Coolier - 新生・東方創想話

木金跋扈

2009/03/30 01:42:13
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 木は金に非ず、金は木に非ず。
 至極当然の理とて、実感を伴わなければ絵に描いた餅。所詮、食べた気になっているに過ぎず、餅米の味を問われればすぐさま言葉に詰まるような脆弱な自信なのだ。揺れていいのは柳と船だけで、人の心が度々揺れることは好ましくない。
 ならば、自分は実感しているのか。餅の味ではなく、至極当然の理を。
 姿無き者からの問いかけに、椛は是と返す。
 己が握る鉄の武器と、妖夢が握る木の武器。眺めるだけでは実感できずとも、死線の中にあってはいやが上にも感じ取れる。
 真の達人は拳を合わせる前に相手の実力を悟ると言うが、椛はまだまだその域には達せていない。とはいえ一武人であることに変わりはなく、真剣勝負の場に入ってしまえば未熟だからと胡座を掻くわけにもいかぬのだ。
 やらねば死ぬ世界。生きたいのならやるしかない。
 我が武器は言うに及ばず、握らずとも妖夢の武器も実感できる。射程、威力、果ては握り心地まで頭の中に浮かび上がった。
 それで打たれれば、いかほどの痛みを感じるのかも察する。もっとも、答え合わせに挑むつもりなどない。よしんばそれが正解だったとしても、得られるのは賞賛ではなく痣と痛覚、それと文の呆れた溜息だろうか。
 半歩、後ろに下がる。鼻先を妖夢の武器を掠めていった。容赦の欠片も見あたらない振り筋で、相手が真剣なのだと改めて分かる。無論、椛とて真剣だ。手を抜く道理はどこにも見あたらず、手心を加える余地などない。
 隙あらば、いつだって切り込む覚悟はあった。先程から攻撃の手を休めている椛だったが、戦意喪失しているわけではなく、虎視眈々と反撃の機会を窺っていたのだ。文もそれを理解しているからこそ、いまだに何も言ってこない。
 相手の主でもある西行寺幽々子とて、それは理解の範疇だろう。だとすれば、あるいは妖夢も察しているのか。反撃を微塵を恐れぬ攻めの姿勢は、相手を攻撃さすまいという気持ちの裏返しではないか。
 ならばこそ、そこに勝機は生まれる。人とて半妖とて天狗とて、いずれ疲れて動きが鈍る。反撃さすまいという猛攻ならば、尚更その時機は早くなる。椛が狙うとすれば、ただその一点。妖夢の動きが鈍った瞬間。
 刹那か弾指か虚空か知らぬが、生まれた隙は逃すまい。
 半歩下がって横薙をかわし、身体を捻って縦薙を避ける。今はまだ、攻撃が空しく終わっても間髪入れずに攻撃を続けているが、それもいつまで保つことか。
 願わくば、己の体力が尽きる前であって欲しい。
 妖夢の動きが鈍るのと同様、椛の動きもどんどん鈍っていくのだから。










 主の言葉は天の御言葉。叶える叶えないは別としても、聞き逃すことはまかりならぬ。
 かつて残してくれた祖父の言葉であったが、その効力も時間が経つにつれ薄れてきたのか、思わず聞き流そうとしてしまう。妖夢の反応が芳しくなった為に、幽々子は同じ言葉をもう一度繰り返した。
「妖夢、ちょっと天狗と戦ってきなさい」
 ちょっととは、気軽な意味で使われる単語だ。ちょっとそこまで、それならちょっとだけ等。間違っても、幻想郷で上位に入る種族と戦って来いなどという命令に付随されるような単語ではない。
 よっぽど聞き間違いかと思ったが、幽々子が不思議そうな顔でこちらを見ているあたり、やはり先程の発言は夢幻ではないのだろう。気が重い。
 包丁をまな板の上に置き、野菜達に今一度の猶予を与える。
「幽々子様、おっしゃってる意味が分かりません」
「あら、悪いのは耳かしら? それとも頭?」
 不機嫌な感情を隠そうともせず、鼻尻に皺を寄せて睨み付ける。どれほど殺気を込めたところで、雲々とした主に通用しない事は百も承知だが、それでもやらねばならぬ時がこの世にはあるのだ。案の定、何の圧力も感じさせぬ表情で幽々子は口元を扇で隠しながら告げる。
「睨んでも駄目、もう約束してしまったんだもの。今更断ることなんて、あちらも許さないでしょうしね」
「私の許可もなく、勝手に勝負を申し込まれたんですね」
「挑んできたのはあっちの方よ。庭師の戦う姿が見たいとか何とかで」
 山の天狗なら何度か会ったことはあるが、あまり気が合いそうにない相手だったのは覚えている。嫌がらせの類かと邪推してしまうが、おそらくは本当に取材がしたいだけなのだろう。
 だからこそ気が進まないわけで、天狗がこの場にいない今、恨むべき相手は我が主しかいない。
「私は戦いません」
「他流試合は良い経験になると思うわよ。もっとも、挑む以上は負けが許されない相手でしょうけど」
 幽々子の物言いに首を傾げる。文の実力がどれほどの物か未だに計りかねるものの、全力を出せば勝てるかどうか賭けになってしまう相手だ。それと負けが許されぬとは、些か厳しい話である。
 いつのまに盗んだのだろう。夕食になるはずだった茄子の浅漬けを摘み、口に放り投げながてから説明を続ける。
「相手は犬走椛よ」
 知らぬ名ではない。確か妖怪の山で哨戒をやっている天狗だったと記憶している。
 妖怪の山とはとんと縁が無いけれど、何度か文に付き従って取材に訪れたことがあったのだ。どうして哨戒天狗が取材を手伝っているのか、気になって質問したことはあれど答えが返ったきた事は一度もない。人に訊くのは遠慮無しの癖に、自分に対する質問ははぐらすのだからタチが悪いものである。
 天狗の秘匿主義ゆえか、椛の実力が如何ほどのものかは分からない。だが、少なくとも文よりも強いという事はないだろう。それほどの実力の持ち主が哨戒という任務に収まっているとは、到底考えることができなかった。
 勿論、椛が変わり者だったら有り得る話だ。だが、その場合は文が引っ張り回している事に説明がつかない。妖夢の見立ててでは、文は馬鹿というよりは利口な部類に入る天狗だ。自らよりも強い者なら、引っ張り回すより付き従う事を選ぶ。
 もっとも人の下に収まる器でもないので、いずれは何らかの形で立場を逆転しそうだが。今は関係ないの話だ。
「どうやら、やる気になってくれたようね」
 しばしの沈黙を肯定と受け取ったのか、すっかり漬け物を平らげてしまった幽々子が嬉しそうに最後の一切れを飲み込んだ。
 文が相手なら頑なに断り続けただろうが、椛と言われて妖夢の心が揺れ動いていた。格下の相手だから、安心して挑むことができるからというわけではない。椛が持っていた大剣。あれに興味があるのだ。
 果たして、あれと打ち合ったら勝つのはどちらだろうか。楼観剣と白楼剣。いずれ劣らぬ名刀であるが、持ち主の腕がそれに見合っているのかという不安は常にある。修練を欠かさぬのも、偏にその不安を払拭する為がものだった。
 あの大剣に打ち勝つことができるのなら、その不安も一抹とはいえぬぐい去る事が出来るのではないか。そういった気持ちと、後は単純に武人として戦いたいという気持ち。その二つを鑑みるに、妖夢はこれ以上幽々子に何か言う気にはなれない。
 沈黙を肯定と受け取るのなら、妖夢の答えはもまた沈黙だ。
「ならいいわ。それじゃあ、はいこれ」
「……なんですか?」
 手渡された物に目をくれる。毎日使っているものだけに、握り方にも熟練の技を感じさせた。
「今度は目が悪くなったのかしら? それは鍋蓋よ」
 トの形をした板きれを、そう呼ぶことは妖夢も知っている。問題は、鍋蓋がどうしたのかということだ。勝負が決まったから鍋蓋を渡すのでは、まるでこれで勝負しろと言わんばかりである。
 妖夢は鍋蓋を見つめながら、はたと顔をあげた。
 まさか、あるいは、ひょっとして。
 冷酷にも、幽々子の顔は上下に動く。
「その通り。あなたの武器は、その鍋蓋よ!」
「意味がわかりませんが」
「仕方ないでしょ、真剣でやり合ったら多分どちらかが死ぬもの。椛が死ぬのは構わないけど、庭師がいないと困るわ」
 大事に思われてるようだ。妖夢ではなく、庭師が。
「理屈は分かりましたけど、だからってどうして鍋蓋なんですか? 木刀でいいじゃないですか」
「知らないのかしら、妖夢。かの塚原卜伝は鍋蓋で宮本武蔵の攻撃を防いだそうよ」
 その逸話なら妖夢も記憶に留めていたが、だからどうしたという話だ。大体、卜伝は受け止めただけで鍋蓋を攻撃に使ったりはしていない。
「このエピソードから分かることは、つまり鍋蓋こそが最強の武器であると」
「刀鍛冶が聞いたら泣きますよ、そんな台詞」
 代わりに鍋蓋の職人が喜ぶかといえば、逆にそんな事に使うなと怒りを露わにしそうだ。誰も喜ばない提案を、どうして叶える必要があろう。
「大方、酒宴で適当に提案し合ったんでしょうけど、今から武器を変更して貰うことはできないんですか?」
「うーん、多分無理だわー。だって、この条件なら受けるって互いに納得しちゃったんだもの。いいじゃない、死にはしないわよ」
 大体、仮に大剣が獲物だったとしても妖夢を殺せるかどうかは疑問だ。幽々子のように完全な亡霊なら通用しないと胸を張れたのだが、半妖にして未熟の身なれば、あるいは命を落とすかもしれない。
 念には念を入れる姿勢は評価できるけれど、だからといって鍋蓋というのは論理飛躍にも程があった。
「まあ、一度引き受けてしまった以上は我が儘を言いませんけど。それにしても、鍋蓋で打ち合えるんだろうか……」
 不安混じりの呟きを、愉しそうな幽々子の声が打ち消す。
「言っておくけど、相手は鍋蓋じゃないわよ」










「白玉楼の庭師と真剣勝負してきてちょうだい。この鍋で」
「いくら文様のお願いとはいえ、思わずグーで殴りそうです。殴っていいですか?」
 理不尽なお願いは日常茶飯事とはいえ、鍋で剣客とやり合えというのは馬鹿馬鹿しすぎて文句を言うのも疲れる。いっそ幽香と綿棒で戦えという方が清々しくて気持ちよい。要するに虐殺されてこいと言うわけだ。
「殴るな。まぁ、あなたが不安になる気持ちもわかるわよ。でも安心しなさい。相手の武器は鍋蓋だから」
 文に向けた拳を自分に打ち付ける。どうやら夢じゃないようだ。
 いっそ悪い夢なら覚めてくれるのに、現実であることを呪った瞬間は今日をおいて他にない。自分を叩く椛に訝しげな視線を寄越しながら、文はメモ帳を取り出す。
「日時は明日の夕刻。場所は妖怪の山の麓。立会人と私と西行寺幽々子。決着はどちらかが倒れるまで」
 鍋と鍋蓋を振り回して、どちらかが倒れることはあるのか。鍋が顎に上手い具合に当たれば、あるいは倒すことができるかもしれない。
「この条件に異論はないわね?」
「武器について異論が多数」
「かの塚原卜伝は鍋で食材を煮込んだと言うわ」
 だからどうしたのだろう。それではただの料理談義だ。
「武器を変えてもいいですか?」
「却下。これも取材のうちなんだから、諦めて明日に向けて体調管理でもしてなさい」
 気遣った発言ともとれるが、突き放した一言ともとれる。文の言葉は時折心理テストのように難しく、答えが存在していない。この場合なら黙って言われたとおりのするのが正解なんだろうけど、素直に従えば明日は鍋と鍋蓋で決闘だ。
 取材だからというには、些か範疇を越えている。
「断るわけにはいかないんですか?」
「あちらもやる気みたいだし、今更中止ってわけにもいかないわよ。まっ、勝てとは言わないけど秒殺だけは勘弁してよね。取材にならない」
 椛を格下と思っているからこその発言に、思わず堪忍袋の緒が揺れる。文を見返してやりたいという気持ちが強くなる一方で、これも作戦のうちなのではと邪推する気持ちもあった。
 ただ一つだけ確かなのは、文が勝負を断る気はないということ。ならば最早逃げ道はなく、これ以上の抵抗は悪あがきにすらならない。漏れる溜息は重く、深い。
「分かりました、勝負しますよ。ただし、勝っても恨まないでくださいね」
「それは私じゃなくて妖夢に言うべき台詞ね」
「いいえ、文様に向けた台詞です」
 取材対象が敗北したのでは、記事にするのも色々と骨が折れるだろう。
 真剣な瞳に、文が苦笑を返す。
「恨ませてみなさい。無理だと思うけど」
「そう言っていられるのも、今のうちですよ」
 自信たっぷりの言葉だったが、茶化すように文は言った。
「と意気込む椛であった」










 もしも自分の獲物がいつもの大剣だったなら、きっと油断していただろう。いくらなんでも鍋蓋相手に遅れをとるはずもないし、よしんばとっても挽回はいつだって可能だ。
 だから油断していなかった。だとすれば、追いつめられているのはやはり互いの力量の差か。
 料理道具を振り回しているだけなのに、こうも不利な状況に追い込まれるとは思いもしなかった。文が馬鹿にするような笑いを浮かべたのも、今となっては納得の表情である。
「ちっ!」
 妖夢の疲れを待っていた椛。その戦法は今も変わらず、避けながら隙を窺っている。
 先程と違うところを上げるとすれば、あれから三十分以上経っているということか。
 己が疲れたせいで相手の隙が見えなくなっているのか、はたまた妖夢のスタミナが無尽蔵なのか。隙は一向に見える気配がない。これを未熟者呼ばわりするのだから、つくづく白玉楼の恐ろしさが身にしみる。
 半歩下がるも、甘かったか。鍋蓋は僅かに鼻を掠っていった。
 このままでは、先に倒れるのは椛。いくら鍋蓋が相手とはいえ、敗北して笑っていられるほど清々しい性格をしていない。負ければ悔しいし、文を見返すことだってできない。
 歯を食いしばり、萎えた気迫に火を灯す。
 そうだ、守ってばかりでは勝てない。攻めないと。
 あの神様だって、そう言っていたではないか。
 椛は鍋の取っ手を握りしめ、千里を見通す眼を妖夢に向けた。










 剣の事なら剣客に尋ねろ。
 拳の事なら格闘家に聞け。
 ならば、鍋を使った戦い方は誰に訊けばいいのか。
 導き出された答えは、料理人。包丁で切り裂くのは肉や魚だし、麺棒で叩くのは生地だけれど、それでも剣客や格闘家よりは鍋の扱いに長けているのは間違いない。
 かくて椛は山を登り、守矢神社の巫女に頭を下げたのだった。
「……ええっと、そんな事頼まれても困るんですけど」
「お気持ちは分かります。分かりますけど、どうしても勝ちたいんです。だから私に鍋を使った戦い方を教えてください!」
 真摯な気持ちは必ず伝わる。だが伝わったからといって、応えてくれるとは限らない。例えばそれがおっぱい揉みたいという邪な気持ちであっても伝わるだろうけど、だからといって胸を差し出す輩がいないのと同じ理論だ。
 ちょうど調理中だったらしく、エプロンで手を拭きながら、早苗は困ったようにお玉を首に当てた。
「料理はしますけど、鍋を使った戦い方と言っても……」
 難色を示す早苗。だが椛も退くつもりはない。
 半ば膠着状態に陥りそうだった二人を解き放ったのは、漫画やアニメで聞こえてきそうな不適な笑みだった。
「ふふふ、どうやら私の出番のようだね」
 はっ、と二人が顔をあげる。
 本殿の頂上。太陽を背負うように佇むのは、守矢が一柱、洩矢諏訪子。
「とうっ!」
 華麗に飛び立った諏訪子は、そのまま華麗に境内へと着地した。椛の手に採点表があったなら、10点を書き記したのは間違いない。
「ふふふ、そしてどうやら私の出番でもあるようだね」
 はっ、と二人がまた顔をあげる。
 本殿の頂上。太陽を背負うように佇むのは、守矢が一柱、八坂神奈子。
「待って。あんたさ、私のいる所に飛ぼうとしてるでしょ」
「あんたがとっととどければ済む話じゃない。ほら、早くどきなさいっての」
「あらこれカチンときたな。いいや、こうなったら意地でもどかないね。あんたはそうやって、そこでいつまでも太陽を背負ってればいいんだ」
「あ? そんなことするわけないだろ。飛ぶわ」
「飛んだらミシャグジ様」
「御柱ぶつけるわよ」
 あきれ果てる二人をさておき、犬と猫のように無益な言い争いを続ける諏訪子と神奈子。飛ぶぞと脅し身を乗り出す神奈子も、スペルカードを取り出し抵抗を続ける諏訪子も、正直子供にしか見えなかった。
 何をしに出てきたのか知らないが、少なくとも役に立つことはなさそうだ。椛は早苗に向き直る。
「私に鍋を使った戦い方を教えてください!」
「ちょっと待った!」
 喧嘩をしていた割に、止めに入る言葉は長年連れ添った夫婦のようにピッタリと合っていた。
「鍋は鉄製品。そして、鉄の事ならこの洩矢諏訪子にお任せだ」
「いやいや、八坂神奈子を忘れて貰っちゃ困るわよ。私だって、鉄に関しちゃ五月蠅いよ」
 早苗は乗り気じゃないようだし、話を聞くのも一興だろう。それに得てして、閃きというのは関係なさそうなくだらない話から思いつくものだ。
 分かりました、と椛は了承する。
「では早速。ええっと、犬走椛。鍋とは何ぞや?
 突然に質問に戸惑いながら、しばし考え答えを返す。
「野菜や肉を煮る道具だと思います」
「うむ、それも間違いじゃない。じゃあ、神奈子。鍋とは何ぞや?」
「鍋とは殴る盾なり」
「その通り」
 深く頷く諏訪子。椛も同じように首を振り、踵を返した。
 話にならん。
「待て待て、椛。話はまだ終わってないよ」
「そうさ。これから鍋の真髄について話すところだよ」
 必死に引き留めようとする二柱だったが、もうこれ以上は時間の無駄だ。よしんばこれで何か閃いたとしても、それは所詮トンデモ理論に過ぎない。武器が無ければ鍋で殴ればいいのよという戯言を閃いたところで、結局のところ何にもならないのだ。
 選択肢を間違ったか。己の判断に後悔しながら、椛は山を降りていった。










 かくして神はロクな事を言ってなかったわけだが、どうしたものか。
 攻めの姿勢に移ろうとした椛だったけれど、それを許してくれるような相手でもない。気持ちだけが先行して、身体は相変わらず防戦一方だ。
 ただ疲労だけは着実に溜まっている。無論、相手とて疲れてはいるのだろう。だがそれ以上に、椛の疲労が激しかった。汗は拭うほどで、息も不規則に乱れている。妖夢の攻撃を防げているのも、単に文に対する意地と武人としての意地がそうさせているだけのこと。
 一度気を抜けば鍋蓋を打ち込まれるだけでなく、意識すら手放しそうな気がした。
 気が付けば、いつのまにかまた半歩下がっている。だが攻撃を避ける為ではない。押されて、下げられていたのだ。
 まるで未熟者はお前と言わんばかりに、文が呆れた表情を浮かべているのが見て取れた。その顔を見るたびに意地でも負けてたまるものかと奮い立つ。その繰り返しで、何とか渡り合ってきたのだが。
 限界はもう近い。
 泣き言や言い訳にしか聞こえないだろうけれど、あの大剣があればここまで苦戦はしなかった。
 元々、椛の戦い方は斬ったり薙いだりするものではない。圧倒的な重量を振るい、叩きつぶす事が椛の技。いくら相手が硬かろうと、潰してしまえば反撃はできない。
 しかして、鍋ではそういった使い方ができなかった。鍋で潰せるものといったら、せいぜい麺の生地ぐらいだ。蕎麦を打ちたいわけではない。妖夢に勝ちたいのだ。
「くぅっ!」
 避けた弾みに体勢を崩して、慌てて距離をとる。しかし、妖夢は同じ速度でぴったりとくっつき、息つく暇を与えない。何ともえげつない戦法だが、椛には効果的だ。おかげで冷静な判断もできないし、防戦するしか方法がない。
 起死回生の案も思いつかず、このまま消耗戦が続くのかと思われた。
 しかし。
「!」
 鍋を嫌うように、振り下ろした鍋蓋を引っ込める妖夢。隙のなかった猛攻に生まれた僅かな瞬間。しかし椛は斬り込む事ができなかった。そのあまりに突然な動きに、こちらも戸惑ってしまったのだ。
 やがて妖夢は気を取り直したのか、また再び猛攻が始まる。
 あれは何だったのか。
 別に椛が何かしたつもりはないし、ましてや文や幽々子が何か邪魔をするとも思えない。それ以外の要素が乱入したということでもなければ、あるいは妖夢の問題なのか。だとすれば、それは何か。
 分かればきっと、勝利の道筋が見えてくる。
 その時、ふと椛の頭に浮かんできたのは文の言葉でもなければ、早苗の言葉でもない。
 諏訪子の他愛ない、問いかけの言葉だった。
 即ち、鍋とは何ぞや?
「鍋とは!」
「しまっ!」
 金属と木片が重なり合う音。それはまさしく、鍋蓋が鍋にはまった瞬間だった。
「鍋蓋で押さえられる物。そして鍋蓋とは、鍋を押さえる物なんです!」
「ううっ……」
 勢いよく振り下ろしたせいか、がっちりと鍋と鍋蓋ははまって抜けない。ここから手首を切り返して相手の武器を奪えれば、勝機は椛の手の中にある!
 意気込んだ椛であったが、文の言葉がそれを許さなかった。
「そこまでです!」
「えっ?」
 驚いた顔で、椛と妖夢は文を見遣る。どうして勝負を止めたのか、尋ねずとも二人の顔にはそう書いてあった。
 文は幽々子と顔を見合わせながら、堂々と言い放つ。
「私たちは、今ようやく気付きました。この勝負の愚かしさに」
 椛と妖夢は初めから気付いていた。今更そんな事を言われても困るが、それでも無茶を通したまま終わるよりは良いかもしれない。
「そもそも鍋と鍋蓋は争わせるべきではなかった。なぜなら、それらは二つ揃って初めて意味を成すのですから!」
 雲行きが妖しくなってきた。
 訝しげな目になる従者と部下をさておき、文と幽々子は何故か熱い。
「二つで一つの物を争わせて何になるというのか!」
「そうよ! これはもう贖罪の意味を込めて、鍋を食べに行くしかないわ!」
「ですね!」
「それじゃあ行きましょう!」
「ええ!」
 意気投合して出かける二人に対し、取り残されたように佇む椛と妖夢。二人の間をつなぐように噛み合った鍋と鍋蓋が、今となっては酷く空しい。
「どうします?」
「どうしましょう?」
 勝負を吹っかけた張本人達はもういない。それに勝負の熱も冷めてしまった。今更再開するわけにもいかないし、したところで寂しいだけだ。
「私たちも鍋でもやります?」
「あ、うち丁度鍋にしようかと思ってたんです。幽々子様もいないようですし、材料が余ってるんですよ」
「じゃあ鍋にしますか」
「そうですね」
 空しい気持ちを埋めるように、そのまま二人も鍋と鍋蓋を持ったまま走る。
 遙か遠くの神社のてっぺんで、神様達が母のような眼差しで見つめていた事を二人は知る由もないのだった。
 
 
 
「そういえば文様、先日の戦いは記事になりましたか?」
「ええ、美味しい鍋を出す店があったんで紹介したところ大好評だったわよ」
八重結界
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コメント



0.1670簡易評価
6.90名前が無い程度の能力削除
ああ、もう、ひどいなあ、もうwww
7.100名前が無い程度の能力削除
鍋料理は美味いですよねー。
10.100名前が無い程度の能力削除
塚原卜伝が野菜を煮込んだワロタwwww
みんなやってんじゃねーか!
11.100名前が無い程度の能力削除
ひでえwwwwww
12.100名前が無い程度の能力削除
カブトボーグを観ているかのようだ…
14.100名前が無い程度の能力削除
これはひどい w
16.100名前が無い程度の能力削除
毎回素晴らしい作品をお書きになりますね
燃えつつ笑わせてもらいました
17.90名前が無い程度の能力削除
……なんですかコレ?
21.100名前が無い程度の能力削除
〉あらこれカチンときたな。

なんかワロタww
ああやっぱ銀髪は苦労するんだなww
22.90名前が無い程度の能力削除
なんぞコレw
25.70名前が無い程度の能力削除
塚原卜伝のくだりで噴きました。
これは読み終わったら鍋が食べたくなってくる作品ですねえ。
26.90三文字削除
文章で見ると格好良いけど、絵面を想像したら吹くw
この後、愚痴を言いながら二人で鍋を突くんだろうなぁ……
28.100名前が無い程度の能力削除
晩ご飯鍋だった
32.100名前が無い程度の能力削除
一瞬でもシリアスかと思った俺のこの気持ちをどうしてくれるwwwww
34.100名前が無い程度の能力削除
「かの塚原卜伝は鍋で食材を煮込んだと言うわ」でKOされました。
40.100名前が無い程度の能力削除
これはひどいひどすぎる特に文がひどすぎる

だが面白いこれは面白い
45.90名前が無い程度の能力削除
おっぱいもみたいのくだりワラタ
48.90名前が無い程度の能力削除
妖夢の鍋蓋が俺にもうまい具合にハマった!!!!!