迷いの竹林の奥深く、永遠亭。
兎と僅かな人間が住むこの古ぼけた屋敷の一角、八意永琳の受け持つ診察室に小さな溜め息が零れ落ちる。
珈琲を片手に気怠げな雰囲気を醸し出す妙齢の少女、名は八意永琳と言う。
彼女はその日の仕事を終えると、決まって物思いに耽る事を日課にしていた。
彼女が全幅……いや、半幅程度の信頼を置く月兎すら共有する事が許されないこの隔離された空間で、彼女は一人思い悩む。
何故、自分には胸が無いのだろうか。
勿論、太古の昔より生きる彼女がこの様な些事を気にしていると誰かが耳にすれば、何を生娘の様な事をと一笑に付されるだろう。
だが当の本人にしてみれば、これは蓬莱山輝夜に蓬莱の薬を服用させてしまった咎と比較してなんの遜色も無い程に深刻な問題なのだ。
昔から……そう、月に居た頃から、貧乳と言う事が彼女の心に劣等感を抱かせていたのだ。
”月の頭脳”の二つ名を持ち、周囲からも天才と呼ばれていた彼女は、もちろん月では名の知れた存在だった。
その所為だろうか。 いつからか”才ある女に胸(パイ)は無し”という風説が広まっていったのは。
だからこそ、彼女は一人考えるのだ。
どうすれば豊満な胸を手に入れられるのかを。
勿論、彼女なりに様々な試行錯誤を繰り返した時期もあった。
手始めに自分で胸を揉んでみたり、揉んで貰ったり、巨乳になる薬を服用してみたり……など。
しかし、今此処に現在進行形で彼女が悩んでいると言う事は詰まる所、これらはどれも芳しい結果を齎さなかったのだ。
揉んだ所で蓬莱の薬を服用した以上成長する望みも無し。
揉まれた所でそれを頼んだ鈴仙の方が自分よりも豊かだと分かったのが唯一の収穫。
豊胸薬に至っては、自分が如何なる毒も薬も効かない存在なのだと思い出したのは、薬が完成した時の事だった。
つまり、それだけ切羽詰まっているのだ。 八意永琳は。
勿論、試しにとパッドを装着してみた事もあったが、風呂場で取り外した時に思いのほか精神的衝撃が大きい事が分かって以来、箪笥の肥やしと成り果てている。
薬も駄目、ハリボテも駄目、ならば一体どうすれば良いのだ。
行き詰まる考えにとうとう彼女の苛立ちは頂点に達し、診察台に置いた資料を辺り構わず巻き散らす。
暫しの間彼女は暴れ続けた。 滅茶苦茶に荒れ果てた室内を眼に、ようやく永琳は落ち着きを取り戻し、同時に頭を二三度振り、自分の未熟さを呪った。
こんな事をして何になるのだ。 言い知れぬ後悔を抱きながら、床に散らばる紙切れを拾い集める。
その時、あろう事か彼女は、踏んでしまった紙を見ようと視線を真下に落としてしまったのだ。 それも、直立したまま。
勿論、なだらかな丘は彼女の遠望を遮る事は無く、彼女の視線は何者にも遮られずにその紙へと届く。
彼女は凹んだ。 もの凄く凹んだのだ。
誰も居ない診察室で、一人手と膝を付き落ち込む永琳の姿は、藤原の娘ですらも同情を禁じ得ない物であった。
だが運命は未だ彼女を手放そうとはしない。 彼女を絶望の宴へと招き入れたその藁半紙は、彼女をそのまま二次会惨事会へと案内する招待状だったのだ。
いつまでも落ち込んではいられないと気を取り直した永琳は忌々しい藁半紙へと眼を向け、そのまま内容を確認する。
その時、つい、魔が差した。
最初は興味無さげに流し読みをしていた永琳だったが、ある一つの図を確認すると途端に眼を見開き、穴を空けるのではないかという勢いで読み耽る。
全ての内容を把握した時、彼女の頭にはかつて天照大神を天岩戸より誘き出して以来の閃きが訪れていた。
そうだ、整形外科手術しよう。
シリコンをこのダブルバキュラへと内蔵する事により、誰にも気付かれる事無く、自然に胸囲を増す事が出来る。
正に驚異の発想だ。 胸囲だけに。 月の頭脳は今日も冴え渡る。
そうと決まれば話は早いとばかりに診察室を天文密葬し、一人手術を開始する。
タイムリミットは午前0時。 兎達と一緒にお月見をしながらお餅を食べる約束の時間までだ。
――
おかしい。 今日の永琳様は何かがおかしい。
兎達は餅を思い思いの方法で食むも、決して永琳から視線を外す事はしなかった。
満月が燦々と照らす中庭に女神の如く佇む永琳。
きな粉で餅を食べていた兎が違和感の正体を捉えた。
胸が。 三つある。
おかしい、今朝までは確かに256の弾幕にも耐えうる二枚の鉄壁がそこにあった筈だ。
ならばボムでも拾ったか。 磯辺餅を頬張る兎は意見を投げかけた。
そうか、あれはボムだと言うのか。
ああその通りだ。 やっと永琳様が自機へと昇格なされたのだろう。
ならばお祝いだ。
ああ、今夜はお赤飯だ。 餅米なら腐る程ある。
寄れ、皆のもの。 明日は宴じゃ。 十六夜祭りじゃ。
兎達は幸せそうにお餅を食べる永琳を他所に、密やかな会合を始める。
月を見上げる永琳はそんな事などつゆ知らず、一人完全なる月を見上げながら笑顔でずんだ餅を頬張っていた。
――
翌日、永琳は再び診察室で額に手をついていた。
昼間の事、兎達から手紙を手渡された彼女は仕事終わりに内容を確認した。
内容は汚い字で簡潔に、二言。
『じきになったのおめでとう。 みんなよろこんでます』
兎達から送られた言葉に、永琳は自分がどれだけ馬鹿な事をしてしまったのかを理解した。
それはそうだ。 端から見たら急に胸がでかくなったのだ。 自棄になったと思われてもおかしくはない。
しかし、それを祝われる程までに兎達に嫌われていたとは。
昨夜の出来事を振り返れば、なるほど確かに私は除け者にされていたような気がする。
兎達は私を他所に一塊になり、こちらを見ながら何かを話していた。
恐らく一日で肥大した私の胸を皆で嘲笑っていたのだろう。
顔から火が出そうだ。 何故、この様な単純な結末を予測出来なかったのだろうか。
こんな事をすればすぐに気付かれるに決まっている。
駄目だ。 早くここを出よう。 いや待て、その前に一個取らねば。
胸の数を整えた永琳は一人頷き、荷支度を開始する。
診察台の上に書き置き一枚を残し、唐草模様の袋を手に部屋を後にする。
しかし、永琳は驚愕する。
廊下に出てみると兎達が……鈴仙にてゐ、輝夜までもが雁首揃えて出迎えているのだ。
おめでとう、師匠。
いってらっしゃい、永琳様。
頑張ってらっしゃい、永琳。
彼女達の言葉にとうとう涙を堪えきれず、その場にへたり込む永琳。
まさかここまで嫌われていたとは。
あひる座りで両目を抑え、えんえんと泣く永琳の姿に、周囲で祝っていた兎達も狼狽する。
もしかして、自分達は何かとんでもない過ちを犯してしまったのではないか?
騒いでいた者達はみな静まり返り、永遠亭の廊下には永琳のすすり泣く声だけが聞こえる。
暫しの間その時間は続いたが、とうとう居たたまれなくなったのか一匹の兎が永琳の胸へと飛び込んで行く。 因幡てゐだ。
永琳様、どうか泣き止んでくだパァン。
パァン?
この場に似つかぬ理解不能な破裂音に、全ての者が呆気に取られる。
まず理解したのは、彼女に抱きついたてゐである。 いや、彼女ならもしかしたら理解はしているのかも知れない。
永琳に抱きついたてゐは、顔を真っ赤にした彼女の顔を彼女の胸元から見上げる。 ついで、彼女の胸を見る。
顔を見る。
胸を見る。
一つ減った。
その事実を理解したてゐはこの世の終わりでも目撃したかの様な顔で永琳から後ずさり、ペコペコと土下座を繰り返す。
申し訳ございません、大切なボムを。 申し訳ございません。 申し訳ございません。 でもなんか固かった。
てゐは必死に謝罪を繰り返す。 周りの兎達も一緒になって土下座をしている。
てゐ様は悪く無いんです。 もとはと言えば私が言い出した事で。 でもなんか固かった。
わかった。 だから最後の言葉だけは止めて欲しい。
如何に永久を生きる身とはいえ、精神力までは無限ではない。
地に俯せる兎達が謝罪と余計な言葉を放つ光景を溜め息混じりに見渡した永琳は、ふと彼等の後方へと視線をやってしまう。
そこでは永遠亭の実力者達が皆思い思いの笑い顔を、しかし永琳には決して見せまいと顔を四方に背けていた。
永遠と須臾の姫君はしょうがないわねといった面持ちを袖で隠しながら右を。
狂気の月兎は気まずさ半分面白半分の表情を長い耳で隠そうとしたのか下を。
先程までのあれは縁起だったのだろう、因幡の宇詐欺様は面白くてしょうがないと謂わんばかりに腹を抱えて上を向いていた。
――そうだ。 天岩戸行こう。
あの惨劇から三日。
永琳の居ない永遠亭はひっそりと静まり返り、まるで空から太陽が奪われたかの様に鬱屈としていた。
当の永琳はというと、彼女は自分の診察室に塞ぎ込んでしまい、入り口には「あまのいわと」と可愛らしい字体が添えられた看板が静かに吊られていた。
兎達は皆困惑しながらも、どうにか永琳に外に出てもらおうと奮戦していたが、芳しい成果は得られない。
鈴仙が中に入ろうにも、結界を張っているのか扉に触る事すらままならない。
ならばと輝夜が右手を上下に振り回し助けを求めても、返事はおろか物音すら聞こえる気配は無い。
てゐはと言えば、暢気に子兎達と遊んでいるだけである。
外でどんちゃん騒ぎしてみたらという提案も出るが、この話の大元の発案者である彼女はまず誘いには乗ってこないだろう。
万事休すか。
永遠亭住民全員による会議の席には重い溜め息が積もるばかりであった。
輝夜姫が昔体験した話に寄れば、永琳が一人言で語尾に「~ウサ」と付けてニヤニヤしているのを目撃したときは一年間自分の部屋から出てこなかったそうだ。
思春期の娘よりも面倒臭い。 子を持つ兎達の思考は一致した。
されどそれが実話ならば、最低でも一年は永琳に会う事が出来ない。
折角自機への昇格が決定したのに、それでは余りにも不憫だ。
会議は踊る。 されど進まず。
一向に進展しない状況に業を煮やしたのか、兎達は責任の擦り付け合いを始める。
最初に永琳の胸に気付いた奴が悪い。 いや永琳様の胸に飛び込んだ奴が悪い。 いやいやいや、悪いのは魔性のおっぱいを持つ永琳様だ。 そうだそうだ。
いつ掴み合いに発展してもおかしくは無い一触即発の状況。
空気を変えたのは因幡てゐだった。
話を聞くに、どうやらこの事態を直ぐさま解決してみせると言う。
輝夜姫ですらも解く事の出来なかった、たった一つの難題。 どう解いてみせるというのか。 皆興味津々だった。
先頭を歩くてゐの後ろをぞろぞろとくっ付き歩く兎達は、さながらハーメルンかレミングだろうか。
彼女が永琳の部屋の前でピタリと止まり、後ろの隊列もそれに倣い動きを止める。
静寂に包まれる空間に、兎達は緊張する。
これから何が行われるのか。 果たして永琳様は出てきてくれるのか。
てゐは扉の前に立ちノックを二回、そしてこう言った。
「お師匠様、ぎゅ~ってして?」
蕩ける様な甘い声。 てゐの事を古くから知る者は皆鳥肌を立たせている。
期待した私たちが馬鹿だった。 皆が心でそう思っていた時、奇跡は起こった。
てゐが台詞を言い終わるや否や、すぱぁんと良い音を鳴らしながら、これまで頑なに進入を拒んでいた戸が開け放たれる。
それと同時に黒い影が飛び出て来たと思えば、てゐがその影に押し倒されている。
強過ぎる抱擁に酸素の供給が断たれる中、最後にてゐが皆に送ったもの。
それは月まで届くのでは無いかと思わせる様に、しっかりと立てられた親指のサインだった――
閑話休題。
一頻りてゐを愛でた永琳は、きょとんとした表情で辺りを見渡す。
その眼には真っ赤な瞳に涙を堪えた愛しい兎達の姿が映し出される。
どうやら相当な心配をさせてしまったらしい。
漸く自分のしでかした出来事の大きさを理解した永琳は、皆を安心させる様ににこりと微笑むと、両の手を大きく広げる。
その姿に兎達は大いに喜び、我先にと永琳の膨よかな双丘へと飛び込んで行く。
パァン! パァン!
残る二つの破裂音が響き渡るが構うもんか。 例え私のおっぱいが大きかろうと小さかろうと彼女達は気にせず私を愛してくれる。
それが確認出来ただけで充分ではないか。 私は幸せ者だ。
兎達に囲まれ泣き笑いを浮かべる永琳。
輝夜と鈴仙は慈愛に満ちた眼差しで彼女達を優しく見詰めている。
万事は丸く治まった。 今此処に響き渡るは幸福に包まれた皆の笑い声のみである。
しかし待って欲しい。
彼女が胸に詰めたのは”シリコン”である。 シリコンは破裂しない。
ならば何故、彼女のおっぱいは破裂したのだろうか。
だが彼女の胸の秘密など兎達は知る由も無い。
ただ永琳が無事に出てきてくれた事に、兎達は彼女の胸の増減など、自機昇格の噂話など既に忘却の彼方へと消し去っていた。
――
全ての騒動が治まり、再び静寂を取り戻した永遠亭。
兎達が寝静まる丑三つ時、永琳の診察室に二つの影が蠢いていた。
昨日まで豊かに実っていた二つの果実を失った少女と、兎の妖怪。
二人は珈琲を飲みながら向かい合い、ぽつぽつと話をし始めた。
「……てゐ、ありがとう」
「はい? 何がでしょうかねえ?」
「私の胸。 丁度2つに手術し直したあの日、抱きついた時に仕込んでくれたでしょう? この風船」
「だってああでもしないと収拾が付かないかと思いまして。
どんな馬鹿な兎でも気付きますって。 胸が2つから3つ、3つからまた2つになってれば。
あーでもウチの兎達なら単純だから或いは……
ま、でもお師匠様も嫌でしょう? こんな事で兎達の笑い者になりながら生き続けるのなんて」
「ええ、本当に助かったわ。……それにしても良く気付いたわね。
我ながら上手くいったと思ってたのに」
「本当にそう思ってたなら眼科も開くべきですよ。
いえ、精神科ですかね」
「……ま、いいわ。 兎達は皆まだ私の事を好いてくれてるみたいだし。
今度何か美味しい物作ってあげなきゃね」
「それはいいですねえ。 ついでに一生懸命動き回った私めにも何かあったら嬉しいですわ。
あ、無理にとは言いませんよ?」
「ふふっ、分かってるわ。 はい、ご褒美のキャロットケーキ。
一緒に食べましょう?」
「わ~い、永琳様大好き!」
むぎゅっパパァン!
『……へ?』
まさか。 まさかとは思うが。
「……二段構造……ですか?」
彼女は顔を赤らめ、こくりと一回頷いた。
あとえーりんは19才なんですね、ずっと16才だと思ってました。
なんかトントンと読みやすい文章でした
しかし素晴らしい3部作だ。
私にはとても選べませんから全員お持ち帰りして宜しいですかね?
ひんぬーギャップ萌え。
パァンで噴いた。
もちろん良い意味で。とびきり良い意味で
なんかもう 全行GJと言うしかない