神社に結界を集めて状況を語った日の翌日。その朝。薄曇りの空が、少しばかり重めの雰囲気を醸し出していた。
紅魔館の主であるレミリアは、自室で紅茶を啜っていた。その横には、待機を命じられた咲夜が穏やかそうな顔で立っている。
「何も言わないのね」
紅茶を半分程飲み、口を休めながらポツリと呟く。それに僅かばかり咲夜は動揺をしたが、小さな呼吸ですぐに自分を落ち着かせ、沈黙を守る。
「あの後、話を聞いたのでしょう」
判っているのだから、言及は止めない。
昨日一人で帰った時、確かにレミリアは混乱していた。だが、咲夜を連れて帰らなかったのはそれだけではなく、自分よりも冷静に話を聞いて自分に伝えてくれるという運命を、レミリアが既に知っていたからという理由があった。
そんな重々しい問い掛けに、咲夜は小さな震えを押し殺し、平静を保ちながら答える。
「はい」
「咲夜はどう思う。あの話の真偽」
「話が大きすぎて、私には判断しかねます。ですが、全部が嘘というわけではないように思います」
嘘だと思いたいが、嘘だと信じることができない。咲夜もまた、この話を聞いた他の者と同様に、そういう感想を抱いていた。
「何故?」
「こんな突拍子もない嘘をつく理由が判りませんから」
「単にからかって、みんなが騒ぐ様が見たいだけかもしれないわよ」
「そうなのかもしれません」
否定はしない。
そんな咲夜に、レミリアは笑いながら、ふぅと溜め息を吐いた。
「それじゃあ、咲夜。あなたの昨日聞いた話を聞かせてくれるかしら」
「……構わないのですか?」
「えぇ……例え嘘だとして、癇癪を起こして逃げ出したままだなんて恰好が付かないでしょう」
「そうですね。判りました」
平静さを装うことを忘れず、淡々と咲夜は聞いたことを語る。レミリアが、結界として作られたということさえ、出来る限り感情を交えずに。
「……なんともまぁ……」
呆れた顔。
自分の存在について、その悲劇の主人公っぽさにげんなりとしたのだ。
「言葉もないわ」
大きく、そして大袈裟に溜め息を吐いた。
「それでそれを聞いて、咲夜はどう思った?」
「と言いますと?」
「あなたの主は、妹の見た夢。馬鹿らしくなった?」
問われている内容が判らずぽかんとしていたが、意図が判ると、咲夜は破顔して答える。
「まさか」
その安心したような笑みは、仮面ではなく、心からのものであった。
「私は幻想郷に来て、以来ずっと穏やかな夢を見ています。そして私は、その夢から覚める気がありません」
「そう」
それは、予期していた通りの回答。それでも、わざわざ咲夜の口から聞きたかった回答。
レミリアもまた安堵の笑みを浮かべ、息を吐くように口にする。
「馬鹿な人間」
「はい」
判りきっていた回答。けれど、聞かなければレミリアの精神が参ってしまうので、これは大事な会話。判ってはいても、それだけでは不安なこともあるということだろう。
「咲夜。昼食の時に、あなたの聞いたことをパチェ、美鈴、フランの三人に言いなさい」
「……よろしいのですか?」
「構わないわ。それに、あまりこういうことを隠したくないわ」
「承知しました」
その咲夜の礼を見てから、ハッとしてレミリアは言葉を付け加える。
「それから、今日の昼過ぎに博麗神社に行くわ」
作戦の詳しい話を聞かなければならない。そう思ったのだ。そんな言葉に、咲夜は自分も作戦については何も聞いていなかったと思い出し、レミリアの発言に頷く。
「判りました」
「それなら下がりなさい。一人で考えておきたいことがあるから」
「はい。それでは、失礼します」
咲く夜は深々と頭を下げて、その部屋から退出した。
それを見送ってから、レミリアはふぅと息を吐いた。
「……なるほど。そういうこと」
ぼうっと天井を見上げ、片手で目を覆う。
「未来が見えなくなったと思ったけど……納得がいったわ」
ものの運命を辿る内に、やたらと不鮮明になる場所があり、そこより先はほとんど覗くことができなかった。そしてその原因は、つい先日の説明で想像が付いた。けれど、その幻想郷の危機を持って、何故自分の能力が制限されているのかという点はこれっぽっちも理解をすることができていなかった。
だが、今の説明でそれが判った。幻想郷に生み出された自分には、幻想郷が壊れる瀬戸際の運命を見ることができないのだと理解してしまった。
「……まったく。信じたくないのに、証拠が多すぎる」
諦めと、安堵の溜め息を溢す。自分の力の不調の原因が判らなかったことが、実は密かに不安であったのだろう。
だが、今は別の不安もある。
「……フラン」
自分を幽閉した姉。それが幻の存在と知ったら、あれはどうするだろうか。そう思うと、言葉にできない苦い気持ちが湧き上がってきた。
他にも、軽く口にしたものの、パチュリーや美鈴がどう思うのかという点も心配ではある。心配しても仕方がないし、二人は大丈夫だと思いながら、それでも不安が積もる。
レミリアはその自分の不安を嗤う。
「運命が見えづらくなるだけで、随分と臆病じゃない」
その自分に対する嘲りで、胸の奥にプライドを灯す。
自分自身を取り戻すため、レミリアは改めてニッと笑みを浮かべた。
「私は、紅魔館の主。誇り高き吸血鬼。例えどんなことがあろうと、この胸の誇りだけは歪まない」
自らに刻む誓い。その表情は、酷く孤高なものであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
しばらく時間の経った昼食の時。食事の終わったタイミングを見計らい、咲夜はその場にいた全員に話を始める。
その場にいた者は、レミリアと咲夜の他に、図書館の主・パチュリー=ノーレッジ、レミリアの妹・フランドール=スカーレット、紅魔館の門番・紅美鈴を加えた五名であった。
咲夜の話に、深刻な気配を感じたパチュリーと美鈴は、始終何も口を挟むことなく聞き続けていた。フランドールは、やや退屈そうに、一応は話を聞いていた。
その雰囲気も、レミリアが自分についてを語ると、激しく変化を向かえる。
パチュリーは僅かに目を見開き、美鈴は唖然とする。そして、フランドールは驚きの表情で固まり、その表情から血の気を失っていった。
話を聞き終えると、重い沈黙が漂う。
「……そう」
落ち着いたまま、けれどどこか感情の落としどころを思案するようにパチュリーは目線を逸らしながら呟く。
「あははは……」
反応を思い付かない美鈴は、渇いた声で笑う。
そんな中で、レミリアが最も反応を気にしてたフランドールは、ポツリと言葉を溢す。
「……嘘」
小さな音。それが少しずつ増え、水滴は雨となり、激流へと変わる。
「嘘っ! そんなの嘘っ! つまらない、くだらない、馬鹿みたいな嘘っ!」
今度は、怒気を孕む叫び声が上がった。
「……フラン?」
「聞こえない、何にも聞こえないからっ! そんなの聞こえない!」
そう叫ぶと、フランは窓から飛び出してしまった。
「フラン!」
レミリアは思わず立ち上がり叫ぶが、その時には既にフランドールはほとんど見えなくなってしまっていた。
少しの間立ち尽くし、静かにレミリアは席に座り直す。
「追わなくて良いの、レミィ?」
「……帰ってくるっていう運命が見えるのよ。過程はまったく判らないけど……まったく、ぼやけて結果しか見えないなんて」
「見えるだけマシだと思いなさいよ」
そう口にしてから、パチュリーは立ち上がり、レミリアの側に近寄っていく。
「レミィ。私はあなたの友ね?」
「それの確認は卑怯よパチェ。私を心労で殺すつもり?」
「それで殺せたら面白いのに」
「酷い友もいたものだわ」
揃ってクスクスと笑うと、パチュリーは満足そうな笑顔を浮かべつつ、図書館へと向かっていった。また一つ安心をして、レミリアは無意識に溜め息を吐く。
フランドールとパチュリーはこの部屋を出て行き、食器の片付けで咲夜はいない。今この場には、レミリアと美鈴だけが残っていた。
レミリアは美鈴が何かを言うのを待っている。美鈴は自分の気持ちの整理がつかず沈黙を守っている。しかし、この時間が過ぎれば、咲夜が戻ってきてしまう。そう思うと、美鈴は腹を括ってレミリアの元へと歩み寄る。座っているレミリアを、立っている美鈴が見下ろす形となった。
「何かしら、美鈴」
声を掛けられることは判っていたというのに、不意に気付いたような言葉を返す。
「レミリア様。先程の話なんですが」
「ん?」
「戦うこととなると仰いましたけど、その敵は強いのですか?」
その問いに、レミリアは僅かに首を傾げる。敵について詳しくは知らないのだ。それはレミリアに限らず、幻想郷にいる全員にとって、それは未知の敵なのである。
「さて。ただ、霊夢や九尾の狐が青い顔してバタバタとしているのだから……優しい相手ではないでしょうね」
笑みを浮かべ、それならあなたはどうするの、と、レミリアは意地悪げに美鈴を見上げる。
「そうですか」
返事を聞いて、美鈴は大きく深呼吸をする。そして、拳を固く握った。
「……レミリア様。勝手を、お許し頂きたいのですが」
「内容にもよるわよ。それは、どんな勝手なのかしら」
深く頭を下げながら、重々しく告げる。
「しばらくの間……門を空けさせてください」
美鈴の決意。自分の選んだ道を、真っ直ぐに伝える。
二人の間に、少しの沈黙が空気を重くした。そして、その空気を破るように、レミリアが口を開く。
「そう……判ったわ。どこへなりと、自由に行きなさい」
「……ありがとうございます」
深く頭を下げると、美鈴はもうレミリアに振り返ることはなく、そこを退出する。
この後、美鈴は紅魔館を出た。誰にも行き先を告げることはなく、一人静かに。
その後の行方は、知れない。
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一方、紅魔館を飛び出したフランドールは、頭を押さえ、聞いた話を振り払うように出鱈目に飛び回っていた。
「お姉様が幻なんて、有り得ない……有り得ない、有り得ない……」
頭が内側から壊れてしまうように痛い。
「なんなのよ、この! 鬱陶しいの! 痛いの!」
やがてフランは頭痛に耐えられなくなり、失速して花畑へと落下した。
そこでゴロゴロと転がるが、頭の痛みは一向に引かず、むしろその痛みを増していった。
すると、目の前に人影が映る。
「……え?」
しかし、誰もいない。その人影は、フランドールの記憶の中の人物であった。それが鮮明に甦り、まるで目で見ているような錯覚を憶えたのだ。
その記憶が、少しずつ再生されていく。その様子に、フランドールの顔は引き攣っていく。
「だ、駄目ぇ、それ、駄目……」
内容を憶えてはいないというのに、見てはいけないことは憶えている。
「や、やめて! それは見せないで! 見たくないの!」
目の前に映し出される、目を塞ぎ続けた現実。忘れようとしていた過去。
そこに映っていたのは、今より僅か成長して見える、在りし日のレミリアであった。
今から百年近く昔の夜。それは、決別の日の光景。
「フラン」
それは、誰よりも妹を愛した姉。吸血鬼らしく誇りと意地だけは高かったが、いつまでも幼い妹に対しては、自分と同じものであるかのように優しく接していた。
しかしその態度が、妹には気に入らなかった。
『いつも威張って、そんなに偉くないくせに』
『私のやること横取りして。あいつ嫌い』
『何もやらせてくれない。私の方が強いもんだから、嫉妬しているのよ』
『いつもベタベタして、鬱陶しい』
それが、悲しいかな、愛した妹からの評価であった。
その二人は今、幻想郷という場所に訪れていた。これはレミリアの提案であり、心の幼い妹を悲しませない土地を探しての旅であった。
そして、吸血鬼異変という争いに、二人は巻き込まれた。
襲い来る吸血鬼と、その配下。それを、死に物狂いでレミリアは迎え撃った。フランドールも戦うといったが、それは止め、自分だけで戦い続けた。
だが、そんなある日、とうとう我慢の限界が来たのだろう、フランドールは戦場に躍り出た。
姉を見返したかった。自分の方が優れていると見せつけたかった。
そして何より、姉に褒めてもらいたかった。
結果は、無惨なものとなる。誰よりも強い力を持つフランドールではあったが、戦闘経験のないことが災いし、相手の行動の先が読めない。また、力の制御が利かず、力が自分の内側を焼いてしまう。
それと見るや、敵はフランドールを襲い始める。事態に気付いたレミリアはすぐにそれに気付き、フランドールの周囲の敵をあっという間に蹴散らしていく。
助かったという思いと、悔しいという思い。それが、フランドールの中で渦を巻いていく。
渦巻く感情を持ったまま、傷だらけのフランドールは姉の戦いを見続けていた。
それからしばらくして、敵の吸血鬼はその配下のほぼ全てを失った。また、レミリアとの戦闘でその吸血鬼も満身創痍となっている。
数に苦戦はしたが、実力では圧倒的だった。
つまらないなぁ、と、安堵混じりにフランドールは思う。と、そんな時に、レミリアに吸血鬼が弾かれる。それを見て、横から美味しいところを奪ってしまえという悪戯心が湧き、フランドールは相手へと狙いを定めて槍を生み出す。
これが、間違いだった。敵の吸血鬼が、その力の流れでフランドールの存在に気付き、道連れにと、魔力で生み出した矢を番え狙いを定めてしまったのだ。
敵の吸血鬼は、レミリアを狙うと見せかけてフランドールを狙う。それを察するには、フランドールは未熟すぎた。そしてそれを察せるほどに、レミリアは鋭敏すぎた。
気付いた時に、レミリアは二人の間に割り込んでいた。
魔力で生み出された武器が飛び交う。
「……えっ?」
フランドールの口から漏れる、間の抜けた呟き。
突如目の前に現れた姉。相手の矢を魔力で打ち消し、自分を守った姉。
「え、嘘……」
そして、その姉を貫いた、自分の槍。
フランの投げた槍は、相対していた敵と共に、眼前のレミリアの胸を貫いていた。妹を守ることに夢中になって、敵の魔力を相殺することしか考えつかなかったのだ。その結果、相手の魔力を受け止めたものの、後から向かってくる魔力には無防備となってしまっていた。
敵の吸血鬼の心臓を槍は見事に捕らえ、敵は中空で灰と散って消え去っていく。だがそれが、これからのレミリアの未来を示すように見え、フランドールは青ざめていく。
「お、お姉様……」
声が震える。恐る恐る近寄ってみると、レミリアはまだ呼吸をしていた。
様々な恐怖が押し寄せて、フランドールは全身が震えてしまい、声さえ続かない。
「フラン」
と、突然の優しい声。虚ろなレミリアの目が、フランドールを捉えていた。その声と目に、フランドールはビクリと身を震わせる。
嫌われる。そう思った。
「……大丈夫、みたいね」
しかし、耳に届いた言葉は罵声ではなかった。
数多い傷での血まみれの顔で、苦痛と疲労で表情さえ浮かびきらない顔で、無理に笑顔を作り、レミリアは言う。
「……良かった」
それは心からの安堵。
そして同時に、それがレミリアの発した最後の言葉となった。
「な、なんで……何も良くないよ、お姉様」
近寄って、顔を覗き込む。その顔は安らかな笑顔であった。
「……う、嘘……嘘っ!」
見下ろしたまま、目の前の現実を否定する。
「嘘なんでしょ! お姉様が私より弱いわけないじゃない!」
だが、そう口にしても、触れてしまえば自分を誤魔化せなかった。レミリアは灰となり、フランドールの手の中でさらさらと崩れていった。
フランドールの力は強い。満身創痍であったというハンディを除いたとしても、夜の吸血鬼を完全に殺し切ってしまうほど圧倒的な力を持っている。
「あ、あぁ……」
揺れる気持ちが温度を失っていく。
憧れていたから妬ましかった。大好きだから憎かった。全部、裏返しの感情だった。好きという感情が大きすぎて、小さな悪感情しか理解できていなかったのだ。
「や、やだぁ……」
しかし、心は頭の理解がなくても、感情の本質を理解している。レミリアの死に、フランドールの心が受けた傷はあまりにも大きかった。
ヒビだらけだったフランドールの心は、崩れるように、壊れてしまった。
「あぁぁぁぁぁ!」
一番大事な人を、自分の手で壊してしまったその瞬間に。
この時、その力を危険と、その心を憐れと見た結界は、姉であるレミリアを結界として蘇生させることを決めた。その荒れる力の制御と、悲劇に対する慈悲とを重ねて。
フランドールの見てきた、傲慢な姉。自分を閉じ込める姉。本当は情けない奴なんだと決めつけていた姉。そして、誰より優しく、誰より強いと信じていた姉。その形を基礎として、死んだレミリアの魂を内に込める。こうして、結界は新たなレミリアを生み出した。
レミリアを殺した過去を、フランドールは思い出してしまった。自分の理性が封じ込めた、最大の傷。苦痛で脳が裂けてしまいそうな、そんな記憶。
「お、お姉、さま……ご、ごめん、ごめんなさい……あぁ、ごめんなさい……!」
涙が溢れ、口から謝罪が漏れる。自分を自分が許せないから、謝ることを止められない。
視界が霞んでいく。衝撃で、前さえ見えなくなっていく。
「……おねぇ、さ、ま」
そう呟くと、フランドールは意識を失い、花畑の中に落ちていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
迷いの竹林を抜け、その奥にひっそりと置かれる永遠亭。
永琳は、そこの自室で些細な引っかかりを呑み込もうとしていた。
「……半結界」
それは、紫の記した言葉。自分と慧音を括った、説明のない言葉。
何かある。そう思うが、どうにも解けない。絡まった糸というよりは、結び目のない糸の結び目を解けと言われるような、禅問答に似た何か。
かれこれ、考え続けて長い時間が経っている。戦いも近いというのに、思考を裂く時間を長すぎてモヤモヤする。
「……こうなることも、織り込み済みだったりするのかしらね」
薄く笑い、頬を掻く。
思考を中断して、数日前、初めて自分が結界だと聞かされた日の晩のことを思い返す。ちょっとした脳の休憩であった。
自分と幻想郷についてのことを、永琳は蓬莱山輝夜に語った。無論その場には、鈴仙=優曇華院=イナバと因幡てゐもおり、屋敷を動かす全員に語ったと言って過言ではないだろう。
鈴仙とてゐは驚いたが、輝夜はそれほど驚いた様子を見せなかった。そして、一言。
「そう。それは大変ね」
それは、まるで他人事。
けれど、輝夜といえど住まう者。我が家の危機なら、立たぬわけにはいかない。
「いいわ。少しばかり悔しいけれど、その大妖怪の計画、乗ってあげましょう」
その言葉で締め括る。後には何も続かない。
「承知しました。その様に伝えておきましょう」
そう言うと、気軽そうに立ち上がって永琳は退出をする。唖然としてから、鈴仙は自らの師を追った。
てゐはと言えば、ポカーンとした表情を戻し、輝夜に向き直る。
ここより先の会話は、永琳は知らぬ過去である。
「……結界云々って話は、どうでも良いのですか?」
「別に、興味ないわ」
嘘はない。それが、てゐにはしっかりと判る。
「だって、永琳様にも関係してるんでしょ」
てゐは、幻想郷で長く暮らしている。だから、幻想郷がどうにかなると聞けば穏やかな気持ちではない。ただそれにしても、鈴仙にしろてゐにしろ、最も気になるところはそこの一点であった。
「確かに、結界だかに私の永琳を勝手に組み込まれた、っていうのは面白い話じゃないわね。でも、大名が将軍に妻子を人質に差し出すことを思えば、側にいるだけマシでしょう」
遠い目をしながら、嘲るでもなく、悲しむでもなく、ただそんな現実を例え話に変えて口から溢す。
「……例えにしても、時代が古すぎ」
そんなてゐの言葉を気にした様子はなく、輝夜はふぅと笑う。
「まぁ、さっきも言ったけど、面白くはないわ」
その顔に、期待と興奮と些細な苛立ちとを混ぜ合わせて。
「だから精々、大暴れするわよ」
清々しく、無邪気に笑う。
そんな日から、今日まで。永琳と輝夜は、ろくに結界云々について語ることはなかった。お互いに語る必要を感じていないのである。時折話すのは計画の進捗状況くらいなものだ。
「さて……私と慧音が戦えないというのが、少し戦力的に余裕のない所ね」
輝夜、鈴仙、てゐとてゐ率いる兎たち。未知の相手と定まらない時間対峙するにしては、少しばかり不安が勝った。いくら輝夜が強力であっても、その不安は拭いきれなかった。
「せめて、私や慧音が少しでも戦えたなら」
そんな風にぼうっと考え事をしていると、ふと、永琳の頭にある予感じみた考えが浮かぶ。
「えっ」
それはただの思いつきで、考え抜いたものでさえない。だというのに、それは不思議と、強い確信を孕んでいた。
「半結界……まさか」
それは、想像を絶する答え。
「私や慧音は、少しくらい戦うことができる、ってこと」
それは、紫の書に書かれていなかったこと。戦えると書かれていたのは、萃香と幽香の二人だけであった。
けれど、それならば何故「半結界」と記されていたのか。霊を基にしたレミリアたちも、天狗の子として生まれた文たちさえも半結界ではない。幻想郷で、ある日突然結界に変えられた者のみが半結界。
この単語は、ただそれだけの意味かも知れない。けれど、何故だろうか。今の永琳にはその単語の違和感が鮮明に見える。なくても良く、ある割には説明のない浮いた単語。
その、あるくせに意味をあまり持たない単語。些細な違和。何かを隠している、その一欠片。恐らくは意図して書かれた、鋭敏な者にしか判らないメッセージ。
その違和感が、ふと流れるように頭に入る。他の者と決定的に違う、力の後付という点。もしかすると、後付の力は外の世界の力に弱くとも、本来持っていた力は、影響を受けないのではないか、という答え。
つまり、それは、八雲紫が何の意味もない嘘をついたということ。
その思いつきと共に、額を汗が伝う。
「まさか、有り得ないわよね……私が思い付くことまで予知したっていうことじゃない」
足下がなくなるような浮遊感。一瞬だけ、永琳は紫に恐怖をした。
けれど、深い呼吸で自分を落ち着かせると、表情は普段の色を取り戻す。
「もしもそうなら……惜しいわ。一度くらい、あなたとお茶が飲みたかった」
吹き込む風を受け、前髪を揺らす。
「そうすれば、さぞ苦いお茶が飲めたでしょうに」
どこか遠い月を眺め、永琳は呟いた。心の底より、惜しいという思いを響かせながら。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
永遠亭のその一方で、鈴仙は落ち着かない気持ちを持て余していた。
話を聞いたあの日、後を追ったはいいものの、何と声を掛ければ良いのか判らず、結局振り返った永琳に何も言えぬままだった。
沈黙し、自分の手の中にあるものを見詰める。
大きく重い、一挺の拳銃。ごつく、威圧感のあるそれを、鈴仙はギュッと握り締める。永琳の結界云々という話が紫に関係すると判っているから、この武器に関して、言うことを躊躇っていた。
霖之助にもらった紫からの贈り物。それは、どれも巨大な三挺の拳銃であった。それも、全て鈴仙用に改造された、特製の銃。鈴仙が生み出した弾丸を込め、射出することのできるリボルバー式のそれを、鈴仙は両手に持ち、残る一つを腰に差して、今は竹林を飛び回っている。
全てが重く、飛び回るだけでバランスを崩す。両手で持つことさえ腕が震えるというのに、それを片手で振り回し、弾丸を撃たねばならない。重さからすれば、大の大人だってそんなことは難しい代物なのだろうに。
「くっ」
試しに引き金を引くが、狙いは大きく外れる。火薬などを使っていないからか、反動はほとんどない。ただ、やはり重さという点で調整が利かない。また、弾丸を一発撃つだけで、力が随分奪われてしまう。連射なんて以ての外だろう。
「……こんなものが、本当に使えるの?」
威力は強く、確かに役に立つ。ただし、短期間で使いこなせる自信はなかった。
限界まで肉体を行使し、自分の作った薬で回復をする。その繰り返しをする他ない。鈴仙は、見えない理想を追い、今はただ孤独に自らを鍛えていく。
自分の師とこの幻想郷を失いたくないという、強く弱い気持ちを糧に。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ところ変わって博麗神社。
縁側に腰を下ろす魔理沙に萃香。そして、そこから見える位置で、何やら儀式をおこなっている霊夢と藍。
「まったく、水くさい話だぜ」
むすっとした顔で文句を垂れるのは、昨日初めて事情を聞いた魔理沙である。
「話を聞けば、もうちょっと前から判ってたみたいじゃないか。酷いぜ、内緒にしてるなんて」
それは、既に一時間にわたって朝から言い続けられている愚痴。
「悪かったって。でも、こっちにも色々あったのよ」
霊夢も言葉を返すが。
「あの鍋囲んだ時には判ってたんだろ」
「うっ」
分が悪い。
言わなかったことに対して、言いたくない思いという引け目があり、強く出られないのだ。
「まぁいいけどさ。もうちょっと私のことも頼りにしてくれよな」
拗ねながら、口を尖らせて愚痴を終わらせる。魔理沙にとって、大事件を秘密にされたということ以上に、自分が最初に頼ってもらえなかったということが悔しかったのである。
「判ったわよ」
その言葉に、魔理沙は帳消しだとばかりにニッと笑う。
しかし、まだ隠している結界についての思いがあるからか、霊夢は少し罪悪感を覚えた。
「で、霊夢は今、何をやろうとしてるの?」
縁側から身を乗り出しつつ、茶を啜っていた萃香が訊ねてきた。
「結界についての情報を、直接頭に流し込むっていう作業」
「霊夢が結界についての修行をサボってたから、一気に知識を刻み込むんだ」
呆れた顔の藍。ちょっと不満そうな霊夢。
不満そうな理由は、紫の書に、最初からろくに知識がない前提での方法が載っていたからである。実に自業自得なわけなのだが、それでも不満は覚える。
「なんだ、勉強してないのに覚えられるってことか? 便利だな、それ」
それが何か羨ましいのか、魔理沙は目を輝かせる。
「面倒だし、キツイらしいけどね」
「学ぶことを怠ったお前が悪いんだ」
そんな会話を続けながら、二人は着々と準備を進めていく。
しばらくすると、二人の目の前に光の球体が生み出された。
「「おぉ」」
萃香と魔理沙が縁側に座ったままで驚きの声を上げる。
その球体が、幻想郷結界の中心。情報と式の塊である。これから、ここにある情報を霊夢の脳に刻み写す作業となる。
「しっかり、やり方は目を通したな?」
「えぇ」
「痛みを感じたら、すぐに止めろよ」
「判ってるって」
そう短く言葉を交わしてから、霊夢はその球体に右手を伸ばす。
触れる寸前、ピリッと電気が走る。だがゆっくりと触れていくと、まるでそれは柔らかな毛のように、静かに霊夢の手を包んでいった。
指先から、甲、肘、肩と、徐々に何かが上ってくるのを感じる。
「くっ」
やがてそれが首と来ると、次の瞬間には頭に届く。
次の瞬間、霊夢は全身が震えた。
「あぁぁああああぁああ!」
頭の中が弾けるような感覚。
「霊夢っ!?」
「お、おい、大丈夫なのか、あれ!?」
「私に判るわけないでしょ!」
霊夢のそれは、悲鳴に近かった。
痛く、焼けるように熱い。だが、それは徐々に治まっていき、霊夢はなんとか三人に言葉を返す。
「だ、だいよう、ぶ……よ!」
そうは言ったものの、意識や記憶が一瞬毎に乱れ、自我を保つのさえ精一杯な状況だった。
「おい、霊夢、無理はするなよ」
藍が心配をする。だが、霊夢はもう少し、この痛みが緩和するところまでやってしまいたく思えた。時間と共に痛みが引くようだから、大丈夫だと思ったのだ。
「もう、少し……」
そう口にしたかと思うと、プシュッと小さな音がして、霊夢の鼻と目から血が噴き出る。
「「「いっ!?」」」
その光景に、顔を歪ませる三人。
「……れっ?」
一方で、当事者は意識が飛びかけていた。
痛みが引けていくなどというのは、ただの誤解。痛みが激しすぎて、脳が麻痺していっていただけだったのだ。
三人の中で真っ先に飛び出した藍は、霊夢に飛び掛かり、強引に光の球体から霊夢の体を引き離す。
「かっ!」
霊夢は、頭に繋がっていた何かを、強引に引き抜かれた感覚を覚えた。
それから、勢い余ってゴロゴロと境内を転がってから、霊夢はのそりと体を起こして身目をひらいた。
「ら、らりすんのよ……あぁ、頭が外れるかと思ったじゃない」
すると、目の前にのし掛かるような位置から霊夢を睨みつける藍がいた。また、魔理沙と萃香も駆け寄ってくる。
「馬鹿かお前は! 死んだらどうすんだ!」
「大丈夫か霊夢!」
「霊夢、しっかり!」
駆け寄った三人は、それぞれ一様に目に涙を浮かべていた。
「……あ、頭が焼け付くみたいに、痺れる」
感電でもしたような
「頭の中に直接情報を刻み込んでるんだ! 無理したら中身が壊れるに決まってるだろ! 痛みを感じたら止めろって言っただろう!」
藍は半狂乱であった。それもそのはずで、霊夢は紫が残した幻想郷を守る計画の最重要人物なのだ。もしもまかり間違って霊夢が死ねば、紫の消滅は完全に意味を失ってしまう。
「わ、悪かったわよ」
「いや、勘弁ならない! いいか、お前は良く自分の立場を理解しろ!」
その後、傷の治療を受けながら、涙目の藍からの支離滅裂な説教を延々と霊夢は聞かされることとなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日の午後。
境内にはレミリア、咲夜、永琳、にとり、文、慧音、幽香、神奈子、そして幽々子代理の妖夢がの九人が新たに加わり、計十三人が集まっていた。
レミリアが訪れることに驚いた者はほとんどいない。そんな全員の顔を見て、レミリアは胸を張って言葉を口にする。
「昨日は無様を見せたわね」
それは、謝罪でもなんでもない言葉。ただし、冷静に考えて参加をするという、決意を遠回しにまとめた言葉であった。
この後、全員が揃い腰を下ろすと、霊夢と藍は言わねばらないことを言おうとする。
「あ、あのだな」
「計画の実行する日が判ったわ」
その言葉に、全員が二人の方を見る。そんな全員の目線から、言い辛そうに目を背けながら、霊夢と藍はお互い目線を交差させる。そして、覚悟を決めてから口を開いた。
「「……次の、満月の夕刻」」
一字一句ずれない二重奏。
そこに集った者はすぐにそれを計算する。そして、それの意味するところを知ると、幽香を除く全員が、血の気と表情を失った顔になった。そして。
「「「「「「「「「はぁぁぁ!?」」」」」」」」」
の大合唱。
なお、合唱は永琳と幽香の二人だけが参加していなかった。
驚きと苛立ち混じりの声が響く。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! それってそれって今日を含めてあと五日じゃない!」
「なんでそんなに近いんだ!」
「なんでそんなことを今更になって言うんだ!」
狂乱が起こった。
その驚きや苛立ちなら、私たちだって感じた。そしてそれをぶつける相手は私たちじゃない。そんなことを思い、また時折苛立たしげに口にする霊夢と藍であった。
全員が落ち着くまでに、これからおよそ十分という時間が必要となったが、その間に霊夢と藍とが叫んだ回数は、およそ二桁に上ったという。
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神社での狂乱騒ぎが収まった後、いち早く神社を後にした幽香は、他の全員とはかけ離れて気楽そうに、のんびりと道を歩いていた。
自分には関係がない、というような思いはない。ただ、楽しみだった。全力で暴れられそうな事態が、ただただ楽しみだった。
そんなうきうきとした帰路で、ふと、幽香は珍しいものを見つけた。
「あら?」
それは、吸血鬼であった。花畑で、花を日陰にして倒れ込んでいる。
「これは珍しい落とし物ね。誰が落としたのかしら」
ひょいっと、すぐに吸血鬼、フランドールの傍に寄った。
その気配に、ハッとフランドールが目を覚ます。
「え、ここ、どこ?」
身を起こし、周囲を見渡して戸惑う。
ここに至るまでの記憶を、フランドールは大半失っていた。
「目元が真っ赤ね。泣いてたの?」
その声に、フランドールは始めて幽香に気付く。誰だろうと思ったが、それは聞かず、心細げに首を捻る。
「判らない……なんか、悲しい夢は見た気がするけど」
「そう」
呟いてから、フランドールはハッとする。こんな所にいては、レミリアに怒られると思ったのだ。
「私、帰らないと」
「吸血鬼が、こんな日差しの強い昼間に?」
既に空の雲は流れ、温かい日差しが差し込んでいた。
「あ、あう……」
現在は、幽香の傘の下にいる。だからこそ無事なのであって、そうでなければ、晴れのの昼の日差しで灰になりかねない。
困った顔でおろおろとしていると、幽香は溜め息を吐いて、自分の傘を差しだした。
「この傘を貸してあげるわ」
「え?」
フランドールは、条件反射でそれを受け取る。
「あ……ありがとう」
「どういたしまして」
フランドールはジッとその傘と幽香を交互に眺めてから、すくっと立ち上がり、小さく礼をすると、バサリと飛び去っていった。
それが小さくなるまで見送ってから、幽香はふと気付く。あの傘を、返してもらうにはどうしたら良いのかと。
「あ、住み処聞きそびれた……あー、でも、十中八九あの館の吸血鬼よね」
あの館。計画当日に匿われることになる、レミリアの住む館。
それに気付くと、急いて受け取りに行く必要もないと思い、幽香はまたのんびりとした笑顔を作る。
「あぁ、あと五日……寝て待ったら、すぐかしらね」
事態を知る者の内で最も緊張感のない妖怪は、横になって眠りに就いたのであった。
現在の布陣案
・博麗神社 霊夢、萃香 藍
・白玉楼 幽々子、幽香 妖夢、神奈子
・永遠亭 永琳、慧音 輝夜、鈴仙、てゐ
・妖怪の山 文、にとり 早苗、諏訪子
・紅魔館 レミリア 咲夜、美鈴、パチュリー、フランドール
・人の里 妹紅、魔理沙、アリス
ただ、投稿の間隔がかなり長くなっていますので、以前の投稿分を思い出す事ができず、再び「初風」から読み直さざるを得ないと言う事がとても焦れったく感じられました。話自体は凄く面白い内容であるだけに、その部分が少し惜しいと思いました。
また、あとがきで「もっと端折って書くべきでしょうか」とありましたが、それは端折る必要は無いと思われます。まず、基本的に新設定が加わるお話は多少なりとも「東方」の世界から離れてしまい、読み手に違和感を与えてしまいます。けれど、その新設定がしっかりと説明され、それがキャラクター達に受け入れられていく過程がしっかりと描写されていれば、読む側としては、その新設定も納得して受け入れ、楽しむことが出来ます。特にこのお話は、この「新設定」を元にキャラクター達が行動を起こす部分が特別面白い部分ですので、それに関しては、出来るだけ詳しく描写されていった方がいいかと思われます。
なるほど。確かに、オリジナルの設定を中心とした物語ですからね。端折って読みやすくなどと考えましたが、考えを改めます。これからも読みにくくは成りすぎぬ程度に、判りやすく細かな描写を心掛けることにします。
間隔は……どうにか、一週間に一作を目安に頑張らせていただきます。
まことに、ありがとうございました。
長編の方はひょっとしたらもう書かないのかな・・・?と焦れかけていた所で続きを読むことが出来て上手いと思ったり。この~と思ったり。
続き期待しております。
とのことですので独自設定?いまさら何を。といった感じですかね。
まぁ、もともとの設定を著しく歪ませたり、自分で作った設定に矛盾していたら文句も言いますが、一読したところは一応そういうところはないように見受けられます。
安心して細やかに書いていってくださいませ。
フランちゃんが狂ったのはレミリアお姉さまを殺しちゃったのが理由ってことでしょうか。
そうならやさしいフランちゃんかわいいようふふ。
他の作品が千点越えるのも嬉しいですが、幻想ノ風にコメントがついて五百点を越えるととても嬉しいです……
続き頑張ります。
>フランちゃんが狂ったのはレミリアお姉さまを殺しちゃったのが理由ってことでしょうか。
その通りです。
投稿する前に、これで読者が減ったらどうしようと不安だった設定ですので、喜んでいただけて幸いです。