メディスンは顔を上げた。信じられない一言だった。
「貴方は人形の中で唯一、人間の手を借りずに自立することが出来る。これってすごく珍しい話じゃない? 現に貴方は、人形解放という一大発起の先駆者になっている。まさしく、その内に秘めた才能を少しずつ開花させているのよ。だから、今はたった独りでも、諦めずに貴方が人形解放を望んでいれば、きっと同志が集ってくれるに違いない」
レミリアの一言一句が、メディスンの背中を押してくれているかのようだった。彼女の沈んだ気持ちは徐々に浮かばれていく。
自分にもレミリアと同じ、才能がある。
まだまだ弱くて、小さな自分だけど、それはしっかりと存在するんだと、覚束ない喜びを覚える。
「咲夜もそう思う?」メディスンは咲夜に詰め寄った。「ほんとうに、私もレミリアみたいになれるの?」
「ええ。お嬢様が言っているのですもの。間違いないですわ」
それはメディスンにとって、長い長い道のりにおける大きな一歩であった。
何の根拠も無しに叫び続けてきた、人形解放という願い。
その可能性を裏付ける、力強く茨の道を突き進み続けて行くための礎に、メディスンは声を上げて喜んだ。
その様子を、レミリアと咲夜は慈愛を含んだ眼差しで見る。いつの間にか、銀皿のクッキーは残り数枚となっていた。
それを見て、レミリアは、「そろそろ潮時かしらね」と呟く。立ち上がって、メディスンの傍へ行くと、掌を彼女の方へと置いた。
「貴方と私は良く似ている。同じカリスマを備えた者としてね」
レミリアの手の温もりと、香る甘い芳香に、メディスンは身を委ねる。
誰かの肌に触れることは、いつも何度でも色褪せない幸福を彼女に与えてくれる。それで胸が一杯になって、波打つそれで苦しくなる。けれど、決してその苦しさは痛くもないし、寂しくもなかった。
手のひらを通して伝わる、レミリアの心底からの優しさに包まれたメディスンは、ただただその温もりを愛しく享受した。
「また遊びに来なさい、メディスン。私は貴方がこれからどんな運命を歩んでいくのか、非常に興味があるわ」
「うん」
やがて肩から手を離し、レミリアはその場を後にする。
暫く座り込んでいたメディスンだったが、込み上げてくる寂しさにとうとう堪えきれなくなって、立ち上がった。
大声でレミリアの名前を呼び、扉まで駆け出す。閉まりかけのドアを乱暴に押すも、そこには既に、レミリアの姿は無く、あの長々とした赤絨毯の廊下が続いているだけであった。
メディスンはもう一度、レミリアの名前を呼んだ。
だが、声は虚しく館の中に木霊する。反響する自分の音が、やがて聞こえなくなって、立ち尽くした彼女は静かに、自分に言い聞かせるようにして、言葉を紡ぐ。
「レミリア。私、やってみるよ。スーさんと皆と一緒に、人形解放を成し遂げてみせる」
縫い上げられ、強固となった決意。暗がりを睨むメディスンの眼に、もう迷いは存在しない。
「それでは、玄関までお見送りしますわ」と、音も無しにメディスンに寄り添った咲夜の微笑みに、彼女もまた笑みを湛えて頷くと、歩を進めだす。
気取る必要がなくとも、彼女の足取りは早速カリスマの顕現を思わせるような、自信に溢れていたものであった。
★
「似てるわよね、貴方とメディスン」
「……はい?」
メディスンを見送り、やや茜色じみた空を見上げながら、十六夜咲夜は紅美鈴に言葉を投げた。
結局、『これだけ平和だったら、庭の手入れをしていた方がずっと楽しい』と言っていた割に、美鈴はずっと門番の任から離れることは無かった。
レミリアに鈴蘭紅茶を飲ませる為だけに企画したこの茶会。咲夜からしてみれば、鈴蘭紅茶がレミリアの口に合わないのは残念だったが、彼女の様子を見る限り楽しんでいたようだったので、ある意味成功を収めた茶会に満足していた。
客人であるメディスンも、レミリアに自らの才能を説かれただけでなく、鈴蘭で作った紅茶の葉とクッキーを抱えてご満悦に紅魔館を去っていったので、また今後もお菓子を振舞ってあげようという気になった。
「メディスン、って……あの金髪の女の子のことですよね? 見た限りでは、似ている所なんてどこにも見当たらないんですけど」
やっぱり似ている、と咲夜は思った。もっとも、咲夜が似ていると思ったのは、そうして同じ台詞を吐いたからではないのだが。
「いいや似てるわ。貴方もメディスンも、妖怪にしては優しすぎる。ねえ美鈴、貴方がこうして『退屈だ』、『暇だ』と言っても、門番を離れようとしないのは、庭に花を植えるようになったのは、何故かしら?」
「そりゃあ、お嬢様や咲夜さん、この紅魔館の人々を護りたいから。花を植えることで、皆を少しでも笑顔にしたいから……って、いつだったか前にも言いましたよねこれ」
「もちろん。忘れるわけが無いわ、確認のためよ」
はてと依然として首を傾げる美鈴に、咲夜は溜息を吐く。彼女の察しが悪いことはいつものことだった。
日和見主義者、というのであろうか。腕は立つのだが、肝心なときに油断して十分に力を発揮できなくなるからどうしようもない。
けれど、子供のように一喜一憂する、豊かな情操を備えている美鈴は愛嬌があって、咲夜はそんな彼女を、憎むに憎めずにいるのだった。
「貴方の行動動機は、そういった、主に利己的なものより、他者のためといった奉仕的なものが多い。それはメディスンも同じなのよ。彼女は妖怪だけど、元々は人形。人形の意義とは、誰かの役に立つことであって、普段は物言わぬ彼女らだけど、役に立つことが出来れば嬉しいし、逆に役に立てなかったら悲しくなるだろうし。メディスンは人形解放の話題もさることながら、鈴蘭の話題でもその感情を大きく上下させていた。私の言葉に満面の喜びを浮かべ、お嬢様の言葉に大きくうなだれて、ね」
「何が言いたいんですか?」美鈴は依然として首を傾げ、かつ、不満そうにしていた。「私が人形みたいだって、そう言いたいんですか?」
「いや、違うのよ。仮にメディスンにお嬢様と同じ才能があったとしても、それが必ず発現されるとが限らないだろう、って言いたかったの。貴方のその思いは自ずから生まれたものだけど、メディスンのは人形だったときに生まれ出たものでしょう? だから、もしあのまま人形だった頃の感情に浸されてしまったら、その才能は眠ったままで終わってしまうわ。不幸なことに、その可能性を彼女ははらんでいる――ここ、っていう新しい繋がりを手に入れたしね。まあ、ここよりも先に、彼女は繋がりを見つけているみたいだけど」
はあ、と、気の抜けた美鈴の返事を尻目に、咲夜は空を遠望する。
メディスン・メランコリーには無限の可能性がある。
レミリアのような、カリスマに覚醒し人形を束ねるリーダーになれるし、元来の感情に満たされ続ければ人形に後戻りする。心があるということは、人間にだってなることが出来る。
意志に満ち満ちた彼女の旅路を止める手立ては無く、咲夜に出来ることといえば、その顛末を傍観することであった。
ただし、それが流転し始めるのは、まだまだ先のことだろう。自分が生きているうちにそれが起こるかどうかも疑わしい。
恐れは杞憂へと成り果て、咲夜は赤々と燃える夕日に背を向ける。そうして彼女は屋敷へと引き上げていくのであった。
しかし不必要に見える展開や文章があまりにも多すぎて、
お話しの起伏や要点がなかなか掴めなかったのが難点。
細やかな情景の描写により、まるで鈴蘭の紅茶のような不思議で奥深い味わいがありました。
幼いが故に無限で夢幻の可能性を持つ。運命はさっぱり掴みとれませんね。
夢は叶うものですが、夢は変わるものでもあります。
貴方が描く彼女の成長を描いた作品を読んでみたい、と思える素敵な作品でした。
メディスンの話を書きたくて書かれたようですが、お嬢様が一際魅力的に写りました。
文章も読み易かったです。 次回作も期待しています。
面白い考え方だと思いました。
しかしレミリアがカリスマ溢れ過ぎだと思う。
メディスンかわいいよー