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「ふにゃ~~~……」
天子が紫の家に遊びに来た時、橙が藍の尻尾の中に潜り込んで至福の表情をしていることがある。
この微笑ましい光景は、紫の家に来た時には結構な頻度で。
天子も最初は「何だか変なことをしているな」程度に思っていたが、何度もそれを見ているうちに少しずつ興味を惹かれ始めた。
毎回毎回、幸せの絶頂にでもいるかのような表情で尻尾に埋もれる橙。自分も同じように尻尾に包まったらどうなるだろうと。
一度、橙に尻尾の中に入っていることの感想を聞いたことがある。
曰く「藍様のふわふわでもふもふの尻尾が全身を優しく撫でてくれて、すっごく気持ちよくて暖かいんだよ」とのことだった。
満面の笑顔でそんなことを言われれば、天子としてはそりゃあ体験したくなってくるのは当然だ。
橙は「あっ、でも藍様の尻尾は私専用だからね!」と言っていたが、その程度で止めようと思うほど人の良い性格ではなかった。
そこで天子は橙がいない時にこっそり藍にお願いした。
「藍、私も尻尾入ってみて良い?」
「む、しかし橙が機嫌を悪くするかもしれないしな」
「だからこうやって橙がいない時に来たんじゃないの。別に良いでしょ、ちょっと入るくらい」
藍は少し渋っていたが、「まぁ、別に良いか。ただし橙には内緒だぞ」と了承を取ることができた。
天子はついにこの時が来た、と期待に胸を膨らませながら尻尾の中に潜り込む。
「お、おおう? これは……!」
暖かな金毛が天子の体中を撫で回し、指の間一つ一つにまで入り込んで優しく擦り付いてくる。
九つの尾が決
して強すぎず、だからと言って弱すぎず、絶妙な境界線を突くように天子の体を揉みしだいた。
「ふみゃ~~~……」
少し獣臭さが鼻に付くが、そんなもの気にならないくらい全身が安らかな感触が天子の体を包み込む。
天子もまた、橙と同じように至福の表情を浮かべて心地良さに埋もれた。
「天子も気に入ってくれたようだな」
「んぁー、橙が夢中になるのもわかるわ。これすっごい気持ち良い」
褒められて悪い気はしないののだろう、最初は苦い顔をしていた藍の顔も自然とほころんだ。
それを天子も感じ取って、遠慮せずにもっと奥に入っても良いだろうと思い、体を丸めてより深く潜り込む。
首までもふもふの尻尾の中に浸かっていると、天子の目の前に空間を割るように黒い線が走った。
「楽しそうなことしているわね」
黒い線が開き、中からはにゅっと紫の上半身が飛び出してきた。
「あー、ゆかりぃ。おじゃましてるわよ~」
「これは紫様――おっと」
背後に現れた紫に振り向こうとした藍は、それでは紫が天子と話し難いと気付いて尻尾の先が紫を差すよう向きなおす。
精一杯に首を捻って顔だけでも後ろに向けようとする藍に、紫は「ありがとう」と労った。
「随分と間抜けな顔を晒しちゃって」
「はふー、バカにされてるけど気にならないくらい気持ち良いー」
紫が現れても天子の顔は相変わらず呆けたまま。
なんとなく紫が天子の頬っぺたをつんつん突っつく。緩んだ頬が押し上げられ、指を離せばまた緩む。
どれだけいいように弄られようと、天子の表情は終始崩れっぱなしだった。
「……そんなに気持ち良いのかしら」
「言っておきますが、二人同時には流石に重たいので止めて下さいね。天子もそろそろ橙が来るだろうから出てくれないか」
「あらまあ。まるで不倫がバレないように小細工してるみたい」
「藍の浮気者ー」
「いいからさっさと出ろ」
「うげ」
紫と一緒になってからかう天子を藍は尻尾を自在にくねらせて追い出した。
頭から畳みに突っ伏した天子は、その場で紫から受け取った目薬を差し、さめざめと泣き崩れる。
「うぅ、所詮私なんて、都合が悪くなったら捨てられる女なのね……」
「あぁ、可哀相な天子。それにしてもなんて酷い狐なのかしら」
「狐なんて昔から酷いもんですよ。王朝滅ぼしたり。それより、紫様もこのことは内密に」
「はいはい。わかっているわ」
それからすぐ後に橙がやって来たこともあったし、その日にはもう天子が藍の尻尾について触れることはなかった。
だがしかし、それが最後という訳でもなかったのだった。
「ねぇねぇ、もう一回尻尾に入れさせてよ」
「何だまたか? 昨日も入れたじゃないか」
「昨日入れてくれたんだから、今日入れてくれてもいいじゃない」
あの日以来、天子は橙がいない隙を見ては、藍のもふもふ尻尾を堪能しようと言い寄っていた。
藍としては橙に黙っているのがバツに悪くて渋ってはいるのだが、昨日もしたのだからとなし崩し的に押し切られて天子を尻尾で受け止めてしまう。
「はぁー、極楽極楽……」
「わざわざ天界から降りてきて言う台詞じゃないな」
「そんな揚げ足とかどうでもいいのよ。気持ち良い~……」
今日も藍が洗濯物を畳んでいると天子がやって来て、渋る藍を強引に押し切ると尻尾に入ってきた。
尻尾の中でふさふさの金毛に頬を擦り付ける天子にやれやれと呆れた藍だったが、何か得体の知れないものと目が合った。
部屋にある箪笥と壁の隙間から覗く嫉妬の眼光。
「パルパルパルパルパルパルパルパルパルパル…………」
「ヒィッ!?」
それは間違いなく、藍の主である隙間妖怪の眼だった。
それだけでなく、その隙間から流れ出してくる殺気。それは魔界の瘴気のように藍の下に押し寄せてきて、精神を蝕んできた。
何故だ、何故これほどまでにお怒りなのだ。
そういえば、最近の天子は藍の尻尾に構ってばかりで、紫と二人でいる姿を見せていなかった気がする。
そして主から受ける感覚とは比べ物にならないが、似たような感覚は受けたことがある。
お遊びで男を寝取った時に妻だった女から受けた、呪いにも似た恨み辛み。
あの深い闇を秘めた眼光は間違いなく、想い人を奪われて嫉妬に狂った者の目だ。
「ん? 変の声したけどどうかした?」
尻尾の中から天子が声を掛けてきた。
同時に「あなたばっかり天子とイチャイチャして……」と小さく声が漏れ出してくる。
非常にマズイぞこれは、なんとかして天子と主とを引き合わせなくては。しかし藍としてはイチャイチャしてるつもりはないのだが。
とにかく、このままでは藍の胃が真っ赤に染まりかねない。
「い、いや、何でもないぞ。そう言えば天子。紫様とは話さないのか?」
「紫と? ……んー、今はちょっと」
ギリリッと歯軋りの音が藍の耳に届いた。
「どうしてだ? 紫様と喧嘩でもしたのか? 違うだろう? なら今すぐ紫様と……」
「あー、いやね……」
藍が心臓をバックバックン高鳴らせて焦っていると、天子は尻尾の中から這い出て耳打ちしてきた。
「紫のやつ、何でか知らないけど最近機嫌悪いのよ。そんな時に話しかけても向こうもウザがるだろうし、今はそっとしといてあげようと思って」
「違うそうじゃない!」
「はぁ?」
どうやら天子は紫の機嫌が悪いことを藍よりも早くに気付いていたようだが、対処法が根本から間違っていた。
むしろいつも通りに接していたら何事もなかったというのに。
このまま放っておいたら二人は更にすれ違って離れていくこと間違いなし。こうなれば元凶でもある自分がどうにかするしかないと藍は意気込んだ。
……あれ、元凶だっけ? ただ巻き込まれたようなだけじゃないか?
「そもそも、紫様がもっと積極的になってくださればこんな面倒なことにも……」
「藍、急にブツブツ言ってどうしたのよ」
「それに私も最近後ろめたくてあんまり橙と話せてないし。本当ならもっと私も橙とあんなことやそんなことをして、キャッキャウフフと至福の時間を……」
「おーい、藍?」
「あーっと! 私はこれから橙の修行を見てあげるんだったー!!」
「えっ、うわ!?」
絶叫しながら立ち上がった藍は、尻尾の中から天子を追い出すとその両脇に手を差し込んで持ち上げた。
混乱する天子を運び、家中に大声を響かせながら廊下を突っ走った。
「橙のマヨヒガに泊り込みで見てあげるんだったー!! すぐ行かないとー!!」
「ちょっ、なに!? どうしたの藍、仕事し過ぎでおかしくなった!?」
「うるさい! とにかく天人一丁お待ちぃ!!!」
どたばた騒ぎたてて紫の自室にまでやって来た藍は、戸を蹴破って中に進入した。
「いっ!?」
「なっ!?」
「ほいっと」
突然張り倒された戸を前に目を丸くする紫の前に、藍はここまで持って来た天子を置くと廊下に下がった。
「それでは紫様! さっき言った通り今日は帰ってきませんから!」
「へっ?」
「行ってきます!」
「いや、だからその……」
「行ってきます!!!」
「……い、いってらっしゃい?」
「はいそれでは!」
何か言おうとした紫だったが、珍しく声を荒げる藍に気圧されて疑問符付きで言葉を口にした。
それだけ引き出した藍は、また足早に廊下を走って玄関から出て行った。
取り残された天子と紫は、何が何だか判らない様子で呆然とする。
「紫、もうちょっと藍のやつ休ませたほうが良いんじゃない?」
「……いや、多分それはあまり関係がないと思うわ」
天子と二人っきりという状況に、きっと気を遣って出て行ったんだろうと気付いた紫は冷静に返した。
対する天子はわけがわからようで「はぁ……?」と頭を悩ませていたが、心配ないのなら別に良いかとすぐに思考を切り替えた。
「この壊れた戸どうするの?」
「とりあえず隙間で片付けときましょう」
倒れた戸の下に隙間が展開すると、泥沼にはまるようにズブズブと戸は沈んでいった。
「掃除にも役立つのね。ついでに私の家から漫画取ってよ」
「どの漫画?」
「ゲッターロボの一巻。この前、香霖堂で見つけたやつ」
紫は天子の自宅に隙間を繋げると、性格の割りに綺麗に整頓された本棚から、言われたタイトルを抜き出して天子に手渡した。
「はい」
「ありがと」
受け取った天子はそれだけ言うと、壁を背もたれにして本の世界に没頭していった。
自分は何をしようかと迷った紫は、とりあえず隙間で覗き見でもしていようかと思った辺りであることに気が付いた。
あれ、この時間の使い方は凄くもったいないんじゃないか……? と。
ここのところ二人でいることが中々なかったというのに、せっかく藍がチャンスを作ってくれたというのに、このままろくに会話もせずにただ時間が過ぎていくとはどうなんだ。
「天子、どんな本を読んでるのかしら?」
「んー、今は学生が目と耳と鼻を潰されたところ」
「へ、へぇー……」
表紙からロボットが戦うだけの作品かと思ったが、紫の想像よりも残虐な漫画を読んでいるようだった。
それ以上どう話を膨らませればいいかわからず、続く言葉を見つけられない。
仕方なく他の話題を探そうともう一度声を掛けた。
「天子、一緒に隙間で覗き見しない?」
「漫画読んでるからパス」
「そ、そう……お菓子はどうかしら?」
「お腹減ってないからいいわ」
思えばいつもは能動的な天子のほうから話し掛けてきて、それを何かしらのリアクションを返していた気がする。
勿論、毎回親密に話し合っているわけでなく、今のように一言二言会話して、そばにいながらのんびりしていることも多かった。
だが足りない。それでは足りないのだ。圧倒的にまで天子分が足りない。
せっかく久しぶりに二人っきりなのだから、もっとこう、できることなら直接触れてみたい。枯渇してしまった天子成分を補完したい。
そうやって一人悶々とする紫の横顔を、天子は漫画から目を離してチラリと盗み見て眉を潜めた。
「……変な紫」
ここのところ紫の機嫌が悪いのは天子も感じ取っていたが、今日の紫はそれまでとは別ベクトルで変だ。
珍しく余裕がない感じとでも言うべきか、どうしてこんな状態になっているんだろうか。
漫画に目線を戻してからも少し考えてみると、藍の言葉を思い出した。
「違う、そうじゃない」もしかして機嫌が悪いからと、自分なりに気を遣ってそっとしておいたのがいけなかったのだろうか。
そうやって天子が悩んでいると、急にわき腹を突っつかれる感覚が電気ショックのように頭に走った。
「いっ!?」
緩んでいたところにいきなり敏感なところを突かれて、天子は曲げていた背中を海老のように反らして声を上げる。
反射的に突っついてきたものを手で掴んで確かめてみると、隙間から伸びた手が人差し指を伸ばしていた。
天子が目付きを鋭くして紫の方へ振り返ると、咄嗟に顔を背けられた。
「あんた何なのよ」
「あっ、いや、これはその……」
「これだけじゃなくってさ、紫ってば最近機嫌悪いし、今日は何か調子悪いみたいだし。一体どうしたのよ」
「それはその……」
素直に気持ちを言うのも恥ずかしくて出来ず、紫は曖昧な言葉で場を濁そうとする。
そんな紫のハッキリとしない態度に、天子は段々と苛々が高まってきた。
「うじうじして、紫らしくない」
「別にうじうじなんかしてないわ」
「してるわよ。何なのよもう、まさか最近紫のこと放ってたから寂しくなっちゃったとか? はは、まさかね」
自分で言っていてありえないな、と思った天子が鼻で笑った。
それを聞いた紫はビクリと体を震わすと、落ち付かずに目線をあちこちにやりながら口を開いた。
「ハ、ハハハハハハ。ま、まさかそんなことあるわけないじゃないのー、馬鹿ね天子ったら、オホホホホホ……」
「……まさかねー」
予想外の反応に一瞬遠い目をした天子だが、すぐに気を取り直して紫に向き直った。
「えっ、マジ?」
「だから違っ……」
「マジ?」
「……マジです」
追及を受けて嘘を突き通すのが無理と悟ったか、紫は恥ずかしく顔を俯けると諦めるように事実を認めた。
天子は「はぁー……」としばし呆然としてからプッと堪えきれなくなったように噴出して、ニヤニヤと口元を吊り上げた。
「ふぅ~ん、天下の隙間妖怪様が寂しくて拗ねてただけねぇ」
「な、何よその嫌らしい顔は」
「べっつにー、紫も案外子供っぽいなぁ、って思って」
「いいからその顔止めなさい」
ニヤニヤした顔を近づけられ、紫は天子の頬を軽く引っ張ってやった。
「いたたた、ごめんってば」と言うので離してやると、天子は胸に手を当てて気取った態度を取った。
「まぁ、私は高尚な天上人。下々の者が求めるなら、それが妖怪であろうと応えてやってもいいわ」
「ここぞとばかりに調子に乗って」
「そんなカリカリしないで、紫の言うこと聞いてあげるんだから。ホラホラ、好きなこと言っちゃいなさいよ。寂しいならこの私が存分に紫を甘えさせてあげようじゃない」
天子の人をおちょくっている態度に紫は腹が立ったが、一応は願いを聞いてくれるようなのでとりあえず怒りは飲み込んだ。
しかし何をお願いするかと少し悩んだ紫だったが、恥ずかしがりながらも意を決したように口を開いた。
「えっと、それじゃあこっちに来てくれるかしら」
「はーい」
「それで邪魔だから帽子は脱いで、私の膝の上に座って」
「はいはーい」
言われた通りに帽子を脱ぎ、紫の膝の上に腰を下ろした天子は次の指示を待とうとしたが、その前に天子の体に腕が回された。
ギュッと後ろから抱きしめられ、天子の華奢な体が厚い道士服を着た紫の体に沈み込む。
背中に当たる柔らかな二つの膨らみを感じながら天子は待ってみるが、紫は他には何も言ってこなかった。
「……紫?」
「何かしら」
「これで終わり?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
呆気に取られたように聞いた天子に、紫は何でもないように返した。
「いやさ、これじゃ何て言うか。紫が甘えてるって言うよりも、私が紫に甘えてるような気がして」
「そうかしら? 私はこれでも十分だけど」
「うーん……ちょっと腕外して」
天子は紫に腕を退けさせると、膝立ちで向かい合い腕を伸ばす。
「やっぱり甘えるって言ったらこういうのじゃない?」
「ちょ、ちょっと天子……!」
そのまま天子は紫の頭を胸に抱きしめる。
恥ずかしがって逃げようとする紫を押さえ、その頭を優しく撫でてみた。
「どうよ?」
「……凄く固いわ」
「悪かったわね薄くて!」
「あなたからしたんじゃないの。それに、これは恥ずかしいから止めて」
怒った天子が拘束を緩めた隙に紫は腕の中から逃れると、天子の体を反転させてさっきと同じように抱きしめた。
「自分でするのは良いの?」
「こんなにくっつくのは恥ずかしいけど、こっちの方がまだ我慢できるわね。あまり刺激が強過ぎても恥ずかしいし、私は誰かに甘えられてるくらいが丁度良いわ」
「それで紫が機嫌悪いの直るなら良いけど。あんまりカリカリされるとこっちも嫌だし」
「……そんなに私機嫌悪かったの?」
「それなりにね。まさか寂しかっただけだとか思いもしなかったけど」
笑いながらからかうように話す天子だが、紫はその言葉を真剣な目で聞いていた。
今は機嫌が悪かったからと紫の願いを聞いて一緒にいるが、明日にはどうなっているだろうか。
また藍の尻尾に包まって幸せそうな顔をしているのだろうか。
それを想像すると紫の胸はキュッと苦しくなり、天子を抱きしめる力を強めた。
「天子、一つだけお願いしてもいいかしら」
「ん、紫?」
急に空気が変わったのを感じ取った天子が、腕の中で身動ぎして振り向いた。
至近距離で顔を見つめられ、いざ言おうとするところで恥ずかしくなった紫だが、それでも言葉を続けた。
「あの、そのね。あ、あんまり藍とくっつくのは止めて欲しいんだけれど……」
「えっ……?」
それを聞いた天子は一瞬呆けた顔をしたが、すぐににんまりと面白がっているような、どこか嬉しがっているような笑顔を浮かべた。
「何? 友達取られて嫉妬しちゃってんの? かっわいいー」
天子は紫の脇から腕を回して、恥ずかしそうに顔を赤らめている紫の頬をつっついた。
紫はその鬱陶しい指を振り払うと、更に天子を強く抱きしめる。
「もう、わかってるならあんまりからかわないで」
「だって可愛いものは可愛いし」
「あんまり可愛い言わない、恥ずかしいから……それよりも、答えはどうなの?」
大したお願いでもないはずなのに必死に訊ねてくる紫がおかしくて、天子の顔から笑みが剥がれない。
「まぁ、紫には世話になったりもしてるし、それくらいは聞いてあげてもいいかな」
「そう、良かったわ」
「それにしても紫が嫉妬ねー、アハハ」
「……なんなのよ。私が嫉妬するのがそんなにおかしい?」
「それもあるけどねー」
おかしいというのはある、だが紫が自分に嫉妬していると思うと、それ以上に暖かい気持ちが天子の中に湧き上がってくる。
何だろうか、嬉しがっているのだろうか。嫉妬されて。
「他にも何かあるの?」
「秘密よ、秘密」
「自分ばっかり面白がって」
「弱み見せるほうが悪いのよ。まっ、悔しいけど普段は紫の方が頭良いし強いし、こんな時くらいはね」
そういえば、藍はいきなりまくし立てて出て行ったが、ひょっとして二人っきりにするためだったのか、とようやく天子は気付いた。
橙と一緒にマヨヒガに泊り込みとか言っていたが、向こうはちゃんとしているだろうか。
「わぁー、今日は藍様とずっと一緒ですか!?」
「あぁ、そうだぞ橙。思う存分尻尾をモフれば良い」
「やったー……あれ」
「ん?」
「藍様、この青い髪の毛、何……?」
「ちょっ、あっ、それは」
まぁ、藍はしっかりしているし、特に何の問題もないだろう。
もし問題があっても、すぐに解消してるはず。
紫に背中を預けながらそうのんびり考えていると、天子に別の想像が浮かんできた。
紫はさっき藍に取られたと嫉妬していたようだが、もしも立場が反対なら自分はどう思うだろうか。
例えばだ、自分が藍の尻尾に包まっていたように、紫が誰かと楽しそうに話してくっついて、幸せそうに笑っていて……。
「むぅ……」
そんな姿を想像すると、急に天子の暖かの気持ちに陰りが差した。
「気に入らない」
「気に入らないって、何が?」
「何でもないわよ!」
嫌な想像を払うように天子は頭を振るうと、体制を崩してより紫にもたれかかる。
ずり下がっていく天子の頭を、二つの柔らかなふくらみが受け止めた。
「おっ……?」
「何?」
天子は紫の言葉も気にせず腕の中で体を反転し、ふくらみに顔を突っ込んだ。
紫の体に腕を回して密着すると、顔を擦り付け始めた。
「お、おぉ……お?」
「あら、天子どうしたの」
「お……」
「お?」
「おっぱい!」
「おっ!?」
おっぱいだ。天子を受け止めたのは、まごうごとなきおっぱいであった。
「どうしたのじゃないわよ、何このおっぱいすっごい気持ち良い!」
「お、おっぱいってあなた……!」
「あっ、ちょっと離れないでよ」
天子の変化に紫は立ち上がって引き離そうとするも、天子はガッシリと紫の体に捕まって離れようとしない。
そればかりか紫に抱きつく腕の力を強め、より深く紫の胸の谷間に顔を沈め込んだ。
「あ~、何これ、良い気持ちだわ~」
「ちょっとあなた何やって……んぁ、くすぐったいから胸から離れなさい!」
「紫、これは胸じゃなくておっぱいって言うべきよ!」
「知らないわ、そんなこだわり!?」
ただ胸という呼び方ではこの柔らかさが直感的に伝わり難い、これはおっぱいと呼んでこそ意味が伝わるものだと天子は直感で思った。
背中越しに感じた程度では気付かなかったが、こうやって顔を押し付けると良くわかる。
厚い導師服とブラジャーを間に挟んでも尚伝わってくる存在感、感じてくるやわらかさ。
そして何よりも女性のおっぱいに受け止められる安心感が、藍の尻尾よりもずっと天子を魅了していた。
おっぱい事情などの知識が皆無の天子であっても、これが大きさや柔らかさなどを兼ね備えた最上級のおっぱいなのだろうと本能で理解した。
天人をこうまで虜するこのおっぱい、げに恐ろしき隙間妖怪八雲紫のおっぱいぞ。略してゆかぱい。
「ヤバイ、とにかくヤバイ。紫のおっぱいヤバくて私がヤバイ。略しておバイ。進化させてババア」
「無理矢理ババアネタ挟まない、バしか合ってないじゃない。もういい加減に離れなさい!」
「あと五分!」
「今すぐに!」
異様な雰囲気の天子に危機感を覚えた紫は、力一杯突き飛ばす。
天子は尻餅を付くと、不満そうな顔を浮かべた。
「なによ、せっかく寂しい紫に構ってあげてたのに」
「完全に私欲で動いていたでしょうが。何でいきなりあんなことしてきたの」
「おっぱいの良さに目覚めた」
「そんなものに目覚めて欲しくなかった」
至極真面目な顔で言い放った天子に、紫は心底落胆したように頭を抱える。
いつもは巨乳爆発しろとか、四散しろとか、巨乳滅亡しろとか言っていた天子がこの変わりよう。
もしかして胸のコンプレックスがなくなったのだろうか。
「絶壁娘」
「うるさい! 胸のことは言うな!」
「何だ違うのね」
「喧嘩売ってる? 今ここで買ってもいいわよ?」
「そんな野蛮な話をする気はないわ。あなたのその、胸に目覚めたって意味がわからないんだけれど」
「だからおっぱいよ」
「聞いてないからそんなこだわり」
「んとね。単純に気持ちいいのよね。紫のおっぱいに顔を埋めてるとこう、暖かくて気持ちよくて。藍の尻尾に包まってる時と似てるわ」
「藍のねぇ……」
紫は不思議そうに自分の胸に手を置いた。
橙や天子が藍の尻尾には言っているときは幸せそうな顔を浮かべていたが、自分の胸にそれと同じような効果があるとは想像したこともなかった。
「ちなみに聞きたいんだけれど……」
「ん?」
「藍の尻尾と私の胸、どっちが良かったのかしら」
そうすると、果たしてどちらの方がより天子に好かれているのか気になるものだ。
豊満な胸の内で、静かに対抗心を燃やした紫が訊ねた。
「んー、甲乙付け難いわね。どっちも良いから完全に好みの問題になってくるだろうけど、私なら紫のおっぱいの方が好きかな」
「そ、そう?」
「と言う訳でもう一回」
紫の方が好きだと言われて安堵したのも束の間、飛び掛ってきた天子から紫はヒラリと身をかわした。
一瞬紫を見失った天子は改めて目標を確認するともう一度飛び掛り、やはりまた紫はそれを避ける。
「何で逃げるのよ!」
「必死過ぎて恐いのよ」
「必死なのは紫のおっぱいが悪い、引いては紫が悪い」
「悪くないから、意味不明だから」
必死に否定しようとする紫だが、天子は至って大真面目だった。
今まで触れる機会はあっただろうが、紫のおっぱいがここまで魅力的だとは気付かなかった。もしかしたら藍の尻尾によって、他人に触れる気持ち良さを知ったから気付けたのかもしれないが、まぁ今となってはどうでも良い。
「ねー、おっぱい触らせてよ。女同士だし友達同士だし別に良いでしょ」
「女の子や友達のじゃれあいにはしてはひっつきすぎじゃないの。ふしだらで、それに恥ずかしいし……」
「恥ずかしいくらい良いじゃない」
「と、とにかく駄目なものは駄目よ」
「むうぅぅ……」
お願いするもむげに断られて天子は悔しそうに唸りを漏らした。
「こうなれば、おっぱい触らせてくれないと地震で幻想郷を……」
「本気で怒るわよ?」
「ごめんなさい」
「よろしい」
幻想郷を盾に脅迫をしようとする天子だったが、その前に殺気を漲らせた紫に頭を下げた。何にでも守るべき節度と言うものはある。
一度は紫を怒らせかけたため、その場は引き下がることとなった天子だが、これでゆかぱいを諦めたわけではなかった。
「紫、胸元寂しくない?」
「いえ、別に」
お茶を飲んでる紫に唐突に訊ねてみたり。
隙間でどこかを覗いてる紫の胸に手を出して、結局避けられたりしていた。
いつまでも諦めて帰ろうとせず、天子は夕食の席にも同伴した。
だが紫がどこからか隙間で盗んで来たのであろう高級料理を前にしてもあまり手を付けず、ずっと紫の胸元を睨むように見張っていた。
「何でそんなに見てくるの」
「いや、紫が食べ物こぼしておっぱい汚さないかと思って」
「仮にこぼしても自分で拭くわよ」
「チッ」
試しに紫が訊ねてみればこれであった。
藍に天子を取られて寂しかったりもした紫だったが、逆にこれだけ付けまとわれるのも鬱陶しい。
食事を終えた紫は、少しの間でも一人になりたいと席を立った。
「どこ行くの?」
「お風呂よ。邪魔しないでね」
「はいはーい」
ちなみに普段家事を担当する藍は今日はいないが、自由に外界とを行き来できる紫の家はボタン一つでお湯が沸くよう整備されている。
脱水所で服を脱いだ紫は、あらかじめお湯を張っていた浴槽に身を沈めた。
「ふぅー、生き返るわ……」
暖かいお湯に浸かった紫は、ようやくゆっくりできると長い溜息を吐いた。
「あれだけしつこいと流石に疲れるわね」
そう呟いた紫は、自分の胸に視線を移して不思議そうな表情を浮かべた。
このお湯に浮かぶ二つの肉が、どうしてあそこまで天子を拘らせるのだろうか。
試しに自分で胸を揉んでみるが、これが楽しいなんて理解できない。
しかし天子は元々は人間だ、妖怪の視点で考えるからわからないのかもしれない。
人間は豊満な胸には母性を感じるものだ。
もしかしたら天子は、母親の胸に抱きしめられる子供のような感覚を感じているのではないだろうか。
「母親ねぇ……」
紫の推測に過ぎないが、それが一番可能性が高いように思える。
天子は天人として何百年も生きて凄まじい力を持っているが、精神的に未熟である。
子供が親の暖かさを求めるのは当然のことだろうし、天子もその暖かさを胸に見出して求めてきたのではないだろうか。
そう思うと何だかもの悲しくなり、紫の胸がチクリと痛んだ。
「……所詮は女の子同士、友達同士ね」
天子にとっては、結局はその程度にしか感じていないのだろう。
自分は天子を受け止めただけで、胸の奥が高鳴ってどうにかなってしまいそうになるというのに。
「駄目ね、変なことばかり考えて。早く上がりましょう」
どうにも今は一人でいるのは逆に良くないようだ。
またあの天子を相手にするのはいささか面倒だが、早く体を洗って上がってしまおうと紫は湯船から立ち上がる。
その時、浴室と脱水所を隔てる扉が開け放たれた。
「紫! 前流してあげよっか!?」
返事をするまでもなく紫は扉を閉め、念入りに扉に結界を貼り付けた。
「ちょっとー! 紫ー?」
「さて、手早く済ませましょうか」
扉の向こうから聞こえる声を無視して、紫は体を洗おうと手拭を手に取った。
◇ ◆ ◇
「紫? 布団の中寒かったりしない?」
「しないわ」
「私はちょっと寒いんだけど」
「そう、頑張ってね」
夜も遅く、筒袖の寝間着に着替えて並べられた布団で寝る時間になろうとも、天子はまだ言い寄っていた。
紫はその言葉に背中を向けながらむべもなく返す。
「……早くしないと明日になっちゃうじゃないの」
「明日になると都合の悪い事でもあるの?」
「そりゃ藍が帰ってくるし。こういうのはやりやすい状況で一回やったあとで、なし崩し的に話を持っていくのが一番じゃない。藍の尻尾の時もそうしたし」
「おやすみなさい」
「ちょ、ちょっと待って、寝ないでって」
天子は布団から這い出て寝入ろうとする紫の体を揺らした。
「じゃああと一回! あと一回で何も言わないからさぁ」
「じゃあじゃないし一回のつもりもないんでしょう、もうこの話は終わり」
「えー、恥ずかしいくらい良いじゃないの」
不満げに口を尖らした天子の言葉に、また紫の胸がチクリと痛む。
「そうよ、恥ずかしいから嫌なのよ」
「だから良いじゃないのそれくらい」
「恥ずかしさなんて感じてない天子に、どうこう言われたくもないわよ……!」
痛みを堪えながら紫の語気が、僅かに荒くなった。
傍目にはただ鬱陶しそうに返しているようにしか見えないが、天子は敏感に声に込められた何かを感じ取って身を引いた。
「恥ずかしさなんて感じない、か……」
先程まで紫を揺らした手が行き場をなくして頬を掻く。
天子はそうやって考え込むと、決断したようにまた身を乗り出した。
「ねぇ、紫、手貸してよ」
「……今度は何なの?」
「いいからほら!」
天子は布団の中に腕を突っ込んで紫の手を引っ張り出すと、すぐさま自分の寝間着の下にその手を差し込んだ。
一瞬何をしているのかわからなかった紫だが、事態を確認すると暗闇の中で顔を赤く染め上げた。
「て、天子!? あなた何して」
「離れないで!!」
手を引っ込めようとする紫に、天子が声を大きくして鋭く言い放った。
「紫、何も感じないの?」
「感じるって、何が……」
「私の、胸にさ」
気が動転していた紫は、そう言われて手から感じる感触に気付いた。
ドクンドクンと、とても速く。
音が聞こえてきそうなほど力強く脈打つ天子の鼓動を。
「これは……」
「わかった? これが私の心」
天子はより深く感じていたいと紫の腕全体を抱きしめた。
そうやって腕に密着しようとすれば、自然と天子の体は紫に覆いかぶさっていく。
「私もさ、恥ずかしくないなんてことないわよ。紫に引っ付くと胸が騒がしくなるし。こうやって手だけでも恥ずかしい」
「なら、何でそんなに引っ付いていられるのよ」
「逆に聞くけど、そんなに恥ずかしいのって悪いこと? 確かに誰かの前でくっついたりすると、変に恥ずかしくなってそれは嫌よ。でも、二人だけの時ならいやじゃなくて、胸がドキドキするけどとっても暖かくなって嬉しくなる」
そうやって胸の内を赤裸々に語っていくと共に、天子の鼓動も更に加速を増してくる。
否応なしに、これは天子の本当に気持ちなんだと、紫にはわかった。
「そしたら、どうにかなりそうな気がしてきて怖くなって離れそうになるけど、それよりもっと近づきたいって思う」
「もっと近くに?」
「うん。紫は、違うの?」
天子が紫の瞳を覗き込んでくる。
もう一度息を吐くと、紫は熱い吐息を間近で感じた。
「私は、紫も同じだと嬉しい」
「わた、しは……」
暗闇の中、目で見えなくともすぐ近くに感じる天子の吐息と鼓動に魅入られて、紫は何も言えなかった。
やがて少しずつ、戸惑いながらも口を開いた。
「天子、寒いわ」
「え?」
「だから寒いわ」
ただそれだけでも意味は伝わって、天子はとびっきりの笑顔を浮かべて頷いた。
「じゃあ、寝よっか」
「そうね、早く寝てしまいましょう」
天子は紫の手を離すと、紫と同じ布団の中に潜り込んだ。
狭い空間で多少の息苦しさを感じながら恐る恐る近づくと、天子の顔を二つのふくらみが優しく受け止めた。
「紫のおっぱい、柔らかい」
「ぁん……天子、くすぐったいわ」
「え? あっ、紫寝るときはブラ外すのか」
昼間に抱きついた時よりも、妙に柔らかいと思ったらそれが原因だったようだ。
ついでに寝間着が崩れてきていて、わずかながら紫の肌を直に感じる。
「んふふ、さっきよりも良いかも。寝る時に仕掛けたのは正解だったわね」
「そんなことばかり考えて……」
「だっておっぱい気持ち良いし」
「ねぇ、天子どんな気持ち?」
「うん。やわらかくて気持ち良くって、恥ずかしくてドキドキして、でも嬉しい」
天子は耳を胸の隙間に押し付けてみた。
するとドクンドクン、強く鳴り響く鼓動が伝わってくる。
「紫のおっぱい、ドキドキしてるの感じるわよ」
「そうね、私も凄く恥ずかしい」
「それだけ?」
「……もっと欲しいわ」
紫は腕を回し、天子の体を抱き寄せた。
「恥ずかしすぎてどうにかなりそうだけど、もっと、欲しい」
「うん、私も……」
天子も同じように紫の体を抱き締めて、胸に挟まれながら深く息を吸い込んだ。
「こうやって紫に包まれてると、紫の匂いがするなぁ」
「臭いって、そんなに臭うのかしら?」
「これも嫌じゃないわよ。何だか安心してくる匂い、ずっと嗅いでいたい」
「……もう、恥ずかしいことばかり言って」
言葉とは反対に紫は抱き締める力を強めた。
すると天子は少し苦しそうに声を漏らす。
「ん、ちょっと紫、力強い」
「恥ずかしいことばかり言う罰よ」
「元々は紫が寂しがってたからこうなったのに」
「随分と昔の話ね。今はあなたが甘えたがってるからこうしてるんじゃない」
「何よ、自分のこと棚に上げて」
天子は胸に押し付けていた顔を上げて睨み付けた。
紫も立ち向かうように目を鋭くして、天子の顔を上から見下ろす。
「そんなことばっかり言ってるなら、離れる」
「良いわ好きにしなさい、その場合は私も離れるから」
「じゃあ数えるから放しなさいよ?」
「えぇ、どうぞ」
「んじゃ、3、2……1……」
カウントが0になっても、結局二人共は互いを話そうとしなかった。
これには流石に天子もいたたまれなくなったか、胸の間に顔を押し込んで隠した。
「私達、すっごい馬鹿で恥ずかしいことしてる」
「幻想郷の賢者が笑われるわね」
それから二人は抱き合ったまま時間が過ぎて行ったが、ふと天子の足が紫の足を絡み取ろうとした。
紫はそれに抗おうとせず、むしろ望んで足を伸ばして下半身まで密着する。
それで十分なはずなのに、天子はまだ一生懸命足を動かし、足裏同士を押し付けてきた。
「……何をしようとしているの?」
「いや、足の指絡めないかなって思って」
「攣りそうだから止めなさい」
「ちぇ、手なら簡単なのになぁ」
天子は紫の手を取ると、自然に指を絡めて握り締めた。
その動きのせいで今まで抱き合っていた二人の距離が離れ、天子の乱れた寝間着から細い首筋が紫の目に映る。
歳を取らぬ天人のそれは幼さを残すはずなのに紫にそれは蟲惑的に感じて、次に何故かそれを包み込む金毛を想像してしまった。
「……天子ッ!」
「きゃっ!?」
紫は衝動的に天子の上へ覆いかぶさると、もう片方の手も握り締めて天子の動きを封じ込める。
「な、なにっ?」
「天子、言ったわよね、もう藍の尻尾に入らないって」
「う、うん言ったけど……」
妙にいきり立った紫は困惑する天子は、危険のようなものを感じた。
「本当ね、その言葉に偽りはないわね」
「どうしたのよ、紫ってばちょっと恐い……」
「じゃあ、ちゃんとわかるようにしないと」
「わかるって、何が」
「あなたは、私の……」
紫は言い終える暇もなく天子の首筋に顔を落とすと、歯を突き立てた。
「いたっ!」
天子が声を上げても紫は止めようとしない。
鋭利なナイフも通じぬ屈強な天人の肌に、妖怪の力が歯を押し込めていく。
血が出るほどではないが痛みを伴い、確かに痕を残すものだった。
「……藍には渡さないわ」
紫は顔を上げると、封じていた天子の手を開放した。
呆然とする天子は、自由になった手で首筋をなぞるとクッキリとした歯形が残っているのがわかった。
「これって」
「マーキング、主人が誰か示す印よ。だから誰か他の者になびいたりしては駄目」
静かにそう告げる紫は、今度は首筋でなく天子の目を、柔らかな唇を見つめながら顔を落としていく。
「あなたは私のものという証」
「紫の……」
「そうよ、天子……」
今までにない強い衝動に突き動かされる紫は、自然とその先を求めて、唇を震わせた。
二人の身体が重なろうとする時、気を取り直した天子がハッキリとした声を出した。
「……ずるい」
「そうずる……ずるい?」
「てりゃ!」
天子は下から紫の肩を押し上げると、位置を逆転させる。
逆に覆いかぶさった天子は、紫の首筋を噛み締めた。
「うぐっ……!」
「んぁ、んふっ、んっ!」
喉の奥から獣のような声を漏らしながら、一心不乱に顎を動かした。
「天子、もうちょっと優しく、いた!」
「……ん、私も痛かったんだから四の五の言わない。それに一方的に私が紫のものだ何て嫌よ。私が紫のなら、紫は私のもの」
天子が紫の首筋から顔を離すと、乱暴にされたのだろうと人目でわかる噛み痕がクッキリと残っていた。
そのことを念入りに確認すると、天子はまた紫の胸に飛び込む。
「紫が私に言うなら藍の尻尾は我慢する。けれど私のお願いも聞いてもらうわ」
「お願い?」
「紫のおっぱいは私だけのものよ。良いわね、紫?」
「……仕方ないわね。そうまで言うなら、そうしましょうか」
突然の行動に気を抜かれたのか、紫は優しく天子の頭を撫でて抱き締めた。
機嫌が良さそうに身を震わす天子は、紫の胸の感触を改めて楽しんだ。
「あぁ、最上級のおっぱい枕だわ。毎日これで寝たいくらい」
「流石に毎日はちょっと」
「でも、また寝させてよ?」
天子は身を起こすと、自ら寝間着をはだけさせて歯型の付いた首筋を見せ付ける。
「証が消えたら不味いでしょ? この痕が消える前に、またもう一度」
「あと一回で終わりじゃなかったの?」
「知ーらない、そんな昔のこと」
おどけて笑う天子は紫の胸を枕にすると、そろそろ眠くなってきたのか欠伸が出た。
「ふあっ……とにかく、また一緒に寝なさいよね」
「えぇ、わかったわ」
「んふふ、紫、ギュッてして」
「これでどう?」
目蓋が重くなり段々と閉じていく天子を、紫は大切そうに抱き締める。
「ん、そんな感じ」
「丁度良い抱き枕だわ」
「じゃあ私達二人とも枕か。新生コンビ誕生ね」
「他の人には使わせないわ」
「わかってるわよ、心配性ね」
本当はもっとこの時間を楽しんでいたい気もするが、眠気に抗っててはあまり楽しめそうにない。
次はいつ一緒に寝れるかなと考えるが、それもおぼろげになっていく。
「もう眠い……」
「無理しない方が良いわ。眠いなら寝てしまいなさい」
「ん、おやすみゆかり」
「おやすみなさい」
それっきり二人の会話は途切れ、天子は上で安らかに寝息を立て始めた。
紫は胸の上で眠るそんな天子の頭を愛おしそうに撫でる。
「恥ずかしいとか言ってても眠気には勝てないようね」
それでも、天子が紫と触れ合って恥ずかしさを感じていると知って紫は安堵していた。
自分だけが一方的に恥ずかしがって空回りしているような気がしたが、そんなことはなかったのが嬉しい。
何よりも天子の気持ちが、自分の気持ちに近しいのが嬉しかった。
だが、こちらの気持ちは同じなのだろうかと、天子の唇に紫の視線が移った。
すぐ近くにあるそれ、少し天子の身を持ち上げて顔を近づけさせれば簡単に奪える。
「いや、そんな寝こみを襲うようなのは駄目ね」
先程は妙に高ぶって唇を求めようとしたとき、その時は天子の意識があったが、今はそれがない。選ぶ権利もなくそれを奪うのは紫自身も望まない。
だがあの時の天子はそれに気付いていて結果的にそれを遮ったのか、それとも紫が求めていたことに気付いていなかったのか。
そして、もう一度同じ状況になった時に、天子はどう思うのか。
「いつか、その気持ちも知りたいわ」
その上で、天子の口付けを交わしたい。
けれど今は無理だから、紫は天子の前髪を書き上げ顔を近づけた。
「んっ……ちゅ……」
額に唇が押し付けられ、湿った音を立ててゆっくりと離された。
今はこれだけで我慢しよう。
「……って、嫌だわ。またドキドキしてきた」
そう思ったはずなのに、むしろ欲求が疼いてたまらなくなってきた。
これでは寝れそうもないし、一時の衝動に負けて無理矢理奪ってしまいそうな気もする。
「ごめんなさいね天子」
それだけはいけないと、紫は衝動を鎮めるためにまた天子の額にキスをした。
「ん、天子……ちゅぱ……」
しかしそうすればするほど欲求は更に増してくる。
結局、紫はずっと同じ口付けを繰り返し、せめて唇だけは奪わないように堪えながら、悶々とした夜を過ごすこととなった。
胸の内で、一瞬天子の目が薄く開かれたのを気付かずに。
◇ ◆ ◇
翌朝、雀の鳴き声を聞いて目覚めた天子は恨めしそうな顔で紫を覗き込んだ。
「うぅー……一晩中キ、キスなんてしてきて、全然眠れなかったじゃないの……おでこにだけどさ……」
最初に紫にキスされたとき、眠りかけだった天子はその衝撃ですっかり覚醒してしまっていたのだ。
しかし驚いて何も言えず、それからも何度も額をキスされっぱなしで言い出すタイミングを失い、紫と同じように寝ることが出来なかった。
部屋に掛けられた時計に目をやってみれば、とっくに朝は通り過ぎて昼に差しかかろうという時間帯だった。
「あれだけ人に迷惑掛けたくせして、自分は気持ち良さそうに寝てるし」
安らかな寝息を立てる紫の頬を、指先で突いて愚痴る。
もう片方の手で額をなぞるがキス程度で痕が付くわけがなく、試しに指先の臭いを嗅いでみるが勿論それも残るわけもなかった。
しかし何よりも天子自身がその時の事を鮮明に覚えている。
「っていうか、あんなにされっ放しで一方的とかアレよ、不公平よね。気に入らないわ、うん」
独り言を続ける天子は耳を澄ませてみてみた。
屋敷には物音一つ響いておらず、昨日から壊されて開きっぱなし扉からは何の音も伝わってこない。
どうやら藍や橙は戻ってきていないらしい。
もし天子が何かしようとしても、紫が寝ていればそれを見る者は誰もいない。
「ならほら、ちゃんと公平に戻さないと」
天子は静かに紫に近づくと、その額に掛かったサラサラの髪の毛を掻き分ける。
ドキドキする心臓の音を聞きながら、意を決して紫の額に口付けした。
「…………えへへへへへ」
紫から顔を離した天子は、気持ち悪いくらい嬉しそうな声を出した。
ヤバイ、非常にヤバイくらいに頬が緩むのがわかって、手で押さえようとしても止まらない。
胸の内は心臓がうるさくて、これ以上ないくらいに暖かな熱を感じる。
またしたい。
「も、もう一回。紫も何度もしてきたしね、一回じゃまだ公平じゃないわよね」
すぐに堪えきれなくなって二度目の口付け。
確かめるように触れ合った自分の唇をなぞり、また嬉しそうにニヤケ面を浮かべた。
「……んふふふふ」
あぁ、きっと今の自分は気持ち悪い顔してるんだろうな、なんて頬の緩みを思っても止められない。
一人幸福感に包まれている天子は、やがて紫の唇に目が行った。
もしも、その唇にキスしたら、一体どれだけドキドキするだろうか。
「いやいやいや、紫とは友達だし、友達と口でキスとかおかしいし」
でもそれを言うなら、友達同士でドキドキすること自体がおかしい気もするし。
額にキスをするのもおかしい気もするし。
したいなんてちょっとでも思う時点で――
「あー、もうとにかく、寝てるところにするのはおかしいし!」
それに何よりも、もったいなさ過ぎる気がした。
だって寝ている紫は何も言ってくれない。
「……もししちゃったら、紫はどんな反応するかな」
ちゃんと起きている時にすれば、紫は嫌がる? 怒る?
それとも、自分と同じような気持ちになってくれる?
「……えへへ」
そうだったら良いなと思って、天子はまた紫に顔を近づけた。
◇ ◆ ◇
「……藍、何かしらこれは」
それから少しして藍が戻ってきて用意し、食卓に並べられたご飯はいつもとどこか違っていた。
何故だか全体的におかずが豪勢で、まるで祝いの日のように良い品を出し惜しみなく使っている。
そしてなによりも器に盛られたご飯が決定的にいつもと違っていた。
「お赤飯です」
具体的にいうと色が赤かった。
この時、並んで席に着いていた紫と天子は無表情の奥に「何だかとんでもない勘違いをされている気がする」と焦りを隠した顔をしていた。
「いや、そうじゃなくて、何で赤飯なんて出してるのかしら」
「おんやぁ? それをわざわざ私に言わせますか?」
恐る恐る紫が問いただせば、人をおちょくるような嫌なニタニタした笑顔を浮かべて返された。
思わず紫の頬を汗が流れる。
天子も天人でなければ同じような嫌な汗を掻いていたことだろう。
そして藍の隣で顔を赤くして恥ずかしそうに頭をかく橙が、二人の嫌な予感を加速させた。
「朝に藍様とご飯作りに行ったら、一緒に寝ている二人を見つけて」
「ぶっ!?」
「べっ!?」
「いやぁ、昨晩はお楽しみだったようで」
「ちちちちちち、違うから! そんなあんたらが思ってるようなこととかしてないから!」
無表情から一変しあからさまに焦りと羞恥を浮かべた二人の内、まず天子が立ち上がって叫んだ。
「そそそそ、そうよ! 別に私と天子はそんな、変なことなんて何も……」
「……むっ」
次いで紫も声を上げたが、その内容に天子が不満の声を漏らした。
確かに昨日のことを大っぴらに話したりするのは嫌な恥ずかしさがあるが、だからと言って何もかも否定するような言いようも癇に障った。
「何よその言い方! 紫ってば昨日私が寝た後でチューしてきたくせに!」
「なぁっ!? 何で天子それを……!?」
「あんなことされて寝れるわけないでしょうが!!」
一転して天子と紫が言い争う構図に移り変わる。
そこに驚いた橙が火に油を注いだ。
「紫様、天子とチューしたんですか!?」
「ち、違うわよ? キスって言ってもおでこだからノーカウントよ、ノーカウント!」
「ノーカンって意味わかんないこと言うな! お陰で昨日全然寝られなかったんだからね!?」
「それなら天子も言ってくれれば良かったじゃない!」
「言えるかバカー!!!」
「プフッ……クスクス……」
机の向こうで藍は噴出しそうなのを堪え、橙は顔を赤くしながらも耳をピコピコ動かして興味津々で話を聞いていた。
「そもそも天子の方から寝るときに一緒に寝ようって話を持ちかけてきたんじゃない!」
「最後に誘ったのは紫の方でしょ! ゆかりん身も心も寒いの、天子ちゃん暖めて……って!」
「い、言ってないわそんなこと! 勝手に事実を捻じ曲げないで!」
二人の言い争いは、豪勢な食事が冷めてしまうまで続いたそうだ。
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「ふにゃ~~~……」
天子が紫の家に遊びに来た時、橙が藍の尻尾の中に潜り込んで至福の表情をしていることがある。
この微笑ましい光景は、紫の家に来た時には結構な頻度で。
天子も最初は「何だか変なことをしているな」程度に思っていたが、何度もそれを見ているうちに少しずつ興味を惹かれ始めた。
毎回毎回、幸せの絶頂にでもいるかのような表情で尻尾に埋もれる橙。自分も同じように尻尾に包まったらどうなるだろうと。
一度、橙に尻尾の中に入っていることの感想を聞いたことがある。
曰く「藍様のふわふわでもふもふの尻尾が全身を優しく撫でてくれて、すっごく気持ちよくて暖かいんだよ」とのことだった。
満面の笑顔でそんなことを言われれば、天子としてはそりゃあ体験したくなってくるのは当然だ。
橙は「あっ、でも藍様の尻尾は私専用だからね!」と言っていたが、その程度で止めようと思うほど人の良い性格ではなかった。
そこで天子は橙がいない時にこっそり藍にお願いした。
「藍、私も尻尾入ってみて良い?」
「む、しかし橙が機嫌を悪くするかもしれないしな」
「だからこうやって橙がいない時に来たんじゃないの。別に良いでしょ、ちょっと入るくらい」
藍は少し渋っていたが、「まぁ、別に良いか。ただし橙には内緒だぞ」と了承を取ることができた。
天子はついにこの時が来た、と期待に胸を膨らませながら尻尾の中に潜り込む。
「お、おおう? これは……!」
暖かな金毛が天子の体中を撫で回し、指の間一つ一つにまで入り込んで優しく擦り付いてくる。
九つの尾が決
して強すぎず、だからと言って弱すぎず、絶妙な境界線を突くように天子の体を揉みしだいた。
「ふみゃ~~~……」
少し獣臭さが鼻に付くが、そんなもの気にならないくらい全身が安らかな感触が天子の体を包み込む。
天子もまた、橙と同じように至福の表情を浮かべて心地良さに埋もれた。
「天子も気に入ってくれたようだな」
「んぁー、橙が夢中になるのもわかるわ。これすっごい気持ち良い」
褒められて悪い気はしないののだろう、最初は苦い顔をしていた藍の顔も自然とほころんだ。
それを天子も感じ取って、遠慮せずにもっと奥に入っても良いだろうと思い、体を丸めてより深く潜り込む。
首までもふもふの尻尾の中に浸かっていると、天子の目の前に空間を割るように黒い線が走った。
「楽しそうなことしているわね」
黒い線が開き、中からはにゅっと紫の上半身が飛び出してきた。
「あー、ゆかりぃ。おじゃましてるわよ~」
「これは紫様――おっと」
背後に現れた紫に振り向こうとした藍は、それでは紫が天子と話し難いと気付いて尻尾の先が紫を差すよう向きなおす。
精一杯に首を捻って顔だけでも後ろに向けようとする藍に、紫は「ありがとう」と労った。
「随分と間抜けな顔を晒しちゃって」
「はふー、バカにされてるけど気にならないくらい気持ち良いー」
紫が現れても天子の顔は相変わらず呆けたまま。
なんとなく紫が天子の頬っぺたをつんつん突っつく。緩んだ頬が押し上げられ、指を離せばまた緩む。
どれだけいいように弄られようと、天子の表情は終始崩れっぱなしだった。
「……そんなに気持ち良いのかしら」
「言っておきますが、二人同時には流石に重たいので止めて下さいね。天子もそろそろ橙が来るだろうから出てくれないか」
「あらまあ。まるで不倫がバレないように小細工してるみたい」
「藍の浮気者ー」
「いいからさっさと出ろ」
「うげ」
紫と一緒になってからかう天子を藍は尻尾を自在にくねらせて追い出した。
頭から畳みに突っ伏した天子は、その場で紫から受け取った目薬を差し、さめざめと泣き崩れる。
「うぅ、所詮私なんて、都合が悪くなったら捨てられる女なのね……」
「あぁ、可哀相な天子。それにしてもなんて酷い狐なのかしら」
「狐なんて昔から酷いもんですよ。王朝滅ぼしたり。それより、紫様もこのことは内密に」
「はいはい。わかっているわ」
それからすぐ後に橙がやって来たこともあったし、その日にはもう天子が藍の尻尾について触れることはなかった。
だがしかし、それが最後という訳でもなかったのだった。
「ねぇねぇ、もう一回尻尾に入れさせてよ」
「何だまたか? 昨日も入れたじゃないか」
「昨日入れてくれたんだから、今日入れてくれてもいいじゃない」
あの日以来、天子は橙がいない隙を見ては、藍のもふもふ尻尾を堪能しようと言い寄っていた。
藍としては橙に黙っているのがバツに悪くて渋ってはいるのだが、昨日もしたのだからとなし崩し的に押し切られて天子を尻尾で受け止めてしまう。
「はぁー、極楽極楽……」
「わざわざ天界から降りてきて言う台詞じゃないな」
「そんな揚げ足とかどうでもいいのよ。気持ち良い~……」
今日も藍が洗濯物を畳んでいると天子がやって来て、渋る藍を強引に押し切ると尻尾に入ってきた。
尻尾の中でふさふさの金毛に頬を擦り付ける天子にやれやれと呆れた藍だったが、何か得体の知れないものと目が合った。
部屋にある箪笥と壁の隙間から覗く嫉妬の眼光。
「パルパルパルパルパルパルパルパルパルパル…………」
「ヒィッ!?」
それは間違いなく、藍の主である隙間妖怪の眼だった。
それだけでなく、その隙間から流れ出してくる殺気。それは魔界の瘴気のように藍の下に押し寄せてきて、精神を蝕んできた。
何故だ、何故これほどまでにお怒りなのだ。
そういえば、最近の天子は藍の尻尾に構ってばかりで、紫と二人でいる姿を見せていなかった気がする。
そして主から受ける感覚とは比べ物にならないが、似たような感覚は受けたことがある。
お遊びで男を寝取った時に妻だった女から受けた、呪いにも似た恨み辛み。
あの深い闇を秘めた眼光は間違いなく、想い人を奪われて嫉妬に狂った者の目だ。
「ん? 変の声したけどどうかした?」
尻尾の中から天子が声を掛けてきた。
同時に「あなたばっかり天子とイチャイチャして……」と小さく声が漏れ出してくる。
非常にマズイぞこれは、なんとかして天子と主とを引き合わせなくては。しかし藍としてはイチャイチャしてるつもりはないのだが。
とにかく、このままでは藍の胃が真っ赤に染まりかねない。
「い、いや、何でもないぞ。そう言えば天子。紫様とは話さないのか?」
「紫と? ……んー、今はちょっと」
ギリリッと歯軋りの音が藍の耳に届いた。
「どうしてだ? 紫様と喧嘩でもしたのか? 違うだろう? なら今すぐ紫様と……」
「あー、いやね……」
藍が心臓をバックバックン高鳴らせて焦っていると、天子は尻尾の中から這い出て耳打ちしてきた。
「紫のやつ、何でか知らないけど最近機嫌悪いのよ。そんな時に話しかけても向こうもウザがるだろうし、今はそっとしといてあげようと思って」
「違うそうじゃない!」
「はぁ?」
どうやら天子は紫の機嫌が悪いことを藍よりも早くに気付いていたようだが、対処法が根本から間違っていた。
むしろいつも通りに接していたら何事もなかったというのに。
このまま放っておいたら二人は更にすれ違って離れていくこと間違いなし。こうなれば元凶でもある自分がどうにかするしかないと藍は意気込んだ。
……あれ、元凶だっけ? ただ巻き込まれたようなだけじゃないか?
「そもそも、紫様がもっと積極的になってくださればこんな面倒なことにも……」
「藍、急にブツブツ言ってどうしたのよ」
「それに私も最近後ろめたくてあんまり橙と話せてないし。本当ならもっと私も橙とあんなことやそんなことをして、キャッキャウフフと至福の時間を……」
「おーい、藍?」
「あーっと! 私はこれから橙の修行を見てあげるんだったー!!」
「えっ、うわ!?」
絶叫しながら立ち上がった藍は、尻尾の中から天子を追い出すとその両脇に手を差し込んで持ち上げた。
混乱する天子を運び、家中に大声を響かせながら廊下を突っ走った。
「橙のマヨヒガに泊り込みで見てあげるんだったー!! すぐ行かないとー!!」
「ちょっ、なに!? どうしたの藍、仕事し過ぎでおかしくなった!?」
「うるさい! とにかく天人一丁お待ちぃ!!!」
どたばた騒ぎたてて紫の自室にまでやって来た藍は、戸を蹴破って中に進入した。
「いっ!?」
「なっ!?」
「ほいっと」
突然張り倒された戸を前に目を丸くする紫の前に、藍はここまで持って来た天子を置くと廊下に下がった。
「それでは紫様! さっき言った通り今日は帰ってきませんから!」
「へっ?」
「行ってきます!」
「いや、だからその……」
「行ってきます!!!」
「……い、いってらっしゃい?」
「はいそれでは!」
何か言おうとした紫だったが、珍しく声を荒げる藍に気圧されて疑問符付きで言葉を口にした。
それだけ引き出した藍は、また足早に廊下を走って玄関から出て行った。
取り残された天子と紫は、何が何だか判らない様子で呆然とする。
「紫、もうちょっと藍のやつ休ませたほうが良いんじゃない?」
「……いや、多分それはあまり関係がないと思うわ」
天子と二人っきりという状況に、きっと気を遣って出て行ったんだろうと気付いた紫は冷静に返した。
対する天子はわけがわからようで「はぁ……?」と頭を悩ませていたが、心配ないのなら別に良いかとすぐに思考を切り替えた。
「この壊れた戸どうするの?」
「とりあえず隙間で片付けときましょう」
倒れた戸の下に隙間が展開すると、泥沼にはまるようにズブズブと戸は沈んでいった。
「掃除にも役立つのね。ついでに私の家から漫画取ってよ」
「どの漫画?」
「ゲッターロボの一巻。この前、香霖堂で見つけたやつ」
紫は天子の自宅に隙間を繋げると、性格の割りに綺麗に整頓された本棚から、言われたタイトルを抜き出して天子に手渡した。
「はい」
「ありがと」
受け取った天子はそれだけ言うと、壁を背もたれにして本の世界に没頭していった。
自分は何をしようかと迷った紫は、とりあえず隙間で覗き見でもしていようかと思った辺りであることに気が付いた。
あれ、この時間の使い方は凄くもったいないんじゃないか……? と。
ここのところ二人でいることが中々なかったというのに、せっかく藍がチャンスを作ってくれたというのに、このままろくに会話もせずにただ時間が過ぎていくとはどうなんだ。
「天子、どんな本を読んでるのかしら?」
「んー、今は学生が目と耳と鼻を潰されたところ」
「へ、へぇー……」
表紙からロボットが戦うだけの作品かと思ったが、紫の想像よりも残虐な漫画を読んでいるようだった。
それ以上どう話を膨らませればいいかわからず、続く言葉を見つけられない。
仕方なく他の話題を探そうともう一度声を掛けた。
「天子、一緒に隙間で覗き見しない?」
「漫画読んでるからパス」
「そ、そう……お菓子はどうかしら?」
「お腹減ってないからいいわ」
思えばいつもは能動的な天子のほうから話し掛けてきて、それを何かしらのリアクションを返していた気がする。
勿論、毎回親密に話し合っているわけでなく、今のように一言二言会話して、そばにいながらのんびりしていることも多かった。
だが足りない。それでは足りないのだ。圧倒的にまで天子分が足りない。
せっかく久しぶりに二人っきりなのだから、もっとこう、できることなら直接触れてみたい。枯渇してしまった天子成分を補完したい。
そうやって一人悶々とする紫の横顔を、天子は漫画から目を離してチラリと盗み見て眉を潜めた。
「……変な紫」
ここのところ紫の機嫌が悪いのは天子も感じ取っていたが、今日の紫はそれまでとは別ベクトルで変だ。
珍しく余裕がない感じとでも言うべきか、どうしてこんな状態になっているんだろうか。
漫画に目線を戻してからも少し考えてみると、藍の言葉を思い出した。
「違う、そうじゃない」もしかして機嫌が悪いからと、自分なりに気を遣ってそっとしておいたのがいけなかったのだろうか。
そうやって天子が悩んでいると、急にわき腹を突っつかれる感覚が電気ショックのように頭に走った。
「いっ!?」
緩んでいたところにいきなり敏感なところを突かれて、天子は曲げていた背中を海老のように反らして声を上げる。
反射的に突っついてきたものを手で掴んで確かめてみると、隙間から伸びた手が人差し指を伸ばしていた。
天子が目付きを鋭くして紫の方へ振り返ると、咄嗟に顔を背けられた。
「あんた何なのよ」
「あっ、いや、これはその……」
「これだけじゃなくってさ、紫ってば最近機嫌悪いし、今日は何か調子悪いみたいだし。一体どうしたのよ」
「それはその……」
素直に気持ちを言うのも恥ずかしくて出来ず、紫は曖昧な言葉で場を濁そうとする。
そんな紫のハッキリとしない態度に、天子は段々と苛々が高まってきた。
「うじうじして、紫らしくない」
「別にうじうじなんかしてないわ」
「してるわよ。何なのよもう、まさか最近紫のこと放ってたから寂しくなっちゃったとか? はは、まさかね」
自分で言っていてありえないな、と思った天子が鼻で笑った。
それを聞いた紫はビクリと体を震わすと、落ち付かずに目線をあちこちにやりながら口を開いた。
「ハ、ハハハハハハ。ま、まさかそんなことあるわけないじゃないのー、馬鹿ね天子ったら、オホホホホホ……」
「……まさかねー」
予想外の反応に一瞬遠い目をした天子だが、すぐに気を取り直して紫に向き直った。
「えっ、マジ?」
「だから違っ……」
「マジ?」
「……マジです」
追及を受けて嘘を突き通すのが無理と悟ったか、紫は恥ずかしく顔を俯けると諦めるように事実を認めた。
天子は「はぁー……」としばし呆然としてからプッと堪えきれなくなったように噴出して、ニヤニヤと口元を吊り上げた。
「ふぅ~ん、天下の隙間妖怪様が寂しくて拗ねてただけねぇ」
「な、何よその嫌らしい顔は」
「べっつにー、紫も案外子供っぽいなぁ、って思って」
「いいからその顔止めなさい」
ニヤニヤした顔を近づけられ、紫は天子の頬を軽く引っ張ってやった。
「いたたた、ごめんってば」と言うので離してやると、天子は胸に手を当てて気取った態度を取った。
「まぁ、私は高尚な天上人。下々の者が求めるなら、それが妖怪であろうと応えてやってもいいわ」
「ここぞとばかりに調子に乗って」
「そんなカリカリしないで、紫の言うこと聞いてあげるんだから。ホラホラ、好きなこと言っちゃいなさいよ。寂しいならこの私が存分に紫を甘えさせてあげようじゃない」
天子の人をおちょくっている態度に紫は腹が立ったが、一応は願いを聞いてくれるようなのでとりあえず怒りは飲み込んだ。
しかし何をお願いするかと少し悩んだ紫だったが、恥ずかしがりながらも意を決したように口を開いた。
「えっと、それじゃあこっちに来てくれるかしら」
「はーい」
「それで邪魔だから帽子は脱いで、私の膝の上に座って」
「はいはーい」
言われた通りに帽子を脱ぎ、紫の膝の上に腰を下ろした天子は次の指示を待とうとしたが、その前に天子の体に腕が回された。
ギュッと後ろから抱きしめられ、天子の華奢な体が厚い道士服を着た紫の体に沈み込む。
背中に当たる柔らかな二つの膨らみを感じながら天子は待ってみるが、紫は他には何も言ってこなかった。
「……紫?」
「何かしら」
「これで終わり?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
呆気に取られたように聞いた天子に、紫は何でもないように返した。
「いやさ、これじゃ何て言うか。紫が甘えてるって言うよりも、私が紫に甘えてるような気がして」
「そうかしら? 私はこれでも十分だけど」
「うーん……ちょっと腕外して」
天子は紫に腕を退けさせると、膝立ちで向かい合い腕を伸ばす。
「やっぱり甘えるって言ったらこういうのじゃない?」
「ちょ、ちょっと天子……!」
そのまま天子は紫の頭を胸に抱きしめる。
恥ずかしがって逃げようとする紫を押さえ、その頭を優しく撫でてみた。
「どうよ?」
「……凄く固いわ」
「悪かったわね薄くて!」
「あなたからしたんじゃないの。それに、これは恥ずかしいから止めて」
怒った天子が拘束を緩めた隙に紫は腕の中から逃れると、天子の体を反転させてさっきと同じように抱きしめた。
「自分でするのは良いの?」
「こんなにくっつくのは恥ずかしいけど、こっちの方がまだ我慢できるわね。あまり刺激が強過ぎても恥ずかしいし、私は誰かに甘えられてるくらいが丁度良いわ」
「それで紫が機嫌悪いの直るなら良いけど。あんまりカリカリされるとこっちも嫌だし」
「……そんなに私機嫌悪かったの?」
「それなりにね。まさか寂しかっただけだとか思いもしなかったけど」
笑いながらからかうように話す天子だが、紫はその言葉を真剣な目で聞いていた。
今は機嫌が悪かったからと紫の願いを聞いて一緒にいるが、明日にはどうなっているだろうか。
また藍の尻尾に包まって幸せそうな顔をしているのだろうか。
それを想像すると紫の胸はキュッと苦しくなり、天子を抱きしめる力を強めた。
「天子、一つだけお願いしてもいいかしら」
「ん、紫?」
急に空気が変わったのを感じ取った天子が、腕の中で身動ぎして振り向いた。
至近距離で顔を見つめられ、いざ言おうとするところで恥ずかしくなった紫だが、それでも言葉を続けた。
「あの、そのね。あ、あんまり藍とくっつくのは止めて欲しいんだけれど……」
「えっ……?」
それを聞いた天子は一瞬呆けた顔をしたが、すぐににんまりと面白がっているような、どこか嬉しがっているような笑顔を浮かべた。
「何? 友達取られて嫉妬しちゃってんの? かっわいいー」
天子は紫の脇から腕を回して、恥ずかしそうに顔を赤らめている紫の頬をつっついた。
紫はその鬱陶しい指を振り払うと、更に天子を強く抱きしめる。
「もう、わかってるならあんまりからかわないで」
「だって可愛いものは可愛いし」
「あんまり可愛い言わない、恥ずかしいから……それよりも、答えはどうなの?」
大したお願いでもないはずなのに必死に訊ねてくる紫がおかしくて、天子の顔から笑みが剥がれない。
「まぁ、紫には世話になったりもしてるし、それくらいは聞いてあげてもいいかな」
「そう、良かったわ」
「それにしても紫が嫉妬ねー、アハハ」
「……なんなのよ。私が嫉妬するのがそんなにおかしい?」
「それもあるけどねー」
おかしいというのはある、だが紫が自分に嫉妬していると思うと、それ以上に暖かい気持ちが天子の中に湧き上がってくる。
何だろうか、嬉しがっているのだろうか。嫉妬されて。
「他にも何かあるの?」
「秘密よ、秘密」
「自分ばっかり面白がって」
「弱み見せるほうが悪いのよ。まっ、悔しいけど普段は紫の方が頭良いし強いし、こんな時くらいはね」
そういえば、藍はいきなりまくし立てて出て行ったが、ひょっとして二人っきりにするためだったのか、とようやく天子は気付いた。
橙と一緒にマヨヒガに泊り込みとか言っていたが、向こうはちゃんとしているだろうか。
「わぁー、今日は藍様とずっと一緒ですか!?」
「あぁ、そうだぞ橙。思う存分尻尾をモフれば良い」
「やったー……あれ」
「ん?」
「藍様、この青い髪の毛、何……?」
「ちょっ、あっ、それは」
まぁ、藍はしっかりしているし、特に何の問題もないだろう。
もし問題があっても、すぐに解消してるはず。
紫に背中を預けながらそうのんびり考えていると、天子に別の想像が浮かんできた。
紫はさっき藍に取られたと嫉妬していたようだが、もしも立場が反対なら自分はどう思うだろうか。
例えばだ、自分が藍の尻尾に包まっていたように、紫が誰かと楽しそうに話してくっついて、幸せそうに笑っていて……。
「むぅ……」
そんな姿を想像すると、急に天子の暖かの気持ちに陰りが差した。
「気に入らない」
「気に入らないって、何が?」
「何でもないわよ!」
嫌な想像を払うように天子は頭を振るうと、体制を崩してより紫にもたれかかる。
ずり下がっていく天子の頭を、二つの柔らかなふくらみが受け止めた。
「おっ……?」
「何?」
天子は紫の言葉も気にせず腕の中で体を反転し、ふくらみに顔を突っ込んだ。
紫の体に腕を回して密着すると、顔を擦り付け始めた。
「お、おぉ……お?」
「あら、天子どうしたの」
「お……」
「お?」
「おっぱい!」
「おっ!?」
おっぱいだ。天子を受け止めたのは、まごうごとなきおっぱいであった。
「どうしたのじゃないわよ、何このおっぱいすっごい気持ち良い!」
「お、おっぱいってあなた……!」
「あっ、ちょっと離れないでよ」
天子の変化に紫は立ち上がって引き離そうとするも、天子はガッシリと紫の体に捕まって離れようとしない。
そればかりか紫に抱きつく腕の力を強め、より深く紫の胸の谷間に顔を沈め込んだ。
「あ~、何これ、良い気持ちだわ~」
「ちょっとあなた何やって……んぁ、くすぐったいから胸から離れなさい!」
「紫、これは胸じゃなくておっぱいって言うべきよ!」
「知らないわ、そんなこだわり!?」
ただ胸という呼び方ではこの柔らかさが直感的に伝わり難い、これはおっぱいと呼んでこそ意味が伝わるものだと天子は直感で思った。
背中越しに感じた程度では気付かなかったが、こうやって顔を押し付けると良くわかる。
厚い導師服とブラジャーを間に挟んでも尚伝わってくる存在感、感じてくるやわらかさ。
そして何よりも女性のおっぱいに受け止められる安心感が、藍の尻尾よりもずっと天子を魅了していた。
おっぱい事情などの知識が皆無の天子であっても、これが大きさや柔らかさなどを兼ね備えた最上級のおっぱいなのだろうと本能で理解した。
天人をこうまで虜するこのおっぱい、げに恐ろしき隙間妖怪八雲紫のおっぱいぞ。略してゆかぱい。
「ヤバイ、とにかくヤバイ。紫のおっぱいヤバくて私がヤバイ。略しておバイ。進化させてババア」
「無理矢理ババアネタ挟まない、バしか合ってないじゃない。もういい加減に離れなさい!」
「あと五分!」
「今すぐに!」
異様な雰囲気の天子に危機感を覚えた紫は、力一杯突き飛ばす。
天子は尻餅を付くと、不満そうな顔を浮かべた。
「なによ、せっかく寂しい紫に構ってあげてたのに」
「完全に私欲で動いていたでしょうが。何でいきなりあんなことしてきたの」
「おっぱいの良さに目覚めた」
「そんなものに目覚めて欲しくなかった」
至極真面目な顔で言い放った天子に、紫は心底落胆したように頭を抱える。
いつもは巨乳爆発しろとか、四散しろとか、巨乳滅亡しろとか言っていた天子がこの変わりよう。
もしかして胸のコンプレックスがなくなったのだろうか。
「絶壁娘」
「うるさい! 胸のことは言うな!」
「何だ違うのね」
「喧嘩売ってる? 今ここで買ってもいいわよ?」
「そんな野蛮な話をする気はないわ。あなたのその、胸に目覚めたって意味がわからないんだけれど」
「だからおっぱいよ」
「聞いてないからそんなこだわり」
「んとね。単純に気持ちいいのよね。紫のおっぱいに顔を埋めてるとこう、暖かくて気持ちよくて。藍の尻尾に包まってる時と似てるわ」
「藍のねぇ……」
紫は不思議そうに自分の胸に手を置いた。
橙や天子が藍の尻尾には言っているときは幸せそうな顔を浮かべていたが、自分の胸にそれと同じような効果があるとは想像したこともなかった。
「ちなみに聞きたいんだけれど……」
「ん?」
「藍の尻尾と私の胸、どっちが良かったのかしら」
そうすると、果たしてどちらの方がより天子に好かれているのか気になるものだ。
豊満な胸の内で、静かに対抗心を燃やした紫が訊ねた。
「んー、甲乙付け難いわね。どっちも良いから完全に好みの問題になってくるだろうけど、私なら紫のおっぱいの方が好きかな」
「そ、そう?」
「と言う訳でもう一回」
紫の方が好きだと言われて安堵したのも束の間、飛び掛ってきた天子から紫はヒラリと身をかわした。
一瞬紫を見失った天子は改めて目標を確認するともう一度飛び掛り、やはりまた紫はそれを避ける。
「何で逃げるのよ!」
「必死過ぎて恐いのよ」
「必死なのは紫のおっぱいが悪い、引いては紫が悪い」
「悪くないから、意味不明だから」
必死に否定しようとする紫だが、天子は至って大真面目だった。
今まで触れる機会はあっただろうが、紫のおっぱいがここまで魅力的だとは気付かなかった。もしかしたら藍の尻尾によって、他人に触れる気持ち良さを知ったから気付けたのかもしれないが、まぁ今となってはどうでも良い。
「ねー、おっぱい触らせてよ。女同士だし友達同士だし別に良いでしょ」
「女の子や友達のじゃれあいにはしてはひっつきすぎじゃないの。ふしだらで、それに恥ずかしいし……」
「恥ずかしいくらい良いじゃない」
「と、とにかく駄目なものは駄目よ」
「むうぅぅ……」
お願いするもむげに断られて天子は悔しそうに唸りを漏らした。
「こうなれば、おっぱい触らせてくれないと地震で幻想郷を……」
「本気で怒るわよ?」
「ごめんなさい」
「よろしい」
幻想郷を盾に脅迫をしようとする天子だったが、その前に殺気を漲らせた紫に頭を下げた。何にでも守るべき節度と言うものはある。
一度は紫を怒らせかけたため、その場は引き下がることとなった天子だが、これでゆかぱいを諦めたわけではなかった。
「紫、胸元寂しくない?」
「いえ、別に」
お茶を飲んでる紫に唐突に訊ねてみたり。
隙間でどこかを覗いてる紫の胸に手を出して、結局避けられたりしていた。
いつまでも諦めて帰ろうとせず、天子は夕食の席にも同伴した。
だが紫がどこからか隙間で盗んで来たのであろう高級料理を前にしてもあまり手を付けず、ずっと紫の胸元を睨むように見張っていた。
「何でそんなに見てくるの」
「いや、紫が食べ物こぼしておっぱい汚さないかと思って」
「仮にこぼしても自分で拭くわよ」
「チッ」
試しに紫が訊ねてみればこれであった。
藍に天子を取られて寂しかったりもした紫だったが、逆にこれだけ付けまとわれるのも鬱陶しい。
食事を終えた紫は、少しの間でも一人になりたいと席を立った。
「どこ行くの?」
「お風呂よ。邪魔しないでね」
「はいはーい」
ちなみに普段家事を担当する藍は今日はいないが、自由に外界とを行き来できる紫の家はボタン一つでお湯が沸くよう整備されている。
脱水所で服を脱いだ紫は、あらかじめお湯を張っていた浴槽に身を沈めた。
「ふぅー、生き返るわ……」
暖かいお湯に浸かった紫は、ようやくゆっくりできると長い溜息を吐いた。
「あれだけしつこいと流石に疲れるわね」
そう呟いた紫は、自分の胸に視線を移して不思議そうな表情を浮かべた。
このお湯に浮かぶ二つの肉が、どうしてあそこまで天子を拘らせるのだろうか。
試しに自分で胸を揉んでみるが、これが楽しいなんて理解できない。
しかし天子は元々は人間だ、妖怪の視点で考えるからわからないのかもしれない。
人間は豊満な胸には母性を感じるものだ。
もしかしたら天子は、母親の胸に抱きしめられる子供のような感覚を感じているのではないだろうか。
「母親ねぇ……」
紫の推測に過ぎないが、それが一番可能性が高いように思える。
天子は天人として何百年も生きて凄まじい力を持っているが、精神的に未熟である。
子供が親の暖かさを求めるのは当然のことだろうし、天子もその暖かさを胸に見出して求めてきたのではないだろうか。
そう思うと何だかもの悲しくなり、紫の胸がチクリと痛んだ。
「……所詮は女の子同士、友達同士ね」
天子にとっては、結局はその程度にしか感じていないのだろう。
自分は天子を受け止めただけで、胸の奥が高鳴ってどうにかなってしまいそうになるというのに。
「駄目ね、変なことばかり考えて。早く上がりましょう」
どうにも今は一人でいるのは逆に良くないようだ。
またあの天子を相手にするのはいささか面倒だが、早く体を洗って上がってしまおうと紫は湯船から立ち上がる。
その時、浴室と脱水所を隔てる扉が開け放たれた。
「紫! 前流してあげよっか!?」
返事をするまでもなく紫は扉を閉め、念入りに扉に結界を貼り付けた。
「ちょっとー! 紫ー?」
「さて、手早く済ませましょうか」
扉の向こうから聞こえる声を無視して、紫は体を洗おうと手拭を手に取った。
◇ ◆ ◇
「紫? 布団の中寒かったりしない?」
「しないわ」
「私はちょっと寒いんだけど」
「そう、頑張ってね」
夜も遅く、筒袖の寝間着に着替えて並べられた布団で寝る時間になろうとも、天子はまだ言い寄っていた。
紫はその言葉に背中を向けながらむべもなく返す。
「……早くしないと明日になっちゃうじゃないの」
「明日になると都合の悪い事でもあるの?」
「そりゃ藍が帰ってくるし。こういうのはやりやすい状況で一回やったあとで、なし崩し的に話を持っていくのが一番じゃない。藍の尻尾の時もそうしたし」
「おやすみなさい」
「ちょ、ちょっと待って、寝ないでって」
天子は布団から這い出て寝入ろうとする紫の体を揺らした。
「じゃああと一回! あと一回で何も言わないからさぁ」
「じゃあじゃないし一回のつもりもないんでしょう、もうこの話は終わり」
「えー、恥ずかしいくらい良いじゃないの」
不満げに口を尖らした天子の言葉に、また紫の胸がチクリと痛む。
「そうよ、恥ずかしいから嫌なのよ」
「だから良いじゃないのそれくらい」
「恥ずかしさなんて感じてない天子に、どうこう言われたくもないわよ……!」
痛みを堪えながら紫の語気が、僅かに荒くなった。
傍目にはただ鬱陶しそうに返しているようにしか見えないが、天子は敏感に声に込められた何かを感じ取って身を引いた。
「恥ずかしさなんて感じない、か……」
先程まで紫を揺らした手が行き場をなくして頬を掻く。
天子はそうやって考え込むと、決断したようにまた身を乗り出した。
「ねぇ、紫、手貸してよ」
「……今度は何なの?」
「いいからほら!」
天子は布団の中に腕を突っ込んで紫の手を引っ張り出すと、すぐさま自分の寝間着の下にその手を差し込んだ。
一瞬何をしているのかわからなかった紫だが、事態を確認すると暗闇の中で顔を赤く染め上げた。
「て、天子!? あなた何して」
「離れないで!!」
手を引っ込めようとする紫に、天子が声を大きくして鋭く言い放った。
「紫、何も感じないの?」
「感じるって、何が……」
「私の、胸にさ」
気が動転していた紫は、そう言われて手から感じる感触に気付いた。
ドクンドクンと、とても速く。
音が聞こえてきそうなほど力強く脈打つ天子の鼓動を。
「これは……」
「わかった? これが私の心」
天子はより深く感じていたいと紫の腕全体を抱きしめた。
そうやって腕に密着しようとすれば、自然と天子の体は紫に覆いかぶさっていく。
「私もさ、恥ずかしくないなんてことないわよ。紫に引っ付くと胸が騒がしくなるし。こうやって手だけでも恥ずかしい」
「なら、何でそんなに引っ付いていられるのよ」
「逆に聞くけど、そんなに恥ずかしいのって悪いこと? 確かに誰かの前でくっついたりすると、変に恥ずかしくなってそれは嫌よ。でも、二人だけの時ならいやじゃなくて、胸がドキドキするけどとっても暖かくなって嬉しくなる」
そうやって胸の内を赤裸々に語っていくと共に、天子の鼓動も更に加速を増してくる。
否応なしに、これは天子の本当に気持ちなんだと、紫にはわかった。
「そしたら、どうにかなりそうな気がしてきて怖くなって離れそうになるけど、それよりもっと近づきたいって思う」
「もっと近くに?」
「うん。紫は、違うの?」
天子が紫の瞳を覗き込んでくる。
もう一度息を吐くと、紫は熱い吐息を間近で感じた。
「私は、紫も同じだと嬉しい」
「わた、しは……」
暗闇の中、目で見えなくともすぐ近くに感じる天子の吐息と鼓動に魅入られて、紫は何も言えなかった。
やがて少しずつ、戸惑いながらも口を開いた。
「天子、寒いわ」
「え?」
「だから寒いわ」
ただそれだけでも意味は伝わって、天子はとびっきりの笑顔を浮かべて頷いた。
「じゃあ、寝よっか」
「そうね、早く寝てしまいましょう」
天子は紫の手を離すと、紫と同じ布団の中に潜り込んだ。
狭い空間で多少の息苦しさを感じながら恐る恐る近づくと、天子の顔を二つのふくらみが優しく受け止めた。
「紫のおっぱい、柔らかい」
「ぁん……天子、くすぐったいわ」
「え? あっ、紫寝るときはブラ外すのか」
昼間に抱きついた時よりも、妙に柔らかいと思ったらそれが原因だったようだ。
ついでに寝間着が崩れてきていて、わずかながら紫の肌を直に感じる。
「んふふ、さっきよりも良いかも。寝る時に仕掛けたのは正解だったわね」
「そんなことばかり考えて……」
「だっておっぱい気持ち良いし」
「ねぇ、天子どんな気持ち?」
「うん。やわらかくて気持ち良くって、恥ずかしくてドキドキして、でも嬉しい」
天子は耳を胸の隙間に押し付けてみた。
するとドクンドクン、強く鳴り響く鼓動が伝わってくる。
「紫のおっぱい、ドキドキしてるの感じるわよ」
「そうね、私も凄く恥ずかしい」
「それだけ?」
「……もっと欲しいわ」
紫は腕を回し、天子の体を抱き寄せた。
「恥ずかしすぎてどうにかなりそうだけど、もっと、欲しい」
「うん、私も……」
天子も同じように紫の体を抱き締めて、胸に挟まれながら深く息を吸い込んだ。
「こうやって紫に包まれてると、紫の匂いがするなぁ」
「臭いって、そんなに臭うのかしら?」
「これも嫌じゃないわよ。何だか安心してくる匂い、ずっと嗅いでいたい」
「……もう、恥ずかしいことばかり言って」
言葉とは反対に紫は抱き締める力を強めた。
すると天子は少し苦しそうに声を漏らす。
「ん、ちょっと紫、力強い」
「恥ずかしいことばかり言う罰よ」
「元々は紫が寂しがってたからこうなったのに」
「随分と昔の話ね。今はあなたが甘えたがってるからこうしてるんじゃない」
「何よ、自分のこと棚に上げて」
天子は胸に押し付けていた顔を上げて睨み付けた。
紫も立ち向かうように目を鋭くして、天子の顔を上から見下ろす。
「そんなことばっかり言ってるなら、離れる」
「良いわ好きにしなさい、その場合は私も離れるから」
「じゃあ数えるから放しなさいよ?」
「えぇ、どうぞ」
「んじゃ、3、2……1……」
カウントが0になっても、結局二人共は互いを話そうとしなかった。
これには流石に天子もいたたまれなくなったか、胸の間に顔を押し込んで隠した。
「私達、すっごい馬鹿で恥ずかしいことしてる」
「幻想郷の賢者が笑われるわね」
それから二人は抱き合ったまま時間が過ぎて行ったが、ふと天子の足が紫の足を絡み取ろうとした。
紫はそれに抗おうとせず、むしろ望んで足を伸ばして下半身まで密着する。
それで十分なはずなのに、天子はまだ一生懸命足を動かし、足裏同士を押し付けてきた。
「……何をしようとしているの?」
「いや、足の指絡めないかなって思って」
「攣りそうだから止めなさい」
「ちぇ、手なら簡単なのになぁ」
天子は紫の手を取ると、自然に指を絡めて握り締めた。
その動きのせいで今まで抱き合っていた二人の距離が離れ、天子の乱れた寝間着から細い首筋が紫の目に映る。
歳を取らぬ天人のそれは幼さを残すはずなのに紫にそれは蟲惑的に感じて、次に何故かそれを包み込む金毛を想像してしまった。
「……天子ッ!」
「きゃっ!?」
紫は衝動的に天子の上へ覆いかぶさると、もう片方の手も握り締めて天子の動きを封じ込める。
「な、なにっ?」
「天子、言ったわよね、もう藍の尻尾に入らないって」
「う、うん言ったけど……」
妙にいきり立った紫は困惑する天子は、危険のようなものを感じた。
「本当ね、その言葉に偽りはないわね」
「どうしたのよ、紫ってばちょっと恐い……」
「じゃあ、ちゃんとわかるようにしないと」
「わかるって、何が」
「あなたは、私の……」
紫は言い終える暇もなく天子の首筋に顔を落とすと、歯を突き立てた。
「いたっ!」
天子が声を上げても紫は止めようとしない。
鋭利なナイフも通じぬ屈強な天人の肌に、妖怪の力が歯を押し込めていく。
血が出るほどではないが痛みを伴い、確かに痕を残すものだった。
「……藍には渡さないわ」
紫は顔を上げると、封じていた天子の手を開放した。
呆然とする天子は、自由になった手で首筋をなぞるとクッキリとした歯形が残っているのがわかった。
「これって」
「マーキング、主人が誰か示す印よ。だから誰か他の者になびいたりしては駄目」
静かにそう告げる紫は、今度は首筋でなく天子の目を、柔らかな唇を見つめながら顔を落としていく。
「あなたは私のものという証」
「紫の……」
「そうよ、天子……」
今までにない強い衝動に突き動かされる紫は、自然とその先を求めて、唇を震わせた。
二人の身体が重なろうとする時、気を取り直した天子がハッキリとした声を出した。
「……ずるい」
「そうずる……ずるい?」
「てりゃ!」
天子は下から紫の肩を押し上げると、位置を逆転させる。
逆に覆いかぶさった天子は、紫の首筋を噛み締めた。
「うぐっ……!」
「んぁ、んふっ、んっ!」
喉の奥から獣のような声を漏らしながら、一心不乱に顎を動かした。
「天子、もうちょっと優しく、いた!」
「……ん、私も痛かったんだから四の五の言わない。それに一方的に私が紫のものだ何て嫌よ。私が紫のなら、紫は私のもの」
天子が紫の首筋から顔を離すと、乱暴にされたのだろうと人目でわかる噛み痕がクッキリと残っていた。
そのことを念入りに確認すると、天子はまた紫の胸に飛び込む。
「紫が私に言うなら藍の尻尾は我慢する。けれど私のお願いも聞いてもらうわ」
「お願い?」
「紫のおっぱいは私だけのものよ。良いわね、紫?」
「……仕方ないわね。そうまで言うなら、そうしましょうか」
突然の行動に気を抜かれたのか、紫は優しく天子の頭を撫でて抱き締めた。
機嫌が良さそうに身を震わす天子は、紫の胸の感触を改めて楽しんだ。
「あぁ、最上級のおっぱい枕だわ。毎日これで寝たいくらい」
「流石に毎日はちょっと」
「でも、また寝させてよ?」
天子は身を起こすと、自ら寝間着をはだけさせて歯型の付いた首筋を見せ付ける。
「証が消えたら不味いでしょ? この痕が消える前に、またもう一度」
「あと一回で終わりじゃなかったの?」
「知ーらない、そんな昔のこと」
おどけて笑う天子は紫の胸を枕にすると、そろそろ眠くなってきたのか欠伸が出た。
「ふあっ……とにかく、また一緒に寝なさいよね」
「えぇ、わかったわ」
「んふふ、紫、ギュッてして」
「これでどう?」
目蓋が重くなり段々と閉じていく天子を、紫は大切そうに抱き締める。
「ん、そんな感じ」
「丁度良い抱き枕だわ」
「じゃあ私達二人とも枕か。新生コンビ誕生ね」
「他の人には使わせないわ」
「わかってるわよ、心配性ね」
本当はもっとこの時間を楽しんでいたい気もするが、眠気に抗っててはあまり楽しめそうにない。
次はいつ一緒に寝れるかなと考えるが、それもおぼろげになっていく。
「もう眠い……」
「無理しない方が良いわ。眠いなら寝てしまいなさい」
「ん、おやすみゆかり」
「おやすみなさい」
それっきり二人の会話は途切れ、天子は上で安らかに寝息を立て始めた。
紫は胸の上で眠るそんな天子の頭を愛おしそうに撫でる。
「恥ずかしいとか言ってても眠気には勝てないようね」
それでも、天子が紫と触れ合って恥ずかしさを感じていると知って紫は安堵していた。
自分だけが一方的に恥ずかしがって空回りしているような気がしたが、そんなことはなかったのが嬉しい。
何よりも天子の気持ちが、自分の気持ちに近しいのが嬉しかった。
だが、こちらの気持ちは同じなのだろうかと、天子の唇に紫の視線が移った。
すぐ近くにあるそれ、少し天子の身を持ち上げて顔を近づけさせれば簡単に奪える。
「いや、そんな寝こみを襲うようなのは駄目ね」
先程は妙に高ぶって唇を求めようとしたとき、その時は天子の意識があったが、今はそれがない。選ぶ権利もなくそれを奪うのは紫自身も望まない。
だがあの時の天子はそれに気付いていて結果的にそれを遮ったのか、それとも紫が求めていたことに気付いていなかったのか。
そして、もう一度同じ状況になった時に、天子はどう思うのか。
「いつか、その気持ちも知りたいわ」
その上で、天子の口付けを交わしたい。
けれど今は無理だから、紫は天子の前髪を書き上げ顔を近づけた。
「んっ……ちゅ……」
額に唇が押し付けられ、湿った音を立ててゆっくりと離された。
今はこれだけで我慢しよう。
「……って、嫌だわ。またドキドキしてきた」
そう思ったはずなのに、むしろ欲求が疼いてたまらなくなってきた。
これでは寝れそうもないし、一時の衝動に負けて無理矢理奪ってしまいそうな気もする。
「ごめんなさいね天子」
それだけはいけないと、紫は衝動を鎮めるためにまた天子の額にキスをした。
「ん、天子……ちゅぱ……」
しかしそうすればするほど欲求は更に増してくる。
結局、紫はずっと同じ口付けを繰り返し、せめて唇だけは奪わないように堪えながら、悶々とした夜を過ごすこととなった。
胸の内で、一瞬天子の目が薄く開かれたのを気付かずに。
◇ ◆ ◇
翌朝、雀の鳴き声を聞いて目覚めた天子は恨めしそうな顔で紫を覗き込んだ。
「うぅー……一晩中キ、キスなんてしてきて、全然眠れなかったじゃないの……おでこにだけどさ……」
最初に紫にキスされたとき、眠りかけだった天子はその衝撃ですっかり覚醒してしまっていたのだ。
しかし驚いて何も言えず、それからも何度も額をキスされっぱなしで言い出すタイミングを失い、紫と同じように寝ることが出来なかった。
部屋に掛けられた時計に目をやってみれば、とっくに朝は通り過ぎて昼に差しかかろうという時間帯だった。
「あれだけ人に迷惑掛けたくせして、自分は気持ち良さそうに寝てるし」
安らかな寝息を立てる紫の頬を、指先で突いて愚痴る。
もう片方の手で額をなぞるがキス程度で痕が付くわけがなく、試しに指先の臭いを嗅いでみるが勿論それも残るわけもなかった。
しかし何よりも天子自身がその時の事を鮮明に覚えている。
「っていうか、あんなにされっ放しで一方的とかアレよ、不公平よね。気に入らないわ、うん」
独り言を続ける天子は耳を澄ませてみてみた。
屋敷には物音一つ響いておらず、昨日から壊されて開きっぱなし扉からは何の音も伝わってこない。
どうやら藍や橙は戻ってきていないらしい。
もし天子が何かしようとしても、紫が寝ていればそれを見る者は誰もいない。
「ならほら、ちゃんと公平に戻さないと」
天子は静かに紫に近づくと、その額に掛かったサラサラの髪の毛を掻き分ける。
ドキドキする心臓の音を聞きながら、意を決して紫の額に口付けした。
「…………えへへへへへ」
紫から顔を離した天子は、気持ち悪いくらい嬉しそうな声を出した。
ヤバイ、非常にヤバイくらいに頬が緩むのがわかって、手で押さえようとしても止まらない。
胸の内は心臓がうるさくて、これ以上ないくらいに暖かな熱を感じる。
またしたい。
「も、もう一回。紫も何度もしてきたしね、一回じゃまだ公平じゃないわよね」
すぐに堪えきれなくなって二度目の口付け。
確かめるように触れ合った自分の唇をなぞり、また嬉しそうにニヤケ面を浮かべた。
「……んふふふふ」
あぁ、きっと今の自分は気持ち悪い顔してるんだろうな、なんて頬の緩みを思っても止められない。
一人幸福感に包まれている天子は、やがて紫の唇に目が行った。
もしも、その唇にキスしたら、一体どれだけドキドキするだろうか。
「いやいやいや、紫とは友達だし、友達と口でキスとかおかしいし」
でもそれを言うなら、友達同士でドキドキすること自体がおかしい気もするし。
額にキスをするのもおかしい気もするし。
したいなんてちょっとでも思う時点で――
「あー、もうとにかく、寝てるところにするのはおかしいし!」
それに何よりも、もったいなさ過ぎる気がした。
だって寝ている紫は何も言ってくれない。
「……もししちゃったら、紫はどんな反応するかな」
ちゃんと起きている時にすれば、紫は嫌がる? 怒る?
それとも、自分と同じような気持ちになってくれる?
「……えへへ」
そうだったら良いなと思って、天子はまた紫に顔を近づけた。
◇ ◆ ◇
「……藍、何かしらこれは」
それから少しして藍が戻ってきて用意し、食卓に並べられたご飯はいつもとどこか違っていた。
何故だか全体的におかずが豪勢で、まるで祝いの日のように良い品を出し惜しみなく使っている。
そしてなによりも器に盛られたご飯が決定的にいつもと違っていた。
「お赤飯です」
具体的にいうと色が赤かった。
この時、並んで席に着いていた紫と天子は無表情の奥に「何だかとんでもない勘違いをされている気がする」と焦りを隠した顔をしていた。
「いや、そうじゃなくて、何で赤飯なんて出してるのかしら」
「おんやぁ? それをわざわざ私に言わせますか?」
恐る恐る紫が問いただせば、人をおちょくるような嫌なニタニタした笑顔を浮かべて返された。
思わず紫の頬を汗が流れる。
天子も天人でなければ同じような嫌な汗を掻いていたことだろう。
そして藍の隣で顔を赤くして恥ずかしそうに頭をかく橙が、二人の嫌な予感を加速させた。
「朝に藍様とご飯作りに行ったら、一緒に寝ている二人を見つけて」
「ぶっ!?」
「べっ!?」
「いやぁ、昨晩はお楽しみだったようで」
「ちちちちちち、違うから! そんなあんたらが思ってるようなこととかしてないから!」
無表情から一変しあからさまに焦りと羞恥を浮かべた二人の内、まず天子が立ち上がって叫んだ。
「そそそそ、そうよ! 別に私と天子はそんな、変なことなんて何も……」
「……むっ」
次いで紫も声を上げたが、その内容に天子が不満の声を漏らした。
確かに昨日のことを大っぴらに話したりするのは嫌な恥ずかしさがあるが、だからと言って何もかも否定するような言いようも癇に障った。
「何よその言い方! 紫ってば昨日私が寝た後でチューしてきたくせに!」
「なぁっ!? 何で天子それを……!?」
「あんなことされて寝れるわけないでしょうが!!」
一転して天子と紫が言い争う構図に移り変わる。
そこに驚いた橙が火に油を注いだ。
「紫様、天子とチューしたんですか!?」
「ち、違うわよ? キスって言ってもおでこだからノーカウントよ、ノーカウント!」
「ノーカンって意味わかんないこと言うな! お陰で昨日全然寝られなかったんだからね!?」
「それなら天子も言ってくれれば良かったじゃない!」
「言えるかバカー!!!」
「プフッ……クスクス……」
机の向こうで藍は噴出しそうなのを堪え、橙は顔を赤くしながらも耳をピコピコ動かして興味津々で話を聞いていた。
「そもそも天子の方から寝るときに一緒に寝ようって話を持ちかけてきたんじゃない!」
「最後に誘ったのは紫の方でしょ! ゆかりん身も心も寒いの、天子ちゃん暖めて……って!」
「い、言ってないわそんなこと! 勝手に事実を捻じ曲げないで!」
二人の言い争いは、豪勢な食事が冷めてしまうまで続いたそうだ。
ついにちゅっちゅまで来たか…次は口ですね!
誤字報告を
紫と二人でいつ姿を見せていなかった気がする
「いる」でしょうか
言葉とは反対に紫は抱き締める強めた。
締める「力を」かと
お茶が甘い
しかし何よりも天子自信がその時の事を鮮明に覚えている。
天子「自身」かと
受けゆかりんもいいな!
今日もやる気出たわ
ところで、電動ドリルさんの作品「青と紫お忍びデート」ですが、「ゆかてん幻想郷」タグが無いのは何か意図があるのでしょうか
理由等がありますのならこんなことを口出しなんかして申し訳ございません
いつもいつも、電動ドリルさんの作品楽しみにしております!
特にゆかてん分をおいしくいただいております!
では、これで!
ちゅっちゅ…
ちゅっちゅ!
どういうことなの…
そしてマウストゥマウスして結婚してベットインしてねっちょねっちょと(##自主規制##)
うおおおおおおおおぉぉ最高ーーー!
どうでもいいけど「脱水所」?「脱衣所」ではなく?