Coolier - 新生・東方創想話

東方眩暈病 ~ Groucho glasses.

2015/01/26 02:13:03
最終更新
サイズ
10.27KB
ページ数
1
閲覧数
1619
評価数
1/10
POINT
360
Rate
7.00

分類タグ

「死んじゃいますから! 無理っす! 姫様! 無理! マジで」
 鈴仙の言葉が途切れ、空気を揺るがす衝突音。貼山靠を受けて吹っ飛んだ鈴仙は濁声の悲鳴を上げながら障子を突き破って屋内に消えた。あらあらと笑いつつ、後を追うと、部屋の中で鈴仙が伸びている。
「ごめんなさい、鈴仙。ここまで上手く行くとは思わなくて」
 床に倒れた鈴仙をしばらく覗きこんでいると、鈴仙は呻きながら目を開き、茫洋とした様子で呟いた。
「ここは、あの世?」
 ころころと笑って、鈴仙の頭を撫でる。
「そうよ。おはよう、鈴仙。死んじゃった気分はどう?」
 そう尋ねると鈴仙は、輝夜様が居て下さるなら悪くないですと答え、笑った。ようやく見当識を取り戻した様だ。
「大丈夫だった?」
「はい。直前に輝夜様が大きな岩を粉砕していたので、覚悟は出来ていました」
「そう、良かった」
 また撫でると、鈴仙は気持ち良さそうに笑んだが、痛みに呻き、顔を顰めてしまった。慌てて懐から、鼻眼鏡を取り出して己の顔に装着する。
 鈴仙が瞑った目を見開いた。途端に、大慌てで起き上がった。
「輝夜様、何ですか、それは」
「鼻眼鏡。面白い?」
「いけません! 輝夜様のお美しい顔にそんな」
「面白くない? 面白いでしょう? 笑えない? 鈴仙に笑って欲しくてつけたのだけれど」
「いえ、そんな、面白いですけど」
 鈴仙が大きな声を上げて笑う。一瞬顔を顰め胸を押さえたが、すぐにまた笑う。それが気をつかって無理矢理笑っているのか、心の底から分かっているのかは判別出来無い。とにかく鈴仙は笑った。一頻り笑ってから、鈴仙は言った。
「その、私を笑わせようとしてくれるのは嬉しいのですが、私等の為に、その、大変勿体無い事でして」
「鈴仙の笑顔が好きなの、私がね」
「でも鼻眼鏡なんて」
「鈴仙が笑ってくれるなら何でもするわ」
 そう言ってころころと笑った。
「だからずっと一緒に居てね」という言葉に、鈴仙は嬉しそうに頷いた。

 そう言えば、そんな事もあったなぁと、手の中の鼻眼鏡を見つめて思う。あれはいつの事だったか、はっきりとは思い出せない。この永遠亭に居ると、次第に時間というものが薄れていく。今はもう時間なんて在って無い様な物だ。この静まり返った、何の物音も聞こえない空間は、きっと統計力学的な死を迎えている。だから永遠で不変なのだ。
 じっと辺りの静寂に耳を澄ませている内に、自分が何をしていたのか思い出せなくなった。どうして鼻眼鏡なんて持っているのか分からない。
 鼻眼鏡を探していたのだろうか。
 鼻眼鏡を探していたのだとしたらどうして。
 誰か笑わせたい者でも居たのだろうか。
 悩んでいると、不意に「輝夜様、大好き」という声が聞こえた。見れば、桐箪笥の上に鳥籠が置いてあった。また「輝夜様、大好き」という声が聞こえた。九官鳥の声だと思った。
 何で九官鳥が居るんだと考え、私は気がつく。
 ここは輝夜様の部屋だ。
 九官鳥は輝夜様が飼い始めたもので、私はそれを見た事がある。輝夜様はこの部屋で九官鳥を相手に言葉を教えようとしていた。

 師匠が夕飯の時間だと告げに来た時、輝夜様が鳥籠を前に座っていた。
「輝夜様、大好き」
 九官鳥に語りかけている輝夜様に、師匠が何をしているのかと問うと、輝夜様は笑顔になって「鈴仙が居なくても寂しくない様に。鈴仙の言葉を教えているの」と言っていた。
「そんな! それなら言ってくだされば、私がいつだって輝夜様のお傍に居ますよ!」
「優曇華の代わりにするつもり?」
 輝夜様はそれに答えず、また九官鳥に向かって、「輝夜様、大好き」と言った。
「それが言葉を覚えたら、本物の私は用済みって事ですか? 嫌です! ずっと輝夜様のお傍に居させて下さい」
「姫、それは優曇華の代わりにならないわ。料理も薬の調合も、ましてや会話も笑顔になる事も出来ないじゃない」
 それを聞いた輝夜様は、初めてその事に気が付いて、どうする事も出来ずに振り返った。輝夜様が悲しくて泣きそうになっていると、師匠は溜息を吐いて、代わりならイナバにやらせれば良いでしょうと言った。
「そうですよ! 私が私の代わりに、いつでもお傍に居ます!」
 輝夜様は首を横に振る。
「それじゃあ可哀想。そうする位なら、私が鈴仙になるわ」
 輝夜様はそれで九官鳥に興味を無くして、夕飯を食べに行った。

 結局、言葉を教えこませたのか。
 自分が傍に居るのにと何だか悲しい気持ちになったが、今問題なのはそこではない。
 問題はここが輝夜様の部屋であるという事だ。背中に冷や汗が流れた。
 記憶に無いが、どうやら私は鼻眼鏡を探して態態輝夜様の部屋に来ていたらしい。主人の部屋に許しを得ず入り、その上勝手に物を持ち出したとあっては、折檻どころの話ではない。例え許して貰ったとしても、また余所者の玉兎が勝手を仕出かしたと皆から白い目で見られる事は明白だ。
 急いで鼻眼鏡を元の場所に戻そうとして、私は固まる。
 記憶は定かでないが、確かに私は鼻眼鏡を欲していた。輝夜様の部屋に入って私物を持ちだそうとする程、この鼻眼鏡を必要としていた筈だ。そうでなければこんな事をする筈が無い。そうであるなら、何か固い決意があって危険を犯してまでこの鼻眼鏡を手に入れたのなら、今更元に戻して、ただ輝夜様の部屋に侵入したという汚名のみを受けるだけで本当に良いのだろうか。もうこうして手に入れてしまったのなら、せめてこの鼻眼鏡を自分の思うままに使った方が良いのではないだろうか。
 私は悩み、しばらくそこで立ち尽くした。
 その間も、辺りは静寂に満ちて、風の音一つ聞こえない。その静寂の圧力が罪悪感となって、私の心臓を握り潰そうとしてくる。心臓の鼓動が強くなる。緊張で、体が強張っているのが分かる。
 私は悩みに悩んだ末、鼻眼鏡を持ち出す事にした。何か得体の知れぬ感情が私の手に命じて、決して鼻眼鏡を放させない。
 私はそろりと足音を忍ばせて部屋を出る。
 廊下には誰も居ない。庭にも一人のイナバも居ない。
 私はゆっくりと足を忍ばせ歩く。自分が何処に向かっているのか自分でも良く分からないがとにかく向こうに目的地がある事は分かっていた。
 しばらく忍び足で歩いていると、師匠の背が見えた。
 それを見た瞬間、私は当初の目的に気が付いた。
 笑ってもらいたい者が居た。
 いつもお世話になって、頼り切りの存在。
 私は師匠を笑わせる為に、この鼻眼鏡を手にしたのだ。
 逸る気持ちを抑える。すぐにでも、鼻眼鏡の力で師匠を笑わせたかったが、それでは芸が無い。
 まずはちょっとびっくりさせてみようと、尚も足音を立てずに歩いていると、突然師匠が振り返った。
「姫? さっきはいきなり駈け出してどうしたの?」
 気が付かれた事と、輝夜様と勘違いされた事の両方に驚いて私は思わず跳び上がり、服の裾に足を引っ掛けて転んだ。
「大丈夫?」
 師匠が慌てて駆け寄ってくるので、私は急いで立ち上がる。
「大丈夫です、師匠!」
 師匠は私がいきなり立ち上がった事にびっくりした様で、驚いた顔になったが、すぐに笑顔を見せた。
「そう、無事で良かったわ、鈴仙」
「いえ、鍛えてますので!」
 いつだったかは輝夜様の拳法練習に付き合い、サンドバックになっていた事もある。この程度、痛みすら感じない。
「それで今日はどうしたの?」
 今日はという言葉に何だか引っかかりを覚えたが、それよりも師匠の笑みが倦み疲れている事が気になった。
 ああ、これだと、私は確信する。この師匠の倦んだ表情を、笑顔に変えたくて、私は鼻眼鏡を持ってきたのだ。
「師匠! ちょっと後ろを向いていて下さい!」
「え? どうしたの急に」
「良いから!」
 師匠は不思議そうに背を向ける。
 私は師匠が意地悪をして急に振り返ったりしないかどうか十分に確認してから、鼻眼鏡を装着した。
 鼻眼鏡を装備した私を見れば、きっと師匠は笑ってくれる。きっと抱腹絶倒し、涙を流して咳き込みながら廊下を転げ回る。
 期待を胸に、師匠の背中に声を掛ける。
「良いですよ! 振り返って下さい!」
「はいはい」
 師匠が振り返る。そして私と目が合った。
 師匠はきょとんと、目を丸くした。
 それだけで中中笑ってくれない。
 私がにんまり笑ってみたり、変な表情を作ってみたりしても、師匠は何も言わずに固まって動かない。
 居心地の悪い沈黙が降りる。
 あれ、滑った?
「面白くないですか?」
 私が問いかけた途端、師匠は何か言おうとして口を開き、かと思うといきなり声を上げて笑い出した。跪いて、お腹を抱え、身を折り、顔を俯け、辺りに盛大な笑い声を響かせた。
 楽しんでくれた。
 それが嬉しくて、更に師匠を笑わせようと、「もう一回見て下さい、師匠!」と自分の鼻眼鏡顔を指さしてみたが、師匠は最初の衝撃で完全にやられてしまったらしく、ずっと俯いて笑い声を上げたまま、中中こちらを見てくれない。
 しばらくしてようやく顔を上げてくれたのは、師匠の笑いが収まってから。涙を拭いながら立ち上がった師匠は私の鼻眼鏡を見ても、もう大笑いしてくれなかった。
 けれどその代わりに素敵な言葉をくれた。
「ありがとう」
 その一言が嬉しくて、私は禁忌を犯してでも、鼻眼鏡を持ち出して良かったと思った。
「何かと思ったら、私を笑わせようとしてくれたのね?」
「はい。師匠、最近疲れているみたいだったから」
 すると師匠は自分の顔を挟んで、そんな顔をしていたかしらと首を傾げた。私が頷くと、少し疲れた顔に戻った師匠は、そうかもしれないわねと言ってから、伸びをする。
「心配かけてごめんなさい。久しぶりに疲れを吹き飛ばす薬を飲む事にするわ」
「あの、お薬に頼るのは」
 健康に良くないんじゃないかと言おうとして、別に不老不死だから関係無いかと思う。そもそも師匠が多少の疲れなんかで薬に頼る訳が無い。師匠程、気丈な人は居ないのだから。きっと師匠一流の冗談だろう。師匠にしては精一杯の洒落かもしれないが、私の鼻眼鏡に比べたら全然面白くない。
「そんな薬より、私のこれで元気になって下さい!」
 私がまた自分の鼻眼鏡顔を指さすと、師匠は笑い声を上げながら、去っていった。
 どうも最後の笑いは馬鹿にされた気がしてならない。もうお前の鼻眼鏡じゃ笑わないぞという感じだ。ちょっと頭が良いからって人を馬鹿にしてと悔しく思う気持ちもあったが、それ以上に師匠を元気にしてあげられた事が嬉しかった。
 目的は達成。後は鼻眼鏡を元通りにして、輝夜様に謝るだけだ。
 例えどんな理由があろうと、どれだけ小さな物であろうと、輝夜様の物を勝手に持ち出してしまった事は事実。黙っていればいいやでは信頼関係が成り立たない。例えどの様な罰を受けてでも輝夜様の前では正直でなくてはいけない。
 私が鼻眼鏡を持って、輝夜様の部屋に戻ると、まだ輝夜様は戻っていなかった。
 とにかく先ずはと、鼻眼鏡を元に戻す。
 すると私の耳に九官鳥の「輝夜様、大好き」という声が聞こえてきた。
 他の、色色な音は聞こえないのに、その声だけが聞こえてくるのが妙に気になる。
 私は、うるさいな、と思った。
 黙らせようと思って鳥籠を見ると、枝木に九官鳥が止まっていない。不思議に思い、鳥籠の中を見ると、鳥の形をした物が下に落ちていた。寝転んで動く様子が無い。取り出して、お腹を開けると、電池を入れる所に何も入っていない。これでは動く訳が無い。
 私は何処かに電池はあっただろうかと考え、そう言えばゲーム機入れの中に電池がある事を思い出し、早速持ってきて鳥のお腹に入れた。だが放電し切っているらしく、どの電池に入れ替えても、鳥は動かないし鳴かなかった。
 仕方無く、鳥を鳥籠に戻し、私は外の廊下に正座した。戻ってくるまでこうして待っていようと心に決めた。輝夜様の部屋の前で正座をする事で、私の反省の気持ちを少しでも示すのだ。
 電池式の九官鳥の声はもう聞こえない。鳴く為の電池が無いのだから当然だろう。あの鳥はもう死んでいるも同然だ。おんなじなんだなと私は思った。もうあの九官鳥が鳴く事は無い。機構はまだ生きているだろうけれど、二度と電池をお腹に収め鳴く事は無い。この永遠亭と全くおんなじだ。そしてそれは生き物とて変わらない。エネルギを与え、体液を循環させ、神経を働かせ、体機能を与えれば、生物学的に生きた状態へ戻す事も出来るだろう。だが形而上学的に、それを生き返ったとは呼ばない。
 つまりみんな死んだのだ。声が聞こえないとはそういう事なのだ。
「輝夜様、大好き」
 そう呟くと、しっくり来た。
「輝夜様、大好き」
 戻ってくるまでずっとこうして呟いていようと心に決めた。
続こんな姫様は嫌だ
烏口泣鳴
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.260簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
脳手術←幸せの魔法