Coolier - 新生・東方創想話

大好きな妹を、絶対に忘れないお話。 前編

2009/11/12 20:03:26
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―――ここは、どこ?





気が付いたら、見知らぬ場所に立っていた。
足元にはどうやら背の低い植物が一面に生い茂っているらしく、どうにも歩き辛そうだ。
見渡してみる。明け方のような、妙な明るさ。なのに、遠くが見えない。白いもやがかかっているようでもある。



―――『……ま……』



突然、遠くから声が聞こえた。断片的な、少女の声。



―――『……さま……』



また聞こえた。さっきより近い。

(私を呼ぶのは、だれ?)

ぼやけた景色に向かって声を張ろうとした。出なかった。喉の奥に何かが引っかかったような、妙な感触。
何度か声を出そうとした。やはり出ない。声を出す事を、体が拒んでいるかのようだ。
空しくパクパクと動く口をつぐんだ所で、また声が聞こえた。



―――『……ねえ、さま……』



―――『……おねえさま……』



段々鮮明になってゆく、姿の見えぬ少女の声。突然、胸が苦しくなる。
懐かしいような、触れてはいけないような―――

(まさか……)

途端に荒くなる呼吸。今すぐ逃げ出したいような衝動。
だが、足が動かない。何のことは無い、自分はただ突っ立ているだけ。なのに、足が動かない。まるで凍り付いてしまったかのように。
そして、その耳に確かな声が届く。



―――『リリカ、おねえさま……』



(……!?)

その声と同時に、見えた。人影だ。自分と対して変わらない背丈。服装のシルエットから、少女の影である事が分かる。
明るい筈なのに何故か見えないその少女の姿に向かって、必死に手を伸ばそうとする。動かない。
歩いてみようとする。動かない。
せめて一声だけでもいい、口を開く。何も出てこない。

(あなたは、いったい……)

口から出なかった言葉を頭の中に浮かべている間に、その少女の影は、すぅっと消えてしまった。



(わたしの―――)
















「―――!!」

途端に色づく景色は、見慣れた己の部屋。
ベッドから半身を起こしたリリカ・プリズムリバーは、まるで全力疾走した後のように荒く息をつく。
首筋から伝った汗が、そのままパジャマの胸元へ落ちていく。
それを手で押さえ込むようにして拭き取り、リリカは辺りを見渡す。窓の外からは、うっすら差し込む朝日。

「変な夢……」

思わず口に出して呟き、リリカはベッドから飛び降りた。
そのまま窓に歩み寄り、見た夢の内容を拭い去るかのように思いっきり開け放つ。
途端に吹き込むそよ風が、汗ばんだその身体に心地よい。
それから軽く身を乗り出し、窓の下を覗き込んでみる。目の前には屋敷の外壁が立っているが、その手前の地面には多くの花が咲いている。
季節毎に違った花がひっそり咲くので、リリカはこの窓の下に見える小さな花畑が好きだった。
だが、彼女は少し疑問にも感じていた。

(なんで私の部屋の窓の下だけ、こんなに花が咲いてるんだろう)

窓からもう少し身を乗り出し、隣の部屋の窓の下を覗き込んでみるが、雑草が多少生えている程度でここまで花は咲いていない。
このプリズムリバー邸において、玄関前の花壇スペースを除けば、こんなに花が咲いているのはこの部屋の窓の下だけだ。
う~ん、と暫く考えてから、リリカは首を横に振った。

(私は音楽家なんだし、植物の事は分からないや)

すっぱり割り切るその性格を、リリカは自分でも長所だと思っている。
外を眺めて気持ちは落ち着いたが、今度は夢の事がすぐに頭をもたげてくる。

(……何なんだろう、あの夢……)

夢の中の光景が、少しだけ頭を過ぎった。見た事の無い景色、明るいのにはっきりしない視界、動かない体―――そして、少女の影。
少女は、確かに自分の名前を呼んだ。

(あの子は―――)

リリカが思考を巡らせていたその時、ドンドンドン!と強いノック音が部屋に響いた。

「リリカ、起きてる~?」

その常時明るさ満点な声で、瞬時に頭から夢の事が消し飛んでしまった。良いのか、悪いのか。

「半分起こされた、と言ってもいいかもね」

皮肉っぽくリリカが返してみると、すぐに自室のドアが開いた。
入ってきたのは次女、メルラン・プリズムリバー。こちらもまだパジャマ姿だが、その表情に眠気は感じられない。

「おっはよ、リリカちゃん」

「おはよ、メル姉さん」

屈託無く笑ってみせるメルランに、リリカは手をヒラヒラ振って答えた。いつも明るい姉の元気の秘訣を、今度教えてもらおうか。
自分よりはそのさらに上の姉に教えてやるべきだな、と脳内で結論を出し、リリカはメルランに問いかける。

「どしたの?朝っぱらからなんか用事?」

「ん~ん。起こしにきただけ」

はぁ、とため息。もう少し寝かせてくれても良いのではないか、とリリカは思ったが、メルランには既に見抜かれていた模様。

「早起きは三文の得、ってね。円に換算したらどれくらい得するのか分からないからちょっとアレだけど、とにかく早起きはいい事なのよ。健康第一!」

「はいはい」

騒霊が健康に気を使う必要があるのか、と問おうとしたが、その前にメルランは『朝ごはん作ってくるね~』と残して部屋を出て行ってしまう。
残された彼女はひょいと肩を竦め、着替えるべく部屋の隅に置かれた箪笥へ向かった。いつまでも汗だらけのパジャマを着ているのは気持ちの良いものでは無い。









「リリカ、起きてる~?」

一日に二度全く同じ言葉を同じ相手からかけられるというのは、結構珍しい経験かもしれない。それが、一回目から一時間も経っていないのであれば尚更だ。

「……へ?」

朝食の席にて、ぼけーっと一点を見つめて考え事モードだったリリカは、呆けた表情のまま声の主たるメルランを見やる。

「ほら、まだ眠い?次にぼーっとしてたら、そのカワイイお顔にバター塗っちゃうぞ?」

「もう、食べ物で遊ぶんじゃないの」

イタズラっ子のような笑みと共にバターナイフをリリカへ向けるメルランを、横に座った長女、ルナサ・プリズムリバーが制した。
冗談だってばさ、と呟いてから、メルランはそのバターナイフを本来向けるべき対象―――手元の皿に乗った焼きたてのトーストへ押し付ける。

「メルラン。そのバターナイフ、終わったら私に貸して」

ルナサが言うと、メルランは笑って頷いた。

「ん、了解~。顔に塗るなら手伝うよ?」

「違うわよ。あなたが顔に塗るなら考えてもいいけど」

「もう、姉さんは冗談が通じないんだから」

真面目なルナサと明るいメルランの会話は傍から聞いていても面白い。
だが、今のリリカの頭にはそれを聞いて笑っている程の余裕が無かった。勿論、夢の影響だ。

(何で、あんな夢を……)

それなりの年月をこの屋敷で過ごした彼女は、これまで色々な夢を見てきた。その数ある夢の一つと考えればいいのかもしれない。
時には変な夢だって見る、と結論付けて終わらせるのは簡単だ。だが、リリカにはそれが出来なかった。
それほどの印象強い”何か”が、今朝の夢にはあった。

(あの女の子は―――)



――― ぺと。



突如、頬に伝わる柔らかい感触。はっ、とリリカが顔を上げると、正面にニヤリと笑うメルラン。

「警告はしたからね~」

言いながらリリカに向けて伸ばしていた腕を戻す。その手には、バターナイフ。
頬を触ってみると、ぬるりという油の感触。それを理解した瞬間、またしてもリリカの頭の中から夢の事など綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

「―――メル姉さんのばかぁ!!」

憮然とした顔でリリカは、メルランの皿に乗っていたサラダのトマトをフォークで突き刺して自らの口に押し込んだ。

「あっ、私の!!」

悲観の篭った声で驚くメルランに、勝ち誇ったような笑みを向けつつトマトをもぐもぐと咀嚼してみせるリリカ。

「リリカのばか!!」

「メル姉さんのばーか!!」

それを皮切りに、メルランとリリカは口々に互いをバカバカ言いながら、相手の皿の朝食を自分の口に押し込んでいく。
そんな不毛な争いを十秒ほど続けた所で、立ち上がったルナサが妹二人の脳天へ思いっきり同時空手チョップ。

「食事中に騒がない!」

頭頂部を抑えてうずくまる二人にビシッと言ってのけ、ルナサは食事を再開した。
ばつの悪そうな顔でフォークを手に取るメルランとリリカ。ルナサは幾分表情を和らげたかと思うと、苦笑いを向ける。

「まったく、あなた達は昔っからそうなんだから」

すると、メルランも目玉焼きをナイフで切り分けながら懐かしそうな顔。

「確かに。私とリリカがケンカしてさ、いつも姉さんが止めるんだよね」

「分かってるなら最初からケンカするんじゃないの。止めるのも疲れるんだから」

「そんな事言っても、リリカだってすぐに乗るし。ねぇリリカ……リリカ?」

メルランが話を振るが、リリカは何も言わない。彼女はまたしても視線を何処かへ飛ばし、思い詰めた表情をしていた。

(―――むかし……そう、昔のこと……?)

ルナサの言葉で、何かが呼び覚まされそうな気がしていた。再び頭に蘇る、夢の中の光景。
そんな事は知る由も無いメルランは、再びバターナイフをリリカへ向けようとした。
それに気付いたルナサが素早くナイフをひったくったので、事無きを得たが。











―――ここは、どこ?



リリカは、また同じ場所に立っていた。明るい筈なのに見えない景色も一緒だ。

(……やっぱり動けない)

足を動かして歩こうとしたが、その足は接着剤で固定されたかのように動こうとしない。
その時だった。



―――『おねえさま……』



(―――また!?)

再び聞こえて来るか細い少女の声に、リリカは思わず辺りを見渡す。何も無い景色。足元に広がる植物と思しき影しか、目で分かる情報が無い。
尚も、声が聞こえる。



―――『リリカおねえさま……』



確かに自分の名前を呼んでいる。

(誰?だれなの!?)

声に出そうとして叶わない、その問いを空しく心の中で繰り返す内、再びあの少女の影が見えた。
リリカの前方、少し離れた場所で佇むその影。人影ということしか分からない。周りは明るい筈なのに、まるで磨りガラス越しのような感覚。



―――『おねえさま……』



その一言を残して、少女の影が視界から掻き消える。
リリカが思わず開いたその口からは、何も出てこない。











「―――!!」

半身をベッドから起こした体制のまま、リリカは荒く息をつく。

(……また、同じ夢……?)

訳が分からなかった。見たことも無い場所で、少女の声を聞く。ただそれだけ。
しかし、彼女にはその少女の声に覚えがあるのだ。聞いた瞬間、思い出そうとした瞬間の胸の苦しさが何よりの証拠だった。
だが、リリカは首を捻る。分からない、という素振り。誰もいないのに、誰かにそう伝えるかのような仕草。

「お陰で目覚めが悪いし、やんなっちゃう」

わざと口に出して言ってみせ、ベッドから飛び降りて窓を開けた。何から何まで昨日と同じ行動。
その時、ドンドンというノックの音が響く。ドアの外から何かが聞こえるより先に、リリカは歩いていってドアを開いた。

「おはよ、メル姉さん」

「あれ、何で私って分かったの?」

「昨日と同じだもん」

少し目を丸くしたメルランがそこにいた。
それから、リリカはふぅとため息一つ。何だか起きたばっかりなのに、疲れたような感覚。
すると、メルランが少し心配そうな表情を見せた。

「リリカ、具合でも悪いの?」

「え、なんで?」

唐突な問いに首を傾げるリリカ。

「だって何だかだるそうだし、顔色もあんまり……それに、何か汗かいてるし」

「へ、平気だよ。ただちょっと変な夢を見ただけ」

あまり心配をかけたくなかったので、リリカは手を振って弁明。だが、言ってしまってからその発言を少し後悔する。

「夢?どんな?」

メルランが尚も心配そうに尋ねるので、リリカは目覚めたばかりの脳をフル回転させて誤魔化そうとした。

「あ、えっと、ホントに大したことじゃないの。メル姉さんにひたすらバターを塗られるような、そんな感じの」

「なに、それ」

くすくすと笑って、メルランは軽くリリカの頭を小突いてみせる。全く痛く無かった。彼女もそのつもりなのだろう。

「もう、リリカは私を何だと思ってるのよ。朝ごはん作るから、少ししたら降りてきてね」

「うん、ありがとう」

それ以上の追求はせず、メルランは笑って台所へ向かうべく部屋を出て行った。その後ろでこっそり胸を撫で下ろすリリカ。
何故誤魔化したのかは自分でもよく分からなかった。ただ、まだ内緒にしておいた方がいいような気がしたのだ。
このおかしな夢が何を意味するのか。それとも意味なんて無い、ただの変な夢なのか。
それが分かるまで、まだ話すべきでは無い―――そう思った。

(あの夢は、いったい……?)

―――その答えが、リリカには既に分かりかけている。だが、彼女は頭の中で首を振ってそれを否定した。無意識の内に。











―――まただ。



リリカはまた、あの場所に立っていた。三度目ともなれば、驚きは多少薄れてくる。
それでも、不気味なほどに静まり返ったこの場所はリリカの心に不安をもたらす。



―――『おねえさま……』



やっぱり聞こえる少女の声に、リリカは身構えた。正確には、指一本動かせないので気持ちの上でだが。
そして現れる、少女の影。そんなに遠く離れていない筈なのに、顔がよく見えない。シルエットで判断しているようなものだ。
リリカはまた、声を聞きながらあの少女が消えてしまうのを待つつもりでいた。今までがそうだったからだ。
だが、この日は違った。
一歩、少女がこちらに歩いて来たのだ。足元が見えないので歩いたのかは分からないが、とにかくこちらに近付いてきた。

(……なんで?)

今までに無いその動きに、リリカは若干の焦りを覚える。身体も動かない、声一つ出せないこの状況が、彼女の不安を増大させていた。
一歩、また一歩と少女は近付いてきて、相手の姿がはっきりと視認出来る、数メートルほどの距離まで来て、立ち止まった。
それでも彼女は何も言わず、佇んでいるだけ。
しかし、リリカは彼女が近付いてきた事によりその姿をしっかりと見る事となる。

(………!)

リリカは目の前の少女を見る。遠くでは少しぼやけて見えたその髪形や、ドレスにも似たその服装、リボンの一つに至るまではっきりと視認する。
そして、思い知る。確かに目の前の少女に覚えがある事を。
何故か顔だけは見えないので、少女の表情を確認する事は出来ない。だが、それでなくとも十分なほどに明確なビジョンがリリカの心に現れる。

(だれ!?あなたは誰なの!?)

その事実を掻き消そうとするが如く、強い語調で尋ねようとした。だが、声は出ない。彼女の心の中で空しく響くだけだった。

(私は、あなたを知らない!知らないってば!)

どれだけ自分に嘘をつこうと、真実そのものを欺く事は出来ない。それが分かっていても、リリカはまるで呪文を唱えるかのように心の中で主張する。
やがて少女は、ふっとその姿を消してしまった。
リリカからはまだ顔だけは見えなかったのだが、どこか寂しそうな表情を浮かべていそうな気がした。









「………」

ベッドから半身を起こしたまま硬直するのも、これで三日連続だった。
リリカは額の汗を手の甲で拭い、ため息。

「……知らない。知らないもん」

ふるふると力無く首を横に振り、誰にとも無く呟くリリカの表情は、何かから逃れるかのようなある種の必死さが見て取れた。

―――コン、コン。

静かなノックの音で、リリカは我に返る。

「……今起きたよ。またメル姉さん?」

ドアに向かって言うと、ドアが開いた。

「……はずれ」

入ってきたのはメルランでは無くルナサだった。
彼女は妙に汗をかいたリリカの顔を見るなり、首を傾げる。

「おはよう……あなた、大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ。なんでそんな事訊くの」

メルランと同じ事を訊かれて一瞬焦るリリカ。

「メルランがまた起こしに来た時、いくらノックしても起きる気配がないって言ってたから」

「私だって寝坊する時くらいあるよ。心配ないって」

熟睡していたというよりは、夢を見ることに夢中になっていたから起きなかったのだろうか。それも変な話だ。
ルナサは暫く彼女の顔を見つめてから、頷き、踵を返す。

「なら、いいんだけど。メルランがもう朝ごはん出来たって呼んでるから、早く着替えて来なさい」

「う、うん」

ルナサの背中を見送ってから、リリカはもう一度ため息をついた。
それから着替えを手に取り、ふと何も無い虚空に視線を走らせる。

「……もう、出てこないでね」

夢の中の少女に向かって言った、つもりだった。
それからさっさと着替えを済ませ、リリカはダイニングへと向かう。











―――リリカの希望は、叶わなかった。
一週間と少しが経過したが、彼女はあれから二日おきに例の夢を見続けた。
夢の中はやはり見た事の無い場所で、どこかから少女が呼びかけてくる。
その影が見えたかと思うと、こっちに近付いて来て、少ししたら消えてしまう。そして目が覚める。その繰り返しだった。
夢の中の少女は、何をしてくる訳でもない。ただ暫く佇んで、すっと消えてしまうのだ。何故近寄ってくるようになったのかも分からない。
近付いてくるにも関わらず、彼女の顔はよく見えない。いくら服装や髪型に覚えがあるとは言っても、顔が見えないのでは誰だか分からない。
―――リリカはそう、自分に言い聞かせていた。自分は彼女の事を知らない、と。

(どういうことなんだろう……)

居間のソファに座り、首を傾げるリリカ。時刻は既に昼過ぎ。
あんまりに同じ夢ばかり見るので、流石に彼女も不安になってきた。
だが、あんまり夢の事を考えるのは何だか気が進まなかった。理由は分からない。何故か、夢の事を追求するのを自身が拒否しているような感覚に囚われる。
だから、少し考えるだけですぐにやめてしまう。それを何度も繰り返した。

「な~に変な顔してるのよ」

ソファに座ってぼけっとするリリカの顔を覗き込んでメルラン。

「別に変な顔なんてしてないよ」

リリカがそう返すと、メルランは『そうかしら』と呟いて肩を竦める。

「はいはい。リリカをからかってないで準備しなさい」

居間に入ってきたルナサがそう言ってメルランの肩を叩く。

「あれ、今からどっか行くっけ」

首を捻るメルランに、ルナサは少し呆れた表情。

「無縁塚に決まってるでしょ」

「あ、そっか。もうそんな日かぁ」

メルランはそう言ってポン、と手を叩いた。

―――その名は、レイラ・プリズムリバー。
彼女達の末妹にして、”騒霊”としての生みの親。無縁塚に建てられたその少女の墓に、彼女達は半月に一度墓参りへ行っていた。
それが当然の事だと思っていたし、彼女への”感謝”を表す方法だと思っていた。
ただ―――

「……リリカは?」

いそいそと準備を始めたメルランを尻目に、ルナサはリリカへ視線を向ける。
彼女はゆるりと首を横に振った。

「……私は、いいよ」

「やっぱり」

ルナサもまた、肩を竦める。
―――そう。リリカだけは、ただの一度も墓参りに行った事が無かった。行けないのでは無い。彼女自身が拒否していた。
彼女が墓参りを拒否する理由は、彼女自身にしか分からない。
毎回断られ続けても尚ルナサが同行するかを訪ねるのは、『来て欲しい』という思いがあっての事だ。

―――と、その時であった。

「リリカ」

支度を済ませたメルランが、リリカに声をかける。その表情はいつに無く真剣だ。

「前からずっと思ってたけど、どうして来ないの?あの子も、リリカが来てくれた方が嬉しいに決まってる。一度くらい行ってあげてよ」

メルランにしては珍しく、その声色は微かな怒気を孕んでいた。

「………」

何も言わずメルランの顔から視線を逸らし、俯くリリカ。

「何か理由でもあるの?」

「………」

「黙ってないで答えてよ!あの子が嫌いになった訳じゃないんでしょ?」

「………」

何を言ってもだんまりを決め込むリリカに、メルランがさらに何か言おうとして口を開いたその瞬間、ルナサがメルランの腕を掴んで強く引っ張った。

「うわっ!」

「ほら、その話は今はいいでしょ。リリカ本人がいいって言ってるんだし。早く行くわよ」

「ちょ、姉さん……」

「リリカ、留守番よろしくね」

「……うん」

返事が聞こえたのを確認し、そのままメルランを引っ張ってルナサは玄関から外へ出た。
静かになった居間で、リリカは黙ってため息をつく。
何だか、何をする気にもなれなかった。







―――無縁塚への道中にて。

「ちょっと、姉さん!いきなりどうしたの」

「……メルラン。リリカとあの子の事は、あなたも知ってるでしょ?」

「……! でも!」

「リリカは多分……思い出したくないのよ。あの子のことを」

「……私、あとで謝ってくる」

「駄目よ。それは余計にリリカにその事を思い出させるだけ。無かったように振舞うのが一番じゃないかしら」

「……そうする」











―――『おねえさま……』



―――『リリカおねえさま……』



―――『……おねえさま……』



―――『…………』













それから、さらに暫くが経って。
変わらぬ日常。その中でやはり、リリカは夢を見続けた。
”リリカにとって”知らない少女からの呼びかけ。近付いて来て、何もせずに消えてしまう。
それだけの夢を何度も何度も繰り返し見て、彼女の心はすっかり疲弊しきっていた。
別段怖い夢という訳でも無いのに、その狼狽ぶりは傍から見てもはっきり分かるほど。

「ねえ……本当に大丈夫なの?」

―――居間。急に声を掛けられたリリカが慌てて面を上げると、心配そうにルナサが覗き込んでいる。このシチュエーションも初めてでは無かった。

「な、なんで?」

平静を装って尋ね返すと、それに答えたのはルナサでは無く丁度やって来たメルランの方。

「なんでって、決まってるでしょ。どう見ても顔色悪いし、ぼーっとしてる事が多いし。ほっとけないよ」

再三にわたる妙な夢による精神的な疲れは、姉妹の目から見ても明らかなもの。その事実を突きつけられ、リリカは無理矢理に元気な声を出す。

「だ、大丈夫に決まってるでしょ!私だってボーッとする事くらいあるし、ルナ姉さんじゃないんだからずっとこのままな訳じゃ」

「一言多い。ヒトが心配してるのに」

「まあ、思ったより元気そうで安心したけど……無理はしないでよ」

呆れ顔のルナサと、少し安心したらしいメルラン。憎まれ口を叩いてみせたのは効果的だったようだ。
と、ここでルナサが思い出したように話題を変える。

「そうそう、これからメルランと買い出し行ってくるけど……あなたは休んでた方が良さそうね。どうする?」

見やれば、メルランも空っぽの手提げ袋を手にして準備万端。

「ん~、私はいいや。ちょっと疲れてるのは事実だし、寝不足みたいだから昼寝でもしてるよ」

「そう。じゃあ、留守番よろしくね」

あまり出かける気にはなれなかったので、リリカは首を振る。

「お土産買ってくるよ。元気が出そうなもの……唐辛子ペーストひとビンとかどう?」

「買ってきてもいいけど、全部今日のメル姉さんの夕ご飯に入れるからね」

軽口一つずつ叩き合ったのを最後に、リリカは姉二人が玄関から出て行くのを見送った。
ドアが音を立てて閉まったのと同時に、彼女は今まで座っていたソファに仰向けで寝転がる。
それから宙に向かって長く息をついた。

(……昼寝でも、あの夢を見るのかな)

途端に全身を襲う倦怠感に、リリカはうっすらとそんな事を考える。
―――正直、もうあの夢を見たくない。お陰でこんなに疲れきり、寝不足で、姉にも心配をかけている。
夢に出てきた少女に向かってぶつぶつと文句を言っている内に、リリカはソファの上で意識を手放していた。













―――見える筈の景色は、白いもやに包まれて、よく見えない。



またしても”あの”場所に立っていたリリカ。昼寝でもこの夢に誘われるのか、と彼女は頭の中でため息をついた。
夢を見た回数は二桁に上っていたが、未だに景色がはっきりと見えない。地面を覆っているらしき植物の種類も分からない。



―――『おねえさま……』



やはり聞こえてきた少女の声。視線を走らせる―――と言っても正面なのだが―――と、例の少女がそこにいる。

(もう出てこないで、って何度も言ったのに!)

こう何度も出てこられては、さしものリリカも文句の一つでも言いたくなる。
少女はゆっくりと近付いて来て、止まる。数メートルの距離。
こうなっては、彼女が消えるのを待つだけ。いつも通り。暫くしたら目が覚める。
―――そう、思っていた。



―――『リリカおねえさま……』



違った。
もう一度呼びかけられたかと思うと、少女はリリカに向かって、さらに近付いてきた。

(えっ?)

一歩、また一歩とリリカに歩み寄る少女。今までに無い展開に焦りを覚えるリリカ。
ただ現れるだけだったのが、少し近付いて来るようになった―――その変化の時よりも、大きな焦りと緊張。
とうとうその距離は、僅か一、二歩程度の間隔しか無い。少女は若干俯き気味のまま立ち止まる。

(ど、どうして……?)

目の前まで来られた事によって、少女の姿がほぼ完全に浮き彫りとなる。
思わず少女の頭からつま先まで視線を走らせてみると、リリカの心臓はさらに鼓動を速めた。
―――やっぱり、知っている。

(違う!私はこの子を知らない!知らないの!!)

首を振ることが出来たらどんなに気が楽だったか、しかし彼女の体は一切動かない。
明確な理由も無く、違う、知らない、と自分に嘘をつき続ける。リリカはただひたすらに、目の前の少女が知らない少女であると心の中で主張する。
だが―――



―――『おねえさま……さみしいよ』



少女が呟き、同時にその顔をゆっくりと上げた。


―――刹那、リリカの全身を稲妻が駆け巡るかのような衝撃が襲う。


リリカは見てしまった。
その少女の顔を。
絶対に見間違う筈の無い、その顔を。
遥か昔に封印した筈の、思い出の中の顔を。



―――『……さみしいよ。どうして来てくれないの?』



(あ……あぁ……)

もう否定する事も忘れていた。リリカの心に、少女の言葉が深々と突き刺さる。



―――『ルナサおねえさまも、メルランおねえさまも来てくれたのに、どうしてリリカおねえさまは来てくれないの?』



リリカの今の感情は、言葉では表せそうに無い。今すぐ泣きたいような、叫びだしたいような。
荒くなる呼吸、速くなる心音。それでも尚、リリカは棒立ちのまま動けない。
目の前の少女は、今にも泣きそうな顔をしていた。



―――『……リリカおねえさまは、私のことがきらいなの?』



どくん、と心臓が跳ねた。

(違う!!違う!!そんな訳ない!!)

自分に嘘をつき続けたリリカの、本当の、心の叫びは声になっては出て来ない。
今すぐにでも否定したかった。首を振って、違うと言いたかった。
少女の事を否定していたのに、今度は嫌いではないと逆ベクトルの否定。だが、今のリリカにはそんな皮肉を言った所で聞きはしないだろう。



―――『……おねえさま……さみしいよ……』



少女は悲しげに呟いたかと思うと、その姿が徐々に消え始めた。

(待って!!いかないで!!私の話を聞いて!!)

その腕を掴まんと必死に伸ばそうとした手も伸びず、引き止めようとした叫びも出て来ず。何も出来ない。
段々と薄くなっていく少女の姿を黙って見るしか出来ない。
―――その時だった。消え行く少女と入れ替わりになるかのように、どこかから別の声が聞こえてきた。



―――『もう、しょうがないなぁ。おねえちゃんにまかせなさい!』



―――『私が、何があっても守ってあげるからね』



―――『やめて!!私もここにいる!絶対に離れないもん!!』



―――『……私も、人間のままでいたかったよ……』



(……私の……!)

聞こえてきたのは、自分自身の声だった。
それに気を取られた次の瞬間、少女の姿はもう殆ど見えなくなっていて―――

(……!!)

一瞬。最後の一瞬、体が動いた。
少女に向かって必死に伸ばしたその手は、空しく虚空を掠めるだけ。



―――『……おねえさま……』



最後に聞こえた少女の声と、リフレインする己の声が混じり、消えてゆく。
フラッシュバックする、遥か昔の光景。
限界だった。


(あ……あぁ……あああぁぁぁぁぁ!!!!)



喉が震えた―――











『レイラァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」





















―――リリカ!


―――リリカ!!大丈夫!?


「あぁぁ、うああぁぁっ!!……あ?」

目を開けたら、目の前にはあまりに見慣れた姉の顔が二つ。

「あれ?わたし……」

「大丈夫!?リリカ!」

「あう……ここは……」

「家だよ。ちょうど私たちが帰ってきたら、リリカの叫び声が聞こえたから、何があったんだってすっ飛んできたんだよ」

「もう、あんまり心配かけさせないでよ……物凄くうなされてたわよ?」

ルナサもメルランも一様にリリカを心配そうに見ている。掛けられる声が妙に優しく感じた。
体が重かったが、リリカは何とか半身をソファから起こす。ひどく汗をかいていたし、頭がふらふらした。
改めて二人の方を向く。見慣れた二人の顔が、今のリリカには大きな安堵感をもたらした。

「……ごめん。もう大丈夫だから……」

「大丈夫には見えないわよ」

ルナサに言われ、リリカは唇を噛んだ。
少しの間の沈黙。それを破ったのは尚もリリカであった。

「……叫んだ、って言ってたけど……私は何て?」

少し予想はしていたが、あえて尋ねてみた。
ルナサとメルランは顔を見合わせる。少し言い辛そうだったが、意を決したようにメルランが口を開いた。
そして、ただ一言。



「―――レイラ」



それを聞いたリリカの表情が一瞬だけ強張る。
だがすぐに元の表情に戻ると、やっぱりか、とでも言いたそうにリリカは天井を仰いだ。
首を戻すと、再びリリカは二人に顔を向ける。

「……私……わたしね……」

だが、話そうとしたリリカをルナサは手で制した。

「……まだいいわ。話し辛そうだし、何よりあなた、疲れてるもの。とにかく今は休みなさい」

「でも……」

「いいから」

穏やかな口調だったが、ルナサの言葉には決して逆らえないような何かを感じる。幼少の頃からの刷り込みかもしれない。
でもリリカはその優しさが嬉しくて、小さく頷いてから立ち上がった。

「なんていうか……ごめん」

「お詫びなら、ちゃんと休んでリリカの元気な姿を早く見せて。……ご飯、あとで部屋に持って行くからね」

「……ありがと」

メルランにお礼の言葉を返し、リリカは自室へ向かった。
ぎし、ぎし、と歩くたびに少しだけ軋む廊下を歩き、自室のドアを開ける。
すぐさまベッドに倒れこんだリリカの頭の中で、夢の中の光景が再び蘇る。

(私の声が聞こえた……それも、ずっと前の)

少女の―――レイラのものだけではない、自分の声が聞こえたというその事実に、リリカは動揺を隠せない。
ずっと、ずっと昔の、忘れようとした思い出を詰め込んで封印した箱が抉じ開けられた。
一度開いたその箱は閉じる事叶わず、思い出達が次々と溢れてリリカの心に溶け込んでいく。

(―――レイラ……)

たった一人の妹の名を呟いて、リリカは目を閉じる。
閉じたばかりの瞼から涙が一筋伝って、枕に小さな染みを作った。















―――リリカ・プリズムリバー。



人間の貴族・プリズムリバー家の三女として生を受けた彼女は、両親と、既に生まれていた二人の姉からの愛情を一身に受けて育った。
生真面目で素直な長女のルナサと、とにかく明るくて元気な次女のメルラン。二人は一番下の妹ということで、大層リリカを可愛がっていた。
リリカもそれなりに成長してきたある日、姉妹は両親からもう一人家族が出来る事を知らされる。
三人とも喜ばない筈は無かったが、一番その知らせを喜んだのは他でも無い、リリカであった。
いつも妹として、守られる存在だった彼女。そんな彼女に、妹か弟かは分からないが『守るべき対象』が出来るのだ。
まだ幼いながらにも、早くも姉としての自覚を芽生えさえたリリカは連日、母親の膨らみゆくその腹部へ向かって語りかけたものだ。
早く生まれておいで、おねえちゃんが待ってるよ、と。
そして、とうとう新たな家族が誕生した。



―――レイラ・プリズムリバー。



そう名付けられた、プリズムリバー家の四女。
初めて妹が出来たリリカは、母親の腕の中で眠る小さな命をキラキラした目で見つめていた。
その頬に触れようとして伸ばした小さな手。あと少しで触れようかという所で突然レイラは目を覚ましてしまい、驚いて手を引っ込める。
おっかなびっくり、もう一度手を伸ばしたら、レイラはその手を握ってくれた。その温かさは、リリカにとって生涯忘れえぬ温もり。



―――それから月日は流れて。
レイラも成長した。いつの間にか立ち、歩き、走り、言葉を喋るようになり、姉達と一緒にあちこち遊び回った。
そんな中で、リリカはいつもレイラの傍にいた。妹を守るのが姉の役目と言わんばかりに、常にレイラを気にかけ、彼女を危機から遠ざけようとしていた。
レイラが笑っていれば一緒に笑い、レイラが泣いていれば慰め、レイラが怒られていたらそれを必死になって庇った。
喧嘩もした。だが、姉や両親が止めに来たら、今まで喧嘩していた事も忘れたかのようにレイラを庇い、悪いのは自分だと言い張る。
レイラが困っていれば真っ先に駆けつけるのもリリカだった。レイラの問題は己の問題と言わんばかりに。


―――『もう、しょうがないなぁ。おねえちゃんにまかせなさい!』


それが、リリカの口癖だった。
両親やルナサ、メルランは勿論だが、特に並々ならぬリリカの愛情と優しさを受け、レイラは思いやり溢れる心優しい少女へと育っていった。



そんな、ある日。大事な用事があると言って、両親が姉妹を屋敷に残して出掛けていった。
昼間はいつも通りに遊んで過ごした姉妹だったが、日が暮れ、夜になっても両親は帰って来ない。
それどころか、夜になってから急に天気が崩れ、大雨と暴風が荒れ狂う嵐となる。
窓を際限無く叩く激しい雨音と風の唸り声に、両親不在の姉妹達はかつてない不安と恐怖の中にいた。
時折鳴り響く、大地を割るかのような雷の轟音に身を竦ませ、その小さな身を寄せ合って一夜を過ごす。
何故両親は帰ってこないのか、この嵐はいつ収まるのか。
二重で襲い掛かる不安の波に呑まれ、かたかたと震えるレイラを、リリカは必死に励ました。


―――『私が、何があっても守ってあげるからね』


そう言ってレイラの肩を抱き、安心させるようにその背をさする。すると、レイラの不安も幾許かは取り除かれたようだった。
初めて両親のいない夜、しかも外は大嵐。今にも泣き出したい筈なのに、リリカは気丈に笑ってみせた。
妹を不安がらせる訳にはいかない―――その一心で、一晩中リリカはレイラを励まし続けた。
―――大丈夫。きっと明日になれば嵐も止んで、お父さんもお母さんも帰ってくる。




―――結局。プリズムリバー四姉妹の両親がその足で屋敷に帰る事は、二度と無かった。










―――嵐による土砂崩れ。
姉妹の両親が帰らぬ理由がそれであると聞かされたのは、嵐の日から二日後の事。
まだ大人には程遠かった姉妹はその事実を認識出来ず、呆然としている間に近所に住んでいた人々や数少ない親戚が屋敷にやって来て、葬儀の準備を進めていくのをただ見ているしか無かった。
大量の土砂に埋もれた状態で見つかった物言わぬ両親が棺に入れられて屋敷に帰ってきた時も、
『惜しい人を亡くした』『子供達があまりに可哀想だ』と涙ながらに話す人々で家が埋め尽くされた通夜、葬式の時も、
まるで眠ったような穏やかな顔をした両親と最後の別れをした時も、ただただ、姉妹は呆然としていた。
だが、いよいよ両親の棺が墓の下へ埋められようとしていた時。別れを惜しみながらその様子を見守る人々の中に混じった姉妹。
土の中へと埋められていく両親を見て、ぽつり、とレイラは呟いた。

『どうして、お父さまとお母さまを埋めちゃうの?』

理解はしていた。認めたくないだけだった。
レイラのその言葉に何かを断ち切られたが如く、堰を切ったように泣き出す三人。
分かっている。もう、両親は帰って来ないという事など。
でも、もしかしたら。もしかしたら、目の前でその棺が開き、『嘘だよ、驚いたかい?』などと言いながら笑顔で両親が出て来てくれるかも知れない。
だが、レイラのその言葉が、目の前の事実を何よりも如実に物語る。
現実を突きつけられて、どうしようも無く悲しくて、寂しくて、ルナサも、メルランも、リリカも、ひたすらに泣いた。
それを見たレイラも途端に悲しみが込み上げて、何が何だか分からないままにとにかく泣いた。慟哭、と言った方がいいかも知れない。
茜色に染まる空の下、一際大きな姉妹の泣き叫ぶ声が響き渡る。やがて、両親の身体は冷たい土の中へと消えていった。



屋敷に帰っても尚泣き続ける姉妹。今はもう、この屋敷には自分達しかいない。
そんな中で、リリカは隣でひたすらに泣きじゃくるレイラを見やる。
一夜にして孤児となった四人。これからは姉妹四人で力を合わせて生きていく事になるのだろう、とリリカは思っていた。
もっと幼い頃からいつも自分の傍にいて、ずっと大切にしてきたこの妹を、何としてでも守りたい。
リリカはそっとレイラを抱き寄せ、囁く。

『これからは、私がレイラのお母さんになる。だからもう泣かないで』

本当はいくら泣いても泣き足らぬくらい悲しいのに、それでもリリカは妹へ優しく笑ってみせた。
その笑顔を見て、いつの間にかルナサもメルランも泣き止んでいた。
どうにかなる、そんな気がした。リリカのその笑顔が、その気にさせた。







―――だけど、現実はそう甘くない。
長女のルナサですら大人とはとてもではないが言えぬ年齢の四姉妹、独力で生きていく事など不可能だった。
数少ないながらにも親戚はいたので、最初はそこで姉妹揃って暮らせる、そう思っていた。
だが、一度に四人もの子供を抱えるのは経済的に不可能で、精々一人が限界という現実の壁。
それは何も親戚に限った話では無く、こうなれば姉妹が散り散りになってしまうのは必定であった。
ずっと一緒だった姉妹の離散。どうしようも無く寂しいけれど、生きていく為には仕方無い。姉妹達は何とか割り切ろうとした。
他にも子供を授かる事の出来ない夫婦などから引き取りたいとの申し出があり、どうにか姉妹全員の引き取り手の目処は立った。
―――だが。

『わたし……この家から離れたくない』

そう言ったのは、レイラだった。

『この家には、お父さまやお母さま、お姉さまたちとの思い出がいっぱいあるの。この家を出て行くなんて、ぜったいにいや!』

それが彼女の言い分だった。
当然、周りの大人達が説得に掛かった。気持ちは分かるが、一人ではとても生活なんて出来ない。いつか死んでしまう。
どうかここを離れて、優しい人の下で幸せに暮らして欲しい、と。
しかし、レイラは頑なにそれを拒んだ。見かねた姉妹も彼女を説得したが、それでも彼女は決して首を縦には振る事は無かった。



―――やがて引き取りの日が訪れ、まず親戚の家に引き取られる事となったルナサが屋敷を去った。
レイラはそれを引き止めようとしたが叶わず、涙を浮かべて手を振った。
それから数日。続いて、子供の出来ない夫婦に引き取られる事になったメルランもいなくなった。
レイラは最後の瞬間までメルランの腕を掴んで離さなかったが、結局留めておく事など出来る筈も無かった。
『お姉さま』と何度も何度も呟いては涙をこぼすレイラを、残されたリリカはただ励ます事しか出来なかった。
そして、リリカは決意する。

『私も、この家に残る!』

―――もう、レイラには自分しかいない。自分がいなくなったら、誰がレイラを守る?
リリカに最早、迷いは無かった。どんな結末を迎えようと、レイラと共に残された人生を歩むのだ。
それを聞いたレイラは、嬉しさでさらに涙を流す。すっかり人気の無くなった屋敷の居間で、残された二人は固く抱き合った。



―――どんなに強い決意も、現実の前にはあまりに脆く、儚い。
リリカにも引き取りの日が訪れるのは、時の流れを止める術も、運命を操る術も持たない彼女達には避けられぬ事。
リリカを引き取る事になったのは、ルナサとは別の親戚夫妻。リリカにとっても多少の面識はあった。
だが、いざ引き取りの時になると、リリカは激しく抵抗した。

『やだ、やだっ!私はレイラとずっとここで暮らすって約束したの!』

いくら言ってもその場を動こうとしないリリカに、引き取り手の親戚夫妻も困った表情。

『やめて!!私もここにいる!絶対に離れないもん!!』

引っ張って連れて行こうとしても、彼女はレイラにしがみ付いて離れようとしない。それはレイラも同じ。
何に換えてもこの手を離すものかと言わんばかりにリリカの腕を強く掴む。
埒が明かないので半ば無理矢理に抱きかかえて連れて行こうとすると、リリカはとにかく暴れて逃れようとした。

『行かないってば!!レイラ!!レイラァァッ!!』

あまりに激しい抵抗に夫が思わず手を離すと、リリカは一目散にレイラの元へ駆けて行き、二人して抱き合ってひたすらに泣きじゃくる。
もうどうしようも無いので、夫妻は一度その場を離れた。
結局、日が暮れた頃に戻ってみると二人は泣き疲れて抱き合ったまま眠っていたので、そっとリリカだけを抱き上げる。
少し残酷な気もしたが、リリカの為だと自分に言い聞かせ、夫妻はリリカを連れて行った。




―――こうして、プリズムリバー四姉妹の内、姉三人がそれぞれ違う家へと引き取られ、四女のレイラだけが屋敷に一人で残る形となった。
”人間の”ルナサ、メルラン、リリカは、その後レイラがどうなったかを知る由も無い。









レイラはその後も、たった一人で屋敷に篭り続けた。
時折人が訪れても決して反応せず、諦めて帰るまで待つ。
脳裏に浮かぶのは、いなくなった姉達の事ばかり。
その姿を決して忘れまいと、視界から消える最後の瞬間までじっと見つめてきたルナサ。
レイラに掴まれた腕が解けた瞬間、普段の明るさからは想像もつかない程、悲しそうに目を伏せたメルラン。
そして、最後まで一緒にいてくれた、絶対に離れないと誓ってくれたのにいなくなってしまったリリカ。
どんな形でもいいから、大好きな姉達にもう一度会いたい。その思いが、レイラを動かした。
それは、思春期の少女だけが使えるとびっきりの魔法。レイラはありったけの思い出を込めて、姉の姿をした騒霊を三体創り上げた。
三人にそれぞれ異なる音色を授け、楽器を持たせる。またあの頃にように、賑やかに暮らしたい。

『おはよう、お姉さま』

それが、生まれた騒霊に最初にかけた言葉だった。
レイラの記憶や思い出を元に形作られた騒霊達。その記憶は、レイラとの思い出の終わり―――別れの瞬間までで、そこから先は途切れている。

『私……どうしたの?どうしてレイラがいるの?』

途切れた記憶が更なる混乱を呼び、戸惑うリリカにレイラはにっこり笑って語りかける。

『人間のお姉さまとは離れ離れになっちゃったけど、騒霊なら一緒にいられる。約束……してくれたよね?』

はっとして、リリカはレイラを見やった。別れの前に誓ったあの約束を、彼女は忘れる筈も無かった。
自分がどんな形でこれから生きていくのか、騒霊とは何なのか―――それらの疑問も忘れて、リリカはレイラの手を取る。

『う……うん!守る、守るよ!!これからはずっと、レイラと一緒にいる!!』

レイラだけでは無い、その横には同じく騒霊として生まれ変わった二人の姉もいる。
プリズムリバー邸に、以前のような―――いや、それ以上の騒がしさが戻った。









騒霊の力は、元となった想いの強さに比例する。
最初は普通に楽器を演奏するだけだった三人も、いつしか様々な楽器を手足のように操る事が出来るようになっていた。
毎日のようにレイラの前で演奏しては、ささやかな拍手を貰う。そんな変わり映えのしない毎日が、本当に楽しかった。
レイラのリクエストで楽器を変え、曲を変え、時には振り付けなんかもしながら、レイラの為だけのライブを連日連夜開催する。
人間では無くなった事に戸惑いを感じながらも、騒霊として生んでくれたレイラに感謝を伝える為、そして何よりも以前のように姉妹仲良く笑って暮らす為に、ひたすらに楽器を駆り、音を奏でる姉妹。

『ちょっとメル姉さん、音外さないでよ』

『うるさいなぁ、リリカこそさっき三回も間違えてた!』

『メル姉さんのばかー!!』

『なによ、リリカのばか!!』

『やめなさい、二人とも。ただでさえ騒々しいのに余計うるさくなる』

『あははは。どっちも上手だよ、お姉さま……人間の時と、本当に変わんないね』

『え、何か言った?レイラ』

『……なんでもない!』

そこには、人間のプリズムリバー四姉妹と同じ構図があった。
本当はバラバラになった筈の姉妹と一緒に、以前のような時間を共有できる事が、彼女達にとってのこの上ない幸せ。
いつしか周りから忘れ去られたレイラと屋敷、そして騒霊三姉妹は、幻想郷へ。それでも尚、彼女達は騒いで、笑って、怒って、泣いて、また笑う。
この幸せが、永遠に続くと思っていた。



―――だが。
騒霊であるルナサにメルラン、そしてリリカは何年経っても生み出された時の、少女の姿を保つ。
だが、人間であるレイラはそうはいかなかった。少女は大人の女性となり、やがて老いていく。
刻々と変化するレイラの姿を見て、姿の変わらぬ三人は胸が締め付けられる思いだった。
しかし、レイラは姿こそ老いても少女だった頃とまるで変わらない。姉達の演奏に、心からのささやかな拍手を贈る。
それがまた、『私の事は気にしないで』というレイラからのメッセージのように思えて、ますます胸が痛かった。
そんな心を楽しい事で塗りつぶし、押し隠すかのように、三人の演奏はますます騒がしく、楽しいものになっていく。
いつ聴いてもパワーを失わないその演奏に、レイラも満足そうに笑っていた。

『お姉さまたちの演奏を聴いてたら、なんだかいつまでも一緒にいられそうなくらい元気になれるんだ』

ある日にレイラが言ったその言葉が現実になるのなら、ルナサもメルランもリリカも、何だってしただろう。



―――騒霊として生まれて、何十年経っただろうか。その日は、ついに訪れる。



『そんな顔しないで、お姉さま』

ベッドに横たわり、力無く笑うレイラの言葉は大分掠れてしまっている。
いつも居間や広間までやって来て演奏を聴いていたレイラだったが、いつしかライブの開催場所はレイラの自室になっていた。
椅子に座って演奏を聴いていた彼女も、ベッドに腰掛けるようになり、やがてベッドで寝たまま演奏を聴くようになった。
そうなっても尚拍手を贈ってくれるレイラなのに、とうとうそれすら出来なくなって、もう起き上がる気力も無くて。
今まさに、その命の灯火が消えようとしている。それは、永い永い命を得た騒霊の三人にもはっきりと分かる。彼女達がかつて人間として暮らしていた事があったからなのかも知れない。

『無理に……決まってるでしょ……!レイラ……』

早くもぼろぼろと涙をこぼし始めるメルランに向けて、レイラはゆっくりと言葉を紡ぐ。

『私の……思い出の中のメルランお姉さまは、いつも……笑ってた。だからね、笑ってほしい。笑って、見送って、ほしいな』

『でも……でもっ!!』

唇を噛みしめるメルランの横で、ルナサがぽつりと呟く。

『……きっと、元の世界にいる人間の私達も……そろそろいなくなってしまうのかしらね。或いは、もう……』

『でも……ルナサお姉さまは、たしかに、ここに、いるよ。騒霊も、人間も、おなじ』

『私は、これからも生き続けるでしょうね。メルランやリリカと一緒に。出来るなら、レイラ……あなたも来て欲しかった』

『ごめん、なさい。お姉さまの、いうことを聞けない、悪い妹だ、よね』

『………』

ルナサは黙って、レイラの頭をそっと撫でる。まだ温かい。
その表情は穏やかな笑み。妹を叱った後に必ず見せる優しい姉の顔。

『……レイラ……』

リリカは彼女の名を呟き、その手を握る。
弱々しくだったが、レイラもその手を握り返した。

『ありがとう、リリカ、お姉さま』

『……ごめんね、レイラ……わ、私、約束、また守れなかった。ずっと一緒にいるって、い、言ったのにぃ……』

とうとう泣き出してしまったリリカの手をもう少し力を込めて握り、レイラは笑った。

『ちがう、よ。今のいままで、お姉さまは、わたしと、いっしょに、いてくれた。もう、じゅうぶん』

『まだ足りないよっ!!私は、もっと、もっと、レイラと一緒にいたいの!ずっと、レイラと笑ってたかった!!』

『わたしも、おんなじ。おねえさま、と、ずっと、いっしょに……』

そこから先は、聞き取れなかった。その目が、ゆっくりと閉じる。リリカは叫んだ。

『レイラ?レイラ!?おねがい、何か言って!!』

『………』

『やだ、そんなのやだっ!!もっと私の妹でいてよ!!』

『………』

『レイラ!!レイラ!!』

『……だいすき』

『―――!!!?』

―――確かに、そう言った。
そして、最期にたった四文字のメッセージを紡いだその唇が動く事は、もう無い。

『……レイラ!!』

『レイラ!?』

『ねぇ、起きてよ!何か言ってよ!!ねぇ、レイラ!!レイラッ!!』

動かない妹の身体に取り縋り、ただその名を呼び続ける三人の騒霊。
リリカの手は、レイラの手を握ったままだった。
彼女の脳裏に浮かぶ、ずっと昔の光景。レイラが生まれたばかりの頃、母親の腕に抱かれた幼いレイラに手を伸ばすリリカ。
まだ言葉も発せぬレイラは、ただその手を握ってくれた。あの小さな手と、同じ温かさ。
その温もりが、まさに今、リリカの手の中で消えていく。









幻想郷に、プリズムリバー家の墓は無い。
だから残された三人の騒霊姉妹は、無縁塚にレイラの墓を建てた。
棺にレイラの亡骸を納め、無縁塚へと運ぶ。穴を掘り、そこへ棺を入れる前に最期の別れ。
その時に、リリカはレイラの顔を見つめて、肩を震わせた。

『……私も、人間のままでいたかったよ……』

レイラの眠ったように穏やかなその顔に、涙の雫がぽたり、と落ちる。

『騒霊として生まれた事を否定するんじゃない。けど、やっぱりレイラと同じ人間として、同じ時間を生きて……一緒に眠りたかったの。
 お墓の中でつきっきりになれば、レイラの身体をずっと私が守れるのに』

リリカはレイラの顔に落ちた雫を拭い、棺の蓋を閉めた。
いつしかの両親と同じように、レイラの身もまた冷たい土の中へ。
真新しい墓石には、レイラの名前が刻まれている。その前で、ただじっと墓を見つめる姉妹。まるで別れを惜しむかのように。
やがて日も暮れ、辺りは暗くなる。そろそろ屋敷に戻ろうかと思って動いたルナサとメルラン。だが、リリカは石になったかのようにそこから動かない。
誰よりもレイラを可愛がっていたのはリリカだという事を知っていた二人は、その最期の別れを邪魔する真似はしなかった。
ただひたすらにリリカの背中を見守る。指一本動かずに立ち尽くして墓を見つめるリリカを、後ろからずっと見ていた。
やがて夜も更け、日付が変わり、丑三つ時も過ぎて、東の空が白みを帯び始めた辺りでようやくリリカは墓に背を向けた。
そこで初めて背を見守っていた姉の姿に気付き、彼女は少し驚いた顔をした。

『待ってくれてたの?』

『当然よ』

事も無げに言ってのけるルナサ。その横でメルランは優しく笑いかける。

『あなたも、レイラと同じ……私たちの大切な、妹なんだからね』

『……ありがとう』

それだけの会話の後、三人は肩を並べて無縁塚から去っていく。











―――その日からだった。リリカが、”レイラ”の名を一切口にしなくなったのは。
ここまでお読み頂きまして、誠に有難う御座います。
もし宜しければ、後編も宜しくお願い致します。
ネコロビヤオキ
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コメント



0.1380簡易評価
18.100感動する程度の能力削除
あなたのプリズムリバーはいつも深くていい話ですね。
後半も期待してますよ。
26.100絶望を司る程度の能力削除
深いな。