1
中秋。人里では秋の気配が最も感じられる季節である。
しかし山の山頂付近においては、紅葉は、枝にあって山を彩る事よりも風に乗って地面に降り注ぐ事の方がより目立つようになっていた。
守矢神社はそろそろ冬の入りが近い。
「早苗ー」
この神社の内情を詳しく知るものであれば、境内に響き渡るこの声の持ち主がすぐにわかるだろう。
「早苗ー。どこー?」
金髪の幼女である。いやちがう。
洩矢諏訪子である。容姿こそ幼いが、その実、守矢神社を支える神の一柱である。
彼女は今、トレードマークの帽子をかぶっていない。
諏訪子は神社の屋内を一回りした後、次に外に出て神社入り口の石畳に向かい、
「あ、いた。早苗?」
そこで、掃き掃除をしている、お目当ての人物の背中を見つけ出した。
「何でしょう」
そういって神社のほうへ振り返った早苗の手には、使い古された竹箒がさも当然のように握られている。
彼女たちが幻想卿に渡ってから、はや二十五年。
早苗の、こちらの神社の石畳に積もっている紅葉を掃き清める仕草も、実に手馴れたものとなっていた。
彼女のその手に握った竹箒も、すでに八代目を数える。
幻想卿に渡ってきた時よりも、表情がさらに柔和になり。
背丈は変わらないはずだったが、以前より大きく見えるのは身につけた経験のなせる業か。
天狗のブンヤなど、口さがない連中は彼女を評して、
「幾分かお太りに? いやいやもちろん、いい意味でですって」などと言う者も居たが。
しかし、大方の彼女の知り合いは、半人半霊の言うような、
「ふくよかになった」という言葉がまさにしっくりと来るような身体の変容の様を、皆に印象づけていた。
一挙一動、すべてが落ち着いていて、じつにゆったりとしていた。誰もが、もはや彼女のことを、少女、とは呼ばなくなって久しい。
諏訪子は、周りを見渡し、近くに誰の姿も見えないことを確認した後、早苗に不満をぶつけた。
「早苗。加美菜がまた私の帽子、風でどっかにやっちゃったんだけど」
またですか。と早苗は可笑しく微笑んだ。
このようなやりとりも、昨今の守矢神社では日常茶飯事である。
以前は神奈子や諏訪子の言葉を、たとえ冗談事であっても一字一句たりとも生真面目に正面から受け止めていた早苗であったが、娘の加美菜を産んだ頃から、ある程度は二柱の言葉を器用に受け流せるようになっていた。
「屋根の上はお探しになられましたか?」
「うん、今回はそこにもない。加美菜に悪気はないのはわかるけどさあ、あれでも神の持ち物なんだよ? もうちょっと大切に扱うように、早苗のほうからきつく言っといてよ」
「ご自分で直接言われたらどうですか?」
「やだよ! 加美菜に嫌われでもしたらどうすんのさ!」
早苗はクスクスと微笑み、こたえた。
「わかりました。今度言っておきますね」
と、そこに、
「すわこさまー。と、おかーさーん」
神社の敷地の外から、まだ幼い、脳天気な女の子の声が届いた。
空の上に、早苗にそっくりな、身長を六割ほどに縮めた少女が浮遊していて、見覚えのある白狼天狗とともにやってきている。
早苗と同じデザインの、小振りな服装をしている事実は、彼女もまた守矢神社の巫女であることを示していた。
それにしても、生き写しと言って良い位に早苗に似ている。強いて違う点を上げるとするならば、若干、髪の色が青みがかっている程度か。
「すわこさま。お帽子、ありました! もうちょっとで川に落ちちゃうところを、木の枝が拾ってくれたみたいです」
うれしそうに、そう報告しながら二人の下に着地する小さな巫女を、
「加美菜、勝手に一人で神社から出かけちゃ駄目って言ったでしょう」
早苗は軽くおでこを小突く。
「ごめんなさい。でもちょっとだけだったよ? すわこさまの帽子を探してただけだから」
悪びれもせずに謝る自分の娘を見て、
「川って滝のある川でしょ? そこにいくだけで結構時間かかるじゃない」
早苗はため息をついた。
川までは、最低でも片道十分はかかる道のりである。
守矢神社と山を管理している天狗たちとは友好関係にあり、また現在の加美菜の実力から考えて、そうそう困った事態にはならないと早苗は確信してはいたが、加美菜はまだ十三歳。
このあたりの、近い距離であっても、まだまだ親の庇護を受け続けるべき年齢であると早苗は考えていた。
その様子を見て、加美菜と連れ立ってやってきた白狼天狗が楽しそうに口を開いた。
「ああ、そのことでしたら。実は、諏訪子様の帽子を発見したのは、実は私、というわけです」
「ああん、いっちゃ駄目!」
加美菜は天狗の口をふさごうと必死になって両手を目一杯掲げたが、そんなんで唇をふさげるはずもなく。
「で、こっちにくる途中で、半分泣きそうになって探し回っている加美菜ちゃんを拾ってきたんですよ」
早苗は改めて天狗に礼をする。
「椛さん、すみません。娘が大変誤迷惑かけまして」
「いえ、礼には及びません。丁度こちらのほうを見回りに行く予定でしたので」
そういって、ふくれっ面の加美菜の頭をなでる椛。
早苗はなるほど、うなずき、ならばお茶でも一杯どうですか、と、椛の背筋にそっと手を添えた。
2
瞬く間に当然のごとく、椛は守矢神社の居間に案内される。
椛がちゃぶ台の前の座布団に座って五分もかからぬうちに、熱々の緑茶が用意された。
早苗の支度は実に手際がよく、迷いがなかった。このような域に達するまでは、多くの天狗をもてなす経験が必要だったろう。
実は椛も、早苗にお茶に誘われたことは今回が初めてではない。
最初は遠慮の方が勝っていた彼女であったが、誘われるごとに徐々に慣れ、今では加美菜と一緒に、お茶が出てくる前にちゃぶ台の上に置かれた蕎麦菓子を平然と頂く様になっていた。
台所から、お茶をお盆に乗せて持ってきた早苗がいう。
「ほら加美菜、ちゃんと自分の席に座りなさい。お行儀悪い」
加美菜は今、椛の膝の上に座っていた。
「いいんですよ早苗さん。加美菜ちゃんは私の尻尾がお気に入りなんですから」
そういった椛の尻尾の先は、優しく加美菜のおなかの上にのせられて、ゆったりとした舞を踊っている。
ねー。と相槌を交わす加美菜と椛。
「大丈夫なんですか? 尻尾って、確か弱点なんじゃ?」
そう聞く早苗。あ、椛さんのお茶はちゃぶ台の上に置いておきますね。
「ああ、ありがとう御座います。そりゃ、ぎゅーと握られたりとかされたら困りますけど」
「私はそんなことしないもん!」
そういう加美菜は、ふさふさとした白い尻尾の先を、手慣れた手つきで優しくつまみ、慣れたように梳いていた。
早苗はため息をつきながら、お茶を一つ一つちゃぶ台の上に配膳していく。
「まったく、この子は親の知らないところで何をしてるんだか」
帽子を点検していた諏訪子が言う。
「そんなもんだよ。子供はいつの間にか一人歩きを始めるもんさ。私の子の時も、早苗の時も。いつもそんな感じだったね」
どうやら帽子に異常は見つからなかったらしい。諏訪子は点検をやめ、早苗が持ってきたお茶の茶碗で、両手を温め始めた。
配膳の終わった早苗も着座する。
「この子ったら、守矢神社の巫女である自覚、あるのかしら?」
「早苗も若い頃はやんちゃだったじゃない。なんというか、常識にとらわれないというか」
椛が茶々を入れる。
「それはずいぶんと好意的な表現方法ですね」
加美菜は目を丸くした。
「ええ? おかあさんの若い頃って、どんな感じだったの?」
諏訪子は、悪代官にごまをする悪徳商人のような、意地の悪い笑顔を浮かべた。
「そりゃもう、伝説といって良い位の武勇伝がそこかしこに――」
「なるほど、諏訪子様は、明日からの御飯は粗食が良いとおっしゃる」
「ごめんなさい早苗。加美菜、あんたのおかあさんはずっと可憐な清純派の巫女だったよ」
「絶対嘘だ!」そういった加美菜は椛を見上げるも、
「ごめんね。でも、私も神社で一服する癒しの時間は失いたくないの」
「……大人って汚い」
加美菜はむくれるしか仕様がなかった。
3
ズズッっと、お茶をすする椛。そこで、彼女はいつもの面子に誰か足りない事に気づいた。
「ところで、神奈子様はどうしておられるのですか?」
「今日の祭りの打ち合わせで、一足先に命蓮寺に向かわれました」
普通の祭りであれば、主催でもない催しの打ち合わせに山の神が出張ることはない。
しかし今日のは、一年に一度きりの、幻想郷の歌自慢が集まる、歌あり踊りありの大宴会であった。
正式名称は『命蓮寺が主催する、妖怪達と人間の溝を埋める音楽の夕べ』なのだが、誰もそんなことは気にしちゃ居ない。
人里も、天狗の山も、旧地獄ですらも、
「今年の音楽祭」で通じているのが実情である。
実は、神奈子と諏訪子。山の神の幾柱かと組んで、西洋風の激しい音楽を披露するのがこの宴会での恒例となっていたのだった。
「そういえば、今日でしたね、例のお祭り。じゃあ、諏訪子様は打ち合わせに行かなくて良かったのですか。メンバーなのに?」
「大丈夫、歌の練習はきっちりやっといたし。舞台裏の演出との打ち合わせは、神奈子の担当だから。私がいっても何にもならないさ」
「そうなんですか。実は文様や私って、あなたがたの組の大ファンなんですよ」
「へえ、そいつはうれしいねえ。今年も新曲作ったから、期待しといてよ」
事実、諏訪子達の音楽活動は、幻想郷で結構人気が出ていた。
パワーのある神奈子のドラムをベースに、味のある雛のギターが、ボーカルの諏訪子のハイテンポの歌声をどこまでも気分を高揚させると評判になっていたのであった。
「はい、実は哨戒の任務が終わったら友人と行く予定でして。楽しみです」
照れたように言う椛。尻尾がゆったりと揺れる。
それを見ていた加美菜が、椛の尻尾を軽く握った。
「わふんっ!」
「えー、私達と行かないの? 一緒に行こうよ。人数は多い方が楽しいって!」
「ごめんね加美菜ちゃん。友達はもう私達二人の席取りの為にもう会場に行ってるの。それに、加美菜は早苗さんや博霊の巫女さん達と一緒に行くんでしょう?」
諏訪子は意地悪く笑った。
「早苗は紅白と一緒に来るのか。ところで、それって古いほう、それとも新しいほう?」
「諏訪子様ったら。古いっていったら霊夢さん怒りますよ」
早苗が自分の口元にそっと手を当てる。
「で、どっち?」
「小さいほうと、ちょっと小さいほうです」
「背丈? 胸? どちらにせよ、早苗のその発言ほうが霊夢は激怒するとおもうけど」
「それより、私としては椛さんの先ほどの、二人、発言が気になりますね」
「あらあら、うひひ」
「なっ……」
絶句する椛をおいて、神達は話に花を咲かせる。
「相手って、文さんのことじゃないですよね。あの方はプレス入場ですし、やっぱり椛さんのアレっぽいひとですよね」
「私達もよく知るあいつのことだね!」
「あれだけ大規模なお祭りに二人っきりって事は、もうアレですよね。デではじまりトで終わるあれそのものですよね」
「よーやく進展したかー。私や神奈子とかも、内心ハラハラしていたんだよ」
「ちょっと、違いますって!」
そういって全力で否定して見せる椛だが、顔が茹だっている。
「いやー、恋愛成就ってのは信仰的に重要だからねー。いつも来てもらってる椛のそれが成就したら、守矢の信仰も大幅アップ、いやめでたい」
「そうすれば、また本殿を移転、とかする羽目にならないから大変ありがたいですね」
ありがたいことです、と、椛に向かって柏手を打つ早苗。
「止めてくださいよー。神様が天狗を拝むなんて聞いたことがありませんよー」
と、横では、
「みゅーんみゅーん」諏訪子がアマガエルのポーズで、両手を椛の方向に向けている。
「すわこさま、なにしてんの?」
「神の力で椛の恋愛力を上昇させてるのさ」
「がー! 余計なお世話ですっ!」
椛はあたふたと逃げていった。
4
夕方になり、早苗と娘の加美菜、諏訪子は連れだって神社を後にした。博麗霊夢達と一緒に命蓮寺に向かうためである。
このような比較的遅い時間帯に加美菜の外出が早苗に許される事は非常に希であったが、この日ばかりは特別であった。
道中、川の上空を下った時、未だ日は天にあるというのに、突然あたりの光量が少なくなる。
早苗達は、黒化した空気の中心に目をこらす。
そこには普段着の鍵山雛が川の中に佇んでいた。
「こんにちは、雛様。まだ会場には行かないのですか?」
早苗の挨拶に、諏訪子も乗る。
「やあ雛。あんたまさか、今日という日を忘れちゃあ居ないだろうね」
実は鍵山雛もまた、諏訪子達と一緒の音楽のメンバーなのであった。
「忘れてませんよ。今日はたくさんの人の近くにでるのですから、十分に厄を流しておかないと」
雛は照れた風に微笑んだ。
「そうかい、よかった。ひょっとしたら、雛はちょっぴり恥ずかしがり屋だから、人前で演奏するのが嫌になっちゃったのかと思ったよ」
「そんな事ないですよ、諏訪子。最初の頃は緊張しましたけど。でも、あの祭りで、参加した人々の厄はびっくりするくらい薄くなるんです」
「へー。雛は相変わらず仕事熱心だねえ」
「生活習慣みたいな物ですよ。というか、守矢の面々が自由気まま過ぎるだけの気がしますよ」
「言うじゃない。否定しにくいのが笑えるけど」
早苗が嘆息する。
「まあ、信仰心獲得を名目にした音楽活動も、基本はお題目で本心は自分が楽しむためですものね」
「いーじゃん別に。実際、信仰は確実に増えてるんだし」
「まあまあ、早苗。厄神である私も含め、参加してる神はみんな楽しくやってますから。諏訪子だけをいじめるのは止めてください」
「雛様にそうまで言われると、何も言えなくなりますよ」
早苗が笑い、つられるように、雛も諏訪子も微笑んだ。
「そういえば、舞台衣装のことだけど。雛は、例の髪飾りつけてくの? いまはしてないけど」
諏訪子が聞いた。
「ええ、私を慕ってくれる子が一生懸命作ってくれた物ですから。厄を落としてる最中に万が一があってはいけませんからね。ほら、ちゃんとここにしまってますよ」
雛は懐の奥から、鈴蘭の造花で作られた小振りの髪飾りを取り出して見せた。
正直、どう贔屓目にみてもその作りは上手とは言えなかった。だが雛にいわせると、その少々いびつな髪飾りからは、いかなる厄をも見いだした覚えが無いらしい。
「メディちゃんとかいってたっけ。今日も来るのかな?」
「もちろん来ますよ。お友達の妖怪と一緒に来るってお手紙がありましたので、私のほうで最前席に招待しましたから」
雛は愛おしそうに、髪飾りを撫でている。
5
その後、雛と分かれた三人が博麗神社の上空に到着すると、鳥居の前に一人の巫女が仁王立ちで待ち構えていた。
だが、その姿は博麗霊夢ではない。
現在の霊夢より一回りは小さな体躯をさせたその巫女はしかし、脇を出した紅白の巫女服を紛れもなく着こなしていた。
三人は、その巫女が視界に入った事実を何の異常もなく受け止めた。
その巫女は、三人に気がつくと、自らも飛行を始めて三人の元へ上昇を始めた。
しかし、左右にふらふらと蛇行し、なにやら心許ない。
加美菜はその姿を認めると、
「あ、みことちゃんも一人で飛べるようになったんだ」
そう呼ばれた紅白の巫女は、得意げに自慢する。
「これくらいの事なんて。あなたもできるんだから当然でしょ。それにあたし、きちんと弾幕も放てるようになったんだから!」
「あらすごい。じゃあスペルカードは? 私、おかあさんから教えてもらっても物覚え悪くて。先週にならないと、思うとおりに自分のを使えるようにならなかったの」
得意げの紅白巫女は、とたんに顔を青ざめた。縁日ですくい上げられた金魚のように、口をパクパクとさせている。
「……今に見てなさい! あたしはあんたなんかよりもとっても綺麗でとっても華麗でとっても格好いいスペルカード作ってやるんだから!」
そのようなやりとりの後、改めて紅白の巫女は三人を出迎えた。
「東風谷のおばさまと洩矢様。お久しぶりです」
そういって、博麗の小さな巫女はぺこりと頭を下げた。
「これはご丁寧に。美琴ちゃん、こんにちは」
「や。美琴は相変わらず礼儀正しいね。ほんとにこれがあの霊夢の後継者なのかねえ?」
美琴と呼ばれた巫女は、博麗神社の境内に案内しながら、
「母様はあいにく急に妖怪退治の仕事は入ったので留守にしています。もうすぐ戻ると思いますけど」
「へえ、どんなやつなの。相手は?」
「それが、紅魔館です」
美琴はその一言だけで通じるかのように言った。
「あ、いつも通りってやつね」
「そうとも言いますね」
そのような会話をしてから半刻後、ようやく霊夢が神社に帰還した。
「ああ、早苗達はもう到着してたのね」
霊夢は悪びれることなく言いながら、迷うことなく神社の境内に直接降り立った。
「母様、お帰りなさい!」
「ただいま、美琴」
抱きつくように飛び出した美琴の頭を無造作になでるこの紅白巫女は、間違いなく博麗霊夢である。
中年期にさしかかり、皺もほんの少しだけ気になり出した霊夢の年齢にも関わらず、相も変わらず脇のでた巫女服を無造作に着こなしている。しかし、それが妙に似合っている為、紫にですら、「やめたら」と言わせる発想を持たせなかった。まあ、それは早苗にとっても同じことではあるが。
「ああ、肩こった。早苗、揉んで」
「はいはい」
霊夢は縁側にすとんと腰掛けた。早苗は履き物を脱いで神社に上がり込み、霊夢の背後に正座する。
「霊夢さん、お疲れ様です。巫女服にまた手を加えたんですね」
「ええ、異変ごとに少し変えるって決めてるから。まあ、今回のは異変と呼べる物ではなかったけど」
よく見ると、霊夢と美琴では同じ紅白の服でも細部が微妙に違っていた。
「じゃあ、美琴ちゃんのが、少し前に霊夢さんが着てた巫女服の意匠ってわけなの?」
「うん、藍のおばさまに縫ってもらったのよ」
早苗が目を丸くする。
「霊夢さんは、娘の服も八雲家に任せてるんですか?」
「いいじゃない。私は細かい細工とかちょっと苦手だし。自分の体型以外の服は仕立てたこと無いから不安でもあるわ。それに、藍が自分で作りたいっていうんだから、好きな風にさせてんのよ」
基本的に、守矢神社では裁縫は早苗が全て行っている。一方の博麗神社では、美琴の衣服については八雲家が積極的に介入してきているらしかった。
巫女服などはその典型で、霊夢が自分のに手を加えるたびに、藍が夜なべして美琴の巫女服を同じように改造するのが常であった。
大人のそのような発言をよそに、子供達は、
「へー、美琴ちゃんの方の巫女服って、一番下にもフリフリがついてるんだ」
「そうよ。素敵でしょ。あんたんとこのより、幻想郷で伝統と格式のある博麗神社のほうが巫女服のセンスもいいのよ」
「フリフリー、スベスベ―」
加美菜は、美琴の赤いスカートに触れられる。外界の材質でできているのか、僅かに品よく光沢がある。
いつのまにか加美菜の手は、だんだんと下に移動していった。
「ちょ、なにす、ぎゃー!」
「あ、美琴ちゃんたら下着――」
「それ以上いうなあ!」
顔を真っ赤にした美琴が殴りかからんばかりに加美菜にくってかかる。美琴は恥ずかしさを誤魔化すかのように叫んだ。
「あ、当たり前じゃない! 和服着てるなら当然でしょ!」
「え? 私はいてるよ。多分お母さんも」
美琴は驚愕した。
「なんですって?! それほんとなんですか、東風谷のおばさま!」
「本当よ。というか、霊夢さんも下着は履いてたように思うのだけど。そうですよね、霊夢さん?」
「え。ああ、うん。ていうか、和服の時は下着履かないのが正しいのか。へー、今知った」
「うぼぁー!!!」
早苗が思い出したように、霊夢に向かって口を開く。
「ところで、妖怪退治のほうはもう完了したんですか? 私も何か手伝います?」
「いんや。フランその他をとっちめるだけだったから、もう終わったわ。これで、私達も心置きなく祭りにいけるわよ」
「どうして今更、紅魔館の吸血鬼が?」
「さあ、今回の依頼者だったレミリアに対しても、口を開く前にのしたから理由は分からないわ」
「相変わらず変わりませんね、霊夢さんは」
「私に言わせりゃ、あんたの様にころころ変わる方がおかしいと思うわ」
霊夢はふう、と、心地よいため息をつく。
「それにしても、早苗の肩もみは効くわねー。力とかは全然ないんだけど、筋にじわじわ来るというか」
「八坂様でたくさん練習しましたから」
「一度萃香にたのんだ事があるけど、酷かったわ。あれが力一杯やるもんだから、思わず悲鳴を上げちゃったわよ」
それはご愁傷様です、と、早苗は笑いを堪えた声でつぶやく。
「ちなみに、その萃香さんは?」
「もう会場にいったわ。地底の、勇儀とか言う鬼と一緒に。もう飲み始めてるんじゃない?」
「会場が毎年酒臭いのはだいたいあの鬼さん達のせいですよね」
ふと、霊夢は自分の肩に置かれている早苗の手に視点をあわせる。
うらやましそうに、
「ところで早苗と私ってさあ、だいたい同い年くらいよね」
「ええ、そうですね」
「あんたはさあ、どういうご飯食べてたら、そーいうつるつるお肌になるのかしら? 顔も、手も」
「霊夢さんも、いいかげん乳液くらいは使った方が良いですって。前からくどい位いってるじゃないですか」
「いやよ、めんどい」
「あと、霊夢さんはお酒飲み過ぎです。もう若くは無いんですからそろそろ節制することを覚えないと」
「私はその気があるけど、同居人が許してくれないのよ。ほら霊夢、飲みが足りないぞ~、飲め~、って」
「お肌への、日頃の細かい配慮があってこそですよ? 私は現人神ですから、信仰とかでその辺りの恩寵はある程度受けてますけど、その私すら毎日のお肌のケアは注意してますもん。まあ、第一、博麗神社の信仰の効果なんてたかがしれてますしね」
「あらま、なあにその発言。さすがにこの温厚な霊夢さんでもカチンときたわ。なによその、私は上であんたは下よ宣言」
「そうおもうならなおさら自愛してくださいよ。霊夢さんは巫女であってもただの人なんですから」
「あんたには、いつものお仕置きが必要のようね」
霊夢は幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。
とたんにわざとらしく震え出す早苗。
「やめて奥様、子供が見ていますわ」
「あんたも子持ちでしょーが!」
早苗の脳天に、霊夢の手刀が直撃し、小気味よい音を立てたのだった。
「あてっ」
博麗神社を出立するのが送れたため、早苗たちが命蓮寺近くに造られた、半分屋外の特設会場に到着するころには、東の空にはわずかだが闇が迫ってきていた。
音楽祭の会場に着くと、既に会場の入り口には、満員御礼の札がぶら下がっている。
早苗達はなれた足取りで会場入り口のひとつ、関係者入り口と書かれた門から中に入った。
そこは舞台のすぐ脇の入り口とつながっていて、簡単に楽屋などと出入りができるようになっている。
諏訪子はその中のひとつ、かなり大きな控え室に足取りも軽く入っていった。
「遅いよ諏訪子。最終リハーサル終わっちゃったよ!」
諏訪子がドアを開けるなり、中から不満げな顔をした神奈子が飛び出してきた。
「そうですよ。私よりも到着が遅いのはさすがにどうかと思いますよ」
室内で待機していたらしき雛が言う。どちらとも、普段とは少し趣の異なった衣装を着ていた。
「ごめん。いろいろあってさ。ところで、今まででなにか問題なかった?」
「いや、ないね。舞台効果も、にとりが今年も頑張ってくれるから最高のものになりそうだよ」
「じゃあよかった。今年も盛り上げていこう!」
「神様方、頑張ってください」
「神奈子さま、がんばってねー」
開け放たれドアから顔をのぞかせた美琴と加美菜が手を振る。
「おお、まかされた! けど加美菜。きょうの命蓮寺は人混みが激しいから、決して早苗の手を離しちゃいけないよ」
「そうやって、また子供あつかいするー」
むくれる加美菜に、
「お前は正真正銘の子供じゃないか。第一、幻想郷は危険がいっぱいさ。お前を眷属にしたくて吸血鬼にしたり、家族にしたくて蓬莱人になる薬を飲ませたり、冥界で一緒に過ごしたくて命を奪ったり、そんな危険な連中に出会ったらどうするつもりだ?」
これには霊夢も苦笑い。
「ピンポイントで思いつく人達がいるのは私の気のせいじゃないわね? さすがに連中も、おいそれとそんな真似はしないと思うけど」
「何をいってるんだ、この馬鹿巫女は。この子の凶悪な可愛さをなめるなよ! 普段の本人にその気はなくとも、加美菜を見た瞬間に正気を失うに決まってるんだ!」
「うっさい親馬鹿神」
6
諏訪子と分かれた早苗達が会場内に入る頃には、そこの熱気は、すでに十分加熱しきっていた。
最前列の貴賓席に着座した早苗たちのうしろで、人も妖も、そろって今か今かと開演を待ち構えている。
突然、真っ暗だった檜舞台の片隅に一筋のサーチライトが照射される。
上のくらがりから、雲山を身にまとった一輪がゆっくりと降下してきた。
「やあ、みんなおまちかね! 今年も進行役を務めるのはこの私、雲居一輪よ!」
一輪は手を振って声援に答えている。
「早速いってみようか! 最初はおなじみの名トリオ、秋姉妹とイク・ナガエの、『オフオータム』よ!」
観客の歓声に迎えられながら、ドラムに座った静葉、マイクを持った穣子、河童ギターを持った衣玖が観客の視界内に登場した。
先頭にたつ穣子が叫ぶ。実にうれしそうだ。
「最初はいつものこの曲、『貴方達への信頼』から!」
静葉が持ったスティックのリズム合わせとともに、音楽が始まる。
いつもは、どちらかといえば控えめな性格の穣子も、今ばかりはマイクスタンドを斜めにもち、激しく熱唱を始めた。
観客もノリノリでその演奏について行っている。
穣子も、たやすく興にのり、絶叫に近い声で歌っている。
霊夢はあきれた風に早苗にいった。
「正直、私は秋姉妹がああまで人気者になるとは思わなかったわ」
「あら? あの姉妹はバンド組む前から人里では結構人気ありましたよ?」
「そだっけ?」
「そうですよ。もっとも、バンドを見に来てる人の半分は衣玖さんがお目当てみたいですけど」
ひときわ人妖の歓声が大きくなった。
衣玖得意の、河童ギターによる独奏のパートが始まったのだ。
観客の、とある天人くずれが興奮のあまりに勝手にステージに上ろうとして、寅丸星の弾幕で撃墜されたりしている。
実はこの三人組。本来は秋姉妹が信仰獲得のために始めたのであったが。
当初は二人組でひっそりと始まったその活動も、永江衣玖の電撃的な加入により、一気に幻想郷のスターダムな人気集団に成長していたのだった。
「でも、なんだか、私にはちょっと会わないわ。激しすぎて」
「霊夢さんも何だかんだいって年とってますすねー。センスが一寸古いですよ?」
「早苗のセンスが近未来過ぎるのよ」
三人の退場と入れ替わりに、一輪が再び登場した。
「さあ、つぎはあの神様集団さ! みんな、黒麦酒の用意は万全? 酔っぱらいすぎて眠らないでね!」
どっと会場が沸く。
「よーし。じゃあ紹介するよ! 信仰なんぞ糞食らえ! 守矢神社の二柱が率いる、御山の神様連合『フロッグイング・モリーヤ』で、曲は『呑んだくれの守護神』から!」
舞台の上に登場するは、大所帯の神様集団。
まず、雛のギターソロが、軽快だが素朴とも言える前奏を形作った。
神奈子の力強いドラムが、全体の曲調を導くように整える。それを合図にするかのように、同時に他の神々も各々とりどりの楽器の演奏を始める。
つられて観客が足踏みを始めた。それは胎動のように、会場全体を心地よい振動で包み込む。
諏訪子がそれにのり、先走るように勢いよく歌い出した。はじめは諏訪子独りだけの歌声も、観客の歌声と合わさって、どんどん指数的に音量が増加していった。
霊夢は、陶器でできた大きなジョッキを、中を麦酒で満たして、ノリノリで歌に没頭していた。
「あれ、早苗たちは麦酒飲まないの?」
「私はほら、これがありますから」
早苗と加美菜は、酒はあまり強くはないとは言え少しは飲めるはずであったが、どちらとも酒を手にしてはいなかった。二人が手に持っているのは、河童サイダーの瓶である。
「うわ。あんたたちって結構ゲテモノ好きなのね」
「いい味じゃないですか。慣れれば結構おいしいですよ」
美琴は霊夢に、
「母様、私も麦酒飲んでみたい」
「駄目。あんたが一口でも飲むととたんに脱ぎ出すから」
「へ?」
「ああ、そういえば。あんたはこの前の記憶がないんだったわね。だいぶ酔ってたから」
「え」
諏訪子達の曲が終わるころには、日はすでに沈み、完全に夜となっていた。
宴はまだ続く。
「続いてはこの人ら! 最近若返りの法を成功させたおかげでファンを急増させた永遠の魔法少女・霧雨魔理沙率いる、三十八人の恋する乙女達『マリザイル』!」
「きゃー!」
黄色い歓声ががあがる。
「ちっ!」
野太い声で、そこら中で舌打ちが発せられる。だが、これらは本気で発せられた物ではなかった。いわゆる、様式美というやつである。
いつもの反応を、ステージの上で満足げに聞く魔理沙。彼女の姿は、二十五年前と寸分違わず、少女そのものの姿をしていた。
「私から残念なお知らせだ。空気の読めない脇巫女のおかげで、メンバーのフランがダンスに参加できなくなってしまった」
観客から、今度こそ本心からの失意の声が上がった。そのはず、フランは主要なメンバーで、代表曲『チルチルトレイン』では、舞台の先頭にたって踊っていたのだった。
「けれども歌はちゃんと歌うし、ダンスも残りのメンバーがきっちりやるから安心してくれていいんだぜ!」
おおー! と、こぶしが振り上げられる。
そうこうしているうちに、前奏が始まった。
その後も、アリスとプリズムリバー三姉妹の『アリスプロジェクト』や、キスメとヤマメの『絡める単線』、パルスィの『水橋ヨエコ』、八雲家の『ソックスピストルズ』、某蓬莱人たちの『ふたりはプリンセスキュアー(略すなよ!)』などが曲を披露していった。
どの曲に対しても観客はそれなりに盛り上がり、たいていは熱狂的なファンがついていた。
7
最後の組が演奏を終わり、退場をすると同時に、突然、舞台の上が完全な暗闇に包まれた。
巨大なルーミアが出現したような暗黒を前にした観衆は、徐々に物音をたてるのを止めていった。
完全な静寂が辺りを覆うまでに要した時間、僅か一分。
コツ、コツ、コツ……
だれかが、舞台の上を歩いている。
一筋の強烈な光線が、真上から舞台を貫く。
その光によって照らされているのは、聖白蓮だ。
たった一人で、中央に歩き着いた。
体の真ん中で大切な物を包み込むように、両手でマイクを握り締めている。
胸がはち切れんばかりのきわどいノースリーブを着ていたが、それでも彼女の本性故か、どこまでも清浄な空気をまとわりつかせていた。
観衆は誰もが壇上の上を注視し、息を飲み、席を立ってたたずむ。
ある種の緊張が、会場内を包み込んでしまった。
永遠か一瞬か。時の感覚が狂うほどの意識の覚醒を、あらゆる観客が共有した後、おもむろに白蓮が動き始めた。
いや、単に深々とお辞儀をしただけなのであるが。
だが観客の中には、その動作だけで、羨望のため息をつくものが続出した。
ほかに物音一つしないため、観客は隣にいる者の呼吸音ですら煩わしく感じたことだろう。
直角のお辞儀を行っていた白蓮が、ゆったりと上半身を起こし始める。
完全に上体を起こした後、おもむろに白蓮は大きく息を吸いこみ、
「みんな、抱きしめて! 輪廻の、はちぇまれ!」
舞台脇にしつらえてある大型拡声器が、初っ端から最大音量で伴奏を奏で始める。
突如点灯する色とりどりの照射器が、観客と舞台とを無差別に攻撃し始めた。
これこそ、まさにこの瞬間こそが。この祭り最高最大の名物であり、主催者の目的であったのだ。
霊夢がいささか慣れぬ様子で、隣でノリにノッている早苗をこづく。
「白蓮てさあ、普段は普通にしゃべれたよね?」
早苗は驚愕の表情で、
「何言ってるんですか? アレは白蓮さんではなく、超尼僧シンデレラ、パイレンちゃんです!」
「なんか違うわけ?」
「ご存じないのですか、霊夢さん! パイレンちゃんが舌っ足らずなのは常識ですよ」
「あんたが常識を語るか」
二人がそのような会話をしている間にも、皆のボルテージは天井を突破していく。
今にも月に到達しそうな興奮度とともに、歌も全力で佳境に突入する。
パイレンちゃんが右手を顔に当てて、
「修羅ッ☆」
祭り一番の盛り上がりだ。
まさしく、ここにいる全ての意識体の心が一つになった瞬間でもあった。
この場にいる人は
「修羅ッ☆」
妖怪や鬼も
「修羅ッ☆」
悪霊や幽霊ですら
「修羅ッ☆」
とにかくみんな、
「修羅ッ☆」のポーズで盛り上がる。
彼女が魔界においてすらなお渇望してやまなかった、人と妖怪が対等に共存する世界という物は、あるいはこのような光景の果てに存在するのかもしれなかった。
彼女の一曲が終わっても、その場の興奮が盛り下がることはなかった。
後ろで流れているメロディーも、そのような雰囲気を知って知らずか、流れるように次の曲の伴奏を始める。
先ほどまで流れていた様な、底抜けの明るさがあるような曲では無かったが、テンポの良い、人を熱くさせるような伴奏であった。
不意に、一部の光線が舞台の上空を向いた。そこから、別の乙女の歌声が響く。
いつの間にかそこに佇んでいた白玉楼の主が、とりどりの色と共に降臨してくる。
舞台の主は、その予定調和上の乱入に、軽快に踊りながらチラリと盗み見て彼女に微笑みかける。彼女も、横目でそれを見た瞬間、微笑んだ。
生き残りたいと片方が唄えば、もう一方がすかさず逝き遺りたいと返す。
最初は競い合うように、パートを分けて歌い合っていたふたりは、舞台の上をお互いの元へと歩み寄り、いつしかそれは合唱と変化していった。
目と目で頷き合った二人は、舞台の中心で、手のひらと手のひら、指と指を絡ませ、果たして歌姫達は二人で一つへと昇華する。
優劣をつけようかという様に同じ振り付けを舞えば、次の瞬間、流れるような動作で二人だけの群舞を踊る。
静と動。生と死。そういった物が愛おしく絡み合うような、運命じみた、奇妙に心が躍るリズムを、居合わせた皆は感じ取っていた。
8
正真正銘、最後の演目が終了して、音響装置が沈黙を取り戻しても、聴衆の興奮はおさまる事を知らない。
「白蓮さんて、いや、パイレンちゃんってすごいですよね。最近じゃ、ちょっとした諍いや事件なんて、あの人が現場で歌うだけでみんなきれいさっぱり和解しちゃうんですもの」
「その割には、私らが異変解決に乗り出す割合がちっとも変わらない気がするんだけど」
「いいんですよ。そういうのは、変わらなくて」
「まあ、私としても暇つぶしになるから別にいいんだけどね」
早苗はふと、自分を見ている霊夢を直視しかえす。
彼女の瞳はどこまでも澄んでいて、先ほどまでそこにあった熱狂の色は、完全に失われていた。
「私はですね、霊夢さん。こちらに来た頃、一刻も早く幻想郷に慣れよう、外来人の自分を幻想郷の自分に変えようと思ってきました。でも、違うんですよね。そんなに肩肘貼るような物でも、そんなことする必要も無かったんです」
「私としては、初期頃のあんたには、も少し幻想郷の感覚について知っていて欲しかったけどね」
霊夢は少し冷めた目で早苗を見る。だが、それは冷徹な視線では断じてなかった。
早苗は遠い物事を懐かしむような目を、虚空に向ける。
「幻想郷でも、時代が進めば変わる物は変わりますよ。でも、なんというか、世の中って変わらなくていい物もありますよね。幻想郷は、そういった変わらなくていい物が、外界に比べてそのまま残りやすいんだと思います」
「ふーん。早苗はなんでも物事をややこしく考えるのね。ぶっちゃけ、この世に残る物は残るし、無くなる物は無くなる。それでいいんじゃない?」
そうかもしれないですね。と、早苗は気負い無く頷いた。
「霊夢さんはそういうところ、昔から全然変わりませんね」
「私の場合はね、早苗。自分を変えようとか、反対に今までの自分を保ち続けようとか、そんなこと全然考えたことは無いわ。普通に今まで、私なりに生きてたらこうなってただけで」
「それが霊夢さんの強みでしょうね。ま、考え過ぎちゃう私としては、霊夢さんにはもう少し考えるということをしても良い気がするのですけど」
「まあ、聞き置くわ。忘れなければ」
「ふふっ。ありがとうございます」
9
その後の命蓮寺では、関係者の打ち上げという名目の酒盛りが始まっていた。だが、例えばどこぞの死神など、関係者ではない者も参加していることは気にしてはいけない。
肴は鍋。
命蓮寺内での宴であるからか、肉類は一切入っていない物であったが、下ごしらえを行う星や水蜜が料理の腕は、なかなかの物だと評判が高い。
特に早苗など酒があまり強くない参加者にとっては、ありがたい宴であることは間違いなかった。
早苗や、幻想郷でも最古参の妖怪などはその味を知っていたが、今宵の鍋の下味は鰹と昆布の合わせ出汁である。また、少量ではあるが、鱈などの海魚も食材として加えられていた。
紫がこの宴のためにと特別に持ち込んだ物であったが、若い妖怪などは、タネを一つ口に運んでは、未知の味覚に目を丸くし、嘆息し、一呼吸おいてとたんに貪り始めるのが常であった。
そうでなくとも、この鍋の味は格別であった。
早苗は、傘の茶褐色が外界の栽培物よりはるかに濃い舞茸と、長葱を一緒に自分の小皿に移した。
醤油差しを傾け、守矢神社のそれよりは幾分甘めの、雲山が仕込んだというポン酢をほんの少量だけ掛ける。
とたんに柑橘系の果実の香りが鼻腔を刺激するが、舞茸の山の香りを殺すほどではない。
未だ白い湯気が若干立ち上る事を気にせずに、箸でつまんだそれを、一気に口腔の奥にまで運び込む。
――ほう。
心の中で、まず一つ、大きなため息をつく。
――おいしい。
いつの間にか早苗は目を閉じて、自分の歯でかみ砕かれる食材の、弾力のある歯ごたえを全身で感じていた。
早苗の隣で、同じく鍋をつついている神奈子が、感嘆した風に言う。
「相変わらず命蓮寺の舞茸は旨いな。引っ越す前にいつも食べていた雪国的なヤツとは大違いだ」
「外界のは栽培物ですからね。ここの舞茸は、いつもナズーリンさんが一週間くらい掛けて幻想郷中を巡り、野生の物を採って来るんだそうです」
「へー、結構大変なんだな」
「野生の舞茸はとても貴重ですからね。こちらに移転してから後、守矢神社の献立に舞茸が入ってた事は無いでしょう?」
「そうだっけ。じゃあ、今度信仰の力で山に舞茸をたくさん実らせるようにしようかしらん」
「ウチにそこまで信仰ありましたっけ。っていうか、そんなことしたら穣子さん辺りが怒りますよ。神の職分を侵したとかいって」
「ああ、そういうのがあったか」
神奈子は髪を掻いた。
現代の外界ではとても考えられぬ事だが、幻想郷のようななまじ信仰が深い場所であると、神同士の職分や縄張りといった問題がたまに発生する。
「古代じゃ嫌と言うほど体験したけどさあ。神同士のそういう争いってのはめんどくさいんだよなあ。なかなか穏便に解決しなくって」
「ですから、守矢神社では穣子さんのもってくるおいしい薩摩芋を楽しみましょう」
「でもさ。今の守矢には相当信仰心が集まってはいるよ、早苗。実際、過去に早苗を処女懐胎させても、今になるまで特に神の力が衰えていないし」
「ええ、そうですね」
結局の所、早苗は幻想郷に来てから、只の一度も良い人を見つけていなかった。
もとより自身にそのつもりがなかった、といった方が、より真実に近いか。
だが、守矢神社の神としては、永遠に、早苗一人に風祝をさせるわけにはいかないらしく。
そうして、東風谷加美菜という、早苗と瓜二つの存在がこの世に生まれ出でる事となったのであった。
昔を懐かしんだ早苗は、今まで気になっていた、自分と加美菜のたった一つの、非常に大きな差異について、この際聞いてみることにした。
「ところで、加美菜の緑の髪が少し青みがかっているのは、八坂様のせいですか?」
「ああ、そうだ。私に似せたんだよ。ちょっとした茶目っ気というか、匠の意匠というか」
神奈子は自慢げに頷いた。
やっぱり。
早苗は冷たい視線で神を見る。
頑張って、腹の底から冷えた声を発した。
「許しませんよ。絶対に」
「へ?」
みるみるうちにアタフタしだす神。
顔色を伺うように、上目遣いに早苗を見た。
早苗の予想よりも、十倍はアタフタしている。
そろそろ顔がにやけるのを我慢できなくなった早苗は、自分の神を許してやることにした。
舌を出して、茶目っ気に神奈子に向かってウインクをする。
「嘘ですよ。これからもよろしくお願い致しますね、八坂のおばあ様!」
「へ?」
あっけにとられている神に向かって、早苗は馬鹿丁寧に三つ指をつく。吹き出しそうになるのを堪えながら。
ちなみに、そんなことをしている席の隣では、星とナズーリンが、慎ましくも一つのお椀を二人で分け合っていた。
「あつっ!」
「ああ、その巾着は、中の汁まではまだ冷ましてませんよって、今言おうとしたのに」
ナズーリンは残念そうにため息をつく。
星は口元を押さえたまま、捨てられた猫が道行く人を見るような目つきで、
「ナズー……」
「そんな涙目で見つめられてもさ。いくらご主人とはいえ、貴方の口の中まではフーフーしないよ!」
ナズーリンは恥ずかしそうに、プイとそっぽを向く。
10
大騒ぎしていた面々も、鍋にうどんが投入される頃には、幾分か落ち着き始めていた。
丑三つ時も過ぎているが、帰宅しようとする参加者はいない。
ちなみに、未だ子供である二人の小さな巫女は、隣室に敷かれた一つの布団で白蓮を中心にして川の字となっていた。既に三人とも熟睡している。
だが、親の一人である霊夢は未だ健在であり、大妖である紫の晩酌相手を務めていた。こっくりと船をこぎ始めた早苗とは対照的であった。
「霊夢もしっかりおばちゃんになっちゃって、まあ」
紫が茶化すように、だがしんみりとした口調でつぶやく。彼女と霊夢は今、日本酒を割らずに飲んでいる。
「私はあんた達みたいな妖怪とは訳が違うんだから、月日がたてばそりゃ年もとるわよ」
「そうね。人間はみんな、老いるのを当たり前のこととして、否定せずに受け止めるわ」
「人にとっちゃ当たり前のことだからね」
霊夢は杯を一気に傾ける。
すかさず、紫が空になった霊夢の杯に純米酒をなみなみと注いだ。
「……まったく。人は強いわね」
「幻想郷最強クラスのあんたが言ってもまるきり説得力がないわよ」
「そんな。私はこの見た目通り、か弱い乙女ですわ」よよよ、と、この見た目は永遠の少女は冗談ぽく、同時に寂しそうに笑った。
霊夢は、顔は若干赤いが、酔った様なそぶりを全くといっていいほど見せていない。
「そうかとおもえば。咲夜みたいに、人間のくせに容姿が全然変わらないのもいるし。ねえ紫、咲夜のからくりはどうなっているのかしら?」
「私だって、分からないことぐらいありますわ……ぶふっ」
「あんた絶対知ってるでしょ。まあいいわ、それほど興味のある物でもないから」
突然、床が揺れた。
その音の発生源と思わしきところで、河童がいびきをたてて眠りこけている。
その近くから、魔理沙が得意げな顔をして、千鳥足でアリスの方へと歩いて行った。
「にとりを飲み比べで撃破してやったぜ。なに、魔理沙は年取ったから前より酒が弱くなったね、だと? ふん、人間様を舐めるからそうなる」
「思いっきり魔法使ってズルしてたじゃないの」
「心外だなアリス。魔法使いとして当然の嗜みですわ」
「ところで、魔法使いといえば。魔理沙はいつになったら捨虫の魔法の研究を極めるつもり? 研究が行き詰まって居るのであれば、私やパチェリーだったら相談くらいには乗ってあげるわ」
「そいつはありがたいんだが。どうもな、最近気が乗らなくてさ」
魔理沙は急に真顔に返った。
「ねえ魔理沙。いくらあなたが白蓮から若返りの法をマスターしたからと言って、そのままでは人間のままよ。いまのまま、無茶を繰り返していては、いつかは死んでしまうわ」
「そうなんだけどな。……近頃はそれもいいかな、なんて」
「どうして!」
「なんでだろうな。どう考えても、人間のままでいるメリットは無いのにな。う~ん。どうもうまく説明できそうにないや」
「非論理的ね。理解できないわ」
「若返りの法も、もし取り消せる方法があったら、私は会得するかも」
「え……」
魔理沙は照れくさいかのように、自分の頬を少し引っ掻く。
「ほら、今の姿だとさ。釣り合いがとれないじゃないか。全然、霊夢と魔理沙って感じじゃないし」
「はあ? なにそれ?」
「なんなんだろうな、本当」
しばしの沈黙が二人を包み込んだ。
二人は顔を見合わせ、どちらとも無く、くつくつと笑い出す。
「へへへ」
「……ふふっ」
それは波のように大きくなり、ゲラゲラと大きな声に変化する。
「ああ、こんなに腹抱えて笑ったのは久しぶりだぜ」
「そうね、私も久しぶり。何年ぶり位かしら」
魔理沙も、アリスも涙を拭っていた。
「まあ、そういうわけだ。魔法使い倶楽部への入部のお誘いは、また今度にしてくれ」
「そうするわ。でも覚えておいて。私達はあなたのこと、絶対あきらめないから」
「そいつはうれしいな。今度のバレンタインデーも家の中がチョコ臭くなりそうだぜ」
「その日までくらい、礼儀正しい良い子にしてなさいな。毎日ちゃあんと歯も磨くのよ」
「分かったぜ、アリスママ」
魔理沙は横に寝転び、アリスに膝枕をしてもらった。
「ふああ、ちょっと一寝入りさせてもらうよ」
「お休みなさい」
アリスのそのセリフを、はたして魔理沙は聞き取れたのだろうか? 彼女は既にいびきを立て始めていた。
側に控えていた上海人形が、そんな魔理沙の頬にそっとキスをする。
11
翌日、早朝の命蓮寺では魑魅魍魎が跋扈していた。
「頭がガンガンする」
「気持ち悪い……」
皆が皆そうつぶやき、胸や頭を押さえる中、
「ほらほら皆さん、今日は快晴ですよ! お日様があんなにも私達を祝福してくださっているのに、寝てたらいけません!」
健康そのものの顔つきをさせた白蓮が、満面の笑顔で昨晩の宴の参加者を、次々に布団ごと中庭にぶん投げていく。
落下地点で待機する星と水蜜が、器用に布団だけを取りのけて、物干し竿にテンポ良く掛けていった。
放り出された生け贄の中に、魔理沙もいた。目に隈をはやし、顔色が青い。
「うわ、アリスの膝枕辺りから記憶が飛んでるぜ。それにしても頭が痛い」
「河童なんぞと勝負を挑むからそうなるのよ。当たり前じゃない」
一方の霊夢は実に平然としている。
彼女は白蓮に吹き飛ばされる前に起床し、今はおいしい緑茶を楽しむだけの精神的余裕がある。
「霊夢だって昨日は紫につきあってしこたま飲んでただろうが。なのに紫は二日酔いで、お前は顔色一つ変えないとか。ありえないぜ」
魔理沙が指摘したとおり、霊夢には何の変化も見られなかった。
顔色、髪型、仕草、服装。どこをとってみても、いつも通りの霊夢であった。
「魔理沙さんの言うとおりですよ。霊夢さんは、時々あり得ない位にバケモノじみてます」
早苗が風呂場のほうからやってきて、言った。別に朝風呂に入っていたわけでは無いのであろうが、早苗の髪はしっとりと水分を含んでいた。
傍らには、重力に逆らった髪型をさせた加美菜が、眠そうな顔をしてまぶたを擦っている。
それを見て、魔理沙が目を丸くした。
「うわ、まさに怒髪天を突くってか」
「東風谷の人間はみんなそうなんですよ。寝癖が酷くって」
霊夢が不満そうに口を挟む。
「ちょっと早苗。私がバケモノみたいって、それはどういう事よ」
「だってそうでしょう? 碌に手入れもしてないのに枝毛が一本もないなんて。思い切り卑怯じゃないですか」
早苗がズイ、と霊夢の顔に急接近した。
ジト目である。
「私が毎朝、かれこれ一時間近くかけてる時間は何なんですか? 実は霊夢さんってチートかなにか使ってるんじゃないですか?」
「地糸? なにそれ」
霊夢が不思議そうにいったとき、門扉のほうから、文の声が聞こえてきた。
「みなさーん。毎年恒例の集合写真撮りますよー」
12
命蓮寺の正門を背景に、実に壮観なメンバーが集合していた。
いつものように、霊夢と魔理沙、早苗が中央前列に陣取る。
少し前から、その慣例に加美菜と美琴も加わっていた。
「じゃ、とりますから、こっちを見てくださいな」
そういいつつ、レンズの角度を調整しながら、射命丸文は思った。
この連中は、毎年毎年、二日酔いの面白みのある顔を見せてくれる。
だが、少しずつ変化している者も確かにいた。
人間である霊夢と早苗が顕著であろう。あと何十回もたてば、自分の写真の腕でも、顔辺りの皺が目立つ様になってしまう。
また、彼女らがファインダーの向こう側から居なくなってしまう事も、おそらく避けられない運命だろう。
天狗の私よりも人間達の方が寿命を早く終えるであろうし。
他の者らを差し置いて、勝手にどんどん年をとってゆく二人。
自分が彼女たちを、この人数のままで撮りつづける事ができるのは、はたして後何回か?
他者の運命など、只の烏天狗の自分にはとてもあずかり知らぬ事。
だがしかし。
できるだけ多く、この人数で写っている写真を撮りつづけたい。
――願わくは、この幸せが、できるだけ長く続かんことを。
「じゃ、とりますよー。明日の朝刊に載りますからねー。みなさん、スマーイル!」
幻想郷一番の新聞屋を自称するこの烏天狗は、心中密かに、毎年こう思いながらシャッターを切るのであった。
中秋。人里では秋の気配が最も感じられる季節である。
しかし山の山頂付近においては、紅葉は、枝にあって山を彩る事よりも風に乗って地面に降り注ぐ事の方がより目立つようになっていた。
守矢神社はそろそろ冬の入りが近い。
「早苗ー」
この神社の内情を詳しく知るものであれば、境内に響き渡るこの声の持ち主がすぐにわかるだろう。
「早苗ー。どこー?」
金髪の幼女である。いやちがう。
洩矢諏訪子である。容姿こそ幼いが、その実、守矢神社を支える神の一柱である。
彼女は今、トレードマークの帽子をかぶっていない。
諏訪子は神社の屋内を一回りした後、次に外に出て神社入り口の石畳に向かい、
「あ、いた。早苗?」
そこで、掃き掃除をしている、お目当ての人物の背中を見つけ出した。
「何でしょう」
そういって神社のほうへ振り返った早苗の手には、使い古された竹箒がさも当然のように握られている。
彼女たちが幻想卿に渡ってから、はや二十五年。
早苗の、こちらの神社の石畳に積もっている紅葉を掃き清める仕草も、実に手馴れたものとなっていた。
彼女のその手に握った竹箒も、すでに八代目を数える。
幻想卿に渡ってきた時よりも、表情がさらに柔和になり。
背丈は変わらないはずだったが、以前より大きく見えるのは身につけた経験のなせる業か。
天狗のブンヤなど、口さがない連中は彼女を評して、
「幾分かお太りに? いやいやもちろん、いい意味でですって」などと言う者も居たが。
しかし、大方の彼女の知り合いは、半人半霊の言うような、
「ふくよかになった」という言葉がまさにしっくりと来るような身体の変容の様を、皆に印象づけていた。
一挙一動、すべてが落ち着いていて、じつにゆったりとしていた。誰もが、もはや彼女のことを、少女、とは呼ばなくなって久しい。
諏訪子は、周りを見渡し、近くに誰の姿も見えないことを確認した後、早苗に不満をぶつけた。
「早苗。加美菜がまた私の帽子、風でどっかにやっちゃったんだけど」
またですか。と早苗は可笑しく微笑んだ。
このようなやりとりも、昨今の守矢神社では日常茶飯事である。
以前は神奈子や諏訪子の言葉を、たとえ冗談事であっても一字一句たりとも生真面目に正面から受け止めていた早苗であったが、娘の加美菜を産んだ頃から、ある程度は二柱の言葉を器用に受け流せるようになっていた。
「屋根の上はお探しになられましたか?」
「うん、今回はそこにもない。加美菜に悪気はないのはわかるけどさあ、あれでも神の持ち物なんだよ? もうちょっと大切に扱うように、早苗のほうからきつく言っといてよ」
「ご自分で直接言われたらどうですか?」
「やだよ! 加美菜に嫌われでもしたらどうすんのさ!」
早苗はクスクスと微笑み、こたえた。
「わかりました。今度言っておきますね」
と、そこに、
「すわこさまー。と、おかーさーん」
神社の敷地の外から、まだ幼い、脳天気な女の子の声が届いた。
空の上に、早苗にそっくりな、身長を六割ほどに縮めた少女が浮遊していて、見覚えのある白狼天狗とともにやってきている。
早苗と同じデザインの、小振りな服装をしている事実は、彼女もまた守矢神社の巫女であることを示していた。
それにしても、生き写しと言って良い位に早苗に似ている。強いて違う点を上げるとするならば、若干、髪の色が青みがかっている程度か。
「すわこさま。お帽子、ありました! もうちょっとで川に落ちちゃうところを、木の枝が拾ってくれたみたいです」
うれしそうに、そう報告しながら二人の下に着地する小さな巫女を、
「加美菜、勝手に一人で神社から出かけちゃ駄目って言ったでしょう」
早苗は軽くおでこを小突く。
「ごめんなさい。でもちょっとだけだったよ? すわこさまの帽子を探してただけだから」
悪びれもせずに謝る自分の娘を見て、
「川って滝のある川でしょ? そこにいくだけで結構時間かかるじゃない」
早苗はため息をついた。
川までは、最低でも片道十分はかかる道のりである。
守矢神社と山を管理している天狗たちとは友好関係にあり、また現在の加美菜の実力から考えて、そうそう困った事態にはならないと早苗は確信してはいたが、加美菜はまだ十三歳。
このあたりの、近い距離であっても、まだまだ親の庇護を受け続けるべき年齢であると早苗は考えていた。
その様子を見て、加美菜と連れ立ってやってきた白狼天狗が楽しそうに口を開いた。
「ああ、そのことでしたら。実は、諏訪子様の帽子を発見したのは、実は私、というわけです」
「ああん、いっちゃ駄目!」
加美菜は天狗の口をふさごうと必死になって両手を目一杯掲げたが、そんなんで唇をふさげるはずもなく。
「で、こっちにくる途中で、半分泣きそうになって探し回っている加美菜ちゃんを拾ってきたんですよ」
早苗は改めて天狗に礼をする。
「椛さん、すみません。娘が大変誤迷惑かけまして」
「いえ、礼には及びません。丁度こちらのほうを見回りに行く予定でしたので」
そういって、ふくれっ面の加美菜の頭をなでる椛。
早苗はなるほど、うなずき、ならばお茶でも一杯どうですか、と、椛の背筋にそっと手を添えた。
2
瞬く間に当然のごとく、椛は守矢神社の居間に案内される。
椛がちゃぶ台の前の座布団に座って五分もかからぬうちに、熱々の緑茶が用意された。
早苗の支度は実に手際がよく、迷いがなかった。このような域に達するまでは、多くの天狗をもてなす経験が必要だったろう。
実は椛も、早苗にお茶に誘われたことは今回が初めてではない。
最初は遠慮の方が勝っていた彼女であったが、誘われるごとに徐々に慣れ、今では加美菜と一緒に、お茶が出てくる前にちゃぶ台の上に置かれた蕎麦菓子を平然と頂く様になっていた。
台所から、お茶をお盆に乗せて持ってきた早苗がいう。
「ほら加美菜、ちゃんと自分の席に座りなさい。お行儀悪い」
加美菜は今、椛の膝の上に座っていた。
「いいんですよ早苗さん。加美菜ちゃんは私の尻尾がお気に入りなんですから」
そういった椛の尻尾の先は、優しく加美菜のおなかの上にのせられて、ゆったりとした舞を踊っている。
ねー。と相槌を交わす加美菜と椛。
「大丈夫なんですか? 尻尾って、確か弱点なんじゃ?」
そう聞く早苗。あ、椛さんのお茶はちゃぶ台の上に置いておきますね。
「ああ、ありがとう御座います。そりゃ、ぎゅーと握られたりとかされたら困りますけど」
「私はそんなことしないもん!」
そういう加美菜は、ふさふさとした白い尻尾の先を、手慣れた手つきで優しくつまみ、慣れたように梳いていた。
早苗はため息をつきながら、お茶を一つ一つちゃぶ台の上に配膳していく。
「まったく、この子は親の知らないところで何をしてるんだか」
帽子を点検していた諏訪子が言う。
「そんなもんだよ。子供はいつの間にか一人歩きを始めるもんさ。私の子の時も、早苗の時も。いつもそんな感じだったね」
どうやら帽子に異常は見つからなかったらしい。諏訪子は点検をやめ、早苗が持ってきたお茶の茶碗で、両手を温め始めた。
配膳の終わった早苗も着座する。
「この子ったら、守矢神社の巫女である自覚、あるのかしら?」
「早苗も若い頃はやんちゃだったじゃない。なんというか、常識にとらわれないというか」
椛が茶々を入れる。
「それはずいぶんと好意的な表現方法ですね」
加美菜は目を丸くした。
「ええ? おかあさんの若い頃って、どんな感じだったの?」
諏訪子は、悪代官にごまをする悪徳商人のような、意地の悪い笑顔を浮かべた。
「そりゃもう、伝説といって良い位の武勇伝がそこかしこに――」
「なるほど、諏訪子様は、明日からの御飯は粗食が良いとおっしゃる」
「ごめんなさい早苗。加美菜、あんたのおかあさんはずっと可憐な清純派の巫女だったよ」
「絶対嘘だ!」そういった加美菜は椛を見上げるも、
「ごめんね。でも、私も神社で一服する癒しの時間は失いたくないの」
「……大人って汚い」
加美菜はむくれるしか仕様がなかった。
3
ズズッっと、お茶をすする椛。そこで、彼女はいつもの面子に誰か足りない事に気づいた。
「ところで、神奈子様はどうしておられるのですか?」
「今日の祭りの打ち合わせで、一足先に命蓮寺に向かわれました」
普通の祭りであれば、主催でもない催しの打ち合わせに山の神が出張ることはない。
しかし今日のは、一年に一度きりの、幻想郷の歌自慢が集まる、歌あり踊りありの大宴会であった。
正式名称は『命蓮寺が主催する、妖怪達と人間の溝を埋める音楽の夕べ』なのだが、誰もそんなことは気にしちゃ居ない。
人里も、天狗の山も、旧地獄ですらも、
「今年の音楽祭」で通じているのが実情である。
実は、神奈子と諏訪子。山の神の幾柱かと組んで、西洋風の激しい音楽を披露するのがこの宴会での恒例となっていたのだった。
「そういえば、今日でしたね、例のお祭り。じゃあ、諏訪子様は打ち合わせに行かなくて良かったのですか。メンバーなのに?」
「大丈夫、歌の練習はきっちりやっといたし。舞台裏の演出との打ち合わせは、神奈子の担当だから。私がいっても何にもならないさ」
「そうなんですか。実は文様や私って、あなたがたの組の大ファンなんですよ」
「へえ、そいつはうれしいねえ。今年も新曲作ったから、期待しといてよ」
事実、諏訪子達の音楽活動は、幻想郷で結構人気が出ていた。
パワーのある神奈子のドラムをベースに、味のある雛のギターが、ボーカルの諏訪子のハイテンポの歌声をどこまでも気分を高揚させると評判になっていたのであった。
「はい、実は哨戒の任務が終わったら友人と行く予定でして。楽しみです」
照れたように言う椛。尻尾がゆったりと揺れる。
それを見ていた加美菜が、椛の尻尾を軽く握った。
「わふんっ!」
「えー、私達と行かないの? 一緒に行こうよ。人数は多い方が楽しいって!」
「ごめんね加美菜ちゃん。友達はもう私達二人の席取りの為にもう会場に行ってるの。それに、加美菜は早苗さんや博霊の巫女さん達と一緒に行くんでしょう?」
諏訪子は意地悪く笑った。
「早苗は紅白と一緒に来るのか。ところで、それって古いほう、それとも新しいほう?」
「諏訪子様ったら。古いっていったら霊夢さん怒りますよ」
早苗が自分の口元にそっと手を当てる。
「で、どっち?」
「小さいほうと、ちょっと小さいほうです」
「背丈? 胸? どちらにせよ、早苗のその発言ほうが霊夢は激怒するとおもうけど」
「それより、私としては椛さんの先ほどの、二人、発言が気になりますね」
「あらあら、うひひ」
「なっ……」
絶句する椛をおいて、神達は話に花を咲かせる。
「相手って、文さんのことじゃないですよね。あの方はプレス入場ですし、やっぱり椛さんのアレっぽいひとですよね」
「私達もよく知るあいつのことだね!」
「あれだけ大規模なお祭りに二人っきりって事は、もうアレですよね。デではじまりトで終わるあれそのものですよね」
「よーやく進展したかー。私や神奈子とかも、内心ハラハラしていたんだよ」
「ちょっと、違いますって!」
そういって全力で否定して見せる椛だが、顔が茹だっている。
「いやー、恋愛成就ってのは信仰的に重要だからねー。いつも来てもらってる椛のそれが成就したら、守矢の信仰も大幅アップ、いやめでたい」
「そうすれば、また本殿を移転、とかする羽目にならないから大変ありがたいですね」
ありがたいことです、と、椛に向かって柏手を打つ早苗。
「止めてくださいよー。神様が天狗を拝むなんて聞いたことがありませんよー」
と、横では、
「みゅーんみゅーん」諏訪子がアマガエルのポーズで、両手を椛の方向に向けている。
「すわこさま、なにしてんの?」
「神の力で椛の恋愛力を上昇させてるのさ」
「がー! 余計なお世話ですっ!」
椛はあたふたと逃げていった。
4
夕方になり、早苗と娘の加美菜、諏訪子は連れだって神社を後にした。博麗霊夢達と一緒に命蓮寺に向かうためである。
このような比較的遅い時間帯に加美菜の外出が早苗に許される事は非常に希であったが、この日ばかりは特別であった。
道中、川の上空を下った時、未だ日は天にあるというのに、突然あたりの光量が少なくなる。
早苗達は、黒化した空気の中心に目をこらす。
そこには普段着の鍵山雛が川の中に佇んでいた。
「こんにちは、雛様。まだ会場には行かないのですか?」
早苗の挨拶に、諏訪子も乗る。
「やあ雛。あんたまさか、今日という日を忘れちゃあ居ないだろうね」
実は鍵山雛もまた、諏訪子達と一緒の音楽のメンバーなのであった。
「忘れてませんよ。今日はたくさんの人の近くにでるのですから、十分に厄を流しておかないと」
雛は照れた風に微笑んだ。
「そうかい、よかった。ひょっとしたら、雛はちょっぴり恥ずかしがり屋だから、人前で演奏するのが嫌になっちゃったのかと思ったよ」
「そんな事ないですよ、諏訪子。最初の頃は緊張しましたけど。でも、あの祭りで、参加した人々の厄はびっくりするくらい薄くなるんです」
「へー。雛は相変わらず仕事熱心だねえ」
「生活習慣みたいな物ですよ。というか、守矢の面々が自由気まま過ぎるだけの気がしますよ」
「言うじゃない。否定しにくいのが笑えるけど」
早苗が嘆息する。
「まあ、信仰心獲得を名目にした音楽活動も、基本はお題目で本心は自分が楽しむためですものね」
「いーじゃん別に。実際、信仰は確実に増えてるんだし」
「まあまあ、早苗。厄神である私も含め、参加してる神はみんな楽しくやってますから。諏訪子だけをいじめるのは止めてください」
「雛様にそうまで言われると、何も言えなくなりますよ」
早苗が笑い、つられるように、雛も諏訪子も微笑んだ。
「そういえば、舞台衣装のことだけど。雛は、例の髪飾りつけてくの? いまはしてないけど」
諏訪子が聞いた。
「ええ、私を慕ってくれる子が一生懸命作ってくれた物ですから。厄を落としてる最中に万が一があってはいけませんからね。ほら、ちゃんとここにしまってますよ」
雛は懐の奥から、鈴蘭の造花で作られた小振りの髪飾りを取り出して見せた。
正直、どう贔屓目にみてもその作りは上手とは言えなかった。だが雛にいわせると、その少々いびつな髪飾りからは、いかなる厄をも見いだした覚えが無いらしい。
「メディちゃんとかいってたっけ。今日も来るのかな?」
「もちろん来ますよ。お友達の妖怪と一緒に来るってお手紙がありましたので、私のほうで最前席に招待しましたから」
雛は愛おしそうに、髪飾りを撫でている。
5
その後、雛と分かれた三人が博麗神社の上空に到着すると、鳥居の前に一人の巫女が仁王立ちで待ち構えていた。
だが、その姿は博麗霊夢ではない。
現在の霊夢より一回りは小さな体躯をさせたその巫女はしかし、脇を出した紅白の巫女服を紛れもなく着こなしていた。
三人は、その巫女が視界に入った事実を何の異常もなく受け止めた。
その巫女は、三人に気がつくと、自らも飛行を始めて三人の元へ上昇を始めた。
しかし、左右にふらふらと蛇行し、なにやら心許ない。
加美菜はその姿を認めると、
「あ、みことちゃんも一人で飛べるようになったんだ」
そう呼ばれた紅白の巫女は、得意げに自慢する。
「これくらいの事なんて。あなたもできるんだから当然でしょ。それにあたし、きちんと弾幕も放てるようになったんだから!」
「あらすごい。じゃあスペルカードは? 私、おかあさんから教えてもらっても物覚え悪くて。先週にならないと、思うとおりに自分のを使えるようにならなかったの」
得意げの紅白巫女は、とたんに顔を青ざめた。縁日ですくい上げられた金魚のように、口をパクパクとさせている。
「……今に見てなさい! あたしはあんたなんかよりもとっても綺麗でとっても華麗でとっても格好いいスペルカード作ってやるんだから!」
そのようなやりとりの後、改めて紅白の巫女は三人を出迎えた。
「東風谷のおばさまと洩矢様。お久しぶりです」
そういって、博麗の小さな巫女はぺこりと頭を下げた。
「これはご丁寧に。美琴ちゃん、こんにちは」
「や。美琴は相変わらず礼儀正しいね。ほんとにこれがあの霊夢の後継者なのかねえ?」
美琴と呼ばれた巫女は、博麗神社の境内に案内しながら、
「母様はあいにく急に妖怪退治の仕事は入ったので留守にしています。もうすぐ戻ると思いますけど」
「へえ、どんなやつなの。相手は?」
「それが、紅魔館です」
美琴はその一言だけで通じるかのように言った。
「あ、いつも通りってやつね」
「そうとも言いますね」
そのような会話をしてから半刻後、ようやく霊夢が神社に帰還した。
「ああ、早苗達はもう到着してたのね」
霊夢は悪びれることなく言いながら、迷うことなく神社の境内に直接降り立った。
「母様、お帰りなさい!」
「ただいま、美琴」
抱きつくように飛び出した美琴の頭を無造作になでるこの紅白巫女は、間違いなく博麗霊夢である。
中年期にさしかかり、皺もほんの少しだけ気になり出した霊夢の年齢にも関わらず、相も変わらず脇のでた巫女服を無造作に着こなしている。しかし、それが妙に似合っている為、紫にですら、「やめたら」と言わせる発想を持たせなかった。まあ、それは早苗にとっても同じことではあるが。
「ああ、肩こった。早苗、揉んで」
「はいはい」
霊夢は縁側にすとんと腰掛けた。早苗は履き物を脱いで神社に上がり込み、霊夢の背後に正座する。
「霊夢さん、お疲れ様です。巫女服にまた手を加えたんですね」
「ええ、異変ごとに少し変えるって決めてるから。まあ、今回のは異変と呼べる物ではなかったけど」
よく見ると、霊夢と美琴では同じ紅白の服でも細部が微妙に違っていた。
「じゃあ、美琴ちゃんのが、少し前に霊夢さんが着てた巫女服の意匠ってわけなの?」
「うん、藍のおばさまに縫ってもらったのよ」
早苗が目を丸くする。
「霊夢さんは、娘の服も八雲家に任せてるんですか?」
「いいじゃない。私は細かい細工とかちょっと苦手だし。自分の体型以外の服は仕立てたこと無いから不安でもあるわ。それに、藍が自分で作りたいっていうんだから、好きな風にさせてんのよ」
基本的に、守矢神社では裁縫は早苗が全て行っている。一方の博麗神社では、美琴の衣服については八雲家が積極的に介入してきているらしかった。
巫女服などはその典型で、霊夢が自分のに手を加えるたびに、藍が夜なべして美琴の巫女服を同じように改造するのが常であった。
大人のそのような発言をよそに、子供達は、
「へー、美琴ちゃんの方の巫女服って、一番下にもフリフリがついてるんだ」
「そうよ。素敵でしょ。あんたんとこのより、幻想郷で伝統と格式のある博麗神社のほうが巫女服のセンスもいいのよ」
「フリフリー、スベスベ―」
加美菜は、美琴の赤いスカートに触れられる。外界の材質でできているのか、僅かに品よく光沢がある。
いつのまにか加美菜の手は、だんだんと下に移動していった。
「ちょ、なにす、ぎゃー!」
「あ、美琴ちゃんたら下着――」
「それ以上いうなあ!」
顔を真っ赤にした美琴が殴りかからんばかりに加美菜にくってかかる。美琴は恥ずかしさを誤魔化すかのように叫んだ。
「あ、当たり前じゃない! 和服着てるなら当然でしょ!」
「え? 私はいてるよ。多分お母さんも」
美琴は驚愕した。
「なんですって?! それほんとなんですか、東風谷のおばさま!」
「本当よ。というか、霊夢さんも下着は履いてたように思うのだけど。そうですよね、霊夢さん?」
「え。ああ、うん。ていうか、和服の時は下着履かないのが正しいのか。へー、今知った」
「うぼぁー!!!」
早苗が思い出したように、霊夢に向かって口を開く。
「ところで、妖怪退治のほうはもう完了したんですか? 私も何か手伝います?」
「いんや。フランその他をとっちめるだけだったから、もう終わったわ。これで、私達も心置きなく祭りにいけるわよ」
「どうして今更、紅魔館の吸血鬼が?」
「さあ、今回の依頼者だったレミリアに対しても、口を開く前にのしたから理由は分からないわ」
「相変わらず変わりませんね、霊夢さんは」
「私に言わせりゃ、あんたの様にころころ変わる方がおかしいと思うわ」
霊夢はふう、と、心地よいため息をつく。
「それにしても、早苗の肩もみは効くわねー。力とかは全然ないんだけど、筋にじわじわ来るというか」
「八坂様でたくさん練習しましたから」
「一度萃香にたのんだ事があるけど、酷かったわ。あれが力一杯やるもんだから、思わず悲鳴を上げちゃったわよ」
それはご愁傷様です、と、早苗は笑いを堪えた声でつぶやく。
「ちなみに、その萃香さんは?」
「もう会場にいったわ。地底の、勇儀とか言う鬼と一緒に。もう飲み始めてるんじゃない?」
「会場が毎年酒臭いのはだいたいあの鬼さん達のせいですよね」
ふと、霊夢は自分の肩に置かれている早苗の手に視点をあわせる。
うらやましそうに、
「ところで早苗と私ってさあ、だいたい同い年くらいよね」
「ええ、そうですね」
「あんたはさあ、どういうご飯食べてたら、そーいうつるつるお肌になるのかしら? 顔も、手も」
「霊夢さんも、いいかげん乳液くらいは使った方が良いですって。前からくどい位いってるじゃないですか」
「いやよ、めんどい」
「あと、霊夢さんはお酒飲み過ぎです。もう若くは無いんですからそろそろ節制することを覚えないと」
「私はその気があるけど、同居人が許してくれないのよ。ほら霊夢、飲みが足りないぞ~、飲め~、って」
「お肌への、日頃の細かい配慮があってこそですよ? 私は現人神ですから、信仰とかでその辺りの恩寵はある程度受けてますけど、その私すら毎日のお肌のケアは注意してますもん。まあ、第一、博麗神社の信仰の効果なんてたかがしれてますしね」
「あらま、なあにその発言。さすがにこの温厚な霊夢さんでもカチンときたわ。なによその、私は上であんたは下よ宣言」
「そうおもうならなおさら自愛してくださいよ。霊夢さんは巫女であってもただの人なんですから」
「あんたには、いつものお仕置きが必要のようね」
霊夢は幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。
とたんにわざとらしく震え出す早苗。
「やめて奥様、子供が見ていますわ」
「あんたも子持ちでしょーが!」
早苗の脳天に、霊夢の手刀が直撃し、小気味よい音を立てたのだった。
「あてっ」
博麗神社を出立するのが送れたため、早苗たちが命蓮寺近くに造られた、半分屋外の特設会場に到着するころには、東の空にはわずかだが闇が迫ってきていた。
音楽祭の会場に着くと、既に会場の入り口には、満員御礼の札がぶら下がっている。
早苗達はなれた足取りで会場入り口のひとつ、関係者入り口と書かれた門から中に入った。
そこは舞台のすぐ脇の入り口とつながっていて、簡単に楽屋などと出入りができるようになっている。
諏訪子はその中のひとつ、かなり大きな控え室に足取りも軽く入っていった。
「遅いよ諏訪子。最終リハーサル終わっちゃったよ!」
諏訪子がドアを開けるなり、中から不満げな顔をした神奈子が飛び出してきた。
「そうですよ。私よりも到着が遅いのはさすがにどうかと思いますよ」
室内で待機していたらしき雛が言う。どちらとも、普段とは少し趣の異なった衣装を着ていた。
「ごめん。いろいろあってさ。ところで、今まででなにか問題なかった?」
「いや、ないね。舞台効果も、にとりが今年も頑張ってくれるから最高のものになりそうだよ」
「じゃあよかった。今年も盛り上げていこう!」
「神様方、頑張ってください」
「神奈子さま、がんばってねー」
開け放たれドアから顔をのぞかせた美琴と加美菜が手を振る。
「おお、まかされた! けど加美菜。きょうの命蓮寺は人混みが激しいから、決して早苗の手を離しちゃいけないよ」
「そうやって、また子供あつかいするー」
むくれる加美菜に、
「お前は正真正銘の子供じゃないか。第一、幻想郷は危険がいっぱいさ。お前を眷属にしたくて吸血鬼にしたり、家族にしたくて蓬莱人になる薬を飲ませたり、冥界で一緒に過ごしたくて命を奪ったり、そんな危険な連中に出会ったらどうするつもりだ?」
これには霊夢も苦笑い。
「ピンポイントで思いつく人達がいるのは私の気のせいじゃないわね? さすがに連中も、おいそれとそんな真似はしないと思うけど」
「何をいってるんだ、この馬鹿巫女は。この子の凶悪な可愛さをなめるなよ! 普段の本人にその気はなくとも、加美菜を見た瞬間に正気を失うに決まってるんだ!」
「うっさい親馬鹿神」
6
諏訪子と分かれた早苗達が会場内に入る頃には、そこの熱気は、すでに十分加熱しきっていた。
最前列の貴賓席に着座した早苗たちのうしろで、人も妖も、そろって今か今かと開演を待ち構えている。
突然、真っ暗だった檜舞台の片隅に一筋のサーチライトが照射される。
上のくらがりから、雲山を身にまとった一輪がゆっくりと降下してきた。
「やあ、みんなおまちかね! 今年も進行役を務めるのはこの私、雲居一輪よ!」
一輪は手を振って声援に答えている。
「早速いってみようか! 最初はおなじみの名トリオ、秋姉妹とイク・ナガエの、『オフオータム』よ!」
観客の歓声に迎えられながら、ドラムに座った静葉、マイクを持った穣子、河童ギターを持った衣玖が観客の視界内に登場した。
先頭にたつ穣子が叫ぶ。実にうれしそうだ。
「最初はいつものこの曲、『貴方達への信頼』から!」
静葉が持ったスティックのリズム合わせとともに、音楽が始まる。
いつもは、どちらかといえば控えめな性格の穣子も、今ばかりはマイクスタンドを斜めにもち、激しく熱唱を始めた。
観客もノリノリでその演奏について行っている。
穣子も、たやすく興にのり、絶叫に近い声で歌っている。
霊夢はあきれた風に早苗にいった。
「正直、私は秋姉妹がああまで人気者になるとは思わなかったわ」
「あら? あの姉妹はバンド組む前から人里では結構人気ありましたよ?」
「そだっけ?」
「そうですよ。もっとも、バンドを見に来てる人の半分は衣玖さんがお目当てみたいですけど」
ひときわ人妖の歓声が大きくなった。
衣玖得意の、河童ギターによる独奏のパートが始まったのだ。
観客の、とある天人くずれが興奮のあまりに勝手にステージに上ろうとして、寅丸星の弾幕で撃墜されたりしている。
実はこの三人組。本来は秋姉妹が信仰獲得のために始めたのであったが。
当初は二人組でひっそりと始まったその活動も、永江衣玖の電撃的な加入により、一気に幻想郷のスターダムな人気集団に成長していたのだった。
「でも、なんだか、私にはちょっと会わないわ。激しすぎて」
「霊夢さんも何だかんだいって年とってますすねー。センスが一寸古いですよ?」
「早苗のセンスが近未来過ぎるのよ」
三人の退場と入れ替わりに、一輪が再び登場した。
「さあ、つぎはあの神様集団さ! みんな、黒麦酒の用意は万全? 酔っぱらいすぎて眠らないでね!」
どっと会場が沸く。
「よーし。じゃあ紹介するよ! 信仰なんぞ糞食らえ! 守矢神社の二柱が率いる、御山の神様連合『フロッグイング・モリーヤ』で、曲は『呑んだくれの守護神』から!」
舞台の上に登場するは、大所帯の神様集団。
まず、雛のギターソロが、軽快だが素朴とも言える前奏を形作った。
神奈子の力強いドラムが、全体の曲調を導くように整える。それを合図にするかのように、同時に他の神々も各々とりどりの楽器の演奏を始める。
つられて観客が足踏みを始めた。それは胎動のように、会場全体を心地よい振動で包み込む。
諏訪子がそれにのり、先走るように勢いよく歌い出した。はじめは諏訪子独りだけの歌声も、観客の歌声と合わさって、どんどん指数的に音量が増加していった。
霊夢は、陶器でできた大きなジョッキを、中を麦酒で満たして、ノリノリで歌に没頭していた。
「あれ、早苗たちは麦酒飲まないの?」
「私はほら、これがありますから」
早苗と加美菜は、酒はあまり強くはないとは言え少しは飲めるはずであったが、どちらとも酒を手にしてはいなかった。二人が手に持っているのは、河童サイダーの瓶である。
「うわ。あんたたちって結構ゲテモノ好きなのね」
「いい味じゃないですか。慣れれば結構おいしいですよ」
美琴は霊夢に、
「母様、私も麦酒飲んでみたい」
「駄目。あんたが一口でも飲むととたんに脱ぎ出すから」
「へ?」
「ああ、そういえば。あんたはこの前の記憶がないんだったわね。だいぶ酔ってたから」
「え」
諏訪子達の曲が終わるころには、日はすでに沈み、完全に夜となっていた。
宴はまだ続く。
「続いてはこの人ら! 最近若返りの法を成功させたおかげでファンを急増させた永遠の魔法少女・霧雨魔理沙率いる、三十八人の恋する乙女達『マリザイル』!」
「きゃー!」
黄色い歓声ががあがる。
「ちっ!」
野太い声で、そこら中で舌打ちが発せられる。だが、これらは本気で発せられた物ではなかった。いわゆる、様式美というやつである。
いつもの反応を、ステージの上で満足げに聞く魔理沙。彼女の姿は、二十五年前と寸分違わず、少女そのものの姿をしていた。
「私から残念なお知らせだ。空気の読めない脇巫女のおかげで、メンバーのフランがダンスに参加できなくなってしまった」
観客から、今度こそ本心からの失意の声が上がった。そのはず、フランは主要なメンバーで、代表曲『チルチルトレイン』では、舞台の先頭にたって踊っていたのだった。
「けれども歌はちゃんと歌うし、ダンスも残りのメンバーがきっちりやるから安心してくれていいんだぜ!」
おおー! と、こぶしが振り上げられる。
そうこうしているうちに、前奏が始まった。
その後も、アリスとプリズムリバー三姉妹の『アリスプロジェクト』や、キスメとヤマメの『絡める単線』、パルスィの『水橋ヨエコ』、八雲家の『ソックスピストルズ』、某蓬莱人たちの『ふたりはプリンセスキュアー(略すなよ!)』などが曲を披露していった。
どの曲に対しても観客はそれなりに盛り上がり、たいていは熱狂的なファンがついていた。
7
最後の組が演奏を終わり、退場をすると同時に、突然、舞台の上が完全な暗闇に包まれた。
巨大なルーミアが出現したような暗黒を前にした観衆は、徐々に物音をたてるのを止めていった。
完全な静寂が辺りを覆うまでに要した時間、僅か一分。
コツ、コツ、コツ……
だれかが、舞台の上を歩いている。
一筋の強烈な光線が、真上から舞台を貫く。
その光によって照らされているのは、聖白蓮だ。
たった一人で、中央に歩き着いた。
体の真ん中で大切な物を包み込むように、両手でマイクを握り締めている。
胸がはち切れんばかりのきわどいノースリーブを着ていたが、それでも彼女の本性故か、どこまでも清浄な空気をまとわりつかせていた。
観衆は誰もが壇上の上を注視し、息を飲み、席を立ってたたずむ。
ある種の緊張が、会場内を包み込んでしまった。
永遠か一瞬か。時の感覚が狂うほどの意識の覚醒を、あらゆる観客が共有した後、おもむろに白蓮が動き始めた。
いや、単に深々とお辞儀をしただけなのであるが。
だが観客の中には、その動作だけで、羨望のため息をつくものが続出した。
ほかに物音一つしないため、観客は隣にいる者の呼吸音ですら煩わしく感じたことだろう。
直角のお辞儀を行っていた白蓮が、ゆったりと上半身を起こし始める。
完全に上体を起こした後、おもむろに白蓮は大きく息を吸いこみ、
「みんな、抱きしめて! 輪廻の、はちぇまれ!」
舞台脇にしつらえてある大型拡声器が、初っ端から最大音量で伴奏を奏で始める。
突如点灯する色とりどりの照射器が、観客と舞台とを無差別に攻撃し始めた。
これこそ、まさにこの瞬間こそが。この祭り最高最大の名物であり、主催者の目的であったのだ。
霊夢がいささか慣れぬ様子で、隣でノリにノッている早苗をこづく。
「白蓮てさあ、普段は普通にしゃべれたよね?」
早苗は驚愕の表情で、
「何言ってるんですか? アレは白蓮さんではなく、超尼僧シンデレラ、パイレンちゃんです!」
「なんか違うわけ?」
「ご存じないのですか、霊夢さん! パイレンちゃんが舌っ足らずなのは常識ですよ」
「あんたが常識を語るか」
二人がそのような会話をしている間にも、皆のボルテージは天井を突破していく。
今にも月に到達しそうな興奮度とともに、歌も全力で佳境に突入する。
パイレンちゃんが右手を顔に当てて、
「修羅ッ☆」
祭り一番の盛り上がりだ。
まさしく、ここにいる全ての意識体の心が一つになった瞬間でもあった。
この場にいる人は
「修羅ッ☆」
妖怪や鬼も
「修羅ッ☆」
悪霊や幽霊ですら
「修羅ッ☆」
とにかくみんな、
「修羅ッ☆」のポーズで盛り上がる。
彼女が魔界においてすらなお渇望してやまなかった、人と妖怪が対等に共存する世界という物は、あるいはこのような光景の果てに存在するのかもしれなかった。
彼女の一曲が終わっても、その場の興奮が盛り下がることはなかった。
後ろで流れているメロディーも、そのような雰囲気を知って知らずか、流れるように次の曲の伴奏を始める。
先ほどまで流れていた様な、底抜けの明るさがあるような曲では無かったが、テンポの良い、人を熱くさせるような伴奏であった。
不意に、一部の光線が舞台の上空を向いた。そこから、別の乙女の歌声が響く。
いつの間にかそこに佇んでいた白玉楼の主が、とりどりの色と共に降臨してくる。
舞台の主は、その予定調和上の乱入に、軽快に踊りながらチラリと盗み見て彼女に微笑みかける。彼女も、横目でそれを見た瞬間、微笑んだ。
生き残りたいと片方が唄えば、もう一方がすかさず逝き遺りたいと返す。
最初は競い合うように、パートを分けて歌い合っていたふたりは、舞台の上をお互いの元へと歩み寄り、いつしかそれは合唱と変化していった。
目と目で頷き合った二人は、舞台の中心で、手のひらと手のひら、指と指を絡ませ、果たして歌姫達は二人で一つへと昇華する。
優劣をつけようかという様に同じ振り付けを舞えば、次の瞬間、流れるような動作で二人だけの群舞を踊る。
静と動。生と死。そういった物が愛おしく絡み合うような、運命じみた、奇妙に心が躍るリズムを、居合わせた皆は感じ取っていた。
8
正真正銘、最後の演目が終了して、音響装置が沈黙を取り戻しても、聴衆の興奮はおさまる事を知らない。
「白蓮さんて、いや、パイレンちゃんってすごいですよね。最近じゃ、ちょっとした諍いや事件なんて、あの人が現場で歌うだけでみんなきれいさっぱり和解しちゃうんですもの」
「その割には、私らが異変解決に乗り出す割合がちっとも変わらない気がするんだけど」
「いいんですよ。そういうのは、変わらなくて」
「まあ、私としても暇つぶしになるから別にいいんだけどね」
早苗はふと、自分を見ている霊夢を直視しかえす。
彼女の瞳はどこまでも澄んでいて、先ほどまでそこにあった熱狂の色は、完全に失われていた。
「私はですね、霊夢さん。こちらに来た頃、一刻も早く幻想郷に慣れよう、外来人の自分を幻想郷の自分に変えようと思ってきました。でも、違うんですよね。そんなに肩肘貼るような物でも、そんなことする必要も無かったんです」
「私としては、初期頃のあんたには、も少し幻想郷の感覚について知っていて欲しかったけどね」
霊夢は少し冷めた目で早苗を見る。だが、それは冷徹な視線では断じてなかった。
早苗は遠い物事を懐かしむような目を、虚空に向ける。
「幻想郷でも、時代が進めば変わる物は変わりますよ。でも、なんというか、世の中って変わらなくていい物もありますよね。幻想郷は、そういった変わらなくていい物が、外界に比べてそのまま残りやすいんだと思います」
「ふーん。早苗はなんでも物事をややこしく考えるのね。ぶっちゃけ、この世に残る物は残るし、無くなる物は無くなる。それでいいんじゃない?」
そうかもしれないですね。と、早苗は気負い無く頷いた。
「霊夢さんはそういうところ、昔から全然変わりませんね」
「私の場合はね、早苗。自分を変えようとか、反対に今までの自分を保ち続けようとか、そんなこと全然考えたことは無いわ。普通に今まで、私なりに生きてたらこうなってただけで」
「それが霊夢さんの強みでしょうね。ま、考え過ぎちゃう私としては、霊夢さんにはもう少し考えるということをしても良い気がするのですけど」
「まあ、聞き置くわ。忘れなければ」
「ふふっ。ありがとうございます」
9
その後の命蓮寺では、関係者の打ち上げという名目の酒盛りが始まっていた。だが、例えばどこぞの死神など、関係者ではない者も参加していることは気にしてはいけない。
肴は鍋。
命蓮寺内での宴であるからか、肉類は一切入っていない物であったが、下ごしらえを行う星や水蜜が料理の腕は、なかなかの物だと評判が高い。
特に早苗など酒があまり強くない参加者にとっては、ありがたい宴であることは間違いなかった。
早苗や、幻想郷でも最古参の妖怪などはその味を知っていたが、今宵の鍋の下味は鰹と昆布の合わせ出汁である。また、少量ではあるが、鱈などの海魚も食材として加えられていた。
紫がこの宴のためにと特別に持ち込んだ物であったが、若い妖怪などは、タネを一つ口に運んでは、未知の味覚に目を丸くし、嘆息し、一呼吸おいてとたんに貪り始めるのが常であった。
そうでなくとも、この鍋の味は格別であった。
早苗は、傘の茶褐色が外界の栽培物よりはるかに濃い舞茸と、長葱を一緒に自分の小皿に移した。
醤油差しを傾け、守矢神社のそれよりは幾分甘めの、雲山が仕込んだというポン酢をほんの少量だけ掛ける。
とたんに柑橘系の果実の香りが鼻腔を刺激するが、舞茸の山の香りを殺すほどではない。
未だ白い湯気が若干立ち上る事を気にせずに、箸でつまんだそれを、一気に口腔の奥にまで運び込む。
――ほう。
心の中で、まず一つ、大きなため息をつく。
――おいしい。
いつの間にか早苗は目を閉じて、自分の歯でかみ砕かれる食材の、弾力のある歯ごたえを全身で感じていた。
早苗の隣で、同じく鍋をつついている神奈子が、感嘆した風に言う。
「相変わらず命蓮寺の舞茸は旨いな。引っ越す前にいつも食べていた雪国的なヤツとは大違いだ」
「外界のは栽培物ですからね。ここの舞茸は、いつもナズーリンさんが一週間くらい掛けて幻想郷中を巡り、野生の物を採って来るんだそうです」
「へー、結構大変なんだな」
「野生の舞茸はとても貴重ですからね。こちらに移転してから後、守矢神社の献立に舞茸が入ってた事は無いでしょう?」
「そうだっけ。じゃあ、今度信仰の力で山に舞茸をたくさん実らせるようにしようかしらん」
「ウチにそこまで信仰ありましたっけ。っていうか、そんなことしたら穣子さん辺りが怒りますよ。神の職分を侵したとかいって」
「ああ、そういうのがあったか」
神奈子は髪を掻いた。
現代の外界ではとても考えられぬ事だが、幻想郷のようななまじ信仰が深い場所であると、神同士の職分や縄張りといった問題がたまに発生する。
「古代じゃ嫌と言うほど体験したけどさあ。神同士のそういう争いってのはめんどくさいんだよなあ。なかなか穏便に解決しなくって」
「ですから、守矢神社では穣子さんのもってくるおいしい薩摩芋を楽しみましょう」
「でもさ。今の守矢には相当信仰心が集まってはいるよ、早苗。実際、過去に早苗を処女懐胎させても、今になるまで特に神の力が衰えていないし」
「ええ、そうですね」
結局の所、早苗は幻想郷に来てから、只の一度も良い人を見つけていなかった。
もとより自身にそのつもりがなかった、といった方が、より真実に近いか。
だが、守矢神社の神としては、永遠に、早苗一人に風祝をさせるわけにはいかないらしく。
そうして、東風谷加美菜という、早苗と瓜二つの存在がこの世に生まれ出でる事となったのであった。
昔を懐かしんだ早苗は、今まで気になっていた、自分と加美菜のたった一つの、非常に大きな差異について、この際聞いてみることにした。
「ところで、加美菜の緑の髪が少し青みがかっているのは、八坂様のせいですか?」
「ああ、そうだ。私に似せたんだよ。ちょっとした茶目っ気というか、匠の意匠というか」
神奈子は自慢げに頷いた。
やっぱり。
早苗は冷たい視線で神を見る。
頑張って、腹の底から冷えた声を発した。
「許しませんよ。絶対に」
「へ?」
みるみるうちにアタフタしだす神。
顔色を伺うように、上目遣いに早苗を見た。
早苗の予想よりも、十倍はアタフタしている。
そろそろ顔がにやけるのを我慢できなくなった早苗は、自分の神を許してやることにした。
舌を出して、茶目っ気に神奈子に向かってウインクをする。
「嘘ですよ。これからもよろしくお願い致しますね、八坂のおばあ様!」
「へ?」
あっけにとられている神に向かって、早苗は馬鹿丁寧に三つ指をつく。吹き出しそうになるのを堪えながら。
ちなみに、そんなことをしている席の隣では、星とナズーリンが、慎ましくも一つのお椀を二人で分け合っていた。
「あつっ!」
「ああ、その巾着は、中の汁まではまだ冷ましてませんよって、今言おうとしたのに」
ナズーリンは残念そうにため息をつく。
星は口元を押さえたまま、捨てられた猫が道行く人を見るような目つきで、
「ナズー……」
「そんな涙目で見つめられてもさ。いくらご主人とはいえ、貴方の口の中まではフーフーしないよ!」
ナズーリンは恥ずかしそうに、プイとそっぽを向く。
10
大騒ぎしていた面々も、鍋にうどんが投入される頃には、幾分か落ち着き始めていた。
丑三つ時も過ぎているが、帰宅しようとする参加者はいない。
ちなみに、未だ子供である二人の小さな巫女は、隣室に敷かれた一つの布団で白蓮を中心にして川の字となっていた。既に三人とも熟睡している。
だが、親の一人である霊夢は未だ健在であり、大妖である紫の晩酌相手を務めていた。こっくりと船をこぎ始めた早苗とは対照的であった。
「霊夢もしっかりおばちゃんになっちゃって、まあ」
紫が茶化すように、だがしんみりとした口調でつぶやく。彼女と霊夢は今、日本酒を割らずに飲んでいる。
「私はあんた達みたいな妖怪とは訳が違うんだから、月日がたてばそりゃ年もとるわよ」
「そうね。人間はみんな、老いるのを当たり前のこととして、否定せずに受け止めるわ」
「人にとっちゃ当たり前のことだからね」
霊夢は杯を一気に傾ける。
すかさず、紫が空になった霊夢の杯に純米酒をなみなみと注いだ。
「……まったく。人は強いわね」
「幻想郷最強クラスのあんたが言ってもまるきり説得力がないわよ」
「そんな。私はこの見た目通り、か弱い乙女ですわ」よよよ、と、この見た目は永遠の少女は冗談ぽく、同時に寂しそうに笑った。
霊夢は、顔は若干赤いが、酔った様なそぶりを全くといっていいほど見せていない。
「そうかとおもえば。咲夜みたいに、人間のくせに容姿が全然変わらないのもいるし。ねえ紫、咲夜のからくりはどうなっているのかしら?」
「私だって、分からないことぐらいありますわ……ぶふっ」
「あんた絶対知ってるでしょ。まあいいわ、それほど興味のある物でもないから」
突然、床が揺れた。
その音の発生源と思わしきところで、河童がいびきをたてて眠りこけている。
その近くから、魔理沙が得意げな顔をして、千鳥足でアリスの方へと歩いて行った。
「にとりを飲み比べで撃破してやったぜ。なに、魔理沙は年取ったから前より酒が弱くなったね、だと? ふん、人間様を舐めるからそうなる」
「思いっきり魔法使ってズルしてたじゃないの」
「心外だなアリス。魔法使いとして当然の嗜みですわ」
「ところで、魔法使いといえば。魔理沙はいつになったら捨虫の魔法の研究を極めるつもり? 研究が行き詰まって居るのであれば、私やパチェリーだったら相談くらいには乗ってあげるわ」
「そいつはありがたいんだが。どうもな、最近気が乗らなくてさ」
魔理沙は急に真顔に返った。
「ねえ魔理沙。いくらあなたが白蓮から若返りの法をマスターしたからと言って、そのままでは人間のままよ。いまのまま、無茶を繰り返していては、いつかは死んでしまうわ」
「そうなんだけどな。……近頃はそれもいいかな、なんて」
「どうして!」
「なんでだろうな。どう考えても、人間のままでいるメリットは無いのにな。う~ん。どうもうまく説明できそうにないや」
「非論理的ね。理解できないわ」
「若返りの法も、もし取り消せる方法があったら、私は会得するかも」
「え……」
魔理沙は照れくさいかのように、自分の頬を少し引っ掻く。
「ほら、今の姿だとさ。釣り合いがとれないじゃないか。全然、霊夢と魔理沙って感じじゃないし」
「はあ? なにそれ?」
「なんなんだろうな、本当」
しばしの沈黙が二人を包み込んだ。
二人は顔を見合わせ、どちらとも無く、くつくつと笑い出す。
「へへへ」
「……ふふっ」
それは波のように大きくなり、ゲラゲラと大きな声に変化する。
「ああ、こんなに腹抱えて笑ったのは久しぶりだぜ」
「そうね、私も久しぶり。何年ぶり位かしら」
魔理沙も、アリスも涙を拭っていた。
「まあ、そういうわけだ。魔法使い倶楽部への入部のお誘いは、また今度にしてくれ」
「そうするわ。でも覚えておいて。私達はあなたのこと、絶対あきらめないから」
「そいつはうれしいな。今度のバレンタインデーも家の中がチョコ臭くなりそうだぜ」
「その日までくらい、礼儀正しい良い子にしてなさいな。毎日ちゃあんと歯も磨くのよ」
「分かったぜ、アリスママ」
魔理沙は横に寝転び、アリスに膝枕をしてもらった。
「ふああ、ちょっと一寝入りさせてもらうよ」
「お休みなさい」
アリスのそのセリフを、はたして魔理沙は聞き取れたのだろうか? 彼女は既にいびきを立て始めていた。
側に控えていた上海人形が、そんな魔理沙の頬にそっとキスをする。
11
翌日、早朝の命蓮寺では魑魅魍魎が跋扈していた。
「頭がガンガンする」
「気持ち悪い……」
皆が皆そうつぶやき、胸や頭を押さえる中、
「ほらほら皆さん、今日は快晴ですよ! お日様があんなにも私達を祝福してくださっているのに、寝てたらいけません!」
健康そのものの顔つきをさせた白蓮が、満面の笑顔で昨晩の宴の参加者を、次々に布団ごと中庭にぶん投げていく。
落下地点で待機する星と水蜜が、器用に布団だけを取りのけて、物干し竿にテンポ良く掛けていった。
放り出された生け贄の中に、魔理沙もいた。目に隈をはやし、顔色が青い。
「うわ、アリスの膝枕辺りから記憶が飛んでるぜ。それにしても頭が痛い」
「河童なんぞと勝負を挑むからそうなるのよ。当たり前じゃない」
一方の霊夢は実に平然としている。
彼女は白蓮に吹き飛ばされる前に起床し、今はおいしい緑茶を楽しむだけの精神的余裕がある。
「霊夢だって昨日は紫につきあってしこたま飲んでただろうが。なのに紫は二日酔いで、お前は顔色一つ変えないとか。ありえないぜ」
魔理沙が指摘したとおり、霊夢には何の変化も見られなかった。
顔色、髪型、仕草、服装。どこをとってみても、いつも通りの霊夢であった。
「魔理沙さんの言うとおりですよ。霊夢さんは、時々あり得ない位にバケモノじみてます」
早苗が風呂場のほうからやってきて、言った。別に朝風呂に入っていたわけでは無いのであろうが、早苗の髪はしっとりと水分を含んでいた。
傍らには、重力に逆らった髪型をさせた加美菜が、眠そうな顔をしてまぶたを擦っている。
それを見て、魔理沙が目を丸くした。
「うわ、まさに怒髪天を突くってか」
「東風谷の人間はみんなそうなんですよ。寝癖が酷くって」
霊夢が不満そうに口を挟む。
「ちょっと早苗。私がバケモノみたいって、それはどういう事よ」
「だってそうでしょう? 碌に手入れもしてないのに枝毛が一本もないなんて。思い切り卑怯じゃないですか」
早苗がズイ、と霊夢の顔に急接近した。
ジト目である。
「私が毎朝、かれこれ一時間近くかけてる時間は何なんですか? 実は霊夢さんってチートかなにか使ってるんじゃないですか?」
「地糸? なにそれ」
霊夢が不思議そうにいったとき、門扉のほうから、文の声が聞こえてきた。
「みなさーん。毎年恒例の集合写真撮りますよー」
12
命蓮寺の正門を背景に、実に壮観なメンバーが集合していた。
いつものように、霊夢と魔理沙、早苗が中央前列に陣取る。
少し前から、その慣例に加美菜と美琴も加わっていた。
「じゃ、とりますから、こっちを見てくださいな」
そういいつつ、レンズの角度を調整しながら、射命丸文は思った。
この連中は、毎年毎年、二日酔いの面白みのある顔を見せてくれる。
だが、少しずつ変化している者も確かにいた。
人間である霊夢と早苗が顕著であろう。あと何十回もたてば、自分の写真の腕でも、顔辺りの皺が目立つ様になってしまう。
また、彼女らがファインダーの向こう側から居なくなってしまう事も、おそらく避けられない運命だろう。
天狗の私よりも人間達の方が寿命を早く終えるであろうし。
他の者らを差し置いて、勝手にどんどん年をとってゆく二人。
自分が彼女たちを、この人数のままで撮りつづける事ができるのは、はたして後何回か?
他者の運命など、只の烏天狗の自分にはとてもあずかり知らぬ事。
だがしかし。
できるだけ多く、この人数で写っている写真を撮りつづけたい。
――願わくは、この幸せが、できるだけ長く続かんことを。
「じゃ、とりますよー。明日の朝刊に載りますからねー。みなさん、スマーイル!」
幻想郷一番の新聞屋を自称するこの烏天狗は、心中密かに、毎年こう思いながらシャッターを切るのであった。
負けた
面白かったです
そんな当たり前のことを忘れていました
でもそれはとてもすばらしいことである、と人間たちは知っています。
たとえどれだけ寂しくたって。
微笑んでいるのになぜか涙がとまらない、そんなすてきなお話でした
時のうつろいを感じることが出来ました。
面白かったです。
ガイ長の事かー!!www
だめだどうしても我慢できんwww
キャラ名を間違えるのはどうかと
内容は面白かったので次作に期待してます
最初、早苗さんに子供?!とか思って読んでたけど徐々に違和感は無くなった。
依頼主の筈なのに問答無用でボコられたレミリアかわいそすww
『マリザエル』や『ソックスピストルズ』で限界でしたwww
えっ活動停止ですって!?
GJ!