(注)このお話には縞馬男と言うオリジナルキャラが出てくる訳でもありません。
幻想郷は今日も平和である。
少なくとも霊夢はそう思っていた。
だが周囲はどうも、そうとも思ってはいない様なのである。
“縞馬男”
霊夢がそれを感じた初めは吸血鬼であった。
夜の女王を謳いながら平気な顔で真昼の境内、従者に持たせた傘の下で彼女は、わざわざ自分の館から持って来た簡易な椅子に腰掛け、友人である魔女が最近渋い顔ばかり見せて歩くので滅入ってしまう、そう嘆きながらこれまた自前、紅茶の入ったカップを傾ける。
「あいつの顔がああなのって、そんなの前っからそうじゃない」
何を今更、そもそもその原因の大分はあんたでしょうに。そんな事を言って表情も変えずに緑茶をすする霊夢に対し、吸血鬼は大袈裟に首をぶんぶんと振るって見せた。大きく揺れる身体、同調して揺らされるカップ。波立つ紅い液体、飛び散る飛沫。けれどもそれらは吸血鬼の服に落ちる前、宙の中に於いて何の前触れも無く、音も、何者の動きすらも伴わずに消え失せる。代わりに紅い斑点を付ける従者の手巾。
幼い頬を紅く膨らませ吸血鬼は反論する。今回のは自分が原因ではない、と。
「魔理沙よ魔理沙。今回は。あいつのせい」
吸血鬼の友人である魔女、パチュリー・ノーレッジ。
彼女は常から紅魔館の地下に在る図書館に籠もる。そこには彼女自身の書いた魔導書や外の世界から流れ着いた物など、多種多様の本が背の高い棚にぎっしりと詰め込まれている。友人である吸血鬼も、今話を聞かされている霊夢も、特に興味を惹かれないそうした無数の書物達。しかしながらそれらは、どうも魔法を研究する者にとっては非常に貴重で役に立つ物であるらしかった。
そんな大切な本を魔理沙が奪って行ってしまう。パチュリーはそう嘆いているのだと吸血鬼言う。
「いや、それこそ」
もう一々言葉を挟むのも面倒。そんな面持ちで霊夢は息を吐く。それこそ何を今更と言う話だ。そう思いながら。
霧雨魔理沙は魔法使いである。そうして蒐集家でもある。
紅霧異変の折に大図書館に忍び込んで以降、彼女は事ある毎に紅魔館へ出向いては本を借りて行く様になっていた。
因みに、借りる、と言うのは魔理沙の言い分。紅魔館の図書館は公共の施設ではなく、規模こそ大きけれど言わば個人宅の書庫。貸し出しを業務とした覚えなどパチュリーにも館の主である吸血鬼にもとんとありはしない。それなのに大概の場合に於いて、魔理沙は断りも無く図書館に忍び込み勝手に本を持って行く。
有り体に言ってしまえば泥棒である。実際、天狗の新聞や幻想郷縁起にははっきりとそう書かれている。
泥棒行為の被害者である魔女が渋い顔を見せる。それは確かに道理。
だがそれは、紅霧異変以降ずっと続いてきた話なのだ。紅魔館の側としてもある程度の諦め、或いは黙認と言っても良い位の姿勢は見せているし、またパチュリーはこの泥棒行為を種として、先の地霊異変で魔理沙を地底に向かわせる口実の一つとしたり、そんな事もしていた。
それなのに今更、何か大事が起きたかの様にしてわざわざ話題に上げなくても。その辺りがどうにも霊夢には理解できなかった。
「今迄通りなのであれば、確かにそう問題も無かったのですが」
今一つ噛み合わない巫女と吸血鬼。その間に少し遠慮がちな従者の声が挟み込まれた。
各所で泥棒泥棒と言われる魔理沙の行為。しかしながらその実際は、シエスタ中の門番を飛び越えるか、或いは裏門から、何れにせよ堂々と館に侵入、そこで住人に見付かれば逃げ出しも襲い掛かりもせずに他愛の無い世間話、仕舞いにはお茶だの竹の花の入ったケーキだのまでご馳走になる。そんな泥棒と言うには余りにも間の抜けた、それこそ知人宅に物を借りに行く様な、そんな気軽さで以って行われていた。だからこそ紅魔館側も、ある程度の寛容さは見せていたのだ。
だが。
「この所、どうも彼女の行為が過激になってきているのです」
そう言って従者は困惑の色を含んだ笑顔で小さく首を傾げて見せた。
捕捉の出来ない遠距離から箒に跨り高速で館に突進、スペルカードの宣言すら行わずに魔砲で強引に門や壁を吹き飛ばして一気に図書館まで侵入、そのままの勢いで多量の本を有無も言わさずに強奪し即逃げ去る。
「それが今の彼女のやり方なんです」
今の魔理沙は手段を選ばない。相手の受ける被害の度を考えない。そして、少しでも強い相手とはまともに戦おうとしない。
初めてこの方法で来られた時には、真正面からの突撃だったにも関わらずスペルカードルールを完全に無視したやり方に不意を付かれた形になった門番は、魔理沙の侵入、強奪を許してしまった。
その後は流石に気を入れ直し目を光らせる様にするも、今の魔理沙は正面や裏口どころか、館の側面だの真上だの、ありとあらゆる方角から強引に壁を打ち砕いて来る。しかも彼女は館の主が従者を連れて外出している時など、警備が手薄になりがちなタイミングばかりを狙って遣って来るのだ。メイドの妖精達は、どうせ敵わない、下手に怪我をしたら大変だ、そう恐れ慄いて役に立たない。その判断は間違いではないしお蔭で人的被害こそは大した事なく済んでいるものの、こんな状況下では門番一人がどう頑張った所で侵入を防ぐ事など出来はしない。
結果パチュリー自身が最後の砦として動かねばならないのだが、健康に不安のある彼女と、速さと破壊力に関しては人間離れしている魔理沙。今の魔理沙は正面からの勝負はせず逃げを第一として動く。パチュリーも己の身体へ掛けられる負担に限りがある以上、強奪を完全に防ぎ切る事は出来ないでいた。
「て言うかだったらあんた、こんな所になんか来てないで家に居た方が良いんじゃないの」
湯呑みを手に少々非難めいた視線を吸血鬼に向ける霊夢。
「て言うかだからこそ、今日ここに来たんじゃないの」
幼い不満を隠しもしない声で、噛み付く様に言葉を吐き出す吸血鬼。自分の自由が無法者のせいで制限されるなんて堪ったもんじゃあない。だからこそ彼女は神社に、巫女の元に来たのだ。何故ならこの巫女こそが、事の元凶である黒い魔法使いに最も近しい人物なのだから。
「いや、私に言われてもねえ」
困った顔で霊夢は頭を掻く。
「それ以前」
「留守だったのよ」
霊夢の言葉、その頭が聞こえた瞬間に自分の言葉を被せて切る吸血鬼。
「散らかってるゴミ山の下とか、本棚と壁の隙間とか、茸の漬けてある瓶の裏とか」
「探したわよ、勿論」
「探したんだ」
巫女の軽口に吸血鬼は大真面目な顔で鼻を鳴らして応える。
「兎も角あいつが家に居ない以上、神社に来るしかないでしょ。魔理沙はいっつもここに」
「うん、それが、まあ」
吸血鬼の言葉を、今度は巫女が中途で切った。
「ここの所あいつ、来てないのよねえ」
用が有ろうと無かろうと、それこそ毎日の様に博麗神社に入り浸っていた魔理沙。そんな彼女が最近、何故か突然に姿を見せなくなっていた。
「そんなこと言って、隠して」
そこ迄を言って吸血鬼は自分の言葉を呑み込んだ。それは無い。目の前に居る巫女の性格からして、それは。
結局何の解決策も得られぬまま、不機嫌な顔で彼女は背中の翼を開く。
「まあ良いわ。とにかく霊夢、もし魔理沙が神社に来たら、馬鹿はもうやめろって、そうきつく言い付けておいて。うちの寛容の底はそんなに深くはないんだから」
「いや、私、あいつの親って訳でもないんだけど」
そう言って霊夢は疲れた顔で己の肩を揉み、どうにも気怠い息と共にゆっくりと言葉を吐き出す。
「随分と疲れている様ね」
誰が見てもそうと判る巫女の態度、完全を言われる従者が気付かぬ訳も無く心配そうな声を掛けた。
「憑かれてるんじゃあないの、悪霊か何かにでも。巫女の癖にだらしのない」
従者の差す日傘の下、主である吸血鬼が意地悪な子供の笑みを見せる。
「かも知れない」
「って、本当に」
予想外の素直な返答。両目を丸く見開く驚いた顔で、その小さな手を口に当てる吸血鬼。
「悪霊って言うのともちょっと違う感じなんだけど」
目を閉じ首の裏を摩りながら押し出す様にして霊夢は言葉を吐く。どうもここ数日、何とも言えないが重く息苦しい空気を常に彼女は感じ続けていた。それは決して邪な気配と言う訳でもない様ではあったのだが、何故だか神社がとても居辛くて疲れる、と、そんな風になってしまっていた。
そう言えば。霊夢は思う。そう言えばその嫌な空気を感じる様になったのは、魔理沙が顔を出さなくなったその少し後であったなあ、と。
「不摂生な生活をしてるせいじゃないの」
真っ昼間に外をほっつき歩いてる奴には言われたくない。そんな思いを露骨に顔へと出す巫女を尻目に、魔理沙の件は頼んだわよ、一方的にそう告げて吸血鬼は従者と共に神社を後にした。
◆
青く晴れ上がった空に向けて、うんっ、と身体を伸ばす。昨日吸血鬼が帰ったそのすぐ後、それ迄ずうっと肩に伸し掛かっていた正体不明の気持ち悪い重さが、何故だか急に、綺麗さっぱりと消えて無くなっていた。お蔭で霊夢は、今朝は久し振りに気持ちの良い目覚めを迎える事が出来ていた。
「よお、久し振りだな」
そうして久し振りに聞いた。昨日、神社を訪れた吸血鬼が話していた馬鹿の声。
「最近、馬鹿な事やってるそうね」
少々の棘を含んだ霊夢の言葉に。
「おいおい。久々に顔合わせた友人に向かって第一声がそれか」
馬鹿を言われた当人は、けれども気を害した素振りの少しをも見せずに笑って応える。
「俺みたいに清く正しく慎ましい人間を捕まえて何を失礼な。馬鹿な真似なんてした覚えは少しも無い」
霧雨魔理沙。全身を黒一色で包んだ人間の、魔法使いの少女。
「でも、それ」
言って霊夢は魔理沙の背中、担がれた大きな袋に指を向ける。
「借りてきただけだぜ。物ってのは、それを必要とする人物の所に在った方が幸せだからな」
悪びれる事も無く魔理沙は言い放つ。
「借りるのは、まあ、別に構わないけど」
どうにも軽い魔理沙の態度、霊夢は少し疲れた息を吐く。借りる事それ自体に今更あれこれを言う心算も無い。問題なのは。
「やり方がね。聞いたわよ。随分と馬鹿なやり方をしてるって」
「だから俺は馬鹿は見てないって。まあ、向こうは馬鹿な目に遭ってるかも知れんが」
「いい加減にしとかないとね、その内あんたも見るわよ。馬鹿を」
「今目の前に居る奴の事か?」
言って素直に聞く様なたまじゃない。そんな事は端から承知。それでも言うだけは言った。後は魔理沙次第。
そう考えて霊夢は小さく息を吸い、そうして頭を切り替える。何だか面白くない。この話題は、何だかどうにも楽しくないのだ。
「お茶、淹れるわね」
いつも通りをしよう。ここからはいつも通りをするんだ。
そんな霊夢の想いを、しかし魔理沙はあっさりと切って捨てた。
「いや、俺はもう行くぜ。別に霊夢に用は無かったんだ」
◆
「あの馬鹿来なかった!?」
今日一番の高さにまで昇った太陽の下、賽銭箱の横に腰かけてお茶を飲む霊夢の前に、息を切らして神社に飛び込んできた金髪の少女、アリス・マーガトロイド。
「朝来たわよ。もう居ないけど」
そう言って霊夢は自身の口につけていた物とは別、もう一つの湯呑みをアリスに手渡した。
「あ、ありがとう」
中のお茶は、既に冷え切っていた。
「で、あの馬鹿が今度は何をしたの」
気怠い表情で訊ねる霊夢の前、喉を潤し漸く息も落ち着いてきたアリスが話し始める。
昨日、里では小さな祭りがあった。彼女は人形劇を披露する為に出向き、そのまま昨晩は里に泊まる事となった。
そうして今朝、家に戻ってきてみれば。
「やられたのよ。見事に、ごっそりと人形をっ」
帰って来たアリスが目にしたのは、鍵を掛けていた筈が見事に消し飛ばされた家の扉、そしてそこから出て来る、大きな袋を背にした真っ黒な泥棒の姿だった。
突然の事に何が何とも判らぬ様相のアリスに向けて、宣言も無しに黒い泥棒、魔理沙は、魔砲放ちそのまま逃走。完全に虚を衝かれ成す術も無くアリスは賊を捕り逃してしまった。
「で」
話を聞いて霊夢は溜息をつく。
「それで何でうちに怒鳴り込んで来るのよ」
「そりゃ先ずはあいつの家に行ったわよっ。でも居なかったから」
「ちゃんと探したの? 散らかってるゴミ山の下とか、本棚と壁の隙間とか、茸の漬けてある瓶の裏とか」
「探したわよ、勿論」
「勿論なんだ」
「あ、いや、茸の瓶は気持ち悪いからあんまり良くは見てなかったかも、だけど」
話をしながら霊夢は、朝に見た魔理沙の様子を思い起こしていた。成るほど背に担いでいたあの大袋、あの中には人形が詰まっていたのか。長話をせずにさっさと立ち去ったのも、こうしてアリスが追跡してくる事を読んで早めに逃げたと、そういう事か。
そこ迄は得心の行った霊夢であったが、はて、まだどうにも少し、奇妙と思える事もあった。
「何であいつ、家に帰らないのかしら」
珍しい物、面白い物を蒐集する癖を持った魔理沙。紅魔館の図書室を襲い、人形遣いの家を狙い、そうして手に入れた戦利品を普通ならば家に持ち帰って然るべきだろうに。
「簡単な話よ」
声が聞こえた。霊夢とアリス、二人が同時に声のした方向に顔を向ける。鳥居の下に見えたのは、神社に於いては中々に珍しい血色の悪い顔。
「報復を恐れて逃げ回っているだけ」
パチュリー・ノーレッジ。動かない大図書館が、日陰の少女が、昼日中の博麗神社にその姿を現していた。
「そうねっ。そうに違いないわ。若しかしたら別の何処か、適当な隠れ家でも作ってそこに盗品を隠しているのかも知れない」
突然の訪問者、その為した指摘に飛び付いてアリスは、何度も首を縦に振りながら少し興奮気味に言葉を並べていく。
パチュリーの言葉、アリスの言葉。それを聞いて霊夢は、確かにそれもそうか、そう頷かざるを得なかった。
今の魔理沙の行動は以前と比べて明らかに違っている。仕様がないな、と、そう渋い顔でもって済ませられる域を明らかに超えてしまっている。襲われた側がいつ迄も黙っている筈が無い。そんな状況下で、周囲に知られている住処に平気で戻ってくる馬鹿もあり得ないだろう。
「流石にもう勘弁もならないわ。本を返させるだけじゃ済まさない。
今のあいつの根性は畑に捨てられてカビが生えて蝿もたからない南瓜みたいに腐り切っているわ。
彼女には制裁を受けてもらう。受けさせる」
「私も協力するわ。ただ物を盗むだけならまだしも、あんなルール破りの荒事。口だけで許す訳にはいかないわね」
思案に耽る霊夢を余所に同じ境遇である者ゆえの共感か、魔法使い二人は話に勢いをつけていく。制裁などと、どうにも穏やかではない言葉も飛び出してきた。
それも仕方が無いのかも知れない。何一つ表情を変えないまま、霊夢はそんな事を考える。
魔理沙と二人の魔法使い。彼女らの関係は決して仲良し小好しと、そこ迄を言えるものではなかった。それでも時にはお互いを利用し合い、異変が起こった時には何のかんのを言いながら協力もしたり、そんな腐れ縁の体を為した関係を続けてきていた。
けれども魔理沙はそれを破ったのだ。
スペルカードルールをすら無視した強引な遣り口で物を奪っていく今の彼女。このまま放っておけばいずれ、幻想郷の均衡を危うくする存在にだってなるやも知れない。
そして若しそうなった時には。
霊夢は博麗の巫女として幻想郷の脅威を退治しなければならなくなる。そんな事にだって。
「何とか」
やる気を見せないいつもの表情で、霊夢は小さく口を開いた。
「何とかしなくちゃ」
そうして言葉を吐き出し、そのまま目を丸くして固まってしまった。自分で自分の吐いた言葉に驚いた。
何とかなるか。そう言う心算だったのに。
「まったく、昔っから面倒ばかりを」
空を見上げて霊夢は言った。青く爽やかな筈の空がどうにも重く伸し掛かってくる気がする。まただ。今日の朝、確かに消え去った筈のあの息苦しさ。それがまた戻って来ようとしている。そんな気がするのだ。
それを押し返そうと意識して強さを込めた声。
けれどもそれは誰の耳に届く事も無く、ただ風に流されて彼方へと消えて去っていった。
幻想郷は今日も平和である。
少なくとも霊夢はそう思っていた。
だが周囲はどうも、そうとも思ってはいない様なのである。
“縞馬男”
霊夢がそれを感じた初めは吸血鬼であった。
夜の女王を謳いながら平気な顔で真昼の境内、従者に持たせた傘の下で彼女は、わざわざ自分の館から持って来た簡易な椅子に腰掛け、友人である魔女が最近渋い顔ばかり見せて歩くので滅入ってしまう、そう嘆きながらこれまた自前、紅茶の入ったカップを傾ける。
「あいつの顔がああなのって、そんなの前っからそうじゃない」
何を今更、そもそもその原因の大分はあんたでしょうに。そんな事を言って表情も変えずに緑茶をすする霊夢に対し、吸血鬼は大袈裟に首をぶんぶんと振るって見せた。大きく揺れる身体、同調して揺らされるカップ。波立つ紅い液体、飛び散る飛沫。けれどもそれらは吸血鬼の服に落ちる前、宙の中に於いて何の前触れも無く、音も、何者の動きすらも伴わずに消え失せる。代わりに紅い斑点を付ける従者の手巾。
幼い頬を紅く膨らませ吸血鬼は反論する。今回のは自分が原因ではない、と。
「魔理沙よ魔理沙。今回は。あいつのせい」
吸血鬼の友人である魔女、パチュリー・ノーレッジ。
彼女は常から紅魔館の地下に在る図書館に籠もる。そこには彼女自身の書いた魔導書や外の世界から流れ着いた物など、多種多様の本が背の高い棚にぎっしりと詰め込まれている。友人である吸血鬼も、今話を聞かされている霊夢も、特に興味を惹かれないそうした無数の書物達。しかしながらそれらは、どうも魔法を研究する者にとっては非常に貴重で役に立つ物であるらしかった。
そんな大切な本を魔理沙が奪って行ってしまう。パチュリーはそう嘆いているのだと吸血鬼言う。
「いや、それこそ」
もう一々言葉を挟むのも面倒。そんな面持ちで霊夢は息を吐く。それこそ何を今更と言う話だ。そう思いながら。
霧雨魔理沙は魔法使いである。そうして蒐集家でもある。
紅霧異変の折に大図書館に忍び込んで以降、彼女は事ある毎に紅魔館へ出向いては本を借りて行く様になっていた。
因みに、借りる、と言うのは魔理沙の言い分。紅魔館の図書館は公共の施設ではなく、規模こそ大きけれど言わば個人宅の書庫。貸し出しを業務とした覚えなどパチュリーにも館の主である吸血鬼にもとんとありはしない。それなのに大概の場合に於いて、魔理沙は断りも無く図書館に忍び込み勝手に本を持って行く。
有り体に言ってしまえば泥棒である。実際、天狗の新聞や幻想郷縁起にははっきりとそう書かれている。
泥棒行為の被害者である魔女が渋い顔を見せる。それは確かに道理。
だがそれは、紅霧異変以降ずっと続いてきた話なのだ。紅魔館の側としてもある程度の諦め、或いは黙認と言っても良い位の姿勢は見せているし、またパチュリーはこの泥棒行為を種として、先の地霊異変で魔理沙を地底に向かわせる口実の一つとしたり、そんな事もしていた。
それなのに今更、何か大事が起きたかの様にしてわざわざ話題に上げなくても。その辺りがどうにも霊夢には理解できなかった。
「今迄通りなのであれば、確かにそう問題も無かったのですが」
今一つ噛み合わない巫女と吸血鬼。その間に少し遠慮がちな従者の声が挟み込まれた。
各所で泥棒泥棒と言われる魔理沙の行為。しかしながらその実際は、シエスタ中の門番を飛び越えるか、或いは裏門から、何れにせよ堂々と館に侵入、そこで住人に見付かれば逃げ出しも襲い掛かりもせずに他愛の無い世間話、仕舞いにはお茶だの竹の花の入ったケーキだのまでご馳走になる。そんな泥棒と言うには余りにも間の抜けた、それこそ知人宅に物を借りに行く様な、そんな気軽さで以って行われていた。だからこそ紅魔館側も、ある程度の寛容さは見せていたのだ。
だが。
「この所、どうも彼女の行為が過激になってきているのです」
そう言って従者は困惑の色を含んだ笑顔で小さく首を傾げて見せた。
捕捉の出来ない遠距離から箒に跨り高速で館に突進、スペルカードの宣言すら行わずに魔砲で強引に門や壁を吹き飛ばして一気に図書館まで侵入、そのままの勢いで多量の本を有無も言わさずに強奪し即逃げ去る。
「それが今の彼女のやり方なんです」
今の魔理沙は手段を選ばない。相手の受ける被害の度を考えない。そして、少しでも強い相手とはまともに戦おうとしない。
初めてこの方法で来られた時には、真正面からの突撃だったにも関わらずスペルカードルールを完全に無視したやり方に不意を付かれた形になった門番は、魔理沙の侵入、強奪を許してしまった。
その後は流石に気を入れ直し目を光らせる様にするも、今の魔理沙は正面や裏口どころか、館の側面だの真上だの、ありとあらゆる方角から強引に壁を打ち砕いて来る。しかも彼女は館の主が従者を連れて外出している時など、警備が手薄になりがちなタイミングばかりを狙って遣って来るのだ。メイドの妖精達は、どうせ敵わない、下手に怪我をしたら大変だ、そう恐れ慄いて役に立たない。その判断は間違いではないしお蔭で人的被害こそは大した事なく済んでいるものの、こんな状況下では門番一人がどう頑張った所で侵入を防ぐ事など出来はしない。
結果パチュリー自身が最後の砦として動かねばならないのだが、健康に不安のある彼女と、速さと破壊力に関しては人間離れしている魔理沙。今の魔理沙は正面からの勝負はせず逃げを第一として動く。パチュリーも己の身体へ掛けられる負担に限りがある以上、強奪を完全に防ぎ切る事は出来ないでいた。
「て言うかだったらあんた、こんな所になんか来てないで家に居た方が良いんじゃないの」
湯呑みを手に少々非難めいた視線を吸血鬼に向ける霊夢。
「て言うかだからこそ、今日ここに来たんじゃないの」
幼い不満を隠しもしない声で、噛み付く様に言葉を吐き出す吸血鬼。自分の自由が無法者のせいで制限されるなんて堪ったもんじゃあない。だからこそ彼女は神社に、巫女の元に来たのだ。何故ならこの巫女こそが、事の元凶である黒い魔法使いに最も近しい人物なのだから。
「いや、私に言われてもねえ」
困った顔で霊夢は頭を掻く。
「それ以前」
「留守だったのよ」
霊夢の言葉、その頭が聞こえた瞬間に自分の言葉を被せて切る吸血鬼。
「散らかってるゴミ山の下とか、本棚と壁の隙間とか、茸の漬けてある瓶の裏とか」
「探したわよ、勿論」
「探したんだ」
巫女の軽口に吸血鬼は大真面目な顔で鼻を鳴らして応える。
「兎も角あいつが家に居ない以上、神社に来るしかないでしょ。魔理沙はいっつもここに」
「うん、それが、まあ」
吸血鬼の言葉を、今度は巫女が中途で切った。
「ここの所あいつ、来てないのよねえ」
用が有ろうと無かろうと、それこそ毎日の様に博麗神社に入り浸っていた魔理沙。そんな彼女が最近、何故か突然に姿を見せなくなっていた。
「そんなこと言って、隠して」
そこ迄を言って吸血鬼は自分の言葉を呑み込んだ。それは無い。目の前に居る巫女の性格からして、それは。
結局何の解決策も得られぬまま、不機嫌な顔で彼女は背中の翼を開く。
「まあ良いわ。とにかく霊夢、もし魔理沙が神社に来たら、馬鹿はもうやめろって、そうきつく言い付けておいて。うちの寛容の底はそんなに深くはないんだから」
「いや、私、あいつの親って訳でもないんだけど」
そう言って霊夢は疲れた顔で己の肩を揉み、どうにも気怠い息と共にゆっくりと言葉を吐き出す。
「随分と疲れている様ね」
誰が見てもそうと判る巫女の態度、完全を言われる従者が気付かぬ訳も無く心配そうな声を掛けた。
「憑かれてるんじゃあないの、悪霊か何かにでも。巫女の癖にだらしのない」
従者の差す日傘の下、主である吸血鬼が意地悪な子供の笑みを見せる。
「かも知れない」
「って、本当に」
予想外の素直な返答。両目を丸く見開く驚いた顔で、その小さな手を口に当てる吸血鬼。
「悪霊って言うのともちょっと違う感じなんだけど」
目を閉じ首の裏を摩りながら押し出す様にして霊夢は言葉を吐く。どうもここ数日、何とも言えないが重く息苦しい空気を常に彼女は感じ続けていた。それは決して邪な気配と言う訳でもない様ではあったのだが、何故だか神社がとても居辛くて疲れる、と、そんな風になってしまっていた。
そう言えば。霊夢は思う。そう言えばその嫌な空気を感じる様になったのは、魔理沙が顔を出さなくなったその少し後であったなあ、と。
「不摂生な生活をしてるせいじゃないの」
真っ昼間に外をほっつき歩いてる奴には言われたくない。そんな思いを露骨に顔へと出す巫女を尻目に、魔理沙の件は頼んだわよ、一方的にそう告げて吸血鬼は従者と共に神社を後にした。
◆
青く晴れ上がった空に向けて、うんっ、と身体を伸ばす。昨日吸血鬼が帰ったそのすぐ後、それ迄ずうっと肩に伸し掛かっていた正体不明の気持ち悪い重さが、何故だか急に、綺麗さっぱりと消えて無くなっていた。お蔭で霊夢は、今朝は久し振りに気持ちの良い目覚めを迎える事が出来ていた。
「よお、久し振りだな」
そうして久し振りに聞いた。昨日、神社を訪れた吸血鬼が話していた馬鹿の声。
「最近、馬鹿な事やってるそうね」
少々の棘を含んだ霊夢の言葉に。
「おいおい。久々に顔合わせた友人に向かって第一声がそれか」
馬鹿を言われた当人は、けれども気を害した素振りの少しをも見せずに笑って応える。
「俺みたいに清く正しく慎ましい人間を捕まえて何を失礼な。馬鹿な真似なんてした覚えは少しも無い」
霧雨魔理沙。全身を黒一色で包んだ人間の、魔法使いの少女。
「でも、それ」
言って霊夢は魔理沙の背中、担がれた大きな袋に指を向ける。
「借りてきただけだぜ。物ってのは、それを必要とする人物の所に在った方が幸せだからな」
悪びれる事も無く魔理沙は言い放つ。
「借りるのは、まあ、別に構わないけど」
どうにも軽い魔理沙の態度、霊夢は少し疲れた息を吐く。借りる事それ自体に今更あれこれを言う心算も無い。問題なのは。
「やり方がね。聞いたわよ。随分と馬鹿なやり方をしてるって」
「だから俺は馬鹿は見てないって。まあ、向こうは馬鹿な目に遭ってるかも知れんが」
「いい加減にしとかないとね、その内あんたも見るわよ。馬鹿を」
「今目の前に居る奴の事か?」
言って素直に聞く様なたまじゃない。そんな事は端から承知。それでも言うだけは言った。後は魔理沙次第。
そう考えて霊夢は小さく息を吸い、そうして頭を切り替える。何だか面白くない。この話題は、何だかどうにも楽しくないのだ。
「お茶、淹れるわね」
いつも通りをしよう。ここからはいつも通りをするんだ。
そんな霊夢の想いを、しかし魔理沙はあっさりと切って捨てた。
「いや、俺はもう行くぜ。別に霊夢に用は無かったんだ」
◆
「あの馬鹿来なかった!?」
今日一番の高さにまで昇った太陽の下、賽銭箱の横に腰かけてお茶を飲む霊夢の前に、息を切らして神社に飛び込んできた金髪の少女、アリス・マーガトロイド。
「朝来たわよ。もう居ないけど」
そう言って霊夢は自身の口につけていた物とは別、もう一つの湯呑みをアリスに手渡した。
「あ、ありがとう」
中のお茶は、既に冷え切っていた。
「で、あの馬鹿が今度は何をしたの」
気怠い表情で訊ねる霊夢の前、喉を潤し漸く息も落ち着いてきたアリスが話し始める。
昨日、里では小さな祭りがあった。彼女は人形劇を披露する為に出向き、そのまま昨晩は里に泊まる事となった。
そうして今朝、家に戻ってきてみれば。
「やられたのよ。見事に、ごっそりと人形をっ」
帰って来たアリスが目にしたのは、鍵を掛けていた筈が見事に消し飛ばされた家の扉、そしてそこから出て来る、大きな袋を背にした真っ黒な泥棒の姿だった。
突然の事に何が何とも判らぬ様相のアリスに向けて、宣言も無しに黒い泥棒、魔理沙は、魔砲放ちそのまま逃走。完全に虚を衝かれ成す術も無くアリスは賊を捕り逃してしまった。
「で」
話を聞いて霊夢は溜息をつく。
「それで何でうちに怒鳴り込んで来るのよ」
「そりゃ先ずはあいつの家に行ったわよっ。でも居なかったから」
「ちゃんと探したの? 散らかってるゴミ山の下とか、本棚と壁の隙間とか、茸の漬けてある瓶の裏とか」
「探したわよ、勿論」
「勿論なんだ」
「あ、いや、茸の瓶は気持ち悪いからあんまり良くは見てなかったかも、だけど」
話をしながら霊夢は、朝に見た魔理沙の様子を思い起こしていた。成るほど背に担いでいたあの大袋、あの中には人形が詰まっていたのか。長話をせずにさっさと立ち去ったのも、こうしてアリスが追跡してくる事を読んで早めに逃げたと、そういう事か。
そこ迄は得心の行った霊夢であったが、はて、まだどうにも少し、奇妙と思える事もあった。
「何であいつ、家に帰らないのかしら」
珍しい物、面白い物を蒐集する癖を持った魔理沙。紅魔館の図書室を襲い、人形遣いの家を狙い、そうして手に入れた戦利品を普通ならば家に持ち帰って然るべきだろうに。
「簡単な話よ」
声が聞こえた。霊夢とアリス、二人が同時に声のした方向に顔を向ける。鳥居の下に見えたのは、神社に於いては中々に珍しい血色の悪い顔。
「報復を恐れて逃げ回っているだけ」
パチュリー・ノーレッジ。動かない大図書館が、日陰の少女が、昼日中の博麗神社にその姿を現していた。
「そうねっ。そうに違いないわ。若しかしたら別の何処か、適当な隠れ家でも作ってそこに盗品を隠しているのかも知れない」
突然の訪問者、その為した指摘に飛び付いてアリスは、何度も首を縦に振りながら少し興奮気味に言葉を並べていく。
パチュリーの言葉、アリスの言葉。それを聞いて霊夢は、確かにそれもそうか、そう頷かざるを得なかった。
今の魔理沙の行動は以前と比べて明らかに違っている。仕様がないな、と、そう渋い顔でもって済ませられる域を明らかに超えてしまっている。襲われた側がいつ迄も黙っている筈が無い。そんな状況下で、周囲に知られている住処に平気で戻ってくる馬鹿もあり得ないだろう。
「流石にもう勘弁もならないわ。本を返させるだけじゃ済まさない。
今のあいつの根性は畑に捨てられてカビが生えて蝿もたからない南瓜みたいに腐り切っているわ。
彼女には制裁を受けてもらう。受けさせる」
「私も協力するわ。ただ物を盗むだけならまだしも、あんなルール破りの荒事。口だけで許す訳にはいかないわね」
思案に耽る霊夢を余所に同じ境遇である者ゆえの共感か、魔法使い二人は話に勢いをつけていく。制裁などと、どうにも穏やかではない言葉も飛び出してきた。
それも仕方が無いのかも知れない。何一つ表情を変えないまま、霊夢はそんな事を考える。
魔理沙と二人の魔法使い。彼女らの関係は決して仲良し小好しと、そこ迄を言えるものではなかった。それでも時にはお互いを利用し合い、異変が起こった時には何のかんのを言いながら協力もしたり、そんな腐れ縁の体を為した関係を続けてきていた。
けれども魔理沙はそれを破ったのだ。
スペルカードルールをすら無視した強引な遣り口で物を奪っていく今の彼女。このまま放っておけばいずれ、幻想郷の均衡を危うくする存在にだってなるやも知れない。
そして若しそうなった時には。
霊夢は博麗の巫女として幻想郷の脅威を退治しなければならなくなる。そんな事にだって。
「何とか」
やる気を見せないいつもの表情で、霊夢は小さく口を開いた。
「何とかしなくちゃ」
そうして言葉を吐き出し、そのまま目を丸くして固まってしまった。自分で自分の吐いた言葉に驚いた。
何とかなるか。そう言う心算だったのに。
「まったく、昔っから面倒ばかりを」
空を見上げて霊夢は言った。青く爽やかな筈の空がどうにも重く伸し掛かってくる気がする。まただ。今日の朝、確かに消え去った筈のあの息苦しさ。それがまた戻って来ようとしている。そんな気がするのだ。
それを押し返そうと意識して強さを込めた声。
けれどもそれは誰の耳に届く事も無く、ただ風に流されて彼方へと消えて去っていった。
……うーむ。よく分からない。点数は保留しておきます。
しかし、このSSはこれで完結しているのでしょうか?
点数は保留しておきます。
私には起承転結の『起』だけに思えるのですが。
魔理沙の動機も霊夢の対応も語られてないようですし。
そしてこのSSの序章にも近い終わり方から、この時点で物語が完結していると言うわけではないのでしょう。
そもそもなんの解決もしていないわけですから。これを鑑みるに、続きを期待してもよござんすね?
それとも、私の気付かないところで何がしの仕込が為されているのでしょうか。だとすればいつかはネタばらしを。
でもなければ、是非とも続きを期待します。現時点での評価は非常に難しいですので、フリーレスで失礼しました。
読み直してもよく分からなかった。縞馬男が誰にも気付かれずに、魔理沙とすり替わったってことかな。
でも、それじゃあチャチ過ぎるし。
ごめんなさい。分かりませんでした。
この一作で完結なのか続いてるのかはよくわかりませんが、続いてるとアレなので一応伏字&フリーレスで。
この作品で完結なのなら、思いつきそれだけで終わってるように思えます。もっと膨らませた話を読みたいです。