"せーねぇちゃん"
ある日出会った妖怪のことを、僕はそう呼んでいます。
とってもとっても静かなお姉ちゃんです。
◆
梅の花が咲き始めたくらいの、まだ寒い日。
いつものようにお仕事で町に向かっていると、僕はギョッとした。
道端に、妖怪が突っ立っている。
風変わりな服に、赤と白の筋が通った髪、そしてその頭には2本の小さな角。
僕よりちょっと大きいくらいのお姉ちゃんだけど、間違いなく妖怪。
――目を合わせると大変!
そう思って下を向きながら歩いていると、向かいの草陰に何か落ちているのが見えた。
きれいな小槌。昔話で見た、打ち出の小槌みたいな。
――落し物? おねぇちゃんのかな……。
チラッと、妖怪のほうを見る。
困ったように目を瞑ったまま、ピクリとも動かず、置物みたいに突っ立っているだけ。目の前に落ちているのに、取れないのかな。妖怪のすることはよく分からない。
なんだか素通りするのも悪い気がして。
「……はい」
そう言って、小槌を拾って差し出した。
しかし、どうしたことか。反応がない。
「……はいっ、落し物! おねぇちゃんのでしょ?」
やっぱり、ピクリとも動かず、受け取ってくれない。
――手に握らせておけばいいかな。
そう思って、小槌の柄をおねぇちゃんの手に触らせると。
ビクッ――!
びっくりした様子で手を引込められた。
いきなり動くものだから、つられて僕もびっくり。
……なんだか受け取ってもらえないのも悔しいから、今度はおねぇちゃんの手を掴んで、ギュッと小槌を握らせた。
「はいっ! 渡したからね!」
おねぇちゃんが小槌を握ったのを確認して、僕は小走りでその場を去った。
――なんて変な妖怪なんだろう。
振り返ってみると、両手で小槌の感触を確かめているおねぇちゃん。
やっぱり、その場から動かず、一言もしゃべらず、目を瞑ったまま。
変な妖怪がいるものだ。
◆
その日の帰り道。
「まだいる……」
行きがけと全く同じところにいる、妖怪のおねぇちゃん。渡した小槌を両手に抱えて座り込み、微動だにしない。
この道は、町からずいぶん外れていて、僕以外には誰も通らない。一日中誰にもかまってもらえずああしていたのかと思うと、なんだかちょっと可哀想にも見えてきた。
「おねぇちゃん、大丈夫?」
目の前で話しかけても無反応。頭を垂れて、目を開けることなく、弱弱しくへたれこんでいる。捨て猫みたいで、ちょっと面白い。
ツンツン――。と手をつついてみる。
「わっ、危ない!」
びっくりした様子で、持っていた小槌で僕の手を振り払ってきた。怒らせちゃったみたい。猫みたいだなんて思うから。
でも、その振り払い方にも、なんだか力が入ってない。
グゥゥゥ――。
お腹の音。
僕じゃないなら、このおねぇちゃんのだ。お腹が減ってるんだ。
「あ、ちょっと待ってて!」
背負っていたカバンを下ろす。取り出したのは、町で買ったお饅頭。食べるかな。
……どうやって食べさせよう。
「ほら、いいにおいでしょ? 食べていいよ」
お饅頭を、おねぇちゃんの鼻に近づける。ちょっと反応があった。匂いは分かるみたい。
それを確認すると、おねぇちゃんの手をしっかり握って、お饅頭を持たせた。
びっくりして固まってる、おねぇちゃん。
僕も、根気よく眺めてみる。
しばらくすると、おねぇちゃんがお饅頭をゆっくりと口に運んだ。
「あ、食べた! どう、おいしい?」
捨て猫が餌を食べたみたいで、なんだか嬉しくなる。
聞こえてないのかもしれないけど、尋ねてみる。
笑顔……じゃない。
どんどん表情が歪んでいく。
お饅頭食べられなかった!?
グスッ――。
……泣いてる。
モグモグと口を動かしながら、閉じた目から涙を流している。泣くほどおいしかったんだ!
「わぁ! えらいえらい! お水もあるよ!」
そういって、おねぇちゃんの頭をなでる。もう片方の手にお水も持たせる。
残りのお饅頭も食べ終わるまで、おねぇちゃんの頭をずっとなで続けた。
◆
そんな日がしばらく続いた、ある日。
雨が降った。
おねぇちゃんのことが心配になった僕は、仕事を早めに切り上げて、いつもの場所に急いだ。
やっぱり、ずぶ濡れで佇んでるおねぇちゃんがいた。
「風邪ひいちゃうよ、おねぇちゃん!」
小さな傘だけど、急いで一緒に入ってあげる。
雨粒が当たらなくなったことに気づいて、手をさまよわせるおねぇちゃん。その手が傘にぶつかって、そのまま下にたどっていき、僕の手に到達した。ふわっと嬉しそうな顔を浮かべるおねぇちゃん。
最近は、僕のことを覚えてくれたみたいだった。
お饅頭やおにぎりを差し入れて、頭をなでてあげる。食べ終わると、その手を取られて、おねぇちゃんの手に包み込まれる。僕のより少し大きなおねぇちゃんの手に包み込まれると、なんだかちょっと恥ずかしくなる。
分かったこともあった。
おねぇちゃんは、やっぱり目が見えない。耳が聞こえない。喋ることができない。
いくら僕が耳元でしゃべりかけようと、大きな音を立てようと、全然気づかない。手をツンツンとつつかれて初めて、僕だと分かるみたいだった。
おねぇちゃんを見る。
冷たい雨を全身に受けて、髪も服もベッタリと張り付いている。足元は跳ね返りの泥で汚れていた。
「こっちに来て!」
おねぇちゃんの手を引っ張る。
急な力に驚いて、動こうとしないおねぇちゃん。
「ウチに来て! 大丈夫だから!」
妖怪を家に入れるなんて、ちょっと怖いけど。
おぼつかない足取りのおねぇちゃんの手を引っ張って、家に向かった。
着いたところが僕の家だってことは、おねぇちゃんも分かったみたい。
靴を脱がせて足を拭いて座らせると、僕はお風呂を焚き始めた。
僕にはもう両親がいない。
ちょっと訳あってこんな辺鄙なところに住んでたけど、数年前に死んでしまった。
残された僕は一人でこの家に住み、町へ出稼ぎに行って生計を立てている。
どうせ誰も来ない、誰にも見られない家だから、ちょっとぐらい妖怪がいてもたぶん大丈夫。誰にも文句は言われない。
しばらくして、冷え切ったおねぇちゃんの手を取り、お風呂場へ連れて行く。
「おふろ! 入っていいよ!」
聞こえない。
手を取ってお湯につけてあげると、ようやくこれが、おねぇちゃんのために用意されたお風呂だと気付いてくれた。
……同時に、みるみる顔が赤くなっていく。すごく何かを言いたそうに、慌てて首を横に振った。
「入らないと風邪ひくよ! ぼ、僕だって恥ずかしいんだから!」
もう一回おねぇちゃんの手を取って、パチャパチャとお湯を叩く。
どうせおねぇちゃん一人じゃ入れないから、僕が手伝ってあげることになる。おねぇちゃんも恥ずかしいだろうけど、僕だっておねぇちゃんの裸を見るのはとっても恥ずかしい。
すごく困った顔でしばらく俯いた後、観念したかのように、服に手をかけ始めた。
今度は僕が慌てて、後ろを向いた。
◆
お風呂に入れて、お母さんの服を着せて、ご飯を食べさせて、おねぇちゃんの服を洗って。
雨はまだまだやみそうにないから、今日はここで泊ってもらうことにした。
おねぇちゃんは、隣に敷いた布団に座って、ボーっとしている。
この家で誰かと一緒に寝るなんて、ずいぶん久しぶり。なんだか懐かしい気分になった。
「もう寝よう。明かり消すよ」
おねぇちゃんを布団に寝かしつけて、明かりを消しに行くと。
ゴソゴソ――。
振り返ると、おねぇちゃんが慌てて手をさまよわせている。離れた僕を探していた。
「なぁに?」
近寄って、手を握ってあげる。
ホッとした顔を見せると、僕の手を広げて、人差し指を乗せた。
そのまま、しばらくの時間が流れる。なんだか難しい顔をしているおねぇちゃん。
……何なんだろう。
乗せた人差し指が、手のひらを走りはじめた。
"あ り が と う"
5文字。
たったそんなことを、顔を真っ赤にしながら書いてくれた。
なんだかそれが嬉しくて、恥ずかしくて、可笑しかった。
お返しに、僕もおねぇちゃんの手を広げて、指を走らせる。
"な ま え"
そう書いて、続けて自分の名前を綴った。
おねぇちゃんの口元が綻ぶ。あ、今初めて……
"せ い じ ゃ"
そう書いたおねぇちゃんが、にっと笑った。
素敵な正邪ちゃん。
と思ってましたが、それをひっくり返しましたか。……ナイスです。みていて保護欲に動かされました。ついでになんか悶えました。
続編は……?
好きでしたあのドラマ
続きを期待してます。
主人公の少年もたくましいですねw