強い者は大抵、笑顔である。
この真理は地上、すなわち幻想郷に限った話ではない。
例えば、旧都で最も強いとされているその鬼は、同時に地底において最も強固な笑みを持つ妖怪とも言われている。
体力、気力、膂力、生命力。強者が尊ぶあらゆる『力』において無双。
たとえ、刀の切っ先を喉元に突き付けられたとしても、その微笑にヒビ一つ入ることはない。
いかにして余裕を奪い、一泡吹かせられるか。そうした論議さえろくに起こらぬほど、その鬼は強かった。
だがこの日、彼女の鉄壁の笑みは、久方ぶりに崩されることとなった。
刀ではなく、一通の手紙によって。
「……まさか……そうくるとは……」
鬼ヶ城の天守の棟にて、星熊勇儀は手紙を睨みつけながら呻く。
きりりと引き締まった面を上げ、彼女は低い声音で独り言ちた。
「……これは私もついに、助けを乞う時が来たか」
足元に落ちた封袋には、『雪』の一文字が記されていた。
~ 『女子力の勇儀』の巻 ~
名のある鬼ヶ城の食客が、代々逗留してきた風雷邸。
現在の客人である橋姫は、その屋敷のほとんどの部屋に手を付けずにいたものの、自らが過ごす一室だけは大幅に改装していた。
固くしまった畳を、刺繍の細かな絨毯に。ほおずき色の行灯を、アラビア風のランプに。地獄絵図の描かれた襖を、木製のドアに。
さらには陶磁器や彫像、細密画など、様々なペルシャ様式のインテリアで模様を整えた結果、彼女の部屋は、鬼ヶ城の敷地内においてある種の異世界と化していた。
異国風の上品な趣を醸しつつも、宿主の気質そのままに、どこか陰気な雰囲気が漂う部屋へと。
ただし訪問者があった場合、その暗い雰囲気に、ある種の魔法がかかる。
お喋りや、甘いお土産、ささやかな酒宴など、日々変わる色違いの魔法の鍵により、彼女の部屋は普段とは別の温かい一面を見せることがあった。
本日、その役の担い手となったのは、焙煎したコーヒー豆の香りだった。
「………………」
「………………」
中央にある大理石のテーブルを挟んで、妖怪が二人、それぞれ椅子に腰かけている。
片方は、すすき色の髪を茶色のリボンでひとまとめにした土蜘蛛だった。
背もたれに頭を載せ、コーヒーの入ったカップを片手にし、リラックスした姿勢で、瞼を柔らかく閉じている。
ふっくらとした袖の大きな黒い上着に、黄色い帯を巻き付けた茶色のスカート。
顔立ちは少女といっていいが、その表情は妙に大人びて艶めいており、どこか世慣れした雰囲気も醸し出していた。
もう片方はこの部屋の主――金のショートボブに髪を切り揃えた橋姫だった。
こちらも茶色と薄紫のペルシアンドレスという、地底妖怪らしい決して派手ではない服装をしている。
陶器でできた人形を思わせる整った顔立ちに、穏やかながら冷たく湿った表情。
彼女も同じくカップを手にしていたが、薄闇の中ではっきりと開かれた緑の双眸は、注意深く向かい側に座る妖怪の様子を窺っていた。
互いにアンバランスな魅力を身にまとう妖怪達は、しばらく言葉を交わさずにいた。
やがて、一度深い呼吸音の後、土蜘蛛――黒谷ヤマメが口を開く。
「言葉はいらない……」
それを聞いた水橋パルスィは、ガクッと肩を落としてから、半眼となる。
「アドバイザーを自称しといて、どうなのよ、そのコメントは」
「いやいや、本当に美味しいんだって。これなら、お店で出されても気にならないんじゃないかな」
悪気がない分、遠慮もない風に笑って、ヤマメは手にしたカップを軽く掲げ、
「作るたびに上達してるっていうのは、偉いと思うよ、素直に」
「ふん」
パルスィは面白く無さげに鼻を鳴らす。
ちなみにこの仕草を淑女の言葉に置き換えると、「お褒めにあずかり、恐縮でございますわ」という意味になった。
彼女は瞼を伏せ、小言めいた口調で呟く。
「飲み過ぎには注意しなさいよ。また前みたいな騒ぎはごめんだわ」
「そーね。あんたも病み上がりなんだし、お互いこの一杯をじっくり味わうってことで」
「……けっ」
パルスィはしかめっ面で、そっぽを向いた。
ちなみにこれは「まぁ! 心配してくださるなんて、ありがたいことですわ」という意味であった。
あくまで、淑女であれば、だが。
二人は再び口元でカップを傾け、コーヒーの奏でる音のないバラードに耳を澄ます。
しかし穏やかなムードは、ドンドンドン、という乱暴なノックにより、二分も経たぬ内に粉みじんとなった。
「……どうぞ」
パルスィが入り口に目をやらず応じると、扉が勢いよく開く。
そこには両者が予想した通り、額に赤い一本角を生やした鬼が仁王立ちしていた。
背中まで届く黄金の髪。白い半袖の上着から伸びる引き締まった腕。閉じかけた和傘を想わせる、青地に赤い線が縦に入った薄い袴。
乱雑に揃えた毛先や、眼力の強さなどは、美しいという言葉よりも、猛々しいという言葉の方が合っていた。
突然現れた星熊勇儀は、部屋に踏み入ることなく切り出した。
「ヤマメもいたか。ちょうどいい。話があるんだ」
「ん? 何かあったの?」
ヤマメが意外そうに眼を瞬き、カップを置く。
同席するパルスィも、勇儀の様子の違いに気づき、訝しんだ。
部屋に入ってきた鬼の赤い両目が、不穏な感じに据わっている。口も真一文字に引き結ばれ、角の下には深刻めいた皺が生じている。
365日大体機嫌がよい彼女にしては珍しい。何やら片手に、一枚の畳まれた紙を持っているが。
テーブルの傍まで歩いてきて、勇儀は立ったまま咳払いをし、
「……ええと、二人とも。今から私が話すことに、絶対に笑わないと約束してくれ」
椅子に座るパルスィとヤマメは、思わず互いの顔を見合わせた。
それからもう一度、鬼の方に視線を戻し、
「まぁ、我慢くらいするよ私は」
と、自他ともに認める笑い上戸の土蜘蛛が、神妙な顔で発言。
他方、陰気なことに定評のある橋姫は、クールに肩をすくめ、
「笑うなですって? 自慢じゃないけど、橋の下で九十九日間笑わずに過ごしたこともあったわ。翌日に乾いた笑いが出て、記録が伸びなかったけど」
「いやそれ、本当に自慢にならないから」
「あー、なんだその、笑わないと約束してくれるならそれでいい。とにかく、笑わんでくれ」
勇儀は念を押してくる。
ずいぶんと妙な注文ではあったが、とにかく二人は居住まいを正して、話を聞く姿勢になった。
言われた通り、決して笑わぬよう、腹に力を込めて待機する。
静寂の訪れた部屋の真ん中で、勇儀は大きく息を吸い込み、
「この度、私こと力の勇儀は……」
どん、と胸の真ん中を拳で叩いて宣言した。
「『女子力』を鍛えることにしたっ!!」
「「ぶふぅ――っ!!」」
パルスィとヤマメは吹き出しながら、椅子から転げ落ちた。
◆◇◆
ずん、ずん、ずん、ずん、ずん、ZUN、ずん、ずん。
蹄鉄をつけた巨象が歩くような音が、風雷邸の廊下に響き渡る。
辺りの空気は怒気によって煮え立ち、音の主が固く握った拳を振るごとに、襖がたわんでいた。
陽炎とつむじ風を引き連れ、赤面の鬼が建物を出たところで、
「勇儀さ~ん!」
子供の声に名を呼ばれ、勇儀の足が止まる。
彼女が振り返ると、でんでん太鼓のような愉快な音を立てて、桶に入った緑色の髪の少女が近づいてくるところだった。
しかし、顔が合った瞬間、釣瓶落としのキスメの笑顔は凍り付き、
「あ、あの……」
と言ったきり、桶の中に目元まで沈み込んでしまった。
よほど目の前の鬼の表情が恐かったらしい。
勇儀は顔の筋肉を強ばらせたまま、あさっての方を向いた。
「勇儀さん、お腹の調子でも悪いの?」
「……そう見えるかい?」
「すごくおっかない顔してたから……」
「ビビらせたのなら悪かった。ちょっと、厄介な難題にぶち当たってね」
じ~っ、と足元のキスメが、横顔を見つめてきた。
すごく興味があるけど、話しかけにくい。でも、このまま見なかったことにして去りたくもない。そんな葛藤が仕草に表れている。
勇儀は仕方なしに、白状することにした。
念のため、咄嗟に拳が出たりしないよう、手を後ろに固く組み、
「キスメ、今から私が話すことに、笑わないと約束してくれ」
「うん」
「実は……私こと星熊勇儀はこの度、女子力を鍛えることにしたんだ」
幸いにして、笑い声は起きなかった。
ちらり、と勇儀が片目を開けて見ると、キスメは不思議そうに小首をかしげていた。
「女子力?」
「ああ。知らない言葉だったか?」
「聞いたことはあるけど、あんまりよくは分かんない……かな」
「そうか。まぁ私だって似たようなもんだが、女らしさを表わす言葉だっていうのは、なんとなくわかる」
「うん。あ、それなら勇儀さん、今からパルスィちゃんの所に行ってみない? ヤマメちゃんも来てるかもしれないし、二人なら詳しいだろうし……」
「ダメだ、ダメだ。あの二人はダメだ。全く頼りにならん」
その名前が出た瞬間、勇儀のこめかみが引きつった。
「たった今相談しに行ったところだったんだが、思いっきり笑われた。笑わないとあらかじめ約束してたのに、二人ともけたたましい声を上げて、床を転げ回りやがった。今はまだどっちも、私のお仕置きでノビてる」
キスメは青くなり、ぶるると小さく震えた。
勇儀がどうして怒っていたのか、そして自分が今向かおうとしていた場所で何があったのか、全て察したのだろう。
「けどまぁ……確かに笑うのが普通かもね」
憤っていた鬼の一本角が、力なく下を向く。
「何しろ、この女子とはかけ離れた私が、今さら女子力なんだから」
「ううん、全然おかしくない」
キスメは首を振って否定する。
それから彼女は桶から身を乗り出し、一際大きな声で訴えた。
「勇儀さん! それじゃあ私も、一緒に修行させて!」
「何っ!? 」
「私だって女子力を上げたいもん! 二人で一緒に頑張ろ!」
思ってもみない申し出に、勇儀は当惑した。
そして、まず第一に断ることを考えた。
いくらなんでもキスメは、共に修行する仲間としてはまだ幼すぎるように思えたのだ。
しかし、
――待てよ……確かに……。
彼女の真剣な顔を見つめるうちに、勇儀の心が傾いた。
むしろ今回の場合、キスメであれば、うってつけなのではないだろうか。
紛れもなく女子であり、素直で純真な性格だし、隣で失敗する者を嘲笑ったりするようなこともしないはず。
何より、彼女からは自分と同じ、女子力を上げたいという情熱を感じる。
それは勇儀の求める修行の仲間として必要不可欠なものであり、むしろそれだけでも十分資格に値する。
二つの清く輝く瞳と目を合わせ、鬼の胸に闘志と希望の炎が宿った。
そうだ。笑いたいやつには笑わせておけばいいじゃないか。
自分はあくまで自分のやり方で、信頼できる心強い仲間と共に、ただひたすらに高みを目指せばいい。
決心した勇儀は、ようやく鬼の四天王らしい力強い笑みを頬に刻んで、
「よし! やるかキスメ! 二人で女子力を鍛えて、あいつらを見返してやろう!」
「うん!」
二人は固い握手を交わす。
こうしてこの瞬間、鬼ヶ城において、ある意味地底最強の女子タッグが結成されたのであった。
◆◇◆
「ほー。ここがキスメの部屋か」
敷居を遠慮なく踏んで中に入った勇儀は、広々とした室内を見渡す。
元々、風雷邸の全室はパルスィに与えられたものなのだが、キスメも彼女の許しを得て、ここをちゃっかり使わせてもらっていた。
ただキスメは部屋を全面的に改装したりせず、元のお座敷形式の和室に、自分の私物をいくつか運び込んだだけで留めていた。
それでもきちんと掃除された部屋に、小さな本棚や姿見、小物が置かれた箪笥や文机などがあるだけで、雰囲気がだいぶ変わるものだ。
橋姫がこの屋敷を根城にするのが初なら、釣瓶落としが宿にするのも初であろう。
管理者の一人である勇儀としては、二人が気分よく使ってくれるのであれば文句はない。
「これこれ! 前に買った本に入ってたの」
キスメは何やら小冊子を二つ手にして持ってくる。
それぞれのカラフルな表紙に、女子力特集号付録と大きな文字で書かれていた。
「どれどれ、読ませてくれ」
「あ」
勇儀はキスメから一冊取り上げて開く。
「なになに? ……あーんわたしおむらいすたべられないんですよねぇ、きらいじゃないしたべたいけどたべられないんです、だってたまごわったらひよこがしんじゃうじゃないですかぁ、まだうまれてないのにぃ、ぴよぴよとすらなけないんですよ……」
抑揚のない朗読を終えた勇儀は、ヒエログリフで書かれた般若心経を読まされたような顔で、
「何だこりゃ一体」
「わかんない。もしかすると上級編って書いてるから、難しいのかな」
「上級編か。確かにこれは難解だ」
「うん。でも、ヤマメちゃんもパルスィちゃんもそんなこと言わないと思うんだけど……」
「それじゃあ、私らにこれが理解できるようになれば、あの二人よりも女子力が上がったという証明になるのか」
勇儀は納得して、拳を掌に打ち付け、やる気満々の顔で言う。
「なら、これはあくまで目標に設定するとして、まずは初級編から手をつけるとするか」
「うん! それじゃあ私が読んであげる!」
キスメは自分が手にしていたもう一つの本、女子力・初級編を読み始めた。
「ええと、『女子力とは』」
「おう! 女子力とは!」
「『女子力ってムズ~い。そんなあなたの気持ちは超ワカる! 女子力って人によって意味がケッコー変わってくるもんね。だからこの本では、まずそこから解説してあげる♪ 女子力っていうのは、女子としての総合的なスキルを意味する言葉で……』」
「ふむ」
「『……会話や仕草、趣味や嗜好とか、色んなジャンルにおいて、女子としての魅力にあふれた選択ができる能力って感じかな。でもね、男の子から見た女子力と女の子から見た女子力では、結構ズレてる部分も多いの。わかるよね?』」
「ほう……」
「『だからイマドキのみんなは、わぁ! 女子力高! っていう身近な人をマネしたりモノを集めたりしながら、何となく意味を見つけてる子が多いんだよね。そういう子がまたムーブメントを作るスーパーガールになることだってあるの。もちろんアナタも、この本を読んだら、そんな女の子になれるかも!』」
「…………」
「『例えばね? ファッションとかメイクとかでも、女子力って言葉をたくさん使うようになってきてるし、そこにはついつい引かれちゃう魔法みたいな力が……』」
「ちょ、ちょっと待ってくれキスメ。頭がこんがらがりそうだ」
勇儀が自らの側頭部に手をやりつつ、ストップをかける。
「何が何やら、ちんぷんかんぷんだけど、とにかく私には縁遠い世界の言葉だってことは伝わった。それより具体的にどうやったら女子力を鍛えることができるのか、そういうことは書かれてないのか?」
「あるよあるよ。えっとね。『まずは言葉遣いを直そう!』」
「言葉遣い」
思わず勇儀は復唱する。
てっきり外見やら振る舞いに関わることが書かれていると思っていたので、意外な教えだった。
キスメは舌足らずな声で説明する。
「『女子力って、可愛らしい言葉遣いと密接な関係があるの。はじめのうちは、できるだけキレイで丁寧な言葉を使って、下品な言葉は避けるようにすれば、たちまち女子力アップ♪』。だって」
「下品な言葉は避けろ、か。どの辺りまでなら許されて、どんなもんが使ってはいけないんだろうか」
「えっとね。ここに載ってるので、勇儀さんが使いそうなのだと……」
「んー」とキスメは、しばらくページを眺めてから、ぼそりと呟いた。
「『食う』」
「うっ!」
その一言に、勇儀は身を引く。
「『うまい』」
「なっ!?」
「『お前』」
「ええっ!?」
「あと、お酒とかお金とかお風呂とかに『お』をつけない」
「ぬぬぬぬ!」
勇儀はたじろいだ。心当たりがありすぎる。
動揺が治まらないうちに、キスメが次のページを開いて、
「あ、ここに『女子力の低い鬼の台詞』っていう例があるよ」
「……読んでみてくれ」
~~~~
・女子力の低い鬼の台詞
よぉし! これからうまいもんでも食って、一っ風呂浴びて、飲み明かすぞ!
おお! こいつはいい酒じゃないか! 気分が乗ってきやがった!
どうしたどうした! お前の力はそんなものか! 火事場のク●力を見せてみろ!
鬼ならうざったい弱音を吐くな! もう一度言ってみろ! ぶっ飛ばすぞ! キンタ●どこに置いてきた!
がはははは!! うはははは!! ぬはははは!!
~~~~
勇儀は途中から頭を抱えていた。
「まいった……どれもこれも、毎日一度は言ってる気がする」
「うん……聞いてるかも……まるで勇儀さんがモデルになってるみたい」
さすがのキスメもフォローできなかった。
実際、例文を目で追うだけで、なぜか目の前に立つ鬼の声で再生されるのだから驚きである。
とはいえ、旧都において女子力という言葉は突然変異種といってよく、従来の男臭い鬼の社会と対極に位置する世界の言葉だ。
よって、鬼の代表格である勇儀の言動が、女子力に著しく欠けた例と近くなっても不思議ではない。
「なら、それらを女子力が高い風に言い直すと、どうなるんだ」
「それも書いてあるよ。読んでみる?」
本を渡してもらった勇儀は、開かれたページに目を通した。
~~~~
・女子力の高い鬼の台詞
よぉし! これからうまいもんでも食って、一っ風呂浴びて、飲み明かすぞ!
→ねーぇ。このあとみんなでぇ、おいしいもの食べてぇ、お風呂にのんびり入らなぁい? (語尾を伸ばす。お酒は自分から提案しない)
おお! こいつはいい酒じゃないか! 気分が乗ってきやがった!
→わー! 私お酒超ヨワいんですけどぉ! これとっても美味しそう! 『自分の名前』テンションあげぽよー!
どうしたどうした! お前の力はそんなものか! 火事場のク●力を見せてみろ!
→えーん! 負けちゃったぁ! がんばっても『自分の名前』、これしか力でないんですぅ……くすん。
鬼ならうざったい弱音を吐くな! もう一度言ってみろ! ぶっ飛ばすぞ! キンタ●どこに置いてきた!
→うんうん辛たんだよね(泣)。また相談してね。私も大変なことあったら『相手の名前』っぴに相談するから! ズッ友!><
がはははは!! うはははは!! ぬはははは!!
→うふふふふ。キャッキャッ。くすくす。
~~~~
ピシッ、という音がした。
キスメにはわからなかったが、それは地底最強の鬼の表情に罅が入る音であった。
だがさすがに顔が本で隠れていても、直後に勇儀の髪が逆立つ様を見れば、容易に彼女の感情を推し量ることができた。
「こんなひ弱な言葉を、私に吐けっていうのか……」
地の底から這い上がる溶岩のごとき唸り声。
今にも噴火しそうな鬼の姿に、キスメは本能的に部屋から逃げ出すことを考えた。
実際、彼女のこの姿を見れば、怨霊ですら頭を丸めて仏門に入るかもしれない。
鬼の四天王の機嫌を損ねて無事でいられるものなど、地上にも地底にもほとんど存在しないのだから。
しかし続いて勇儀の口から出たのは、とんでもない一言だった。
「やってみよう……」
「ええーっ!?」
キスメは衝撃のあまり、自分の桶から飛び出し、すっ転んだ。
そのまま畳の上で溺れるように手足を動かし、あたふたとしながら、
「ゆ、勇儀さん、無理しない方が……!」
「無理じゃない!! 女子力を身に着けるために必要なら、止むをえん! 私はやるぞキスメ!」
◆◇◆
その日の鬼ヶ城における、不幸な男衆第一号は、名前を心平太と言った。
城入りを許されておよそ二年。並み居る強者の巣窟においては、ほんの青二才といえる。
とはいえ彼は、恵まれた肉体を持ち、心意気に曲がったところはなく、技は上達する一方。
将来有望の鬼として、周りからも認められていた。
しかし、この日は運がなかった。
城の廊下を歩いていたところに、鬼の大将と出くわしたのだが……。
「あ! 勇儀様!」
自然、心平太の背筋が伸びる。
鬼の社会には形式も礼儀作法も存在しない。己の心に従うままに、敬意が表出する。
そして山の四天王は、この城に住まうあらゆる鬼に、自然とそうしたくなる気持ちを抱かせる存在であった。
いつもは晴れ晴れとした笑みでねぎらってくれる星熊勇儀は足を止め、真面目な顔で、
「心平太か。ちょうどいい。今から私の鍛錬に付き合ってくれるか?」
「ええ!? 本当ですか!」
名前を覚えてもらっていたどころか、あの『力の勇儀』の鍛錬に協力できるとは、なんと名誉なことだろう。
最低でも骨の二、三本は折られるだろうが、全く惜しくはない。むしろこの機会を逃せば、鬼として一生の悔いになる。
「あっしで良ければぜひとも! 命がけで付き合わせていただきやす!」
「よし。それじゃあちょっと来てくれ」
勇儀に手招きされ、心平太は尻尾を振る勢いでついていった。
案内された場所は、鬼ヶ城の裏庭の一角だった。
四方に石灯籠が置かれたこの庭の中心部は、多様な彫刻が飾られた岩の庭園となっており、端側には広いスペースが設けられている。
城の鬼達は、しばしばここで力や技を比べ合い、時には決闘の場として用いる。
血と汗がしみ込んだ頑丈な石の大地には、踏み込みの足跡や叩きつけられた跡が生々しく残っており、殺伐とした雰囲気が漂っていた。
心平太をここに連れてきた鬼の頭領は、片手に開いた本を持ち、それをじっと見下ろして、小さく呟いている。
何か新しい技でも開発するのだろうか。
若輩の自分が協力できるとは。心平太は昂ぶる気持ちを抑えられない。
「よし、始めるぞ」
「はっ!」
心平太は深く落として、構えを取った。
左手を広げて前に突き出し、右の拳を弓のごとく引き絞る。
この城に流れ着くまで、幾多の鬼を打ち負かしてきた、攻防一体の構えだ。
いわば心平太という一匹の鬼の生涯が、その姿勢に凝縮されているといってよかった。
対する勇儀は、本を片手に持っている以外は、何の構えも見せていなかった。
無防備のようで、全く隙が無い。何を仕掛けてくるのかも全く読めない。
背丈はほぼ同じなのに、天に届くほどの岩壁と向かい合ってるかのような存在感。
やはり四天王、それも格闘戦であれば最強と謳われた、力の勇儀だけある。
瞬きすら命取りになる緊張感の中、若き鬼はその張り詰めた時間に浸りつつ、技が来る瞬間を待ち構えた。
「『こ……コンニチワ~♪ ……テンションあげぽよ丸の……ゆーぎです♪』」
心平太は構えを取ったまま氷結した。
「『私ぃ……力のぉ……ゆーぎってゆーんですけどぉ……なんかなんかぁ、最近……激かわな呼び名のほーが人気なんでしょー? あれってどうなんですかぁ♪』」
勇儀はまたも何やら謎の言葉を口にしてから、目線でこちらの反応を確かめる。
心平太は動けない。
「『新しいの欲しいんですけど……わかんなぁぁああい!! ……私……かわいそーなコ★ ウフフッ』」
心平太は我知らず、全身から脂汗を流していた。
勇儀の表情は真剣だ。冗談めいた気配は微塵もない。
ということは、これはもしや、すでに四天王の新技が発動しているのだろうか。
ならば自分は、何か食らったフリをすべきなのか。
いや、鬼たるものがそんな風に演技で偽ってはいけない。堂々と、正直に述べなくては。
「勇儀様。あっしは全く『効いて』ませんが……」
「何だと!? ちゃんと『聞け』!」
「はいっ!」
しっかりと『効く』ように、むしろ自分から技を食らいにいく覚悟で、心平太は構えを取りなおす。
「……『ガッタンガッタン! ゴトンゴトン!……私の脳内……マニュファクチュア(工場制手工業)が記録しているのでありますっ☆』……」
心平太は顔を激しく歪ませた。
肉体に全くダメージはない。しかしなぜだろう。心が痛い。
首を絞められているよりも、関節を決められているよりも、一秒が果てしなく長く感じる。
――はっ!? そうか!
心平太はついに悟った。というよりも、無理やり納得した。
これがきっと、勇儀が新たに開発した技なのだ。
直接的な暴力を用いることなく、敵をじわじわと精神的にいたぶる攻撃に違いなかろう。
もうこれは、自分の及ぶところではない。なんというか、一刻も早く素直に負けを認めて退散したい。
「勇儀様! あっしには無理です! 参りました! これで失礼しやす!」
「なにぃ!? ……じゃなかった! ええと、待て……でもなくて、『うぇーん待ってくださいぃ』!」
地底最強の鬼は、憤怒の表情で両拳を振り上げ、
「『あーん! マジでチョームカつくんですけどぉぉおぷんぷくり~ん!!(怒)』」
「うわあああああ――っ!?」
生涯初の得体の知れない恐怖を体験した心平太は、城から飛び出し、旧地獄街道を駆け抜けて、地底の彼方へと去って行った。
◆◇◆
「うーむ……どうもいまいち、女子力が上がってる気がしないな」
「そ、そうだね……」
腕を組んで唸る勇儀に、キスメは伝えにくそうに相槌を打つ。
二人は今、『女子力を上げる言葉遣い』の実践を中断し、鬼ヶ城の回廊で作戦会議をしているところだった。
すでに勇儀が話しかけた鬼の数は五名。
そのいずれもが頑健な男の鬼であり、戦闘力も闘争心も並の妖怪を遥かに凌ぐ者ばかりであった。
ところが彼らは、最初に試した若者とほぼ同じ行動を取った。つまり、城から逃げ出した。
勇儀が普通に格闘戦を挑んだのであれば、鬼達は正々堂々敗れることはあっても、逃走することはなかっただろう。
それだけ、彼らは凄まじい恐怖を抱いたのだ。鬼ヶ城に突如現れた、『女子力の勇儀』に。
当人はその心理までは気づかなかったものの、このまま継続しても成果が出そうにないことは判断できたらしい。
「言葉遣いの方は徐々に直していくことにして、他の鍛錬はないかキスメ」
「うーん」
言われてキスメは、参考書代わりの『女子力初級編』のページをめくって、
「『宴の時に、お酒に弱いことをアピールする』」
「却下だ。酒をたしなまずに嘘まで吐く。鬼として二重に受け入れ難い行為だ」
「『身に着けるアクセサリーを選ぶ』。こういうのなんだけど」
「こんなちゃらちゃらしてるものを身に着けたら、喧嘩の時に邪魔になるだろう。何の役に立つんだ」
「……『見えない所に気を遣う』」
「うん。それは気をつけてるぞ。背後や頭上、夜道に曲がり角。たとえ寝ている時だって、私に死角は存在しない」
「…………『思いやりを持つ』」
「ふふん、『重い槍』なんて私には必要ないさ。肉体が最大の武器だからな」
「………………」
キスメはへこたれそうになった。
何だか、こうした受け答えをすればするほど、勇儀の女子力を下げてしまってる気がしたので。
「これはどうかなぁ……」
一番下にあった項目を、キスメは自信なさげにチョイスする。
「なんだ。何でもいいから言ってみろ」
「えっとね。女子力の基本に『男をつかむなら、まず胃袋をつかめ』って教えがあるらしくて……」
「なんだって!?」
勇儀の表情が一変した。
彼女はまさしく、漂流中に陸を発見したような声で、
「それなら得意中の得意だ!」
「ほんと!?」
「ああ! おっ、ちょうどいいところに! おーい吉次! ちょっと来てくれ!」
回廊に現れた影に向かって、勇儀は手を振る。
吉次と呼ばれたその若い鬼は、駆け足でやってきて、
「なんですか姉御」
「ふんっ!」
いきなり勇儀はその鬼の腹に、貫手をえぐりこませた。
さらに凹んだ腹の奥を鷲掴みにして、
「食らえぇぇ! 女子力うぅぅぅぅ!」
「ぐぼぁあああ!?」
鬼は手足を振り乱しながら仰向けに倒れ、床の上でのたうち回り、泡を吹いて動かなくなった。
勇儀は腰に手を当てて胸を張り、満足気に鼻息を吹いて、
「私の女子力を思い知ったか!」
「勇儀さん! ちがーう!」
キスメはたまらず叫んでツッコミを入れた。
てっきり感心されると思っていたらしい勇儀は、「あれ? あれれ?」と困惑し、
「なんか間違ってた?」
「全然違うよ! 胃袋をつかむっていうのは、そうじゃなくて……!」
◆◇◆
「料理……ねぇ」
割烹着をまとった一本角の鬼は、やる気のこもってない声で呟く。
対照的に、隣にいる白い頭巾をかぶった釣瓶落としは、
「使うの許してもらえてよかったね」
などと言って、ニコニコとしていた。
二人が今いるのは、鬼ヶ城の厨房である。
ここは料理の鬼と呼ばれた凄腕の料理人達が集まっており、中でも料理長は都一の腕前と謳われている。
その強面の料理長は今休憩に出ているそうで、かわりに、彼の手足となって働いている部下達が応対してくれた。
鬼達は勇儀が厨房に現れたことに、とても驚いていたが、用件を伝えると快く二人に場所を貸してくれた。
夕餉の支度まであと一時間はあるそうで、それまでなら、お邪魔にならないそうだ。
しかしながら勇儀は、格好だけは一人前なものの、どうにも厨房の空気になじんでいなかった。
言うなれば、畑に連れて来られ、鍬を手渡されたチンギス・カンのごとしである。
「キスメは料理をしたことがあるのか?」
「うん。毎日じゃないけど」
調理台の側に自らの桶を載せる椅子を用意しながら、キスメは答える。
「ヤマメちゃんのおうちに行った時に、いつお簡単で美味しいご飯の作り方を教えてもらってるの」
「ほー」
「あと、パルスィちゃんもすっごくお料理が上手なんだけど、本格的で難しくて真似できないから、いつも隣で見てるだけで……」
「なるほどね」
確かに勇儀も思い出してみれば、旧都の外で二人の手料理を味わったことが何度かあった。
特に料理が趣味のパルスィは、ここの料理長を嫉妬しつつも大いにリスペクトしているらしく、幾度か見学しに赴くほど勉強熱心だということを聞いた気がする。
自分にはあまり関係のない話だと思っていたので、ほとんど記憶から失せかかっていたが。
「まぁ、今日はあの二人のことは忘れて、二人で頑張るとしよう」
「うん! この写真に出てるお弁当を作ってみない? お弁当は定番のおかずを使うだけでも、女子力ポイントが高くなるんだって」
「ふむ。キスメが言うなら挑戦してみるか」
調理台の端に開かれた本の挿絵を、勇儀は見下ろす。
「厚焼き卵、きんぴらごぼう、鶏の照り焼き……いいねぇ、うまそうだ」
「勇儀さん。うまそうじゃなくて、美味しそうって言わないと」
「おっと、そうだったね。美味しそうだし、やる気が出てくるな」
勇儀は舌なめずりして言う。
先ほどまでは場違いに感じていたが、だんだん気が乗ってきた。
まずはキスメが、自信があるという卵焼きに挑戦し始めた。
手をきちんと清めてから、材料と必要な調理器具を用意し、
「まずは卵を割りまーす。カドじゃなくて、平らなところでヒビを入れるといいんだって」
コンコン、とキスメは楽しそうに、卵を調理台の真ん中で叩く。
そんな彼女の隣で、パカッ、と小気味よい音が起こった。
それは勇儀が右手だけで卵を綺麗に割り、中身を左手の上に落とした音だった。
キスメは目を丸くする。
「勇儀さんすごい! 片手で卵が割れちゃうの!?」
「ふふん。見直してくれたか」
得意そうに言って、勇儀は掌に載った生卵の中身を、口に放り込む。
キスメの目がさらに丸くなった。
勇儀はハッとなり、
「あ! しまった! つい癖で!」
ワイルドすぎる。せっかく上昇しかけた女子力が一気に下落した。
「勇儀さん……いつもそうやって食べてるの?」
「いやまぁ、最近はないけど、昔は酒の肴に困った時に、たまに……」
ぽりぽりぽりと鬼は頬をかいて釈明。
星熊勇儀。その生涯において、食材を生で食べた経験は数知れず。一方で料理の経験は全くのゼロであった。
というわけで、勇儀はひとまず大人しく、キスメの腕前を拝見することにした。
「お出汁とお砂糖、そしてお酒をちょっと混ぜるのが地底好みの味付けになりまーす」
釣瓶落としは椅子に乗った状態で、工程を口ずさみながら手を動かす。
たぶん、教わった存在の影響なんだろうな、と勇儀は思った。
「あまりかき混ぜ過ぎないように、お箸で白身をちぎって……」
お椀に出した卵の中で、菜箸の先が左右にちゃかちゃかと動く。
続いてキスメは、ごとくの下に敷かれた火術の札を発動させ、そこに比較的小さな鍋を置いて、
「お鍋を強い火で温めてから、油を引いて白い煙が出たら、卵を一気に流し込んで~」
じゅわーっという音がして、鍋の上に黄色くて柔らかそうな満月が現れ、香ばしいにおいが立ち上る。
鍋を頑張って上下に揺らしながら、キスメは菜箸で卵の生地を織るようにまとめていき、
「きれいにたたんで……くるりと巻けたら、できあがり!」
「おー、大したもんだ」
勇儀は素直に感心する。
キスメはできたてほやほやの卵焼きをお皿に載せ、小さな鼻を高くして、えっへんと胸を張った。
「よし。それなら私はこっちの鶏の照り焼きとやらに挑戦してみよう」
勇儀は材料を確認してから振り返り、後ろで微笑ましく見守っていた料理の鬼達に尋ねる。
「鶏肉はあるのか?」
「へい。それはもうたっぷりと揃えておりやす」
「大将。弁当用の照り焼きなら、これくらいがオススメですぜ」
早速、鬼の一人が肉を一枚持ってきてくれた。
赤みがかったピンク色のもも肉で、臭みもなく鮮度がよいことが窺える。
もらった肉を、勇儀は指でつまみ上げ、
「ちょっと量が少ないような気もするが、まぁ試しならこんなものか。よし」
勇儀は楽しそうに、まな板にもも肉を載せた。
それを左手でむんずと上から掴み、右手に包丁を『逆手』に持って、
「ふんっ……!!」
と気合の声と共に振り下ろす。
ずしん、と厨房が揺れた。
一歩離れた位置で見守っていたキスメの桶が、そして背後の鬼達の両足が一瞬宙に浮いた。
「おお切れたぞ。キスメ、どうだ?」
「………………」
キスメは答えられなかった。
勇儀が自慢げにつまんで見せている鶏肉の切れ端も、ほとんど意識に入っていなかった。
同じく、その背後にて砕け散ったまな板についても、ちっとも意識に入らなかった。
場にいる勇儀以外の全員が、調理台に出来ていた『ど派手な峡谷』に釘付けとなっていた。
鬼の一人がごくりと喉を鳴らし、
「た、大将。そんなに力はいりやせん。あと包丁の持ち方は逆手じゃなくて順手でやす」
「ん? そうなのか? じゃあ、こうか」
勇儀は短くなった包丁を、別の包丁と取り換え、順手に持つ。
しかしそれは両手持ちで、なおかつ腰だめに引いて半身の体勢という、まさに刺客の構えであった。
キスメは何も言わず、後ろで固唾を呑む鬼達と同じ位置まで後退する。
「ふん! ふん!」
勇儀は新しいまな板の上に鳥肉を載せ、上から包丁を押し付け始めた。
ミシ、ミシ、という音と共に、食材の両端が助けを求めるかのように持ち上がる。
なんというか、すでに命がない肉であっても、傍から見れば同情を誘う光景だ。
「う~ん、どうもじれったいな。やっぱり刃物は性に合わん」
と言って、ひょい、と勇儀は包丁を天井に向けて放る。
ガスッ、と耳ざわりな音がした。
包丁は、刃のほとんどが隠れるくらい、深々と天井に刺さっていた。
それを見上げて茫然自失となっている、厨房の他の面子をよそに、勇儀は残った鳥肉の上で手刀を構え、
「さぁっ!!」
と閃かせる。
すると、空中に舞い上がった鳥もも肉は、音もなく五つに分かれた。
それらは滑らかな断面を晒し、全て綺麗にカットされた状態で、まな板の上に並ぶ。
「おおおおおおっ!?」っと、その妙技に後ろの面々から歓声が起こった。
今までの流れからすれば、半ばやけっぱちな反応といえたが。
「さて、あとはこれを焼けばいいのか。なんだ。意外に簡単じゃないか」
と、味付けのことを頭に入れずに、勇儀は切られた肉を鉄鍋の中に落とす。
続いて彼女の指が、鍋の下にある火術の札に向けられた瞬間、場にいる他の全ての妖怪が、続く光景を予見した。
そして、それは起こった。
ぶぼわっ、という爆音と共に炎の柱が生まれ、鉄鍋が浮上した。
「うわわっ、大将っ! 火の勢いを加減してくだせぇ!」
「おう! そうか!」
その忠告を勘違いした勇儀は、火の勢いをさらに『強める』。
部屋の気温が一気に上昇。炎が勇儀の妖気に反応し、ぼぼぼぼぼぼと弾幕よろしく、勢いのままに乱れ散った。
「きゃー!」
「おおー、派手な火だ! こいつはいい飯ができそうだな!」
悲鳴を上げるキスメ。からからと笑う勇儀。
そして炎の勢いはさらに増し、調理台の各所に飛び火した。
勇儀の起こした火が、他の火術の札にも引火し、連鎖的に炎の柱を発生させたのだ。
それぞれの炎が競うように灼熱の大輪を咲かせ、天井から壁に至るまで舐め上げる。
空気が恐るべきスピードで食い荒らされ、部屋のあちこちで小さな爆発が起こった。
そのまま勇儀が調理を続けていれば、鶏肉の照り焼きどころか、厨房の丸焼きが出来上がっていたに違いない。
だが幸いにして、そうはならなかった。
肝をつぶしていた調理人達が、緊急用の消火術の存在を思い出し、すぐ様発動させたのだ。
箱の中からぶちまけるように撒かれた青い札は、部屋の中を飛び回り、炎を食べては消え、食べては消えていく。
その間、キスメは奥の冷蔵室の近くにかくまわれ、鍋を持っていた勇儀は数名に取り押さえられた。
ようやく鎮火した後、厨房はひどい有り様になっていた。
あちこちが焼け焦げ、調理器具は床に散らばり、色とりどりの食材はどれも炭と化している。
「大変だこりゃ! 料理長が帰ってきたら大目玉だ」
「急いで片づけをするんで、大将は出てってください」
浮き足立って騒ぐ料理人達は、勇儀とキスメを有無を言わさず追い出した。
「………………」
「…………あ、勇儀さん。角に何かついてる」
言われて勇儀が、自分の角に触れてみると、確かに何かが刺さっていた。
指でつまんで取り除き、確認すると、それは真っ黒に炭化した鳥肉だった。
とりあえず、口に放り込んでみる。もぐもぐと咀嚼していくうちに、瞼が下りていき、
「……まぁ、食えなくはない」
「……………………」
「ん? キスメ、それは……」
「……あ、これはせっかく作ったから、持ってきちゃったの。勇儀さん、味見してみる?」
キスメはそう言って、自分の作った卵焼きの載ったお皿を差し出してくる。
勇儀はその上の一片を指でつまんで、同じように口にしてみた。
思わず瞠目し、表情が固まる。
ふんわりした卵を噛むと、突然、出汁の旨味があふれ出して口の中に広がり、豊かな風味が鼻に抜けたのだ。
しかも、お酒の混じった甘味は、なんとも鬼の舌に合った。
「美味い……じゃなかった、おいしい」
「ほんと!? わぁ! 作ってよかった!」
キスメは小さく手を叩き、仔犬のように跳ねる。
そのあどけない笑顔は、自分が作ったものを食べてもらったという喜びで輝いていた。
「…………!!」
その時になって、勇儀ははじめて、目の前の小さな妖怪から、ある種の『力』を感じ取った。
素直で優しく、気配りができて可愛らしく、見るものの心を癒してくれるこの少女が持つ力。
己のがさつで乱暴なやり方では、決して生み出すことのできぬ力を。
思わず勇儀は膝を屈し、片手で顔を覆う。
「くっ……なんてこったキスメ。今のお前の存在は、あまりにも私に眩しすぎる」
「え? え?」
「いや、何でもない。料理は後回しにして、次の修行に行こう。まだ何か書いてあるか?」
「ええっと、身近な女子力が高い人の行動を、少し手本にするのもベリーグー、って」
「身近な……女子力……」
呟く勇儀の視界には、つぶらな瞳でこちらを見つめる、釣瓶落としが映っていた。
有り余る女子力の才を秘め、それを発揮しつつある存在が。
彼女にあって、自分に足りないもの。それは一体なんだろう。
突如、勇儀の頭にあるアイディアが閃いた。
すぐさま立ち上がり、廊下を駆け出す。
「勇儀さーん! どこ行くのー!?」
「桶だ! 桶を探しに行く!」
◆◇◆
鬼ヶ城の門から本丸へと続く道を、巨漢の鬼が歩いていた。
身の丈七尺。角は二本。髪もたくわえた髭も墨より濃い黒。
袖のない毛皮の上着からは、青黒い筋肉の丸太が伸びており、入れ墨代わりの刀傷が無数に走っている。
身にまとう妖気もさることながら、その刀傷で左目を塞がれた面構えを見るだけで、魑魅魍魎などは逃げ失せるであろう。
左近と呼ばれているこの鬼は、四天王のうち三名が留守にしている今、実質的な副将軍を任されている城の重鎮だった。
『力の勇儀』の片腕として、鬼ヶ城の内と外の動向を見据え、必要があればその武によって揉め事を鎮圧する役を長年負っている。
今朝は都の警備を任せている手下の様子を見に出向き、たった今帰還したところであった。
そして左近はようやく、この日の午後に城で起こった騒動を知ることになる。
「左近の兄貴ー!」
隻眼の鬼は足を止め、顔の皺を一段と深くした。
本丸の方から、城に住む若い鬼達が走ってやってくる。
なぜか、当直でもないのに都の警備の格好をしているのが引っかかるところだ。
左近の前まで駆けてきた彼らは、息も絶え絶えに訴える。
「待ってたんですよ。早く城に戻って何とかしてください」
「何事だ一体」
「大将ですよ。どうもよくわからない修行にはまってるらしくて、みんな混乱してるんです」
「なので左近様に助けてもらおうと」
「何を愚かなことを。上の鬼の修練を前にして奮起するならまだしも、泣き言をぬかすとは。ぬしらの角は飾りか何かか」
「いやまぁ、それは分かってはいるんですが、殴られたり蹴られたりするならまだ覚悟できっけど」
「あれは勘弁です。とてもじゃないけど、耐えられねぇ」
「左近様だって見たらわかりますって。もう逃げ出したやつもかなりいるんすよ」
「とにかく、後は任せましたから」
それっきり鬼達は、これ以上の問答は無用とばかりに、都の方へと駆け去っていった。
左近は黙っていても悪い面貌をさらに悪くして、かぶりを振る。
「全く……近頃の若い連中は……」
生ぬるい城下町に住む鬼ならいざ知らず、この城に住まう鬼に泣き言など許されない。
一度人員を整理して、腑抜けた身心を鍛え直さねばならぬ。
しかし、左近のそうした決意は、城に入るなり出くわした光景によって、容易くねじ伏せられた。
廊下の向こうから、どっすんどっすんどっすんどっすん、と音を立てて何かが近づいてくる。
左近は片目をいっぱいに広げ、唖然とした。
「左の字! そこをどいてくれ!」
と怒鳴るのは、まさしく彼が今日まで補佐してきた鬼の頭である、星熊勇儀。
彼女はなんと巨大な桶に入った状態で、どっすんどっすんと跳ねながら移動していた。
「勇儀様……何を……?」
「女子力の修行だ! またな!」
釣瓶落としもどきは、どっすんどっすんどっすんと廊下に痕をつけて去って行った。
「………………」
百戦錬磨の鬼の額を、冷たい汗が伝う。
不覚にも彼は、自分もしばらく城から遠のくべきだろうか、という後ろ向きな考えにとらわれた。
確かに、あれでは若い連中が動揺するのも無理はない。
しかしなぜ勇儀はあのような奇行に走っているのか。皆目見当がつかなかったが……。
「む……?」
左近は付近に己以外の気配が潜んでいるのを感じ取った。
廊下の角に隠れて、何者かがこっそりと、こちらの様子を窺っているようだ。
のしのしと歩いてそこに出向き、左近は隠れていた二人を睨み下ろした。
「そこで何をこそこそとしておる貴様ら」
「え、えーと、やっほ♪」
「…………ご無沙汰してるわ」
黒谷ヤマメが片手を軽く上げ、悪戯が見つかったような笑みを浮かべて挨拶。
水橋パルスィの方は目線をそらしつつ、何かをこらえるように唇で波線を作っていた。
二人とも、左近と仲良しということは断じてないものの、一応かつて旧都を騒がせた異変を通して共闘した顔見知りである。
そしてなぜか彼女らはどちらも、おでこの中心が赤く腫れ、ぷっくりと膨らんでいた。
「どういうことなのか説明してもらおう、黒谷、水橋」
左近は腕を組み、鼻息も荒く問い質す。
「それがしが留守にしておる間、勇儀様に何があったのだ」
「や~、それがよくわからないんだけどさぁ。なんか急に女子力を鍛えたいって言い出して」
女子力という言葉に明るくないどころか初耳だった左近には、彼女らの説明は千年前の異民族の風習よりも奇々怪々に聞こえた。
「そんなわけで、さっき怒らせた手前、顔を出しにくくて」
「かといって、放置もできないし」
「故に陰から盗み見しつつ、忍び笑いをしておったというわけか」
「「ノーコメント」」
二人の女妖怪は声を揃えてから、腹を殴られたかのように屈みこむ。
「い、いやまさか……あそこまで迷走するとは……くく……」
「なんで桶なのよ、なんで……ど、どういう発想なのよ……」
よほど可笑しかったのか、両者は互いの肩やら頭やらを突っついたりぶつけ合ったりして、何とか吹き出すのをこらえているようであった。
しかし、左近の立場からすれば全く笑えない。
この城にいる者の多くが、鬼の中の鬼である星熊勇儀に憧れ、それを手本とすべく集まった戦士達だ。
故に大将にあのような振る舞いをされては、仲間の結束が揺らぎかねない。
城の規律を正す責任者としては、見逃せぬ事態だ。
しかし、わからなかった。
なぜ勇儀は女子力とやらを急に鍛えようと思い立ったのだろう。
少なくとも昨日までの彼女は、鬼らしい鬼として振る舞う己に自信を持ち、誇りを抱いていたはずだった。
それこそ、仮に旧都が女子力かぶれの鬼で溢れかえったとしても、普通ならその心が揺らいだりすることはなかっただろう。
となれば、何か彼女にそういう決意を起こす、重大なきっかけがあったと考えるのが自然である。
力の勇儀にそうさせるきっかけといえば、例えば仲間の危機や、己に対する挑戦……。
「もしや……?」
左近の脳裏に閃くものがあった。
「おぬしらに相談しに行く際、勇儀様は手紙を持ってはいなかったか?」
そう問うと、土蜘蛛はこめかみに指を当てて宙を見上げ、
「さー、どうだったかな。なんか一発頭に食らってから記憶が曖昧で」
「そういえば、持っていたわ。あの時は聞きそびれたけど」
と、橋姫が言う。
彼女によれば、勇儀は大抵部屋に酒やら盃以外のものを持ってこないので、珍しい持ち物が印象に残ったということだ。
それを聞き、左近の中で確信が強まった。
「だとすると、それがしに心当たりがある。そろそろあやつから『果たし状』が来る頃合いだからな」
◆◇◆
旧都で最も高くそびえる建物、鬼ヶ城。
冬には白一色に染まるその屋根は、この時期は黒鉄色の瓦がむき出しになっていて、座り心地もよいとは言えない。
それでもそこは、地底のほんの一握りの存在にだけ許された場所で、都を一望できる玉座だった。
旧都の原型ができてから、およそ百年。
地底の妖怪は誰もがその場所を羨むと共に、その場所に腰かける強者達を仰いで過ごしてきた。
「……………」
その玉座に今、四天王の一角が腰かけ、沈黙していた。
あぐらの上に両肘をつき、二つの拳で額を支え、俯いて動かない。
これは彼女が深刻に悩んでいる時のポーズであり、平時であればなかなか見られるものではない。
ということを知らないキスメは、後ろからただただ心配な気持ちで、その背中を見つめていた。
しばらくしてから、話す言葉を慎重に選び、思い切って声をかける。
「……ねぇ勇儀さん。女子力って、そんなに大事なのことなのかな」
広くたくましく、それでいて寂しげだった背中が揺れ動いた。
キスメはぴょこん、と一つ跳ねて側に移動し、もう一度話しかける。
「だって勇儀さん、今のままでもカッコよくて魅力がたくさんあって、みんなの人気者だもの。私だって他のみんなだって、そんな勇儀さんに憧れてるし、無理に変えることないんじゃないかなって……」
「……………………」
大きく力強い手が、ぽん、とキスメの頭に置かれた。
「ありがとう、キスメ」
優しく撫でる勇儀は、苦笑を浮かべて言った。
「けど、私にはあくまで、女子力を鍛えないといけない理由があるんだ。今回ばかりはね」
細められた鬼の目が、遠くを向く。
どうしてそこまで彼女は、女子力にこだわるのか。
尋ねようとしたキスメの前で、勇儀は懐からおもむろに何かを取り出した。
それは畳まれた一枚の紙だった。
「今朝、十年ぶりにある鬼から、この手紙が届いた。名前を雪花という。もう長い付き合いになる」
「せっかさん……友達なの?」
「というより、長年の好敵手だな」
「もしかして、勇儀さんよりも強いとか……」
「いや、実力ははっきり私の方が上だ。今までの決闘は全て、私が勝利を収めている」
それなのに好敵手。
キスメの中に生じた素朴な疑問を、勇儀は笑って説き明かす。
「確かに私は勝ち続けている。けれど、その回数はもう百にも上る。これは私にとって、すごく珍しいことなんだ」
スペルカードルールが地底に伝わる以前、鬼同士の決闘は遊びではなく、常に真剣勝負だった。
手加減も情けもなく、純粋に最大の強さをぶつけ合い、確かめ合う。それが鬼の習わしだ。
しかしながら、大抵の者は勇儀と一度戦えば、挑戦することをあきらめる。もしくは終わらない修行の旅へと出る。
古来より強すぎる鬼というのは、勝負の世界において孤独であり、その寂しさを埋めるため、新たな挑戦者を待ち続けるさだめにあった。
そんな中、勇儀にとっての数少ない例外が、雪花という鬼だったのだ。
「たまたま私の方が強かっただけかもしれない。もし逆の立場だったら、同じことができるだろうか。そういうことを常に己に問わずにはいられない。挑戦することを決して諦めない、あいつの心の強さは、私が誰よりも敬い、目指すところでもあるんだ」
「………………」
「そいつが、今度の決闘のお題を、女子力にしたいと言ってきた。最初は面食らったが、力の勇儀が女子力という力から逃げはしないだろうな、という言葉に火がついた。まさか、ここまで私に女子の才能がないとは思わなかったけどね」
勇儀は自嘲気味に言う。
けれども手紙をしまい直した彼女の手は、固い拳に変わっていた。
それを胸の真ん中に押し付け、彼女は再び遠くを睨みながら宣言する。
「けど、勝負にかけるあいつの思いに応えたい。力の勇儀の名にかけても、私はその力を身につけたい。多少失敗したからといって、諦めるわけにはいかないんだ」
「勇儀さん……」
キスメはそれっきり、何も言えなくなった。
いつもよりも小さく見えた鬼の姿は、今再び、いや、前よりもさらに大きく映っていた。
どこまでも勝負に真摯で、どんなに不得手な種目あっても逃げることなく、出来得る限りの誠意でもって応える。
強さを尊ぶ妖怪にとって、その生き方は誰よりもカッコよくて、同じ妖怪として憧れる姿だった。
それだけに、やはり応援したくなり、力になってあげたくなる。
けど、自分一人の力では……
「ようやく事情が呑み込めたわ」
「それならそうと、最初から言ってくれればいいのにねぇ」
ハッとして、キスメは振り返る。
いつの間にか城の棟に、よく知る二名と大柄な鬼の姿があった。
勇儀が目を剥いて立ち上がり、
「なんだ、お前達! また笑いに来たのなら、今度はデコピンじゃすまさないぞ!」
「まぁまぁ、暴力は女子力の天敵なんだし、そう怒りなさんな」
「この痛みってデコピンだったのね……五寸釘が飛んできたのかと思ったわ」
どうどう、と掌を見せてなだめるヤマメ。
自らの額に皺を寄せ、その真ん中をさするパルスィ。
さらに二人の背後に立つ隻眼の鬼が、錆のきいた声で口添えする。
「勇儀様。こやつらは此度の雪花との決闘にあたって、助力を申し出ております」
「何……?」
身構えていた勇儀が、不審な表情で頭を傾ける。
その足元で、ぴょんと跳ねたキスメが嬉しそうに言う。
「ヤマメちゃんも、パルスィちゃんも、手伝ってくれるの!?」
「そういうこと」
調子よく応えつつも、ヤマメは真摯な面持ちで、とんと軽く胸を叩き、
「あんたの名誉を守るためだっていうなら、私は喜んで協力するよ勇儀」
「私は別に喜びはしないけど、協力くらいならしてやるわ。割と世話になってるしね」
隣のパルスィも微笑しつつ、肩をすくめて言う。
二人の思ってもみない申し出に、しばし呆然としていた勇儀であったが、
「ヤマメ……パルスィ……!」
彼女は感極まった様子で鼻をこすってから、両腕を大きく広げて言った。
「勇儀テンションあげぽよ~!!」
「「どひゃははははははは!?」」
またも我慢できず笑い転げる二人の妖怪に、今度は拳骨が落ちた。
◆◇◆
かつては妖怪の山を統べし四天王が一角、星熊勇儀。
生涯、数多の挑戦者を退けてきた彼女にとって、最大の試練が訪れた。
相手は長年の好敵手であり、心の強さであれば勇儀をも凌ぐのでは、とされている鬼。
そしてテーマはなんと、女子力。
旧都のはずれにある広場にて、複数の審査員による立会の元に決闘は行われるという。
ちなみに審査員の素性は明らかにされているが、どんな課題が出るかは、当事者たちには一切伝えられないようになっている。
いずれも対戦相手の鬼が手配したらしく、普通であれば、裏があるのではと勘ぐりたくなるところだ。
が、正々堂々を旨とする鬼同士の決闘であれば、余計な推察は無用である。
決闘の期日は七日後。
その間、黒谷ヤマメと水橋パルスィは、カリキュラムを組んで交代で勇儀を指導することとなった。
名付けて『女子力の勇儀計画』である。
◆◇◆
初回の授業は、水橋先生が担当した。
場所は、空き部屋だけは豊富な、風雷邸の一室。ここなら邪魔が入らないので、特訓に集中できる。
パルスィはこのたび勇儀に、主に女子としての立ち振る舞いを教える役を買って出た。
「女子力を上げるために、言葉遣いを直す。その目の付け所やよし」
先生の格好は、白のブラウスに濃紺のミニスカート。
加えてもう一人の講師が用意した小道具の銀縁メガネ。
手にはよくしなる指示棒を携えていて、なかなか格好が様になっている。
「そして、貴方達が参考にした、この女子力の高い言葉遣いの例文についてだけど……」
彼女はそう言って、キスメと勇儀が昨日まで使っていた本を取り出した。
そしていきなり、それを部屋の隅にぶん投げた。
「こんなものはゴミだっ! 死ねーっ!」
「わー!?」
「えー!? パルスィちゃん、それ私の本!」
講師による突然のキレ芸に、勇儀はのけぞり、キスメは慌てて本を回収する。
落ち着きを取り戻した水橋先生は、ヤニを舐めさせられた蛇のような面相で、
「あんな脳みそ腐りかけのラブゾンビ共が考えた気色悪い台詞を、いつどこでどの層に向けて発信するつもりなのよ。しかもあんたの体格でやられた日には、百害あって一利なし。地底を汚染する女子力という名の公害問題と化すわ」
「そ、そこまで言うか!?」
「こんなもんで心をえぐられるようじゃ、この先のトレーニングについていけないわよ」
指示棒の軌道に真っ直ぐ眉間を突かれ、「ぐむ」と勇儀は口ごもった。
「いい? 女子力が欲しいからって、わざわざおバカキャラを演じる必要なんて、どこにもないの」
講師の橋姫は、指示棒を立てて振りつつ、その場を歩きながら語る。
「無理に自分を変える必要もない。言葉の端々をソフトに言い換えるだけで印象が変わるのよ。もちろん丁寧すぎるのも気色悪いけど、男が乗り移ったような口調は論外。なるべく自然に、女子らしく話す。その言葉遣いを、今日から徐々に教え込んでいきます」
「よ、よろしく頼む」
「ただし……今のあんたには、言葉遣いよりも先に直すべき点があるわ」
「な、なんだ一体」
「声量よ。声の大きさを何とかしなさい」
「声が大きいとダメなのかっ!?」
「あーうるさい! その返事がすでにうるさい!」
パルスィは自分の耳を押さえて喚く。
なんともリアクションの激しい講師だ。
「そんな百メートル先の寝た子を起こすような大声はやめて! ギリギリの間合いを見切って、声量を調節!」
「むむむ」
「それとあんたの場合、いつも口調を含めて、相手をはね飛ばすような感じで話してるのが問題なのよ。正直、会話してると突っ張りの稽古に付き合わされてるような気持ちになるわ。もっと相手を吸い込むような、そして包み込むようなトーンを意識するの」
「吸い込んで、包み込む?」
「そう。包み込む」
言われて勇儀は、自分の喉や胸を押さえたりしながら「あ~、あー」と声の調節を始めた。
しばらくそんな風にして試し、やがて呼吸を整えてから、空気にそっと乗せるような声音で言う。
「……パルスィ……こうかな」
講師の緑の目が、驚きで広がった。
彼女は華麗にターンを決めて、指示棒で勇儀を差しつつ、
「それよ! いい感じ! これから決闘までの期間、できればその後もずっと、その声を心掛けてほしいものだわ」
「わかった。心掛ける」
「心掛けます、でしょ」
「心掛けます」
生徒の素直な返答に、うむ、と先生は深くうなずいた。
まずは一歩前進。一般の女子にしてみれば小さな一歩だが、星熊勇儀にとっては偉大な一歩といえよう。
しかしながら、まだ課題は山積みだ。
今日から六日間、言葉遣いだけでなく、ありとあらゆる要素を一つ一つクリアしていかなくては。
「……パルスィちゃ~ん……」
「キスメ。あんたはもう少し声を張りなさい。肝試しのお化けじゃないんだから」
◆◇◆
女子力テスト 初級編
Q3 一日に何回くらい鏡を見ている? → 0・01回(百日に一回)
Q5 髪はどこで切っている? → 気が向いたときに自分で毛先を引きちぎっている。
Q7 手料理の経験等 → 昨日初めてやって失敗した。
Q11 写真を撮られる時にはどんなポーズが多い? → 腰の両側に手を当てて、そっくり返る。たまに親指も立てる。
Q22 自分のチャームポイントはどこだと思う? → 力こぶ。
Q23 異性に褒められると嬉しい場所は? → 力こぶ。
Q35 得意な歌とか → 全力で歌うと城の屋根が吹き飛ぶので、あまり機会がない。
Q42 「異性と付き合った経験ある?」と宴会で聞かれたらどう答える? → (拳を)突き合わない日の方が少ない。
Q43 「何年続いた?」と聞かれたら?→ 大体一瞬で終わる。
「キスメ92点、勇儀8点……」
続いての講師は黒谷先生。
やはり同じタイプの眼鏡をかけているが、こちらも地底では珍しいブラウンのスーツを少しくだけた感じに着こなしている。
彼女の仕事はその情報網を使って審査員の傾向を読み、具体的な対策を練ることだった。
しかし授業が始まる前まではノリノリだった先生は今、むつかしそうな顔をしていた。
椅子に座って膝を組み、その上に置かれた回答用紙とにらめっこ。
「二人合わせてちょうど百点。この結果から導かれるアドバイスは……」
メガネの端を指でくいっと持ち上げ、彼女は真顔で提案する。
「勇儀が自分の袴の中に、キスメを隠して決闘に向かう。そうすれば万事解決」
「え!? そんなことしていいの!?」
「「なわけないでしょうが(だろう)」」
真面目に驚くキスメに、ヤマメと勇儀のツッコミが唱和した。
しかし、講師のテンションが落ちるのも無理はない。初回の練習問題の結果は悲惨といってよかった。
点数になったのは,お風呂に入る回数や、陰口をたたかないところ、笑顔の多さなど、女子でなくても取れそうなポイントであった。
初級編でこれなのだから、先が思いやられる。
「変にひねくれてないし、明るくてさっぱりしてるし、素養はあるはずなんだけどねぇ。いかんせん、パワーがありすぎて、『かわいい』となかなか結び付かないのが困った点かしら」
「前の授業で、パルスィにも似たようなことを言われたよ」
勇儀も悩ましげに呻く。
彼女は頭をかきむしりかけて……ふと思いとどまったように動きを止め、両手であごを支えて頬杖をつくという姿勢になった。
いわゆる女子らしいポーズを取っているらしいが、若干タコ顔に近くなっていた。
「どうも女子力っていうのが、まだよくわからないんだ。喧嘩や相撲とかの力の使い方なら、簡単にコツをつかめるんだけどなぁ……」
勇儀の何気ない台詞に、ヤマメが反応する。
「ふむ……? あ、そっか」
それはまさしく、今回の作戦に携わるメンバー全員にとって、最も重大な発見だった。
「それだ勇儀。女子力っていう言葉が、あんたの足枷になってるんだ」
「何? どういうことだ?」
「今までのあんたの失敗を考察していくと、確かに『力』で解決しようとしてる部分が多い。それは鬼としては正しい姿といえるけど、女子力っていうのはそういう『力』じゃなくて……うーん。どっちかっていうと、魔力とか魅力とか、そういうタイプのものに近いんよ」
勇儀は今まで本能的に、過去の決闘で活躍した己の力を、いかに『女子力』という場で発揮するか苦心していた。
しかし女子力というのはある種、呪術的な力であり、勇儀が用いる力よりも間接的かつ静的で、ソフトなパワーが必要とされる。
言葉の落とし穴だ。
同じ力という一字を用いるのにも関わらず、女子力においては、勇儀の得意とする力が逆効果に働くのだから。
求められるのは鋼鉄のグーではなく、おしとやかな形のパーかチョキなのだ。
ヤマメは自分の手でわざわざ形を作って、そのことをわかりやすく説く。
「だから、女子力っていう言葉にとらわれずに、『女子術』っていう風に考えるといい。術ならあんたも苦手じゃないでしょ?」
勇儀は無言で宙の一点を見つめ、小さく、何度もうなずく。
ヤマメのアドバイスを噛み砕き、呑みこむかのように。
やがて彼女の表情に、これまで見られなかった自信がみなぎっていく。
「そういうことだったのか。女子力という名の『女子術』。なんとなくつかめそうな気がしてきたよ」
「やったね、勇儀さん!」
同期の生徒が、嬉しそうに声を弾ませる。
同じく講師もにこやかな表情に戻って、違う用紙を取り出し、
「じゃあそれを踏まえて、問題集パート2に行ってみよっか」
「おう! かかってこい!」
「第一問。仲のいい知り合いが落ち込んでいたらどう励ましてあげる? 例えばそうね、パルスィとかが落ち込んでたら」
「簡単だ! 背中をぶっ叩いて気合を注入する!」
「……あーよかった。今ここで質問しといて」
◆◇◆
「はい! 腕組みが深すぎ! もっと下の位置で、肘に指をかぶせる程度に!」
部屋に指示棒が机を打つ音が響く。
「ほらまた腕を振って歩いてる! 拳じゃなくて開いて……違う違う! 手を一杯に広げない! 指を揃えるの!」
橋姫の鋭く尖った指導の声に合わせ、ぎくしゃくと動く大柄な鬼。
彼女の姿は、壁の端から端まで置かれた姿見用の鏡に映し出されている。
床には固定された縄によるラインが引かれていて、等間隔に靴のマークも書かれており、生徒はそれに沿って歩いていた。
「はい次、そこの物を取ってみて! 上から掴まない! 横から小指ですくうように! そうよ!」
室内には二脚の椅子とテーブル。卓の上には水差しやティーカップ、ハンカチなど。
他にもフラワーアレンジメント用の花や、顔にへのへのもへじを書かれた案山子といったものまで。
この部屋はいわば、水橋先生の女子力道場。
あらゆるシチュエーションに応じた女子としての仕草を身に着けるための、厳しい稽古場であった。
けれども、
「あんたが身に着けるのは、武術の型ならぬ女子の型! 女子力という名の武術だと思って、身心に叩き込みなさい!」
「はい!」
星熊勇儀は文句を垂れることなく、指示通り、懸命にこなそうとしていた。
その様子を見ながら、パルスィは厳しい顔つきで指導を続ける一方、内心で満足げな笑みを湛える。
当初は、地底有数の鬼を指導するという優越感の方が大きかった。
けれども今は、純粋に星熊勇儀という生徒を指導できる喜びの方が勝っている。
体力も我慢強さも持ち合わせている上、とことん真面目で素直なので、才能の方はともかくとして、教え甲斐の方はたっぷりとあった。
実際のところ、完璧な女子力を体現できる者など、この世にほんの一握り。
ただし橋の見張りの際に、多くの妬ましい妖怪を見てきたパルスィの頭には、理想の女子像というものがある。
あとは目の前の、女子として胸のサイズ以外全く妬みを抱かせない鬼を、どれだけそこに近づけられるかが課題だ。
――私たち講師陣の、腕の見せ所ね。
とパルスィが思案していると、視界の下方を妙なものが横切った。
緑のおさげの少女が桶に半分入ったまま、背筋を伸ばしてリズムよく体を揺らしながら、ふよふよと横切っていく。
その後頭部に、パルスィは思わず軽くチョップ。
「こら。その装備でモデルウォークしてどーすんのよ。真面目にやんなさい桶っ子」
「えへへ」
と、もう一人の生徒は照れ笑いをした。
◆◇◆
修行に入って三日目のお昼には、調理実習が行われた。
風雷邸にある大き目の炊事場をキッチンにして、みんなでわいわい楽しくお料理タイム。
「秘技、左右で卵の片手割り! 倍速で卵焼きのタネが完成なり」
「ヤマメちゃんすごーい! 私もやってみたい!」
「そこの二人。調子に乗ってカラを混ぜるんじゃないわよ。いい? 勇儀。包丁はこうやって持つの。で、左手の指はこの形。やってみなさい」
「手刀で切っちゃダメか? 自信があるんだが」
「当たり前でしょ!? 女子力舐めてんの!?」
以前は失敗して厨房を壊滅させた女子力弁当が、無事に完成し、みんなで試食タイム。
勇儀の手料理をいの一番に口に運んだ釣瓶落としが、ほっぺたを押さえながら、
「おいしー! 勇儀さん、ちゃんとできてるよ!」
「ほ、本当か!?」
「うんうん。上出来、上出来。これが勇儀が作ったものだと思うと感慨深いねぇ」
「二人ともありがとう! パルスィはどうだ!?」
「…………まぁまぁまぁね」
「そ、そうか……まだ研鑽が必要か」
「あのね勇儀さん。パルスィちゃんの『まぁまぁまぁ』は『よくできました』って意味なんだと思う」
「より正確に言うなら『今回は合格だけど、次は火の加減も一人で出来るように』ってとこかしら」
「勝手な翻訳してんじゃねーわよ二人とも!?」
「おお? パルスィ、その台詞は女子力が低いと思うぞ」
「あんたにだけは言われたくない!」
◆◇◆
四日目の午後、パルスィはキスメを連れて、旧都の商店街に来ていた。
目的は買い出しだ。
調理実習に使うものの他、勇儀自身の通常の食事の分も仕入れる予定である。
何しろ放置すれば、酒やら肉やらを好きなだけ呑んだり食べたりしてしまうのだから、栄養管理もきっちりしなくてはいけない。
ストレスを溜めぬよう、お酒もある程度許容しつつ、髪の質がよくなる海藻類、肌がよくなる果物、女子の魅力を引き出す大豆製品……。
もちろん一週間やそこらでは劇的な変化は望めぬものの、やらないよりはずっとましであろう。
「ただ面倒なのは、鬼って豆を食べ過ぎると体調不良になるらしいのよね。メニューを考えるのも楽じゃないわ」
「でも昨日のパルスィちゃんの考えたご飯、とっても美味しかったよ。厨房の人達もみんな褒めてたし」
「こんな面倒なことになると知ってたら、協力なんて申し出なかったけどね」
食材の詰まった買い物籠を両手に提げたパルスィは、やると決めたらとことんこだわらないと気が治まらない己の性分を呪った。
同じく桶の中で袋を抱いて、ふよふよ進んでいたキスメが、ふと街道の途中にある服屋に目をとめる。
「そういえばパルスィちゃん。勇儀さんって決闘する日にどんな服を着てくのかな?」
「それも、しっかり選定しないとね。服だけじゃなくて、身に着けるものとか、色々」
「けど前に話した時、アクセサリーとか着けるの嫌がってたよ。喧嘩の時に邪魔になるからって」
「あいつらしい言い分ね、全く……」
パルスィは嘆息する。
そろそろ総仕上げを見据えたい段階なのに、特訓はいまだギリギリの進行度合いなのだから、生徒にはどうかへそを曲げることなく、最後まで素直に従ってもらいたいところだ。
だが今回ばかりは気持ちが分からなくもなかった。自分達がやっていることは、本来自然の摂理に反している。
人魚が大地を歩いたり、河童が砂風呂に入ったり、吸血鬼がビーチで肌を焼いたり、亡霊がご飯をもりもり食べたり。
つまり、鬼が着飾ったり化粧をしたりするというのは、それくらい妙な話なのだ。
けれども敢えてそこに挑戦しなければ、女子力をテーマにした決闘で勝つことはできない。
終わった後は女子のことなどすっぱり忘れても構わないが、あと三日間だけは我慢してもらわなくては。
「まぁ、きっと今ごろヤマメが上手くやってくれてるでしょ」
もう一人の講師と本日の授業のことを思い浮かべつつ、パルスィは次の店へと足を向けた。
◆◇◆
「本当にこんなもんも必要なのかね……」
勇儀は露骨に眉をひそめてぼやく。
今、彼女は左腕をテーブルの上に、手の甲を上に向けた状態で置き、向かいに座る土蜘蛛に爪を磨いてもらってるところだった。
側には小人が用いるような筆や、ペンに似た極細の筆。
他にもカラフルなミニサイズのとっくりを想わせる謎の容器やらと、色々な小道具が用意されている。
「こういうのって、男子はあんまし気にしないみたいだけど」
やすりで勇儀の爪を丁寧に整えながら、ヤマメは言う。
「審査には本物の女子も混ざってるって聞いたからね。少なくともたしなむ程度には、覚えておいたらいいと思って。やってみると意外と簡単だよ。色合わせにはセンスが問われるけど」
「ふぅむ」
「じっとしてるのも細かい作業も苦手なあんたには、いい修行になるだろうし」
「む、そうか」
勇儀の表情がしゃっきりとする。
彼女が修行や鍛錬というフレーズに弱いということは、すでに講師陣は把握済みだ。
当日のヘアアレンジやメイクなどは、手先が器用なヤマメの担当なのだが、虚飾を嫌う鬼の代表である勇儀は、化粧の類に対して分かりやすいくらい尻込みしていた。
なのでこのネイルアートの授業は、そうした彼女の感情を和らげる目的もあるのだ。
それにしても、生徒の表情が固い。
まるで注射を待つ子供のような顔つきとなっている。
ヤマメは吹き出したくなる気持ちを我慢しつつ、
「そんなこわい顔しなくても、すぐ終わるから、リラックスして見てなって」
そう言って慣れた手つきで、勇儀の人差指に細工を施し始めた。
指を固定し、一方向に筆を細かく、かつ丁寧に。ベースを作ってから、色を重ねていき、最後には針のような筆先で……。
「………………」
眠たげに見つめていた勇儀の瞼が、徐々に持ち上がっていき、最後には真ん丸になっていた。
彼女の指先に、夜空をイメージした群青のグラデーションと、逆さの金の五芒星が出現したのだ。
「流行りの柄は年々変わってるんだけど、最近、都ではこの模様が流行ってるらしいんだよね」
「なんだか私の指じゃないみたいだ」
完成したネイルを、勇儀は「すぐに拭きとってしまおう」と言い出すこともなく、まじまじと熱心に見つめる。
それは女子というよりは、はじめてビー玉というものを見た山猫のようであったものの、悪い反応ではなかった。
ヤマメは新しいカラーを準備して、
「それじゃあ、今度は基本から教えてあげる。ちゃんとよく聞いててよ」
「うん……ふふ……」
「ん? 何かおかしかった?」
「いや……こういう風に、自分の不得手なことを教えてもらうっていうのも、なかなかいいもんだなって」
「………………」
思わず、ヤマメは手を止めていた。
彼女の目を奪ったのは、向かいに座る勇儀の表情だった。
いつものように、大口を開けて高らかに声を上げるのではなく、奥ゆかしくて、どこかくすぐったげな笑み。
それが、おそらく旧都の誰も目にしたことのない、四天王の新しい表情だと気付いたから。
けれど……これからは自分だけでなく、誰もがこの顔を見られる日が来るかもしれない。
そんなことを思いつつ、ヤマメも頬を緩ませて、
「いい、いい。間違いなくあんたの女子力は成長してるよ、勇儀」
◆◇◆
喧嘩と祭り、そして娯楽の類に不自由しない旧都では、芝居小屋などを含めた演出のための場もいくつかある。
その中でも一風変わっていて、もっとも等級が低いとされてるのが、南の外れに位置する『叫喚の座』と呼ばれる場所である。
岩を平たく扇形に削り出しただけで、屋根も含めてなんの設備もないただの台座。
利点といえば、誰もが使用料を払うことなく利用できることと、都中の妖怪を集めても大丈夫なほど広いことだけ。
いつもは酔っ払いや亡者のたまり場となっていて、まともに催し物が開かれる日の方が少ない。
しかしこの夜は違った。
緩い傾斜のある叫喚の座前の広場には、夥しい数の立ち見の見物客が集まっていた。
その様子はまさにコロッセウムの妖怪版。観衆の多くは都に住む鬼だが、後方には地底の浅い層に住む者達も多くいる。
何しろ、あの力の勇儀が、女子力で勝負するというのだ。地底の隅々までその名声を轟かす鬼なのだから、ここまで観客が集まるのも、もっともな話だ。
決闘にのぞむ二人には控室として、それぞれ舞台の東と西に、色違いの天幕が用意されている。
そして最前列に置かれた長机と座席には、すでに審査員と思しき妖怪達が着席して談笑していた。
すでにどこから現れたのか、どちらが勝つかの賭けを取りまとめているものまでいる。
お祭り好きの妖怪が集まるこの都では、何でもすぐに見世物にしてしまう風潮がある。
するとそれに伴い、己の得意分野を生かした妖怪達が、勝手に役を買って出るというのが恒例となっていた。
決闘の始まる時刻のおよそ五分前。
突然、アップテンポな音楽と共に、ステージ上にスポットライトが注がれ、
「レディース・エーン・ジェントルメェーン! ご機嫌いかがでShow Time!」
眼鏡をかけた細身の鬼が現れるなり、高らかに叫ぶ。
ピンクとアイスブルーのチェック柄ベストに蝶ネクタイという、とんでもなく奇抜な服装だ。
「本日の司会進行役を務めちゃうよー! ブリュレ早乙女でぇーす! よろしくスイ――ツ!」
お前は今まで地底のどこに生息していたのだ、とツッコミたくなる風貌と言動だったが、ギャラリーは特に気にせず、
うぉおおおおおお――!!
という大歓声で応える。
「早速ですが、審査員の皆さまをご紹介しまぁす! 今回の審査員長を務める、女子力特集本編集責任者の海老♂ジョーさん! 今まで女子力に関する数多くの逸材を発掘してきたヴィヴィー・ノンノ氏! また、女子力にうるさい子、そして女子力に詳しくなくとも可愛い女の子には興味のある一般の方々にも、参加してもらっておりまぁーす!」
司会のコールに応じて、審査員達がそれぞれ会釈する。
この決闘を持ちかけたのは雪花側だったが、審査員は審査員長が集めたらしく、その中には鬼ヶ城に縁のある女鬼も混ざっていた。
おそらくは、星熊勇儀側に対する配慮なのだろう。第三者から見ても、割合公平な人選といえる。
「続いて、こちらにご注目ください。ご覧のとおり、本日の対決に使う道具が、ベールをかぶって出番を待っております。しかしどんな課題が出されるかは、僕らにも対決するお二方にも、まだ明らかにされておりません。勝負が始まってからのお楽しみというわけです!」
ブリュレ早乙女は、そこで一度言葉を切り、思わせぶりに顔を伏せた。
ギャラリーが焦れて暴れだす寸前まで、たっぷりとためを作ってから、彼は地上まで突き抜けるような声を張り上げる。
「それではいよいよ、選手入場です! まずはイーストサイド! ホシィグゥマァァァァァ! ユーギィ!」
光を浴びた派手な服が、空気椅子のようなポーズで横を向く。
すると舞台の東側に造られた花道に、白銀のスモークが立ち込め始めた。
再び広場の熱気が上昇し、怒号にも似た歓声や、風を割くような口笛が飛ぶ。
どうやら、これを機に着飾った四天王を笑ってやろうと考えている者もいるらしく、からかい気味の声も混ざっていた。
地底らしい雑多な光と音で、会場の空気は滅茶苦茶に散らかされていく。
そんな中、ついに霧の中から、かの鬼が姿を見せた。
ギャラリーの歓声が、一瞬にして途絶えた。
期待通りのものであれば、声はより大きくなる。
期待を裏切ればどよめきが起こり、やがては野次や罵声が飛び交うことになる。
そして予測からかけ離れたものを目にした時、人であっても妖怪であっても、言葉をなくす。
霧の中から現れ、衣擦れの音が聞こえそうなほど静かな足取りで歩むその妖怪は、観客に様々かつ劇的な変化を起こさせた。
最後方に集まっていた妖怪達は、はじめ、歓声が急に弱まったのを不思議に思っていた。
だが間もなく、遠くの花道を行くその妖怪を目に捉えた瞬間、天球を横切る太白を見つけた気がした。
離れていても特別な存在であるとわかり、心の中にいつまでも浮かべたくなる姿。
同じ空間にいるだけで、まるで天の川の一員となったような夢心地となった。
もっと前にいる妖怪達は、よりその容姿をはっきりと捉えていた。
身にまとっている儚い白の衣装は、一見絹のドレスに見えるが、それは一部の妖怪だけが編める特殊な素材でできた服だった。
着る者と見る者の妖気の波長によって、見える色が変わってくるという世にも稀な衣装で、身に着ける存在の妖力が常に安定していなければ、すぐにくすんでダメなものになってしまうため、少なくとも、地底の鬼の中にそれを着る資質のある者はいないはずだった。
しかし、その鬼はドレスを見事なまでに着こなしていた。
さらに腕には鎖付きの鉄輪のかわりに、青銅のブレスレット。
頭には主張の強い一本角の印象を抑えるかのように、煌びやかなアクセサリーをつけていた。
同じ量の黄金はおろか、隣に宝船があったとしても、浮き彫りになることは疑いようがないほど、その姿は洗練されていた。
そして、彼女の光をまともに受け、たちまち目が眩んだのは、前列に集まっていた妖怪達だった。
艶やかな黄金の髪は、浄土の泉から湧く水のごとく滑らかな質感を有し、思わず掌ですくってみたくなる魅力を帯びている。
手足から見える素肌は、百年かけて磨かれた真珠から色を写し取ったようだ。身体は衣服に包まれながらも、くっきりとした輪郭を見せて、その無限の柔らかみに触れれば、海を丸ごと抱くような感触を味わえるのでは、と考えたくなるほどの豊かさを具現化していた。
正面から顔を拝めないのは、不幸であり、幸いでもあった。
これが絵ならば、まだ穏やかな気持ちで見つめていられただろうに、と嘆くほどの輝かしさが、そこにはあった。
異性でなくとも心をかき乱され、同性でなくとも問い質したくなるだろう。
その、瞼の下の宝石は、どこから見つけてきたのか。筋の通った形の良い鼻は、どんな芸の鬼に彫らせたのか。
天で実ったどの桃を切りとって、口につまんだのか。頬の下にはどんな花を植えたのか。
近づいて確かめるのも憚られ、かといって離れてしまえば己の闇が深まるようでもあり。
間合いを全て彼女にゆだね、ただただ鑑賞の時間に浸っていたい。そんな横顔だった。
だが、その容姿の力だけでは、見物している者達から視線を奪うことはできても、言葉までは奪えなかったであろう。
確かに、印象は大きく変化しているものの、一つ一つの部位を見れば、それは力の勇儀だった。
背丈、赤い一本角、金色の長い髪、引き締まっていながら豊満な体つき。
しかし――その歩き方が違う。立ち振る舞いが違う。姿勢が違う。
不可視の曲線が働いているかのような身のこなしは、あくまで柔和であり、見ているだけで視線をとろかせる。
そもそも妖怪、特に地底の妖怪が抱く畏敬には、反発心というある種矛盾した力が働いていた。
例えば絶対の存在がいたとして、それに対する反抗的な力が生まれ、それが敬いへと通じるという捻れた心理が働くのだ。
ところがこの鬼は違った。
観衆の心を引き寄せる自然な引力を宿しながら、その懐がどこまでも深いため、全く緊張させるところがない。
そして最も重要なことが……力の勇儀が、雰囲気の変わった自分自身を『愉しんで』いるということだった。
女子として振る舞う己を受け入れ、愉しみ、観衆に対して卑屈になることなく、堂々と振る舞っている。
そこに華が生まれる。
無数の妖の視界を制し、心をからめとってしまう唯一無二の華が。
地底における孤高の頂に生まれた、豊かな恵み。それこそが、彼女の手に入れた全く新しい『力』だった。
そして今、観衆は旧都はおろか地底においても稀な『力』の余波に、言葉を失っていた。
司会のブリュレ早乙女が口を大きく開けたまま固まっている。
先ほどまでのハイテンションからすれば、立ったまま死んでいるかのようだ。
その鬼の近くまで歩いてきた勇儀は、宙に浮いているかのごとく自然な仕草のまま足を止め、まず審査員に笑顔を向けて、
「今日はよろしくね」
とだけ言った。
その声は、審査員達の耳を、羽衣の袖のような柔らかさで撫で、虚空に溶けた。
「つかみはオッケー……ってとこかしら」
「そうだね。ここまでいい反応は予想してなかったけど」
腕組みして静観するパルスィと、顎をつまんで分析するヤマメ。
足元には、『女子力』と書かれた鉢巻きまでして、真剣なまなざしで鬼を見つめているキスメ。
控室から移動してきた三人は今、応援団に変わり、観客に混ざって勇儀を見守っていた。
パルスィとヤマメの間で一致してた考え。
それは審査員も、現場に集まってくるであろう野次馬も、従来の星熊勇儀のイメージがすでに頭に焼き付いているということだ。
単純な力比べと違い、こうした審査による勝負においては、どうしても印象という要素からは逃れられない。
力強く、野性味あふれて、剛毅を絵に描いたような星熊勇儀。
まずはそうした勇儀自身が旧都にて創り上げた絶対なる印象を、開始早々に覆えすことで、はじめて勝負という土台に立てる。
ただし、ここで一つの問題が立ちふさがった。
勇儀はいわゆる可愛い系のイメージの装飾と、相性がよろしくなかった。
下手にそうしたアイテムで着飾れば、笑いものになりかねない。
なので、単純な可愛いではなく、別の方向の女子としての魅力を追及する必要があった。
その手助けとなったのが、『柔』だったのだ。
星熊勇儀には、女子の才能がなくとも、武の才能は有り余るほどあった。
彼女は己の強さを『剛』に求めているが、『柔』に明るくないわけではない。
その力を、今回の勝負に生かすことができないだろうか、という提案が起こり、それは見事に成功した。
勇儀は女子としての振る舞いを、己に宿る柔の技から昇華させ、誰にも真似できぬ女としての魅力を手に入れたのである。
もちろん、たくさんの小さな工夫も施している。
例えば化粧。昨日まで凛々しい、あるいは猛々しいといったイメージで語られていた顔立ちを、眉の角を抑え、ブラウン系のアイライナーを引き、頬にチークを入れるなどして、柔らかい印象に変えた。そのために、元々造りの良い目鼻と唇が、際立った美しさを放つようになった。
表情の印象を和らげるメイクだけではなく、腕にも逞しさを抑えてなるべく細く見せるため、銀のパウダーを縦に入れている。
獅子の鬣のようだった髪は、特殊な香油によって滑らかでしっとりとしたまとまりを見せ、目にうるさくない程度の装飾品は一つ一つの部位を引き立てていた。七日間の食事制限の効果もあったのか、体つき自体も心なしか以前より少しシャープになった。
細部まで懇切丁寧にケアすることにより、実際に協力した講師達も驚くほどの美貌が誕生したというわけだ。
実際、静まり返っていたギャラリーが、今は大きくざわめいている。
肩の力を抜いていた審査員達の表情にも、熱気が宿っていた。
誰もが、これから自らの想像以上の何かが起こるのを予感し、期待に胸を膨らませているのだ。
決闘が始まる前から、勇儀は会場の空気を完全に掌握することに成功していた。
とはいえ……
「相手を見てみないことには、自信が持てないね……」
ヤマメの呟きに、パルスィも小さくうなずいて同意する。
できる限りのことを教え、できる限り鍛えたものの、それでも七日という期間は短い。
もし途中で気が緩み、ボロを出してしまえば、あっという間に審査員に対するイメージが瓦解する可能性がある。
対して、その雪花という鬼はどうか。
女子力に関しては未知数だが、自ら決闘の題材に選んでくるのだから、相当な自信があるのだろう。
どの道、絶対的に経験が不足している勇儀にとっては、誰であっても強敵であり、厳しい決闘となることは間違いない。
そして不気味なのは、勇儀達が会場に着いてからも、当の雪花が一向に姿を見せないということだった。
なんでも、誰よりもはやく会場入りした後、控室にてずっと下準備と精神統一を行っているそうだ。
やはり油断ならぬ相手といえよう。
「おぬしらの予想するような展開にはならぬと思うがな」
二人の頭上から野太い声が降ってきた。
鬼ヶ城の重鎮である、左近だ。
この隻眼の鬼は、これまでも勇儀の片腕として、彼女の決闘のほとんどを見届けてきたらしい。
七日間、直接的な協力もなく、控室にも出入りしなかったものの、立派な勇儀側の陣営の一員といえる。
ヤマメはふと気になって尋ねる。
「そういえば、旦那は雪花って鬼と面識はあるの?」
「うむ。紛うこと無き実力者で、それがしを含めた城の古株連中にもひけをとらん。何より、あの勇儀様に百たび決闘を挑んで五体が残っておるのだから、心も体も尋常な強さの鬼ではない。そして経験から生み出された技の冴えも際立っておる」
「とんでもない化け物ね……地底は広いわ」
パルスィは寒気を禁じえなかった。
隣に立つだけで挑む気が失せるほどの勇儀の強さを知っているだけに、同じ妖怪としてその根性には素直に敬服せざるを得ない。
「でも、そんなに強いのに、あの城に住んでいないのはむしろ意外ね」
「ああ、それはねパルスィ。強い鬼っていうのは、あちこちを放浪するのが好きなんよ。四天王だって今じゃ勇儀しか残ってないし」
「そんな理由などではない」
左近が言下に否定する。
何やら不機嫌そうな物言いだったので、二人は不思議に思って振り返る。
「き奴の性根に問題があるのだ。間もなくわかるであろう」
むっつりとした顔で、左近は意味深なことを述べる。
その真意を問う前に、空気が突然変わった。
反対側の控室に霧が生じ始めたのだ。
それも勇儀が登場した時のものとは異なる、黒々とした霧だ。
続いて、強い妖気を含んだ荒々しい風が、会場に吹き荒れた。
観衆がざわめきながら注目していると、やがて黒雲の中から、司会のコールよりも先に一人の鬼の姿が現れる。
「待たせたな星熊勇儀!!」
此度の決闘の相手は、会場を揺るがす大音声で宣戦布告した。
「覚悟はできておるか! いざ尋常に、このオレ様と女子力で勝負せい!!」
◆◇◆
地底の鬼同士による女子力の決闘は、およそ二時間ほどで決着がついた。
満員御礼の舞台を借りて行われた対決。
結果は星熊勇儀の大勝利に終わり、彼女の白星がまた一つ更新されることになった。
その後、地底四人娘は、旧都の繁華街にある茶屋の個室に集まり……
「というわけで、無事勝利したぞみんなー!!」
両腕を大きく広げて、満面の笑みで勝利宣言する力の一本角。
服はいつもの半袖の白い上着に戻っており、化粧もさっぱりと落とした顔は、何とも晴れやかな表情だ。
「勇儀さんおめでとー!」
隣にいるキスメも、白い作務衣に桶というおなじみのスタイル。
こちらも笑顔で拍手し、お祝いの言葉を伝える。
しかし、
「だー!! 何を朗らかな顔してんのよ、あんた達!?」
「そのと――り! 今回ばかりは私も物申したい!」
向かいの席に座っていたパルスィとヤマメが、揃って口を尖らせる。
二人が頭から湯気を立てているのには、理由があった。
これまで彼女達は、決闘に臨む友のために、時間を惜しまず精一杯協力してきた。
己らの女子としてのプライドも預けたのだから、それなりの覚悟をして見守るつもりであったのだ。
そんな気持ちで待っていた矢先に姿を現した、勇儀の長年のライバルと言われた、噂の鬼『雪花』は……。
男。
それも身の丈九尺はありそうな筋骨隆々のいかつい男。
なおかつ、髭面と真っピンクなドレスという組み合わせの、強烈な外見の鬼だったのである。
勇儀はきょとんとした顔で、
「なんだ、お前達? 雪花が女だと言った覚えはないぞ」
「雪花って名前で女子力で勝負すると言ったら、誰だって普通は女だと思うでしょうが!」
「っていうか勇儀、男と女子力で勝負するのに、あんなに思い詰めてたわけ!?」
「当たり前だろう! 勝負はいつだって真剣だ! それに男に女子力で負けたら、さすがの私だって傷つくぞ!」
「………………」
「………………」
その反論には妙に説得力があったので、ヤマメとパルスィはすごすごと引き下がった。
さて、女子力という華やかな種目とは裏腹に、決闘の様は壮絶だった。
クイズに自己アピール、お菓子作りや衣替えなどなど。
いずれのお題も予想の範疇にあり、勇儀はあらかじめ練習してきた成果を存分に発揮することができた。
ところが雪花も外見と振る舞いは壊滅的なものの、女子力のスキルだけは意外と高かったので、得点だけを見ればなかなかの好勝負になった。しまいにはヒートアップして、勇儀も普段の地が出かかっていたが、雪花のインパクトがあまりにも強かったので誰も気にしていなかった。
そう。最終的には、双方の絵面の差が勝敗を分けたといっても過言ではなかろう。
何しろ髭面の金剛力士像のような大鬼が、花柄のエプロンをつけて、
「ふははは! 星熊勇儀! 我が特製女子力ケーキに勝てると思うてか!」
と生クリームを豪快に泡立てるのだから、審査員もギャラリーもドン引きである。
だが決闘に臨んだ当の勇儀は、違った印象は抱いたらしい。
「勝てたのは私だったが、雪花はまた決闘を申し込むと約束してくれた。何度敗れても立ち上がる。あいつは本当にすごいやつだ……私はこれからも雪花にとって、超えるべき壁でありたい……」
妙に澄み切った顔で遠くを見やる鬼に、ツッコミを入れられる者はいなかった。
確かに、女装して女子力というお題を選んでまで勇儀に勝とうとするのだから、メンタルだけなら最強といえよう。
ちなみに、後で左近から聞いた話によれば、過去には『指力』の指相撲や『精神力』のにらめっこ、『脚力』のけんけんぱなどの決闘もあったらしい。
ヤマメもパルスィも次の雪花との決闘の題材が何であれ、今度は影から応援するだけにしようと決めていた。
それこそ『演技力』だろうと、『遠心力』だろうと、『ファンデルワールス力』だろうと。
勇儀はパン、と柏手を鳴らし、
「ともかく、皆の協力のおかげで、無事に勝利できたわけだ。世話になった礼に、私から何でも奢らせてもらう」
『いぇーい!』
と歓声が唱和する。
内容はどうあれ、それぞれの一週間の頑張りが実ったことは確かだ。
打ち上げでお互いの苦労をねぎらいたいという気持ちは共通している。
「美味しくお祝いしたいとなれば、このヤマメちゃんにお任せあれー。和洋中。オシャレな店から強烈なものまで。味はどれも保証付き」
早速ヤマメがそう言って、赤や黄色に緑といった派手な色の文字で彩った雑誌を三つ、テーブル上に並べる。
どれも旧都の飲食店を紹介したグルメ特集本だ。全てチェック済みらしく、端から付箋がいくつもはみ出ている。
ヤマメはそのうちの一冊を開き、
「ちなみに私のオススメは、このお好み焼き屋さん。メニューは多くないけどジャンボサイズで具だくさん。出汁と粉にもこだわっていて、秘伝の特濃ソースでいくらでも食べられちゃうんだよね。ちなみに飲み放題がついて四人で……」
「あ、ここの激辛豚バラチャーハンっての食べたい」
横から唐突に、パルスィが隣のページの別の店を指さして発言する。
調子よく語っていたヤマメは、「はぃいい?」と眉を持ち上げ、
「ここぉ? しかもよりによって激辛チャーハン? なんでまた」
「あんな、みたらしかけたあんこパフェみたいな勝負を見せられた後だから、辛いもので口直ししたいのよ。あと今は気分が、ご飯ものなの」
「あっそう。なら、そこはお好み焼きに紅しょうが山盛りにしてライス注文すれば……」
「出たわね! お好み焼きとたこ焼きがおかず派妖怪! 私は決して認めないわよ! 今夜はチャーハン!」
「むむ、粘るね……。ならここはやっぱり多数決か……!」
「弾幕ごっこか……!」
「じゃんけんか……!」
「なんでもいいわ! 望むところよ!」
「わー、このスパゲッティのお店、美味しそう……」
火花を散らす二人の会話を止めたのは、キスメの発言だった。
彼女はヤマメが用意した別の雑誌を開いて、洒落た絵柄のページをキラキラした目で見つめている。
キスメの隣で、勇儀が首を傾げ、
「スパゲッティ? それって、どんな食べ物だっけ」
「えっとね。なんていったらいいのかな。おうどんより細くて硬めでもっちりした麺に、色んな味のソースで食べるの」
「ああ、あれかな。二度くらいしか食べたことないけど、悪くない味だった気がする」
「ここはクリーム系のパスタがオススメなんだって。それでね? 食後にデザートもついて、ケーキのベースが二十種類で、トッピングは三十種類!」
「ほー、よさそうだねぇ」
「でも勇儀さん、甘い物苦手だから、ここじゃない方がいいんじゃない?」
「いやー、この一週間で自分で作ってみたりしたら、意外に美味しかったから、今は私も興味がすこ~し」
「ホントに?」
鬼と釣瓶落としは、和やかな笑みを振りまきつつ、楽し気に会話する。
しかし一方で、
「……………………」
「……………………」
向かい側に座る二人の妖怪は、戦慄の表情で、その光景を凝視していた。
彼女らはどちらも、全く同じ危機感を心中に抱いていた。
対岸にて、お洒落でカワイイ系のお店を話題にする二人の妖怪。
それに対し、お世辞にも上品とはいえない店をチョイスして張り合う自分達。
二つのグループの間に、はっきりとした差を作りだしているその力の正体は、まさしく……。
「あのさ、パルスィ……」
ぎぎぎ、と互いに首を回して、土蜘蛛と橋姫は似たような表情で顔を見合わせ、
「私らもそろそろ……」
「確かに……鍛え直すべきかもね……女子力」
四人娘の特訓は、まだしばらく続きそうな雰囲気だった。
(おしまい)
この比喩がかなり言い得て妙だと思った
個人的にツボだったのは胃袋を掴まれて怪我した鬼
『はじめてビー玉というものを見た山猫のようであった』で笑いました
面白かったです。相手が男だとはさすがに予想が…w
いちいち表現が上手いのでとても楽しく読みました。
女子の道は険しく遠い。
最後まで楽しく読めました