「うーん、うぅん」
冬も終わり、春もすぐそこにあるというのに。
紅魔館では、風邪っぴきの女の子が一人、ベッドでうんうん唸っています。
金色の髪に真っ赤な眼。キュートな八重歯に七色の翼。
いつもの帽子は外していますが、その女の子が『フランドール・スカーレット』その人だという事は、誰でもわかるでしょう。
春が近いために、温かな陽光が降り注ぐことも多くなりました。
最近外出を許されることが多くなったフランドールも、これには油断してしまったのでしょうか。
霧の湖の近くで日向ぼっこをしている内に眠ってしまい、隣にいた氷精の冷気を受けて、風邪をひいてしまったという訳です。
これにはメイドさんも困りました。
なにしろ、フランドールが病気をするなんて初めての事。
勿論、外出が少なかったことも要因の一つですが、なにしろ彼女は生来の元気っ子。
メイドさんが館に来る前までも、病気にかかったことなんてありませんでした。
それが風邪なんてかかっちゃったもんだから、もう大暴れ。
すねたりかんしゃくを起こしたり泣きはじめちゃったり、終いには壁を壊しそうになったり。
そんなフランドールを何とかベッドに連れて行って、メイドさんは一息をつきました。
ご主人様と門番さん、魔女さんに司書さんも、心配そうにフランドールを見つめています。
「フランドールは、落ち着いたのかしら?」
「ええ、なんとか。とりあえず、風邪のお薬を貰ってこなければなりません」
「こんな時間に診察していただけるんでしょうか」
「……二十三時。診察は閉め切られてるわね。でも、お薬だけでも貰ってこないと、フランドールも苦しそうだわ」
「あわわわわ、大丈夫でしょうか」
「しっ、あんまり大声出さないの。フランドールが起きちゃうでしょう? ……咲夜、すまないのだけれど、今から薬をもらってきてくれるかしら?」
「かしこまりました」
「こんな時間に、ごめんなさいね」
「いえ、フランドール様の為なら、どうという事はありません。行って参ります」
「頼んだわ」
ご主人様の命令で、メイドさんは音も無く掻き消えました。それを見届けたご主人様は、周りの皆にひそひそ声で告げました。
「さ、私たちが居ては、フランドールが落ち着いて寝られないわ」
「風邪を治す魔法……は無いのよね。自然治癒力を上げる魔法ならあるのだけれど、吸血鬼に対しては効力が弱すぎて使えないし……」
魔女さんはブツブツと呟きながら考え込んでいます。しかし、あまりいい考えは浮かんでこないようです。見かねた門番さんがある提案をしました。
「パチュリー様、それなら、薬湯でも作って差し上げては? 庭園にある薬草で作れると思いますが」
「ううむ、それくらいしかできないか。ままならぬものね……。仕方ない、小悪魔も手伝いなさい」
「はい、パチュリー様」
それを聞いていたご主人様が、口を挟みます。
「ふむ、私も手伝うわ」
「しかし、お嬢様のお手を煩わせるわけには……」
「美鈴」
少しためらうそぶりを見せた門番さんに、ご主人様は微かに微笑みを湛えて言いました。
「私だって、たまには姉らしいことをしてあげたいのよ。あの子が苦しい思いをしているときに、私が楽をしているなんて耐えられないわ。私にできる事ならなんでもさせて頂戴」
ご主人様の言葉を聞いて、門番さんは慌てたように居住まいを正すと、頭を下げました。ご主人様は笑って、その肩を叩きます。
「よし、それじゃあ私と小悪魔はキッチンで準備。美鈴とレミィは外で薬草を取って来て頂戴」
魔女さんの言葉で、フランドールの部屋に居た人たちはひそひそと話し合いながら部屋の外に出ていきます。
みんながみんな、フランドールの事を想って行動しています。本来なら、喜ぶべきでしょう。
しかし、この場所には、それを望まない人もいました。
いったい誰でしょう?
「おねぇ、さま、……みんなぁ。おいてかないで……」
そう、他の誰でもない、フランドール本人です。
風邪を引くと、普段気丈な人でも気弱になってしまいます。それは、この子も同じでした。
普段の元気は何処へやら。元来さみしがりやのフランドールは、ひとすじ涙を流してみんなを呼びます。
「わたしをひとりにしないでぇ……」
しかし、風邪で弱ったフランドールの声は、あまりにか細く、みんなの耳には届きません。
かくして、心細い心境のまま、フランドールは一人、部屋に取り残されてしまったのです。
「うぅ、うぅぅ」
フランドールはかなしくて涙を流します。しかし、それに応えてくれる人は誰も居ません。
しばらくの間すすり泣いていたフランドールは、そのうち泣き疲れて、眠り始めました。
初めの方はすやすや眠っていたフランドールですが、数分ほど経つと、うーんうーんとうなされはじめました。
気弱な時に眠ってしまうと、得てして悪夢を見てしまいます。どうやら、フランドールは悪夢を見てしまっているようです。
一体どんな夢を見ているのでしょうか。
……そこの貴方、興味のありそうな顔をしていますね。
仕方ない。出血大サービスで、フランドールの夢の中へ案内して差し上げましょう。
――夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか――
◇◇◇ ◇◇◇
ここは、フランドールの夢の中です。
可愛らしいぬいぐるみたちが、ふわふわと宙に浮かんでいます。同時に、おそろしい凶器たちも、ふわふわと浮かんでいます。
見渡す景色は、紅魔館周辺でしょうか。しかし何処か歪んでいて、実際のものとは異なるように思います。
夢はその人の主観から見たものですから、当然不明瞭なものになります。そこは、誰の夢の中でも同じことです。
しかし、フランドールのそれは、どこか普通のものとは一線を画しているように思えます。
例えるなら、二方向から強く引っ張られて破ける寸前の紙。彼女の強烈な二面性が、夢の世界をも歪めているのでしょうか。
歪んだ夢の紅魔館に、フランドールが降り立ちます。彼女はそのままきょろきょろと辺りを見回しています。
どうやら、他の住人達を探しているようです。しかし、なかなか見つけることが出来ていません。
しばらく辺りを見回して、彼女は何かに気付いて駆け出しました。
歪んだ紅魔館の中庭、噴水のあるあたりで、住人やフランドールの知り合いたちがお茶会を開いているのを発見したようです。
フランドールはそこに、笑いながら駆け寄っていきます。本当に嬉しそうに。
「みんなー! お茶会してるの? 私も入っていい?」
『あはははは』
しかし、駆け寄ってきたフランドールに、みんなは見向きもしません。
みんな、ご主人様を中心にして、円になっています。
「すごい! お嬢様が立って歩いておられますよ、咲夜さん!」
「本当だわ! 素晴らしいです、お嬢様」
「さすがレミィ、私の親友なだけはあるわね」
「お嬢様、流石です!」
館の住人達はごくごく当たり前の事を大げさに褒め称えます。巫女さんや魔法使いさんも、笑って続きます。
「いやー、レミリアは凄いなぁ。カリスマがあるっていうか」
「ホントね。生まれながらの才能ってやつかしら」
みんな、不自然なくらいにこにこ笑って、ご主人様の動きを見て次々に囃し立てています。
「みんな? お姉さまが立って歩いてるのが、どうしたの? そんなことより、お茶しようよ!」
フランドールは不思議そうに首を傾げて、皆に言います。
しかし、その言葉を聞いたみんなは、ギョロリ、と目を向けて、フランドールを睨みました。
その眼には正気の光は宿っていません。濁り切った目に刺され、フランドールはたじろぎました。
≪『そんなこと』?≫
「妹様。お言葉ですが、お嬢様が立って歩いておられるのですよ? その言葉は失礼ではありませんか」
「そうよ、妹様。レミィが立って歩いているのよ?」
「妹様。先程の言葉を訂正してください」
「そうですよ、妹様」
「え……ごめんなさい……」
みんなの勢いに押されて、フランドールは謝ります。
その言葉を聞いたみんなは、フランドールへの興味を失ったかのようにご主人様の方へ向き直ると、また先程のようににこにこと笑い始めました。
フランドールは、かなしそうにうつむいています。
ご主人様は次に、空を飛び始めました。しかし、その姿は傷ついた小鳥のように不安定で、決して綺麗なものではありません。
しかしそれでも、みんなは歓声と拍手をご主人様に送ります。
「美しい、美しいですお嬢様!」
「まるで芸術品の様ですね!」
「私が今まで見て来たものの中で最も美しいわ」
「素晴らしいですお嬢様!」
館の住人達は、先程と同じように――いや、先程にもましてご主人様を褒め称えます。
「やっぱカリスマってスゲーなー、霊夢」
「そうね魔理沙。私たちも見習わないとね」
巫女さんと魔法使いさんも、相変わらずにこにこ笑ってご主人様を見ています。
そんな言葉を聞いていたフランドールは、我慢しきれず飛び上がりました。
「みんな、おかしいよ! 飛べるのなんて当たり前じゃない! そんなことより、お茶しよう? ね?」
フランドールは手を広げて、みんなに語りかけます。しかし、みんなは先ほどと同じように、フランドールに冷たい視線を投げかけます。
≪また『そんなこと』≫
「レミリアの妹、アンタ、レミリアに嫉妬しちゃダメでしょ」
「そうだぜ、レミリアの妹。今レミリアが凄いことやってんだから、黙ってな」
二人の言葉を聞いたフランドールは、遂にかんしゃくを起こしました。
「なによ! 私の方が、お姉さまよりもずっとずっと綺麗に飛べてるじゃない! なんでお姉さまだけ!」
「妹様。失礼ですが、お嬢様がやっておられることに価値があるのです」
「そうですよ。飛ばれるのはご勝手ですが、お嬢様の隣で飛ぶのはご遠慮いただけますか」
「う、うー! ううう! なによなによ! みんなして、お姉さまばかり! 私だって!」
「レミリアの妹、こう言っちゃ悪いが――」
フランドールの隣に浮き上がって、肩に手を置き、魔法使いさんはフランドールに告げます。
「オマエの頑張りなんてダレも求めてないのさ。オマエの事なんてダーレも見ちゃいないんだ。だからダマってろ、な?」
魔法使いさんの顔が恐ろしく歪みます。同時に世界が軋みました。
フランドールの肩、魔法使いさんが触れた場所が、溶けてなくなります。
「う、うあああああああああ!」
フランドールは絶叫して、下に落下しました。上からとれた腕がぼとりと落ちてきます。
「痛いよ、わたしの腕が、痛いよう」
呻くフランドールを尻目に、みんなはまたご主人様を囲んで歪に笑っています。今度は笑顔だけでなく、姿形も歪んできたように思います。
ご主人様が何をしたのかわかりませんが、再び歓声が挙がりました。濁った声が、フランドールの耳に届きます。
フランドールは呻きながら立ち上がり、大声を出しました。
「みんな、私を見てよ! 私の傍に来て! 私とお話して! ワタシに構って! ワタシを褒めて! ワタシを抱きしめて! ワタシを――」
≪『妹様』≫
「静かにしていただけますか」
「お願いいたします」
「レミィが怯えちゃうでしょ」
「そうですよ」
≪『レミリアの妹』≫
「ちょいと静かにしてくれ」
「集中できないでしょ」
フランドールは、その声に身体を震わせます。
「やめて……」
「その呼び名で、呼ばないで……」
「私は『妹様』なんて名前じゃない……」
「ワタシは『レミリアの妹』なんてナマエじゃない……」
「ワタシは、ワタシハ……」
≪『イモウトサマ』≫と。≪『レミリアノイモウト』≫と。
異形と化したモノたちは何度も呼びます。
フランドールはカタカタと震えながら、耳を押さえています。
しかし、その声はまるで脳に語りかけるような声。耳を押さえても、聞こえてしまうのです。
何十回、何百回と呼ばれた続けた頃でしょうか。
フランドールの瞳から、血の涙が、ぽたりと――。
「ワタシを、ナマエで呼んで……」
――紙が、破けました。
空中に浮かんでいたキョウキがひとりでに動きだし、みんなを切り刻み始めました。
フランドールは虚ろな目で、それをぼんやりと眺めるだけです。
しばらく経った頃、何かがフランドールの目前へと転がってきました。
フランドールはゆっくりとそちらへ視線を移します。
……果たしてそれは、ご主人様の頭でした。
「お、お姉さま……」
フランドールの目に光が戻ります。同時に、ご主人様の頭を抱き上げます。
「お姉さま、お姉さま、お姉さま、ごめんなさい、私、わたし、こんなこと……」
「『やりたくなかったのに』」
ご主人様の頭は、にっこりと笑って話し始めました。
「違うでしょう、『フランドール』? 貴女はこれを望んでいたはずよ」
「ち、っちが……」
「違わないわ。何時でも、何処でも、誰といても。どのようにして、私たちの首を掻き切ってしまおうか。そのようなことを、貴女は考え続けていたはずよ」
「そんな、そんなことない! わたしは、皆と居たいだけで……」
「フランドール、素直になりなさい」
「……お姉さま?」
「ワタシはアナタだもの。アナタの事はワタシが一番よく分かってるわ。ワタシに任せればスベテが上手く行く。ダイジョウブ。安心して。ワタシに全て任せればいいの。フランドール。ワタシが全て、貴女の思い通りに、一切合財、何もかも、この世のすべてを――」
ご主人様の姿をした『キョウキ』が、大きく口を歪めて、フランドールの耳元で囁きます。……それは、この世の何よりも、魅力的で、安心感のある、完璧な、母性すら感じるような響きでした。
「コワシテアゲルから」
『キョウキ』が、フランドールを飲み込み、同時にセカイが闇に包まれ――
◇◇◇ ◇◇◇
「レミィ、遅いわねぇ」
「そうですね」
『自分で薬湯を飲ませてあげたいから』。そう言ってフランドールの部屋へ向かったご主人様が、中々帰ってこないので、魔女さんはそわそわしていました。
もしかして私の調合が悪かったのかしら。変なもの混ぜちゃったかな。フランドールがもっと調子悪くしちゃったらどうしよう。
魔女さんは一見クールに見えて、案外心の中ではあわてんぼうなのです。
「ただ今戻りました」
そこに、メイドさんが戻ってきました。手には八意印のお薬を下げています。どうやら、お薬を貰ってこれたようです。
門番さんも、メイドさんの出迎えをしていたようで、メイドさんの後ろについて来ていました。
魔女さんは二人に、ご主人様の帰りが遅いことを告げます。
「あら、どうなされたのでしょうか」
「皆で行ってみましょう」
このまま待っていてもらちが明かないという事で、みんなは門番さんの言葉通り、皆で地下室に向かうことにしました。
暗い廊下には、蝋燭の光しか灯っては居ません。司書さんは悪魔なのになぜか暗い所が怖いので、魔女さんに引っ付きながら歩きます。
「小悪魔、歩きにくいから」
「でもー、今日は何か出そうですよぅ」
「貴女、それ毎日言ってるでしょ」
わいわいと騒ぎながら廊下を進んでいくと、あっという間にフランドールの部屋です。
メイドさんが聞き耳をしますが、部屋の中は全くの静寂。
「フランドール様に薬湯を差し上げて、そのまま眠ってしまったのでしょうか」
メイドさんは首を傾げながら、扉を開きます。
部屋の中はなぜか暗く、やはり物音ひとつしません。
メイドさんたちは首を傾げながら、部屋の奥へと進んでいきます。
すぐに、フランドールが眠るベッドの近くのテーブルが見えてきました。
「あら? 薬湯が……」
不思議なことに、薬湯は皿の中にそのまま残っていました。ただ、湯気が出なくなっているだけです。
メイドさんはそのまま、ベッドの方を照らしました。
果たしてそこには、ご主人様の姿が。
頭だけ。
そこにあるべき身体は無く、頭だけが。
フランドールのベッドで、眠る様に目を閉じていました。
あまりの事態に、みんなは固まって動けません。
辛うじて魔女さんが、蚊の鳴くような声でつぶやきました。
「れ、みぃ?」
しかし、ご主人様は言葉を返しません。
だって、そんなの当り前。頭だけでは、生き物は生きることが出来ません。
だけど、魔女さんはそんなことも忘れてしまっていたのです。だって、ご主人様は吸血鬼で、どんな傷を負ってもすぐに再生してしまう――。
(レミィを、こんなに、こんな――)
再生能力すらも、『コワシテ』しまうなんて。
魔女さんは、気付きました。
そんなことが出来るとすれば、ただ一人――。
しかし、気づいた時には既に手遅れでした。
≪ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。ぴったりだぁ≫
四隅から、不自然なまでに幼い声が響き渡り――。
≪きゅっとしてぇ≫
≪ドカーン≫
魔女さんたちの意識は、闇に落ちました。
◇◇◇ ◇◇◇
「うふふ、みんな、今日もいっぱい遊ぼ」
「ね、お姉さま。紅茶入れてみたんだよ? おいしい?」
「もー。咲夜の入れた紅茶の方がおいしいだなんて、当たり前じゃない」
「咲夜もなに笑ってるのよー。でも、また紅茶の入れ方教えてね」
「美鈴、教えてもらったお料理、できたよ」
「あー、そんなにこぼすまでがっつかなくてもいいのに」
「え、おいしい? ほんとう? えへへ」
「パチュリー、今日も絵本読もう?」
「子供っぽいだなんて、そんなこと言わないでよ」
「小悪魔も、ね、この絵本面白いでしょ?」
「だよね。わたし、大好きなんだ」
「ふああ。ちょっと疲れちゃった」
「みんな、一緒におひるねしよう?」
「ありがとう。ふああ……」
「おやすみなさい」
「わたしたち、ずーっと一緒だね」
冬も終わり、春もすぐそこにあるというのに。
紅魔館では、風邪っぴきの女の子が一人、ベッドでうんうん唸っています。
金色の髪に真っ赤な眼。キュートな八重歯に七色の翼。
いつもの帽子は外していますが、その女の子が『フランドール・スカーレット』その人だという事は、誰でもわかるでしょう。
春が近いために、温かな陽光が降り注ぐことも多くなりました。
最近外出を許されることが多くなったフランドールも、これには油断してしまったのでしょうか。
霧の湖の近くで日向ぼっこをしている内に眠ってしまい、隣にいた氷精の冷気を受けて、風邪をひいてしまったという訳です。
これにはメイドさんも困りました。
なにしろ、フランドールが病気をするなんて初めての事。
勿論、外出が少なかったことも要因の一つですが、なにしろ彼女は生来の元気っ子。
メイドさんが館に来る前までも、病気にかかったことなんてありませんでした。
それが風邪なんてかかっちゃったもんだから、もう大暴れ。
すねたりかんしゃくを起こしたり泣きはじめちゃったり、終いには壁を壊しそうになったり。
そんなフランドールを何とかベッドに連れて行って、メイドさんは一息をつきました。
ご主人様と門番さん、魔女さんに司書さんも、心配そうにフランドールを見つめています。
「フランドールは、落ち着いたのかしら?」
「ええ、なんとか。とりあえず、風邪のお薬を貰ってこなければなりません」
「こんな時間に診察していただけるんでしょうか」
「……二十三時。診察は閉め切られてるわね。でも、お薬だけでも貰ってこないと、フランドールも苦しそうだわ」
「あわわわわ、大丈夫でしょうか」
「しっ、あんまり大声出さないの。フランドールが起きちゃうでしょう? ……咲夜、すまないのだけれど、今から薬をもらってきてくれるかしら?」
「かしこまりました」
「こんな時間に、ごめんなさいね」
「いえ、フランドール様の為なら、どうという事はありません。行って参ります」
「頼んだわ」
ご主人様の命令で、メイドさんは音も無く掻き消えました。それを見届けたご主人様は、周りの皆にひそひそ声で告げました。
「さ、私たちが居ては、フランドールが落ち着いて寝られないわ」
「風邪を治す魔法……は無いのよね。自然治癒力を上げる魔法ならあるのだけれど、吸血鬼に対しては効力が弱すぎて使えないし……」
魔女さんはブツブツと呟きながら考え込んでいます。しかし、あまりいい考えは浮かんでこないようです。見かねた門番さんがある提案をしました。
「パチュリー様、それなら、薬湯でも作って差し上げては? 庭園にある薬草で作れると思いますが」
「ううむ、それくらいしかできないか。ままならぬものね……。仕方ない、小悪魔も手伝いなさい」
「はい、パチュリー様」
それを聞いていたご主人様が、口を挟みます。
「ふむ、私も手伝うわ」
「しかし、お嬢様のお手を煩わせるわけには……」
「美鈴」
少しためらうそぶりを見せた門番さんに、ご主人様は微かに微笑みを湛えて言いました。
「私だって、たまには姉らしいことをしてあげたいのよ。あの子が苦しい思いをしているときに、私が楽をしているなんて耐えられないわ。私にできる事ならなんでもさせて頂戴」
ご主人様の言葉を聞いて、門番さんは慌てたように居住まいを正すと、頭を下げました。ご主人様は笑って、その肩を叩きます。
「よし、それじゃあ私と小悪魔はキッチンで準備。美鈴とレミィは外で薬草を取って来て頂戴」
魔女さんの言葉で、フランドールの部屋に居た人たちはひそひそと話し合いながら部屋の外に出ていきます。
みんながみんな、フランドールの事を想って行動しています。本来なら、喜ぶべきでしょう。
しかし、この場所には、それを望まない人もいました。
いったい誰でしょう?
「おねぇ、さま、……みんなぁ。おいてかないで……」
そう、他の誰でもない、フランドール本人です。
風邪を引くと、普段気丈な人でも気弱になってしまいます。それは、この子も同じでした。
普段の元気は何処へやら。元来さみしがりやのフランドールは、ひとすじ涙を流してみんなを呼びます。
「わたしをひとりにしないでぇ……」
しかし、風邪で弱ったフランドールの声は、あまりにか細く、みんなの耳には届きません。
かくして、心細い心境のまま、フランドールは一人、部屋に取り残されてしまったのです。
「うぅ、うぅぅ」
フランドールはかなしくて涙を流します。しかし、それに応えてくれる人は誰も居ません。
しばらくの間すすり泣いていたフランドールは、そのうち泣き疲れて、眠り始めました。
初めの方はすやすや眠っていたフランドールですが、数分ほど経つと、うーんうーんとうなされはじめました。
気弱な時に眠ってしまうと、得てして悪夢を見てしまいます。どうやら、フランドールは悪夢を見てしまっているようです。
一体どんな夢を見ているのでしょうか。
……そこの貴方、興味のありそうな顔をしていますね。
仕方ない。出血大サービスで、フランドールの夢の中へ案内して差し上げましょう。
――夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか――
◇◇◇ ◇◇◇
ここは、フランドールの夢の中です。
可愛らしいぬいぐるみたちが、ふわふわと宙に浮かんでいます。同時に、おそろしい凶器たちも、ふわふわと浮かんでいます。
見渡す景色は、紅魔館周辺でしょうか。しかし何処か歪んでいて、実際のものとは異なるように思います。
夢はその人の主観から見たものですから、当然不明瞭なものになります。そこは、誰の夢の中でも同じことです。
しかし、フランドールのそれは、どこか普通のものとは一線を画しているように思えます。
例えるなら、二方向から強く引っ張られて破ける寸前の紙。彼女の強烈な二面性が、夢の世界をも歪めているのでしょうか。
歪んだ夢の紅魔館に、フランドールが降り立ちます。彼女はそのままきょろきょろと辺りを見回しています。
どうやら、他の住人達を探しているようです。しかし、なかなか見つけることが出来ていません。
しばらく辺りを見回して、彼女は何かに気付いて駆け出しました。
歪んだ紅魔館の中庭、噴水のあるあたりで、住人やフランドールの知り合いたちがお茶会を開いているのを発見したようです。
フランドールはそこに、笑いながら駆け寄っていきます。本当に嬉しそうに。
「みんなー! お茶会してるの? 私も入っていい?」
『あはははは』
しかし、駆け寄ってきたフランドールに、みんなは見向きもしません。
みんな、ご主人様を中心にして、円になっています。
「すごい! お嬢様が立って歩いておられますよ、咲夜さん!」
「本当だわ! 素晴らしいです、お嬢様」
「さすがレミィ、私の親友なだけはあるわね」
「お嬢様、流石です!」
館の住人達はごくごく当たり前の事を大げさに褒め称えます。巫女さんや魔法使いさんも、笑って続きます。
「いやー、レミリアは凄いなぁ。カリスマがあるっていうか」
「ホントね。生まれながらの才能ってやつかしら」
みんな、不自然なくらいにこにこ笑って、ご主人様の動きを見て次々に囃し立てています。
「みんな? お姉さまが立って歩いてるのが、どうしたの? そんなことより、お茶しようよ!」
フランドールは不思議そうに首を傾げて、皆に言います。
しかし、その言葉を聞いたみんなは、ギョロリ、と目を向けて、フランドールを睨みました。
その眼には正気の光は宿っていません。濁り切った目に刺され、フランドールはたじろぎました。
≪『そんなこと』?≫
「妹様。お言葉ですが、お嬢様が立って歩いておられるのですよ? その言葉は失礼ではありませんか」
「そうよ、妹様。レミィが立って歩いているのよ?」
「妹様。先程の言葉を訂正してください」
「そうですよ、妹様」
「え……ごめんなさい……」
みんなの勢いに押されて、フランドールは謝ります。
その言葉を聞いたみんなは、フランドールへの興味を失ったかのようにご主人様の方へ向き直ると、また先程のようににこにこと笑い始めました。
フランドールは、かなしそうにうつむいています。
ご主人様は次に、空を飛び始めました。しかし、その姿は傷ついた小鳥のように不安定で、決して綺麗なものではありません。
しかしそれでも、みんなは歓声と拍手をご主人様に送ります。
「美しい、美しいですお嬢様!」
「まるで芸術品の様ですね!」
「私が今まで見て来たものの中で最も美しいわ」
「素晴らしいですお嬢様!」
館の住人達は、先程と同じように――いや、先程にもましてご主人様を褒め称えます。
「やっぱカリスマってスゲーなー、霊夢」
「そうね魔理沙。私たちも見習わないとね」
巫女さんと魔法使いさんも、相変わらずにこにこ笑ってご主人様を見ています。
そんな言葉を聞いていたフランドールは、我慢しきれず飛び上がりました。
「みんな、おかしいよ! 飛べるのなんて当たり前じゃない! そんなことより、お茶しよう? ね?」
フランドールは手を広げて、みんなに語りかけます。しかし、みんなは先ほどと同じように、フランドールに冷たい視線を投げかけます。
≪また『そんなこと』≫
「レミリアの妹、アンタ、レミリアに嫉妬しちゃダメでしょ」
「そうだぜ、レミリアの妹。今レミリアが凄いことやってんだから、黙ってな」
二人の言葉を聞いたフランドールは、遂にかんしゃくを起こしました。
「なによ! 私の方が、お姉さまよりもずっとずっと綺麗に飛べてるじゃない! なんでお姉さまだけ!」
「妹様。失礼ですが、お嬢様がやっておられることに価値があるのです」
「そうですよ。飛ばれるのはご勝手ですが、お嬢様の隣で飛ぶのはご遠慮いただけますか」
「う、うー! ううう! なによなによ! みんなして、お姉さまばかり! 私だって!」
「レミリアの妹、こう言っちゃ悪いが――」
フランドールの隣に浮き上がって、肩に手を置き、魔法使いさんはフランドールに告げます。
「オマエの頑張りなんてダレも求めてないのさ。オマエの事なんてダーレも見ちゃいないんだ。だからダマってろ、な?」
魔法使いさんの顔が恐ろしく歪みます。同時に世界が軋みました。
フランドールの肩、魔法使いさんが触れた場所が、溶けてなくなります。
「う、うあああああああああ!」
フランドールは絶叫して、下に落下しました。上からとれた腕がぼとりと落ちてきます。
「痛いよ、わたしの腕が、痛いよう」
呻くフランドールを尻目に、みんなはまたご主人様を囲んで歪に笑っています。今度は笑顔だけでなく、姿形も歪んできたように思います。
ご主人様が何をしたのかわかりませんが、再び歓声が挙がりました。濁った声が、フランドールの耳に届きます。
フランドールは呻きながら立ち上がり、大声を出しました。
「みんな、私を見てよ! 私の傍に来て! 私とお話して! ワタシに構って! ワタシを褒めて! ワタシを抱きしめて! ワタシを――」
≪『妹様』≫
「静かにしていただけますか」
「お願いいたします」
「レミィが怯えちゃうでしょ」
「そうですよ」
≪『レミリアの妹』≫
「ちょいと静かにしてくれ」
「集中できないでしょ」
フランドールは、その声に身体を震わせます。
「やめて……」
「その呼び名で、呼ばないで……」
「私は『妹様』なんて名前じゃない……」
「ワタシは『レミリアの妹』なんてナマエじゃない……」
「ワタシは、ワタシハ……」
≪『イモウトサマ』≫と。≪『レミリアノイモウト』≫と。
異形と化したモノたちは何度も呼びます。
フランドールはカタカタと震えながら、耳を押さえています。
しかし、その声はまるで脳に語りかけるような声。耳を押さえても、聞こえてしまうのです。
何十回、何百回と呼ばれた続けた頃でしょうか。
フランドールの瞳から、血の涙が、ぽたりと――。
「ワタシを、ナマエで呼んで……」
――紙が、破けました。
空中に浮かんでいたキョウキがひとりでに動きだし、みんなを切り刻み始めました。
フランドールは虚ろな目で、それをぼんやりと眺めるだけです。
しばらく経った頃、何かがフランドールの目前へと転がってきました。
フランドールはゆっくりとそちらへ視線を移します。
……果たしてそれは、ご主人様の頭でした。
「お、お姉さま……」
フランドールの目に光が戻ります。同時に、ご主人様の頭を抱き上げます。
「お姉さま、お姉さま、お姉さま、ごめんなさい、私、わたし、こんなこと……」
「『やりたくなかったのに』」
ご主人様の頭は、にっこりと笑って話し始めました。
「違うでしょう、『フランドール』? 貴女はこれを望んでいたはずよ」
「ち、っちが……」
「違わないわ。何時でも、何処でも、誰といても。どのようにして、私たちの首を掻き切ってしまおうか。そのようなことを、貴女は考え続けていたはずよ」
「そんな、そんなことない! わたしは、皆と居たいだけで……」
「フランドール、素直になりなさい」
「……お姉さま?」
「ワタシはアナタだもの。アナタの事はワタシが一番よく分かってるわ。ワタシに任せればスベテが上手く行く。ダイジョウブ。安心して。ワタシに全て任せればいいの。フランドール。ワタシが全て、貴女の思い通りに、一切合財、何もかも、この世のすべてを――」
ご主人様の姿をした『キョウキ』が、大きく口を歪めて、フランドールの耳元で囁きます。……それは、この世の何よりも、魅力的で、安心感のある、完璧な、母性すら感じるような響きでした。
「コワシテアゲルから」
『キョウキ』が、フランドールを飲み込み、同時にセカイが闇に包まれ――
◇◇◇ ◇◇◇
「レミィ、遅いわねぇ」
「そうですね」
『自分で薬湯を飲ませてあげたいから』。そう言ってフランドールの部屋へ向かったご主人様が、中々帰ってこないので、魔女さんはそわそわしていました。
もしかして私の調合が悪かったのかしら。変なもの混ぜちゃったかな。フランドールがもっと調子悪くしちゃったらどうしよう。
魔女さんは一見クールに見えて、案外心の中ではあわてんぼうなのです。
「ただ今戻りました」
そこに、メイドさんが戻ってきました。手には八意印のお薬を下げています。どうやら、お薬を貰ってこれたようです。
門番さんも、メイドさんの出迎えをしていたようで、メイドさんの後ろについて来ていました。
魔女さんは二人に、ご主人様の帰りが遅いことを告げます。
「あら、どうなされたのでしょうか」
「皆で行ってみましょう」
このまま待っていてもらちが明かないという事で、みんなは門番さんの言葉通り、皆で地下室に向かうことにしました。
暗い廊下には、蝋燭の光しか灯っては居ません。司書さんは悪魔なのになぜか暗い所が怖いので、魔女さんに引っ付きながら歩きます。
「小悪魔、歩きにくいから」
「でもー、今日は何か出そうですよぅ」
「貴女、それ毎日言ってるでしょ」
わいわいと騒ぎながら廊下を進んでいくと、あっという間にフランドールの部屋です。
メイドさんが聞き耳をしますが、部屋の中は全くの静寂。
「フランドール様に薬湯を差し上げて、そのまま眠ってしまったのでしょうか」
メイドさんは首を傾げながら、扉を開きます。
部屋の中はなぜか暗く、やはり物音ひとつしません。
メイドさんたちは首を傾げながら、部屋の奥へと進んでいきます。
すぐに、フランドールが眠るベッドの近くのテーブルが見えてきました。
「あら? 薬湯が……」
不思議なことに、薬湯は皿の中にそのまま残っていました。ただ、湯気が出なくなっているだけです。
メイドさんはそのまま、ベッドの方を照らしました。
果たしてそこには、ご主人様の姿が。
頭だけ。
そこにあるべき身体は無く、頭だけが。
フランドールのベッドで、眠る様に目を閉じていました。
あまりの事態に、みんなは固まって動けません。
辛うじて魔女さんが、蚊の鳴くような声でつぶやきました。
「れ、みぃ?」
しかし、ご主人様は言葉を返しません。
だって、そんなの当り前。頭だけでは、生き物は生きることが出来ません。
だけど、魔女さんはそんなことも忘れてしまっていたのです。だって、ご主人様は吸血鬼で、どんな傷を負ってもすぐに再生してしまう――。
(レミィを、こんなに、こんな――)
再生能力すらも、『コワシテ』しまうなんて。
魔女さんは、気付きました。
そんなことが出来るとすれば、ただ一人――。
しかし、気づいた時には既に手遅れでした。
≪ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。ぴったりだぁ≫
四隅から、不自然なまでに幼い声が響き渡り――。
≪きゅっとしてぇ≫
≪ドカーン≫
魔女さんたちの意識は、闇に落ちました。
◇◇◇ ◇◇◇
「うふふ、みんな、今日もいっぱい遊ぼ」
「ね、お姉さま。紅茶入れてみたんだよ? おいしい?」
「もー。咲夜の入れた紅茶の方がおいしいだなんて、当たり前じゃない」
「咲夜もなに笑ってるのよー。でも、また紅茶の入れ方教えてね」
「美鈴、教えてもらったお料理、できたよ」
「あー、そんなにこぼすまでがっつかなくてもいいのに」
「え、おいしい? ほんとう? えへへ」
「パチュリー、今日も絵本読もう?」
「子供っぽいだなんて、そんなこと言わないでよ」
「小悪魔も、ね、この絵本面白いでしょ?」
「だよね。わたし、大好きなんだ」
「ふああ。ちょっと疲れちゃった」
「みんな、一緒におひるねしよう?」
「ありがとう。ふああ……」
「おやすみなさい」
「わたしたち、ずーっと一緒だね」
夢の内容はお姉ちゃんへの無意識レベルの嫉妬が反映されたのかも
しかし、読んでて途中で不吉さを感じる文章だわ
なんか不吉な恐ろしいことが絡みつくように牙を剥いてきそうというか肉食植物が獲物をおびき寄せるための甘い臭いを出しているような感じ
どこかグロテスクというか
個人的に漫画でいうところの漆黒の殺意ってリアルじゃ殺意や死や不幸を軽く扱うことや誤魔化すことだと思っているけど
そういう漆黒の殺意の匂いがするというか
フランの悪夢がハッキリとイヌカレー空間で思い描けました。
先のコメでも言っているが、死が軽く感じるっていうのかね
最後のフランちゃんで結構心に来ました
寺生まれのナムさんは自重しろwww
フランらしいといえばらしい...のかな?
特注の日焼け止めってことにでもしといてください
ですが、フランの抱く不安、絶望を見事に切り出していると思います。
面白かったです。
そしてあとがきで吹きましたwwww