Coolier - 新生・東方創想話

椛と下手な将棋が好かれる理由

2009/01/16 20:27:52
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―ぱちっ

乾いた木と木が打ち合わされる小気味よい音が、狭い室内に響く。

「にゅわッ!?」

驚きとも悲鳴とも判断つかない、中途半端な鳴き声が上がった。

そのよくわからない声を上げたのは、妖怪の山に住まう白狼天狗の犬走 椛。

彼女の真向かいに対面するようにして座布団に座り込んでいるのは、鴉天狗の射命丸 文だ。

そして両者の間に鎮座しているのは、将棋盤。

「う、うぬぬぬ・・・。」

盤上の局面は、一見すればほぼ互角。

単純に駒の数でみれば、文がやや押されているようにすらみえる。

しかし、駒の質では椛が圧倒的に押されていた。

椛の所有する優良な駒はすでに四分の一ほどまで減り、対して文が失った駒は歩兵だけ。

椛は今しがた文が打った、角行をじぃっと見つめる。

角行という駒は、斜め方向なら好きなだけ進むことが出来るという、攻め守りの要となる重要な駒だ。

その駒が次に進むと思われる射線、角行の斜めのマスを一マスずつトレースしていく。

その先に、椛の所有する飛車がいた。

飛車という駒は、縦横方向に好きなだけ進むことが出来る、角行と並ぶ強力な駒。

既に角行を失っている椛にとって、絶対に失うわけにはいかない駒だ。

とりあえず、飛車を逃がさなければ。

椛は飛車を手に取り、

「・・・。」

「どうしました、椛?」

脂汗を浮かべながら硬直する椛に、文はニヤニヤと、文字通り子犬をいじめるような笑みを向ける。

たっぷり30秒は盤上に視線を走らせ、

その後、飛車を元の位置に戻した。

「よろしい。」

文は椛の苦渋の決断に対し、鷹揚に頷いた。

飛車がやられるのが嫌ならば、単純に飛車を角行の射線上から逃がせばいい。

だがその延長上、飛車がどいたその先に、椛の所有する玉将がいた。

飛車をどかせば、次の文の番で角行が椛の玉将を直撃する。

これは小将棋でも中将棋でもない通常の将棋であるので、玉将を取られてしまえばその時点で椛は負けてしまう。

ゆえに、飛車をどかすわけにはいかない。

いや、まだだ。

まだ諦めるには早い。

将棋はチェスと違い、相手から討ち取った駒を自分の駒として再配置できるのだ。

これを椛の飛車と文の角行の間、かつ、そこに出した駒を守備してくれる駒がいる位置。

そこに持ち駒を出せば飛車は助かる。

椛は文から奪った自分の持ち駒を確認する。

歩兵しかなかった。

いや、この際贅沢は言うまい。

この歩兵を盤上に再配置して、

「ん? 歩兵を掴んでなにをしようというのですかね?」

飛車と角行の距離は3マスしか空いていない。

その中で、守りがついているマスは1つだけ。

そこに歩兵を配置すれば!!

すれば・・・!!

すれ、ば・・・。

「二歩ですよ、椛。」

「はわッ!?」

持ち駒から歩兵を再配置する場合、再配置するマスの縦方向に、自分の持つ歩兵がいてはならない。

縦方向に歩兵が二つ存在すると、『二歩』という反則に触れる。

禁じ手なのでその時点で反則負け。

「諦めなさい、椛。王手飛車取りです。」

「うきゃー!!」

この世の終わりを見た、といわんばかりの表情で頭を抱える椛。

『王手飛車取り』とは、王将もしくは玉将と飛車を同時に狙い、

将棋の中でも特に強力な飛車を、確実に仕留めるという高等戦術である。

その椛に追い打ちをかけるように、持った扇で口元の笑みを隠しながら文は続ける。

「二歩を指摘してあげるなんて、私も甘々ですねぇ。

 あんころ餅に黒蜜と蜂蜜を50:50で配合して、思春期の恋するヲトメをぶち込んだくらい甘いですね。

 おぉ、甘い甘い。」

盤上の絶望的な光景を諦め、椛は上目づかいで文を見つめる。

密かな切ない恋心を打ち明ける乙女のごとく、頬を朱に染めて、

恥ずかしさでか細く消え入りそうな声で、心の内を伝える。

「あの、文さん。この一手、待っていただいでもいいですか・・・?」

「はい?」

文は虫も殺さぬような屈託のない満面の笑顔を浮かべ、椛の言葉に答えた。

「この喉が痛くなりそうなあんころ餅の甘さがまだ足りないと?

 水飴とトレハロースと先月結婚した人里の若夫婦の新婚生活をバケツで加えろというのですね、貴方は?

 椛がそこまで甘党とは知りませんでしたよハハハ。」

「いえ、なんでもないです。」

椛は飛車を諦めて別の一手を打った。

―ぱちっ

言うまでもなく、次の一手で飛車は秒殺された。

さよなら飛車。おバカな私を許して。

その後も局面は進んでいくものの、椛の戦況は一向によくならなかった。

やがて、

「はい、王手。」

詰んだ。

さっくり詰んだ。

終わってみれば、戦況は大差での敗北だった。

「うぅ・・・。」

「まだまだね。」

落ち込む椛の頭をぽんっとはたいて、文は部屋の窓を開けた。

長らく緊張で停滞していた空気が、吹き込む風の涼しさで洗い流されていく。

「強いなぁ、文さんは。」

「あら、椛だってそこそこよ。」

「そこそこですか。」

「強いとは言えないわね。お世辞にも。」

お世辞にも言えないですか。

ますます小さくなる椛。

部屋の主のほうが客より小さくなってどうするんだか。

文は椛の様子に苦笑しながら、窓枠に腰掛けた。

「椛は駒を大事にしすぎなのね。

 時には囮に使う事だって必要だし、相手のほうが貴重な駒を失うなら多少被害が出ても攻めるべき。

 将棋っていうのはチェスと違って、相手から取った駒を盤上に再配置できるんだから、

 駒の数が多少減ったって戦況にはそれほど影響しないはずよ。

 もちろん、自分の駒が減らないに越したことはないけれど。」

「はぁ、特に意識しているわけではないですが・・・。」

「意識してやっているんなら、貴方に将棋は向いてないわね。

 ルールがわかっていないわけじゃないし、戦術の心得もちゃんとある。

 頭の回転やひらめきのよさも全然悪くない。

 椛が下手なのは唯一、考え方だけね。

 それさえできるようになれば、もっとうまくなるはずよ。」

ぽりぽり、と頬を掻くことしか出来ない。

言われていることは理解できるけど・・・。

「まあ、私はそんな椛の将棋が好きだけどね。」

「・・・はい?」

ぼそり、とつぶやいた文の言葉は、そよぐ風に阻まれて椛の元までは届かなかった。

椛が首をかしげて聞き返すが、文は曖昧な笑みで返し、それには答えようとしなかった。

「ほら、椛。そろそろ時間なんじゃない?」

「あっ!」

促されて、椛は慌てて壁にかかった時計を見上げる。

いけない、隊のみんなを待たせてしまう。

部隊長が遅れてしまうなんて、隊のみんなに面目が立たないじゃないか。

壁にかかった大太刀と盾を取り、椛は慌ただしく部屋の扉を開け放った。

「せっかく来ていただいたのにすみません、文さん。

 自分の部屋だと思って、好きにくつろいでいってください。」

「あらそう。好きにくつろいでいっていいのね?

 椛の布団の中にもぐりこんで椛の匂いを堪能したり、

 椛が毎晩欠かさず、密かにつけている日記を声高らかに音読したりしてもいいのね?」

「駄目です。さっさと出て行ってください。あと日記のことは忘れてください。」

―ばたんっ

木製の扉が勢いよく締められて、椛はあっという間に飛び去っていった。

その姿を窓辺から視線で追いながら、文はくすりと小さく笑った。

「それじゃあ、好きにさせてもらいましょうか。」

ぐぐっと体を伸ばし、すっかり固まってしまった首を鳴らすと、

不精な知人の散らかった部屋をせっせこ片付け始めた。





                     * * *





妖怪の山。

肩のように張り出した小高い丘に、立派な一本杉が聳え立っている。

その木によじ登り、椛ははるかな地平を望む。

椛の取りまとめる第一哨戒部隊の主な任務は、その名の通り哨戒。

つまり、妖怪の山の領域を外敵が侵さぬよう警戒することである。

とはいうものの、妖怪の山に住まう天狗の恐ろしさを知っている周囲の人妖は、

基本的に明確な意思を持って妖怪の山を侵そうとはしない。

以前、道中の神々を張り倒しながら突き進んできたトンデモ巫女がいたが、

あれは特例中の特例である。

あんなものは滅多なことでは現れない。

よって、この仕事は大概暇だった。

ちなみに、第一哨戒部隊というからには第二が存在したわけだが、

それは椛のあずかり知らぬところでいつの間にか統合されていた。

椛が第二哨戒部隊の面々に偶然会う機会があった直後だったので、椛は理由をよく知らない。

顔を合わせた数日後には、第二哨戒部隊は自分の部隊に取り込まれていた。

一番の古株である副隊長に理由を聞いてみても、隊長は知らなくてもいいんです!、の一点張りだった。

まあ人数だって精々10人程度の部隊なので、統合したところで指揮できないことはないだろうが、

隊長なのに知らなくてもいいってことはないだろう。

思い出しながら苦笑していると、椛の視界に奇妙なものが映りこんだ。

千里を見通す椛の瞳。

それははるか遠くの異変を捕らえた。

「隊長!」

「椛隊長!」

椛と同時に哨戒任務についていた4人の隊員が遅れて現れる。

音と気配だけで全員揃ったことを察知した椛は、振り返らずに返答した。

「私のほうでも確認した。なんだ、あれは・・・?」

「はい、おっきいトカゲさんでした!」

隊の中でも最年少の白狼天狗が、舌足らずな声で椛に答える。

彼女はここよりももっと異変の場所に近い位置で観測していたので、その姿を捉えたのだろう。

間もなく、椛にも視認できる位置まで異変が近づいてきた。

なるほど、確かに大きいトカゲだ。

ただ、森の中を突き進みながらでも姿が確認でき、

周囲の木々をなぎ倒しながら進んできているわけだから、その大きさは推して知るべしだ。

「妖怪の山の新しい入居希望者かね?」

「だといいけど、それにしちゃあご来店が乱暴すぎるなぁ。」

前髪が片側の目を隠すほどに長い隊員の一人が皮肉気に口を歪めて呟くのを、

椛は苦笑しながらそれに合わせた。

「それで、隊長。どうしますか?

 正直、あれは我々の手に余る相手かと思います。」

一際クールな雰囲気を放つ隊員、副隊長の白狼天狗が対象を冷静に分析し、椛に方針を求める。

「そうだな・・・。

 楓と梢は里へ一時帰還、援軍を呼んできてくれ。

 柊と椿は引き続き周囲の警戒を続けること。

 あれは私が食い止める。」

「はぁ。ですが隊長、あれは我々全員が束になってかかっても厳しい相手では?

 この際、周囲の警戒は後回しにしてあれだけでも・・・。」

「足止めするだけだ。勝とうなんて思っちゃいないよ。

 それに、この隙に乗じて、なんて輩がいないとも限らないだろう?」

副隊長は納得いかない様子だった。

確かに、この隙に乗じて妖怪の山に侵入しようとする輩がいないとも限らない。

が、そんなことが起こる確率などたかが知れている。

哨戒部隊の目をひきつけるためだけにこんな目立つ化物を差し向けたのでは、

山の天狗たちに変に警戒されるだけだ。

白狼天狗の戦闘能力は、決して高いわけではない。

白狼天狗を恐れる程度の戦闘能力の相手ならば、山に侵入されたとてあっさり撃退されるだろう。

山に侵入するメリットも理解できない。

変に天狗を刺激して、天狗と戦争でも仕掛けるつもりか。

馬鹿馬鹿しい。それもありえない。

おそらく、あの化物は単独でこちらに向かっている。

それに乗じるのは上策ではないし、例えそうだとしても乗じてくるであろう侵入者は脅威足りえない。

だから、椛の策は最善ではないと、副隊長は判断する。

「隊長、ご武運を。行くぞ、梢。」

「ふくたいちょー! えりつかんだままひきずらないでぇ~!?」

だが、副隊長は椛の指示に従うことにした。

副隊長の自分が隊長である椛の指示に逆らうということは、隊の指揮力に影響するからである。

実状、そこまでシビアな部隊ではなかったが、副隊長は徹底的な性格だった。

副隊長たちが森の中に消えていくと、

続いて片目隠れの隊員とお嬢様風縦ロールの隊員も哨戒のために散開していった。

「さて、私も行くか。」

隊員たちがそれぞれの役目を果たしに行ったのを確認し、椛も森の中を駆ける。

周囲の景色が高速で流れていき、絵の具を引き摺ったような形のなさない模様と化す。

椛の指示が最善でないことは、椛自身も理解していた。

その上で副隊長は頷いてくれたわけだから、きっと副隊長は椛の意向を汲んでくれたのだろう。

副隊長には苦労をかけるなぁ、と我が事ながら呆れる。

やがて、標的が見えてきた。

近づいてみるとやはり大きい。

ドラゴンかなんかなのではないかと疑うほどの巨体。

何を食べたらこんなに大きくなれるのだろうか。

ぜひご教授いただきたい。

『グアアアアアァァァァァ!!!』

「駄目だ、コミュニケーションが取れそうにない。」

ひそかなコンプレックスである自分の体の小ささを解消できるチャンスかと思ったが、

世の中そう甘くはないらしい。

残念無念、椛は諦めて大太刀を構える。

戦闘の意思を察知したのか、オオトカゲがその丸太よりも太い腕を振り上げた。

椛は動かない。

動く必要がない。

間合いを完全に見切っている。動かなくてもあたりはしない。

凄まじい風圧と共に、オオトカゲの爪が椛の大太刀の切っ先を掠めるように通過した。

椛は通過した腕を追いかけるように駆け、伸びきったオオトカゲの腕に飛び乗る。

そして大太刀をその腕に突き立て、引き摺るようにして一気に駆け上がった。

がりがりと鱗の上を滑りながら、椛の大太刀が走る。

敵の首元まで駆け上がった椛は、硬い鱗を刀の鞘に見立て、

駆け抜けながら神速の居合い切りをオオトカゲの首に見舞った。

―ヂィィィンッ!!

まるで刀と刀を打ち合わせたかのような硬音が響き渡り、鮮烈な火花が散った。

(効かないか。硬いな・・・。)

頭のほうは大したことない。

硬さも、まあ目的は倒すことではないので無視しよう。

しかしこのパワーはかなり脅威だ。

隊員たちには、ただの時間稼ぎだから一人でも大丈夫、そう言った。

本当は逆だった。

これには椛一人どころか、隊員たちが束になっても敵うまい。

時間稼ぎすら怪しい。

ではなぜ、椛は隊員たちを戦線から外したのか。

それは、たとえ隊員たちが束になってかかったとしても厳しい相手だと、椛が判断したからである。

『グアアアアアァァァァァ!!!』

今度は左腕。

右側から凄まじい勢いで鱗に覆われた壁が迫る。

防ぐ、などという選択肢はない。

盾ごと腕をへし折られる。

避けるしかない。

迫りくる豪腕を跳躍して避け、後方に飛び退る。

なに、喰らったら終わりなのは弾幕ごっこだって同じこと。

あれをフランドールのレーヴァテインだと思えばいい。

・・・・・・いや、今のなし。

ルーミアのムーンライトレイだと思えばいい。

当たらなければどうということはない。

続いて右腕。

大丈夫、落ち着いて相手の動きをよく見れば避けられない攻撃ではない。

無理に攻撃する必要もないのだ。

こうして、このまま時間を稼ぐだけでいい。

椛は姿勢を低くしてわずかに前進。

相手の爪の先から手首の辺りまで距離を詰め跳躍、

鱗に覆われた手首を足場に、さらにもう一度跳んだ。

「よし、これならなんとか―――」



直後、椛の視界が目まぐるしく変化した。



大砲の弾でも食らったかのように視界がぶれ、急速に迫る地面に叩きつけられる。

椛の小柄な体は、そのままゴム鞠のように跳ね上がった。

        食らった?

                痛い

   何?

                         立て直せ

            早く

あまりの衝撃に、思考がばらばらに散開する。

受身も取れぬまま、椛は再び地面に墜落した。

全身の骨がバラバラに砕け散ったかと思った。

実際にはそんなことはなかったが、しかしそれほどの衝撃が椛を襲った。

地面に這いつくばったまま顔を上げると、

側面をこちらに向けたオオトカゲが悠然と向き直るところだった。

長く伸びた尾が、鎌首をもたげた蛇のような動作で後方へと下がっていく。

あれを食らったのか。

目に映るものばかりを追いかけ、あれの後ろに隠れていた尻尾に叩き落とされたのだ。

まるで将棋で、相手の持ち駒を計算に入れ忘れて不意打ちを食らったかのような。

「ぐぅッ!?」

起き上がろうとして、全身がばらばらになりそうな激痛が走る。

肋骨は、折れてはいないだろうがヒビくらいは入っているだろう。

左足に至っては最悪だ。完全に折れている。

これではもう、次の相手の攻撃を避けることすらできない。

オオトカゲが振り上げた腕が視界に映る。

あれで、地べたに這いつくばる椛を叩き潰すつもりだろう。

しかし避けられない。

このぼろぼろの体では、もはや寝返りを打つことすらままならない。

詰んだ、な・・・。

せめて、文さんに一回くらい、勝ちたかったものだが・・・。

結局、最後まで文さんに―――



―ズズン...



地震が起きたのではないかと思うほどに大地が戦慄き、木々が蠢いた。

オオトカゲの手の平が、中ほどまで地面に埋もれるほどの勢いで打ち込まれたのだ。

そこにあったものは、たとえ鋼鉄の塊でも潰れてぺしゃんこになっていただろう。

そんな光景をはるか上空から見下ろしながら、呆然と椛は思った。

「って、ええッ!?」

「その傷でよくそれだけ騒げるわね。」

いつの間にこんな上空に!?

しかも、文さんの腕の中で!?

「元気そうね。助けは要らなかったかしら。」

「そんなことないです。痛いです。死にそうです。」

やれやれ情けない、とばかりに文は頭を振って、椛の体をゆっくり地面に下ろした。

近くにあった岩に背をもたれさせるようにして座らせる。

それだけでも十分痛い。

椛は苦痛に顔をゆがめたが、それでも悲鳴だけは上げなかった。

椛を下ろした文はオオトカゲに向き直ると、その巨躯をねめつけるように見上げた。

「ったく、危ないじゃないの!

 今の一撃なんか、椛みたいなのが食らったらギャグマンガみたいに人型の穴があいちゃうわ!

 わかってんの? そこのデカブツ!」

文は大真面目に、目の前の爬虫類に説教を垂れる。

いやいや、文さん。コミュニケーションはすでに私が断念しましたから。

案の定、その文に答えたのはオオトカゲの巨大な爪だった。

それが椛の目の前、文が立っていた位置を根こそぎ攫っていく。

一瞬、当たってしまったんじゃないかと思った。

しかし、振りぬかれた腕の先端に、文は超然と立っていた。

「反省の色なしっと。これはしつけが必要ね。

 どれ、同じ目にあってもらいましょうか。」

文はぐっと拳を握りこむ。

親指を握りこむような、奇妙な握り方。

そして、その親指をオオトカゲの顔面目掛けて弾いた。

腕の先端からオオトカゲの顔面まで、距離にして数メートル。

しかしオオトカゲの顔はライフルでも打ち込まれたかのように弾かれた。

圧縮した空気の弾を親指で弾いて飛ばしたのだ。

超高速で飛来した急造の弾丸はオオトカゲの顔面を直撃。

しかも目に当たった。エゲツない。

一瞬視界を失ったオオトカゲは、その一瞬で文の姿を完全に見失った。

そりゃあ見失いもするだろう。

なにせ、次の瞬間には、文はオオトカゲの頭の上に立っていたのだから。

自分の頭の上は誰にだって見えやしない。

「チェックメイトですね。いや、この場合は王手といったほうが洒落が効いていますかね。

 ちなみに投了は受け付けません。おやすみなさい。」

直後、まるで竜巻が起こったのではないかと錯覚するような空気の圧縮が起こった。

いや、竜巻なんて表現すら生ぬるい。

これはもはやブラックホールだ。

それほどの勢いで空気が文の足元に吸い込まれ、強引に圧縮されていく。

そして、圧力が臨界点を突破した。



突符『天狗のマクロバースト』



隕石が落下したら、きっとこんな衝撃が走るのかもしれない。

極限まで空気を圧縮した爆弾は、あっさりとオオトカゲの巨躯を押し潰し、

爆風で周囲の木々を根こそぎなぎ倒した。

文が椛を岩の陰に下ろした理由がよくわかる。

そうでなければ、動けない椛は視界に映らないところまで吹っ飛ばされていただろう。

爆心地にいたオオトカゲは、まるでギャグマンガのように半身を地面に埋もれさせていた。

「あややや、私としたことが。ちょっとムキになりすぎましたかね。」

言葉のわりに反省の色もなく、文は愛用の扇で口元の皮肉気な笑みを覆い隠した。





                     * * *





全治一ヶ月。絶対安静。

という医者の理不尽な宣告を受けてから、二日。

軽く二・三回は死ねるほどに退屈だった。

そもそも白狼天狗、つまり狼科である椛にとって、じっとしていろというほど過酷な命令はない。

あと一ヶ月もこの退屈な日々が続くのかと思うと、それだけでもう二・三回は死ねそうだった。

余裕でコンテニュー画面である。

ちょくちょく遊びに来てくれる文が唯一の希望ではあったが、

その希望もお偉方にこってり絞られて自宅謹慎中だというのだから皮肉が利いている。

そりゃあ、あれだけ大規模な自然破壊をすれば怒られもするだろう。

変なところが抜けてるんだよなぁ、文さん。

椛はくすくすと一人笑い、横隔膜の震えが引き起こす肋骨の激痛にもだえた。

―ドンドンッ

おやっ、来客だ。

「はい、どうぞ。」

椛は来客に入ってくるように促すが、絶対にそれを聞く前に開けたであろうタイミングで扉が開いた。

「おっす、もみもみ~! 元気に怪我人してる~?」

「卑猥な呼び方しないでください。あと、怪我人が元気なわけないでしょうが。」

来客は河城 にとりだった。

にとりは我が家のごとく部屋に立ち入ると、我が家のごとく座布団を引っ張り出してきて座り込んだ。

「卑猥ってなに想像したのよ、もみもみ~? このエロス!」

「出口は右手です。お帰りください。できれば今すぐ可及的すみやかに。ゴー・アウェイ・ナウ。」

「あはは、冗談冗談。思ったより元気そうだね。」

「ご期待に添えられたのならば幸いです。」

そっぽを向いて口を尖らせる椛の頬を気持ち良さそうに指先で突きながら、

にとりはニシシと笑った。

「椛が暇してるんじゃないかと思ってさ~。ほら、相手してあげるよ。」

にとりが引っ張り出してきたのは、将棋盤だった。

そう、先日文と指していたあの将棋盤。

退屈を持て余した椛にとっては願ってもない申し出だったが、

そのまま素直に認めてしまうのはどうにも癪だった。

「まあ、にとりがどうしてもやりたいというのであれば、私もやぶさかではないです。」

「じゃあどうしても椛と将棋がやりたいです。」

「うぅ、わかりました。」

あっさりとにとりが折れた。

これはこれで釈然としない。

にとりのほうが大人な対応をしたみたいじゃないか。

なんだか負けたような気分になりながら、将棋の駒を並べる。

手馴れたもので、それもそのはず。

椛とにとりは、わりと頻繁に将棋を指す。

お互い、暇潰しの相手に飢えているのだ。

よくやるのは大将棋だが、にとりの並べ方を見るに通常の将棋を望んでいるようだ。

「ほい、玉将。」

「うぅ、はい。」

玉将は先手、つまり格下の者が持つのが一般的とされる。

椛とにとりの実力は大体拮抗しているが、残念ながら通算では椛のほうがやや下である。

いつかにとりに玉将を渡してやる、というのがとりあえずの目標。

「お先どうぞ。」

余裕綽々な態度で、にとりは椛の一手を待つ。

椛は銀将を金将の前に移動。

対するにとりは王将の前の歩兵を進める。

「・・・?」

よくわからない一手だった。

見たことのない戦法だろうか。

椛は反対側の銀将も、同じようにして金将の前へ。

これで完成。お手軽な防御布陣である。

にとりは、

「はい!?」

王将を前に動かしてきた。

これには思わず椛も声を上げる。

「ほら、もみもみ。次どうぞ。」

「あ、ああ、はい。」

その後もにとりの奇行は続いた。

王将ばかりを動かして、自分の駒をまったく動かさない。

ちまちまと椛側の歩兵を削りながら、王将だけで進軍してくる。

おちょくられているのだろうか。

結局、にとりの王将は椛のもつ飛車の射程圏内に踏み込み、あっさりと討ち取られてしまった。

「なんの真似ですか、にとりさん?」

いぶかしげな視線を向けて問いかける椛。

にとりはそれに、にへらと笑って問い返す。

「馬鹿みたいでしょ~?」

「ええ、まあ。馬鹿みたいですね。」

同意して椛が頷くと、その眼前にびしりと指が突きつけられた。

突然なにごとかと、椛は困惑したが、

やがて、それはにとりが椛のことを指さしているのだということに気付く。

「椛の真似だよ、これ。」

先ほどのふざけた雰囲気は欠片もなく、冷たささえ感じさせる声音でにとりが言った。

その変わり様に、椛は言葉も返せない。

「周囲の駒も使わず、一人で敵陣に突っ込んで、

 飛車の尻尾に叩き落とされて包帯グルグル巻きの馬鹿みたいな王将。」

飛車は成れば龍王となる。

成れば龍、この飛車をトカゲに見立てているのだろう。

そしてにとりの駒は、第一哨戒部隊の面々。

なるほど、これは先日のオオトカゲ襲撃の一件の再現だ。

端から見れば、もう馬鹿にしか見えない。

「あのねぇ、椛。死んだらなんにもならないんだよ?

 だってのに隊員全部離れさせて自分一人で特攻とか。

 そんなんだから椛の将棋はいつまで経っても下手なんだよ。」

耳が痛い。大きいから余計に。

塞ごうにも、腕を動かすと肋骨がもっと痛かった。

そんな椛の様子を見て、にとりは呆れたようにため息。

ただ、その口元には笑みが浮かんでいた。

「まあ、そんな椛の将棋は好きだけどね。」

「・・・へっ?」

ぽかんと口を開けたままの椛を余所に、にとりは扉に手を掛ける。

「あたしだけじゃないよ?

 ほかにも椛の将棋が好きな奴、こんだけいるんだから。」

―がちゃり

にとりが扉を開け放つと、そこには何人もの白狼天狗が心配そうに佇んでいた。

「隊長!」

「椛隊長!」

第一哨戒部隊の面々だった。

自分の部下達である。

それが、一人残らずこの場所に揃っていた。

椛は立てかけられていた松葉杖を手に取ると、折れた左足を庇いながら立ち上がった。

肋骨が軋む。涙が出るほど痛い。

にとりが駆け寄ろうとしたが、それは視線で制した。

絶対安静、と医者は言っていたが、今だけは忘れていたことにしよう。

みんなが待っているのは、元気な姿の椛なのだから。

必死の思いで部屋の外に出ると、第一哨戒部隊のみんなが不安そうな顔で椛を見上げている。

痛々しいその姿を見て、小さく声を上げたり、泣きそうになっている者もいた。

さあ、隊長として、声をかけなければ。

みんなの心配を拭い去れる一言を。

隊長として、一番求められている言葉を。

胸いっぱいに溢れ、こみ上げてくる嬉しさが表情にでないように必死に隠しながら、

第一哨戒部隊長・犬走 椛は部下達に声をかけた。

「ちゃんと仕事しろよ、お前ら。」

安堵と、喜びと、そして苦笑の声があふれ出した。








 
「表情を隠したって、あんなに尻尾を振ってたらバレバレですねぇ。」
「ああん、椛隊長かわいい~。なでなでした~い。私いっちば~ん♪」
「馬鹿者。年功序列という言葉を知らんのか。」
「副隊長大人気ないッ!!」
第一哨戒部隊、別名『もみじファンクラブ』は今もバリバリ仕事中。

投稿31発目。
もう31発目ですか。人間換算でオッサンですね。
短めの話を書こうと思ってたのに、終わってみればそこそこの長さ。
脚色しすぎですかねぇ。ニンニン。
将棋のルールとか、わりとどうでもいい部分なんで削ってもよかったかな。
まあ将棋わかる人は王手飛車取りとかで「あるあるwww」とかニヤリとしといてください。
資料調べ中に大局将棋見てみたんですけど、なにあの大軍勢って感じですね。
僕には絶対に無理です。
ちなみに僕は将棋よりチェスのほうが好きだったりする。(ぼそり
お嬢様風縦ロールがセリフなしなのは、喋らせるとインパクトが強すぎる気がしたのです。
作中では椛は将棋下手となっていますが、周囲のレベルが高すぎるだけで、さほど下手でもありません。
まあ細かいことはキニシナイ。(・ε・)

第二哨戒部隊が合併した理由は言うまでもない。


・角行→飛車
ぎゃおー、報告ありがとうございます。修正しました。
・櫓囲い→???
勘違いです。やっちまったなぁ!
嘘を教えてくれた小学校の先生を恨んでおきます。
調べてみましたが、名称はわかりませんでした。^^;
暇人KZ
http://www.geocities.jp/kz_yamakazu/
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コメント



0.1330簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
これはいいw
さて、ちょっとファンクラブに入ってくるよ
2.80名前が無い程度の能力削除
非常にかわいらしい椛www
誤字発見です。
>角行という駒は、縦横方向に好きなだけ進むことが出来る
角ではなく飛車ですね
4.90煉獄削除
つまり合併した理由は椛ファンクラブのためなのですか。
まあ、椛って可愛いですしねぇ。
もふもふしたいな~。
話は面白かったです。
椛の行動や、にとりがあえて将棋で椛の行動を再現したこと
椛の部隊がお見舞いに来たことなどがとても良かったです。
12.100名前が無い程度の能力削除
>「はい、おっきいトカゲさんでした!」
この子ください。え?バラ売りは無し?
じゃあ全員まとめて(マテ

是非シリーズ化して頂きたい。第一哨戒隊に入隊してぇ。
13.100名前が無い程度の能力削除
王手飛車取り?
あるあるw
15.90名前が無い程度の能力削除
私が食い止めるといった時に無意識に「の」で食い止めている姿が(ピチューン
椛そんなに人気なのかww
18.100名前が無い程度の能力削除
椛ファンクr・・・第一哨戒隊にはどこで入れますかねー?
19.無評価名前が無い程度の能力削除
あまり拘る所ではないかもしれませんが。
櫓囲い(矢倉囲い)は王様を端まで動かして金銀三枚で囲う、結構本格的な囲いです。
23.70名前が無い程度の能力削除
それでもどこかのどかな部隊に乾杯。

うちの爺ちゃんが椛の囲み方だったなあ。
調べたけれど名称が分からなかった。
24.100名前が無い程度の能力削除
中住まいじゃね?
25.90削除
こちらスネーク、椛ファンクラブがある妖怪の山に潜入した。
37.90名前が無い程度の能力削除
もみじもみもみ!